明日への扉 ~~ 伝えたい気持ち


 もし、運命の女神様がいるんだとしたら……
 彼女はきっと、かなりの悪戯好きなんだと思う。
 


「ユーリぃー、お昼ご飯行こ~」


 控室に置いてある会社パソコンで学校の課題を
 片付けてる私の腕を引く利沙。
 

「あぁ―― あともう少し……!」


 ボチッっとエンターキーを押し、

 よしっ! 送信完了!

 最近の高校はデジタル化が推奨されていて
 ほとんどの課題提出が各教科の先生のアドレスへ
 送信する事になっているのだ。
 

 お弁当が入ったバッグを持って
 利沙と場所を移動する。


「あー! ようやく休み時間」


 いつもより機嫌のいい利沙。


「何か良いことあった?」

「んふふっ。実は今日合コンあってさ」

「あ、だから今日は一段と綺麗なんだね」

「お世辞は結構! はぁー楽しみぃ!」


 ウキウキしている利沙って
 本当にキラキラ輝いて”可愛い”と思った。


 でも、定時終業のあと 
 長い仕事が終わり、
 着替えのため控室に戻ると

 さっきまでウキウキしていた利沙が
 世界の不幸を一身に背負ったような雰囲気で
 長椅子にうなだれていた。
 
 
「……大丈夫? 利沙」


 利沙は力なく首を横に振った。
 
 
「何があったの?」  

「……聞いてくれる?」


 私は利沙の隣に座った。
 

「それがさ、予定してた女の子が1人来られなく
 なっちゃってぇ……」

「ふ~ん……それって、そんなに大変なこと?」


 合コン経験のない私はなにがそんなに大変なのか
 わからなかった。


「当たり前じゃない! だから一生のお願い」

「なに?」

「合コンの助っ人に来て!」


 顔の前で両手を合わせる利沙。


「えぇ!? 私に合コンなんて無理だよぉ」

「大丈夫! 私がフォローするし」

「着替えないし。まだ未成年だし」

「悠里は元が美形だから着飾んなくても大丈夫!
 アルコールは私がシャットアウトしてあげる」


 利沙の勢いに思わず黙り込んだ私を
 じゃ、よろしく! と、
 半ば強引に会社から連れ出した。

「乾杯~!!」


 目の前に座る男性陣は20代前半位。

 頑張って利沙が集めた女性群は
 キャピキャピしてるってイメージが強いけど
 さずがにいずれ劣らぬ美人揃いだ。

 ひと通り自己紹介をした後
 私から1番離れた男の人が


「椎名遅れるってー」


 と大きな声を出した。


「椎名って?」


 利沙が聞くと
 私の正面に座っていた男性が


「世の女性が好きなモノ全部持ってる男だよ」


 と笑っていた。

 どんな人なんだろう……


 それから小一時間ほどで、
 皆さんお酒の力ですっかり賑やかになっていた。


 私は? と言うと……
 飲み物も食べ物もあまり進まず、
 ノリを合わせるのに精一杯だった。



「おっ! もうすぐ椎名来るって!」


 また1人の男性が言う。


「ようやくー? 楽しみぃ!」


 女性陣も盛り上がる。


 数分後 ――、


『悪い! 遅くなった』


 後ろから声がして
 振り返ると、少し乱れたスーツを着た男性が
 立っていたんだけど……。


「まじで遅い!」

「ごめんごめん。
 ―― あっ、とりあえず生ください」


 通りかけた店員に飲み物を注文した後、
 私の隣にどかっと座った。

 フルーティーな香りがふんわりと香る。

 肩が少し当たる距離。


「どうですか! 皆さん!
 俺らイチオシの男でございます」

「うるせぇよ。もう酔ってるのか」


 この人が来てより一層賑やかになった。


「あ、俺、椎名 和弥です。宜しく」


 すこしぶっきらぼうに聞こえたその男性は、
 先日あった同窓会でちょっと気まずい別れ方をして
 しまった、あの椎名くんだった。

 きっと自己紹介なんて気恥ずかしいんだろう。

 チラッと隣の椎名くんを見ると
 目が合ってしまった。


「よろしくね」


 中学時代の同窓生なのに
 この場では初対面として振る舞う彼の、
 そんな余裕ある笑顔にドキッと胸が高鳴った。


 それから、
 上手く話に乗れない私に気を遣ってか、


