第二章 魔術師と陰陽師

 呪いは呪いを呼ぶのだと、私の師匠は言っていたわ。今も魔術は存在して、たとえば白魔術や黒魔術という言葉を、一度は聞いたことがあるでしょう? ネットで調べれば呪いの手順だってわかるのに、この話は一部の魔術師にしか伝わっていない。

 イタリアでは、実に五人にひとりの割合で、魔術を信じている人間がいるのだという。エドガーもまたそのひとりで、幼いころから曾祖母に聞かされていた魔術のなんたるかを信じてきた人間である。
 魔術と陰陽術の違い、それは式神か悪魔かの差異であるが、厳密には式神も悪魔もさほど変わらないため、共通事項が多く存在する。

一、霊力に見合った悪魔しか扱えないこと。
二、自分より格上の悪魔を召喚してしまった場合、命を落とすか報復をうけることがある。
三、生涯で契約できる悪魔の数は四体まで。

 四という数字は安定や基盤を現す。椅子が四点で支えられるように、四という数字は安定を意味する。
 一は点、二は線、三で平面ができ四は四次元を意味することから、この数字の持つ意味は大きい。ゆえに陰陽師や魔術師が契約できる式神や悪魔の数は、四となるのだ。
 エドガーは魔術の基礎を学び、さてなんの悪魔と契約を結ぼうかと思案する。現状、ひとつは既に決まっているため、実質残りの三体だ。
「家をきれいにする悪魔……物を思い通りに動かせる悪魔だな」
 最初に、エドガーの拠点である『廃墟』の管理ができる悪魔を召喚した。これはさほど霊力がなくとも使役できる初級の悪魔であるため、初心者のエドガーでもなんなく顕現することができた。
 残るはあとふたつ。
「まあ、あとはおいおいってところかな」
 エドガーは鼻歌交じりに廃墟を後にする。廃墟では、契約した悪魔が外壁をせわしなく修復したり、廃墟のなかのものを動かして、廃墟とは思えぬ外観へと作り変えていた。

 エドガーが日本に来てからもうだいぶ月日が流れた。エドガーの当初の目的は、とある人物を探すことである。
 日本にたぐいまれな才能を持った陰陽師がいる、そんな噂はたびたび耳にしていた。しかもその陰陽師は不老不死と来たから、エドガーはなにがなんでも彼に会いたかった。エドガーの最終目的、それは不老不死である。
「っと。これでどうかな……?」
 エドガーは日本で派手に暴れた。街なかで悪魔を召喚したり、ある時は一般の人間相手に魔術を広める活動もした。
 魔術を使えば、そこには必ず霊力が働く。そして、少なからず呪いも。
 魔術は呪いの一種だ。それを行使すればおのずとあの『呪いを運ぶ式神』もかかわってくる。
「すごい、すごいよ、エドガーさん! これなら大儲けできる」
「そうかい? そうだなあ、私の魔術は本物だからね」
 エドガーは少年――相野武に魔術を披露し虜にした。
 そばではぼっぼと魔法陣が燃え盛り、エドガーが契約した最初の悪魔が武の前に鎮座している。そのいでたち、なにより魔法陣から悪魔が現れるときの物々しさ。武を魔術の虜にするには十分すぎる出来事だった。
「武、武はこの町でなにか不可解な事件が起きていると思わないかい?」
「事件?」
「そう、事件」
 うーん、と武がうなる。すぐにぱっと顔を明るくして、
「呪詛るんのこと?」
「そう、それだ」
 呪詛るん、エドガーも聞いたことくらいはある。丑の刻参りができる怪しげなアプリ。
 それがきっと、例の男と関係している。エドガーはそう踏んでいた。呪詛るんあるところに彼の噂あり。エドガーはだんだんと確信に近づいている実感を持っていた。
 エドガーの目的はただ、その男に出会うことだ。そして、あわよくば自分も不老不死にしてもらおうと思ったのだ。その男ならばきっと、不老不死になる手段を知っているのだと、エドガーは思っていた。
「武。魔術を習ってみる気はないかい?」
「俺が? できるの?」
「もちろん。誰だってできるさ」
 ただし、自分の力に見合った悪魔ならば。肝心なところを隠して、エドガーは武に黒魔術を教えた。武はその日から、黒魔術に傾倒していく。

