私が自分の運命の分かれ目に"もしもあの時"と考えるなら、まずフェアルス姫達とのあの出会いが最初に浮かぶ。
 もちろん他にも、両親の死やスキルドとの出会いなど、大きな分かれ目は沢山存在している。
 けれど、他のそれらは何らかの偶然の重なりこそあれど、少なからず人の意志が生み出したものであったと思う。
 だが、あのお姫様達との出会いは、まったくの偶然であったはずだ。
 街道を歩いていた私達と砦に向かう彼女達に、接触の意志はない。
 結果的にあの出会いは、兄の復讐のきっかけとなった。
 もしあの出会いがなければ、兄はどうしていただろうか? 私はどうなっていただろうか?
 それでも兄は、復讐に向けて最終的には1人で行動を起こしたかもしれないが、私の運命は大きく変わってしまっただろうと思う。



 あの出会いから、約2週間が経過。
 私達はベスフル城にいた。
 兄は、ベスフル城奪還の英雄として入城したのである。
 そう"奪還"である。
 ベスフル本城は、一度は陥落していたのだ。
 ベスフル城の陥落と、国王の処刑。その事実を私達が知ったのは、姫を護衛して砦についた時だった。
 泣き崩れる姫と、動揺する砦の兵士達。
 兄はそれをまとめ上げ、ベスフル城に攻め上った。
 砦の指揮官の中には、兄に不満を上げるものも少なくなかったが、そこで兄は自身の身分、国王の甥であることを持ち出し、フェアルス姫の臣下となってベスフル城を奪還することを宣言したのだった。
 そして自ら先頭に立って戦い、敵に劣る戦力でベスフル城奪還を果たすことで、反対勢力を黙らせてしまったのである。
 奇跡だと、ベスフルの人々は言った。
 その時より、英雄ヴィレント、と兄は呼ばれるようになった。
 入城した私達は、英雄の身内ということで、1人1人に城内の個室を与えられた。
 それは、これまで私が体験したことのないような待遇だった。
 豪華な食事に、ふかふかのベッド、服もこれまでのボロボロだった物から、新品のドレスに変わった。
 これでも王族が身に着けるには、質素なものだと、侍女さんが教えてくれた。
 王族である。
 国王の血縁である私は王族として、スキルドやシルフィより一段上の扱いを受けているようだ。
 何もしなくても、侍女さんが私の髪を整え、ドレスを着つけてくれる。
 まるで、夢でも見ているようだった。
 部屋にある大きな鏡を覗くと、綺麗なドレスを着た見慣れない少女がそこに映っていた。
 私は両親が亡くなった7年前のあの日から、鏡など碌に見ていない。
 そこには、切り揃えられた母譲りの綺麗な金髪と碧い目が映り、そして伸びた身長とゆったりした服の上からでもわかる胸の膨らみが、もう自分が子供ではないことを伝えてきた。

「チェント、いるか?」

 部屋を訪ねてきたのは、スキルドだった。
 入城してから3日、スキルドは私を気遣って、毎日様子を見に来てくれていた。
 私達は、部屋のベッドに並んで腰かけた。

「ここでの生活には慣れたか?」

 スキルドの言葉に、私は首を横に振った。

「慣れるわけないよ。今までと全然違って、落ち着かない」

 正直にそう答える
 スキルドは、そうか、と相槌を打った。

「この国も王様が処刑されて、この先どうなるかわからないし、こんな生活がずっと続けられる保証はないんだよな。
 ヴィレントは、どうするつもりなんだろうか?」

 もし城が再び陥落し敵に捕まれば、私も王族として処刑される可能性すらある。
 そう思うと、逃げ出したい気持ちさえあった。

「兄さんは、どうしてるの?」

 入城してから、私は兄とほとんど顔を合わせていなかった。
 部屋の場所は聞いていたので、会おうと思えば簡単なはずだったが、兄の部屋を訪ねる理由が私にはなかった。

「あいつはベスフル兵団の作戦会議に、毎日顔を出しているみたいだけどな。昨日の夜会った時は、イラついてたな。この国の連中は腰抜けばかりだ、ってさ」

 英雄となった兄は、すっかり兵団を仕切っているようだった。
 城内は、入城した初日こそ浮かれた雰囲気があったが、翌日になるとまた不穏な空気が漂い始めていた。
 それも当たり前のことだった。
 城は取り返したものの、それは戦いが振出しに戻っただけだからである。
 一度の陥落によって王様は殺され、その他にも決して少なくない犠牲を出していた。
 この国にとっては、まだマイナスの状態で、戦争は終わっていなかった。

