明日も君の声が聴きたくて


「うん。ちょっとずつ、楽しいことを考えて、そこまで耐えるの。まずは明日、私の誕生日会をするでしょ? それから、一花の誕生日ももうすぐだよね」

 震える背中を抱きしめた。
 こんな言葉、気休めでしかない。
 安っぽいかも知れない。
 でも、今の私に言える精一杯の言葉を紡ぐ。

「一花は十分頑張ってる。今がどん底だとしたら、今より悪くなることはないよ。あとは上がるだけ」

「そうだよね。日本中、今がどん底だもん。これより悪くなることはないよね」

 これより良くなる保証は全くなかった。良くなりそうな条件なんてひとつもない。
 
 どれだけ節電しても、日本の石油備蓄量はあと三か月分程度だと言われている。食糧だってこのままでは足りなくなる。輸入に頼りきっていた日本は、戦後最大のピンチを迎えていたから。

 ……核弾頭に怯える日々は、いつまで続くかわからないけれど、人間はそんなに浅はかではないと信じて暮らすしかない――。

 電話でそう言っていた優理君の言葉を私は信じようと思っている。




「こんなことがあったんだよって、私達がおばあちゃんになったら、孫に話してやらなくちゃ」

「やだもう。明日やっと十六になるっていうのに、綺羅はもうおばあちゃんになった自分を想像してるの?」

 涙を拭きながら、少しだけ明るい声で一花が言った。

「うん。孫にお年玉見せながら、昔話をするの。ちゃんと聞いてくれなかったらお年玉はあげませんよって」

「うわー、意地悪ばあさんだ。孫に嫌われるよ」

「いいもん。孫は沢山いるから、誰か私のことを好きな孫もいるはず」

「子孫繁栄でおめでたいねぇ……って、そこまで妄想してるの?」

「そうだよ。猫も飼うんだ。ここ、ペット禁止だから飼えないでしょ?」

「いいねぇ。私も大人になってここを出たら、犬を飼ってみたい」

「ね? それまで頑張ろう。孫に囲まれてペットを愛でるリッチなおばあちゃんになるまで」

「うん。……ありがと、綺羅。明日、朝イチでここに来るわ。まだ綺羅のおばあちゃんが寝てる間にね」

「わかった。気を付けて」


 それからおばあちゃんが帰ってくるまでの少しの間、一花ととりとめのないおしゃべりをした。

 一花は今の生活がまるで、アンネ・フランクのようだと言っていた。

 外に出られず、情報網も遮断され、電気や食糧を節約しながら暮らす毎日。

 大人が外へ出ていくのを、私達はこっそり窓から見送ることしかできない。

 確かに、屋根裏部屋で隠れて暮らすアンネのようだ。

 だけど、決定的に違うことが二つあった。

 一つは、見つかっても強制収容所送りにはならないこと。

 そしてもう一つは、世界中の人達が同じような苦労を強いられているということ。

 人種も国も性別も宗教も超えて、文明に頼り切った生活を送っていた国のみんなが同じ流れ星の瞬く空を見上げ、苦難を乗り越えようとしているのだ。

 誰も好きで第三次世界大戦を起こそうとしている訳ではないのだと、私は信じていた。

 日本国民の誰もがそう信じて疑わなかった。


【 三章 第九の月~十五夜~ 】


「おばあちゃん、あと十分で停電になっちゃうから、これから使うものだけ先に出しちゃおうよ」

「ああ、そうだったねぇ。早くしないと」

 おばあちゃんと一緒に、冷蔵庫に入っている食材をチェック。

 夕飯に使うものだけを取り出して、あとはしっかり閉めておいた。

 うっかり開けてしまわないように、マグネットで『開けたらダメ!』と書いたメモを留める。

 これから八時間の計画停電をやり過ごさなくてはならない。冷蔵庫の開け閉めを行わないことで、中の食材を守らなくては。


 優理君の誕生日に起こった『カルマ(業)の火』から二か月が過ぎた。

 私の誕生日である八月七日、一花が私に「おめでとう」を言ってくれたそのすぐ後、また総理大臣がラジオで会見を開いた。

 長く続く子どもの外出禁止令に、教育の機会が奪われると感じた保護者と、外に出られないストレスで苛立つ子ども達の声を受け、政府もついに核爆弾の危険性を考えて子ども達を外に出さないという方針を明らかにしたのだ。

