スズメが鳴く少し肌寒い通学路。持っていたバックを背負いなおして、駐輪場から昇降口に向かう。
同じように昇降口に向かう生徒が行きかっている。
衣替えがとっくに終わっているのにいまだに半袖ワイシャツになっている人や、制服のジャケットではなく、カーディガンを羽織る人がいる。
まだ、朝が少しだけ寒いが、昼間は汗をかくくらいの天気だった。後ろから走ってくる音が聞こえてくる。
誰だろうと後ろを振り向くと何となく予測はついていた。
「雪菜、ちょっと待ってー」
雅俊が、追いかけてきた。ジロジロと後輩や同級生たちが見てくる。さすがは、ファンクラブができるほどのモテ男。
自分に話すだけでこんなに注目浴びるのかとちょっと嫌な気分になった。
「何?」
いつものおはようも無しに話す。
「足早いもんな。あっという間に行くんだから。俺も今日、チャリで来たからさ。今追っかけてきたのに……」
息が荒い。
「だから、何の用事? ギャラリーができるの嫌だから早くして」
「え、あー。ごめん。バックからごそごそと、何かを取り出す」
透明なビニール袋に入っていた。
「あ、あれ。それって……」
雅俊は、小さなぬいぐるみキーホルダーを渡した。狼のキャラクターだった。凛汰郎に買ってもらっていたぬいぐるみが取れていたとは気づかずに今、思い出した。
「そう、バックから落ちてたみたいだから拾っておいた」
「あー-、ありがとう」
「泥んこ、ついてて、洗うの苦労したんだぞ。洗ったのは、ばぁちゃんだけどな。ペット飼ってるみたいにドライヤーで乾かしたんだぞ」
「ふーん……」
「よ」
雅俊の後ろから凛汰郎が雪菜に手を振る。
「あ、おはよう」
「うひゃ!!」
雅俊は凛汰郎に気づいて、びっくりした。
「何、ビビってんだよ」
「先輩、昨日はすいませんでした……。俺のせいで、ボロ負けで……」
「そのこと? 別に毎回期待してないし……」
「何? ゲームの話?」
雪菜が話の間に入りこむ。
「いつもこいつやられてさ。負けるんだよね。俺がレベル高いから強いメンバーが相手になるんだけどさ。仕方ないかなって」
「ごめんね、雅俊、相手してもらって。何か逆に申し訳ない。弟も混ぜてもらってるんだよね」
「そうそう、いやいや、徹平くんの方、うまいのよ。悪いけど……」
雅俊の背中に見えない大きな矢が突き刺さる。
「先輩、キツイっす。言わないでくださいよ、それ」
「そお?」
「なんか、2人とも仲いいね」
「どこが?」
「どこが?」
2人同時に同じセリフを言っていた。
「ほら、同じこと言ってる」
雪菜は笑いがとまらない。一緒にオンラインのスマホゲームをするようになって、凛汰郎の性格も割かし、社交的になりつつある。
雅俊の影響力はあるようだ。雪菜は少しうれしかった。
「ほら、2年はそっちの方向でしょう」
雅俊の背中を押した。あえて、凛汰郎の横にいたのを避けただけだ。
「時間だろ、行くぞ」
凛汰郎は、雪菜にゆびさして伝える。
「ちぇ、のけものかーい」
雅俊は、ぶちぶちと文句を言いながら、頭にバックを持った両手を組んで、横で2人を確認しながら、しぶしぶ教室に向かう。談笑しながら、3年の教室向かっている2人を見ているともやもや感が消えなかった。
「昨日は、ごめんね。ありがとう。お風呂上りだったのに、来てくれて。よくよく考えてみたら、凛汰郎くんの家からあそこの公園まで遠かったかなって思ってたよ」
「ああ、別にいいよ。自転車立ちこぎしたって言ったっしょ。そんな遠くないって」
「そう? なら良いんだけど」
横に並んで仲良さげに教室に入ると案の定、緋奈子にじっと見つめられた。
「おやおやぁ? お2人で仲良く登校ですか?」
「緋奈子、おはよう」
完全なるスルーを貫き通すつもりの雪菜。無理に等しい。
「おはよう。雪菜、それはないよ。バレバレだから」
「……え?」
「よかったね」
「もう、噂になっていたよ。昨日の学校帰り仲良く帰ってたでしょう」
「み、見られてた……」
「うん、何言ってるのよ。雪菜、あんた自覚症状ないみたいだけどね。雅俊くんと同じで、あんたもファンクラブようなのあるみたいだから、気をつけなさいよ?」
「え?! 嘘、そんなわけないでしょう。聞いたことないよ? なに、なに。そのファンクラブメンバーが私を見張っているってこと?」
「噂になるくらいだからそういうことよ。ストーカーにならないだけ平和よね。どちらのファンクラブメンバーは、雅俊くんと交際したら美男美女カップルかって校内新聞になってるくらいだよ」
「ありえないけどなぁ。なんで私がそうなるのかな。それ言うなら、緋奈子の方じゃないの?」
「なんで、私よ。鼻ぺちゃでそばかすだらけの私なんて選ぶわけがないわ。やめてやめて。ほら、もうすぐホームルーム始まるよ」
そんな2人の話の横で先に席に座っていた凛汰郎はずっと何も話さずに前を向いていた。緋奈子にはまだ心を開いてないようだ。
のんびり時間が流れている昼休み。雪菜と緋奈子と凛汰郎は中庭でお弁当を食べていた。
まだ緋奈子に心を開けていない凛汰郎は、向かい合わせに2人を座らせて、横の席に外側を向いて、一人でいるかのようなスタイルで食べていた。耳には、しっかりとワイヤレスイヤホンをつけて、音楽を聴いている。
「ねぇねぇ、彼氏になったのいいけど、なんで、ここ?