「血液型なに?」
「星座は?」


 ほとんどひと言で終わってしまうような
 質問ばかりだったが、

 私にとってはとても有り難かった。

 みんなで話している時
 椎名くんの横顔をボーッと見つめていた。

 整った怜悧な横顔


「ねぇねぇ、キミ、悠里ちゃんだっけ?
 お酒進んでないじゃん! 何杯目?」


 突然真ん中に座っていた男の人に
 名前を呼ばれアタフタしてしまう私。


「えっ?! あ、まだ二杯目、かな……」


 利沙は約束通り”悠里はまだ未成年だから”と
 ノンアルコールを注文してくれたけど。
 椎名くんが来て、仕切り直しの乾杯した時、
 この真ん中の男性に勧められたカクテルを
 口にした。
 
 
「駄目じゃん! 早く飲んで飲んで」


 男の人は私のグラスを持って、
 私の口元の距離まで差し出す。


「一気飲みしてよ~」


 その一言で周りもやれやれと言い出す。


「ちょっ……それはやめようよ」


利沙が止めに入ってくれたが、


「え~~?ノリ悪くない?」


 1人の女が甲高い声で言う。

 このままだと、
 利沙までノリ悪い人みたいになっちゃう。

 迷惑かけられない。

 ……飲むしかない?

 グラスを受け取り、口元へ運ぶ。

 みんなの目線で緊張してしまい、
 手が震える。

 まだ半分もある量を
 一気飲みなんてできるのかな……

 でもやらないとだよね。

 決心しグラスを傾けた、その時 ――

 グラスを持つほうの手を
 グイッと引っ張られた。


「!?」


 私がグラスを持ったまま、
 隣にいる椎名くんがゴクゴクとお酒を飲み干した。


「っは~~!!」


 その声とともに、椎名くんの手が離れたが
 触れられていた場所が変に熱い。


「かっこい~~!」


 女性群の声が飛び交う。


「おい、それはずりーぞ! このイケメン!!」


 男性群もワイワイ叫ぶ。


「あ、あの! すみません」

「何で謝んの?」

「え?」

「そこはありがとうでいいじゃん」

「あ……どうも、ありがとう」

「うん。どういたしまして」


 そう言ってニコッと微笑んでくれた。


 椎名くん、全然変わってない。


***** ***** *****

「そろそろ次、行こうぜ~」
「私、カラオケ行きたぁい!」
「俺もー」

「じゃ、二次会はカラオケって事で」


 とりあえず合コンはココでお開き。
 
 次は二次会でカラオケへ行くみたい。


「悠里はどうする?」


 利沙が笑顔で聞いてきた。
 
 う~ん……

 明日、学校は休みだけど(創立記念日)。
 明後日は現国と科学第二分野の追試が
 待ち構えている。

 (その結果が出るまで私の卒業は棚上げなのです)
  
 そろそろ部屋の荷物も片付けなきゃいけないし。
 
 就活も追い込みをかけたい。
 
 やりたい事は山ほどある。
 
 せっかく誘ってくれた利沙には悪いけど
 疲れちゃった。



「ごめん、私は帰るよ」

「そう? じゃあまた会社で」


 利沙は手を振ったあと、
 賑やかなメンバー達の元へ加わる。


「和弥、来いよ」

「……いや、いいよ。明日も早いし」

「他の奴らは休みなのに、お前も大変だな」


 横の方から椎名くんの声がする。

 椎名くんも帰るんだ

 抜けるのが1人じゃなくてよかった、と安堵した。

 すこし顔の赤い椎名くん。

 もしかして、一気させちゃったから
 気分悪いのかな……?

 水とかあれば ――

 辺りを見回すとすぐそこにコンビニ発見。

 急いで水を買って、椎名くんの元へ行く。

 もう他の人たちは行ってしまって
 1人道端にしゃがんでいる椎名くんがいた。

 (椎名くんは同窓生だけど中1の時
  交通事故で大怪我をして長期入院していたので
  年は3才上の21才)


「あの! これ、さっきは本当にありがとう
 ございました」

「律儀だな」

「とても助かったので」


 それじゃ……と、
 この場を立ち去ろうとすると


「待って」


 椎名くんの言葉に、ピタッと止まる私。


「車、乗ってけば?」


 車?
 あれ? でも椎名くん、飲んでるよね?


