ソネットフレージュに魅せられて

高校でのテスト期間が終了して、みな、浮かれ気分の最中、弓道部の部員たちは化学室を借りて、引退セレモニーが開かれていた。

 弓道部員全員と、顧問の先生が、集まって、黒板にお花紙で作られた桜とチョークで雪菜と凛汰郎の名前にありがとうございましたと書いてあった。

 後輩たちはセレモニーが始まる前に、準備をしていたようだ。

 新部長の紗矢がジュースのペットボトルを開けて、人数分の紙コップに飲み物を注ぎ入れた。

 さらに横には駄菓子が乗せられた紙皿が置いてある。


「あ、これ、知ってる。美味しいよね、わさびのり。このフルーツのお菓子も」

 後輩たちは、駄菓子に話が盛りあがっていた。

「準備はこれくらいでいいかな。寄せ書きもラッピングしたし。あとは、先輩方、お2人が来るのを待ちましょう」

 ざわざわと化学室は部員たちで騒がしくなっていた。
 その頃、凛汰郎はラウンジで、飲み物を買っていた。

 教室でイヤホンで音楽を聴きながら時間潰ししていたが、凛汰郎がいないことに気づいて、学校内を探し回っていた。
 自販機からガコンとペットボトルのジュースが落ちてきた。取り出し口から取ろうとした。


「凛汰郎くん!」

雪菜が声をかけた瞬間にびっくりして、自販機に頭をぶつけた。

「いった〜」
「ごめん、大丈夫?」

 両手を合わせて謝った。

「ああ……。んで、何?」
「いや、その。ほら、弓道部の引退セレモニーの時間だからそろそろ行かないとと思って、凛汰郎くん探してたよ」

 ぶつけた頭の髪をごまかして、ワシャワシャとかき上げた。

 せっかくワックスをつけて、セットした髪が崩れた。

「あー……」
「髪? 女性ものだけど、固めるワックスあるよ? まとめ髪用だけど……」
 
バックから小さい緑色の丸いワックスを取り出した。

「悪い、借りていい?」
「うん、いいけど」

 雪菜は凛汰郎にワックスを手渡した。サッサッと髪の毛につけて整えた。

「こんなもん?」
「うん。大丈夫」

 何気ない会話でなぜかホッとする2人だった。ふんわりとした時間が流れる。自然の流れで、化学室へそのまま横に並んで移動した。ガラガラと引き戸が開くとクラッカーが次々と鳴った。 

「弓道部引退セレモニーへようこそ」

 拍手が沸き起こり、凛汰郎の頭にクラッカーの残骸が垂れ下がる。何も言わずに手で避けた。せっかくの催し物を台無しにしてはいけないと引き攣りながら笑顔を振る舞った。後ろの方で顧問のいろはも見学していた。雪菜は終始、笑顔でいつも通りに振る舞っていたが、そういう行事などのイベントが苦手の凛汰郎は無理に笑顔を作り、時折、窓の外に映る雲を眺めては時間が過ぎるのをただ待っていた。

 紗矢はプログラムを作っては先輩が喜ぶようにと必死にビンゴゲームをしたり、寄せ書きのプレゼントをしたりして場を盛り上げた。

 ビンゴゲームの景品の特賞にたまたま当たったのは雪菜だった。駄菓子のてんこ盛りバラエティパックだった。みんな楽しそうにわいわい過ごしていた。

 閉会の挨拶をいろはが最後に口を開く。


「部長である白狼雪菜と副部長の平澤凛汰郎は、2人とも相反する性格だったけど、最後まで部員たちを引っ張ってくれて活躍してたと思います。雪菜が入院した時はどうなるかとヒヤヒヤする部分があったけど、2人がいてこそ、この弓道部が成り立っていたってその時気づきました。本当にお疲れ様でした。そして、ありがとう! みんな、2人に盛大な拍手を!!」

 歓声や口笛を吹く生徒もいた。ずっと続けて来て本当に良かったと身に沁みて感じた瞬間だった。


 やっと終わったと、ぞろぞろと生徒たちは化学室を出た。


 最後に歩いていたのはいろはと雪菜、凛汰郎だった。

「2人がいなくなるって寂しいもんだね。いつもより弓道部に花が無くなってきたよ。」
「何言ってるんですか、先生。紗矢ちゃんがいるでしょう?」
「紗矢はああ見えて、人見知りだから部長やるのも緊張しすぎてるから心配なのよ。慣れてくれるといいんだけど」
「えー、そうなんですか。私にはすごい話してくれるのに」
「まー、それは打ち解けているからだろ。とりあえず、お疲れ様。よくがんばりました! 気をつけて帰りなさいよ?」