隣じゃないの? しかも顔つき合わせてないし。意味ある?」
緋奈子は、場所を指さし言う。小声で雪菜は言う。
「凛汰郎くん、人見知りだから。緋奈子のことよく知らないし、近くにはいるって話で……」
「え、だったら、うちらだけでもよくない?」
「だーめ。凛汰郎くん友達いないから、かわいそうでしょう」
「ぼっちか。ぼっちなのね」
「ちょっと、ぼっち、言わないで。同じ空間いられればいいってことだから空気の存在って思ってて」
(いてもいなくてもいい存在の空気って……。雪菜の方がひどい気がするけど)
緋奈子は、声を普通の大きさに戻す。
「そっか。んじゃ、2人はラブラブなわけね。私はお邪魔かなぁと思ってしまうけど、
親友だからいさせてもらうよ? 聞こえてないかもしれないけど」
雪菜と緋奈子は、お弁当を広げて食べ始める。凛汰郎は、近くに飛んできた鳩にパンかすをあげながら、大きなハムとたまごを挟んだサンドイッチを食べていた。
「あ、いたいた。探してたんだ」
2階の廊下の窓から声をかけるのは、雅俊だった。
「出た、出た。お騒がせくん」
緋奈子は、つぶやく。2階にいたかと思ったら、中庭まで駆け出してくる。
「みーつけた。雪菜、今日は、お弁当にハンバーグ入ってるね」
「ちょっと見ないでよ」
そして横から凛汰郎が無言の圧をかける。
「あ、いたんすね。先輩」
「ちょっと、雪菜、雅俊くん相手にしないで私の話聞いてよ」
「え、どうしたの?」
「最近、彼氏と別れてさぁ。最悪なんだよねぇ。あっちに年上の好きな人できたからって年下は飽きたとか言うの。ひどくない?」
ポロポロと話し出す。横では頬杖をついて雅俊も聞いている。
「それは、大変だったね。年下ってことは、相手の彼氏は、年上の人だったの?」
「そう、部活の先輩だった人。今は、大学生だったんだけどさ。やっぱ、大学には誘惑が多いよね。サークルとかバイトとかいろいろあるじゃない。こっちは受験だと思って連絡も途切れてたからさ。悲しいよぉ」
腕の中に顔をうずめる緋奈子。
「そっか。でも、まぁ、ご縁がなかったってことで新たな恋を見つけに行けばいいじゃない」
「そうだよね。でも、そう簡単に次の彼氏見つかる? 3年は付き合ってたんだよぉ。引きずるわぁ」
「俺、どうすか?」
キラキラの笑顔で自分の顔を指さし、雅俊はアピールする。
「え?!」
雪菜は驚いた。後ろ向きで聞いていた凛汰郎の耳もぴくぴくとなる。
「俺、今、フリーですよ。空いてます!」
軽いノリで話す雅俊。
「え、本当? この間、告白されてなかったっけ。フラッシュモブ系の……」
数日前、雅俊はファンクラブから選出されていたフラッシュモブ告白が、生徒たちが大勢いる校庭で行われて、断りづらくなり、好きじゃないのにOKして3日で別れていた。
「好きでもないのにOKしてはいけないと学びましたよ。良い経験でしたわ」
「へぇー、そうなんだ。でも、誘うってことは?」
「脈ありでーす!」
指パッチンをして、反応する。
「え、緋奈子。まさか」
「別にいいじゃない? 高校生の男女交際ってさ、別れるために付き合うっていうのあるしさ。よぉし、そのノリ乗った。雅俊くん、付き合おうじゃないか。ね?」
緋奈子は、雅俊の肩に手をまわした。雪菜は、その様子を見て、ドキドキがとまらない。
「え、それ、本当?」
「まぁまぁ、そんなお堅くならず。2人は2人の世界を楽しみな。んじゃ、まーくん、屋上行こう。あたしの愚痴を聞いて。」
「はーい。んじゃあな。雪菜」
後ろ向きで手をパタパタと振って立ち去る2人。雪菜と凛汰郎はしばらくその姿を見ながら沈黙になる。凛汰郎は、雪菜の向かい側に座った。
「あのさ、今朝、あのぬいぐるみ、あいつ、持ってたけど、なんで?」
雪菜は、ハッと思い出した。バックから狼のぬいぐるみが取れてしまって、雅俊が持っていたことに凛汰郎は気になっていた。
「えっと、別にあげたとかじゃなくて、バックから取れちゃってたのを雅俊が拾ってくれて、それで、汚れてたから
洗ってくれたみたいで」
「ふーん。そっか。別に、無くしたとか壊れたとかは気にしないけど、なんであいつなのかなって思っただけ。まぁ、いいや。
物はいずれ壊れるものだから、その代わり、雪菜はいなくならないでよ」
凛汰郎の口から突然名前で呼ばれたことに心臓が飛び出そうになった。頭から火が出そうなくらい真っ赤になる。
「え、え? いなくならないよ。なんでそういうこと言うかな」
「あのぬいぐるみより大事だから」
ぼそっとすごい発言をする凛太郎に雪菜は何も言えなくなった。柔らかな風が中庭に巻き起こる。カザミドリは急いでぐるぐるとまわっている。まるで照れて焦っている雪菜のようだった。
カザミドリがぐるぐるとまわる屋上で緋奈子と雅俊は手すりに手をかけて外を眺めた。
「嘘、なんでしょう?」
髪をかきあげる緋奈子。雅俊は、じっと目を外に向けたままだった。
「……」
両手を伸ばして組んでいた腕を頭の後ろに置いた。
「半分嘘で、半分本当っす」
「知ってるよ。本当は、雪菜にカマかけたかったでしょう」
「近くにいて、ほとんどのことをあいつのこと知ってても、恋人にはなれないって悲しいですよね。幼馴染にならなきゃよかった」
天を仰いで、ため息をつく。
「うらやましいなぁ。逆を言えば、どんな状況でもずっと近いところにいるじゃない。恋人という境界はこえられなくとも
近い存在には変わりない。近すぎてダメになるよりちょうどいい」
緋奈子は、雅俊の肩に手を置いた。
「雪菜の代わりにはなれないけど、力にはなるよ?」
肩に顔をうずめた。頭をなでなでされた。撫でた手をつかんだ。
「俺、歯止めきかないっすよ?」
目と目が見つめ合った。
「いいよ。それで気が済むなら」
雅俊は、緋奈子の後頭部をおさえて、唇を重ね合わせた。叶わない恋など追いかける必要はない。受け止めてくれる誰かがいるのならそれでいいと思い始めていた。東の空で飛行機雲が少しずつでき始めている。
◇◇◇
数日後、とある休み時間、移動教室でこれから化学室に行こうと教室の机から教科書とノート、筆箱を出して、廊下に足を進めた。
「ほら、雪菜、化学室行くよ」
緋奈子が、手招きする。今日の緋奈子は、アップのおだんごでうなじが綺麗に見えていた。化粧がいつもよりツヤツヤしていた。
「あれ、緋奈子。今日、肌艶がいいね。ツルツルしてる気がする。うらやま~」
つんつんと指で頬を触った。そういわれて、少し頬を赤らめる。
「え、そうかなぁ?」
「化粧品変えた? ファンデとか?」
「うーんと……別に変わりないけど」
