ソネットフレージュに魅せられて

「いらっしゃいませ」

雅俊は、コンビニの白の青のシマシマの制服を着て、レジ横に立っていた。

「あのさ、タバコ」
「はい、どちらのおタバコにしますか?」
「マイセンで?」
「はい? マイセン、すいません。番号でおっしゃっていただきませんか?」
「だーかーら!!」

 奥の方から店長の渋谷が大きな声を聞きつけて出てきた。

「はいはいはい。どした、どした?」
「店長、お客様が」
 
 額に筋を出しながら、聞く。

「ちょっと、あんた、店長なの?」
 横柄な態度をとる小太りのお客が話し出す。

「はい、いらっしゃいませ。どうなさいましたか?」
「マイセンって言ってんのに、番号で言えって、どういう教育してんの?」
「大変申し訳ございません。高校生なもので、指導力不足でございました。お客様がおっしゃいます『マイセン』は『マイルドセブン』というおタバコの銘柄ですね。現在、名称が変わりまして、『メビウス』というものがありますが、こちらでよろしいでしょうか?」
「え?!まじで?! 名前変わったの? そっか、仕方ないな。何、め?メビ?」
「こちらが『メビウス』です。」

 店長は棚から、青いパッケージを取り出した。

「んじゃ、それの5mgちょうだい。」
「かしこまりました。はい、齋藤くん、レジしてくれる?」
「あ、はい」

 雅俊は、慌てて、タバコを受け取り、バーコードをスキャンした。お客さんはブツブツと文句を言いながらも財布から小銭をジャラジャラと出した。

「こちらは500円です」
「ちょっと、こっから取ってくれる?」

 雅俊は面倒ながらも、100円玉4枚と50円玉1枚10円玉5枚を分けて、提示した。

「こちらの500円でよろしいでしょうか」
「ああ。」
「ちょうどお預かりいたします」

 レジスターに小銭をしまって、商品のタバコとレシートを手渡した。

「ありがとうございました」


 無事にお客さんが帰っていく。雅俊は、誰もいない店内でため息を大きくついた。

「店長、あのお客さんなんですか。超面倒臭いですね」
「タバコの銘柄ね、昔流行ったマイルドセブンってあるのよ。それをマイセンマイセンって略していう人いたからさ。でも、それ、もうどこにも売ってないわけよ。ああいう人時々いるから気をつけてね」
「そうなんですね。タバコも覚えるの大変っすよ。電子タバコ銘柄もあるし、ややこしいっす」
「そうだね。まぁ、基本は番号で言ってもらおう。間違えちゃうから。さっきみたいにわからなくなったら、また呼んでね。俺、あっちで仕込みやってるからさ」
「了解っす。ありがとうございます」

 雅俊は、レジを抜けて、棚卸し作業に移動した。ちょうど、配送トラックが到着したところだった。すると、出入り口の自動ドアが開いた。

「いらっしゃいませ」

 棚卸し作業をしながら、声を出した。歩く様子が背中で感じられた。パッと振り向いて、後ろを通りかかったお客さんを見ると、
 同じ学校に通う3年の平澤凛汰郎だった。手には売り場から持ってきた炭酸ジュースのペットボトルをしっかりと持っていた。

「あ、先輩」
「…………」

 凛汰郎は雅俊だと気づいていたが、知らない人の素ぶりをした。陽気な雅俊があまり好きじゃなかった。

「無視っすか。別にいいっすけどね」
 
 届いたばかりのおにぎりの棚にどんどん補充していく。

「あんた、白狼の何だよ」
「え、急に話すの? えっと…。彼氏かなぁ? ってそうなれるといいなって思ってるんで、邪魔しないでくださいね」

 声の調子が急に低くなった。下の棚を並べていた体をおこして凛汰郎の前にたちはばかる。身長が少しだけ雅俊の方が大きかった。

「そちらの商品をお買い上げですか?」

 突然、後輩の態度から店員にモードを変えた。凛汰郎はレジ横の棚にペットボトルを置いた。目の前に雅俊がいるにも関わらず、ベルを鳴らした。

「お客様、こちらにいます!」
 
 雅俊が体を曲げてアピールする。

「チェンジで!」

 指で合図する。

「キャバクラか!?」
「ちっ……」

目と目で睨みあいのバトルが始まる。まるでコブラとマングースのように、はたまた犬と猿の喧嘩のように火花が飛び散った。
それに気づいた渋谷店長がささっと、凛汰郎が持ってきたペットボトルのバーコードを読み取った。

「お客様。お待たせしました。こちらは、150円です」
「はい。これでお願いします」

凛汰郎は財布からプリペイドカードを見せた。

「プリペイドカードですね。スライドしていただけますか?」

店長は2人の睨みあいを気にせず、レジ作業に没頭した。凛汰郎は手元だけ素直に言うことを聞いていた。

「お買い上げありがとうございました」

渋谷店長は、雅俊の頭をぐいっと下げて、丁寧にお辞儀を同時にした。凛汰郎は鬼のような目でこちらを見ながら、静かに立ち去って行った。


「ちょっと斎藤くん。公私混同しないでもらえるかな? 他のお客様にも影響するから」
「す、すいませんでした。気をつけます」

 反省しつつ、棚卸作業に戻る雅俊だった。コンビニの中から煌々と光るLEDライトが、外の駐車場を照らしていた。凛汰郎は、道端に転がる石ころを蹴飛ばしながら、つまらなそうな顔をして、ペットボトルの飲み物をぐびぐび飲び、家路を急いだ。
コオロギが静かに鳴いている。秋の虫が増え始め、昼間の暑い時間がだんだんと短くなってきた。

学校の教室。季節問わず、今は風邪をひく生徒がいるためか、何席か空いている。

朝は涼しくなってるとは言えど、日中はまだまだ30度を超えている。

うちわやせんす、下敷きで仰ぐ生徒がところどころいる教室に龍弥は、数学の授業をしていた。

「この二次関数の問題は次のテストで出すから公式をしっかり覚えておくんだぞ」

黒板に例題をスラスラと書いて、教卓の上に重ねて置いたプリントを配り始めた。

「まだ時間あるから、今日はこのプリントを解いて終わりな」

5列に並べられた机の先頭にそれぞれ5枚ずつ配った。

「先生!欠席の人の分で余りました!」
「ああ、悪い。今、取りに行く」

 龍弥は、座席の間を通り抜けて、取りに行く。途中、相変わらず、板書をせずに頬杖ついて、龍弥をずっと見ている杉浦美琴がいた。もちろん、龍弥自身も教師として困っていた。龍弥が通りかかろうとするとわざと消しゴムを床に落とした。

