灼熱のエネルギーが爆発し、麦畑を覆い尽くす核爆弾級の閃光。一瞬で周囲数キロが粉々に吹き飛び、この世の終わりを思わせる光景が広がっていった――――。
巨大な火炎キノコ雲が立ち上り、その光景に俺の心は凍りつく。
「ドロシー……?」
かすれた声で愛する人の名を呼ぶ。勇者の無慈悲な行為に、怒りと絶望が胸の中で渦巻いた。
瓦礫の山に飛び込み、必死に掘り進める俺の頬を熱い涙が伝う。
「ドロシー! ドロシー!」
瓦礫をどかすと、見慣れた白い手が現れた。
「ドロシー!?」
慌ててつかんだ手だったが――――。
スポッと抜けてしまった……。
腕しかない。
「あぁぁぁぁ……」
崩れ落ちる俺。なぜ彼女がこんな目に遭わなければならなかったのか。心の奥底から怒りと悲しみが込み上げてくる。
「勇者……絶対に許さない」
ドロシーの腕を胸に抱きしめ、涙を流しながら、俺は復讐を誓う。その瞬間、これまでの温かった自分が崩れ去り、新たな決意に満ちた自分へと生まれ変わったのだ――――。
◇
準備を重ねること数カ月、ついにその時がやってきた。
俺の胸の中で、怒りと悲しみが渦巻く。悪は成敗されねばならない!
『さぁ皆さんお待ちかね! 我らが勇者様の登場です!』
司会の声に合わせ、観客席から轟くような歓声が上がる。
「ウワ――――ッ! ピューィィ――――!」
超満員の闘技場に勇者が姿を現し、場内の熱気は一気に最高潮に達した。今日は武闘会の最終日。いよいよ決勝戦の幕が開く。
金髪を煌めかせ、豪奢な鎧に身を包んだ勇者が登場する。その姿は、まるで神々しさすら感じさせる。ほれぼれする様な理想の【勇者】だった。
勇者は観客に向かって煌びやかな聖剣を高々と掲げ、歓声に応えた。
その笑顔の裏に隠された残虐性を、この場で暴いてやる。俺はギリッと奥歯を鳴らした。
続いて、俺の入場――――。
「対するは~! えーと、武器の店『星多き空』店主、ユータ……かな?」
呼び声に応え、俺は淡々と舞台に進み出た。地味で冴えない中世ヨーロッパ風の服を着こみ、ハンチング帽をかぶった、ひょろっとしたただの商人。ポケットに手を突っ込んで、武器も持っていない。まるで会場の作業員と見紛うばかりの佇まいだ。
観客席がざわめく。なぜ丸腰の商人が勇者と戦うのか、何かの間違いではないのかと誰もが首を傾げている。その困惑の表情に俺もついクスッと笑ってしまった。
「なぜ……? お前がここにいる……」
勇者はムッとした表情で、俺を見下しながら言う。その目には軽蔑の色が滲む。
「お前に殺された者、襲われた者を代表し、お前に泣いて謝らせるために来た」
俺は勇者をにらみながら淡々と返した。その声には、これまでの苦しみと怒りが凝縮されている。
「貴族は平民を犯そうが殺そうが合法だ。俺に殺される? 名誉な事じゃないか!」
勇者は悪びれず、いやらしい笑みを浮かべる。
「このクズが……」
激しい怒りが俺を貫く。ドロシーの笑顔が脳裏に浮かび、さらに闘志が燃え上がる。
「お前、武器はどうした?」
何も持っていない俺を見て、訝しげに勇者は聞いてくる。その目には、一瞬の戸惑いが垣間見える。
「お前ごときに武器など要らん」
バカにされたと思った勇者は、聖剣をビュッと振って俺を指し、叫んだ。
「たかが商人の分際で、勇者の俺様に勝てるとでも思ってんのか!」
その声には格下のものに軽んじられた怒りが混じっている。
俺はニヤッと笑い、静かに言葉を紡ぐ。
「勝つよ。勝ったら土下座して俺たちに二度と関わるな…… リリアン姫との結婚もあきらめろよ?」
勇者を指さす俺の指先に、これまでの怒りと悲しみのすべてが込められていた。
勇者はあきれた表情で肩をすくめる。
「いいだろう…… だが、生意気言った奴は全員殺す…… これが俺様のルールだ。くふふふ……」
いやらしく嗤う勇者。
「約束だからな。こちらも殺しちゃったら…… ごめんね」
俺は勇者にニッコリと笑いかける。
「貴様……」
闘技場の中心で火花を飛ばし合う両者――――。
闘技場に緊張が漂う中、俺と勇者の決戦の幕が今、切って落とされようとしていた。
◇
「はい、両者位置について~!」
レフェリーの声が闘技場に響き渡る。その瞬間、ざわめいていた観客席が水を打ったように静かになる。空気が一瞬凍りついたかのように感じられた。
勇者は指定位置まで下がり、聖剣を目の前に立てると、フンッと気合を込めた。その姿は、まるで古代の彫像のように凛々しい。
すると、刀身に青く光る幻獣の模様が浮かび上がり、金の装飾が施されたミスリル製の鎧も青く輝き始めた。その光景は、まるで天上界の戦士が降臨したかのようだ。
「ウォ――――!」
超満員のスタンドから地響きのような歓声が上がる。『人族最強』の男が最高の装備をスタンバイしたのだ。観客たちは、あのふざけた商人の首が飛ぶところが見られるだろうと、野蛮な期待に胸を躍らせている。その興奮は、まるで渦のように会場全体に広がっていく。
一方、俺は青白く浮かび上がる『鑑定スキル』のウィンドウを静かに見つめていた。勇者のステータスが眼前で上昇していく様子が、まるで生き物のように感じられる。もともと二百レベル相当だった勇者の攻撃力は、各種強化武具で今や三百レベル相当を超えている。なるほど、これは確かに人族最強レベルである。しかし、所詮その程度なのだ。
「勇者様~!」「いいぞー!」「カッコい――――!」「抱いて――――!」
観客から熱狂的なかけ声が上がる。
俺は観客席を緩やかに見回し、観客の盛り上がりに申し訳なさを覚えた。彼らは真実を知らない。この勇者こそが、多くの罪なき人々の人生を破壊してきた張本人であり、ここで裁かれるのだ。
観客の期待を裏切るようで悪いが、二度と悪さができないように叩きのめしてやる。それが、犠牲になった全ての人々へのレクイエムだ。
準備が整ったのを見て、レフェリーが叫ぶ。
「レディ――――ッ! ファイッ!」
勇者は俺を睨みつけ、大きく息を吸うと、
「ゴミが! 死にさらせ――――!」
と、獣のように吠えながら、凄まじい速度で迫ってきた。目にも止まらぬ速さで俺めがけて聖剣を振り下ろす。その刃は、まるで稲妻のように空気を切り裂く。聖剣の速度は音速を超え、ドン! という衝撃波の爆音が鼓膜を揺らす。
人族最高レベルの攻撃、確かに見事だ。しかし――――。
「ガッ!」
俺は顔色一つ変えず、聖剣の刃を左手で無造作につかんだ。その瞬間、会場全体が息を呑む。
「えっ!? あ、あれ!?」
勇者は狼狽し、その顔に驚愕の色が広がる。
あわてて聖剣を構えなおそうとするが……俺につかまれた聖剣はビクともしない。その様子は、まるで蟻が象を動かそうとしているかのようだ。
「ちょ、ちょっとお前……、何すんだよ!」
