メーシャたちは先の戦いでのヒデヨシの活躍の話をしながら、アレッサンドリーテ王国の首都を目指していた。さいわい、転移で到着した位置が首都近くでゆっくり歩いても20分ほどでたどりく距離。
しかもレンガ調の道路が敷かれていて、一定距離ごとにモンスター除けの光を出す街灯まで完備。
ちなみに、この街灯は地球で見るような街灯とは少し違って、ライトの所に薄紫色の宝石……魔石がはめ込まれていて、それをカバー兼光の拡散用に特殊なカットが施されたレンズがおおっている。
この街道を進めば強いモンスターをめちゃくちゃに怒らせない限り、車に乗れるタイプのサファリパーク感覚で安全にスムーズに町を行き来できるというわけだ。
「ほぇ〜。マジか、イイなー! あーしも見たかったし〜…………ぜぇ……はぁ……。疲れた……」
声こそ元気に出そうとするも、もう疲労の限界なのか息切れを起こしフラフラで歩くのもやっとだった。
「ちうちちゅううち? ちゅちうちういちちうちゅあちぃ」
戦いを経てなお、小さい体でありながらメーシャに四足歩行で並走するヒデヨシは元気いっぱいなので、ジャッジメントサイス後に地形を修復したのが予想以上に体力を使ったのかもしれない。
「そうなのかな〜。気が抜けてドッと疲れがってやつかなぁ……ふぃ〜」
『……来るの急ぎすぎたか? さっきまで元気だったから油断したな。……すまん。金ならある程度アイテムボックスに貯めてあるし、街に着いたらいったん宿に泊まるか?』
異世界は地球より侵攻が進み、被害者や行方不明者、誘拐なども出ているのでデウスとしては少しでも急ぎたかったのが本音だったが、謎の声が言うようにメーシャが活躍によって侵攻が一時的にでも止まるというなら、一晩休んで日を改めてこちらに来ても良かったかもしれない。
「それがイイかも……ぜぇ。……でも、なんか……こっちに来てからなんだよね……はぁ……」
『こっちに来てから? 何がだ……』
デウスは身体が無いので汗こそかかないが、もしあるならこの瞬間背中に冷や汗を流していたかもしれない。フィオールに来て調子が悪くなったというなら、考えたくはないがもしかすると…………この土地特有の病気だろうか?
普通、その土地に住む者ならその土地の病原菌やウイルスに免疫ができて、コンディションがそうとう悪くなければまず感染しないものでも、違う土地から来た者は免疫できていないので簡単に感染してしまう。
ヒデヨシはネズミだから耐性が違い、調子が悪くなっていないのもなんらおかしくない。
デウスは戦々恐々としながらメーシャの言葉を待った。
そして、聞いた瞬間言葉を失ってしまう。
「身体がめちゃくちゃ重たくなったというか、ズッシリ感じるというか……マジしんどぃ」
デウスはメーシャの顔が見られなかった。肝がスーッと冷える感覚だ。『ああ、やっちまった……』と絶望した。だが、もうデウスはチカラのほとんどを使い切ってしまい、メーシャにはもう何もできないのだ。
こうなったら宿に泊まった所で事態が好転するなんてことはあり得ない。何故なら……。
『メーシャに重力適応化の魔法かけ忘れてたァ……!!」
「…………え? 今なんて? 聞き間違いじゃなければ、重力重力って言ってた気がするんだけど…………どゆこと?」
メーシャの視線がデウスを突き刺す。
デウスは肉体を持たず、エネルギー体であって見ることはできない。そして、より正確に言うならデウスのエネルギー体……霊体のようなものは実際にこの場に存在しているわけではなく、別空間でメーシャたちをカメラを使ってライブ映像を見ているような状態なのだ。
つまり、物質やエネルギーがないので誰も、人ももモンスターも邪神軍ですら見るどころか感知することすらできないはずなのだ。……はずなのだが、メーシャの視線は確実にデウスに突き刺さっていた。
『ひ、ひぇ〜……!!? ごめんなさーい!!』
恐れをなしたデウスは悲鳴をあげて通信をきってしまう。
「……逃げたちゃった。ま、いいか」
メーシャはそう言うと、今の今まで恐ろしい眼差しをしていたとは思えないような気の抜けた目になり、何も気にしていないのかなんでも無いように背伸びをする。
「ちう?」
「ん? ああ、怒ってないよ。ちょっとからかっただけ〜。てか、環境の違いって異世界に来たって実感できてむしろワクワクもんじゃん! 怒るワケないよ。……それにしても、ここって地球より重力強いんだね。どーりで身体が重たいワケだ。う〜ん、10倍くらいかな? 歩くだけで修行になりそー」
メーシャは手から魔法陣を出現させて頭から順にかざしていく。
「ちうっち?」
ヒデヨシはメーシャに何をしてるのか尋ねた。
「これはねぇ、体重を奪ってるの。身体自体を魔法で軽くすれば、理想の体重にできちゃうって寸法よ。……ん? もしかしてコレって、みんなが喉から手が出るくらいに欲しがる奇跡の魔法では?! やばー! テンションアガってきた! 地球に帰ったらみんなから救世主って呼ばれちゃうかも!? このメーシャミラクルで世界を救っちゃうかも!?」
そんなこんなで、メーシャの体重はメーシャミラクルによって約20%くらいにまで減らすことができた。
10%まで減らさないのは、デウスから貰ったチカラで筋力が多少強化されているのと修行のためだ。徐々に重力に身体を慣らしていき、最終的に元の重力に適応すれば道中無理なく成長できる。
「っし、身体が軽くなったら元気も出てきたし! じゃあヒデヨシ、街まで競争だっ! 走れ〜!!」
さっっきまでのお疲れちゃんはどこへやら、メーシャはゴキゲンステップでアレッサンドリーテの街まで駆け出した。
「ちーう〜!」
ヒデヨシにも一応重力(約)10倍がかかっているはずだが、本ネズミは気にする様子もなくメーシャと同程度のスピードで街へ走っていったのだった。
* * * * *
数分後、メーシャたちは城塞都市アレッサンドリーテに足を踏み入れていた。
住宅街にはレンガ調の民家が、商業地区にはコンクリートのような素材の建物が立ち並び、街の中心にはドイツあたりにありそうな円錐状の屋根のついたお城がある。そして、何よりメーシャたちの目を引いたのが結界である。
東京ドーム1個分はあろうかというサイズの、全体に魔法陣が描かれた真球状の魔石が上空に浮かび、そこからヴェールのように半透明の結界が街を丸ごとおおっていた。この結界はなかなかハイテクで、認証済みのモンスターであれば弾かれずにそのまま通過できるし、逆に普通のモンスターが通れないのはもちろん、街に対して敵意や害意のある者、攻撃魔法や災害までも勝手に反応して通れないようにしてくれるのだ。
だが、城塞都市と言われているのに街を守る壁が見当たらない。普通なら壁があり、門があり、そこで警察や衛兵みたいな方々が検問をしているはずだが、衛兵は街を巡回している者のみ。
まあ、衛兵が少ないのは他にも理由があるのだが、それはそれとして。
実はこの街の地下には王族のみが起動できる巨大な魔法陣が埋まっており、有事の際にその魔法を使えば街を囲む高く強固な防壁が出現するのだ。その防壁は上級魔法を喰らってもびくともせず、並の魔法なら逆に魔力を吸収してより硬くなるという。
なので、戦争時でも基本的に街にひとりは王族を残さないといけないものの、結界と防壁があるおかげで普段は外からの危険をほとんど考えなくても良くなっている。
「──やっと着いた〜! ……のは良いけど、嬉しいような少し残念のような……」
メーシャが街を見渡しながらなんとも言えない顔になる。
「ちうち?」
「だってさ……異世界転移の醍醐味ってオレツエーもあるけど、やっぱ現代知識無双ってカンジしない? でも、ここってどこからどう見ても………………ハイテクなんよ」
そう、地球にあるものと遜色ない自動車も普通にあるし、なんなら一部は空を飛んでいる。
しかも、お店の看板は空中に投影されているし、一定距離ごとに転移魔法陣が敷かれているので街の移動には困らないようになってるし、ちょっとお店を覗けば通るだけで決済できるゲートが設置されていたり、大きな荷物は転送できるサービスがあったりと、夢のような世界ではあるがここで現代知識無双するのは夢のまた夢、みたいな状態であった。
「ちう……。ち、ちゅーちう!」
「まあ、せっかくカレーのシミも落ちる石鹸の作り方とか井戸の作り方とか他にも色々覚えたんだけど、クヨクヨしてて目の前の異世界を楽しめないのはもったいないもんね! 知識自体はサバイバルでも役に立つだろし、いったんフラットな目線になって街をめぐってみよっか!」
「ちうぃ!」
そうしてメーシャは意気揚々と街を進んでいったのだが、またすぐに新たな問題にぶつかってしまうのだった。
● ● ●
「──ちょっと待って、ウソ!? 言葉が全然わかんないんだけどー!!!?」
アレッサンドリーテ商業地区、とある冒険者用道具屋さんにて。
店主のお姉さんと、なんだかチャラい冒険者のお兄さんが話していた。
「──聞きましたか? ここの近くで……」
「ああ……不審者が出たってね。なんでも、ヒトに手をかざしては走り去っていくお嬢ちゃんがいるらしいじゃん?」
