ソネットフレージュに魅せられて

突然話しかけてきた男子生徒を振り切って、凛汰郎と雪菜は、昇降口にある靴箱で外靴に履き変えた。

「さっきの何だろうな……。ファンクラブって……」

パタンと靴箱を閉めてつぶやく。


「雅俊にもファンクラブあるって言ってたけど、まさか私にあるなんて、寝耳に水だよ。ちょっと怖かった……」
「またなんかあったら声かけて。さっき言ったけどさ、効き目あるかわからんし」
「うん、ありがとう」

 ふと、足元の段差を見て、ゆっくりと進んだ。顔を見上げると、校門近くで何だか心がざわざわする2人を見かけた。

 雅俊と緋奈子が隣同士仲良さそうに歩いている。

 「……あ」

 言葉が出なかった。別に何とも思ってないはずなのに、なぜか身近な存在の緋奈子が雅俊の隣にいるなんて、胸のあたりがざわざわする。なんとなく、察した凛汰郎が後ろから手を伸ばしてみた。

「ん」

 左手で雪菜の右手をつかんだ。
 
「あ、ごめん。変なとこ見てた」
「よそ見してると事故るよ?」
「車の運転ではないんだけどさ……」
「目の前、しっかり見ててよ」
「う、うん。見てる見てる」

 雪菜は、顔をぶんぶん横を振って、切り替えた。

「無理にとは言わないけどさ。気持ち、変わったら言って」
「え、変わってないよ。大丈夫」

 少し目が泳ぐ。凛汰郎は、雪菜のいうことを信じてないが、信じてると思い込んだ。

「……なら、いいけど。そういや、塾通わないといけないからさ。しばらくこの時間しか会えないだけど」
「ああ、そっか。受験まで数か月しかないもんね。私は、専門学校だからそこまで勉強しなくても大丈夫なんだけど、凛汰郎くんは、大学受けるんでしょう」

「さっき、進路指導室で大学の資料見て来た。花屋継がないといけないかと思って、念のため、農業大学か園芸学科行っておこうかと
 思ってた」
「そっか、お父さんの仕事引き継ぐんだね。なんだ、進路指導室行くなら、私も見たかったな」

 車の走る音が響く、通学路で2人は横に並んで歩く。前の方で雅俊と緋奈子が歩いているのを、横目でチラチラと見ながら、進む。

「あー、なんだ。一緒、行けばよかったんだな。気が付かなくてわるい」
「別にいいよ。今度行くから。気にしないで」

 歩きながら、しばし沈黙が続く。

「土曜か日曜……やっぱ、塾終わったら、どう?」
「え……。うん。別に用事はなかったけど、何時頃になりそう?」
「16時くらい……。遅い?」
「ううん。大丈夫。どこで待ち合わせする?」
「雪菜、洋画と邦画だったらどっち見る?」
「うーん。どちらかと言えば、邦画アニメ? ジブリとか新海誠監督のとか。あまり洋画は見ないかも。え、待ち合わせの話はどこ?」
「家でDVD見ないかなと思って……。レンタルしておくから。一緒に見ようよ」
「どこかに出かけるんじゃないんだね。まー、いいけど……」

 凛汰郎は小さくガッツポーズした。

「ん?何かあった?」
「別に、何も。コンビニ寄っていい? 肉まん食べたい」

 凛汰郎は、近くのコンビニを指差しして言う。いつの間にか前を歩いていた雅俊と緋奈子の姿が見えなくなっていた。公園のベンチでならんで少し肌寒い中、湯気が湧き起こる肉まんを食べた。ほかほかと気持ちもお腹も温かくなった。

「美味しい。そういえば、コンビニの肉まん初めて食べたかも」

 雪菜がボソッとつぶやく。

「うそ。食べたことないの? 俺、しょっちゅう食べてるよ。まさか、肉まんは初めてじゃないよね?」

「スーパーで売ってる肉まんは食べたことあるよ!もちろん。コンビニあまり寄らないし……。これでもダイエットとか…
 気にしてたから。でも、今日は特別だけどね」そんな何気ない瞬間がほんわかとして、気持ちが落ち着いていた。凛汰郎に歩いて
家まで送ってもらい、玄関先で別れた後は、2階の自分の部屋の中に行くまでに胸のザワザワする気持ちが復活してきた。

 カーテンを開けて窓の外を見ると、星がキラキラと輝いているのに、もやもやした気持ちが残ったままだった。満たされているはずなのに……。
「姉ちゃーん。つまらない!」

 隣の部屋で寝転びながら、スマホをいじる徹平が叫ぶ。

「何したの?」

 隣の机から、声を発する。

「ゲーム、まーくんとしたいのに、最近、全然混ざってくれない。用事あるっていうし、うちにもこないし。ほら、家にも帰ってないみたいだし」

 カラカラと窓を開けて、隣の家の部屋の様子を伺うと部屋の明かりが真っ暗だった。人の気配がない。

「バイトにでも行ってるんじゃないの?」
「……何かバイトはしてるらしいけど、部活は辞めたとか言ってたんだよね。ねぇ、部活辞めたら暇になるんじゃないの?
 そしたら、ゲームできるよね。何でだろう」
「へぇ、部活辞めたんだ。あんなに好きなサッカーなのに、レギュラーで選ばれてたんじゃなかったのかな。
 と言うか、私に聞かないで! 宿題が終わらない!」

 部屋を出て、雪菜の目の前にやってきた徹平がじーと見つめる。

「だって、姉ちゃん、まーくんと仲良いじゃん」

「仲良いって幼馴染ってだけだよ。それ以上でもそれ以下でもない。そもそも、幼馴染って小学生くらいの話でしょう。私たちの関係は、どうとも言わないかもしれない」

「何、無理してんの? 良いじゃん、境界線作らなくても。友達であることは変わりないんだしさ。あーーー、ゲームしたいのに」

 徹平はブツブツ文句を言いながら、自分の部屋に戻っていく。
 
 何気なく、雪菜も雅俊のことが気になり始めて、隣の家の部屋の明かりを確認したら、真っ暗だった。いつもなら、カーテンを閉めずに煌々と明かりを灯してる。こちらの様子なんて気にならないみたいだ。この気持ちは嫉妬なんだろうか。

 はーとため息をついた瞬間、明かりがついた。帰ってきた雅俊と窓越しに目が合う。恥ずかしくなった雪菜は、カーテンを急いで閉めた。

「雪菜〜、今見てただろ? こっち見るなよぉ」

 一言でも声がかかる。ただそれだけで何だかホッとしていた。いつも毛嫌いしていたはずなのに。
 
「おーい、聞いてんのか?」
「聞いてなーい」
「聞いてんじゃねーか。ほら、雪菜!」

 窓からぽーいと雪菜の家に投げた。ちょうどよくベランダに何かが落ちた。何が落ちたか気になってのぞいてみると、ミルク味のキャンディ1つだった。

「今日もバイトでさ、その飴、新作だったみたいで買ってみた。ホイップミルク味の飴だってよ」

 ガサガサと机の上にバックから教科書とノートを取り出す雅俊。

「まったく、宿題すんの嫌だなー。雪菜、代わりにやって〜」
「……無理」
「ちぇ、釣れないのー。いいよいいよ、天才雅俊様が一瞬で終わらせるからな! 見てろよ〜?」

 英語辞典とノートを広げて、テキパキと英語と日本語訳を書いていく。そう言う姿を見ると雅俊も普通の高校生なんだと感じた雪菜。

「あ、言ってなかったんだけどさ、雪菜〜、俺さ、緋奈子先輩と付き合うことになったんだわ。それ言っとこうと思って……
 良いよね、別に」

 宿題をしながら、話す雅俊。

「え? ……ああ、そうなんだ。別に私に許可得なくても良くない? 付き合うって自由でしょ? 私はあんたの嫁でもなければ彼女でもないわよ。好きにしたらいいじゃないの?!」