勇者は冷や汗を垂らしながら、俺に文句を言う。その声には、これまで聞いたことのない焦りが混じっている。
「武器なんかに頼っちゃダメだな」
俺は勇者の手から聖剣を奪い取った。その瞬間、勇者の顔から血の気が引いていく。
「うわっ! 返せよ!」
聖剣を取り上げられて慌てふためく勇者。その姿は、まるで玩具を取り上げられた子供のようだ。
「約束は守れよ」
俺はそう言うと、刃をつかんだまま、素早く聖剣の鍔で勇者の頭を殴りつけ、吹き飛ばした。その一撃には、これまでの怒りと悲しみのすべてが込められている。
「ぐぉっ」
勇者は呻き声を上げ、間抜けな顔をさらして転がる。その姿には、威厳ある勇者の面影もない。
どよめく観衆。その喧騒の中に、驚きと戸惑いが入り混じっている。
俺は聖剣を投げ捨て、勇者を睨みつける。その目には、これまでの苦しみと、これからの正義への決意が燃えている。
「いたたた……」
殴られた頭を手で押さえながら、ゆっくりと体を起こす勇者。その姿は、もはや哀れともいえる。
「き、貴様! 怪しい技を使いやがって!」
そう叫ぶと、勇者は口から流れる血を指先で拭いながら、よろよろと立ち上がる。
「へぇ……立てるんだ。さすが勇者様」
俺の一撃を食らっても立ち上がれることにちょっと感心して、軽く口笛を吹いた。
「許さん! 許さんぞぉ! ぬぉぉぉぉ!」
勇者はわめきながら、全身に気合をこめ始めた。身体は徐々に黄金色に輝き始める。
「ぐぉぉぉぉ!」
勇者の叫び声は闘技場に響き渡り、金色に光り輝く姿は神々しくすら見えた。しかし、その輝きの中に潜む狂気を、俺は見逃さない。
そして、ドヤ顔で俺を見下した。その表情には、最後の傲慢さが見て取れる。
「見せてやろう、勇者の……選ばれた者の力を!」
勇者は両腕をクロスさせると指先をまぶしく光らせた。その姿は、まるで古代の魔法使いのようだ。
「え? 見せて」
俺はワクワクし、ニヤッと笑った。初めて見る勇者の奥義……どんな技だろうか? つい俺の好奇心がムクムクと湧き上がってしまう。
勇者は凄絶な叫び声と共に両腕を素早く開いた。
「光子斬!」
まばゆい光の軌跡から、眩いばかりの光の刃が俺めがけて放たれる。その光景は、まるで神々の怒りのようだった。
しかし――――。
「はぁ……」
俺は深いため息と共に、その光の刃をあっさりと叩き落とした。それは拍子抜けするほど簡単だった。
閃光と共に、光の刃が舞台に落ちる。轟音と共に大爆発が起こり、灼熱の衝撃波が観客席まで届く。悲鳴が響き渡る中、舞台では煌めく爆炎と立ち昇る煙。まるで戦場だ。
「な、なぜだ! あり得ない!」
勇者の声が裏返る。光の刃を叩き落とされた衝撃に、全身を震わせている。その顔には、慢心が恐怖に変わる瞬間が刻まれていた。
俺は爆煙の中から『瞬歩』スキルで姿を現す。目にも止まらぬ速さで勇者に迫り――――。
「ぐふぅっ!」
渾身のアッパーカットを勇者のアゴに叩き込んだ。
勇者の身体が宙を舞う。まるで重力を無視するかのように、ゆっくりと弧を描いて――――。
ドスンッ! と舞台に落ちる。
俺はゆっくりと歩み寄る。その足音が、静まり返った闘技場に不気味に響く。
「き、貴様何者だ!」
勇者は後ずさりながら青ざめた顔で叫ぶ。その目には、底知れぬ恐怖が宿っていた。
「お前もよく知ってるだろ? ただの商人だよ」
俺は冷ややかに答え、指をポキポキと鳴らしてニヤリと笑う。その仕草に、勇者の顔が恐怖に凍った。
「わ、わかった。何が欲しい? 金か? 爵位か? なんでも用意させよう!」
勇者の声が裏返る。その姿は、かつての威風堂々とした英雄の面影もない。
俺は勇者を見下ろす。その目には、怒りと憐憫が混ざっていた。
「お前は性欲と下らん虚栄心のために俺の大切な人を傷つけ、多くの命を奪った。その罪を償え!」
俺の声に、闘技場全体が息を呑む。
俺は勇者を蹴り上げた――――。
ドスッという鈍い音が闘技場に響き渡り、悲鳴があちこちで上がった。
ふぐぅ……。
声にならないうめきを上げながら放物線を描き、落ちてくる勇者。
俺は再び瞬歩で迫ると、全ての怒りと悲しみを込めて顔面に拳を叩き込んだ。
「ぐはぁっ!」
勇者の体が、まるで人形のように宙を舞い、ゴロゴロと舞台を転がった。
超満員の闘技場が水を打ったように静寂に包まれる。人族最強と謳われた男が、まるで赤子のように翻弄されている。観客たちの目は、眼前の光景を信じられないという困惑に満ちていた。
勇者はよろよろと立ち上がる。その姿は、もはや哀れですらあった。
「わ、分かった! お前の勝ちでいい、約束も守ろう! あ、握手だ、握手しよう!」
震える声で言いながら、勇者は右手を差し出してきた。
俺はその手をじっと見つめる。そして、ゆっくりと顔を上げ、無言で勇者と目を合わせた。
「き、君がすごいのは良く分かった。仲良くやろうじゃないか。まず握手から……」
勇者の声が震える。その目には、懇願の色が浮かんでいた。
俺は無言のまま、その右手に自分の手を伸ばす。勇者の目に、わずかな希望の光が灯る。
しかし――――。
ニヤッといやらしい笑みを浮かべながら、俺の手をガシッと強くつかんだ勇者の目に底知れぬ邪悪な光が宿った。
「絶対爆雷!」
勇者の叫びが闘技場に響き渡る。瞬間、天穹が裂けんばかりの轟音と共に、巨大な雷が俺めがけて炸裂した――――。
眩い光が会場を覆い尽くす。その閃光は灼熱を帯び、大地を揺るがす地鳴りと共に、俺の身体から爆炎が渦巻くように立ち上る。
「キャ――――!!」
凄まじい衝撃に、観客から悲鳴が響き渡る。その声には恐怖と驚愕が混ざっていた。
「バカめ! 魔王すら倒せる究極魔法で黒焦げだ! ハーッハッハッハー!」
勇者の高笑いが、爆音を掻き消すように鳴り響く。その顔には傲慢な笑みが浮かんでいた。
爆炎は高く天を焦がし、放たれる熱線は闘技場一帯を灼熱の渦に包み込む。観客たちは顔を覆い、その熱さに悶絶する。
勝利を確信した勇者。
しかし――――。
直後、その傲慢な笑顔が凍りつく。収まりつつある爆炎の中に、鋭く青く光る目を見たのだ。
「え……?」
勇者の声が裏返る。そして、右手が徐々に握りつぶされていくのを感じた。
「お、お前まだ生きてるのか!? ち、ちょっと痛い! や、やめてくれ!」
悶える勇者。その声には、慄然とした恐怖が滲んでいた。
チートで上げまくった俺の魔法防御力は、勇者の魔法攻撃力をはるかに凌駕している。効くはずがなかったのだ。
俺は無表情で、さらに強く勇者の手を握り締める。ベキベキベキッという不気味な音と共に、手甲ごと潰れていく勇者の右手。
「ぐわぁぁぁ!」
勇者は絶叫と共に尻もちをつき、無様にうずくまる。その姿は、かつての英雄の面影もない。
「嘘つきの卑怯者が……」
