アラフォーだって輝ける! 美しき不死チート女剣士の無双冒険譚 ~仲良しトリオと呪われた祝福~

 夜も更け、セリオンからスースーと寝息が聞こえてきた頃、ソリスはそっと毛布から身体をすべり出した。

 小さく揺れる暖炉の炎でセリオンの可愛い顔が浮かび上がり、しばらくじっと見入るソリス――――。

 この数カ月、セリオンのおかげで夢のような暮らしができた。釣りに狩りに冒険に美味しい食事、それはまさに天国だった。

 でも、そろそろ卒業しなくてはならない。女神に自分らしい生き方を見せつけて仲間を生き返らせてもらうのだ。全て終わったら三人でまたここで暮らせるようにセリオンに頼みに来ようと思う。その時は……、正直にアラフォーのおばさんで来よう。落胆されてしまうのは仕方ないが、それでもセリオンは自分を捨てないと思う、多分……。いや……さすがに無理かな? でも、もう嘘はつけない。ソリスは覚悟を決めた目でジッとセリオンを見つめると、最後にほほに軽くキスをして裏口からそっと家を抜け出した。

『ちょっと旅に出ます。必ず帰ってくるから待っててね。ありがとう。親愛なるセリオンへ』

 テーブルには置手紙をしたためておいた。


         ◇


 満月が高く上がる中、ソリスは近くの街リバーバンクスへと急ぐ。途中、翠蛟仙(アクィネル)に解呪してもらおうかとも思ったが、さすがに深夜にいきなり訪れて頼むのは無理がある。それに、困難の多い少女の姿で生きざまを見せた方が、女神にアピールできそうであり、あえてこのまま街を目指すことにした。

 数カ月暮らしたおかげで、何となく南の方向に街がありそうなのは分かっている。ソリスは月夜の森の中を魔法のランプを片手に獣道を行く。途中、沢を渡り、崖を降り、道なき道をかき分け、空が明るくなるころ、ようやく道に出た。

「はぁ……、なんて山奥なの。セリオンはどうやって街を往復していたのかしら……?」

 レベル125の脚力をもってしても厄介だった山行に、ソリスは首を傾げた。

 街道を進んでいくと、やがて川沿いにそびえ立つ立派な城壁が見えてきた。リバーバンクスだ。ソリスは初めて訪れる街に心を躍らせ、久々に感じる文明の息吹に胸が高鳴った。

 日の出前だというのに城門には多くの荷馬車が行列を作っている。かなり貿易が発展している街なのだろう。

 城門では衛士(えいし)が入城者のチェックを行っていて、ソリスはちょっと緊張した。持っているギルドカードの年齢は三十九なのだ。こんなのは使えない。ソリスはドキドキしながら自分の番を待つ。

 しかし、九歳の女の子に警戒心を抱くはずもなく、衛士は(あご)をしゃくって「さっさと通れ」とうんざりした様子で指示し、次の人の書類に目を通し始めた。

 胸をなでおろしたソリスは、急いで立派な石造りの巨大な城門をくぐっていく。

 そして現れるリバーバンクスの活気あふれる街並み。多くの人が元気に行きかい、馬車がひっきりなしに走っている。真っ直ぐに街の中心部まで続く石畳の大通りの両側には、三角屋根の大きな木造の建物が並び、その屋根から向かいの屋根まで道の上にロープが渡してあり、そこから垂れさがる赤い三角旗が風に揺れて、街の活気を一層引き立てている。

 遠くに見える遠くに見える高い尖塔は、教会だろうか? 豪奢な彫刻が施され、この街のシンボルとして堂々と威厳を放っていた。

「ほわぁ……、見事ねぇ……」

 数カ月間、山奥で暮らしてきたソリスはそのエネルギッシュな街に圧倒されてしまう。

 と、その時、いきなりドン! と後ろから男にこずかれる。

「おい、なんでこんな所でつっ立ってんだよ!! 邪魔邪魔!」

 転んでしまいそうになるのを何とかこらえたソリスはムッとして、男を探したが、すでに人混みの中へと消えていってしまっていた。

「な、なんて奴なの!」

 憤慨(ふんがい)するソリスだったが、次々とやってくる人混みに揉まれ、慌てて小路に逃げ出した。

「もうすっかり田舎者だわ……」

 ずっと四十年近く街の暮らしをしてきたというのに、もうすっかり街での暮らし方を忘れてしまったらしい。ソリスはふぅとため息をつき、目の前にあったカフェにトボトボと入っていった。

 天井の高い、広々とした窓から差し込む陽光が、歴史を感じさせるカフェの内部を照らしていた。店内の家具は深みのあるブラウン色で統一されており、レンガの壁が優雅さと温かみを融合させている。

 壁の黒板には手書きのメニューが書かれており、ソリスは何を頼もうかとしばし悩んだ。

「あら、お嬢ちゃん、どうしたの?」

 カウンターの中から気さくなおばちゃんが声をかけてくる。

「あー、ハムサンドとホットコーヒーを一つ……」

 ソリスはトコトコとカウンターまで行くと背伸びして銀貨を置いた。

「コーヒー……? 飲めるの?」

 おばちゃんは怪訝(けげん)そうにソリスの顔をのぞきこむ。確かに九歳の子供が頼む物ではなかったかもしれない。しかし、セリオンのところにはなかったので飲みたかったのだ。

「だ、大丈夫です。薄めでお願いします」

「あらそう? じゃあ少し待っててね」

 おばちゃんはニッコリとうなずき、コッペパンを切り開くとオーブンに放り込んだ。

 ソリスは朝日の差し込む窓際の席に座り、外を眺める。

 仕事に向かう多くの人達が足早に石畳の道を歩いていく。みんな眠そうに、でも食べていくために自分を押し殺し、暗い顔でひたすらに足を進めていた。

 スローライフをしていた身からすればひどく滑稽(こっけい)に見えたが、思えば数か月前まで、自分もこうやって仲間と一緒にダンジョンへと歩いていたのだ。今ではもう遠い昔の話のようでうまく思い出せなくなっている。