「これ以上戦を続けても勝ち目はない、って思っている連中が多いらしい。なんたって、相手は魔王軍だしな」

 戦の相手が魔王軍。
 私がそれを知ったのは、ここベスフルに着いてからだったが、巷では既に広まっていた情報らしい。
 ベスフルの同盟国が魔王軍に降伏、従属し、連合軍となって攻めてきたというのが、実情のようだった。
 兄の方は、とっくにその事実を知っていたのだろう。
 両親の仇討ちのために、戦いに参加したというのであれば、兄の行動も説明がついた。

「王様の正式な跡継ぎは、あのお姫様しかいない、って話だけど。あの様子じゃ何の決断もできそうにないしな」

 フェアルス姫は、16歳。この時の私と1つしか違わない。
 今まで、箱入り娘同然に育てられてきたそうだ。
 砦の中での様子を思い出す。
 交戦か降伏か、指揮官たちに決断を迫られ、口ごもる彼女に兄が言った。

「ここは姫様に代わって、俺が戦いの指揮を執りましょう」

 兄はそこで身分を明かし、自身にはその権利があると主張した。
 指揮官たちは、何の証拠もないデタラメだと言った。

「この場ですぐに出せる証拠などないが……そうだな。姫様さえ認めてくださるのなら、他の方々に異論を挟む余地はないはずだろう?」

 戸惑う彼女に、兄は畳みかけた。

「もし姫様が認めてくださらないのなら仕方ない。ご自分で指揮を執るなり、降伏するなり、ご決断なさいませ」

 その言葉が決め手となり、彼女は兄にすべてを任せることを告げたのだった。
 兄はその時すでに、何の決断も下せない姫の性格を見抜いていたようだった。
 きっと今も彼女は、自分の責務から逃げたがっているに違いない。
 いっそ、兄が王位を継いでくれれば、とすら思っているかもしれない。

「兄さんは、戦いを続けるつもりなんだね」

 両親の仇を討つため、フェアルス姫の権威を利用してでも、戦い続けるつもりなのだろう。
 それからスキルドは、私と他愛のない話を続けた後、部屋に戻っていった。



 その翌日。
 朝方、部屋の扉が叩かれたのを聴き、私はスキルドの来訪を予測して戸を開けると、そこには違う姿があった。
 スキルドより、そして兄よりも大きい身長に驚く。
 その男はベスフル兵団の小隊長の1人、名前は確か、ガイといった。
 筋骨隆々とした体つきに、強面で禿頭の男。目の前に黙って立たれただけで、恐ろしい容姿をしていた。
 恐れ、戸惑う私に、彼が言った。

「ヴィレント殿の妹君、チェント殿ですな? 兄上がお呼びです。付いて来てください」

 兄さんが今更、私なんかに何の用だろう?
 不思議に思ったが、そもそも兄の考えていることなど、前からわからない。
 それよりも、逆らえばまた兄に殴られるかも、という恐怖が、黙って私を従わせた。
 歩いていくガイの後ろを、黙って付いていった。
 歩幅が違うせいか、ゆっくり歩くと置いて行かれそうになる。
 兄の怒りを買いたくないがため、私は速足で追いかけた。
 そういえば彼は、砦のやり取りでも兄に賛同していた数少ない人物であったことを思い出す。

「この臆病者共め! 国王陛下への恩義があるなら、今すぐベスフル城奪還のために兵を挙げるべきであろう!」

 そうやって、他の小隊長たちを怒鳴りつけたのを覚えている。
 この短い間に、使い走りを頼むほど仲が良くなったのだろうか?
 彼に限らず、城の兵たちの間では、兄を称賛、支持する声が飛び交うようになっていた。
 戦場などにまるで縁のなかった私には、兄の成しえたことの凄さは、いまいち実感できていない。
 そんなことを考えながら歩いといると、気が付けば城の外へ出ていた。
 こんな場所で兄が待っているのだろうか?
 私がきょとんとしていると、次の瞬間、私は口を塞がれ、喉元に短剣を押し付けられていた。

