第一異世界《セカンドライフ》~異能を以て天の先を目指す~

この状況を一般的な良識がある人ならばすぐさま警察……は居ないので法を整備し法に背く人間を捕まえる『否定審判』に通報するだろう。
狭く人目のつかない路地裏を歩く一人の少女を二人の少年がコソコソと後をつけているのだ。誰がどう見ても犯罪の予感しかしない。
しかし残念ながらこれを咎める者は誰一人としてこの場には居ないのであった。
少年Nことナナキがポテチをバリバリ音を立てて食べている。それを少年Rもといレイヴが一言物申した。


「ナナキ、食べるのストップ。今すぐしまって、音でバレる」


「む、この味にも慣れて好きになってきたのに」


そう言ってナナキは荷物の入ったバッグにポテチの袋をしまおうとする。するとポテチの袋がくちゃくちゃくちゃと悲鳴でもあげるような音を立てた。
レイヴとナナキは人間が近づいてきた際の野良猫みたいにすぐ側の換気扇やらビールの積まれた箱の傍らに隠れた。
そして二人揃ってひっそりと顔を出し尾行対象のメントに視線を向ける。が、そのメントが居ない。二人は顔を見合わせて言葉を交わした。


「あれ!?気付かれたのか!?」


「いや、あそこに曲がり角あるよ。きっとそこを曲がったんだろう」


いざその曲がり角を曲がったのはいいがメントの姿は見えない。代わりにあるのは開けた立ち入り禁止のロープで仕切られた空き地と相変わらず狭い通り道だけだった。


「あれ?やっぱりバレたのかな」


ナナキは首を傾げて言った。


「やっちまったな。素直に明日聞かれたら謝るか。すごい怒られそうだけど。それとあわよくばあんな所で何してたのかって聞こう」


「今日の所は解散?」


「そうするか、もうちっと調べてみたいけどメントに気づかれてたらヤバイしな」


こうしてレイヴとナナキはここで解散する事にした。
二人はある事を見落としている事に気づかないまま。

レイヴは帰り道これと言って何かトラブルに巻き込まれる事もなく無事に家まで帰宅した。ただ今日の一件でどうもモヤモヤした気持ちが残る。その為に本題である筈の望力の扱いを教えてくれる人を探していた事もどこかに飛んでいってしまった。


―――――――――――――




レイヴが学校に登校すると校門が騒がしい雰囲気に包まれていた。


「ざっけんなゴラァ!!」


「それはテメェの方だボケィ!!」


二人の男がどつきあっていた。片方はガタイが良く、赤い肌に二対の角を生やしている。もう片方は細身長身で額から角が一本生えている。両方とも体が大きく威圧感があった。そんな二人が暴れているので校門を通る他の人達はおっかなそうに、あるいは迷惑そうに通っていた。一部面白がってガヤを飛ばしている者も居たが例外ということにしておこう。


「おい、落ち着け」


レイヴは声を掛けた。出来ることなら会話で平和的に解決したい所だが。


「んだぁ、テメェ!?」


「こちとら取り込み中だァ!」


「二人で面白おかしくハッスルしあうのはいいけど場所を考えた方がいいぞ。せめて校庭でやるとか」


「うるせぇ、オレァ今すぐここでムカつく気持ちを晴らすんだォ!!」


「部外者が出しゃばるんじゃねェよ!!引っ込まねえとオメエから潰すぞ!!」


青赤男がレイヴに圧をかける。自分たちの前から消えろと全身で語ってくる。
普通なら尻尾を巻いて逃げる所だがレイヴは一歩も引かなかった。


「そうはいかない、皆の邪魔になってんだ。とにかくここから退いてくれ」


「ようし、まずコイツから潰そうぜ青いの」


「乗った、その次はおめえだ赤いの」

鬼達がレイヴに対して臨戦態勢に入る。
レイヴは楔剣に手を掛け、こう言った。


「お前ら本当は仲良いだろ!?」


「「ンなわけあるか!!」」


鬼共が飛び掛ってくる。レイヴでは二人を相手取るのはキツいがやるしかないようだ。楔剣を抜こうとしたその時だった。


「暴力厳禁!!」


どこからともなく巨大な手がレイヴたちを押し倒した。


「いってて……」


「そこに直りなさい!お説教です!」


青いチュニックに金髪の少女、メントが背中から手のようなモノを出してレイヴたちを見下ろしていた。


レイヴ達は校門の横で正座して、メントのお説教を聞いていた。三人揃ってある種の晒し者になっていた。
赤い男と青い男は居なかった。代わりにいるのはぽっちゃりした体型の男とヒョロヒョロの男だった。

厳つい姿に変わるのが二人のクオリアで、メントのあらゆる望力を食らうクオリアにより強制的に元の姿に戻されたのだった。


「校門前で暴力沙汰とは何事ですか!!爽やかな朝なのに校庭前の雰囲気がとても険悪になってましたよ!お互いに意見がすれ違うのならちゃんと話し合いをして―――」


「俺は止めようとしたんですけど、メントさん」


「知ってます!貴方がよく喧嘩を止めに入る事も、そして何故かその過程で自分も殴り合いに参加してる事も!常習犯ですよ!」


「さっきメントさんの口腕で張り倒された気が……」


レイヴが言いかけると両サイドから肘で脇腹をつつかれた。


「おい、余計な事言うんじゃねえよ」


「あの人の望力喰らいには抗えないって」


レイヴは男二人に促されて口を閉じることにした。
風紀員メントはそのクオリアでこの学校の曲者達をまとめてきた。その過程で積み重ねた実力は生半可ではなく、抗える者は少ない。


メントのお説教が終わり、レイヴはさっきまでありがたい説教を下さったメントの隣で廊下を歩いていた。彼女に用事があったのだ。
レイヴは昨日の事について元風紀員に質問をした。


「昨日の帰りですか?特に変わった事はありませんが。でもいきなり何でですか?」


穏やかな雰囲気でメントが言葉を返した。
こっちがいつものメントなのだが問題行動に出くわすと人が変わるのだ。風紀委員モードと陰で呼ばれて恐れられていたりする。


「ああいや、昨日の帰りに変な連中に絡まれたからメントも大丈夫かなーって。絡まれた場所にお前の帰り道が近いから」


レイヴは何でもないように装いながら言葉を返す。


「?私の家ってどこにあるか教えました?」


演技なんて慣れない事をするとすぐこうだ。簡単に墓穴を掘っちまう。のらりくらりと都合の悪い事はかわしていくナナキが聞きに行った方が良かっただろ絶対。
と、ジャンケンで決めた事に内心ケチを付けるレイヴだった。


「い、いや間違えた、それ他の知り合いだったわ!じゃあお前の家どこにあるんだ?」


「リンラゲル5丁目のあたりですよ」


「へ、へー、俺の知り合いの家の近くだー、すげー偶然。また今度メントの家に遊びに行ってもいいか?」


下手な誤魔化し方でしれっと家の場所を知ろうとするレイヴ。こういうのは疑問を持たせないまま勢いで畳み掛けるのが大事だ。
そしてビンゴ。リンラゲル5丁目とは正に昨日、彼女を見失った辺りの地域だった。


「あー……ちょっとウチは常識外れなのは分かってるんですけどあんまり誰かを家に入れる事は無いんです。ごめんなさい」


さっきまでの風紀委員モードはどこへやら。ウィッカは困った顔で丁寧に答えた。


「そっか。無理言って悪かったな」


そう言ってレイヴは会話を打ち切った。
もっと詮索しても良かったのだがさっきみたいに墓穴を掘ったら嫌なので止めておくことにした。場所は絞れている。考察するならこれくらいで充分だ。


その後、昼休みの事だった。レイヴは柄にもなく図書室で窓際の本を読んでいた。
ガラスを通して浴びる陽の光が暖かい。

その本は都市伝説とか芸能人のスキャンダルだとかコンビニによく置いてある散臭い事ばかり書いてある本だった。もっとマシな本はいくらでもあるのだろうが生憎と図書室など滅多に行かないレイヴにはどの本が良いのか分からなかった。大体、隠された場所とかそういうのって都市伝説の類いだし。なんて安直な理由で。実際に書いてあるのは秘密結社だの得体の知れない病気だのみたいな的外れな話ばかりでそれらしき情報は全然無いのだが。

目的は昨日のメントの一件だ。
どうにも引っかかると言うか何か見落としているような気がする。というか怪しい。年頃の女の子なのに家に誰も入れる事が許されないなんてあるのだろうか。
彼女は誰かを家に入れる事はない、そう言った。親が娘に変な男を近づけたくないって事で異性の男を入れられないなら分かる。しかしあの口ぶりだと同性の友達すらも入れていないように見える。そこに違和感があるのだ。


「家に誰も入れられないのは自宅が誰にも知られたくない特別な場所にあるから」


レイヴにはそう思えて仕方がなかった。昨日メントを見失ったあの空き地に何かがある。そんな確信があった。レイヴの加速した思考は学校が早く終わらないかうずうずさせた。
その疼きはすぐに収まった。自らの思考に没頭していたレイヴは現実に引き戻されたのだ。
手元の本をひったくられたために。
ひったくったそいつはぱらぱらーっと本をめくるとこう言った。


「あっ、いやらしい写真載ってる。もしかしてこれ目当てで読んでたとか?」


鈴みたいな声で意地悪を言うのはラピスラズリの髪色を結い、ラフなシャツにホットパンツ、こめかみ付近に一枚、腰周りにスカートのように沢山透明の板を付けた少女がいた。壁のクオリアを持つ学校随一の成績上位者ウィッカだ。


「ちっげえよ!本返せ!」


「図書室なんだから静かにしなきゃ」


ニヤニヤしながらウィッカは言った。
コイツ、俺の反応を見て楽しもうって魂胆だ。クールダウンだ。コイツのペースに呑まれるな。レイヴは自分に言い聞かせる。


「ちょっと調べ物してただけだ」


「あっそう、珍しいお客さんが居たからついね。で、何の調べ物?」


ウィッカは俗っぽい本をレイヴに投げるとレイヴの隣にヒョイと腰掛け、レイヴの読んでいる本を見るためにずいっと、体を寄せてきた。女子ってなんでか距離感短いよな。と、現実逃避したくなるレイヴだった。

今回の事をこの毒が強い女にホイホイ言ったら後々厄介な事になる気がする。しかし手掛かりが欲しくて仕方がないレイヴは猫の手も借りたい思いだ。だから駄目で元々、昨日の経緯を説明した。


「ふーん、モロにストーカーじゃん。先生に言っちゃうか」


「やめんか。俺達は知的好奇心に従って探索してるのであって決してやましい気持ちがある訳じゃないんですぅ」


「でもやってる事はストーカーだよね」


確かに客観的に見ると確かにストーカーだ。ちょっと考えたら分かる事にようやく気が付いたレイヴであった。駄目だ、勝てない。言い返せない。
だから。
一つ沈黙を置いて。


「銀河に名だたる偉大なウィッカ様お願いします。この事は誰にも言わないで下さい!哀れな子羊たる俺達の社会的地位を守ると思って!!」


みっともなくウィッカに頼み込んだ。さっきから墓穴を掘りっぱなしじゃねえか俺。やっぱ言わなきゃよかったと後悔するレイヴだった。


「構う事ないじゃない。私にはあっさり言ったんだからさ」


「それは本当にやましい心が無かったって証明!俺とナナキは純粋な知的好奇心から尾行してたっていうな!」


「そう、でもアンタらがストーカーしたっていうのは事実。重要なのは実行犯の心情より第三者の客観的な視点よ」


「滅相もございません!」


あまりにも必死なレイヴを見てウィッカはもう我慢できないと吹き出した。満足気な顔で彼女はこう言った。


「それなりに楽しめたし言わないであげる。それに面白そうだから私なりに考えてみよっか。
情報をまとめるとメントはアンタらに気付いていないまま意図せず撒くことが出来た、誰であろうとも人を家に上げた事はない、って所から考えると彼女の家は隠されている、でしょうね。
何か知られたらいけない理由があるのか知らないけど。その隠れた家の場所は案外見失った場所のすぐ近くにあるんじゃない?」

「例えば望術で隠されているとか」


「そんな望術もあるのか!?」


「望術の事知らなすぎでしょ。望術はしっかり望力を練り込んだ上で術式さえ組めれば大体の事は出来る万能な代物よ。だからこそどの学校、どの学科、どの学部でも必修科目になってる訳だし」


「流石望術博士。今日もその場所まで行くんだけど一緒に来て隠された入口とやらを探してくれないか?」


「嫌。わざわざ隠されている人の家を探してたなんてバレたら厄介な事になるでしょうよ、そんなの真っ平御免。大体、アンタらと一緒に外をほっつき歩いてそこを見られたら学校中騒ぎになりそうだし。後で事後報告だけしてくれれば私は満足よ」


「そう言うなよ。バレなきゃいいんだぜ。それにワクワクしないか?こういうのって」


「しない訳じゃないけどそれ以上に嫌な予感がするから却下」


「ワクワクもドキドキもお互いに共有した方が」


言いかけた言葉は昼休みの終わりを告げるチャイムの音にかき消された。
ウィッカが逃げるように足早と図書館の出入口に向かってレイヴに向き直る。


「じゃ、二人で頑張ってきてね」


ウィッカはそう言って教室に戻って行った。
その日の帰り、レイヴとナナキは学校帰りにメントを尾行していた。今度は見失わない様にあまり高くないビルの上を通ってメントを追っている。今日は陽射しが強く少しばかり暑さを感じられる。
自分が見られているとは露知らず金髪を揺らし、メントは進入禁止と書かれた看板を無視して例の空き地の土地まで入っていった。


「やっぱあの空き地に入ったね」


「ああ、ところでさっきからすんごい匂いがしてんだけど今度は何食べてるんだ」


ナナキは手元のプラスチック小袋をこちらに見せてきた。それは何の変哲もないグミだった。ただし出汁つゆ風味なんてあまりにもミスマッチな文字が刻印されている。ドス黒い茶色が禍々しい。思わず顔を顰めたレイヴにナナキはいつもの爽やかスマイルを浮かべて


「食べる?」


「いらん!!」


下らないやり取りをして目を離した隙の事だった。
メントがもう居ない。肝心の居なくなった瞬間を見逃した。
我ながら自分の間抜けっぷりに思わず肩を落とすレイヴだった。