「来た」


 椎名くんが見る方に高級外車が止まった。

 あれ?! さっきまであんな車なかった。


 中から運転手が降りて来て
 こちらへ向かってくる。


「和弥様。お待たせ致しました」


 深々と頭を下げる運転手。

 あ、そう言え彼は上場企業の御曹司だった!
 運転手付きの送迎車くらい持っていたって
 不思議はない。


「ほら。乗ってけ」


 タバコを消した後、
 私の手を引き後部座席へ押し込むように入れた。


***** ***** *****


 車の中はカフェに流れているようなBGMが
 静かに流れていた。

 私は自分の気持を落ち着かせるよう
 その音に耳を傾ける。

 隣に座る椎名くんをチラッと見て
 すぐに車窓の風景へ視線を戻す。

 彼の近くは何故だか安心する。

 優しくしてくれたから?

 ううん、椎名くんは誰にだって優しい。
 
 同窓会の席で彼が”婚約は解消した”と言っていた
 その許嫁の女の子と去年の学祭で偶然知り合い。
 実は、婚約解消の事も椎名くんから告げられるより
 ずっと前に知っていた。

 彼女が言っていた 
 『和弥は誰にでも優しい。それは悪い事じゃないけど
  婚約者としてはかなり複雑な心境』だと ――
  
  

「ここでいい?」


 車が止まり、
 私はシートベルトを外した。


「うん、そう。送ってくれてどうもありがとう」


 車から降りおじぎをすると、


「はい。これ」


 椎名くんから名刺を貰った。
 彼の人柄を表しているよう、
 飾り気のないとてもシンプルなもの。


「あ! ごめん、私、名刺持ってない……」

「いいよ。その代わり、必ずそこの番号に連絡して」

「へ?」

「いい? 必ずね」

「(椎名くん)……」

「じゃあまた」


 私の返事を待たず、車は行ってしまった。


 同窓会で言われた言葉が思い出される ――
 
 『ボクの時間はまだ、あの時のまま止まってる』
 『結局忘れられなかった……ずっと……ずっと、
  キミのこと好きだったから』



「―― 失礼しましたぁ」

『寄り道しないで真っ直ぐうちへ帰れよ』

「はぁい」


 職員室から出て来た悠里は
 腕時計で時間を確認しつつ昇降口へと急いだ。

 3月半ばの夕暮れはまだ意外に早く、
 辺りはもう薄暗くなりかけている。


 正門から表通りに出て、しばらく歩いたところで
 マナーモードのスマホがポケットの中で 
 ブルブルブル ――って振動した。
   
 ディスプレイの発信者名は ”晴彦”

 冬休みの終わりまで付き合っていた彼氏だ。
 あっちの浮気で破局した。
    
 
 ”あぁ ――! メモリーまだ削除してなかった”

  
 さっさと消去しておけば良かった……。
   
 通路の端に寄ってガードレールにもたれつつ、
 まだ鳴り続けているスマホをじっと凝視する。
   

 …………  …………

   
 !!それにしても、しつこいっ。
  
 けど、いずれ1度はちゃんと話しせなあかんよね。
  
 それが今だって、後だって大した変わりはない。
  
 かなり迷ったが悠里は震える指先で通話ボタンを
 押した。
  
     
「……」

『……』

「そっちからかけて来たんやから、ウンとか
 スンとか言いなさいよ」

『あ、いや……悠里、絶対怒ってる思って……』

「はぁっ??」


 言うに事欠いて 何たる言い草!
 頭にきた。
  
  
「用がないなら切るで!」
  
『待って! 待ってくれ。悠里、ほんまにごめん……』


 気取り屋の晴彦が国訛りの関西弁を使うのは
 かなり本音が出てるって証拠。
  
  
「わし ――」

「晴彦」


 晴彦が何か言いかけたのを、
 悠里は強い口調で遮った
  
  
「言い訳は聞きとうない。
 聞いたところであなたのした事、
 今回ばかりは許せそうにないの」
 
 
 訴えるように静かにそう言うと、
 電話の向こうはしん……と、静まり返って
 しまった。
  
 微かにだが、男のすすり泣く声も聞こえる。
 ……多分、浮気相手。
 どうゆうワケか悠里には同性より異性の友人が
 多かった。
 その浮気相手も、元は悠里の友達だった。
 