 背中をポンとたたいて、いろはは職員室の方向に向かう。後ろを歩いていた凛汰郎はふぅーとため息をついた。
 
「あ、そういや、凛汰郎くん。話あるって、ここで聞いてもいいの?」

 ついに来たと言わんばかりの顔をする凛汰郎は。一瞬、硬直した。
 廊下で佇む2人の横で、窓から夕陽が差し込んだ。また息をのむ。時間が長く感じられた。




窓から廊下へ日差しが差し込む。東の空ではからすが飛び立っていく。

「ここで話す」

 凛汰郎は、緊張しながら、息を吐いた。
 雪菜は首をかしげて、凛汰郎を見つめる。

「俺、前から白狼のこと好きだから。それだけ伝えたかった。……まぁ、欲を言えば、付き合えれば良いかなと思ったり……」

 口を両手でふさいで、息をのんだ。

「嘘だ。前、嫌いじゃないって、好きでもないって意味だと思ってて」

 目から涙が無意識に溢れ出てくる。

 そっと凛汰郎が近づいて、人差し指で頬に伝う雪菜の涙をぬぐった。

「白狼の気持ち、聞かせて」

「私も凛汰郎くんが好きです。その言葉だけで終わりにしたくないけど……」

 雪菜は、前髪で顔を隠した。恥ずかしすぎて、顔をあげられなかった。さっと、凛汰郎は、手をのばした。

「んじゃ、これからもよろしく」
「う、うん」
「それは、付き合うってことでいいの?」
「え、あ……。どうしよう。恥ずかしすぎて、わからない」

 両手で顔を覆った。気持ちを紛らわせようとバックで揺れていた狼のぬいぐるみを手でつかんでみた。

「大事に使ってくれてるんだな」
「え、あ、うん。そう。クマのぬいぐるみと一緒。これ、実際に一緒にいたら、狼に食べられそうだけど……」

 少し気持ちが和らいだようで笑みがこぼれた。

「そうだな」

 口角を上げて、えくぼを出した。

「……私、もっと凛汰郎くんのこと知りたいな」
「あぁ、俺も白狼のことまだわからないこと多いから」
「お互い初心者ってことだね」

 見つめ合って笑い合った。

 そのまま2人は昇降口までゆっくりと歩いていた。誰もいない放課後は静かだった。ラウンジのそばの壁によりかかって、まちぶせしていたのは雅俊だった。弓道部の引退セレモニーが化学室で行われることを事前に知っていて、凛汰郎と雪菜が2人きりになることがあることも知っていた。心中穏やかではなかった雅俊は、こちらを気づくことなく、昇降口に向かっている2人を後ろから気づかれないように尾行した。

 何があったかは分からないまま、2人はさりげなく手をつないでることを見た雅俊は、ぐっと下唇をかんだ。曲がり角を抜けるまで、何も言葉を発することのない2人。空気感なのか。雰囲気なんか。自然と安らぐ空間を作っているようでとてもじゃないが、その間には入れなかった。雪菜は、凛汰郎と別れを告げた。雅俊と帰る方向が同じになるそのタイミングで、あえて雪菜に声をかけずに追い越して、通行人のように通り過ぎてみた。

 はっと気が付いた雪菜は、変な空気を発する雅俊に声を発することができなかった。ごくりとつばを飲み込んだ。これはよろしくないと空気を変えて、振り向き様に雪菜に声をかける。

「どんな顔してるんだよ?」

 いつもと違う態度をとられて、ショックだった雪菜は、寂しそうな顔をしていた。

「……」
「何、泣いてるんだよ?」
「だって、雅俊、違う人みたいだった」
「ごめんって。悪かったって。俺がすっごい悪い人になっちゃうから、泣きやめ、な?」
 
 雅俊が突然、泣きじゃくる雪菜の顔をぎゅっとハグした。いつもと違う態度の雅俊にかなりショックを受けたらしい。
 体から発する冷たいオーラ。天真爛漫でニコニコする雅俊からは考えられない空気感に耐えられなかった。

「ごめん、マジでごめん。俺、雪菜がほかの別な人にとられるの見たくなくて……。変な態度とった」
「え?」

 顔をあげて、雅俊を見た。

「俺、雪菜が好きだから。他と誰かと付き合ってるのとかマジありえないし、むしろ付き合うなら俺とって思ってるし」
「は? 雅俊、彼女いるでしょう」

 正気に戻ってきた雪菜。雅俊の告白をさらりとかわそうとする。本人は本気で言ってるつもりだった。

「彼女とは別れた、昨日」
「いや、昨日別れたから、はい、次いいですよじゃないよ?」
「え、いいじゃん。きちんと清算してるんだから」
「そういう意味じゃない。雅俊は今も昔もずっと幼馴染だよ。それ以上でもそれ以下でもない。悪いけど。ごめん」

 立ち去ろうとする雪菜の腕をつかんだ。

「んじゃ、さっきの涙はなんだよ? 俺に嫌な態度取られて嫌だったじゃないのか?」
「怖かっただけ。あと、目にゴミ入ったの」
「……目にゴミだ?! そんなの嘘だろ。わけわからねぇな」

 そう言いながら、腕を引っ張り、無理やり口づけした。突然のことで状況が読み取れない。雪菜は、袖でぬぐう。

「な?!」

 顔を耳まで真っ赤にさせる。バックで雅俊の体をたたいた。

「最低!!!」

 雪菜は、口を腕でおさえてイラ立ちを隠せずにその場から足早に立ち去った。雅俊は、腕にバックが当たり、その拍子でバックについていたキーホルダーのぬいぐるみが、側溝に落ちていくのが見えた。泥の中に白い狼のぬいぐるみが入って、かなり汚れていた。雅俊は、雪菜の大事なものだろうと自分のバックの中に入っていた手提げのビニール袋に大切に入れて持ち帰った。



芝生が広がる公園で、小さな子供たちが遊具やボール遊びに夢中になる。
砂場でお城やケーキと言って遊んでいる親子もいた。
もくもくと広がる雲を突き抜けて、飛行機が大きな音を立てて飛んでいく。

「雪菜ちゃん! みーつけた」
「えー、もう早いよぉ。次は私、鬼ね」

 5歳の斎藤雅俊と白狼雪菜は、家から近い少し大きな公園でかくれんぼを楽しんでいた。

「雅俊くん、背、伸びましたね。雪菜はまだまだ小さくて、あまりご飯食べないから」

 公園のベンチで、白狼雪菜の母の白狼菜穂と斎藤雅俊の母の斎藤実花《さいとうみか》が子供たちを見ながら、話しをしていた。
 お互い、隣に住んでいることもあって仲が良かった。

「そんなことないですよぉ。男の子でも、まだまだ小さい方で。うちでも、全然食べないんですから。それより、雪菜ちゃんママ、最近できたショッピングモール行きました?」

「え、まだ行ってないの。どうだった?」

 世間話で盛り上がっていた。

「雅俊くん!! かくれんぼって言ってるのになんで遊具で遊んでいるの?!」
「いいだろ。別に。雪菜ちゃんが遅いから。つまらないんだよぉ」

 昔から好きな子にはいじわるをするのは、変わりない雅俊だった。雪菜はそのいじわるされるのが本当に嫌だった。

「もういい!! 遊びたくない」

 いじわるも度を越えるといじめになる。雪菜は、いつも嫌になると、すぐむつけては、一人遊びをしていた。雪菜が、砂場で、おままごと遊びに夢中になっていると、雅俊は、遊具遊びをやめて、近づいてくる。静かに同じ砂場遊びをし始めるが、雪菜は機嫌を悪く、違う方向を向いて、遊びの続きをした。

「一緒に遊ぼうよぉ」
「やだ」
「いじわるしないから」
「やだって言ったら、やだ」
「むー--」

 雅俊は、ご機嫌斜めの雪菜に喜んでもらおうと、砂をかき集めて、バケツに詰めてはひっくり返した。

「じゃじゃーん。ケーキのできあがり」
「……」
「ほら、一緒に食べよう」

 近くに落ちていた小枝をスプーン代わりに食べるごっご遊びをする。
 見たこともない笑顔で食べる雅俊を見て、本当においしそうと思った雪菜は、ふくれっ面をしぼませて、仕方なく、同じように小枝を持った。

