「くっ……」
俺の喉から、呻くような声が漏れる。レヴィアの表情も険しさを増していた。これは、もはや戦いですらない。一方的な虐殺になるだろう。
「こらアカン……撤退するぞ」
レヴィアはウンザリとした表情で首を振り、俺の手をつかむと空間の裂け目に逃げ込む。その手に込められた力から、深刻さが伝わってくる。先ほどまでの少女らしい表情は消え失せ、数千年の時を生きた険しい龍の凄みが戻っていた。
さらに苛烈さが増す予感の第二ラウンド。俺は神々の戦争に巻き込まれてしまった運命を呪った。戦乙女たちの嘲笑が背中に突き刺さる中、俺たちは闇の中へと消えていく。
「もはや……覚悟を決めんとならんようじゃな……」
レヴィアの呟きが、闇の中で重く響いた。
◇
空間の裂け目を抜けるとそこはレヴィアの神殿だった。大理石造りの荘厳な神殿に満ちた静謐な空気が、先ほどまでの戦場の喧騒を洗い流していく。
巨大なモニターの青白い光が大理石の床に映り込み、幻想的な光景を作り出している。
「あなたぁ! あなたぁ……、うっうっうっ……」
画面の前で座っていたドロシーは俺を見つけると駆け寄って飛びついてきた。その抱きしめる腕の強さに、再会を待ちわびた時間の重みが感じられる。
ドロシーの体が小刻みに震えていた。温かい涙が俺の胸に染みていく。慣れない戦闘サポートに不測の事態の連続で相当に消耗しているようだった。
「ありがとう……、よく頑張ってくれた……」
俺はドロシーを抱きしめ、優しく頭を撫でた。柔らかな髪の感触が、彼女が確かにここにいることを教えてくれる。
「感動の再会の途中申し訳ないんじゃが、ヌチ・ギを倒しに行くぞ!」
レヴィアが覚悟を決めたように低い声を出す。その声には、これまで聞いたことのない重みが込められていた。
「え? どうやってあんなの倒すんですか?」
ラグナロク用に準備された戦乙女たちを擁するヌチ・ギに対し、ただの人間の俺とドロシーではとても勝ち目があるようには思えなかった。
レヴィアは覚悟を決めた目で俺を見据える。
「サーバーを……壊すんじゃ」
へっ!?
俺はそのとんでもない発想に息を呑む。
「サーバーって……この星を合成してる海王星にあるコンピューター……のことですよね?」
「もう、これしか手はない……」
レヴィアは深刻そうに顔をしかめた。
そのまさに禁忌ともいうべき計画に俺は思わず首を振る。
この世界を創っているシステムを壊す、それは考えうる限り最強の攻撃ではあるが……、とてもやっていいことには思えなかった。
「サーバーを壊してヌチ・ギを消す……?」
「そうじゃ、壊せばどんな奴でも消せる。これにはさすがのヌチ・ギも抗えん」
「それはそうですが……、いいんですか? そんなことやって?」
俺の問いかけに、レヴィアはギリッと奥歯を鳴らした――――。
一瞬の沈黙。神殿の空気が重く澱んでいく。
「ダメに決まっとろうが! 禁忌中の禁忌じゃ! じゃが……、もはやこれ以外手はない」
レヴィアの表情には、取り返しのつかない選択を迫られた者の苦悩が滲んでいる。
その、重圧が刻まれた金髪おかっぱの少女の覚悟に俺は気おされた。この世界を作り出している大元を壊す。それは確かに決定的な攻撃になるだろう。しかし、この世界そのものを壊すわけだからその影響範囲は計り知れない。どんな副作用があるのか想像を絶する話だった。
最悪の場合、この世界は消滅するかもしれない。そうなれば、ここで暮らす全ての人々の運命も……。
それに、もし、上手くいったとしても女神ヴィーナに見つかれば、そのペナルティは苛烈なものになるに違いなかった。