 ソリスはふぅとため息をつくと目を閉じ、静かに首を振った。

「おまたせ~」

 おばちゃんがハムサンドとコーヒーを持ってきて、丁寧にテーブルに並べる。

「あっ! ありがとうございます。美味しそう!」

 お腹がペコペコだったソリスはすぐにかぶりついた。

 こんがりとトーストされたパンにハムと野菜が芳醇なハーモニーを奏でる。そして追いかけてくるチーズの旨味――――。

「あれ……?」

 頼んでいないチーズが入っていたので、ソリスは驚いておばちゃんを見上げた。

「オマケだよ! お嬢ちゃん、親御さんは?」

 おばちゃんはニッコリと笑う。

「え……? あっ! 親は……居ないんです……」

 ソリスは一瞬何を聞かれたのかピンとこなかった。親のことなんて最後に聞かれたのは二十年以上も前のことであり、アラフォーにもなった今では親なんてもうどうでも良くなっている。

 孤児院の院長によると、自分は早朝に孤児院の前にバスケットに入れられて捨てられていたそうなので、顔どころかどんな親なのかもわからないのだ。子供の頃は親を恨んだりもしたが、今となっては、親にもいろんな事情がある人がいるので気持ちは分からないでもない。産んでくれただけ、殺さずにいてくれただけでも感謝はしたいと思うくらいだった。


「そ、そうなのかい……ゴメンね。変なこと聞いちゃったね」

「いや、全然いいんです」

 ソリスはコーヒーを少しすすって口の中を潤す。子供になって初めてのコーヒーは驚くほど苦く、つい眉をひそめてしまう。

「この辺もね、人さらいが多いのよ。特にお嬢ちゃんのような可愛い子はすぐに目を付けられるから気を付けて」

 おばちゃんは眉をひそめ、心配そうに忠告する。

「大丈夫です。一回(さら)われたので嫌というほどわかってます」

 ソリスは渋い顔をしながら肩をすくめ、自嘲気味に返した。

「さ、攫われたって……大丈夫だったのかい?」

 目を見開いて驚くおばちゃん。一般に攫われたらマフィアの裏ルートへと流され、商品として厳格に管理されるのだ。子供が自力で逃げ出すなど聞いたことがない。

「むさいオッサンをポーンと吹っ飛ばして、ダッシュで逃げちゃいました。ふふっ」

 茶目っ気のある笑顔でおばちゃんを見上げるソリス。

「ふ、吹っ飛ばした……って?」

「こうやったんです」

 ソリスは素早く腕を前に突き出し、レベル125のパワーで音速を超えた腕からはドン! と衝撃音が店内に響き渡った。

 ほわぁ……。

 まるで魔法のような技におばちゃんは目を丸くして言葉を失う。

 店内の客たちは一体何があったのかと、怪訝そうな顔をして二人を見ながらザワついている。

 少しやりすぎてしまったとソリスは苦笑すると

「次からは捕まらないようにします!」

 と、おばちゃんにニッコリと微笑みかけた。

「そ、そうだよ……捕まらない……ようにね……」

 おばちゃんはキツネにつままれたような表情で、カウンターへと戻っていった。


      ◇


 ソリスはハムチーズサンドを堪能すると、コーヒーをすすりながら青い空にぽっかりと浮かぶ雲を見上げた。この雲はお花畑からも見えているに違いない。

 今頃セリオンは自分の置手紙を読んでいる頃だろうか?

「ごめんね……。泣いて……ないかな……?」

 ソリスは酷いことをしてしまったと、自然と湧き上がってくる涙をそっと拭いた。

 本音を言えば今すぐにでも戻りたい。あのお花畑はまさに天国だった。しかし、自分には仲間を生き返らせるという使命がある。それを果たすまでは帰れないのだ。

「必ず……、帰るから……。待ってて……」

 ソリスは静かに白い雲に語りかける。

 ゆったりと流れる雲を見つめながら、ソリスは夢のようだったこの数か月を思い起こしていた。そして、その宝石のように輝く思い出の数々を胸にそっとしまい、大きく息をついたソリスは、聖約のためにまずは戦いの世界に戻ることから始めようと決めたのだった。


      ◇


 おばちゃんに教えられた石畳の道をしばらく歩き、ギルドにやってきたソリス――――。

 大きな木造三階建ての三角屋根の建物は、かなり古い時代の様式で歴史の重みを感じさせ、まるで魔法の力で存在し続けているかのようだった。ソリスは壁面に浮かぶ黒と白の木骨構造を見上げ、その時を超えた美しさを見入っていた。

 その時、いきなりドアがドカッと乱暴に開かれ、筋骨隆々とした髭面(ひげづら)の大男が飛び出してきた。

 うわぁ!

 ぶつかりそうになって思わず飛び退くソリス。

「ガキがこんなところで何やってんだ! 邪魔邪魔!」

 大男は不機嫌そうにソリスをにらむと、乱暴な足音を響かせながら建物の裏手へと去って行った。

「な、何よアレ!」

 ソリスはムッとしながら男の姿を目で追った。これから新しい挑戦をしようというのに気分が台無しである。

 もうっ!

