美月ちゃんは、園田くんの前に膝を付き、必死に顔に触れようと手を伸ばしていた。
彼に触れようと、何度も何度も体をすり抜けながら、それでも手を伸ばし続けていた。
こんなの、見ていられない……。
「ここだよ、あーくん、ここにいるの! あたし、ここにいるの! あーくん、あーくん!」
「美月。美月どこだ。なあ、福原さん。美月、ここにいるんだろ? 何て言ってる? なあ!」
「ここにいるって、何度も名前を呼んでる。あーくん、あーくんここにいるのって。そう言って園田くんに……手を、伸ばしながら……」
手を伸ばしながら、泣いてる。
二人の悲痛な声を聞きながら、私はぐっと唇を噛んだけれど、涙をこらえきることができなかった。
頬に一筋、ゆっくり伝うものを感じた。
こんなに二人は互いを求め合っているのに、繋がらない。触れあえない。
ああ、なんて残酷なんだろう。
神様は、なんて酷いんだろう。
そして、神様は何でこんな残酷なまでに哀しいシーンを、私にだけ見せるんだろう……。
『ねえ、彼に伝えて』
3.夏のうたかた、蜃気楼
キラキラと煌めくこの瞬間は
きっと永遠に続く
時の流れなんて
いくらでも
止められると信じてた
信じていたかった
クリ高の食堂は、広くてメニューが豊富である。
しかも、どれも美味しい。
私のお気に入りは、厚切りベーコンがたっぷり入ったカルボナーラだ。
このカルボナーラ、高校の食堂で出すにはちょっともったいないくらいの本格派な味。
しかも安い。
サラダが付いて、ワンコイン。最高の二文字に尽きる。
そんな食堂の片隅の席に陣取った私であるが、目の前にあるものは絶品カルボナーラではなく、私お手製のお弁当であった。
いや、正確に言えば、私が美月ちゃんの指示の元に作った、お弁当だ。
「おお、今日もすっげえ美味そう! 陽鶴ちゃんたち、ありがとう」
私の向かい側に座った穂積くんが嬉しそうに言った。
「ありがとな、二人とも」
穂積くんの隣に座った園田くんも言う。
「いえいえ。ではどうぞ、お召し上がり下さい。美月ちゃんも、いっぱい食べてねって言ってるよ」
私がそう言うと、生粋の体育会系二人は大量のお弁当を胃に収めるべく、箸を握ったのだった。
「美味い! やっぱこの卵焼き、最高!」
「あー、美月の味付けだ。うめえ」
自分の作った物をがつがつと食べてもらえるのは、まあ楽しい。
どんどん食べなさいよ、と妙に大らかな気持ちになる。
そんな私の目の下には、ちょっぴりクマができている。
というのも、ここ数日私は朝の五時前から起きて三人分のお弁当を作っているのだった。
自分一人の分でも面倒……いやいや手間がかかるというのに、男子高校生二人の分までもとくれば、それはもう時間が掛かる。
大体私は、料理があまり得意じゃないのだ。
今まで、休日のお昼ごはんに焼きそばやチャーハンを作る程度の経験しかない。
要領が悪く、作業の一々に時間をとってしまう。
対して美月ちゃんは、小学生の頃から包丁を握っていたというお料理好きで、毎日園田くんのお弁当を作ってあげていたそうだ。
試しにレパートリーを聞いてみたら、凄い数だった。
お菓子作りも好きらしい。女子力という名の戦闘力、高すぎだろ。
その美月ちゃんの丁寧な指導によって、最下級戦士の私はどうにかお弁当を作り上げているわけだ。
「ほらほら、ヒィも食べて。じゃないと、ヒィの食べる分が無くなっちゃうよ!」
「あー、うん」
私の横の椅子に座っている美月ちゃんに促されて、私はのろのろと自分のお箸をとった。
*
話は、一週間前の苑水公園に戻る。
美月ちゃんと園田くんの二人が落ち着く頃には、公園内の照明に明かりが灯っていた。
ウォーキングやランニングの人の姿も減り、気づけば私たちだけ。
それでも、人目を気にして場所を公園内の東屋に移した私たちは、夜遅くまで話をした。