「あ……」
「杉浦、消しゴム、落ちてるぞ」

拾ったのは龍弥でなく隣の席の大野康孝《おおのやすたか》だった。杉浦は消しゴムを拾って舌打ちをした。本当は先生に拾ってほしかった。

「なんだよぉ。せっかく拾ったのに」
「どうした?」
「なんでもないで~す」

杉浦は笑顔で振り切った。大野に対しては怖い顔で睨みつける。大野は面白くない顔をして黙っていた。


なんとなく状況を読めた龍弥は、大野のそばに近づいて、肩をそっとなでた。

「ありがとうな、大野」

具体的には言わなかったが、察したようだ。

「俺は平気っす」

龍弥は、杉浦の行動に手を焼いていた。そろそろ、収束させないとと思いながら、授業を終えた。

「起立、注目、礼」

終了のチャイムが鳴る。教室内の椅子がガンガンとあたる音が響く。

「杉浦! ちょっと」

龍弥は、手招きして杉浦を呼んだ。階段の踊り場で話し始める。

「最近もまた、授業態度がよろしくないぞ」
「えー、別にいいじゃないですか。テストは高得点とってるわけだし」
「確かに点数とれてるのはいいと思うよ。でもさ、ここ学校だし、教室だから、規律を守ってもらわないと!」
「そういいますけど、先生が高校生の時はどうだったんですか? 私みたいのはいっぱいいたんじゃないですか?」
「……確かにいたかもしれないけど、過去と今は違うだろ? さっきの消しゴムの件も、見てたからな。わざとだろ?」

 出席簿を軽く杉浦の頭に乗せた。

「げげ、見られてた。だって、先生に拾ってほしかったんだもん」
「そう、そういうの本当にやめてもらえる?」

 杉浦は龍弥のワイシャツをくいっと引っ張る。

「えー、やだやだ。 私、先生のこと好きなんだもん。相手してほしくて、そうするの。わかってよ」
「杉浦、俺、教師。お前は生徒。それに結婚してるから、無理。好きになるのはうれしいけど、受け入れられないよ?」
 
 杉浦の鼻を指さし、自分の顔を指さす。持っていた教科書類を持ちかえて左手の薬指につけた指輪を見せつけた。

「やだやだやだ」

 小さなこどものように駄々をこねる。杉浦はどさくさまぎれに龍弥のおなか周りをハグした。

「だからさぁ。タイムスリップでもして、俺の高校生の時に現れて! 今は本当に無理」
「え、高校生の時に会ってたら付き合ってた?」
「んー-、可能性はゼロじゃないけど、今の嫁さんもいるから見込みは少ないかな?」
「むー---……。結局無理じゃん」

「ほらほら、次の授業始まるぞ。こんなおじさん相手にしないで、身近なクラスメイトとか学校の先輩とかにしろよ。俺にかまうな? な?」

「先生みたいな、かっこいい人いないもん。好きになれないし。もっさい人好きじゃないし」
「人を見た目で判断するなよ。外見はいくらでも変えられるんだぞ。もっさい人だって、こんなふうになるんだから。って、俺の場合はあえて地味なかっこうになってたんだけどな。地味な人ほどかっこよくなるのを見たらおもしろいぞ?」
「なるほど。そういう手があったか。私色に染めるってことね。ってことは、大野がちょうどいいな。めがねかけてるし、髪のこと全然気にかけないし。やってみようかな」

 半ば気持ちが大野にシフトチェンジしたようでスキップして教室に戻っていく。龍弥はその姿を見て安堵していた。
 お年頃の高校生を納得させるのも至難の業だと思った。
校舎のカザミドリが、いつも以上に強く風が吹いて勢いを増していた。
お昼休みのチャイムが鳴った。

授業を終えた生徒たちが、一目散に購買部に駆け出している。
教室のあちらこちらの引き戸が、大きな音を立てて開いていく。
雪菜はようやく松葉杖から解放されて、健康的な日常を取り戻していた。
机の脇にかけていたバックの中から長財布を取り出した。

「雪菜、今日購買部行くの?」

 緋奈子が声をかけた。

「うん。久しぶりにパンでも買おうかなって。お弁当今日、持ってきて無いから」
「雪菜の好きなパンは人気だから難しいかもよ?」

2人は廊下で話しながら、購買部へ行く。その声を座席で聞き耳を立てながら、聞いていたのは凛汰郎だった。

(俺も、購買でも行こうかな)

バックから財布を取り出す。

「ねぇねぇ、凛汰郎くん」

クラスメイトの伊藤あゆみに声をかけられた。

「ごめんね、初めて話しかけるんだけど、君の家ってお花屋さん?」
「え……」
「先週の土曜日に母と一緒に花、買いに行ったとき、直接話してなかったけど、ちょうど君が部活から帰ってくるところ見かけたの」

 後ろ頭をガリガリとかいて、照れ臭そうに話す。

「あー。うん。そうだけど」
「え!? マジで?!」

 その話を聞いていたのは2年の斎藤雅俊だった。コンビニで飲み物を買った以来犬猿の仲だった。
 
「お前のうち、花屋なの?」
「……」

突然、後輩が先輩の教室に入ってきて、話に割ってくる神経が気に入らない凛汰郎はだんまりを続けた。

「なるほど~」

雅俊は、雪菜の机に寄りかかって顎に指をつけた。

「だから、あの花……。だよな、急に、男が花を持って行ったらキモイよなぁ。花屋って聞いて安心したわ」
 
 独り言のようにぶつぶつという雅俊。隣にいた伊藤あゆみも反応する。

「斎藤くん、急にどうしたん?」
「え、伊藤さん。この人知ってるの?」
 
 凛汰郎は、指をさしていう。

「えっと、元部活で一緒だったのよ。中学の時、同じ学校で。先輩、後輩」
「伊藤先輩こそ、ここのクラスだったんっすね。知りませんでしたよ。今日は、雪菜に会いに来たんですけど、いないっすね。購買でも行ったのかな」
 
