寮の部屋に連れ帰るとき歩けないため抱き抱えて部屋に戻ったが、途中随分とまったく面識の無い寮生に見られてしまった。妙な噂でも立たなければいいのだが。

「その子が治療するための奴隷かい?」

 リーアナから説明を受けていたラクシャ達は気にしている様子も無く受け入れ、頼んでいた大きい魔法陣が描かれた敷物を床に広げてくれていた。魔方陣の中央に子を下ろし、自らは魔方陣の端に移動し座る。

「傷を見る。服を脱いでその魔方陣の中央に寝るんだ」

 表情も無く淡々と着ているものを脱ぎ、魔方陣の中央に横になるが目も当てられない。さすがのラクシャとリヒトも顔をしかめ、傷跡の酷さにナルタは顔を覆った。全身の裂傷、刃物で抉られたのだろう肉が削れた傷、片目は失われ頭髪も火傷で一部無くなってしまっている。訓練を兼ねているとはいえ余りにも酷い状況だ。よほど奴隷が憎かったのだろうが、いくらなんでもやりすぎだ。

「そのまま動かないように」

 魔力を魔方陣に徐々に流し、描かれている象形文字や言語が浮かび上がっていく。

「優しき水の女神ヒュドール様。私は魔力を奉納し、その慈悲深き御身の力に縋る者。聖なる水の力を持ちて、傷に苦しむ者を癒したまえ」

 両手を魔方陣に着き魔力を一気に流し込み最後の詠唱を行う。

「蒼水の癒し手」

 魔方陣から綺麗な水が湧き出し、傷付いた箇所を覆う。完全に水の中に収まると火傷や裂傷の傷が癒され、肉が抉れた場所も徐々に盛り上がり塞がっていく。しかし何も感じていないのか奴隷の子は無表情のままだ。

「今はここまで」

 5分ほど経ったところで外見的な治癒が終わったが、魔力操作の限界を感じ一旦治療を中断させる。水属性の最上位治癒魔法だけあって思ったよりも精神的に疲れる上に魔力の消費が激しい。重症箇所を治すのなら魔力消費量を抑える魔石や媒体などの準備が必要だろう。

「手や足、目はまだ治せないのかい?」

 ラクシャが言う気持ちは分かるが、欠損している部位は一箇所ずつ集中してやらない限り治癒は難しい。本に書いてあったスライムと契約が出来ればもう少し簡単かもしれないが、魔物との契約は困難。魔法の力で無理やり従属させてもそれでは性質が変質し、契約することは出来ない。魔物もまた精霊の分類、変質してしまえば契約することは不可能となってしまう。

「また30分ほどしたら足を戻します。ですがそれ以上は二週間は間を置かないと」

 傷を治すことは出来ても、弱った臓器を整え失った血液を魔法で造ることはできない。欠損した部位が戻った反動もどのような結果をもたらすか分からず、傷や失った部位を戻せても感覚に誤差が生じるだろうし、失った部位に流れる込む血液分、全身を巡る栄養や血液が一時的に不足するはず。そうなると臓器を整え血液を造るための薬が必要となる。自らの体なら身体強化の応用でどうにかなるのだが、調度品奴隷故に世話の訓練は受けていても身体強化など戦闘向きなのは皆無だろう。

「グレン、あれをつかえばいいじゃん」

 エルに突然耳を引っ張られるが、特に心当たりがなにもない。

「あれとは?」

「自然スライム、湖畔にでも行って数日探せばあたいが心を読んで契約できる奴も見つかるはずだよ」

自然スライム***************
単純な粘液系魔生物、コアと魔石を持ち溶解液で出来た粘液で身を構成している。
ダンジョンで発生した魔物のスライムとは異なる。生態系に関わり自然発生したスライムであり、攻撃性はほとんどなく酸性度もかなり低い。
スライム系と契約する事によって強力な細胞増殖の加護を得られ、上位神聖治癒魔法にも匹敵する治癒魔法 細胞増殖 を得られる。
温厚なためペットとして飼ったり、より良い粘液を採取するためにスライム牧場のようにしている人々もいる。
****************

「自然スライムとの契約か。出来れば随分と治癒魔法が楽にはなるけど」

 魔物も精霊の一種、契約が出来れば精霊が持つ特殊な力を扱えるようにはなるのだが、問題は魔物は他の精霊と異なり価値観が全く異なり、話す言葉も分からないため難易度は高い。しかし心を読んで会話が成立するなら助かる。スライムとの契約で得られる細胞増殖は魔法とは異なり非常に効果が高くリスクもないためぜひともほしいところだ。