 エドガーは目的の人間をたどることができる悪魔と契約をした。どうにも要領を得なかったからだ。エドガーの目的とする男は、隠れるのがうまい。エドガーが彼を探していると知っていて、雲隠れしていることは明らかであった。
 しかし、悪魔に彼の居場所をたどらせても、いつも最後の最後で彼に逃げられる。どうしても会うことがかなわないため、エドガーはさらに別の悪魔と契約を結んだ。それが、願いをかなえる悪魔である。本来黒魔術や白魔術は、願望成就や恋愛成就に使われることが多い。ゆえにこの悪魔もまた、それほど力は強くない。
 強くないながらも、エドガーは悪魔と取引をした。
「私の霊力を好きなだけあげよう。だから、私の願いを、強く、強くかなえてくれないか」
『よかろう。オマエの霊力は私のものだ』
 こうしてエドガーは、『彼』に会うために霊力をほぼ失った。簡単な魔法陣は使えるが、もうエドガーには低級の悪魔を使役するくらいの霊力しか残らなかった。
 しかし、それでもエドガーはいいと思っていた。これで『例の男』が見つかれば、自分は晴れて不老不死だ。
 不老不死になれば、契約した悪魔を滅することができる。エドガーは死なないため、消耗戦に持ちこめば勝算はあった。
 だからエドガーは、無茶な契約を悪魔と結べたのだ。あとからその悪魔を滅し、契約を無効にすればいい。
「私は、呪詛るんを開発した陰陽師に会いたい」
『それはいくら私でも時間を要するが』
「いい、時間くらい。いつまででも待つさ」
 果たして、エドガーが例の男と出会ったのは、そこから一週間後のことである。

 武の呪いが呪いを呼ぶ。
 武の学校で、呪いが一大ブームを巻き起こしている。もとをただせば、武の黒魔術が始まりなのだが、それを含めてエドガーの思惑通りといったところなのだろう。
「今日はあの悪魔呼び出そうぜ」
「俺は呪詛るんで忙しいし」
 魔術はまじないを唱える必要がある。それに比べて、呪詛るんは丑三つ時に釘を打ち込むだけの簡単なものだ。
 ことの発端は、武の発言にある。
「魔術も呪いも、本物なんだって。エドガーさん――魔術師の師匠が言ってたんだけど」
「呪いも?」
「そう。特に『呪詛るん』あれはほんものなんだって言ってたな」
 武の魔術は学校中、町内中の噂になっていた。簡単な願望成就なら武でも行えたため、武の周りにひとが絶えない。そんな武が嬉々として言うのだから、呪詛るんはきっと本物なのだろうと誰もがその言葉を信じた。
「でも、呪詛るんは長期戦とも言ってたなあ」
「言って、魔術は悪魔に食われるかもだけど、呪詛るんはそういうのないみたいだし。俺はこつこつ呪詛るんで呪いを試してみるわ」
 呪いに対するハードルが低い。本来呪いとは、一般の人間とは縁遠いものだったに違いない。それを、まるでルーティンのように日常生活に取り入れるようになったのは、いつからだっただろうか。

 呪詛るんが爆発的に流行りだす。武の噂はSNSを通して若者の間に広まって、それに呼応するように呪詛るんの利用者が再び増えた。
「そろそろ俺も、特定の悪魔と契約しようかな」
 武は相変わらず魔術に傾倒している。今までは低級の悪魔を一回きり呼び出す方法で魔術を使用していたが、魔術の知識もついた今、エドガーのように特定の悪魔との契約を結ぶのも悪くないと思い始めていた。しかし、契約には欠点もある。契約を結べば、今までのように好き勝手に悪魔を召喚できなくなることだ。低級の悪魔を召喚して、願望成就を行う。悪魔との契約は結ばれていないないため、霊力の消費も悪魔との取り引きも契約するのとは段違いに安全だ。代わりに、願望成就の力は弱く、いつでも悪魔を呼び出せるとも限らない。すべては悪魔の気分次第。
 武はもっと、もっと強力に魔術を使えるようになりたかった。
 最近の生活はとても心地いい。みんなが武を持ち上げあがめ、武はどこかのお偉いさんにでもなった気分だ。
「でも、どの悪魔にするか」
 ふとよぎったのは『呪詛るん』である。あのアプリにはどんな悪魔が契約されているのだろうか。
「使ってみるか」
 そんな、興味本位のそれであった。武にとって呪詛も魔術も、なんら危険の及ばない、自己顕示欲を満たすためのツールに過ぎなかった。