俺の声は低く、冷たかった。その中に、これまでの怒りと悲しみのすべてが凝縮されている。
俺は勇者に迫ると、全身の力を込めて顔面を蹴り上げた。
ゴスッという生々しい音と共に勇者が吹き飛ぶ。真っ赤な血が飛び散り、闘技場の床を染めた。
「きゃぁっ!」「うわっ!」
観客から悲痛な声が漏れる。その目には人ならざるものを見た時のような畏怖が宿っていた。
俺がスタスタと近づくと、勇者はボロボロになりながらも必死に言葉を絞り出す。
「わ、悪かった……全部俺が悪かった。は、反省する……」
ようやく罪を認めた勇者。その声には、これまでの傲慢さのかけらもない。
俺は勇者の鎧をつかみ、無造作に持ち上げる。その目には、怒りと共に、かすかな哀れみの色が浮かんでいた。
「今後一切、俺や俺の仲間には関わらないこと、リリアン姫との結婚は断ること、分かったな?」
勇者は腫れあがった顔をさらしながら、小さな声で答えた。
「わ、分かった」
俺はもう一発、拳で小突くと、声を低く唸らせた。
「『分かりました』だろ?」
目を回した勇者は、最後の力を振り絞るように小さな声で答えた。
「す、すみません、分かり……ました」
そう言って、勇者はガクッと気を失う。
闘技場に静寂が訪れる。その沈黙の中に、何かが大きく変わった瞬間の緊張感が漂っていた。
俺は気を失った勇者を、まるで雑巾のように無造作に舞台の外へ放り投げた。
ひぃっ! うわぁ……。 あぁぁぁ……。
会場全体がどよめきに包まれる。
俺はキュッと口を結び、静かに小さくガッツポーズを決めた。
呆然としていたレフェリーが我に返り、慌てて叫んだ。
「しょ、勝者……、えーと……ユーター!」
その声が闘技場に響き渡る。この瞬間、俺は武闘会優勝者となった。人族最強の座を手に入れたことになる。しかし、胸に去来するのは達成感ではなく、どこか虚無のような感覚だった。
観客たちは、目の前で起きた出来事をどう理解したらいいのか困惑している。人族最強の強さを誇る王国の英雄、勇者が、ただの街の商人にボコボコにされ、倒されたのだ。その衝撃は、彼らの世界観を根底から揺るがしてしまう。
俺は観客席を見回し、困惑している彼らを見ながら苦笑した。理解できないのも無理はない。もちろん、勇者は強い。俺以外なら世界トップだろう。だが、チートでひそかに鍛えていた俺のレベルは千を超えている。職種こそ『商人』ではあるが、これだけレベル差があるとたとえ『勇者』だろうが瞬殺なのだ。勝負になどなりようがない。
闘技場に集まった数万の観客たちは、混乱と興奮が入り混じった喧騒に包まれていた。
「あの平凡な商人が、勇者を倒すなんて……」
「これって、夢?」
「勇者様が負けるなんて、世界の終わりかも……」
観客たちは互いの顔を見合わせ、首を傾げるばかり。その目には、驚きと共に、新たな時代の幕開けを予感させるような輝きが宿っていた。
俺は大きく息をつくと、貴賓席に向かって胸に手を当て、姿勢を正す。
コホンと軽く咳ばらいをし、豪奢な椅子にふんぞり返って座る王様に向かって張りのある声で叫んだ。
「国王陛下、この度は素晴らしい武闘会を開催してくださったこと、謹んで御礼申し上げます! ご覧いただきました通り、優勝者はわたくしに決まりました! つきましては、リリアン姫との結婚をお許しいただきたく存じます!」
王様の隣で可憐なドレスに身を包んだ絶世の美女、リリアンは両手を組み、感激のあまり目には涙すら浮かべていた。その姿は、まるで童話の中の姫君のようだ。
王様はあっけにとられていたが、俺の言葉を聞いて激怒した。その顔は、まるで熟れた柿のように赤く染まっていた。
「商人ごときが王族と結婚などできるわけなかろう! ふ、不正だ! 何か怪しいことを仕組んだに違いない! ひっとらえろ!」
王様の掛け声で警備兵がドッと舞台に上って俺を包囲し、剣を抜いて構えた。
俺はつい笑ってしまう。レベル千の俺からしたら雑兵など何の意味もない。体操競技選手のようにタンッと飛び上がり、クルクルッと回りながら警備兵を飛び越えると、
「みんな! ありがとー!」
と、観客席に手を振ってそのままゲートを突破し、退場した。その姿は、まるで風のように軽やかだった。
リリアンとの約束は『勇者との結婚を阻むこと』。これでお役目終了だ、ホッとした。
このまま遠くの街まで逃げてまた商人を続ければいい、金ならいくらでもあるのだ。
だが、世の中そう簡単にはいかない。この世界は俺のようなチートを見逃してはくれないのだった。その時はまだ知る由もなかったが、この勝利が新たな悲劇を呼んでしまったのだ。
ともあれ、なぜこんなことになったのか、順を追って語ってみたい。そう、全ては俺があの日、異世界に転生した時から始まったのだ……。
俺は瀬崎豊。憧れの大学には滑り込みで入学したものの、折からの不景気で就活に失敗。夢と希望を胸に抱いて上京した俺は、いつしかアルバイトをしながらのギリギリの暮らしに転落してしまっていた。
遊びまわる金もなく、ゲームばかりの毎日。それも無課金。プレイ時間と技で何とか食らいついていくような惨めなプレイスタイルだった。必死になった分、ゲームシステムの隙をつくような技にかけては自信はあるのだが、そんなスキルも現実世界では全く金にはならない。皮肉なものだ。
カップラーメンや菓子パンを詰め込んで朝までゲーム、そして金が尽きたら親に泣きついて嘘を重ねて仕送りしてもらう。
狭いワンルームで、モニターの青白い光に照らされる生活。友人との付き合いも徐々に減り、気がつけば完全な独居生活。こんな暮らしがいつまでも続くわけがない――――そう思いながらも、現実から目を背け続けていた。
そしてある日、ついに不摂生がたたり、ゲームのイベント周回中に運命が牙を剥いた。
「うっ」
いきなり襲ってきた強烈な胸の痛み。まるで鉄槌で胸を打ち抜かれたかのような激痛。
「ぐぉぉぉ!」
俺は椅子から転げ落ち、床の上でのたうち回った。苦しくて苦しくて、冷や汗がだらだらと流れてくる。マズい――――頭の中が真っ白になる。
(きゅ、救急車……呼ばなきゃ……ス、スマホ……)
しかし、あまりに苦しくてスマホを操作できない。指先が思うように動かないのだ。
(ぐぅ……死ぬ……死んじゃうよぉ……)
目の前が真っ暗になり、急速に意識が失われていく。最後の瞬間、脳裏に浮かんだのは、両親の顔。そして、かつて抱いていた大きな夢。
(え、これで終わり……? そ、そんなぁ……)
これが現世での最後の記憶である。二十三年間の人生が、走馬灯のように駆け巡る。
そして突然、不思議な感覚が全身を包み込む。キラキラと輝く黄金の光の渦の中に飲み込まれ、溶け込んでいくような感覚。痛みは消え、代わりに心地よい温もりが広がる。
(これは……なに?)
