無防備となったレイヴに氷の牙の嵐が集中する。これをレイヴはギリギリ、紙一重の所で避けていく。しかしレイヴは焦っていたわけではない。そう、レイヴには大きな余裕があった。ジグザグに走りながらチーターとの距離を詰める。牙の射線上にぶつかりそうになると跳んでかわしていく。
しかし、チーターに近づく以上はそれも難しくなる。とうとう、牙の嵐がレイヴの肘を掠める。僅かにレイヴの身体がぐらりと揺れた。感性が鋭くなっているため多少の傷でも痛みが強くなっているのだ。
牙の群れの射線がレイヴを捉える。
弱肉強食の世界において僅かな油断が命取りとなる。少しでも付け入る隙を与えたならその次には挽肉の運命だ。
だが。
繰り返し言う。レイヴには余裕があった。
甲高い音が木々の間を縫って響き渡った。
レイヴの楔剣が氷の牙を弾いていた。
それも一つや二つではない。機関銃の如く飛来する氷の牙の嵐の中をレイヴが楔剣で弾きながら走っている。
レイヴはナナキの望術によって、飛来する牙と楔剣を正確に合わせられるようになっていた。
自分の体を捉えた牙は弾き、弾ききれない物は身を捩ってかわし、度々射線上から外れて仕切り直す。
チーターとの距離はいよいよ三歩走れば届く距離になった。だがここまで来ると流石に望術を受けたレイヴでも受けきるほどの余裕が無くなる。
だからレイヴは跳んだ。跳んでチーターの反対側に回り込んだ。
しかし相手は過酷な環境で生き抜いてきた歴戦の野生動物。チーターは即座に振り返り牙の機関銃の軌道修正を行う。この距離ではもうレイヴは反応出来ない。決着は着いたも同然だった。
チーターの射線上にレイヴは確かに入った。しかし、それがチーターにとって命取りとなった。
レイヴは振り返ったチーターの顎を下から思い切りゴルフのスイングのように楔剣で殴った。無理矢理閉じられたチーターの口の中で氷の牙が暴発する。
結果、チーターは自分で自分の頭を破壊する事となった。
チーターは顔の穴という穴から血を吹き出しながら倒れると、それっきり動かなくなった。
「よっし!!」
レイヴが右腕を上げてガッツポーズを決めた。
勝者のレイヴにナナキが駆けつけてきた。
ナナキの動きはやはり緩やかだったが途中でゆっくり再生していたビデオが元に戻るようにいつも通りの動きに戻った。望術の効果が切れたのだ。
「やったね!」
「ああ!」
二人はハイタッチを交わした。
「恐ろしい奴だったな、二度目は勘弁したいぜ。アイツこの森の主だったのかな」
レイヴはその場に座り込んで言った。
本日一回目の戦闘だがどっと疲れた気がする。
「どうだろうね。あのチーターでもここでは中堅かもしれない」
「冗談よせよ、あんなのがわんさか居るとか嫌すぎる。あ、でもあれくらい強いと特訓相手には持ってこいかな……」
正直、そこはなんとも言えない所だった。
なにせあのチーターがここに来て初めて遭遇した動物だ。データが少なすぎる。あのチーターがここで最弱の生き物でもおかしくない。あれがこの森の生態系の上位カーストであってほしいと思う所とあのレベルの敵と戦って訓練したいという思いの間でせめぎ合うレイヴだった。
レイヴたちの戦いは彼らの預かり知らぬ所である男の関心が向いていた。
「ほほう、素晴らしい。あのチーターを倒すとは大したものだ。実験台候補としても期待が膨らむというもの。しかしあの黒髪の少年、何故望力を使わないのか。機会があるなら調べあげるとしよう」
男は変わらずビルの薄暗い一室からレイヴたちを眺めていた。
その男の部屋に誰かが入ってきた。
金色の髪のメントだ。
「お父さん、何を熱心に見ているのですか」
「おおメント、見たまえ、また新しい訪問者が来たのだ。此度は中々に期待が出来るぞ」
メントは自ら父と呼んだ男に促され、窓から地上を覗いた。
その訪問者を見て、ありえない物を見るような顔で目を見開いた。
「嘘、なんであの二人が……。」
「おや、知り合いかね」
意外そうな顔をして男が言った。
「……クラスの同級生です」