「ふーん。そうなんだ」
「あ、そういやぁ、最近の話と言えば、先輩とより戻したかな」
緋奈子は、大嘘をついた。本当のことを言うと、雪菜が傷つくのではないかと思って言えなかった。
「え、嘘。あんなに相手の彼氏のこと嫌がっていたのに?」
「……まぁ、いろいろあんのよ。それより、そっちはどうなの? 凛汰郎くんとはどこまで?」
「……」
急に自分のこととなるとものすごく恥ずかしくなる雪菜は顔を真っ赤にして人差し指をつんつんと動かした。
「なんだ、進展なしか……」
「そ、そんなことないよ。ここでは言えないだけだから」
近くを凛汰郎が通り過ぎる。噂をすればなんとやら。緋奈子は通り過ぎる凛汰郎の髪型を見ると
前よりしゃれっ気があるなと思った。
「悪い、ぶつかった」
雪菜の肩にぶつかる凛汰郎。
「あ、うん。大丈夫」
恥ずかしいそうに下を向く。振り向き様に指をさす。
「放課後、ラウンジで待ってて」
「え、あ、うん。わかった」
とっさに判断した。部活を引退して、ほぼ一緒に帰ることが多い2人。いつもは教室から一緒なのを、ラウンジで待ち合わせるようだった。
「ふーん、ラブラブそうじゃん」
「ふ、普通だよ。ただ、一緒に帰るだけだもん」
「雪菜、可愛い」
「えー?」
化学室にそれぞれ、入って行く。移動する時間が濃密だった。授業が始まってもまだドキドキが止まっていなかった。放課後、ホームルームが終わって、凛汰郎は、忙しそうに教室を出た。どこかに用事があるんだろう。雪菜はそんなふうに思いながら、ラウンジに向かう。
「雪菜、また明日ね」
「うん。緋奈子、あとで先輩のこと教えてね。んじゃ、また」
「う、うん。んじゃね」
手を上げて、別れを告げた緋奈子は、教室を出て、雅俊がいる、2年の教室へ向かった。ガタガタといすを動かす音が響く。
生徒たちが移動し始めた。廊下におしよせる。
「お待たせしました。行きますか」
「別に待ってないよ」
「先輩、化粧品変えました? やけに艶感がありすぎません?」
背中にスクールバックを背負う雅俊。
「そういうの聞かないでいい。察して。大体わかるでしょう」
「俺のおかげっすか。昨日は激しかったもんね」
「ちょ、そういうの言わないで!!」
「ぷぷぷ……」
口を手でおさえて、笑う雅俊。いじるのを楽しんでいる。それを追いかける緋奈子。廊下で集まっていた同級生たちは
その言葉を聞いて、どきまぎしていた。噂が広がりそうだった。緋奈子は今まで学校で、紺色ソックスで過ごしていたが、雅俊と付き合うようになってルーズソックスに目覚めた。突然、ギャルっぽい印象になりたくなった。やったことのないつけまつげをつけたり、女子力があがっていた。
その頃のラウンジでは、ベンチで足をぶらぶらと動かしながら、凛汰郎を待っていた。すると、見たこともない体格の良い
めがねをした男子生徒が近づいてきた。
「あ、あの……3年の白狼先輩ですよね? 弓道部の……」
「え、あ、はい。そうですが」
男子生徒の額から汗が滴り落ちる。興奮しているようだ。どうしたらよいかわからず、雪菜はとりあえず適当に対応する。
「あ、あ、あ。あの、俺、前から見てたんですけど、そのクマのぬいぐるみ可愛いですね」
鼻息が荒い。顔を近づけてバックについてるぬいぐるみを指さす。
「そ、そうかな。ありがとう」
「先輩も可愛いですよ」
かなり顔が近い。興奮のせいか汗をたくさんかいている。何とも言えずに後ずさりする。
「おい、何してんだ?!」
「え、え、え、え。俺は何も」
お相撲のように体格のよい男子生徒は、焦って少し後ろに移動するが、凛汰郎は警戒心強く、雪菜を引き離して、自分の後ろに移動させた。
「少し近くスペース考えろよ。パーソナルスペースってあるだろ。気を付けろ」
「あ、すいません。でも、俺何もしてませんけどね!!! というか、あなた、誰なんですか? 最近、雪菜ちんにうろつきまわって、みんなの雪菜ちんなんですよ。掟破りです!!」
急に態度が一変する男子生徒。どうやら、雪菜のファンクラブという噂は本当のようだ。雅俊と同じ境遇だ。
「みんなの雪菜だ? おかしなやつだな。俺は雪菜の彼氏だ!!!」
キレながら、話す凛汰郎。なんだか性格に合わないセリフだった。無理して言ってるのが手にとるようにわかる。
「!?」
息をのんでびっくりする。
「それはファンクラブ隊長の許可を得ての発言ですか?!」
「ファンクラブの許可なんていらないだろ。好きかどうかは本人が判断するんだよ。ほら、行くぞ」
「な、な、抜け駆けはずるいですよ」
「……」
雪菜の腕をつかんで、凛汰郎は、ラウンジを出る。男子生徒は苦虫をつぶしたような顔をしていた。2人は、逃げるように昇降口に向かった。
突然話しかけてきた男子生徒を振り切って、凛汰郎と雪菜は、昇降口にある靴箱で外靴に履き変えた。
「さっきの何だろうな……。ファンクラブって……」
パタンと靴箱を閉めてつぶやく。
「雅俊にもファンクラブあるって言ってたけど、まさか私にあるなんて、寝耳に水だよ。ちょっと怖かった……」
「またなんかあったら声かけて。さっき言ったけどさ、効き目あるかわからんし」
「うん、ありがとう」
ふと、足元の段差を見て、ゆっくりと進んだ。顔を見上げると、校門近くで何だか心がざわざわする2人を見かけた。
雅俊と緋奈子が隣同士仲良さそうに歩いている。
「……あ」
言葉が出なかった。別に何とも思ってないはずなのに、なぜか身近な存在の緋奈子が雅俊の隣にいるなんて、胸のあたりがざわざわする。なんとなく、察した凛汰郎が後ろから手を伸ばしてみた。
「ん」
左手で雪菜の右手をつかんだ。
「あ、ごめん。変なとこ見てた」
「よそ見してると事故るよ?」
「車の運転ではないんだけどさ……」
「目の前、しっかり見ててよ」
「う、うん。見てる見てる」
雪菜は、顔をぶんぶん横を振って、切り替えた。
「無理にとは言わないけどさ。気持ち、変わったら言って」
「え、変わってないよ。大丈夫」
少し目が泳ぐ。凛汰郎は、雪菜のいうことを信じてないが、信じてると思い込んだ。
「……なら、いいけど。そういや、塾通わないといけないからさ。しばらくこの時間しか会えないだけど」
「ああ、そっか。受験まで数か月しかないもんね。私は、専門学校だからそこまで勉強しなくても大丈夫なんだけど、凛汰郎くんは、大学受けるんでしょう」
「さっき、進路指導室で大学の資料見て来た。花屋継がないといけないかと思って、念のため、農業大学か園芸学科行っておこうかと
思ってた」
「そっか、お父さんの仕事引き継ぐんだね。なんだ、進路指導室行くなら、私も見たかったな」