 ソリスはプリプリとしながらギルドの中へと足を進める。

 中は吹き抜けの広い空間になっており、たばこの煙が充満していた。壁には楯や旗が飾られ、天井からはタペストリーも垂らされていたが、みんないぶされて黄色くなってしまっている。どうしても冒険者たちは酒とたばこに依存しがちなので、ギルドはどこもこんな雰囲気である。

 ソリスは久しぶりに()いだすえた臭いに顔をしかめた。

 奥のカウンターでは真面目そうな若い受付嬢が書類とにらめっこしている。青いベストと白いシャツが彼女の洗練された雰囲気を引き立てていた。ソリスは近づいて声をかけてみる。

「あのぉ、すみません……」

 受付嬢は頑張って背伸びしているソリスを見下ろし、ニコッと笑みを浮かべた。

「あら、可愛いお嬢ちゃん! どうしたの?」

 明らかに年下な女の子に『お嬢ちゃん』呼ばわりされるのは抵抗があったが、この外見では仕方ない。ソリスはぐっと反発したい気持ちを飲み込み、事務的に用件を告げた。

「冒険者になりたいので、登録をお願いしたいのですが……」

「ぼ、冒険者!? あなたが……?」

 受付嬢は眉をひそめ、首をかしげる。

「確か年齢制限はないですよね?」

「いや、そうですけど……。お嬢ちゃん、冒険者というのは危険なお仕事で……」

「冒険者については良く知っています。テストに合格すればいいんですよね?」

 ソリスはニッコリと笑って小首をかしげる。

 受付嬢は横を向き、眉をひそめながらしばらく何かを考えると、「ちょっと待っててね」と、いい残して奥へと入っていった。

 こんな九歳の小娘が冒険者のテストを受けたいなどというのは、前代未聞なのは良く分かる。自分が受付嬢なら(さと)して止めさせるだろう。とはいえ、『困難の中で輝く姿を見せる』という女神との約束を果たすには、情報が得られ、戦闘も許される冒険者になっていた方がいろいろと都合が良さそうだったのだ。

「おう! なんだ、さっきのガキじゃねーか! こんなところで何やってんだ?」

 さっきの髭面の大男が不機嫌そうに声をかけてくる。

 ソリスは大きく息をつくと、男を見上げた。

「冒険者になるんです、私」

「は? 冒険者? お前が? できる訳ねーだろ! 冒険者なめんなよ!」

 ソリスはウンザリしながら男をにらみ、

「あなたでもできるくらいなんだから大丈夫よ」

 と、挑発する。冒険者たるものなめられたら負けなのだ。

「え……? なんて言った……お前……?」

 男は目を血走らせ、ソリスに向けてすごんだ。

「子供にちょっかい出してくる、大して強くもないオッサンでもできるんだから、私でもできるって言ったのよ」

 ソリスは凄む男を鼻で嗤い、キッと鋭い視線でにらみ返す。

 男は激怒した。小娘に馬鹿にされたとあっては沽券(こけん)にかかわるのだ。

「な、なんだと……。おもしれぇ……。俺がテストしてやる。ギッタンギッタンにしてグッチャングッチャンにしてやる!」

 男はギュッと握ったこぶしをソリスの前にグッと出した。パンパンに膨らんだ二の腕には血管が浮かんでいる。

 その騒ぎに奥から飛び出してきた受付嬢は焦った。

「バルガスさん! 勝手に進めないでください。あなたはBランクなんですからテストには不向き……」

「Bランク、いいじゃないですか。倒したらAランクですよね?」

 ソリスは嬉しそうに微笑む。どうせテストしてもらうなら高ランクでないと困るのだ。

 えっ……?