意識が朦朧とする中、かすかな希望の光が心に灯る。もしかして、これは――――?
人生ゲームオーバー。
しかし、それは新たなゲームの始まりでもあった。
俺の魂は、光の中を漂いながら、未知の世界へと旅立っていく。そこには、きっと新たな冒険が待っているはずだ。
ゲームで培った技術と知識。現実では役立たずだったそのスキルが、もしかしたら――――。
意識が完全に闇に飲み込まれる直前、俺の心に小さな期待が芽生えた。
◇
「……豊さん……」
朦朧とした意識の中で、誰かが呼ぶ声が聞こえる。懐かしい、でも思い出せない声。
「……豊さん……」
何だ? 誰だ? 俺はゆっくりと重たい瞼を持ち上げた。
「あ、豊さん? お疲れ様……分かるかしら?」
目を開けると、そこは光あふれる純白の神殿。そして、眩しいほどに美しい女性が俺を見下ろしていた。その神聖な姿に俺は圧倒される。
「あ、あれ? あなたは……?」
俺は急いで体を起こし、目をこすりながら聞いた。頭がクラクラする。
「私は命と再生の女神、ヴィーナよ」
そう言って、女神はにっこりと微笑んだ。その笑顔に、なぜか懐かしさを感じる。
「え? あれ? 俺、死んじゃった……の?」
現実を受け入れられない俺の問いに、ヴィーナは優しくうなずいた。
「そうね、地球での暮らしは終わりよ。これからどうしたい?」
ヴィーナは俺の目をのぞき込む。その瞳に映る自分は、何と情けない姿だろう。
「え? どうしたいって……、転生とかできるんですか?」
俺の声には、希望と不安が入り混じっていた。
「そうね、豊さんはまだ人生満喫できていないし、もう一回くらいならいいわよ」
やった! 俺は目を輝かせ、両手を合わせて祈るように言った。
「だったら……チートでハーレムで楽しい世界がいいんですが……」
すると、ヴィーナはまたかというように、首を振り、うんざりした表情を見せる。その仕草が、どこか見覚えがある。
「ふぅ……最近みんな同じこと言うのよね……。チートでハーレムなんて提供する訳ないじゃない! 馬鹿なの?」
不機嫌になってしまったヴィーナ。確かにチートハーレム勇者を送り込むメリットが女神側にあるわけがない。ちょっと贅沢言い過ぎたかもしれない。しかし、これは次の人生に関わる重要なポイントだ。なんとかいい条件を勝ち取らねばならない。
「じゃ、チートだけでいいのでお願いしますぅ」
俺は必死に頼み込む。その無様な姿を、ため息をつきながら見つめるヴィーナ。
「ふぅ……、しょうがないわねぇ……じゃぁ特別に『鑑定スキル』付けておいてあげましょう」
そう言ってヴィーナは何やら空中を操作してタップした。その仕草は、スマホを操作する現代の若者そのものだ。
「え~、鑑定ですか……」
「何よ! 文句あるの?」
ギロっとにらむヴィーナ。その眼差しに、俺は背筋が凍る思いがした。
「い、いえ、鑑定うれしいです!」
急いで手を合わせてヴィーナに拝む俺。と、ここで俺は気づいた。このヴィーナのセリフ、にらみ方は、どこかで見覚えがある。
「……、よろしい! では、準備はいいかしら?」
ニッコリと笑うヴィーナ。その笑顔に、ある人物の面影を見た気がした。
「も、もしかして……美奈先輩ですか?」
そう、ヴィーナは大学時代のサークルの先輩に似ていたのだ。あの優しくも厳しい先輩。
「じゃぁ、いってらっしゃーい!」
俺の質問を無視し、強引に見切り発車するヴィーナ。テーマパークのキャストのように、ワザとらしい笑顔で手を振る。その仕草があまりにも美奈先輩そっくりで、俺は思わず声を上げた。
「いや、あなた、やっぱり美奈先輩じゃないか、こんなところで何やって……」
言葉の途中で、俺の意識はすぅっと遠のいていった。最後に見たのは、ヴィーナの少しいたずらっ子のような笑みと、意味深なつぶやき――――。
「豊くん。今度こそ、楽しませてよ?」
俺の魂は、新たな世界へと旅立っていった。そこでどんな冒険が待っているのか、まだ全く分からない。ただ、一つだけ確かなことがある。この『鑑定スキル』が、俺の運命を大きく変えることになるということだ。
皆が寝静まる深夜、俺はベッドで目が覚めた。月の光が煤けた窓から差し込み、薄暗い部屋を青白く照らしている。
「え? あれ?」
俺は呆然とする。記憶によれば、俺はこぢんまりとした孤児院で暮らす十歳の少年、ユータ……だが……。
むっくりと体を起こし、周りを見回す。目に映るのは、所狭しと並ぶ三段ベッド。右も左も、孤児たちの寝息が響く。これは見慣れた風景……。だが、激しい違和感がむくむくと湧き上がってくる。
「いやいやいや、何だこれは?」
混乱した俺は目をつぶり、必死に記憶を呼び覚ます。すると、まるで堰を切ったように、前世の記憶が溢れ出してくる。
日本でのニート生活。そして、死ぬ間際までやっていたあの豪華なグラフィックだったMMORPGの攻略方法。特殊な薬草集めて金貯めて、装備を整えてダンジョン行くのが最高効率ルート。途中、バグ技使って経験値倍増させるのがコツだった。これらの記憶は、妄想なんかじゃない。
俺はベッドに腰掛け、周りを見る。隣のベッドで幸せそうにすやすやと眠る少年。そう、親友のアルだ。その無邪気な寝顔に、俺は思わずほっとする。
俺は日本人……でも、異世界の孤児でもある――――。
つまり……俺はこの少年に無事転生したってこと……なんだろう。
「や、やった! 二回目の人生だ、今度の人生は上手くやってやるぞ!」
ようやく実感がわいてきてグッとガッツポーズを決めた。
しかし――――。
孤児――――?