車の走る音が響く、通学路で2人は横に並んで歩く。前の方で雅俊と緋奈子が歩いているのを、横目でチラチラと見ながら、進む。
「あー、なんだ。一緒、行けばよかったんだな。気が付かなくてわるい」
「別にいいよ。今度行くから。気にしないで」
歩きながら、しばし沈黙が続く。
「土曜か日曜……やっぱ、塾終わったら、どう?」
「え……。うん。別に用事はなかったけど、何時頃になりそう?」
「16時くらい……。遅い?」
「ううん。大丈夫。どこで待ち合わせする?」
「雪菜、洋画と邦画だったらどっち見る?」
「うーん。どちらかと言えば、邦画アニメ? ジブリとか新海誠監督のとか。あまり洋画は見ないかも。え、待ち合わせの話はどこ?」
「家でDVD見ないかなと思って……。レンタルしておくから。一緒に見ようよ」
「どこかに出かけるんじゃないんだね。まー、いいけど……」
凛汰郎は小さくガッツポーズした。
「ん?何かあった?」
「別に、何も。コンビニ寄っていい? 肉まん食べたい」
凛汰郎は、近くのコンビニを指差しして言う。いつの間にか前を歩いていた雅俊と緋奈子の姿が見えなくなっていた。公園のベンチでならんで少し肌寒い中、湯気が湧き起こる肉まんを食べた。ほかほかと気持ちもお腹も温かくなった。
「美味しい。そういえば、コンビニの肉まん初めて食べたかも」
雪菜がボソッとつぶやく。
「うそ。食べたことないの? 俺、しょっちゅう食べてるよ。まさか、肉まんは初めてじゃないよね?」
「スーパーで売ってる肉まんは食べたことあるよ!もちろん。コンビニあまり寄らないし……。これでもダイエットとか…
気にしてたから。でも、今日は特別だけどね」そんな何気ない瞬間がほんわかとして、気持ちが落ち着いていた。凛汰郎に歩いて
家まで送ってもらい、玄関先で別れた後は、2階の自分の部屋の中に行くまでに胸のザワザワする気持ちが復活してきた。
カーテンを開けて窓の外を見ると、星がキラキラと輝いているのに、もやもやした気持ちが残ったままだった。満たされているはずなのに……。
「姉ちゃーん。つまらない!」
隣の部屋で寝転びながら、スマホをいじる徹平が叫ぶ。
「何したの?」
隣の机から、声を発する。
「ゲーム、まーくんとしたいのに、最近、全然混ざってくれない。用事あるっていうし、うちにもこないし。ほら、家にも帰ってないみたいだし」
カラカラと窓を開けて、隣の家の部屋の様子を伺うと部屋の明かりが真っ暗だった。人の気配がない。
「バイトにでも行ってるんじゃないの?」
「……何かバイトはしてるらしいけど、部活は辞めたとか言ってたんだよね。ねぇ、部活辞めたら暇になるんじゃないの?
そしたら、ゲームできるよね。何でだろう」
「へぇ、部活辞めたんだ。あんなに好きなサッカーなのに、レギュラーで選ばれてたんじゃなかったのかな。
と言うか、私に聞かないで! 宿題が終わらない!」
部屋を出て、雪菜の目の前にやってきた徹平がじーと見つめる。
「だって、姉ちゃん、まーくんと仲良いじゃん」
「仲良いって幼馴染ってだけだよ。それ以上でもそれ以下でもない。そもそも、幼馴染って小学生くらいの話でしょう。私たちの関係は、どうとも言わないかもしれない」
「何、無理してんの? 良いじゃん、境界線作らなくても。友達であることは変わりないんだしさ。あーーー、ゲームしたいのに」
徹平はブツブツ文句を言いながら、自分の部屋に戻っていく。
何気なく、雪菜も雅俊のことが気になり始めて、隣の家の部屋の明かりを確認したら、真っ暗だった。いつもなら、カーテンを閉めずに煌々と明かりを灯してる。こちらの様子なんて気にならないみたいだ。この気持ちは嫉妬なんだろうか。
はーとため息をついた瞬間、明かりがついた。帰ってきた雅俊と窓越しに目が合う。恥ずかしくなった雪菜は、カーテンを急いで閉めた。
「雪菜〜、今見てただろ? こっち見るなよぉ」
一言でも声がかかる。ただそれだけで何だかホッとしていた。いつも毛嫌いしていたはずなのに。
「おーい、聞いてんのか?」
「聞いてなーい」
「聞いてんじゃねーか。ほら、雪菜!」
窓からぽーいと雪菜の家に投げた。ちょうどよくベランダに何かが落ちた。何が落ちたか気になってのぞいてみると、ミルク味のキャンディ1つだった。
「今日もバイトでさ、その飴、新作だったみたいで買ってみた。ホイップミルク味の飴だってよ」
ガサガサと机の上にバックから教科書とノートを取り出す雅俊。
「まったく、宿題すんの嫌だなー。雪菜、代わりにやって〜」
「……無理」
「ちぇ、釣れないのー。いいよいいよ、天才雅俊様が一瞬で終わらせるからな! 見てろよ〜?」
英語辞典とノートを広げて、テキパキと英語と日本語訳を書いていく。そう言う姿を見ると雅俊も普通の高校生なんだと感じた雪菜。
「あ、言ってなかったんだけどさ、雪菜〜、俺さ、緋奈子先輩と付き合うことになったんだわ。それ言っとこうと思って……
良いよね、別に」
宿題をしながら、話す雅俊。
「え? ……ああ、そうなんだ。別に私に許可得なくても良くない? 付き合うって自由でしょ? 私はあんたの嫁でもなければ彼女でもないわよ。好きにしたらいいじゃないの?!」
なぜかイライラしている。自分がおかしい。言動と行動が伴ってない。まるで言ってほしくないかのようだ。バレる、バレないか。雪菜は興奮したまま、話を終えてそっぽを向いた。
数分後、雪菜の部屋のベランダに飛び移って雅俊がやってきた。コンコンと窓をノックする。
はーと息を吐いて、窓にハートマークを描き始めた。この人は一体何をしたいんだろう。
窓の鍵を開けて、雪菜は急いで、雅俊の描いたハートを手で消した。
「思ってもないくせに、描かないで!!」
「何、怒ってるんだよ?」
「怒ってない!」
「怒ってるって」
迂闊だった。窓の鍵を開けたため、雅俊が部屋の中に入ってきた。
「なあ、落ち着けって」
怒りにまかせて、呼吸が荒い雪菜の腕を掴む雅俊。
「雪菜、そんなに俺が緋奈子先輩と付き合うのが気に食わないの? 雪菜は平澤先輩と付き合ってるんじゃないの?」
「……そ、そうだよ。凛汰郎くんと付き合ってるよ? 雅俊は、緋奈子と付き合うんでしょ? それでいいじゃない。何が問題あるの?」
「雪菜、お前、泣いてるぞ?」
雅俊は、冷静になって雪菜を見る。目から涙が滴り落ち、苛立ちも全面に出していた。
「め、目にゴミが入っただけよ! 放っておいて……」
顔を見せないよう、後ろを振り返り、涙を止めようとしたが止まらない。
