「それは兄さん達が教育するだけの問題では」
「私達正騎士が何かを言ったところで、その時だけ従うだけで変わることはほとんど無い。 貴族の面子もあるため自ら退団を選ばせた方がいい」
上官たる騎士の話を聞き流すようでは先が思いやられるのだが、そんな状態の見習い騎士をそのままにしておくなど何か事情でもあるのだろうか。少なくとも王族直属の騎士になれなくとも、領地を警護する騎士になれば高待遇だとはおもうのだが。
「外部の冒険者を相手として模擬線を行い、騎士団長達が見習い達を評価する。その相手としてグレン、お前にも参加して欲しい」
騎士団員の評価として外部の冒険者を使う。何か隠した意図もあるのだろうが、今の立場上その情報を得る手段が無い上に兄は決して話さないだろう。分からないのならこちらの利を得るよう話すしかない。ある程度は考慮してくれるだろうが、今は兄としての立場より騎士団の副長として判断するはず。
「参加する上でこちらが得られる利権は?」
「報酬金として120万、後は何を望む」
「自由の立場、権力で縛られないように望ましい後援者を探して下さい」
貴族との関わりが無い状態で良い後援者を探すのは時間がかかるだろうが、兄の見る目と立場からなら信頼も出来る。やはり手間がかかる条件ゆえに、一瞬兄の眉が動いたが表情をすぐに取り繕い感情が読めなくなる。これが貴族間でのやり取りになれた立場なのだろうが、やはり弟に対しても取り繕う必要があることに悲しさがある。
「良いだろう。だがそれなりの働きはしてもらうが仕事の話は以上だ。あとは、そうだな。久しぶりに訓練の相手をしてあげよう。 準備を頼む」
白鳳騎士団の副長という立場にある兄アークスが直接訓練の相手をすることはまず無い。冒険者評価に当てはめればSプラス、剣技に置いてはSSマイナスに届くのではないかと言われ、王国内に置いては現王と次期王候補の二人を除いて上回る者は居ない。
奥方でありリーゼハルト家の当主であるロータス様は魔法に関してのみならすでにSSクラス、つまり練習とはいえ相手をしてもらえる者は非常に名誉なことと言う事だ。
「承りました。 見習い騎士達は下がらせ、剣は訓練用のロングソードとツーハンデットソードのご用意でお間違いありませんか?」
優秀な文官は情報収集にも長けると聞くが、どこで情報を仕入れたのか私の得意武器を知っているようだ。兄が軽く手を振ると文官はすぐに意図を理解したのか足早に退室、先に移動して話を通しておくためだろう。
「それでは向うとしよう」
文官が数分ほどで戻り案内された訓練場はかなり広く、騎士団同士の集団戦から、魔法攻撃練習も想定しているのか厳重な結界まで張られている。これだけの用意が出来るからこそ精兵と言われる騎士団を維持できるのだろう。すでに人払いがされていたのか見習い騎士や魔導士は見当たらず、数人の騎士が隅の方で剣を振るなど基礎鍛錬に従事しているのが見えるだけだ。
お互い10mほど離れてから手渡されたのは刃の潰された訓練用ツーハンデッドソード、握りが少々合わない上に少し重く感じるが訓練には向いているだろう。右サイドに構えながら足下を整えいつでも踏み込めるように体勢を整える。一方兄アークスは訓練用ロングソードを右手に持ち中段に構えていた。
「では、いきます!」
最初から身体強化を4割まで使用、技術面では一切加減せず剣の間合いまで踏み込む。兄アークス相手に加減などすれば一瞬で仕留められる。幼い頃から婿となって家を出るまで一回も勝てたことは無いのだから。
両手剣による上段からの全力の一撃、しかし涼しい顔で両手剣の先端に自らの剣の中頃をあてると簡単に軌道を変えられ地面にめり込んでしまった。焦る間もなく胸部目掛けて鋭い突きが迫り、体を左にひねりながら剣を引き上げなんとか受け止める。
「勘弁してくれよ兄さん。全力の一撃を涼しい顔で片手いなされたら傷付く」
少し落ち着いて冷や汗をかきながら兄をみるが、兄は笑顔のままでその余裕が伺える。
「どうした。それで精一杯かい?」
「これから全力いきます」
5割まで身体強化を施し、さらに左足を半歩引きながら力任せに剣を打ち上げ距離を取る。両手剣の利点はリーチと一撃の重さ。欠点は重いが故に動きに溜めが発生しリーチの長さが原因で剣の軌道が少し限られることだ。
利点を生かし受け止められる事で力で押し切れるよう腰から胴をなぎ払うように剣を振るうが、最大の威力をはっきする寸前に剣の先端に触れ軌道を上方に曲げられ、体を捻りながら左足の位置を後ろに下げて剣の軌道を立て直し、右上段から袈裟切りに振り下ろすが再び僅かに触れただけで軌道を変えられ地面を抉っただけだ。
大振りな武器を素早く最大の力を発揮し、軌道を隠すように振舞うにはどうしても全身の体捌きを利用しなければならない。一方で兄アークスは最小の動きでこちらの剣の軌道を変え、その場から一歩も動いては居ない。
どれだけ技術を尽くしても兄は笑顔で受け止め、それに答えるように鋭い攻撃が返され体を掠め傷が増えていく。こちらの技量をしっかり理解しギリギリを攻め、徐々に早くそして苛烈さを増していく剣撃を避けきれない。体の表面を剣先がかすり始め、服が切り裂かれ皮膚から出血が増える。荒っぽい手段に出ようにも隙が無く、正当な戦闘技術をきっちり治めた同等以上の相手にそんな小手先の手段など通用しない。
40手ほど打ち合ったところで上着が切り裂かれ一旦10mほど距離を取る。
「まだまだ甘いなグレン」
「これしか良い服はないのに、酷いな兄さん!」
ぼろきれになった上着を破り捨てると剣を背負うように上段に構える。小手先の技が通じないなら基本中の基本、上段からの攻撃に魔力を込め範囲も衝撃力も増大させる一撃。問題は複数種類がある中のどれが良いかと言う事だ。
「見物人も増えた。終わりにした方がよさそうだ」
意識を向ける余裕もなかったが、言われて周囲に視線を向けると女の文官や側仕えが赤い顔をして顔を背けたり手で覆いながらこちらを見ている。貴族なら服が破けようが、自ら破り捨てることはしないのだがこれは失態だ。これは早めに終わらせて服を着ないと色々不味そうだ。少し焦りながら兄の方を見るとそんな状況気にしている様子はない。
「さぁ、兄さんに2年の成果を見せてくれ」
片手で持っていた剣を両手に持ち直し、優しい笑みを浮かべていた兄の表情が真剣なものに変わる。虫や鳥たちの声も途切れ風と遠めに聞こえる作業音以外が消え、静寂によって遠めに観戦していた騎士や文官達が息を飲んだことがわかる。
暴力的な気迫や恐怖ではなく、研ぎ澄まされ首元に刃物を突きつけられるような感覚に身が冷える。大きく息を吸った後ゆっくり吐き出し、意識を落ち着かせ丁寧に剣に魔力を流し込み大技に備える。兄も私も剣は訓練用の借り物、質の悪い鉄拵えで耐えられる魔力に差はほとんどない。むしろ大物な分少しはこちらが上だろう。
「行きます!」
剣士や騎士なら斬撃や衝撃を飛ばすのは一般的。剣に流し込んでいた魔力に滞りを感じ、剣の限界が来たと判断し上段から大きく振りかぶる。
「バスターウェーブ!」
最後に発動詠唱を加え、魔力の斬撃を5に分裂させ多方向から兄に向っていく。祖父から教わった遠距離攻撃の中では大技で魔力消費も大きいのだが、威力もまたそれに比例し斬撃・衝撃の混ざった5つの波動はレッサードラゴンなら竜燐を砕き怪我さえ負わせる事も出来る。
「バスターウェーブ」
気合を入れて放ったというのに兄アークスはいとも簡単に同じ技で相殺してしまう。だが兄の剣は魔力に耐え切れず砕け散り、こちらはヒビこそ入っているが折れてはいない。予想とは少し異なるがこれで有利に立てたと思った瞬間、折れた剣を構えた兄が眼前に迫り剣の柄で額を殴打され意識が持っていかれる。
意識を取り戻し目を開いた先では笑顔の兄がこちらに手を差し出していた。元から相殺を考え、折れた剣で私が油断した所を組討ちで仕留めるつもりだったようだ。
「強くなったな。グレン」
すでに傷を神聖魔法で癒してくれたのか額も斬られた痛みもない。全てに置いて目標に出来る兄、誰に対しても誇れるのは弟して嬉しいもの。どこまで追いかけても追いつけないのは辛くもあるが、やはり兄には目標であり続けて欲しいと願ってしまう。
「やはり兄さんには敵わないよ」