 窓際に駆け寄って、外を眺める。

「……というか、あんた、送ってもない花で名前、名乗っただろ」
「あ……。やっぱり、あれ、先輩だったっすね。ここでバラすんですか? 本人いないけど、大丈夫です?」
「俺じゃない」
「またまた強がっちゃって……。でも、俺の性格ではあんなことしないかな。なんとなく、陰キャラがしそうかなぁって……。黙っておくってことは俺しないし」

 喧嘩を売るように話す雅俊の頬に強烈なパンチが入った。

罰悪くその良くないシーンで、雪菜が緋奈子とともに購買で買ってきたビニール袋を持って、教室出入り口で目撃していた。

「は? なにすんだよ!?」

 雪菜が来てるとは知らずに乱闘騒ぎになる。横では伊藤あゆみが雅俊をとめて、その隣では凛汰郎の両腕をおさえる
 五十嵐竜次がいた。慌てて、雪菜がもめている中の間に入った。

「ちょっと2人とも、やめて。原因は一体何なの?」

 息が上がって、両者とも頬は赤くなる。お互いに黙ったまま、何も言わない。

「そうやって、黙るの良くないと思うんだけど……」
「……さっき聞いてた話では、花がどうたらこうたら言ってたよ」

 伊藤あゆみが声を出した。
 
「花?何のことだろう」
「凛汰郎の家が花屋なんだってさ」
 
 竜次が興奮した凛汰郎をなだめながらいう。

「え……」

 なんとなく、花と聞いて思い出すのは、雪菜が入院していた時にもらった
 お見舞いの花束。雅俊から受け取ったはずだけども、この2人が殴り合うということは何かがおかしいと察した。

「もしかして、入院中に届けてくれた花って雅俊じゃなくて、凛汰郎くんなのかな?」

2人とも何も言えずにずっと黙っている。いたたまれなくなって、凛汰郎は廊下に飛び出していった。

「雅俊、嘘ついていたの?」
「そんなの知らねぇよ」

 そう吐き出すと教室を出て行った。
 クラスメイトたちは、なんだかもやもやした空気の中、それぞれの座席に着席した。

「雪菜、モテモテだねぇ」
「そんなじゃないでしょう、別に」
「え、付き合ってないの?」
「えーだって、誰と?」
「雅俊くんとじゃないの?」

 雪菜はまさかと首を横に振った。

「幼馴染だよ。近所だし」
「あ、わかった。んじゃ、凛汰郎くんと?」
「ブッブー。部活が一緒ってだけ。違います」
(そうなれたらいいなぁとは思うけど、緋奈子にはまだ黙っておこう)

「もう、高校生活あと少しで終わるんだから、恋の1つや2つ、進展させてみようよ」
「努力します!」

 雪菜は机に両手をついて、軽く緋奈子にお辞儀をした。
 購買部で買ってきた大きいパンを大きな口を開けてほおばった。コーヒー牛乳がのどを潤した。
 まさか、雅俊と凛汰郎が乱闘するとは思わなかった。
 なんとなく、教室を飛び出した凛汰郎が気になって、パンを食べ終えると、凛汰郎の後を追いかけた。
 昼休みの廊下は生徒たちの会話でざわついていた。
雪菜は口元にパンかすをつけながら、凛汰郎を探そうと教室から廊下に出た。
どこにも姿はなかった。

昼休みに行きそうなところを考えて、石畳が広がる中庭に行ってみると、そこにはひとりで購買部のパンをベンチで食べる凛汰郎がいた。今まで、同じクラスで、2人きりになって話したことはなかった。部活では、多少部活動で話さなければならないが、個人的な会話をするのは初めてだった。近づくだけでドキドキがとまらない。

屋上から飛び立ってきたハトが、凛汰郎の近くにやってきた。
あまりにも大きいパンだったためか、一口ちぎって、ハトの餌にしようとしていた。

「あ!」
「え、あ……ん?」

急に声をあげた雪菜にびっくりした凛汰郎は、ちぎったパンを自分の口にいれた。 

「えっと……隣……」

 雪菜は隣を指さした。

「?……どうぞ」

 なんでここに来るのかと状況が読めなかったが、言われるまま要求をのんだ。

「ありがとう」

 授業を受けている雪菜は部活をしているときと違って、さらりと髪をおろしていた。シャンプーなのか、制汗剤なのか、移動するたびにふんわりといい匂いがした。凛汰郎は、少し頬を赤く染めた。

「聞いてもいい?」
「ああ……」
「凛汰郎くんの家って、花屋さんなの?」
「……まぁ」
「いいね。花に囲まれてて。私、花好きだから。そういや、この間の入院中に持ってきてくれたの花って凛汰郎くんなんだよね?」
「え、違うけど。俺、行ってないし」

 目がキョロキョロ動いて、話している。

「……嘘つくの下手だね」

 クスクスと笑って、口元をおさえた。

「行ってないでしょう。会ってないし」
「ありがとう。ソネットフレーズだっけ」
「違うよ、ソネットフレージュ」

 雪菜はさらに笑った。雅俊と同じ間違いをしていた。そして、花を贈ってくれたのは凛汰郎なんだと確信した。

「やっぱり、凛汰郎くんだ」

 笑いながら、目に涙を浮かべた。

「な、なんで笑うんだ」
「ごめん、ごめんね。面白くて。花の名前間違うのが、雅俊と一緒だったから」
「え、間違ってないし。だって……。あ……」
 
 凛汰郎はスマホをズボンのポケットから取り出し、検索ワードに『ソネットフレージュ』と打ち込んだら、花が一つも出てこない。
 改めて、『ソネットフレーズ』と打ち直したら、一番上に写真つきで表示された。

「ほら、名前、違うでしょう?」

 雪菜は、凛汰郎が見ているスマホをのぞき込んで指さした。かなりの至近距離で、ささっと体を遠ざけた。
 顔や耳までが真っ赤になっていた。一瞬、凛汰郎の耳元に吐息がかかっていた。

