『アザラシ君はこいつ↓』
アザラシを狩る者と言うアカウントを名乗る奴が、大学内で撮った一史の画像を貼っていたのだ。
食堂であろう場所で、バカみたいに笑ってる画像。周りにいる友人達にはスタンプで顔が隠されているが、一史には何の加工もされていない。
こいつが画像を晒したことで、ここ最近知らない奴から、やたら見られていたことを理解は出来たが、心中はそれどころではなかった。
強い怒りが湧き上がる。こんなくだらないサイトを作った管理人を、必ず暴いてやると誓う。
ここまで自分について詳しいと言うことは、それなりに身近な存在――。
つまりは友人達の誰かだと考えた。
しかし友人達となれば、困ったことになった。
一史はオープンな性格から、自分が金持ちだと言うことを、仲の良い人なら誰でも知っている。
また顔が広いことも災いして、絞るどころか、友人全員が怪しく思えるのだ。
怒りは一旦治まり、はぁとため息を付きながら立ち上がる。授業を受ける気分にはなれず、家に帰ることにした。
道中の電車の中、そのサイトの書き込みをチェックせずにはいられなかった。険しい顔で読み進めていけば、ショックな一文を見付けてしまう。
『アザラシ君と遊んだったー。もう全てのお会計払ってくれるから、サイコーだよね♡ 彼の心を奪って、金も奪ってみせるー♡←』
それはもう、アカウント名で分からないようにしていたとしても、誰かは明白だった。
――久し振りに会った時、どうしてあんなことを訊いたのか疑問に思っていたが、ようやくその意味も分かる。
自分に気があるようにしていたのは、金の為。
それなのに悩んだり本気にしちゃって、バカだ。
アホらしくて、情けなくなって、連絡帳から由希江の名を削除する。
そして怒りよりも虚しくなった一史は、家の最寄りではない駅で降り、彷徨うよう街の中を歩いた。
ただ無心で歩いて歩いて歩き続けた時、ふと足を止めれば、目の前にオワコンと言う名の店があったのだった。
「それでですね、昨日の今日だけど、誰がその管理人なのか分からないんですよ。家に帰ってから探ってはみたけど……」
「なるほど。しかしネットと言うのは、そうやって他人のプライバシーを簡単に書くことが出来るんですね」
「え? 今の時代、そんなの日常的じゃないですか」
「あぁ、すみません。どうにもパソコンやネットの類いが苦手でして」
そう言ってゼクスは苦笑いを浮かべた。聞いた一史は、苦手と言うよりも知らな過ぎるだろと思う。
「今やネット時代だって言うのに、知らないと色々不便でしょ? あ! だからこの店のことも検索に引っ掛からなかったんですね」
「確かに苦手なので、ホームページとやらはありません。それもありますが、この店にはあなたのように、見付けた人がたまに来るぐらいでいいんです」
ふーんと言って、そんなことでやっていけるのだろうか? とも思う。だがそこで、気になっていたことに納得が出来た。
「ずっとオワコンって言う、名前が気になってたんですよね。どう考えても、店の名前にするにはふさわしくないし。でもあなたが言ったことで分かりました」
オワコンとは、終わったコンテンツの略である。
一時は栄えていたが、現在では見捨てられてしまったこと。ブームが去って流行遅れになったことを意味する。
つまりそうやって関心を持つ人が少ない――と言うのと、訪れる人はほんの僅かでいいと言うことを掛けて、オワコンと名を付けたのだと一史なりに解釈したのだ。
「いい名前でしょう? 我ながら気に言ってるんです」
「はい。なかなか出来ない発想ですよね」
ゼクスと一史は笑い合う。どうにも話が噛み合ってない気はするが、ふたりに気付く様子はない。
「さて、本題に戻りますが、あなたの願いは管理人が誰かを探って欲しい。と言うことでよろしいでしょうか?」
「そうですね。それで正体が分かったら、そいつに仕返しをしてやりたい」
「仕返しとは?」
「えっと、それは決まっていません。誰か……が分かってから、決めるって言うのでもいいですか?」
「もちろんです」
にこっと笑って、ゼクスは一口紅茶を飲む。
「それでは、まず管理人の正体を明らかにします。その後で何らかの仕返しをする。と言う依頼内容でよろしいですね?」
「はい」
「ではこちらの手続きとして、契約書を読んで頂き、了承ならばサインをお願いします。ひとつ、注意点としまして、サインした時点で依頼は始まり、中断は認められません。ですから引き返す、やはり止めると言うのであれば、サインはしないで下さい」