とは言え、このままでは俺たちも多くの人たちも殺されてしまう。やる以外ないのだ。俺はギュッとこぶしを握ると、レヴィアに突き出して見せた。
「大虐殺は絶対に止めねばなりません。何でもやりましょう!」
迷っている場合ではない。みんなを守るためには何でもやるしかないのだ。
神殿の周りの魔法のランプが、まるで我々の決意を祝福するかのようにゆらゆらっと瞬いた。
◇
レヴィアは空間を引き裂くとガラスカバーのついたリクライニングチェアを二つ取り出した。
「じゃぁ早速このポッドに入るのじゃ」
薄明の光を纏ったその未来的な装置は、この古の神殿にいささか不釣合に見える。
「お主にはこれを……」
ドロシーには鮮烈に赤く輝くボタンのついたリモコン装置を渡した。
「お主は画面を見て、敵の襲来を監視するのじゃ。どうしようもなくなったらこのボタンを押せ。火山が噴火して辺り一面火の海になる。時間稼ぎができるじゃろう」
ドロシーの瞳が大きく見開かれる。
「ひ、火の海ですか!? ここは……、無事なんですか?」
「んー、設計上は……大丈夫な……はず?」
ちょっと自信なさげに目を泳がせるレヴィア。
「『はず』……ですか……」
自爆装置と表裏一体のそのリモコンを見つめるドロシーの目には、露骨な不安が映っている。
「そんなのテストできんじゃろ!」
レヴィアが余裕なさげに声を荒げる。
「そ、そうですね」
ドロシーはその気迫に気おされた。
確かに火山噴火装置などおいそれとは試せない。地形が変わってしまうし、ヌチ・ギに観測されてしまうのだ。
「わしらが行ってる間、体は無防備になる。守れるのはお主だけじゃ、頼んだぞ!」
レヴィアの声には、切迫した険しさが込められていた。
「わ、分かりました……。それで、あのぅ……」
「ん? なんじゃ?」
「アバドンさんや操られてる女の子たちは……助けられますか?」
ドロシーがおずおずと聞く。その眼差しには、純粋な慈悲が浮かんでいた。
「ほぅ、お主余裕があるのう。ヌチ・ギを倒しさえすれば何とでもなる。そうじゃろ、ユータ?」
いきなり俺に振られた。咄嗟の問いに一瞬詰まったが、ドロシーを安心させる答えこそ正解なのだ。
「そうですね、手はあります」
俺自身、一回死んでここに来ているし、ドロシーだって生き返っているのだ。死は絶対ではない。ただ……、どうやるかまでは分からないのだが。
「そう……、良かった」
ドロシーが優しく微笑む。
その妻の心優しさに、アバドンの事を忘れていた俺は胸がキュッとなる。慌ただしい戦いの中でも、他者を思いやる心を失わないドロシー。こういう所もドロシーの方が優れているし、そういう人と一緒に歩める結婚というものは良いものだなとしみじみと感じ入った。
レヴィアがリモコンについている小さめの画面を指さして言う。
「それから、こっちの画面は外部との通信用じゃ。ここを押すと話ができる。ヌチ・ギが来たら『ドラゴンは忙しい』とでも言って時間稼ぎをするんじゃ」
じっとドロシーを見つめる瞳には、ドロシーへの信頼が垣間見えた。ドロシーはもはやチームには無くてはならない存在になっている。
「ヌチ・ギ……、来ますか?」
おびえるドロシー。その声音には、かすかな震えが混じっていた。
「来るじゃろうな。奴にとって我は唯一の障害じゃからな」
レヴィアは肩をすくめて首を振る。放っておいてほしいが、レヴィアが健在なうちにラグナロクを始めることはないだろう。
「そ、そんなぁ……」