 なぜかイライラしている。自分がおかしい。言動と行動が伴ってない。まるで言ってほしくないかのようだ。バレる、バレないか。雪菜は興奮したまま、話を終えてそっぽを向いた。

 数分後、雪菜の部屋のベランダに飛び移って雅俊がやってきた。コンコンと窓をノックする。
 はーと息を吐いて、窓にハートマークを描き始めた。この人は一体何をしたいんだろう。

 窓の鍵を開けて、雪菜は急いで、雅俊の描いたハートを手で消した。


「思ってもないくせに、描かないで!!」
「何、怒ってるんだよ?」
「怒ってない!」
「怒ってるって」


迂闊だった。窓の鍵を開けたため、雅俊が部屋の中に入ってきた。


「なあ、落ち着けって」

 怒りにまかせて、呼吸が荒い雪菜の腕を掴む雅俊。

「雪菜、そんなに俺が緋奈子先輩と付き合うのが気に食わないの? 雪菜は平澤先輩と付き合ってるんじゃないの?」
「……そ、そうだよ。凛汰郎くんと付き合ってるよ? 雅俊は、緋奈子と付き合うんでしょ? それでいいじゃない。何が問題あるの?」
「雪菜、お前、泣いてるぞ?」

 雅俊は、冷静になって雪菜を見る。目から涙が滴り落ち、苛立ちも全面に出していた。
「め、目にゴミが入っただけよ! 放っておいて……」

 顔を見せないよう、後ろを振り返り、涙を止めようとしたが止まらない。

「雪菜、自分に正直になれよ。うっっ……」

突然、雅俊の背中に妖怪子泣き爺のような重さが乗っかった。

「まーくん!! ここで何してんの? ゲームは?!」

背中に徹平が乗っている

「あ、い?! 徹平か? ゲーム? あー、最近してないよね。したかったのね。でも、待って。
 姉ちゃん、泣いてるからさ。お、落ち着いてからで……」

 するとさっきまで泣いてたかと思った雪菜は机に戻り、冷静さを戻して、宿題に取り掛かっていた。

「……私は平気。ゲームしたら?」

突然、ピリッとした空気になる。

「ゲーム!!」
「あー、はいはい。わかったわかった。徹平の部屋行って良い?」

 雅俊は、徹平に気持ちを入れ替えて、雪菜から離れていった。雅俊は徹平をおんぶしたまま、徹平の部屋にいく。弟の前では強気になる雪菜だ。本当の自分を出せなかった。おもむろにスマホを開いて、ラインのメッセージを凛汰郎に送ってみる。

『私のこと好き?』

なんて、ストレートすぎるかなと思いながら照れた顔をさせた。すぐに返事が返ってくる。

『うん』

ただそれだけのスタンプも何もない。凛汰郎は恥ずかしくて文字に表せなかった。でもなんか求めていたのはそんなんじゃない。自分はどうしたいんだろう。どこか埋められない心を置き去りにして、夜は過ぎていった。
学校の靴箱の扉をパタンと閉めた。昇降口は登校時間ということもあって、ざわついている。

上靴を履いて、ため息をついた。嘘をついた緋奈子とどんな顔をして会えばいいのかわからなかった。言いたくなったから、嘘ついたと察した。肩にバックの紐を右から左にかけ直した。

「雪菜」」

後ろから声をかけられた。

寝ぐせをぴょんとつけた凛汰郎だった。
くすっと笑みをこぼす。

「おはよう」

そっと駆け寄って、寝ぐせを直してあげた。

「あ、ごめん。ありがとう」
「ううん。大丈夫。妖気立ってたわ」

「妖気なんて立ってないわ。……雪菜、昨日、眠れなかったのか? くま出来てるぞ……」

 目の下をおさえた。

「嘘、コンシーラーで隠してきたつもり……。いや、これは涙袋メイクっていう流行りの……」
「もう、手遅れ。ばれてる……」
「だ、だよね。」
「やなことでもあった?」
「大丈夫。いやな夢見ただけ」
「嘘つくの下手だよな。まぁ、どうせ聞いても答えないだろうけど」

 ポンポンと雪菜の頭をなでる凛汰郎。

「無理すんなよ」
「う、うん」

 足取りは重く、教室に2人は横に並んで向かう。

 先に来ていたのは、緋奈子だった。案の定、話しにくそうにちらちらとこちらを伺っていた。

 雪菜はあえて自分から話しに行くのはやめようと決めていた。そう決めてから結局、丸1日緋奈子と話すことはできなかった。すれ違っても、お互いに素通りしていた。あんなにいろんなことを話す仲の親友だったのに、ボタンの掛け違い、緋奈子のやさしさがあだとなった。雪菜はごくんとのどがつっかえるようになる。ストレスだろうか。
 
 放課後、凛汰郎はバックにうずめる雪菜の前の席に座る。心配しているのだろう。何も声をかけずに音楽を聴いていた。しばらくそばにいて、待っていてくれた。顔を上げると、イヤホンを外した。

「ん?」
「私はひどい人間なのかもしれない」
「は? なんで?」
「欲深いから。なんでも欲しいものがあったら欲しいって思っちゃう。」
「それは誰でも思うんじゃないの? 現実にできないだけで。」
「……確かにそうかも」
「なんとなく、学校の様子見てて察したんだけど……。雪菜、雅俊のことで気にしてるんだろ?」
「な?! なんで? なんでわかるの?」

「昨日、雅俊と徹平君とゲームして、めっちゃ自慢してたから、あいつ。髙橋さんと付き合うって……。俺にアピールしてたのかな。」

「ゲーム? いつも夜やってるあれ? ……そうなんだ。でも、気にしてるって気にしてないは嘘になるけど。」
「どちらかと言えば、高橋さんとの関係か?」
「うーん、そうだね。本当のことを言えばどっちもだけど……」
「ずいぶん、今日は話すね。隠すと思ってた」
「え、だって言うから。凛汰郎くんが」
「俺は、別に……」

 しばし沈黙が続く。教室の窓から風が吹き込んできた。カーテンが揺れる。雪菜は立ち上がって、窓とカーテンを閉めてまとめた。外を眺めると今は見たくないものを見てしまう。

 雅俊と緋奈子が肩寄せ合って、歩いていた。完全に彼氏彼女だと目の当たりにする。はっと息をのむ。目から涙がこぼれる。

「俺のこと忘れて、何を見てんのさ」

 立ち上がった雪菜の頬にそっと口づけた。
 でも、今の雪菜には何の気持ちも湧きあがらなかった。親友を失った悲しみと幼馴染が離れていく悲しみが大きかった。

「ごめん。今は答えられない」

 手のひらで涙を何度もぬぐう。そっと顔を抱き寄せて、頭をなでた。

「いいよ。そのままで」
「ごめんなさい」
「謝るなって。俺が悪いことしてるみたいだ」
「うん」
「しばらく、距離置こうかなと思うんだけど。受験勉強に集中しようと思って」
「え、来週会う約束は?」
「今の雪菜の精神状態じゃ、俺が耐えられない。落ち着いてからにしよう。今の雪菜は俺、見ていないから……」

