スマホの画面に電話通話のボタンが映る。左に緑の通話ボタン、右に赤い通話ボタン。凛汰郎は、洗面所の鏡の前、フェイスタオルで髪をワシャワシャと拭いていた。お風呂に入って出てきたばかりだった。

「凛汰郎! 電話鳴ってたぞ」

 凛汰郎の父 平澤大河《ひらさわたいが》が、リビングに置いてあったスマホを手渡した。

「あーああ」

 壁からじーと凛汰郎を見る。

「女の子からか?」
「うっせー」
「こわっ!」

 花屋を営む父は、5年前に母の平澤愛菜《ひらさわあいな》を癌を患い、亡くなった。
 それから凛汰郎と4歳年下の女 平澤 柚樺(ひらさわゆずか)とともに3人で過ごしていた。
 凛汰郎が反抗期がまともになかったため、大河は、内心、今が反抗期かとひやひやしていた。

「親父、ちょっと出かけてくる」
「ん? 何かあったのか?」
「何かが無いと出かけてダメなのか」

 目が怖かった。親でも怖い。

「ですよねー。そうですよね。出かけたいときもありますね。どうぞ、お気をつけてー。22時前には帰ってくるんだぞ」
「ああ。わかってるよ」

 大河は、ため息をついては、腕まくりをして、台所の洗い物を片づけた。お年頃のお相手は大変だなとしみじみ感じる。玄関のドアがバタンと閉まった。


◇◇◇

 凛汰郎は、長袖Tシャツとハーフパンツのラフな格好で、自転車を漕いだ。風呂上がりで、シャンプーのいい香りがしていた。風呂に入ったのに、運動して汗をかいてしまうなと心配してしまう。

 自転車がキーキーと鳴った。ブレーキをかけて止まった。真っ暗な夜の公園、電灯がぼんやりと光る。
 
 ブランコに座って何度も揺れている後ろ姿があった。車の走る音が響く。隣のブランコにそっと座った。

「夜に早速お呼び出しですか……」
「……わぁ!?」
「ビビりすぎ……」
「早かったね」
「立ちこぎしてきたから。風呂入ったあとなのに、汗かいたわ」
「ごめん」
「いや、別にいいんだけど……」

 失言だったと反省する。しばし沈黙が訪れる。

「夜遅くに危ないだろ」
「うん、そうだね」
「……何かあったのか?」
「急に会いたくなって……」

 必死に笑顔を作ろうとしたが、目から涙がこぼれる。

「数時間前に会ったばかりだろ。しかも、今日から付き合うって言ったけどさ……。泣くほどのことじゃない……」

 顔をのぞき込む。

「ごめんね、ごめんね。何かおかしいよね。迷惑だよね」
「迷惑じゃないけど……」

 鼻をすすって気もちを切り替える。凛汰郎は、そっと雪菜の背中をトントンとなだめた。

「深呼吸、深呼吸」
「ひ、ひ、ふー」
「出産か?!」
「違うよ!」
 
 自分でやってて恥ずかしくなる雪菜。笑いがとまらなくなる凛汰郎。普通に笑うんだとほほえましくなった。
 笑い終えて、凛汰郎は、はーと息を吐いて空を見上げた。

「今日、満月だな」
「うん」
「月に願い事いうと叶うらしいよ」
「そうなんだ」
「絶対信じてないだろ」
「うん」
「ひどいな」

 雪菜が少しずつ笑いはじめた。それを見て、安心してきた。本当は、凛汰郎も心を打ち解ければ、普通に会話できる。隠していた性格だ。いじわるをすることが少なくなった。ブランコに座って話しているのを、バイト帰りに通りかかった雅俊が、自転車に乗り、足でとめて、近くで見ていた。


 自分の前では見せない雪菜の笑う表情を見て、敗北感を感じ始めていた。
 
 
「んで、なんで泣いてたんだ?」
「……なんだったっけ。話してるうちに忘れちゃった」

 本当は忘れてはいない。忘れたふりした。でも、気持ちは落ち着いた。

「嘘、だろ?」
「……」

「ま、いつも心配事は誰にも相談しないで一人で解決するタイプだもんな」
「な、なんでわかるの?」
「話してないけど、部活で見てたから。大体の行動パターンは読める。でも、なんで俺、呼ばれたかはわからない」

 その言葉に雪菜は、凛汰郎の腕あたりのシャツをひっぱった。

「え、近い」

下を見て前髪で顔を隠した。そして、すぐに顔をあげて、じっと見つめた。

「な、なに……」

 雪菜が顔を近づける。突然火をふくように恥ずかしくなってささっと距離をとった。

「?」

 よくわからず、首をかしげる。

「そろそろ、帰るわ。門限あるし」

 凛汰郎は、立ち上がり、自転車のスタンドをあげた。
 雪菜は、少し不満そうに眉毛をさげた顔をする。
 
「呼び出してごめんね」

 凛汰郎の後ろを追いかけていう。

「あ、わすれてたわ」
「え、なにを?」

 雪菜は、ブランコのある方を向いて振り向いた。何も忘れ物なんてなかった。自転車を持ちながら、凛汰郎は、軽く、雪菜に口づけた。耳まで真っ赤にして雪菜は、手で口をおさえた。望んでいたことだった。
 塗り替えたかった。本当の自分は何かと。雅俊にされたキスがチャラにはできない。
 でも、本当の気持ちを知ることができた気がした。

「さ、帰ろう帰ろう」

 ご機嫌になる凛汰郎の自転車のからからとチェーンが回る音が響く。恥ずかしさを残したまま、手を振って見送ろうとした。

「何やってんの? 送るから」
「え、あ。そっか。ごめんなさい」
「夜道を一人にするわけないっしょ」
「……そうなんだね。ありがとう」

 凛汰郎は、自転車を押しながら、雪菜のうちまで送り届けた。一緒にいるこの時間がずっと続きますようにとさえ思った2人だった。