「いいか、時間稼ぎじゃ、時間稼ぎをするんじゃ! ワシらが必ず奴を倒す、それまで辛抱せい!」
「は、はい……」
うつむくドロシー。長い睫毛に影が落ち、その儚げな姿に、胸が締め付けられる。
「大丈夫! さっきだってうまくやれてたじゃないか」
俺は笑顔でドロシーを見つめながら、そっと頬をなでた。
「あなたぁ……」
目に涙を湛えながら不安そうに俺を見る。
しばらく俺たちは見つめ合った。刹那が永遠のように感じられる。神殿の静寂の中で、息遣いだけが響いた。
俺はそっと口づけをし、キュッとそのしなやかな細い身体を抱きしめる――――。
「自信もって……。僕のドロシーならできる」
その言葉には、これまでの戦いで培った確かな信頼が込められていた。
「うん……」
ドロシーは自信無げにうつむく――――。
長い睫毛からポロリと滴がしたたり落ちた。
「ユータ、行くぞ! 急げ!」
レヴィアはポッドの最終調整をしながら急かす。その声には、いつもの威厳に加えて、かすかな焦燥が混じっていた。
俺は優しくドロシーの髪をなでながら、しっかりと目を見つめる。月光のように儚げな銀色の髪が、指の間をすり抜けていく。
「待っててね……」
しかし、ドロシーは心細げにうつむく――――。
俺は愛おしさと切なさに苛まれ、ドロシーをキュッと抱きしめる。ふんわりと立ち上る優しい匂いに包まれながら耳元でささやいた。
「行ってくるよ……」
ドロシーは口をとがらせ……、静かにうなずいた。
俺はポンポンとドロシーの背中を叩き、覚悟を決めるとポッドに乗り込んでいく。早く決着をつけたい思いが俺を後押ししていた。
冷たい金属の感触が、これから向かう戦いの厳しさを予感させる。
「横たわって、静かに待つんじゃ!」
レヴィアは厳しい声でそう言いながらハッチをガチリと閉めた。俺は思ったより狭い内部に息苦しさを覚える。
ふぅ……。
密閉された空間に響く息遣いが、緊張を一層高めていく。
内側からドロシーに手を振ると、ドロシーは潤んだ瞳で近づいてきた。瞳に映る不安が、俺の心を揺さぶる。
「あなた……、気を付けてね……」
ポッドのガラスカバーを不安そうになでるその指先には、祈りのような温もりが込められていた。透明なガラス越しでも、その思いは確かに伝わってくる。
俺もその指先に指を合わせる――――。
僅かな隙間を挟んで触れ合う指先に、二人の想いが交錯する。必ず戻ってくるという誓いと、再会を願う祈り――――。その刹那、時が止まったかのような静寂が訪れる。
ヴゥン……。
かすかな電子音が響いた。それは別れの時を告げる鐘のように心に沁みていく。
直後、俺は意識を失った――――。
闇に沈んでいく意識の中で、最後に見たドロシーの微笑みが、かすかな光となって残っていた。
◇
気が付くと、俺は細いベッドに横たわっていた。金属の配管が縦横無尽に這う天井のあちこちから漏れる青白い光が、異質な空間を照らしている。
「……、え……?」
辺りを見回せば、どうやら壁から飛び出ている寝台のようなベッドの上にいるようだった
壁には蜂の巣のように六角形の模様が刻まれ、同じような寝台がたくさん収納されているように見える。周りは半透明の布で囲まれ、その向こうに人影らしきものが時折行き交っていた。どうやらここが海王星……なのだろう。
俺たちの世界を構成しているコンピューターのある星、まさに神の星にやってきたのだ。
「来たぞ……。ついに……」
俺はいよいよ始まる『神の世界での破壊工作』という、神をも恐れぬ前代未聞の挑戦にゴクリと唾をのんだ。
「よいしょ……。え……?」