 見透かされていた。もう、見てる方向さえもばれていた。このままでは二兎追うものは一兎も得ずになると急に焦りを感じたが、すでに遅かった。

「ごめっ、もう、言わないから」
「無理するなって」
「え、会いたいもん。一緒に映画見るって言ってたよね。私、楽しみにしてたから」

 首を縦に振ろうとしなかった。雪菜はさらに涙を流す。

「雪菜のせいじゃないんだけど、模試の結果がちょっと低かったから頑張らないとなって思ってて……。俺から誘っておいて悪いんだけどさ」

 本当は模試なんて受けてない。
 断る口実を作りたかっただけだ。

「そっか……」
「会えないわけじゃないから。一緒に帰ることはするわけだし。でも嫌ならやめておくけど」

 首をぶんぶんと振る。

「やだ。一緒に帰る」

 駄々をこねる子供みたいだ。

「うん、わかった」

 少し笑みを見せた。

「んじゃ、帰ろう」
「うん」

 その一言を話して、2人は沈黙のまま家路を帰った。

 もやもやした空気をまた作った。今の雪菜にはネガティブな気持ちが大きくなっていた。

 夜空に浮かぶ月は、えんぴつのように細い三日月がぼんやりと照らされていた。曇っていて星は全然見えていなかった。
朝日が差し込む台所で母の菜穂は、目玉焼きとウィンナーをフライパンで焼いていた。今日の朝ごはんは雪菜の好きなおかずのほかにハムとチーズのバタートーストを焼いていた。ジューと音が響く。雪菜は隣で水筒にお茶を注いでは、食卓に座った。目の下のくまがまた出ている。

向かい側に座る父の龍弥はタブレットで今朝の新聞を読んでいた。めがねをかけなおした。

「雪菜、大丈夫か?」
「え……」
「ほら、朝ごはんできたよ」

 菜穂はテーブルに家族分の朝ごはんプレート皿を並べる。徹平は今、ぎりぎりに起きたようで、どたどたと階段をかけおりて、すぐにトイレに行く。コーヒーを飲むとめがねが曇った。

「何があったか知らないけど、休むのも自己管理のうちだからな。いただきます」

 龍弥は、箸を両手で握り、手を合わせた。菜穂は、雪菜の隣に座って、同じようにごはんを食べ始める。

「私、今日、残業で遅くなるから。お父さんは?」
「俺は、いつも通り。雨降ってもないし、2人とも送迎しなくても大丈夫だろ」
「そうね。雪菜、お腹すいてないなら果物、バナナだけでも食べていったら?」
「……」

 箸を置いて、顔をふさぐ。嗚咽が響く。突然、泣き始めた。

「雪菜、どうした?」
 父の龍弥が言う。
「雪菜、何したの?」
 母の菜穂が聞く。
「おはよう。俺、今日、朝練あるからバナナと牛乳だけでいい。遅刻するぅ……。って、何、姉ちゃん、泣いてるの?」
 席に座って、バナナの皮をむいて食べる徹平。向かい側で感情を出す雪菜を見て驚いていた。
 さっきと様子が違う。ぼんやりした表情から、呼吸も乱れ始めている。

「母さん、今日、雪菜休ませた方いいな」
「そうね。学校に連絡しておくわ」

 龍弥は、立ち上がって、雪菜の肩をなでた。

「落ち着け。深呼吸しろ。過呼吸なるぞ。泣いてもいいから。息をするんだ」

 
 龍弥は、少し呼吸が整ったのを確認して雪菜を抱えて、2階の部屋に連れてベッドに寝かせた。

「今日は、ゆっくり休め。今、母さん来るから話すといい」
 
 龍弥は、部屋を出て行った。少し泣き止んできた雪菜は、壁の方を向いて目をつぶった。

「ねぇ、姉ちゃん、大丈夫なの?」
「うん、ちょっとストレスたまったのかもしれないね。母さん聞いてみるから」
「母さん、雪菜の話聞いてやって。俺には、たぶん話しにくいだろうから」
「うん。今日、仕事遅刻して行くわ。あまり雪菜は、自分のこと話さないから。その分、徹平はすごくお喋りだけど……」
「え、俺のせい?」
「そういう意味じゃない。性格の問題ってことだろ」
「あ、そうか。平気な顔してそうなのに姉ちゃんはため込むタイプか」

 龍弥は、出勤時間のため、バックを持って家を出た。徹平も牛乳のがぶ飲みして、家を慌てて出ていく。一瞬にして家の中が静かになった。菜穂は、食卓の食器を片づけた。可愛いティーカップにハーブティーを用意して、雪菜の部屋に行く。扉をノックした。

「雪菜、入っていい?」
「うん」

 鼻をぐずぐずしながら、返事をする。小さな丸いテーブルの上にティーカップを並べた。雪菜はベッドからそっと起きて、
 ちょこんと丸いクッションの上に座った。目と鼻が真っ赤になっていた。菜穂は、ティッシュをそっと差し出した。

「ありがとう」
「んじゃ、聞いちゃうけど、何かあったの?」
「……うん」
「凛汰郎くんだっけ? 彼氏くん」
「なんで名前知ってるの?」
「あ、聞かないことにしてたんだったけど、徹平が言ってたから。付き合ってるんでしょう、凛汰郎くんって人と」
「お、おしゃべりめ……」
「まぁ、いいから。言ってごらん」

 深呼吸した。

「凛汰郎くんに距離置こうって言われた」
「うん」
「それで、ちょっとショックで……」
「なんで、そういう話になったの?」
「私が悪いんだけど……。雅俊が彼女できたから気になって」
「……雅俊くんってお隣さんのこと?」
「うん。雅俊は、幼馴染でしょう。その彼女が私の親友だったから何だかもやもやしてて……」
「そっか。雪菜はどうしたいのかな」

 意外な返事が来て目を大きくする雪菜。

「う、うん。別にどうこうするわけじゃないけどよそ見してるって受け取られて凛汰郎くんに幻滅されたかもって。
 でも、私はどうしたいかわからない」

 菜穂は、雪菜の体をそっと抱きしめて、背中をトントントンとなでた。

「大丈夫。誰も何も言わないから正直になってみるといいよ。何か常識にとらわれると本当にしたいことがわからなくなるから」
「……」

 ふっと深呼吸した。目をつぶって、自分の胸に手をあててみた。自分のしたいことを想像してみた。
 
「本当は2人とも好きで、親友の緋奈子も好きだけど、それは全員恋愛対象なわけじゃなくて、みんなから離れたくない。でも、誰かに絞るとみんな離れてしまうのが苦しいし、怖い。同時に2人の男の人を好きになるのは変でしょう。それに親友も失いたくないって……」

「そうだねぇ。恋愛って難しいよね。友達も大事にしたいし、何人も一緒に付き合うって見えないところならかろうじてごまかせるけど目の前にいる訳だしね。でも、それって必ずランキングにできるはずだよ。雪菜の中で誰が一番大事なのか。そこから決めたらいいよ」
「私の一番な人?」
「そう。でも、距離置きたいって言った凛汰郎くんだっけ。それは別れたいって言われたわけじゃないから、大丈夫。優しいと思うな。待ってるから、自分の気持ちに正直になりなよってことでしょう。離れてみてわかることもあるしね」
「うん。そうだよね。確かに、こんな宙ぶらりんの私と付き合うなら別れた方がいいって思う。
 距離を取ってくれるってことは……」
「考える時間、自分の心と向き合う時間だね。……だいぶ気持ち落ち着いたね。んじゃ、そろそろ仕事行かないと」