「あの空き地に何かがある事は間違いないみたいだね」


ナナキがゲテモノグミをしまう。
メントがあの空き地で居なくなったのなら十中八九そこに何かがある事を示していた。


「よし、探してみるか」


2人は空き地に降り立った。
何か怪しい物が無いか地面をほじくり返したり望術の痕跡を探してみたりする。


「全然無いね。地面を弄ったような跡すら見当たらない」


「ああ、けど絶対ここにある筈なん―――ッ!?」


レイヴの声が消えた。
いや、姿ごと消えた。
それは蟻地獄に落ちたように。忽然と姿を晦ましてしまった。

思わずナナキがレイヴの名前を叫ぶ。
一瞬取り乱したがナナキは如何なる状況に置かれようとも冷静でいられる男だ。

ナナキは何者にも執着しない。どれ程状況が変動しようとも今現在、ここにある手札だけで戦う。
命より大切な物であろうとも失ったのなら即座に受け入れ次にすべき行動に移る。

その在り方は機械的とも取れるが違う。プログラミングコードに少しでも不具合があればエラーを吐くだけのコンピュータに対してナナキはエラーに自ら対応する。

彼の感情、精神構造は一般的な人間のソレとは異なるのかもしれない。少なくとも焦りという言葉はこの少年にはないという事は確かだ。

何かの襲撃を受けた。レイヴの消息は不明。ナナキは事実だけを受け入れ臨戦態勢を取る。
左腕を上下に振り、速度を溜める。
いつ敵が来ようとも構わないよう迎撃の準備を整える。敵を捕まえてレイヴを救い出す。
望術でも悪くないがそれはクオリアで敵を怯ませてからの方が効果がある。


吹き出すような笑い声があった。
それは背後の地面から。
ナナキが眼を光らせ身体を捻り、腰を下げ、速度を溜めた掌底を叩き込む。

そこは地面の筈だった。なのに掌底はすり抜け、それどころか勢い余ってナナキの腕が、肩が、胴体が、そして足の先が、すっぽり地面を突き抜け、更に地面の中にあったもう一つの地面に身体を激しく打ち付けた。


「あれ?」


ナナキは自分が気の抜けた声を出している事に気づきもしなかった。
階段を転がり落ちたらしい。五段程度しか無かったので大した怪我は無い。
その階段の先には閉ざされた両開きの扉が鎮座している。
痛む身体を庇いながら起き上がると笑い声の主、レイヴが腹を抱えて転げ回っていた。


「あっははははは!!!すんげえ真剣だったなナナキ!!」


「うえ?レイヴ?一体何が」


何が起こったか分からずナナキはキョトンしていた。ひとしきり笑うとレイヴが状況を説明する。


「偽装望術みたいだ。ここの外にいる人間にはここが見えないようになってたっぽい。一度分かっちまえば簡単な事だったな」


マジックミラーの様なものだ。外からはただの空き地でしかないが偽りの地面の下から外の様子はくっきり見えるのだ。
種が分かった途端にレイヴの隠蔽望術への興味は次の餌を求める獣のように目の前の両開きの扉へ移った。

扉は無骨な鉄で、片面の形は長方形。長い間雨風に晒されたのかドアノブの先まですっかり錆びており、不用意に触れれば朽ちて茶色くなった鉄の錆で肌を切りそうだ。


「ここがメントの家か。やけに古臭いな。インターホンも無いなんてよ」


好き放題言いつつウキウキした様子を隠しもしないでレイヴは扉を叩く。
しかしいくら待っても応答がない。再度叩くがやはり何も起こらない。
ドアノブに手を掛け押したり引いたりしてみたが扉はうんともすんとも言わない。


「おっかしいな、なんも起こらねえ」


「望術によるロックが掛かっているようだね」


じっとしてても仕方がないと判断したナナキが扉に手の平を置く。


「このロックなら簡単に解除できる」


ナナキは目を閉じた。手の平は扉の上。自らの望力と扉の望術に流れる望力が繋がる。紫がかった幾何学的な模様が扉全体に浮かび上がった。そのラインはまるで扉の開閉を拒むかのように開閉口をリボン結びが如く縛っているように見えた。これが扉のロックの正体だ。ナナキの口が静かに開かれる。


「宣言する」


言葉があった。


――――――汝役はここに放棄される。


それは望力の込められた言葉だった。


――――――汝全てを許容する。


ナナキが言葉を紡ぐごとに紫光の糸の結び目が緩む。


―――なれば汝扉より己が解放を望む。


もはや我慢ならないと結び目が解け始める。


「以上」


たったの三言の一工程(ソロサイン)
それだけで扉を縛る紫光のリボンは容易く解けて、風に乗り空中で光の粒子に霧散してしまった。
流れるような一連の出来事にレイヴが歓声の声を上げた。


「さっすがナナキ!つか、割と強固そうだったのにあっさりロックを解除するとかお前実はテストで手抜いてたりしてないか?」


「さあどうかな?少なくとも僕にそんな事をする理由は無いけどね」


意味深な笑みを浮かべてナナキが扉を開ける。
扉は重く、大分厚みがあるようでかなりの重さを感じた。なので二人で体重を乗せて扉を開く。開かれた扉を横から見ると50cmくらいの厚さがあった。ここまで厚い扉では物理的にはどうやっても無理やりこじ開ける事は出来なかっただろう。
ナナキが居て良かった。レイヴはそう思わずには居られなかった。

扉の先の光景は予想と異なるものだった。
淀んだ空気、足場の悪い床、薄暗い空間、そして底が見えないくらいに深い吹き抜けの螺旋階段のみ。人が住んでいるとは到底思えなかった。


「随分と広い玄関だな。リビングとかどんだけ広いんだこりゃ」


「ああレイヴはそう解釈するんだ」


ナナキがおもちゃを見つけた子供のようにクスリと笑った。


「ワクワクしてきた!正直この街には飽き飽きしてたけどまだこんな面白い所があるなんてよ、この街“ファースタ”も捨てたもんじゃねえな!!」


陰気な場所とは対照的にレイヴは胸が高鳴っていた。こんな身近な場所に秘密基地みたいな場所を見つけた事に興奮を隠せないでいた。それはナナキも同じ事だった。


レイヴたちは薄暗い松明の照明を頼りに劣悪な足場を降りてゆく。そこかしこに蜘蛛の巣が張られ、羽を持つ虫たちが絡め取られている。ネズミが壁を這い蜘蛛を食べる不気味な生命の讃歌が繰り広げられている。
しかしレイヴたちの足取りは軽やかだ。もしメントやその家族に見つかっても正直に言えばきっと許してくれる。そんな楽観的思考の権化たるレイヴを阻む物はない。ナナキは何も言わずただただレイヴに着いていくだけだ。
道中、ナナキが何気なくゲテモノグミの小袋を取り出した。


「グミ食べる?」


「おうくれ!」


テンション上がり放題でアッパラパーなレイヴは躊躇うことなくそのグミを口の中に放り込んだ。ぐにっとした食感のゼラチンの塊からだしつゆの風味が口全体を包む。うーん、ミスマッチ。


「うへー!まじぃ!!」


言葉とは裏腹にレイヴは良い笑顔だ。階段を降りていく2人はどこまでも気分上々だった。




とうとう階段は途切れ、底無しみたいに深かった地面は底を見せた。隅には虫やネズミ、ヤモリなどの死骸が散らばっておりそれを他の虫達がこぞって貪っている。
レイヴらに待ち受けていたのはまたしても両開きの扉だ。


「またロックが掛かっているのか?見てくれナナキ」


「……そんなことも無いね。ロックなんて全く掛かってない」


レイヴは一度は拍子抜けしたがすぐ様納得した。


「玄関から部屋に入るドアに鍵が掛かっているなんて聞いた事ないもんな」


そう言ってレイヴが扉に体重を掛ける。
さっきの扉と同じように見えた為、きっとこの扉も重いと思ったのだ。


「おわっ!?」


それに反して扉は無抵抗にレイヴを迎え入れた。あまりにも抵抗が無かったため勢い余って扉の先に転がりこんでしまった。


レイヴが部屋に転がり込むと同時に薄暗い深玄関へ光が差し込む。明度の差にナナキの目が眩んだ。


玄関を抜けた。今度こそメントの恐ろしく広い地下大豪邸をお目に掛かかれる時が来たのだ。


明度の変化に慣れたナナキと顔を上げたレイヴの目に飛び込んできたそれは想像を絶するモノだった。あまりにも予想外で衝撃的だった為、二人はしばらく固まっていた。それだけ頭が理解を要するのに時間が必要だったのだ。故に時間の概念が消し飛んだ。2人にとってそれは永遠であり刹那でもある時間となった。
ばちばち。


「―――なんだよ、これ」


それはあまりにも広い部屋だった。
全体的に少しばかり薄暗い。家の照明よりずっと明るい光を放つ緑の天井があった。天井は地上で見られる高層ビルの高さと同じくらい遠く感じた。そこから無機質な光を反射させながら細長く分厚い円柱や長方形の巨大な装飾が伸びている。壁は遥か遠くにあるらしく確認できない。
空気は澄んでいて美味しく、絨毯は緑で大きな観賞植物が大量に、無造作に敷き詰められていて、ざあざあと葉を擦る音の演奏が行われていた。
そう。
ここはまるで。


「―――これじゃあまるで森じゃねえか!?」


そこは紛れもなく森そのものだった。


一般的な森と異なる点は緑の苔かなにかの植物に覆われ、ゴツゴツとした天井が空を覆い、そこから長方形や円柱のビルなどの建物ががちらほら伸びている位か。
何より天井が高い。とても高い。低いところで600m、高い天井は1000m前後はありそうで、てっぺんの方が少し霞んで見える。
ビルはほとんどが地面に着いておらず浮いているが、レイヴたちが入ってきた空っぽの階段のように地面まで伸びているものもあった。
ここは人が住む街なのか、それとも動物の楽園なのか。
少なくともここは決して人がくつろぎゆっくりと生活するような空間ではないというだけだ。


「嘘だろ、ファースタの街の下にこんな森が生い茂ってたなんて」


「これはどういう事?幻惑望術にでも掛けられた?」


ナナキは困惑と期待を、レイヴは驚愕と歓喜の感情を覚えていた。
レイヴが恐る恐る緑の絨毯に足を踏み出す。足から伝わる砂利の擦れる感覚も草の包み込む柔らかさも紛れもなく本物そのものだ。


「そんな感じはしねえ。信じらんねえ、ここは本物だぞ!」


ばち。
上ずった声でレイヴが言う。この地下空間は本物である。それを実感したレイヴの顔は緩み、目を丸くしたまま輝いていた。


「ほらほら、早く探索行くぞナナキ!」


辛抱たまらんと言った様子でレイヴが駆け出した。


「普通なら警戒するところだけど。ふふ、けど君はそうこなくちゃ」


ナナキも何か再確認したように頷いてレイヴの後に続く。

天井、そこより伸びるビルの中からはしゃぐ二人を見つめる視線があった。



「おや、新たなる実験台候補が迷い込んだようだな。まずはこの魔寄いの森を生き延びれるか、拝見しようか」


視線の主は何をする訳でもなく、ただただ二人の少年を見つめているだけだった。


「?なんだこの樹」


レイヴたちが注目したのは樹だった。
ここの森の樹はちらりと見ただけではなんてことの無いただの樹だが、ちゃんと見ると普通の樹とは明らかに異なる面がある事に気付ける。
色だ。
木の根元が毒々しい紫色に染まっていた。
その色は空のグラデーションのように上に行くにつれてレイヴたちのよく知る茶色になっている。


レイヴがしゃがみ、樹の根元に触れようとする。しかしナナキの手がそれを抑えた。


「君の好奇心を止めるのは心惜しいけど流石にこんなあからさまにヤバいものには触らせたくないな」


「ちょっとくらい大丈夫だろ」


レイヴがまた不用心に木の根元へ触りに行くのをやはりナナキが制す。


「ははは、ナイス好奇心。でもこれ、目視でも分かるくらいすごい濃い毒素だよ。触れるだけでも体に害があるタイプ」


「げっ、そんなに?」


レイヴは顔を顰め、イタズラしている所に親が帰ってきた子供みたいな勢いで手を引っ込めた。


「うん。僕の予想でしかないけど、地上の街の汚れを吸い取ってるんじゃないかな、この樹は。ほら、地上のファースタ街って車の交通量が多い割に大気が綺麗でしょ?あれはきっとこの地下に排気ガスとか、汚れが送られてるんだよ。この樹はそうやって送られた汚れを吸い上げ、浄化し地上に返す。そうやってファースタの街の大気を地上と地下で浄化、循環させているんだ。」


「おお、流石ナナキ博士。これだけでここまで分かるのか」


「あくまで仮説だけどね。あの天井から伸びる建物に関してはさっぱり分からないし」


レイヴは立ち上がって言った。


「そこは何度も来て、じっくり解き明かしていこうぜ」


「それは良いけど、開拓者試験の対策はどうする?」


「ん、勿論両立させるぞ。」


がさり。
音があった。
咄嗟に、レイヴは背中の楔剣に手を掛け、ナナキは望術の用意をする。
音のあった方は茂みになっていた。がさり。がさり。不穏な音が続く。何かが茂みの隙間からこちらを見ている。


「ナナキ、あれが敵だったらバックアップ任せた」


「任せて」


レイヴが茂みに対して前に出る。
近接戦闘においてはレイヴの方が上手く立ち回れる。

ナナキのクオリアは溜めが必要になるし、望術も発動するまでにインターバルが必要になるからだ。

レイヴは笑っていた。
レイヴは戦闘狂という訳ではない。彼にとって戦闘は手段だ。面倒な戦いは嫌いだし、出来ることなら戦闘は避けたいと思う。
しかし、だ。
レイヴは『未知』というものが好きだ。大好きだ。
そのカテゴリの中には初見の敵も含まれる。
初見の敵と攻略、これに関してはレイヴの楽しみに含まれていた。