身体を起こすと奇妙な感覚に襲われた。手足が異物のように感じられ、自分の身体が自分じゃないような、まるでブヨブヨとしたプラスチックになってしまったような違和感に戸惑う。
頬をそっと撫でてみると、肌の質感すら違っていた。
素っ裸な自分の身体を見回してみると、腕も足も身体全体が全くの別人だった。鏡のような光沢を持つ壁にはシュッとした、ある種イケメンの部類に入るだろうさわやかな好青年が映っている。
「なんだこりゃ!?」
そう言って、聞きなれない自分の声にさらに驚く。喉から出る声が、別の誰かの声のように響くのだ。
少し長身でやせ型だろうか? 声も少し高い感じだ。なるほど、ユータの身体をそのまま神の世界へ持っていけるわけではないということだろう。
イケメンにはなれたが、全くうれしくない。もちろん元の世界に戻れば元の身体には戻れるのだろうが……。
俺はふぅと大きくため息をついた。
『スカイポートへようこそ』
その時、機械的な音声ガイダンスと共に目の前に青白い画面が浮かび上がった。半透明のディスプレイが、フワリと空中に浮遊するように現れる。
「スカイポート?」
海王星の宇宙港? ということだろうか? この異質な空間が、神々の往来する場所なのか。
『衣服を選択してください』
画面にずらりと多彩な服のデザインが表示された。
「おぉ、やはり服は必要だよな」
いくらイケメンとはいえ、素っ裸で歩いていたら捕まってしまうのだろう。
「どれどれ……」
画面をのぞきこんではみたが、みんなピチッとしたトレーニング服みたいなのばかりである。全然グッと来るものがない。
「なんだよこれ……」
神の星なんだからもっとこう驚かされるのを期待したのだが……。仕方ないので青地に白のラインの入った無難そうなのを選んでみる。
ポヒュン!
不思議な電子音と共に、ゴムボールみたいな青い球が上から落ちてきて目の前で止まった。淡い光を纏ったその宙に浮かぶ球体は、かすかに脈動するように輝いている。
何だろうと思ってつかもうとした瞬間、ボールがビュルビュルっと高速に展開され、いきなり俺の身体に巻き付いた。
「うわぁ!」
未知の技術が、まるで生き物のように俺の体を包み込んでいく――――。
驚いている間に、それは服になって輝きも徐々に失われて行った。
撫でてみると、革のようなしっかりとした固さを持ちながらもサラサラとした手触りで良く伸びて快適だ。なんとも不思議な技術に俺は圧倒される。人間の科学では到底及ばない、神の領域の技術を目の当たりにしているのだ。
いきなり布の壁がビュンと音を立てて消失した。
「ユータ! 行くぞ!」
見ると、胸まで届くブロンドの長い髪を無造作に手でふわっと流しながら、全裸の美女が立っていた。
へ……?
真紅の瞳には悪戯な光が宿り、唇には意味深な笑みが浮かんでいる。豊満な胸と、優美な曲線を描く肢体に俺は思わず息をのむ。青白い光が、彼女の肌理の細かい肌を神々しく照らしていた。
「なんじゃ? 欲情させちゃったかのう? 揉むか?」
女性はそう言いながら腕を上げ、悩ましいポーズを取る。その仕草には、何千年もの時を生きた者とは思えない茶目っ気が溢れていた。
「レ、レヴィア様! 服! 服!」
俺は真っ赤になってそっぽを向きながら言った。耳朶まで熱くなるのを感じる。
「くふふふ。ここでは幼児体形とは言わせないのじゃ! キャハッ!」
うれしそうなレヴィア。その嬌声は、まるで少女のような無邪気さを帯びている。
「ワザと見せてますよね? 海王星でも服は要ると思うんですが?」