「いただきます」

 もちろん、ごっご遊びだ。

「どお?」
「おいしい」
「でしょう?」

 満面の笑みで雅俊は歯を出して、ニカッと笑う。人を喜ばせることにたけていた。幼稚園に通う2人は、ほかのお友達を喜ばせている雅俊を見ていて、うらやましいと思っていた。実際にされて、胸のあたりがポカポカした。いじわるはされる分、よろこぶこともしてくる。幼いながらに複雑な気持ちになる雪菜だった。

 小さいころ、引っ越してきたばかりで友達がいなくて、ひとりぼっちだった雪菜に最初に声をかけてくれたのは雅俊で、そこから隣に住んでいることがわかり、そこからずっと高校までずっと過ごしてきた。
 
 恋人になったつもりはなく、空気のように身近に存在していた。確かに高校受験で大変なときもお互いに頑張ろうと徹夜で勉強していた時に窓からチョコレートを差し入れてくれたり、落ち込んでいるときに変顔して無理やりに笑顔にしてくれた時もあった。

 どうして、近くにいるんだろうと不思議に思ったこともあったけれど、雅俊に初めての彼女ができたと思った瞬間からもう雪菜は近くにいる必要ないなっと距離を置いたこともあった。


 ◇◇◇
 

 雪菜は、部屋でひとり、どさっとベッドの上に仰向けに寝ころんだ。下唇を右手の人差し指と親指でつまむ。なんであの時、キスされなくちゃいけないのか。もう、雅俊のことは、高校2年の時の彼女ができた時から終わってる。自分は女として見られていないとあきらめたはずなのに。せっかく、凛汰郎と両想いになって、これから幸せな高校生デートライフが楽しめると思っていた。

 心の中のもやもやした気持ちがあふれて出て、無意識に涙が出た。凛汰郎が好きなはず。 この大きいぬいぐるみのうさぎを
 UFOキャッチャーで取ってくれた人と付き合うんだと言い聞かせた。雪菜は、衝動的に片手にスマホを持って制服のまま、部屋を飛び出した。
 
 近くの公園のブランコに乗った。電灯がぼんやりと光っている。もう、どっぷりと夜がふけていた。雪菜は、スマホにスワイプにして、電話をかけた。コールが鳴り続ける。まだ出ない。ブランコのギーギーという音が鳴る。

 仕事帰りの近所の人の漕ぐ自転車が通り過ぎる。

 遠くで救急車のサイレンが鳴っていた。東の夜空には満月が輝いていた。
スマホの画面に電話通話のボタンが映る。左に緑の通話ボタン、右に赤い通話ボタン。凛汰郎は、洗面所の鏡の前、フェイスタオルで髪をワシャワシャと拭いていた。お風呂に入って出てきたばかりだった。

「凛汰郎! 電話鳴ってたぞ」

 凛汰郎の父 平澤大河《ひらさわたいが》が、リビングに置いてあったスマホを手渡した。

「あーああ」

 壁からじーと凛汰郎を見る。

「女の子からか?」
「うっせー」
「こわっ!」

 花屋を営む父は、5年前に母の平澤愛菜《ひらさわあいな》を癌を患い、亡くなった。
 それから凛汰郎と4歳年下の女 平澤 柚樺(ひらさわゆずか)とともに3人で過ごしていた。
 凛汰郎が反抗期がまともになかったため、大河は、内心、今が反抗期かとひやひやしていた。

「親父、ちょっと出かけてくる」
「ん? 何かあったのか?」
「何かが無いと出かけてダメなのか」

 目が怖かった。親でも怖い。

「ですよねー。そうですよね。出かけたいときもありますね。どうぞ、お気をつけてー。22時前には帰ってくるんだぞ」
「ああ。わかってるよ」

 大河は、ため息をついては、腕まくりをして、台所の洗い物を片づけた。お年頃のお相手は大変だなとしみじみ感じる。玄関のドアがバタンと閉まった。


◇◇◇

 凛汰郎は、長袖Tシャツとハーフパンツのラフな格好で、自転車を漕いだ。風呂上がりで、シャンプーのいい香りがしていた。風呂に入ったのに、運動して汗をかいてしまうなと心配してしまう。

 自転車がキーキーと鳴った。ブレーキをかけて止まった。真っ暗な夜の公園、電灯がぼんやりと光る。
 
 ブランコに座って何度も揺れている後ろ姿があった。車の走る音が響く。隣のブランコにそっと座った。

「夜に早速お呼び出しですか……」
「……わぁ!?」
「ビビりすぎ……」
「早かったね」
「立ちこぎしてきたから。風呂入ったあとなのに、汗かいたわ」
「ごめん」
「いや、別にいいんだけど……」

 失言だったと反省する。しばし沈黙が訪れる。

「夜遅くに危ないだろ」
「うん、そうだね」
「……何かあったのか?」
「急に会いたくなって……」

 必死に笑顔を作ろうとしたが、目から涙がこぼれる。

「数時間前に会ったばかりだろ。しかも、今日から付き合うって言ったけどさ……。泣くほどのことじゃない……」

 顔をのぞき込む。

「ごめんね、ごめんね。何かおかしいよね。迷惑だよね」
「迷惑じゃないけど……」

 鼻をすすって気もちを切り替える。凛汰郎は、そっと雪菜の背中をトントンとなだめた。

「深呼吸、深呼吸」
「ひ、ひ、ふー」
「出産か?!」
「違うよ!」
 
 自分でやってて恥ずかしくなる雪菜。笑いがとまらなくなる凛汰郎。普通に笑うんだとほほえましくなった。
 笑い終えて、凛汰郎は、はーと息を吐いて空を見上げた。

「今日、満月だな」
「うん」
「月に願い事いうと叶うらしいよ」
「そうなんだ」
「絶対信じてないだろ」
「うん」
「ひどいな」

 雪菜が少しずつ笑いはじめた。それを見て、安心してきた。本当は、凛汰郎も心を打ち解ければ、普通に会話できる。隠していた性格だ。いじわるをすることが少なくなった。ブランコに座って話しているのを、バイト帰りに通りかかった雅俊が、自転車に乗り、足でとめて、近くで見ていた。