茂みから黒い影が飛び出した。
レイヴが楔剣を抜き、影を受け止める。


楔剣が受け止めたのは爪だった。鋭く、ギラギラと透明に光るソレは触れる物の全てを引き裂く凶器そのものだ。
爪の主が黄色い眼球でレイヴを睨む。
それはチーターだった。しかしチーターにしては色合いが既知の個体とは大きく違っている。
本来なら小麦色の体毛に黒の模様を持つチーターだが、この個体の体毛は黒く、模様は紫の禍々しい、ヒョウモンダコを思わせる輪っか状の形を取っている。
チーターは腹を空かせているのか爪と負けず劣らず鋭い透明の牙を剥いて、唸っている。


「おもしれえ……!」


レイヴの闘志が高まる。チーターの身体を押し返し、小さく跳ぶ。スケートみたいに回転し、その勢いを利用して楔剣による横払いをよろけたままのチーターの土手っ腹に叩き込んだ。
吹っ飛んだチーターは即座に体制を立て直し
右の前足を上げた。お手なんて可愛いものじゃない事は多くの生き物を屠ってきたであろう爪が物語っている。
だがそれでどうなる?レイヴが怪訝な表情を浮かべた。


「レイヴ、クオリアが来るよ!」


チーターの右足に望力が集まっていた事を感知したナナキが叫ぶ。
チーターの爪が4本同時にレイヴ目掛けて射出された。



「ッ!?」


レイヴはその場でリンボーダンスのように身体を翻す。射出された爪のひとつがレイヴの頬の薄皮をかっさらい、紫の木の幹に刺さった。爪から幹へ雫が垂れる。どうやらあの爪は氷で出来ているらしい。
チーターの右足から爪を立てるように再び氷で出来た爪が生えてきた。


「サンキュー、ナナキ!しかし強いなアイツ。特訓のために猛獣と戦ったりするけどここまで強い奴は居なかったぞ」


そう言ってレイヴは自らの頬から垂れる血を拭った。あのチーターは速度もパワーも並じゃない。何より取っ組み合いするとあの氷の爪が飛んでくるのが厄介極まりない。
爆発を浴びたような勢いでチーターがこっちへ向かってくる。


「簡略、我が視線5m先の大気は衝撃そのもの」


ナナキが胸の前で三角を描きながら望力を込めた言葉を淡々と紡ぐ。
|二工程ダブルサインの簡易的な望術がチーターの走る軌道上の大気を衝撃そのものに変生させ、チーターの身体を打つ。あまりにも簡易的が故に大したダメージは無かったがチーターの走る軌道が僅かに曲がる。


「ナイス!」


そこには隙があった。レイヴはチーターを高く蹴り上げ、宙ぶらりんになった襲撃者に勢いよく楔剣のフルスイングを食らわせた。


地面に叩きつけられたチーターが身悶えするがすぐに立ち上がりこちらを睨みながら大きく口を開いた。鋭い透明の牙が光を乱反射してる。


「まさか……」


そのまさかだった。チーターの牙が射出される。犬歯の四本が二人を狙い撃つ。


「くっ!」


レイヴとナナキはそれぞれこの攻撃を避けた。


「そんな小さい飛び道具はダメだって!」


レイヴが小言を言う。さっきまでの笑顔は焦りに塗り替えられていた。
レイヴの楔剣なら弾き飛ばす事も出来るだろうがあの牙を受けるにはレイヴ本人の反応速度と精度が追いついていない。外せば致命傷になりかねないので避ける他なかった。


一息つく束の間すら無かった。
即時チーターの牙が再生し、再び射出される。
今度は前歯も奥歯も歯の全てを、隙間なく、射出される。
無くなった牙はすぐさま装填される。それは絶え間ない凶器の嵐そのものだった。望力という弾が尽きない限り嵐が止むことはない。


「それは生き物離れしすぎちゃいませんか、ってんだ!?」


俊敏な動きでレイヴもナナキもそれぞれ別々の樹の影に隠れる。樹のすぐ側を牙の弾丸が無作為に飛来していく。
幹が毒なのでぴったりと密着できない事が心許ない。


「どうするナナキ、あれじゃ近付けねえぞ!?」


毒の樹ごしにレイヴが叫ぶ。


「望術を使う、君の反応速度を上げるんだ!」


「おいおい、俺じゃあ望術の効果は半減するぞ、それよりこの間の時間を使ってお前のクオリアや望術でぶっ飛ばした方がいいんじゃないか?」


「いや、僕の持ちうる手段じゃ決定打に欠ける。僕は裏方向きの人間でね、こういうのは君みたいな主人公向きの人間が行った方がいい」


「なんだそれ、冗談なんか言ってる場合じゃ……」


ナナキは本気で言っていた。目がそれを語っていた。
ずぶり、とレイヴの隠れる樹を貫いてレイヴのすぐ横から牙が顔を覗かせた。


「時間がないよ、もうその樹も持たない!」


「へっ、お前がそこまで言うなら応えるしかねえな!」


レイヴの表情に笑みが戻る。
ナナキもまた笑う。


「詠唱、行くよ」


指揮者のように指先で何かを描くような仕草をしながらナナキが言葉を紡ぎ始める。|三工程トリプルサインの望術が始まる。


「宣言する。対象、レイヴ。役の名は相対。定義は加速。術式構築開始、川に落ちる岩。人波に倒れる。阻む壁。滲み出た血潮。齎された毒。計算外のアクシデント。溶け出した片栗粉。惰性の会議。落ち行く景色。見上げる星。なんて緩慢な世界
術式名『意識相対加速(エゴアクセラレーション)』展開」


レイヴに望術が掛けられる。
周囲の全てが遅く見える。
ナナキの口も手も言葉も動きも。
絶え間なく飛び交う牙も。
自分が隠れていた樹が牙に貫かれ、倒れる様すらも。


「行ってくっぜ!!」


動きが鈍くなった友に声を掛けて、レイヴはチーターの前に飛び出した。

望術の効果持続時間もそうは続かない。レイヴの場合は尚更だ。一気に決着をつける。

無防備となったレイヴに氷の牙の嵐が集中する。これをレイヴはギリギリ、紙一重の所で避けていく。しかしレイヴは焦っていたわけではない。そう、レイヴには大きな余裕があった。ジグザグに走りながらチーターとの距離を詰める。牙の射線上にぶつかりそうになると跳んでかわしていく。

しかし、チーターに近づく以上はそれも難しくなる。とうとう、牙の嵐がレイヴの肘を掠める。僅かにレイヴの身体がぐらりと揺れた。感性が鋭くなっているため多少の傷でも痛みが強くなっているのだ。

牙の群れの射線がレイヴを捉える。
弱肉強食の世界において僅かな油断が命取りとなる。少しでも付け入る隙を与えたならその次には挽肉の運命だ。


だが。


繰り返し言う。レイヴには余裕があった。


甲高い音が木々の間を縫って響き渡った。
レイヴの楔剣が氷の牙を弾いていた。
それも一つや二つではない。機関銃の如く飛来する氷の牙の嵐の中をレイヴが楔剣で弾きながら走っている。

レイヴはナナキの望術によって、飛来する牙と楔剣を正確に合わせられるようになっていた。

自分の体を捉えた牙は弾き、弾ききれない物は身を捩ってかわし、度々射線上から外れて仕切り直す。

チーターとの距離はいよいよ三歩走れば届く距離になった。だがここまで来ると流石に望術を受けたレイヴでも受けきるほどの余裕が無くなる。
だからレイヴは跳んだ。跳んでチーターの反対側に回り込んだ。
しかし相手は過酷な環境で生き抜いてきた歴戦の野生動物。チーターは即座に振り返り牙の機関銃の軌道修正を行う。この距離ではもうレイヴは反応出来ない。決着は着いたも同然だった。

チーターの射線上にレイヴは確かに入った。しかし、それがチーターにとって命取りとなった。

レイヴは振り返ったチーターの顎を下から思い切りゴルフのスイングのように楔剣で殴った。無理矢理閉じられたチーターの口の中で氷の牙が暴発する。
結果、チーターは自分で自分の頭を破壊する事となった。
チーターは顔の穴という穴から血を吹き出しながら倒れると、それっきり動かなくなった。


「よっし!!」


レイヴが右腕を上げてガッツポーズを決めた。
勝者のレイヴにナナキが駆けつけてきた。
ナナキの動きはやはり緩やかだったが途中でゆっくり再生していたビデオが元に戻るようにいつも通りの動きに戻った。望術の効果が切れたのだ。


「やったね!」


「ああ!」


二人はハイタッチを交わした。


「恐ろしい奴だったな、二度目は勘弁したいぜ。アイツこの森の主だったのかな」


レイヴはその場に座り込んで言った。
本日一回目の戦闘だがどっと疲れた気がする。


「どうだろうね。あのチーターでもここでは中堅かもしれない」


「冗談よせよ、あんなのがわんさか居るとか嫌すぎる。あ、でもあれくらい強いと特訓相手には持ってこいかな……」


正直、そこはなんとも言えない所だった。
なにせあのチーターがここに来て初めて遭遇した動物だ。データが少なすぎる。あのチーターがここで最弱の生き物でもおかしくない。あれがこの森の生態系の上位カーストであってほしいと思う所とあのレベルの敵と戦って訓練したいという思いの間でせめぎ合うレイヴだった。



レイヴたちの戦いは彼らの預かり知らぬ所である男の関心が向いていた。


「ほほう、素晴らしい。あのチーターを倒すとは大したものだ。実験台候補としても期待が膨らむというもの。しかしあの黒髪の少年、何故望力を使わないのか。機会があるなら調べあげるとしよう」


男は変わらずビルの薄暗い一室からレイヴたちを眺めていた。
その男の部屋に誰かが入ってきた。
金色の髪のメントだ。


「お父さん、何を熱心に見ているのですか」


「おおメント、見たまえ、また新しい訪問者が来たのだ。此度は中々に期待が出来るぞ」


メントは自ら父と呼んだ男に促され、窓から地上を覗いた。
その訪問者を見て、ありえない物を見るような顔で目を見開いた。


「嘘、なんであの二人が……。」


「おや、知り合いかね」


意外そうな顔をして男が言った。


「……クラスの同級生です」


苦虫を噛み潰したようにメントが答えた。


「ほほう、それは面白い偶然だ」


メントは男よりも真剣にレイヴたちを見つめ始めた。そのレイヴがふと、こっちを指差した。メントはぎょっとしたが彼らはこちらに気付いた訳ではないようだ。ただの偶然だった。




レイヴがビルの一室を指差してこう言った。


「あのビルが生えてる所まで行きたいな。メントが居るとしたらビルの所に居るだろうし」


「じゃあ最初の玄関まで戻ろうか。階段を降りてこの森に出るならあの玄関のどこかにビルへ行ける道がある筈」


ナナキの提案にレイヴはかぶりを振った。


「却下、それはそれとしてまずはこの森を探索したい。帰りにまた最初に来た階段使って帰るだろ?その時調べりゃいいさ」


「はは、了解」


この森では一番最初に降りた階段が良い目印になっていた。外のこの森から見ると天井から一直線に伸びる建物だったからだ。よって迷う心配はない。


レイヴの案で二人はこの森の探索を始めた。
度々獣を見かけると、物陰に隠れてやり過ごした。
そうやって森を進んでいく内にナナキがある事に気付いた。


「ここの生き物にとって樹の毒素は恵みなのかもしれない」


「どういう事だ?」


「ここの生き物はみんな毒の樹の幹みたいに紫の模様を持っている。あれは自分の体に毒素を取り込んでいるからかも。つまり僕達にとっての毒素こそが彼らにとっての栄養なんだよ」


「ありえない話じゃねえな。世の中には太陽を風呂にするヤツも居るみたいだし」


「でも不思議なんだよね、ここの毒素はあくまでも排気ガスとか、人工的な物のはず。だったら地上で車がたくさん走って、排気ガスを出しまくっている都会にここの生き物が出てきたっておかしくないと思うんだ」


車の交通量が多いにも関わらず空気が美味しいのはこの森の地上のファースタ街だけだ。テレビでも度々空気が美味しい理由を探す番組がやっている。


「けどこの森の生き物なんか他じゃ見たことがない、と」


レイヴが言葉を引き継いだ。


「ここの生き物は品種改良された奴なんじゃねえか?毒に対応できる強い生き物を作ってみましたー、的な」


「あー、ありそう。理由はさっぱり分からないけどね」


「意外と理由は無いのかもしれないぞ。研究者って気になったから試してみた、みたいな所あるしよ。まあ考えていたって仕方がねえ、先へ進もうぜ。何かヒントになる物が見つかるかも」


レイヴはそう言ってまた歩き始めた。
ナナキも頷いてレイヴの後を歩く。
しかし僅か三歩歩いた所でナナキがレイヴの袖を掴んだ。


「どうしたナナキ」


「静かに、あれを見て」


ナナキが三時の方向に指を指す。レイヴの視線がナナキの指の先を追う。そこに居たのは人だ。二人の人間が無防備に、街中で世間話をするように話し込んでいる。
しかも片方は昨日殴ったばかりのコモノだった。それを認識するやいなや側にあったサイのような大きさの岩にレイヴは身を寄せた。ナナキもレイヴに続く。


「な、アイツなんでここに居るんだ!?」


「様子を見よう」


驚きを隠せないレイヴに対してナナキはあくまでも冷静だった。そしてコモノたちの会話に聞き耳を立てる。


「それで先輩や俺を殴ったレイヴってヤツをぶち抜いてほしいんですよ!」


コモノが憤りを隠さずに話し相手の男―――頭に赤いバンダナを巻いていて天辺から燈色の髪が覗いている。黒のラインが入った白いタンクトップに赤の短パンを履いている。―――に何かを懇願している。


「おうよ、そんなひでぇ目に合わされた舎弟に泣き寝入りなんかさせねぇからよ!」


シャドーボクシングをしながらセンスのある格好とは言えないバンダナ姿のチンピラ男は言った。自信満々の彼の姿を見たレイヴの発言はこうだ。


「アレが俺にけしかけようとしていたナントカって人か。言っちゃ悪いがあんま強そうには見えねえな」


「どうする?ここで倒してしまう?」


「放っといてもいいんじゃねえか?この森もここまで広ければ会うこともないだろうし。それに戦うならこの森以外が良い。疲れるから」


二人は気づかれないよう小声で言う。
ある程度歩いて分かったがこの森はファースタ街と同じ広さがあるようだった。
ファースタ街の面積は二千キロ平方メートル程度なので彼らと反対側を行けば遭遇する事はない。
だからあの二人組が歩き始めるまで岩の陰でじっとしていることにした。