 菜穂は、食器を片づけて、立ち上がる。

「お母さん。仕事、遅刻になるの? 大丈夫?」
「うん。大丈夫。今日、パートの吉田さん来てたから。何とか仕事回せる日。その分、残業はあるけど。ラッキーだったね、雪菜」
「そっか。ごめんなさい。ありがとう」
「どういたしまして! 今日はゆっくり休んで、明日行くといいよ。鍵締めておくから。お昼ごはん、台所にお弁当置いてるから
 食べてね。んじゃ、行ってきます」
「うん。行ってらっしゃい」

 手を振って別れを告げた。雪菜は、さっきまで泣いていたのが嘘のように呼吸が整っていた。母に話してよかったと感じていた。
 制服からパジャマに着替えて、またベッドの中にもぐりこんだ。

 なんとなく、泣き止んだ今となると学校をずる休みしてる気分になって、そわそわしていたが、眠ってしまえばそんなことさえも忘れていた。
夢から覚める頃、夕日が部屋の中に差し込んでいた。からすが鳴くのが聞こえてくる。自転車のチェーンがカラカラと回る音も聞こえる。トラックの重さで地面が揺れる。うなされて寝返りを打った。

はっと息をのむと、目の前にサングラスをつけて、頬に湿布をつけた雅俊があぐらをかいてスマホのゲームをしている。家のカギはかけてたはずなのに……。
とっさに枕を顔めがけてなげた。

「侵入者!?」
「ぐわぁ!」

どたんと体が倒れた。枕をよけて体を起こす雅俊。

「ひどいな、見舞いに来た人にする態度かよ」
「いやいや、頼んでないし。あんた、どこから入ってきたのよ」
「えっと、徹平の部屋の窓から。鍵開いてたから。だって、入っていいって徹平に言われているから」
「私は許可してないし!! 徹平もまだ帰ってきてないじゃん」

 人の気配もしない。慌てて玄関を靴を見ても徹平の靴もない。

「あ、そうだった?」

 そういいつつも本当はうれしかった雪菜。

「まったく、もう」

 ぺたんと座る雪菜は、ぎゅるる~とお腹を鳴らす。目を下に向けると、雅俊の足に包帯が見えた。

「腹減ってんの? 肉まん、買ってたよ。カレーチーズまんとピザまん。俺好きなんだよね~」

 テーブルの上に置いていたコンビニのビニール袋から肉まんを出した。

「……雅俊、その足は?」
「ん? 別に。なんでもないけど」
「けがしたの?」
「肉まんの話はスルーかよ」
「いいから!!」

 雪菜は雅俊の制服のズボンをたくし上げて確認する。

「広範囲じゃん。え、もしかして、サッカーやめたのってこのせい?」
「……」

 無言で肉まんの紙をめくって食べ始める。

「それに、その頬ってなに。湿布してるし」

 雪菜は嫌な予感した。雅俊がふざけてつけてるんだろうと思っていたサングラスを外してみた。
 左目の上の部分に青く腫れていた。

「な、何があったの? これって誰かに殴られた跡?」
「……違うよ。階段から落ちたの」
「嘘だ。手の跡ついてるじゃん」

 雅俊は後ろを振り返る。

「なんで、嘘つくの?」
「……言いたくない」
「……なんで」
「それよりさ、元気そうじゃん。俺、雪菜が休んだって聞いて、すっげー心配したからさ。全然、元気なら、いいな。肉まん、食べろよ。置いておくから」

 立ち去ろうとする雅俊に雪菜は進路を阻む。

「あのさ、聞きたいんだけど、本当に緋奈子と付き合ってるんだよね?」
「……え、あー、うん」

 目がキョロキョロと泳ぐ。予想と違う態度に雪菜は困惑する。

「え、違うの?」
「……ば、ばれた?」
「え???」
「だよなぁ。ばれるよな。このけがとか見たら、怪しいとか思うだろ? アピールありすぎるよなぁ……。帰りに肩貸してもらうために緋奈子先輩に恋人のふりしてもらってさ。まぁ、さすがにそれもこれも全部、平澤先輩にもばれちゃったわけで……。このありさまよ」

 雅俊は、自分の頬をペチペチとたたく。

「え? どういうこと? 何、凛汰郎くんに殴られたってこと?」
「俺が雪菜を騙そうとしたバチが当たったってことなわけで。でも、やりすぎたかなとも自分でも思ってるけどさ。欲にも負けたわけだし……」
「さっきから言ってる意味がわからない。雅俊、一体何をしたの?」
「この際だから何回も言ってるのを聞き流されてきたからいうんだけどさ」

 雅俊は、まっすぐに雪菜を見る。

「俺、雪菜が好きなんだよ。昔からずっと……。今までいろんな彼女いたけど、本当は、心から好きになれなったわけ。建前上、付き合わざる得ないというか告白されることが多いから、断れきれなくて、付き合うんだけど、最終的には、ふられるか無理って俺がなるの。それはなぜかって……」

 さらに近づく。

「いつも雪菜しか見てないから。雪菜以上にいいなって思った女子に会えてないの」
「……そ、それは、きっと幼馴染だから姉弟みたいな関係だからでしょう」
 
 雪菜は後ろを振り向く。いざ、真剣に告白されると気が引けてきた。しかも、彼女をたくさん作っておいて後付けのように言われてもと思った。

「俺は、今、真剣に言ったんだよ。受け止められないのならば、もう雪菜を追いかけるのをやめるよ。平澤先輩と付き合うって言うから、俺が緋奈子先輩と付き合うとか言わないとこっち振り向いてくれないと思ったから。なぁ、雪菜にとって俺は何なの? 弟? ただの後輩? 幼馴染で終わり?」

 胸が苦しくなる。追い詰められてる。どっちか選んだら、みんな離れる。贅沢に生きてはどうしてだめなのだろう。

「……大事だよ。言いたいこと言えるし、安心できる。でも、たぶん、私は、緋奈子に対して嫉妬してた訳で、友達として好きなんだと思う。でも、何かさっき嘘だって知って、安心した」
「……俺って、男としての魅力ないの?」
「魅力はあるんじゃないの? ファンクラブもあるわけだし。でも、ごめん、私には、浮気する雅俊とはちょっと無理」

 顎が外れそうだった。がくっとうなだれた。

「彼女何人も作る時点でちょっと……。緋奈子にまで手をつけるかと思った」
「いや、ごめん。もう手をつけた」
「あー--、ほら。だから嫌だ。私がいいとかいうけど、それも信じられないし」

後ろから雪菜にバックハグをする雅俊。

「その時、好きだと思ったやつをこうやってして何が悪いんだよ。浮気じゃないし。思いのまま生きてるだけだし。」
「やだって言ってるじゃん」
「嘘だ。顔赤くしてるじゃん」
 
 体と心が一致しないときってあるんだ。バックハグからの横から口づけされた。嫌じゃない。頬をたたくことはしなかった。前はバックを使ってたたいたのに、嫌がられない様子を察して、ぎゅうっと抱きしめた。テーブルに置いていた雪菜のスマホが鳴り続ける。