服こそ少々汚れているものの疲れの見えない兄にはまだ届きそうにも無いが、いつかは超えたいと考え兄の手を握り立ち上がる。一応及第点だったのか笑顔を称える兄の機嫌はよさそうだ。
「よし、それではがんばった弟に手料理を振舞ってやろう」
「いえ、食事は遠慮しておきます。服もありませんし、依頼の事を仲間に知らせて準備もしないといけません」
うっかり忘れていたがひとつだけ目標に出来ないところがあった。兄は料理も下手だし何を食べても美味いという味覚音痴。冒険者や遠征する騎士としては味覚音痴は良いことなのだが、その割りに料理が好きだという問題点がある。まだ実家に居たころは逃げ損ねた妹と共に何度も手料理を食べさせられ、いま思い出しても気分が悪くなるほどトラウマとなっている。
「そうか・・・・・・。残念だが手料理は今度にしておこう。服については騎士団の訓練着を着ていくが良い。返却は不要として処理しておく」
気を失っている間に用意されていたらしく、側仕えだろう男の文官が訓練着を持っていた。この手回しの良さが上級貴族としての手際なのだろうか。
「助かるよ」
「一月後、迎えに見習い騎士を向わせる。 従者を連れる様考えなさい
従者、どうやら作法に詳しい者を一ヶ月以内に用意しなければならないようだ。
久しぶりに剣の修行をつけている弟は長らく見ない内に随分と強くなった。驚くほどに剣の腕は伸び、打ちこみの速さと重さは尋常ではない。気勢を削ぎ力の入りにくい体勢に追い込んでいるというのに、油断すれば受け流す事が出来ずに力でねじ伏せられてしまいそうだ。
「どうしたグレン。 それで精一杯かい?」
出来るだけ余裕の笑みを浮かべ、剣を押してくる弟に問いかける。
「これから全力で行きます」
余裕のある表情ではない。戦いに身をおく者としてはそれくらい隠して欲しいものだが、まだ未熟と言ったところか。半身だけ身を下げると力任せに両手剣を打ち上げ弟は距離を取った。弟に剣技を教えたのは私と教育係の二人、グレンは隠そうとしているが僅かな予備動作で二手三手と先を読めば受け流すのは難しくは無い。
いまから10年以上前。
6歳の頃を境に記憶の混濁と共に発狂しかけた弟。子爵になったばかりの両親によって離れに追いやられたが、私と私が雇った教育係と共に必死に抑え教育し続けた。グレンも私も祖父によって連れられた孤児。本当の両親を知らない同じ境遇もあり手間を掛けさせられたが、赤子の頃から一緒に居た大事な弟だ。
特に酷かった8歳の頃は恐慌状態に陥りながら知らない剣技・知らない魔法を使用して暴れる弟、抑え込むのに何度か死ぬ思いもした。それでも諦めず少しずつ落ち着き始め、9歳になる頃には問題が無い程度になった頃には本当に大切な弟となった。
今も5割程度に抑えているとはいえ急所を狙った突きを重い両手剣で受け流し、視界外に入りながら斬りかえしてくる。正当な騎士の剣技と異なり見知らぬ実戦主体の技で実に楽しい。何度も剣撃を繰り返していたが、騎士や文官達が集まりだしている。弟の強さを理解させ無理やり騎士や護衛に取り立てられるのは避けたい。弟は誰かに仕えさせず自由のままでいさせてやりたいからだ。
「さぁ、兄さんに2年の成果を見せてくれ」
背負うような上段の体制、あれでは次は上段からの攻撃を行うと宣言しているようなものだが、何か考えがあるのか。
「バスターブレスト!」
5つに分裂する破壊の力が篭った凶悪な波動、18歳で祖父の大技まで繰り出してくるとは。
「バスターブレスト」
同じ技で相殺させ周囲に被害を出るのを防ぐのには成功したが、剣の耐久度を超える魔力を込めてしまい、放つと同時に刀身は粉々に砕け散ってしまった。このまま引き分けにすれば弟は、後ろ盾の無い弟は貴族達によって飼い殺しを狙われ、それに抵抗する事で多くの死傷者がでてしまうだろう。
とっさに柄だけになった剣を握り締め、接近し額を殴打してしまったが、後ろに倒れて気を失っているだけとは中々丈夫な弟だ。
「アークス様、弟君は随分と腕が立つのですね。ソーディアン子爵家の者は皆あのような強さなのでしょうか」
弟が帰り執務室に戻ると文官であるカルモが気にしているようだ。準男爵や士爵でもなく、冒険者としても名も無い家から私や弟のようなものが出るのが不思議なのだろう。ソーディアン家は元々冒険者であった祖父レオハートが引き取った子供達を鍛えたのが始まりであり、その中で特に才能が優れていたセディハルトが冒険者として名を挙げ、その後王にランクを捧げ忠誠を誓う事で<ソーディアン>の家名と領地を与えられた。
それ故にセディハルトの実子であるクロムとセズは特に両親に似ている上にセディハルトの名を継いだが、一族が優れていると問われれば言い切れない。私も弟のグレンも、末妹のシーナもセディハルトと血は繋がってはいない。どちらにせよ祖父レオハートと血が繋がっている者は誰もいない。レオハートの名を継いで居るのはセディハルト、そして実子ではない私と弟のグレン、末妹のシーナだけだ。
レオハート -------------------------
Sクラス冒険者 別名 戦神
どの国にも属さず、独りで依頼をクリアする世界有数の冒険者。60歳以上にもなる。
気ままに各地を旅し、10を優に超えるドラゴンを剣一本で討伐したことでギルドからSクラスを与えられた。
国や上級貴族などから高待遇の召抱えや脅迫を受けているが意にも返さず、時には単独で貴族の私兵を殲滅するなど非常に危険な面もある。
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「まだ実力の半分にも満たないだろうが、実に逞しくなった」
「あれで半分にも・・・・・・」
並みの騎士や文官にとっては驚きかもしれないが、祖父に比べればまだまだ弟は技術も精神も未熟。年齢的にこれからも大きく伸びる可能性を持つ弟に抜かれるよう鍛えなくては。
公爵邸から寮に戻り、依頼内容と帰り際に文官によって渡された報酬額の話をすると皆一応に依頼の受領に納得はしてくれたのだが、礼儀作法については難色を示され、対外的なやり取りには関わらいといわれてしまった。冒険者と模擬線を行う事で強さの一定指標にするのだからそれ以外は求められないだろうが、面倒である事には違いない。
「やり取りはこちらでやりますが、試験については相手を殺さないよう気をつけてください」
「一月もあるなら防具の買いなおしたりできるな」
「私は新しいポールアックスを仕立てにいきます」
「それまでにあんたはCランク依頼を受けたらどうだ?」
しっかり聞いてくれたのかわからないが、依頼内容については悪いようにはおもわなかったようだ。一月後を見据えて各々準備を行う予定を立て始めた。翌日ギルドに赴き、掲示板でよさそうな依頼を物色していると一つよさそうなものがある。
ギルド公式依頼
ランクC
依頼 夜間警邏
対象 不振人物の取り締まり
報酬 1万
委細 夜間を警邏し不振人物を取り締まり。警邏兵の休暇の為一晩限りの警邏協力。
報酬も安いし手間はかかりそうだが、一晩限りというのが良い。ギルドからの公式依頼なら信頼も出来るしCランクに上がる為の基準も満たせる。受付嬢に依頼受領の申請を行っていると大声が響き、扉を開けてすぐの広間で新人と思われる冒険者が熟練冒険者に喧嘩を売られていた。止めようかと考えていると受付嬢は小声で話し始める。
「新人評価試験ですので、手出しはしないようにお願いします」
「あれが試験ですか?」
「書面や口頭質疑では本質はわかりませんので、そういった事を確かめる為に職員があのようにやり取りをしています。もちろん酷い怪我をさせないよう気をつけております」
根本的な部分が知的なのか攻撃的なのか、多対数相手に逃げるのか、など見極める為に少々危険なやり方で試しているらしい。私は初期対処は冷静ではあるが、結果としては攻撃的な人物だと記録された可能性が高い。
「彼らもギルド職員というわけですか。私は相手に怪我をさせたのですが、そういった場合のペナルティは何かあるのですか?」
何も知らずの事とはいえ骨折というそれなりの怪我をさせている。そのあとギルドから何も言われていないので問題はないはずだが。
「ギルド職員も冒険者も怪我であればペナルティなどはありませんのでご安心ください」
