顔をぺたぺたと触られているような感触がして目が覚めた。霞がかった視界が徐々にクリアになっていく。目の前に九条が現れて俺の頬をゆっくりと撫でていた。
「あ、春樹おはよ」
ゆっくりと上半身を起こして周りを見回す。俺はでっかいベッドに寝ていて、その傍らに九条が座っている。照明は薄暗く、少し埃っぽい匂いがした。部屋の中には小さいテーブルとソファ、大きなテレビ、窓はあるけどなにかが張り付けてあるのか外はみえないようになっている。もしかしてこの場所は…
「ラブホ?」
「そうそう。飲食店だと匂いが気になるかなと思って。カラオケやネカフェは遠いしビジホは入りにくくて」
そういえば入る前に、ラブホでいい? と九条から聞かれた気がする。
「…ラブホのが入りにくいだろ。男同士だし」
「受付とかないし、誰にも会わないからいいかなって」
「まぁ、確かに…。俺どんくらい寝てた?」
「たぶん30分くらいかな~」
「マジか…」
わざわざここまで俺を連れてきてくれて寝かせてくれたんだと思うと申し訳ない。九条にごめんとありがとうを伝えたら今度倍返ししてくれたらいいよと笑っていて、某ドラマの有名なセリフが頭に浮かんだ。
「これさ、ここいじったら照明とか変えれるし音楽も流せるんだよ。すごくない?」
ベットサイドのパネルをいじって照明を明るくしたり、BGMの有線のチャンネルを変えて遊んでいる。
「タブレットで食べ物注文できるんだって!カラオケもあるしゲームもあるし、俺ここに住もうかな?」
初めて来たときは俺もはしゃいでたな~と無邪気な九条を微笑ましくみていると、九条がテレビのリモコンを手に取った。
「あ!」
やばいと思った時にはもう手遅れで、大画面に裸の女の人が映し出され甲高い嬌声が部屋中に響いている。九条は口を開けたまま固まってしまい、俺は九条の手からリモコンを奪いすぐにテレビを消した。
「…びっくりしたー……そっか、ラブホだからこういうのがあるんだ…」
「俺も初めて来たときやらかしてちょっと気まずくなった。まさかテレビからあんなの流れてくるとか思わないじゃん」
気まずさを和らげようとしたのに裏目に出たのか、なぜか九条は黙ってしまった。あれ?余計に気まずくなった?
「腹へってない?なんか食べる?」
タブレットに手を伸ばしメニューをみていると、九条がベッドに上がり俺の正面に座った。
「誰と来たの?さっき雑貨屋で会った子?」
「いや、あいつとはすぐわかれたから…」
「誰?俺の知らない子?」
「なんだよ、なんか怖いんだけど」
いつになく真剣な顔でまっすぐにみつめてくる。いつも笑っている九条にこんな顔をされたら、胸がざわざわして落ち着かない。なにも悪いことをしていないのに責められている気分だ。九条の視線に抗うことをあきらめてため息をつき、ベッドサイドにタブレットを戻した。
「他校の女子、年上だったかな。2年の時に逆ナンされてラブホいって、それっきり会ってない」
「ふ~ん…他には?」
「え?」
「それだけじゃないよね?」
口元は笑ってるけど目が笑ってない。尋問されてるみたいだ。こえーよ、なんなんだよ。
「…去年の夏休みに、女子大生と…」
まだじっとみてくるので、この2回だけだと付け足すと、ふ~んとまだ納得していない様子で俺の左手を取る。
「この子とはより戻すの?」
手の平に書かれた市原華のアカウントを指さしている。
「より戻す気ならちゃんと連絡先交換するだろ」
ポケットからスマホを取り出してみせると、持ってたんだと眉を下げて笑った。
「じゃあこれは必要ないから消すね?」
俺の返事を待たずにベッドサイドにあるウェットティッシュに手を伸ばし、それで俺の手の平を拭き始めた。
「…初めて付き合った子でさ、めちゃくちゃ好きだったんだけど、二股された挙句すぐにふられた」
「えぐいね…もしかして、それ以来誰とも付き合ってないとか?」
「え?」
「他校の女子と女子大生だっけ?さっきの口ぶりからして、この二人とは付き合ってはないんだろうなって思ったから」
「当たり……ださいよな。傷つきたくなくて避けてたらいつの間にかまともに恋愛できなくなってた」
「ださくない…ださくないけど、」
ずっと俺の手の平をみていた九条が、顔を上げて真っすぐに俺を見据える。
「そろそろこっち側に戻ってきてもいいんじゃない?」
九条が拭いてくれた手の平、書かれていた文字は消えて、少し赤くなっていた。
「ねっ?」
(やばい、なんで泣きそうになってんだよ…)
九条が、あまりにも優しい顔で穏やかに笑うから、きゅっと胸が苦しくなった。
1月17日、1~3時間目は通常授業、4時間目は体育館で共通テスト壮行会が行われる。3時間目の授業を終えて壮行会に向かう健吾と永嗣に声をかけ、昨日買ったプレゼントをわたした。健吾にはラーメン店の食事券、永嗣には風景の写真集。
「うわ~!めっちゃうれしい!ありがと。今度みんなで食べにいこ」
「えー、これ欲しかったやつ…春樹ありがとう」
「おぉ…共通テストがんばれ」
二人とも喜んでくれてよかった。昨日、九条とラブホを出てから2時間くらい歩き回って、結局一番最初に選んだものを買った。連れ回すのが申し訳なくて先に帰ってくれと言ったのに、心配だからと最後まで付き合ってくれた。本当にいい奴だ。今度昼飯でも奢ってやろう。
「あーそれわたしたんだ。昨日さ、これ買いに行くのついてったんだけど、春樹ってばめちゃくちゃ迷って3時間くらいウロウロしたよ」
急に現れて言わなくてもいいことをさらっと口にする九条。
「お前、余計なこと言うなよ」
健吾と永嗣が驚いて目を見合わせている。
「3時間も…疲れたでしょ。そんなの聞いたらもったいなくて使えんわ」
「そうだよね、春樹プレゼント選び苦手なのに…ほんとありがと」
「いや、べつにそんなたいしたことないから…ほら、壮行会始まるぞ」
4時間目の始まりを告げるチャイムが鳴り、二人の背中をおして壮行会に送り出した。
高価なものを買ったわけでもないから本当にたいしたことないのに二人ともすごく喜んでくれた。俺もうれしくて顔がにやにやしてしまう。
「ふにゃふにゃしてる。かわいいなぁ~春樹は」
顔を覗きこみ頬にぶすぶすと人差し指を突き刺してくる。九条の方がよっぽどふにゃふにゃデレデレしている。イケメンが台無し。
「うるさい、帰るぞ」
「あ、ごめん。今日は美紀と一緒に帰る約束してるから」
リュックを背負い桜庭美紀の席へいき、「じゃあね春樹」と手を振ると、二人並んで教室を出て行った。
「……え?」
どういうこと?もしかしてより戻した??
