田舎暮らしの魔草薬師は返り咲く ~ブラックな元職場を解雇されたので独立したら、なぜか各界の超一流たちが集まってきました~

「失礼します」
「来たな、ハリス」

 入室早々こちらを睨みつけるドレンツ院長。
 年齢はまだ二十代半ば。
院長という肩書をもらい受けるには若すぎる年だ。
 その顔つき……どことなく、彼の父親であり、俺にとっては恩師であるグスタフ・レイナード先生の面影が見られる。
 ただ、中身については雲泥の差があった。


 ノエイル王国の王都にあるレイナード聖院。
 ここは治癒魔法の祖と呼ばれるフランチェスカ・レイナードが開業し、代々運営されている国内でもっとも歴史が長く、そして最大規模の診療所である。
 俺はここで治癒魔法師として働いていた。
 五歳からこの道を目指し、長い修業期間を経て十八になった時から働き始め、今年で十五年になる。
 幼い頃、重病に侵されて死にかけていた俺を助けてくれた、命の恩人でもある先代院長グスタフ・レイナード先生の理念に惹かれ、彼とともに仕事がしたいと努力を重ねてついに治癒魔法師としての資格を得た。

 師匠と慕う先代院長は一年前に亡くなってしまい、レイナード聖院は現在その後継者が運営している。
そんなレイナード聖院の第十六代目院長であり、先代院長の息子であるドレンツ・レイナードに呼びだされた俺は、こうして無駄に豪華な美術品で彩られた院長室へと足を運んだのだ。

「君に以前、最後通告を渡してあったはずだが……覚えているか?」

 氷のように冷たい視線をこちらへ向けながら、ドレンツ院長が迫る。
 最後通告。
 その言葉には聞き覚えがあった。

「私が先代院長とともに推し進めていた、魔草薬の研究についてですか?」

 スラスラ答えると、ドレンツ院長は「ちっ」とこちらに聞こえるよう舌打ちをする。

「分かっているのなら、なぜ呼ばれたのか……その理由についても当然察しているな」
「と、申しますと?」

 わざとらしく尋ね返すと、ドレンツ院長は再び舌打ちをしてから解説を始める。

「君の処遇についてだ。君の身勝手な行動には王家の方々もほとほと困り果てている。早急な対応を求められ、決断に至った。今日はそれを伝えるために呼んだのだ」

 大袈裟な話だ。
 俺がここでしていることをまるで凶悪犯罪のように言ってくれる。

「身勝手な行動と申されましたが、私がここで行っているのは先代院長の悲願でもありました魔草薬の研究であり、これが成功した暁には治療代を払えずに苦しんでいる多くの人々を救うことになります。そうなれば王家の方々にとっても大きな――」
「そんな話をしているのではない!」

 院長のヒステリックに怒鳴り散らすいつもの癖が発動した。
 こうなると、まともな会話は難しくなるから困る。

「俺は魔草の研究を即刻やめるよう伝えたはずだ! あの農場は潰して増築すると!」
「それに対し、私は再三にわたって正当な理由をお尋ねしたはずです。お答えいただけないのであれば従えません。何度も言いますが、あれは先代院長のご遺志でもあるのですから」
「ぐっ……屁理屈を!」

 どっちが屁理屈なんだと言いたいところだが、それはグッと堪える。
 たぶん、それを口にしてしまったらもう歯止めが利かないだろう――まあ、もう手遅れ感はあるけど。

 魔草の研究。
 先代院長の肝入りで始まったのだが、その最大の目的は「治療代を払えない人々に安価で魔草薬を販売するため」であった。

 本来であれば、来院して治癒魔法を受けるのがベストなのだが、それに頼らず、魔力を含んだ魔草と呼ばれる植物を使用した薬で症状が改善されるケースも多々ある。しかし、この魔草薬というのは過去にあまり研究がなされておらず不透明な部分も多かった。

 そこに着目した先代院長は、聖院の土地の一角に農場を作って魔草の栽培を始めた。自分たちで研究し、より多くの人の命を助けようという試みだったのだ。

 ――だが、この研究は徐々に疎まれていくようになる。
 原因は目の前にいる現院長にあった。

 彼は治癒魔法使いという限られた者しかなれないという貴重な立場を悪用し、治療の対象を貴族や商会幹部、上位ランクの冒険者パーティーなど、大金を持っている層に限定しようと動きだしたのだ。

 これは彼が独断で考案したものではないだろう。
 バックには優位な立場を利用して甘い蜜をすすろうとする不届き者たちがいると俺は睨んでいた。王家の中にもそういった考えを持つ者がいるみたいだし。
 グスタフ先生にもこうした誘いはあったのだが、頑として受け入れなかった。そんな彼の息子であるドレンツ院長も、同じように突っぱねると思ったのだが、先代院長の死をきっかけに事態は急加速する。
 
 彼はまだ若く、治癒魔法師としても見習いレベルであった。
 通例では、その場合に優秀な補佐役を置き、連携を取って聖院を運営しているのだが、ドレンツ院長はその補佐役に自分の息のかかった部下を配置した。抗議する者は片っ端からクビにして、先代院長からの流れを一気に遮断したのだ。

 先代が生きている時は大人しく鳴りを潜めていたが、止める者がいなくなったと判断して本性を現したのだろう。

 おかげで、グスタフ先生に師事された者でレイナード聖院に現在まで残っているのは俺だけになってしまった。
 そして、ついに魔草農場の廃棄に反対し続けていることを理由に俺を追放しようとしているのだ。

「あなたがそこまで魔草の研究を毛嫌うのは……金にならないからですか?」
「そうだ」

 言い訳をつけて回避するのだろうと思っていたが、真正面から肯定されるのはさすがに予想外だった。もうヤケクソになったのか?

「親父のやり方は古臭いんだよ。大体、他の連中は俺たち治癒魔法師の力がなければ長生きはできねぇんだぜ? これを利用しないなんてバカのすることだ。それを分かっているから、金持ちは高い金を払ってでも治療を受けに来るんだよ。金を払えねぇ貧乏人に生きる価値はねぇのさ」
「あなたは……そこまで……」
「いいか? 俺たちは他人の寿命を左右する貴重で特別な存在なんだ」

 治癒魔法師の存在を肥大させて悦に浸る……まるで自分が神にでもなったかのような口ぶりだった。
一体、彼はどこで道を違えてしまったのだろう。
 近くにあれほど偉大な父親がいたというのに。

「おまえをクビにするのは魔草薬の件だけじゃない。例の訪問診察についても、俺は散々やめろと通達したよな?」

 訪問診察は、先代院長の頃から続けていた。
 離島に住む少数部族だったり、ダンジョン近くで寝泊まりをしている駆けだしの冒険者たちだったり、危険な鉱山で働く炭鉱夫たちだったり――体調が悪くても、さまざまな理由で聖院まで足を運べない人たちのために、俺たち治癒魔法師は定期的に地域を分担して各地を回っていた。
 これもまた、グスタフ先生の理念に惚れ込んだからできることだ。
 しかし、拝金主義に取りつかれたドレンツ院長は、出張で予算を食う挙句に大した金にもならないこの訪問診察を完全撤廃してしまった。
 
