「星」「リンゴ」「静かな城」(SF)

 リンゴ人

 彼らは地球人ではない。
 地球という星は三世紀ほど前に亡くなり、しかし人類は生き残った。亡くなることを予期していた科学は星を去って彼らが生き残るようにコロニーを建設していたのだ。ただ、それは全地球人類を乗せられるほど大きくはなく、選ばれた数千の人々と後は食物連鎖を維持するよう選別された動物達だった。ノアの箱舟が動物達と共に大洪水を乗り切り、再び地上へと帰ってきたが、この船は行き、無限に続く宇宙をただ静かに彷徨った。
 やがて、地球出身は人類でも、その他の動物でもいなくなり、地球は伝説となった。宇宙を漂う静かな城は、今や人類の土壌はこの円筒形に伸びたコロニーしかなかった。
「ねえ、トログ」
 B-776番、イサダは自分の肩に乗っているリスに聞いた。脳の大小が知能を決定付けるわけではない。イサダの肩に乗るリスの首筋には微小ながらLEDの青い光が点滅している。リスは鼻をヒクヒクと動かし、彼に答えた。
「どうしたの?」
「地球ってどんな所だったんだろうねぇ」
 イサダはのんびりと間延びして遠くを見つめている。イサダの視線の先には広大な点々が広がっていて、それは常に漆黒の中を瞬いていた。
「アーカイブを調べればいいじゃない? 仮想体験だってあるし」
「うん。そうなんだけどさぁ」
 手摺を摩って、下を向いた。イサダは今年十八歳になる。未だに弾ける冒険心はそこら中に向いていた。だから、彼はすでにコロニー内の殆どを歩き通し、コロニーの中を隅々まで探検していた。数百の人類が生きる居住区、動物達のいるサファリ、農作物を育てる食料区、小さいがその全てを循環するように設けられた湖。人類が意図的に作った自然環境は清々しいほどに完璧で予測不可能な事態はない。風は空調が作り出し、光はコロニーの中心にある円柱状に伸びた高出力LEDから放出され、これまた制御される。ドローン編隊が農作地に雨を降らし、昆虫型のロボットが受粉や土壌の改善を行っていた。それをイサダは全部見たのだ。しかしだからこそ、彼は物憂げなのだった。リスは自分の頭を撫でると彼に聞いた。
「ひょっとして、まだ宇宙に行きたいのかい?」
「行きたいねぇ」
 彼の目は虚空たる宇宙に向いていた。退屈な日常を抜けて星々の光だけに包まれ、常に興奮だけを患いたい。が、彼はそう言った直後、
「行きたいけど、行けないねぇ」
と言って、またを下を向いた。コロニーでの生活は完璧で安全だったが、それでも資源は限られていた。宇宙を航行する巨大な城は堅牢そのものだが、堅牢なだけなのだ。当初、このコロニーの資源は多量にあり、コロニーにはそもそも二つの目的があった。一つは地球の生態系を保存すること。もう一つは地球の代わりを探すこと。巨大な船は探査には向かない。だから探査機を作って宇宙を旅した。そこまでは計画通りだった。しかし、その探査機は一機たりとも帰ってくることはなかったのである。宇宙には何があるかあまりに未知で、地球観測上で知り得る知識などたかが知れていたのかも知れない。または居住可能な星を見つけたが、帰れなくった。もしくは帰らなかった。はたまた宇宙人に、航行中事故に……。理由はそれぞれあるのだろうが、一機たりとも帰らず数千機旅たった資源は戻ってこなかった。今、このコロニーに残っている資源はこのコロニーの存続に欠かせないものしか残っていないのだ。
「……君がいないと困る人は大勢いるよ」
 また、人的資源も大いに減った。数千人の生き残った人々は宇宙に、文字通り散った。その中にはこのコロニーを管理する、もしくは改築をする人間が最も多かった。故に、残った管理職はかなりの激務となった。なんせ人類の補充が効かないのだ。イサダは残った管理職の子孫にあたる。しかも最高とは行かないまでも責任ある立場で、彼は常に飛び回っているのだ。コロニー中を回っているのは一重に冒険心だけではないのだ。
 鬱々とした彼の部屋の扉がプシュという音と共に開き、そこからタブレット端末を持った一人の女性が現れた。彼女は入るなり言う。
「また問題発生」
「あー、問題、問題。モーマンタイ……」
 すると、問題、と聞いた瞬間にイサダはそっぽを向いた。頭を抱えて「モーマンタイ。モーマンタイ……」と呟いている。それを尻目に彼女は彼の肩に挨拶をする。
「こんにちは。トログ。今日は向日葵?」
「違う。朝飯はドングリでした」
 二人はフッと微笑み合う。リスなのに口角がニュイっと上がって見えた。と、ミキと呼ばれた彼女は頭を抱えるイサダにもう一度言う。
「さて、問題発生って……」イサダは彼女が口を開いた瞬間に耳を手で塞いだ。「塞ぐな。耳を」彼女は多少苛立ち、彼が耳から手を離すと続けた。「循環器のシステムがイかれてきて、その原因がニュートラルパッケージの腸機変換機構にあるみたいなんだけど……」
「つまり、船外の復調器を一旦止めてその間にパッケージの腸機の調子を取り戻せって?」