俺はギュッと目をつぶりながら抗議の声を上げる。
「我の魅力をちょっと理解してもらおうと思ったのじゃ」
上機嫌で悪びれずに言うレヴィア。
「いいから着てください!」
「我の人間形態もあと二千年もしたらこうなるのじゃ。楽しみにしておけよ」
そう言いながらレヴィアは赤い服を選び、身にまとった。鮮烈な赤が、彼女の金髪と美しい対比を描く。服を着ても、その佇まいからは神性と魅惑が滲み出ていた。
「まったく……」
非常時に一体何をやっているのか。俺は溜息をつきながら首を振った。
◇
六角形の鋼板が規則正しく並ぶ床を、カンカンと鳴らしながら通路を行く。金属質の音が細い通路に響き渡る。六角形の接合部には青白い照明が埋め込まれ、一歩進むごとに光が瞬き、歩行者の存在を検知しているようだった。足跡を追うように連なる光の軌跡が、二人の歩跡を刻んでいく。
通路の壁面は乳白色の合金で覆われ、所々に半透明の青い光を放つディスプレイが組み込まれている。その淡い光が、金属の廊下に幻想的な彩を与えていた。
何らかのメーターのように針が振れ、数字が動いている。気圧か温度のデータだろうか? のぞきこむと、急に画面が変わって俺の顔写真と各種パラメーターがずらっと並び、何らかの赤文字の警告メッセージが瞬いた。未知の文字列が画面を這い、俺の存在を解析しているかのようだ。
「え? これは……?」
俺はいぶかしく思って首をひねる。この見慣れない文字列の意味するところは? 不安が胸中を過る。
「何やっとる! 置いていくぞ!」
レヴィアは足音を響かせながらスタスタと先に行ってしまう。その金属音は規則正しく、この場所に慣れ親しんだ者の余裕を感じさせた。
「あぁ! 待ってください!」
俺は急いで追いかける。金属の床を踏む音が慌ただしく響き、青白い光が素早く明滅を繰り返す。
レヴィアの姿を追いながら、俺は改めてこの空間の異質さを実感していた。
しばらく行くと、突き当りに漆黒の壁……いや、星が見える。
「おぉ! 窓だ!」
俺は急いで駆けよった。
強化ガラスを思わせる分厚い透明な壁が、宇宙空間との境界を作っている。窓の外は壮大な大宇宙、満点の星々――――。
ふと下を見て思わず息が止まった。
おわぁ!
なんとそこには紺碧の巨大な青い惑星の水平線が広がっていたのだ。どこまでも澄みとおる美しい青は心にしみる清涼さを伴い、表面にかすかに流れる縞模様は星の息づかいを感じさせる。渦を巻く大気の流れは、悠久の時を刻む天体の鼓動のようだった。
「おぉぉぉ……。これが……、海王星ですか?」
俺は畏怖の念に囚われながらレヴィアに聞いた。
「そうじゃよ。太陽系最果ての惑星、地球の十七倍の大きさの巨大なガスの星じゃ」
「美しい……、ですね……」
俺は思わず見入ってしまった。言葉では言い表せない荘厳さに、魂が震えるのを感じる。
壮大な水平線の向こうには薄い環が美しい円弧を描き、十万キロにおよぶ壮大なアートを展開している。氷の粒子が織りなす環は、神秘的な光の帯となって惑星を演出していた。
よく見ると満天の星々には濃い天の川がかかり、見慣れた夏の大三角形や白鳥座が地球と同様に浮かんでいた。ただ……、上の方に見慣れない星がひときわ明るく輝いている。
「あの星は……、何ですか?」
俺が首をかしげながら聞くと、レヴィアの瞳が愉しげに輝いた。
「わははは! お主も知ってる一番身近な星じゃぞ、分らんのか?」
「身近な星……?」
俺は首をひねった。あんなに明るく輝く星ならば恒星に違いないが……、そんな星が身近にあっただろうか?