チャラいお兄さんは瓶に入った回復薬を受け取ると、懐からタリスマンを取り出して慣れた手つきでレジのスキャナーにかざす。このお店ではこうやってお会計をするようだ。
「そうなんですよ。結界があるから大丈夫だとおもいますけど、ちょっと恐いですね……。まあ、最悪ウチらは店を閉めて防護結界でシェルター化すれば良いですけどね。何をしてくるか分からないですしお兄さんも気をつけて」
「オレちゃんもけっこー強いし、パーティのハニーたちも頼りになる子ばっかりだから心配しなくて大丈夫だよ。……でも、気遣いうれしかったぜ。ありがとうお嬢ちゃん」
チャラいお兄さんはピッと指を立てた後店主のお姉さんにウインクをしてお店を後にした。
この街に出没したという不審者。そう、それはメーシャの事である。この不審者情報はもう商業地区ほぼ全域に広がっていて、すでに衛兵の皆さんが不審者を捕らえるべく捜索中だ。
しかし、なぜここまでの状態になるまでメーシャが暴れたかというと理由があった──。
「こ、言葉が全然わかんない……!! 英語じゃないし、当たり前だけどフランス語とかドイツ語でもないし、アジア圏の言語でもない!! どうしよっ!?」
時間を少しさかのぼり…………メーシャは異世界のヒトとコミュニケーションをはかろうとしたところ、異世界人は地球で聞いた事ない言語を話していて全く会話にならなかったのだ。
何度かジェスチャーも試そうとしたが、そもそも文化が違えばジェスチャーも違う。ほんのり通じる部分もあったが、何か気に障るジェスチャーが混じっていたのか怪しまれて衛兵を呼ばれるのがオチだった。
「ちゅえちゅうちちうちゅーちちちゅあちゅうち」
ヒデヨシの言う通り、デウスは言語適応の魔法も忘れていた。ただ、もし覚えていたとしても、魔力を既に使い果たしてしまっているので結局結果は同じではあるが。
「う〜ん……このままじゃドラゴン=ラードロどころじゃないし、何か方法考えないと……。1から学んでいくのは現実的じゃないし、とは言え言葉を一瞬で自分のものにするなんて…………ん?!」
メーシャは何かをおもいついたのか、表情が一気にパーっと明るくなる。
「そっか! 自分のモノにしちゃえばいいんだ!!」
「ちう?」
「あのね、あーしのチカラって"奪って自分のモノにする"でしょ? だから、人が喋ってるのをスキャンするカンジ? で奪って自分のモノにできればさ、その奪った言葉を理解できるようになるんじゃないかって! まー、正直できるかわかんないけど、やってみる価値はあると思うの!」
言葉なんて奪ってしまえばその人が言葉を使えなくなるのではないかという考えに一度おちいったが、よくよく考えてみると口から放たれた音の振動の一部を拝借できれば言語の解読はもちろん、人への悪影響も無い完璧な作戦なのではという結論に至った。
「ちゅう〜!」
ヒデヨシは型破りな作戦に思わず感心して拍手をしてしまう。
「じゃ、そうと決まれば駆け抜けるよ! できるだけたくさんサンプルが欲しいからね」
言葉の数なんてものは数え切れないほどこの世に存在する。全部は無理にしても、最低限人と会話できるレベルまで言葉を手に入れるとなると、単語の重複や不規則変化する動詞などを考慮して数千人分くらいの言葉は欲しい。ゆっくりしていたら夜になってまた朝になってしまう。
「ちう!」
ヒデヨシは動き回って迷子にならないようにメーシャの肩に飛び乗る。
「オーラを手に集中させて…………れっつ、メーシャミラクル〜!」
こうして、メーシャは言語を習得するために街を走り回り、喋ってる人を見つけては片っ端から手をかざしてオーラで吸収し、用が済んだら走り去ってまた喋ってる人を見つけたら…………と繰り返していき、数時間で見事アレッサンドリーテの有名人(不審者)に成り上がったのだった。
* * * * *
一段落して、メーシャは他のヒトの邪魔にならないように人通りの少ない裏路地に来ていた。
「──ふぃ〜! 結構集まったし、いったん手持ちの言語をラーニングもしたいし、とりまこんなもんでイイかな? どれどれ……?」
メーシャの目のところにバイザー型の、耳のところにはヘッドホン型のオーラが出現したかと思うと、先ほど異世界の皆様方が喋っていた異世界語が音と文字として流れてメーシャにどんどんインプットされていく。
そのスピードは凄まじく、数時間の成果をなんとものの数十秒で出力してしまうほどだ。
「あばばばば……!? 頭が変になりそう〜だし〜!」
正規ではなk突貫工事の学習なので仕方ないが、この方法はメーシャの脳には大きな負担がかかってしまう。デウスからチカラを貰っているのでいくらか軽くなっているものの、それでも30時間くらい寝なかったくらいの疲労はまぬがれない。
「ち……ちゅう?」
「…………あ。でも、なんか聞こえてくる言葉がちょっと分かってきたかも! 頭がぼーっとしてるから今はあんまり処理は早くできないけど、これで一晩お休みしたら多分最低限の会話ならなんとか問題無いレベルまでいける気がする」
メーシャは疲れて声がふにゃふにゃ。今晩は早めに寝た方が良さそうだと思った、その時──。
「おい貴様、そこで何をしている!」
「市民に手をかざしては走り去っていくという不審者はお前のことだな!」
「何がしたいのか分からんが、暴れなければ手荒なことはしない。詳しく話を聞かせてもらおうか」
不審者情報を受けて出動した、くたびれた軽装を身につけている衛兵が3人現れた。
一応鎧は着けているものの兜は見当たらない事から、さほど重大なことだとは思っていないのだろう。しかし、そのおかげでメーシャに感動を与え、より不審に思わせてしまうことになる。
「え!? マジか! もしかしてエルフにドワーフ!? そんでそっちの人は顔がアリさんだから……虫人? む〜……分かんない! でも、みんな地球では見たことない人種の方々じゃん! ああ〜……みんなお友達になりたい! ねぇねぇ、みんなヒマ? これからショッピングしない?!」
ハイテンションのメーシャは早口でまくし立ててしまうのだった。日本語で…………そう、日本語で。
「……な、何を言っているんだこいつは?」
「え!? マジか! もしかしてエルフにドワーフ!? そんでそっちの人は顔がアリさんだから……虫人? む〜……分かんない! でも、みんな地球では見たことない人種の方々じゃん! ああ〜……みんなお友達になりたい! ねぇねぇ、みんなヒマ? これからショッピングしない?!」
ハイテンションのメーシャは衛兵のみなさんに早口でまくし立ててしまったのだった。日本語で…………そう、日本語で。
「な、何を言っているんだこいつは?」
と、耳とお目々がが素敵にシャープしているエルフのお兄さん。
「さあ……? 古代言語か何かか?」
こう言うのはコーヒーワタアメみたいなふわっふわのお髭をたくわえ、チラ見えする筋肉が格闘漫画に出てきそうな美しさであるドワーフのおじさん。
「ニンゲンかと思ったけど雰囲気も少し違うし、もしかして擬態化系モンスター種のヒトか……?」
そして最後に声を発したのはアリ型虫人のお姉さん。手足が細くしなやかでありながら、パワーはドワーフに匹敵し、三日三晩走り続けられる程の持久力を持っているエリート。もちろん勤務時間は守ります。
「……ちうち! ちゅーちう!」
「え? ……あ、そっか! テンション爆アゲでフィオール語喋るの忘れてたわ!」
ヒデヨシに耳うちされてようやく自分の発した言語が日本語だと気付く。やはり頭がまわっていない。
「…………ヒトの言葉も分かるみたいだな? 話すことはできるか? 名前は?」
メーシャが自分たちの言語を理解していそうなのを察して、ドワーフのおじさんが代表して怪訝な顔をしつつ恐る恐るメーシャに尋ねた。
「えと……自己紹介をうながされてるっぽい? あ〜……確かチャラいお兄さんが自己紹介してたっけ。それを使えばいけるはず……。こ、こほん! 『へい、お嬢ちゃん! オレちゃんはメーシャ! こんなところでどうしたの? 困ってるなら手を貸そっか』……これでそうだ?」
メーシャはめちゃくちゃチャラい口調で自己紹介してしまった。しかも衛兵のおじさんをお嬢ちゃん呼びまでして。
そう、メーシャは言語をラーニングしたとはいえまだ脳に定着させきれておらず、しかもニュアンスの違いを理解するほどサンプルを得られていなかったのだ。
「お、お嬢ちゃん……!?」
ドワーフのおじさんは目を丸くして固まってしまった。少し恥ずかしくなったのか、心なしか頬も赤く染まっている。
「フフフ……隊長をお嬢ちゃん呼びとはキモが座っているな。……それで少しは話せるようだが、なぜ手をかざしたり走りまったのかは喋られるか? それこそ困っているなら手を貸すが」
すっかり柔和な顔つきになったエルフのお兄さんがメーシャに要件を尋ねる。
「次は何か必要か……っぽいカンジかな?」
平時のメーシャは勢い任せなところはあるがポンコツではない。ただ、頭の疲労でぼーっとしてしまっているせいで、認識能力と思考能力がいちじるしく低下している。ゆえに、こんな答えになってしまったようだ。