「まず足をぶち抜いて逃げられなくするッ!」


「ハイッ!」


「そしたら次は手をぶち抜いて痛くするッ!もちろん、血が出すぎて死なないよう太い血管は避けるッ!」


「ハイッ!」


「後は末端から頭に掛けてじっくりぶち抜いていくッ!以上ッ!」


「最高ですッ!アニキ!」


なんだかよく分からない儀式を始めた彼らをレイヴたちは退屈そうに眺めていた。


「なにやってるのかな。」


「わかんねえ、それよりとっとと動き始めてくんねえかな」


退屈だったからこそレイヴは気付いた。あの二人に迫る死の影を。
3mはありそうな身の丈の大熊を。やはり身体には例の紫の模様があった。先に戦った黒のチーターをも上回る迫力と貫禄のある熊だった。
しかしレイヴたちは位置的にあの大熊には気付かれないだろう。ここでじっとすれば災いは無い。
それでも、レイヴは立ち上がって、大きく叫んだ。


「逃げろ!!大熊が来てるぞ!!」


その声を皮切りに大熊のテンションが頂点に達する。迫り来る大熊を確認していながらコモノたちはその場で呆然としていた。


「何やってる!!逃げろっ!逃げろーーっ!!」


レイヴの叫びも虚しく大熊はあっという間にまずはコモノへ距離を詰め、黒く光を反射させている爪を振り下ろした。


辺り一帯に血が飛び散った。
次に呆然とするのはレイヴたちの方だった。

コモノに傷はない。血を撒き散らすのは身体に穴を開けた熊の方だった。
熊はバンダナの男の手から伸びるナニかで心臓を貫かれていた。
穴を開けられた心臓はぴゅー、ぴゅー、と折角作っておいた血を溢していた。
熊を貫くのはペイントソフトで消しゴムを掛けたみたいに真っ白な『線』だった。
太さはパイプほどか。
『線』は消え去り熊はその巨体を揺らして自らの血に赤く染められた地面へ倒れ伏した。


「このイグニットの舎弟に手ェ出してんじゃねえぞ木偶の坊が」


バンダナの男が『線』を引っ込めて熊だったモノに唾を吐き捨てた。


「イグニットさん、アイツらです!俺達を殴ったのは!」


こちらを指差しながら叫ぶコモノの声にレイヴとナナキは我に返った。
イグニットと呼ばれた男がレイヴたちに向き直り、ぎろりと睨んだ。


「そうか、お前ら、俺の舎弟が世話になったみたいだな。この礼はオレ様がきっちり耳揃えて返してやるから感謝しろ?」


「待ってくれ。確かにこのレイヴは君の舎弟を殴ったが仕掛けたのはそこのコモノたちが先だ。いきなり財布を出せと来たからレイヴは抵抗しただけなんだ」


ナナキがレイヴの前に出て弁明をはかった。
ここまで必死なナナキを見たのはレイヴは初めてだった。
ナナキの弁明を聞いたコモノは眉をひそめていた。イグニットは納得したように首を縦に振った。


「ああ、なるほどそうか。そんな事情があったのか」


イグニットは一拍置いて。


「―――お前馬鹿か?この街最大のあんぽんたんか?俺の舎弟に狙われたから殴った?違ぇだろ。なあ。そこは尻尾巻いて逃げるところだろ?つまりさあ、俺の舎弟に手ェ出した時点でアウトなんだよクソボケがッ!!」


あまりに支離滅裂な回答。
とても話の通じる相手ではなかった。イグニットが両手をそれぞれレイヴとナナキに向ける。それだけで不自然に白いパイプ程の太さの『線』が飛んでくる。大熊をぶち抜いた死の線がレイヴたちを屠らんと迫り来る。





相変わらずビルの上から男がレイヴたちの戦いを文字通りの高みの見物をしていた。
しかしその表情は僅かに曇っていた。


「ああ、残念だ。せっかく良い実験体候補が現れたというのに」


「どういう事ですか。お父さん」


怪訝な表情でメントが問い掛ける。


「どういう事も何も、あの二人はここで死んでしまうからに決まっているだろう」


さも当然のように男は答え、窓から顔を離し、革靴で床を鳴らしながら部屋を後にした。
それは空中に投げられた石が―――
白い線からの軌道が比較的細い毒の樹を貫く。
バランスを崩した樹が倒れてレイヴの退路を塞いだ。
逃げ道を失ったレイヴは咄嗟に背中の楔剣を抜き、二発目の死の線に備えて構える。
―――地面に落ちるまでの時間の出来事。


「駄目だレイヴ!線に触れるな!」


ナナキの言葉がレイヴの動きを止めた。
イグニットの線が飛んできたのはその直後の事だった。
レイヴは身体を捻り、高跳びの要領で線を避ける。

それを確認したナナキが素早く右手で雲の形を描いて掌を握る。
するとナナキの描いた雲の形が白く濁った煙となって周囲を包んだ。


「ゲホッ!なんすかこれ!?」


「煙幕の望術か……!小賢しい!!コモノ!クオリアをそこらの地面にぶっぱなせ!」


「はい!」


火球が地面に直撃する。その余波が煙幕を吹っ飛ばした。
晴れた視界にはレイヴもナナキも居なかった。


「アイツらどこに……!?」


コモノが戸惑っている間にイグニットは周囲の樹や岩など隠れられそうな場所を貫いていく。


「連中はこの辺りに隠れてる筈だぜ!おめーも隠れられそうな場所撃ってけ!」


「了解っす!」


白い線や火球が無差別に周囲を吹き飛ばしてゆく。それでもレイヴとナナキは健在だった。


「見境なしって感じだね」


「樹の上に隠れてて良かったぜ本当に」


彼らはそこそこ太めの樹の上に隠れていた。
僅かな時間で樹の上に登りきる。イグニットたちの想定を上回る身体能力が彼らを救った。


「ナナキ、さっき俺がアイツのクオリアを避けようとした時、全力で俺に避けるよう言ってたけど、お前アイツの事知ってるのか?」


「うん。あの白い線を見て分かった。ファースタ街を裏から武力で制する三つの勢力、すなわち街三天(アントラグル)の一つのイグニット勢力。その頂点に立つ男。万物を貫くクオリア、通称絶対貫通(ハルバード)を宿す者。それがイグニットだ」


ファースタ街は現在観測されている星々の街の中でも決して小さくない。なおかつ開拓者発祥の自由を掲げる街なので血の気の多く戦い慣れした荒くれと言う名の猛者が跋扈している。その多くの荒くれ共をまとめあげ、街の中でも三本の指に入る裏勢力を作る強者の中の強者こそが現在対峙しているイグニットというわけだ。


「そんなやばい奴だったのか!?とんでもない奴に目ぇ付けられたんだな俺……」


「白い線のクオリアがこの街で彼を最強たらしめているんだ。星の圧力でとことん圧縮して固められた地中の岩盤ですらペンで紙に穴を開けるより簡単に貫いていくからね。
最高クラスの開拓者や最上位の否定審判の対望力じゃないとあの線は防げないと思うよ」


対望力。
望力は例外なく全ての生物の身体を覆っており、自らを脅かすあらゆる脅威から身を守る性質を持つ。
これが強ければ強い程厳しい環境でも活動でき、他者の望力に干渉することが出来る。
対望力の強さは望力の濃度に比例する。


「触れたらマジでヤバいんだな。ナナキ、さっきはありがとな。お前が居なきゃ楔剣ごとぶち抜かれて、あの熊の二の前になってた」


レイヴが改めて礼を言う。ナナキは命の恩人だ。そのナナキは返事代わりに微笑んだ。


「さて、どうするレイヴ。このまま逃げる事も出来るけど」


「俺としてはアイツらとはここで決着付けときたい。ここで放ったらかしにして明日からあの線に怯えて生きなきゃいけなくなるのはゴメンだからな。お前はあいつらに因縁付けられてないから付いてこなくてもいいぞ。むしろ帰った方がいい」


こればっかりはレイヴ一人の問題だ。ナナキは付いてくる理由はない。むしろこんな危ない戦いにナナキを巻き込みたくなかった。、
なのに、ナナキは。


「僕は君に付いていくよ。君の指示で動く」


あっさりと。
言った。
ナナキはいつも通りの日常と変わらない様子で即答した。
イグニットの脅威はレイヴ以上に分かっている筈なのに。
ばち
思わず樹の幹を掴むレイヴの右手の力が強くなる。
歯を食いしばる。


「……お前な、今回は命懸かってんだぞ!?もっとよく考えて―――」


「静かに、気づかれるよ」


声を荒らげるレイヴをナナキが咎めた。
こんな状況に居てなお日常の中に居るようなナナキは浮いていた。レイヴはその様になんでか苛立ちが増してくる
声を抑えたまま、レイヴが言葉を続けた。


「よく聞けナナキ。これは命懸かってんだ。こいつは遊びじゃないって分かってんだろ?無理に俺に合わせる必要はない。お前はお前の得するようにお前の考えで動け」


「その上で僕は君に合わせるし付き合うよ。だって主体的に動くのはつまらない。僕はただ君や誰かの決めたように動き、その先に見える結果を楽しみたいだけ。傍から見てたい気持ちもあるけどけどそれじゃ意味無いしね」


何を、言っている。

レイヴには目の前に立つ友の言葉の意味が理解出来ない。

平坦な言葉、乱れのない呼吸。混ざりけのない白い眼、柔らかい髪やまつ毛、ハリのある唇、きめ細かい肌、細い首、細い腕、華奢な体。スラリとした手と指。

どれをとっても彼が何を考えているのか、どんな感情を抱いているのか読み取れない。
俺は人の皮を被ったエイリアンと会話している、のか……?レイヴはそんな錯覚を覚えずにはいられなかった。


「誰かに選択委ねて、そのせいで死んでもか。それで死に切れるのか」


「ああ、笑って死ねるよ。それもまた面白い」


端末みたいな言葉。
操り人形みたいな仕草。


「そん、なの、おかしい……!誰かに合わせて動くだけの人間がそんな生き生きとしていられる訳が無い……!なんかあったのか、そうなった理由が!」


ばちばちち。
自分の身体を揺さぶりながらレイヴが訴えるように言う。
ナナキは相変わらずいつもの笑顔を貼り付けたままだった。


「強いて言うなら、十数年前この世に生まれ落ちた時」


ようやく。
レイヴは合点がいった。
納得できた。

レイヴ自身覚えがある。
何故望力の扱いがそんなにも下手なのに、星々を巡るために必要な対望力もろくに持ち合わせていないのに開拓者なんか目指すのか。何度も聞いたフレーズ。
壊れたガラクタみたいに繰り返されるテーマ。
天蓋を埋め尽くす星々がなんでこんなにも心をときめかせるのか。誰も知らない場所にどうしてこんなにも行きたいのか。

好きだから。

それ以上の言葉で答えることが出来ない。
そういう物なのだ。生まれついてそう感じるように出来てしまったのだ。いわばそれがレイヴという人間の根っこで、それを抜けばレイヴという人間は音を立てて崩れ落ちてゆく。

ナナキも同じだ。彼にとって自分の考えで動くより与えられた選択に従う事が楽しいのだ。

その考えはひどく歪んでいるように見える。けれど修正など叶わない。それこそがナナキという人間を形作る柱だからだ。それを欠いてはナナキはナナキではなくなるのだ。


「すまん、ナナキ。闇雲にお前を否定しちまった」


湧いて出てきた罪悪感からレイヴは謝らずにはいられなかった。自分が受け続けた批判と同じ事をナナキにしてしまった事をレイヴは悔いていた。


「気にする事はないよ。むしろ楽しかった。君はああいう事で怒るんだって分かったからね。あとそういう君も命が懸かってるんだから誰かを頼りなよ。僕も君に死なれるのは嫌だから」


「えー……そういうの気が引けるんだけど。誰かを危険に晒して生きながらえるってのはなー……」


爽やかな笑顔で言うナナキの言葉にレイヴは苦笑いした。
いつの日か彼の言葉を真に理解できる日は来るのだろうか。


「なんにせよ僕は君についていくよ。まさか却下はないよね?僕の気持ちを少しは分かってくれたのなら」


「む、そう言われると止められねえ」


腑に落ちない表情で渋々レイヴは承諾した。


「決まりだね!ここでイグニットたちと決着をつける。それでいいんだね?」


「ああ、バックアップは任せたぜナナキ!」


こう言うにはあまりにも浅すぎるかもしれないが、因縁に決着を付けるため、レイヴたちは今一度地面に降り立つ決意を固めた。




イグニットとコモノはあらかた辺りに攻撃し尽くしたため攻撃を止め、レイヴとついでにナナキの死体を探していた。


「全然見つかりませんね、逃げられたのかな」


「馬鹿野郎、俺とお前の一斉掃射の前に生きていられる奴がいるか」


「でもイグニットさんはともかく俺なんかの攻撃じゃ……」


コモノは前日の対レイヴですっかりしょげていた。レイヴに対する怒りはあったがそれはそれとしていつも以上に自信を失っていた。
ボソボソと言うコモノにイグニットが言葉を言いかけた時だった。

何かが落ちる音が空気を揺らす。
振り返る。
二人居る。片や黒い髪に黄色い服の男。片や全身真っ白、ちょっぴり黒の入った男。
死んだ筈の奴らがイグニットたちの前に立っている。


「生きていましたね……?」


「たまにはそんな事もあるわ!気にすんな!」


コホンと、咳払いを一つしてイグニットがレイヴたちを見据える。視線が交差する。


「あの短時間で樹の上に登ってやり過ごしたとはな。一本取られたぜ」


「そいつはどうも。なあイグニット、勝っても負けても俺達に絡むのはこれが最後、ってのはどうだ」


「へえ、そりゃつまり俺達に勝つつもりでいるのか。このファースタにおいて最強の一角を担うこの俺と自慢の舎弟に」


「いいから答えろ」


「オーケー、いいだろう。どう転んでもお前を殺すしお前が俺達に勝てる要素はない。お前らはガタガタと震えて俺達をやりすごしゃ良かったんだよ。さあ、自分の馬鹿さ加減を悔やみながら逝け」