「ってか、なんで??」
なんかさっきから胸がチクチク痛くて少し息苦しい。周りを見回すと、教室に残っているのは俺だけだった。
さみしいな…健吾と永嗣おわるの待ってようかな。でも、1時間も一人でいるの嫌だし…
「はぁ…かえろ」
小さなため息が静まり返った広い教室に響く。カバンを手に取り廊下をでた。「春樹、帰ろ!」と、いつも笑顔で駆けてくる九条は今日はいない。たったそれだけのことなのに、頭がモヤモヤして胸がチクチクする。それを振り払うように、イヤフォンを耳につけて音楽を再生した。
*****
1月20日、共通テストの自己採点の日。18日と19日の共通テストを受けた生徒は、登校して自己採点をしなければならない。俺は共通テストを受けていないので登校しなくてもいいんだけど、健吾・永嗣と昼にラーメンを食べに行く約束をしたので、そのためにわざわざ学校にきた。
図書室にて、月末にある卒業テストに向けて勉強中…のはずが、集中力が切れて机に突っ伏してしまっている。隣に座る九条が、数学のノートに変なラクガキをして笑わせてくる。ムキムキマッチョな猫がパワーポーズをしてヤー!と叫んでいる。普段ならおもしろくもなんともないのに、図書室の静かな空間の中ではなぜか笑いがこみ上げてくる。笑ってはいけないと思うと余計におかしくて、口をおさえて笑うのを必死に我慢する。そのうち、ブッフォ…と九条がふきだしてしまい、それを合図に俺もブフーと声をだしてしまった。カウンターで作業していた司書の先生に睨まれたので、慌てて片付けてそそくさと図書室を出た。
廊下の窓からグラウンドをみると、昨夜チラチラと降った雪が少しだけ積もっている。「雪だるまつくろ~」と九条が歌い始め、俺の手を引いてパタパタと廊下を走る。教室から顔を出した教師にうるさいぞ~と注意され、ゆっくりと歩く。その教師が教室に引っ込んだのを見計らって再び廊下を走る。いつの間にか九条との競走になっていて、生徒玄関の下駄箱まで全速力で走った。
「イェーイ!俺の勝ち!」
下駄箱に先にタッチしたのは九条だった。
「えぇー…なんでそんな速い…全然息もきれてないし…」
肩で息をする俺とニッと余裕の笑みを浮かべる九条。
「運動神経いいんだよね。自慢じゃないけど、運動神経いいんだよね」
「二回言った。うざっ」
そういえば、体育祭の時リレーでアンカーしてたっけ。
下駄箱で靴を履き替えて外に出た。学校のグラウンドで雪だるまなんか作ったらまた教師に怒られてめんどくさい。俺たちは近くにある公園広場に行くことにした。
学校の西側にある公園広場は遊具ゾーンと芝生ゾーンに分かれている。学校のグラウンドと同じくらいの広さだ。俺たちが着いた時にはまだ誰も足を踏み入れておらず、九条と顔を見合わせてニヨニヨ笑いながら「わーっ!」と駆け回った。白銀の世界にたくさんの足跡がついていく。振り返り自分がつけた足跡をみてなぞの達成感に満たされる。
芝生ゾーンで雪の上にダイブしてころころ転がっている九条。黒のダウンジャケットに雪がちらほら付着している。俺は遊具ゾーンにいって、遊具の上に積もっている雪を集めて雪玉を作った。大の字に寝転がっている九条の顔面めがけて雪玉を投げつけた。雪玉は顔面に命中し「つめたっ!」と九条が驚いて上半身を起こした。九条からの反撃に備えて腕でガードしていたが、反撃してこないので恐る恐る九条の方をみると、こっちにおいでと手招きしていた。警戒しながら九条の元へいく。
「春樹~足に力が入んないよ~起こして~」
「はぁ? ったく、なにしてんだよ」
伸ばされた手を握り引っ張ろうとしたら逆に引っ張られて、バランスを崩して九条の身体の上に倒れた。九条は「ぐへっ」とつぶれたカエルのような悲鳴をあげた。
「ふはっ! カエルいた」
「ヴェェー」
「それヤギじゃね?」
「あ、そっか」
立ち上がろうとしたが後頭部と背中に手を回されてがっちりホールドされている。俺は九条の肩口に顔をうめている状態で身動きができない。
「春樹いい匂いするね」
俺の髪に鼻を押し当てて匂いを嗅いでいる。息が耳にあたってくすぐったい。
「ちょ…やめろって」
身じろぎしていたらすぐに解放された。二人でゆっくりと立ち上がる。
「へへっ、春樹はかわいいなぁ~」
またあのふにゃデレ顔で俺をみつめる。怒るつもりだったのに九条といると毒気を抜かれる。
「お前、ほんと俺のことすきだよな?」
冗談のつもりだったのに、みるみるうちに九条の顔が赤くなり下を向いてしまった。
(え…?なにこの反応?!ガチでおれのことすきなの?!)
俺もつられて顔が熱くなる。
「……きだよ」
蚊の鳴くような小さな声が震えている。九条は顔を上げて真っ赤な顔で俺をみる。
「すきだよ、春樹のこと……」
いつもよりも低い声が、しんと静まり返った真っ白な世界に消えていく。しんしんと雪が降り始め、九条のオレンジ髪に触れてはすぐに溶けていく。さっき雪を触った手は氷のように冷たくなって感覚がない。その手を九条が優しく握ってくれる。
「……そろそろいこっか。健吾たちがまってるよ」
九条の手は俺のよりも少しだけあたたかかった。
2月5日、俺はいま九条の家の前に来ている。インターホンを押そうかどうか迷っているところだ。
あの日、公園で九条にすきだと言われた。”すき”にも色々あるけど、友達としてのすきじゃないと思う。声を震わせて真っ赤な顔をしていたから。その後、試験期間に入り九条とゆっくり話すことができなかった。2月になり3年生は自由登校になったから顔を合わせることもなくなった。内心少しホッとしていたけど、昨日九条から連絡がきた。
『倍返しの約束おぼえてるでしょ? 明日ウチにきてね!』
なにをするのか、聞いても教えてくれなかった。いろんなことを考えすぎて昨夜は一睡もできなかった。
(てか、どんな顔して会えばいいんだよ!! すきって言われて意識しない方が無理! あ~またドキドキしてきた~~)
ガチャとドアが開いて心臓が飛び跳ねる。九条が顔を出し「いつまで突っ立ってんの?」と笑いながら手招きしてきた。
(はず…みられてたのかよ)
無駄にデカい音を立てる心臓に手を当てて九条の家に入った。
「おじゃまします」
「はーい、どうぞ~! あ、今だれもいないから大丈夫だよ」
(だれもいない?! 大丈夫?! なにが大丈夫なんだ?!)