 受付嬢は目が点のようになって固まる。華奢(きゃしゃ)な少女がBランク冒険者に挑む、その絶望的なまでの状況に喜ぶ意味が分からなかったのだ。

「はっはっは! 面白れぇ。どこまでその減らず口が叩けるか見ものだな……。来い!」

 バルガスはそう言ってアゴで裏の中庭を指し、ズシンズシンと床を揺らしながら歩いていく。

「ふふっ、久しぶりの戦闘は血が騒ぐわ」

 ソリスは嬉しそうにチョコチョコと男に着いていった。

「おぉっ! これは面白れぇ。みんな! 見ものだぞ!」「えっ! 何々?」「賭けだ! 賭けをやるぞ! ヒャッホゥ!」

 それを見ていたロビーの冒険者たちも、はしゃいでゾロゾロと着いていく。

「えっ! ちょ、ちょっと……。あぁ、どうしよう……」

 受付嬢は頭を抱えて宙を仰いだ。


       ◇


 中庭は広く、小ぶりの運動場のようになっており、弓の的や案山子(かかし)なども無造作に置いてあった。

 やじ馬たちは周りを取り囲むようににぎやかに騒いでいる。

「お嬢ちゃんに賭ける奴~!?」「バーカ、そんな奴いるかよ!」
「賭けたら総取りだよー!?」「じゃあ、俺が嬢ちゃんに銅貨一枚!」「そんな小銭ふざけんな!」

 ゲラゲラと下品な笑いが広場に響く。

 皮鎧姿のバルガスは、広場の真ん中ですらりと剣を抜くと、ザスッ! と剣を地面に突き立て、吠えた。

「クソガキは俺が(しつ)けてやる!」

 しかし、ソリスは武器など持っていない。

「ちょっと待ってね……」

 ソリスは脇にある物置小屋の中を物色する。かび臭い匂いの中、木刀や弓矢、棍棒などが並んでいる奥の道具箱にメリケンサックがあるのを見つけ、ニヤッと笑った。

「早くしろよ! 武器もねぇくせにつっかかってきやがって、どうしようもねーな!」

 鼻で嗤うバルガス。

「おまたせー」

 ソリスはチョコチョコと広場に出てくると、青いワンピースのすそをたくし上げ、キュッと結ぶ。そして、メリケンサックを掲げて嬉しそうにバルガスに見せた。

「な、何だそれは……?」

 バルガスは怪訝そうな目でメリケンサックを眺める。

「あなたは私のこぶしに倒れるのよ」

 ソリスはニヤッと笑うと、メリケンサックを手にはめた。そして筋鬼猿王(バッフガイバブーン)のように、こぶしを軽く握ると左腕を前に出し、ファイティングポーズをとる。

「は? お、お前、拳闘士……か?」

 こぶし一つでBランクの自分に向かってくる九歳の少女に、バルガスはうろたえる。丸腰の少女を斬り殺したとあってはさすがに寝覚めが悪い。

「本職は剣士よ。でも、剣だと殺しちゃいそうだし、ハンデあげるわ」

 ソリスはニヤッと笑い、クイックイッと指先で『かかってこい』と合図を出した。

 バルガスはギリッと奥歯を鳴らすと剣を高く振りかぶる。

「死ぬのはお前なんだよ! ガキが!!」

 バルガスは一気に地面を蹴ると、目にも止まらぬ速さでソリスに迫る。さすがにBランク、その速度は圧倒的だった。刹那、上段から繰り出される鋭い剣筋。ギラリと鈍い光を放ちながら一直線に刀身はソリスへと放たれた――――。

 キャァァァ!

 受付嬢の悲鳴の中、澄んだ金属音が響きわたる。

 キィィィィン!

 粉々になった剣の破片が、キラキラと太陽の光に煌めきながらあたりに飛び散っていく。

 へ……? は……? え……?

 バルガスもやじ馬たちも一体何が起こったのか分からなかった。ソリスはレベル125の驚異的な視力でバルガスの剣筋を見切り、筋鬼猿王(バッフガイバブーン)ゆずりのカウンター技で剣を粉砕したのだった。

「これで決まりよ!」

 次の瞬間、音速を超えたソリスのこぶしが衝撃波を放ちながら、バルガスの胸を撃ち抜く――――。

 ズンッ!

 鈍い音が中庭に響き、バルガスは目を真ん丸に見開き動かなくなった。

 一瞬の静けさの後、ドサッとバルガスは地面に崩れ落ちる。

 お、おぉぉぉぉ……。

 どよめくやじ馬たち。

 ふふっ。

 ソリスは満面の笑みを浮かべ、大空に向かって拳を突き上げる。

『女神様、ここから私の輝く生きざまが始まります! 見ててくださいよぉ!!』

 (まぶ)しい太陽を見上げながら、ソリスは決意のガッツポーズを見せた。

 おぉぉぉ!! すごい! うわぁぁぁ! 賭けとけば良かったぁ!!

 大歓声が中庭を埋め尽くす。

 ソリスは拍手で迎えてくれるやじ馬たちに微笑みかけながら、受付嬢に歩み寄る。

「これで、Aランク……ですよね? ふふっ」

「えっ……。そ、そうなる……かしら……?」

 受付嬢は鳩が豆鉄砲を食ったように目を白黒させながら、どう対応したらいいのか困惑してしまう。テストでBランク冒険者相手に勝った新人など聞いたことが無かったのだ。

「おい! ヒーラーだ! ヒーラー呼んで来い!」

 バルガスに駆け寄ったやじ馬が、ピクリとも動かない様子に慌てて声を上げる。

「あれ……、手加減って難しいのね……」

 ソリスは額を手で押さえて思わず宙を仰いだ。


        ◇


 ギルドの応接室に通されたソリスは、ギルドカード作りの手続きを進めていた。最初のランクは最高でもCランクということなので、ソリスもCランク冒険者からのスタートとなる。それでも以前はDランクだったので、ソリスは納得して書類に必要事項を埋めていった。

「それにしても幼いのにすごいのね……将来どうなっちゃうのかしら?」

 受付嬢はため息をつきながらソリスの筆先を見つめていた。九歳の少女がBランク剣士をこぶしで打ち倒したというのは前代未聞の偉業である。今からこの強さなら将来どんな英雄に育つのか想像もつかなかったのだ。

「まぁ、いろいろ事情があるんです……」

 チートで強くなっていることはあまり(ほこ)れることではない、と考えるソリスはあまり語りたくなかったのだ。

「もう少し早く来ていたら子龍討伐隊に加えてもらえたのに、残念だわ」

「龍の……討伐隊……ですか?」

 ソリスは顔を上げ、小首をかしげた。龍というのは伝説上の生き物であり、それこそ国造りの神話に登場するような、実在するかもわからない聖なる幻獣である。その辺の魔物とは意味が違う。それを討伐というのはどういうことか、ソリスにはピンとこなかった。

「なんでも、王家の威信を高めるため、子龍を狩ってはく製にして王宮に飾るらしいんです。それで、王都から騎士団、Sランク冒険者がしばらくリバーバンクスに逗留(とうりゅう)していたの。近くの街からもAランク以上の冒険者は駆り出されて同行するみたい」

「一大国家事業……ってことですか? 龍なんて狩っちゃって大丈夫なんですか? 聖なる幻獣ですよね?」

「さぁ……。でも国王陛下が決められたことなので、私たちには従うしかないのよね……」

「それは確かに……。ふぅ……」

 絶対王制の敷かれているこの国では王様は絶対だった。王命に逆らうものは国家反逆罪として無条件に即時死刑なのだ。誰も逆らえない。

「今朝、出発したからそろそろ戦っている頃かしらね。子龍は山奥にあるお花畑に住んでるらしいわよ?」

 ドクンとソリスの心臓が跳ねた――――。

 『山奥にあるお花畑』、ソリスには思い当たる場所が一か所しかない。

「も、もしかして……北の山の方の……?」

 真っ青になったソリスの手はカタカタと震えてしまう。

「え、えぇ。あの辺は結界が張られているようで、なかなか場所がつかめなかったそうなんだけど、昨晩ランタンがたくさん飛んだので位置が特定できたとか何とか……」

 ソリスはガバっと立ち上がると、助走をつけ、そのまま二階の窓から一気に飛び出した。

 慌てる周りの人など目もくれず、ものすごい速度で一直線に北の山を目指すソリス。

「マズいマズいマズい! セリオーーン!!」

 ソリスは混乱してグチャグチャになってしまった思考を正す暇もなく、北の山へと全力で駆けた。

 お花畑に暮らす子龍、それはどう考えてもセリオンのことだろう。子龍が翠蛟仙(アクィネル)のように人化して少年の姿をしていたとすれば、全ての違和感の辻褄(つじつま)が合ってしまうのだ。あんなところで一人で暮らしていたのも、薪が力任せでバキバキなのも、街へ行った時にすぐ帰ってくるのも、精霊王が恐れるのも龍なら全て説明がつく。