「えっと……『リンゴなら150アレスだよ!』でイイかな……?」
イイわけはなかった。メーシャは別にリンゴが欲しいとは微塵も思っておらず、そもそも目的を訊かれているので意味不明としか言いようがない。
ちなみに"アレス"というのはこの国の通貨であり、1アレス1セントくらいの価値がある。そしてこの言葉は果物屋の気の良いおばちゃんから手に入れたモノだ。
「……リンゴ? 果物を売っているのか? ……ああ、えっと……街を移動しつつ宣伝していたのか? でも、店の名前を聞いたという報告はなかったはずだし……」
誤解を招いてしまったようで、エルフのの兄さんはブツブツ言いながら首を傾げている。
「あ、間違えちゃったっぽいな。必要…………ああ、もしかしてあーしの方か! じゃあ、言語習得のためって言わないとなんだ。でも、どうやって伝えよ……頭が回んない」
メーシャは頭を動かそうとしたが、なんだかぼーっとしてしまって考えがまとまらない。
「ちゅ、ちうちうちう! ちゅういち」
それを見かねたヒデヨシが思い付いたアイデアをメーシャに話した。
「回復? ……ああ、傷とかもなおせるけど? あ、そっか! 頭にチカラを使って疲労を奪っちゃえばイイんだ! でもそんな上手くいけるかな? いや、ダメならその時考えよっ。……それにブドウ糖チョコとかも持ってきてるし、これで回復できるかも!?」
ひらめきを得たメーシャは見られているのも気にせず、チカラを使って急いで脳の疲労を奪い去ってしまう。そして、その流れでチョコも一緒にほおばり、これでやれることはやり切った。あとは効果が出てきてくれるか待つのみ……。
「チョコレート? ……さっきまで言葉がおかしかったし、疲労していたということか? …………それで、話すことはできるか? もしダメそうなら、身分証明できるモノさえ提示してくれれば後日でもいいけど」
察しがいいヒューセクトのお姉さん。気を遣ってくれているようだ。
「き、キター!!」
静寂を包んでいた裏路地にメーシャの叫び声が響き渡る。もちろん、衛兵の皆さんは心底驚いてしまったのは言うまでもない。
「……ちう?」
「うん! 回復してるよヒデヨシ! これなら今までの言語を使って応用もできそうだし!」
作戦は大成功。昼寝から起きた時みたいなスッキリ感が身体全体に行き渡っている。脳みそもプルンプルンで、回遊しているマグロみたいにフル稼働できそうだ。
回復したメーシャはげんきいっぱいに走り出したくなる気持ちを抑えて、今までの質問に答えることにした。
「ええ、こほん! 『わたしは、いろはメーシャ! 不審者っていうのはわたしのことで間違いないと思う!』それと……『わたしがなぜそんなことをしたか、それは話すようにするためです。わたしは、他のところから今日きたのでヒトの言葉が話せない。だから、魔法を使って言語学習していたよ!』……これでどうだろ?」
脳の回復はしたが、睡眠をとったわけではないので定着までいっていない。奪った言語も単純で短い文ばかりで、動詞の変化の法則も完璧とは程遠かった。それにもかかわらず、メーシャはつたない部分がありつつも文法を考えて意味が通じるレベルで喋ることができた。
「言語習得のために魔法……か。そう言えば、自分もモンスター言語を録音して覚えたことあるな…………」
いつの間にか動くようになったドワーフのおじさんが懐かしそうに微笑んだ。
「そう言うことなら、市民への実害も無いし、今日のところは注意だけで開放でも良さそうでは?」
エルフのお兄さんがドワーフのおじさんに進言する。
「そうだな。…………メーシャさん、今回のことは悪意あってのことでは無いと判断し、これで質問を終えさせて頂きます。ですが、こういった騒ぎは市民を怖がらせる事になりますので、万が一のことも考慮し我々も強く出ざるを得ません。なので今後はこういった事は控えてください。それと、困ったことがあればいつでもおっしゃって下さい。出来る限り協力させて頂きます」
緊張が解かれたドワーフのおじさんは、親しみ深い声色の丁寧な口調になってメーシャに微笑みかけた。本来はこちらが素の状態なんだろうか。
「おお! 『わかりました。ありがとうございます』だし!」
「メーシャさん、我々は持ち場に戻るけど隊長の言った通りいつでも来てくれて良いからね。街の困りごとを解決するのが我々衛兵の仕事だから」
ヒューセクトのお姉さんが気さくに喋った。表情は少し分かりにくいが、笑顔であるのが伝わってくる。
「はーい!」
「ちうー!」
メーシャとヒデヨシがお姉さんの笑顔につられて笑顔で返事をする。
「では、これで……」
エルフのお兄さんが深々と頭を下げると他のふたりも頭を下げ、最後に手を振りながら衛兵のみなさんは笑顔で去っていった。
「……なんとかなった。実際に喋るとなるとなかなか難しいな。でも、めちゃイイ経験になったし、言葉のサンプルも手に入ったし、これで発音とかニュアンスとかもうちょい上手くできるようになりそ!」
「ちうちうち!」
「うんっ」
メーシャたちがホッとしたのも束の間。
「おーい! あなたが勇者様ですねー?」
騎士の青年がこちらに向かって走ってきた。雰囲気からして敵対していたり不審者だと認識していたりといった様子はなく、なんならメーシャの事を『勇者様』と呼んでいるではないか。
「勇者様か…………イイ響きだ。って、あーしのことか! てか何で知ってんだ? デウスが夢枕にも立ったのかな?」
「いや〜探しましたよ。噂にはなっているのに、なかなか見つけられなくて正直焦りました」
騎士の青年は燻し銀の色をした重装鎧をまとっていて、少し和風な顔立ちであったが、やはり異世界ということなのか兜から10cmほどのツノが2本飛び出していた。いわゆる鬼っぽい雰囲気である。
「……『何で探していた?』」
メーシャは首を傾げる。
「あれ、お聞きになっていないですか? 陛下が勇者様をお呼びですよ。……私は"ダニエル・ルーベリーテ"、アレッサンドリーテ城までご案内するために参りました」
騎士の青年ダニエルはまさかの王様の使いらしい。つまり、王様もメーシャの事を知っているのだろうか。
「ヒデヨシ聞いた?! お城に連れてってくれるって! どんなカンジなんだろ〜!」
「ちーう〜!」
お城と聞いたふたりは嬉しくてもうウッキウキ。早く行きたくてウズウズだ。
「ふむ、どうやらすぐにお連れしても良さそうですね?」
ダニエルが優しそうに笑いながらふたりに確認する。
余談だが、ダニエルも初めてアレッサンドリーテ城に行くとなった時に、メーシャたちと同じようにはしゃいでしまった過去があり、その時の自分を重ねて懐かしんでいたのだ。
そして、そんなはしゃいでるメーシャたちの答えはもちろん。
「はい、お願いします!!」
「ちい、ちゅあちゃちい!!」
今すぐ謁見するに決まっているのだった。
「──んで、なんでダニエルさんはあーしが勇者だって分かったの?」
メーシャは王の使いであるダニエルに城まで案内されていた。そして、その道中少しヒマなので雑談をはさみつつ気になったことを訊くことにしたのだった。
ちなみにメーシャは雑談中に紆余曲折、たまに意味不明な言葉を喋りつつもなんとかフィオール語をなんとか習得することに成功している。
「それはまず、陛下の夢枕にウロボロス様と名乗る青年があらわれ、今日ウロボロス様から祝福を授かった勇者がこの街を訪れる。と、そう言ったそうです」
やはりデウスはメーシャの想像通り夢枕に立って知らせたようだ。
「そうなんだ。……あっでも、それじゃ姿まではわかんなくない?」
「まあ……それはそうですね。実際、この命を受けた時点で勇者様がどのよな姿かの情報が一切ありませんでしたし。…………ええっと、勇者様に失礼なのは承知で、個人的に言っておきたいことがあるのですが」
ダニエルは先ほどまでの少し頼りなさそうな、少し優しそうな顔から一変。覚悟を決めたかのような引き締まった顔つきになる。
「ん? いいけど……」
メーシャはヒデヨシと一瞬顔を見合わせた後訝しげに頷いた。
「代々アレッサンドリーテの王族はウロボロス様を信じ、国の象徴ともなっています。定めているわけではありませんが、国民の半数以上も信じる実質的な国教なんです。
ですが、陛下は夢枕に立った青年のことをウロボロス様と信じず、むしろ邪悪な者が騙そうとしていのではとまで考えているんです」
「マジか……」
メーシャはデウスとの出会いの時を思い出していた。最終的には信じる事にはしたが、初対面で個人情報持ってるし、喋り方の威厳はないし、グイグイくるし、一人称は俺様だしで、これは悪魔みたいな存在と思われてもしゃーないかと思わざるを得ない。
「……はい。とは言え、万が一本物のウロボロス様である可能性もありますし、邪悪な存在である場合は何か対策を取らなければならい。何より、ただの夢の可能性まあるので、一応の体裁は保ちつつ、最低限の戦闘技術を持ち、最悪の場合も国として大きな損害がない人材を使いに出すことになりました。
つまり、つい先日騎士になったばかりの私、ダニエル・ルーベリーテです」