   
 そのまましばらく、
 かすかなすすり泣きの声が混じった
 重苦しい沈黙が続く。
  
  
『……悠里……ほんまにごめん……』

「……けど、このまま……遺恨をのこしたままで
 いるのも嫌やから、気持ちの整理がつき次第連絡
 するからそれまで待っとって」
 
『わかった……おおきに』   


 通話を切った悠里は、どっと疲れを覚えその場に
 しゃがみ込んだ。
  
 知らず知らず、大きなため息が漏れる。
  
 考えなくてはならない事が重過ぎて、
 いっそ全て投げ出してしまいたいような
 気持ちに駆られる。

  
 晴彦と過ごした短い日々の思い出が走馬灯のように
 脳裏を過ぎっていく ――。
  
 1年の時の臨海学校でファーストキス。
  
 初めての2人っきりデートは、夢にまで見た、
 ディズニーランドのカウントダウンパーティー。
  
 女の子の初めてを彼に捧げたのもその夜だった。
  
 それから ――、
 晴彦の浮気が露見する度ケンカはするけど、
 何日か過ぎるとヨリは戻って。
  
 その度に晴彦から離れられなくなっていた。
  
  
 ―― そんな昔の事を思い出し、
 くそ忌々しい晴彦の声も思い出したら、
 何だか無性に涙が込み上げてきた……。
   
 何なのよ、情けないっ!
   
 でも、一旦盛り上がってしまった感情は、
 自分でどうにか出来るもんでもない。
   
 立ち上がって。
  
 人気がない場所を探して、近くの路地へ入った。

 建物の壁にもたれたまま崩れるようしゃがみ
 込んだ。

 さっきまで無理に抑えていた涙が溢れ出て来る。
 
 やだ、もうっ! 何なの……?!


 ―― 時間はほんの少し遡る。 

 同じ頃、道路を挟んだ反対側の歩道を椎名は
 とぼとぼ歩いていた。
   
 同窓会の帰り、勇気を出して悠里に名刺を手渡し
 ”必ず連絡をくれ”と言ったあの日から、
 もう1週間が過ぎた。
   
 そのあとはムカつくくらい仕事が忙しく、
 デートはおろか電話をかけるヒマもなくて。
   
 イライラは日ごとに増えて。
   
 考える事、といったら悠里の事ばかり……。
   
 頭の中は ”悠里” でいっぱい。
 彼女一色に染まっている。
   
   
 歩道橋の階段を力なく登り始め、その中ほどで
   
 何の気なしに反対側の歩道を見た。
   
 そして、ある1箇所で目が止まり。
   
 次の瞬間、目の前の階段を猛スピードで
 駆け上がり……。
   

 ***  ***  ***
 
   
 ばっかみたい……
 今さら泣いたってしょうがないのに。
      
 自分の不甲斐なさを責めるよう、
 私は口へ拳を押し付け声を殺して泣いた。
   
   
 次から次に溢れ出る涙の量は
 決められていないんだろうか?

 笑えるくらい溢れ出て来る……。


 少し落ち着いた私の横に、何時からいたのか?