 あの優しくてかわいいセリオンが、王国の総力を挙げた討伐隊のターゲットになっている。それはとてつもなく破滅的な事に思えて、ソリスの目には自然と涙があふれてくる。

「ダメ……、止めてよぉ……。な、なんなのよぉ……」

 ソリスは涙をポロポロとこぼしながら、レベル125の人類最速の駆け足で一気に街道を突っ走っていった。


       ◇


 森の中で草藪を飛び越え、木々の間をすり抜け、疾走しているとズン! という爆発音が響き渡った。

「えっ!? な、何なの……?」

 こんな森の奥で、いまだかつて聞いたことの無い恐ろしい爆発。ソリスは心臓を締め付けてくる予感にほほを引きつらせながら、さらに木々の間を加速し、カッ飛んでいった。

「間に合ってぇぇぇぇ! セリオーン!!」


       ◇


 森を抜けると広いお花畑は戦場と化していた――――。

 二人が暮らしていた三角屋根の家は跡形もなく吹き飛ばされ、ブスブスと煙が上がっている。

 あぁぁぁ……。

 ソリスはブルブルと震え、信じられない光景に目を見開いた。

 昨晩までセリオンと仲良く暮らしていた愛しの我が家が、黒焦げの瓦礫(がれき)になってしまっている。そんなことが許されるのだろうか?

 見れば、百人は超えるであろう討伐隊たちの精鋭たちが、花畑の中で象くらいの大きさの青い小さな龍を取り囲み、執拗な攻撃を重ねていた。

「あ、あれが……セリオン……? くっ!」

 碧い美しい鱗に覆われた体にはあちこちに(もり)が突き刺さり、血が流れ、ズタズタに裂けた大きな翼は折れてしまっている。黄金に輝く鎖でぐるぐる巻きにされ、苦しそうにもがく子龍は大きな口を開け、辺りに火を吐き、何とか抵抗を続けているが既に大勢は決し、もはやその命も風前の灯火だった。
 ソリスは花々の上を飛ぶようにダッシュした。

 近づけば、その龍の優しい瞳は碧く、セリオンと同じ輝きを放っているのが見える。

「セ、セリオン! うわぁぁぁぁ!」

 ソリスは叫びながら討伐隊の囲む輪を一気に飛び越えると、今まさにセリオンに斬りかかろうとしている剣士に体当たりをかました――――。

「止めろぉぉぉ!」

 ぐはぁぁぁ!

 派手に吹っ飛んでいく剣士。

 ソリスは肩で息をしながら討伐隊を見回す。豪奢な装備や武器で固めた剣士、弓士、魔導士、僧侶、それに重厚な兵器、それは戦争をやるための王国の精鋭を集めた一個小隊の規模だった。

「お前ら何をしている! 龍は神聖なる幻獣、人が手を出していい相手じゃないぞ!!」

 ソリスは声を張り上げる。

 いきなりすっ飛んできた、ただものではない少女の乱入に討伐隊はざわつき、攻撃の手が止んだ。

「セリオーン!」

 ソリスはポロポロと涙をこぼしながら、血まみれの子龍に駆け寄る。

「お、おねぇちゃん……。に、逃げて……」

 セリオンは息も絶え絶えに答えると、力なくまぶたをおろし、ガックリと地面に崩れ落ちた。

「あぁっ! セリオン!」

 慌ててポーションを取り出して、飲ませようとするソリスだったが――――。

 パーン!

 剣が一筋、ポーションのガラス容器を砕き飛ばした。

「おい! 小娘! せっかく倒した獲物に何すんだよ!」

 それは先ほどソリスが体当たりした剣士だった。よく見ればその顔に見覚えがある。以前、邪険にしてきた若きAランク剣士のブレイドハートだ。

 ソリスはギリッと奥歯を鳴らす。

「何って、静かに暮らしている龍を、勝手に襲ってるあんたらから龍を守るのよ!」

「ふん! 弱い奴が狩られる。それがこの世界のルールだ。弱い龍が悪い。文句あるか?」

 ブレイドハートは青く輝く剣をソリスに突きつけ、鼻で嗤う。

「じゃあ、私があんたより強ければあんたが悪いのね?」

 ソリスは指先で刀身をつまみ、にらみつけた。

「はっ! 小娘が調子に乗りやがって! ……、あ、あれ……?」

 ブレイドハートは剣を振りかぶろうとしたが、ソリスに掴まれた刀身がビクとも動かないのだ。

「な、何をした? こ、コイツめ……」

 必死に剣を奪い返そうと渾身の力を込めて剣を引っ張った瞬間、逆にソリスは刀身をグッと押しこんだ。

「うわぁぁぁ!」

 ブレイドハートはもんどりうって転がっていく。

 Aランク剣士を子供のようにあしらう少女に討伐隊はどよめいた。

「これでわかったでしょ? あんたたちは弱い。龍を治療し、即刻退却しなさい!」

 ソリスは討伐隊を見回しながら叫ぶ。

 しかし、恥をかかされたブレイドハートは、怒りで我を忘れて突っ込んでくる。

「小娘ぇぇぇぇ! 死ねぃ!!」

 怒りに顔をゆがめたブレイブハートは剣を振りかぶると一気にソリスに迫った。Aランク剣士のすさまじい剣気で剣は青く輝き、目にも止まらぬ速度でソリスに放たれた――――。

 小僧が!