怪我であればという言葉になんとなく裏を感じるのだが、殺してしまった場合を除いてペナルティなど何もないということだろうか。それは少々基準が甘過ぎるとは思うのだが、討伐依頼なら最悪命懸けもありえるのでこの程度は自己責任と考えるべきなのだろう。相変わらず思考の読みにくい笑顔の受付嬢からはそれ以上の意図が読めない。
「お待たせいたしました。夜間警邏の登録が出来ました。警邏の方々が集まりますので日が暮れた後ギルドにお越しください」
色々考えているうちに依頼の受領が完了したようだ。受領書を受け取り日が暮れてから依頼どおりギルドに集まると10人程度の冒険者が集まっていた。簡単な依頼の様だが、不振人物という不明確な対象を取り締まるというのは難しい為かどの冒険者も気楽な顔はしてない。巡回用のランタンと持ち場を示す地図を受け取り巡回に出かける。王都は基本的に安全ではあるのだが、真夜中ともなれば歩いているのは巡回している兵士を除いて残るは冒険者と酔っ払いくらいなものだ。
担当エリアである貧民街と平民街の境の警邏を続け、人通りも無くなり虫の鳴き声も無くなりそろそろゴーストなど亡霊系モンスターがもっとも活発になる時間だが、教会も多く存在するため日々祈りが捧げられ祭事も行われている事からよほど凶悪な存在でもない限り王都内に入る事さえ叶わない。
平民街の商業区を抜け貧民街に刺しかかろうとした時僅かながら血の臭いが風に乗って漂っている。奴隷集めや日常的喧騒で暴力沙汰は当然の地域ではあるが、血の臭いが風で流れてくるほどの事は滅多にないはずだ。
「血の匂いか」
何度か路地を曲りながら匂いの元を辿ると血溜りが広がりその中心に男が倒れていた。周囲を確認するが屋根上にも路地の影にも人の気配は他になく、倒れている男を起こすが心臓をえぐるように貫かれておりすでに死んでいる。傷口から見て背後からではなく正面から一撃で心臓を爪らしきものでやられたようだ。
仰向けに寝かせ顔の血だけを拭ってやると、以前ナルタにしつこく声を掛けていた若い男だった。ナルタやラクシャならせいぜい引っ叩くくらいだっただろうが殺されるとは。
少しだが持っていた水で傷口を洗ったあと両手を組ませ目を閉じさせる。
「魂が御許に迷わず向かう事を」
少なくともこの簡単な処理で聖職者が思念の浄化と魂の奉納をするまで亡霊化を防げるはず。後は衛兵隊に届けるだけで良いのだが、一撃で仕留める腕の良さと死体をそのままにしておく稚拙さに不釣合いなものを感じる。無計画とまでは言わないが追跡者が来るのを誘っているかもしれない。
「すまないが、髪を少々貰うぞ」
死体から髪を少々切り取り、小さな魔方陣を地面に描き中心に髪を置く。媒体と成ったモノと同じ存在を選んで追う事が出来るだけの魔法なのだが、血を完全に落として入れば追跡することは可能なはず。これで不可能なら今回は衛兵に伝えて終わりだ。
「マウストーカー」
髪の毛が魔力に覆われ小さな黒ネズミの姿に変わると走り始める。どうやら血を落としていないようだがやはり追跡される事を望んでいるのだろうか。5分くらいねずみを追いかけ街中を走ったとき、マウストーカーが対称の人物だと足元に纏わり着いたのは目深くローブを被った女性だった。
血の香りが僅かに香る女は、魔法で作られているとはいえ躊躇なくネズミを踏み潰しこちらに振り返る。
「何か御用かしら?」
フード付きローブを目深く被っているため見えるのは口元だけだが、どこか妖艶な笑みを見せたまま半歩こちらに歩いた瞬間ゾクリと背筋が凍る。
「アースガントレット ダブルアーム」
反射的にガントレットを構成し、安定化すると同時に飛び掛ってきた女のダガーが右ガントレットに突き刺さる。
「衛兵詰め所にきてもらう。理由は分かるな」
動きは早いがこのダガー心臓を一突きにしたとは思えない。あれは刃物ではなく爪によるもの、捕縛しようと左腕でダガーを握る手を掴もうとした瞬間、視界の隅に透明な何かがローブの隙間から光るのが目に入った。
心臓目掛けて突き出されたそれを左腕のガントレットで受け止め、先ほどの冒険者の心臓を抉った正体が分かった。半透明な氷の爪、一般的なものと形状が異なるが アイスクロー と思われる。ガントレットに食い込んだことで心臓を突き刺されることは逃れたが、躊躇なく引き抜くと顔・腹部・左肩・胸部と狙いを変えて突き出してくる。訓練していないのか予備動作も多く不意打ち以外はガントレットで受け流し、いまだ突き刺さったダガーを握っている腕ごと体勢を崩そうと打ち払う。
僅かに体勢を崩しながらダガーを捨て距離を取った女はゆっくりとローブを脱ぎ捨てた。ローブの下の真っ赤な髪のロングヘアーは血に塗れ、高価な服装からして商家もしくは貴族がお忍びと言ったところだろうが、新しい玩具を見つけた子供のように、幸せそうな表情を浮かべるその姿は朱に染まっている。
「うふふふ」
狂気をまったく感じさせない自然な笑顔にゾクリとした感覚が走る。僅かに血が付着した爪をうっとりと眺め、歓喜とは違い快感に浸りきっているその表情は淫猥で危険な美しさをかもし出していた。
受け流し続けた左腕のガントレットは深い傷が刻まれ、完全ではないが僅かに貫通し血が少し流れている。随分訓練されたモノなのかアイスクローは非常に鋭くアースガントレットよりも魔法の精度は良いようだ。
「大地の精霊 グノーメ。 我は今魔力を捧げ助力を望む者、身を護る土の力に大地の力を貸し与えたまえ」
青銅色だったガントレットは磨かれた鉄色に変わり、造形も丸みを帯びた単純なものから衝撃や刃をそらし受け流す作りに変化していく。
魔法には魔方陣を除いて三種の使用方法があるが、無詠唱の発動キーワード無し。無詠唱の発動キーワード有り。詠唱し発動キーワード有りとなる。魔法とはこの世界を構成する何かしらの <存在> に <力を借りる> ことであり、最大限効率を上げ効果を高めるには相手が望む方法や言語で語り掛け、等価交換となる魔力等を渡す事で人では魔法構成不可能な事を行う事が出来る。もちろん精霊だけではなく神々や悪魔や魔物の力を借りる事も出来るのだが、対象の性格や主義や信頼関係ももちろん、相手が望む方法で語り掛け代償を支払えるかどうかが問題だ。
詠唱は素人向きや無駄だと言う魔導士や魔法使いもいるが、大きな魔力で無理やり従わせる自分勝手な魔法では精霊が自発的に力を使ってくれることはない。なんであれどんな存在が相手でも信頼関係が大事なのだから。
「アースガントレット ダブルアーム エレメント」
銀色のガントレットは淡く光を放ち少なからず精霊の加護を受けている事が分かる。大地の精霊と親しければさらなる力を持つ可能性もあるのだが、特に何かしているわけでもない現状ではこれが限界だ。
充分快楽に酔い気分が高揚しているのか、頬を赤く染め光悦とした表情のまま優雅な足取りでこちらに向ってくる。戦士の立ち振る舞いと異なりすぎていつ踏み込んで来るのか読めない。迎え撃てず突き出された爪をガントレットで防ぐと今度は喰いこむ事も無く弾かれる。どうやら水の精霊と対話して作り上げたものではないようだ。引っかくように振るっていた爪がはじかれ、動きが鈍ったところにガントレットが腹部にめり込み弾き飛ばす。いくらか後ろに自ら跳ぶ事で抑えたようだが、少なからず内臓にダメージが通ったのか口元から溢れた血を丁寧にハンカチで拭っている。その表情は楽しそうなままで自分が攻撃を受ける事さえも楽しんでいるようだ。
「素晴らしい才能だな。 他に生かそうとは思わないのか?」
「いやよ。楽しくないもの」
つまらなそうな表情をするとハンカチをしまい、今度は走ってこちらに向ってくる。どこにも組せず死のやり取りを楽しんでいるだけで勝ち負けにも興味は無いだろう。例え力でねじ伏せても自らが切り刻まれ殺される事を喜ぶだけ、自らの享楽以外関心を示さない。本能的で男のように美学やロマンを殆ど持たない故に取引が可能な可能性が高い人材。
本能で戦っているのかでたらめに目や首筋など急所ばかり、徐々にだが動きの先が読めてきたことで捕縛するタイミングを計れる。頭部と腹部を狙ってくるタイミングで両腕を掴み、これで武器は封じたがそのまま跳躍すると身を丸める。
「アイススパイク レッグエッジ」