イグニットもこの一件を後には引かせないつもりなのは同じようだ。
イグニットが最強の矛を生む手を上げるのとレイヴがただ堅いだけの楔剣を抜くのは同時だった。


僅かに射線から逸れるような軌道でレイヴが駆ける。ギリギリの所で『線』を避ける。
レイヴには既に意識相対加速《エゴアクセラレーション》の望術が掛けられていた。

レイヴはイグニットの線のみならず周囲の樹にも気を配っていた。
コモノやチーターのような飛び道具が主力の敵を相手取る際、樹は盾に出来て便利なものだがイグニットのように規格外の攻撃をしてくる相手ではかえって進路を妨げる障害にしかならない。

しかしやる事は先のチーターとさして変わらない。楔剣で攻撃を弾き飛ばす事が出来ない点は辛い所だが。


ナナキの方はと言うとコモノを適当にあしらっていた。


「ははっ、頑張れ頑張れ」


「ちくしょう!嘗めやがって、この!」


コモノの火球をガムみたいなネバネバした塊を出したり地面を押し上げたり火球を小さくしたりと奇妙な望術の数々でやり過ごすナナキ。望術のパターンがやたら多いのはナナキが器用貧乏たる所以か。


「ダメダメ、そんなんじゃ掠りもしない、もっと工夫しなくちゃ面白くないよ?」


「偉そうに言いやがって……!!殺してやる!!」


コモノの攻撃はあまりにも単調だった。
そこそこ高い火力の自らのクオリアにかまけてただ撃つだけ。ナナキの下準備すらしていない単純な望術でも十分にやり過ごせてしまう。ナナキが純粋なアドバイスと要望として言った言葉がかえってコモノの工夫力を奪っていた。意固地になっているのだ。


「お手本を見せようか」


見かねたナナキがポケットからくしゃくしゃに丸められた紙くずを取り出すとゴミを捨てるような軽い動きでコモノの足元に投げた。
コモノが何だこれと疑問に思った次には紙がひとりでに広がり、紙の表面から大岩のような厳つい悪魔が飛び出した。


「うわぁッ!?」


子供騙しの幻だ。しかしそれで十分だった。唐突の事だったのでコモノがバランスを崩して地面に座りこんでしまった。
ナナキが大きく円を描き中心に拳を置いて一言。


「展開、幻質量の礫」


円を描いた形が拳となり転けたコモノに迫る。


「ああっ!?わああぁぁッ!?」


必死でコモノが横に逸れて拳を避けた。


「よく避けたね。大技というのは敵を牽制してから放つのが基本だよ」


ナナキはチラリとレイヴの方を見た。大分イグニットとの距離は詰めていたが線を避けるレイヴの余裕はもうなさそうだった。
意識相対加速(エゴアクセラレーション)の効果を込みでも避けるのが大変になってきているようだ。


「頃合いだね」


ナナキがイグニットの方へものすごい速度で走り出しあっという間にイグニットの後ろを取った。ナナキのクオリア、『極限』で予め溜めておいた速度を解放したのだ。


「てめえ……!?」


「いくよ、レイヴ!」


唐突の事にイグニットの反応は間に合わない。
速度はそのままにイグニットのシャツを掴むとレイヴに投げた。


「よし来た!」


レイヴがバットを握るように構えをとる。
楔剣の軌道調整は意識を加速させているためバッチリだった。
あとはホームランを打つ意気込みでかっ飛ばすだけだ。
イグニットはクオリアこそ最強だが本体はあくまでもただの人間にすぎない。車並の速度で飛ぶイグニットがレイヴからのフルスイングを喰らえば流石に意識は保てないだろう。
あらかじめナナキが速度と勢いを溜め、レイヴとイグニットとの差が縮まったら隙を見てイグニットをレイヴの方へ投げ飛ばす。それを反応速度の上がったレイヴがイグニットを叩く。それがレイヴが考え、ナナキがアドバイスを加えた作戦だった。


「吹っ飛―――」


楔剣がイグニットの顔面に触れる直前。
レイヴの視界が
爆ぜた。
その次には猛烈な熱さがレイヴの皮膚を焦がした。全身が刺すような痛みを訴える。望術の副作用で感覚が鋭敏になっていたレイヴにとってそれは全身の皮膚を剥がされた痛みに等しかった。

ナナキは見ていた。レイヴの背中に火球が炸裂する瞬間を。
コモノが火球をレイヴに撃ったのだ。


「があああああっっ!!?」


思わぬ刺激にレイヴが倒れ込んだ。
もはやレイヴには苦悶の声を上げのたうち回る事しかできなかった。
投げ飛ばされたイグニットはしばらく地面を転がった後、ゆっくりと立ち上がり悶えるレイヴに掌をかざした。


「ファインプレーだコモノ!流石俺の舎弟だぜ!!」


イグニットが闘志はそのままに笑顔でコモノを褒める。
コモノも得意気に笑った。
こうなるとレイヴはもちろんナナキに出来ることはなかった。不用意に動けばコモノとイグニットの集中砲火を受けるのがオチだ。
しかしその集中砲火を顧みないのであれば……?


「くく、残念だったな。俺達を嘗めるからこうなるんだ。ええっと、誰だっけ……。まあいいや。じゃあな、名前も知らねえクソ野郎」


レイヴは見た。万物を貫く白い矛が風船に穴を開けるように心臓を穿つ様を。
しかしそれはレイヴ本人ではなかった。
レイヴはナナキに蹴飛ばされゆっくりと宙を舞っていた。その次には白い線がナナキの心臓を貫いて、大小様々な赤い雫が写真の一枚みたいに浮遊している。

しばらく時間が止まっていた。
刹那の時間をレイヴは漂っていた。

次に時間が元通りに流れ始めたのはナナキの望術が切れた時だった。
ばち、ばち、ばちり、ばち!!


ナナキが糸の切れた人形みたいに地面へ倒れる。
レイヴは脇目も振らず真っ先にナナキへ駆け寄って抱いた。
目頭が熱い。口も目元も頬もこめかみも大きく歪んで悲痛を訴えた。
血に濡れたナナキの胸に顔を押し当てた。

「ナナキッ!!ナナキィッ!!」

ひたすら親友の名を呼んだ。さっきまでと同じように笑いかけてほしくて叫んだ。
ナナキは目を閉じたままで応えてくれなかった。
魂が悲鳴でも上げているのだろうか。胸の奥で紙が破れるような鋭い音が聞こえる。


「良かったなレイヴ!!クオリアを持たない分際で調子に乗るとこうなるって分かってさあ!!一つ賢くなったじゃあねえか!!なんか言ってみろよ!え?何も言えないくらいショックか!?ハハッ!!良かったな、無能のレイヴ!!」


コモノがレイヴへ無遠慮に駆け寄り愉悦を含んだ罵りの言葉を吐いた。
反応を返す気力などレイヴは持ち合わせていなかった。


「カッコよかったぜ、お前を自分の命放り投げて救ったソイツはよ。チームワークも抜群だったし、よっぽど大事に思ってたんだろうなあ、お前の事。それはそれとしてお前は殺すが」


イグニットは俯いたままのレイヴに掌をかざした。レイヴはやはり動かなかった。

「なんだよ、顔くらい上げてみろよレイヴ。最期なんだから無様な面を俺たちに晒してみろよ!!写真撮って一生笑いものにしてやるからさぁ!!」


レイヴの耳元にコモノがギリギリまで近づいて言った。
コモノの軽率な言葉はレイヴには一切届いてなかった。レイヴの中では後悔とナナキへの懺悔だけで埋まっていて、そこにコモノの言葉が入る余地などなかった。


レイヴには抵抗する意思などとっくに尽きていた。この状況ではどの道逃げられないと分かっていた。せめて冥界でちゃんと顔を合わせて謝ろう、そんな事くらいを思うだけで一杯一杯だった。


「離れろコモノ、俺の絶対貫通≪ハーバード≫に巻き込まれるぞ」


「俺にやらせてくださいイグニットさん。いい物持ってきたんですよ」


コモノが自分のポケットを漁りだす音をレイヴは聞いた。最期に目を開け、歪んだ視界でナナキの顔を見た。


目が開いていた。
ナナキの目が、うっすら開いていた。

ばちばち。
視界がにじんでいるからだと思った。もしくはミステリードラマや映画なんかで見る目が開いたまま死んでいる死体と同じかと思った。目を擦って改めて見る。

見間違いじゃなかった。ナナキの眼は確かにレイヴを見ていて、ここから逃げろと促している。
これは一体どういう事だ。心臓を貫かれたのに生きているなんてあり得るのか。先にイグニットのクオリアの餌食になったあんなにも大きい熊は即死だったのに。

意味が分からなかった。けれどナナキは生きている。今はその事実だけで十分だった。
レイヴの思考回路が蘇る。この場を切り抜ける方法を演算するべく脳神経がショートしそうなくらい目まぐるしく活動を始める。

手に届く所に楔剣が落ちているのを見た。手を素早く伸ばして油断しきっているイグニットの脛を殴った。楔剣に刃があったらすっぱりその足を斬り落としていただろう。次に唐突の事でフリーズしているコモノに目一杯の力で足払いを掛けた。

イグニットもコモノも派手にすっころぶ。レイヴはナナキの膝と背中に手をやり、立ち上がって走り出した。
後ろから全てを貫く線がレイヴを追い抜いた。だが後ろも見ずにそのまま走った。


「はっ、はっ、はっ、はっ」


レイヴは木々の間を縫い、森を駆けていく。目指すは天井から伸びる塔。この森の出入口となる階段。

ある程度時間が経って一瞬、後ろを覗くと鬼の形相の二人の追跡者の姿が見えた。全てを貫く矛を携えたイグニットが、火球を産むコモノが、レイヴを仕留めんと迫り来る。

「てめぇふざけんじゃねえぞ!!勝負吹っかけといて敵前逃亡か!?生き汚えぞ、潔くくたばれゴラァ!!」


そんなイグニットの怒号にレイヴは気にも留めなかった。要は死ななければいいのだ。生きてさえいれば必ず勝ちの目はある。だからどれだけみっともなくても今は逃げるのだ。

―――なにより今も腕の中で死に絶えようとしている友のために。


「レ、イヴ、僕を置いて、逃げろ」


レイヴに訴える言葉があった。
今にも消え入りそうなくらい小さな声。途切れ途切れの言葉はよく耳をすまして聞かないと聞き逃してしまいそうだった。
ナナキの手がレイヴの裾を掴んでいなければ気付きすらしなかったかもしれない。


「喋るなナナキ、これ以上死を早めたら今度こそ手遅れになる」


レイヴは冷静さと穏やかさを含んだ言葉を告げた。
心臓が無くなったにも関わらず生きているだけで奇跡だったのだ。いつぽっくりと魂が抜け落ちてもおかしくない。
なのにナナキは途切れ途切れの言葉を紡ぎ始めた。


「これだけは言っておきたい。僕にとって自分が生きようが死のうが、どっちでもいい。けど君は別だ。君が死ねばそこで君の物語は終わる。僕にはそれが勿体ない。だから庇った。君が生き延びさえすれば僕はそれでいい。だから、一人で逃げて」


またレイヴにはナナキの言葉の意味が理解できなかった。ナナキは単純にレイヴを好いている訳ではない。あくまでレイヴの行動を見る事が楽しみなだけだ。
自分は死んでもいいのにレイヴが死んではないらない?おかしな話だ。自分が死んだらレイヴのこれからは見れないというのに。
それでも。
ナナキへの親愛の情は一方通行だとしてもナナキは命懸けで自分を救ってくれた。なら、俺は死んでやれない。そしてナナキも。


「お前の言ってる事やっぱり分からねえ。最期になるかもしれない言葉くらい分かるよう言ってくれ。それとお前が例え死んでも置いていくつもりはない。まあ、死なすつもりなんて毛頭無いけどよ」


背後から自らを狙い撃つ矛や火球を避けながらレイヴが冷静に言葉を返した。

ナナキの意識は既に途絶えていた。それでもレイヴはその命が続いている事を信じて走り続ける。

妥協なんてしてやるものか。一点の曇りもないハッピーエンドを目指してみせる。
無慈悲の白線にも貫かれない決意で、レイヴでこの足を止めないと決めた。
そう、これは絶望の敗走ではない。俺達がまた笑い会える時のための撤退だと。希望への道だと信じて。

表面上は焦っていないように見えるレイヴだが、それでも焦りはあった。必死に抑えているだけだった。この状況で少しでも気を乱せばそれだけで命取りになる事くらい分かっている。

ナナキを抱えながら逃げているため、単純な走る速度は追跡者たちの方が上だ。連中の足を攻撃していなければとっくに追い付かれていただろう。
だからレイヴは木々、岩、デコボコの地面。地形を活かして上手いこと距離を作って逃げる。

"皮肉だな。さっきまで必死にイグニットとの距離を詰めようとしていたというのに今度は距離を離す事に必死になるなんて。"

心の中でそんな事を考えられる程度にレイヴの調子は戻っていた。ナナキが生きているという事実だけでとても嬉しかった。今の俺ならナナキのために地の果てまで駆けられると本気で思えた。
そのレイヴの足が、止まった。急ブレーキを掛けた。

その先に道は無かった。いや、あるにはあるのだが道の続きは目下に広がる坂道の5m程下だった。ただの坂なら良かったのだがその坂には問題があった。角度がつきすぎている。ここまで急だと、崖と言った方が正しいかもしれない。


普段のビルを縦横無尽に駆け巡るレイヴなら飛び降りるのに全く、なんの問題もない地形だ。だが今はすぐにでも息の絶えそうなナナキを抱えている。この崖を降りるにはナナキへの負担はあまりにも大きすぎるのではないか。
ナナキが健在だとしてもレイヴ自身、度重なる戦闘による疲労やダメージが募っていた。正直言ってこの崖を降り、今まで通りのペースで森を走り抜ける自信は無かった。

レイヴがまた一瞬だけ後ろを見ると火球や矛が自分をを刈り取らんと襲い来る所だった。
レイヴに悩む時間など一時たりとも与えられていない。


「……迷うな!!」


自分に喝を入れ、強襲する飛び道具より寸分早く坂に飛び込む。負担が出来るだけ掛からないようにナナキを庇う。その結果、坂の起伏が無防備なレイヴの身体を容赦なく剃り下ろすように打ち付けた。