 ――が、俺や先代院長の弟子たちはそれに従わず、訪問診察を密かに続けていた。
 もっとも、現院長派の治癒魔法師たちによって密告され、すぐにバレてしまったのだが。

「以上ふたつの理由から、おまえは我が院に相応しくない人材と判断し、今日限りで解雇すると決定した。とっとと荷物をまとめて失せろ」

 眼前を飛び交う羽虫を追い払うがごとく、「シッシッ」と手を振るドレンツ院長。
 ……これ以上のやりとりはいくらやっても不毛な結果に終わる。
 そう判断した俺は、

「分かりました。それでは私は今日限りでこのレイナード聖院をやめさせていただきます」
「おう。――何をしている? さっさと出ていけ!」

 またしても怒鳴り散らし、座っていた執務机を蹴りだす。
 短気なところは誰に似たんだか……まあ、それも今となってはどうでもいいことだ。

 俺は院長室を出ると、荷造りのためにまずは農場を目指した。
 ――が、ここで俺は信じがたい光景を目の当たりにする。

「っ!? これは!?」

 そこにあったのは、見る影もなくボロボロとなった農場の姿であった。誰かが踏み荒らしたせいで、栽培していた魔草は全滅している。おまけに、作業用にと作ってあった木造の小屋まで破壊されていた。あの中にはここまでの研究をまとめたレポートが保管してあったのだが、あの様子ではすべて破棄されているな。
 おかげで俺たちの長年にわたる魔草薬の研究が台無しになってしまった……間違いなく、ドレンツ院長の仕業だろう。
 恐らく、部下たちに命令してやらせたに違いない。

「ひどい……」

 惨状と化した農場を呆然となって眺める。

「自分の父親が心血を注いで研究していたというのに……」

 天涯孤独の身である俺にとって、今のドレンツ院長の考えはまったく理解できなかった。
ため息をつきつつ、俺はバラバラにされた小屋から小さな麻袋を取りだす。

「やっぱり、こいつには気づかなかったか」

 麻袋の中には植物の種がいくつか残されていた。
これらは全部魔草の種。
こいつがあれば、また研究ができる。
一からやり直すのは大変だが、魔草薬を研究し、たくさんの人を救いたい――それがグスタフ先生のご遺志だからな。そのためにも、特にこいつが必要不可欠だ。
俺は他の物に比べてひと回りほど大きな緑色の種を取りだす。

「こいつが残ってくれていたのは奇跡だな」

 静かに呟いてから麻袋を強く握りしめると、俺は立ち上がって歩きだす。
追いだされた以上、次の住居を確保しなければならないからだ。
目的地について、候補はいくつかあるけど、その前にこれまでお世話になった人たちへ挨拶をしなくちゃいけないし、それよりも先にちょっと寄りたいところがある。
 
 さて、これからどうなることやら。

  ◇◇◇

 追いだされた日は町の宿屋で一泊し、翌日改めて出発した。
 途中、顔馴染みの行商が俺の目指す目的地へ向かうというので、彼の馬車に同乗させてもらうことに。

「しかしあそこへ行きたいなんて先生も物好きですねぇ。そこで商売をやろうっていう私が言うのもおかしな話ですが、何もありませんよ?」
「今の俺にとってはそっちの方がいいですね」

 そう言って、俺は荷台から外の景色を眺めつつ思いにふける。

 思い返せば、前の世界にもあんな上司がいたな、と。
 ――そう。
 俺はもともとこの世界の住人ではない。
 かつての俺は日本人で、地方の中小企業で営業職をやっていた。別に人と接するのが好きだとか社会貢献だとかには興味がなく、ただ生きるために働いて金を稼ぐというくだらない日々を送っていたのだ。

 生きる意味を失いかけていたある日、俺は死んだ。
 それはもう呆気なく、ぽっくりと病で死んだ。

 自分が死ぬのだという実感も湧かないまま意識が薄れていき、次に気がつくと目の前に美しい金髪の女性が立っていた。
 自分はとある世界を管理する女神だと告げたその女性は、俺の生き様があまりにもひどすぎるので自身の管理する世界に転生させようかと提案。それが俺好みのいわゆる剣と魔法のファンタジー世界だったので乗っかることにしたのだ。
 その際、前世とはあまりにも世界観が異なるため、役に立つスキルをひとつ授けると言ってくれた。いくつか挙げられた候補の中から、俺は魔草使い《プラント・マスター》を選択。
 理由としては、女神の話を聞く限り、かなり応用の利きそうな万能スキルだったから。

 実際、この力は大いに役立ってくれた。
 当初は気ままに冒険者でもやろうかと考えていたが、偶然出会ったグスタフ先生に見出されて魔草薬師として生きていく道を選んだのだ。

 誰かのために力を使うというのは初めてのことだったので、いろんな人に感謝されて俺は舞い上がった。誰かから必要とされるのがこんなにも嬉しいなんて前世では気づかなかった。毎日与えられた仕事だけをこなすマシンのような生活ではなく、人の役に立つよう頑張る日々はとても充実していたのだった。

 ……本当はそのグスタフ先生の息子であるドレンツ院長と魔草の研究を続けられたらよかったのだが、今の彼には何を言っても無駄だろう。

 なら、ここからは俺の自由に生きる。
 魔草の研究と、困っている人たちを助けるために過ごしていこう。
 これまでと生活の本質自体は変わっていないけど、自由度はより増している。
 なんか、そう考えるとワクワクしてきたな。

 少し不安もあったけど、ここまできたらもう吹っ切れるしかない。
 そう思うと、なんだか体が軽くなったような気がしてきた。
 うん。
 暗く考えるのはやめて、しっかり魔草の研究に勤しめる環境を作りながらのんびりやっていくとするか。
 聖院をあとにした俺はある場所を目指していた。
 そこはノエイル王国の最東端。
 俗に「辺境のド田舎」と言われる地方だ。

 俺はここに何度か足を運んだことがある。
 理由は訪問診察。
 田舎町と言われるだけあり、領民の数は少なく、これといって発展した産業はない。海と山に挟まれているという土地柄、森林を相手にする林業か海を相手にする漁業が盛んなくらいであとは領地内に数ヵ所あるダンジョンでのギルド運営がある程度。

 おまけに王都からは数日かかる距離にあるため、医者の成り手がおらず薬も聖院が認定する専門行商からでしか手に入らない。その現状を知ったグスタフ先生は、生前からこの地へ何度も足を運び、弟子である俺もそれに同行した経験があった。先生がなくなってからもここへはよく来ている。

 聖院を追いだされた俺がまず気にかけたのがこの地であった。
 中でも、領主であるアントルース家はずっとお世話になっていたので、一度挨拶に行きたいと考えていた。それと、ここには長らく治療を続けている人物がいるのだ。

 ――というわけで、数日をかけてアントルース家の屋敷へとたどり着いた俺は顔見知りの門番ふたりへと話しかける。

「ハ、ハリス殿?」
「今日は来訪の予定と聞いてはおりませんが……」
「ちょっといろいろあってね。ベイリー様は――」
「いらっしゃいます。少々お待ちください」

 門番のひとりはバタバタと慌てながら屋敷の中へと入っていった。
 ここへ訪れる際は事前に手紙で通達をしておくのが基本だからな。
 突然の来訪ってことで驚いたようだ。