靴を脱いでスリッパに履き替えながら心の中でツッコミをいれる。九条に案内されて向かった先はキッチン。そこでピンクのフリルがついたエプロンを着せられる。
「あはは、春樹似合ってる~かわいい~~」
毎度おなじみのふにゃデレ顔で、俺にスマホを向けてカシャカシャと写真を撮っている。
「ほら、みて?」
撮った写真をみると、肩幅のゴツイ男がフリルエプロンを着て仏頂面で立っていた。我ながらすごく気持ちが悪い。
「全部消せ」
「え~かわいいのに~」
「消さないなら今後お前とは二度と口きかなーー」
「消します!」
消去したのを見届けてから周りを見回す。テーブルの上にはボウルや包丁などの調理器具とチョコレートやココアパウダーなどの製菓用の材料が並んでいた。
「お菓子でも作んの?」
「当たり!来週バレンタインでしょ?明日の登校日にクラスのみんなに配ろうと思ってさ」
そういえば九条の趣味はお菓子作りだ。進路も製菓の専門学校だったっけ。
「去年も友達に作って配ったらみんなよろこんでくれてさ、今年は卒業だからクラス全員分のトリュフを大量に作ります」
「トリュフ?」
「キノコのトリュフに形が似てるチョコだよ。美紀のリクエストなんだ」
九条の口から美紀という名前が出てきて胸がチクッとした。
「…この前一緒に帰ってたけど、もしかしてより戻したとか?」
「え? 違うよ~色々話したいことあったから一緒に帰っただけ」
「ふ~ん、そっか」
安心してる自分がいる。やっぱ俺、無意識に桜庭に嫉妬してたんだ。
「で、そのトリュフ作りを俺に手伝えと?」
「そういうこと」
「俺全然料理できないけど…」
「切ったり溶かしたりするだけだから大丈夫だよ」
まな板の上に銀紙を剥がした板チョコが置かれてスッと包丁が差しだされた。それを受け取り包丁の柄を両手で握りしめておもいっきり振り下ろした。まな板の上の板チョコは真っ二つに割れたが包丁を振り下ろした衝撃でテーブルの下に落ちてしまった。
「マジか…」
チョコを拾い上げ顔を引き攣らせている九条。
「調理実習とかどうしてたの?」
「永嗣が全部作ってくれた。俺と健吾は手伝うふりしてみてただけ」
「そっかぁ、永嗣料理できるもんね…」
「じゃあ俺は用なしということで」
エプロンを脱ごうとしたら腕をつかまれた。
「せっかくだから俺が手取り足取り教えてあげるよ」
「いや、遠慮しまーー」
「倍返しの約束だよね?」
有無を言わせない九条の笑顔にイエスと答えるしかなかった。
まずチョコの刻み方を教えてもらう。角から斜めに大きく切っていく。大まかに切れたら、チョコを真ん中に集める。包丁の先を手で押さえて、そこを軸にして動かしながら細かく刻む。
九条の隣に並び同じようにやってみるけど包丁の扱いに慣れてなくて時間がかかってしまった。
「できた」
俺が刻んだチョコをみて眉間にシワを寄せる九条。
「まだ大きい。もっと細かくして」
「は? どうせ溶かすんだからべつにいいだろ」
「細かくしないと均一に溶けないんだよね。ほら、手を動かす!」
チッと舌打ちしたら鬼の形相で睨まれた。なんかいつもの九条じゃない…めっちゃ厳しいんですけど…
仕方なくさっきと同じようにして無心でチョコを刻みまくった。おかげでほぼ粉になった。
「まぁ、よしとするか」
「上からだな~」
「はい、次いくよ」
次はチョコを溶かす工程。刻んだチョコをボウルに入れる。55℃くらいのお湯を張ったボウルにチョコが入ったボウルを入れて、しばらく待つ。まわりが溶けてきたら、ゴムベラでゆっくりかき混ぜる。粒がなくなってなめらかになるまで混ぜる。
「ここは順番にやってたらチョコが固まっちゃうから一気にやるよ」
そう言って九条と俺の刻んだチョコを同じボウルに入れて溶かし始めた。
「春樹もやって」
九条の持ってたゴムベラを差しだされておずおずと受け取り、ゆっくりとチョコをかき混ぜる。
「ぜっっったいにお湯入れちゃダメだからね!」
「わかってるよ」
隣に立ってる九条の視線が突き刺さって痛い。ああ、早くおわんないかな…
不意に背後からにゅっと手が伸びて、ボウルを支えてる左手とゴムベラを持つ右手に九条の手が重なった。
「えぇ?!」
驚いて振り向こうとしたらすぐそこに九条の顔があって、危うく頬にキスするところだった。
(おぉぉい…近すぎるだろ)
平常心を保とうとするけど、意識すればするほど顔に熱があつまっていく。
「大丈夫、集中して」
九条の低く甘い声が鼓膜に響いて腰が砕けそうだ。
(全然大丈夫じゃないんですけど…この状況で集中できるわけないじゃん)
「そ、そろそろいいんじゃない?」
「うん、こんなもんかな」
やっと九条が離れてくれてホッと胸を撫でおろす。
九条は手を洗うと冷蔵庫から大量のガナッシュとやらを取り出してきた。事前に作っていたものらしい。
「なんか動物のウンコみたい」
九条は呆れたようにため息をついて「さいてー」と肘で小突いてきた。地味に痛い。
さっき溶かしたチョコを手の平につけて、丸いガナッシュをコロコロ転がしてコーティングする。見ながら同じようにやってみるけどやっぱりうまくいかない。九条のはきれいな丸の形をしているのに、俺のは岩みたいにボコボコしてしまう。
そしてやっと最後の工程。バットの中にココアパウダーを入れる。コーティングしたガナッシュをその中で転がして表面にココアをまぶす。
「で、できた…」
「かんせーい!イェーイ!」
九条とハイタッチをして喜びを分かち合う。
「いや~チョコ作りってこんなに大変なんだな」
バットに並んだたくさんのチョコ。俺のは形が悪くて不格好だけど、苦労しながら作ったぶんそれすらも愛おしい。
「ってか、九条すげぇな!こんなキレイに作れんだ。店に出せるレベルじゃん」
九条は少し照れたようにはにかむ。
「そんなことないよ。まだまだ全然趣味程度の出来だから」