「う〜ん……じゃあ、お城に行ってもウロボロスの勇者だと証明するか敵だと分かるまでは、攻撃自体はしないかもだけど、歓迎もされないしむしろ監視付きになる可能性もある……のかな?」
思っていたような楽しい異世界デビューとはいかなさそうだった。しかし、怪しい存在への対応としては妥当だし、ましてやこの国にはドラゴン=ラードロの根城も存在するので、メーシャは怒るどころかちゃんとした国なんだなと少し感心してしまう。
「申し訳ありません。……ただ、本物の勇者様だった場合失礼は許されません。ですので、その監視役は王家近衛騎士団長であるカーミラが担うことになっています。
それにカーミラは今回の話を唯一初めから信じ万が一も覚悟して手を挙げた人物ですし、勇者様に窮屈な思いはさせないはずです」
そう語るダニエルの横顔はどこか誇らしく、口調も力強い。カーミラという人物を信頼しているのだろう。
「お気遣いあんがとね。……で、ダニエルはそのカーミラさんって人に憧れてるの?」
「……はい、自慢の姉なんです。筋力こそ今では私の方が上ですが、魔法や技術はもちろん、近衛騎士団をまとめあげるカリスマ、誰にも負けない不屈の心、忙しくとも市民をきにかける優しさ……姉の全てが私の誇りです。私が騎士を目指したのも姉のようになりたかったからなんです」
ダニエルは語りながら門番に合図を送って城門を開いてもらう。もうすぐだ。
「へぇ〜、最高のお姉さんだね」
「…………着きました。では勇者様、それとヒデヨシも私の最高の姉をどうぞよろしくお願いします!」
そういうとダニエルはうやうやしく一礼をし、力強く王城の中へ続く扉を開いた。
「まかせて!」
「ちうっち!」
メーシャたちはダニエルと別れ、とうとうアレッサンドリーテ城に足を踏み入れた。
まず目に入ったのは建物内を照らすシャンデリア、ウロボロスっぽいけどよくわからない形の前衛オブジェ、目の前にはまっずぐ伸びる巨大な階段、そこかしこにあしらわれている宝石や金細工、床に張り巡らされている絨毯はしっかりした生地なのにフワフワ、窓は全く見えないレベルまでピカピカ、まさに王様が住んでいるお城という風体だ。
豪華絢爛でありながらもよく手入れが行き届いており、年季が入っているものもある事から、無駄にお金を使うというより気に入った良いものを取り揃える主義なのかもしれない。
「お待ちしていました」
すると、待機していたらしい4人の騎士がメーシャの前に出て軽く礼をする。ダニエルとは違いこの騎士たちはメーシャのことを『勇者』と呼ばないようだ。ダニエルの話の通り、まだ様子見段階なのだろう。
「王様が呼んでるんだよね?」
「はい。歓迎の謁見の間にご案内します」
騎士たちは光沢のあるブルー魔法銀の重装全身鎧に身を包み、淡々とした声で対応しているのでまったく表情が読めない。もしかすると、この騎士たちの誰かにカーミラがいるのだろうか?
「おねがいできる?」
メーシャは王が信じる龍神ウロボロスの選んだ勇者。なので敬語を使わず、あえて堂々と接した方がいいと判断する。
もし逆に腰を低くしてしまえば、それはウロボロスを見下し侮辱するも同然。しかし、ただ尊大な態度をしては安っぽく見えるので、メーシャはいつもの軽いノリを封印し、背筋を伸ばして指の先まで意識を向け、落ち着いた声を出し、王城にも引けを取らない優雅さを雰囲気をかもしだしていく。
その堂に入った所作や振る舞いは、ただの学校の制服も煌びやかなドレスに見えてきそうなほどだ。
余談だが、メーシャのママはこだわりが強く、コスプレには本物らしさも必要ということで小さい頃からメーシャに演技力やテーブルマナーなど色々教えていた。
つまり、これはその時にやった貴族令嬢役のノウハウがめちゃくちゃに活きた瞬間なのである。
「ちうう……!」
静かにしていたヒデヨシがめーしゃのそんな姿を見て感激してしまう。
ヒデヨシがメーシャをネズミ語で『お嬢様』と呼ぶのは、初めて出会った時のメーシャがまさに貴族令嬢になりきっている時で、そのカッコよさに痺れたからだ。そして、そのメーシャのかっこいい姿を久しぶりに見られるとなると、ヒデヨシももうただのフアン同然。感激してしまうのも致し方なし。
「私がエスコートさせて頂いてもよろしいでしょうか?」
騎士のひとりがメーシャのその姿を見ると態度を改め、礼儀正しくも柔和で落ち着いた雰囲気になり、うやうやしくひざまずいてスッと手を差し出した。只者ではないと察したのだろうか。
「ええ」
メーシャは短くそう答えて騎士の手を取った。
● ● ●
騎士にエスコートされるままに階段を登り、いくつかの鍵付きの扉を越えて、メーシャたちはようやく人一倍豪華で堅牢な扉の下へ辿り着いた。
「……こちらが謁見の間でございます。ご準備はよろしいでしょうか」
他の騎士が少し離れた所に待機したのを確認して、エスコートしてくれた騎士がメーシャとヒデヨシに確認をとる。
「…………ちう」
ヒデヨシはメーシャとアイコンタクトをとり、騎士に問題ないと伝えた。
「では──」
騎士が扉にノックをして中に合図を送ると……。
『──入るが良い』
少しの間を置いて威圧感のある低い声がそう答えた。そして、間も無く中から扉を開かれ、謁見の間とそこに鎮座するアレッサンドリーテ王がその姿が明らかになる。
「……よくぞ参った、ウロボロスの勇者と名乗る者よ。我こそ"ピエール・ド・アレッサンドリーテ"……この国の王だ────」
メーシャは謁見の間に入ると澄ました顔のまま王座の前まで進み、指先でスカートを摘み軽く膝を曲げてお辞儀をした。
その後顔を上げて背筋を伸ばしアレッサンドリーテ王の顔をまっすぐ見る。ウロボロスの勇者らしい振る舞いが求められているはずだ。
「…………」
そしてヒデヨシはいつの間にかメーシャの後方で騎士さんたちと一緒に待機していた。
「……よくぞ参った、ウロボロスの勇者と名乗る者よ。我こそ"ピエール・ド・アレッサンドリーテ"……この国の王だ」
白髪混じりだがダークブラウンのの髪と髭、ストレスだろうか目は落ちくぼみ、身に着けている宝石が散りばめられた王冠やシルクでできた真紅のマント、座している豪奢な椅子とはばちがいなほどくたびれた印象だ。
その有り様から年老いて見えるが、実際は年齢は30代半ばから後半くらいだろうか。
ドラゴン=ラードロの根城が国内にあるというプレッシャーなのかそれとも他の要因なのか、何してもアレッサンドリーテ王の精神状態は限界であるのが容易に伝わってくる。
「……かの夢が真実であれば我が自ら出向きそなたを出迎えるべきであろうが、なにぶん夢であるが故に真実であるという証拠がない。
それに、今はドラゴン=ラードロ軍と戦争状態でな…………彼奴らの罠の場合もし余が居なくなればこの街の全ての民の命が危険にさらす事となる。……使いを遣ったこと、どうか許してくれ」
表情を動かさずに王は語る。
防壁を出す魔法は王族であれば発動できるはずだが、王は『余が居なくなれば』と言う。つまり、王族に名を連ねるヒトは現在アレッサンドリーテ王自身しか居ないと言う事だろうか。
「かまいません、私も街の様子を見ておきたいと思っていましたから。……それで、私を呼んだ理由をお聞きしてもよろしくて?」
メーシャは少しツンっとしたカンジの澄ました表情を作って答える。……が、内心『ちょっと待って! 今の演技めちゃウマくね!? 会心の出来なんだけど〜! こんなんママが見たら絶対にクルクル回りながら喜んでくれるし〜』と考えているのはみんなに内緒である。
「不躾で申し訳ないが、時間を取らせるのも悪いから単刀直入に言わせて頂こう。そなたが誠の勇者であるか試させてもらう。もし真実であるならばドラゴン=ラードロ打倒にそのチカラを貸して欲しい。そして…………」
そこまで言ってアレッサンドリーテ王は握りしめた拳を口元に持っていき、思い詰めた表情で押し黙ってしまう。
「……そちらがこの戦いにおける本懐ですわね?」
メーシャの言う通りアレッサンドリーテ王はその目的さえ達成できれば、もうドラゴン=ラードロ打倒などどうでも良かった。だが、王は乱心では無かった。
確かにドラゴン=ラードロは国にとって国民にとって大きな脅威である。その相手を『どうでも良い』などと思えるのには理由があるのだ。
「………………そうだ。言うか迷ったのだが…………ああ、そうだ。本音を言えばドラゴン=ラードロを倒すことも、金も、国も、兵や国民…………余の命すらも惜しくはない! ……半年前ドラゴン=ラードロに我が娘"ジョセフィーヌ"は奪われたのだ! 余は何もできなかった……! 防壁は確かに発動し邪神軍の攻撃は防いでくれた。
……だが! 本当に守りたいものは守ってくれやしなかったのだ!! ドラゴン=ラードロはいとも簡単に防壁を潜り抜け、なに食わぬ顔で騎士や余の魔法を喰らい尽くし、ジョセフフィーヌを奪い去っていった…………。
ああ…………本当なら今日……ジョセフィーヌ10歳の誕生日パーティーを開いていたはずだったのだ。あの子が喜ぶ……プレゼントも、既に用意しているのだ。
報酬ならいくらでもくれてやる……! 金でも権力でもなんでも!!