 しばらくすると門番が帰ってきて、「どうぞお入りください」と通される。
 手の行き届いた美しい庭園を抜けて、正面玄関から屋敷内へ。

「やあ、ハリス。今日はどうしたんだい?」

 笑顔で出迎えてくれたのが、アントルース家の当主でこの地方を治めるベイリー・アントルース様だ。

「急な来訪となり、申し訳ありません。本日はどうしてもベイリー様にお伝えしたいことがありまして」
「っ! ……分かった。では、続きは応接室で聞こう」

 いつになく真剣な雰囲気を漂わせていたので、ベイリー様も「何やら非常事態が起きたのだが」と感じ取ってくれたらしく、表情を引き締めて俺を応接室へと招き入れてくれた。

「君がこうして一報もなく訪ねてきた理由は……ロザーラに関してかい?」

 ソファに向かい合う形で腰を下ろすと、ベイリー様は開口一番にそう尋ねてきた。
 ロザーラ様とは、ベイリー様の奥さんの名前だ。
 数年前に魔毒と呼ばれる病を患い、継続的に治療を続けている。現状では完治に至っておらず、グスタフ先生が亡くなってからは俺が治療を引き継いでいた。魔毒の明確な治療法は未だに見つかっていないため、ベイリー様も気になるようだ。

 ――ただ、今回の場合はちょっと事情が事なる。

「今日はロザーラ様の件ではなく、私自身のことでして」
「君自身の?」

 不思議そうに首を傾げたベイリー様へ、俺は本題であるレイナード聖院をクビになった件について報告する。
 話を終えると、ベイリー様は憤慨した。

「……にわかには信じられない話だな。君のような優秀な人材をそのような傲慢さで手放すとは」
「そう言っていただけると、私も救われます」
「今後はどうするつもりなんだい?」
「どこか静かな場所で魔草薬の研究を続けようと思っています」
「魔草薬……先代院長のグスタフ殿が生涯をかけて研究していたな」

 ベイリー様はグスタフ先生がどれほど真剣に魔草の研究をしていたかよく知っているし、感銘を受けていた。資金提供って話にもなったが、それはグスタフ先生が断っていたっけ。

 その件について、俺のスキル――魔草使い《プラント・マスター》についても言及しておいた。

「なるほど。そういった経緯があったのか」
「報告が遅くなり、申し訳ありません」
「構わないよ。グスタフ殿にも考えがあってのことだろう。それに、今後は君が魔草薬の研究を引き継ぐのだろう?」
「そのつもりでいます。私ではどこまでやれるか分かりませんが……ロザーラ様の件もありますし、できればこの近くがよいと考えています」
「アントルース家としては歓迎するよ。領民たちも君やグスタフ殿には随分と世話になっているからね」

 とりあえず、受け入れてもらえてひと安心だ。

「ここからだとデロス村が一番近いか。あそこのラッセル村長とは確か面識があったよな?」
「はい。何度か訪問診察に訪れたので。可能ならば、所用を済ませた後でそこに魔草を育てるための農場を開き、研究を続けようと思っています」
「おお! それは実に素晴らしい案だ!」

 俺の言葉に対し、ベイリー様は大賛成してくれた。

「それから……」
「他に何か?」
「最後にロザーラ様にもご挨拶をしたいのですが」
「もちろん構わないよ」

 最後に、俺はこの屋敷を訪れたもうひとつの理由――ロザーラ様の症状を確認するため彼女の部屋を訪れた。

「あら、ハリスじゃない」
「ご無沙汰しております、ロザーラ様」

 ベッドに横たわっていたロザーラ様は、俺が部屋へ入ってくると周りに立つメイドたちに介助されながら上半身だけ起き上がる。まだ体力的には完全回復に程遠い状態だが、顔色はいいし表情も明るい。ベイリー様の話では食欲もあるという。
 そんなロザーラ様に、俺は聖院をクビになってデロス村での診療所開業を目指す話を切りだした。聖院から追いだされたと聞いた直後は青ざめていたが、この近くにあるデロス村へ移り住むという話になると途端に笑顔を見せてくれる。

「よかったわ……あなたが近くにいてくれるのは心強い――あっ、ごめんなさい。あなたの立場を思えば喜ぶ場面ではなかったわね」
「いえ、どうかお気になさらず。むしろ今は晴れやかな気分なんです。ようやく縛りが消えたというか、これからは自分の思う通りに動けると」
 
 これは嘘偽りのない本心だ。
 向こうも俺が気を遣ってそう言ったわけではないと見抜いたようで、安堵しつつもこれからの飛躍を願ってくれた。
 特に異常もないようなので、少し世間話をした後、デロス村へ向かうためにロザーラ様の部屋をあとにする。それから玄関まで進む間に、俺はもうひとつ忘れていたことを思い出したので尋ねてみた。

「フィクトリア様はお元気ですか? 確か、今は王立学園に通われているとか」
「元気すぎるくらいだよ。――そうそう。来週から学園が春休みに入るようで、フィクトリアも一時的にではあるが屋敷へ戻ってくるんだ」
「なるほど。それでロザーラ様は元気だったんですね」

 話しに出てきたフィクトリア様とは、ベイリー様とロザーラ様の間に生まれたアントルース家のご令嬢だ。
 現在は王立学園で勉強に励まれているらしい。
 前に会ったのは今から十年くらい前か……ちょうど学園に入学される日だったな。あそこは全寮制だから、家族と離れて暮らすことを嫌がっていたのを覚えている。でも、ベイリー様の話を聞く限りでは楽しく過ごされているようで何よりだ。

「きっと、あの子は君に会いたがるはずだ」
「わ、私にですか?」
「どうやら、最近になって治癒魔法に関心を持ったらしくてね。恐らく、長期休暇の際にいつもロザーラが元気に迎えてくれるのが君のおかげと知り、自分も同じ道に進みたくなったようだ」
 
 フィクトリア様がそんな風に思ってくれているとは……意外だった。ここへ来る時はいつも学園にいたので、ほとんど接点がなかったし、なんだったらもう俺のことなんて忘れているかもとさえ思っていたのに。

「もし君がデロス村へ移住するとなったら、たまにあの子の話し相手になってくれないか?」
「私などでよろしければいつでも」

 治癒魔法師は万年人手不足だからな。
 それが原因で、ドレンツ院長のように驕った考えを持つ者まで現れてしまう。それを防ぐためにも、未来ある若い人材は必要不可欠だ。
 あと、これは個人的な興味なのだが……彼女がどのような成長を遂げているのか、それもちょっと楽しみだな。

「そういえば、先ほど所用と言っていたが、一体どんな用事なんだ?」

 外へ出て庭園を歩いていると、ベイリー様がそう尋ねてきた。

「これまで訪問診察に訪れた地を巡り、諸々報告しようかと。レイナード聖院へ問い合わせても私はいないですからね」
「なるほど。それはよい心掛けだな。ちなみに次の目的地は?」
「まずは星屑迷宮、それから商業都市ディバン、ノエイル王立学園、レオディス鉱山――辺りですかね。一ヵ月ほどかけて巡る予定です」
「星屑迷宮、商業都市ディバン、ノエイル王立学園、レオディス鉱山……」
「? 何かありました?」