「があああああああ!!!」


あまりの痛みに叫ばずにはいられなかった。視界が白ばんでいく。白みがかった視界に恐ろしいものが写った気がした。

滑るように落ちる先には毒々しい紫に染まった樹の幹が。



―――――――――――――――――――――――――


「やったか?」


イグニットとコモノが崖みたいな坂を降り、レイヴたちの姿を探す。
しかし二人の姿はどこにもなかった。
樹の側にも、上にも、どこにも居なかった。


「また下らない小細工か……。まあ望術使いの方は潰したし望力もろくに使えない手負いの欠陥生物だけじゃそう遠くには逃げらんねえはずだ。探すぜコモノ。俺の舎弟を皆呼びつけて総出でな」


「皆呼ぶんですか!?レイヴ一人のために!?」


「あー、レイヴって名前だったっけか。すっきりした。そのレイヴってのはちょいと油断ならねえ。さっき俺ですらヤバかったからなあ。念には念を入れておくのさ」


そう言うとイグニットは自らの右手を一瞥した。現れるのは白い線ではなく正方形の望術だった。汎用機能望術。レイヴですら持つ程の普及率を誇るあらゆる便利な機能がコンパクトにまとめられた望術だ。使い捨てではないのが便利で、文明の発展に貢献した大いなる望術の一つと言えるだろう。


「もしもぉし、連絡」


正方形の望術に向かってイグニットが語りかける。


「手ぇ空いてる奴は今すぐ俺の所まで来い」


その一言だけ言うと汎用機能望術を閉じた。
イグニットは一息つくと、コモノの方へ歩み寄った。


「さっきの戦い、助かったぜ。マジでありがとな。お前が居なきゃ俺、負けてたかもだわ」


「役に立てたなら光栄です!」


尻尾を振る犬みたいにコモノが言葉を返す。
そのコモノの額にコツンとイグニットの指が弾いた。


「その上で言っとくが、コモノ、お前はもっと自信持って前に出ていいんだぜ。お前は俺が認めた舎弟の一人なんだからよ」


「は、はい……。けど俺なんか所詮サポートしか出来ないっすよ。素手の望力を使えないクズに負けるくらい弱いし、頼りにはなれませんよ……」


イグニットがコモノの肩をばしばし叩いた。


「甘ったれんな、もっと胸張っていいんだよ、自分一人で色々やってみろ。
そりゃ自分でアレコレやるのは責任背負うって事だ。まあ不安だな。俺だって不安に思う。
だがな、それは仲間への信頼があるんだったら全く躊躇わない筈なんだぜ。仲間のためなら代わりにケツ拭くのに躊躇いはねえだろ。
逆も同じなんだ。だからもっと自分も、俺達も信じて前に出て行動してみろ。それが成長への近道なんだ」


「善処します……しますけどやっぱり自信なんてありませんよ」


萎れた葉っぱみたいなコモノの頭をイグニットの手がくしゃくしゃと乱暴に撫で回す。一通り撫でるとコモノの両肩に手をやって言った。


「コモノ、おめえさっきの戦いでなんであの火球をぶっぱなした?俺の事を思ってくれてたんだろ?
お前が良かれと思ってやったんだろ?いいんだよそれで。例え空回りにやったとしても次に繋げりゃそれは成功なんだよ。だから俺はおめえを責めねえぜ」


イグニットはコモノの父親のようだった。


―――――――――――――――――――――――――


メントはただ黙って天井から伸びるビルからレイヴたちの戦いを見ているしかなかったのだが、ナナキが心臓をイグニットのクオリアで貫かれてからは思わずビルを抜け出し眼下に広がる森、魔寄いの森と父が呼んでいた森林へ走り出してしまった。

レイヴについて、メントには関わりのない対岸の火事でしかない。わざわざ火に飛び込む必要などない。そんなことをすれば彼女にとって絶対である彼女の父親なら飛び込むなど常識外れと言って罰を与えてもおかしくない。
けれど。
風紀委員として活動しているメントにとっていつもトラブルの真ん中に厄介者の筈だった。
風紀委員としても、一人の人間としてもクラスメイトが死ぬのは、嫌だ。
ナナキの死から、そんな衝動でここまで来てしまった。


「私は一体何を……」


父から教えられた常識に背く行為を今、メントはしている。あんなにも厳しく父から常識を叩きつけられ、常識を守る重要さを強く躾られたのに。
父に見つかった時の事を思うと足が震え出す。意識しだしたら嫌な汗がどっと吹き出てくる。

居ても経っても居られないなんて理由で父に背くなんて思いもしなかった。見知った顔が傷つけられ、死にゆく様を見て勢いでこんな事をするなんて。そんな心の熱さが自分にあるなんて思わなかった。心が未熟だから常識を破るのだ、と父にこっ酷く痛めつけられるのだろうか。
今更帰るには歩みが重すぎた。
こうなればレイヴだけでも見つけ出し、地上に戻さなければならない。
レイヴが目を開くと、薄暗い天井が目に入った。目を凝らして見ると木製の家のようだ。レイヴは壁際のベッドで眠っていた。

首を右に回すと大小、形の様々なペンダントや装飾の凝った紫の鏡、理解不可能の記号で埋め尽くされた紙切れなど、様々な怪しい物が机や床に散乱している様が見えた。壁の証明が紫色の得体のしれない明かりで部屋を照らしている。樹の扉はその周囲だけ物が無いのでかえってよく目立つ。

しかしこの家、何故か窓がない。イグニットに捕まって閉じ込められたのだろうか。
いや、そんな事より。


「ナナキ!!」


レイヴが勢いよく起き上がった。同時に全身が悲鳴を上げ、顔をしかめた。
そこへ低い女の声がした。


「無理はするな、処置はしたが治りは完璧ではない。しかしこの私の望術の効き目が薄いとはどういう事やら」


それは壁から透けるようにぬるりと現れた。それは女だった。
染め上げたみたいに黒く腰まで伸びた、くせっけのある髪。ゆったりとしたローブ。ナナキにも負けないくらい白い肌。薄く笑う口元。穴のように黒く吸い込まれそうな鋭い目。恐ろしく端正な顔立ち。
レイヴは彼女が壁から出てきた事や醸し出す胡散臭さもあって警戒していたが同時に興味もあった。この女の姿形に何故かどうしようもないデジャブを感じていたからだ。


「俺はレイヴ!アンタ何者だ!?それとナナキはどうした!?あれからどれ程時間が経った!?ここはどこだ!?」


名乗りは適当に、目の前の女へ問うた。すぐにでもこの既視感の正体を暴きたくて仕方がなかった。それはそれとしてナナキがどうなったかも知りたかった。
それと時間や場所も。レイヴは焦っていた。


「中々に威勢の良い名乗りだが、質問が多いな」


「いいから全部答えろ」


女はベットの上で高圧的に言うレイヴに顔と顔がくっつきそうなくらい近づいて言った。


「私はプルトー、ここで望術専門店を開いているしがない望術師だよ。そして貴様のお友達は無事だ。今の所はな」


「今の所……?今の所ってどういう事だよ!?」


自らをプルトーと名乗った怪しい女にレイヴは声を荒らげた。


「はは、まるで私が何か良からぬ事をした態度。私はそんなに胡散臭いかね。」


プルトーは茶化すような大きい手振りで私は何もしていませんよとアピールをした。
レイヴには真剣な自分との温度差を感じ、それが不快に感じた。


「馬鹿な事言ってないでナナキに会わせろ、容態も言え」


「注文が多いねえ。私もお前に聞きたいことは山ほどあるんだが、そこはお前の事情を優先して大人の余裕というものを見せてやろうじゃないか」


軽口を叩いてプルトーはレイヴをナナキの元へ案内し始めた。


廊下の壁や床、天井までみっちり謎の記号や望術の記された紙切れで埋め尽くされていた。それらが何を意味する術式かは皆目見当も付かない。


「お前達が我が工房に迷い込んだのは二時間前の事だ」


「に、二時間!?本当にナナキは生きているのか……!?」


「だから生きてはいると言っているだろう。実際生きているのを見せてやると言っているのだから待て」


「そ、そっか。あんたはすげえ怪しいけど、これだけは言っとく。俺達を助けてくれてありがとう」


「よく言えました。客人が訪ねるなど久しぶりで私も柄にもなくテンションが上がってしまったのだよ。何せ生の人間の実験体など久しいからな」


あっさりかつはっきりと倫理的にアウトな言葉を吐いたプルトーに向かってレイヴが距離を取り楔剣を向けた。やっぱりコイツはヤバいやつだ。


「そう身構えるな。今の私のマイブームは物を直す、あるいは作る事。壊すのは単調すぎてとうの昔に飽きた。というわけで余計な心配などする必要はないぞ」


「本当だろうな……?」


あまりにも怪しい。認めたくないがナナキがまだ生きている事すら疑わしくあった。心臓を失った人間が二時間も生き続けるなど聞いたこともない。

思案している内にプルトーがなんて事のない扉の前で歩みを止めた。


「ここにご所望の友人が居る。これで非生産的な疑いも晴れよう」


扉の先には確かにナナキが部屋の中心の寝台で眠っていた。貫かれた心臓の部分は宙に浮かぶ文字や幾何学模様が幾重にも重なって書き殴った落書きのようになっていた。


「このぐっちゃぐちゃな望術でナナキの命を保ってんのか」


「そうとも。私がその臓器生成術式を考案したのだが良い実験台が居なかった。表に出てきて誰かを攫ってくるのも良かったのだが、あまり目立ちたくない。そこでどうしたものかと考えあぐねていた所にお前やこの少年が私の工房に落ちてきたのだ」


「ツッコミいいか?」


「どうぞ、ご自由に」


「一つ、本当にこれはナナキなんだろうな?俺は岩みたいな大熊が心臓をぶち抜かれて即死した所を見た事があるぞ。言葉にしたくないがあのまま放っといたらナナキは間違いなく死んでいた……」


レイヴの言葉がフェードアウトするように小さくなって聞こえなくなる。そしてしばらく沈黙があった。

プルトーが一瞬、頬を膨らませたかと思うと次には身体を曲げて。


「く、はははははは!!!それは本気で言っているのか!?ははは!人間とただの畜生を同列に語るとか!はははは!!!ただの小僧と思ったがその実、道化であったか!!」


いっそ気持ち良いくらいの爆笑だった。
レイヴは突然の事に目を白黒される事しか出来なかった。
一頻り笑い、落ち着くとプルトーは指を鳴らした。すると天井からコップ一杯分の水が滴り落ちる。落ちた水はプルトーの顔の高さまで留まった。プルトーはそれに口を付けるとストローを吸うような感覚で飲み、あっという間に水は無くなってしまった。

なんで笑われたのか理解できないレイヴはとりあえずプルトーを睨む事にした。とんでもない凄腕それに気付いたプルトーはこう言った。


「ああ、お前も何か口に入れる物を欲していたか。気がついてやれなくてすまんな」


その次には樹の床がせり上がり二つの椅子とテーブルになった。出来上がったテーブルの上には何故か既に箸と皿があって、その上には肉と野菜の炒め物と香ばしい香りのスープ、それにチョコレートの塗られた食パンが用意されていた。
プルトーは出来上がった椅子に座り、パンをかじった。


「話も長くなりそうだし座れ、テーブルの上の物は遠慮なく食べるといい。」


レイヴはプルトーを睨むのを止めていることにすら気が付かなかった。


「なんだなんだお前のクオリア、机だけならともかくなんだって料理の載った皿まで出てくんだ!?」


「私がいつクオリアを使った?」


プルトーが怪訝な表情で言う。
レイヴもそれを聞いて顔をしかめた。
何の準備もなしに望術を使った?


「じゃあなにか?それも望術だってのか!?儀式なしで!?」


「そうなるな。私程の凄腕望術使いになるとクオリアを行使するように望術を扱えるのだ。術式の簡略化も極めればクオリア同然に放てる」


レイヴには納得できなかった。
ありえない。望術とは世界に望力を絡めたアプローチで物理法則を歪める事だ。アプローチ抜きで望術を行使する事など矛盾している。それはクオリアと呼ばれるはずの現象だ
一工程《シングルサイン》で出来ることなどたかが知れている。だのに零工程?そんなものは聞いたことがない。だが目の前でプルトーは実際にやってのけた。どれほど正確でも未だに実行されていない理論よりもあまりにも常識離れしていようとも現実の方が説得力がある。


「それじゃあアンタのクオリアって何なんだ」


「語るに値しないつまらんクオリアだよ。こうやってわざわざ望術を作り、使った方がよっぽど有意義な程度にはな。ところでさっきから何を突っ立っている。遠慮なく腰掛けテーブルの上の物は遠慮なく食べて良いと言ったはずだ」


「すぐ隣で手術してんのに食えるか!!」


「ああそこ気にするんだ」


プルトーは意外そうな顔をして言った。


「倫理観と言うものは人と人が繋がるには便利だが、技術や知識の追求の妨げとなる物だ。気にしすぎてはお前も停滞するぞ」


「嫌だ、人としてそれは駄目な気が」


言いかけた所でレイヴの腹が鳴った。


「そら食え。しのごを言わず食え。いくら綺麗事を並べようが腹は減るものだ。それにお前は怪我人、壊れた身体を治す材料は多ければ多いほど良い」


「ぐぬぬ……」


返す言葉が見つからなかったレイヴは観念して椅子に座った。そして並べられた料理を観察していた。床から生えてきた料理とか怪しすぎる。


「これ人の肉とかそんなオチは無いだろうな……」


「案ずるな、ただの豚肉だ」


プルトー曰く豚肉と野菜をセットでつまみ、恐る恐るレイヴは口に運ぶ。
こんな変人女が作った料理だ、タダの料理では終わるまい、と覚悟してたのだが…….。


「普通に美味い」


拍子抜けだった。こういうのは極端に不味いか美味いみたいなイメージがあった。しかし飛び抜けているわけではないがそれなりに美味かった。奥ゆかしく深みのある味付け、甘みのある肉と野菜のコンビネーション。本当に何の変哲もない料理だ。変わった事があるとすればなんでか妙に懐かしい気分に襲われる事か。


