1年前のこと
ミンミンゼミが勢いを増して鳴く暑い夏だった。
白の背景に青と紫の朝顔が描かれた浴衣を着た女性が下駄を履いて少し小走りに進んでいた。手には花火のイラストが描かれたうちわを持っていた。灰色のジンベイを羽織った男性が、保護者目線で追いかける。
「まーくん、早く行こう。私、りんご飴食べたいから」
「梨沙は、お祭りになるとなんでそんなテンション高いの?」
2人の下駄のカランコロンと地面に打ち鳴らす音が響く。
「だって、私、好きなんだ。お祭り。まずはかき氷でしょう、そして、フランクフルト、焼きそば。あ、大事なりんご飴」
「食べ物のことしか考えないんだなぁ」
「もちろん!花火も見るよ。今、午後5時だから、確か花火は午後7時からだよね」
「そうだな。まだ5時15分だから」
あまりにも楽しいようで後ろを向きながら、齋藤雅俊の顔を見る。
「何だよぉ」
「だって、まーくんがじんべい着るとは思わなかったから」
「梨沙が着てこいって言ったんだろ?」
「うん、そうだけど」
村上梨沙《むらかみりさ》は、齋藤雅俊の5歳年上の大学生だった。コンビニのバイト先でたまたま一緒になり、仲良くなった彼女だった。この時は、雅俊が高校1年になったばかりだった。雪菜とは、中学の受験で忙しくなった以来会っていなかった。ささっと雅俊の横に移動して、腕を絡めた。
「楽しい」
「すぐ、そうやって言えるんだよな」
「え、だめ?」
「別にいいけど」
「いいじゃん。楽しいことを楽しいって言っても」
その言葉にフラッシュバックした。誰かも同じこと言っていた気がした。あいつも同じだ。感情表現をすぐ言葉にする。
楽しい時は楽しいと嬉しい時は嬉しい。悲しい時は、涙を流して、静かに寄り添う。どうしても重ね合わせてしまう。
幼稚園の頃からずっと一緒に過ごしてきた白狼雪菜も、今ここにいる彼女も性格が似ていた。
どうして、彼女を選んだのか。告白されていいよと返事をした理由は、笑顔が絶えず、楽しませてくれること。それより何より幼馴染に似ていたところだった。
パズルのように梨沙の顔と雪菜の顔を照らし合わせてしまう。首を横に振って、ごまかした。
「まーくん、何したの? 行くよ? 露店見つけたから。あ、キッチンカーもたくさん来てたね」
手をがっちりと握られて、梨沙のペースにのまれていた。本当は、自分が引っ張っていく性格のはずだった。でも年上ということもあり、こうしようああしようにうんと頷くことが多かった。その方が居心地が楽というのもある。
「好きなの買ってもいいかな」
「いいよ、今日は俺におごらせて。この間は、梨沙におごってもらったから」
男たるもの、食事は自分からというが、梨沙は男も年齢も気にしていなくて臨機応変にその時にお金を持っている人が払うというスタイルが多かった。今日は、お祭りという予定があったため、銀行からバイトで稼いだお金をしっかり財布に入れていた。
「私も財布に入れてきたけど、んじゃ、前におごってもらったから今日はお言葉に甘えちゃおうかな」
「おう。いいよ、別に。バイト始めたばかりだけどね。今日くらいはいいかなと」
「よぉーし、んじゃ、行こう」
キャキャ喜んで、はしゃぎながら、梨沙は雅俊の手を繋いで、露店をまわる。コンビニのバイト先で4月に会ってから、
3ヶ月は経っていた。お互いに会った後、意気投合して、1人暮らししていた梨沙のアパートに
ちょこちょこと遊びに行っては、仲を深めて行った。
他県から引っ越しして、1人暮らしを始めて2年目。土地勘も慣れて来て、大学に通うのも慣れて来ていた。
バイトは生活の一部。その中での高校生で新人の雅俊に指導係に抜擢されてから、今に至っている。
元々社交的だった雅俊だが、遠くから引っ越してホームシックになったりする梨沙がかわいそうと思う部分もあり、
高校生ながら、心配していた。初めは1人の時間を穴埋めるためゲームを一緒にする友達から、一緒にご飯を食べる仲に。そして、徐々に恋愛対象へと発展した。これまで、まともに交際をしたことない雅俊にとって、梨沙は少し大人な女性に見えた。どんなことも受け入れてくれることに心が満たされた。でも、どこか何かと投影する。真っ暗な堤防の上から2人並んで座って花火を見上げた。
お互いに地面に置いて繋いだ手は熱かった。いい雰囲気に顔を近付けた。頬に指をふれて、優しく口付けた。遠くで和太鼓の音楽が流れている。露店の明かりが漏れていた。打ち上げ花火が連続で打ち上がった。
額同士をくっつけて無意識に
「雪菜……」
雅俊は、名前を間違えた。
「え?」
「あ、う、あーーー
ゆきなってるなぁって」