 スマホのバイブレーションが気づかないほど夢中になる2人がいた。
 夕日が沈みかける。
 凛汰郎は、塾の前の出入り口でスマホを耳に当てていた。スマホを持つ左手には包帯が巻かれていた。
「ただいまぁー。あー、疲れたなぁ。
 あれ、姉ちゃんの靴ある。
 あ、そっか。今日休んだんだっけ。
 まぁ、いいか。」

 雪菜の弟の徹平が帰宅した。リビングに入って行く音がする。雪菜と雅俊は焦りに焦った。
 事が済んだ後で、衣服がはだけていた。焦った雪菜は、雅俊をクローゼットの中に
 隠れなさいと指示しては、自分はベッドの中にもぐりこむ。
 
 しばらくしても、徹平が上に上がってこないとわかり、そろそろ出てもいいよと外に出るよう促した。ワイシャツのボタンが2段目まで取れたままだ。暑くて、ワシャワシャと風を送る。雪菜の部屋から出ようとすると、まさかの徹平とご対面する。一瞬、2人は凍り付く。徹平は指をさす。

「……え、なに、まーくん。なんで、姉ちゃんの部屋から出てくるの?」
「え、あ。あー、見舞い?」

 徹平は雪菜の様子を伺うように部屋の中を見ようとするが、雅俊は、パントマイムのように見せないようにする。

「見舞いするほど、具合悪くしてなかったけど……。てか、まーくんどっから入ったのさ? 玄関に靴ないけど」
「あ! 徹平の部屋に靴置いてたわ」
 
 慌てて、徹平の部屋にかけだす。

「な、なんで?!」
「あ、あった。悪いな。邪魔したな」
 
 床に落ちていたスニーカーを履く。徹平はジロジロと雅俊を見ると、ズボンからワイシャツははだけているし、いつもしないサングラスがワイシャツにつけていて足には包帯巻いていた。違和感しかなかった。

「まーくん。姉ちゃん、食ったのか?」

 驚いた顔をさせた。

「な、何言ってるんだよ。んなわけねぇだろ。大事な姉ちゃん食わないよ」

(本当のこと言えるわけがねぇ〉

「だよなぁ。姉ちゃん、女として魅力ないもんな」
「なんだって?! 聞こえてますけど?」

 隣の部屋から雪菜の声がする。

「魅力がないわけじゃないけどもさ。まぁ、まぁまぁ……。ふふふ……」

 笑いがとまらなくなる雅俊。

「何がそんなにおかしいんだよ」
「いや、なんでもない。んじゃ、またあとで、ゲームしような」
「あ、本当? やったね。そしたら、早く宿題終わらせるわ」

 徹平は、うきうきして、机に向かって勉強道具を準備し始めた。雅俊は、入ってきた窓から、自分の部屋に器用に飛び移った。その飛び移った様子をちょうど帰ってきた龍弥に見られていた。

「おい!? 雅俊。そこで何してる?!」
「うわ、やべぇ。親父さんに見つかった」

焦る雅俊は、慌てて、家の階段を下りて、謝りに行く。くどくどと説教タイムが始まった。龍弥の説教は30分はかかっていた。
何度もぺこぺこと謝り続ける雅俊だった。

それを2階の窓からのぞく雪菜は呆れてため息をつく。

人生良いことと嫌なことの組み合わせで出来ている。
雅俊にとって、最高に幸せの時間を手に入れたため、一気にバロメータが下がっているんだろう。

この後は、さらにいいことしか起きないのかもしれない。2階から見えた雪菜に説教ついでにウィンクして
時間つぶしをすると、龍弥は、それさえも怒っている。



◇◇◇


学校のチャイムが鳴った。ガタガタと椅子が鳴る。

「雪菜、おはよう」

 何週間かぶりに緋奈子が声をかけてきた。

「あ……おはよう」

 雪菜は涙が出そうなくらい嬉しかった。ずっと話しかけられなかったし、話そうともしなかった。 和解ができた気がして嬉しかった。

昼休みに机を並べて、一緒にお弁当を食べた。この上なく、お弁当がおいしく感じた。ボッチ飯より、やっぱり友達同士で食べたほうがおいしいんだ。

「雪菜……。雅俊くんとどうだった?」
「え、どうだったって何の話?」

 顔がお猿のように赤くなる。

「あ、ごめん。その話じゃなくて、付き合うとか付き合わないとかの話。結局、雅俊くんって正式に言わないと交際にならないって聞いてて。どうなったのかなって。雪菜、凛汰郎くんと付き合ってたのはやめたの?」

 違う話だと分かると、いつもの表情に戻した。緋奈子はお弁当のミートボールをパクパクと食べる。

「あ、そっか。何も言ってないや。確認しないといけないよね。確かにOKとは言ってないんだよね。凛汰郎くんとは距離置こうって言われてたから、これからどうするかはっきり言ってないから、今日、話そうと思ってて……」

「そうなんだ。でも、安心したよ。雅俊くんに彼女のふりしてってずっと言われてたからさ。本当のこと言えなくて……。だましてたみたいで本当にごめんね」
「あ、そうだったんだね。私が勘違いだったんだ」
「彼女のふりしてと言いながらやることはやってるけど。何か、雅俊くんって校内で人気あるっていうし、ファンクラブもあるもんね。交際にならなくても良いって思っちゃったかな。優しいもんね」

 緋奈子は照れながら話していた。

「好きになっちゃった?」
「あ、いや。うん。私は、もうこりごり。やっぱり、女子を敵に回しそうじゃん。浮気性だし。彼氏にはしたくないのよ」
「だよね。わかる。私もわかってはいるんだけどさ。だまされてるのかな」
「……雪菜は昔から本命だって何回も言ってたよ。本当か嘘かはなぞだけど」

 食べ終わった弁当を片づける緋奈子。雪菜は、弁当箱に入っていたおにぎりをちびちび食べた。

「それも口説き文句ぽくない? 半分聞いておくんだけさ」
「まぁ、いいじゃん。そういいながらも雪菜も雅俊くんが本命なんでしょう?」
「え?」
「だって、顔にかいてる」
「……あー、ばれてたんだ。何も話したことなかったのに。緋奈子には嘘つけないな」

 顔をポリポリとかく雪菜。廊下側に座っていた凛汰郎がアイコンタクトで雪菜を呼んだ。ちょうど、お弁当は食べ終わっていた。

「ごめん。凛汰郎くんと話してくるね」
「いいよ。私のことは気にしないで。ごゆっくり~」
「ありがとう」

 立ち上がり、屋上に続く階段の踊り場まで歩いた。

「呼び出して、ごめん」
「ううん。大丈夫。私も話したいことあったから。あ、手の傷。大丈夫? 雅俊が関係してるんだよね」
「う、うん。そう。俺も感情的になってしまって……。申し訳ないなって思ってるんだけど、雪菜のことだましてたっていうのが
 許せなくて、悪いな」
「大丈夫大丈夫。あいつは、不死身に近いから。私のことで怒ってくれてありがとう」
「いや、そんなことはない」
「話って、何?」
「あー、いや、雪菜からいいよ」
「そう? いや、でも話しにくいから先に凛汰郎くんから」
「あぁ、うん。距離置こうって話なんだけど、やっぱり、俺、付き合うのは
 やめた方がいいかなと思ってたんだ。受験勉強に本当に集中しないといけなくて……」