「雪菜、自分に正直になれよ。うっっ……」
突然、雅俊の背中に妖怪子泣き爺のような重さが乗っかった。
「まーくん!! ここで何してんの? ゲームは?!」
背中に徹平が乗っている
「あ、い?! 徹平か? ゲーム? あー、最近してないよね。したかったのね。でも、待って。
姉ちゃん、泣いてるからさ。お、落ち着いてからで……」
するとさっきまで泣いてたかと思った雪菜は机に戻り、冷静さを戻して、宿題に取り掛かっていた。
「……私は平気。ゲームしたら?」
突然、ピリッとした空気になる。
「ゲーム!!」
「あー、はいはい。わかったわかった。徹平の部屋行って良い?」
雅俊は、徹平に気持ちを入れ替えて、雪菜から離れていった。雅俊は徹平をおんぶしたまま、徹平の部屋にいく。弟の前では強気になる雪菜だ。本当の自分を出せなかった。おもむろにスマホを開いて、ラインのメッセージを凛汰郎に送ってみる。
『私のこと好き?』
なんて、ストレートすぎるかなと思いながら照れた顔をさせた。すぐに返事が返ってくる。
『うん』
ただそれだけのスタンプも何もない。凛汰郎は恥ずかしくて文字に表せなかった。でもなんか求めていたのはそんなんじゃない。自分はどうしたいんだろう。どこか埋められない心を置き去りにして、夜は過ぎていった。
学校の靴箱の扉をパタンと閉めた。昇降口は登校時間ということもあって、ざわついている。
上靴を履いて、ため息をついた。嘘をついた緋奈子とどんな顔をして会えばいいのかわからなかった。言いたくなったから、嘘ついたと察した。肩にバックの紐を右から左にかけ直した。
「雪菜」」
後ろから声をかけられた。
寝ぐせをぴょんとつけた凛汰郎だった。
くすっと笑みをこぼす。
「おはよう」
そっと駆け寄って、寝ぐせを直してあげた。
「あ、ごめん。ありがとう」
「ううん。大丈夫。妖気立ってたわ」
「妖気なんて立ってないわ。……雪菜、昨日、眠れなかったのか? くま出来てるぞ……」
目の下をおさえた。
「嘘、コンシーラーで隠してきたつもり……。いや、これは涙袋メイクっていう流行りの……」
「もう、手遅れ。ばれてる……」
「だ、だよね。」
「やなことでもあった?」
「大丈夫。いやな夢見ただけ」
「嘘つくの下手だよな。まぁ、どうせ聞いても答えないだろうけど」
ポンポンと雪菜の頭をなでる凛汰郎。
「無理すんなよ」
「う、うん」
足取りは重く、教室に2人は横に並んで向かう。
先に来ていたのは、緋奈子だった。案の定、話しにくそうにちらちらとこちらを伺っていた。
雪菜はあえて自分から話しに行くのはやめようと決めていた。そう決めてから結局、丸1日緋奈子と話すことはできなかった。すれ違っても、お互いに素通りしていた。あんなにいろんなことを話す仲の親友だったのに、ボタンの掛け違い、緋奈子のやさしさがあだとなった。雪菜はごくんとのどがつっかえるようになる。ストレスだろうか。
放課後、凛汰郎はバックにうずめる雪菜の前の席に座る。心配しているのだろう。何も声をかけずに音楽を聴いていた。しばらくそばにいて、待っていてくれた。顔を上げると、イヤホンを外した。
「ん?」
「私はひどい人間なのかもしれない」
「は? なんで?」
「欲深いから。なんでも欲しいものがあったら欲しいって思っちゃう。」
「それは誰でも思うんじゃないの? 現実にできないだけで。」
「……確かにそうかも」
「なんとなく、学校の様子見てて察したんだけど……。雪菜、雅俊のことで気にしてるんだろ?」
「な?! なんで? なんでわかるの?」
「昨日、雅俊と徹平君とゲームして、めっちゃ自慢してたから、あいつ。髙橋さんと付き合うって……。俺にアピールしてたのかな。」
「ゲーム? いつも夜やってるあれ? ……そうなんだ。でも、気にしてるって気にしてないは嘘になるけど。」
「どちらかと言えば、高橋さんとの関係か?」
「うーん、そうだね。本当のことを言えばどっちもだけど……」
「ずいぶん、今日は話すね。隠すと思ってた」
「え、だって言うから。凛汰郎くんが」
「俺は、別に……」
しばし沈黙が続く。教室の窓から風が吹き込んできた。カーテンが揺れる。雪菜は立ち上がって、窓とカーテンを閉めてまとめた。外を眺めると今は見たくないものを見てしまう。
雅俊と緋奈子が肩寄せ合って、歩いていた。完全に彼氏彼女だと目の当たりにする。はっと息をのむ。目から涙がこぼれる。
「俺のこと忘れて、何を見てんのさ」
立ち上がった雪菜の頬にそっと口づけた。
でも、今の雪菜には何の気持ちも湧きあがらなかった。親友を失った悲しみと幼馴染が離れていく悲しみが大きかった。
「ごめん。今は答えられない」
手のひらで涙を何度もぬぐう。そっと顔を抱き寄せて、頭をなでた。
「いいよ。そのままで」
「ごめんなさい」
「謝るなって。俺が悪いことしてるみたいだ」
「うん」
「しばらく、距離置こうかなと思うんだけど。受験勉強に集中しようと思って」
「え、来週会う約束は?」
「今の雪菜の精神状態じゃ、俺が耐えられない。落ち着いてからにしよう。今の雪菜は俺、見ていないから……」
見透かされていた。もう、見てる方向さえもばれていた。このままでは二兎追うものは一兎も得ずになると急に焦りを感じたが、すでに遅かった。
「ごめっ、もう、言わないから」
「無理するなって」
「え、会いたいもん。一緒に映画見るって言ってたよね。私、楽しみにしてたから」
首を縦に振ろうとしなかった。雪菜はさらに涙を流す。
「雪菜のせいじゃないんだけど、模試の結果がちょっと低かったから頑張らないとなって思ってて……。俺から誘っておいて悪いんだけどさ」
本当は模試なんて受けてない。
断る口実を作りたかっただけだ。
「そっか……」
「会えないわけじゃないから。一緒に帰ることはするわけだし。でも嫌ならやめておくけど」
首をぶんぶんと振る。
「やだ。一緒に帰る」
駄々をこねる子供みたいだ。
「うん、わかった」
少し笑みを見せた。
「んじゃ、帰ろう」
「うん」
その一言を話して、2人は沈黙のまま家路を帰った。
もやもやした空気をまた作った。今の雪菜にはネガティブな気持ちが大きくなっていた。
夜空に浮かぶ月は、えんぴつのように細い三日月がぼんやりと照らされていた。曇っていて星は全然見えていなかった。
朝日が差し込む台所で母の菜穂は、目玉焼きとウィンナーをフライパンで焼いていた。今日の朝ごはんは雪菜の好きなおかずのほかにハムとチーズのバタートーストを焼いていた。ジューと音が響く。雪菜は隣で水筒にお茶を注いでは、食卓に座った。目の下のくまがまた出ている。