靴の底に氷の刃が形成、両足を伸ばし胸部目掛け突き出した。足に氷の刃を持たせる魔法は聞いたことない。独自に開発した魔法なのだろうが、接触距離でもない限り無駄なものだが余りにも予想外すぎた。
とっさに両手を離し体を捻るが右胸部に左足が突き刺さり、顔を狙った右足はガントレットで弾かれたことで突き刺さった左足が引き抜かれ距離が離れる。さすがに体勢を整えられなかったのかそれほど深くは刺さらず、僅かに右肺まで届いた程度で済んだだが軽いものではない。
「ウォーターヒール」
傷口に薄緑色の液体が纏わりつき、解毒と血の流出を防ぎながら徐々にだが傷を塞いでいく。
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ウォーターヒール 水属性の中級治癒魔法
切り傷などに特化した魔法だが、解毒効果もあり傷を綺麗に塞いでくれる。
便利なのだが即効性が無く、骨折など体内の怪我や重度の損傷には効果は薄い。
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痛みは治りきるまで残るがこれで出血死と窒息死の可能性は無くなった。このまま一気にしとめるつもりなのか、飛び掛るように眼前に迫っている。身体強化が使えるのにいままで隠していたのだろうが、このタイミングでいきなり使用した上、空中では体制の変更がしにくいのに飛び掛るなど想定外だ。
ガントレットで両爪を受け止めるが、まだ傷が完全にふさがっておらず右胸から血が流れ出す。その様子を見て心底楽しそうな笑みを浮かべ、今度はガントレットを掴み頭部を蹴りつけるように跳躍し離れた。訓練されてはいない無駄が多い本能的な動き、それ故にセオリーが無く先が全く読めない。やっかいな相手だが、殺すのも捕らえて衛兵に突き出すのが心底惜しくなってきた。
「アイスソード ワンハンド」
身体強化を7割まで使用。さすがに強化しないでもなんとか対処できただけにすべてが遅く、両腕の腱を断ち切り太ももにアイスソードを貫通させる。動けなくなりその場に座り込んだのだが、血まみれでも幸せそうな表情は変わっておらず、戦いというか殺すという物事に関して適正がありすぎるのだろう。命さえあれば噛み付いてきそうだ。
「筋を絶ってある。 身動きは取れないだろう」
状態を説明しても、ただ楽しそうにこちらを見ながらどうやって殺そうかと考えているようだ。何よりもその目は血に飢えているように見える。
「取引しよう。断るなら君にとって一番つまらないはずの衛兵に生かしたまま突き出す」
何も答えてはいないが、表情に変化があった。笑顔が無くなりこちらの意図を深く読むつもりなのか、こちらを見定めるようにじっと見ていた表情が少し和らぎ何かを決めたようだ。
「取引内容によっては受けてもいいわ」
そろそろ出血死しかねないと判断してアイスソードを消し、ウォーターヒールで傷を癒しながら取引内容を話すと厄介なものだった。
彼女の名はサーシャ・サターナ。タイレル・トイス・メア・ヴァイカウント・サターナ、王都に住む領地を持たない子爵の次女。家柄として騎士ではなく文官など公務を執り行う家らしい。
1.依頼を受ける代わりに襲ってきた相手は事情がない限り好きに殺してよい
2.半年後ランドルフ伯爵家に嫁ぐ事になりかねない件をどうにかする
3.無差別な殺しを止めさせたいなら定期的に相手を用意するか、自ら相手をする
領地持ちの貴族達とは立場が全く異なり、王宮に仕える騎士団や文官など公務を行う貴族。そのような立場にある子爵の次女ならば、権力争いの道具として嫁ぐなどよくあることだ。綺麗で美しい娘ならば年上だろうが老人となっていようが第二婦人や第三婦人として嫁がせ、自らの地位を安定させたりコネクションを持とうとする女性にとっては最悪な環境。子爵や男爵などの下級貴族と言われる立場なら、最悪何かしらの優遇と引き換えに女好きの侯爵や伯爵に嫁がせる事だってあるだろう。
相手側はランドルフ家、伯爵だが騎士として名のある家柄。手出しや口出ししてどうにかできる相手ではないが、家柄がしっかりしている故に婚姻を回避する方法はある。
「かなり手間な手順を追うか、もしくは」
まだ傷が完全に塞がっていないのに、足が動くようになると突然立ち上がり首に噛み付かれた。皮膚が千切れ血が流れ出し、それと同時に舐め取られている感覚があるが、飲む音は聞こえない。
引き剥がそうと体に触れたがそれ以上動くことは無く、確認してみると傷が開いた痛みと大量の出血で意識を失ってしまったようだ。噛み付いたままなのは執念というべきか。本当に惜しい存在だが、口説き落とすには手間取りそうだ。
何をするにしても一旦この殺人鬼を家に帰すために途中だった怪我の治療を終わらせ、血まみれをどうにかしないといけない。氷の鋭い刃で負った傷は切り口に一切の汚れも潰れも無く、水属性の治癒魔法 ウォーターヒールで簡単に癒すことは出来た。残るは血の汚れだが、余りやりたくはないが洗浄魔法を使うしかない。
「清浄なる水の流れよ。 澱みを流し去り穢れを取り去り給え。 プリュシス」
ブリュシス----------
ダンジョンや冒険中に使用する身に付着した穢れや血や汗等の汚れを洗い流す基本的な魔法。
確かに綺麗にはなるのだが、ダンジョンで態々限られた魔法を身奇麗にする為に使うことは殆どなく、大抵毒や酸などを受けた時に身を護る為に使う。
--------------------
一瞬水が現れると全身を覆い、全身と服の汚れが落ち一応綺麗にはなる。問題は召還された水が消滅するまでの10秒間程度はびしょぬれになるという欠点があること、そして綺麗にはなるのだが洗ったりしたものと比べると若干服などの着心地が悪くなることだ。
気絶したまま抱きかかえてギルドまで運び、隣接して設置されている24時間開かれているギルド専任馬車屋に運んでいく。その辺の馬車屋なら夜間に女性一人は少々危険だが、ギルドが責任を持って管理をしている専任馬車屋、賞金首にでもなりたいのなら話は別だが問題が起こることは滅多にない。金銭を支払ってサターナ家のまで依頼を行い一旦はこれで終わりだ。貴族の家は門番が常に居るので問題はない。
再び警邏を再開し、何事も無く日が開けたことで早朝勤務の衛兵と引継ぎを行い無事依頼を完了した。他の地区でも喧嘩などで数名の死亡者が出たようだが、貴族や兵士の関係者でない限り誰が殺されようと大した問題にはならない。殺された冒険者も場所が貧民街との境だった為通常の事故として処理され話にさえ上がらなかったようだ。
無事ランクCに昇格し冒険者カードの更新が行われた。これで条件によってはBランクの依頼を受けれるし、少々難しい討伐や排除依頼も受ける事が出来るようになることができた。
5日後、急いで仕立てた正装に着替え、王都の貴族街にあるサターナ家を尋ねた。王都内にある貴族の屋敷だけあり、一応庭園はあるがそれほど広くなく、領地持ちと違って屋敷もソーディアン家の半分以下だろうか。
「当家に如何なる御用でしょうか」
門番が一人だけとは、安全な貴族街とはいえ余りにも無用心だと思うのだが、周囲の家を横目に見るとやはり同じように一人か二人程度、領地貴族の門番のように小さな一軒家と共に10人近い兵が警邏しているのとは違うのだろう。
「私はグレン・ソーディアン。セディハルト・レオハート・アルゼ・ヴァイカウント・ソーディアンの息子です。サーシャ・サターナ様からご依頼を受け研ぎ直した短剣をお持ちいたしました」
昨夜のダガーが箱に収められているため、サーシャが見れば誰が尋ねてきたかわかるはずだが、相変わらず一人で尋ねたため門番はこちらを苦い顔をしている。同じ子爵家の兵士さえこのような表情をするようでは、従者や側仕えが居ないのは貴族として不味そうだ。
少しして執事に案内され、屋敷に入ると外側と違って中はしっかりと装飾がなされており、やはり交流というか貴族同士の駆け引きを行うためそのあたりに注意を払っているようだ。
「ようこそ。グレン・ソーディアン様。 私の不手際に対して感謝のお礼申し上げますわ」
通されたのは応接間、丁寧に頭を上げたセレスティーヌの顔に昨日の面影はほとんど感じられない。それに執事やメイドの動きに私以外に警戒が向けられていない所から考え、名も知らぬ冒険者を殺した事には気付いていないようだ。