「いやいや、マジすごいって」
「へへっ…春樹、今日はありがとうね。おかげで楽しく作れたよ」
「全く戦力になってなかったけどな。むしろ足手まといだし」
「ううん、一緒に作ってくれてうれしかった。いい思い出になったよ」
九条はうれしそうに笑っていたけどなんだか少し寂しそうだった。
「あ、春樹起きた?」
(あれ?九条がいる。確か前にもこんなことあったな)
ぼんやりとした意識の中でゆっくりと目の前に広がるのは見慣れない天井。上半身を起こして周りを見回し、ベッドから降りた。
(そうだ、ここは九条の部屋だ。一緒にチョコ作りをして、後片付けは九条がしてくれて俺は部屋で休んでたんだっけ)
九条の部屋は一般的な男子高校生の部屋という感じで、ウォールナットの机やラックが並んでいて落ち着いた雰囲気だ。本棚には有名な海賊のマンガやバレボール部のマンガなどが並んでいる。俺はその中の一冊を手に取りベッドに座って読んでいたんだけど、いつの間にか寝てしまったらしい。
「無防備すぎない? 2回目だよ、寝ちゃうの」
「むぼーび? え? 友達の部屋で寝ちゃうとか普通じゃない?」
「トモダチ…そっか~トモダチだもんね」
小さくため息をつくと、ローテーブルに置かれているさっき作ったチョコをポイッと口に放り込んだ。
(あぁ~そうだ、すきって言われたんだよ。九条は俺のこと友達だと思ってないんだよな?)
「あのさ、聞いてもいい?」
「ん?」
「なんで俺のことすきなの?」
九条はぱちくりと瞬きしたあと口の中でコロコロとチョコを転がし困り顔で「ん~」と唸っている。
「それ聞いちゃう?」
「そりゃ聞くだろ。こっちは言い逃げされてずっとモヤモヤしてんだよ」
「いや~俺も言い逃げするつもりじゃなかったんだけどね…」
ローテーブルの下から黄色い箱を取り出した。鮮やかなオレンジ色のリボンできれいにラッピングしてある。
「今日はね、本当はこれをわたしたかったんだ」
開けてみて? と促されてそっとリボンを解いて箱を開ける。中にはチョコのケーキが入っていた。上には粉糖がまぶしてあって、雪化粧したみたいにキレイでおいしそうだ。
「めっちゃうまそう。いつの間に作ったの?」
「春樹が来る前にね。食べてみて」
「え? 今? 食っていいの?」
「あ、やっぱり帰ってからゆっくり食べて。いや、でも、やっぱり今食べて! 食べてるとこみたい」
「どっちだよ」
皿とフォークを持ってくると言う九条を制して、ケーキを手に持ちかぶりついた。口になかにチョコの甘さがひろがって幸せがやってくる。
「うんま…なにこれ。ちょーうまい」
俺がもぐもぐと口を動かしている間、九条はニコニコ笑って俺をみている。みられていると少し食べにくいけど、とても幸せそうに笑うからみるなとは言えなかった。
「ごちそうさまでした。うまかった」
「よかった~。あ、口ついてるよ」
おもむろに手が伸びてスッと唇に触れた。その指を自分の口元にもっていきペロッと舐める。あまりにも自然な所作に見惚れてしまい、理解するのに時間がかかった。
「…お前さ」
徐々に顔が熱くなる。気まずくて目を合わせられず下を向いた。
「ん? あ、間接チューしちゃった…」
九条も自分がしたことをやっと理解して顔を赤くしてもじもじしている。
(無意識かよ…こわい)
「…で?」
「え?」
「さっきの、なんで俺のことすきなのっていう話の続き」
「あ、そうそう。そうだった」
ゴホンと咳払いして正座をする九条。俺もつられて背筋を伸ばす。
「…去年の夏休み明けに春樹をみたときに衝撃を受けてさ。今までべつになんとも思ってなかったのに金髪の春樹がかっこよすぎて、この辺がぎゅうって苦しくなって、死ぬかと思った。それからすぐに黒髪に戻っちゃって残念だなって思ってたんだけど、なんかずっと目で追っちゃうんだよね。たぶんこれはすきなんだろうなって…でも俺には美紀がいたから、どうしようって半年くらい悩んで……」
「半年?!」
「悩みすぎだよね…半年経ってもやっぱり春樹のことがずっと気になってたから、とりあえず行動しなきゃと思って、髪をオレンジにして美紀とわかれて春樹に近づいた」
「そこで髪オレンジにする発想がすごいわ」
「へへっ、少しでも春樹に近づきたくて、注目してほしくて」
「いやでも、俺も二度見したから、作戦成功なんじゃない? 九条がイケメンでびっくりしたわ」
「イケメンかな? 春樹の方がずっとかっこいいけど」
「いやまあ、うん…それは置いといて」
「ははっ、照れてる~かわいい~」
「話を戻せ」
ゴホンとまた咳払いしてふぅ~と息を吐く。俺も熱くなる顔を手で仰いで小さくため息をついた。
「…それで、春樹と仲良くなっていくうちに春樹のことたくさん知ってどんどんすきになって…今この状態です」
「そっか…」
「こんなに人をすきになったの初めてなんだ」
「桜庭さんは?」
「美紀のことはすきだったけど全部受け身だった。告白してくれたのも、デートの計画を立ててくれるのも、美紀がしてくれてた」
ゆっくりと九条の手が伸びて、ローテーブルに置いている俺の手と重なる。
「自分からすきになったのは春樹が初めてだよ」
九条の手から、ドキドキと心臓の音が伝わる。それに重なるように俺の心臓もうるさくどくどく鳴っている。
「でも大丈夫。安心して。すきになってくださいとか付き合ってくださいとか言わないから」
静かに九条の手が離れていった。笑っているけどやっぱりどこか寂しそうだ。
「九条はどうしたいの?」
「へ?」
「言わないだけで、本当は俺と付き合いたい、すきになってほしいって思ってんだろ? じゃなきゃ、髪染めたり、桜庭さんとわかれたりしないよな」
「…それは、そうだけど、でも春樹を困らせたくないし」
「誰が困ってるって言った?」
申し訳なさそうにうつむいてしまった九条を真っすぐに見据えると、九条はゆっくりと顔を上げた。