だから…………だから、あの子を……ジョセフィーヌを救ってくれ……! 本当にウロボロスの勇者ならどうか…………余の希望をとりもどしてくれ!!」
アレッサンドリーテ王は嗚咽を漏らし、ついには涙を流して声をしぼり出すようにメーシャに懇願した。
まだメーシャは本物の勇者か、ただの詐欺師か、敵のスパイかも分からない相手。なのにもかかわらず、ここまで必死に訴えかけるのは本当に限界なのだろう。
メーシャも小さい頃はよく街に冒険に出かけ、夜遅くに帰っては両親には心配させてしまった。
ある日珍しく迷子になり、なかなか帰れず結局警察が見つけてくれた事があったのだが、その時のパパやママの表情はいまだに忘れることができない。寂しさや悲しさ、いきどおり、嬉しさ、安堵、色々な感情が入り混じっていたが、何よりいつも元気なふたりがその時ばかりは疲れてすごく弱々しく見えたのだ。
そんなふたりの姿を見て悲しくなり、メーシャはそれ以降無茶な冒険はしなくなった。
「……すまない、取り乱してしまった。今のは為政者としてあるまじき発言であったな…………もう、今日は休ませてもらう。話は通してあるから後のことは騎士に聞いてくれ………………」
アレッサンドリーテ王は憔悴しきってふらふらの状態でメーシャの横を通り過ぎていく。
そんな王の姿に両親を重ねてしまいそうになるメーシャ。だが王は両親ではないし、自分は助けられる子どもでもない。代わりに、王は民を導く存在であり、メーシャはウロボロスからチカラを授かり、世界を救うと決めた勇者なのだ。
「──待ちなさい」
メーシャは呼び止める。
「なんだ……」
「王たるもの民を導き、守り、最後まで責任をまっとうする者であるが故に先の発言は確かに為政者しては絶対に言ってはいけない言葉。……ですが、ジョセフィーヌをおもうピエールとしての悲痛な叫びは受け取りました」
「…………」
「ピエールよ、嘆きの時間は終わりました。今日は眠り、明日よりアレッサンドリーテ王になりなさい。
この勇者いろはメーシャがドラゴン=ラードロを討ち倒し、必ずや王女ジョセフィーヌを助けると約束しましょう……!」
メーシャは言い切った。
連れ去られたのが半年前なら無事だとは言い切れない。が、邪神軍がその時危害を加えなかったということは命を奪うことが目的ではないはずだ。今後もいつ状況が変わるか分からないが希望が無いわけではない。
それに、メーシャの思い描く勇者は必ずやり遂げる。難しくても、辛くても、必ず間に合い、必ず目的をやり遂げるからヒーローなのだ。
「…………ふははっ。言ってくれる」
生気の感じられない王の瞳に微かな火が宿る。本人はまだそれに気付かず、全てを受け入れられる状態ではないかもしれない。しかし、少なくとも倒れず踏ん張る気力は取り戻せたようだ。
「……ウロボロスはその身を礎とし何も無き世界に実りをもたらしたという。それ故にウロボロスのチカラはあらゆるモノと繋がり循環する。精神となり、命となり、魔法となり、奇跡となり勇気となる…………その変容するチカラを手に入れた勇者に出来ぬことはない。そして、ウロボロスの勇者はヒトを英雄に変える。
…………故に、人はこう呼んだ始まりの勇者と」
「それは?」
「ただの昔話だ。いつ頃から伝わるものかも分からぬほど昔の、な。きっと色をつけ都合の良いように捻じ曲がったモノだろうな。でもな、先ほどのそなたの目を見た時……ふと思い出してな。……ではな、いろはメーシャ。余は明日から忙しくなるので、先に休ませてもらうぞ」
王は先ほどとは違い、立ち去るその歩みは力強いものだった。
「……ふぃ〜、集中してたから体がピシピシしてるよ」
「ちうっちぃ」
王が去った後にメーシャたちは騎士のひとりと一緒に城の外に出ていた。他の騎士は元の持ち場に戻ると言っていたので、もしかするとこのヒトがダニエルの言っていた"カーミラ"だろうか?
確かエスコートしてくれた騎士も同じヒトのはずだ。
「お疲れ様です勇者様」
そう言う騎士の声は城で聞いた時より少し柔らかくなっていた。
「ありがと〜っ。てか、あーしを監視する人って騎士さんって事でいーの?」
騎士にどこと言うわけでもなく案内されながらメーシャは質問する。
「はい。…………自己紹介も良いですが、ひとまず目的地に着きましたので中で落ち着いてからにしませんか?」
騎士が言う目的地とは『そうそう、これで良いんだよ』と言いたくなるような、良い感じに使い込まれた風体の暖かみのある3階建ての木造の宿屋だった。
「宿屋? 今日はドタバタで疲れたからマジ助かるし〜」
「ちうちう、ちゅるちちぃちゅちちう」
「……申し訳ありません。本来ならば城の客室にお通しして丁重にもてなすべきではありますが、最低限の兵士や給仕係以外は家や故郷へ帰していますので現在城内にそういった行事ができる者が居ないんです」
戦火から逃れるために疎開するような感じだろうか。
「そういやメイドさんとか執事さんみたいなカンジの人全然見当たらなかったもんね。謝る必要はないよ。さ、入ろっ」
メーシャは笑顔を見せると、騎士の手をとって宿屋の中に入って行った。
* * * * *
「……どうぞ、私の故郷でよく飲まれている疲れによく効くお茶です」
メーシャたちは3階のふたり部屋に通され、テーブルについて部屋を眺めていると、騎士さんがすごく濃い緑色のお茶を用意してくれた。ひとつは普通のマグカップでメーシャ用、もうひとつは深さ5cmくらいの小さいコップでヒデヨシ用だ。
「おぉ〜! 初異世界ご飯…………じゃなくて飲み物! いただきまーすっ」
と、勢いよく飲んだメーシャだったが……。
「〜〜〜〜〜〜っ!?!?」
あまりの苦さに声すら出てこない。今まで口にした全ての苦さを後にする、この世のものとは思えない苦いお茶。良薬は口に苦しとは言うが、ここまで苦いと逆にダメージを受けてしまいそうだ。
「──!?」
……と思ったが、なぜか体の疲労感が和らいでいく。しかも、疲れが緩和されていけばされていくほどお茶の苦さも和らいでいき、飲み終わる頃にはハーブティー系のめちゃくちゃ美味しいお茶に変わっていた。
「うんまっ!」
「気に入られて良かったです。それは樹齢1000年以上の薬草の老木から採れる新芽と、百鬼の森の奥にある棘茶の木のトゲを煎じて淹れたもので、腕がちぎれてもこのお茶を飲めば引っ付けることができると言われた程の薬膳茶です。……さすがに物理的な傷を治す効果はありませんが、疲労回復の効果は本物です。元気な時に飲んでも副作用がないのも優秀です」
騎士は嬉しそうに語りながら、ようやく重たいブルー魔法銀の兜を外して席についた。
「…………おぉきれ〜!」
メーシャの目を奪ったその髪は、セミロングのその黒髪は柔らかく艶めいていて黒曜石のようだった。
一日中鎧を着ているので日焼けをしておらず、その白い肌が黒い髪をより強調している。
目は金色で猫目、全体的にキリッとした顔立ちで頼りがいのありそうな雰囲気であった。しかし、前髪の隙間から覗く1cmほどの可愛らしいサイズのツノを額に見つけた時、騎士さんが少し恥ずかしそうに隠していたのをメーシャは見逃さなかった。意識を他に取られていたが、エルフっぽい耳だ。
「えっと……私はこの度勇者様のお伴をさせて頂くことになりました、"カーミラ・ルーベリーテ"。王家近衛騎士団長です。戦いにおいては細剣を使い、精霊を召喚して風魔法を使うことができます。軽い傷なら治せます。
あと、バレていると思いますが、私も小さく一本だけながら弟同様ツノがはえています……」
カーミラはツノをチラリと見せたかと思うとまた前髪で隠す。
「知ってると思うけど、あーしはいろはメーシャ。ウロボロスの勇者だよ。……見せるのがイヤなら見せなくても大丈夫だよ?」
そんな様子を見たメーシャが優しく声をかけた。
余談だが、ヒデヨシはお茶がたいそう気に入ったらしく、カーミラから今3杯目をもらって飲んでいるところだ。
「……いえ。ただ、見つめられると少し恥ずかしくなるだけです。あぁ……っと、それはそれとして。
私たち姉弟はヒト種の"エルフ"と、モンスター種の"鬼"が交わった魔族と呼ばれる人種です。社会性のあるモンスターも街で生活している現代で何を言っているんだと思っているかもしれませんが、この街では受け入れられていますけど、まあ…………他の街だと場所によっては少し目立つかもしれない……です。