 自分の前では見せない雪菜の笑う表情を見て、敗北感を感じ始めていた。
 
 
「んで、なんで泣いてたんだ?」
「……なんだったっけ。話してるうちに忘れちゃった」

 本当は忘れてはいない。忘れたふりした。でも、気持ちは落ち着いた。

「嘘、だろ?」
「……」

「ま、いつも心配事は誰にも相談しないで一人で解決するタイプだもんな」
「な、なんでわかるの?」
「話してないけど、部活で見てたから。大体の行動パターンは読める。でも、なんで俺、呼ばれたかはわからない」

 その言葉に雪菜は、凛汰郎の腕あたりのシャツをひっぱった。

「え、近い」

下を見て前髪で顔を隠した。そして、すぐに顔をあげて、じっと見つめた。

「な、なに……」

 雪菜が顔を近づける。突然火をふくように恥ずかしくなってささっと距離をとった。

「?」

 よくわからず、首をかしげる。

「そろそろ、帰るわ。門限あるし」

 凛汰郎は、立ち上がり、自転車のスタンドをあげた。
 雪菜は、少し不満そうに眉毛をさげた顔をする。
 
「呼び出してごめんね」

 凛汰郎の後ろを追いかけていう。

「あ、わすれてたわ」
「え、なにを?」

 雪菜は、ブランコのある方を向いて振り向いた。何も忘れ物なんてなかった。自転車を持ちながら、凛汰郎は、軽く、雪菜に口づけた。耳まで真っ赤にして雪菜は、手で口をおさえた。望んでいたことだった。
 塗り替えたかった。本当の自分は何かと。雅俊にされたキスがチャラにはできない。
 でも、本当の気持ちを知ることができた気がした。

「さ、帰ろう帰ろう」

 ご機嫌になる凛汰郎の自転車のからからとチェーンが回る音が響く。恥ずかしさを残したまま、手を振って見送ろうとした。

「何やってんの? 送るから」
「え、あ。そっか。ごめんなさい」
「夜道を一人にするわけないっしょ」
「……そうなんだね。ありがとう」

 凛汰郎は、自転車を押しながら、雪菜のうちまで送り届けた。一緒にいるこの時間がずっと続きますようにとさえ思った2人だった。
スズメが鳴く少し肌寒い通学路。持っていたバックを背負いなおして、駐輪場から昇降口に向かう。
同じように昇降口に向かう生徒が行きかっている。

衣替えがとっくに終わっているのにいまだに半袖ワイシャツになっている人や、制服のジャケットではなく、カーディガンを羽織る人がいる。

まだ、朝が少しだけ寒いが、昼間は汗をかくくらいの天気だった。後ろから走ってくる音が聞こえてくる。
誰だろうと後ろを振り向くと何となく予測はついていた。

「雪菜、ちょっと待ってー」

雅俊が、追いかけてきた。ジロジロと後輩や同級生たちが見てくる。さすがは、ファンクラブができるほどのモテ男。
自分に話すだけでこんなに注目浴びるのかとちょっと嫌な気分になった。

「何?」

 いつものおはようも無しに話す。

「足早いもんな。あっという間に行くんだから。俺も今日、チャリで来たからさ。今追っかけてきたのに……」

 息が荒い。

「だから、何の用事? ギャラリーができるの嫌だから早くして」
「え、あー。ごめん。バックからごそごそと、何かを取り出す」

 透明なビニール袋に入っていた。

「あ、あれ。それって……」

 雅俊は、小さなぬいぐるみキーホルダーを渡した。狼のキャラクターだった。凛汰郎に買ってもらっていたぬいぐるみが取れていたとは気づかずに今、思い出した。

「そう、バックから落ちてたみたいだから拾っておいた」
「あー-、ありがとう」
「泥んこ、ついてて、洗うの苦労したんだぞ。洗ったのは、ばぁちゃんだけどな。ペット飼ってるみたいにドライヤーで乾かしたんだぞ」
「ふーん……」
「よ」

 雅俊の後ろから凛汰郎が雪菜に手を振る。

「あ、おはよう」
「うひゃ!!」

 雅俊は凛汰郎に気づいて、びっくりした。

「何、ビビってんだよ」
「先輩、昨日はすいませんでした……。俺のせいで、ボロ負けで……」
「そのこと? 別に毎回期待してないし……」
「何? ゲームの話?」

 雪菜が話の間に入りこむ。

「いつもこいつやられてさ。負けるんだよね。俺がレベル高いから強いメンバーが相手になるんだけどさ。仕方ないかなって」
「ごめんね、雅俊、相手してもらって。何か逆に申し訳ない。弟も混ぜてもらってるんだよね」
「そうそう、いやいや、徹平くんの方、うまいのよ。悪いけど……」

 雅俊の背中に見えない大きな矢が突き刺さる。

「先輩、キツイっす。言わないでくださいよ、それ」
「そお?」
「なんか、2人とも仲いいね」
「どこが?」
「どこが?」

 2人同時に同じセリフを言っていた。

「ほら、同じこと言ってる」

雪菜は笑いがとまらない。一緒にオンラインのスマホゲームをするようになって、凛汰郎の性格も割かし、社交的になりつつある。
雅俊の影響力はあるようだ。雪菜は少しうれしかった。

「ほら、2年はそっちの方向でしょう」

雅俊の背中を押した。あえて、凛汰郎の横にいたのを避けただけだ。

「時間だろ、行くぞ」

凛汰郎は、雪菜にゆびさして伝える。

「ちぇ、のけものかーい」

 雅俊は、ぶちぶちと文句を言いながら、頭にバックを持った両手を組んで、横で2人を確認しながら、しぶしぶ教室に向かう。談笑しながら、3年の教室向かっている2人を見ているともやもや感が消えなかった。

「昨日は、ごめんね。ありがとう。お風呂上りだったのに、来てくれて。よくよく考えてみたら、凛汰郎くんの家からあそこの公園まで遠かったかなって思ってたよ」
「ああ、別にいいよ。自転車立ちこぎしたって言ったっしょ。そんな遠くないって」
「そう? なら良いんだけど」