 ソリスはガシッとその剣を両手で受け止めると、そのままねじって奪い取る。Aランクとは所詮レベル60台なのだ。125のソリスにはそれは止まって見える。

 へ……?

 唖然とするブレイドハートに素早く一歩踏み込むソリス。

 こんのクソガキがぁぁぁぁ!

 往年の恨みも込め、一気にこぶしで胸を斜め上へ撃ち抜いた。

 ふぐぅぅぅぅ!

 ブレイブハートは宙をくるくると回ると、そのまま花畑に墜落し、転がっていった。

 おぉぉぉ……。こ、これは……。

 Aランク剣士を子供のようにあしらったソリスに討伐隊は動揺が隠せない。

 すると、黒地に金をあしらった豪奢なプレートメイルに身を包んだ大男が、ソリスに歩み寄りながら重い声を響かせた。

「おい! 小娘! 龍の討伐は国王陛下のご命令による王国の威信をかけた事業である! 邪魔立てするのであれば国家反逆罪、即刻死刑だ。この意味が分かるか?」

 巨大な幅広の剣を背負い、手には紋章入りの豪華な盾を握っている。紋章をよく見れば王家のものだ。近衛騎士団の団長だろうか? 

 銀髪の彼の顔には威厳と力強さが漂い、その立ち姿はまさに不動の要塞の如く見えた。ランクで言えばSランク。【若化】の呪いさえなければソリスの敵ではなかったが、今は華奢な九歳の少女である。容易に勝てる相手ではなさそうだ。

 しかし、このままではセリオンが死んでしまう。何とか戦意をくじき、帯同している僧侶にセリオンを治療させねばならない。

 しかし――――。

『できるのか……、そんなこと……』

 その限りなく無理筋なプランに、ソリスは冷汗を浮かべた。

「し、静かに暮らしている龍を殺すなんて、ありえないことよ! 例え国王陛下のご命令とあっても従えないわ!」

 ソリスはブレイドハートの落とした青い剣を拾い上げると、騎士団長に向けて構えた。

「なら、国家反逆罪だな……」

 騎士団長は黄金に輝く巨大な大剣をゆっくりと背中から引き抜くと、高く空に向けて掲げる。その瞳には嗜虐的ないやらしい光が浮かんでいた。

「総員戦闘態勢! 目標金髪少女!」

 騎士団長は大剣をソリスに向けてビシッと下ろした。

「ちょ、ちょっと! あんたたち! 見たでしょ? 私は強いのよ? 手加減なんてできないわ、殺しちゃうわよ? 止めなさい!!」

 ソリスは焦って討伐隊の面々を見ながら叫ぶ。

「馬鹿が! 王国の戦士たちは退かぬ! あるのは成功か死か、それだけだ」

「何言ってんのよ! 死んだら終わりなのよ? 国は何もやってくれないわ」

「ふんっ! 小娘こそ分かっとらん。国王陛下の命令は絶対。たとえ死ぬとて、無様に生きながらえる人生よりマシだ!!」

「死んだら終わりって言ってんのよぉ!! そもそも静かに暮らしている龍を殺すことに大義も何もないわ!!」

 ソリスは声をからし、必死に叫ぶ。

 しかし、騎士団長は鼻で嗤うばかりだった。

 人殺しなんかしたくない。何とか死者を出さずに撤退させたかった。しかし、手加減などしていたら自分もセリオンも殺されてしまう。

「くぅぅぅぅ……。馬鹿どもめ……」

 ソリスは剣をギュッと握りしめ、冷汗をタラリと流した。

「バリスタ! 前へ!」

 騎士団長が合図をすると、後ろからクジラに撃つような巨大な石弓(クロスボウ)の装置がゴロゴロと引き出され、ソリスに照準を絞った。装填された長大な(もり)は金色に輝き、何らかの魔法がかけられているようだった。最高級の防御力を誇るドラゴンの鱗をつきぬくほどの攻撃力は、この魔法のおかげに違いない。

「止めなさい! 殺すわよ!!」

 ソリスは絶叫した。

 さっきあれほど武威を見せたというのに、それでもなお攻撃を止めない。その馬鹿さ加減にギリッと奥歯を鳴らした。

 卑怯にもバリスタはセリオンにも当たるように狙いをつけている。(もり)をかわすのは簡単だが、かわしたらセリオンに当たるようにしているのだ。剣ではじいたとしても銛は長大で、軌道を大きく変えられる自信がなかった。

「安全装置解除!」「安全装置解除! 発射準備完了!」

 射手がてきぱきと仕事をこなしていく。

「止めろって言ってんでしょ! まずあんたから殺すわよ!」

 射手を指さしながら、もはや泣き声で絶叫するソリス。

 しかし、騎士団長はニヤリと無慈悲な笑みを浮かべると叫んだ。

「ファイヤー!!」
 
 ドシュッ!

 長大な銛が黄金の輝きを放ちながら一直線にソリスに迫る。

 くっ!

 避けてはダメ、弾くのもダメであれば受け止めるしかない。

 ソリスは剣を放り投げ、全神経を銛の軌道に集中させた。

 果たして銛の柄をガシッと握りしめたソリス。まばゆい閃光が銛から放たれ、後ずさりしながら必死に力を込めて銛を何とか止めていく。

 くぅぅぅぅ……。

 その直後――――。

 ザスッ!

 ソリスの首に衝撃が走った。

 え……?

 なんと、卑怯にも騎士団長が銛に合わせてとびかかり、一気にソリスの首を()ねたのだ。

 首から伝わる激しい熱を感じながらクルクルと舞う風景。そして、目の前の景色が漆黒に染まっていく――――。

 おぉぉぉぉ!