なので、できれば隠密行動は控えていただければと……」
カーミラはマグカップで口元を隠し、チラチラとメーシャの顔色を伺いながら話す。
「……ああ。深刻そうだったから、魔族は怖がられてるみたいな事でも言うのかと思った!」
メーシャは肩透かしをくらってケラケラと笑ってしまう。
「えっ? あ、いや……モンスター種の特徴が出てる分目を引きますが、ちびっ子からツノを触ろうとされたりカッコいいと言われたりするくらいです。むしろ無二の特性を持っていることも多く、実力主義の冒険者ギルドでは一部の魔族が引っ張りだこだとか」
作品によってはハーフエルフが虐げられていたり、魔族は見るだけで恐れられてしまったりみたいなことがあるが、どうやらそんなことは無いらしい。
「あーしも隠れるの得意じゃないからいーよ。この前敵が来たから戦車の下にかくれたんだけど、そこって相手から丸見えだったみたいでさ。気付いたら敵に囲まれてるし、撃たれて仰け反るからなかなか戦車の下から抜け出せないしで大変だったんだから」
もちろんゲームの話である。
「えぇ……。だ、大丈夫だったんですか? そんな状況からどうやって逃げ出せたのか聞いても……?」
カーミラはゲームの事だとつゆ知らず真剣に反応してしまう。
「逃げ出す? ううん、逃げ出さなかったよ」
「で、ではそこから何か打開する策があったとか……?」
「いや、ああなっちゃったらお終いだし。とりまやられるしかないっしょ」
「やられ…………?! しかし! いえ……あれ? 勇者様はその後どうやって……?」
カーミラの頭の中はもうクエスチョンマークでいっぱいだ。
「そりゃもう、一回やられて復活するっしょ? その後、敵の動きはもう分かってるから、まず遠くからスナイパーライフルで減らして、それでできた巡回ルート上の死角で待ち伏せして各個撃破! 時間も巻き戻るし何度でもやり直せるから、慣れればそんな難しくないよ」
「時間が巻き戻る…………やられても復活…………何度でも…………?! ふしゅ〜……」
自身の常識を超えるメーシャの発言に、カーミラはとうとう脳がキャパオーバー。テーブルに倒れ込むようにして意識を失ってしまうのだった。
「あっちょ! やば! カーミラちゃん!?」
「ちう!? ちゅいちうち!!」
『──たっだいま〜! 重力キツかったろ? 近場の精霊にお願いしてエネルギー分けてもらったから、重力適応魔法かけちまおうぜ〜』
と、空気が読めない帰還をはたすデウス。
「それは今じゃない! ってか、重力はもうイイ! それよりカーミラちゃんが──!」
この後ひと騒ぎありつつも、カーミラは無事に目を覚ました。ただの低血圧なので、安静にしていれば問題ないのである。
そして、デウスの自己紹介をはさみつつカーミラが落ち着いてから、メーシャはこれからやるべき事を教えてもらった。
邪神の手下になった存在…………ラードロが、街の近くの洞窟に潜んでいるらしい。そのラードロは農作物や、たまに家畜を奪っていくので街の住民は困っているのだとか。
そこでそのラードロを見つけ、残さず撃破して街の安全を取り戻す。プラス、道中で勇者としてのチカラをカーミラに見せることがメーシャの第一の試練のようだ。
「──では、食事は1階で、トイレは部屋の入り口右、お風呂はトイレの向かい側で、アメニティで足りないものは受付です。あと…………私は隣の部屋にいますからお困りの際は声をかけてください。……また明日」
「うん、ありがと。大丈夫だよカーミラちゃん。また明日ね、おやすみなさい」
「あ、そうですか? では、おやすみなさい」
「ちうっちー」
『ちゃんと歯磨きして寝ろよ。おやすみ』
カーミラと別れた後、メーシャたちは地球から持ってきた食べ物をお腹に入れると、早めにベッドに入り明日に備えて泥のように眠るのであった。
「──ドラゴンのステーキ!!!?」
宿屋1階の食堂にて、外の道路まで聞こえてしまうほどの叫び声を出したのはメーシャだった。
「ドラゴン自体を狩るのは難しく家畜化もできないので、ドラゴンの細胞を使った培養肉ですけどね。喜んでいただけて良かったです」
メーシャたちはラードロがいるという洞窟にいく前に、宿屋で朝食をとることになったのだが、さすが異世界と言うべきか。
メニューにはメーシャが言ったように"ドラゴンのステーキ"や"プルマルのミントゼリー"などのモンスター由来の材料が使われている料理や、"トビオオツノシカのツノ焼き"や"爆弾イチゴと竜巻きキャベツのサラダ"みたいな聞いたことがない動物や野菜を使っているもの。
そして"泣かないオレンジマンドラゴラのグラッセ"、"黒トゲトゲのビネガーライス"、"曲りツノ牛のチーズ"などの、名前が違うものの地球でも見かける食材を使った料理も存在したのはちょっとした安心感のようなものがあった。ちなみに、それぞれ人参のグラッセ、ウニの海鮮丼、水牛のモッツァレラチーズだ。
『ドラゴン=ラードロを倒そうって時にドラゴンステーキを選ぶとはな! メーシャの故郷でいうところの験担ぎってやつだな? ドラゴン=ラードロを喰ってやるつもりで豪快にいこうぜ!』
● ● ●
「はい、おまたせ! ごゆっくりどうぞ」
店員のマッチョなおじさんが料理を運んでくれた。これで注文した料理は全部揃ったはずだ。
「ぅうおおおおおお!! ステーキきたー!!」
メーシャはもちろんドラゴンステーキ。直径20cm厚さ15cmのボリューミーなミディアムレアのステーキだ。肉汁と果実酒でできたソースがかかっている。
「ちうっちゅいぃ〜!」
ヒデヨシはマシンガンヒマワリの種のペースト。この種は"ゲッシ"(齧歯類型モンスター)の大好物なんだとメニューに書いていた。
「私はバルーンパーチという魚のアクアパッツァです」
この魚は脂の乗ったフグのような弾力のある白身だが、毒がない代わりに少しタンパクな味である。なので、スパイスや旨味のある野菜と一緒に煮込むことで、手軽に極上のフグ肉と同等の美味しい料理にすることができる。
『くぅ〜! 美味そうにもほどがある! 俺様に身体があれば! 半年…………いや、冬眠の前だから最後にメシを食ったのは1000年くらいまえか? 腹は減らねーがこういう時ちょっと残念だな……』
デウスはご飯が食べられなくてしょんぼり。
「………………そっか。ま、身体ないんじゃしゃーない。宝珠を取り戻したら食べな」
メーシャは淡々と言いながらも、ステーキを半分切り分けてソースごとアイテムボックスに送った。アイテムボックスに送ればホカホカで美味しい状態を保存できるので、デウスが宝珠を取り返して身体が戻った後に食べることができる。
『め、メーシャ〜……。ありがとぅ〜。あとこっちの世界に来た時理由も言わずに居なくなってごべんね〜……』
メーシャの行動に感極まったデウスは涙を(身体はないが精神的に)流しながら、感謝と謝罪の言葉を口にした。
「いいよー」
「ちうっちゅぁー!!?」
そうこうしている間にヒデヨシがひまわりの種のペーストを口にして感動していた。
「ちゅるっちいちうちぃつーちゅいっちいち!」
……このヒマワリの種のペーストはただ砕いてペースト状にしているのではなく、丁寧に皮をむいて中の身を取り出し、バター状になるまで練り込んだ後きび砂糖と少しミルクを加えたシンプルながら極上の逸品である。
ちなみに、このマシンガンヒマワリの種は、花の段階ではほとんどただのヒマワリなのだが、この品種は普通のものの数倍の大きさの肉厚な種をつける。そして成熟するとその名の通りマシンガンのごとく種を前方に発射。
一応発射前にミシミシという音はするが、万が一当たれば生命の危機が危ないレベルで危険なので、近くで音が聞こえたら一般人も熟練の冒険者も匍匐前進する。
「お、ヒデヨシ様のお口に合ったみたいですね!」
カーミラはアクアパッツァを慣れた手つきで食べている。
「じゃあ、あーしも食べちゃおっかな! …………いっただっきまーす!」
メーシャはひと口サイズに切って口に運んだ。
「ん〜〜〜……!!!!」
