第一異世界《セカンドライフ》~異能を以て天の先を目指す~

レイヴが体勢を崩し、何百メートルもの高さから落ちる。
空中のレイヴの姿が薄くなったと思った次にはフッと消えてしまった。
木の上からレイヴを狙い撃ったイグニットは怪訝な表情になった。


「おいお前ら!今、レイヴのヤツはどうなったか分かるやつはいねえか!?」


イグニットが他に潜んでいた自分の舎弟達に問い掛ける。
よく見えなかった、何が起こったか分からなかった言う声の中、的を得た答えがあった。


「よく分からない移動望術じゃないですか?さっきの女もやってたアレ」


「やっぱそう思うか、オレもそう思いたいんだがそうも行かねえんだよ。なんたってあの野郎は背中からオレの絶対貫通(ハルバード)を浴びた。その直後に例の望術を使える余裕なんざありゃしねえと思うんだよ、このオレは」


イグニットは釈然としない様子で虚空を眺めるばかりだった。





レイヴは逆しまのビルの廊下で大の字で倒れていた。動悸が酷い。生きている実感が無かった。
自分の胸や腹に穴が空いてないか確認するために手を置く。穴は無かった。


「俺はイグニットのクオリアに撃ち抜かれたはず……。あの白い線はイグニットのクオリアだよな……?外した、のか?」


レイヴは体を起こすと背中に掛けたボディバッグと一体化した鞘を外し、どうなっているか確認した。


「鞘やバッグに穴が空いてるのに楔剣は全くの無傷……」


偶然、絶対貫通(ハルバード)の射程範囲のギリギリ外に居たのかもしれない。
けれど、かつてこの楔剣を譲り受けた際にサヴァイヴが言っていた言葉を思い出す。

楔剣は絶対に傷つかない。

当時子供だったレイヴは剣と言うからにはよく斬れるのだろうと思ったが楔剣には刃が無く不満をサヴァイヴにぶつけた。その抗議にサヴァイヴが絶対に傷つかない硬さの剣なのだと諭した記憶がある。
流石に絶対に傷つかない、なんてのは大袈裟だと思っていたが……。


「まさか、な」


今一度、通路置換(リバーグラウン)を使えばイグニットたちの前に出るだろう。
それは恐い。イグニットとまた戦うなんて考えるだけで息が乱れて脚がガクガク震えだしそうだ。何よりこの身は魔寄いの森の探索と戦闘でズタボロで疲労困憊だ。万全には程遠い。
それでも楔剣の可能性を信じて今一度戦いに赴き楔剣の性能を試してみても良いはずだ。

レイヴ本人の意思はイグニットと初めて戦った時と変わらない。
ここで逆しまのビルと魔寄いの森を行き来して逃げる事は出来るだろうがそれでは明日から絶対貫通(ハルバード)に怯える日々が始まるだろう。そんなのは真っ平ゴメンだ。今この身体がズタボロだとしてもここでイグニットとはケリを付ける。
これまではナナキを救う事が優先だった戦いだったが目的は達成された。ここからはレイヴだけの戦いだ。ならばもう迷いはいらない。背負うものはない。守るは明日の安泰、一方的でも付けられた因縁はここで片付ける。覚悟は決まった。レイヴの目には既に恐れなどない。


「こりゃ今日中にナナキの所には行けそうもねえな」


レイヴは苦笑いを零し、通路置換(リバーグラウン)を詠唱した。
視界が真っ白な廊下から青々とした森の中へ変わる。
周囲の木の陰などにイグニットの舎弟がちらほらと見られる。
イグニット本人は木の上からレイヴを見下していた。


「さっきまで散々逃げ回った割に堂々としてやがるな。必勝法でも見つけたか?」


「まあな。自分からこっちが勝ったら伝々言っといて逃げ回って悪かったな、ダチの命が掛かってたもんだからよ。けどもう大丈夫、改めて泣いても笑ってもこの戦いで因縁は綺麗さっぱり終わらせようぜ」


レイヴは力強くイグニット一人に宣戦布告した。イグニットの舎弟など全く眼中に無い。イグニットと戦っている最中に乱入するとは考えにくいからだ。不用意に動けば絶対貫通(ハルバード)の巻き添えを喰らう。仲間の数を生かせない点はイグニットのクオリアの弱点と呼べるだろう。それ抜きにしても連中が乱入しない確信があった。


「自分勝手な野郎だな。たが良いぜ、ここはイグニット勢力を統べる長としてお前の顔を立ててやる。どの道どんな必勝法だろうがテメエはオレの絶対貫通(ハルバード)でぶち抜かれるオチなのは目に見えているんだからな。おいお前ら!コイツはオレが始末する!手を出すな!!」


イグニットは自らの舎弟に呼び掛けた。
ファースタで最強の一角と数えられるクオリアを有するのがイグニットだ。それがクオリアもろくに使えない雑魚一匹に舎弟総出で殴りかかるなどイグニットのプライドが許さない。そんな事態になった時点でイグニットの中では敗北したも同然だ。
舎弟の前で己の力を示し信用を作り維持する。頂点に立つ者として重要な事なのだ。


「レイヴよ、今のオレの号令でこの戦いは俺達二人の熱い決戦だとか思ってんだろうがそいつはとんだ思い上がりってヤツだぜ。
オレにとっては家に潜り込んだネズミを駆除して死体をゴミの日に捨てるのとなんら変わらねえ。それくらいは一人でやる。オマエはその程度のちっぽけな存在なんだよ」


「なら俺にとっては下克上って事になるな」


レイヴは不敵に笑い、楔剣を改めて抜く。ふらりとズタボロの身体が揺れるが堪えた。気合い入れろよレイヴ、お前はここを切り抜け明日を生きるんだ。ナナキやメントと笑い合いそして開拓者になるんだろう。
自分に喝を入れ、力強く足に力を込めた。


「窮鼠猫を噛むってか?精々噛み付いてみろよ欠陥生物よォ!!」


イグニットは木の上からその手に望力を練り、絶対貫通(ハルバード)を放った。
この一撃が戦いの合図となった。

レイヴがこれを避け、駆ける。
木の上から白い線が矢継ぎ早に降り注ぐがレイヴは悠々と避ける。

今までの飛び道具使いと立ち回りは同じだ。
イグニットのクオリアは一見すると手から伸びる矛だが恐らく振り回す事は出来ない。
それが出来るのなら初戦の時点でとっくにレイヴは下半身とお別れしていただろう。
だから避ける程度なら今日だけで何度も飛び道具使いに襲われた今のレイヴには朝飯前だ。
ナナキの意識加速(エゴアクセラーション)の経験やメントの通路置換(リバーグラウン)などの補助の甲斐あっての慣れだ。
彼らの助けあってレイヴは今も大地に足を踏み締められている。
それでもイグニットの覇者としての威圧感と余裕は揺らがない。


(レイヴめ、ちょっと前に戦った時より随分と動きのキレが増してやがるな。死線を潜った方が成長は早いって事かよ。しかしどうする?テメエの攻撃はこの木を登ってこねえとオレには届かないぜ。こっちまで登ってくるテメエはさぞ良い的になってくれるんだろうな!)


望力量も充分。イグニットはただ木の上からシューティングゲームをする気分でレイヴを狙うだけでいい。

木の麓でレイヴが緊張した面持ちで立ち止まる。そこに白線が飛び込んできた。心臓が強く脈を打ち始めた。ドッ、ドッ、と警告音みたいにレイヴにその場から逃げるよう急き立てる。しかしレイヴは避ける素振りすら見せない。代わりに楔剣を振りかざして、白線を殴った。


「……は?」


イグニットの舎弟たちが皆ありえない物を見て驚愕に目を見開いている。
イグニットに至っては理解が追いついていない。
楔剣は、レイヴは健在だ。絶対貫通(ハルバード)と拮抗している。


「ぐぬぬぬぬ……!!」


レイヴがこめかみに青筋を立てて必死に楔剣を支えている。
なんという重さ。全てを貫く白線は密度が恐ろしく濃い。ちょっとでも気を抜いたら楔剣は弾かれて身体を持っていかれそうだ。


「うおおああああ!!」


レイヴが更に根を入れて全体重を楔剣に込めた。
せめぎ合う白線と楔剣の境目から黒い稲妻のようなものが飛ぶ。辺り一帯にバリバリと空間が悲鳴を上げるような音が鳴り響いた。


「うりゃあぁ!!」


レイヴが楔剣を振り抜いた。
白線が、全てを貫くが故に決して曲がるはずのない絶対貫通(ハルバード)がぐにゃりと歪み、イグニットの足場の木の枝をへし折った。


「な、なにぃッ!!?」


今度はイグニットが落ちる番だった。
まともな受身も取れず身体を地面に打ち付けた。


「がはっ!!」


そこに追い打ちを掛けるようにレイヴが横たわるイグニットの身体を蹴りあげ楔剣のスイングをかました。
ようやく、レイヴはイグニットに攻撃を打ち込む事が出来た。
それはあまりにもあっさりしていて、今までの戦いで近付くことすらままならなかった事が嘘のようだった。

地面に転がったイグニットが身を起こし、戸惑いの表情でレイヴに口を開いた。


「何をした、オレの絶対貫通(ハルバード)を弾くなんてありえねえんだ!!ましてやテメエみたいなクオリアすらも使えない雑魚が……!!はっ、その右手の得物か!!」


「そうだ。コイツは楔剣。刃が無い堅いだけの棒さ。ブラックホールに落としても傷一つ付かない程度にな」


「なんだそりゃ……」


「いわゆる絶対に傷つかない棒ってやつ。絶対に貫くアンタのクオリアと絶対に傷つかない俺の剣、この矛盾対決は楔剣の勝ちだったって訳だな」


レイヴは大きなアドバンテージを得た。絶対貫通(ハルバード)の強さは前提としてあらゆる物を貫く絶対性にあった。
しかしその絶対性はレイヴの振るってきた例外(楔剣)には通用しない。直撃すればタダでは済まない恐ろしさは変わりないがそれも防ぐことが出来るのならうんとマシになる。
暗闇に光が差し込むようだった。


「アンタと同じ土俵に上がる事が出来た。決着付けようぜイグニット。泣いても笑ってもこれで最後だ」


「同じ土俵?違うな。テメエでクオリアを使えない事を忘れちまったのか?クオリアの有無はクソデケえアドバンテージだって分かってんのか?」


「それならここで補う」


レイヴは自分自身の身体を指さした。
クオリアが使えないから己の肉体を鍛え抜き、クオリア使いとも渡り合えるようになった。何度も喧嘩をふっかけられ積み重ねた経験、そして最大の盾である楔剣。ファースタでも五本の指に入る実力者へと挑戦資格は充分にある。
スキンヘッドの男は自分が見ている物が現実なのか疑った。
昨日、自分を殴り飛ばした男が、無敵であるはずの兄貴分と戦っている。
あの忌々しいクオリアも使えない男が、自分を殴った棒で兄貴分の無敵のクオリアを弾き飛ばしている。

自分は悪夢を見ているのだろうか。
あの黄色い男はクオリアを持たない訳ではない、兄貴分のクオリアに触れても平気なのがヤツのクオリア。
そんな限定的なクオリアだったからクオリアが使えないとあの男は周囲に思われていた。そうとしか思えなかった。

スキンヘッドの男を含む舎弟たちにとって兄貴分のイグニットは最強のヒーローだ。
どんな困難も兄貴分のクオリアに掛かればあっという間に貫いて道を開いてくれる。
このファースタにおいてイグニットは誰よりも強い。遠くない未来、ファースタの住む者が誰もがそれを認める日が来ると信じて疑わなかった。

なのに。
兄貴分の無敵のクオリアが通用しない相手が居た。
あの黄色い男はここに居る全員で掛かれば倒す程度、訳はないだろう。けれどそんな事は誰一人として出来なかった。
兄貴分は手を出すな、と言った。ならばそれに従わねばならない。

兄貴分は一度は折られた絶対性を取り戻そうとしている。そうする事で自分たちに安心を取り戻そうとしている。この人について行けば絶対に大丈夫だ、と言う確かな信頼を。そこに自分達が割って入る事は兄貴分の面子を潰す事を意味していた。

戦いの行方を固唾を飲んで見守るスキンヘッドの男の元にフラフラと歩いて近付く男の姿があった。


「お、お前!コモノじゃねえか!どうした、ズタボロじゃねえか!」


「へへ、レイヴと戦って負けちまった」


「やけに軽いな」


コモノはまあなと言い、イグニットの戦いに目をやった。そこにはイグニットのクオリアを弾きながら猛進するレイヴが居た。


「レイヴのヤツどうなってんだ!?なんでイグニットさんのクオリアを弾いているんだ!?」


「そうなんだよ、あの野郎色々とおかしいぜ」


「いくらイグニットさんでも流石にマズいんじゃあねえのか……?あの人の最大の強みが封じられちまってんだぜ」


コモノの同胞たちは狼狽えていた。
彼らにとって最大の支えが折られるかもしれない。そんな不安が彼らを包んでいた。


「いいやイグニットさんは負けねえよ。絶対貫通(ハルバード)で貫けないくらいであの人が負けるわけねえ!そうだろ、どんな困難もあの人はクオリア以外でもぶち抜いて来た!今回だって同じに決まってる!」