「あ、ごめんね。近いよね。気をつけます……」
 
 背筋ピンとして、座りなおした。

「こ、こっちであってるんだな。勉強になった。花屋の息子なのに知らないのは親父にしずられるから助かったよ」
「ん? お父さんかな。しずられるの? 怒られるんじゃないんだね。楽しいそうな家族……」
「……話し過ぎた。そろそろ、教室もどる」

家のことを話すのは恥ずかしかった。凛汰郎は、顔を赤くしたまま、立ち上がって、教室に戻っていく。

「え、待って。同じクラスなんだし、一緒に行こうよ!」

凛汰郎は黙って、すたすたと歩く。雪菜はその後ろを3歩ほどさがってついていく。背中で手を組んで、少し心がホクホクとあたたかくなった。隣じゃないが、一緒の方向に歩いてるそれだけでうれしかった。

教室につきそうになると、突然、女子グループに囲まれた。

「すいません、3年の白狼雪菜先輩ですか?」
「え、あ。そうですけど」

びくびくと恐れながら、返事をした。背の高い眼鏡をかけたショートカットの女子生徒は、仁王立ちしていた。

「先輩は、斎藤雅俊くんと付き合っているんですか?」
「え? 雅俊? 幼馴染で付き合ってはいませんけども」
「みんな、付き合ってないって。大丈夫じゃない?」
「え、あのあなたたちは?」

ひそひそ話をする女子たちは、雪菜を囲む。

「私たち、斎藤雅俊君のファンクラブです。彼女になるには、ファンクラブに入ってからみんなに認められて、初めてなれるんです」
「どんな決まり? 雅俊の気持ちは置き去りなのかな」
「それは、本人が決めることなので、先輩には関係ないです」
「そうなのね」

 雪菜はあきれた顔をする。ぞろぞろと斎藤雅俊ファンクラブのみんなはいなくなった。
 雪菜は、一瞬で一人になって廊下から教室の窓の風が吹くと猛烈に寂しくなった。
 教室に入ると同時にチャイムが鳴る。

「雪菜、大丈夫?」
 
 緋奈子が聞くと、雪菜は深呼吸をして、座席に座った。

「うん。まぁ、何とか。雅俊にあんなファンクラブ出来てたとは」
「モテモテだねえ。雅俊くん。雪菜、付き合うってなったらライバルがたくさんだわ」
「なおさら、無理だよ。ファンクラブの人たちににらまれそうだもん」
「確かに……」

 その様子を見ていた凛汰郎は、口角をあげて、笑みを浮かべていた。
まったりとした夜ののんびりタイム。雪菜は部屋で今日の学校の宿題である
英語の教科書の日本語訳を必死で辞書をひきながら、解いていた。

徹平の部屋からナイスやちくしょーなどゲームをする声が響いてうるさかった。いつもだと、ヘッドフォンをして静かにゲームしているはずなのに、今日はやけに声が大きい。インターネットをつないでやってるオンラインのはずが声が2倍ですごく大きく聞こえる。

宿題に集中できないと思った雪菜は、バンッと英語のノートの上に辞書を置いて、徹平の部屋にノックなしで入って行った。

「ちょっと!徹平!!! ゲームの音大きいんだけど、宿題するからもう少し音小さくしてもらえないか……な。あ、あれ?」
「ちぃー--す」

 スマホをポチポチといじりながら、徹平のとなりにいたのは、雅俊だった。オンラインでゲームしている声だと
 思ったら、実際にこの部屋に入っていた。

「ちょっと姉ちゃん、ノックもなしに入ってこないでよ。俺が着替えてたら、どうするんだよ。恥ずかしいでしょう」
「誰が恥ずかしいか。というか、雅俊いつからいたの?」
「ひ・み・つ」

 口に指をあてて、投げキッスをする雅俊。思いっきり嫌な顔をする雪菜。

「ほら、てっちゃん、ゲーム始まるよ。準備して。次はてっぺんとってやるからな。100人切りしてやるぞ」

 銃で敵をやっつけるシューティングゲームを夢中になってやっていた。
 
「はいはい。まーくん。俺のフォローよろしくね」
「わかってますよ。任せとけ」
「ちょっと、2人とも私の話聞いてる? 大きい声出さないでね」
「はいはーい」
「それ絶対聞いてない返事。というか、雅俊、平然とそこにいるけど、あんたのファンクラブだかなんだか、しっかりしてよね。今日、私、ファンクラブ隊長みたいな人に睨まれたんだから」
「は? なにそれ。俺、知らないよ?」
「本人が知らずところでファンクラブができるって? そんなまさか。怖い怖い」
「俺はモテるってことだな。モテる男はつらいぜ。な、徹平、気をつけろよ」

 髪をかきあげる雅俊は、徹平の肩をバシッとたたく。

「ちょっといいから。スマホ、しっかり持って。銃口向けて、打って。敵来てるよ?」
「お、おう」

 2人でオンラインゲームに夢中になっている。雪菜は呆れて、部屋を出た。

「まったく、男子ってやつは……」

 ぎゃーぎゃー騒ぐ徹平の部屋をもう気にせずにヘッドフォンをつけて、宿題に集中した。
 今日は週末の金曜日。明後日の日曜日にある試合に向けて、やっておくべきことはやっておこうと思っていた。

スマホにライン通知の音がなった。

『試合のお知らせ』のタイトルに集合時間とバスの発車時刻が書かれていた。外部委託のバスが手配されていて、朝早くに集合となっていた。今回の試合は個人戦と団体戦が行われる予定だった。雪菜は今回の試合が3年で最後の出場の試合だった。 事故でけがした足もすっかり治っていて、試合に出れることに喜んでいた。
 
 でも、まだ体の調子が戻っていなくて、練習で放った矢の的が落ち着かず、真ん中に当たらず、外れることが多かった。
 凛汰郎とだんだんと自然な会話ができるようになっていた。的が外れていることを気にかけてくれていて、

 「今日は風が少しあるし、たまたまだろ」

と励ましてくれた。

 いつもだと、外れてよかったなといじわるを言われていたのになんだか、入院してはなれてから優しくなっていた。なんでだろうと疑問をもちながら、何度も矢をひいていた。机の上で頬杖をついて、部活のことを思い返すと、笑みがこぼれてしまった。