まず切った時に薄々感じていたが、弾力がすごいのに硬くない。細胞自体がしっかりした組織でできているので、少し切ったところで肉汁がこぼれずキープしてくれる。
だが、噛んでいくと繊細ながらシャープな旨みが決壊したダムのようにあふれ出てくるのだ。
ドラゴン肉はシンプルに美味すぎる。
その美味さは数多のヒトを動かし、入手困難なドラゴン肉を1から培養肉の量産するまでになったほどだ。
「──消えちゃった……」
メーシャは旨みに溺れたかと思ったら、いつの間にか食べ終わっていた事実を突きつけられて虚しさを感じてしまう。
「そう言えばデウス様は龍神であられるはずですが、恐れながら……ドラゴンを食べることに抵抗などはないのでしょうか?」
カーミラが恐る恐るデウスに尋ねた。
『ヒトだって他の陸上生物を食べるだろ? 龍とドラゴンは別モンだ。それに培養肉だしな。心配してくれてありがとよ』
「いえ、すみません。こんな質問に答えて頂いてありがとうございます」
『へへっ。ここまで丁寧に接されるのも良いもんだな。……でも、もっと砕けた感じで良いぜ。これから旅の仲間になるんだしな』
恐縮しまくっているカーミラにデウスは優しく言った。
こんな感じなので忘れそうになるがこれでもデウスは龍神。自分を慕う者には慈悲深く、フレンドリーに接しても子どもを見守る親のような感覚になるのだ。つまり、むしろ嬉しい。
「そーだよカーミラちゃん。あーしのことも勇者様じゃなくて名前でいいよ」
「ちゆっちちうちう」
メーシャに続きヒマワリの種ペーストに舌鼓をうっていたヒデヨシも仲良くしたいようだ。
「分かりました……! すぐには難しいですが、私も……その、実は友達が欲しかったので……徐々に自由にしますね! えっと……メーシャちゃん、ヒデヨシくん。それと……デウスさん」
カーミラははみかみながらメーシャとヒデヨシを見たあと、どこにいるか分からないデウスに向かって伝えた。
「えへっ。新しい友達はいつでも嬉しいね」
そうしてメーシャたちは新たな仲間兼友達と絆を深めつつ、最高の異世界ご飯デビューを果たしたのだった。
【泉の洞窟】今回メーシャたちが向かう場所で、ラードロの目撃情報がある場所である。
洞窟にある泉の水はそのまま飲めるほど綺麗で美味しいので、知る人ぞ知る隠れた名所のようになっている。
その洞窟があるのは、アレッサンドリーテの街から少し離れた位置に存在する【トレントの森】の中である。
その森は木々が鬱蒼と生い茂り道という道も存在しないためまっすぐ通りぬけることすら困難。それに加え、"トレント"という普通の木に擬態してエモノを捕食するモンスターが数多く棲息しており、腕に覚えがない一般人はもちろん、初心者冒険者の少人数パーティもこの森に入らないよう国から警告が出ている。
ただ、ある程度実力のあ冒険者や騎士クラスであればひとりで対処できる強さのモンスターなので、中級者への登竜門や世界のとある部族の成人の儀式に使われたりするとか。もちろん、トレント1体である場合の話なので、複数対確認した時は基本的に退避するのが推奨されている。
「──ぅわ〜! めちゃ良い香りがする!」
メーシャは森に入るや否や何度も深呼吸して、薬草やハーブ、木々や花などの香りが入り混じった空気を堪能する。
『この森を出入りするヒトはほとんどいねーから、森っつーか自然本来の香りがするんだろうな! ヒトがたくさんいるのも好きだが、こういう自然も捨てがたい。くぅ〜、フィオールさいこー!』
「ちちゅぁちちうちちうちゅっちゅちちゅあちいちい」
ヒデヨシは今朝持たせてもらった小さな斜めがけバッグから小さな包みを取り出す。オヤツだ。
「少し早いんじゃないです…………少し早いんじゃ……ない?」
カーミラが敬語で話しかけるが、恥ずかしがりながら砕けた口調に変える。一瞬頬が赤くなっていたように見えたが、照れ隠しなのかすぐにフルフェイスの兜をかぶってしまって分からなくなってしまった。
任務的にはメーシャの監視役ではあるのだが、王家が信じるウロボロスの勇者の願いともあればそれに沿わない理由はない。万一勇者でなかったとしても、仲良くしておくことで警戒されずに情報を得られる。
ただ、カーミラ自身はメーシャをウロボロスの勇者と確信していた。カーミラは精霊と契約する種族、エルフの血を引いており、オーラの性質や動きを産まれながらに見極めることができるのだ。なので、メーシャがまとうオーラがドラゴン=ラードロやその手下などのような邪悪な者ではないと察知できたし、嘘をついていないということは分かっていた。
それに何より、カーミラの(他のウロボロス信者にも)夢枕にデウスは立っていたので、尚更信じるに値すると確信があったのだ。
「少し歩いたし、オヤツくらいならイイじゃん! ほら、カーミラちゃんもおにぎりをどうぞ!」
メーシャが魔法陣から取り出したおにぎり屋さんのおにぎりをカーミラに渡す。
「ありがとうご……ありがとう。……いただきますね。……ん???」
カーミラは貰ったおにぎりをぱくり。しかし、中に入っていたのは見たこともない細長い物体で混乱してしまう。いや、正確には見たこと自体はあるが、食材として提供されたことがなかったのでそもそも食べ物という状態では初めましてなのだ。
「あ、食べたことないカンジか。それはね、タコの煮付けのおにぎりだよ。地元は海が近くにあるから新鮮なタコがとれんの。学校帰りによく行くおにぎり屋さんのやつだけど、けっこー美味しいっしょ?」
メーシャは学校帰りによく買い食いをしちゃうのだが、たこ焼き屋さんの他におにぎり屋さん、クレープ屋さん、たい焼きやさんなどによく行っていた。
「あ……美味しい。独特な弾力だけど柔らかくて、味付けも……これは植物系の醤と砂糖でしょうか? 香ばしくて柔らかい味わいですね」
カーミラはタコを味わいながらおにぎりをいろんな方向から見つめている。気に入ったようだ。
「よかった。…………そんで、ヒデヨシのオヤツはな〜に?」
メーシャはしゃがんで足元にいるヒデヨシの顔を覗いた。すると……。
「ちーず!」
「えっ?」
「ちう?」
「……なんだ、気のせいか。ビックリした」
『そうそう、気のせいだって! メーシャ、実は昨日眠れてなかったんじゃねーのか? ヒデヨシがチーズなんて、なあ……? 普通喋るとしたら、『まんま』とか『いや』みたいなのだって』
「そういう問題かなー? まあ、確かにお注射でスーパーにしてもらったけど」
「ゲッシ(齧歯類型モンスター)は基本的にヒトの言葉を話します……話すしヒデヨシくんが喋るのも変じゃない……よ?」
「マジか! じゃあ、異世界に来たわけだし、異世界のルールにのっとるならヒデヨシも……?」
『じゃ、じゃあやっぱりさっきチーズって言ってたのって……?』
「ちーず?」
「『言ってるー!」』
驚いたメーシャとデウスは息ぴったりにハモってしまう。
そして、テンション爆あがりになったふたりヒデヨシをチラチラ見ながら少し相談。
● ● ●
「じゃあ、ヒデヨシにちょっと……」
『質問しちゃおっかなー?』
「ちう?」
「……あーしからねっ! えっとぉ〜、国とか大陸とか海とかの形や情報が書いてるやつってなに〜?」
「ちず?」
「正解っ! ふわっふわな例えだったかもだけど、分かったのえらい!」
どうやら、ヒデヨシにいろんな言葉を喋ってもらいたいようだ。
『次は俺様だな? ……こほん! 外の反対? はなんだ?』
「うち?」
『正解!』
「えぇ〜? それって『ず』が入ってないじゃん!」
『そ、そうか?』
「うん、デウスもっかいね!」
『え〜っと、じゃあ……。流れがあってぐるぐるしてるのって……? い、いけるかな?』
デウスは説明しようとするが、うまく例えられずに自信なさげ。
「……うず?」
「『正解だー!」』
まさかの難問をヒデヨシ一発クリア。メーシャとデウスは大喜び。
「あ、あの! 私も良い……かな?」
カーミラもこの流れに乗っかりたいようだ。
「いいよ〜」
「で、では! 他のヒトに何か知らせたいときに出す行動は? ……これは難問なはず。答えられるかな、ヒデヨシくん」
カーミラが出した問題は今まで発音できた音ではあるが、普段使いのものではない。不慣れな音の羅列にヒデヨシは勝てるのだろうか?