コモノの言葉はイグニットが負けるかもという予感を否定したいがためではない。
心からの言葉だ。コモノにはイグニットが勝つ確信があった。一度実際にレイヴと戦った為にコモノには分かるのだ。
しかし何か、コモノの心の奥に突っかかる物があった。



レイヴは戦いの中で敵の能力を把握してきた。
イグニットのクオリア、絶対貫通(ハルバード)を一度に出せる数は二発。一度放たれればその軌道を変えることは出来ない。
当たれば恐ろしいが避ける分には問題はなかった。
よってここから生まれる余裕は大胆な行動を可能とする。

白線の弾幕の中でレイヴは後ろに跳び上がり、高いところから木の幹を蹴ってイグニットに向かっていった。


「バカが、空中じゃただの的だぜ」


イグニットがすかさず白線を放つ。
レイヴは楔剣の柄と刀身の端を持ち、白線の上に乗った。
器用にバランスを保ちながらスキーのようにイグニット目掛けて滑り落ちていく。

ぎょっとしたイグニットはすかさず空いた片手からもう一発のクオリアを放った。

それをレイヴはギリギリまで引き付けてから避けて地面に降り立った。白線が左脚を掠めたが気にしなかった。勢いはそのままに胴ががら空きになったイグニットの懐に入る
ばちばちばち!
レイヴの目は見開いていた。それどころか瞳孔すら開いているように見えた。
イグニットに全力のフルスイングをかます。
ナナキと共に戦った際に決められなかった全霊の一撃だ。

イグニットは半ば反射的に身を後方へ逸らした。

楔剣の刀身がイグニットの髪を撫でる。
レイヴは惜しい!という顔をした。それはそれとして体勢を後ろに逸らしたイグニットにストレートの蹴りを浴びせた。イグニットが声を漏らしながら地面を転がる。レイヴは楔剣を両手で掲げて飛び上がり、全体重を乗せて容赦なく倒れ込んだイグニットに楔剣を突き立てた。ズン、と重い音と苦悶の声がした。
レイヴの攻撃は強烈な物だった

鍛錬で元より人並み以上の身体能力を得ていたレイヴだったが、今のレイヴの強さは今までとは異なっていた。
今まではナナキの命を背負い守る戦いだったがその目的は達成された。今のレイヴはイグニットとの戦いを楽しんでいた。何の気兼ねもなく戦いに没頭していた。そこから生じる並々ならぬ集中力で実力の差を埋めていた。

バサバサと鳥が飛び上がった。
ハラハラと木の葉が空を下りた。
ゴクリとイグニットの舎弟が息を呑んだ。

レイヴは呼吸を荒らげながらも一時たりともイグニットから目を離さなかった。イグニットの意識がまだ残っているのか否か、判断が着かなかった。

レイヴの不意を突く形でイグニットの手が開かれた。
白線がレイヴを目指す。
だがレイヴの姿が消え、白線は木の枝をへし折るだけに終わった。
イグニットの目が見開かれる。四つん這いのイグニットの側にレイヴの影が現れ、イグニットの横っ腹を蹴りつけた。イグニットは空き缶のように空中を10m跳び、その先の木に叩きつけられた。


「あぐぐ……」


イグニットは腹の鈍い痛みに悶える中で、レイヴに違和感を感じていた。レイヴは動きに迷いが無さすぎる。
ゆっくりとイグニットは立ち上がった。そしてレイヴに問いを投げた。


「テメエはなんでそんなに迷いが無いんだ……!?頭沸いてんのか!?」


「アンタとの戦いを楽しんでるだけだ」


「うっかり死んだとしてもか?」


「その時はそれまでの人間だったってだけさ」


それが世界の法則であるように黄色い少年は言った。
コイツ異常だ。自分の死を全く恐れちゃいない。生物として欠陥と自分で言ったが想像以上だ。死ぬ事を恐れないなど生物として破綻している。
あの男はイカれてやがる。

ふとイグニットは背中に何かが当たったと思ったら肌が焼け付くような痛みを覚えた。
背中には自分が叩きつけられた木があった。

無意識に一歩、二歩とレイヴからじわじわ距離を取った為だった。
それは恐れだ。自らがレイヴより劣っていると認めた証左だ。

ショックだった。
舎弟たちの前でなんたるザマ。オマエはオマエの舎弟を自らの強さで以てまとめあげる男だろう。その強さをここで、いくらイカれていると言ってもクオリアを使えない馬の骨に折られてどうする。

こちらのクオリアが通用しない?それがどうした。オマエはこの場で最強でなくてはならない。でなければ舎弟たちに示しが付かない。
証明しろ、己の強さを。ここにいる全てに知らしめろ。


「情けねえ、情けねえなオイ……!!」


指を揃えた右手を左の手の平に当てた。
そして一言。


無還手刀(カータナ・イルフバート)……!」


白線が左の手の平を貫いた。
イグニットが苦痛の声を漏らす。


「な、何を!?」


レイヴが驚きと困惑に包まれる。それはイグニットの舎弟も同じだった。


「コイツはテメエをクオリアも使えない欠陥生物と侮り、勝手にビビった自分への戒めだ。
認めてやる、テメエはこと白兵戦においてこのオレが戦ってきた中でも五本の指に入る強さだ。たがそんなもんでこのオレの強さを砕く事は出来ねえ。ソイツをここで証明してやる」



右手から伸びる白線は短かった。ナイフほどの長さしかない。だが白線の伸びるイグニットの二の腕は力こぶを作りプルプルと震えていた。


「テメエの射程距離(リーチ)で戦ってやるよ。その上でテメエを貫く。それがこのオレの強さを知らしめる方法だ」


「サービス良いな。それで負けても後悔するなよ」


「お互いにな」


楔剣と無還手刀がぶつかり擦れ合う。
黒い稲妻が飛び散る。バリバリと音を立てるソレは空間のヒビだ。絶対に貫く絶対貫通()と絶対に傷つかない楔剣()の板挟みになる事で空間に亀裂が走り即座に元に戻る。その際に生じるのが黒い稲妻と紙を裂くような爆音だ。


(重……っ!)


レイヴの楔剣が弾かれた。無抵抗になったレイヴの胸に無還手刀が迫る。
レイヴは身を翻して躱し、ついでに回転の勢いを利用してイグニットを蹴り飛ばす。
イグニットは地面を踏みしめ、衝撃を殺すと同時に距離を縮め、白線のナイフを振り下ろす。

レイヴは真っ向から受ければまた弾かれると判断した。
イグニットの右手の肘を自分の拳で叩き、楔剣の長さを活かして薙ぎ払う。イグニットはこれを跳んで避けた。

見た目通りに考えれば楔剣の方が重く、無還手刀が弾かれるが実際には逆だ。挙句、刃先が小さいので楔剣より無還手刀の方が小回りが利く。
レイヴの独壇場であったはずの距離はイグニットのステージとなった。

イグニットが掲げた白線の右手を振り下ろす。レイヴが楔剣で受け止める。
レイヴの足が地面にめり込む。衝撃で周囲の地面が巻き上がる。


「おオォッ!!」


イグニットが更に力を込める。圧を受けレイヴが20m吹っ飛んだ。今度はレイヴが木に叩きつけられる番だった。
叩きつけられた木は音を立てて倒れ始める。
ばりばりばり!
へし折られた木はあろう事か距離を飛び越えイグニット目掛けて倒れていく。

レイヴがぶん投げたのだ。
自らを押し潰さんと迫る木をイグニットは白い手刀で煙を払うように両断した。

二つに分かれる木の陰からレイヴが現れた。
投げた木は陽動だ。
振り払ったばかりで隙の出来たイグニットを殴る算段だ。

実際に丸腰になったイグニットに楔剣が迫る。
それを、ありえざる白線のナイフが弾いた。


「……っ!?」


イグニットが自ら貫いた筈の左手から右手と同じ白線が伸びていた。


「両刀……!?」


左手から滴る血も気にせずイグニットはレイヴの懐に入り込み、レイヴを真っ二つにせんと振り払った。
レイヴは楔剣を盾にして受け止めるが、不意の一撃ではその程度が精一杯で体勢を大きく崩された。
生まれた隙は致命的だった。

二対の無還手刀が襲いかかる。


「リ、通路置換(リバーグラウン)……!」


レイヴの詠唱の方が一瞬早かった。
無還手刀(カータナ・イルフバート)は空を切るに終わった。

イグニットは舌打ちし、周囲を警戒する。また背後に現れたならヤツの楔剣に殴られるより早く無還手刀(カータナ・イルフバート)で貫いてやる腹積もりだ。


「ズルいぜあの野郎。なんだって絶対貫通(ハルバード)で傷つかないようなブツの癖にあんな軽々と振るえるんだ。こちとらもう手がガタガタだってのに」


無還手刀(カータナ・イルフバート)と言う技は負担が大きい。絶対貫通(ハルバード)は全てを問答無用で貫く。だがその分、白線の密度が大きいため、伸びた白線は重すぎてまず動かせない。そんな白線を限りなく短くする事でなんとか白線を出したままでも動かせるようにした技だ。
それでも非常に重く、それを振り回すとなると腕への負担は計り知れない。






逆しまのビルへ瞬間移動したレイヴがホッと息をつく。
何度負けようとも生きてさえいれば勝てる。そんな考えからなる一時逃走だった。


「な、なんとか間に合ったか、今度こそ貫かれ―――」


レイヴは言い終わらなかった。
ドロリとしたナニかが腹から込み上げてきて、レイヴの言葉塗りつぶした。
次に口全体に鉄の味が広がる。ドロリとした物は口から溢れ逆しまのビル通路を赤く汚した。
レイヴは無機質な廊下で蹲っていた。
腹が熱い。思わず両手で抑えると腹を抑えると手が真っ赤になった。


無還手刀(カータナ・イルフバート)に貫かれる直前だったのだろうか。腹が抉られていた。
確かに詠唱は間に合った筈なのに。


「くっ、そうか……!例の体質か……!」


レイヴはあらゆる望力を半減してしまう体質を持っている。その体質の為に転送が遅れてしまい、絶対貫通が直撃したのだ。この体質のおかげで身体は辛うじて貫かれずに済んだ。受け身な性質を持つが故に不便だが度々役に立つ。もっともこの体質が無ければ腹を抉られることも無かったのだが。

レイヴは廊下の壁に一旦もたれた。ここで寝ていればさかしまのビルの職員が自分を見つけて治療してくれるだろう。
だがイグニットに決闘を申し込んだ以上は逃げる訳にはいかない。毎日あの白線に怯えるのは嫌だし決闘を放り投げて逃げるなんてイグニットを裏切るような事は出来ない。ここで逃げてちゃ開拓者なんて一生なれやしない。

痛みはあるが意識はハッキリしているし出血は多いが身体を動かす血はほとんど使われなかった望力で代替しているため支障はない。
望力を満足に振るえない体質がここではプラスに働いてくれている。

廊下の壁で身体を支えてよろよろと立ち上がる。

次の通路置換がイグニットとの戦いで最後になるだろう。

大丈夫、あの二対の白線の弱点は掴めた。
次の一撃で終わらせる。


―――――――――


「うああああ!!」


逆しまのビルの何処かで、メントの叫びがこだました。メントは毒を帯びた魔寄いの森に生える木の皮を押し付けられていた。


「メントよ、何故お前は仕置きを受けているか分かるか?」


白衣の男、メントの父が怒りと軽蔑を隠さずに問うた。
項垂れた身体を必死に起こし、父の目を見てメントは言う。


「は……はい。無断で、逆さまのビルの望術を、『哀れ逃げ回る無用の末路(ファトル・ロック・コロンザス) 』を使ったからです」


「そうだ。あれは手の込んだ望術で、実に多くの望力と電力など多くのリソースを使う。職員の皆にも迷惑が掛かるのだ。お前が職員なら文字通り首が飛んでいた所だぞ」


メントは自分が理不尽な目に遭っているなんて微塵も思っていなかった。お父さんに教えられた常識を破ったのだから当然だ。


「分かっていて何故使用した?そも、この術式は教えていなかった筈だがね」


「たまたま、職員さんが使う所を見たからです。そして使った理由は、友達を救うためです。」


メントは自信を持って言った。
色々な人に迷惑を掛けて、お父さんの言いつけを破ったから私は悪い子だ。それはいい。
だがメントには分からないことがあった。まだお父さんに教えて貰っていない常識があった。
例えどれほど多くの人に迷惑が掛かる事だったとしても、それが誰かを助ける為だとしたら?それはどうなのだろう。メントは自分が正しいと思っている。誰かを救いたいと言う思いは間違いじゃないと、彼女は考えていた。