「どういう意味?」
「な、なんでもない。今のなし」
「名前、間違ったでしょう」
「え、あーーどうだったかな」
後頭部を手で何度もかいた。
「知ってるよ、まーくん、寝言で言ってたから」
「え?」
「ウチに泊まりに来た時とか。明らかに私じゃない名前言ってた」
「……あー」
「その雪菜って人が忘れないんでしょう。本当は」
「うっ……」
「最近、おかしいなぁって思ってて。いつも誘うの私からだし、行動するのも決定するのも私だから。何か付き合うってこんなんじゃないかなって思ってて」
両膝を抱っこして話す梨沙は、下を向いて落ち込んだ。
「ずっと本当は片想いだったんだなって今の言葉で気づいたよ。まーくんは優しすぎるから、本音隠していいよいいよって言っちゃうんだよね。お人よしすぎるよ。それがまーくんのいいところなんだけどさ。体がこうやって手を繋いだりしてても、心が同じ気持ちでいるかなんてわからないんだよね」
雅俊の右手をじっくりと触って、指の細さを確認した。雅俊は何も言えなくなった。
「今日、本当に楽しかった。ありがとうね。まーくん、今までありがとう。私、この夏の思い出絶対忘れない。名前を呼んだその子と幸せになってね」
「梨沙……。俺」
梨沙は自分の人差し指を雅俊の唇にあてた。
「しっ。もう何も言わないで。私、これ以上、傷つきたくないの」
梨沙の目にはたっぷりの涙で潤っていた。
「……」
「恋人同士ではなくなるけど同じバイトの先輩後輩として続けていきましょう」
静かに頷いた。
何もいうなと言われたため、ずっと話すことができなかった。
「ごめん。梨沙。ありがとう。帰りくらいは送らせて」
指と指を絡ませた。
「いやだ。やめて。もう、惨めになるのは嫌なの。そっとしといて。雅俊をこれ以上嫌いになりたくない」
繋いでいた手をパッと離した。
「まだまだ付き合うのとか高校生だし経験が浅いと思うけど、本当の気持ちは隠さずに言わないといけないよ? 私みたいに傷つく女子が増えちゃうから」
「そうだよね、気をつけるよ」
「んじゃ、ここでさよならだね」
「うん」
梨沙は手をふって別れを告げた。名残惜しそうにお互いに振り向いては戻ってを繰り返しながら、家路を急いだ。お祭りの終わったあとの寂しい雰囲気のまま心がぽっかりと穴が空いたようだった。
ミンミンゼミが勢いを増して鳴く暑い夏だった。
白の背景に青と紫の朝顔が描かれた浴衣を着た女性が下駄を履いて少し小走りに進んでいた。手には花火のイラストが描かれたうちわを持っていた。灰色のジンベイを羽織った男性が、保護者目線で追いかける。
「まーくん、早く行こう。私、りんご飴食べたいから」
「梨沙は、お祭りになるとなんでそんなテンション高いの?」
2人の下駄のカランコロンと地面に打ち鳴らす音が響く。
「だって、私、好きなんだ。お祭り。まずはかき氷でしょう、そして、フランクフルト、焼きそば。あ、大事なりんご飴」
「食べ物のことしか考えないんだなぁ」
「もちろん!花火も見るよ。今、午後5時だから、確か花火は午後7時からだよね」
「そうだな。まだ5時15分だから」
あまりにも楽しいようで後ろを向きながら、齋藤雅俊の顔を見る。
「何だよぉ」
「だって、まーくんがじんべい着るとは思わなかったから」
「梨沙が着てこいって言ったんだろ?」
「うん、そうだけど」
村上梨沙《むらかみりさ》は、齋藤雅俊の5歳年上の大学生だった。コンビニのバイト先でたまたま一緒になり、仲良くなった彼女だった。この時は、雅俊が高校1年になったばかりだった。雪菜とは、中学の受験で忙しくなった以来会っていなかった。ささっと雅俊の横に移動して、腕を絡めた。
「楽しい」
「すぐ、そうやって言えるんだよな」
「え、だめ?」
「別にいいけど」
「いいじゃん。楽しいことを楽しいって言っても」
その言葉にフラッシュバックした。誰かも同じこと言っていた気がした。あいつも同じだ。感情表現をすぐ言葉にする。
楽しい時は楽しいと嬉しい時は嬉しい。悲しい時は、涙を流して、静かに寄り添う。どうしても重ね合わせてしまう。
幼稚園の頃からずっと一緒に過ごしてきた白狼雪菜も、今ここにいる彼女も性格が似ていた。
どうして、彼女を選んだのか。告白されていいよと返事をした理由は、笑顔が絶えず、楽しませてくれること。それより何より幼馴染に似ていたところだった。
パズルのように梨沙の顔と雪菜の顔を照らし合わせてしまう。首を横に振って、ごまかした。
「まーくん、何したの? 行くよ? 露店見つけたから。あ、キッチンカーもたくさん来てたね」