 奇襲成功に沸く討伐隊。

「成敗!」

 騎士団長はニヤリと笑いながら大剣をビュッっと振り、刀身についたソリスの血を払った。

「さすが団長!」「(しび)れましたよ!」「頼りになります!!」

 いきなり現れた謎の少女を鮮やかに討ち取った騎士団長に、一同はホッとし、偉業の達成を喜んだのだった……が。

『レベルアップしました!』

 黄金に光り輝いたソリスの遺体は次の瞬間、一回り小さな少女となって騎士団長へと跳びかかる。

 へっ!?

 すっかり油断していた騎士団長は回避が遅れた――――。

 ゴスッ!

 重く鋭いレベル126のパンチが騎士団長の顔面を撃ち抜いた。

 ゴフッ……。

 一発で意識を持っていかれた騎士団長はそのまま崩れ落ちていくが、ソリスはそれを許さない。

 うおぉぉぉりゃぁぁぁ!

 下から腹部を斜め上に撃ち抜き、プレートメイルを凹ませながら騎士団長の身体を宙に浮かせると、再度顔面にパンチを叩きこんだ。グシャッと嫌な音が響き渡る――――。

 あぁぁぁ……。 ひぃぃぃぃ!

 その一瞬の惨劇に討伐隊は震えあがる。討ち取ったはずの少女に騎士団長が瞬殺されてしまった。それは信じられない光景だった。

 ソリスは手をブンと振り、こぶしについた返り血を振り払うと、無表情のまま、騎士の黄金の大剣を拾い上げる。

 殺す……。

 ギラギラと不気味な光をたたえた瞳で、討伐隊をぐるりと見渡すソリス。

「殺していいのは、殺される覚悟を持った者だけだ!!」

 八歳の少女は吠えた。

 討伐隊の面々はその迫力に気おされ、冷汗を浮かべながらじりじりと後ずさりする。それぞれ王国のトップクラスの実力者ではあったが、少女の人間離れした攻撃力にはとてもかないそうになかったのだ。

「覚悟しろ!!」

 ソリスは全身で叫ぶと、自分の身の丈もある大剣を下段に構え、渾身の力を込め地面を蹴った。

 ドン!

 衝撃音と共に音速に達したソリスは、まるで弾丸のように花畑を飛ぶように疾走する。

 うわぁぁぁ! キャァァァ!

 一斉に逃げ出し、阿鼻叫喚となる討伐隊。

 殺したはずの謎の最強少女が生き返り、騎士団長は倒された。それは考えうる限り最悪の展開だったのだ。

 ソリスはもはや手加減をやめた。殺さねば殺されるのだ。

 うぉぉぉぉぉ!

 花畑にソリスの血の叫びが響き渡った。
 必死に逃げるバリスタの射手たちに一瞬で迫ったソリス――――。

 うぉぉぉりゃぁぁぁ!

 たったひと振りで彼らを瞬殺すると、大きく息をつき、次のターゲットを見定めるべく辺りをギロリと見回した。

 すると、騎士たちが五、六人固まって隊列を組み、ソリスに剣を向けている。どうやらこの絶望的状況でも攻撃してくるらしい。

「何? あんた達……。勝てるとでも思ってんの?」

 八歳の少女はイラついて、血の付いた大剣をビシッと騎士たちに向けた。

「お、王国の騎士は敵に背中は見せんのだ!」

「はぁ……? 死ぬ……のよ?」

 ソリスはそのバカげた忠誠心に、ウンザリしながら小首をかしげる。

「敵前逃亡は末代までの恥! か、勝てなくても全力は尽くすのだ!」

 剣は恐怖で震えているというのに、なぜ、大義もないくだらない命令に命を賭けるのか? ソリスには全く意味が分からなかった。

 と、この時ソリスの脳裏に、自分も組織のために自己犠牲を払って破滅したような苦い記憶がおぼろげながら蘇ってきた。

 え……?

 しかし、それが一体何だったかは思い出せない。

「突撃ーー!!」「うおぉぉぉ!」

 騎士たちは楯を構え、隊列を組んだままソリスに突っ込んでくる。

 降りかかる火の粉は払わねばならない。

 ソリスはキュッと口を結ぶと、一気に()ぎ払ってやろうと大剣を下段に構え、剣気を込めて大剣を黄金色に輝かせた――――。

 と、この時、ソリスは妙な違和感に襲われる。この無謀な突撃がただの玉砕には見えなかったのだ。隊列があまりにも整然としすぎており、何かしらの計画が背後にあるとしか思えなかった。

「怪しい……な……」

 ソリスは大剣を手放すと、転がっていたバリスタ用の銛を拾い上げる。

 黄金に輝く魔法の銛を軽く放り投げ、重さと重心の具合を見定めたソリスは軽くうなずく。

 ガッシリと握り直したソリスは、タタッと助走すると槍投げの要領で思いっきり振りかぶり、渾身の力を込めて放った――――。

 うりゃぁぁぁ!!

 ドン!

 銛は音速を超え、激しい衝撃波を放ちながら、先頭を走ってくる中央の騎士に一直線にすっ飛んでいった。

 ひっ!

 黄金に輝く砲弾のような銛に、騎士は反射的に避けようとしたが、とても間に合わない――――。

 黄金の銛は盾を軽々と貫通。瞬く間に騎士の身体をも貫いていく。さらに勢いを失うことなく後方に身を隠していた魔導士たちにも命中し、彼らを次々と倒していった。

 グハァ! ぐあぁぁ!

 刹那、秘かに発射準備が整っていた魔法が暴発し、大爆発を起こす。

 ズン!

 地震のような激しい衝撃を伴いながら、まばゆい巨大な炎の球に飲まれていく騎士たち――――。

 うはっ!