「ああそうか。お前はまだ教えていない常識があったな。覚えておきなさい、他人とは利用するもの。特に学生時代の同級生など取るに足らない物だ。命を落とそうとも全く気に病む必要などない。必要なのは利用価値があるかどうかだよ」


父の言葉は冷酷だった。
―――無理もないのかもしれない。
世界は本来なら弱肉強食なんてものが平然とまかり通る程度には残酷なものだ。人は世界の残酷な一面から出来るだけ目を逸らして生きている。父の言葉こそが世の中の本質なのだ。だから、私の思いは間違っているのだろう。


「しばらく苦痛と共に常識をその身に刻み込んでおけ」


毒がメントの身体を侵食する。
その度に神経を無理やり引き剥がされるような苦痛が全身を襲う。


この世界は残酷だ。世の中は良いものだと錯覚し、他者へ無条件に好意や親切を振りまく者は世の中の定めに抗い勝手に自滅する愚か者でしかない。それがお父さんの教えてくれた常識だ。すなわち、それが絶対であり従うべき法だ。
けれど、不条理に抗う姿は地平線を登る朝日よりずっと綺麗だと思う。

例えばレイヴという少年。
昨日まで学校で問題の中心にいつも居る厄介者の一人だと思っていたのに、今日で認識が変わっていた。

あの人は学校で問題を起こしている訳ではなく、起こった問題を止めに行っただけなのだ。やり方が大雑把で不器用で雑だから問題を起こしていると私は勘違いしていたのだ。

友人を救うために奔走するレイヴの姿は、美しいと思った。よく分からない理由で命を狙われて、それを嘆くことなく理不尽に向き合う姿は夜空の星雲より輝いていた。

彼はペルテモントの実を手に入れただろうか。ナナキは救えたのだろうか。無事に魔寄いの森を抜け出せただろうか。

私もあんな風に利害なんか気にせず動きたい。でも私にはもう何も出来ない。

確実に彼の命が危ういのなら私は迷わずここら抜け出し、レイヴを助けに行くだろう。
けれど彼が助かる余地は十分にある。
私自身、レイヴはとっくに脱出済みなのに魔寄いの森で彼を探している所をイグニットに貫かれる、なんて事も考えられる。

それはいけない。
お父さんに迷惑がかかる。お父さんが一番最初に私へ教えてくれた常識は『決して死ぬな』だった。それが一番多く聞かされた常識だった。

不確定要素の多い状況では私は動けない。
私は綺麗な愚か者にはなれない。



――――――――


最後の通路置換を終え、レイヴは再びイグニットの前に現れた。
飛ぶ前に止血しておいた脇腹の布からは血が滲んでいる。顔色も良くないと思う。
ここに来るまでに多くの血を失った。これでも平気で動けるのはほとんど手付かずの望力が血の代替をしているためだ。それも気休めでしかない。
望力が切れるまでに決着を付ける必要がある。


「今度は随分と時間がかかったな」


イグニットがくるりとこちらに振り返って言う。両手の白線は無くなっていた。


「仕切り直してた。アンタも辛そうだったし、休憩には丁度良かったろ?」


「抜かせ、テメエ相手に辛い事なんざ何にもねえぜ。テメエがぶち抜かれるのが少し伸びただけだ」


「多少は覚悟しなくちゃアンタは……っ……!?」


がくん。
レイヴが膝を付いた。楔剣で身体を支えるのがやっとだ。

俯いた頭は地面へ向いている。
ポタポタと血と汗が混ざって地面に染み込む。息が荒い。
思っていた以上に肉体へガタが来ていたらしい。
アドレナリンのせいだろうか。血の代替はあれど肝心の肉体が限界まで来ている事に気が付かなかった。


「よく見りゃテメエ、脇腹が真っ赤じゃねえか。さっきのオレの攻撃は避けきれてなかったって訳だな。その傷じゃまともに動けねえな。あっけねえ」


イグニットが腰に手をやり、つまらなさそうに言う。
レイヴは草や土を巻き込みながら地面に置いた手を力強く握った。立ち上がろうと腰を浮かす。


「くっ、まだだ……、まだ終わりじゃねえぞ」


「なんだ、まだやる気かよ。そのままくたばるってんならオレがぶち抜いて楽にしてやるってのによ」


「俺にはやり残した事がまだあるからな。ここでくたばったら化けて出てきちまうかも」


「なんだやり残した事って。今ここでくたばる方がよっぽど利口だってのにソイツを覆してでもやる事ってなんだ」


「開拓だ。知らない世界『星』で知らない現象を見て、知らない生き物に触れて、知らない誰かに会う。
ただの一つも俺は何も出来ちゃいねえ。入口にすら立ってねえんだ。死んでも死にきれねえ。
だから俺は死なねえ、お前に何度殺されようとも死なねえぞ」


楔剣を杖にして産まれたてのキリンのようにフラフラと立ち上がろうとする。
ばちばちばちばち!
途中でバランスを崩しそうになったので気合いの雄叫びをあげてレイヴは立ち上がった。
楔剣を構えてイグニットを見据えた。

いや、本当にレイヴが見据えていたのはイグニットではなく自分自身だった。レイヴが叩き伏せようとしているのは己自身の殻。次なる一歩を阻む壁を、レイヴは相手取っていた。


「テメエが殺しても死なねえってんなら、死ぬまで殺してやる。それが舎弟を統べる者としての責務だ。テメエはオレたちの誇りのために死ななくちゃならねえんだよ」


イグニットは|無還手刀≪カータナ≫の名を呟くと、両手から白線が伸びる。同時にがくん、と両手が地面を向いた。
イグニットが腰を落として走り出す。|無還手刀≪カータナ≫が地面を抉る。

レイヴとの距離を詰め大ぶりで無還手刀(カータナ・イルフバート)を突き出した。
レイヴは楔剣で無還手刀(カータナ・イルフバート)を受け流した。
まともに打ち合えば無還手刀(カータナ)の重さに打ち負ける。ならば受け流せばいい。
だがレイヴの見つけた無還手刀(カータナ・イルフバート)の攻略はこんな初歩的な事ではなかった。

レイヴは楔剣の間合いの中で無還手刀の二振りをひたすらかわした。避けきれない攻撃は楔剣で受け流した。


「さっきから避けてばかりじゃあねえか!!テメエ、やる気あんのか!?いつになったらぶち抜かれてくれるんだ!?」


「お前の実力次第だ」


レイヴは不敵な笑みと共に言った。それは強がりだ。今にもぶっ倒れそうなのを無茶しての言葉だ。
さあ乗ってこい。そろそろマジに気絶しそうなんだ。乗ってこないと困る。


「くたばり損ないが思い上がってんじゃ、ねえぞ!!」


イグニットが右手で横一文字に振り払う。これを期待していたレイヴは大きく身体を逸らして避ける。
ばちち。
地面に引き寄せられていく身体を両手を柱にしてバネのように足をがら空きになったイグニットの腹に突き出した。
イグニットが地面を抉り、後方に押し出される。
レイヴが距離を詰める。


「くそっ」


イグニットが手刀を振り上げようとするのを見て、レイヴがしめた、と懐に入り込む。
イグニットが手刀を振り上げるのは遅かった。プルプルと震え、上手く持ち上がらないようだった。
そしてレイヴは左の拳をイグニットの腹に捩じ込んだ。
イグニットは腹の鈍い痛みに動きが止まった。
追い打ちをかけるようにイグニットの胴体へ楔剣のスイングを叩き込む。
イグニットが木に叩きつけられる。

イグニットは無還手刀(カータナ・イルフバート)により自分の方が優勢と判断した。更に手負いを負ったレイヴはもはや死に損ないでしかない。レイヴはそこに勝機を見出した。
敵を侮る事で油断が生じる。そこを付けばあっさりと敵のフィジカルもメンタルも崩れ、反撃する余地が出来る。

レイヴが見つけた勝機はそれだけではない。
無還手刀(カータナ・イルフバート)は極めて重い、ナイフ程の長さでやっと振るう事が出来る程の重さだ。
そんなものを長時間振るっていては腕への負担も半端ではないだろう。
それはイグニットが今までの戦いの中で使おうとしなかった事や、レイヴがさかしまのビルに飛んだ僅かな間に奇襲の危険もあるにも関わらず無還手刀(カータナ・イルフバート)をわざわざ解除した事からはっきりしていた。


「うおおおおお!!」


レイヴはバウンドしたイグニットを何度も木に叩きつけた。
攻撃する度に傷口が炎に包まれたような感覚を訴える。これ以上は身体が壊れるから止めろと、命令じみた指示が全身を走る。
そんな指令(目の前の誘惑)は無視した。今ここで全霊の攻撃を叩き込み、イグニットを倒して、さかしまのビルに倒れ込むのが一番賢いのだ。せっかくマウントを取ったのにぶっ倒れてはただのバカでしかない。

ミシミシ、と音がした。
次には木が折れた。

サンドバックから解放されたイグニットは一旦レイヴから距離を置いた。
流石に今の攻撃は堪えたようで腹を抑えている。それでも未だにレイヴより余力はあるようだった。イグニットは自分の顔面を殴った。


「オレの馬鹿野郎、コイツには油断はしねえと言っといてまた甘く見やがって、大バカ野郎だオレは」


イグニットが再度、無還手刀(カータナ・イルフバート)を発動する。
彼は次の攻撃で終わりにする気でいる。彼には絶対に油断しないという確かな意識があった。
レイヴも楔剣を構えた。次で終わりにしたいのはレイヴも同じ気持ちだった。


二人が、走る。イグニットが無還手刀(カータナ・イルフバート)の右手を突き出した。レイヴが楔剣を振り下ろした。
この戦いはリーチが長い方が勝利する。
ナイフ程度の長さの無還手刀(カータナ・イルフバート)と一般的な剣の長さの楔剣。
どちらが勝利するかは明白だった。


血が飛び散った。
広がる血溜まりに沈むのはレイヴの方だった。

イグニットは突き出した右手の無還手刀(カータナ・イルフバート)をただの絶対貫通(ハルバード)に戻したのだ。
楔剣の射程に入ったが堪えた。楔剣が振り下ろされたがまだ堪えた。楔剣が髪に触れた。このタイミングで無還手刀(カータナ・イルフバート)絶対貫通(ハルバード)に戻した。

こうして本来の長さへ戻った絶対貫通はレイヴの胸を貫いた。


「最後に勝つのはこのオレだ」


イグニットが血溜まりのレイヴに宣言する。

レイヴはナナキの支援を受けた事を糧にして飛び道具に対応できる様になった。メントに通路置換(リバーグラウン)を教えてもらい、魔寄いの森限定の緊急回避をこなせるようになった。
楔剣で絶対貫通(ハルバード)の絶対性を封じた。
無還手刀(カータナ・イルフバート)の弱点を見抜いた。

実に多くの手を尽くしてきた。
しかし
ここまでやってなお、届かない。
これがファースタ三大勢力の一角、その頂点に座する者の実力。所詮クオリアの一つも使えないレイヴに敵う筈もなかった。

レイヴはただ死にゆくだけだった。
「は、ははは!!正直言ってヒヤッとしたぜ。ここまで追い詰められたのは久しぶりだった。まさか、クオリアも使えないような自分ってもんがないヤロウがここまで強いなんて思わなかったもんでな。
だが所詮はネズミ以下の欠陥生物、ファースタ最強の一角を統べるこのイグニットには通用しねえ!!ははははははは!!!」


イグニットは動かなくなったレイヴから染み出す血液を一頻り眺めると、満足したのか舎弟達の方へ向き直った。


「悪かったなお前たち。うっかり負けちまうんじゃないかと不安にさせちまったかもしれねえ。けどもう大丈夫!レイヴは死んだ!これでヤツに殴られたヤツらの気が晴れたろ!つうわけで帰るぜお前ら!どっか貸し切ってパーティにしようや!」


歓声が上がる。イグニット勢力に仇なす敵は消えた。イグニットの強さは揺るぎないものだと改めて証明された。
やはり、何者も自分たちを脅かすものはいない。
その中で、コモノは一人、何故か釈然としない気分だった。イグニットの背後の少年が気になって仕方がなかった。視線が磁石のように吸い寄せられた。そこである事に気が付く。


「イ、イグニットさん、後ろ、後ろ見てください……」


「後ろ?そんなんただ血が無くなったカラッカラの死体があるだけ……な、は……?」


イグニットたちはありえないものを見た。
彼らにとって、イグニットにとって、ありえてはならないものがあった。


―――――――――――――――――――


息をするだけで、胴体にヒビが入るような痛みが走る。
手足に力を入れるだけで酷く疼く。
全身が熱い。もはやどこに穴が空いているのかすら分からない。
視界が白い。もはやその眼は何も写していない。
全身を毒に冒され、穴だらけにされ、限界を越えて行使し続けた成れの果てがこれだ。