ドアの隙間から雅俊が雪菜をのぞく。

「きもっ」
「は?! 人の部屋、勝手にのぞくのやめてもらえる? 用事が済んだら帰って!」
「ひど。お客様にその態度。なんて日だ!!」
「い、いやいや。そのタイミングで小峠さんなんて面白くないから。はやく、どうぞ。ご帰宅くださいませ」

 雅俊の背中を押す雪菜は、階段をおりると電子タバコの一服に行こうとするスーツ姿の父の龍弥と鉢合わせする。

「あれ、雅俊、いつの間にいたの?」
「えっと、昔から?」
「は?!」

 なぜかガチギレする龍弥に雅俊は、失言だったと、慌てていた。

「ご、ごめんなさい。お邪魔しましたぁ」
 
 そそくさと、その場から逃げ出していく。慌てて履いた靴が半分かかとの部分をつぶしていた。

「別にいいんだけどさ。家上がる前に、声かけろよ。徹平、あいつに言っておいて」
「まーくん、俺の部屋の窓から侵入してたから……」
「はぁ!? 住居侵入者だな。徹平も、ゲーム楽しいのわかるけど、勉強を疎かにするなよ?
 中学生だって、難しい問題これからたくさん出てくるんだからな」
「……ほーい」

 徹平は自分の部屋に駆け上がっていく。龍弥は灰皿がある外に一服に向かった。呼吸を整え、空に煙を吐く。
 
夜空には下弦の三日月が光っていた。



○○○


早朝の学校にて、雪菜を含めた弓道部の部員たちは、バスに乗り込んでいた。座席は、なぜか、凛汰郎の隣になっていた。部長と副部長だからと理由だからと言われていたが、納得できなかった。そう思う反面、本当は隣になれてうれしかったりする。


「出発するよ? 忘れ物ないよね?」
「はーい」

顧問の白狼いろはは、運転手の小林さんの近くに座って、発車するよう、うながした。
雪菜は、窓際で、ほぼ外しか見れない。何を話そうか迷っていた。

「今日、遅刻してないな」

ぼそっと話したのは凛汰郎の方だった。

「え……。うん。さすがに試合だから、今日は親に起こしてもらって車で送ってもらったよ。実は、寝坊……してたから」
「……あ、そう」

 バスの通路側に顔を向けて、手で顔が見えないように隠した。凛汰郎は笑ってはいけないと体が震えていた。

「凛汰郎くん、笑ってもいいよ? 怒らないよ?」
「別に。笑ってないし……」

 そういいながら、顔を腕で隠す。

「先輩、何の話で盛り上がってるんですか?」

 菊池紗矢が後ろの座席に座っていた。にょきと頭を出して、2人に聞いてきた。

「紗矢ちゃん。なんでもないよ」
「なんだ、つまらないな」
「ごめんね、何もなくて」

 すっと横を見ると、無表情の凛汰郎が見えて、逆にその姿に雪菜は笑いをこらえるのは難しかった。紗矢の前では、素の姿を見せたくなかった。またその様子を見た紗矢は楽しそうでうらやましいと思った。

試合会場につくまでに終始和やかに過ごしていた。
弓道の試合会場は、県内の高校生が集まるため、駐車場も広く、花壇や針葉樹など植えられていて整っていた。天候にも恵まれて、気持ちもどことなく晴れやかだった。デザイナーが設計されたのか、斜めに下がる屋根の黒い建物の中に 皆、弓道道具を持って、次々と中へ入って行った。

保護者などの観客は、体育館ホールの座席があった。バスとは、別に雪菜の両親は、自家用車で後を追いかけては、上の方に座り、様子を伺っていた。

「なんだか、こっちまで緊張してくる。 いろはちゃんの時はどうだったんだろう。雪菜、大丈夫かな」

 菜穂は、手元にハンカチを握りしめて、座席からそわそわと立ったり座ったりと袴姿の雪菜を目で追いかけた。

「緊張しすぎじゃない? 菜穂が参加するわけじゃないんだから」

 龍弥は、菜穂の背中をよしよしと撫でて、落ち着かせた。

「いろはの試合の様子は、見たことないけど、じいちゃん、ばあちゃんに聞いた話では、あいつは、本番でも堂々とした姿してたって言ってたわ。ま、雪菜もおっちょこちょいなとこあるけど、ああいうのは、平気なんじゃないの? そうでなければ、部長つとまらんでしょう」

「そうなんだ。やっぱり、雪菜が弓道やりたくなったのっておばちゃんの影響あるんでしょう。いろはちゃん、全国大会まで行ったって聞いたから。県大会優勝トロフィー見て、すごいねって感心したのを雪菜が小学生の時に見てたから」
「へぇ、そうなのか。それは初めて知ったかもな。学校での部活は見たことないし、
 実際の弓道見るのも初めてだからな。しっかり動画撮らないと……」

 龍弥は、ズボンのポケットからスマホを取り出して、準備していた。電子掲示板に第一射場の男子団体戦メンバー5名が
表示された。雪菜と同じ高校の生徒の平澤凛汰郎をはじめ、1年2年の部員生徒たちが書かれていた。

 試合では、1人4射ずつはなたれ、的にあったら○となり、外れてしまったら、×となる。
 その○になった数で競い合う。5人で4射で平均12射以上打てれば、成績が良い方だ。

 凛汰郎が一番先に放つ大前というポジションだった。大前は、一番最初の1射目を中てることで流れを作る。チームの主将やエースがこの役回りになることが多い。

 3年で副部長でもある凛汰郎は、動じることもなく、集中して、射法八節を繊細かつ、一つ一つを大事に行動していた。 例に見習って、後輩たちも緊張感が増し、集中して、矢をひくことに専念できた。

 ただ、お互いの協調性がいまだ打ち解けていないらしく、矢を的に当てられるが、神経が途切れて、落ち前の2年 佐々木大我《ささきたいが》と落ちの1年 長谷川晴也《はせがわはるや》が4射中2射を外してしまっていた。他の大前の凛汰郎は全的を中てて、○は全部に記していた。弐的の2年鈴木 奏(すずきかなた)は、4射中、3射を打ち、中の2年及川 浩平(おいかわこうへい)は、4射中、4射中っている。本来ならば、中ったときに褒めたり、喜んだりするべきなんだろう。凛汰郎は、人に媚びを売るのを恥ずかしいと思っているため、ただ、副部長として、拍手を送ることしかできない。
  