俺はガックリしてベッドに転がった。
女神様ももうちょっと気を使ってくれてもいいのに。貴族の息子の設定とかでもよかったんだよ? 俺はあの先輩に似た女神様を思い出し、ふぅっとため息をつく。
なんともハードなスタートだよ。
俺は大きくため息をついた。
えーっと……。何か特典を貰っていたな……。確か……『鑑定』、そうだ! 鑑定スキル持ちなはずだぞ。
だが、どうやるかまで聞いてなかった。
くぅぅぅぅ……。
俺は思わず頭を抱える。
俺はアルに向かって、小さな声で呟いた。
「鑑定……」
だが……何も変わらない。
おいおい、女神様……。チュートリアルくらい無いのかよ……。俺はちょっと気が遠くなった。ゲームでは指さしてクリックだったが……クリックってどこを?
試しにアルを指さしてみたが、そんなので出てくるはずがない。俺は途方に暮れ、大きく息を吐き、月明かりの中幸せそうに寝てるアルをボーっと見つめた。
鼻水の跡がそのまま残る汚い顔、何かむにゃむにゃ言っている。一体どんな夢を見ているのだろうか……。まさか親友が異世界転生の二十代のゲーマーだとは思ってもみなかっただろう。
アルが鑑定出来たらどんなデータが出るのかな……レベルとか出るのかな……。
そう考えた瞬間だった。
ピロン!
頭の中で音が鳴り、いきなり空中にウィンドウが開いたのだ。
「キターー!!」
俺は思わずガッツポーズ。女神様は約束通りチートスキルを恵んでくれていたのだ。
どうも心の中で対象のステータスを意識すると自動的に『鑑定ウィンドウ』が開く仕様になっているらしい。
この瞬間、俺の新しい人生が本当の意味で始まったのだ。鑑定スキルを武器に、この厳しい世界で生き抜いていく。そう、たとえ孤児という厳しいスタートであっても、前世の記憶とこのチート能力を駆使して、栄光の道を切り開いてやるのだ。
◇
さてと――――。
俺はワクワクしながら、鑑定ウィンドウの中を覗き込んだ。
アル 孤児院の少年
剣士 レベル1
他にもHP、MP、強さ、攻撃力、バイタリティ、防御力、知力、魔力……と並んでいる。数値の意味までは分からないが、どれも大切そうだ。特にHPは要注意だな。ゼロになったら、きっと……。俺は思わずゴクリと息をのんだ。
「よし、次は俺だ!」
自分を鑑定するにはどうしたらいいか……。しばし考えた後、思い切って叫んでみた。
「ステータス!」
すると、まるで魔法のように空中にウィンドウが開き、俺のステータスが現れた。
「やったぁ!」
喜び勇んで中を見ると……。
ユータ 時空を超えし者
商人 レベル1
しょ、商人だって!?
「えぇっ!? マジかよーー!」
思わず宙を仰いだ。
何だよ、女神様……。そこは勇者とかじゃないのかよ! せめてアルみたいに剣士にしておいて欲しかった……。
明らかに異世界向きじゃないハズレ職に俺は意気消沈する。ため息が出そうになるのを堪えながら、俺は周りの仲間たちも次々と鑑定してみた。
だが、皆【村人】だの【遊び人】だの平凡なジョブばかり。特殊な職業は見当たらなかった。むしろ【商人】はマトモな部類だった。
ふぅ……。
月明かりの中大きく息をつく。
さて、俺はこの世界で何を目指せばいい? 商人じゃ派手な冒険は無理だ。となると、金儲け特化型プレイ? うーん、どうやったらいいんだ?
俺は頭を抱えて考え込んだ。ゲームの時はどうやって稼いでいたんだっけ――――?
そうか! 鑑定スキルを使えば、レアアイテムや隠された宝を見つけられるかもしれない。それを売買すれば……!
グッとイメージが湧いてきた。商人として成功の道が、少しずつ見えてきたのだ。
「よし、決めた! 明日から、なんでも全部鑑定してみよう。隠された真実が分かるかもしれないぞ」
俺はベッドに横たわり、薄い毛布に包まった。冷たい夜風が窓から忍び込んでくる。だが、俺の心は温かかった。
明日から俺は転生商人だぞ。うっしっし……。
ワクワクした気持ちを胸に、俺は静かに目を閉じた。夢の中では、きっと俺は大商人になっているだろう。そして、この孤児院の仲間たちを幸せにする方法を見つけているはずだ。
月の光が俺の顔を優しく照らす中、新たな冒険への期待に胸を膨らませながら、俺の意識はゆっくりと薄らいでいった。
「キャ――――!!」
夜の静寂を破る悲鳴が、かすかに窓の外から聞こえてきた。俺の耳朶を掠めたその声は、幽かで儚いものだったが、その中に秘められた恐怖と絶望の響きは、俺の心臓を強く鷲づかみにした。
空耳……? いや、違う!
幻聴がこんなに生々しく響くはずがないのだ。
俺は息を潜め、そっと窓の外を覗いた。離れの倉庫の窓から、かすかな明かりが漏れている。その光は、夜の闇の中で不吉な灯火のように揺らめいていた。
あんなところ、夜中に誰かが使う訳がない! あそこだ!!
俺は迷わず窓から滑り降り、はだしで倉庫へと向かった。冷たい地面が足の裏に突き刺さるが、そんなことは気にも留めない。俺の心はただ一つ、悲痛な叫びの救済にしかなかった。
倉庫の窓に顔を寄せ、中を覗き込んだ瞬間、俺の血の気が引いた。
男に組み敷かれ、服を剥ぎ取られた少女の姿。僅かに膨らみ始めた白い胸が、揺れるランプの炎に照らされ、妖艶な光景を作り出している。少女の喉首に押し当てられた刃物。そして、涙に濡れた顔。
(ドロシー!)