「こんな真剣に想ってくれてるんだから俺もちゃんと、本気で九条と向き合うよ。だから少し考える時間がほしい」
「…うん、わかった」
「なんで泣きそうになってんだよ」
「だって、こんな風に言ってもらえるとおもってなかったから…」
手を伸ばしてオレンジ髪を撫でてやると「ありがとう」と一粒だけ涙を流した。すごくキレイで、ずっと眺めていたいと思った。
2月6日、登校日。九条は昼休みになるとすぐにクラスメイトにチョコを配っていた。桜庭もうれしそうにチョコを受け取っていて、わかれたのがウソみたいにいい雰囲気で話している。
(やっぱなんかモヤモヤする)
「春樹はもらった?」
チョコを受け取った健吾が俺のところにやってきた。
「いや、俺は昨日食ったから。ってか、それ作るの俺も手伝ったんだからな」
「だから形が悪いのがまざってるんだね」
前の席の永嗣が笑いながらチョコをみている。
「うるせー。ちょー大変だったんだんだぞ」
「うん、形は悪いけど味はいけるよ」
「おいしいね、形は悪いけど」
チョコを食べながらいじってくる二人を睨みつけて席を立つ。
「購買いってくる」
「いってら~」
*****
購買でカレーパンとたまごサンドを買い、途中で中庭近くの自販機に寄ってイチゴオレを買った。
「あ、仁科先輩じゃん」
「久しぶり~」
髪がピンクのギャルと金髪のギャルに声をかけられたが誰だかわからない。
「……ひさしぶり?」
「あのさ、髪がオレンジの九条って人? あの人、彼女とわかれたんでしょ?」
「え? まぁ、うん」
「これワンチャンあるくない?」
「あるでしょ。あの人よくみたらけっこうイケメンだし、ウチらに紹介してよ?」
「いや~なんかすきな人いるって言ってたけど」
「あぁ~いいのいいの。そういうんじゃなくてさ、ウチらボタンほしいだけだから」
「は? ボタン?」
「ブレザーのボタン。かっこいい先輩からボタンもらってカバンに付けんの」
「卒業イベントみたいなやつ。知らない?」
知ってるけどそういうのって憧れてる先輩に勇気をふりしぼって告白してもらうもんじゃないのか?今時の女子高生にとってはもっと手軽なもんなのか?
「仁科先輩のでもいいよ~先輩もいちおうかっこいい部類に入るし」
「一応ってなんだよ」
「じゃあウチら二人分のボタン予約ね?」
「へぇ~予約システムとかあるんだ?」
突然どこかから湧いて出た九条がニコニコしながら二人に声をかけた。
「うぅわ!九条先輩!」
「タイミングやばい!」
「先輩、ウチらにボタンください」
「わるいんだけど、もう予約でうまってるんだ。春樹のボタンも、俺のボタンも」
「え~マジか~」
「やっぱかっこいい人のは先約あんだね~」
「あ、あれ!西崎先輩じゃね?」
「めっちゃかっこいい~いこ」
次のターゲットをみつけた二人は俺たちをふりかえることなく西崎先輩とやらに直進していった。九条と顔を見合わせて苦笑する。
「ボタン、誰にあげんの?」
「もちろん、仁科先輩?」
「俺かよ」
「交換しようよ」
「交換って、同じもの交換して意味あんの?」
イチゴオレにストローを差していると横から九条に奪われて先に飲まれた。
「同じじゃないでしょ!春樹が着てたブレザーのボタンなんだから!」
「…わかったよ」
「全部のボタン交換してね」
「全部? それならブレザー交換した方が早くね? ボタン外す手間なくなるし」
「え?! いいの?!」
食い気味に聞いてきた九条に頷いてやると目を輝かせてよろこんでいた。卒業したら着なくなるのになんでブレザーなんかほしいんだ?と思ったけど怒られそうなので黙っておいた。
「あ、ごめん。これ全部飲んじゃった」
「はぁ?!」
*****
中庭で昼食を食べ終えると健吾と永嗣が英単語の問題を出し合っていた。二人とも来週に一般入試を控えているのでいつになく真剣な様子で、関係ない俺もなんだか少し緊張してきた。
「春樹~これいかない?」
マイペースな九条は二人のことなどお構いなしにのんきな様子で俺にスマホをみせてきた。
「シーワールド バレンタインイベント?」
「2月14日だけ入館料が半額になるんだって~」
「魚なんかみてなにが楽しいの?」
俺の発言に大げさにため息をつく。
「そういうとこだよ」
「なにが?」
「仁科くんって顔はいいんだけどなんかね~ってクラスの女子に言われてるの知ってた?」
「はぁ? なんだよそれ?」
「まぁ、それはいいとして」
「よくないよくない」
「ペンギンとかアシカとかジンベエザメもいるんだよ! みたくない?」
「う~ん、ジンベエザメはみたいかも…」
「でしょ? あと、これ! アザラシの赤ちゃんのぬいぐるみ! かわいくない?」
九条のスマホに映るアザラシのぬいぐるみ、確かにかわいいけどべつにほしくない。って言ったらまた怒られそうだから黙っておく。
「か、かわいいんじゃない?」
「だよね~! ほしいよね~?」
「…ほ、ほしい、かな?」
「じゃあ、駅前に10時に集合ね!」
「…………」
「遅れないでね?」
「…あーもう、しかたないから付き合ってやるよ」
「へへっ、やったー!粘り勝ち!」
(あれ? なんか振り回されてないか? まぁ、九条がよろこんでるならいいか)
2月14日、九条と駅で待ち合わせて電車に乗った。5つ目の駅で降りて水族館に向かう。やたらと大きいカバンを持っていたのでそれを奪い取って運んでいたら「ありがとう」と穏やかに笑った。
ゲートに着くと九条の言っていたとおり入館料が半額になっていて二人でガッツポーズをして館内に入った。最初に目に入ってきたのは大きな水槽。壁一面が水槽になっていて、そこに俺のお目当てのジンベエザメがいた。
「うわー!でかっ!」
「めっちゃ口開けてる~かわいい~」
「かわいい?」
「プランクトンが主食なんだって」
「へぇ~食べれんのかな? サメだから臭いかな?」