「太陽系で一番明るい星は何じゃ?」
レヴィアはニヤニヤしながら俺の顔をのぞきこむ。豊満な胸がその存在を誇示していた。
「一番明るいって……輝いてるのは太陽しか……。へっ!? もしかして……太陽!?」
俺は驚いて太陽をガン見した。
「そうじゃよ。遠すぎてもはや普通の星にしか見えんのじゃ」
「えーーーーっ!?」
地球では決して直視できない灼熱の星が、ここではただの輝点となっている。
点にしか見えない星、太陽。そして、その弱い光に浮かび上がる紺碧の美しき惑星、海王星。俺が生まれて育った地球はこの碧き星で生まれたのだ。ここが俺のふるさと……らしい。
あまりピンとこないが……。
「それで、コンピューターはどこにあるんですか?」
俺は目を凝らして辺りを見たが、データセンターらしき構造物は見当たらない。
「ここは宇宙港じゃ、港にサーバーなんかある訳ないじゃろ。あそこじゃ」
そう言ってレヴィアは紺碧に輝く海王星を指した。
「え!? ガスの星ってさっき言ってたじゃないですか、サーバーなんてどこに置くんですか?」
ガスの中にサーバーを置くなど意味が分からない。地球の常識では考えられない状況に、思考が追いつかなかった。
「ふぅ……。行けば分かる」
レヴィアは金髪を揺らしながら、肩をすくめた。子供の質問に辟易した大人のようである。
「……。で、どうやって行くんですか?」
俺が聞くと、レヴィアは面倒くさそうに無言で天井を指さした。
え!?
俺が天井を見上げると、そこにも強化ガラスの大きな窓が嵌め込まれていた。そこから宇宙港の壮大な構造の全容が見て取れる。なんと、ここは巨大な観覧車状の構造物の周辺部だったのだ。
うわぁ……。
直径は優に数キロメートルはあるだろうか。宇宙港は観覧車のようにゆっくり回転し、その遠心力を使って重力を作り出しているらしい。
回転の中心部には宇宙船の船着き場があり、たくさんの船が停泊している。銀の魚群のように整然と並ぶ宇宙船の群れ。幾何学的な美しさを持つ船体が、漆黒の宇宙を背景に浮かび上がっていた。
目の前に広がる光景は、偉大な夢と技術の結晶だ。それは地球ではとても見ることのできない壮大な構造物である。俺は畏敬の念を抱かずにはいられなかった。
「グズグズしておれん。行くぞ!」
レヴィアは俺の背中をパンと叩くと、通路を小走りに駆けだした。金髪が少し弱い重力に柔らかに揺れる――――。
俺も急いで追いかけていった。
◇
しばらく行くとエレベーターにたどり着いた。ガラス製の様なシースルーで、乗り込んでよく見ると、壁面はぼうっと薄く青く蛍光している。汚れ防止か何かだろうか? 不思議な素材だ。指でそっと触れると、微かな温もりと律動を感じる。
出入口がシュルシュルと小さくなってふさがり、上に動き始めた。僅かな浮遊感が胃の辺りに伝わる。
すぐに宇宙港の全貌が見えてくる。直径数キロの巨大な輪でできている居住区と、中心にある宇宙船が多数停泊する船着き場、そして、眼下に広がる巨大な碧い惑星に、満天の星を貫く天の川。これが神の世界……。なんてすごい所へ来てしまったのだろうか。
居住区は表面をオーロラのように赤い明かりがまとわりついていていて、濃くなったり薄くなったりしながら、宇宙の闇に浮かぶ巨大な光環を形作っている。そして、同時にオーロラの周囲にはキラキラと閃光が瞬いていて、煌びやかな光の帳が巨大な輪を包み込んでいる。
「綺麗ですね……」
俺がそうつぶやくと、レヴィアは眉をひそめた。
「なに言っとる。あれは危険なんじゃぞ」
「危険……?」
俺は何を言っているのか分からなかった。あんな美しいイルミネーションのような輝きの何が危険なのだろうか?