「まさか訪ねて来られるとは思いませんでしたわ。いかなる御用でしょうか」
手を添え優雅に首をかしげる姿は貴族の子女そのもの。血で酔う殺人鬼とは到底思えないのだが、出血し過ぎた影響らしく顔色は悪く少々青白い。何よりも身動きにくい貴族特有の服装、体を固めるコルセット等に窮屈さをかなり感じているようだ。
「先日の本題ですが、名を棄て家を出れば少なくとも結婚を強いられることはありません」
名を棄てる。貴族のすべての権利を放棄し平民に落ちるということだが、これを選ぶ貴族はまずいない。貴族としての暮らしと平民の暮らしは余りにも落差が大きく、不自由だとしても貴族であり続けた方がましだ。
「・・・・・・そのような方法存じませんでしたわ」
口元を隠しながら驚きの表情を浮かべ、何故そのことを教えなかったのかと視線を執事に向ける。
自ら立場を選ぶために貴族の子なら両親や教育係から教えられるはずだが、それさえ教えられていないとはよほど娘を嫁がせたいのか。しかし当人は名を捨てることはさすがに躊躇しているようだ。冒険者として小さい頃から鍛えられている私や兄弟と違って、王都内で貴族として育てられてきたのなら平民の暮らしは余りにも辛い。下級貴族でも風呂も当たり前のように入れるし、食事も平民に比べてかなりいいものになる。並みの平民なら良くて公衆浴場、最悪タオルで体を拭く程度になるだろう。
「もしくは、王都戦士養成学園に入学し、賞金首を主に狙う冒険者になることです。また学生の間は国の管轄下に入るため結婚を強いられる事もありません。その二つが結婚をしないもしくは延期させる方法になります」
ダンジョンや魔物の数が他国に比べて多い王国にとって重要なことは、貴族の数を増やす事ではなく戦える者を増やす事、そしてそういった者の中から必ず何割か現れる犯罪者を処罰する者も大事な役割となる。
私はやや護衛など戦闘よりの冒険者だが、罪人狩りを主に標的としている冒険者も居り、賞金首ハンターとも言うが危険ゆえに報酬も国の評価も高い。そして殺人を楽しみたいというなら、騎士以上に適した仕事はない。騎士とは異なり賞金首ハンターの相手は人間のみなのだから。
「中途入学試験は少々難しいと思いますが、先日の行動から問題はないと思います。学問に着きまして元より貴族ですので容易かと思います」
ぼんぼんの馬鹿貴族でもない限り、あの試験内容からして難しくはない。嫁にされかねない現状ならかなり全うな教育を施されてるだろうし、何より私から見ても立ち振る舞いからきっちり教育がなされているとわかる。
「とても良いお話有難う御座いました。それではお仕事については文官業務と考えてよろしいのですか?」
「普段文官の仕事を御願い致します。領地貴族出の私ではどうも疎いようで、門番にも苦い顔をされる始末でして」
苦笑しながら伝えると、口元を隠しながら微笑する様子はどうみてもまともな貴族の淑女以外には見えない。少なからず冷静なときと血に酔ってしまう時の差があると見たほうがいいのだろうか。なんにせよ読めない内は警戒を解くわけにいかなさそうだ。
「わかりました。それでは契約書は明後日に用意しお尋ねいたします」
サーシャがテーブルに置かれていた鈴を鳴らすと侍女に出口へと案内される。手土産だろう小さいが高価な布を渡され、これが側仕えを持つ貴族の本来のあり、誰も連れずに一人で行動する私が非礼であり問題があるという事が分かってしまう。手土産の一つでも用意すべきだったと後悔しながら帰路に着いた。
二日後、昼が過ぎた直後にサーシャが側仕えを伴い訪ねてきた。さすが文官の貴族、情報網によって私が住んでいる場所も大まかな行動も調べ上げたのだろう。これが私に欠けている点、<情報網>を持つ貴族そのものの力。
「応接間も道具もありませんし、側仕えも従者も一人も居ないのは問題ですわね。装飾品も余りにも足りませんし、貴族を招ける環境では御座いませんわ」
部屋を見て早速ダメだしされてしまったが、それに気付ける存在が居る事は大変ありがたい。
「四日前に破産した商人がいますので、使えそうな者を側仕えとして何人か雇い入れましょう。予算はかかりますが、少なからず会談が行える程度まで整えるべきです」
次々とチェックされ側仕えによって記載されていく必要物資の数に少々頭を抱えたくなり、金額を見て血の気が引いていく気がした。総額約280万と現在貯蓄している予算を60万ほど超えている。
「・・・・・・数日ダンジョン22層に篭るか」
貴族がどれだけ金をかけてお互いに交渉しているのか分かった。根回しに金と権利と権力を使用し、交渉を有利に行い人を動かす。少なからず私も交渉に立つ必要性がある対象と思わせるだけの準備が必要と言う事だ。
「予算が出来ましたらご連絡ください。私も要件を済ませなければなりませんので、10日後など如何でしょう」
10日、兄の依頼を考えれば充分余裕はある。
「それでは10日後までに予算は用意しておきます。 ところで要件と言うのは編入の件ですか?」
「えぇ、試験が7日後にありますのでそちらの用意があります」
「試験官を痛めつけ過ぎないようにお気をつけください。あくまで試験ですので」
「心得ておりますわ。 まだ先ですものね」
にこやかな笑みを浮かべているが、その目はあの夜のように血への飢えが僅かながらに見える。もう血を見ないで生きる事は出来ない所まで到達してしまっているようだが、その狂気を満たせる者を欲し、恐らく私を嗜好な獲物として、そして衝動を満たせる環境を作り出せる相手として見られているようだ。最悪満たせなければまた襲い掛かってきそうだが。
翌日から私とジノ、ラクシャとリヒトとナルタの二手に別れダンジョンに潜っているのだが、予想よりも魔物が多くて稼げている。いや、予想以上に魔物が多すぎると言ったほうがいいだろう。もしかしたら20層から階下の間引きが足らず魔物の氾濫が近いのかもしれない。
二手に分かれてダンジョンに潜るようになって数日。ラクシャとリヒトが居ない時エルとリーアナに言われるがままに料理しているが、プリン・パンケーキもどき・アイスクリーム・クレープもどきと、どれも指示されながら調理すれば思い出す最初の世界のものばかり。この世界では未知の料理ばかりで世界の調理学の成長に対して害を与えかねない。似た材料が一般流通しているだけに、外部に知られた場合本当に危険だ。
「リーアナ」
「何か御用でしょうか」
素手でかぶりついているエルと違い、丁寧にパンケーキをナイフで切って食べているリーアナは口元をナプキンで拭う。
「出来れば魂の記憶を勝手に探るのは止めてもらえませんか?」
私が努力して思い出さなくても記憶を探って必要な情報を取り出せるのは助かるのだが、料理のためだけに探られるのはなんとなく不条理な気がしてならない。エルは言っても聞かないが、止め役でもあるリーアナが言えばわかってくれるはず。
「記憶を読む練習の一環ですので、得るものがあったほうが私達にも良いのです。特にエルはすぐ面倒だと投げてしまうのですが、料理などは真剣に探ってくれるのです」
「しかし世界にとって知識が洩れた場合」
「私達が外部に漏らす事はありません。状況を見てラクシャ達が居ない時頼めるもの、居ても問題がないものを選別しています」
こちらの意図する事の先を理解ししっかり説明し、何よりも人間と世界のことをしっかり見据えてもいる。やはり二人はテラス様の従属神か何かではないのだろうか。
「問題はありません。それにこの情報が役に立つときもきっときます」
強い確信を持って話すリーアナの表情が記憶の誰かと重なってみえる。とても大事な者だった気がするのだが思い出せない。ただ、世界と私の敵でもなく信頼できる事だけははっきりした。
「わかったよ。何も問題がないならそうしてくれ。ただ見られたくない事もあるのは知っていて欲しい」
「最初の世界で幼い頃お漏らしした事ですか? それとも前世で大丈夫だと言いながら足を滑らせて橋から川に落ちた事ですか?」
「それを止めてくれと言ってるんだ!」
頭を抱えたくなる。もうしっかりと忘れてしまっていた過去を発掘され覚えられているようだ。その後本当に止めてくれと真剣に頼むと色々納得してくれたが、今後も料理に関しては言われた通りにすると条件を着けられてしまった。
その頃、ジノは焼いたり煮たりと肉の調理に拘り、器用に調味料で味付けをした肉を魔法で浮かせ食べていた。