 丑三つ時、武は呪詛るんを起動した。存外子供だましな設定だった。起動画面に呪いたい相手の個人情報を書き込む画面が現れて、武はそこらの見ず知らずの芸能人の名前をそれに書きこんだ。
 次いで現れたのは藁人形の画像と五寸釘。その五寸釘を藁人形に打ち付ければ、呪いは完了である。実に手ごたえがない。
「ほんとにこれで呪えるのか……?」
 疑問を口にしたその時である。
『あはは。うふふ』
 どこからともなく聞こえた声に、武は自分の部屋をぐるりと見渡した。どこにも誰もいない。はずだった。
 ぼっぼ、ぼぼ。とあたりを青い炎が取り囲む。
『あいつのせいだ』
『呪詛なんて』
『あいつが魔術なんて流行らせなければ』
 青い炎のひとつひとつが、人間の顔をなす。その顔は、次々に武をののしって、憎々しげに武雄をにらんでいる。なんだこれは。
 そしてなにより武を戦慄させたのは、その炎の中心に少女がいたことだ。おかっぱ頭のいかにもな少女。赤い着物の袖を翻して、武雄をうっそりと見つめている。
『あんた。アンタみたいに呪詛力の高い人間の呪い』
 少女が音もなく武雄の真ん前に移動した。そうして少女の口が耳まで避けて、仰々しい笑みを湛えて武を見上げる。
『悪意だ。アンタに足りないのは』
「あ、悪意……」
『そう。呪詛には悪意が大いに関与する。呪詛を成功させたいのなら、いや。魔術もそうだ。あらゆる霊的な現象を成功させたいのなら、もっと悪意を持ってそれを使わなきゃ』
「悪意を持って……」
 武が復唱する。少女はにたりと笑い、武も周りをぴょんぴょんと走り回っている。
 武はここにきて、霊力の核心を得た。自分の魔術がいまいちだったのは、もしかしたらそれが原因かもしれない。
「ありがとう。君は……」
『礼には及ばないよ。私はただ、お前の悪意が食べたい』
 少女が笑う。武もつられて笑い返す。しかし、どこかで武の本能が叫ぶ。この少女は『危険だ』。
少女に促されて再度呪詛るんに目を向ける。だが武は、呪詛るんに再び向き合っても、その呪いを行うことができない。なにか言い知れぬ不安だ。第六感と言ってもいい。
 なまじ武は魔術に関与してきたからか、自分が今からしようとしていることに一抹の不安を覚えた。
『どうしたの。早く書き込んで』
「でも」
『早く、早く。早く!』
 ごうごうっと少女の周りに再び炎が立ち上った。恐ろしい光景だ。人間の顔が幾重にも折り重なって、武をにらみそしってくる。そのひとつひとつの顔に見覚えはないが、なぜかひとごとのようには思えない。
 先ほど書いた芸能人の名前を呪詛るんに書き込む。あとは、藁人形に釘を打ち付けるだけだ。
『ほら、ほら。新しい世界が見えるよきっと』
 少女が誘惑する。武はごくりと生唾を飲み込んだ。新しい世界、新たな可能性。呪詛のなんたるか、魔術のなんたるかを知ることができる。
 武雄の指先が震えている。携帯の画面に指を滑らせる。五寸釘を動かす、藁人形まであと少し。あと少し――
「だめだよ、相野武くん」
 その手を、ひやりとした手が制止した。驚き顔をあげれば,たいそう顔色の悪い男が、そこにいた。
 誰だろうか、しかし、少女と同じ匂いがする。
「誰ですか」
「肝が据わってるね。そうだな、僕は坂野弘彦。しがない陰陽師なのだけど」