 なんだか様子がおかしいベイリー様に尋ねてみたが、「なんでもないよ」と返された。
 まあ、怪しい相手じゃないからいいんだけど。

「では、ラッセル村長へは私から話をしておこう」
「お気遣い、ありがとうございます」

 俺はベイリー様へ深々と頭を下げ、アントルース家の屋敷をあとにした。
 さあ、ここからが大変だぞ。
 ハリスがアントルース家の屋敷を出てから数日後。
 
 ベイリー・アントルースは書斎にある椅子に腰かけ、黒檀の執務机に両肘をつきながらある人物を待っていた。
 すでに窓の外は夜の闇に包まれており、青白い月明かりがカーテンの隙間から差し込んでいる――と、部屋のドアの外に人の気配を察知した。

「旦那様、例の物をお持ちしました」
「おぉ、よくやってくれた、ピエール」

 ピエールと呼ばれた白髪の老紳士はベイリーに仕える執事で、かつては王国騎士団で辣腕を振るっていた猛者である。騎士団を引退してからはベイリーの人柄に惚れ込んでいたということもあり、執事となったのだ。
 そのピエールから一枚の紙を受け取ったベイリーは早速目を通してみる。それからすぐに大きく息を吐きだした。

「星屑迷宮、商業都市ディバン、ノエイル王立学園、レオディス鉱山……どれもこれも聞いた名前ばかりだと思っていたが、まさか予想がことごとく的中するとはね」

 呆れたように呟く。
 執事ピエールの持ってきた紙には、ベイリーがハリスから聞いた目的地をもとに独自のルートで集めた診察相手に関する情報だ。相手も別段隠している様子はなかったらしく、少し調べたら次々と舞い込んできたので思っていたよりもずっと早く集まった。

 ただ、問題はそこに並ぶ名前の数々。
 ハリスは普通に患者として接しているようだが、とんでもない大物ばかりであった。

「これをレイナード聖院は知っているのか? ……いやぁ、知っていたら絶対に手放さないだろうな」

ベイリーは視線を紙からピエールへと向ける。

「君はどう思う、ピエール」
「ハリス様は愚直な方ですからな。相手の立場によって対応を変えるようなことはしないでしょう。ですので、相手が大物でも普段と変わらない態度で魔草による治療を行い、それが気に入られたと見るのが自然ではないかと。……ただ、皮肉にもそうした態度がドレンツ・レイナードの逆鱗に触れた理由でもあります」
「やはりそうなるか」

 資料によれば、その大物たちは自分たちの立場に怯まず自然のままに接してくれ、尚且つ仕事のできるハリスを大層気に入っているらしい。何を隠そう、それはベイリーも同じだったので気持ちは痛いほどよく分かった。

「問題は……ここに名を連ねる有力者たちが、私と同じように彼を手元に置いておきたいと願うだろうという点だな」

 ベイリーとしては、リストに載っている者たちと敵対行動を取るつもりはなく、むしろ協力体制を組みたいと考えていた。
この場合、何よりもハリスを失うことが大きな損失となるのだが、組織のゴタゴタに巻き込まれる形でクビを宣告された彼にとって、ここでもまた揉め事に発展したら活動の拠点を国外へ持っていかれるかもしれない。それこそがもっとも避けるべき事態だ。

 幸いなのは、リストに名のある人物たちが全員きちんとした話し合いができそうな人物ばかりということだろうか。ケンカ腰で話を進めず、対話による解決は望めそうだとベイリーは踏んでいた。

「……ピエール。このリストに載っている者たちのところへ使者を出す準備を進めてくれ」
「それは構いませんが、何をお伝えに?」
「ハリスの件で話がしたいからアントルース家の屋敷を訪れてほしい、と。できれば全員が一斉に集まれた方がいいから、日時も指定しておく」
「かしこまりました」

 ベイリーはひとつ勝負に出た。
 彼らとの衝突を避けるため、ちゃんとした場で真剣に話し合う必要があると考えた結果、この屋敷に集めてそれを実行しよう、と。
 むろん、すんなりとは受け入れてくれない可能性もある。
ただ、評判を聞く限りでは頭ごなしに物事を決めつけて行動するようなタイプではなさそうなので応じてはくれそうだというのがベイリーの見解であった。

 今後については返事待ちだと息を吐いた直後、こちらへと近づいてくる力強い足音が耳に入った。
 その直後、

「お父様!!」

 ノックもなしに勢いよく部屋の扉が開かれた。

「はしたないぞ、フィクトリア」
「あっ、ご、ごめんなさい――って、そうじゃありませんわ!」

 部屋に入ってきたのはベイリーの娘のフィクトリア・アントルースだった。フィクトリアは長い母譲りの銀髪をなびかせながらこちらも母譲りの青い瞳を潤ませ、父ベイリーの座る黒檀の執務机の前に立つとそこへ「バン!」と勢いよく両手をつく。

「メイドがうっかりと口を滑らせました。――ハリスさんが聖院をクビになってこちらへと移住するそうですわね」
「……なんのことだ?」
「とぼけても無駄ですわ!」

 治癒魔法使いとして何度も母を救ってくれたハリスを尊敬し、いずれは自分もその道に進みたいと願うフィクトリアにとって、今回の件はとても無視できるものではなかった。
 娘の性格を熟知しているベイリーには、ただでさえ慎重に取り扱わなければいけない案件だというのに事態をややこしい方向に引っ張りかねないとして黙っていたのだが、どうもメイドのひとりがうっかりその件を漏らしてしまったらしい。

「ハリスさんは今どちらに?」
「それは知らん。ただ、いずれはデロス村のラッセル村長を訪ねてくるはずだ」
「なら、わたくしは彼が来るまでデロス村へ――」
「おまえには学園があるだろう? それに……これを見ろ」

 ベイリーは例のリストをフィクトリアへ渡す。

「? これは?」
「ハリスが訪問診療を行っていた相手の一覧だ」
「えっ? か、貸してくださいまし!」

 ハリスに関する資料ということで、フィクトリアは熱心に目を通していく――が、その表情は徐々に固まっていった。

「いや……これ……凄すぎません?」
「私も最初見た時は驚いたよ。ただ、彼の治癒魔法師としての腕前や誠実さ、そして病気や怪我で苦しむ人たちを救おうと魔草薬の研究にかける情熱――それらを目の当たりにすれば、支持したくもなる」
「た、確かに!」 

 フィクトリアには心当たりがあった。
 というより、ハリスに憧れ、ハリスのような治癒魔法師となるために王立学園で勉学に励んでいる彼女にとっては至極当然の流れだろうと思っていた。

「彼はこの地にとどまると言ってくれたが、他の患者たちから魅力的な条件を提示されたらそちらに移ってしまう可能性もある」
「そ、そんな!? ようやく憧れ続けていたハリスさんとお顔を合わせてお話ができると喜んでいたのに……あんまりですわ! それに、お母様の件だって!」
「むろん、私もその点を危惧している。もっとも、彼は生真面目だからな。たとえ別の地で暮らすことになっても、ロザーラの診察は続けてくれるだろうが」
「ですが!」
「フィクトリアお嬢様、少しよろしいですかな?」