そして兄の依頼からちょうど一月後。依頼どおり見習いの貴族騎士達の評価相手として全員で公爵邸の訓練場に集まり、見届け人である数名の騎士が待機しているそうだ。正騎士ともなれば実力はB級冒険者クラスの猛者。50人が公爵家に仕え、その下にCクラスの見習い騎士や兵士が450名ほどを従えている。
「姉さんどうしたらいい」
「あたいだって知るかよ。それにしても、本当に騎士相手にやりあうのかい?」
この日のためにラクシャ達も武具を磨き上げ、服装も比較的良いものを着用している。それに説明は済ませているのだが、公爵家の騎士団は王国騎士団と並ぶ精鋭揃いと名高く、不安になるのも仕方がない。
「見習いの評価試験ですが、恐らくラクシャなら相手にもなりませんし、後遺症でも残すような事をしない限り何も問われませんよ」
待合室では他にも10名程度の冒険者が集められており、各自腕に覚えがあるのか名乗りはしないが、互いを探り合っており良い雰囲気ではない。時折文官が尋ねてきては試験相手となる冒険者を連れてどこかに行く。
「お待たせいたしました。グレン様は第3騎士団の評価担当になっており、私がご案内するよう承っております」
「わかりました」
グレンに続いてラクシャ・リヒト・ナルタが部屋を出て長い通路を進む。
「グレン、第3騎士団ってなんだ?」
小声でラクシャが尋ねてくる。確かに貴族ではない限り、情報をしっかり集めてないと知るすべは余りない。とはいえ余りこの場で詳細に話すのは体裁が悪い。
「女性騎士だけで編成された騎士団です。それでも実力は男性騎士団とかわりません」
エウローリア公爵家の第3騎士団、女性騎士のみで構成された女性王族の護衛担当でもある。女性だけで華やかなイメージを持ちがちだが、実態はえげつない。戦場で捕らえられ男達の慰み者になりえる故に、鍛え方は一般兵士連中よりも遥かに激烈。サーシャからの情報では団長であるロセ・ギゼル・スティア・アール・コークは見習い騎士時代に他国の部隊に捕らえられ、陵辱輪姦された経験もあるそうだ。その後男達を殺して単独で脱出したらしい。
到着した訓練場では女性騎士達がカカシ相手に模擬剣での打ちこみが行われていたのだが。
「だから! お前ら戦場で男に犯されたいのか! XXXにでも腕を突っ込まれていきたいのか! それとも糞でも喰わされたいか!」
危機感を煽る意味でも間違っていないが、品も無ければ加減も無い。事実ロセ団長になってから女性騎士の被害が激減した情報から有能ではあるのだが、もう少し言い方ってものがあるのではないだろうか。
「作り物が一生が彼氏なんて事態に陥りたいのか貴様ら! 38の独り身としても結構と辛いのだぞ!」
頭を抱えたくなる。アレが伯爵家の元令嬢というのだから人は変わるもの、見習い騎士達がぞっとした表情で真剣に練習に打ち込み始めた。女見習い騎士は中級や下級貴族の3~5女である事が多い。監禁陵辱でもされれば婿取りや嫁入りなど不可能に近くなるため避けたいのだろう。
「ロセ様。グレン様とそのお連れ様がいらっしゃいました」
「おう、お前がアークス副長の弟か」
文官の声で振り返ったロセの顔を見て少々驚いた。茶髪の茶眼の片目が白色失明し顔は傷だらけ、恐らく鎧の下も酷いはず。傷がある状態に体が馴染んでしまったため、治癒魔法が傷を完全に消せる期間を超えてしまい完全には癒せなかっただろう。
「今回の試験の件は聞いている。女見習い騎士からはあの3名が試験を受ける。方法は任せるが評価はこちらで着けさせてもらうからな」
腰にある剣の柄に手を預けてはいるが、どうやら警戒はしていないようだ。試験を受ける3名の見習い騎士は身なりもかなり良い防具を身につけ、訓練や戦闘を行うような装備ではない。かなり問題があると思うのだが、貴族としての立場と自己責任もあるので強く言うわけにも行かない。それに見習い騎士のままでも護衛としての職務はこなせるし、騎士として生きるつもりがないのなら現状の立場を利用して婿もしくは嫁入り先を探しているのだろう。
「3対1の模擬戦を行いますが、私が戦うことはありません。 男相手なら負けて当然と思われては困りますので、まずはナルタが、次にラーラクシャが相手となります」
後を着いてきていたナルタが前に出ると他の見習い騎士が木剣をナルタに渡す。温厚とはいえミノタウロス族、ダンジョンを潜っているのを見たところC級冒険者クラスの実力はあるはず。ナルタに勝ち、ラクシャとそれなりに戦えるのなら今の態度でも問題ない実力を持っていると判定も出来るはずだ。
「えーと、私は武器要らないです。木剣だと折れちゃって危なそうですし」
受け取った木剣を両手で握ると軽くへし折り、準備運動をかねて軽く屈伸している。細身に見える腕でも筋肉の質が全く異なり、人間よりも遥かに強い力を出せる上、身体強化魔法を使わないのであれば鬼人族のラクシャやリヒトよりも力は上回っていた。
「お前達、あいつを倒すつもりでいけ。ミノタウロス族はただでさえ強い、加減しても勝てる相手ではないぞ」
3人の見習い騎士は少しだるそうに木剣を握り構えを取った。しかし構えは悪くはないのだが、型どおりで固まってまだ揺らぎが見えない。地力が同じ程度ならあれで良いかも知れないが、力が上かもしれない相手には悪手だ。きっちり構えるよりも連携をとって戦う事を優先することが騎士として正しい。
「ところで、君は結婚はまだだったな。その辺の連中でも一人夫人にしてはどうだ」
ナルタと試験中の三人を除く女騎士達は相変わらず鍛錬を続けており、こちらの言葉が届いている様子は無い。妙な空気になられても困るし、このまま聞こえないままで居てほしいのだが。
「私に求められても困ります。子爵家のものとしてそのようなことは許されません」
正直、騎士にも貴族にもなる事を考えてはおらず、そんな状態で貴族に連なる女性と結婚するつもりはない。それに結婚するには才能と努力が要るが、前世でも前々世でも独身だった私に才能があるとは思えない。
「女の3~4人くらい甲斐性がなきゃ貴族の男児とは言えん。 ほれ、そこに居る女騎士二三人でも適当に声をかけてやれ」
確かに貴族は複数の妻を持つ事が多く、女性当主なら入り婿を持つか養子として親族の第二婦人や第三婦人の子を迎える事も少なくはない。しかしそれにしても妙に推してくるのをどうやって断るべきか。
「その辺にしときな。あんたがどういう考えかはわかった。 だけどそれをグレンに求めるのはやめな」
「ふん。戦えない貴族女が生き残るにはその方がいい。冒険者のお前にはわからないだろう」
ラクシャの横槍にロセ団長の表情は曇る。過酷な体験をしても生き残ってきたロセにしてみれば、いくら部下を厳しく鍛えたとしても危険が無いわけではない。例え第一婦人になれないとしても、戦場で敵に捕らえられ陵辱されるよりは安全が保障され、事によっては第一婦人が子供を設けられず、第二婦人の子が家を継ぐ事になることさえある。第二婦人や第三婦人となれば少なくとも戦場に出ることはほぼ無くなる。最悪妾でも同じ事だが、戦場の危険から逃れるには確実な事。貴族の女性同士の交友はかなり大変だが、文官の情報収集と大差はないとは聞く。会ったことは数度しかないが、両親にも建前上第二婦人が居るし、貴族間のやり取りなど文官兼任として立ち回っていた。考えてみれば婚姻はともかく、今後起こる可能性が高い貴族間の契約や交渉ごとにはサーシャ以外の文官が必要ようだ。
「お話のところすみません。終わっちゃいましたけど、どうします?」
ナルタの声に視線を向けると3人とも腹部を押さえながら蹲り吐き戻している。本当はある程度ナルタと戦ったあとラクシャと交代するはずだったのだが、素手のナルタに負けるとは余りにもふがいなさ過ぎる。
「何か色々言ってましたけど、加減しなくて良かったんですよね?」
なんというかどこかのほほんとしているというか、おっとりし過ぎているというか、全く空気が読めていないというか。<?>でも頭上に浮いているような表情をしているナルタを見ていると肩の力が抜ける。恐らく家柄を理由に負けるように言っていたのかもしれないが、ナルタは冒険者の上にどこかの貴族領に住んではいない。ミノタウロス村があるのは王国の管理地域、税もない開拓中のエリアゆえに権力でどうにかできるものではない。ナルタにそこまでの考えは回っていないかもしれないが、戦闘中に権力や家柄を持ってどうにか出来る考えは愚かだ。