「ほほう、それは何より。口元が緩んでいるな。懐かしさを感じリラックスできるよう調整してみたがお前でも効果ありらしい。良かった良かった」


レイヴのほっこりしている様を見てプルトーはニヤニヤしてる。なんだか手玉に取られているような……。レイヴはムスッとした顔で話を戻した。


「そ、そんな事より本題だ本題!えっと、なんで熊の話で笑ったんだよ」


「ああ、お前の無知っぷりに思わずな。お前には色々と教授してやれねばなるまい」


プルトーは机に突っ伏し、なんだかんだ言って野菜炒めにがっつくレイヴに言った。


「お前の友人の、ナナキだったか?アレが心臓を失ってなお生きていたのは魂と肉体の結び付きが強かったが故だ。この結び付きというのは自我《エゴ》の強さに比例する。知性が高ければ高いほど自我は高くなる傾向にあって、まあ例外はあるが―――」


「長い、シンプルに」


スープに手を付け始めたレイヴが言った。この人は望力とか、望術の事になるととんでもなく話が長くなる気がしたのだ。


「つまりナナキとやらは失われた心臓の機能を自らの望力で代用したのだ。自我、すなわち自分が何者かという定義が正確に出来ていればいるほど代用にかかる望力は減る。大したものだよ、心臓を失って二時間も生存しているなど人間でも極稀だ」


私の処置あっての事だが、と自慢げにプルトーは付け加えた。


「なるほど、次、ナナキは『今の所』大丈夫ってのはどういう事だ」


プルトーは現在進行形で治療を受けているナナキに視線をやった。


「そこで稼働している私の臓器生成望術は実を言うと未完成なのだ。そのためにナナキの心臓を再生させる最後の一手が打てずにいる。心臓を代替している望力の消費は緩やかだが、確実に失われている。」


レイヴの頬を冷や汗が流れた。
望力が極端に減れば魂は肉体との結び付きを保てずに肉体を離れてしまう。つまりそれは死を意味する。


「流石に望力の極端な減少による死については知っていたか」


プルトーが身体を起こし、人差し指を上に向けて言った。


「そこで取引だレイヴ。私の望術を完成させるために最後のピースを回収しに行くつもりはないか?お前はお前の大事な友達を失われずに済み、私は望術を完成させられる。この関係はウィンウィンというやつだ、悪くはないだろう?」


レイヴが野菜炒めとスープを腹に納め、自分の分のチョコ塗り食パンを食べる。


「そのピースとやらは俺なんかよりアンタが取りに行った方がいいんじゃないか?なんかすごい望術でパパーッとさ」


「それは無理なのだ。私はここで未だ完成に至らぬ望術の様子を見ておかねばならん。この臓器生成望術が何らかの不具合を吐いた際にお前で対処できるなら話は別だが」


「ああそっか、そういう事なら俺が取りに行くしかねえな」


「交渉成立だな。お前達がほんの二時間前まで居た魔寄いの森だよ。そこにあるペルテモントという巨木があるのだがそれに成る実が必要なのだ」


「オッケー、デカい樹を探せばいいんだな。早速行ってくる」


空っぽになった皿に向かって手を合わせるとレイヴは立ち上がり、部屋を後にしようと扉へ飛び出した。しかし部屋の入口は周囲の空間ごと収縮し、人が出られないほどに狭まってしまった。


「待て待て、行くのはいいが私の工房に戻ってこれまい。私の工房の場所の特定は難しいのだ。それに目的のブツがどんなものかも知らんだろう」

プルトーがレイヴに歩み寄る。


「どうするんだ?」


「汎用機能望術を出したまえ、流石にお前でも持ち合わせているだろう」


「分かった」


レイヴが掌をプルトーに向け、ロック解除、と呟くと淡い光を帯びた八面体と文字が浮かび上がった。
それを見たプルトーは一歩引いて


「うわ、画面見にくいな!?どんな望力の扱いをしたらこうなるのだ!?」


「うっせえ!やりたい事があるなら早くしろよ」


レイヴが口をとんがらせて言った。


「では気を取り直して」


プルトーが右手をレイヴの汎用機能望術に翳し、ピアノを弾くように右手を踊らせ、最後に空気を入れた袋みたいに手を大きく広げた。


「私の工房の位置情報とペルテモントの実の画像、それに物質転送術式を送っておいた。これを参考に探し、実を手に入れたらこの転送術式で私の所に送るといい」


レイヴが改めてプルトーより送られた工房の位置情報と画像をチェックする。必要となる木の実は赤黒く、魔寄いの森の樹の幹とはまた違った意味で毒々しい。これついて一言物申したかったがきっとそれは無駄な抗議に終わると思うので止めた。


「えっと、ここの出口は?」


「ああ、見送りがてら案内しよう」


レイヴとプルトーはプルトーの工房の出入口の階段に居る。
中の工房同様、木で出来た場所だった。樹の独特の香りが心を落ち着かせてくれる。


「ここが出口だ、最後に言っておく。お前は、クオリアすらも使えんのだろう?」

「ああ、そうだ」


プルトーが唐突に言う。それに対して特に驚くことも恥ずることもなくレイヴはあっさり答えた。
素人以下のレイヴから見ても凄腕の望術師である彼女なら何の意外性もないし自分がクオリアすらも使えない事はとっくに受け入れていたから恥ずることはなかった。

「お節介かもしれんがクオリアを使うコツについて教えておく。クオリアの燃料たる望力が冴え渡るタイミングは感情が高ぶる時だ。喜怒哀楽どれでも構わん。そして迷いは抱くな、迷いこそが望力を錆びさせる最悪の行為と覚えておけ。今日はお前にとって重要な一日になるだろう。心して臨むがいい」


レイヴは静かに、力強く頷いた。


「大丈夫、実を取ってここに戻る。たったそれだけの簡単な事だ」


「無事に戻ってこい、私の研究のために」


「最後の一言で台無しだぞ」


プルトーの余計な一言にレイヴは苦笑いを零した。

レイヴは足を踏み出して外に出た。
まず目に飛び込んで来たのはゴツゴツとした崖だった。そびえ立つ崖がすぐ目の前にある。崖と言うより急勾配な坂と言った方が正しいかもしれない。目の前の登るには向かない坂の岩肌には血の跡が上の方から一直線に引き伸ばしたようにべったりと付いている。


「これは……」


この坂にはなんとなく見覚えがある。後ろを振り返る。さっきまで自分が居たプルトーの工房は無かった。代わりにあるのは紫色の毒を帯びた樹だった。
もしやと思い恐る恐る禍々しい色の樹の幹に手を伸ばす。伸ばした手はホログラムみたいに樹を突き抜けた。


「ああ、そういう事か。めちゃくちゃ運が良かったんだな、俺たち」


レイヴは全てを悟った。
今レイヴが居るここは間違いなく魔寄いの森だ。プルトーから教わったのだが魔寄いの森とはこの地下の森の名前らしい。
しかもレイヴが出てきたこの場所はイグニットたちに追いかけ回されて坂を転がり落ちた場所だ。この坂に残る血の跡はレイヴとナナキが仲良くたくさん血をぶちまけた物だ。
レイヴはてっきり、転がり落ちた先にあった樹にぶつかって気を失い、そこをプルトーが見つけ、毒抜きもしてくれたのだと思っていたが、違っていた。
この樹の幹こそがプルトーの工房への入口だったのだ。つまり二時間前に転がり落ちたレイヴたちはそのまま毒の樹の下にあるプルトーの工房へ飛び込んで行ったという事なのだ。そして、プルトーの工房への入口はこの森への入口同様、偽装望術が掛かっていた。だからすぐ後ろから来ていたイグニットたちに気付かれなかったのだ。

しかし、こんな分かりにくい場所でなんで望術店なんて開いているのだろう。疑問には思ったが聞かなかった。またここに来る事があればその時に聞こう。聞きたい事が山ほどある。
そんなささやかな思いを心の隅にしまってレイヴは動き出した。


プルトーは視覚偽装望術ごしに小さくなるレイヴの姿を眺めていた。


「あのレイヴこそが今代最後の楔剣の担い手、か。此度こそ、我が宿願が完成すれば良いのだが」


プルトーの囁きは誰に届く事もなく木々のざわめきと虫のさざめきに消えた。


外は暗くなってきていた。この森の光源は天井から伸びるビルの照明が三割、ビルの無い土の天井を覆い尽くす光苔が七割のようだった。光苔の光の源は太陽で、日が沈めばこの森も連動して暗くなるらしい。どうやってこんな地下深くまで光を調達しているのかは分からない。天井から伸びているビルが関係しているのだろうか。
うっすらと輝く光苔は何とも幻想的で、星雲が目の前の空に浮いているようだ。


「さあて、巨木はどこだ?」


レイヴが汎用機能望術を起動する。彼の淡い光からなる画面もある程度暗くなった今なら見づらさは無かった。
プルトーから送られたデータを確認する。ペルテモントの木の位置や画像はどこに……。見つからない。ペルテモントの実やプルトーの工房の位置情報もちゃんとあるのに肝心のペルテモントの木が見当たらない。
レイヴは自分の顔に思わず手をやった。


「あの時点でなんでプルトーが巨木を送ってない事に気付かないんだ、俺のバカ……!。どうしよ、連絡先も今回限りの関係って事で交換してねえぞ」


レイヴはため息をついた。わざわざ工房に戻っての画像データを貰いに行くなんてやってる時間など無いというのに。そもそもペルテモントの木がこの魔寄いの森にあるのかすら怪しい。

とりあえずペルテモントの木を探すために目の前の樹に大きくジャンプし頂点に飛び乗る。上の方の枝はナナキの見込み通り毒は薄く手が触れても少しピリピリする程度で済んだ。

レイヴは周囲を見渡す。
いくつか背の高い樹はあった。が、どれも位置がバラけている。一時間以内にこれら全ての樹へ赴いて実を回収してくるのは到底無理な話だった。
となると明確にペルテモントの樹を特定し、実を回収する必要がある。

このご時世、汎用機能望術を使いインターネットで調べる手もあるがレイヴは望力の扱いが下手なためにインターネットに繋げる事すらままならなかった。

知り合いに実とか樹に詳しそうな人は居るが、今は仕事中で気が引ける……のだがこっちもそうも言っていられない状況だったので連絡する事にした。

レイヴは樹のてっぺんの枝に器用に脚を回して安定する姿勢を取った。電話をするように左手の手の平を耳元に当て連絡したい相手の事を、声でも顔でも性格でもいいので思い浮かべる。
しばらくすると、もしもし、とこちらを呼び掛ける声があった。


『レイヴ?どうした?』


「ようサヴァイヴ、いきなりですまん、協力してほしい事あるんだけど今いいか?」


レイヴの投げた言葉とサヴァイヴの反応までの間に耳を裂くような衝撃音が聞こえ、反射的にレイヴは耳から左手を遠ざけた。


『セイッ!!ああ、構わんぞ。フッ!!遠慮なく言ってくれ』


「今もしかしなくても戦闘中だよな!?大丈夫なのか!?」


『なーに心配してやがる!!俺はお前の憧れにして最強の開拓者、サヴァイヴさんだぞ?今更気にすんな!』


電話越しにサヴァイヴの脳天気な笑い声が聞こえてきてレイヴも声には出さなかったが顔から笑みがこぼれた。今みたいに焦る状況だと気分を和ませくれて助かる。


「自分で憧れとか最強とか言うな!じゃあ、こっちの望力が切れる前に手っ取り早く言う!俺は森の中に今いるんだけどとある実の成る樹を探してるんだ。実の画像と森の中を視界共有するから一緒に探してくれ」


「ああ、見るだけは見よう」


レイヴは速やかに連絡望術を視界共有モードに切り替える準備を始める。他の人からしたらなんて事の無い行為だがレイヴにはこれだけでも負担が掛かるため手っ取り早く済ませたい。

その間にも耳に当てた手からは今も攻防の激しい音が聞こえてくる。それに混じってサヴァイヴの声で“昔は兄ちゃん兄ちゃん言ってかわいかったのになー”とか聞こえた気がしたが気のせいと言うことにしておいた。

サヴァイヴは見た目こそ20~30代の青年だが極めて長命な悟人という種族で、レイヴの遠い先祖の頃からの付き合いらしい。レイヴも母が死に、父も否定審判≪ガイダンス≫の仕事で忙しいのでちょくちょくサヴァイヴの世話になった。
サヴァイヴは開拓者をやっており、彼の持ち帰る開拓の副産物や土産話がレイヴの開拓者への憧れの引き金で、いわばレイヴの原点となる人物である。レイヴの持つひたすら硬いだけの棒こと楔剣はサヴァイヴから贈られた物だったりもする。

レイヴが共有した視界で右手の汎用機能望術に写るペルテモントの樹を見た。
即座にサヴァイヴからの返事が返ってきた。


『俺には分からん。フィレアの方が詳しいから替わる。ちょいと待っててくれ』


しばらくすると望力のパスが入れ替わり左手から相変わらずの激しい戦いの音とハイテンションな女性の声が飛び込んできた。


『もしもしやっほー、久しぶりレイヴ!やっ!!元気してた?はぁっ!!』


「ああ!フィレアさんも元気そうでなによりだ」


フィレアと言う女性もたまにレイヴの家にやって来ては親の代わりにレイヴの面倒を見てくれる。見た目は20~30歳程でサヴァイヴと同じ悟人である。悟人は皆20~30代らしい。子供の悟人はどんな姿をしているのだろうか。
彼女もまた開拓者であり、サヴァイヴの開拓者仲間兼、相棒で、レイヴの血族とも長い付き合いである。