「食べる?」
次に向かったのは日本海の水槽。キンメダイやカサゴなどのおなじみの魚がいて、俺が一番目を引かれたのはタカアシガニという世界最大のカニだ。
「げっ! こんなんバケモンじゃん!」
「すご! ハサミを広げると3メートルになるって」
「これは攻略しがいがある」
「こうりゃく?」
「でもデカすぎると美味くないんだっけ?」
「うまい? また食べるの?」
次はペンギンコーナー。たくさんのペンギンが連なって歩いている。ヨチヨチと歩く様子が幼児の散歩のようで、さすがの俺もこれはかわいいと認めるしかなかった。
「か、かわいい~」
「やばい! 赤ちゃんもいる! めっちゃかわいい~」
途中、飼育員がペンギンの輪の中に入ると、一匹が後を追い、もう一匹がまた後を追っていく。そしていつの間にか飼育員をめぐってケンカが始まった。
「わぁ、修羅場」
「三角関係のドラマみたいだね…」
「ペンギンは鳥類だからやっぱり美味いんかな?」
「一旦、捕食者目線でみるのやめてもらっていいですか?」
ずっと捕食者目線でみていたせいで腹がへってきた。とりあえずベンチに座り場所取りをしてから九条に売店にいくかと聞いたら、やたらとデカいカバンから三段重ねのランチボックスが登場した。
「じゃーん!」
フタを開けるとたくさんのおにぎりにからあげ、卵焼き、ポテトサラダ、デザートにオレンジが入っている。
「えぇ!? めっちゃうまそう! これ九条が作ったの?」
「うん…少し母さんに手伝ってもらったけど」
「すげー! 俺のすきなものばっかり。食べていい?」
「どうぞ~」
まず最初にからあげにかぶりつく。めちゃくちゃジューシーで味もしみ込んでてうまい。次はポテトサラダ、ほくほくの芋とマヨネーズと塩加減が絶妙。そして卵焼き。俺の好みの甘くて優しい味。おにぎりは鮭、梅、たらこ、昆布などバラエティーに富んでいて全部おいしかった。
「ごちそうさまでした。ありがとう。めっっちゃうまかった!」
「よろこんでもらえてよかった~」
「お菓子作れて弁当まで作れて、九条すげぇわ。こんだけ作るのにかなり時間かかったんじゃない?」
「5時起きです」
「マジか…5時起きで作った弁当、一瞬で食べちゃったんだけど」
「すごい食べっぷりだったね。春樹いつもおいしそうに食べるから作りがいあるよ」
「胃袋をつかむってこういうこと言うのかな? 九条いいお嫁さんになりそう」
「お嫁さん? 春樹がもらってくれるならよろこんで嫁入りします」
「ん?…あぁ~えーっと……」
「ガチで照れないでよ…俺まで恥ずかしくなってきた」
お互いをみていられなくて、二人で顔を真っ赤にして下を向く。いたたまれなくなり、勢いよくベンチから立ち上がるとやたらとデカいカバンを手に取った。
「そろそろいく?」
「うん…」
そして向かった先はクラゲコーナー。真っ暗な空間にふわふわとクラゲが漂っていて神秘的な空間に息をのむ。
「キレイ…」
九条がみているのはカブトクラゲ。光を反射して虹色にひかっている。カラフルな電飾を身にまとっているようで、歓楽街のネオンを連想させる。じっとクラゲをみつめる九条の大きな瞳、虹色が映り込んでキラキラと輝いている。
「うん、すごくキレイ」
こっちを向いた九条と目が合った。驚いたように目を見開いたあと、優しく笑って俺の頬にそっと触れる。
「春樹の目が虹色になってる…キレイだよ」
目元をスッとなぞって静かに離れていった。
時々、身体が固まって動かなくなる。金縛りにあったように動かせなくなる。それでも視線だけはずっと九条を追っていて、金縛りがとけると途端に心臓が早鐘を打ち胸のあたりが痛くなって呼吸がうまくできない。
(いつの間にこんなに九条のこと…)
クラゲコーナーを出るとお土産コーナーがあり、九条はそこでほしがっていたアザラシ赤ちゃんのぬいぐるみを探す。俺は適当にお菓子を物色していると
「わっ!? 春樹!? マジ!? すごい偶然!」
目の前に現れたのは市原華、俺の元カノ。俺はずっと、まともに恋愛できない理由をこいつのせいにしてきた。でも理由はそれだけじゃない。俺がいろんなものと向き合うのを避けてきたから。
「えー誰と来てんの? 友達? あたしも友達と来ててさ~」
小さくため息をついて心を落ち着かせる。
「ってか、なんで連絡くれないの~? ずっと待ってたんだけど。今日はスマホあるよね?」
口を開こうとした瞬間、九条が間に割って入ってきた。
「ごめんね? 春樹この後予定あるから連れて帰るね」
九条が俺の手を取り歩き出そうとしたとき
「連絡先だけ交換しよ? それぐらいの時間はあるでしょ?」
反対の手を華に握られる。九条は俺を心配そうにみている。俺は九条の手をぎゅっと握って力強く頷いた。そして華に握られている手を振りほどく。
「わるいけど、俺アンタに一ミリも興味ないから。連絡先とか教えたくない」
「え…」
「今後みかけても話しかけんな」
「なによそれ…あたしだってべつにアンタに興味ないし。さみしそうだったから声かけてやっただけなんだけど。ちょっとかっこよくなったからって調子のってんじゃない?」
「はいはい。昔の男に構ってるヒマあんなら新しい恋でも探して来たら?」
「言われなくてもそうするわよ! バーカ!」
わかりやすく鼻息を荒くしている彼女を置いて、九条の手を取り颯爽と水族館をでた。
外に出るともう陽が傾いていて、冷たい風が頬を撫でる。さむっと身震いしているとふわりと九条の腕の中に包まれる。
「春樹、すっごくかっこよかったよ!!」
「そうか? ただの嫌な奴だろ?」
「いいんだよ! 俺にはめちゃくちゃかっこよくみえたんだから!」
「へへっ…そっか。九条にそう思われてるんだったらそれでいいか」
ゆっくりと腕が解かれて九条の手に頬を包まれる。
「今すっごいいい顔してる。うん…やっぱり俺、春樹がすきだ」
「……」