「ん、見てなかったが問題はこれからだな。 ほら立て。 立たないならこのまま降格処分にするぞ」
蹲っている貴族見習い騎士の横に立ち、その背を軽く木剣で軽く叩く。家柄だけで取り成せるのは安全な貴族関係と王都内のみ、そこを離れれば実力だけが身を護り身を立てられる。今は実力が不足していても問題は無く、現在評価すべきは根性があるかどうかに絞られていた。それなりに吐き終わって落ち着いたのか、3人とも立ち上がりまだやる気が萎えていない事がわかった。
「よし、次はラクシャとかいったな。 存分に絞ってやってくれ」
「ったく。お前達、あたしにくだらない事言ったら骨の数本は覚悟しな!」
ぞっとする表情を浮かべているがそれでも戦意は失っていないらしく、ラクシャとの戦いでカエルが潰れるのに似た悲鳴を上げ続ける。それから30分近く経った所でとうとう立てなくなり地面に倒れたまま動けなくなった。
「3人とも降格は無しだ。これからも努力するように」
ロセ団長の言葉に返答も無く、その場に倒れたままだが折れた木剣を握ったままで心だけは折れていないようだ。恐らく心を入れ替えたわけではないが、家柄や権力など気にせず叩き潰しに来る存在が居るとわかり、それでも戦う意思を捨てなかった以上降格させる必要はないと判断したようだ。
どの試験場所でもB級冒険者相手に貴族騎士見習い達は叩きのめされ、一応の反省をしたことで二名の欠員出るだけとなったそうだ。欠員が出たことで新たな入団者が決められることになり、一般兵士の中から採用試験が行われ見習い騎士として採用されることになった。今回も兄に採用試験の相手として呼び出され、多くの正騎士が試験官として選抜中の5名の兵士を見定める事になっている。
試験の時間が近くなる頃、騒ぎが大きくなり何事かと視線を向けると、貴族の身なりの者が弓的の近くで騎士達と小さな争いとなっていた。内容は聞き取れないがあまり良い雰囲気ではない。私を見つけると騎士達を押し退けこちらを睨みながら指を差した。
「貴様らのような下賎な者が良くも私の顔に泥を塗ってくれたな!!」
見た顔ではないのだが、状況からして退団させられた元貴族騎士見習いだろうか。横に居る男は顔まで隠れるローブを脱ぎ捨てると、黒い鉄光する筒状のものを身につけていた。
「大金を払って雇った傭兵だ。皆殺しにしろ!」
爆発音と共にローブの男を止めていた一人の騎士が地面に倒れる。ローブを纏った男の手が握る鉄色の棒状の先端から煙が出ているが、あれは魔法の類なのか分からないが命の危険をひしひしと感じる。
「避けろ!」
「あれは"銃”です! 壁となるものを!」
「アースウォール」
複数の土の壁が地面から迫り出し身を隠す盾となるが、何か起きたのか理解できないでいた騎士が胸を撃ち抜かれ地面に倒れる。他の騎士たちは理解できずとも盾を構え、比較的装甲の薄いや腕を狙われながらもアースウォールの後ろに身を隠した。
「リーアナ、あれは ジュウ というのか?」
身を隠しながらな記憶を探るが、なんとなく記憶にあるのだけでしっかりとは思い出せない。ただ向けられると死の恐怖は身近に感じられ、その眼前に立っていてはならないと直感が訴えている。
「しっかり思い出せ! お前以外対応出来ないだから!」
エルは相変わらず耳を引っ張って怒鳴るせいで頭にがんがん響くのだが、うっすらと思い出し始めている。轟音と共に鉄が撃ち出される鋼鉄の玉。6連発 回転式拳銃 弾はかなり大きめの部類だったはず。特徴はクロスボウよりも連射が効き音が大きいが、その反面再装填も早い。
「タイミングは」
まだおぼろげだが思い出しかけている。問題はこの世界に比較該当するものが無い為、あの武器の脅威程度を理解し辛い。6回爆発音がした後、何か操作をする事で再び6回撃てるようだ。操作時間はおよそ4秒、身体強化で接近するにしてもあの威力で膝や頭部に直撃すればただではすまない。
今は感覚的に居る場所を把握しているが、相手をみないで魔法を使うには位置が曖昧すぎるし、魔法を使う為に僅かでも集中を欠いたり動きが鈍ったらいい的だろう。今は相手もこちらを探っているのか最初の位置、弓的の裏から殆ど動いていないようだが、何を考えているのか読めない。
「時間は無い・・・・・・か」
最初に撃たれた騎士の周囲には徐々に血の池が広がり始めている。あまり長く撃たせていると救護処置が間に合わなくなりそうだ。義理も関係もないが、見捨てるには少しばかり気分が悪い。相手の男が半身を隠している場所は魔法練習用的、中級攻撃魔法を撃とうにも生半可なものでは隠れる事で防がれてしまう。やはり接近して斬るしかない。
「突貫か特攻か。 どちらにせよ即死しなければどうにか」
最近余裕が無い為手元にある武器はバスタードソードが一本のみ、アイスソードではあの銃の弾丸には耐えられないだろう。
「アースフルプレートアーマー」
石や土を含むため動きにくく重いが、鋼鉄とほぼ同等の強度を持つ厚い鎧。思い出した記憶が確かなら分厚い装甲なら耐えられるはず。覚悟を決め、的に向けアースウォールから実を出すとすぐに左足に銃弾が食い込むが貫通するほどではない。右手で逆手に持ったバスタードソードで頭部への銃弾を防ぎ、一歩一歩と進んでいくが身体強化魔法を4割使用しても走る事はできない。脚部、関節部、頭部と的確に狙ってくるが、重い上に動きにくいアースフルプレートアーマーはただ頑丈、むしろその頑丈さ以外特徴が無い為ガントレットのみ使っているほど、歩くためだけでも身体強化魔法を使わなければならないという酷い欠陥はある。一歩ずつ歩きながら近付いているのだが、相手は的の裏から離れようとしない。依頼主の貴族の男もそこに居るため一応護る為のか、それとも何か対策があるのか。
剣が届くまであと3歩と迫ったところで銃を消し、小さな鉄の塊を取り出しこちらに投げた。
「防いで!」
エルの声にとっさに剣の平を鉄の塊に向けると同時に爆発し、衝撃で砕け散った剣の破片が鎧に突き刺さり数メートル弾き飛ばされる。そして倒れず着地した体勢を整える間もなく、今度は大きな銃らしきものを取り出し、連続した銃弾が撃ち出され鎧ごと体を貫き、貫いた弾丸によって背中の肉の一部がはじけ飛び激痛で意識が遠くなる。それでも兄達に切り刻まれながら意識を保つよう訓練を受けた事で気絶せず、すぐ近くのアースウォールに身を隠す事ができた。怪我も身体強化のおかげで身が砕けるまでにはいたらなかったようだ。
「ウォーターヒール」
鎧を消し、治癒魔法によって損傷した部位を補い、仮初でも形が整えられ悪化は抑えられる。だがまともに戦って勝つ手段が尽きてしまった。大物、それも連射できるあれを防ぐ手立てが何もない。連射できる大口径の弾丸、片手で持てる銃よりも大きく、絶え間なく連射し続けられる。
「軽機関・・・銃か」
アースウォールも大口径の弾丸によって徐々に削れて行く。先ほどの爆発物は手持ちが少ないのか、もしくは生成するのに手間がかかるのが使おうとしないのでまだ防げて入るようだ。あれは 軍人、元居た世界では銃器を使用し戦争に行く者。殺人訓練を受けたものがこの世界では余りにも強大過ぎる銃器を持つ。それも自在に操り亜空間倉庫から取り出し、弾にも限りがあるように見えない。やはり転移者相手にするには並の力では対抗する事ができない。
この場で黒い力を使えばもはや隠す事は出来ないが、このままでは多くの騎士が殺されてしまう。そのような事を許容できるはずもなく、覚悟を決め複数の魔剣を取り出そうとした時声が響いた。
「皆は下がれ!」