俺の心が悲鳴を上げた。十二歳のドロシー。その陽気で明るい笑顔は、孤児院のみんなの希望だった。俺自身、何度も彼女に勇気づけられたことか。
(絶対に救わなくては!)
しかし、どうやって? 俺は焦燥感に駆られながら、必死に状況を把握しようとする。
男がズボンを下ろし始めた。時間がない。俺は急いで鑑定スキルを使った。
イーヴ=クロデル 王国軍二等兵士
剣士 レベル三十五
(なんてこった。兵士じゃないか! しかもレベル三十五……)
絶望的な状況に、俺の脳裏を真っ白な霧が覆う。レベル1の俺では、まるで蟷螂の斧だ。かといって、大人を呼びに行く時間もない。
余計な事をすれば俺も標的になりかねない中で、俺は必死に頭を必死に回した。
(考えろ……考えろ……)
俺の心臓が鼓動を早め、額には冷や汗が滲む。ドロシーの悲痛な表情が、俺の瞳に焼き付いて離れない。
俺の心臓が激しく鼓動を打つ。迷う時間はない。意を決すると、俺は窓をガッと開け、震える声で叫んだ。
「クロデル二等兵! 何をしてるか! 詰め所に通報が行ってるぞ。早く逃げろ!」
突如響き渡った声に、男は跳び上がる。子供の声であることに一瞬戸惑いを見せたが、自分の名前と階級が呼ばれたことにヤバい雰囲気を感じ取ったようだった。
「チッ!」
舌打ちと共に、男は慌ててズボンを上げ、ランプを掴むと夜の闇へと逃げ去った。その背中に、俺は憎悪の眼差しを向けずにはいられなかった。
「うわぁぁぁん!」
ドロシーの嗚咽が倉庫に響き渡る。俺は兵士が通りの向こうに消えるのを確認すると、躊躇なくドロシーの元へ駆け寄った。
月の光に照らされた彼女の顔は、涙と鼻水で滲み、その姿は俺の心を締め付けた。
「もう大丈夫、僕が来たからね……」
俺はそっとドロシーを抱きしめる。その小さな体が、俺の腕の中で震えている。
「うぇぇぇ……」
ドロシーは嗚咽を繰り返しながら、しばらく泣き続けた。その間、俺は彼女の背中を優しく撫で続けた。十二歳のまだ幼い少女を襲うなんて、俺の中で怒りが沸々と湧き上がる。
やがて、ドロシーの啜り泣きが収まり、かすれた声でポツリポツリと事情を話してくれた。
「トイレに……起きた時に、倉庫で明かりが揺れてるのを見つけて……何だろうって……」
その呟きに、俺は静かにうなずく。好奇心旺盛な彼女らしい行動が、こんな恐ろしい結果を招いてしまったのだ。
窓から差し込む淡い月明かりに、ドロシーの銀髪が煌々と輝いている。どこまでも澄んだブラウンの瞳から、涙が止めどなく溢れ出す。その姿は、儚くも美しく、俺の心を激しく揺さぶった。
「うぇぇぇ……」
思い出したようにまたドロシーは嗚咽をあげる。
俺は再びゆっくりとドロシーを抱きしめ、何度も何度も背中を優しく撫でた。
『ドロシーに幸せが来ますように……、嫌なこと全部忘れますように……』
俺は心の中で懇ろに祈りつづける。
二人の姿は月明かりに照らされて静かに青白く輝いていた。
「ハーイ! 朝よ起きて起きて!」
衝撃の夜が明け、朝日が窓から差し込む。アラフォーの、恰幅のいい院長のおばさんが、廊下を闊歩しながら、あちこちの部屋に元気な声をかけて子供たちを起こしていく。その声には、まるで魔法の力が宿っているかのように子供たちは飛び起きていった。
「ふぁ~ぁ」
俺は大きく欠伸をする。昨夜はあの後なかなか寝付けなかったのだ。目をこすりながら、ふと思い立って院長を鑑定してみる。
マリー=デュクレール 孤児院の院長 『闇を打ち払いし者』
魔術師 レベル八十九
「えっ!?」
俺は一気に目が覚めた。寝不足の倦怠感なんて吹き飛んでしまう。
(何だこのステータスは!? あのおばさん、称号持ちじゃないか!)
今まで単なる面倒見のいいおばさんだとしか認識していなかったが、とんでもない。一体どんな壮絶な活躍をしたらこんな称号が付くのだろうか? 人は見かけによらないとはまさにこのこと。俺は小さく頭を下げ、心の中で今までの軽視を謝罪した。
食堂に集まり、お祈りをして朝食をとる。ドロシーの姿を見つけた俺は、胸が締め付けられる思いがした。彼女の瞼は腫れ、元気のない様子。それでも俺を見ると小さく手を振って微笑んでくれた。その健気な姿に、俺は彼女を見守っていかねばと決意を新たにする。
また、院長にも報告しなければ。二度と同様な事故が起こらないように対策をしてもらわないとならない。
「あれ? ユータ食べないの?」
突如、アルの声が俺の思考を遮った。彼の手が俺のパンに伸びてくる。
「欲しいなら銅貨二枚で売ってやる」
俺はすかさず彼の手をピシャリと叩いた。
「何だよ、俺から金取るのか?」
アルは頬を膨らませて言う。その表情があまりにも愛らしく、俺は思わず吹き出しそうになる。
「ごめんごめん、じゃ、このニンジンをやろう」
俺が煮物のニンジンをフォークで取ると、
「ギョエー!」
と喚きながらアルは自分の皿を後ろに隠した。その滑稽な反応に、辺りは笑いに包まれる。
この穏やかな朝の光景。昨夜の恐ろしい出来事が嘘のようだ。しかし、俺は決して忘れない。ドロシーを守ること、この孤児院の仲間たちを守ること。そして……、折を見て院長の秘密も探ってみたいと思った。
俺は口に運んだパサパサしたパンを噛みしめながら、静かに誓う。
俺は転生商人として必ず成功する。そして、この仲間たちを守ってみせる。
朝日が差し込むにぎやかな食堂で、俺は一人秘かにグッとこぶしを握った。
◇
食事の時間は賑やかだ。まるで小さな戦場のようだ。あちこちで悪ガキどもが小競り合いを繰り広げ、小さな子供はすぐに癇癪を起こしてぐずる。その喧噪の中で、俺は静かに観察者の目を向ける。
つい昨日まで、俺もこの喧騒の一員だった。院長たちに迷惑をかけ、悪戯に興じていた。だが今、目覚めた俺の中の二十代の意識が、この光景を別の角度から見させる。
(これからは世話する側に回らないとな)
その思いが、俺の心に重くのしかかる。
硬くてパサパサしたパンを噛みしめながら、俺は具体的な計画について考え始める。
(鑑定でひと財産築こうと思ったら……やはり商売……かな)
転生した職業が『商人』だったのも、何かの因縁かもしれない。しかし、現実は厳しい。商売には元手が必要だ。
(何で元手を稼ぐか……)
俺はふと、前世でプレイしていたゲームを思い出す。そこでは薬草集めから始めたのだった。鑑定スキルさえあれば薬草を探すのは簡単なはずだ。何しろ手当たり次第に鑑定していって【薬草】って表示されたものだけを集めればいいのだから。
よしっ!