「…………」
ヒデヨシは少し考えるそぶりを見せるが、少し間を置いて顔を上げた。
「……あいず?」
ヒデヨシの言葉の中に『ちゅあ』だとか『ちい』に含まれる母音部分と、今回発音できた『ず』を組み合わせたものが正解だった。
「うちの子天才じゃん」
『言葉の魔術師かよ』
「大賢者チャピランティヌスにも引けを取らない賢さです」
「ちゅあっちぃ! うずうず!」
三者三様の褒め言葉に嬉しくなり、ヒデヨシは飛び上がりながら小踊りしてしまう。
カーミラの言うチャピランティヌスというのは、この世界に伝わる英雄の名前だとか。
「あ〜楽しかった! じゃあそろ進もっか。ふぁ〜……それにしても木漏れ日が気持ちいいね〜」
ひとしきり楽しんだ後、ようやく重い腰を上げた一行は洞窟に進むことにした。
『そうだな〜』
「あ、メーシャちゃん……そこの根っこ気をつけて!」
あくびをしながら進むメーシャの足元に地面から木の根っこが大きく飛び出ている。
「え? ……ぉわっとぉ〜っ!?」
カーミラが教えるもひと足遅く、メーシャはものの見事に足を取られて転んでしまった。
「あぁ〜苦い……」
口の中が地面に生えていた薬草の味だ。ただ、幸い怪我はないようだ。
「ちゅあ?」
「あんがと、大丈夫だし。ごめんね、気を取り直して……」
メーシャはいい感じの位置にある支えに違和感を覚える。
『おい、メーシャそれって!』
「──トレントです!!」
「しかもいっぱいいるんだけど〜!?」
長い間同じところで騒いでいたからだろうか、メーシャたちの周りに樹木のウロが顔になったモンスターが10体以上集まってきていた。
「ちちゅちいずいちゅ!!」
「異世界初バトル、いっちょやるか〜!」
おしゃべりを楽しんでいたメーシャたちは、いつの間にか樹木型モンスターのトレントに囲まれていた。
トレントは樹木同様植物の細胞でできているが、魔力が全身を巡っており、鉄よりも硬く竹よりもしなやかな身体を持っているのだ。
攻撃魔法こそ使ってはこないが、枝を伸ばして相手を捕まえたり、カミソリのように鋭い葉っぱを飛ばしたり、鉄の鎧を凹ませる威力を持つ叩きつけ攻撃をしたりと単純ながら強力である。
弱点は炎ではあるが生息地が基本的に森のため火事の危険性があり、下手に使うと共倒れになってしまうので、もしトレントに出会えば冒険者は己の地力が試されることになるだろう。
「ギギギギュギュルル……!!」
トレントが警戒しながらもじわじわと距離を詰めてくる。
このまま放置すれば逃げ場どころか身動きもとれなくなってしまうだろう。
「メーシャちゃん、ヒデヨシくん! まだ互いの能力を把握していないし、ここは各自で目の前のトレントに対処していこう!」
カーミラが前方のトレントを見据えたままふたりに声をかける。
目の前の敵に集中しているのか、カーミラは恥ずかしくならずに話せるようだ。
「あーしはだいじょぶ! ヒデヨシもひとりでいける?」
「ちょずーちう。ちゅあちゅあちちょうちゅあつちゅあちいちうち?」
メーシャの心配も杞憂で、ヒデヨシはむしろやる気満々であった。
「おけ。じゃ、無理しない程度にガンガンいこうぜ!」
「はい!」
「ちう!」
そして野生のトレントとの戦いが始まった。
● ● ●
まずはメーシャ視点。
異世界という慣れない土地での戦いはこれが初めてとは言え、地球でタコ型の邪神の手下倒した実績がある。
実力も十分で、油断しなければまず倒されることはないはずだ。
『メーシャ、戦いのプランはあんのか?』
デウスが声をかける。
「あるよ! 一気に終わらせても楽しくないし、ジャッジメントサイス縛りでチカラを試すのがメインかな……っとぉ! ま、見ときなって」
メーシャは飛んできた葉っぱを軽いステップで回避しつつオーラで『奪い』とる。
『お、おう……』
つまり、メーシャの中ではもう勝ち負けではなく、この戦いは実験でしかないようだ。
「ギギィ!」
トレントの幹部分にある目のようなウロが怒ったみたいに吊り上がり、今度は枝を伸ばしてメーシャを左右から叩きつける。
「──葉っぱ返すし!」
宙返りで片方の枝を飛び越えながら右手から魔法陣を展開。先ほど奪ったカミソリのような葉っぱを連続射出してもう片方の枝を切り裂いてしまう。
「ギュリリィ!?」
ダメージにのけぞりながらも残った枝で反撃を試みるトレント。
「当てられるかな?」
だが、メーシャとトレントの位置が入れ替わってしまって空振りに終わってっしまう。
『そうか……! トレントの場所を奪ったから、結果的に入れ替わったのか! 考えたなメーシャ!』
「でしょっ。じゃあ、次のやついくよ」
メーシャは身体を低くしながら地面を大きくえぐり取り、出来た穴にトレントを落としてしまう。
「──ギュル! ギリィ……?!!!」
トレントが根っこを足のように器用に使って穴から出てこようとするが、頭上には大きな水の塊が待機。避けきれない。
──バッシャーン!
普通の水の塊であればトレントにとって有効な手段とは言えないが……。
「ギュァアア!!?」
その水を受けたトレントは大ダメージを受けて苦しんでしまう。
「残念、これは海水だよん!」
この森は海から離れた位置にあり、もちろん通っている水も真水。なのでこのトレントはマングローブのように海水を吸うことができないのだ。
「ちょい一か八かだったけど」
樹木型とは言えモンスター。普通の気とは違って塩害を受けない可能性もあった。
しかし、メーシャの予想は大当たり。むしろ、動きを活発化させている性質上素早く身体に塩を巡らせることができたようだ。
とは言え、これだけで倒し切れないことは想定済み。メーシャは次の一手に進む。
「──身体重そうだけど、あーしが軽くしてあげよっか?」
メーシャはオーラを使い、自分にしたようにトレントの体重を奪って軽くする。だが、今回はメーシャの時とは違いほとんど全ての重さだ。
「ギュルル!?」
トレントが己の状況を把握するより早く、メーシャは滑り込んでふところに潜り込む。
「見たことない景色、見せてあげるっ」
メーシャは勢いよく蹴り上げる。
体重が0kgで空気抵抗以外その勢いを止めてくれるものがないトレントは、枝や根っこを振り回すも虚しく、瞬く間に雲の上まで吹き飛ばされてしまった。
「ギリリ……」
トレントは幸か不幸か、体重が0kgのため衝撃が吹き飛ぶエネルギーにほとんど使われて無事だった。
このまま風にでも飛ばされていけば、あの忌まわしきニンゲンとオサラバできる。そして、ほとぼりが冷めたらまた森の奥で静かに動物やヒトでも狩って暮らそう。
トレントがそんな風なことを思ったその時──。
「……そろそろ地面が恋しくなってきたんじゃない?」
トレントが今1番聴きたく無い声がすぐ近くから聞こえてきた。
「ギュ……?!」
メーシャはトレントにしがみついていたのだ。
メーシャはトレントを蹴り上げたその時、自身も身体を軽くして跳躍。飛んでいくトレントにしがみついてイイカンジの高さになるまで隠れていた。
「なんでこんな高さまで打ち上げたか分かる…………?」
メーシャは魔法陣からトレントの重さを返還しつつ、先ほどえぐった土をまるめて凝縮し……。
「メーシャ特性フリーフォールだよ〜!!」
土弾ごとトレントをドロップキック。重力加速度以上のスピードを手に入れたトレントは、大きな土を抱えたまま急降下。
「ギュルルルルルリリリリィ〜〜〜────!!?」
「ギュル……? ギリィ──!!?」
下にいた2体のトレントを巻き込んで地面にダイナミックKISS!!
倒されたトレントは身体を維持できず爆発。身体を構成していた魔力の塊がいくつかの魔石となって飛び散った。
モンスターは魔石を核にして身体を生成するタイプと、身体全体を魔力で構成しているタイプで、トレントは実は後者のタイプだったようだ。
「3体撃破! はイイんだけど……」
トレントを倒したのはいいが、体重を戻せば着地の衝撃が計り知れないので下手に戻せない。
「……どうやって降りよっかな? 着地の瞬間に柔道の受け身すればいけるかな……?」
とはいえ、今の体重が軽すぎるせいで空気抵抗が強くなり、その上風のせいで降りるどころかたまに上昇してしまう。
「──あ、風に飛ばされちゃう〜……!?」
そうこう悩んでいるうちに、メーシャは自然の突風にどこかへさらわれてしまったのであった。
『め、メーシャ〜〜!!?!?』