声に振り向くとそこには兄アークスが居た。今回の試験には団長クラスは誰も来ないはずだったのだが、周囲を複数の光の精霊が舞い、すでに臨戦態勢に入り全身から聖なる光を放っている。当然のように兄にも銃口が向けられ銃弾が襲い掛かると思われたが、光速の剣撃ですべての銃弾を弾きとばした。さすがに予想外だったのか、驚愕の表情を浮かべながら徐々に後ろに下がっていく。だが反動が強いのか連射したまま本当にゆっくりとしか歩けていない。しかし兄は銃弾を弾き飛ばしながら確実歩みながら距離を詰めていく。他の武器を取り出そうにも、少しでも動きに揺らぎがあれば一気に間合いに飛び込んでくるのが分かるようだ。だが大きな弾倉とはいえ納められている弾は有限、再び亜空間倉庫だろう場所から交換弾装を取り出すか別の銃器を使わない限りジリ貧だろう。弾切れで銃撃が止んだ瞬間兄は20m近い距離を一気に接近し機関銃を斬り飛ばした。その瞬間、男は左手で腰に下げられていた長めのナイフを掴みアークスの顔目掛けて突き出す。余りにも手馴れている上に躊躇が全くない。右腕を貫き柄が腕にぶつかるまで深々と突き刺さり止った。そのまま兄は無理やり腕を動かした事で右腕を切り落とされるが、残った右腕の肘と右膝でナイフを掴む手を潰すように叩き付けた。身体強化魔法ならあの威力なら骨ごと砕けるはずだが、折れる音はしない。しかしさすがに衝撃がある程度は抜けたのか手から離れたナイフが空中に舞う。アークスが残された左手でナイフを掴むのと同時に、相手の男は右手で大振りな拳銃を取り出し、放たれた3発の弾丸はアークスの胴体を貫通し血が噴出す。だが、それ以上続くことは無く男は首を斬り飛ばされ地面に転がった。
強い。相手が特殊な力を使わなかったり相性というのもあるだろうが、理解はしていたが転移者を倒すほど兄が強いとは思っていなかった。一際大きい光の精霊が兄の切り落とされた腕を掴むと切り口に押し当て、周囲を他の光の精霊が飛び回ると降り注ぐ光の粒子によって傷が癒え、数秒もかからず完全に治ったようだ。
「ヒールオブセイントミスト」
兄の魔法によって光の粒子が霧のように周囲に広がり、重症だった騎士達の傷が癒えていく。光の大神の祝福と加護を与えられ、多数の光の精霊が守護し、あらゆる光・神聖魔法を苦も無く扱える兄は名実共に閃光の聖騎士であることは疑いようがない。ようやく到着した治癒術を使える魔導士達が騎士達の手当てに入り始める。
「私のことはいい! アークス副長の怪我を診てくれ!」
「副長ご無事ですか!」
腕や足を撃たれ、まだ動けない騎士達も兄を心配している。これが人徳という奴だろうか。治癒魔法を行える魔導士達を兄に向わせようとしている。しかしすでに完治している兄には不要だろう。その時兄は死亡した騎士の横にしゃがむと自らのマントを取り外し、その体にかける。
「一人・・・・・・間に合わなかったか。残りの者は治癒魔法を完了するまで安静に」
最初に撃たれ、胸から血を流していた騎士はどうやら助からなかったようだ。
「私が遅くなったばかりに、すまない」
兄がゆっくりと目を閉じると他の騎士達も簡易ながら黙祷を捧げている。死者への追悼、騎士はその強さから亡霊になりやすく、またその強さは計り知れない。属性が全く異なるため少々時間はかかったが、兄の魔法によって私の傷も癒え立ち上がる。気にする必要はないかもしれないが、いくら兄でも腕を切り落とされ体を弾丸が貫通して負担がないとは思えない。
「アークス兄さん、傷はもう大丈夫ですか?」
「竜のブレスの方がもっと辛いものだ。あの程度なんということもない」
こちらをほとんど振り向かずに答えてはいるが、僅かに伺える表情はどこか辛そうに見える。兄は私と異なり優しい。部下を救えなかった事を自ら責めているのだろう。
「そう、ですか。しかし無事で何よりです」
しかし兄にとって未知の武器を持つ転移者さえも打倒すほどだとは思っていなかった。この世界に私が送り込まれないでも、兄のようなこの世界の住人だけでも問題ないのではないだろうか。
「アークス様! こちらへお急ぎください!」
「今行く」
声の方に向う兄の後を追うと、先ほどの男の残骸が徐々に塩の塊に変わり砕けていくのが目に写った。持っていた銃やナイフも同じだ。
「魔族か、魔物なのか。 これは こいつは何だ」
兄は何も言わないが、騎士や魔導士達が戦々恐々としている。武器もそうだが死んだ後の変化がもっとも異常だと感じているようだ。兄アークスは振り返ると私の肩を掴み小声で話す。
「グレン、伏せておけ。 公爵様には私が伝えるが、これは他の者には難しい問題だ」
どうやら兄は光の大神から聞いているようだ。相手が何者でありそして何をしようとしているのかを。男を連れた元騎士見習いの貴族は自害しており、家に影響が及ばないようにしたのだろうが、もはや家の取り潰しは避けられないだろう。事情を聴取のため兄に呼び出され執務室を訪ねたが、文官や護衛騎士さえおらず、重要な話であるように部屋の隅には盗聴防止の魔道具まで置かれている。
「あれはゲストと呼ばれる者、それに違いはない。私が崇める光の大神フォティ様が仰られていた」
「ゲスト? ですか」
「グレン、お前が崇める神の名は知らないが、あれは“お前と”同じようにこの世界の者ではない。それは間違いないな?」
兄は私がこの世界物ではない事を知っている数少ない人だ。それでも弟と見てくれるのだが。
「・・・・・・確かにあれは一番最初に私が居た世界の武器を持っていました」
「やはりか、だがフォティ様のお言葉通り世界に安定を齎す筈のゲストが世界を乱す存在になるとは、苦しい戦いになる」
兄の話は私がテラス神様から聞いていない情報だった。 いままで時折ゲストと呼ばれる転移者や転生者が現れ、勇者、英雄、救世主、神の使徒、世界に与えた影響で評価する言葉は変わっていたが世界に平和をもたらしていたそうだ。最低でもSSクラスの実力を持ちながら知らぬ考え方を持つ“ゲスト”、世界に良い影響をもたらし戦乱を治め、王都戦士養成学校の設立を提案したのもその“ゲスト”の一人だったそうだ。
しかし兄アークスは光の大神フォティ様から今世界に複数のゲストが存在し、ほぼ全員が世界に平和など齎す事など何も考えていない事を教えられたそうだ。兄は私も一時は監視していたそうだが、私の崇めるのがテラス神様だと分かると問題ないとお墨付きを貰ったそうだ。結局はこの世界にとって紛れも無く“ゲスト”であり部外者、立ち振る舞いが全てを決めるのだろう。
ある程度の世界の安定と平和によって娯楽や食べ物が発展したように、戦いで弓が生まれ、機構が産まれ、クロスボウと成ったように、自然と必然によって発展していく。偶然出来る物のにもその時の知識や技術によって産まれる限界点があるからこそ、それを解明する技術や知識が発展する。先に進みすぎた物は解明する手段さえ存在しないのだから。魔法の世界なら魔法が、科学の世界なら科学が主流となり、ゲストがもたらしたものは歪な形で残るだろう。数百年先か育つ事のない未知の技術と情報をもたらし混乱を招く存在でしかない。
この未成熟な世界の最上位神の管理が不足し、何度も崩壊し掛ける度にゲストを呼んでバランスを取り戻させていたが、今はゲストによって壊されかけている。
「グレン、お前は他のゲストと異なり何故世界を変えようとしない。お前は何を考える」
何をと問われても困る。私は神命に従い、最初の世界に戻るため現在の最上位神を括っている転移者を仕留める。それに何か世界に影響を与えて責任を取れる気がせず、無責任に放置する気になれないだけだ。
ラクシャ達を癒した魔法も最上位神聖魔法が使える兄なら苦労することなく欠損した腕さえ元に戻す事が出来る。コネと金はかなり掛かるが高位神聖魔法が使える治癒術士でも時間さえ掛ければ出来る事も知っている。渡した武器でさえ世界基準で製造が難しく非常に高価なだけであって作れないわけじゃない。
「変えるも何も、私はほとんど覚えていません。それに私は神命を受けており自由などありません」
もしかしたら私の思考は転生する時に無意識下で縛られているのかもしれないが、それもこの世界にとって必要なら疑問に持つ必要さえない。
「お前は・・・・・・」
兄が側で仕えている光の精霊と共にどこか呆れたような表情を浮かべる。力を持つ者なら一度は支配や権力に憧れを持つはずだが、責任を取りたくない故にそのような立場を求めないグレンを理解しつつも変わり者と思ったようだ。
「今後はあのようなものが現れると、エウローリア様にはお伝えする。お前の事は今のところ黙っておくが、知られないように注意するように。私もエウローリア様に問われれば答えねばならないからな」
「・・・・・・ご配慮に感謝いたします」
今後はもっと暗に行動しながら転移者を探さねばならない。情報を集められる人物と表立って功績と注目を集める人物が必要そうだ。