 男――坂野は武の手を引っ張りながら、淡々と答えた。
 そばにいた少女の雰囲気が豹変する。
 ごおおっとあたりの景色がすさぶ。部屋のなかだというのに凍てつくほど寒い。風が武を殴る。今にも飛ばされそうなほどの強風だ。そもそもここはどこだ。ここは武の部屋だったはず。辺りは真っ黒と真っ白に侵されて、上も下も右も左もわからない。
「た、助けて……!」
「相野武くん。君がしてることは危険なことだ」
 辺りが荒れすさぶなか、坂野だけはなにも変わらない。そこにただまっすぐに立ち続け、もしかすると吹きすさぶ風も寒さも、彼は感じていないのではと武は思った。
「坂野さん、アナタは悪魔ですか?」
「ひどいな。陰陽師だって言ったじゃん」
「陰陽師って、魔術師と大して変わらないはずじゃないですか。なのにあなたは、この状況になんら動揺もしていない」
 少女の笑い声が四方八方から聞こえてくる。ここはどこなのか、武はいまだにわからない。わからないのだが、ここが異空間だということだけはわかった。早く逃げ出さなければ。
「坂野さん! 坂野さんならここから逃げ出せる方法、知ってるんじゃないですか!」
 声が大きくなってしまうのは、武の周りに嵐が巻き起こっているからだ。対して坂野は、のんきな、間延びした声で答える。
「相野武くん。君が使おうとしたものは、危険なものなんだ」
「……呪詛るんのことですか?」
「そう、それに。そうだな。魔術も」
 坂野がパチン、と指を鳴らす。すると辺りの景色がぐるんと回って、武と坂野はそこにいた。武の部屋のベッドの上である。
 その、武の足元にはあの少女がいて、憎々しげに坂野をにらみ上げている。ぞっとした。武は「ひっ」と声をあげて、後ずさり少女から距離を取る。
『なんで? なんで私の言う通りにしないの』
「お、俺は……」
「彼女は呪詛るんの契約式神、って言ったら、君には全部理解できるかな」
 つまり、坂野がわざわざここに現れたことを加味すれば、あの少女と坂野は『グル』だ。
 とたん、武は坂野に敵意を見せる。
「俺を脅しに来たんですか」
「おどすなんて。僕はね、君みたいに呪いを使役する人間を減らしたいんだ」
 まるで要領を得ない返しかたに、武はますます憤慨する。坂野から距離を取り、坂野をぎっとにらみつけ、なんならすぐさま『攻撃』大勢に入れるように、机の引き出しから魔法陣を取り出した。
「だから、それをやめてほしいんだって」
「なにを」
「僕が契約した呪詛るんの式神。彼女はひとの悪意によって力を増す。だからね、君みたいな人間が呪詛るんを使うと、おのずと彼女を滅する日が遠のくんだよ」
 その言葉で、ようやく武は理解した。この男は『失敗した』のだ。
 悪魔にしろ式神にしろ、契約の際は自分より格下のものを選ぶのがセオリーだ。それを、この男は見誤った。この少女はひとの悪意を食らい続け、今や坂野の力をしのぐほどに肥大化した。
 無遠慮に武が笑いを漏らす。坂野は表情ひとつ変えずに武を見ている。
「坂野さん。自分の尻は自分で拭ってくださいよ」
「そう、そうかい。君って本当に嫌なヤツだね」
 見下すように笑う武に、坂野ははあっとため息をついた。
 さて、どうわからせるか。
「相野武くん。他人事じゃあないんだ。君だって僕になりうるんだって、わからないかい?」