 親子の会話に割って入ったのは執事のピエールであった。

「なんですの、ピエール! 今は取り込み中ですわよ!」
「その取り込みごとについて少々お話が」
「構わん。言ってみろ、ピエール」
「それでは――リストの中には王立学園の名前もあります。こちらは実際に学園へ通われているフィクトリア様自身が交渉されてはいかがでしょう」
「っ! その手がありましたわ!」

 バシッと両手の拳をぶつけ合い、気合を入れ直すフィクトリア。
 少々不安だが、こちらから使者を送るとなると諸々の手続きが必要になるので、それを省略するという意味でもフィクトリアの抜擢は的確と言えた。

「よし……恐らく、ルートの順番から言ってハリスはすでに学園長へフリーになったと報告をしているはず。フィクトリアよ。長期休暇のところ悪いが、頼めるか?」
「おまかせですわ!」

 頼もしく胸を叩くフィクトリアは、早速翌朝には出発しようと学園へ向かう準備をするため書斎をあとにした。
 
「相変わらずパワフルでございますな、フィクトリア様は」
「まったく……誰に似たのやら」

 力任せのゴリ押しに頼る傾向があるのは父親譲りでは、と発言しようとしたピエールであったが、さすがに実行はできず静かに言葉を飲み込んだ。

 こうして、ハリスを取り巻く環境は彼の知らないところで着々と変化しつつあった。
 アントルース家の屋敷を出て、過去に訪問診察を行った場所を巡って一ヵ月。
 俺は約束通りデロス村へと戻ってきた。
 ここも以前から訪問診察のために何度か訪れたことがある。
 
「変わらないなぁ、この村は」

 遠くに見える風車を眺めながら呟く。
 今は穀物の収穫時期らしく、いつもはのんびりしている村人たちがどことなく忙しないように映った。
 俺はここから少し離れた位置にある森で新たな生活を始めようと考えている。
 あの森にはだいぶ前に使われていた水車小屋があるらしく、かつてはそこで人も暮らしていたようだが、近年は空き家になっていると前の訪問診察の際に村長のラッセルさんから聞いていたので、それが残っていれば再利用したい。

 というわけで、ラッセル村長の家を目指していたのだが、村人のひとりが俺の存在に気づいて声をかけてくる。

「せ、先生? ハリス先生ですよね? どうしてデロス村に?」
「ちょっと用事があってね。ここで暮らすための準備をしようとこれからラッセル村長の家に行くつもりなんだ」
「こ、ここで暮らす!?」

 ……しまった。
 あまりにも迂闊だった。
 一応、ベイリー様にはその旨を伝えてあるし、ラッセル村長にも話は通っているはず。
 でも、まだ村民たちまでには届いていなかったようだ。
 
 彼の叫び声を聞いた村人たちがだんだんと俺の来訪を知り、集まってきた。あまり騒ぎになると収拾がつかなくなる恐れが出てくる――が、それを防いだのは俺が捜しているラッセル村長であった。

「こらこら、あまり先生を困らせるんじゃないぞ」

獲物を狙う猛禽類のような鋭い目に輝くスキンヘッド。おまけにあの筋骨隆々とした鋼の肉体……一見すると村長には見えないのだが、彼は立派なこの村の長だ。

「待っていたぜ、ハリス。話はすでにベイリー様から聞いている」
「村の人たちにはまだ言っていなかったんですか?」
「おまえが挨拶をして回ったという場所にはたくさんの大物が暮らしているからな。そういった連中に破格の条件を積まれて向こうに居座るって可能性もなくはないと踏んで黙っておいたんだ。期待をさせておいて何もないっていうのが一番辛いからな」

 なるほど。
 ラッセル村長なりの優しさってわけか。
 
「だが、こうして戻ってきてくれて嬉しいよ」
「とどまってくれという誘いもいくつかありましたが、クビを宣告された時にすぐ思い浮かんだのがこの村の光景でしたので。ロザーラ様の容態が心配というのもありますし、魔草の研究という視点からもここが一番適していましたから」

 あらゆる観点から総合的に判断した結果、俺は第二の居住地としてこのデロス村を選んだ。
 ロザーラ様の件もあるけど、この村は若者が少なく、病を抱える高齢者が多い。そういった事情もあった。

「それで、住む家の話だが――」
「すでに決めています。森の中の水車小屋を利用しようかなと」
「水車? ああ、確かにあったな、そんなの。しかし、あれはもう何十年と使われていないボロ小屋だぞ?」
「俺ひとりが暮らすのなら、それくらいで十分ですよ。近くを流れる清流は魔草の栽培に必要ですし」

 むしろそれが大事だったりするんだよな。
 魔草は栽培するのに場所を選ばない。
 必要なのは水と日光と少量の魔力のみ。
 荒れた荒野でも成長が確認できた。おまけに多少の雨風や乾期でも乗り越えるタフさを持っている。これで抜群の治癒効果が見込めるというのだから研究しないわけにはいかない。

 まあ、こうした万能性が広まってしまうと治癒魔法使いとしての地位が危ぶまれるから、ドレンツ院長はなんとしても研究から手を引かせようと躍起になっていたんだろうな。彼にまとわりつく甘いおこぼれ狙いの小悪党たちも結託し、グスタフ先生の遺志をなかったことにしようとしたのだ。

 とはいえ、俺よりも先に辞めた三人の先輩たちが、魔草の研究自体も中止してしまったとは思えない。彼らは今も世界のどこかで魔草の研究を続けているはずだ。いつかどこかで再会できればいいのだが。
 
 ちなみに、ラッセル村長からの呼びかけにより、今日の夜は俺の歓迎会を盛大に開いてくれるという。

 こういうノリのいいところも、この村を選んだ理由のひとつだったりするんだよな。
 宴会を楽しみにしつつ、俺は森へと入った。
 目的地の水車小屋はこの中にあるのだが、それほど村から遠くない。歩いていけば三十分くらいでつける距離だ。
 
「前に来た時と変わらないな」

 一歩ずつ森の奥へと進みながら、かつてこの地を訪れた時の様子を思い出していた。まだまだ駆けだしで今よりずっと未熟だったからな。グスタフ先生の背中を追いかけることにただただ必死だった。

 懐かしさに浸っていると、小鳥のさえずりに交じって小川のせせらぎが聞こえてきた。

「確かこの辺りだったはず――おっ? あれか!」

 大きな岩場を越えた先に、見覚えのある川が出現。
 その脇には木造の小屋があった。

「よかった。さすがに倒壊していたら引き返さなくちゃいけなかったけど、これならちょっと改築するだけで十分住めるはず」

 そう。
 いくらなんでもこのまま住むというわけにはいかない。
 家の耐久度をあげるためには改築が必要なのだが、あいにく俺にはそうした技術もなければ必要な工具も持ってきていない。
 あるのは麻袋に入った数種類の魔草の種。
 だが、この種こそが小屋をよみがえらせる鍵なのだ。