手をがっちりと握られて、梨沙のペースにのまれていた。本当は、自分が引っ張っていく性格のはずだった。でも年上ということもあり、こうしようああしようにうんと頷くことが多かった。その方が居心地が楽というのもある。
「好きなの買ってもいいかな」
「いいよ、今日は俺におごらせて。この間は、梨沙におごってもらったから」
男たるもの、食事は自分からというが、梨沙は男も年齢も気にしていなくて臨機応変にその時にお金を持っている人が払うというスタイルが多かった。今日は、お祭りという予定があったため、銀行からバイトで稼いだお金をしっかり財布に入れていた。
「私も財布に入れてきたけど、んじゃ、前におごってもらったから今日はお言葉に甘えちゃおうかな」
「おう。いいよ、別に。バイト始めたばかりだけどね。今日くらいはいいかなと」
「よぉーし、んじゃ、行こう」
キャキャ喜んで、はしゃぎながら、梨沙は雅俊の手を繋いで、露店をまわる。コンビニのバイト先で4月に会ってから、
3ヶ月は経っていた。お互いに会った後、意気投合して、1人暮らししていた梨沙のアパートに
ちょこちょこと遊びに行っては、仲を深めて行った。
他県から引っ越しして、1人暮らしを始めて2年目。土地勘も慣れて来て、大学に通うのも慣れて来ていた。
バイトは生活の一部。その中での高校生で新人の雅俊に指導係に抜擢されてから、今に至っている。
元々社交的だった雅俊だが、遠くから引っ越してホームシックになったりする梨沙がかわいそうと思う部分もあり、
高校生ながら、心配していた。初めは1人の時間を穴埋めるためゲームを一緒にする友達から、一緒にご飯を食べる仲に。そして、徐々に恋愛対象へと発展した。これまで、まともに交際をしたことない雅俊にとって、梨沙は少し大人な女性に見えた。どんなことも受け入れてくれることに心が満たされた。でも、どこか何かと投影する。真っ暗な堤防の上から2人並んで座って花火を見上げた。
お互いに地面に置いて繋いだ手は熱かった。いい雰囲気に顔を近付けた。頬に指をふれて、優しく口付けた。遠くで和太鼓の音楽が流れている。露店の明かりが漏れていた。打ち上げ花火が連続で打ち上がった。
額同士をくっつけて無意識に
「雪菜……」
雅俊は、名前を間違えた。
「え?」
「あ、う、あーーー
ゆきなってるなぁって」
「どういう意味?」
「な、なんでもない。今のなし」
「名前、間違ったでしょう」
「え、あーーどうだったかな」
後頭部を手で何度もかいた。
「知ってるよ、まーくん、寝言で言ってたから」
「え?」
「ウチに泊まりに来た時とか。明らかに私じゃない名前言ってた」
「……あー」
「その雪菜って人が忘れないんでしょう。本当は」
「うっ……」
「最近、おかしいなぁって思ってて。いつも誘うの私からだし、行動するのも決定するのも私だから。何か付き合うってこんなんじゃないかなって思ってて」
両膝を抱っこして話す梨沙は、下を向いて落ち込んだ。
「ずっと本当は片想いだったんだなって今の言葉で気づいたよ。まーくんは優しすぎるから、本音隠していいよいいよって言っちゃうんだよね。お人よしすぎるよ。それがまーくんのいいところなんだけどさ。体がこうやって手を繋いだりしてても、心が同じ気持ちでいるかなんてわからないんだよね」
雅俊の右手をじっくりと触って、指の細さを確認した。雅俊は何も言えなくなった。
「今日、本当に楽しかった。ありがとうね。まーくん、今までありがとう。私、この夏の思い出絶対忘れない。名前を呼んだその子と幸せになってね」
「梨沙……。俺」
梨沙は自分の人差し指を雅俊の唇にあてた。
「しっ。もう何も言わないで。私、これ以上、傷つきたくないの」
梨沙の目にはたっぷりの涙で潤っていた。
「……」
「恋人同士ではなくなるけど同じバイトの先輩後輩として続けていきましょう」
静かに頷いた。
何もいうなと言われたため、ずっと話すことができなかった。
「ごめん。梨沙。ありがとう。帰りくらいは送らせて」
指と指を絡ませた。
「いやだ。やめて。もう、惨めになるのは嫌なの。そっとしといて。雅俊をこれ以上嫌いになりたくない」
繋いでいた手をパッと離した。
「まだまだ付き合うのとか高校生だし経験が浅いと思うけど、本当の気持ちは隠さずに言わないといけないよ? 私みたいに傷つく女子が増えちゃうから」
「そうだよね、気をつけるよ」
「んじゃ、ここでさよならだね」
「うん」
梨沙は手をふって別れを告げた。名残惜しそうにお互いに振り向いては戻ってを繰り返しながら、家路を急いだ。お祭りの終わったあとの寂しい雰囲気のまま心がぽっかりと穴が空いたようだった。