分かりましたと一史が頷くと、エリーが契約書を机の上に置いた。ゼクスのカップに追加の紅茶が注がれる中、契約書を読む。
それ程時間は掛からずに、一史のサインは書かれた。
「ありがとうございます」
契約書を受け取り、ゼクスが微笑む。
「さっそく依頼を遂行していきますが、しばらく時間を頂くことにはなりますので、またこちらからご連絡させて頂きますね」
「はい。よろしくお願いします」
座りながら頭を下げ、入れられた紅茶を飲む。何だか初めて飲む味だなと思いながら、一史は立ち上がった。
ゼクスに見送られながら、低いドアベルの音が鳴る。扉が閉まりエリーとふたりになると、ゼクスははぁとため息を付いた。
「うーん。これは困った」
珍しく困った顔をして、ゼクスはソファに戻る。
「ネットだなんて、ゼクス様知らないですもんね」
「そうなんだよなー……。だからここにパソコンを置いてないんだが。そうだよな。こっちでやっていくなら、多少は知っておく必要があるか」
はぁと天井を仰ぐ。
「とは言っても、今回はパソコンなしで管理人を突き止めなきゃな。依頼者を待たす訳にはいかない」
「どうするんですの?」
「それを今から考える。エリー、紅茶を入れてくれ」
「先程おかわりを入れましたのに。もうなくなったんですか?」
「いつも言っているだろう? 俺はエリーが淹れる紅茶が好きなんだ」
まぁと、エリーは嬉しそうに微笑んだ。
「新しいのを淹れますから、少々待って下さい」
そう言ってルンルンとご機嫌に、キッチンに向かって行った。
テレビも付けずしんとする中、ゼクスは目をつぶったまま考える。やがてこぽこぽとお湯を注ぐ音が聞こえ、エリーはポットを手に戻って来た。
「ゼクス様。どうぞ」
しゃがんでおかわりを入れようとした時、突然ゼクスはエリーの手を取る。
「エリー。力を貸して欲しい」
――翌日。ゼクスとエリーは一史が通う大学前にいた。
お昼を回り、今の時刻は2時45分。3講目が終わる時間で、一史の情報によれば、3講目から帰る学生が多くなるそうだ。
「今回は地道に学生から聞くしかない。俺が考えるに、管理人は男である可能性が高い。となれば、エリーの力が必要だ」
「お任せ下さい。ゼクス様の頼みとならば、断る理由はありません」
にこりと微笑むエリーの今日の姿は、事務所の時とは正反対にカチッとした服装をしている。
タイトな黒のスカートに、黒色のジャケット。赤い縁の伊達眼鏡を掛けた姿は、仕事が出来る秘書と言ったところか。
「さて。どいつにアタックするか……」
少し離れた場所で見ていれば、次第に大学から出てくる人が増え始める。ゼクスは黙って目星を付けていると、ひとりで出て来た男に目を止めた。
「エリー。あの男にしよう」
「分かりました」
そう言ったと同時に、エリーは歩き出す。左耳にピアスを付け、スマホを見ながら歩く男に声を掛けた。
「すみません。お話よろしいですか?」
「あぁ?」
周りを見ていなかった男は、僅かに不機嫌に顔を上げる。しかしエリーを見た途端目を見開き、驚いたまま足を止めた。
「突然に申し訳ございません。わたくし、探偵の鈴木と申します。お伺いたいお話があるのですが、少しだけお時間ちょうだい出来ますでしょうか?」
「探偵さん……。あ、あぁ、大丈夫ですよ」
「ありがとうございます。では近くのカフェに移動しましょうか」
明らかに見とれていることが分かった。ほぅと放心状態の彼に微笑み、エリーは術の必要はないと心の中でくすりと笑う。前もって入るカフェを決めていたので、先にゼクスはそこに入り、離れた場所で様子を伺うことにした。
店内が空いていたこともあって、エリー達はゼクスの後ろの席に着く。コーヒーと紅茶が頼まれたところで、エリーが話を始めた。
「突然にありがとうございました。まず、こちらの名刺を渡しておきますね」
そう言って1枚の名刺を手渡す。そこには鈴木探偵事務所、鈴木茉緒(すずき まお)と書かれている。実際にありそうな名前ではあるが、全くのデタラメだ。
「ありがとうございます。あ、俺は横井(よこい)です」
「横井さん。よろしくお願い致します。あ、上着を脱がせてもらってもよろしいですか?」
「どうぞどうぞ」
ありがとうございますと言って、エリーはジャケットを脱いだ。下に着ていたのは、白のレースのノースリーブブラウス。ジャケットの上からでも胸が大きいことは分かっていたが、それは更に強調される。
探偵がこんな服を着ていることは、まずないだろう。だが何ともエロさを兼ね備えた姿に、横井は釘付けとなった。