もはやレイヴの肉体は生物としての機能を果たしていなかった。


ここが絶望の淵。





そんな時でも。


レイヴの頭脳は肉体の活動を繋ぐアイデアを懸命に検索していた。
様々な固有名詞や映像が目にも止まらぬ早送りでランダム再生されていく。
レイヴの魂は肉体から離れようとしない。ここに来てほとんど手付かずだった望力が万全の状態で活性化する。
希望は、まだある。



レイヴ
17歳
ファースタ高校在学
ファースタ街で開拓者の夫婦の家庭で産まれた。彼は両親に愛されていたが、あらゆる望力を半減する体質を持っていた。

周りがクオリアを発現させる中、一人だけクオリアを使えないためにいじめられることも少なくなかった。だがレイヴは持ち前のガッツとポジティブでいじめっ子に屈服せず、逞しく生きてきた。

両親は開拓者として活躍していた。レイヴはそんな両親を誇りに思っていた。そんな両親への思いとは別に開拓者になりたいと望んだ。何かの憧れとか影響などではなく、彼自身の心から湧いて出た欲求だ。しかし両親は望力をまともに使えないレイヴが開拓者になる事は心配だった。

レイヴが10歳の頃、好奇心から両親の開拓先にこっそりと着いて行ってしまう。そこでレイヴは崖から落ちるが間一髪の所で母親がレイヴを救う。しかしレイヴを庇った際に負った傷で母親は死去。この事故をきっかけに父は開拓者を辞め、否定審判として世の中の平和と治安を守る仕事に就く。

レイヴもまた自分を責め、開拓者など志すべきではなかったと塞ぎ込むようになり、また周囲からいじめられるようになった。しかしレイヴは親を殺した自分にはこれで良いのだと考えていた。親殺しが夢など見るべきではないと。

父親は妻を失った悲しみから目をそらすように仕事に打ち込み、家に帰る事はほとんど無くなっていた。
抜け殻のように日々を消費するレイヴは社会の底辺で腐りゆくだけだった。そんな彼の前にサヴァイヴやフィレアをはじめとする開拓の一団、『ロスト・ファウンド』が現れた。
彼らは両親の開拓者時代から繋がりがあった開拓の一団で、度々家に来てはレイヴの世話をした。

サヴァイヴたちは面白おかしく開拓の思い出を語った。父や母の事もたくさん教えてくれた。
しかしレイヴにはそれが鬱陶しくてかなわなかった。
自分には決して経験することの出来ない事を聞いたところで虚しいだけだ。レイヴの目には彼らは貧民に嫌味ったらしい自慢話をする貴族に写った。

ある日、レイヴはいつも通り開拓話をしてくるサヴァイヴに、もう開拓の話は止めろと言った。
自分が母親を殺した事。そんな自分に夢を見る権利など無い事。いっその事、自分の世話なんかしなくていいという事。

サヴァイヴはこう言った。


「それって、楽しいか?」


「自分のやりたい事もせずに自分を責めるだけ。そんな生き方でいいのか?」


構わない。母さんを殺したのは俺だ。親殺しには丁度良い罰だ。
レイヴは吐き捨てるように言った。


「善も悪もない。人生ってのは楽しく、悔いも受け入れていくものだと俺は思っている。まあ、(寿命)記憶(来歴)もないままに生き続ける俺が言っても説得力ないかもだがね。
だが、一つ確かな事がある。君の母さんは君にそんな生き方をしてもらいたくて命を張った訳じゃない。君が思いのままの人生を送ってほしかったのさ」


サヴァイヴはレイヴの胸に指を置き、言った。


「レイヴ、君は自分の思いのままに生きているか?」


レイヴは何度も首を振った。
違う、違う!俺は開拓者になりたい!
ずっと、ずっとそう思ってきた!


「なって、いいのか?俺も開拓者に」


「勿論だ。お前がなりたいと思うのなら。」


母さんが俺に思うがままに生きろと言うのなら、俺はそうする。


「俺は、開拓者として、星を見て回る!!」



――――――――――――――――――



ばち。
レイヴの手が地面を握る。
かつての誓いが死体になった筈のレイヴを突き動かす。


己に問ただせ。お前は何を成す。
イグニットを倒す事じゃない、開拓者になる。
その為にまずはあの男を超えていく……!!


ばちばちばち!!


「あ、ああ……ッ!!」


殻を破れ。誰かのためじゃない自分自身の為に。
ありとあらゆる手段を使った?まだだ。まだ使っていないものがあるだろう。


「あ、ぐっ!!」


ゆらり、とレイヴが立ち上がる。杖にしていた楔剣を両手で持ち、低く落とした腰の位置で構える。
視界はもはや機能していなかったがイグニットや舎弟、それに周囲の木の位置まで判別できた。
イグニットたちが驚愕している事すらも分かった。


「なんで立ってんだ、もう死に体のクセしてなんで立ちはだかれるんだよ!?
どれくらい死んだら気が済むんだ!?何回殺せばくたばるんだ!?テメエはゾンビかなにかかよ!?もううんざりだ!」


「星ってのはとんでもなく広い癖にたくさん空に浮いてる。砂漠の砂粒の数よりずっとずっと気が遠くなるくらいいっぱいだ。
俺が見てえのは全部の星だ。だから俺は、全部見て回るまでは諦めねえ、どうやっても死ぬって分かってたとしても俺は立ち上がる」



ばちばちばち!!


無理も無駄も聞く耳は持たない。レイヴはソレを使えないと思い込んでいるだけだった。
ソレはレイヴにも使える筈なのだ。
レイヴが自意識を持っている事その物がソレを使える証明なのだ。
望力とは意思の力であり、ソレは意識そのもの。はっきりと自らの意識を自覚した時に最も力を発揮する。
それは、つまり。


ばちばちばちばちばりばりばりばり!!!


光が爆ぜた。
星のように蒼く力強い明かりが木、岩、ビルを撫でていく。

光源はレイヴの持つ楔剣からだった。
半透明の蒼白い雷光が楔剣を包み込むように刃の形を作っている。
楔剣の殺風景なデザインは鞘に収まっていた姿で、これこそが本来の刀身だと言うように。
今こそ、楔剣は鞘《殻》から抜刀された。

イグニットも彼の舎弟も目を剥いて穏やかに湛える光を見ていた。
レイヴ自身、驚いていた。
ここに来てクオリアが発現すると思わなかった。ただ、負ける気はしなかった。
ここにクオリアを使えない欠陥生物としてのレイヴは死に、一つの生命として新生した。


「くだらねえ、くだらねえ、くだらねえなチクショウ!そんなくだらねえこだわりは捨てて、地べた這いつくばって楽になれ!!」


「俺を楽にしてみろよ。アンタは最強を統べる一人なんだろ?」


取るに足らない挑発だった。
レイヴの言葉は一見すると強がりに見えたかもしれない。なにせ肉体はボロボロ、目の焦点はろくに合っていない。今にも倒れてしまいそうな恰好なのだから。

しかしイグニットは気が付いていた。レイヴが自分の脚で地を踏みしめる様を見ていたから、それが確かな自信から来るものなのだと確信した。だからこそ、頭に血が登った。
そんなイグニットに焦りと動揺が生まれている事を、レイヴの心眼は見逃さなかった。


「行くぜ、イグニット。俺の望み≪クオリア≫の全てを叩き込む」


「新しい玩具ではしゃぐガキみてえに思い上がってんじゃあねえぞ!!」


決着は、近い。






蒼白い光が木を、岩を、人を、獣を、ビルを、魔寄いの森の全てを照らす。



レイヴは斬り付けた際の勢いで草の上を転がった。


もし、最初からレイヴがクオリアを使えたとしても、イグニットは冷静に相応の戦い方を定義し、レイヴは仕留められていただろう。
このタイミングでのクオリアの覚醒はイグニットの動揺を誘い、レイヴを勝利に導いた。今、このタイミングの覚醒だったからこそ、レイヴは勝てたのだ。

そう、レイヴは街三天(アントラグル)の一角を統べる男に勝利した。
望力使いとしての初戦は奇跡の勝利となった。


あとは救援される事を期待して通路置換で逆しまのビルに移動するだけだ。
たった一言唱えて移動するだけの簡単な事。

それなのに。

身体の主の意志に反して力が入らない。
意識は停電したみたいに黒く塗られていく。
森に倒れた敵同士の二人の男。


「イグニットさんが倒されるなんて信じられねえ……」


「レイヴの奴も力尽きたみてえだけど」


「相討ちか」


「そんな奴の事はどうでもいい、早くイグニットさんを連れてここから出るんだよ!この辺りを根城にしているアレが戻ってくる前に!」


片や舎弟たちに囲まれ、片やたった一人。
仲間に囲まれた方は仲間に助けられるだろう。片方は誰にも救われず、一人死にゆくだけだろう。

結局の所、レイヴの覚醒は無意味だった。
死体になった身体を突き動かしていた望力はイグニットへの一撃でおよそ尽きた。
望力は肉の塊でしかないはずの身体を動かす力の事でもあり、それを失う事は死ぬ事だ。
レイヴにも全ての望力が失われる、本当の意味での絶望の時が来ていた。


「待ってくれ!」


イグニットの舎弟の中で一人だけ、異議を唱える者が居た。昨日クラスメイトのレイヴに自信を砕かれて惨めに負け、今日もまた返り討ちにあった男、コモノだった。


「何言ってんだコモノ、イグニットさんやオマエを殴ったアホの事なんてほっとけよ。どの道ソイツは助からねえって」


コモノは少し言い淀んでから、仲間たちを見据えて言った。


「そ、それはそうだがよ、レイヴはその、認めたくねえが……イグニットさんに、勝った。このまま死なせたらコイツの一人勝ちだぜ?それじゃあ悔しくねえか?

イグニットさんは自分が最強でなくてはオレたちが安心しないって思ってる。もちろんオレたちはこの人の強さじゃなくて人柄に惚れて着いてきたからこの人が負けたってくらいでこの人の元から去るなんて事はしねえ。

だがよ、あの人はきっとまたちゃんと戦って勝ちたいって思うんじゃねえか?だったらそれに応えるのがオレたち舎弟の役割だろ?だから、レイヴにはしっかり生きてもらわなくちゃならねえ」


舎弟達が怪訝な顔でコモノを見ている。
哀れみや、コモノを心配するような視線もあった。


「コモノよう、頭でも打ったか?ソイツを助ける義理は無いぜ」


「オマエは自分をぶん殴った野郎を助けるってのかよ」


「イグニットさんはオマエを初めとする三人が殴られたからレイヴをぶっ殺しに来たんだぜ。コイツを助けるのはそれこそイグニットさんの意志に背く事じゃね?」


「……っ」


コモノは俯いた。
なんとなく分かっていた。
嘘で塗り固められた言葉では仲間と言えど彼らには届かないなんて事。
本心を言えば皆呆れてオレを置いて帰っていくかもしれない。勢力内での立場も悪くなるかもしれない。下手すれば居場所すら無くなるかもしれない。
けれど。
言わなくてはならない。この気持ちを皆に伝えなくてはならない。


「正直に言うと、オレはレイヴを死なせたくねえって思ってる。
このレイヴは、狡い事したオレを助けてくれたんだ。時間もねえのにオレの意地に付き合ってくれたんだ。
そんな男を置いて帰るなんて出来ねえ!
オレはコイツを助けてえ!身勝手なのは分かる!みっともねえ事も分かってる!頼む皆、こんなオレを手伝ってくれ!」


コモノはその場で土下座して仲間たちに頼み込んだ。
コモノに言葉をかける者は一人として居なかった。その場にいる誰もが踵を返して魔寄いの森の出口へ向かっていった。
その場に残ったのは地面に這いつくばる絶望直前のレイヴの死体とうずくまるコモノだけだった。

コモノは一つ、イグニット勢力という居場所を失った。そんな事実がコモノの心を締め付ける。
けれど、ショックを受けている場合じゃない。
コモノの居場所はまだある。学校という居場所が。コモノは自分と同じクラスメイトのレイヴに向き直る。


「やってやる、オレ一人でもやってやるぞ!オレだって何か成し得るって、証明してやる!」


手をレイヴの胸に置く。意識を集中させる。
コモノの望力がレイヴに注がれる。

魂が肉体と結びつくだけの望力さえあれば肉体がどんな酷い状態だろうと生きていられる。

だが、コモノがどれだけ望力を注いでもレイヴに満たされる事はなかった。
まるで穴の空いた容器に水を注ぎ込むよう。レイヴの肉体は何度も限界を超えて行使された結果、死体も同然だった。
それに加えてあらゆる望力を半分に減衰する体質。
ただの小市民でしかないコモノ一人では望力の供給は間に合うはずもなかった。