その瞬間、俺の目に決意の色が宿る。まずは元手稼ぎに薬草を集めてやるのだ。
食堂の喧噪の中、俺は大いなる一歩を踏み出そうとしていた。それは、孤児院の子供たちの未来を明るく照らす、小さな灯火となるかもしれない。
俺は最後のパン屑を口に運びながら、ニヤリと笑った。
必ず成功してみせる。この鑑定スキルを使って、みんなの幸せを掴み取ってみせる!
◇
食事を終えた俺は、決意を胸に秘めて院長室へと向かう。扉の前で深呼吸し、気合を入れるとコンコンと叩いた。
「院長、ちょっとお話があるんですが……」
俺の声は、自分でも驚くほど凛としていた。
「あら、ユータ君……何かしら?」
扉が開き、院長の温和な顔が現れる。だが、その目には僅かな戸惑いの色が浮かんでいた。昨日までの俺からは想像もつかない態度に、さすがの院長も警戒を隠せないようだ。
俺は慎重に言葉を選びながら、まず昨晩の出来事を話す。
「えっ!? そんなことが!?」
院長はあまりの驚きで目を大きく見開いた。
「でも、大丈夫です。ドロシーはもう落ち着いています」
「それは助かったわ……ありがとう。対策は……ちゃんとやるわ」
院長の声には、感謝と共に深い憂慮が滲んでいた。彼女の眉間に寄る深い皺を見ながら、俺は彼女の重責を垣間見た気がした。
そして、俺は本題に入る。
「それからですね、実は薬草集めをして、孤児院の運営費用を少しですが稼ぎたいのです」
「えっ!? 君が薬草集め!?」
院長の目が再度驚愕のあまり大きく見開かれる。その反応に、俺は内心苦笑を浮かべた。
「もちろん安全重視で、森の奥まではいきません」
俺は慌てて付け加える。院長の眉が八の字に寄る。
「でもユータ君、薬草なんてわからないでしょ?」
「それは大丈夫です。こう見えてもちょっと独自に研究してきたので」
俺は自信に満ちた笑顔を浮かべ、胸を張って答える。もちろん薬草なんて全く分からないのだが、俺にはチートスキルがあるのだ。
院長は訝しげに俺を見つめる。そして、ふと何かを思いついたように、部屋の脇に吊るされていた丸い葉の枝を手に取った。
「これが何かわかったらいいわよ」
ニヤリと笑う院長の顔には、大人の余裕が滲んでいた。
うーん、わからん。
しかし、俺には『鑑定』がある。今まさにその力を見せつけてやるべき時なのだ。
テンダイウヤク レア度:★★★
月経時の止痛に使う
空中に浮かび上がる鑑定結果。なるほど、自分に使う薬だったか。だが、俺は大人の女性の秘密に触れた気がして、僅かに頬が熱くなるのを感じた。
俺はコホンと咳払いをして気持ちを落ち着けると、涼しげな声で答えた。
「テンダイウヤクですね、女性が月に一度使ってますね」
その口調は、まるで医者のように聞こえたかもしれない。
「えーーーー!!」
驚いた院長は目を皿のようにして俺を見つめる。その表情には、驚愕と戸惑い、そして僅かな畏怖の色が混ざっていた。
「早速今日から行ってもいいですか?」
俺は得意気な表情で尋ねる。
院長は目を瞑り、しばらく沈黙した。俺はドキドキしながら返事を待つ。
やがて、彼女はゆっくりと目を開け、静かに呟いた。
「そうよね、ユータ君にはそういう才能があるってことよね……」
その言葉には、諦めと期待が入り混じっている。
「わかったわ、でも、絶対森の奥まで行かないこと、これだけは約束してね」
院長は真剣な眼差しで俺を見つめた。その目には、母親のような慈愛と、指導者としての厳しさが同居していた。
「ありがとうございます。約束は守ります」
俺は院長の手を両手で包み、笑顔で答える。院長も根負けしたようなほほえみでうなずいた。
その後、院長は薬草採りのやり方を丁寧に教えてくれた。彼女の若かりし頃の思い出話を交えながらの説明は、まるで授業のようだった。
「私も駆け出しの頃は、よくやったものよ」
院長の目が遠くを見つめる。その瞳に映る過去の冒険譚に、俺は胸が高鳴るのを感じた。
俺の中身は二十代。いつまでも孤児院の庇護に甘えているわけにはいかない。早く成功への手掛かりを得て、自立し、恩返しの道を目指すのだ! その決意が、俺の心の中で燃えさかる。
窓から差し込む陽光が、俺の未来を照らすかのように明るく輝いていた。そこには、困難と希望が入り混じる道が続いているに違いない。しかし、俺には『鑑定』という武器がある。
その日の午後、俺は初めての薬草採りの旅に出る。小さなバッグを背負い、いっぱいの希望を胸に、振り返らずに孤児院を後にした。
◇
街の出口、巨大な城門を抜けると、一面に広がる麦畑が俺を出迎えた。実は街を出るのは初めてである。今日はまさに上天気。どこまでも続く碧い空が、俺の心を解き放つかのようだ。
ビューッと吹き抜ける風に、麦の穂が黄金色に輝きながら大きくウェーブを描く。まるで大地が息づいているかのような光景に、俺は思わず息を呑んだ。
麦わら帽子が飛ばされないよう、ひもをキュッと絞る。その仕草に、これからの試練への覚悟が込められているようだった。
この街道は、山を越えてはるか彼方の他国まで続いているらしい。俺は遠くを見つめ、未来への希望を胸に秘めた。
(いつか商人として成功して、世界をあちこち行ってやるぞ!)
