「以上、320名。卒業生、起立。」

ザッ。

「気をつけ、礼。」

「卒業生、退場。」

音楽の先生が奏でる校歌を背景に、私たちは後輩たちがつくった花道を歩く。

一組から順番に退場していき、
体育館には八組が手持ち無沙汰に残っていた。

春の風に揺れながら、
高校生活への憧れや期待を胸に、入学式に出席したことが昨日のように思い出される。

受験も、「合格発表」も終えた私は早く大学に行きたい、
なんてはやる気持ちを抑える。

まだ、卒業式は終わっていない。
家に帰るまで、私は高校生なんだ、と考えているところで先生の言葉を思い出す。

「推薦で受かっても、一般で受かっても、
書類上は三月三十一日まで、高校生です。」

つまり、三月いっぱいまで学割が使えるな。
映画でも観に行こうかなと予定を立てようとした私に、
隣の星宮君が「大学生でも学割は使えるよ。」と教えてくれた。

それならばと、電車の定期券を使って、
定期券区間内でお出かけしようと気を取り直したつもりが、
この田舎町にはなにもないという現実が頭に浮かぶ。

私は、高校の思い出の中に、いつでも星宮君の姿があることに違和感を覚えることもなく、
ただ、それが当たり前になっていったのだと気づく。

(それも、今日でおしまいか…)

高校の卒業式は、基本三月初め、合格発表前に行われる。
ただ、私の高校は「自称進学校」であることを忘れてはいけない。

他の「進学校」と卒業式をずらすことで、
なんのメリットがあるのか今ひとつわかっていないが、
八組のクラスメイト曰く「プリクラが空いてるから、ラッキー」だそう。

(星宮君、大学どうだったのだろう…)

お互いの進路について、秘密、を貫き通したおかげで
星宮君は、私の大学を知らないし、
私も、星宮君の大学を知らない。

今更だけど、気になる。

毎朝勉強していた星宮君なら第一希望に受かってるはず、
星宮君がいく大学は私のと近いかな、
とか無駄に考えていると、八組が退場する番がまわってきた。


花道をくぐると、保護者席があり、そこに母と父の姿を確認する。
卒業式、なんていう学校行事だからと二人とも仕事を休んで駆けつけてきてくれた。

そんな母の目には涙が…なんて言えたらドラマチックでカッコ良いのだけど、
私の母はいわゆる「強い母」なので、涙どころか満面の笑みを私に向けている。

その隣でカメラを構える父は、私の顔を見るとすぐ手を振ってきて、
映像がガタガタになっているだろうなと苦笑いする。

いつもの二人が、私の卒業を祝ってくれている。
卒業というよりも、卒業後に向かう先が確定しているから、
喜んでいるのかなと、今月何度目かの自惚れに浸る。

体育館を出るとすぐ、
まだ咲いていない桜の木が目に入る。

(来年の春、この桜の木を自分はどんな思いで見つめているのかな…)

なんて思っていたあの四月。
私は、林さんとも、五十嵐君とも、星宮君とも出会えるとは思っていなかった。

ただ、「受験」に没頭する一年が始まるものかと思っていた。

私とは違う、とレッテルを貼っていた林さん。
話してみると意外と国語が好きで、
好きなものを好きと言える子で、
そして、自分よりも友達のことを考えられる素敵な子だった。

生徒会長、に誇りを持っている五十嵐君。
最初は、眼鏡をかけた高身長の目立ちたがり屋さんだと思っていた。
だけど、本当は「生徒会長」という肩書きを利用して、
ただ周りを楽しませようと頑張っている人なんだって気づくことができた。

この二人の「知らなかった側面」をみることができて、
今までは縁がなかった「スクールカーストの上位層」と関わることで、
少しずつだけど、私が私のままでいてもいいって思えるようになった。

消したい過去もあるし、出会いたくなかった人もいっぱいいる。
そんな自分が嫌になっていた時期もあったけど、今は違う。

この世界は、本当にいろんな人たちでできていて、
その一つ一つ、一人一人が出会ったり、関わったりすることで「今日」がある。

そんな当たり前のようで、目を背けてしまっていた現実に気づかせてくれた人。

それは、私に毎朝関わってくれていた星宮君、だったのかもしれない。

私のどこをどう見て「友達」という肩書きを背負うことにしたのか、
私にはまだわからないし、もうこれからわかることもない。
それでも、キャラ設定をいつの間にか忘れてしまっていたこと、
過去も未来も共有して大丈夫だと思えたことは、星宮君おかげだと思う。