苦虫を噛み潰したようにメントが答えた。
「ほほう、それは面白い偶然だ」
メントは男よりも真剣にレイヴたちを見つめ始めた。そのレイヴがふと、こっちを指差した。メントはぎょっとしたが彼らはこちらに気付いた訳ではないようだ。ただの偶然だった。
レイヴがビルの一室を指差してこう言った。
「あのビルが生えてる所まで行きたいな。メントが居るとしたらビルの所に居るだろうし」
「じゃあ最初の玄関まで戻ろうか。階段を降りてこの森に出るならあの玄関のどこかにビルへ行ける道がある筈」
ナナキの提案にレイヴはかぶりを振った。
「却下、それはそれとしてまずはこの森を探索したい。帰りにまた最初に来た階段使って帰るだろ?その時調べりゃいいさ」
「はは、了解」
この森では一番最初に降りた階段が良い目印になっていた。外のこの森から見ると天井から一直線に伸びる建物だったからだ。よって迷う心配はない。
レイヴの案で二人はこの森の探索を始めた。
度々獣を見かけると、物陰に隠れてやり過ごした。
そうやって森を進んでいく内にナナキがある事に気付いた。
「ここの生き物にとって樹の毒素は恵みなのかもしれない」
「どういう事だ?」
「ここの生き物はみんな毒の樹の幹みたいに紫の模様を持っている。あれは自分の体に毒素を取り込んでいるからかも。つまり僕達にとっての毒素こそが彼らにとっての栄養なんだよ」
「ありえない話じゃねえな。世の中には太陽を風呂にするヤツも居るみたいだし」
「でも不思議なんだよね、ここの毒素はあくまでも排気ガスとか、人工的な物のはず。だったら地上で車がたくさん走って、排気ガスを出しまくっている都会にここの生き物が出てきたっておかしくないと思うんだ」
車の交通量が多いにも関わらず空気が美味しいのはこの森の地上のファースタ街だけだ。テレビでも度々空気が美味しい理由を探す番組がやっている。
「けどこの森の生き物なんか他じゃ見たことがない、と」
レイヴが言葉を引き継いだ。
「ここの生き物は品種改良された奴なんじゃねえか?毒に対応できる強い生き物を作ってみましたー、的な」
「あー、ありそう。理由はさっぱり分からないけどね」
「意外と理由は無いのかもしれないぞ。研究者って気になったから試してみた、みたいな所あるしよ。まあ考えていたって仕方がねえ、先へ進もうぜ。何かヒントになる物が見つかるかも」
レイヴはそう言ってまた歩き始めた。
ナナキも頷いてレイヴの後を歩く。
しかし僅か三歩歩いた所でナナキがレイヴの袖を掴んだ。
「どうしたナナキ」
「静かに、あれを見て」
ナナキが三時の方向に指を指す。レイヴの視線がナナキの指の先を追う。そこに居たのは人だ。二人の人間が無防備に、街中で世間話をするように話し込んでいる。
しかも片方は昨日殴ったばかりのコモノだった。それを認識するやいなや側にあったサイのような大きさの岩にレイヴは身を寄せた。ナナキもレイヴに続く。
「な、アイツなんでここに居るんだ!?」
「様子を見よう」
驚きを隠せないレイヴに対してナナキはあくまでも冷静だった。そしてコモノたちの会話に聞き耳を立てる。
「それで先輩や俺を殴ったレイヴってヤツをぶち抜いてほしいんですよ!」
コモノが憤りを隠さずに話し相手の男―――頭に赤いバンダナを巻いていて天辺から燈色の髪が覗いている。黒のラインが入った白いタンクトップに赤の短パンを履いている。―――に何かを懇願している。
「おうよ、そんなひでぇ目に合わされた舎弟に泣き寝入りなんかさせねぇからよ!」
シャドーボクシングをしながらセンスのある格好とは言えないバンダナ姿のチンピラ男は言った。自信満々の彼の姿を見たレイヴの発言はこうだ。
「アレが俺にけしかけようとしていたナントカって人か。言っちゃ悪いがあんま強そうには見えねえな」
「どうする?ここで倒してしまう?」
「放っといてもいいんじゃねえか?この森もここまで広ければ会うこともないだろうし。それに戦うならこの森以外が良い。疲れるから」
二人は気づかれないよう小声で言う。