その夢を実現させるため、まずは元手だ。今日が俺の商人としてのスタート。絶対に成功させてやる。俺はグッとこぶしを握った。
◇
麦畑の続く一本道を二時間ほど歩き、ようやく森の端に辿り着いた。奥には恐ろしい魔物が潜むという噂だが、この辺りなら昼間の今は安全なはずだ。俺は護身用にと院長から渡された年季物の短剣を手探りで確かめ、お守り代わりに感じながら大きく深呼吸をした。
俺は下草の茂る森の中へと足を踏み入れた。目につく植物は片っ端から鑑定し、レア度★3以上の物を探す。しかし、現実は厳しかった。
ほとんどが★1の雑草か、あっても★2までである。★2などは二束三文。頑張って取っても買い取ってくれるかどうかも怪しかった。
簡単でないことは分かってはいたが、一時間ほど探し回っても収穫ゼロの現実に、俺は焦燥感を覚えた。
(まずい、このままでは帰れない)
そんな時、小川のせせらぎが耳に入った。流れに沿って目を向けると、崖になっている場所を見つける。崖は植生が変わるため、希少な植物が見つかる可能性が高い。俺の心に期待が膨らむ。
川沿いを歩きながら注意深く観察を続けると、突然目に飛び込んできたのは――――。
アベンス レア度:★★★★
悪魔祓いの効能がある
「キターーーー!!」
俺は思わず声を上げた。★4のレア植物。これは間違いなく大当たりだ。興奮に全身が震える。
しかし、その喜びもつかの間。アベンスは崖の上方に生えており、簡単には手が届かないという現実が立ちふさがる。三階建ての家ほどの高さだろうか。落ちれば間違いなく命に関わる。
(諦めるか……命を懸けるか……)
俺は葛藤に襲われた。小川のせせらぎがチロチロと心地よい音を立て、遠くでは鳥がチチチチと鳴いている。
ふと、院長の顔が脳裏に浮かぶ。
『絶対に無理はしないこと! いいわね?』
慈愛に満ちた笑顔と、厳しい眼差しでそうきつく言ってくれた院長。
しかし――――。
手ぶらか★4かでは今日一日の成果は全く変わってくる。大口叩いて成果ゼロだなんてとてもみんなにも言えないのだ。
成功にリスクはつきもの。リスクを恐れていては成功などできない。その思いが、俺の決断を後押しした。
「よし、やってやる!」
俺は決意を固め、慎重にルートを確認すると、崖の出っ張りに手をかける――――。
登り始めたらもう後戻りはできない。俺は何度か大きく息をつくと岩をつかむ手に静かに力を込めた。
その姿は、まるで運命に挑む若き挑戦者そのものである。この瞬間、俺の新たな人生が本当の意味で始まったのだ。
小川のせせらぎがチロチロと心地よい音を立て、鳥がチチチチと遠くで鳴いている。その穏やかな自然の調べをBGMとして静かに一歩一歩挑戦が続いて行く。
「よしっ! 行けるぞ!」
思ったより順調に距離を稼いでいく俺。
子供の身体は軽い分、こういう時は有利である。だが、それでも落ちたら死ぬのだ。ふと、下を見た瞬間、予想以上の高さに心臓がキュッと締め付けられ、俺はギリッと奥歯を鳴らした。
(ゲームの中なら、こんなの朝飯前なのに……)
何度も諦めそうになったが、アベンスの可憐な紫の花はもうすぐその先で揺れているのだ。とても諦めきれない。
苦闘の連続の末、最後にはなんとかアベンスまで手が届く場所にたどり着くことができた。
「くぅぅぅぅ……。やった……。やったぞ!!」
肩で息をしながら俺は達成感に包まれる。
落ちないように慎重に薬草を採集し、バッグに突っ込む。思わずにやけてしまう。
(きっと銀貨一枚くらい……日本円にして一万円くらいにはなるに違いない)
だが、喜びもつかの間。今度は降りなければならない。降りるのは登る何倍も難しい。チラッと下を見ると、地面ははるか彼方だ――――。
くぅぅぅぅ……。
俺は涙腺が熱くなるのを感じながら、丁寧に一歩ずつ降りていく。それは辛く苦しい命がけの挑戦。でも、確かに生きているという手触りを感じ、俺は思わずにやけてしまう。ゲームばかりやって暗い部屋に籠っていたあの頃に比べたら圧倒的に『生きている』実感にあふれているのだ。
どのくらいの時間が経っただろうか。永遠とも思える時間の後、ようやく山場を越えることができた。
「ふぅ……、あともう少しだ。良かった良かった……」
安堵の溜息を漏らしたその瞬間だった。
ゴロッ――――。
足元の岩が崩れ、俺の体が宙に浮く。
「へっ……?」
間抜けな声を上げながら、俺は転落していった。目の前で景色が回転し、風を切る音が耳に響く。
「ぐわぁ!」
思いっきりもんどりうって転がる俺。世界が目まぐるしく回転し、背中に鋭い痛みが走る。
(安心した瞬間が一番危険……か)
俺は身をもってその教訓を叩き込まれた。
ゴロゴロと転がり、小川に落ちる寸前でようやく止まる。全身が痺れるような痛みに包まれた。
「いててて……」
身体をあちこち打ってしまった。肘から血が滲んでいる。死ななかっただけましだが、痛みで目に涙が浮かぶ。
体を起こそうとした時、目の前の倒木の下に目を奪われた。プックリとした可愛いキノコが、まるで宝石のように輝いている。見慣れない形をしているそのキノコに、俺は思わず見とれてしまう。
何気なく鑑定をかけてみると――――。
「ええっ!?」
マジックマッシュルーム レア度:★★★★★
マジックポーション(MP満タン)の原料
「キタ――――!」
俺の声が森に木霊する。ケガの功名とはこのことか。痛みも忘れ、俺は飛び上がってガッツポーズ。
「やったぞ! いける! いけるぞぉ! ぐわっはっはっはー!」
思わず叫び、そして大きく笑う。その笑顔は、今までの人生で見せたことのないような、純粋な喜びに満ちたものだった。
フリーターでゲームに逃げていた俺が、今、異世界で新たな人生をつかみ取ったのだ。ただの孤児では終わらない、成功への道を一歩踏み出した実感に全身が震える。
その後、★3のハーブをいくつか採集し、陽も傾いてきたので帰路についた。院長に教わった通り、来た道には短剣で木の幹に傷を付けてきてあるのだ。帰りはそれを丁寧にトレースしていく。
森の中を歩きながら、俺は今日の出来事を反芻する。危険と隣り合わせの冒険、そして予想外の発見。これが本来の人間の人生というものなのだろう。暗い部屋でゲームばかりして忘れていた野生を取り戻せた気がして。俺はグッとこぶしを握った。
◇
夕焼けに染まる空を仰ぎながら、ユータは早足で街へと戻っていった。石畳は夕陽に照らされ、まるで燃えるように赤く輝いている。
この街、正式名称を『峻厳たる城市アンジュー』という王国の中心地は、まるで中世ヨーロッパの絵画から抜け出してきたかのような佇まいを見せていた。
ごつごつとした石造りの建物が立ち並ぶ中、夕陽が作り出す陰影が街並みを立体的に浮かび上がらせ、まるでアートの様な美しさを放っている。
遠くから聞こえてくる教会の鐘の音が、カーン、カーンと静かに時を告げた。
「早く帰らないと、院長が心配してしまうな……」
俺の目指す先は薬師ギルドだ。採った薬草はギルドで換金してくれると院長に聞いていたのだ。
裏通りにひっそりと佇む薬師ギルドの扉を開けると、独特の香りが鼻をくすぐった。壁一面に並ぶ色とりどりの薬瓶、そしてカウンター越しに見える無数の小さな引き出しが並んだ棚。まるで魔法使いの研究室のような雰囲気だ。