雪菜は、久しぶりに弓道場で、稽古を見学した。

まだ松葉杖をついていたため、本格的な稽古はできなかったが、雰囲気を味わい、自分も参加している空気感を取り戻した。

後輩たちは、真剣に的を当てにいっている。姿勢も正しくできていて、申し分なかった。

ふと、椅子にすわって見ていると頭の中でさっき凛汰郎がさけんだ『それ、俺だから』のセリフが頭の中から離れなかった。

(凛汰郎くん、俺だからってどう言う意味だったんだろうなぁ……)

ふと、稽古に熱心な凛汰郎を見ると、これから的を打つぞという体勢だったが、雪菜の視線が気になったのか、こちらをチラリと見ては、怖い顔をしていた。

(え、私睨まれてる? なんで?)

 なんで怒っているのか謎だった。

(こっちジロジロ見過ぎだつぅーの。狙いがズレるわ。全く……)

 そう思いながらも本当は見られて嬉しい凛汰郎だった。部長の雪菜が戻ってきてから、部活の雰囲気はいつものペースを取り戻した。和気藹々で、明るくなり、練習も順繰りできて、みんな気持ちはホクホクしていた。

 複雑な気持ちがある凛汰郎も、ホッと安心していた。

「お疲れさま! ごめんね、遅くなった。みんな、調子どう?」

 顧問のいろはが、弓道場の出入り口で声をかけた。

「みんな集合!」

 先生が来たと分かると、雪菜の一声で円を囲むように集合し号令をかけた。

「よろしくお願いします」
「うん、うん。何だか、雰囲気見て分かるけど、調子良さそうだね」
「はい。部長が戻ってきたので、みんな喜んでます」

 2年の紗矢が答える。

「本当は、どの人がいるいないに関わらず、やるべきことに集中してほしいものだけど、団体戦もあるから周りの状況把握も大切だよね。ま、これを教訓に次からは会話するべきところは会話して、連携組んでね」
「はい!!」

 部員全員が返事をした。


「んじゃ、稽古の続けてください」
「はい!!」

 それぞれに射場に戻っていく。

「雪菜、足はいつ頃から稽古に参加できそうなの?」

 みんなが稽古に入っている中、いろはは、雪菜が座る椅子の近くまで、寄った。

「先生、やっとここに来れましたよ。ずっと寝てることが多かったからムズムズしてました。できることなら、早く稽古に参加したいところですよぉ」

 いろはは、屈んで、雪菜の足の調子を確認した。

「あと、1・2週間ってところかなぁ? 大変だったよね。まさか、学校の前で交通事故になるとは……」
「あ、気になっていたんですけど、私が事故になった時って、誰が救急車とか呼んでくれたとかわかります?」
「えー……。確か、そこにいる平澤くんじゃなかったかな。目の前にいたって話してたよ」
「凛汰郎くんが?」
「ねぇ、平澤くん!!」

 不意うちにいろはは、声の届くところで矢を引いていた凛汰郎に声をかけた。雪菜は声をかけないでほしいと
 思いながら、鼓動が早くなった。

「え……。何の話ですか」

 矢を引くのをやめてこちらに近づいてきた。なぜこちらに向かってくるんだと思いながら、雪菜はドキドキしていた。

「え、だから、雪菜が交通事故でけがしていた時、近くにいたんでしょう。平澤くんが救急車呼んだって話してたんだけど、そうなの?」
「あ、その話。そうですけど……」

 目を合わせるのが嫌だったのか恥ずかしそうに斜め後ろを向く。

「あ、えっと、ありがとう」
「別に……」

 後ろ頭をポリポリとかいて話す。

「平澤くんが、人のために行動するとは思わなかったなぁ。部活では、部員に関わらないでオーラ激しいのにね」

 いろはが、感心していた。雪菜は、なんでだろうと思いながら、見ていた。

「当たり前のことしただけですから。目の前にけがとか病気で倒れてる人がいたら、助けるのが常識っすよね」
「ふーん……。全く知らない人でも 助けるんだ?すごいね」

 いろはがカマをかける。

「んーー、それは……」

 咳払いをして、ごまかした。顔全体に頬が赤くなっていく。
 
 雪菜でなんでこんな顔するんだろうと不思議で仕方なかった。

「ま、ま。いいや。稽古に戻っていいよ。邪魔してごめんね」
「いえ、大丈夫っす」

 そういいながら、元の位置に戻っていく。

「ちょっと、先生!! なんであんなこと聞くの?」

 小声でいろはに耳打ちする雪菜。

「え、だって、気になったから」
「……凛汰郎くん困ってたじゃない。やめて、色々聞くの」
「困ってんじゃなくて、照れてたんでしょう」
「え、何に照れるの?」
「雪菜、鈍感だなぁ。お兄と一緒か。それとも、菜穂姉と一緒かな?」
「え、なんで、お母さんとお父さん出てくるの?」
「……自分で気づきな。それじゃ、反対側の1年の指導するから2年の方、雪菜指導して」
「わかりました」

 口を大きく膨らませて、機嫌悪そうに返事をした。話を解決せずに終わったことが気に食わなかったようだ。
 凛汰郎は、矢をある程度、引き終わった後、後ろ頭をボリボリとかきながら、熱心に後輩指導をする雪菜を
 見ていた。
 
 丁寧に弓を引く位置、矢を置く場所を確認しながら、説明している。自分にはできない姿を見て、情けなくなるとともに、感心していた。

 雪菜の指導方法は、一人一人、何が合っていて、何が間違っているを矢を引くたびに熱心に教えていた。ある程度、型が決まっており、全体に指導する時はまとめて教えることもするが、結局は個人個人丁寧に教えないと伝わらないこともある。

 もちろん、指導する際も、どんな性格でどんな特徴があるかなど把握してから話しかけていた。

 雪菜は、自分自身の生活面こそ完璧にできないが、後輩たちとの関わる距離感や、相手の好きなものや嫌いなものを把握するのには卓越していた。

 そして、話しやすい空間を作ってから優しい言葉も厳しい言葉も言えるようにと雰囲気作りにも力を注いでいた。

 その段階があるから、みんなから慕われているんだろうなと凛汰郎は情けなくなり、前髪で目を隠した。

 自分には、射法八節のことを考えてただただ、矢を引いては的に当てることだけ考えている。
 周りのことなんか眼中にない。人間関係なんて考えたことさえない。
 毎日の稽古で部活動での目標は、1日40射引くと決まっている。それが終わったら今日は終わりになる。

 それだけを考えている。

 人間関係のことを考えたら、目標値の40射なんて時間が足りなくて帰るのも遅くなる。部長たるもの、指導もしなくてはいけないし、みんなをまとめなくてはいけない。そんなの簡単とたかを括っていたが、全然できていないというか凛汰郎は平気な顔して、逃げていた。

 そして、そう考えている凛汰郎であるのを雪菜はずっと前から受け入れていた。

 矢を引くことに特化してるだなと前々から知っていたのだ。

 わかった上で、自分が部長をやり続けると訴えていた。

 今日も通常通りに弓道部活動は終わりを迎えた。


 夕焼け色に染まった空にはカラスが鳴いて飛んでいた。