いつか伝えることができなかった、
私の心にある気持ちを伝えたい。

星宮君がいなかったら、「私」はいないって、
言葉にしないと気が済まない。

渡り廊下を横切って教室に戻ってから、
私は隣の席に座る星宮君に話しかけるタイミングを伺ってばかりいる。

話しかけるタイミング、なんて気にするのは今日が最後の日だからなのだろうか。
目の前で卒業生に向けたスピーチを披露する小谷先生の話を半分聞きながら、
私はいつ話が終わるのか、なんて失礼なことを考えている。

「それでは、みなさん、最後のHRを締めくくりたいと思います。
ご卒業、本当におめでとうございます。」

このクラスで今一番泣きそうになっている小谷先生は、声をくぐもらせて
最後のHRを終わらせた。

その一声に、三年八組は口々に、「おめでとー」「またあおーね」「え、遊び行こっ!」「髪染めよ!」と卒業生らしい声をかけ合いはじめる。

どこか顔を綻ばせた星宮君に、
私は思い切って話しかける。

「星宮君。」

今日で、この名前を呼ぶのも最後なのかと、
勝手に切なくなる。

「うん。」

まるで、私に話しかけられるとわかっていたかのように
落ち着きはらった星宮君が私と目を合わせる。

「…あのね。」

「うん。」

「卒業、おめでとう。」

「はは、うん。ありがとう。」

思っていた言葉とは、違う言葉が私の口から滑り落ちる。

「下原さんも…」

「晴輝っ!みんなで写真とろーぜっ!」

星宮君の言葉を、いつものように五十嵐君が遮る。

「ちょっと、颯太ぁ!一人で突っ走らないでよ!」

その五十嵐君の後を、林さんがついてきてくる。

「ひなたも、一緒に写真とろ!」

さっきまで五十嵐君に使ったボイスをどこに置いていったのか、
林さんは私に明るい声をかける。

「うん、ありがとう。」

きっと、この前までの私だったら「え、いいの?」なんて訳のわからない返答をして、
林さんに「え、いいの?ってなにが?」とツッコまれていたのだろう。
私の返事に満足した林さんは、黒板の前にすらりと移動する。

「Congratulations!」

朝、いつものように早く学校に着いた私と星宮君が描いた
黒板アート、と呼びたいものを背景に、林さんに続いて五十嵐君、星宮君も並ぶ。

「ほら、下原さんも。」

星宮君に手招きされた私は、
五十嵐君のいう「みんな」に私も含まれていることを思い出す。

「あ、うん。」

そう言いながら教卓の前に立った私に、五十嵐君がハッと驚いた顔をする。

「え?どうしたの?」

私が隣に立ったことを嫌とでも思ったのかな、なんて不穏なことを考える。

「俺さ…」

卒業式には似合わない険しい顔をした五十嵐君の言葉を待つ。

「大学、受かった。」

「「「え、」」」

(そんな大事な連絡を、今、写真撮る前に言う?)