「!?」

 私には、一瞬、何が起きたのかわからなかった。

「声を出すな」

 ガイの声。いつの間にか背中に回り込まれて、動きを封じられている。

「怪我をしたくなかったら、おとなしくしろ」

 恐怖で体が動かなかった。
 私は布で口を塞がれ、縄で後ろ手をきつく縛られた。
 小柄な私は、ガイの片手で軽々と担がれて、どこかに運び去られようとしていた。
 何故? この人は兄さんの賛同者ではなかったのか? 私をどこに連れて行くつもりなのか? まさか、兄さんの命令で?
 私の思考は混乱するばかりだった。
 冷静に考えれば、この時、兄が私をどうこうする理由はない。実際のところは、私のことなど、もう歯牙にもかけていなかったであろう。
 城の裏口には、なぜか見張りがいなかった。
 彼が見張りを、何らかの手段で予め排除していたのだろう。
 裏口を出てしばらく歩いたところに、馬が止めてあった。
 こんなもので、いったいどこまで行くつもりなのか、目的がわからなかった。

「待て! あんた、チェントをどうする気だ!」

 声の先にスキルドがいた。
 私が部屋にいないのを見て、追いかけてきてくれたのだろう。
 いつも私を気にかけてくれる彼は、こんな時でもちゃんと駆けつけてくれた。
 スキルド、助けて! と、私は塞がれた口で全力で叫んだが、言葉にならないうめき声が、あたりに流れただけだった。

「ヴィレント殿には悪いが、この国にはもう愛想が尽きた。この娘は連れて行く。死にたくなければ邪魔をするな」

 ガイはスキルドを睨みつけた。
 スキルドは、一瞬たじろいだが、

「チェントは返してもらうぞ!」

 覚悟を決めたように、腰の剣を抜いた。
 ヴィレントのように強くなりたい、といつも言っていたスキルドは、度々、兄に稽古をつけてもらっていた。
 だが、大した成果は出ていないと聞いている。今回の戦にも、スキルドは参加していない。
 今も、必死に恐怖を振り払おうとしている様子が、顔に表れていた。
 2人を見比べると、明らかに体格に差があり過ぎた。
 細身で、同年代の男性の中でも背がやや低い方であるスキルドに対し、戦い慣れした体つきをしているガイは、大男と形容していい。
 スキルドは、他に人を連れてきてはいなかった。
 今、助けを呼びに戻れば、その間にガイは私を連れて、手の届かないところまで逃げ去ってしまうのだろう。
 私には、スキルドが助けてくれることを祈るしかなかった。
 スキルドが剣を抜くのを見たガイは、私を地面に放り出し、懐の短剣を取り出した。
 腰の剣は抜かない。目の前の細身の青年など、短剣で充分だと思っているようだった。
 縛られている私は1人で立つこともできず、視線だけをスキルドに向けた。
 ガイは何の緊張も見せず、ゆっくりとスキルドに近づいていく。
 スキルドは、雄叫びをあげて斬りかかっていった。
 お願い、頑張ってスキルド。
 スキルドの振り下ろした剣は、ガイの短剣にあっさりと受け流された。
 私の祈りも虚しく、ガイの短剣は、事務的な動作でスキルドの脇腹に突き刺された。

「!?」

 私は悲鳴を上げた。
 短剣が引き抜かれると、どくどくと血が溢れだし、スキルドはその場に崩れ落ちた。

「チェント…を……返……」

 彼の伸ばした手は、私には届かない。
 ガイは、勝負はついたとばかりに、スキルドに背を向けた。
 何事もなかったように私を担ぎ上げ、馬の背に括り付ける。
 私は必死に叫んだ。
 助けて! 誰か助けて!
 口を塞がれていたのは、幸いだったのかもしれない。
 自分を助けに来て、死ぬかもしれない傷を負った青年を無視して、己の身ばかりを優先する私の、その身勝手な悲鳴は、スキルドにはとても聞かせられない。
 そんな悲鳴は天に届くわけもなく、馬は走り出した。
 遥か遠い地を目指して。



 あの時、フェアルス姫達との出会いがなかったら。
 あの時、兄がベスフルの戦いに赴くことがなかったら。
 今も私は、スキルドの隣で、身勝手な自分を自覚せず生き続けていたのだろうか?
 考えずにはいられない。
 このたった1つの偶然は、私の運命を大きく変えてしまったのである。