「では横井さん、さっそくですが、お話を聞かせて下さい。あなたの通う大学のことなんですが、大学内で噂になっているサイトがあることは、ご存知ですか?」
本題を切り出すと、横井の表情は僅かに強ばる。じっとエリーを見ていたと言うのに、急に目を逸らした。
「実はそのことで、知っていることを聞かせて欲しいんです」
少なくとも知っていることは明白の中、話を続ける。と、ここで飲み物が運ばれてきたが、横井は口にすることはなく、視線を下に向けたまま。
「……俺は何も知りません」
小さな声で呟いて、だんまりを決め込む。それを見たエリーは、机の上に乗せられている横井の手に自分の手を重ね、ねぇ……と囁いた。
ドキッと驚いた横井が顔を上げると、エリーはにこりと微笑む。
「私の目を見て?」
色香含む声で言えば、横井は吸い込まれるように見つめる。赤い両目が妖しい光を帯びると、横井の目はとろんととろけた。
「人間の男程、容易いものはないわね」
くすりとエリーが笑ったところで、ゼクスがやって来た。自分が注文した紅茶を手にして、エリーの隣に座る。
「エリー。色々訊いてくれ」
「はい。横井、サイトについて知っていることを全て話しなさい。まずはサイトの管理者は誰なの?」
「サイトの管理者は……根岸(ねぎし)隆介……」
感情のない表情から、また感情の籠らない声で呟かれる。エリーの術により分かった管理者の名を聞いて、ゼクスの眉がぴくりと動く。
「隆介……? エリー続けてくれ」
「はい。管理者の他に共犯者は? いるなら全員の名を言いなさい」
「共犯者は……他に……田上(たがみ)昇、溝口(みぞぐち)篤……。後は俺です……」
「なるほどな。横井、下の名前を教えてくれ」
ゼクスが言った後にエリーが命令すると、横井は自分の名前を告げた。
「俺は……横井聡太です……」
「もういい。エリーありがとう」
分かりましたと言って、術を解く。すると糸で吊るされていたかのように、ぷつんと横井の体から力が抜け、机の上に突っ伏すように倒れた。
意識はなく気絶している。エリーの術を掛けられた相手は、術が解かれた後しばらく力を失うのだ。
「たまたま目を付けた相手が、友人でラッキーだと思ったんだが……」
はぁとゼクスはため息を付いた。
「何故、玉川一史を陥れることをしたかも訊こうと思ったが、お前達の名が分かれば嫌でも分かった。くだらんな」
不機嫌に倒れる姿を見ながら言う。持って来ていたストレートティを飲み干し、立ち上がった。
「やはり人間界の紅茶はまずい。エリー、帰って紅茶を淹れてくれ。口直しをしたい」
かしこまりました。エリーは嬉しそうに答えて、ふたりで店を出た。
「――調べた結果、こうでした」
翌日、呼び出した一史に真相が伝えられる。最初こそ驚いた表情をしたものの、やがてすぐに目が伏せられる。取り乱すと言った様子もないことから、一史自身も何処かで予想していたのだろうとゼクスは思った。
「犯人が誰か分かった訳ですが……。いかが致しますか?」
何も返ってこない。ずっと怒りを湛えた雰囲気を纏いながら、黙っている。ゼクスは紅茶を飲みながら、話し出すのを待った。
「――やりたい」
紅茶の残りが僅かとなった時、ぽつりと呟かれる。
「あいつらに、俺と同じような目に遭わせてやりたい。俺は本当に友達だと思っていたのに。犯人達が分かるまで苦しかったし、知らない奴らからの視線は辛くて、本当にストレスだった。そんな苦しみを分からせてやりたい」
ティーカップに視線を落としながら言う。見つめる目には強い怒りが宿り、膝の上で握られた右手は微かに震えていた。
「どうするか? 具体的な案は何かありますか?」
ゼクスが訊ねると、一史は口を閉ざして考え込む。しばらくして顔を上げ、考え付いたことを話し出した。
「あいつら個々のことはそれなりに知っているから、何が困るとか嫌なことが分かる。だからそれぞれに違う内容をしたいのですが……。大丈夫ですか?」
「もちろんです」
真剣な一史に対し、ゼクスはにこりと微笑む。
「では実行はいつにしましょう? 我々は――」
「今日」
ゼクスを途中で遮り、食い気味に言葉が発せられた。
「今日、今からがいいです」
「分かりました。じゃあさっそく参りましょうか」
残りの紅茶を飲み立ち上がる。その背後で控えていたエリーが、ゼクスの隣までやって来た。
「俺の大学に行きましょう。今日あいつら全員、登校の予定なので」
こうして3人で、一史の大学に向かうことにした。