向かい側に座る父の龍弥はタブレットで今朝の新聞を読んでいた。めがねをかけなおした。
「雪菜、大丈夫か?」
「え……」
「ほら、朝ごはんできたよ」
菜穂はテーブルに家族分の朝ごはんプレート皿を並べる。徹平は今、ぎりぎりに起きたようで、どたどたと階段をかけおりて、すぐにトイレに行く。コーヒーを飲むとめがねが曇った。
「何があったか知らないけど、休むのも自己管理のうちだからな。いただきます」
龍弥は、箸を両手で握り、手を合わせた。菜穂は、雪菜の隣に座って、同じようにごはんを食べ始める。
「私、今日、残業で遅くなるから。お父さんは?」
「俺は、いつも通り。雨降ってもないし、2人とも送迎しなくても大丈夫だろ」
「そうね。雪菜、お腹すいてないなら果物、バナナだけでも食べていったら?」
「……」
箸を置いて、顔をふさぐ。嗚咽が響く。突然、泣き始めた。
「雪菜、どうした?」
父の龍弥が言う。
「雪菜、何したの?」
母の菜穂が聞く。
「おはよう。俺、今日、朝練あるからバナナと牛乳だけでいい。遅刻するぅ……。って、何、姉ちゃん、泣いてるの?」
席に座って、バナナの皮をむいて食べる徹平。向かい側で感情を出す雪菜を見て驚いていた。
さっきと様子が違う。ぼんやりした表情から、呼吸も乱れ始めている。
「母さん、今日、雪菜休ませた方いいな」
「そうね。学校に連絡しておくわ」
龍弥は、立ち上がって、雪菜の肩をなでた。
「落ち着け。深呼吸しろ。過呼吸なるぞ。泣いてもいいから。息をするんだ」
龍弥は、少し呼吸が整ったのを確認して雪菜を抱えて、2階の部屋に連れてベッドに寝かせた。
「今日は、ゆっくり休め。今、母さん来るから話すといい」
龍弥は、部屋を出て行った。少し泣き止んできた雪菜は、壁の方を向いて目をつぶった。
「ねぇ、姉ちゃん、大丈夫なの?」
「うん、ちょっとストレスたまったのかもしれないね。母さん聞いてみるから」
「母さん、雪菜の話聞いてやって。俺には、たぶん話しにくいだろうから」
「うん。今日、仕事遅刻して行くわ。あまり雪菜は、自分のこと話さないから。その分、徹平はすごくお喋りだけど……」
「え、俺のせい?」
「そういう意味じゃない。性格の問題ってことだろ」
「あ、そうか。平気な顔してそうなのに姉ちゃんはため込むタイプか」
龍弥は、出勤時間のため、バックを持って家を出た。徹平も牛乳のがぶ飲みして、家を慌てて出ていく。一瞬にして家の中が静かになった。菜穂は、食卓の食器を片づけた。可愛いティーカップにハーブティーを用意して、雪菜の部屋に行く。扉をノックした。
「雪菜、入っていい?」
「うん」
鼻をぐずぐずしながら、返事をする。小さな丸いテーブルの上にティーカップを並べた。雪菜はベッドからそっと起きて、
ちょこんと丸いクッションの上に座った。目と鼻が真っ赤になっていた。菜穂は、ティッシュをそっと差し出した。
「ありがとう」
「んじゃ、聞いちゃうけど、何かあったの?」
「……うん」
「凛汰郎くんだっけ? 彼氏くん」
「なんで名前知ってるの?」
「あ、聞かないことにしてたんだったけど、徹平が言ってたから。付き合ってるんでしょう、凛汰郎くんって人と」
「お、おしゃべりめ……」
「まぁ、いいから。言ってごらん」
深呼吸した。
「凛汰郎くんに距離置こうって言われた」
「うん」
「それで、ちょっとショックで……」
「なんで、そういう話になったの?」
「私が悪いんだけど……。雅俊が彼女できたから気になって」
「……雅俊くんってお隣さんのこと?」
「うん。雅俊は、幼馴染でしょう。その彼女が私の親友だったから何だかもやもやしてて……」
「そっか。雪菜はどうしたいのかな」
意外な返事が来て目を大きくする雪菜。
「う、うん。別にどうこうするわけじゃないけどよそ見してるって受け取られて凛汰郎くんに幻滅されたかもって。
でも、私はどうしたいかわからない」
菜穂は、雪菜の体をそっと抱きしめて、背中をトントントンとなでた。
「大丈夫。誰も何も言わないから正直になってみるといいよ。何か常識にとらわれると本当にしたいことがわからなくなるから」
「……」
ふっと深呼吸した。目をつぶって、自分の胸に手をあててみた。自分のしたいことを想像してみた。
「本当は2人とも好きで、親友の緋奈子も好きだけど、それは全員恋愛対象なわけじゃなくて、みんなから離れたくない。でも、誰かに絞るとみんな離れてしまうのが苦しいし、怖い。同時に2人の男の人を好きになるのは変でしょう。それに親友も失いたくないって……」
「そうだねぇ。恋愛って難しいよね。友達も大事にしたいし、何人も一緒に付き合うって見えないところならかろうじてごまかせるけど目の前にいる訳だしね。でも、それって必ずランキングにできるはずだよ。雪菜の中で誰が一番大事なのか。そこから決めたらいいよ」
「私の一番な人?」
「そう。でも、距離置きたいって言った凛汰郎くんだっけ。それは別れたいって言われたわけじゃないから、大丈夫。優しいと思うな。待ってるから、自分の気持ちに正直になりなよってことでしょう。離れてみてわかることもあるしね」
「うん。そうだよね。確かに、こんな宙ぶらりんの私と付き合うなら別れた方がいいって思う。
距離を取ってくれるってことは……」
「考える時間、自分の心と向き合う時間だね。……だいぶ気持ち落ち着いたね。んじゃ、そろそろ仕事行かないと」
菜穂は、食器を片づけて、立ち上がる。
「お母さん。仕事、遅刻になるの? 大丈夫?」
「うん。大丈夫。今日、パートの吉田さん来てたから。何とか仕事回せる日。その分、残業はあるけど。ラッキーだったね、雪菜」
「そっか。ごめんなさい。ありがとう」
「どういたしまして! 今日はゆっくり休んで、明日行くといいよ。鍵締めておくから。お昼ごはん、台所にお弁当置いてるから
食べてね。んじゃ、行ってきます」
「うん。行ってらっしゃい」
手を振って別れを告げた。雪菜は、さっきまで泣いていたのが嘘のように呼吸が整っていた。母に話してよかったと感じていた。
制服からパジャマに着替えて、またベッドの中にもぐりこんだ。
なんとなく、泣き止んだ今となると学校をずる休みしてる気分になって、そわそわしていたが、眠ってしまえばそんなことさえも忘れていた。
夢から覚める頃、夕日が部屋の中に差し込んでいた。からすが鳴くのが聞こえてくる。自転車のチェーンがカラカラと回る音も聞こえる。トラックの重さで地面が揺れる。うなされて寝返りを打った。