 椎名くんが立っていた。

 わ~ん ―― 格好わるぅぅっ。


「しいなくん ―― いつ、から……?」

「―― 落ち着いたか? お前、目ぇ真っ赤」


 椎名くんは、自分を見上げてる私を見て笑う。

 私は手早く涙を拭い、性懲りもなく強がりを言う。
  
   
「ちょっと、悪酔いしただけだから……」

「悪酔い ―― って、お前酒飲んでるのかよ」

「んな事あんたに関係ないでしょ」

  
 椎名くんは私の傍らに座った。

 何も語らず、真っ暗な空を見ている。

 何故泣いていたのか?   
 理由も聞かずに、ただ黙って傍にいてくれる。

 私も何も話さなかった。

   
「―― な、腹減らね?」
 
「へ?」

「こーゆう時は腹いっぱい食えるだけ食って、
 忘れるのが一番だ」
 
 
 おっ。出ました。
 椎名くんのポジティブシンキング。
 

「寒いからよ、関東煮(かんとだき)食いに
 行かないか?」

「関東煮?」

「あ、そっか ―― 東京じゃ”おでん”って
 言うんだっけ。食いに行こうぜ。俺めっちゃ旨い屋台
 知ってるんだ」

「(どうしよう)……」 
  
「腹がいっぱいになれば気分も上がるってもんよ」

「……そうかな」

「おぅ!」


 そんな威勢のいい彼の声に釣られるよう、
 私はやっと重い腰を上げた。
 
 椎名くんお勧めのおでん屋さんは     
 結構夜が更けても賑わっていた。
 
 椎名くんとカウンターに並んで座った。


「う~ん……お出汁のいい匂い……」

「どれも絶品だぞ ―― まず、何を食う?」

「大根と玉子、牛スジそれと……」

「こんにゃく、がんも ―― 全部食うだろ?」

「食う」


 今、目の前のおでん鍋の中で、くつくつと
 温まっている全種類のおでんをとにかく
 食べまくった。


「―― 美味いー!」

「だろ?」


 椎名くんは熱燗を飲んでいる。

 私はこのお店の女将さん手作りの梅酒を
 チビチビ……。


「ここには ―― 嫌な事なんかがあると
 必ず来るんだ。来てとにかく食う。
 それでスッキリする」

「……」

「最近は楽しい事が多くて来なかったけどな」


 何気に私を見る視線が熱い。


「……楽しい事?」

「悠里と会うこと」


 私を見つめたまま笑った。 
   
 また、妙な事を言い出した……  
   
   
「《何言ってんだ》 って、顔してる」

「当たり」


 私は笑った。


「やっと笑ったな……うん。断然、笑ったほうが良い、
 やっぱ女の子は笑顔がキホンな」


 椎名くんは笑いながら私を見る。


「クサすぎ」


 私はまた笑った。


 椎名くんには ”これでお終い” って、
 言われたけど”あと、もう1杯”って
 しつこく食い下がって ―― 
 結局、特製完熟梅酒を3杯飲んで、
 ほろ酔い気分で店を出た。



「満足か?」


 店を出て歩きながら椎名くんが聞いてきた。


「うん、満足。どーもごちそうさまでした」


 笑いながらお辞儀をした。


「いいえ、どういたしまして」


 椎名くんも笑いながら私を見た。


 そしたら、頬に、冷たい何かが当たって……
 あ ――。


「雪……?」


 季節外れの雪……私は空を見上げた。

 火照った顔に落ちる雪の冷たさが気持ち良い。


「……ゆーり……」


 椎名くんが私の名前を呼んだ。

 酔っ払ってるのか? 
 横に立つ彼を見ると至近距離で立っていた。

                              
「酔って ――」


 いるの? と、聞こうとした時、
 椎名くんは私の腕を掴んで歩き出し、
 人陰に隠れるように小さな公園へ入る。

 結構飲んでたし……急に気持ちが悪くなったかな?
 それなら……


「ねぇ、大丈 ――」

   
 私はいきなり、椎名くんに公園のフェンスへ
 押し付けられた。


「ど……」


 ―― うしたの? と、聞こうとする私に……

 いきなりのキス!

 酔った勢いでこんな事するなんて最低!
  
 私は椎名くんを引き離そうとするが、
 両腕を掴まれて身動きが取れなくなった。


「ちょ……っ!やめ ――」


 言いかけたその口に舌を入れてきた!


「やだ……って!」


 抵抗しようとする私をフェンスに強く押し付けて
 強く舌を吸われる。


「やめっ ―― ん……っ」


 私の顔を両手で包むと、深く舌を入れてくる。

 引き離そうと椎名くんの腕を掴むが力が入らない。


「は……っ……あっ……や」

  
 ここまで激しい、映画で外人さんが
 するようなキスはした事がなかった!