「照れた顔もすきだよ…」
「バーカ…」
やっぱり金縛りにあって胸がぎゅっと苦しくなった。
俺が悪態をついたのに九条はバカみたいに幸せそうに笑っていて、夕日の色が九条のオレンジ髪に反射してキラキラ輝いていた。
この景色をいつまでも覚えていたいとおもった。
2月26日、予餞会。今日は体育館で予餞会がある。予餞会とは、卒業を控えた生徒を送り出す目的で開催される学校行事。生徒会主催で行われ、毎年けっこう盛り上がっている。俺も去年、先生たちのコントに混じって出たけど見事に大スベリして会場を凍り付かせてしまった。昭和ギャグは令和の高校生には通じなかった。今年も先生たちのコントがあるみたいだけど、素直に楽しめないだろうな。
まずは生徒会長の挨拶から始まり、合唱部の歌唱、ダンス部のパフォーマンス、演劇部の舞台。最初はみんなちゃんと自分の席に座っていたけど時間経過とともに各々すきな場所に移動し、イスの並びもぐちゃぐちゃになっている。その分、生徒たちが盛り上がって楽しんでいるので先生たちは注意しない。俺は一番後ろの席でぼんやりしてたんだけど、いつの間にか隣に九条が座っていて楽しそうに舞台の感想を話している。吹奏楽部の演奏がおわり、軽音部のバンド演奏が始まると一部の生徒が席を立ち歓声をあげる。
「この曲聞いたことある。なんだっけ?」
「えーっと、打ち上げ花火?」
「そうそれ!」
隣に座る九条の声が聞き取れないほど騒がしくなり、九条はイスをくっつけて俺の耳元でぼそぼそ話し始めた。距離が近いのはいつものことだけど耳に吐息がかかるくらいの距離だとさすがにドキドキするしくすぐったい。
ふいに手が伸びて俺の耳に触れる。
「ピアスいいなぁ~俺もあけようかな?」
左耳についているシルバーリングのピアス、それにちょんちょん触れてから耳たぶをつままれる。ふにふにとマッサージするみたいに触られて、くすぐったくて身体をよじった。
「やめろ」
「へへっ、春樹かわいいね~」
「…うるせ」
ふにゃデレ顔で九条にからかわれることなんて慣れてるはずなのに、距離が近すぎるせいかいつもよりドキドキする。いつまでも俺の顔をずっとながめているので前を向くように促した。カーテンが閉められて電気がパッと消える。”3年間の思い出”というスライド上映が始まった。立っていた生徒が慌ててイスに座る。
「うわ、入学式じゃん。なつかしい~」
入学式からの学校行事の写真が1枚づつ映し出されて、写真が切り替わるたびにそこかしこで声が上がる。修学旅行の写真で、俺と健吾と永嗣の寝起き姿が晒されて、前に座る二人とともに低く悲鳴を上げた。健吾と永嗣は眠そうにぼーっとしているだけだけど、俺に至っては顔がむくんで目も腫れてみるに堪えない姿だった。
「アンパ〇マンみたいになってるんだけど! 寝れなかったの?」
「枕が変わると寝れないんだよ、繊細だから」
「俺の部屋では爆睡してたけど」
「あの時は寝不足だったから」
パッと写真が切り替わって周りから冷やかすような声が聞こえる。スライドショーに視線を戻すと、九条と桜庭のツーショットが映し出されていた。二人とも満面の笑みでピースをしている。わかれたことを知っているクラスメイトの間には気まずい空気が流れるが他のクラスの一部の生徒はキャッキャとはやし立てている。薄暗い中でも九条が複雑な顔をしているのはわかる。俺は手を伸ばして九条の手をぎゅっと握った。九条は少し安心したのか、表情を和らげてぎゅっと力強く握り返してくれた。
3月1日、卒業式。いつもより早く目が覚めて「アンタがこんなに早く起きるなんて明日は雪が降るんじゃない?」と母さんにからかわれながら食パンをかじる。朝食を食べおえて制服のブレザーに袖を通す。もう最後なんだと思うと急に寂しくなった。
外に出ると、ひんやりと冷たい空気が鼻の奥をツンとさせる。街の景色や通学路がいつもより澄んでいる気がした。学校に到着し、校門をくぐり下駄箱で靴を履き替えて階段をのぼる。この長い長い階段をのぼるのも最後、教室に入るのも最後。クラスメイトに挨拶をして席に着いた。黒板には”卒業おめでとう”と色とりどりのチョークで鮮やかに描かれている。何人かがそれをバックに写真を撮っていた。
(やばい…この雰囲気だけで泣きそう……)
机に置いてあった花のコサージュをブレザーのポケットに突っ込む。「はよっ」と挨拶をして教室に入ってきた九条をみて俺は席を立った。
「ちょっときて」
登校してきたばかりの九条の手をひいて教室を出た。廊下に出ると向こうから桜庭美紀が歩いてくるのがみえた。そのまま九条の手をひいて歩く。すれ違い様に目が合った。見間違いかもしれないけど、笑っているような気がした。
いつも昼食を食べている中庭に来た。ベンチに座り深く息を吸い込んで吐き出す。隣で九条が「なになに?」とキラキラした目でみてくる。
「あのさ、」
ごくりと唾を飲み込んだ。
「単刀直入に言うけど、」
九条のキラキラした目に耐えられなくて一旦下を向く。心臓がバクバクしていて胸に手を当てて落ち着かせる。登校したときは肌寒かったのに今は熱くてブレザーを脱ぎたいくらいだ。
顔をあげて九条をみると、ふにゃりと顔が綻んでいた。その顔に安心して肩から力が抜ける。
「俺、九条がすき…かもしれない…」
ふにゃふにゃしていた九条の顔が途端にきりっと引き締まった。
「かもしれない?」
「いや、えっと…すきなんだけど、確信がもてないというか…」
「も~はっきりしないなぁ~」
口を尖らせて不満げにしている九条が突然にやりと不敵な笑みを浮かべる。
「こうすればわかるんじゃない?」
ぐいっと近寄ってきたと思ったら俺の後頭部に手を回し口を寄せてきた。驚いて目をつむる。唇にやわらかいものが触れてすぐに離れていった。おそるおそる目を開けると、九条が真っ赤な顔で目を伏せている。
(キス…した…?)