「暗くなる前に始めるか」

 俺はリュックをおろすと、小屋の近くにある地面に種を植える。前の持ち主が家庭菜園でもやるつもりだったのか、周辺は少し整備されており、俺はそこで魔草の栽培を行うつもりであった。

 その第一弾として選択したのは、残っていたのが奇跡と呼べるあの緑色の大きな種。
 こいつは特別製で、ずっと使うのを惜しまれていた。
 聖院に残っていてもきっと使われずに終わっただろうから、ここで魔草研究のために力を貸してもらおう。

 種を植えると、俺はそこへ魔力を注いだ。
 グスタフ先生仕込みの治癒魔法使いである俺にとって、魔力の扱いはお手の物だ。炎や水を操るといった派手さはないものの、回復士《ヒーラー》としてやっていけるだけの技術は兼ね備えている。そういう意味では、冒険者への転職というのも選択肢のひとつとして考えていたんだよな。
 それでも、俺はやっぱり魔草の研究を続けたいと思い、この地へやってきたわけだが。
 しばらく続けていると、種を植えた場所の地面が少し盛り上がってきた。

「おっ? そろそろか」

 さらに魔力を注ぎ続けると、大地を突き破って巨大な根が出現。さらにその巨大な根に包まれるような形で立派なつぼみが誕生していた。

「いい感じだな」

 そう呟いた直後、つぼみがゆっくりと開いていき、その正体があらわとなる。

「ふわあぁ~……」

 大きなあくびとともに姿を見せたのは、幼い女の子。
 美しい緑色の髪に鮮やかなピンク色の花を乗せている。
年齢は五、六歳くらい。

 この子は植物型モンスターの代表格とも言えるアルラウネ。
 あの種はそのアルラウネの種だったのだ。
 細かく分類すると種族としては異なるのだが、彼女も立派な魔草であることには違いはないのでグスタフ先生の研究対象であった。
 眠そうに目をこすりながら、俺の存在を確認すると、

「パパ!」

 元気にそう叫んだ――って、パパ?

「えぇっと、俺は君のパパじゃないよ」
「でも、私を育てたのはパパだよね?」
「それはそうなんだが……」

 いろいろと誤解を招きそうな言い回しだな。
アルラウネって種族はみんなあんな感じなのか?

「ともかく、君に早速やってもらいたいことがあるんだ」
「なぁに?」
「あそこの小屋に使われている木材を昔のように元気な状態にしてほしいんだ」
「任せて!」

 元気よくそう告げたアルラウネが目を閉じると、足元から無数の蔓が出現し、あっという間に水車小屋を覆った。そして、一瞬の閃光の後、蔓が引いていくと――

「おおっ!」

 思わず声がでてしまうほど、ボロボロだった小屋はまるで完成直後のようになっていた。中に入って調べてみると、折れていたり、穴が開いてしまっていた部分も元通りでとても頑丈な住まいへと生まれ変わっている。

「よくやってくれた!」
「えへへ~」

 つぼみからおりてきたアルラウネの頭を撫でながら、彼女の仕事ぶりを褒めちぎる。
 その後、彼女の紹介も兼ねて宴会へと出席するため再び村へと戻ることに。
 明日からは魔草栽培のための農場を整備しないとな。
 ハリスがデロス村へ到着する数日前。
 ノエイル王都から少し離れた位置にある広大な敷地。
 そこには将来有望な若者たちが集うノエイル王立魔剣学園があった。

 ここもまた、ハリスが訪問視察で訪れる場所のひとつであり、未来ある生徒たちの健康管理にひと役買っていた。
 また、この学園にはアントルース家令嬢であるフィクトリア・アントルースも数年前から在学しており、聖院をクビになったハリスが最後の挨拶に訪れたと聞いて春季休校中でありながらわざわざ訪れ、アントルース家の意向を伝えに来ていた。

「なるほど……あなたの言いたいことはよく分かりました」

 落ち着いた口調でそう告げたのは、白髪の老婦人――王立学園で学園長を務めるマイロスであった。その横には彼女の右腕である副学園長のノーマンが立っている。こちらは五十代前半で綺麗に整えられた髭と片眼鏡が特徴的な偉丈夫である。
 
「マイロス学園長! それでは――」
「まあ、待ちなさい。慌てるのはあなたの悪い癖ですよ、フィクトリア・アントルース」

 満面の笑みを浮かべるフィクトリアは自分の提示した条件をマイロスが呑んでくれると確信したようだが、当のマイロスとしては明確に答えを告げたわけではないので、とりあえず早とちりをしているフィクトリアをなだめた。

 彼女が提示した条件とは、ハリスをデロス村へ住まわせるということ。
 もちろん、最終決定を下すのはハリス自身なのでそうするように仕向けるというマネはしない。しかし、母親の体調面を考慮すると、やはりハリスのような腕の良い治癒魔法使いには近くにいてほしいと願っていた。

 必死になって訴えるが、あまりにもプランを練らず慌てて来たものだからうまく話せず、何度か会話が止まってしまったものの、最終的に自分の伝えたい話は喋れたと安堵していた。

 一方、マイロスはマイロスで悩んでいた。
 かつてハリスが学園を訪れた際、魔草薬の研究についての話を聞いたのだが、とても魅力的でぜひとも協力したいと申し出ていた。
 しかし、ハリスは訪問診察の件もあってこれを保留。
 ハッキリとした答えが出ないまま、彼は理不尽な理由で聖院をクビになってしまった。
 当然、挨拶に来た彼をヒルデは学園へと誘った。

 だが、ハリスはロザーラの容体が気になるとここでも断ったのだ。
 どうやら学園でも屈指のおっちょこちょいで知られるフィクトリア・アントルースは、それを知らずに学園長室へ乗り込んできたのだろうとため息をつく。

「ハリスの件ですが……彼は私の誘いを断ってデロス村へ戻ると言っていましたよ」
「えっ? そ、それって――」
「あなたの母上の容体を気にかけてでしょうね」
「彼の性格を考えればそうなる結果は見えていたが……これほどの好条件を振り切って待っている人のところへ戻るのは相当な覚悟がいる。さすがはハリスだ」

 ノーマン副学園長も、ハリスの判断を讃えていた。

「そ、それを聞いてひと安心しました……」

 ハリスが無事に領地へ戻ってきてくれると知ったフィクトリアは思わずその場へとへたり込む。
 ――だが、マイロスの話はこれで終わりではなかった。

「でも……たとえあなたの家の件がなかったとしても、学園側は彼の召集をあきらめざるを得なかったかもしれませんね」
「? どういう意味ですの?」
「スペイディア家は知っているな?」
「は、はい」

 ノーマン副学園長からの質問に対し、フィクトリアは「何を今さら?」という表情を浮かべながら返した。

 スペイディア家はノエイル国内でも屈指の大貴族――王家とは親族関係である公爵家だ。同じ貴族でありながらも辺境領主であるアントルース家とは立場が違いすぎるのだが、フィクトリアが気になったのはなぜこのタイミングでその名前が出てきたのかという点。