 本当は、振られたくない気持ちが強くあって、自分から言った方が好都合だと思った凛汰郎。もう、自分に気持ちが薄れているんだろうと察していた。

「あー、そうなんだね。勉強、大変だよね。私といたら、はかどらないもんね」
「そんなことはないんだけどさ。お互いのためにと思って……。雪菜、今、幸せ?」
「え?」

 不意打ちに聞く質問にどきっとする。

「う、うん。幸せだよ」
「俺、雪菜が幸せなら、付き合うってことしなくても平気だから。受験終わったら、その時は、お祝いかねてどこか食べに行こう」
「それは、別れるってこと?」
「そういうことになるね」

 目に涙を浮かべて、凛汰郎を見る。どちらも同時に手に入れることはできない。彼氏から友達に戻る。

「悲しいけど、ありがとう。忘れないから。絶対合格したら、連絡してね。一緒にご飯食べにいく約束。それだけは一緒」

 小指で指切りした。それだけは絶対一緒という言葉に心がほくほくした。本当は同時進行で2人と恋人として続けられるならいいのにと感じながら、雪菜は別れを告げた。雅俊に気持ちも確かめていない間に。
がやがやとたくさんの生徒たちで、昇降口は騒がしかった。放課後の靴箱で、雪菜は外靴に履き替えた。バックを持ち直して、立ち上がる。横からひょこっと、ズボンのポケットに手を入れて、雅俊はのぞく。

「靴履けた?」
「うん」
「んじゃ、いこっか」

 雪菜を誘導し、段差をおりる。

「くかぁー、何か、新鮮だ。許可おりて、まさか隣に雪菜いるなんて今までかつてないから。マジで新鮮」

 前歯を光らせて、ニカッと笑う。

「何よ」

 照れているのか怒っているか自分でもわからない表情を浮かべる。

「いいんでしょう? 手、つないで」

 左手で、雪菜の右手をにぎり、雅俊の胸元でアピールする。

「べ、別に……いいけど」

 それを見ていた外野が悲鳴をあげる。そんなに手をつなぐだけで驚くか。ファンクラブがあるのはやっぱり怖い。

「あ、やっぱ、やめようかな」

 周りの反応で、さっさと手をひっこめた。

「な、なんで。せっかく、手つなげたのに……」
「だって……」
「周りなんて気にするなよ。俺たちの世界でいいだろ? まったく、どこ気にしてるんだか……」

 雅俊は、ぷんぷんと頬を膨らませて、引っ込めた雪菜の手をつないだ。

 「わかったよ……」

 不満げな顔を見せながら、言う通りに行動する。世間一般から見たら、いわゆる美男美女と言われて、輝いて見える2人も、それぞれに不満はある。2人しかわからない事情とか、外野なんて知らない。手つないでいたって、どれくらいの仲良しかとかどれくらいの交際期間とか知る由もない。

 2人は、幼馴染であり、幼稚園児からの付き合いで、雪菜が5歳から18歳だから、13年も期間が経っているが、お互いが同意あって交際と認めるのは、今回が初めてだ。
 
 どこか背中がそわそわするというか胸がざわざわする。自分でいいなとか好きだなとか思って今に至っているのに、過去の遠い記憶をたどると恥ずかしい出来事ばかりが思い出される。

 お互いの恥ずかしい思い出を想像すると、なんで隣にいるんだっけと思ってしまう。自分で選んだはずなのに。

 パンツひとつ姿のまま雪菜の前に披露してふざけたり、公園で夢中で遊んでる時におもらししてしまっていたり、小さい時の記憶が無い方が、かっこよく見えるのに、何だか変なフィルターが急に3Dめがねをするようになっている。 

「ふっ……」

 思い出し笑いがとまらない。

「な、なんで、急に笑ってるんだ?」
「なんでもない。何か思いだしただけ」
「あ、そう。思い出し笑いするやつってすけべらしいよな」
「は?」
「やーい。すけべな雪菜」
「……」

 怒り心頭。つないでた手を離す。

「あ」

 やっちまったという顔をする雅俊。

「もう言わないから。ごめんなさい」
 
 顔の前に手を合わせて謝罪をする。犬のようにかわいい姿に思わず、許してあげたくなる。こんなにまつげ長かったかな。

「わかったよ。許すから。その代わり、何かおごって?」

 高校前にあるコンビニ指さして、雪菜はニコニコという。

「はいはい。わかりました。よくバイト代が入ったばかりってわかるよな」
「え、そうだったの?」

 駆け寄って、雅俊の腕をしがみつく。

「マジ、近い。何、さっきとの差」
「おごられるならサービスしないとね」
「キャバクラか?」
「何それ。そういう意味じゃないけど」
「胸触らせてくれるなら……」

 頬に一発、平手打ち。

「えっと……何、おごってもらおうかなぁ」
「切り替え早すぎない?」

 たたかれた頬を抑えて、先に入って行く雪菜を追いかけた。コンビニの自動ドアを開いた。

「最近、マイブームだから。これにする」
「何、肉まん?」
「うん。豚まんが食べてみたいかな。この間は普通の肉まん食べたんだよね」
「は? 何言ってんの? ピザまんでしょう。あと、カレーチーズまんだよ」
「え、あーそうだっけ。あ、思い出した。凛汰郎くんと食べたのが肉まんだった」
「あ?!! なんで平澤先輩の話すんの?」
「え、あー。ごめん」
「何かムカつく」
「雅俊、やきもち焼いてる。あんこもちですか?」
 
 やきもち焼いてるのを少しうれしかった雪菜。ものすごく不機嫌になる雅俊。青筋を立てて、睨む。

「肉まん買いたくなくなってきた」
「えー、食べたいのに」
「やだ。俺買って行った肉まんのこと忘れてたから。つい最近なのに」

 ぶつぶつと文句を言ってそっぽを向く。雪菜は買ってくれないとわかると自分の財布から、お金を取り出して、やっぱり肉まんを店員に注文していた。

「ちょっと、そこはピザまんでしょう!!」
「え。あー、じゃぁ、ピザまんで」

 雪菜は慌てて、肉まんからピザまんに変更した。

「雪菜、今日から肉まん禁止ね。ピザまんかカレーチーズまんだけ。」
「えー、なんで食べ物制限するの?」
「だから、ムカつくって言ってるの。なんで、平澤先輩なんだよ。ちくしょう」

 些細なことで雅俊を怒らせるようになる。雪菜はもう凛汰郎の話は雅俊の前でしないことにした。ちょっと面倒な人だなと感じた。 一人コンビニの出入り口で、黙々と腕を組んでイライラしている雅俊の横で、ピザまんを食べた。何だか味気ないピザまんだった。凛汰郎と食べた肉まんは最高においしかったなと思い出してしまう。
いつも通りの朝だった。寝坊して、朝ごはんは、目玉焼きとウィンナーで隣に住んでる1つ下の後輩は、幼稚園の頃からの幼馴染で、つい最近、彼氏彼女になった。高校生になってやっと交際することになる。本当はお互いに昔から気になっていた。ずっと温めていた想いが叶った訳だが、全然、普段通りで新鮮さもほんの一瞬。交際ってドキドキするもんじゃないのかと通学路を隣同士で歩いて、顔をジロジロと見ても全然気持ちが上がらない。