 横に並んで仲良さげに教室に入ると案の定、緋奈子にじっと見つめられた。

「おやおやぁ? お2人で仲良く登校ですか?」
「緋奈子、おはよう」

 完全なるスルーを貫き通すつもりの雪菜。無理に等しい。

「おはよう。雪菜、それはないよ。バレバレだから」
「……え?」
「よかったね」
「もう、噂になっていたよ。昨日の学校帰り仲良く帰ってたでしょう」
「み、見られてた……」
「うん、何言ってるのよ。雪菜、あんた自覚症状ないみたいだけどね。雅俊くんと同じで、あんたもファンクラブようなのあるみたいだから、気をつけなさいよ?」
「え?! 嘘、そんなわけないでしょう。聞いたことないよ? なに、なに。そのファンクラブメンバーが私を見張っているってこと?」
「噂になるくらいだからそういうことよ。ストーカーにならないだけ平和よね。どちらのファンクラブメンバーは、雅俊くんと交際したら美男美女カップルかって校内新聞になってるくらいだよ」
「ありえないけどなぁ。なんで私がそうなるのかな。それ言うなら、緋奈子の方じゃないの?」
「なんで、私よ。鼻ぺちゃでそばかすだらけの私なんて選ぶわけがないわ。やめてやめて。ほら、もうすぐホームルーム始まるよ」

 そんな2人の話の横で先に席に座っていた凛汰郎はずっと何も話さずに前を向いていた。緋奈子にはまだ心を開いてないようだ。
のんびり時間が流れている昼休み。雪菜と緋奈子と凛汰郎は中庭でお弁当を食べていた。

まだ緋奈子に心を開けていない凛汰郎は、向かい合わせに2人を座らせて、横の席に外側を向いて、一人でいるかのようなスタイルで食べていた。耳には、しっかりとワイヤレスイヤホンをつけて、音楽を聴いている。

「ねぇねぇ、彼氏になったのいいけど、なんで、ここ?
 隣じゃないの? しかも顔つき合わせてないし。意味ある?」

 緋奈子は、場所を指さし言う。小声で雪菜は言う。

「凛汰郎くん、人見知りだから。緋奈子のことよく知らないし、近くにはいるって話で……」
「え、だったら、うちらだけでもよくない?」
「だーめ。凛汰郎くん友達いないから、かわいそうでしょう」
「ぼっちか。ぼっちなのね」
「ちょっと、ぼっち、言わないで。同じ空間いられればいいってことだから空気の存在って思ってて」

(いてもいなくてもいい存在の空気って……。雪菜の方がひどい気がするけど)

 緋奈子は、声を普通の大きさに戻す。

「そっか。んじゃ、2人はラブラブなわけね。私はお邪魔かなぁと思ってしまうけど、
 親友だからいさせてもらうよ? 聞こえてないかもしれないけど」

 雪菜と緋奈子は、お弁当を広げて食べ始める。凛汰郎は、近くに飛んできた鳩にパンかすをあげながら、大きなハムとたまごを挟んだサンドイッチを食べていた。

「あ、いたいた。探してたんだ」

 2階の廊下の窓から声をかけるのは、雅俊だった。

「出た、出た。お騒がせくん」

 緋奈子は、つぶやく。2階にいたかと思ったら、中庭まで駆け出してくる。

「みーつけた。雪菜、今日は、お弁当にハンバーグ入ってるね」
「ちょっと見ないでよ」

 そして横から凛汰郎が無言の圧をかける。

「あ、いたんすね。先輩」
「ちょっと、雪菜、雅俊くん相手にしないで私の話聞いてよ」
「え、どうしたの?」
「最近、彼氏と別れてさぁ。最悪なんだよねぇ。あっちに年上の好きな人できたからって年下は飽きたとか言うの。ひどくない?」
 
 ポロポロと話し出す。横では頬杖をついて雅俊も聞いている。

「それは、大変だったね。年下ってことは、相手の彼氏は、年上の人だったの?」
「そう、部活の先輩だった人。今は、大学生だったんだけどさ。やっぱ、大学には誘惑が多いよね。サークルとかバイトとかいろいろあるじゃない。こっちは受験だと思って連絡も途切れてたからさ。悲しいよぉ」

 腕の中に顔をうずめる緋奈子。  

「そっか。でも、まぁ、ご縁がなかったってことで新たな恋を見つけに行けばいいじゃない」
「そうだよね。でも、そう簡単に次の彼氏見つかる? 3年は付き合ってたんだよぉ。引きずるわぁ」
「俺、どうすか?」

 キラキラの笑顔で自分の顔を指さし、雅俊はアピールする。

「え?!」

 雪菜は驚いた。後ろ向きで聞いていた凛汰郎の耳もぴくぴくとなる。

「俺、今、フリーですよ。空いてます!」

 軽いノリで話す雅俊。

「え、本当? この間、告白されてなかったっけ。フラッシュモブ系の……」

 数日前、雅俊はファンクラブから選出されていたフラッシュモブ告白が、生徒たちが大勢いる校庭で行われて、断りづらくなり、好きじゃないのにOKして3日で別れていた。

「好きでもないのにOKしてはいけないと学びましたよ。良い経験でしたわ」
「へぇー、そうなんだ。でも、誘うってことは?」
「脈ありでーす!」

 指パッチンをして、反応する。

「え、緋奈子。まさか」
「別にいいじゃない? 高校生の男女交際ってさ、別れるために付き合うっていうのあるしさ。よぉし、そのノリ乗った。雅俊くん、付き合おうじゃないか。ね?」

 緋奈子は、雅俊の肩に手をまわした。雪菜は、その様子を見て、ドキドキがとまらない。

「え、それ、本当?」
「まぁまぁ、そんなお堅くならず。2人は2人の世界を楽しみな。んじゃ、まーくん、屋上行こう。あたしの愚痴を聞いて。」
「はーい。んじゃあな。雪菜」

 後ろ向きで手をパタパタと振って立ち去る2人。雪菜と凛汰郎はしばらくその姿を見ながら沈黙になる。凛汰郎は、雪菜の向かい側に座った。

「あのさ、今朝、あのぬいぐるみ、あいつ、持ってたけど、なんで?」

 雪菜は、ハッと思い出した。バックから狼のぬいぐるみが取れてしまって、雅俊が持っていたことに凛汰郎は気になっていた。

「えっと、別にあげたとかじゃなくて、バックから取れちゃってたのを雅俊が拾ってくれて、それで、汚れてたから
 洗ってくれたみたいで」
「ふーん。そっか。別に、無くしたとか壊れたとかは気にしないけど、なんであいつなのかなって思っただけ。まぁ、いいや。
 物はいずれ壊れるものだから、その代わり、雪菜はいなくならないでよ」