「わかりませんね。だって俺は、自分の力をわきまえてる」
 そうはいっても、先ほど武は式神の少女にまるで対抗できていなかった。それをどうわからせるか。
 坂野が思案するなか、武は躊躇なく悪魔を顕現した。
「――我が名において、現れよ!」
 エドガー仕込みの魔術である。魔法陣の真ん中がぼぼぼ、と火花を散らし、そうして現れた悪魔が、坂野を見るなり武を振り返った。
『主。私ではこの男にはかないません』
「なにを言ってるんだ。ただの陰陽師だろ」
『主。できぬものは』
「いいからいけ! 思い知らせてやれ!」
 武は、今までの怪奇現象はすべて坂野のせいだと思ったのだ。だから自分の力を示して、追い返そうとした。ただ、それだけ。
 悪魔が仕方なしに坂野に向き直る。しかし、硬直状態が続く。動かないのだ、悪魔も坂野も。
「おい、どうしてなにもしないんだ!」
 次第に武は悪魔を責め立てる。しかし悪魔はそれどころではない。動いたら『殺される』。いくら悪魔といえど、殺されるのは不本意だ。坂野の霊力にあてられて、悪魔は指の一本すら動かせない。
 武が責める、悪魔は動けない。やがて悪魔が腹をくくる。
『私は死にたくない!』
 そうして、あろうことか悪魔は標的を武に定めた。主に逆らうことと、坂野に向かうこと、この二つを天秤にかけたとき、どう考えても前者のほうが有利だと踏んだのだ。
「な、この!」
 魔法陣にまじないを唱える。悪魔が苦しそうに頭を押さえ呻いている。傍ら、坂野がなにかを唱えている。
 させるものか。武は今一度まじないを唱え、悪魔を坂野に向かわせる。しかし。
「は……?」
 悪魔が物の一瞬で消し飛んだ。今の今まで気づかなかった、坂野はなんて強大な『力』を持ち合わせているのだろうか。魔術に触れてきたからこそわかる、坂野の力は異質だ。だが、なぜ最初に気づかなかったのだろうか。
「ひとは自分より力が弱いものを侮るからね。そういうときこそ、本性が現れる」
「……試したんですか」
「人聞きの悪い。でも、そうだなあ。君はきっと、呪いも魔術もやめないんだろうね」
 そもそも武は、魔術によって不都合など起きたためしがない。呪詛るんだって、今日初めて使った。今後は使う予定もない。だからこそ、坂野にはなすすべがない。
「相野武くん。君には魔術の才能がある、それは認める。けれど、それをおごってはいけない」
「なんで? 俺は誰も呪っていない。呪詛るんにあの式神を契約したアナタと違って」
 はああ、と坂野はため息を漏らす。どうにもやりづらい。本来坂野は魔術は専門外だ。魔術と陰陽術は似て非なるもの。とはいえ、魔術を使用すれば少なからず呪いの力が働く。そうなればあの式神もおのずと力を増してしまう。
 だから坂野は、この少年の前に現れた。あわよくば説得しようと思ったのだが、そう簡単にはいかないようだ。
「僕はもう行くけれど」
 坂野がすうっと消えていく。そのそばに、武は『なにか』をとらえる。悪魔だ。坂野は悪魔に憑かれている。だからこそ、武の前に現れたのだ。
「君に魔術を教えた彼。彼には注意したほうがいい」
「余計なお世話です。そもそも陰陽師が魔術師に説教なんて、お角違いだ」
 それはもっともだ。
 坂野は姿を消しながら、少年の姿を最後まで憂えるように見つめいていた