林さんも私と同じことを思ったらしく、動揺を隠せない。

「え、受かったって…颯太が?」

「いや、他に誰の話だよ。失礼なやつだな。」

「だって『大学に行く』って、真面目に受け取ってなくて…」

「…もっと失礼なやつだな。」

相変わらずの二人のやりとりをただ眺めることしかできなかった私を、
星宮君の言葉が助けてくれる。

「おめでとう、五十嵐。」

「おうよ。」

皮肉る林さんとは対照的に、ただ「おめでとう」と笑う星宮君に、
五十嵐君は満更でもない様子。

(そうか、こういう時は、「おめでとう」と言うのか…)と気づいた私も星宮君に続く。

「おめでとう、五十嵐君。」

私の言葉に、五十嵐君はまた笑顔になる。

「いや…」

笑顔と裏腹な言葉が飛び出してきて、一瞬思考停止する。

「下原さんこそ、ありがとう。」

「え?」

まだ思考停止状態なのか、ありがとうと言われる筋合いを思いつかなくて戸惑う。

「ほら、あの時、って励ましてくれたから、ちゃんと目指せたんだよね。
だから、ありがとう。」

そう言って笑う五十嵐君は、
今まで見た五十嵐君の中で一番清々しくて、なんだかカッコよかった。

「うん。こちらこそ。」

こういう時は素直に受け止めた方が、特に相手が五十嵐君の場合だとそうだと思い、
頷いておく。

「え、颯太、どこ行くの?」

いまだに信じられないのか、林さんが五十嵐君に尋ねる。

「九州。」

「九州っ⁈」

短く答えた五十嵐君のセリフを、林さんがリピートする。

「いや、俺海好きだからさ。」

てへっと頭をかく仕草をする五十嵐君。

「え、でも九州って遠いよ…」

大学進学、という衝撃告白に続いて、
日本だけど、本州と繋がってはいない場所を選んだ五十嵐君にショックを受ける林さん。

「遠くない遠くない。飛行機でビューンって飛べばいいし。」

なんの問題もないかのように口にする五十嵐君。
まだ安心しきっていない林さんに五十嵐君は続ける。

「大丈夫。月一で会いにくるから。」

「ほんと…?」

「俺、嘘はつかないからなっ。」

もうほとんど涙目の林さんを五十嵐君がなだめていると、
教室から「ヒューヒューッ」「イチャイチャすんなってぇ!」と茶化す声が聞こえる。

黒板の目の前で何をやっているのかと、今になって私たち四人をメタ認知する。
確かに、卒業式でお別れを嘆く姿は嘲笑の対象だろう。

ただ、それよりも…

「え、五十嵐君と林さんって、そういうこと…なの?」

私は星宮君に近づいて、小声で尋ねる。
目を丸くした星宮君に、しまった…と思った私だったけど、

「え、下原さん、気づいてなかったの?」

と逆に質問された。

「気づくも何も…え、『幼馴染』じゃなくて?」

「んー、名前をつけるなら『カレカノ』が正解かも。」

(一年間、同じクラス、同じ空間にいたのに、私って鈍感…?)

五十嵐君の大学進学、そして五十嵐君と林さんの「意外な」関係に、
今日はお腹いっぱいだと思う。

「…いや、やっぱいい。」

「え?」

林さんの一言に、教室も、そしてその言葉が向けられた五十嵐君も黙る。

「え、ゆり、どういう…」

月一で会わなくても大丈夫、という意味に聞こえたのか、
五十嵐君はあたふたする。
そんな、五十嵐君に、林さんはキッパリと言い放つ。

「私が、颯太に会いに行く。」

「へ?」

「うん。」

五十嵐君をはじめ、私も、クラスメイトも
ホッと胸を撫で下ろしたことが空気で伝わってくる。

「うん、わか…」

「それで、私に九州を案内してよ。」

「え?」

林さんのセリフに、私たちは混乱する。

「だって、こんな田舎町で待ってるだけじゃ嫌だし。
颯太のいるところに、私が行った方が早いよ。」

いつもの元気さを取り戻した林さんが答える。

「お前…」

「それに、ゆりがそっちに行ったら、
月一じゃなくても会える…でしょ?」

きっとクラスの人たちには届かないような小さな声で、林さんは付け足す。

(九州観光、なんかじゃなくてそっちが本音なんだろうな)
恋する乙女を目の前にして、私はキュンとなる。

顔を赤くして小さくなる林さんの頭を
「おうよ。」と五十嵐君はその大きな手でポンポンと叩く。

「…っ!ヘアが崩れるっ!」

「ごめんごめん」

触れられたところを手で抑える林さんに、五十嵐君がぶっきらぼうに謝る。

林さんとの会話が終わったのか、
五十嵐君は私たち二人に向きなおる。

「…それじゃ、写真、撮る?」

「そうしよっか。」

なんのためにこの四人が黒板の前に集まったのか、
ようやく思い出した五十嵐君はスマホを構える。
その様子を見て、私が今星宮君の隣に立っていることを思い出し、
林さんの隣に移動しようとする。