 耳が熱くなる。

 恥ずかしさと舌を吸われた時に、腰が痙攣する事
 への戸惑いが身体を火照らせる。


「し……いな……っく!」


 椎名くんの力が強くて抵抗できない……


 が! しかし! 
 人間、死に物狂いで何とかすれば
  
 渾身(こんしん)の力で椎名くんを押しのけて、
 身体を放し、手で唇を拭いて彼を睨んだ。

 さっきまでその瞳の奥に野獣の険しさを宿らせて
 いた彼だけど、今は、さっきまでの勢いが嘘の
 ように自信なげで不安そうな目をしていた。
  
 なんだかこっちが弱い者いじめでもしてるような
 心境になって……いたたまれず、
 踵を返して私は駆け出した。
  
 どうやってバス停にたどり着いたか? なんて

 分からなかったけど、私はやって来た深夜バスに
 飛び乗った。

 ショックだった……

 良い人かもしれないと、ちょっとでも思い始めて
 いた矢先だったので、そのショック度も格別だった。

 溜め息をつきながらバスを降り、自宅へ向かう。


 ……はぁ? うそでしょ?

 椎名くんが居た!

 あ ―― こっちに来る!


 そんなに嫌なら逃げりゃあいいものだが、
 肝心の足が動いてくれない……!

 私の前に立った椎名くんは、


「さっきは、すまなかった……」


 と、私に頭を下げた。


「酒が入ってて……
 空を見上げる悠里の顔に見惚れて」


 見惚れる? こんな私に?


「少し……話さないか?」

「話す事はありません」


 そう、話さなくて良いのだ!


「嫌われたな」

「すっかり」


 椎名くんは、間髪入れずに答える私に少し笑う。

 そして沈黙……

 いやな『間』だ。

 椎名くんが私の目をまっすぐ見据えながら
 口を開いた。
 

「同窓会で久しぶりに会った悠里は見違えるくらい
 いい女になってて……おそらく、あの時、2度目の
 ひと目惚れをしたんだ、お前に」


 はあ?
 ひ……ひと目惚れ?


「だから……」


 だから? ダカラ? なんなの?


「僕と付き合って欲しい。もちろん結婚を前提
 とした真面目な交際だ」


 周りの喧騒の音が一気に消える。

 てっきり、茶化されてるとばかり思っていた、
 目の前に立ってる男に告白された。  


「悪いけど、当分の間誰とも付き合うつもりは
 ないから」


 椎名くんを真っ直ぐ見据える。


「元カレ以外に好きな人でも?」

「おらんけど……」

「じゃあ、僕に惚れさせれば良いんだな?」


 はい?
 前々から思ってたけど、あなたのその揺るぎない
 自信はどこからくるの?

 下手すれば自意識過剰の嫌味な男なだけじゃん。

                          ※
「せやから……」

「人を好きになるのに条件がいるのか?」

「条件……って」

「1人の女にここまで固執したのは初めてだ。
 この責任はどう取る?」


 せ ―― 責任??
 私のせいなん? 違うやろ?!

 あぁぁ! なんや、ムカついてきた!


「責任って何よ! うちはアンタに
 『惚れてくれ』なんてひと言も言ってない!」


 あ

 公衆の面前…

 しかも施設のご近所さん……

 通行人が興味心深々に見ながら通り過ぎて行く。

 あぁ、あのおっちゃんなんか立ち止まって
 見てるし。

 もぉぉぉぉ!!

 これ以上こんな所で醜態を晒すわけにはいかなくて
 椎名くんの腕を掴んで、人影のない近くの公園に
 入った。


「あんな場所で妙な事言わんでよ!」

「ここなら良かったのか?」


 椎名くんが笑う。


「そういう意味じゃなくて!」

「好きな人に好きだと言って何が悪い? 
 場所なんて関係あるか? 
 京都駅前であろうと人混みの中心であろうと
 僕はお前を好きだと声を大にして言える」


 呆れる……


「惚れたんだからしょうがない、だからキスをした。
 何が悪い?」


 自分の気持ちばかり押し付けやがって!


「ほな、私の気持ちは?」

「確かに、お前の気持ちを聞かずにあんな事をして
 反省している」

「それなら……」

「だから、僕に惚れさせれば良いんだろ?」


 もおぉぉ! 何なんだ?


「言ってる意味が分かんないわ!」

「そのままだ、僕に惚れさせる」


 椎名くんは話しながら近づいて、
 咄嗟に逃げようとした私の腕を掴む。


「放して!」

「好きになれ、僕に惚れろ」


 私を引き寄せて強く抱きしめた。

 抵抗しようにも、がっちり抱きしめられて身動きが
 取れない!