「何、見てんだよ]
「別に……。寝ぐせと髭と……。どこがかっこいいって思うのかと」
「は?」

 眉毛をゆがませてイラッとする。

「それでファンクラブはいまだ健在のようね」

 昇降口の靴箱に雪菜は、指さして現状を報告する。ここ、連日、上靴に画鋲が入る日もあれば、上靴そのものが無くなる日もあり、片方のサイズが変わってることもあったり、雅俊と付き合うことになって、かなりの嫌がらせを受けていた。上靴のほかにも外靴が行方不明になることもあった。

「侮るなかれ。俺も上靴、行方不明はもちろん。財布の盗難。自転車のカギの紛失。いやー、数えたキリがない。雪菜のファンクラブも半端ないぞ」
「ちょっと待って。その自転車のカギ紛失は、ただ自分で無くしただけでしょう?」
「あ、ばれた?」
「うん。誰も自転車のカギ盗まないでしょう。自転車盗むならわかるけど……」
「俺だって、苦労してるってアピールしたかったの。」
「今までの歴代の彼女は嫌がらせ受けてたの?」
「……あまり聞いてない。そもそも、すぐ別れるしな。ハハハ……」
「でも、私らもそんな経ってないよ? まだ2週間じゃん」
「ほら、見ろ。学校内では、歴代1位だぞ。前の先輩は半年以上続いたけど、ここの学校では、雪菜がダントツだね」
「どんだけ、女子を振り続けたのよ。あんたは……」
「最短2日かな?」
「はぁ……」
 
 頭を抱えて、ため息をつく。

「かなり嫌がらせ受けているけど、やめる? 付き合うの。リスク背負うね、俺と付き合うと」
「うん、ちょっと考えておく。今後のこと」
「マジか……」
「上靴何回買いなおせばいいか。いつか破産するわ」
「大丈夫だろ? 雪菜の家、共働きだし、公務員だろ。何とかなるって」
「よく言うわ。家庭事情知ってるからって。マジで、付き合うのやめようかな?!」
「えー、せっかく2週間も続いてるのに?」
「あんたの性格知ってるから言ってるんだわ。やっぱ恋愛と友情は別よ!? じゃあね! 私こっちだから」

 雪菜は頬を膨らまして、画鋲の入った上靴処理をした。買わずに済んで少し安堵したが、この画鋲をどこに持っていこうかなとバックを探っていると。

「これに入れたら?」

 近くを通りかかった凛汰郎が声をかけた。手には小さなビニール袋を持っていた。

「あ、ありがとう。助かる」

 ジャラジャラと袋に入れていく。

「小学生みたいなことするやつ、いるんだな。
 今の時代にも。発想が古いな……」
「そう、確かに。今は、100円均一とかで安く手に入るもんね。画鋲も。足つぼになるかなって思ったけど、無理だった」
「頑張ろうとしなくてもいいって」
「ハハハ……。だよね」

 画鋲を入れたビニールをバックに入れる。

「大変だな、いろいろと……」
「うん、そうだね。やめようかなって考えちゃうくらい」
「やめるのか?」
「……すぐにはやめないんだけどさ」
「……他人にどうこう言われてもってところなのか?」
「そこまで追い求めてはないけど。あと数か月の辛抱かなと……。私たち、卒業するでしょう。学校から出ればそんなことないだろうし」
「まぁ、そうだけどな」

 教室までの距離を雪菜は凛汰郎の横を歩きながら進む。
 
「何かあれば言いなよ。大したことはできないけど」
「ありがとう。大丈夫。気持ちだけ受け取っておく」

 教室に入ると、凛汰郎は、スイッチを入れたようで急に話さなくなった。凛汰郎は、雪菜と別れてから、誰とも話さない。前と同じ陰キャラに戻していた。付き合いで、気を使って陽キャラを演じていたのかもしれない。それが本当の凛汰郎なのか分からなくなる。

「雪菜、おはよう」

 緋奈子が声をかけた。

「おはよう。今日も事件が起きました。ほら」

 雪菜は毎朝の上靴事件を緋奈子に報告していた。

「うわ、最悪だね。画鋲じゃん。幼稚な人もいるもんだ」
「でしょう? 足つぼになるかなぁなんて入れてみたけど、無理だったわ」

「よくやるね。それ無理だって。足つぼもきっと痛いだろうけど」
「明日はどんな嫌がらせしてくるかな?」
「雪菜、もしかして、楽しんでる?」
「殺される訳じゃないし、小学生のいたずらって思えば平気だよ」
「強いメンタル?! 雅俊くんと付き合ってから嫌がらせがあるんでしょう?」
「そうなんだけどね。雅俊の方も嫌がらせあるって言ってた。だから、引き分けだよ!」
「どんな戦い? いや、お互いあるからいいでしょうじゃないと思うけど?」
「大丈夫、ほとぼりいつか冷めるって。あと、うちら数か月で卒業するわけだし」
「ざっと4か月くらいかな」
「うん。そうだね。ほら、ホームルーム始まるよ。席に戻った方いいよ?」

 雪菜は緋奈子を席に誘導する。ちょうどよく、担任の先生が教室に入ってきた。窓の外を見ると飛行機雲ができていた。
 学校に通うのももう少しだと思うと名残惜しくなる。
 カザミドリがせわしなくカラカラとまわる。

◇◇◇

 
「お邪魔します」

 雪菜の父、龍弥に怒られてから、一度も雪菜の部屋に入っていない。入ることができなくなったため、今度は、雪菜が雅俊の部屋にお邪魔することになった。放課後にそのまま、帰ってきたため、制服のままだ。
  雅俊は、リビングから、慌てて、麦茶の入ったピッチャーとコップをトレイに乗せてやってきた。

「ごめん、適当に座ってってもう座ってるよな」

 ベッドの上に腰かけて、部屋をジロジロと見渡す。

「ここに置いておくから飲んで」
「うん、ありがとう」

 雪菜は、立ち上がり、壁に貼ってる写真やポスターを見た。雅俊は、テーブルや、机の周りを急いで片づけている。

「ごめんな、全然片づけてなくて」
「あ、これ。元カノ?」

 指さしたのは、お祭りに浴衣を着た女性が映った写真だった。背景には打ち上げ花火があった。

「あー……。ごめん。見たくないよね」

 手を伸ばして、写真をはがした。

「いいのに、別に。知ってたし。梨沙先輩でしょう。バイトで一緒の」
「……うん」

 寂しそうな顔で見る雪菜。申し訳なさそうな顔で雅俊は、写真を机の引き出しにしまった。

「私がもっと早くに気づいてればよかったのかな」
「え?」
「雅俊が梨沙先輩と付き合うって知った時から、遠慮してた。もう、そのまま幼馴染の関係でいようって思ってたから。ごめんね。ずっと自分に嘘ついてた。一度は気持ちに清算していたのに。でも、実際、こういう写真見るとダメかも」

 顔を塞いで、涙を流す雪菜。過去の記憶で、自分とは違う人と一緒にいるのを思い出すだけで、嫉妬心が溢れ出てきた。いつも一緒にいるのが自分ではない。今は一緒なのに、時系列を図り間違っている。写真は過去が残るもの。見るだけでショック受けることもある。

「俺が片づけてなかったから。ごめん。今は、雪菜だけだから」

 頭を抱えてぎゅっとハグをした。その言葉を聞いてもどこか信用できないのはなぜだろう。こんな思いを何度もしなくてはいけないかと思うと、心がいくつあっても足りない。

 想いは、目に見えてわかるものではない。持っているものがたとえ、考えていないものでも、他の人から見たら、想ってるものだと勘違いするものだ。雅俊は、本当に梨沙のことよりも雪菜のことが忘れなかったはずだった。それが伝わない悔しさがにじみ出る。どうしたら、信じてくれるのか。どうやったら、想いが伝わるのか。
 