「いくよー」

五十嵐君の声がすぐに飛んできて、私は移動を諦める。

「はい、チーズ!」

パシャッ。

「どれどれ…」

撮った写真をすぐに確認するのはいかにも「高校生」という感じがして、
最後の高校生を噛み締めている感じがする。

「ハハハッ」

写真を見てすぐ笑い始めた五十嵐君。

「俺の口、にこりじゃなくて『ズ』って言ったせいで、
キスする時みたいになってるっ」

自分の顔にツボったのか、笑いがとまらない五十嵐君。

「え、ちょっと!せっかくの写真なのに〜。
撮り直そっ!」

写真を確認した林さんは撮り直しを勧める。

「いや、そのままでいいよ。」

「え?」

星宮君の言葉に、林さんは納得しない。

「そうだな、晴輝のいう通り、このままにしとこ。」

五十嵐君は星宮君に賛同する。

「そっちの方が、俺っぽいし。」

「…確かにね。」

「っなんでそこは否定しないんだよ!」

「ゆり、嘘つかないから〜」

どこかで聞き覚えのあるセリフで、林さんは言い返す。

「じゃあ、写真はこれで。」

「おうよ、ありがとなっ!」

後で送っておくから、と言い残して五十嵐君は林さんと教室を出る。

星宮君と二人、手をひらひら振りながら見送る。

「意外とお別れってあっさりしてるね。」

「…それ、同じこと思った。」

九州に行く五十嵐君と再会するのは、
限りなく可能性が低いのに、立つ鳥跡を濁さずかの如く消えていった五十嵐君。

それくらい、振り切って生きていった方が楽なのかもしれない。

ピコンッ。

LINEの通知音が私のスマホと、星宮君のスマホで同時に響く。

「じゃあ、また会おう!」

きっと送られてくることは最後なのだろう生徒会長のスタンプと共に、
先ほど撮った写真がメッセージ画面に表示される。

ありがとう、の意味を込めてグッドマークのリアクションをつける。

そこで、星宮君に伝えたかった言葉を思い出す。

もうすでに帰りの用意を整え、卒業証書の筒を片手に持つ星宮君に、
「あのさ」と声をかける。

すでにデジャヴな光景に飽きず、星宮君は私に視線を合わせてくれる。

「私、星宮君に伝えたいことあって…」

言い出しから重々しい空気を出しまくった自分に、
遅い緊張が走る。

「なんでもないんだけど、この一年間、ありがとうって。」

「ありがとう?」

私の言葉をそのまま受け止めない星宮君は尋ねてくる。

私は、星宮君に「ありがとう」というべき理由を探し始める。

「だって、星宮君がいなかったら、私は林さんとも五十嵐君ともここまで話せてなかったよ。それに、星宮君のおかげで高校生らしいこともたくさんできた。あとは、朝学習のおかげで、勉強もできたし…」

「いや、全然俺のおかげとかじゃないよ。」

「そうだよ。」

いつまでも謙遜し続ける星宮君に私は声を張り上げる。

「星宮君は、星宮君が思ってるよりも、私にとって大事な人だったよ。」

「え?」

きょとんとする星宮君に私は続ける。

「いつかの人権学習の班活動、覚えてる?」

「ああ、あの『暇じゃないからいじめない』の話?」

私の突拍子もない標語を思い出したのか、星宮君は笑いはじめる。

「…標語のことはいいから。」

じゃあ、一体なんのことなのか?
自分でもわからなくなる。

ただ、あの時、星宮君が話を遮ってくれなかったら、
私は思い出したくもない過去を抉られていたのだろう。

「いじめとか、私、苦手な話題なんだよね。」

「得意な人、いないと思うけど。」

「そうだけど…でも、」

「でも?」

「私の話をしなくて済んだから、助かった。」

「…なら、よかった。」

まだ私の言葉に納得いっていない様子の星宮君が頷く。

思い返すと、ちょうどあの人権学習以来、
星宮君は私にかまってきたのかもしれない。

私の思い出の景色にいつも星宮君の姿があって、
その存在に付随するように、林さんも五十嵐君も立っている。

「星宮君って、本当に『ヒーロー』みたいだね。」

「『ヒーロー』?」

さらに困惑する星宮君に私は続ける。

「だって、私、自分がこのクラスで生きてけるって、全く思ってなかったから。
星宮君が引っ張ってくれたおかげで、なんか…」

このたくさんの日々に当てはまる形容詞が思いつかなくて、
私は頭の辞書を引き出す。

「楽しかった?」

「うん、楽しかった。」

星宮君の言葉に私は同意する。

このまま何も言えなくなった私に、ただ時計の針が回っていくだけ。
星宮君も、私の会話の続きを促さない。

「じゃあ…」

沈黙に耐えきれなくなった私が口をひらく。

「またね。」

「また」会えるなんて確証はどこにもないのに、
私一人勝手に「また」によがる。

「うん、また。」

どこか清々しい顔をした星宮君が私に手を振る。
その顔を見るのは今日で最後なのか、なんて思うと、なんだか切なくなる。

「元気でね。」

頑張って笑顔をつくって、私も手を振り返す。

そんなぎこちない笑顔に満足したのか、
星宮君は歩き出す。

その後ろ姿を眺めていたら、
ポケットに入ったスマホが振動し、私はポケットに手を入れる。

「ひなた!今どこにいる?」

早く帰りたいのだろうか、卒業式に来ていた母からのメッセージだった。

「今、教室。」

短い言葉で返信をすると、
すぐに既読がつき、お腹を抱えたクマのスタンプが送られてくる。

「早く帰ろー!」

お腹が空いて早く帰りたがっている母の姿がありありと浮かび、
思わず笑ってしまう。

「ちょっと待ってて」と返信してスマホをしまう。

顔を上げると、もうそこに星宮君の姿はなかった。