                       
「放して!」

「僕を好きになれ」

「ならない! 絶対にならない! 
 早く放してっ!」


 私の言葉で椎名くんの腕が緩み、安堵したのが
 間違いだった。
 コイツは ―― また私にキスをした!!


「やめ ――!」


 あぁ……
 
 口を開かなければ良かった。
 舌を入れられてしまった……


「ん ―― ふ……」


 私は学習能力ゼロや……
  
  
「っぁ、やだって…っ」
 
 
 逃げる舌を追いかけられ、強く吸われたかと思えば
 唇を舐められたり……

 嫌でも感じてしまう身体に戸惑いながらも必死で
 抵抗した。

 ようやく唇は開放されたけど、抱きしめられて
 身動きは取れない。


「好きだ……ゆうり……大好きだ……」


 椎名くんは呪文のように言葉を繰り返す。

 何も言えなかった。
 言いたいのに言葉が出てこなかった……

 ただ、ただ呆れた。


「好きだ……」


 椎名くんが更に強く私を抱きしめる。


「あんたなんか大っ嫌い」

「好きになれ」

「ならない」

「好きだ悠里、好きだ」


 私の身体を抱きしめたまま顔を寄せてきた!
 またキス?! 私は歯を食いしばる!


 一瞬、椎名くんの笑い声が聞こえたような
 気がする。

 不意打ちか?

 彼は私の頬にキスをして


「おやすみ」


 と、頬を撫でて、笑いながら駅に向かって
 歩いて行った。


 椎名くんの姿が見えなくなり、私は一気に脱力して
 その場にしゃがみこんだ。

 何が起きたん?

 うちの身に……何が起きたん??

 それに今日は何て夜よ ――!

 展開があまりに性急すぎてついていけない!
    
 元彼へ自分から別れを告げ。

 舌の根も乾かぬうち
 別の男から告白されて……キスまでされて。

 きっと厄日やな……

 地面に座り込んでポケットの中から、
 もう必需品と化している飴玉を取り出し、
 口に放り込んで気持ちを落ち着かせる。

 マジ、何なん? あいつ……

 呆然と、夜空の星を眺めていた。 

「―― で、その後、どうしたん?」


 手元にあるA定食には目もくれず、
 話しの続きに目を輝かせる利沙。
  
  
「どうしたって……速攻、部屋に帰ったけど」


 利沙の隣にいる男子・国枝 あつしが
 嘆くように呟いた。
  
  
「あぁ ―― おらぁ、そいつにつくづく
 同情するよー。玉砕覚悟の告白でがっつり拒否
 されるなんて、並の男なら立ち直れないぞー」
 
 
 あつしは、利沙の双子の弟だが、二卵性なので
 ちっとも似ていない。
  
  
「にしたって悠里ぃー、あんた何考えてんのー」
 
「え?」

「純総資産3000億円超。
 そんな男の何処が不満なのよ! 
 いい? あんたには左うちわのバラ色な
 結婚生活が確約されたようなもんなのよ!」
 
「左うちわのバラ色な、ねぇ……」


 ため息をつき、伏せかけた視界の隅であるモノを
 捉え、ゆっくりそちらへ目を向けた。
  
 1枚板の大きなガラス張りの窓の向こうは、
 正面玄関に隣設された駐車場。


 今、そこへ4000ccクラスの
 大型スポーツクーペが1台停まった。                              
      
 悠里と同じくそれに気が付いた数人の男子が
 ざわつき始める。
  
 あつしも気が付いた。
  
  
「うわっ、すっげぇー …… 本物、
 初めて見た……」

「なに、アレ、そんなに凄い車なの?」


 とは、車(メカ)音痴の利沙。
  
  
「たった500万台しか生産されなかった限定販売車。
 おそらく中古でもうン千万は下らないだろうな」    
  

 車好きな男子達はその車の優美なフォルムに
 目が釘付けで。
  
 女子達は、その車から颯爽と降り立った男に
 目を奪われ、ギャーギャー騒ぎ出す。
  
  
『チョーかっこいいんだけどー』

『モデルか俳優さんかなー』

『出入りの業者さん、とか』

『何の用事で来はったんかなー』


 何の用事だろうと、
 悠里にとっては迷惑この上ない訪だった。
  
 女子達の注目の的は椎名 和弥。
 
 たった今、うわさ話をしていた張本人だ。