「くそっ、ここまでやったんだ!!死ぬなよレイヴ!!絶望なんかするんじゃねえ!」


胸に置いた手に力が入る。途端にボキ、と嫌な音がした。肋骨の骨が砕けた。


「な……」


限界を超えた肉体は骨すらも脆い。
その事実がコモノを焦らせた。
焦った所でコモノ一人ではどうにもならない。


「くそ、くそくそくそくそ!結局、オレじゃ何も成し得ないのかよ!誰も救えないってのかよ!ふざけるな!ふざけるな!ちくしょう!!」


くらり、とコモノの身体が揺れる。
いきなり叫んだからではない。
コモノの望力も尽き初めていたのだ。



レイヴの胸に、見知らぬ手が四本添えられた。見上げると昨日、一緒に行動を共にしたスキンヘッドの男とモヒカンの男が笑っていた。


「ようコモノ。オマエ一人で帰って来れるか心配だったから戻って来てやったぜ」


「せ、先輩たち……なんで……コイツは先輩を殴った奴なんすよ?」


「コイツの事は気に入らねえが、治さねえとコモノが戻って来れねえんだろう?治したとして、ちゃんとオマエが戻って来れるか心配だったんでな」


「しっかしコイツ、すんごい望力持ってくなあ、まあ皆の分があれば十分足りるだろ」


「皆?」


コモノが遠くを見る。馬面の髭を生やした男、ふっくらした低身長の男。ガタイの良い男。

馴染みある顔が続々とこちらへ向かってきていた。その数およそ千人。


「皆……」


思わず顔が綻んだ。視線が滲み始めた。自分一人の為に皆戻ってきてくれた。コモノは目を擦り、改めてレイヴに望力を注ごうとする。それを、スキンヘッドの男が制し、モヒカンの男が突き飛ばした


「ほれ、おめえは休んでろ」


「望力、沢山使ったんだろ?オレたちに任せろって」


お言葉に甘えて足を投げ出し、レイヴの治療を見守る。
皆が必死で仇だったはずの男に望力を注いでいる。自分が訴えなければとどめすら刺されていてもおかしくない男を、皆が助けている。
思っていたより自分という人間は皆に愛されていて、幸運だったようだ。


「さあて、このまま注いでてもジリ貧でしかねえし、とっとと病院にコイツをぶち込んでやるか。オレが運ぶから皆交代しながらコイツに望力を注いでくれ。」


スキンヘッドの男がレイヴを抱える。抱えられたレイヴに他の舎弟たちが望力を注いでいく。


「さあて、ここから脱出して……」


突然。

轟、と風の津波がイグニット勢力を凪いだ。
煽られて沢山の男達がボーリングのピンみたいにぶっ倒れる。

コモノは見た。
闇夜に紛れてなお、はっきり視認できる夜より深い巨大な影を。
そして聞いた。
地の底から響くような重低音の声を。


「我が縄張りへこうも大量に踏み入るとは……やはり人間、図々しさだけは突き抜けている」


そこに立つのは死の象徴そのもの。
降り立った影に誰もが視線を寄せた。

鈍い紫のシルエットに鮮やかな緑のラインが走っている。ゴツゴツとした大岩のような表皮から蛍光色の棘や角が伸びる。
二足歩行の立ち姿から骨格はペンギンを思わせるがペンギンのような愛らしさは欠けらも無い。むしろドラゴンの圧倒感の方が近い。背中からは蝙蝠のような無骨な二枚の翼が伸びており、ただでさえ巨大な体躯をより大きく見せていた。


魔寄いの森の主はその太腕でレイヴを抱えていたスキンヘッドの男を巨大な腕ではじき飛ばした。
男はペルテモントの樹に強く叩きつけられて呻き声を上げて蹲った。
レイヴも地面に放り出されてしまった。


「なんだコイツは!!」


「コイツは、魔寄いの森の主だ!!」


「くそ、こんな時に!」


「イグニットさんでも喧嘩を売らない化け物だ!まずい、絶対にまずい!」


圧倒的な威圧感を放つ魔寄いの森の主にイグニット勢力の誰もが怯えを見せる。


「まとめて我が住処ペルテモントの樹の肥やしになる他ないな、痴れ者共!」


次に吹き荒れるのは蛍光色の炎だった。
炎に呑まれる者は呆気なく死に絶え、上手く避けた者もタダでは済まない。
だが、本当に恐ろしいのは炎ではなかった。
炎から膨れ上がる紫の煙があった。吸った者は皆膝を着いた。

それは魔寄いの森の樹と同じ毒だった。
地上の生命は未確認の毒の抗体は持ちえない。故に無抵抗の身体を細胞から念入りに破壊する。
血をゼリーように固め、細胞壁を砕き、組織をズタズタにする。対望力である防ぐ事はできるが半端な実力では気休めでしかない。


「うわああああ!!」


コモノは手の中に火球を作り、聳え立つドラゴンにぶつけた。

成長したコモノの火球を受けたにも関わらず、魔寄いの森の主は当然のように無傷だった。晴れてゆく煙すらも紫に染め上げられていく。


この生物にはイグニットですら近寄ろうとしなかった。
イグニットのクオリアならばこの生物を仕留める事は不可能ではないだろう。だが広範囲に及ぶ毒の炎と煙から逃れる事は難しい。自分と自分の舎弟が巻き込まれる危険性を考慮していたのだ。

恐らくは。

この森において最強を謳う生物。
魔寄いの森の食物連鎖の頂点に在る強者。魔寄いの森の獣を統べる絶対王者。

有象無象では数を揃えた所で無駄な事。その身を焼かれ、念入りに崩されるのが定め。
それに立ち向かう事はすなわち死への最短ルートを意味する。
よって、今すぐにここから立ち去らねばならない。


コモノを初めとするまだ戦えるイグニット勢力の面々が顔を見合わせると、タイミングを合わせてクオリアを撃ちはなった。
コモノの火球のガトリング、空き瓶の嵐、カラフルなグラフティの兵隊、釘バットのような岩、メリケンサック状の鉄クズ、色々なものが魔寄いの森の主を襲う。攻撃が最大の防御とも言う。この隙に逃走する。


巻き上がる土煙。轟く轟音。やはり紫に染まる煙。暖簾のように煙を振り払い、魔寄いの森の主が現れる。
その時には既にコモノたちはレイヴやイグニットを初めとする負傷者を抱え、走り去り、魔寄いの森の主の縄張りから抜け出していた。縄張りの外に出れば大抵の生き物は見逃してくれる。


「逃れられると思うな、人間」


魔寄いの森の主は、大抵の生き物に含まれなかった。
翼をはためかせ、木々を薙ぎ払いその巨体からは想像出来ない速度でコモノたちに迫る。
脳ごと耳が揺さぶられるような轟音と巨大な壁のような風圧にコモノたちは煽られ、足を止められた。
目の前には既に巨体が立ちはだかっていた。


「な、何でだ…!?縄張りからは抜け出したってのに!!わざわざ追いかけて来るなんて!!」


「貴様らがそこらの獣ならば見逃していた。しかし貴様らは人間、見つけ次第滅ぼすに限る」


「なんで人間ってだけで執念深くなるんだよ!オレ達が何したってんだ!?」


叫ぶコモノに巨竜は眉を顰めた。


「己の為した業すらも忘れるとはやはり人間、滅ぶべし」


木々を緑の異様な色をした炎が包む。そこから異臭を放つ紫の煙がもくもくと立ち上る。

毒に冒され倒れる者がいた。剣のような爪に身体を抉られる者がいた。炎に焼かれる者がいた。

もはや取り付く島もなかった。魔寄いの森の主たる巨竜は意思疎通が出来るにも関わらず暴力だけを振うのみだった。抵抗した所で応える様子は皆無。逃亡も叶わず。
それは蹂躙。展開されるは無双。意地悪な悪夢を見せられているようだ。


「くそっ、なんなんだ畜生!こっちの攻撃は効かないし、あっちの攻撃は範囲広いし、逃げようにもご丁寧に炎なりなんなりで回り込んでくれやがるし!こんなんどうしろってんだ!」


スキンヘッドの男を抱えたロン毛の男が狼狽える。


「オレのせいだ。無理言ってレイヴを守ろうとしたからこうなったんだ。柄にもなく誰かを助けようって欲張ったからこうなっちまったんだ!」


コモノが頭を抱え、膝を崩して言った。
半端な実力ではコイツには通用しない。
数が力を成さない最悪の敵だ。


「なーにへこたれてんだ。レイヴを連れてここを出たいって言ったのはお前だぜ。言い出しっぺが折れてんじゃねえ」


振り返ると髭面の男が笑っていた。顔が引きつっているので無理してると分かったが、彼は諦めていないようだった。


「けど、オレのために沢山の同胞が……」


「だったら尚更だ!ここで諦めたらアイツらが浮かばれねえ!
それにオレはな、嬉しいんだよ。今まで自分の事ばかりだったお前が誰かを命を賭して助けようとしてんのがよ。
だからレイヴを助けたいお前に全力で応えてえんだ。だからオレの、オレたちのこの思いを裏切るなんて許さねえからな」


髭面の男の隣に居た低身長、丸み帯びた男が続けた。


「その通りだコモノ。正直、オレは戻る気なんて無かったのにお前を助けに行くって空気になっちまったんだ、ここで諦められたら一生恨むからな」


「し、しかしどうすんだ、奴には全然攻撃が効かねえぞ」


「そんなの、まだ戦えるヤツ全員で攻撃をぶち込んで、その間に逃げるしかないだろう」


上手くいくかは賭けだが、と低身長の男は付け足した。


「けどさっき皆で奴にぶちかました時は通用しなかった」


「その時は誰もが焦って適当に攻撃したのがいけなかったんだよ。全員で奴の面を狙えばいい!目を潰せばこっちのもんなんだから」


「つうわけだ。ようしお前ら!全員でデカトカゲの頭を狙うぜ!!オレのスリーカウントでぶっぱなせ!!」


髭面の男がまだ戦えるものに呼び掛かる。
オオオオオ!!と未だ戦えるイグニット勢力が力強く返事の雄叫びを上げる。


「くそっ、やってやる!」


コモノも立ち上がり同じように望力を練る。
その間にも炎や重機のような攻撃がイグニット勢力を蹴散らしていく。衝撃で吹っ飛んだ岩がコモノを掠めた。
恐ろしさに身がすくむが恐怖をふり払い、持てる全ての望力を溜めた。そうだ、これはオレが始めた事だ。せめて最後まで―――!


「3・2・1、ぶちかませ!!」


髭面の男の号令を皮切りに。
再び二百人に及ぶクオリアが全く同時に放たれた。
今度は頭への一点攻撃。それぞれの魂の象徴が束なり、一つの帯となって魔寄いの森の主へ迫る。
これで倒れてくれれば御の字。目や鼻、耳を潰せればそれでも構わない。

だが、魔寄いの森の主は数の暴力を前にして顔色一つ変えず、佇んでいた。


「温い」


巨竜は確かに言った。
そして。
戦える者がありったけの力を込めて放った最大の一撃が巨竜の放った緑の炎に焼き尽くされて灰に還る。

文字通りの魂の一撃がこうも容易く。
塵も積もれば山となる、とは言うが超えるべき壁は山よりも高かった。
勝ち目の無い戦いとはこの事だ。


「たわけ。これしきの願望で儂を仕留められると思うたか。貴様らに為せることと言えば灰塵と帰すのみと知れ」


「ウソだろ……?」


「悪夢だ……」


低身長の男は膝から崩れ落ち、髭面の男は目を見開いていた。コモノはガタガタと震えていた。その場に居る誰もが青ざめた。


「く、くそ、オレたちの全力をこうもあっさりと……!」


「オレたちの思いみんな踏みにじりやがって」


「ちくしょうふざけやがって、化け物め」


まざまざと見せつけられた壁がイグニット勢力の希望を翳らせる。あるのは絶望。死への最短経路。それを意識するほかなかった。
まさかこんな形で街三天≪アントラグル≫の一角が壊滅する事になるなんてここに居る誰もが思いもしなかった。

それでも、コモノは退かなかった。
魔寄いの森の主はあまりにも恐ろしい存在だ。
今すぐにでも一目散に逃げ出してしまいたい。どこでもいい。あの巨竜の居ない場所に飛びたい。そんな思いが身体の全てを染める。

逃げたい思いに必死にブレーキをかけ、コモノは誰もよりも巨竜の近くに立っていた。


「何やってんだコモノ!距離を取れ!」


髭面の男が震える声で叫ぶ。


「オレが一秒でも時間を稼ぐ!みんなは逃げてくれ!」


「出来るかよ!みんなで逃げるんじゃあなかったのか!?」


「そうも言ってられる状況じゃないだろ。誰かが囮にならなきゃ逃げられねえよ。一人でも多く逃げるならこれしかねえ。今までクソ野郎だったこのオレの面倒を見てくれたイグニットさんと仲間たち。そしてオレの目を覚まさせてくれたレイヴ。返礼はこの命で返したい……!」