「焼き魚♪焼き魚♪」

 どうやらエルがやる気だったのは焼き魚を食べるのが目的だったようだ。リーアナは少しため息をついたようだが、双子の考えを咎めるつもりは無いらしい。

「この子を連れて行くわけにはいかないだろ? あたいらは残っておくよ」

「そうだな」

「私もこの子がきになるからのこります~」

 ラクシャとリヒト、それにナルタが残るとなると、私とジノだけでいくことになる。問題はないが命令を待っているのか寝たまま微動だにしていない奴隷の女の子はどうしたものか。

「一旦起きて傷の確認を・・・だめだ。すまないがナルタ、あの子を頼む」

「ほらおきて~」

 母性でも刺激されたのかナルタは優しく抱き上げると頭を撫でている。どう対応するべきか少々迷っていたのでこのまま任せてもいいだろう。

「ナルタが面倒みるのですか? 欠損さえ治れば一通り一人でも出来るのですが」

「私がみるよ。 体が治っても少しの間動きにくいし、誰かが見てあげないと」

 それから30分後、失っていた足を元に戻し治療は一旦終わった。まだ治ったばかりでバランスを取るのに少し苦労しているが、引き摺る事もなく歩く姿は美しい。自らを充分に魅せる癖がついているようだ。今夜はナルタのベッドで一緒に寝るらしく、タオルで体を拭いてあげるといって部屋に戻っていった。


 その夜、人目に付かぬ様寮のの屋上、その屋根に上る。月が出ている夜は闇属性や魔の物にとって非常に心地よく、私自身が内在する力と似た魔力を吸収しやすい。力を制御するための前準備として適合属性の魔力を存分に補給しておきたかった。ジノも時折夜に力を吸収していたようだし、数ヶ月も経たないうちに再び挑んできそうなこともある。

「戦いを思い浮かべて笑うなんて、あんたはやっぱり戦ってる方が性に合ってるんだよ」

 エルは珍しく着いてきた肩の上でクッキーを食べている。おかげでカスがぼろぼろと肩におちているのだが、話をするのにここはちょうどいい。誰かに聞かれないようにするには魔法で簡易結界を張りつつ、近場に人が居ない事を確認する。

「エル、あの子を完全に治療して何を考えている」

 治しはするが練習であってその後の事を考えていたわけではない。だがエルはわざわざ早期に完治させる為スライムの心を読むと言い出した。治癒技術の向上は助かるが他の意図があるとしか思えない。

「次の、また次の世代の為だよ」

 エルは相変わらず夜食代わりだとクッキーを食べながら話を続ける。あっけらかんと、そしてさほど興味ない話をしているかのように。

「あの子に知識と技術を与える。奴隷制度がずっと続くか、それとも変化させるかはあの子次第」

 奴隷制度を変えるとは随分と大事になるはず。外部の私がそれほどの影響を世界に与えてることに接触してよいものなのだろうか。

「あの子を使徒にするつもりか?」

 神の使徒、聞こえはいいが個人の一生はほとんどなくなる。グレン自身、今まで生きてきた事もこれから生きていく事も、ある種定められた目的のためだけに存在し、それが終わるまで安寧も望む死すら得られない。

「使徒? そんな事私に出来るわけないよ。それにあの子を治して放逐しても、また奴隷に戻るだけ。それなら使おう? 可能性がない子なんて選んでないし」

 人とは思考が違う。それすなわち神か悪魔、リーアナよりも明らかにエルの思考は人間とは離れている。

「・・・・・・どこまで教えて何を伝える」

「貴族の全て。なんならあの子をグレンの養女にでもすればいいよ」

「独身の貴族四男に養子を持つ権利は無い。 学問や教養は誰か雇って教育させ、戦闘はみなで教える」

「好きにすればいいよ。あたしらにとっては人間も奴隷も大差ないし、どうにかしたいって考えがあったから少し手を貸すだけだから。 水ちょうだい」

 倉庫から水の入った皮袋と小さなコップを取り出し、水を入れるとゆっくりエルの前に差し出す。

「人間の一生は短い。グレンでも出来る時間は限られてる。考え方を継承して少しずつ導かないと、奴隷解放なんて数百年は先。この世界の使徒がいつあらわれるかもわかんないし、何よりもあたしらの使命には本来関係ないかんね」

 考え方はまるで違えど人を良い方向に導くのが神、欲望に身を任せさせるのが悪魔、それならばエルは我がままで自分勝手でも導く側ということ。

「寒いし、もう帰って寝よ」

 水を飲み終えるとエルは内ポケットに入り込み目を瞑った。