ある程度歩いて分かったがこの森はファースタ街と同じ広さがあるようだった。
ファースタ街の面積は二千キロ平方メートル程度なので彼らと反対側を行けば遭遇する事はない。
だからあの二人組が歩き始めるまで岩の陰でじっとしていることにした。
「まず足をぶち抜いて逃げられなくするッ!」
「ハイッ!」
「そしたら次は手をぶち抜いて痛くするッ!もちろん、血が出すぎて死なないよう太い血管は避けるッ!」
「ハイッ!」
「後は末端から頭に掛けてじっくりぶち抜いていくッ!以上ッ!」
「最高ですッ!アニキ!」
なんだかよく分からない儀式を始めた彼らをレイヴたちは退屈そうに眺めていた。
「なにやってるのかな。」
「わかんねえ、それよりとっとと動き始めてくんねえかな」
退屈だったからこそレイヴは気付いた。あの二人に迫る死の影を。
3mはありそうな身の丈の大熊を。やはり身体には例の紫の模様があった。先に戦った黒のチーターをも上回る迫力と貫禄のある熊だった。
しかしレイヴたちは位置的にあの大熊には気付かれないだろう。ここでじっとすれば災いは無い。
それでも、レイヴは立ち上がって、大きく叫んだ。
「逃げろ!!大熊が来てるぞ!!」
その声を皮切りに大熊のテンションが頂点に達する。迫り来る大熊を確認していながらコモノたちはその場で呆然としていた。
「何やってる!!逃げろっ!逃げろーーっ!!」
レイヴの叫びも虚しく大熊はあっという間にまずはコモノへ距離を詰め、黒く光を反射させている爪を振り下ろした。
辺り一帯に血が飛び散った。
次に呆然とするのはレイヴたちの方だった。
コモノに傷はない。血を撒き散らすのは身体に穴を開けた熊の方だった。
熊はバンダナの男の手から伸びるナニかで心臓を貫かれていた。
穴を開けられた心臓はぴゅー、ぴゅー、と折角作っておいた血を溢していた。
熊を貫くのはペイントソフトで消しゴムを掛けたみたいに真っ白な『線』だった。
太さはパイプほどか。
『線』は消え去り熊はその巨体を揺らして自らの血に赤く染められた地面へ倒れ伏した。
「このイグニットの舎弟に手ェ出してんじゃねえぞ木偶の坊が」
バンダナの男が『線』を引っ込めて熊だったモノに唾を吐き捨てた。
「イグニットさん、アイツらです!俺達を殴ったのは!」
こちらを指差しながら叫ぶコモノの声にレイヴとナナキは我に返った。
イグニットと呼ばれた男がレイヴたちに向き直り、ぎろりと睨んだ。
「そうか、お前ら、俺の舎弟が世話になったみたいだな。この礼はオレ様がきっちり耳揃えて返してやるから感謝しろ?」
「待ってくれ。確かにこのレイヴは君の舎弟を殴ったが仕掛けたのはそこのコモノたちが先だ。いきなり財布を出せと来たからレイヴは抵抗しただけなんだ」
ナナキがレイヴの前に出て弁明をはかった。
ここまで必死なナナキを見たのはレイヴは初めてだった。
ナナキの弁明を聞いたコモノは眉をひそめていた。イグニットは納得したように首を縦に振った。
「ああ、なるほどそうか。そんな事情があったのか」
イグニットは一拍置いて。
「―――お前馬鹿か?この街最大のあんぽんたんか?俺の舎弟に狙われたから殴った?違ぇだろ。なあ。そこは尻尾巻いて逃げるところだろ?つまりさあ、俺の舎弟に手ェ出した時点でアウトなんだよクソボケがッ!!」
あまりに支離滅裂な回答。
とても話の通じる相手ではなかった。イグニットが両手をそれぞれレイヴとナナキに向ける。それだけで不自然に白いパイプ程の太さの『線』が飛んでくる。大熊をぶち抜いた死の線がレイヴたちを屠らんと迫り来る。
相変わらずビルの上から男がレイヴたちの戦いを文字通りの高みの見物をしていた。
しかしその表情は僅かに曇っていた。
「ああ、残念だ。せっかく良い実験体候補が現れたというのに」
「どういう事ですか。お父さん」
怪訝な表情でメントが問い掛ける。
「どういう事も何も、あの二人はここで死んでしまうからに決まっているだろう」
さも当然のように男は答え、窓から顔を離し、革靴で床を鳴らしながら部屋を後にした。