あの巨竜を止める手段も策もない。だが、一人だけだとしても陣を張れ。一秒にも満たない無駄な時間稼ぎだったとしても。それで仲間が助かるのなら賭けるほかない。


「コモノ……!」


コモノの仲間たちはコモノの中に気高い望みを見た。だから彼らは逃げると決めた。コモノを見捨てる訳では無い。コモノの誇りを守るために彼らは走ると決めた。

しかし。


「一人たりとも逃がしはせんと言ったはずだ」


コモノの決意を嘲笑うような言葉。

魔寄いの森の主が天井近くにまで飛び上がった。
そして口の中に望力を込める。先の一撃のお礼と言わんばかりに。
緑の炎が渦を巻いて太陽を織り成す。
標的はコモノ。ただし放たれた緑の火炎旋風は着弾点を起点に周囲の空気を汚染しながら焦がし、コモノはもちろん、その場に居る全てをあっという間に死に至らしめるであろう。逃げ道はない。

残されたイグニット勢力の人間は理解した。あの火球が地面に落ちた時が自分たちの終わりなのだと。

イグニットが健在なら全てを貫くクオリアで毒の煙も命を焼く炎も頑強な鱗も貫いて、あの巨竜を倒しえたかもしれない。それなのに、イグニットは街でも指で数えられる程の強さを持ちながら、よりにもよってこのタイミングで意識を失っていた。とある少年が奇跡的に彼を倒した事によって。
あまりにも間が悪い。
レイヴが奇跡的にイグニットを倒した事も、コモノが必死にレイヴを助けようと呼びかけた事も全てが無駄だったのだ。
結局はこうなるのが運命だったのだ。

そして、絶望が放たれた。地面へ今、落とされた。


着弾、カッと一点より光が広がった。
コモノはその光の中に無念と悲しみと絶望を抱いて消えた。

ただし光の色は緑ではなかった。
青く冴えたプラチナだ。緑の光弾が地面に着弾する直前、プラチナ色の雷光が遠くから目にも止まらぬ速さで飛来し、緑の炎を食らったのだ。


「何……?」


魔寄いの森の主も何が起こったのか分からず唖然としている。
救われたコモノやイグニット勢力は男を見て、魔寄いの森の主以上に驚愕していた。


「ア、アンタはまさか……!?」


プラチナの光が収まるとコモノの隣に一人の男が立っていた。
無造作に後ろへ流された白い髪、銀の目、赤茶色のジャケットに黒いアンダーシャツ。外見は20~30代程度と言ったところか。ただし立ち振る舞いや顔つきは落ち着いていて老人のように穏やかだ。
纏う雰囲気はこの魔寄いの森において間違いなく余所者のはずなのにまるでずっと昔からそこに居るような自然さがあった。

その男を誰もが知っていた。彼の偉業と力を知らない者は居なかった。


「至高の開拓者、サヴァイヴ!?」


「君の勇気ある行動はほんの数秒程度のものだったがそ君たちの命運を変えた」


場違いな穏やかさを含んだ言葉でサヴァイヴと呼ばれた男はコモノ、そしてイグニット勢力を讃えた。




「そして、君たちには礼を言わなくちゃならない。君たちが体を張ってくれたお陰で、身内を、レイヴを救う事が出来そうだ」


銀眼のサヴァイヴはホッと安心した様子で言った。

原点にして頂点。宇宙開拓の黎明。至高の開拓者。いずれもサヴァイヴと言う男を形容している。
彼は数十億年にわたり幾度の星々を繋いできた。人類全体の文明を拓く謎を見つけたし、これを解いてきた。宇宙を脅かす堕族の王を倒したこともあった。そんな彼は人類の道を照らす曙光そのものと言ってもよい。


(そしてレイヴ、とうとうやったんだな。クオリアが覚醒したんだな。お陰でお前を見つけられた)


レイヴが覚醒した所で結局は死ぬ運命。すなわち無駄だと言ったが、訂正する。
レイヴが覚醒したためにサヴァイヴたちはレイヴの望力を感知する事でファースタ街の地下に隠された魔寄いの森を見つける事ができ、コモノが、イグニット勢力が粘ったおかげで間に合うことが出来たのだ。


「レイヴ?なんでレイヴの名前が至高の開拓者から出てくるんだ?」


「レイヴのなんて言ったらいいか……そうだな、隣の家の面倒見のいい素敵なおじさんってところかな。レイヴがこのヤバい所まで来てるって分かったもんだからすっ飛んできたのさ」


そう言うとサヴァイヴと名乗った男はレイヴを抱えている男の元へ行き相手から受け取った。

レイヴはすっかり冷たくなっていたが、望力は微かに残っている。
サヴァイヴがレイヴを手の中に抱えたまま望力を練る。プラチナの輝きがレイヴを包んだ。するとみるみるレイヴの顔色が良くなっていった。肉体と魂を結びつけておくだけの望力をレイヴに注いだのだ。これでレイヴに忍び寄る死とひとまず距離を取れた。


「さて、次はと」


サヴァイヴの全身からプラチナの電気が放たれ、周囲で燃え盛る緑の炎に直撃した。
すると炎は緑から元の朱色に戻ったかと思った次には幻のように消えてしまった。


「電気で分解したと言うのか、この魔寄いの森の毒を!?」


「何も難しい事じゃない。俺はイメージしただけだ。毒が分解されるイメージをな。この森の毒はいずれも自然のものではなく、望力によるもので幸いだった」


(もっとも、レイヴを冒している毒までは分解できないが……。フィレア、急いでくれよ)


「す、すげえ」


イグニット勢力の自分たちをあれほど苦しめた毒炎をこうも簡単に処理した目の前の男にただただ目を剥く事しか出来なかった。


「おい、聞いているか!!ボヤボヤしている暇はないぞ!早くここを出て負傷者を病院に連れて行ってやれ!」


サヴァイヴが呆然とするコモノらイグニット勢力に喝を入れた。コモノたちはピシャリと我に帰る。


「出口は分かるな?安心しろ、ここは俺が食い止める。煙の一つも届かせはしない」


サヴァイヴの心強い言葉に誰もが心の底から安心を感じた。まるで外敵はなく、心置き無く寛げる家に帰ってきたようだ。


「ありがとう」


コモノはそう言うと踵を返し、他の同胞と共に魔寄いの森の出口へ走りだした。


「逃がしはしないといったはずだ」


魔寄いの森の主は緑の火炎旋風を逃げるイグニット勢力に放った。


「いいや、逃がさせてもらう」


サヴァイヴがレイヴを抱えたままで火炎旋風の前に飛び出し、プラチナの電気で火炎旋風を霧散した。サヴァイヴは不敵に笑っていた。


「貴様……!」


魔寄いの森の主の眼光を真正面から受けながらも無防備にサヴァイヴは魔寄いの森の主へゆっくり近づいた。その距離は段々と狭まり、気づけば巨竜が腕を伸ばせば届くほどになっていた。


「こっちの都合でアンタの領域に無断で踏み込んだ事は詫びる。しかし恩人達を傷つけさせる訳にもいかないんだ」


巨竜は言葉を返さなかった。だが、退かぬなら死ね、そんな意志を含んだ巨竜の体躯がレイヴを抱えたままのサヴァイヴに向かって突撃した。

――――――――――――――


「くっ……っ……あぁっ……!」


薄暗い独房みたいな部屋の一室で木に縛り付けられた少女、メントが身を捩らせ、苦悶の声を漏らしていた。
彼女は誰の許可もなく無断で大規模な望術を使用した。よってその罰を父親から受けているのだ。
罰はこの木に染み込んだ毒が失われるまで。


父に対する怒りや憎しみはなかった。
あるのは罪悪感だけだ。

父の会社の望力のリソースを大量に使ってしまった。
レイヴやナナキを救うには仕方のない事だったが会社の人間に迷惑がかかったのも事実。
何より父の言いつけを破った。それだけで万死に値する罪だ。だから父は慈悲深い。この程度の罰で済ませてくれているのだから。

父は間違いなく私を大切に思ってくれている。私が子供の頃、大病を患った時に酷く焦った様子で私の傍に居てくれた。
だからこれだって私を思っての罰なのだから苦しいけど辛くない。
そう、辛くなんかない。


「……?」


今、チラリと部屋の隅に何か、動くものを見た気がする。
虫だろうか?いやありえない。この部屋は罰を行う以上、病原菌が入らないよう徹底的に消毒、虫の締め出しがされているのだ。メントの身に想定外の事が起こらないよう、メントの父がしっかりと考え、設計されたのがこの部屋だ。
今日は色々な事があったから疲れているのだ。彼女はそう結論づけた。


「ねえ」


そんなメントの結論は、ゴミ箱に放り投げるようにあっさり否定された。
若い女性の声が後ろから聞こえたのだ。振り返ろうにも木に縛られているため叶わない。
一体誰が何故どのようにここへ?
理解できないが故の恐怖が身動きの取れない状況に増幅されメントを襲う。


「そんなに怖がらなくてもいいよ」


自分の体を縛っていた拘束が消えたと思った次には体がフワリと浮いたような感覚があった。実際に浮いていた。自分を縛っていた装甲は失われ、木が霧状になり、跡形もなく消えていた。

メントは重力に引かれ、床に倒れ込む途中にあった。
それを誰かが支えてくれた。先程から聞こえる声の主だ。


「楽にしていい」


川のせせらぎみたいな声で包み込むように彼女は言った。
すごく綺麗な人だと思った。
螺鈿色に反射する白い髪、透き通るような肌。蒼や紅に反射する瞳。
アウトドアな茶色いジャケットに黒いアンダーシャツ。
絵の中から飛び出してきた女神か天使のようだった。


「あなたは?」


「私はフィレア。知り合いがピンチっていうんで助けに来たんだけど、途中で辛そうな貴女を見つけてつい。貴女、名前は?」


「メントです。助けてくれてありがとう、ございます」


ありがとう、とは言ったが罰を受け続けなくてはならないのにそれから逃れられたという事に罪悪感を覚えていた。


「メントちゃんかあ。ミントみたいでかわいい名前ね。だからって食べちゃったりはしませんけど。
ところで酷い傷ね。治療してあげましょうか」


確かにメントの体には至る所に傷があった。ほとんどがイグニット勢力との抗争によるものだ。
けれどフィレアと名乗った女性は拷問によるものだと思っているのだろう。


「いえ、そんな、いいです。」


それはメントの本心だった。
この傷は私が受けるべき罰の象徴。父はイグニット勢力との戦いの傷を引っ括めて今回の私の罰にしたのだ。ならば父の判断で治療してもらうまでこの傷はそのままにしなくてはならない。


「遠慮なんかしないしない!見るからに痛そうだもん。バイ菌が入ったり痕が残ったら大変でしょう?」


そう言ってフィレアは手をかざし、治癒望術でメントを治し始めた。


「っ、やめてください!」


咄嗟にフィレアの手を振り払った。
フィレアはきょとんとした顔をしている。


「えっと……」


「ご、ごめんなさい。治療を拒否するなんてどうかしてますよね」


「ううん、気にしないで。貴女に何か事情があるのに治療しようとして。余所者、部外者である内は傍観者に徹しなくちゃいけないのに、つい深入りしてしまう。私の悪い癖だ」



しっかりしなきゃ、とフィレアは自分の頬を叩いた。


メントは困っていた。
これからどうしよう。毒を帯びた木は失われてしまった。罰は確実に受けなくてはならないのに。何より父にどう説明すればいいのか。


「も、もしかして毒の木を消したのまずかった!?」


困った態度が出ていたのか、フィレアがハッとした様子で言った。


「え、ええまあ。でも仕方ないです。初見じゃ分かりませんよ、客観的に見たら拷問に見えても仕方ないですから。またお父さんに頼んで作ってもらえばいいです」



フィレアは何か言いたそうにしていたがグッと堪えたようだ。


「木だったら私が作り直すわ。そして私が来る前の状態を再現する」


代わりに、そんな突拍子のない事を言った。


「え?」


「私のクオリアは状態変化。あらゆる物質を液体、固体、気体、電離体に変えて操る事ができる」


彼女はそう言って、木の生えていた所に手をやった。
するとどこからともなく霧が現れ木の形を作った。


「さっき私が気体にした木を元の形に戻したの。毒の代わりに傷が癒える成分にしたけどね。あとは最初の体勢に戻って縛れば元通りよ」


「毒を抜いた!?そんな、困ります!私はここの人に迷惑を掛けたから罰を受けなくてはならないのに!」


「大丈夫、貴方が演技すればバレないはずよ」


「そういう問題じゃなくて、私は罰を受けなくてはならない義務がある!これは私たちの常識として決まっていることなんです!」


「メントちゃんは真面目だね。
けど、貴女の言う『常識』というものは貴女のためになってる?」


「勿論です。父は私を愛してくれている。ならそれが間違いなはずがない」


「確かにお父さんの言うことに従うのは安心すると思う。それでやってこれたなら尚更でしょう。けれど貴女のお父さんも人間だから時として間違える事もある。だから一度考えてほしい。父のやる事が、『常識』が本当に正しいのかを。自分や周りの人のためになっているのかを」