自覚した途端、今までに感じたことのないくらいに胸の内側がぎゅうぎゅうと苦しくなり顔に熱が集まる。
(初めてじゃないのになんでこんなにドキドキしてんだ?! 心臓爆発する?!)
「どうだった…?」
自分からしてきたくせに気まずそうに視線をさ迷わせている。
「うん……」
「うん?」
「すき…です……」
安心したように胸を撫でおろしふぅーと息を吐いた。
「よかった~。やっぱり違うかったとか言われたらどうしようかと思った」
脱力してふにゃふにゃしてたと思ったら突然腕の中に抱きしめられる。
「春樹、すき…すきだよ。一生離さないから。一緒に幸せになろうね」
耳元で囁くのは反則だ。ただでさえ身体が熱いのに、背筋がゾクっとして耳まで熱くなる。
「……一生って、プロポーズかよ」
そっと身体を離してまっすぐにみつめられる。大きくてきれいな目が俺をとらえて離さない。
「プロポーズだよ」
こんなにはっきり言いきられるとどうしたらいいのかわからない。いつもふにゃふにゃデレデレしているくせにこういう時はかっこいいんだから本当にずるい。
(あぁ~もう…)
「重い」
「え~! ひどい~!」
「キスしたからって調子にのるな」
「うわ~だってさ~めちゃくちゃ緊張したし勇気だしたんだよ?」
「わかったから、そろそろ教室戻るぞ」
「え~俺のプロポーズ スルーしないで」
「はいはい、あとでな」
「小さい子がワガママ言ってるみたいな反応しないで」
「九条くんいい子だから教室戻りましょうね~」
「ノッてこないで」
教室に戻る途中でブレザーを交換した。九条は幸せそうにニコニコ笑っていて、俺もつられて笑ってしまった。
昨日、卒業式の予行の時点で泣きそうだったから、式本番でぐちゃぐちゃに泣く前にびしっとかっこよく告白するつもりだったのに。逆に九条にかっこよさをみせつけられてやられてしまった。
式本番では厳かな寂しい雰囲気の中、みんな鼻をグスグス鳴らしたり目を潤ませたりしていたのに、俺と九条だけにやけそうになるのをずっと我慢していた。おかげで全然感傷に浸れなかった。
教室では卒業証書の筒を持ってあちこちで記念撮影会が行われていた。告白と卒業式で疲れてしまった俺はぐったりと机に突っ伏していた。
「春樹ー」
名前を呼ばれて顔を上げる。目を少し赤くした健吾がカバンを持ってやってきた。胸元には花のコサージュが付いたままだ。
「ラーメンいくっしょ?」
「えぇ、卒業式だぞ?」
「だから行くんじゃん! 卒業記念だよ!」
「永嗣は? いく?」
俺たちの許可なく写真を撮っている永嗣に尋ねると「いいよ」とあっさり承諾した。
「真叶もくるよね?」
いつの間にか傍にきていた九条に、健吾が尋ねる。
「いく~」
「お前もう激辛ラーメン食うなよ?」
「え? ダメ? 最後に挑戦しようと思ってたんだけど」
「前みたいにお前が残したぶん俺たちが食う羽目になるだろ」
「今日は完食できる気がするんだよね!」
「絶対無理だから!」
じっと俺たちのやりとりをみていた永嗣が静かに口を開いた。
「ねぇ、なんか二人雰囲気違うんだけど」
九条と俺は、永嗣の鋭さに驚いて顔を見合わせるが、気まずくなってすぐに視線をそらした。
「え? なになに? なんかあった?」
健吾が興味津々にニヤニヤしている。
「なんもねぇよ。ラーメンいくぞ」
カバンを持って素早く教室を出る。階段をおりて下駄箱で靴を履き替える。3人が来ないので生徒玄関で待っていると、健吾と永嗣がすごい勢いで上靴のまま俺のところにやってきた。
「春樹ー! おめでとう! 今日は俺たちが奢るから!」
「は?」
「真叶と春樹のお祝いさせて」
「え?!」
慌てて九条をみると頭を掻きながらテヘッと笑っている。
「お前もしかして」
「え? うん。二人にはちゃんと伝えた方がいいと思って」
「いや、まあ、そうだけどさ…急にこんなこと言われたら反応に困るし」
「ん? 全然大丈夫だよ。だってこの二人付き合ってるもん」
「…はぁ?!」
今日一番の大きな声が出て、周りにいる生徒からチラッとみられた。
「いやいやいや…え?」
二人をみると少し気まずそうにモジモジしている。
「黙っててごめん」
「受験おわったらちゃんと言おうと思ってて…」
「……あー、百歩譲ってそれは見逃すとして、なんでこいつが知ってんの?!」
「いい雰囲気だったから付き合ってるのって聞いたらそうだよって」
「……そうなんだ」
(あれ? 俺の方が長い付き合いなのに…この敗北感はなんだろう…気づけなかった俺が悪いんか…)
頭を抱えてフラフラしながら生徒玄関を出る。慌てて追いかけてきた三人がずっと謝り倒してきて、ラーメンとぎょうざとチャーハンを奢るということで話がついた。俺の心の寂しさは食べ物では埋まらない。
「じゃあさ、二人の受験おわったらダブルデートしよ!」
「いいねぇ~! 卒業旅行も兼ねてどっか遠出しようよ!」
「どこいく? 温泉とかテーマパークとか?」
「両方いきたい!」
盛り上がっている三人の後ろをとぼとぼとついていく。九条が後ろを振り返り肩を組んできた。
「春樹~そんなに拗ねないでよ~」
「うるせぇ…ほっとけ」
「ほらこの温泉春樹すきそう」
「テーマーパークでさ、ジェットコースター乗ろうよ!」
永嗣が温泉のホームページがのってるスマホをみせてきて、健吾が俺を元気付けようとハイテンションで話しかけてくる。
(こいつら元気だなぁ…)
「わかったよ。温泉いってテーマパークいって激辛ラーメン食うぞ」
「わ~い!」
「激辛ラーメンはちょっと…」
「俺たちは遠慮しときます」
「うるさい、お前ら俺に黙ってた罰だ。二人で大盛激辛ラーメン食え!」
「えーパワハラ~」
「いじめだ~」
「俺が手伝ってあげるよ?」
「「「いや、戦力外です」」」
「ひどい~」
しばらくはまだ騒がしい日々をおくれそうだ。