 それまでは国民がパニックになるのを防ぐために、表面上は伏せられていた。




 不穏な世界情勢の長期化は避けられず、今まで以上に資源を節約しなくては、冬を越せないという話だった。

 石油資源の備蓄量は、その時点で残り二か月ちょっとしかなかった。

 大幅な節電により、それを四か月程度まで伸ばしたいとのこと。

 それまでにはサミットを開き、各国の協力体制を維持できるように努める、らしい。

 そのために、八時間をひとつのサイクルとして、計画停電が行われることが決まった。八時間の停電の後、八時間通電、また停電……の繰り返し。

 隣の自治体とはそのサイクルをずらし、緊急搬送される重病人はその時点で通電している病院へ運ばれることになった。

 人工呼吸器などを使っている人は、バッテリーを二つ以上フル充電させながら耐えているという。

 八時間というのは、一般家庭であれば、冷蔵庫の開け閉めを減らし、必要な電力は通電中に充電することで何とかやり過ごせる。

 この時間は当然信号機も点灯しないけれど、そもそも車を使う人が激減したことで、お巡りさんが誘導しなくてはならないような交差点も数が限られる。



 しかしこれからは毎日八時間ずつ電気が使える・使えないと考えながら生活していかなくてはならない。

「いつ核弾頭が飛んでくるかわからない」という声と共に「核戦争なんて起こり得ない」という、楽観的な声もあるらしい。

 ラジオの討論番組では、心配しすぎだという評論家の声ばかりが聴こえてくる。


 授業を受けられない子ども達を心配して、通常通り登校させようという案も出ていた。

 けれどもまだ危険だからという理由で実現されていない。担任の先生が二回、家庭訪問をしてくれただけだった。

 一回目の家庭訪問では、学校で印刷された宿題の山を渡され、近況を聞かれた。

 二回目は、ラジオで学年別の授業が放送されるようになるから、それで勉強するよう伝えられ、ラジオ授業用のテキストを渡された。

 とは言っても、高校一年生の学習に割り当てられた放送時間はたったの一時間半しかない。

 ないよりマシ、とりあえず学習させています、という実績を作るためだけのような気がした。


 こんなに学校へ行けない日が続くと、自分の学習進度が気になってくる。

 登校できるようになったらすぐ、この山のような宿題のテストが待っているんだろうな、とか、みんなは親にテキスト買って来てもらって自分でちゃんと勉強しているんだろうか、などと考えると不安で仕方がない。

 でも、おばあちゃんに本屋さんへ行ってテキストを買ってきて、なんて頼めない。

 おばあちゃんは私を大事にしてくれている。これ以上の無理は言えない。


 私と優理君は、その後もずっと毎日連絡を取り合っていた。

 節電のため、毎日お風呂を沸かせなくなってからも、おばあちゃんは八時までにおやすみの挨拶をして、自分の部屋へ戻ってラジオを聴いている。

 私達の電話タイムを邪魔しないという、おばあちゃんの気遣いが嬉しい。

 
 情報が非常に統制されていて、サミットまでの間、とにかく政府用に電波や電力を回すよう指示された。

 今まで辛うじて使うことができた、有線でのインターネットの閲覧すら重すぎてできなくなっているという話も、優理君から聞いた。


 今日もいつもの時間ちょうどに、優理君から電話がかかってきた。


『ねえ、綺羅。今日は何の日か知ってる?』

 未だに優理君から名前を呼ばれると耳の奥がこそばゆいような感覚になる。

 照れ隠しに私は一生懸命言葉を繋げる。

「今日? うーん、何だっけ。誕生日はお互いもう終わったし、一花の誕生日は来月でしょ。松本君の誕生日は確か冬だったような……」

『残念。誕生日とは関係ないよ。そこから外って見える?』

「ちょっと待って。ベランダに出たら見えるけど、電話の線が……」

 以前、おばあちゃんが長期間寝込んでいた時、おばあちゃんの部屋でも電話が使えるように、かなり長い線を使っていた。

 けれど今は邪魔だから、その線をまとめていた。

 それを伸ばして、また電話機を移動できるようにしてみよう。

 これならベランダまで届きそうだ。

『待ってる。出たらきっと気が付くよ』

 優理君の優しい声が、少し耳から離れた受話器越しに聴こえる。

 
 電話の線を最大限に伸ばし、あまり広くない市営住宅のリビングを抜けた。

 その先にあるベランダまで何とか届いたので、電話機と自分の身体だけ外に出して、ベランダの窓を閉めた。これでおばあちゃんに迷惑はかからないはず。

「外に出たよ。ちょっと寒いかも」

 私達は普段外に出られないから、洗濯物を干す昼間だけこのベランダに出ることが許されていた。

 でも、昼間とは違い、日が沈んだこの季節はもう、こんなに涼しくなっているとは。

『そこから月は見える?』

 受話器を持ったまま、外を見た。

「……見えた! まんまるだね! 今日って十五夜?」

『そう。晴れてるから、いつもの年なら月がよく見えるはずなんだけど。今年はおまけがいっぱいあるからなぁ』

 優理君の言う「おまけ」が、また月の周辺で煌めきながら動いていった。人工衛星の流れ星は、以前よりもっと見えるようになった気がする。

「今、月のちょっと下を流れてたよね」