「協力してほしい事があるんだ。今戦闘中みたいだけど大丈夫だったか?」


『全然気にしないで!かわいいレイヴのためならどんな時でもどんな事にも付き合いますから!!実の事はサヴァイヴから聞いたから早速始めましょう!』


「オッケー、流石フィレアさん!理解が早くて助かるぞ!」


改めてフィレアと視界を繋げて左手の上に映るペルテモントの実を見た。


『探したいのはペルテモントの実だったのね。まっかせて!』


「じゃあ次、周りの樹を見渡すぞ。ちょっと暗いけど大丈夫か?」


『オールオッケー!私は問題ないよ!』


レイヴはくるくると器用に樹へ回した脚を使って身体の向きを変え、辺りを見渡した。
視界に恐らく最も大きな樹が入った瞬間だった。


『ストップ、そのまま。今、視界の真ん中より左側にある大きな木。それがペルテモントの木よ』


それは恐らくこの森で最も巨大な樹だった。
縦に伸びては天井やビルにぶつかるため、横に大きく葉を伸ばしている。あれほどの巨木ならわざわざ画像など送らなくとも巨木というワードを聞いた上であの樹を見れば一目で分かるとプルトーは思ったのだろう。要はプルトーのコミュニケーション能力の不足が招いた余計な手間というわけだ。
ここからペルテモントの樹までの距離は3km程と見える。街の中なら30分で走って行ける距離だが森の中となると話は変わってくる。足場が悪いため、早くても40分、獣達をやり過ごす必要や地形の都合上、迂回する必要も考えられる。レイヴに残された時間は思っていたよりも残されていないらしい。


「サンキュー!!マジで早くて助かった!!ありがとう!!いや本当にすげえわ、二人とも。……俺、絶対アンタらを超える開拓者になる、いつか待っててくれ!」


戦闘中に通話してなお余りある余裕、迅速かつ正確な状況判断、圧倒的知識量。サヴァイヴもフィレアも開拓者として一流なんて言葉には収まらないと世間で言われている。太古の昔からあらゆる開拓を成功させ続けてきた二人の開拓者は至高だと言っても過言ではない。レイヴが目指すのはこの二人すら超える開拓者。ほんの僅かなやり取りでその壁の高さをまじまじと見せつけられた。それでもレイヴは怯みなどしなかった。絶対にあの二人すらも超えてみせると改めて覚悟を決める。レイヴの啖呵にフィレアも明るく応えた。


『ところでレイヴ、なんでペルテモントの木なんか探してるの?そもそもそこって……』


「ゴメンフィレアさん、今急いでるんだ、ワケは後で話す!本当にありがとう!!」


レイヴはえ?ちょっと!?と言う声を無視して連絡のための望力のパスを切った。
あの二人に面倒を見てもらうのはあくまでも必要最低限、どうしようもない時だけ。
これ以上世話になるのはダメだ。
俺が目指すのはサヴァイヴもフィレアも超える至高の開拓者なんだから。


レイヴの視界に映るペルテモントの樹。魔寄いの森で最も大きな樹。
あれこそがナナキを救うための希望がある場所で、今のレイヴの直近にして絶対に外せない目的。ナナキは命を捨てる気でレイヴを助けた。その理由はさっぱり分からなかったがそれがどうした。レイヴにはその借りを返す使命があった。借りを作りっぱなしなのは嫌だし、何より昔からの親友が自分のために死なれるのはもっと嫌だった。

レイヴが近くの枝に飛び移り、ペルテモントの樹を見据える。

その時、レイヴの息が止まった。

大きな影が、ペルテモントの樹から飛び出し、飛んで行った。
暗さゆえに詳しい姿は分からなかったがひたすら大きい事は分かった。
相手はこちらなど気づいてすらいないだろうがその曖昧なシルエットを見ているだけで自分の心臓を鷲掴みにされるような威圧感を放っていた。
あれこそがこの森における生態系カーストの頂点に立つ生物だとレイヴは直感で理解した。そしてあの生物の住処こそがこの森で最も巨大なペルテモントの樹だと言うことも識った。

レイヴはその巨体が遠くへ飛んでいくのを見届けると息を呑み、額を這う脂汗を拭いた。怯えなどない。あるのは腹を括った男の面構えだ。

ここが再出発。最初のような知的好奇心を満たすためではない。友を救うための重要な探索が始まる。る。
紫の空の元、異邦の惑星のジャングルで、戦いがあった。片や数十万もの数で波のように遅い来る巨大な軍隊蟻の軍勢。片やたった数十人程度の人間。この数の人間達では戦力の圧倒的な差に押しつぶされ、蟻の餌になる他ない。

しかしそうはなっていなかった。

人間の一人一人が圧倒的な力でアリの群れを蹂躙している。まるで水面に大質量の大岩が投げ入れられたように、広範囲に広がる衝撃波がアリの群れを蹴散らしていく。数の優位を容易くひっり返す強者どもは開拓者と呼ばれている。


「ねえ、サヴァイヴ、レイヴはもしかしたら魔寄いの森に居るかもしれない」


紺色のショートパンツから伸びる長い脚で複数の蟻をあしらい、茶色のベストと見る角度によって蒼や紅色に色を変える明るい髪をたなびかせ、快活な眼を仲間の一人に向けてフィレアは言った。


「なに!?どういう事だフィレア!?」


サヴゥイヴと呼ばれた男がアリに回し蹴りをかますついでに振り返る。
灰色の髪と瞳にフィレアと同じく茶色のジャケットに黒いアンダーシャツ、紺色の厚手のズボンを身に纏っている。


「ペルテモントの樹をレイヴの視界を通して探して分かった。レイヴの居たあの場所、地下の森だった。私の知る限りファースタ星の地下の森で天井からビルが生えている場所はひとつしか知らない」


今は戦闘中であるため、フィレアは表面上は淡々と、冷静に言うが彼女の仕草には焦りと動揺が見え隠れしている事をサヴァイヴは長い付き合いから来る経験で見逃さなかった。


「信じられんが、お前が言うのなら本当らしいな……」


サヴァイヴの脳裏には何故、レイヴがあの隠された地下の森に居るのかという疑問が浮かんでいたが、そんなものはすぐ様振り払った。今やるべき事は既に見えている。

「あんな危険な場所でたった一人、木の実探しか……。理由はなんであれ、放っておく訳にはいかない、仕方がないが―――――――」



――――――――――――――――――


レイヴは森の中を駆ける。不安定な地面や沼は跳び越え、低い木の枝は姿勢を低くして避ける。レイヴは今の自分が出しえる最短最速を目指す。目線の先には大樹ペルテモントがある。

ペルテモントの樹に向かうにあたって最も避けたいのはイグニット、もしくはペルテモントの樹を根城にする謎の生物に出会す事だ。

前者は一度は倒す目前までいったがそれはナナキが居たからだ。彼の意識加速望術《エゴアクセラーション》がなければイグニットの全てを貫く白線のクオリア、絶対貫通《ハーバード》には対応出来ない。つまり今の所、素のまま一人で戦わねばならないレイヴの勝ち目はないに等しい。

後者の未確認生物は実力も未確認だがこちらも恐ろしい敵だと言うことだけは分かる。
間違いなく強く、しかも能力未知数《クオリア不明》の敵を相手取るのは自殺行為も同然だ。
にも関わらずヤツはペルテモントの樹を根城にしているため、ペルテモントの樹に辿り着いたとしてもこの生き物の姿があるのなら、またどこかに行くのを待たねばならない。また、大樹を登り実の回収をしている間にヤツが帰ってきてもアウトだ。

道中の戦闘は時間の事を考えても出来るだけ避けたいので獣を発見した場合、迂回するか地形を利用してやり過ごすしかない。戦闘になる可能性も十分ありえる。
つまり時間がない。
友を救いたければノンストップでこの森を駆け抜けろ。息が止まっても脚だけは止めるな。敵は速やかに対処しろ。

声が、聞こえた。
レイヴの聴覚が明らかにこちらへ向けられた声を捉えた。
視線を声の方に向ける。


「やっぱりそうだ、アイツがイグニットさんの言っていたレイヴとかいうヤツだ!!」


「逃がすな、追え!!」


いかにもガラの悪い十人組がレイヴの方へ向かってきている。
歓迎や協力してくれる雰囲気ではないようだ。


「イグニットのやつ、仲間を呼びやがったな!」


レイヴがめいいっぱい飛ばす。既に全速力だったがせめて気持ちだけはもっと速く。
あんな連中に構っている暇はない。

飛び道具の類がレイヴを追い越す。
得体の知れない緑の肉片のようなものや、やかん、それにビールの空き瓶など、よく分からない物がビュンビュン飛んでくる。


「また飛び道具か、訳わかんねぇ物ばっかり飛ばしやがって」


レイヴは追っ手を翻弄するためにジグザグに走り、周囲の木を盾にする。
後ろを振り返ると連中は諦めるつもりはないようでひつこく追いすがって来ている。

イグニットは理不尽な理由で人を追い回すヤクザみたいなヤツだが身内にはよっぽど優しいようだ。

レイヴの走る先にまた自己主張の激しい格好の連中が6人居た。連中もこちらに気付くと数人、飛び道具のクオリア持ちがこちらを狙って金メッキの石やら無数のガラスの破片、小型の爆弾を放り投げてくる。挟み撃ちの形だ。

レイヴは躊躇い無く踏み込んだ。
ここで止まれば両方向からの攻撃を浴びる事になる。

金メッキの石や爆弾など飛来物は出来るだけ避けるが細かいガラスの破片がレイヴの頬や腕など皮膚を掻っ切っていく。

だが、それがなんだと言う。そんな事を気にする段階などとうの昔に過ぎた。

後ろで何かが爆発する。レイヴを追いかけていた連中の悲鳴が聞こえた。爆発の余波を推進力としてレイヴは前に跳び、楔剣を構えた。

「そこをどけ、俺はあの大樹に行かなきゃなんねえんだ!!」

楔剣を振るいイグニットの部下が織り成す壁を蹴散らす。
そして勢いそのままに突き進んだ。
先の爆発やレイヴが蹴散らしたため、イグニットの部下は減ったが、全員を倒した訳では無い。残った五人の連中が追い掛けてくる。

その五人に何かが飛び掛った。

目をこらして見る。
狼だ。紫がかった明度の低い毛皮の狼四頭がイグニットの部下を襲っている。
恐らくここに住まう獣だろう。
ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、周囲の木の影からぞろぞろと臨戦態勢の狼の群れが現れる。数にして三十頭は居る。恐らくレイヴは狼の縄張りへ知らず知らずのうちに侵入してしまったらしい。
完全に囲まれた。

それでも、焦る時間などないとレイヴは迷いを振り切り、ペルテモントの樹の方へ駆ける。当然その先には狼が居る。

興奮した狼がレイヴに飛び掛る。レイヴは楔剣を抜き、狼の飛びかかりを受け流し、的確に頭を殴り飛ばした。そのまま狼の包囲網を抜けに走る。

しかし狼達も一筋縄ではいかない。足の速さと連携でレイヴへの包囲網を保つ。

今度は狼が二頭で襲い掛かる。いなしていくうちに一頭一頭数が増えていく。

反撃はおろか、いなす事すらままならなくなる。
レイヴはその場に倒される。こうなると狼にされるがままだった。腕を噛まれた。脚を噛まれた。腹を噛まれた。噛まれる度にレイヴの絶叫が森に轟いた。


レイヴは激痛の中、霞み始めた目でペルテモントの樹を見た。

こんな所で。

寝てる場合じゃない……!!


両足を力任せに閉じる。両足に食らいついていた二頭の狼同士の頭をぶつけ合わせた。

そのままはね起き、腕に食らいついていた狼をハンマー代わりにして他の狼を薙ぎ払った。自由になったレイヴは大きく後方に跳び、狼達と距離をとる。

仕切り直し。
ここからどうやってこの狼共の襲撃を抜けてペルテモントの樹まで走る……?
レイヴが思案している時の事だった。
恐らく群れを率いるボスであろう狼の一頭が口を開く。この感じ、どこかで見覚えが……。
次には、狼の口からは木製の玉が回転しながら射出され、レイヴの足元に地面に直撃した。今のが狼のクオリアらしい。


「また飛び道具かよ、畜生め!」


いい加減うんざりして、つい口走る。
そこでレイヴはクオリアを使った狼の息が上がっている事に気が付いた。

(あの狼の種族はクオリアを使うと一気にバテるのか……。さっきまで使わなかったのはそういう事だったってわけだ)

種族と一括りで考えたのはクオリアをしっかり使えるのなら群れを率いるボスが一回クオリアを使った程度で息切れなど起こすはずがないからだ。
あの狼達はクオリアの扱いが下手なのを補うために集団で行動していた。

ボス狼に続いて他の狼達が木の玉のクオリアの装填を始める。

これをやり過ごせし、狼達がバテてくれればなんとかなるかもしれない。レイヴにはここに勝機があるように思えた。

レイヴが狼たちへ真正面に、正確に言えばペルテモントの樹の方向へ走り出す。狼達がクオリアを放ち始める。

レイヴはジグザクに走り周囲の樹などを盾にしながら進む。ここまではさっきのチーターやイグニットの部下との戦いと同じだ。

狼達との距離が丁度よく縮まってきた辺りでレイヴは大きく跳んだ。
跳んだ先には木の枝がある。レイヴはそれに掴まるとそのままの勢いで他の木に飛び移る。ターザンや猿のように木から木へ、時として地面に戻る。
狼たちはレイヴを追いかけながらクオリアを放つが激しく立体移動するレイヴには中々当たらない。
一発レイヴの背中に直撃したが、レイヴは手を離さなかった。
木から木へ飛び移るのは地面を走るより速く、狼たちの姿が遠ざかっていく。狼を振り切った後もこの移動方法を使おうとレイヴは思った。

このまま順調に逃げ切れると思った。

その次には
レイヴの体が地面を転がっていた。
レイヴ自身、何が起こったか分からなかったが、左手に握った木の枝を見て理解した。


「アイツらのクオリアが俺の握っていた枝を折ったのか……!」


狙ったのか偶然だったのか定かではないがそんなものはどっちでもいい。
素早く立ち上がり再び走り出そうする、が、狼たちは既にいつでも木の玉をレイヴに撃ち込める状況だった。
レイヴは急ぎすぎた。多少冷静に動けばこんな事にはならなかったかもしれないというのに。


「こんな、所で……!」


ボス狼の一頭がクオリアを放った。他の狼達もそれに習いクオリアを放つ。
レイヴがせめてもの抵抗に楔剣を木の玉の弾道に合わせようとした時だった。

なんの走馬灯だろうか。大きく広げた右の手の甲が目の前に広がった。人の手にしては巨大で、鈍い赤色をしていた。ペアとなる左手は無い。手首から先は青いチュニックを着た長いウェーブが掛かった金髪の少女に繋がっていた。


――――――メント?


通路置換(リバーグラウン)


少女の一言で視界が揺れた。