 途中でイサダが分かった分かったとばかりに要件を要約した。彼は技術管理職。小間使いには慣れている。
「……そう」
「ああ、乳酸菌万歳」
 虚ろな目でそう言う。腸機とは、当然生物的な腸とは違う。いわば下水などのリサイクル機構のことだった。その工程はかなり複雑でコロニーにとっては何よりも大事な場所だ。誰かが生んだゴミがそのままだったなら恐らくコロニーは半年も持たないだろう。イサダはトログを肩から下ろし、一発の欠伸と共に彼女と部屋を後にした。
「どうイかれてるんだ?」
 白い廊下を歩きながらイサダは彼女に聞いた。
「前と同じ」
「ああ、汚水が逆流か。変圧器に問題は?」
「ない」
「本当に? チェックは?」
「した」
「じゃあ腸機だな」
「だから言ってるじゃない」
「叩いて直す」
「冗談よね?」
 二人はある扉の前で立ち止まり、向かい合った。ミキは困惑した表情で彼を見ている。イサダは冷静に言った。
「いや、船外に出て、プレートを開いて、回路基板についたゴミを払い落とす。コイルかコンデンサーがずれたのかもな。とにかく叩いて直す。いつもそうやってる」
 ミキは目を丸くした。
「それで直ってたの?」
「回路が焼ききれない限りはな。資源が無いんだ。節約しないとな」
 一機械をなるべく長く使うこと。もう三世紀以上使い込まれた機械群はあちこちガタがきている。しかし、修理するにも資源は限られていて、酸素供給機などの最重要機械を除いて完全に壊れてからではないと資源を回すことはできない。以前の修理の際、上役に資源を回す様お願いしたところこんな返答が帰ってきたのだった。この時、お前らの家を解体してやりたいと彼は思った。上役達の贅沢な住居は資源の宝庫と言っても過言では無いほど壮麗で先進的なのだ。行こうか。と言って、彼らは立ち止まった扉を開き中に入る。すると分厚く白く、背中の大きなバックパックが特徴的な宇宙服が並んだ部屋に出る。部屋の奥にはもう一つ扉があって、その奥にはもう一つ扉がある。だが入ってきた扉とは違いこちらも分厚く、重々しい扉だった。
「減圧したら言ってね。それじゃあ」
 イサダは座り、宇宙服を着込み始めながら去り行く彼女に手を振って答えた。
 宇宙服は軽量に作られているが背中のバックパックは重力下だと存外重たい。彼は前屈みになり分厚い扉に入る。と、扉が閉まり、減圧が開始された。
 赤いランプが点灯しそこら中で白い煙が立っている。やがて耳が鳴り出し、ランプは消灯した。続いて、そのさらに奥の扉が開いた。そこにはもう光が瞬く虚空の宇宙だ。
「調子はどう?」
 ミキが若干の砂嵐と共に聞いてくる。
「耳鳴りがする以外は特に」
「そう。気をつけて」
「次はアイアンマンのスーツにしてくれ。股間が妙に痒くなってきた」
 イサダは冗談を言って宇宙へと足を踏み出した。地に足が着かない独特の不安が彼の心臓を高鳴らせも、警告も発する。放っておけばどこまでも体が流れていく様なこの感覚を彼は不思議と好んでしまう。が、そんなことをすれば死しか待っていないのは重々承知だ。彼は船外の表面を掴みながら移動した。目指すは腸機だ。
「復調器は切ったわ」
 彼が船外で最も明るい場所、白い光の中を通っている時にそう聞こえた。この光は優しい灯りくらいのものだが、今は宇宙空間であっても塵に汚れていることがわかる。光っているから余計に。
光を乗り越え、彼は腸機の真上まで来る。白い船体の中に取っ手見える。彼はそこを掴んで開き、内部を覗き込む様に見た。そして、直観で判断し、ある回路基板を右に殴った。もう一発。あ、やべ。今度は左に、優しく。すると。
「……直ったみたい。本当に叩いたの?」
「三十センチ代のコンデンサーが左に曲がってた」
「……叩いたのね」
 もう、いいか? と通信を切る。念の為、一応直った様だが、他の箇所も見回っておく。使い込まれた基盤は錆こそ無いものの表面が焦げつくか溶けているものがある。集積回路は治しやすい様巨大に設計されているので多少の焦げならそこまで心配はいらない。彼は回路達から目を離し、
「これで……よし」
とプレートを締め直した。そしてふと、後ろを振り抜いて無限の宇宙を眺めた。光を失わない星々は何億年も、遥か昔の爆発の残響だ。そう勉強してはいるが彼にとってはクリスマスの飾り付けの電球同等に美しい彩りに満ちて見えた。
「終わったのなら戻って。酸素切れになりたいんだったら止めないけど」
 イサダは分かったと言い、ハッチへと船の表面を手掴みで這う様に進む。一歩一歩と確実に。そうしていくと途中でかの果物と合間見える事になる。
 コロニーの外、彼らの故郷の外には彼らの救い主がいる。円筒形の大地の外側。もう彼らは誰も目にしたことがない地球の果物だ。彼らの救い主。

 彼らはリンゴの子供。

 白く光るリンゴがコロニーの表面で、イサダの背中でもしっかりと白く輝いていた。