「あれは宇宙線……つまり放射線じゃ」
レヴィアは顔をしかめる。
「えっ!? じゃ、あの煌めきは全部放射線ですか? 身体に当たるとヤバい?」
「そうじゃ、宇宙には強烈な放射線が吹き荒れとるでのう……。止めて欲しいんじゃが……」
「止められないですよね、さすがに」
「ははっ。ワシらじゃ無理じゃ。じゃが、ヴィーナ様なら止められるぞ」
レヴィアは諦観したように苦笑する。
「へ……?」
俺は驚いた。この神の世界に展開する大宇宙の摂理すら、女神様なら変えられる、という。
科学の世界の中にいきなり顔を出すファンタジー。サークルで一緒に踊っていた女子大生なら神の世界の放射線を止められると言うドラゴン。一体どうやって? 俺はその荒唐無稽さに言葉を失った。現代物理学を根底から覆すような力を、あの可愛い笑顔の先輩が持っているなんてとても想像がつかない。
「ヴィーナ様は別格なのじゃ……」
レヴィアはそう言ってひときわ明るい星、太陽を見つめた。その眼差しには、数千年を生きてもたどり着けない境地への深い敬意が宿っていた。
「そろそろ着くぞ。気を付けろ! 手を上げて頭を守るんじゃ!」
レヴィアは両手を上げてニヤッと笑う。
「え!? 何が起こるんですか?」
気が付くとレヴィアの金髪はふんわりと浮き上がり、ライオンの鬣のように逆立っていた。
そうか、無重力になるのか! 気づけば俺の足ももう床から浮き上がっていたのだ。僅かな浮遊感が、全身を包み込む。
ポーン!
到着と同時に天井が開き、ボシュッという音と共に気圧差で吸い出された。刹那の出来事に、反応する暇もない。
「うわぁ!」
吸い出された俺はトランポリンのような布で受け止められ、跳ね返ってグルグル回ってその辺りにぶつかってしまう。宇宙空間の三次元的な自由さに、地球育ちの体が悲鳴を上げる。
無重力だから身体を固定する方法がない。回り始めると止まらないし、ぶつかると跳ね返ってまたぶつかってしまう。慣性の法則が、この場では容赦のない支配者となっていた。
「お主、下手くそじゃな。キャハハハ!」
レヴィアはすでに先進的なオフィスチェアのような椅子に座っており、こちらを見て笑う。
「無重力なんて初めてなんですよぉ! あわわ!」
クルクル回りながらまた壁にぶつかる俺。宙返りのような感覚に、胃の中がグルグルと回る。
「仕方ないのう……。ほれ、手を出せ」
俺は這う這うの体でレヴィアの柔らかな手にしがみついた。
「ありがとうございますぅ……」
「ほれ、座れ!」
レヴィアは俺にも椅子を手渡す。
「助かりました……」
何とか椅子に身体を沈め、ようやく安定を取り戻した俺は、深い安堵の溜息をつく。地球では当たり前だった「上下」の概念が、ここではまったく意味を持たないことを痛感させられた瞬間だった。
椅子は磁力か何かで床に吸い付いており、ガッシリと安定している。そして、身体を前傾させるとスルスルと前に動き、のけぞると止まるようになっていた。人間の直感に合わせた操作性が、不思議と安心感を与える。
「じゃぁ行くぞ!」
レヴィアはツーっと椅子を駆って通路を進んでいった。その滑らかな動きには、長年の習熟が感じられる。
「待ってくださいよぉ!」
俺もフラフラしながら後を必死に追って行った。
空港の通路みたいなまっすぐな道を、スーッと移動していく俺たち。天井から零れ落ちる青白い光が、金属パネルの壁面に幻想的な陰影を作り出している。
「うわぁ、広いですね!」
「ここはサーバー群の保守メンテの前線基地じゃからな。多くの物資が届くんじゃ」
「サーバーに物資……ですか?」
「規模がけた違いじゃからな、まぁ、見たらわかる」
ドヤ顔のレヴィア。その表情には、これから見せる物への自負が滲んでいた。