はっと息をのむと、目の前にサングラスをつけて、頬に湿布をつけた雅俊があぐらをかいてスマホのゲームをしている。家のカギはかけてたはずなのに……。
とっさに枕を顔めがけてなげた。
「侵入者!?」
「ぐわぁ!」
どたんと体が倒れた。枕をよけて体を起こす雅俊。
「ひどいな、見舞いに来た人にする態度かよ」
「いやいや、頼んでないし。あんた、どこから入ってきたのよ」
「えっと、徹平の部屋の窓から。鍵開いてたから。だって、入っていいって徹平に言われているから」
「私は許可してないし!! 徹平もまだ帰ってきてないじゃん」
人の気配もしない。慌てて玄関を靴を見ても徹平の靴もない。
「あ、そうだった?」
そういいつつも本当はうれしかった雪菜。
「まったく、もう」
ぺたんと座る雪菜は、ぎゅるる~とお腹を鳴らす。目を下に向けると、雅俊の足に包帯が見えた。
「腹減ってんの? 肉まん、買ってたよ。カレーチーズまんとピザまん。俺好きなんだよね~」
テーブルの上に置いていたコンビニのビニール袋から肉まんを出した。
「……雅俊、その足は?」
「ん? 別に。なんでもないけど」
「けがしたの?」
「肉まんの話はスルーかよ」
「いいから!!」
雪菜は雅俊の制服のズボンをたくし上げて確認する。
「広範囲じゃん。え、もしかして、サッカーやめたのってこのせい?」
「……」
無言で肉まんの紙をめくって食べ始める。
「それに、その頬ってなに。湿布してるし」
雪菜は嫌な予感した。雅俊がふざけてつけてるんだろうと思っていたサングラスを外してみた。
左目の上の部分に青く腫れていた。
「な、何があったの? これって誰かに殴られた跡?」
「……違うよ。階段から落ちたの」
「嘘だ。手の跡ついてるじゃん」
雅俊は後ろを振り返る。
「なんで、嘘つくの?」
「……言いたくない」
「……なんで」
「それよりさ、元気そうじゃん。俺、雪菜が休んだって聞いて、すっげー心配したからさ。全然、元気なら、いいな。肉まん、食べろよ。置いておくから」
立ち去ろうとする雅俊に雪菜は進路を阻む。
「あのさ、聞きたいんだけど、本当に緋奈子と付き合ってるんだよね?」
「……え、あー、うん」
目がキョロキョロと泳ぐ。予想と違う態度に雪菜は困惑する。
「え、違うの?」
「……ば、ばれた?」
「え???」
「だよなぁ。ばれるよな。このけがとか見たら、怪しいとか思うだろ? アピールありすぎるよなぁ……。帰りに肩貸してもらうために緋奈子先輩に恋人のふりしてもらってさ。まぁ、さすがにそれもこれも全部、平澤先輩にもばれちゃったわけで……。このありさまよ」
雅俊は、自分の頬をペチペチとたたく。
「え? どういうこと? 何、凛汰郎くんに殴られたってこと?」
「俺が雪菜を騙そうとしたバチが当たったってことなわけで。でも、やりすぎたかなとも自分でも思ってるけどさ。欲にも負けたわけだし……」
「さっきから言ってる意味がわからない。雅俊、一体何をしたの?」
「この際だから何回も言ってるのを聞き流されてきたからいうんだけどさ」
雅俊は、まっすぐに雪菜を見る。
「俺、雪菜が好きなんだよ。昔からずっと……。今までいろんな彼女いたけど、本当は、心から好きになれなったわけ。建前上、付き合わざる得ないというか告白されることが多いから、断れきれなくて、付き合うんだけど、最終的には、ふられるか無理って俺がなるの。それはなぜかって……」
さらに近づく。
「いつも雪菜しか見てないから。雪菜以上にいいなって思った女子に会えてないの」
「……そ、それは、きっと幼馴染だから姉弟みたいな関係だからでしょう」
雪菜は後ろを振り向く。いざ、真剣に告白されると気が引けてきた。しかも、彼女をたくさん作っておいて後付けのように言われてもと思った。
「俺は、今、真剣に言ったんだよ。受け止められないのならば、もう雪菜を追いかけるのをやめるよ。平澤先輩と付き合うって言うから、俺が緋奈子先輩と付き合うとか言わないとこっち振り向いてくれないと思ったから。なぁ、雪菜にとって俺は何なの? 弟? ただの後輩? 幼馴染で終わり?」
胸が苦しくなる。追い詰められてる。どっちか選んだら、みんな離れる。贅沢に生きてはどうしてだめなのだろう。
「……大事だよ。言いたいこと言えるし、安心できる。でも、たぶん、私は、緋奈子に対して嫉妬してた訳で、友達として好きなんだと思う。でも、何かさっき嘘だって知って、安心した」
「……俺って、男としての魅力ないの?」
「魅力はあるんじゃないの? ファンクラブもあるわけだし。でも、ごめん、私には、浮気する雅俊とはちょっと無理」
顎が外れそうだった。がくっとうなだれた。
「彼女何人も作る時点でちょっと……。緋奈子にまで手をつけるかと思った」
「いや、ごめん。もう手をつけた」
「あー--、ほら。だから嫌だ。私がいいとかいうけど、それも信じられないし」
後ろから雪菜にバックハグをする雅俊。
「その時、好きだと思ったやつをこうやってして何が悪いんだよ。浮気じゃないし。思いのまま生きてるだけだし。」
「やだって言ってるじゃん」
「嘘だ。顔赤くしてるじゃん」
体と心が一致しないときってあるんだ。バックハグからの横から口づけされた。嫌じゃない。頬をたたくことはしなかった。前はバックを使ってたたいたのに、嫌がられない様子を察して、ぎゅうっと抱きしめた。テーブルに置いていた雪菜のスマホが鳴り続ける。
スマホのバイブレーションが気づかないほど夢中になる2人がいた。
夕日が沈みかける。
凛汰郎は、塾の前の出入り口でスマホを耳に当てていた。スマホを持つ左手には包帯が巻かれていた。
「ただいまぁー。あー、疲れたなぁ。
あれ、姉ちゃんの靴ある。
あ、そっか。今日休んだんだっけ。
まぁ、いいか。」
雪菜の弟の徹平が帰宅した。リビングに入って行く音がする。雪菜と雅俊は焦りに焦った。
事が済んだ後で、衣服がはだけていた。焦った雪菜は、雅俊をクローゼットの中に
隠れなさいと指示しては、自分はベッドの中にもぐりこむ。
しばらくしても、徹平が上に上がってこないとわかり、そろそろ出てもいいよと外に出るよう促した。ワイシャツのボタンが2段目まで取れたままだ。暑くて、ワシャワシャと風を送る。雪菜の部屋から出ようとすると、まさかの徹平とご対面する。一瞬、2人は凍り付く。徹平は指をさす。
「……え、なに、まーくん。なんで、姉ちゃんの部屋から出てくるの?」
「え、あ。あー、見舞い?」
徹平は雪菜の様子を伺うように部屋の中を見ようとするが、雅俊は、パントマイムのように見せないようにする。
「見舞いするほど、具合悪くしてなかったけど……。てか、まーくんどっから入ったのさ? 玄関に靴ないけど」