話のメインは、今後の美月ちゃんについて、ということだ。
「実はあたし、あーくんに気付いてもらえたら成仏するんじゃないかなって思ってたんだよねえ」
涙で少し赤く染まった顔で、腕を組んで考える仕草をした美月ちゃんが言う。
「あーくんがあたしの存在に気付いてくれて、お別れをきちんと言えたらもういいって思ってたんだ。なのに、成仏できなかったね」
「俺はそんなの嫌だ! まだ、美月にいて欲しい!」
美月ちゃんの言葉に、そう叫ぶのは園田くんだ。
彼は、再び巡り会えた彼女をすぐに喪うのは耐えられないと言った。
それは、そうだろう。
お別れの挨拶がきちんと済んだらそれでいい、なんて訳がない。
「でも……あたし、死んじゃってるんだよ。ずっとヒィの傍にいるわけにはいかないよ」
「俺のところに来い! それでいいだろ」
「そんなの、やり方が分かんないよ。どうしてヒィだけがあたしのこと見えるのかも分かんないし、ヒィの傍から離れられない理由も分かんないんだよ?」
ぐっと園田くんが息を飲む。
それから、絞り出すように、「なんで自分の元じゃなくて福原さんなんだ」と言った。
「何でだよ。俺だったら……福原さんじゃなくて俺だったら! 何で全然関係のないこの子なんだよ!」
「園田、くん……」
「あー、くん……」
悲痛な園田くんの声に、美月ちゃんが俯いた。
私も、言葉を失う。
「あたしだって……できるなら、そうしたかったよ……」
美月ちゃんの小さな呟きを、私は園田くんに伝えることはできなかった。
誰よりも、園田くんの前に現れたかったのは、美月ちゃんだ。
他の誰の前でもなく、園田くんにこそ、見つけて欲しかっただろうに……。
私の前じゃなくてよかったのにというのは、美月ちゃんだってきっと思っただろう。
「杏里、やめろ。彼女がいたから、お前はまた美月ちゃんと会えたんだ。感謝するべきだ」
長尾くんが諫めるように言えば、園田くんがはっとした。ぐっと唇を噛む。
それから、私に深く頭を下げた。
「ごめん。福原さんには、お礼を言うべきだったのに。美月も、ごめん」
「い、いいの。頭上げて」
慌てて言う。
「とにかく! 美月ちゃんが視えるのは福原さんだけなんだ。そのことをもうグチグチ言うのは止めよう。不毛だ」
仕切るような長尾くんの言葉に、私たちは頷いた。彼の言う通りだ。
「これからのことを話そうよ。どうあれ、美月ちゃんは今ここにいる。で、福原さんと美月ちゃんは、美月ちゃんの心残りをなくそうといういう話で纏まってるんだよね?」
長尾くんに話を向けられて、頷いた。
「そうなの。やっぱり、今の状態のままでいられるわけがない、って美月ちゃんが……」
園田くんを窺いながら、言葉を選ぶ。
再会(と言えるかも難しいけれど)できたばかりなのに、成仏とか消えるとか、そんなことをなるべく言いたくはない。
「私は、出来る限り美月ちゃんに協力しようと思ってる。美月ちゃんの意志を人に伝えられるのは、私だけでしょ? なんでも、出来ることをしたいなって」
「ありがとう、ヒィ」
美月ちゃんが私の横で頭を下げる。
それに、「そんなことしないでよ」と私は笑って答える。
「……ありがとう」
別の方角から言われて、それは園田くんだった。彼はまた、深く頭を下げていた。
「ありがとう、福原さん」
「や、やめてよ。園田くん。私は別に……!」
お礼を言って欲しいわけじゃない。
慌てた私は、「それより!」と話題を変えた。
「美月ちゃん、やりたいこととかないの? それか、夏休みの間に絶対やるぞって決めてたこととか」
「えー?」
美月ちゃんが腕組みをして考え込んだ。
「部活頑張るぞ、くらいのことしか。だけど楽器をヒィに始めてもらうのも何だか違うし……。あ!」
「あ、何かある?」
「お弁当!」
美月ちゃんが園田くんを見ながら言った。