 凛汰郎の口から突然名前で呼ばれたことに心臓が飛び出そうになった。頭から火が出そうなくらい真っ赤になる。

「え、え? いなくならないよ。なんでそういうこと言うかな」
「あのぬいぐるみより大事だから」

 ぼそっとすごい発言をする凛太郎に雪菜は何も言えなくなった。柔らかな風が中庭に巻き起こる。カザミドリは急いでぐるぐるとまわっている。まるで照れて焦っている雪菜のようだった。 
カザミドリがぐるぐるとまわる屋上で緋奈子と雅俊は手すりに手をかけて外を眺めた。

「嘘、なんでしょう?」

 髪をかきあげる緋奈子。雅俊は、じっと目を外に向けたままだった。

「……」

両手を伸ばして組んでいた腕を頭の後ろに置いた。

「半分嘘で、半分本当っす」
「知ってるよ。本当は、雪菜にカマかけたかったでしょう」
「近くにいて、ほとんどのことをあいつのこと知ってても、恋人にはなれないって悲しいですよね。幼馴染にならなきゃよかった」

 天を仰いで、ため息をつく。

「うらやましいなぁ。逆を言えば、どんな状況でもずっと近いところにいるじゃない。恋人という境界はこえられなくとも
 近い存在には変わりない。近すぎてダメになるよりちょうどいい」

 緋奈子は、雅俊の肩に手を置いた。

「雪菜の代わりにはなれないけど、力にはなるよ?」

 肩に顔をうずめた。頭をなでなでされた。撫でた手をつかんだ。

「俺、歯止めきかないっすよ?」

 目と目が見つめ合った。

「いいよ。それで気が済むなら」
 
 雅俊は、緋奈子の後頭部をおさえて、唇を重ね合わせた。叶わない恋など追いかける必要はない。受け止めてくれる誰かがいるのならそれでいいと思い始めていた。東の空で飛行機雲が少しずつでき始めている。


 ◇◇◇

 数日後、とある休み時間、移動教室でこれから化学室に行こうと教室の机から教科書とノート、筆箱を出して、廊下に足を進めた。

「ほら、雪菜、化学室行くよ」

 緋奈子が、手招きする。今日の緋奈子は、アップのおだんごでうなじが綺麗に見えていた。化粧がいつもよりツヤツヤしていた。

「あれ、緋奈子。今日、肌艶がいいね。ツルツルしてる気がする。うらやま~」

 つんつんと指で頬を触った。そういわれて、少し頬を赤らめる。

「え、そうかなぁ?」
「化粧品変えた? ファンデとか?」
「うーんと……別に変わりないけど」
「ふーん。そうなんだ」
「あ、そういやぁ、最近の話と言えば、先輩とより戻したかな」

 緋奈子は、大嘘をついた。本当のことを言うと、雪菜が傷つくのではないかと思って言えなかった。

「え、嘘。あんなに相手の彼氏のこと嫌がっていたのに?」

「……まぁ、いろいろあんのよ。それより、そっちはどうなの? 凛汰郎くんとはどこまで?」
「……」

 急に自分のこととなるとものすごく恥ずかしくなる雪菜は顔を真っ赤にして人差し指をつんつんと動かした。

「なんだ、進展なしか……」
「そ、そんなことないよ。ここでは言えないだけだから」

 近くを凛汰郎が通り過ぎる。噂をすればなんとやら。緋奈子は通り過ぎる凛汰郎の髪型を見ると
 前よりしゃれっ気があるなと思った。

「悪い、ぶつかった」

 雪菜の肩にぶつかる凛汰郎。

「あ、うん。大丈夫」

 恥ずかしいそうに下を向く。振り向き様に指をさす。

「放課後、ラウンジで待ってて」
「え、あ、うん。わかった」

 とっさに判断した。部活を引退して、ほぼ一緒に帰ることが多い2人。いつもは教室から一緒なのを、ラウンジで待ち合わせるようだった。

「ふーん、ラブラブそうじゃん」
「ふ、普通だよ。ただ、一緒に帰るだけだもん」
「雪菜、可愛い」
「えー?」

 化学室にそれぞれ、入って行く。移動する時間が濃密だった。授業が始まってもまだドキドキが止まっていなかった。放課後、ホームルームが終わって、凛汰郎は、忙しそうに教室を出た。どこかに用事があるんだろう。雪菜はそんなふうに思いながら、ラウンジに向かう。

「雪菜、また明日ね」
「うん。緋奈子、あとで先輩のこと教えてね。んじゃ、また」
「う、うん。んじゃね」

 手を上げて、別れを告げた緋奈子は、教室を出て、雅俊がいる、2年の教室へ向かった。ガタガタといすを動かす音が響く。
 生徒たちが移動し始めた。廊下におしよせる。

「お待たせしました。行きますか」
「別に待ってないよ」
「先輩、化粧品変えました? やけに艶感がありすぎません?」

 背中にスクールバックを背負う雅俊。
 
「そういうの聞かないでいい。察して。大体わかるでしょう」
「俺のおかげっすか。昨日は激しかったもんね」
「ちょ、そういうの言わないで!!」
「ぷぷぷ……」

 口を手でおさえて、笑う雅俊。いじるのを楽しんでいる。それを追いかける緋奈子。廊下で集まっていた同級生たちは
 その言葉を聞いて、どきまぎしていた。噂が広がりそうだった。緋奈子は今まで学校で、紺色ソックスで過ごしていたが、雅俊と付き合うようになってルーズソックスに目覚めた。突然、ギャルっぽい印象になりたくなった。やったことのないつけまつげをつけたり、女子力があがっていた。