 どんなに考えても解けない難題だ。

 顔を近づけて、口づけしようにも拒否られて、雪菜は、部屋を飛び出した。腕からするりと抜けた雪菜の体がパッと消えた。自分の体をぎゅっと抱きしめては、握りこぶしを作って、手のひらに爪が食い込んだ。タイムスリップができるなら、梨沙と会う前の時間に戻りたい。切実に願う雅俊だった。

 嫌な気分でも、真っ暗な夜空にはキラキラと輝く満月があった。雪菜は、目に涙を浮かべて、隣の家の自分の部屋まで駆け上がった。ベッドに顔をうずめては、朝まで起き上がることはなかった。
「雪菜、もう気を使って声かけなくていいよ」

 朝の静かな教室、凛汰郎に朝の挨拶をしたら、そう言われた。単語帳を片手に勉強で必死の様子。まだ見込みあるかなと、雅俊のことをいったん忘れて、より戻せないかなと微かな望みを持ちながら、毎日挨拶だけは欠かすことはなかった。

 でも、今日、それさえも拒否された。ショックだった。二兎追うものは一兎も得ずってこのことか。
 2人のことを追いかけたからか。それとも、1人と真剣に向き合えなかったからか。

「ごめんね。勉強の、邪魔したね。声描けるのやめるから」

 さびしそうな顔を下に向けて、自分の席に向かう。本当は挨拶ひとつしてくれただけでものすごくうれしかった。勉強なんてお飾りで、必死で勉強しなくても、模試の結果はA判定だった。無理して自分は一人でも大丈夫だとアピールして、安心して雅俊と付き合いができるようにと凛汰郎なりの配慮だった。自分よりも相手ファーストの気遣いなのに、雪菜は全然気づかない。もう傷つくのは嫌だと感じた雪菜は、机に顔をうずめては、眠ったふりをし続けた。もちろん、授業中に先生に注意はされるのだが、優等生の雪菜でさえも注意されるのかと周りのクラスメイトたちは驚いていた。

 カザミドリがくるくると回る屋上におにぎりを持って、1人ベンチに座る。何人かの生徒が屋上の端の方でお昼ごはんを食べている。空を見上げると、うろこ雲がふわふわとあった。遠くに揺れ動くお店のアドバルーン広告は飛ばされたりしないだろうかと疑問に思った。突然、手のひらで両目を隠された。

「だーれだ?!」
「……言いたくない」
「つれないな。そういうときは『まーくん♡』だろ。それでも彼女か?!」

 目をそらす雪菜。

「すいませんね。理想通りの彼女じゃなくて」

 隣のベンチにまたがって座る雅俊。

「もう、雪菜は昼飯食べたの? 俺はこれから。フランスパン持って来た」
「でかいね」
「でしょう? 昨日、ばぁちゃんがおしゃれなパン屋で買ってきたから持ってけってうるさくてね」

 少し笑みをこぼす。雅俊はバリバリと硬いパンを食べ始めた。

「なんで、そんな落ち込んでんの? 今朝の上靴? 今日のはすごかったね。ボンド入れるとは思わなかった」
「……ボンドよりショックだったから。絶対話さないけど」
「えー-マジで? ボンドは最悪だって。それよりもショックって、雪菜どんなメンタルしてんのよ。ちょっと普通じゃないの?」

「放っておいて。というか、今日の昼休みも別に待ち合わせしてないし。なんで来てるの?」
「えー--、今頃? 別にいいじゃん。一緒に食べたって。ここかなぁって俺っちセンサーが働いたわけ。すごいだろ?」
「どんなセンサーしてんの? んじゃ、私のご機嫌も感じ取ってよ」
「だから、聞いてるじゃんよ。これでも心配してんのよ?」

 しばし間が訪れる。フランスパンが硬くてなかなか減らない。雪菜は持っていたおにぎりを食べ終えて、ペットボトルのお茶をぐびぐび飲んだ。

「もう教室戻る」
「えー。俺まだ食べ終わってないよ?」
「だから、待ち合わせしてないから」
「ちぇ……」

 雪菜は荷物をまとめて、そうそうに屋上から教室に戻った。後ろをちらりと戻ると、女子の後輩何人かに声を掛けられる雅俊の様子が見えた。自分じゃなくても相手してくれる人いるからいいだろうと思った。幼馴染からの彼氏というのは、まるで熟年カップルかのような空気みたいにわかりきってる関係性で、恋愛のモードに入りにくいというデメリットを感じ始めた。交際ってどんなふうにするんだっけ。ときめきってなんだっけ。雅俊と一緒にいると弟と一緒にいる感覚になって、好きは好きなんだろうけども、可もなく不可もなくのグラフで言うと、ずっと横ばいな気持ちになっていた。それって付き合うってことになるのだろうか。

 自問自答をする毎日に加えては日常に刺激を求め始めつつあった。現状を変えたいのかもしれない。学校から帰宅して、
 部屋の机にドサッとバックを乗せては、スマホを取り出して、スワイプした。通話ボタンをタップする。
 隣の家の部屋の窓がカラカラと開くのがわかった。

「雪菜~! 電話するなら、直接でいいだろう?」

 手を振って合図する。一人で帰ってきたため、雅俊が、家にいるとは思わなかった。

「お父さんから禁止令出てるでしょう。んじゃ、ここからでいいよ」

 スマホの電話モードを閉じた。

「おう。んじゃ、ここから。んで、何の用?」
「もう、やめよう。彼氏彼女ごっご」
「……え? ごっこだったの?」
「私には、やっぱ、無理だったかも。いろんな意味で辛い。いつもの幼馴染の関係に戻ろう」

 窓から身を乗り出して、声を出す。

「俺、彼氏彼女ごっこって思ってないから。本気で付き合ってたつもりだったよ? それでもだめなの?」
「うん。私には、無理。ごめんね。ありがとう」

 窓をピシャンと閉じた。雅俊の部屋の窓は開いたまま。ずっとこちらを見ていた。諦めきれない何かがあるようだ。

「だめなところあったら、直すから! 考え直すし。雪菜が希望する通りに行動するから。それでもだめ?!」

 話を聞くととても女々しい。そんな会話が逆に愛しく感じるが、もう、恋愛対象ではなかった。
 窓越しに

「ダメ!」

 その声を聞いても今度は家の中に入ってきて、階段を上ってきた。ガチャとノックも無しに入ってくる。

「ねぇ、なんで、そうなんの? 突然? もうすぐ1か月記念日なのに?」

 机を前に椅子に座った雪菜は、宿題のノートを広げた。

「勝手に入ってきちゃダメじゃん。お父さんに叱られたばかりでしょう。でも窓から侵入じゃないからセーフなのかな」

 シャープペンをあごにトントンとつけた。そんなのお構いなしに横からぎゅうっとハグをする。

「大事にするからさ。本当にやめようとか言わないでよ。せめて、高校卒業まで一緒にいて」

 急に小さな子供のように懇願する。寂しさからか、雅俊は首を縦には振らなかった。推しに弱い雪菜は結局、雅俊の言う通りに卒業まで付き合うということになった。複雑な気持ちのまま、ハグする雅俊の頭をなでなでした。駄々をこねる子をなだめる保護者になった気分だった。