「ま、まさか……」

 脳裏に浮かんだ、絶対にあってはならない可能性。
 どうか自分の予想が外れていますようにと願うフィクトリアを待っていたのは、無情な現実であった。

「スペイディア家の当主がハリスに関心を持ったと、あなたより先に来た使者が伝えてくれたわ」
「そ、そんな……」

 一転して放心状態となるフィクトリア。 
 相手が公爵家となったら太刀打ちはできない。
 それに、まだまだハリスを欲していそうな大物たちは数多くいるのだ。

 絶望するフィクトリアへ、マイロスが声をかける。

「あなたのくれたメッセージには、ハリスについて話をするため、一度アントルース家に集まって話し合いをしたいと書いてあったけど……それにスペイディア家を招待してみてはどうかしら」
「えっ?」
「学園としても今後のことがあるので一度じっくりアントルース家当主と話をしてみたいと思っていたところだし、もしそれでいいなら私の方から提案をしておくわ」
「ス、スペイディア家の当主がうちに……」

 一瞬たじろいだが、ハリスの件でしっかりと話し合うにはこの機会しかないとすぐに立ち直り、「よろしくお願いいたしますわ!」とマイロスに頭を下げた。

「分かりました。それではそのように手配をしましょう」
「だが、相手は公爵家……当主自らが足を運ぶかどうかは未知数だぞ」
「それでも構いませんわ。お母様のこともありますし、何よりわたくしはハリスさんに憧れてこの学園に入った――そんな尊敬する方の近くで学べる機会をみすみす失いたくはありませんもの。最善の努力はいたしますわ」
「ふふふ、頼もしいですね」

 学園長としては、しっかりと自分を持ち、将来に向けてのビジョンも固めているフィクトリアのような学生の願いは聞き入れたいところではあった。
 すべては公爵家次第。
 ――いや、それ以外にも影響力の強そうな者たちがハリスを狙っている。
 これからは対応次第で状況が大きく変わると確信したマイロスは、自分もしっかり見極めなければと気合を入れ直すのだった。


  ◇◇◇


 フィクトリアの帰宅後。
 すでに辺りは真っ暗になっているが、未だ学園長室に残っていたマイロスを心配したノーマンが声をかける。

「本当によろしかったのですか?」
「何がです?」
「ハリス殿の件です。彼に魔草薬の研究主任としてのポストを与え、その分野の発展に専念させるという学園長のお考え……かなり本気のように見受けられましたが」
「個人的な感情でいえば残念でなりませんが、こればかりは仕方がありません。アントルース家だけでなく、スペイディア家までかかわってくるとなると、うちだけに置いておくわけにはいきませんよ」
 
 マイロスの目論見は外れてしまうが、アントルースやスペイディアといった貴族とのかかわりが強くなるのであれば、学園にとっても好影響だろう。何より、ハリス自身が強い意志をもってデロス村への移住を希望していたため、どのみち思い描いていたプラン通りに運ばなかっただろうし。

「今後のレイナード聖院とのかかわりについては、どのようにお考えですか?」
「学園としては聖院との付き合いというより、あくまでもハリスが聖院に所属していたからこれまでさまざまな仕事を依頼していただけに過ぎませんからね」
 
 バッサリと斬り捨てる学園長。

「彼は独立しても定期的に学園へと足を運んでくれるそうなので、今後はそちらと専属契約を結ぶという形にしましょう。……正直、ドレンツ・レイナードからは誠実さを欠片も感じられないというのも理由にはありますが」
「同感です。私もそれがよろしいかと。では、早速そのように手配しましょう」
「面倒事を押しつけてしまって悪いわね」
「いえいえ。お気になさらず」

 ノーマンとしても、私利私欲のために有能な人材であるハリスを切り捨てる聖院に大事な生徒たちを任せるというのは不安だったので、マイロスの判断は大歓迎であった。

 こうして、レイナード聖院はひとつ大きな得意先を失うこととなったのだった。
 大宴会から一夜が明けた。

「うぅ……調子に乗って飲みすぎたかな……」

 あまり酒は得意じゃないんだけど、デロス村の人たちが次から次へと注ぎに来たから全部に応えているうちにだいぶ飲んでしまった。

「外で風に当たるか」

 このままうだうだやっていても体調はなかなか回復しないだろう。
 とりあえず、外へと出てみる。
 すると、目の前にあるささやかな農場でアルラウネが日光浴をしていた。

 ちなみに、この子はリーシャと名づけた。
 これから一緒に暮らしていくのに、いつまでも種族名で呼ぶのもなんだからな。本人も気に入ってくれたみたいだし、とりあえずこれでいこうと思う。

「おはよう、リーシャ」
「うにゅ……おあようおあいましゅ」

 寝ぼけているせいもあってか、うまく発音できていない。

「はりしゅ、だいじょぶ?」

 まだ小さなリーシャにさえ心配をかけてしまうとは……父親(?)失格だな。

「問題ないよ」
「う~ん……あっ!」

 リーシャは何かを思いついたらしく、水車小屋の前にある小さな農場へと移動。そこに両手を掲げると、彼女の全身は淡い翡翠色のオーラに包まれた。

「これは……」

 アルラウネ特有の魔力――の、はずだが、ちょっと違う。
 俺の知るアルラウネの魔力よりずっと上質だ。
 ……グスタフ先生、もしかしたらとんでもない奥の手を隠し持っていたのかもしれない。

 で、リーシャが魔力によって生みだしたのはやっぱり植物。三十センチほど成長したその葉っぱをちぎると、俺のところへ持ってきた。

「どうじょ!」
「この葉っぱを食べろってことか?」
「あい!」

 むふぅと鼻息が聞こえてきそうな渾身のドヤ顔とともに葉っぱを差しだしてきたリーシャ。
 何やら自信があるようだけど……どんな効果があるのか、口に含んでみた。

 まず感じたのは想像以上の爽やかさ。鼻の中をスーッといい香りが抜けていき、先ほどまで感じていた二日酔いによる気持ち悪さが和らいでいく。

「驚いた……こいつも魔草の一種なのか?」

 わずかに魔力を感じるので魔草と分類して問題なさそうだが、今までにないタイプだったのでちょっと困惑する。世界には誰にも知られていない未知の魔草がたくさんあると書物で読んだ記憶があるけど、一体どれほどあるのか……リーシャにも協力してもらいながら研究をしていこうか。

「村のみんなにも持っていこうかな。リーシャ、頼めるかい?」
「おままたせ!」

 たぶん、「おまかせ!」って言っているのかな?
 そういえば、昨日の宴会でリーシャは村人たちに大人気だった。
 最初はアルラウネという存在をよく知らなかったみたいで、俺の娘と誤解をされてしまったが、事情を説明してなんとか理解してもらった。

 正直、気味悪がられるかとも思ったが……まあ、この見た目だからなぁ。おまけにあの村は若者たちが都市部に流れて過疎化が進んでおり、小さい子どもが数えるくらいにしかいないという事情も手伝って歓迎されたってところか。

「はりしゅ、でいたよ」
「おっと。ありがとう、リーシャ」
「へへへ~」

 労うように頭を撫でると、リーシャは嬉しそうに目を細める。
 ……娘がいるって、こういう感覚なんだろうな。
 俺は独身だし、そもそも恋人もいないので当分は縁がないだろうけど。