フィレアはメントを縛っていた縄を復元すると踵を返した。


「毒のデータは取れたし私はもう行くね。ここに私が居た事は誰かに言っても構わないわ」


フィレアは瞼を閉じて望力を練った。すると彼女の足元の床が液体と化し、滑り落ちるように地下へと潜って行った。
しばらくすると空いた穴に霧が集まり、何事もなかったかのように元通りになった。フィレアは最初からここに居なかったと錯覚すら覚える。されど、彼女の言葉だけはメントの心に残っていた。


「私は、どうすればいいのだろう」


一人残された彼女の声は誰に届くわけでもなく、狭い部屋の中に消えるだけだった
魔寄いの森の主が尻尾を鞭のようにしならせサヴァイヴを打った。
それをサヴァイヴは片脚を上げ、受け止めた。
巨竜はそれを見ると太腕で殴りにかかる。巨竜の腕は大木のように太く、潰しにかかったと言った方が良いかもしれない。
サヴァイヴは脚で受け流した。勢い余って巨竜が腕から地面に埋まる。その衝撃で大地が揺れる。
強引に体を引き抜いて一緒に付いてきた岩をサヴァイヴに投げ飛ばした。
サヴァイヴは飛んできた岩を転がるサッカーボールを止めるように足で上からタイミング良く押さえ込んだ。


「貴様、何故攻撃しない」


魔寄いの森の主はギラリと、サヴァイヴを縦長の瞳孔で睨めつけた。


「アンタを攻撃したくないだけだ」


「儂をコケにしているのか?」


「違う。余所者の俺がこの星の原住民たるアンタと戦ったらそれは侵略だろう。そんなことはしたくない。生かすにせよ殺すにせよ、この星に生きる者の事はこの星に生きる人間が決めるべきだ」


もっとも、アンタの領域に踏み込んだ以上、アンタに殺されても文句は言えないが、と付け足した。


「人間風情がそれを語るだと?儂をこんなちっぽけな場所に、家族や同胞と離れ離れにして閉じ込めたのは貴様ら人間の仕業であろうが!!」


「そうか……それは心中察しする。だがそう言う抗議はこの星に住む人間に言ってくれ。余所者の俺に出来る事はそう言うささやかなアドバイスくらいなものなんだ」


ここに来て両者共に一度たりともダメージを負っていない。
魔寄いの森の主への攻撃をサヴァイヴは死に体のレイヴを抱えたまま全て避けている。
あの魔寄いの森の主がイグニット含むイグニット勢力ですら殲滅しうる広範囲のブレス攻撃。
それを駆使しているにも関わらず一撃も当てられない。

決して魔寄いの森の主が弱いわけではない。
この巨竜は間違いなくファースタ街の三大勢力と打ち合える実力を持つ。
それが霞んで見えるほどにこの男が規格外なのだ。
あまりに自然な在り方は卓越した戦闘技術からなるもの。
呼吸や姿勢まで全て自然そのものとする事で余すことなく力を引き出し、最小限の動作で戦闘を行う。
これは彼が天人として数億年という歳月を生きて知らず知らずの内に身につけたものだ。

巨竜から逃げるのではなく、あくまでも防ぎ続ける。
イグニット勢力が魔寄いの森を離脱するまでの時間稼ぎは成り行きでしかない。ここに来たもう一人の仲間がレイヴの毒の血清を作るレシピを手に入れるのが目的だ。



(そろそろ解析は終わる頃のはずだ。フィレアの『状態変化』のクオリアによって)


「くああ!!」


巨竜の腕がサヴァイヴを狙う。サヴァイヴは脚を軽く当て、受け流す。巨竜の巨体が魔寄いの森の地面を抉り、ひびが入る。
衝撃だけでだけで木々が倒れ、他の獣達が吹っ飛ぶ威力。


「おい、落ち着け」


サヴァイヴが荒れ狂う魔寄いの森の主に呼びかけた。
地面に突っ込んだ巨竜が空気を揺さぶるおぞましい唸り声をあげ、体制を立て直す。


「落ち着け、だと?今荒れ狂わずしていつ怒れと言うのか。人間が目の前に居るのであれば根絶やしにせねばならんのだ!!それこそが我が憎悪を晴らすための手段よ!!」


巨竜の羽ばたき。台風など目にならないような暴風が吹き荒れる。天井から突き出たビルすらも揺さぶる。それを生む巨体がサヴァイヴを轢かんと突撃する。


「大雑把が過ぎ―――」


迎撃の準備をしつつ吐いたサヴァイヴの言葉は途切れた。

空から飛来した何かが二人の間に落ちた。
もくもくと広がる煙が辺りを覆う。
迷寄いの森の主が正面から煙に突っ込み、顔を出した瞬間だった。

煙が、固まった。極寒の中で振り回したタオルのように形が固定された。結果、魔寄いの森の主の頭だけが煙から出ていた。


「なんだ、これはァ!?」


巨竜の図抜けた巨体が煙から抜け出さんと全身の筋肉を使って暴れようとする。だが煙の形の固体はうんともすんとも言わなかった。
サヴァイヴはこれが誰の仕業か知っていた。
固まった煙の上に立っている女性を知っていた。


「手荒になってごめんなさい、逞しいドラゴンさん。十分間だけこのままで居てもらうわ」


開拓者フィレア。
悠久の時をサヴァイヴと行動してきた同胞。サヴァイヴと肩を並べる至高の開拓者の一人。

圧倒的な影響力。絶対的な存在感。戦闘力にせよ知名度にせよ図抜けた者達。
一度号令を上げれば、彼らの力にあやかろうと万人が従う。一度拳を握れば誰もが戦意を失う。そして握った拳を振るったなら星ごと塵に還る。
このファースタにおいて至高の開拓者と謳われる彼らの介入は反則《チート》に等しい事だ。彼らが介入するだけでどんな問題も流れも彼らの思うがままになってしまう。
これがレイヴの超えんとしている壁なのだ。


「本当は腰を据えて君とお喋りがしたいけど、残念。時間がないみたい。私たちはただ大切な人を救いに来ただけで、君の縄張りを荒そうって気はなかったってだけなの。いつか機会があったら会えるといいな」


フィレアは煙から降りると暴れる魔寄いの森の主の鼻を器用に撫でた。


「おのれ下衆な人間が!この儂に向かって!!ただで済まされんぞこの屈辱はァッ!!」


「アンタは……いや、止めておこう」


怒り狂う巨竜に、サヴァイヴは声を掛けようと思ったが止めた。
至高の開拓者たるもの影響力は計り知れない。ちょっとした事でも不用意に介入すれば星々の勢力が揺らぎ、下手をすれば文明が消える羽目になる。よって彼らは訪れた星に極力影響を及ぼさないように立ち回るのだ。あくまでも観光客Aを演じるのだ。
なにより、星の問題はその星に住む者が解決する方が道理は通っている。彼らが本腰を入れて動く時は興味、関心をくすぐられたか、星、あるいは宇宙の危機にのみだ。


「じゃあね、その煙は10分後、元の硬さに戻るわ。もう私たちがここに来ることはないから安心していいからね」


「おのれこの屈辱、決して忘れられると思うな!!」


「ああ、どうか忘れないでほしい。俺の言ったことを」


サヴァイヴとフィレアは踵を返し、魔寄いの森を出た。
レイヴとイグニットの決戦から一連の流れを、上から観測する者が居た。
彼は震えていた。至高の開拓者たちに圧倒された訳ではない。顔は紅潮し、口は上に釣り上がっていた。


「おお、なんという事だ!グッド!素晴らしい!!実に素晴らしい!!あのレイヴとかいう小僧が生きていて、イグニットを倒した事に驚いたが……何より!!
わざわざ二人の至高の開拓者共がレイヴを救いにくるとは!!
であれば!あのレイヴを手中に収められたなら、サヴァイヴとフィレアへの強力な交渉材料になるという訳だ!!
ははは良いぞ!ここに来てツキがこのベーロムに回ってきている!!
レイヴ、貴様を必ず手に入れてやるぞ!」


メントの父親は鼻歌と共にメントへの罰を終わらせに向かった。


――――――――――――――


ファースタの街はすっかり夜の帳が下りて、街灯や店の灯り、それに空にある■■■■■が主な光源になっていた。
サヴァイヴに抱えられたままのレイヴ。彼の首筋には札が貼られていた。フィレアの解析した解毒望術だ。


「良かったぁぁぁぁぁ」


フィレアが大きく腕を広げて未だに意識を戻さないレイヴに抱きついた。


「おいおいフィレア離れてくれ。歩きにくいだろ」


「だって本当に心配したんだもん!生きててありがとう!」


フィレアは言いながらサヴァイヴの腕の中のレイヴに抱きついている。周囲の人間が怪訝な視線を送っているがそこは数億年生きた悟人。全く意に介さない。


「レイヴ、随分大きくなったわね」


「ああ、最後に会ったのが十年だからな。普通の人間の十年は本当に早い」


「私たちより後に生まれて、先に死ぬ、か。寿命知らずで永久的に開拓を楽しめるのは良いけど、そういう所は辛い所よね」


「だが意思なりなんなり受け継がれていくものはある。俺達がそれを正しい方に導かなくちゃな」


サヴァイヴとフィレアは空を見上げた。
星は見えなかった。文明の発展がもたらした人口と願望の光で塗りつぶされていた。


「そこの二人、少しいいかね」


女の声がした。
二人は振り返ると、白い髪の少年を抱えたとんがり帽子から黒く長い髪を垂らしたゆったりとしたローブの女が居た。顔はつばに隠れて見えなかった。


「誰だ?アンタ」


サヴァイヴが身構えながら尋ねる。


「そう警戒するな。私はプルトー。君たちからすれば取るに足らない望術師でしかない。まあ、帽子で顔を隠した女が少年を抱えていては、誰だって警戒するのは分かるがね。しかし私は君達に頼み事をしに来ただけなのだ」


とんがり帽子の女は長年の友人と話すような気軽さで言った。


「頼み事?」


「なんてことはない。私の抱えているナナキと言う少年も連れて行って欲しいのだ。その方がそこのレイヴも喜ぶだろうよ」


「ナナキって、レイヴの言ってた友達の?それにレイヴを知っているって貴女、何者!?」


「望術師プルトー、それ以外の何者でもないと言った。私は偶然会って治療しただけだよ。レイヴの連れてきた死に体のナナキをな。しかしいくら怪しいとは言っても人を助けんだ。そんなに警戒しなくてもいいじゃないか」


唇をとんがらがせて言うプルトーに対して、フィレアは何か、感じるものがあった。


(何故だろう、コイツの事をしっかり知らなくてはならない気がする。根拠はないけど何か、私の求めているモノに近いような……)


「レイヴの友達を助けてくれた事はありがとう。貴女と話をしたいのだけど良いかしら」


「ダメだ。私は忙しい中ここまでわざわざ来たというのに話なんてとんでもない」


「どうしても話がしたいの、いえ貴女の事を聞かなくてはならない。私の求めているモノの手がかりに近づける気がする」


「どうしたフィレア」


フィレアはプルトーを逃がさないように歩み寄る。サヴァイヴの問い掛けには応じない。


「そう焦るな」


プルトーは早足で歩み寄るフィレアに、手の中のナナキを投げた。
フィレアはえっ?と戸惑いの声をあげながら投げられたナナキを咄嗟にキャッチした。
その一瞬の間でプルトーはすでに望術を展開していた。


「案ずる事は無い。近いうちにまた会えるとも。さよならだ、旧時代の開拓者たちよ」



周囲の空間ごとプルトーの姿がぐにゃりと捻れ、吸い込まれるように消えた。


「あっ……!」


フィレアは手を伸ばすことすら出来ないままプルトーが消えた虚空を見つめていた。
そして“手掛かり”が居なくなった事実に脱力し、地面に膝を着いた。


「どうしたフィレア。珍しく必死な形相だったじゃないか。そんなにあの女が気になるのか」


サヴァイヴはフィレアの肩に空いていない手の代わりに膝で小突いた。


「うん。アイツ手掛かりだと思う。私の記憶の」


サヴァイヴの膝に肩をぶつけながらフィレアは言った。彼女の言葉でサヴァイヴは目を丸くした。


「え!?ここに来て記憶の!?」


「そう、証拠はないけど確信めいた感覚があったの。何か私について重要な事を知ってるって一目で分かった。それを逃がしたのは痛いわ……」


「まあまあ、そう気にするなよな。記憶失って幾億年、俺達『記憶探し《ロスト・ファウンズ》』は自分達の記憶探しがてら星を巡って楽しんできたんだから。プルトーはいずれまた会うと言った。気長にソイツを待とうぜ」