  後輩たちは、それを不満に思うことが多かった。それでも、自分は自分と考える及川は、目の前の矢に集中して、楽しく競技に参加できていた。

 試合がすべて終わって、休憩していると、及川は凛汰郎に声をかけた。

「平澤先輩、俺、初めて大きな試合参加したんですけど、めっちゃ楽しかったっす。なんだか、全然違うんすけど、スマホのあれ、ほら、オンラインゲームの銃向けるのあるじゃないですか。この弓道もそれと似てるなって楽しめました。知ってます? ナイズドアクト」

 それは、雅俊と雪菜の弟の徹平もハマってるスマホのバトルロワイヤルオンラインゲームだった。

「ああ。知ってる。それ、ランク、ダイヤモンドだから」

 凛汰郎はさらっと答える。何でも一番になっていないと気が済まないため、ランクの最上級に君臨していた。

「マジっすか。俺、まだ、マスター止まりっすよ。え、んじゃ、今度、一緒にしましょう?」
「……」

黙っていたため、やりたくないかなと思ったのか、いつの間にか、スマホを取り出して、ゲームのIDを送信する気満々だった。友達が少ない凛汰郎はまさか話しかけてもらえるなんてと、心の中ではすごく喜んでいた。度と心が一致していない。顔はこわばっている。

「いいっすよね? 平澤先輩?」

黙って首を振ってうなずいている。

「あ、ちなみに、同じ学校の2年の斎藤雅俊っているじゃないですか。そいつもたまに参加するんで、ラインも教えてもらっていいすか? いつゲームする時間とか……?」

 目がキラキラしていた。ゲームを友達とするなんて、しかも時間を決めるとは?! 継続してゲーム相手してくれるとは?! と小学生以来の喜びでしかなかった。その気持ちが勝り、斎藤雅俊という名前をスルーしていた。

「あ、ああ。いいよ。はい。ID」

 凛汰郎は、何ともない表情に戻して、ライン交換し合った。もう、試合結果どころではなかった。自分自身の成績はよかったが、
 団体戦そのものは強豪校がそろっていたため、惜しくも敗退していた。次は雪菜が出るの団体試合だというのに、ゲームの誘いで有頂天になっている凛汰郎だった。
試合会場はざわついていた。とうに試合が終わった男子団体メンバーは観客席に移動していた。

電子掲示板に第1射場の女子団体の文字が書かれている。始めという合図とともにアナウンスの声が響いた。
「女子団体 第1射場 T高校
 大前 白狼 雪菜 選手
 弐的 菊地 紗矢 選手
 中  楠木 彩絵 選手
落ち前 大岡 美咲 選手
 落  日下 真緒 選手」

それぞれの射場で順番に弓に矢を固定していく。会場全体は、とても静かになっていて、息をのむ瞬間だった。雪菜から、まずは第1射放たれた。的に中った瞬間に「やー」と言ったかけ声が響く。中らなければずっと静かになる。競技する時間はみな、終始緊張していた。

龍弥と菜穂は、ルールを理解していてもやーと言うかけ声をすることはせず、ただただ見守っていた。

大前  4中/4射 
弐的  3中/4射
中   3中/4射
落ち前 3中/4射
落ち  2中/4射

女子団体の結果は15中/20射でなかなかの好成績だった。
雪菜はすべて的中していて満足そうな顔をしていた。

団体試合を終えて、これから個人戦の準備という中、観客席で水分補給をする凛汰郎を見つけ雪菜は、駆け寄った。

「お疲れ様。男子団体、残念だったね。でも、午後の個人戦は、凛汰郎くんがきっと勝ち進むね。昨年は、準優勝まで行けたから今年はきっと……」

 胸元でガッツポーズをして、話していると急に凛汰郎は、雪菜の顔に手を伸ばした。何も言わずに近づいてくるので、ドキッとした。

「髪、食ってる」

 頬に伸びていたおくれ毛が口もとに来ていたらしく、手でよけてくれた。

「あ、ごめん。ありがとう。全然、気づかなかった」

 恥ずかしすぎて、目も合わせられない。凛汰郎はなんてことない顔をしている。

「女子団体は、惜しかったな。第4位ってさっき聞いた。S高校は今年も強かったみたいだな」

 はっと気持ちを切り替えて、いつもの顔に戻る。

「無理無理。あそこ、パーフェクトだったみたいだからいくら好成績でも太刀打ちできないよ。1年生も足並み揃えて試合に出てくれただけでも助かるよ。良い経験だった」
「雪菜先輩! 個人戦の会場に行きますよぉ」

 階段の踊り場近くで叫ぶ紗矢がいた。雪菜は振り向いて、手を振った。

「ごめん! 今、行く。んじゃ、凛汰郎くん、頑張ってね」
「ああ」

 凛汰郎も荷物を持ち、試合会場へ移動した。個人戦は、男子女子のそれぞれの会場に移動して、一人8射を競い合う。10名ほど1列に並んで次々に矢を引いていく。的に中るたびに「やー」と声が上がる。

 凛汰郎は8射のすべての矢が中り、上位決定戦の試合までこぎつけた。

 同校の他の男子部員は、2年の及川浩平8射をすべて的に中てられた。他の部員は何射かをミスをしてしまい、脱落していた。上位決定戦は、同じ高校の対決になってしまった。

 上位3名の決定戦は、3年 平澤凛汰郎と2年 及川浩平とS高校の3年 斎藤陸翔《さいとうりくと》との勝負だった。この試合では、1人4射放つ。感情を押し殺し、目の前の的だけに集中して、1つ1つの矢を引いた。静けさを増す。

 平澤 凛汰郎 ○○○○ 4中/4射
 及川 浩平  ○○×× 2中/4射
 斎藤 陸翔  ○○○× 3中/4射

 結果として、男子個人戦は凛汰郎が優勝した。会場で拍手が沸き起こっていた。続いて、女子の個人戦が行われた。T高校の女子が並び、S高校の女子も横に並んでいた。雪菜は一番端で準備していた。

 龍弥と菜穂は息をのんで、動画を撮り続けていた。深呼吸してから、1本1本の矢に気持ちを込めた。矢を引いた瞬間にビュンと風が吹いた。8射をすべて、いつも通りに邪念を消して、ど真ん中に打つことができていた。

