黙れと言われていたので、ファルサーはアークが作業を終えるまで黙っていた。

「なんだろう? 涼しくなった気がします」
「君の(ひたい)に、(ヘンジ)を刻んだ」
「刻んだ? 書いたんじゃないんですか?」
呪文(スペル)は、音…つまり声で詠唱(チャント)するか、空中に魔力(ガルドル)を込めた指先で(サークル)を描くことによって、(じゅつ)を顕現させるものだ。だが時間差を付けた発動や、しばらく維持したい場合など、物理的に描いたほうが都合が良い時には、特殊な道具を使って(サークル)を描く。その特殊なペンで描かれた(サークル)(ヘンジ)と呼び、本来は形の残らない状態で使われるものを敢えて形に残すので "刻む" と表現するのだ」
「それって、ホントは書いてるだけのコトを、刻むと表現してるってコトですか?」
「まぁ、そうだ」
「僕はそもそも学が無い所為もあるんでしょうけど、魔法(ガルズ)って面倒くさいものですね」

 ファルサーの答えに、アークは微妙な表情をしたが、今は "それどころではない" と判断して、気になったことを敢えて無視した。

(わたし)への祈りを聞き届け、君にドラゴンと対峙できるだけの奇跡(チカラ)を与えたと言ったほうが、君には理解がしやすいか?」
「なるほど。本来なら、ドラゴンとは存在するだけで、人間(リオン)を殺すと言いますもんね」
「剣を、こちらへ」

 ファルサーがグラディウスを差し出すと、アークはそれにも手に持っている物で何かを描き付けている。

竜殺しの剣(ドラゴンキラー)になりますか?」
「それは、君次第だな」

 一渡りの術式の記述が終わったところで、アークは改めた様子で顔を上げた。

「さて。あのドラゴンは、言語は(かい)さないが知能は非常に高い。見た目は少々厳つく巨大なトカゲのようだが、その姿に騙されるな。それと私は、趣味で術式の研究をしているが、実戦で使ったことは無い。一応、攻撃や防御をいくらか想定して術式を組んでいるが、君の戦いに適ったアシストは期待しないほうが良いと思う」
「僕としては、ここまで着いて来てもらえただけで感謝のしようもありません」

 ファルサーは、手を伸ばしてアークを抱き寄せようとした。
 するとアークはファルサーの頬に手を当てて、そのまま互いに引き寄せ合うような形で、唇を重ね合わせる。

「僕の気持ちを読み取って、僕に合わせてくれているだけだって判っていますが。でも、こうしていると、まるであなたと想い合っているような錯覚を覚えます」
「そう思ってもらっても、私は一向に構わないがね」

 少し寂しい微笑みを浮かべ、ファルサーはアークから離れた。
 手に握ったグラディウスを構え、ファルサーは一歩を踏み出した。
 ドラゴンが巣食っている場所は、(くだん)の特殊な金属が埋蔵されている場所で、元は坑道の一部だったはずだが、今や大きな広間のようになっている。
 天井が高くなった巣の中で、ドラゴンはうつらうつらと眠っているようだった。
 大きさはファルサーの三倍ぐらいだろうか。
 アークはトカゲと表現したが、ファルサーは巨大なワニのようだなと思った。
 試合では、凶暴な動物や妖魔(モンスター)と戦うこともある。
 闘技場(コロッセオ)の中に水を満たして、戦艦を浮かべた船上の戦いの時に、水の中にワニを放っていたことがあった。
 船から落とされた(もの)が、悲鳴を上げてワニに食われた姿を思い出す。
 しかし目の前のドラゴンは、あの凶暴なワニよりも更に面倒な相手なのだ。