奏ちゃんとうちのおばあちゃんがそこまで親しかったのを知っても、もうそれほど驚かないようになっていた。
 その日、奏ちゃんは大学の友達と遊ぶ用事があるとかで、午前中にはさよならをすることになった。
 奏ちゃんが家の前の道路を渡って自分の車に乗ろうとした時だ。
「あれ? 奏?」
 チャリに乗った若い男が、奏ちゃんの前でキュッと止まった。
「直くん」
 奏ちゃんの口がそう動いた。あたしは目を眇めてお母さんに尋ねた。
「誰?」
「ご近所さんの直くんよー」
 予想通りの答えが返ってきた。予想していたのに思わず確認してしまったのは、男が「なんか感じ悪い」と思ったからだった。
「久しぶりじゃーん。大学入ってから初めてじゃね?」
「そうだね、二年ぶりかもね」
 直くんとやらは、ちらっとあたしたちのほうを見た。
「何? まだ土いじりやってんの? 田舎くせえ。俺なんかさ、東京でギンギンにいわしてんよ」
 何がギンギンにいわしてるのか全くわからない。大学生になれる学力はあるのだろうが、多分こいつは国語は苦手だ。
「でも眼鏡やめたんかよ、コンタクト? 色気づいてんなあ、田舎者のくせに!」
 がはは、と笑って直くんはチャリでてろてろ去って行った。
 すごい、初見と違わぬ感じ悪さ。
「直くん、ちびっ子の頃から東京に憧れが強かったからねー。こじらせすぎたねえ」
 お母さんが微笑ましいものを見る目で言ったが、あたしは我慢ならなかった。
「ちょっと、奏ちゃん!」
 あたしは道路を早足で突っ切った。奏ちゃんはきょとんとしている。
「何、あいつ!」
 あたしはいきり立った。そして確信した。
 きっと、あれだ。そうに違いない。
 奏ちゃんは直くんとやらのことが好きなんだ。どこがいいのか不明だが。
 だから眼鏡もやめて好きだったガーデニングもやめたんだ。
 仁王立ちしているあたしを見て、奏ちゃんは言った。
「ご近所さんの直くんです」
「それは知ってる!」
「ちょっと、愛良落ち着きなさいよう」
 お母さんもこちらにやってきて、あたしをどうどうとした。奏ちゃんは困ったようにきょろきょろした。
「あ、愛良さんがなんで怒ってるのかわかる気がしますが、直くんは素直な人なだけです」
「素直って言えばなんでも許されると思ったら大間違い!」
「はい。だから許してません」
「いやいや! 許さないと駄目……、は?」
 あたしは目を見開いた。奏ちゃんは困った顔のまま説明をしてくれた。
 予想通り、奏ちゃんは直くんのことが好きだったらしい。子供なんてのは元気がよくて背が高くて顔が良ければ簡単に好きになってしまうものだ。
 が、直くんが大学受験に受かった時に言われたらしい。
「俺は! こんな田舎とはおさらばだ! お前みてえな田舎くさい土いじり眼鏡ともおさらばだー!」
「言われた、というより、勝手に直くんが盛り上がってガッツポーズしてただけ、と今では思いますが」
 奏ちゃんは冷静に分析した。
「大学離れちゃう、とか悲しむほど好きでもなかったですし。でも、ムカついたんですよ」
「そりゃそうだよ!」
 あたしはうんうんと同意した。
「でも、直くんの言うことも一理あるなって。だからガーデニングはお休みして、オシャレを頑張ることにしたんです。コンタクトは合わなくて駄目でしたけど」
 奏ちゃんはそこで一旦言葉を切って遠い目をした。そしてこちらに向き直ると、にっこりと笑った。
「でも、言われたんです。後輩に。『オシャレな小林さん、すごく素敵です。でも、無理してないですか。そんなことしなくても、小林さんはすごく素敵なのに』って」
「そのとおり!」
 奏ちゃんは微笑んだ。
「最初はすごく戸惑ったんですけど、でもそうかもなって気持ちになって。だから今からその後輩と初デートです」
「それでこそ、奏ちゃん!」
 あたしの喝采を背に受け、奏ちゃんは車に乗って去って行った。
「あー、良かった良かった」
「あの奏ちゃんも大きくなったねー」
 あたしとお母さんは庭に戻ってきた。そして金木犀を見上げる。
「ほんとうに、いい子に育って……」
 出会って一年経っていない奏ちゃんのことを想い、あたしは嬉しくて涙ぐんだ。

「我が社の新しい支店が来春オープンする運びになった」
「それだ!」
 年が明けた。職場の朝礼中、突然でかい声を上げたあたしに、皆の視線が集まった。けれど、あたしはそれどころではなかった。
 そうだった。実家のある県に支店ができるんだった。
 確かあそこはおばあちゃん家から車で一時間くらい。通える。
 これは、異動願いを出すべきでは。てか、みんな行きたがらないだろうからむしろ歓迎される。
 おばあちゃん家が、あたしの家になる。
 昼休み、あたしはいそいそとスマホを開いた。LINEを送る。まずはお母さん。