 さて、森の小さな診療所をオープンさせる前に、まずはみんなの二日酔いを改善しに行きますか。


 軽く朝食を済ませてから森を出てデロス村へ。
到着すると、村の男たちは案の定、二日酔いに悩まされていた。

「お、おぉ……ハリスかぁ……」

 頭を抱えながら死にそうな顔をしているラッセル村長。
 そんな彼に、俺はリーシャの力によって誕生した新種の魔草を渡す。

「これを食べてみてください」
「は、葉っぱをそのままか?」
「二日酔いに効きますよ? 実際、俺もそれでこの通り元気になりました」
「言われてみれば確かに……よっしゃ!」

 腹を括ったラッセル村長が葉っぱを口に含む――すると、

「うおぉっ!? なんだこの爽快さは!?」

 効果は抜群のようだ。
 
「さっきまで吐き気がひどかったが、こいつを食べた瞬間になんとも言えない良い香りがそいつを根こそぎ奪い去っていったかのようだ! 一体この葉っぱはなんの植物なんだ!?」
「魔草の一種ですよ」
「魔草って、おまえの研究している……な、なあ、他の連中に分けてやってもいいか?」
「もちろん」

 俺はそう言って、残った葉っぱをすべてラッセル村長へ渡す。
 受けっとったラッセル村長は「代金を払わないとな」と言って値段を尋ねてきたのだが、そこまで考えていなかったので診療所の開店記念プレゼントと理由をつけて無料提供という形にした。

 この葉っぱの効果は絶大で、二日酔いに苦しんでいた村人たちは全回復。
 みんな張りきって仕事へと向かっていった。

 改めてラッセル村長がお礼を言いに俺たちのもとへやってくる――と、同時に、ひとりの青年が慌てた様子でこちらへと駆け寄る。

「大変です、村長!」
「どうしたんだ、ジョニー。またふられたのか?」
「違いますよ! なんかとんでもない連中が大勢この村へ近づいてきているんです!」
「「とんでもない連中?」」

 思わず俺とラッセル村長の声が重なった。
 ジョニーと呼ばれた青年の慌てぶりからして、相当ヤバそうな人たちがたくさん来ているようだけど……一体どこの誰なんだ?
 ハリスが診療所を開業する数週間前。
 ノエイル王国中央部にある商業都市ディバン。
 さまざまな国から名の知られた商会が店を構え、毎日数千人という客が訪れる王都に次いで活気がある大都市――そこを統括しているのが、ストックウェル商会だ。

 商会の代表を務めるコービー・ストックウェルは苛立っていた。
 今月の売りあげは上々だという報告を受けた直後だが、どうにも怒りが収まらない。その原因は数日前に王都からやってきたドレンツ・レイナードにあった。

「あまり興奮されますと血圧があがりますよ?」

 心配そうに忠告したのは秘書のプリシラだった。

「分かっておるが……どうにも腹立たしくてなぁ……」

 怒りを抑え込むように顎髭を撫でながら、コービーは呟く。
 彼をここまで憤らせた原因は、ドレンツのあまりにも身勝手な物言いであった。
 ろくな説明もせず、長年世話になったハリスを解雇し、新しい担当が近いうちにやってくると告げたが、あれから数日が経とうというのに挨拶さえしに来ない。ハリスの方が先にやってきて話を聞いたが、どうも彼が手掛けていた魔草薬の研究にドレンツが待ったをかけ、それに反発する形で聖院を去ったと説明を受けた。

 コービーはハリスの師であり、ドレンツの父であるグスタフの理念に感銘を受け、協力をする形で長年付き合ってきた。彼の弟子たちはハリスを含めて皆優秀であり、いずれは魔草薬をストックウェル商会を経由して流通させる話もあったのだ。

 しかし、ドレンツに代替わりをしてから、誠実さや優秀さはうかがえず、聖院は金儲けに目がくらんだ亡者の集まりのようになっていた。

「商人であるワシが言うのもなんだが……金を稼ぐことへの執着が強すぎたな。あれでは目先の財産は手に入れられても、やがて煙のように消え去っていくだろう」

 そう語るコービーの執務机には、一枚の手紙が置かれている。
 差出人は地方領主のベイリー・アントルース。
 これまで特別な付き合いはないものの、手紙の内容には強い関心を引かれていた。

 その内容とは――コービーが注目していた魔草薬師のハリスが、アントルース家が治める領地へ移住するというものであった。

「アントルース家からのお誘いは受けるのですか?」
「そのつもりだ」
「では、レイナード聖院については?」
「ハリスがいない以上、契約を続ける意味はない。そもそも、あのドレンツとかいう若造の態度が気に食わんからな。商人としての長年の経験から分かる……あの手の輩は短命だ」
「そうおっしゃると思ってすでに手配をしておきました」
「さすがは優秀な私の秘書だ」
「恐れ入ります」

 露骨な金儲け路線に走ったレイナード聖院を見限り、グスタフの遺志を継ぐハリスを支援していこうと決断したストックウェル商会はベイリーからの要請に応じて屋敷を訪れると返事を書き、さらに先手を打つことにした。
 
「手紙によれば他にもハリスへ接触している者がいるという……うちも負けていられないな」

 しかし、多忙な身である商会代表が直接ハリスのもとへ行く時間はない。
 そこでコービーは代役を立てることにした。
 
 ちょうどその代役が彼の部屋を訪ねてくる。

「父上、よろしいですか?」
「うむ。入れ」

 部屋をノックし、そう声をかけたのはコービーの息子であるロアムであった。
 年齢は今年で十七歳。
 青色のショートカットに黄色い瞳が印象的な少年だ。

「何かありましたか?」
「ロアムよ。長らくおまえには私のもとで修行をさせてきたが……そろそろ商人としての仕事をひとりで始めてもらおうと思う」
「ほ、本当ですか!?」

 父親からの提案に対し、身を乗りだして喜ぶロアム。
 ひとりでの仕事を任されるということは、一人前としての第一歩を踏みだしたと同義。浮かれないはずがない。

「おまえにはとある人物に接触し、うちとの信頼関係をより強固なものとしてもらいたい」
「じゅ、重要な役割ですね……それで、そのとある人物とは?」
「おまえもよく知っている魔草薬師のハリスだ」
「ハ、ハリスさんですか!?」

 パッと花が咲いたように喜ぶロアム。
 ハリスに憧れていた彼にとって、今回の父コービーからの要請は喜ばしいものばかりであった。

「浮かれてばかりいてはならんぞ、ロアム。おまえの交渉術で利益が出るかどうか……そこだけは努々忘れるな」
「は、はい! それでは早速準備をしてきます!」

 そう告げると、ロアムは勢いよく部屋を出ていった。
 残されたコービーと秘書プリシラはほぼ同時にため息をつき、

「「どこからどう見ても女の子にしか見えない……」」

 そう声を合わせるのだった。

 商業都市ディバンに拠点を置くストックウェル商会。
 その中でも有望株として注目を集めるロアム・ストックウェルは――はたから見ると美少女にしか見えない少年だった。