「あーくんにお弁当を、毎日欠かさず作ってあげてたんだ。それが出来なくなったのは、残念だと思ってた」
「おべんとう……」
呟くように言うと、長尾くんが「ああ、美月ちゃんのお弁当は有名だよね」と言った。
「栄養バランスを考えてる上、すっげえ美味いって噂の。何、美月ちゃんの心残りその1はお弁当?」
「うん、そうみたい」
そう言って、私は考えた。
なるほど、お弁当か。
しかし、美月ちゃんは包丁一つ握ることが出来ない状態な訳で、そんな美月ちゃんがどうやったらお弁当を作れるのか……。
「うーん! あ、そうだ。じゃあ、私が、美月ちゃんの指導を受けながらお弁当を作る、ってことでどうかな」
「え? 福原さんが?」
声を上げた園田くんに頷いてみせる。
「そう。美月ちゃんの言う通りに作れば、美月ちゃんの作りたいものが出来るでしょ。味付けとか。
まあ完全再現とはいかなくっても、近いものはできるんじゃないかな。
どうかな、美月ちゃん?」
最後は、美月ちゃんの方を見て訊いた。
これって、いい案だと思う。
美月ちゃんの味付けであれば、園田くんも彼女の存在をもっと感じられるんじゃないだろうか。
そしたら、二人は少しだけでも近づけるかもしれない。
「あ、あたしやりたい! ヒィが手伝ってくれるなら、やれると思う!」
「オッケー。じゃあ、試しにやってみよう。ということで、明日は私が美月ちゃんの指示下でお弁当を作ります」
とりあえず、思いついたことは何でもやろう。
「あ。そのお弁当さ、俺も一緒に食べさせてほしいな」
ひょいと手を挙げたのは、長尾くんだった。
「ん? それはもちろんいいけど?」
一人分増えたって、まあ大丈夫だろう。
「やった。楽しみにしておくね」
長尾くんがニコニコと笑った。
長尾くん、実は美月ちゃんのお弁当が食べたかったのだろうか、なんて私はぼんやりと考えたけれど、彼の意図が分かったのは翌日のことだった。
ともかくも、私たちは明日お昼ご飯を一緒に食べる約束をして、その日は解散した。
翌日の朝は、戦争だった。
たくさんの材料を前にした私は、戦闘力ほぼゼロであるがゆえに、何を作るのかも分からないでいた。
しかも三人分のお弁当である。
朝五時には起きたけど、昼に間に合うだろうか。
「美月ちゃん。ちょっと心が折れかけてる、私」
「大丈夫! 今日は簡単なものにするから!」
美月ちゃんは、やるべきことができてすごく張り切っていた。
園田くんと話ができた後ということもあってか、笑顔も溌剌としている。
「では、よろしくお願いいたします」
私は師匠にそう言って、深々と頭を下げたのだった。
まあ、どれだけ大変だったかは割愛するとして。
私はどうにかお弁当を作り上げ、学校へ行った。
そして食堂の端の席をキープして、園田くんと長尾くんを待ったのだった。
お弁当を前にした二人の目は、とても嬉しそうだった。
「すげえ。これ全部福原さんが作ったの?」
長尾くんの問いに頷く。
「美月ちゃんの教え方が上手だったから、どうにか作れたんだ」
「うん……。美月が毎日作ってくれてたやつに、似てる」
園田くんがまじまじと見つめて言う。
「卵が上手く巻けてなかったり、生姜焼きが焦げたりしてるけど、味は美月ちゃんの言う通りにしたから」
焼き具合だけは、勘弁して欲しい。
そう言ってから、私は二人に早速食べてもらった。
結果的に、お弁当は上手くいったらしい。
長尾くんは「すげえ美味い!」と連呼したし、園田くんは私を見て、「ありがとう」と感激した様子で言った。
「美月のメシだ。美味い。美月も、ありがとう」
園田くんの言葉に、私の横にいた美月ちゃんが、花が綻ぶように笑った。
「よかったぁ。ヒィ、ありがとう!」
「いえいえ。みんなが喜んでくれたなら満足だよ」
えへへ、と笑って、私も卵焼きを口に入れた。
……うん。
自分で作ったとは思えない位、美味しい。