「あ! 徹平の部屋に靴置いてたわ」
慌てて、徹平の部屋にかけだす。
「な、なんで?!」
「あ、あった。悪いな。邪魔したな」
床に落ちていたスニーカーを履く。徹平はジロジロと雅俊を見ると、ズボンからワイシャツははだけているし、いつもしないサングラスがワイシャツにつけていて足には包帯巻いていた。違和感しかなかった。
「まーくん。姉ちゃん、食ったのか?」
驚いた顔をさせた。
「な、何言ってるんだよ。んなわけねぇだろ。大事な姉ちゃん食わないよ」
(本当のこと言えるわけがねぇ〉
「だよなぁ。姉ちゃん、女として魅力ないもんな」
「なんだって?! 聞こえてますけど?」
隣の部屋から雪菜の声がする。
「魅力がないわけじゃないけどもさ。まぁ、まぁまぁ……。ふふふ……」
笑いがとまらなくなる雅俊。
「何がそんなにおかしいんだよ」
「いや、なんでもない。んじゃ、またあとで、ゲームしような」
「あ、本当? やったね。そしたら、早く宿題終わらせるわ」
徹平は、うきうきして、机に向かって勉強道具を準備し始めた。雅俊は、入ってきた窓から、自分の部屋に器用に飛び移った。その飛び移った様子をちょうど帰ってきた龍弥に見られていた。
「おい!? 雅俊。そこで何してる?!」
「うわ、やべぇ。親父さんに見つかった」
焦る雅俊は、慌てて、家の階段を下りて、謝りに行く。くどくどと説教タイムが始まった。龍弥の説教は30分はかかっていた。
何度もぺこぺこと謝り続ける雅俊だった。
それを2階の窓からのぞく雪菜は呆れてため息をつく。
人生良いことと嫌なことの組み合わせで出来ている。
雅俊にとって、最高に幸せの時間を手に入れたため、一気にバロメータが下がっているんだろう。
この後は、さらにいいことしか起きないのかもしれない。2階から見えた雪菜に説教ついでにウィンクして
時間つぶしをすると、龍弥は、それさえも怒っている。
◇◇◇
学校のチャイムが鳴った。ガタガタと椅子が鳴る。
「雪菜、おはよう」
何週間かぶりに緋奈子が声をかけてきた。
「あ……おはよう」
雪菜は涙が出そうなくらい嬉しかった。ずっと話しかけられなかったし、話そうともしなかった。 和解ができた気がして嬉しかった。
昼休みに机を並べて、一緒にお弁当を食べた。この上なく、お弁当がおいしく感じた。ボッチ飯より、やっぱり友達同士で食べたほうがおいしいんだ。
「雪菜……。雅俊くんとどうだった?」
「え、どうだったって何の話?」
顔がお猿のように赤くなる。
「あ、ごめん。その話じゃなくて、付き合うとか付き合わないとかの話。結局、雅俊くんって正式に言わないと交際にならないって聞いてて。どうなったのかなって。雪菜、凛汰郎くんと付き合ってたのはやめたの?」
違う話だと分かると、いつもの表情に戻した。緋奈子はお弁当のミートボールをパクパクと食べる。
「あ、そっか。何も言ってないや。確認しないといけないよね。確かにOKとは言ってないんだよね。凛汰郎くんとは距離置こうって言われてたから、これからどうするかはっきり言ってないから、今日、話そうと思ってて……」
「そうなんだ。でも、安心したよ。雅俊くんに彼女のふりしてってずっと言われてたからさ。本当のこと言えなくて……。だましてたみたいで本当にごめんね」
「あ、そうだったんだね。私が勘違いだったんだ」
「彼女のふりしてと言いながらやることはやってるけど。何か、雅俊くんって校内で人気あるっていうし、ファンクラブもあるもんね。交際にならなくても良いって思っちゃったかな。優しいもんね」
緋奈子は照れながら話していた。
「好きになっちゃった?」
「あ、いや。うん。私は、もうこりごり。やっぱり、女子を敵に回しそうじゃん。浮気性だし。彼氏にはしたくないのよ」
「だよね。わかる。私もわかってはいるんだけどさ。だまされてるのかな」
「……雪菜は昔から本命だって何回も言ってたよ。本当か嘘かはなぞだけど」
食べ終わった弁当を片づける緋奈子。雪菜は、弁当箱に入っていたおにぎりをちびちび食べた。
「それも口説き文句ぽくない? 半分聞いておくんだけさ」
「まぁ、いいじゃん。そういいながらも雪菜も雅俊くんが本命なんでしょう?」
「え?」
「だって、顔にかいてる」
「……あー、ばれてたんだ。何も話したことなかったのに。緋奈子には嘘つけないな」
顔をポリポリとかく雪菜。廊下側に座っていた凛汰郎がアイコンタクトで雪菜を呼んだ。ちょうど、お弁当は食べ終わっていた。
「ごめん。凛汰郎くんと話してくるね」
「いいよ。私のことは気にしないで。ごゆっくり~」
「ありがとう」
立ち上がり、屋上に続く階段の踊り場まで歩いた。
「呼び出して、ごめん」
「ううん。大丈夫。私も話したいことあったから。あ、手の傷。大丈夫? 雅俊が関係してるんだよね」
「う、うん。そう。俺も感情的になってしまって……。申し訳ないなって思ってるんだけど、雪菜のことだましてたっていうのが
許せなくて、悪いな」
「大丈夫大丈夫。あいつは、不死身に近いから。私のことで怒ってくれてありがとう」
「いや、そんなことはない」
「話って、何?」
「あー、いや、雪菜からいいよ」
「そう? いや、でも話しにくいから先に凛汰郎くんから」
「あぁ、うん。距離置こうって話なんだけど、やっぱり、俺、付き合うのは
やめた方がいいかなと思ってたんだ。受験勉強に本当に集中しないといけなくて……」
本当は、振られたくない気持ちが強くあって、自分から言った方が好都合だと思った凛汰郎。もう、自分に気持ちが薄れているんだろうと察していた。
「あー、そうなんだね。勉強、大変だよね。私といたら、はかどらないもんね」
「そんなことはないんだけどさ。お互いのためにと思って……。雪菜、今、幸せ?」
「え?」
不意打ちに聞く質問にどきっとする。
「う、うん。幸せだよ」
「俺、雪菜が幸せなら、付き合うってことしなくても平気だから。受験終わったら、その時は、お祝いかねてどこか食べに行こう」
「それは、別れるってこと?」
「そういうことになるね」
目に涙を浮かべて、凛汰郎を見る。どちらも同時に手に入れることはできない。彼氏から友達に戻る。
「悲しいけど、ありがとう。忘れないから。絶対合格したら、連絡してね。一緒にご飯食べにいく約束。それだけは一緒」
小指で指切りした。それだけは絶対一緒という言葉に心がほくほくした。本当は同時進行で2人と恋人として続けられるならいいのにと感じながら、雪菜は別れを告げた。雅俊に気持ちも確かめていない間に。