 その頃のラウンジでは、ベンチで足をぶらぶらと動かしながら、凛汰郎を待っていた。すると、見たこともない体格の良い
 めがねをした男子生徒が近づいてきた。

「あ、あの……3年の白狼先輩ですよね? 弓道部の……」
「え、あ、はい。そうですが」

 男子生徒の額から汗が滴り落ちる。興奮しているようだ。どうしたらよいかわからず、雪菜はとりあえず適当に対応する。

「あ、あ、あ。あの、俺、前から見てたんですけど、そのクマのぬいぐるみ可愛いですね」
 
 鼻息が荒い。顔を近づけてバックについてるぬいぐるみを指さす。

「そ、そうかな。ありがとう」
「先輩も可愛いですよ」

 かなり顔が近い。興奮のせいか汗をたくさんかいている。何とも言えずに後ずさりする。

「おい、何してんだ?!」
「え、え、え、え。俺は何も」

 お相撲のように体格のよい男子生徒は、焦って少し後ろに移動するが、凛汰郎は警戒心強く、雪菜を引き離して、自分の後ろに移動させた。

「少し近くスペース考えろよ。パーソナルスペースってあるだろ。気を付けろ」
「あ、すいません。でも、俺何もしてませんけどね!!! というか、あなた、誰なんですか? 最近、雪菜ちんにうろつきまわって、みんなの雪菜ちんなんですよ。掟破りです!!」

 急に態度が一変する男子生徒。どうやら、雪菜のファンクラブという噂は本当のようだ。雅俊と同じ境遇だ。

「みんなの雪菜だ? おかしなやつだな。俺は雪菜の彼氏だ!!!」

キレながら、話す凛汰郎。なんだか性格に合わないセリフだった。無理して言ってるのが手にとるようにわかる。

「!?」

 息をのんでびっくりする。

「それはファンクラブ隊長の許可を得ての発言ですか?!」
「ファンクラブの許可なんていらないだろ。好きかどうかは本人が判断するんだよ。ほら、行くぞ」
「な、な、抜け駆けはずるいですよ」
「……」

 雪菜の腕をつかんで、凛汰郎は、ラウンジを出る。男子生徒は苦虫をつぶしたような顔をしていた。2人は、逃げるように昇降口に向かった。
突然話しかけてきた男子生徒を振り切って、凛汰郎と雪菜は、昇降口にある靴箱で外靴に履き変えた。

「さっきの何だろうな……。ファンクラブって……」

パタンと靴箱を閉めてつぶやく。


「雅俊にもファンクラブあるって言ってたけど、まさか私にあるなんて、寝耳に水だよ。ちょっと怖かった……」
「またなんかあったら声かけて。さっき言ったけどさ、効き目あるかわからんし」
「うん、ありがとう」

 ふと、足元の段差を見て、ゆっくりと進んだ。顔を見上げると、校門近くで何だか心がざわざわする2人を見かけた。

 雅俊と緋奈子が隣同士仲良さそうに歩いている。

 「……あ」

 言葉が出なかった。別に何とも思ってないはずなのに、なぜか身近な存在の緋奈子が雅俊の隣にいるなんて、胸のあたりがざわざわする。なんとなく、察した凛汰郎が後ろから手を伸ばしてみた。

「ん」

 左手で雪菜の右手をつかんだ。
 
「あ、ごめん。変なとこ見てた」
「よそ見してると事故るよ?」
「車の運転ではないんだけどさ……」
「目の前、しっかり見ててよ」
「う、うん。見てる見てる」

 雪菜は、顔をぶんぶん横を振って、切り替えた。

「無理にとは言わないけどさ。気持ち、変わったら言って」
「え、変わってないよ。大丈夫」

 少し目が泳ぐ。凛汰郎は、雪菜のいうことを信じてないが、信じてると思い込んだ。

「……なら、いいけど。そういや、塾通わないといけないからさ。しばらくこの時間しか会えないだけど」
「ああ、そっか。受験まで数か月しかないもんね。私は、専門学校だからそこまで勉強しなくても大丈夫なんだけど、凛汰郎くんは、大学受けるんでしょう」

「さっき、進路指導室で大学の資料見て来た。花屋継がないといけないかと思って、念のため、農業大学か園芸学科行っておこうかと
 思ってた」
「そっか、お父さんの仕事引き継ぐんだね。なんだ、進路指導室行くなら、私も見たかったな」

 車の走る音が響く、通学路で2人は横に並んで歩く。前の方で雅俊と緋奈子が歩いているのを、横目でチラチラと見ながら、進む。

「あー、なんだ。一緒、行けばよかったんだな。気が付かなくてわるい」
「別にいいよ。今度行くから。気にしないで」

 歩きながら、しばし沈黙が続く。

「土曜か日曜……やっぱ、塾終わったら、どう?」
「え……。うん。別に用事はなかったけど、何時頃になりそう?」
「16時くらい……。遅い?」
「ううん。大丈夫。どこで待ち合わせする?」
「雪菜、洋画と邦画だったらどっち見る?」
「うーん。どちらかと言えば、邦画アニメ? ジブリとか新海誠監督のとか。あまり洋画は見ないかも。え、待ち合わせの話はどこ?」
「家でDVD見ないかなと思って……。レンタルしておくから。一緒に見ようよ」
「どこかに出かけるんじゃないんだね。まー、いいけど……」

 凛汰郎は小さくガッツポーズした。

「ん?何かあった?」
「別に、何も。コンビニ寄っていい? 肉まん食べたい」

 凛汰郎は、近くのコンビニを指差しして言う。いつの間にか前を歩いていた雅俊と緋奈子の姿が見えなくなっていた。公園のベンチでならんで少し肌寒い中、湯気が湧き起こる肉まんを食べた。ほかほかと気持ちもお腹も温かくなった。

「美味しい。そういえば、コンビニの肉まん初めて食べたかも」

 雪菜がボソッとつぶやく。

「うそ。食べたことないの? 俺、しょっちゅう食べてるよ。まさか、肉まんは初めてじゃないよね?」

「スーパーで売ってる肉まんは食べたことあるよ!もちろん。コンビニあまり寄らないし……。これでもダイエットとか…
 気にしてたから。でも、今日は特別だけどね」そんな何気ない瞬間がほんわかとして、気持ちが落ち着いていた。凛汰郎に歩いて
家まで送ってもらい、玄関先で別れた後は、2階の自分の部屋の中に行くまでに胸のザワザワする気持ちが復活してきた。

