雪菜は口元にパンかすをつけながら、凛汰郎を探そうと教室から廊下に出た。
どこにも姿はなかった。

昼休みに行きそうなところを考えて、石畳が広がる中庭に行ってみると、そこにはひとりで購買部のパンをベンチで食べる凛汰郎がいた。今まで、同じクラスで、2人きりになって話したことはなかった。部活では、多少部活動で話さなければならないが、個人的な会話をするのは初めてだった。近づくだけでドキドキがとまらない。

屋上から飛び立ってきたハトが、凛汰郎の近くにやってきた。
あまりにも大きいパンだったためか、一口ちぎって、ハトの餌にしようとしていた。

「あ!」
「え、あ……ん?」

急に声をあげた雪菜にびっくりした凛汰郎は、ちぎったパンを自分の口にいれた。 

「えっと……隣……」

 雪菜は隣を指さした。

「?……どうぞ」

 なんでここに来るのかと状況が読めなかったが、言われるまま要求をのんだ。

「ありがとう」

 授業を受けている雪菜は部活をしているときと違って、さらりと髪をおろしていた。シャンプーなのか、制汗剤なのか、移動するたびにふんわりといい匂いがした。凛汰郎は、少し頬を赤く染めた。

「聞いてもいい?」
「ああ……」
「凛汰郎くんの家って、花屋さんなの?」
「……まぁ」
「いいね。花に囲まれてて。私、花好きだから。そういや、この間の入院中に持ってきてくれたの花って凛汰郎くんなんだよね?」
「え、違うけど。俺、行ってないし」

 目がキョロキョロ動いて、話している。

「……嘘つくの下手だね」

 クスクスと笑って、口元をおさえた。

「行ってないでしょう。会ってないし」
「ありがとう。ソネットフレーズだっけ」
「違うよ、ソネットフレージュ」

 雪菜はさらに笑った。雅俊と同じ間違いをしていた。そして、花を贈ってくれたのは凛汰郎なんだと確信した。

「やっぱり、凛汰郎くんだ」

 笑いながら、目に涙を浮かべた。

「な、なんで笑うんだ」
「ごめん、ごめんね。面白くて。花の名前間違うのが、雅俊と一緒だったから」
「え、間違ってないし。だって……。あ……」
 
 凛汰郎はスマホをズボンのポケットから取り出し、検索ワードに『ソネットフレージュ』と打ち込んだら、花が一つも出てこない。
 改めて、『ソネットフレーズ』と打ち直したら、一番上に写真つきで表示された。

「ほら、名前、違うでしょう?」

 雪菜は、凛汰郎が見ているスマホをのぞき込んで指さした。かなりの至近距離で、ささっと体を遠ざけた。
 顔や耳までが真っ赤になっていた。一瞬、凛汰郎の耳元に吐息がかかっていた。

「あ、ごめんね。近いよね。気をつけます……」
 
 背筋ピンとして、座りなおした。

「こ、こっちであってるんだな。勉強になった。花屋の息子なのに知らないのは親父にしずられるから助かったよ」
「ん? お父さんかな。しずられるの? 怒られるんじゃないんだね。楽しいそうな家族……」
「……話し過ぎた。そろそろ、教室もどる」

家のことを話すのは恥ずかしかった。凛汰郎は、顔を赤くしたまま、立ち上がって、教室に戻っていく。

「え、待って。同じクラスなんだし、一緒に行こうよ!」

凛汰郎は黙って、すたすたと歩く。雪菜はその後ろを3歩ほどさがってついていく。背中で手を組んで、少し心がホクホクとあたたかくなった。隣じゃないが、一緒の方向に歩いてるそれだけでうれしかった。

教室につきそうになると、突然、女子グループに囲まれた。

「すいません、3年の白狼雪菜先輩ですか?」
「え、あ。そうですけど」

びくびくと恐れながら、返事をした。背の高い眼鏡をかけたショートカットの女子生徒は、仁王立ちしていた。

「先輩は、斎藤雅俊くんと付き合っているんですか?」
「え? 雅俊? 幼馴染で付き合ってはいませんけども」
「みんな、付き合ってないって。大丈夫じゃない?」
「え、あのあなたたちは?」

ひそひそ話をする女子たちは、雪菜を囲む。

「私たち、斎藤雅俊君のファンクラブです。彼女になるには、ファンクラブに入ってからみんなに認められて、初めてなれるんです」
「どんな決まり? 雅俊の気持ちは置き去りなのかな」
「それは、本人が決めることなので、先輩には関係ないです」
「そうなのね」

 雪菜はあきれた顔をする。ぞろぞろと斎藤雅俊ファンクラブのみんなはいなくなった。
 雪菜は、一瞬で一人になって廊下から教室の窓の風が吹くと猛烈に寂しくなった。
 教室に入ると同時にチャイムが鳴る。

「雪菜、大丈夫?」
 
 緋奈子が聞くと、雪菜は深呼吸をして、座席に座った。

「うん。まぁ、何とか。雅俊にあんなファンクラブ出来てたとは」
「モテモテだねえ。雅俊くん。雪菜、付き合うってなったらライバルがたくさんだわ」
「なおさら、無理だよ。ファンクラブの人たちににらまれそうだもん」
「確かに……」

 その様子を見ていた凛汰郎は、口角をあげて、笑みを浮かべていた。