弓道部の朝練習を終えて、制服に着替えた雪菜は、弓道場から校舎に向かう渡り廊下で声をかけられた。隣には菊地紗矢、後ろには平澤凛汰郎が同じように校舎に向かっていた。


「雪菜! おはよう。 今朝も部活?」

校舎の2階から、声をかけたのは、小学校からの幼馴染の齋藤雅俊《さいとうまさとし》だった。学年は2年生で一つ後輩だった。

「雅俊、窓から顔覗かせると危ないよ?」
「平気平気。昼休み、購買部に来てねー。待ってるよぉ」
「わかったよ」

学校では滅多に話しかけられたことがないのに珍しいなと思いながら、困った顔をしてると、後ろから睨みながら雪菜の横を通り過ぎる凛汰郎がいた。肩が少しぶつかった。

「あ、ごめんなさい」

 ぶつかったのは凛汰郎の方なのに、雪菜が謝っている。

「ああ……」

 少し立ち止まり、すぐに歩き出す。なぜか怒っていた。

「ねぇ、紗矢ちゃん。今のは……」
「私はエスパーじゃないですよ? ただ、平澤先輩は単に素直に謝りたくないだけじゃないですか? 全く、お2人とも会話してください。というか、齋藤くんとお知り合いなんですか?」
「そっか。何か、紗矢ちゃんに通訳してもらってるみたい。おかしいね。日本人なのに……ん? 齋藤くんって雅俊のこと?
 そう、家が近所で、幼馴染なのよ」
「そうなんですか。クラス、一緒なんですよ、私。別に接点はないんですけどね」
「そうなんだ。大丈夫? クラスのみんなに迷惑かけてないかな?」
「先輩、齋藤くんのお母さんみたいですね。全然、迷惑なことなんてしてないですよ。クラスのムードメーカーで活躍してますよ」
「あー、そうなんだ。目立ちたがり屋だからね、あいつは。何かあったら、すぐに言ってね」
「たぶん、大丈夫だと思いますよ。あ、予鈴なってますよ、先輩。教室急がないと。それじゃぁ、放課後にまたお願いします」

 手を振って紗矢とは廊下で別れた。数メートル前の方を凛汰郎は歩いていた。同じクラスのため、もちろん同じ教室に行かなくてはならない。何となく、気まずい。話しかけたい気持ちもあるが、また睨まれたら怖い。そう考えていると、凛汰郎は後ろを振り返った。

「……」

 雪菜がいることがわかるとすぐに前を向いて、教室へと足を進めていた。今度は睨むことはせずにふっと笑みを浮かべていた。何を考えているか謎だった。鼓動が思ってる以上に強くなっていた。教室に着くとクラスメイトは全員席に着いていた。チャイムの本鈴が今鳴ったところで、担任の先生も今来たところだった。どうにか間に合っていた。斜め右前に座っていた髙橋緋奈子におはようの代わりの手を振った。真ん中の前の席に平澤凛汰郎は座っていた。雪菜は窓際の1番後ろにいた。後ろから見る凛汰郎のぴょんと立つ寝癖が
いつも見ていてほっこりする瞬間だった。完璧そうな彼にも寝癖という失敗もあるんだと安堵する。
 
 むしろ、寝癖そのものが無造作ヘアというオシャレなのかもしれない。雪菜は今日も頬杖をつきながら安心する。何も話さなくても
心穏やかになる時間だった。