 カーテンを開けて窓の外を見ると、星がキラキラと輝いているのに、もやもやした気持ちが残ったままだった。満たされているはずなのに……。
「姉ちゃーん。つまらない!」

 隣の部屋で寝転びながら、スマホをいじる徹平が叫ぶ。

「何したの?」

 隣の机から、声を発する。

「ゲーム、まーくんとしたいのに、最近、全然混ざってくれない。用事あるっていうし、うちにもこないし。ほら、家にも帰ってないみたいだし」

 カラカラと窓を開けて、隣の家の部屋の様子を伺うと部屋の明かりが真っ暗だった。人の気配がない。

「バイトにでも行ってるんじゃないの?」
「……何かバイトはしてるらしいけど、部活は辞めたとか言ってたんだよね。ねぇ、部活辞めたら暇になるんじゃないの?
 そしたら、ゲームできるよね。何でだろう」
「へぇ、部活辞めたんだ。あんなに好きなサッカーなのに、レギュラーで選ばれてたんじゃなかったのかな。
 と言うか、私に聞かないで! 宿題が終わらない!」

 部屋を出て、雪菜の目の前にやってきた徹平がじーと見つめる。

「だって、姉ちゃん、まーくんと仲良いじゃん」

「仲良いって幼馴染ってだけだよ。それ以上でもそれ以下でもない。そもそも、幼馴染って小学生くらいの話でしょう。私たちの関係は、どうとも言わないかもしれない」

「何、無理してんの? 良いじゃん、境界線作らなくても。友達であることは変わりないんだしさ。あーーー、ゲームしたいのに」

 徹平はブツブツ文句を言いながら、自分の部屋に戻っていく。
 
 何気なく、雪菜も雅俊のことが気になり始めて、隣の家の部屋の明かりを確認したら、真っ暗だった。いつもなら、カーテンを閉めずに煌々と明かりを灯してる。こちらの様子なんて気にならないみたいだ。この気持ちは嫉妬なんだろうか。

 はーとため息をついた瞬間、明かりがついた。帰ってきた雅俊と窓越しに目が合う。恥ずかしくなった雪菜は、カーテンを急いで閉めた。

「雪菜〜、今見てただろ? こっち見るなよぉ」

 一言でも声がかかる。ただそれだけで何だかホッとしていた。いつも毛嫌いしていたはずなのに。
 
「おーい、聞いてんのか?」
「聞いてなーい」
「聞いてんじゃねーか。ほら、雪菜!」

 窓からぽーいと雪菜の家に投げた。ちょうどよくベランダに何かが落ちた。何が落ちたか気になってのぞいてみると、ミルク味のキャンディ1つだった。

「今日もバイトでさ、その飴、新作だったみたいで買ってみた。ホイップミルク味の飴だってよ」

 ガサガサと机の上にバックから教科書とノートを取り出す雅俊。

「まったく、宿題すんの嫌だなー。雪菜、代わりにやって〜」
「……無理」
「ちぇ、釣れないのー。いいよいいよ、天才雅俊様が一瞬で終わらせるからな! 見てろよ〜?」

 英語辞典とノートを広げて、テキパキと英語と日本語訳を書いていく。そう言う姿を見ると雅俊も普通の高校生なんだと感じた雪菜。

「あ、言ってなかったんだけどさ、雪菜〜、俺さ、緋奈子先輩と付き合うことになったんだわ。それ言っとこうと思って……
 良いよね、別に」

 宿題をしながら、話す雅俊。

「え? ……ああ、そうなんだ。別に私に許可得なくても良くない? 付き合うって自由でしょ? 私はあんたの嫁でもなければ彼女でもないわよ。好きにしたらいいじゃないの?!」

 なぜかイライラしている。自分がおかしい。言動と行動が伴ってない。まるで言ってほしくないかのようだ。バレる、バレないか。雪菜は興奮したまま、話を終えてそっぽを向いた。

 数分後、雪菜の部屋のベランダに飛び移って雅俊がやってきた。コンコンと窓をノックする。
 はーと息を吐いて、窓にハートマークを描き始めた。この人は一体何をしたいんだろう。

 窓の鍵を開けて、雪菜は急いで、雅俊の描いたハートを手で消した。


「思ってもないくせに、描かないで!!」
「何、怒ってるんだよ?」
「怒ってない!」
「怒ってるって」


迂闊だった。窓の鍵を開けたため、雅俊が部屋の中に入ってきた。


「なあ、落ち着けって」

 怒りにまかせて、呼吸が荒い雪菜の腕を掴む雅俊。

「雪菜、そんなに俺が緋奈子先輩と付き合うのが気に食わないの? 雪菜は平澤先輩と付き合ってるんじゃないの?」
「……そ、そうだよ。凛汰郎くんと付き合ってるよ? 雅俊は、緋奈子と付き合うんでしょ? それでいいじゃない。何が問題あるの?」
「雪菜、お前、泣いてるぞ?」

 雅俊は、冷静になって雪菜を見る。目から涙が滴り落ち、苛立ちも全面に出していた。
「め、目にゴミが入っただけよ! 放っておいて……」

 顔を見せないよう、後ろを振り返り、涙を止めようとしたが止まらない。

「雪菜、自分に正直になれよ。うっっ……」

突然、雅俊の背中に妖怪子泣き爺のような重さが乗っかった。

「まーくん!! ここで何してんの? ゲームは?!」

背中に徹平が乗っている

「あ、い?! 徹平か? ゲーム? あー、最近してないよね。したかったのね。でも、待って。
 姉ちゃん、泣いてるからさ。お、落ち着いてからで……」

 するとさっきまで泣いてたかと思った雪菜は机に戻り、冷静さを戻して、宿題に取り掛かっていた。

「……私は平気。ゲームしたら?」

突然、ピリッとした空気になる。

「ゲーム!!」
「あー、はいはい。わかったわかった。徹平の部屋行って良い?」

 雅俊は、徹平に気持ちを入れ替えて、雪菜から離れていった。雅俊は徹平をおんぶしたまま、徹平の部屋にいく。弟の前では強気になる雪菜だ。本当の自分を出せなかった。おもむろにスマホを開いて、ラインのメッセージを凛汰郎に送ってみる。

『私のこと好き?』

なんて、ストレートすぎるかなと思いながら照れた顔をさせた。すぐに返事が返ってくる。

『うん』

ただそれだけのスタンプも何もない。凛汰郎は恥ずかしくて文字に表せなかった。でもなんか求めていたのはそんなんじゃない。自分はどうしたいんだろう。どこか埋められない心を置き去りにして、夜は過ぎていった。