 観客席から、手すりに手をつけて、凛汰郎も真剣に雪菜の競技を見つめた。

 上位3位決定戦では、全部が他校で、残念なことに後輩たちは、すべて中てることができなかった。今度は強豪校のS高校が2人も参戦していた。

S高校 2年 中川 桜 ○○×× 2中/4射
S高校 3年 庄司 優月 ○○○○ 2中/4射
N高校 3年 白狼 雪菜 ○○○× 3中/4射

というような試合結果になり、惜しくも雪菜は、準優勝となった。

男子個人でトロフィと賞状を獲得し、雪菜は賞状を獲得できた。

試合を団体戦と個人戦、結果発表とすべて、終えて、部員たちが出入り口付近で荷物をまとめていると、雪菜の両親が声をかけた。

「雪菜、試合、お疲れさま。頑張ったわね」
「よく頑張ったな」
「お父さん、お母さん。見てたんだね。うん。賞状もらったから、最後の試合に満足してるよ」

 3人で話していると、横から顧問のいろはが声をかけた。

「お兄、来てたんね」
「おう。お疲れ」
「いろはちゃん。お疲れ様。元気にしてた?」

 菜穂は、久しぶりに会ういろはを見て背中をポンっとさすった。

「菜穂ちゃん。元気よ。試合、雪菜、参加できて本当よかったね。事故に遭ったときはどうしようと思ったよ。3年生だし、これ出なかったら絶対悔い残るって思ってたから」

 腰に両手をあてて、安心するいろは。

「おかげさまで、先生の励ましがあったから試合に出れました。ありがとうございます。悔いはないです」

「先輩? 先生と雪菜先輩のお父さんってご兄妹なの?」

 紗矢は横から雪菜に話しかけた。

「紗矢ちゃん。そうなの。お父さんと先生は実の兄妹なの。ごめんね、親戚絡みで」
「白狼、バスの発車時間過ぎてるぞ?」

 凛汰郎が雪菜に声をかけた。

「え、うそ、それは大変だ。んじゃ、お父さんたちあとでね」
「車乗ってってもいいだぞ」
「だめ、わたし、部長だから!!」

 慌てて、部員たちとともにバスに乗り込んでいく。責任感強いんだなと感心する龍弥だった。試合でかなり疲れたらしく、凛汰郎の左肩をいつの間にか借りいて、頭をのせて寝ていた。

 凛汰郎は、雪菜の頭を調整しながら、緊張しすぎて、眠りにつくのは不可能だった。
 
 目のやり場にも困りながら、学校に着くのはいつだろうと考えた。
 もう少し時間が止まってくれたらいいのにと願った。

 空はオレンジ色の夕日に照れされて、カラスが鳴き続けていた。
学校のチャイムが鳴る。校舎のカザミドリはゆっくりと回っている。
天気もよく、風も弱かった。
教室がざわつく中、菊地紗矢が、3年の雪菜と凛汰郎のクラスに来ていた。

「せんぱーい!!」
 
 後ろの出入り口は放課後で帰宅生徒で溢れていたが、負けじと、雪菜たちを呼ぶ。

「あれ、紗矢ちゃん。どうかした?」

 荷物を机に置いたまま、雪菜は駆け寄った。凛汰郎は気にもせず、前の出入り口から帰ろうとしていた。

「あ、先輩、平澤先輩にも用事あったんですけど、入ってもいいですか?」

「放課後だし、別にいいと思うけど、ちょっと待って。呼んでくるから」
 
 雪菜は、凛汰郎の後ろを追いかけて、肩をたたいた。
 ワイヤレスイヤホンをつけていた凛汰郎は、雪菜で声をかけられて、片方を外した。

「は? 何?」

とても嫌そうな顔をされて、少しぐさっとハートをえぐられた。

「ご、ごめんね。凛汰郎くん。紗矢ちゃんが、何か用事あるんだって」

「は、なんで。部活終わってんじゃん。3年はもう部活行かないでしょう」
「いいから、とりあえず来て」

 拒否することも許さない雪菜は、力任せに凛汰郎の制服のすそを引っ張った。

「ちょ、待てって。伸びるから、ひっぱるな」
「はいはい」

 本当は、連れていかれて、うれしそうな凛汰郎。素直に言えない。

「おまたせ。紗矢ちゃん」

紗矢は廊下で待っていた。

「すいません。これから帰宅というところ呼び止めちゃって」
「いいのいいの。大丈夫。それで、用事って何?」

 凛汰郎は黙って雪菜の横に立つ。

「実は、お二人の弓道部引退セレモニーを考えておりまして、ご都合を伺おうかなと思ってました。いつ頃でしたら、大丈夫ですか?」
「え、本当? ありがとう。うれしいなぁ」
「え、お、俺は……塾……」

 凛汰郎は、雪菜に口をふさがれた。

「私《《たち》》はいつでも大丈夫よ。そちらに任せます」
「本当ですか。助かります。私たちも試合と重なったりすると練習もままならなくなるので、早めにと考えていました。
 ……あとお2人も受験勉強で忙しくなるでしょうからと……。そしたら……」

 紗矢は、バックから手帳を取り出した。雪菜は、凛汰郎に小声で

「塾って言ったらいつまでもセレモニーできないでしょう。後輩たちの都合考えて」
「なんで、行かなきゃないんだよ。俺、そういうの嫌《きら》……」
「お待たせしました。えっと、20日はいかがですか? その日は、部活動の時間をセレモニーの時間になります。
 会場は、化学室を借りることになってます。大丈夫ですか?」
「うん。大丈夫だよ。放課後になったらすぐ化学室向かっていいのかな?」
「えっと、お時間つぶしていただいて、16時15分頃に来てもらってもいいですか?」
「準備するのかな? わかった。んじゃ、20日の16時15分ね。私、凛汰郎くん連れていくから任せて」
「はい。よろしくお願いします」