「けど……いや、うん、そうよね。今はレイヴの治療が先よね!命の危機は去ってもレイヴはまだ重症だもんね。早く治してあげないと」


フィレアは顔を振り、立ち上がった。


夜は深みを増してゆく。レイヴにとって大きな一日となった今日という日が終わりを迎えようとしている。
レイヴが目を覚ますと、見慣れない清潔な白天井があった。窓からは柔らかな光が差し込む。
どうやら病院のようだ。
壁に掛けられた時計は朝の八時を指し示していた。


「あれ……?イグニットに勝ったのはいいけど、その後ぶっ倒れたはず……」


てっきりイグニット勢力に捕まって酷い拷問に合うかそのまま野垂れ死にかと思っていたので拍子抜けだった。
魔寄いの森のど真ん中に倒れたはずなのに病院に戻っている理由が全く分からない。あの時点で俺は一人だったはずなのに。


「痛っ……」


とりあえず立ち上がってみようとすると身体の節々が傷んだ。腹に至っては熱いと錯覚するような鋭い痛みを訴えていた。


「起き上がらないの方が良いみたいだよ。
身体に穴が空いたり、毒に冒されたりでしばらく死に体だったらしいからね」


聞き覚えのある中性的な声がした。
透き通るような白い髪と白い肌、シャツの下にタートルネックを腕に通した少年。
魔寄いの森で自分を助けて心臓を貫かれた友人がピンピンとした様子で部屋の前に立っていた。


「ナナキ!!」


「うん」


「良かったぁぁぁ!!助かったんだな!」


思わず傍に駆け寄ろうとして、全身が酷く傷んだ。あまりにも痛いのでベッドを転がり回った転がり回るとさらに痛くてもっと転がり回った。
その拍子にベッドから転がり落ちてしまった。


「あいたぁ!?」


「あっ、大丈夫!?」


そう言ってレイヴの身体をナナキは慎重に抱え、ベッドに戻してくれた。

自分の身体を調べると全身が包帯でぐるぐる巻きにされていた。顔も一歩間違えればミイラ男だ。
ナナキの方は携帯望術で誰かに連絡をしているようだ。


「さ、サンキュ。こんな包帯巻きにされたのは久しぶりだ」


「あれから君は三日寝込んでいたらしいからね」


「らしい?」


「僕も昨日の昼に起きたばかりなんだ」


「話はサヴァイヴさんとフィレアさんから聞いたよ。そして、君がイグニットを倒して気を失った後の事も聞いている」


「サヴァイヴとフィレア!?」


「うん。君が至高の開拓者と知り合いって事に驚いたけどね。とりあえず林檎食べる?」


「もらうわ」


ナナキはどこからともなく取り出した林檎をどこからともなく取り出した包丁で剥きながら、いつも通りの飄々とした様子でそれからの事を語った。
それを聞いたレイヴは腑に落ちない様子だ。


「そうか……。サヴァイヴとフィレアが……」


「なんだかスッキリしない表情だね。あれだけ待ち望んだクオリアが覚醒したし、この街で五本の指に入る強敵イグニットに勝てたと言うのに」


「その事は嬉しいさ。嬉しいけど悔しいんだ」


「というと?」


ナナキが弾むような声色でレイヴに歩み寄った。


「開拓ってのはさ、自分の足で家に帰って初めて成功なんだ。そういう意味じゃ俺はぶっ倒れた時点でアウト。なのにサヴァイヴたちが来ちまった」


そこまで言ってレイヴの手は悔しさで震え始めた。


「あの二人は反則みたいなもんなんだ。至高の開拓者が出払ったらどんな問題も瞬く間に解決するに決まってる。

ならぶっ倒れた時点で自分はその程度だったと死んだ方がマシだった」


ナナキは震えるレイヴの肩に手を置いた。


「死んだ方がマシだなんて言わないでくれよ」


レイヴはハッとしてナナキの方を見た。
ナナキは悲しそうな顔をしていた。


「すまん、命を賭して助けてくれたのに失言だった」


「君が自分でやり遂げたいって性格なのは分かっているよ。それが死んだ方がマシって言うくらい強い気持ちだと思わなかったけどね」


ナナキはいつもの爽やかな笑顔で言った。嫌味ではない。その意外性が面白いと言った表情だ。


「冷静に考えたらあの魔寄いの森の事を、俺たち全然分かっていなかったな……ガチで死んでたら気になって化けて出るハメになってたかも」


「君って結構執念深いもんね」


「てなわけで、また魔寄いの森に行くか!あそこの獣たちなら修行相手にもってこいだし、誰も知らない土地について調べるのも開拓者がやる事だからな!」


そう言ってレイヴは上に向かって人差し指をピーンと伸ばした。その拍子にまたも全身に痛みが走って悶絶する。


「そう来なくちゃ。僕もあの森について色々調べてみるよ」


「頼んだぜナナキ」


自分達がどんな目にあったのか忘れたような張り切りっぷり。当然、忘れたわけではない。彼らの好奇心は一度死にかけた程度で止められるようなチャチなものではない。
しかし、わざわざ危険を冒すことを良しとしない人間は当然居るわけで。
例えば、そう―――。


「レイヴ!!」


勢いよくレイヴの部屋の扉が開け放たれるやいなや、男が飛び出してきた。
一目散にレイヴに駆け寄るその男をひらりとナナキがかわした。


「と、父さん!」


「レイヴ、生きているんだな!もう大丈夫なんだな!?」


駆け寄ってきた父に肩をブンブン揺さぶられながら、レイヴは父を引き離した。


「だ、大丈夫だから落ち着け父さん!」


レイヴか父と呼んだ男は黒い制服に身を包んでいた。制服と言っても学生が着るようなものではなく、肩のワッペンや腰に取り付けられた物々しい望術の数々から法務部隊、すなわち否定審判という事が分かる。

ナナキは部屋の隅の壁にもたれかかった。二人の親子の様子を黙って見守る事に決めたようだ。

レイヴの父ことアルターナーは一息着いて、レイヴの顔を見据えた。


「お前、また危険な所に行っていたそうじゃないか。まだ開拓者になんかなろうと考えているのか」


「当たり前だ、諦める気なんかねえよ。俺は開拓者になる」


「なんでだ、こんな死に目にあっておきながらどうして開拓者にこだわるんだ!」


「だから!死ぬ怖さなんか凌ぐくらい開拓がしたいんだってば!それに俺はクオリアを使えるようになったんだぜ、もう心配はいらないんだよ」


「それはサヴァイヴから聞いている。俺がお前の心配しているのはクオリアが使えないからじゃない!開拓は危険なんだ!実際に母さんは―――!」


「それは俺が勝手に父さんたちの開拓に着いて行ったからだろ!」


「違う!お前が悪いんじゃない、責めるべきは誰かを平気で殺せる外道の方だ!そして分かっているだろう、開拓とはあの手の外道に出会いやすい事を!もうお前に危険な目にあってほしくないんだ!」


十年前の忌まわしき事件。それはかつて開拓者だったアルターナーが否定審判の道を行くきっかけとなった事件だ。
開拓先で出会ったあの男達は、自分の息子の命を脅かし、妻を亡くすきっかけになった。
そして男達は未だに捕まっていない。平気で人を殺せる人間を、特に家族を脅かした外道共をアルターナーは許す事が出来なかった。
それはレイヴも理解していた。


「ああ分かったよ、父さんの俺を心配する気持ちはよく分かった。けど、父さんも俺の思いは分かってくれてんじゃねえのか。もう話し合いなんかしても無駄だって分かったんじゃねえのか」


「だったらどうすると言うんだ」


レイヴは深呼吸を一つした。一拍置いて口を開く。


「十ヶ月後、二月にやる開拓者試験を受けさせてくれ。そこでダメなら俺は開拓者をさっぱり諦める」


「へえ……」


傍観者に徹していたナナキの口角が上がった。


「ぬう……」


アルターナーは腕を組んで俯いた。思わぬレイヴの提案に決断を決めかねているようだ。


「良いんじゃないか?その提案」


「うんうん。見てるこっちがもぞかしくなるくらい進展が無かったもんね、レイヴの将来の話は」


窓の方から声がした。
三人の視線が集中する。そこにはサヴァイヴとフィレアが窓から病室に入ってくる所だった。


「ようレイヴ。目が覚めたってナナキ君から聞いたんで飛んできたが、思ったより元気そうでなによりだ」


「傍に居てやれなくてゴメンね?開拓すっぽかした後始末をしてたからさ」


サヴァイヴがベッドのレイヴの頭をくしゃくしゃ撫でた。レイヴはナナキが見ている前で恥ずかしいから止めろ、そんな思いでサヴァイヴの手を払う。

二人がわざわざ窓から入り込むには訳がある。
表から入ると周囲の人間がほっとかないのだ。彼らがあまりにも有名人が故に騒ぎになる。


「アルターナーお前、実の所迷っているんだろう?言葉ではレイヴの身を案じて徹底的に反対しているがその裏でレイヴの望むように生きて欲しいとも思っている」


「その葛藤を晴らせるとしたらそれは君の妻、ミカドちゃんしか居ない。けどそれは無理。ここで八方塞がりになるのならレイヴの話に乗った方が良いと思うけどね、私は」


サヴァイヴとフィレアの説得。
かつての恩師達からのアドバイスでもアルターナーは答えを決めかねているようだ。妻から託された一人息子。解かれぬ重荷がアルターナーの決断を鈍らせている。


「しかし……」


「僕からもお願いします。レイヴが何処へ行き着くのか僕はそれを見届けたい」


ナナキすらもアルターナーに頭を下げて懇願し始めた。


「ナナキ……お前……。……父さん!頼む、首を縦に振ってくれ!でなきゃ俺は一生悔やむしアンタを恨む!」


「レイヴ、お前そこまで……」


アルターナーの右手が俯いた己の顔を抑える。指の隙間からは苦悩する男の顔が覗いていた。
耳が痛くなるような沈黙があった。
数時間のような数秒の沈黙を超えて、アルターナーは頭を上げた。


「……分かった。お前がそこまで言うのなら条件を呑もう」


「本当か!?やったあ!!」


レイヴは身を屈め、両手で全力のガッツポーズを決めた。全身に走る痛みすらも嬉しい。


「良かったねレイヴ!」


「ああ!」


自分の事のように喜ぶナナキと力強いハイタッチを決めた。
そこにフィレアが乱入し、また三人でハイタッチをした。
はしゃぐ三人を遠巻きに見ながら、サヴァイヴはアルターナーに口を開いた。


「不安か?」


「ええ、今にも心臓が飛び出しそうだ」


サヴァイヴの顔は僅かに青ざめ、手は震えていた。心配で心配で仕方がなかった。


「その心配は杞憂だぞ。なにせあの子は俺たちの弟子の子だ。それが開拓者として優秀でないはずがない」


それは口から出任せでなく、本気で言った言葉だった。自信に満ち溢れ、確信めいた言葉。それはアルターナーの手の震えを止めた。アルターナーの心に勇気を灯し、不安を照らす光となった。


「そうですね。こうなったら信じるしかない。俺とミカドの子を。レイヴを信じてやるしか」

幾分かリラックスした様子でアルターナーが言った。
途端、サヴァイヴの右手が光り、振動し始めた。
右手を顔の前に翳すと文字の羅列がサヴァイヴの目に入った。
それを読むなりサヴァイヴは立ち上がった。


「ここまでか。開拓の催促が来た、もう俺たちは行くよ」


「それは残念です。もっと話したいこともあったのですが仕方ない……。ちょうどいいタイミングだし、俺も仕事残ってるんで帰ります」


そう言うとアルターナーは立ち上がり、部屋の出口に向かった。


「レイヴ!くれぐれも無茶はするんじゃないぞ!」


「分かってる!」


アルターナーは微笑むと、病室を後にした。


「おいフィレア、俺達ももう行くぞ!皆が待ってる」


「ええー?もう少しここに居たいのに」


「ダメだ。俺たち開拓をすっぽかしてるんだぞ。まだまだ案件が残ってるしこれ以上開拓先や仲間に迷惑は掛けられない」


「分かったわよ……。二人ともまた会おうね!」


名残惜しそうにフィレアが立ち上がる。
レイヴとナナキもそれぞれ一言さよならの言葉を返した。
サヴァイヴはまた窓から出ようと脚を掛けた。


「ちょっと待った!」


止める声の主はレイヴだった。


「俺はもう二人に頼らない!自分のケツは自分で拭く!そしていつか、アンタらを超える開拓者になる!!」


「俺達を超える、か」


サヴァイヴが噛み締めるように、レイヴの言葉を反芻する。そして、ニッと、歯茎を剥き出しにして笑った。


「楽しみだ!高み《至高》へ必ず来い!レイヴ!!」


「ええ、本当に楽しみ……。ナナキ君、レイヴは知っての通り無茶な奴だから君が支えてやってね!」


「任せて、面白おかしくフォローさせてもらいますよ」


至高の開拓者たちは身体を翻し、窓から飛び降りた。
その際に見えた二人の背中は何よりも大きかった。