***

 夕暮れの廃墟に音あり。
 シャラ!
 鈴の音がエドガーの耳に響いた。来た、と心拍が徐々に徐々に上がっていくのがわかる。今やほとんどの霊力を持たないエドガーは、武を中心に魔術を広めていた。
 それが今、実を結ぶ。
 シャラン。
 鈴の音がやんだかと思えば、すうっとエドガーの目の前に現れた人影。
 聞いていた姿と寸分もたがわない。くたびれた顔をした男が、そこにいた。
 上下白の服、狩衣のような装束に身を包み、首からしめ縄をぶら下げている。その先端の大きな鈴が、彼の不気味さをより一層際立たせた。
「僕を探しているのは君かい? うるさくって仕方がない」
「アナタが……不老不死の陰陽師ですか?」
「わかってて呼んだんでしょ。この悪魔、君のでしょ」
 パン、っと彼が手を鳴らすと、彼のそばに、あの悪魔がいた。エドガーが契約した悪魔だ。その悪魔が、彼をエドガーのもとに引き寄せた。毎日毎日、しつこく坂野に付きまとって、我が主に会えと、我が呪いを思い知れと、毎日。
 さすがの彼も面倒くさくなり、渋々エドガーの前に姿を現した。
「アナタの名前は……?」
「坂野」
「サカノ。サカノ、私を不老不死にしてくれ」
 単刀直入なエドガーの言葉に、彼――坂野は嫌そうに顔をゆがめた。隣に付きまとう悪魔をようやく振り払って、そうして右手に握られているのはエドガーの魔法陣である。
「君のこれ。これのせいで呪詛るんにまで興味を持たれて困ってるんだ」
「なにがいけないのです?」
「なにって。君は僕をどこまで知っているの」
「不老不死の陰陽師。偉大なる力を持った」
 ほうっと紅潮するエドガーに、坂野は大きく息を吐きだした。
「愚かで幼稚な陰陽師、の間違いじゃないの?」
「まさか! 不老不死は人類の悲願。アナタはそこにのぼり詰めた」
 嫌気がさす。不老不死のなにがいいのか、坂野にはまるで分らない。しかし、こうやって坂野――不老不死に憧れてしまうのも、人間が人間たるゆえんだろう。
 坂野は面倒くさそうに息を吸う。
「僕は呪詛るんを開発した。その時に契約した『呪いを運ぶ式神』が人間の悪意をあまた食らい、僕の力を超えてしまった。僕の不老不死はその罰さ。僕は式神に呪い返された」
 一息に説明するも、エドガーは目をぱちぱちとしばたたかせるのみである。
「それで?」
「それで、って。だから、不老不死になる手段なんて、僕は持ち合わせてないよ。あまつさえ、僕は僕を殺すために旅をしているのだから」
 今度はエドガーの顔がゆがんだ。
「なにをわけのわからないことを。不老不死になれたのだから、不変の時を享受して、霊力を使って人間に知らしめればいいでしょう」
「知らしめる?」
「そう、私たちのような人間こそが、上に立つべき人間なのだと」
 エドガーはもうだいぶ『やられてる』。かつての自分を重ねてしまい、坂野は邪険にもできなかった。
 しかし、エドガーももういい大人だ。分別を持たせなければ、自分の二の舞になる。
「エドガー。君は不老不死にはなれない」
「なぜ? 私も坂野を不老不死にした式神と契約すれば、可能でしょう?」
「無理だね。彼女は僕と契約してるから」
 式神も悪魔も、基本的に契約はひとりの人間のみとである。しかしエドガーは食い下がる。
「自分だけ不老不死になっておいて、私のことは否定するのか」
「いや、そういうわけじゃない。君もわかってるだろ」
「わからないね」
 はあ、っと坂野がため息をつく。これ以上は言っても無駄だ。エドガーにどんな事情があれど、こういう人間を諭せるほど坂野も暇ではない。なにより、陰陽術と魔術は勝手が違うため、どうにもやりづらい部分は否めない。
「今日は君に会いに来たけど。今後はもう、この悪魔を僕のもとによこさないでくれるかい?」
「ああ、ああ、そうだな」
 嫌な予感がしなかったわけではない。この先坂野は、ことあるごとにエドガーと出くわすようになる。しかしそれを、彼らはまだ知らない。
「エドガー。もう会わないことを願ってるよ」
 坂野がすうっとなりを潜めていく。その傍ら、エドガーの口の端が引きあがる。
「そうか、式神の力で不老不死になったのか」
 エドガーの目的はもう、坂野にはない。坂野を不老不死にした式神、それにすり替わっていた。エドガーはその日以来、武の前から姿を消した。しかし、武が魔術をやめることはなく、坂野はますます自身の死を急ぐ日々に身を投じていく。