 紗矢は、ご機嫌に立ち去って行った。雪菜の意思をついで、部長になっていた。紗矢の姿が見えなくなってから。

「なんで、勝手に決めるんだよ」
「私、わかるから。3年生の引退セレモニーの準備をやるの大変なのは一番に知ってる。凛汰郎くんは用事があるって
 2年間参加してなかったから知らないだろうけど……寄せ書きは書いてたもんね」
「……悪かったよ。俺、そういうの恥ずかしくて見てられないんだ。あと大人数でパーティとか苦手だし」
「苦手なのも知ってるけど、これで最後だから、後輩たちのために参加して。お願いだから」
「俺、嫌われてるのに?」
「え……」
「俺、知ってるよ。この間のお前が入院してて、雰囲気悪くしたこと。みんなに好かれてなかっただろ?」
「ああー--……。NOとは言えないけどさ」
「ほら、見ろ。俺、行かない方が盛り上がるから。白狼が参加しろよ。俺は、いないもんだと思えって」
「……私は好きだよ。凛汰郎くん、弓道してる時誰よりも集中してるし、まぁ、人には優しくないけど」

 髪がなびいた。廊下の窓の外の校庭を見て、サッカーをする雅俊が見えた。
 ホイッスルが鳴り、イエローカードを出されて、ベンチに座っている。
 
 廊下を見渡すと、5クラスある3年の教室にはいつの間にか自分たち以外、誰もいなくなっていた。

「……なぁ、それって告白?」
「………」
「………」

髪をかき上げて、ぼんやりしていると、凛汰郎がふとつぶやく。
ハッと現実に戻る。

「え?! 今私、なんていった?」
「好きって……」
「え、言ってないよ。勘違い。気にしないで。気のせいだから」

 バックを持ち直して、真っ赤にした顔を両手で隠した。見えないだろうと後退して、その場から逃げようとした。
 後ろから、凛汰郎に左腕をつかまれて、幽霊が出たかと思うくらいの悲鳴をあげた。

「ちょっと待って」

 一瞬、時間がとまったようだった。

凛汰郎は、雪菜の左腕をつかんだままとまった。氷になったみたいだった。

「え、……えっと……」
「う、うん」
「お、俺……」
「あ!! ごめんね、用事思い出しちゃった! 急いで行かないといけないところが
 あって……。それじゃ、また!」

 雪菜は恥ずかしくなりそれ以上を聞きたくなくて、ごまかすように慌てて階段を駆け降りていった。
 何かを言いたかったのに言えなかった悔しさが滲み出る。

 「あ〜……ちくしょ〜。」

 雪菜が立ち去ったあと額に手をつけて、髪をワシャワシャとかきあげた。
 チャンスだったはずなのに、言葉が思いつかなかった。

(俺は一体、何を言いたかったんだ?)

 自分で自分が分からなくなっていた。その頃、急いで階段を駆け降りて、昇降口近くにある靴箱に着いた。自分の靴を取ろうとする前に靴箱の縁に手をかけて、呼吸を整えた。

 (さっき、私は何を言っていたの!? バカバカバカ!勘違いされるじゃない。あんな、告白みたいなこと言ったら……。でも、ん? 凛汰郎くんは何を言いかけていたのかな)

自分の頭を軽く両手のグーで叩き、気持ちを落ち着かせた。冷静になって、靴をすのこの近くに置いた。
あのまま、ずっと近くにいたら心臓がどうにかなりそうだと、靴の踵部分を整えて、昇降口を出た。
遅れて、凛汰郎も、靴箱に到着していたが、すでに雪菜の姿はなかった。



「雪菜、今帰り?」

 雅俊が顔をタオルで拭きながら、校門に向かう雪菜に声をかけた。顔を耳まで赤くしている雪菜が気になったからだ。

「え……。あ、うん」
「俺、まだ部活。3年はいいよなぁ。引退したんだもんな」
「ごめん、雅俊……。話す余裕ないから……」
「お、おい」

 口元に手をやり、顔を隠して立ち去ろうとすると、後ろから、声がした。

「白狼!!」

 話の途中で終わってしまったことが気になり、しかも雅俊と話してるのに嫉妬し、話そうと思ってなかったが、凛汰郎が思わず声をかけた。はっとして、何も言えなくなった雪菜は、そのまま急ぎ足で校門に向かう。

 雅俊は2人の行動が気になったが、部活のキャプテンに呼ばれ、練習に戻った。
 
 凛汰郎は、雅俊を横目に急いで、雪菜を追いかけた。前に立ちふさがって、歩くのを止めた。

「さっき、言いかけて、ちゃんと言うから聞いてほしい」
「え……」

 少し頬を赤くして雪菜は真剣に凛汰郎を見た。

「俺、嫌いじゃないから。俺は。言いたかったのはそれだけ」
「……うん。そうなんだ」

 告白ってわけじゃないんだとがっかりした雪菜は、しゅんと気持ちが冷めた。告白したつもりの凛汰郎は、言い切ったぞと
 思っていたが、あまりにも変な顔をする雪菜にどう反応すればいいのかわからなくなった。

 「家まで送る……」

 凛汰郎は今できることの最大の思いを告げるように雪菜の荷物を持った。

「え、大丈夫。帰る方向違うでしょう? 私、こっちで、凛汰郎くんはあっちでしょう?」
「気にすんなって」
「え、え、なんで?」

 よくわからず、バックを持っていく凛汰郎を追いかける。数十メートル進んで、思い出す。

「あ、塾行くんだった。わるい、ここまででいい?」
「え、だから、別に頼んでないって」

 カーブミラーのある交差点。凛汰郎は、雪菜にバックを返した。

「あ、ありがとう」

 よくわからず、少し一緒にいることができてうれしかったが、不思議な気持ちになった。後ろを向いて、話し出す。

「あのさ……。明日もいい?」
「何が?」
「ここまで一緒に来るの」
「なんで?」
「……なんでって。別に深い意味はないけど」
 
 素直に一緒に帰りたいだなんて言えない凛汰郎。

「ん?」
 
 2人の間に風が通り過ぎる。

「ごめん、やっぱ、いいや。塾あるし。忘れて」

 話がかみ合わない。思いが伝わらない。何が言いたいかお互いにわからないままそれぞれ立ち去った。雪菜は後ろ髪を引っ張れるように何度も後ろを振り返ったが、凛汰郎は一度も振り向かずに家路に向かっていた。想われていないんだろうなとネガティブに考えてしまっていた。