 ソリスはとっさに顔を背け、その激烈な衝撃波に耐える。

 なんと、彼らはソリスが近づいてきたら、魔法で爆殺してやろうと考えていたのだ。ソリスはその恐ろしい手口に思わずぞっとして首を振った。

 彼らは自分を殺すためなら、もはやなんだってやるのだ。見回せば、まだ隊列を組んでいる騎士たちが何グループもソリスに剣を向けている。

「お前ら降伏しろ! 降伏しない限り皆殺しだ!!」

 ソリスは叫んでみたが、彼らに動きはない。

 もう、お互い後には引けない地獄に足を踏み入れてしまっていることを、ソリスは嫌というほど思い知らされた。


        ◇


 四方からジリジリと迫ってくる隊列――――。

 ソリスは黄金に輝く銛をさらに一本拾うと、隊列の一つに向けて投げるふりをしてみる。

 すると、慌てて距離を取るのだが、その間に他の隊列が迫ってくる。まるで『だるまさんがころんだ』状態だった。

 そのうち、弓が隊列の後ろから放たれ始める。

「馬鹿が……」

 ソリスは軽くステップを踏み、弓の軌道から外れながら銛を放つ。銛は一直線に隊列を崩壊させ、悲痛な叫びが花畑に響き渡る。

 しかし、それでも彼らは次々と向かってくるのだ。

 ソリスはウンザリした。なぜ、静かに暮らす龍を守るだけのことで、こんな殺し合いをせねばならないのかもはや理解不能だった。

 とはいえ、向かってくる者は倒さねば殺されてしまう。ソリスは無表情にただ、銛を投げ続けた。

 ひぃぃぃぃ! うわぁぁぁ!

 銛が黄金の光跡を描きながら騎士たちを吹き飛ばすたびに、悲痛な声が響き渡る。しかし、向かってくる者には手加減などできない。

 どのくらいの銛を投げただろうか? やがて、討伐隊たちはソリスと距離を取り、膠着状態が訪れた――――。

 ソリスは肩で息をしながら辺りを見回す。それでもまだ彼らは諦めるという選択をせず、じっと獲物を見る目でソリスを見つめていた。

 このバカバカしい殺戮劇にウンザリして首を振るソリス。

 その時だった。セリオンの方から声が響いた。

「話し合おう!!」

 それはブレイドハートだった。ソリスは振り返る。

 見ればブレイドハートは、ぐったりとしているセリオンののど元に剣を突き立てているではないか。

「はぁっ!? セリオンから離れろーー!!」

 ソリスは怒鳴ると大剣を拾い、一気にセリオンのところへ行こうとした。

「動くな!!」

 ブレイブハートは剣に力を込める。

 くっ……!

 ソリスは足を止め、奥歯をきしませながらブレイドハートをにらみつけた。

「君の大切な龍を傷つけてしまった。申し訳ない。治療もする。だから、剣をしまってくれないか?」

 ブレイブハートはブラウンの長髪を風になびかせながら、にこやかに言った。その瞳には優しさがにじんでいる。

 しかし、いけ好かないこの若造の言うことを素直に信じるわけにもいかない。『オバサン』と邪険にされ続けてきた身からすると、善意で彼が動くとは到底思えなかったのだ。


「治療が最優先よ。家まで焼いてくれちゃって、賠償とかもしっかりやってもらうから!」

 ソリスはブレイブハートを鋭い目でにらみつける。

「OK! 賠償は前向きに話し合おう。その代わり、準備が整うまで君はそこを一歩も動かないでほしい」

「……。どういうこと?」

 ソリスはけげんそうに小首をかしげる。いよいよきな臭い。一気に突っ込んでいって斬ってしまおうかとも考えたが、セリオンのことを考えるとうかつには動けない。

「君のような凄腕の剣士にチョロチョロされたら、治療する方も怖がってしまうだろ?」

「そんなのあんたらの都合でしょ?」

「交渉決裂……ですか?」

 ブレイブハートはわざとらしく悲しそうに言う。そのムカつく態度にイラっとさせられたソリスだったが、セリオンの治療がすべてに優先される今、こんなことでもめている場合ではない。

「分かったわよ! ここにいるわ。その代わりちょっとでも変なことしたらすっ飛んでってぶった切るわよ!」

 ソリスはそう言うと花畑の中にポスッと座り込んだ。

「ありがとうございます。僧侶の方集まってくださーい!」

 ブレイブハートはうやうやしく頭を下げると治療の準備を始めた。

 ふんっ……!

 ソリスは変な事をしないか、じっとブレイドハート達をにらんでいた。いけ好かない若造ではあるが、街の若きホープである。能力はそれなりに高い。玉砕覚悟の討伐隊の面々も揉めることもなくまとめているようで、事態は収束しそうな雰囲気が漂いはじめた。

「これから治療魔法を使います。少し光りまーす!」

 ブレイブハートはソリスに手をあげて叫ぶ。

「ひ、光る……? 何よそれ?」

 ソリスは何を言っているのか分からなかった。そんな治療魔法など聞いたこともなかったのだ。

 その時、青空が赤く輝いた――――。

 へ……?

 見上げた瞬間、ソリスの目に飛び込んできたのは、真上に浮かぶ真紅の巨大な魔法陣だった。魔法陣は膨大な魔力をはらんでパリパリと周囲にスパイクを散らせている。

 しまった!!

 ソリスは地面を思いっきり蹴ってその場を飛び出す。

 刹那、激しい真紅の閃光が空から花畑に降り注いだ――――。

 ズン!

 天空と大地が激光に染まるその瞬間、激しい爆発が美しい花畑を一瞬で覆い尽くす。

 ぐはぁぁぁ……。ひぃぃぃぃ!

 討伐隊メンバーの苦痛の声があちこちから漏れ聞こえてくる。

 やがて訪れる静寂――――。

 花畑にポッカリと開いた巨大なクレーターから、灼熱のキノコ雲が猛々しい熱線を放ちながらゆっくりと空に昇っていく。その光景はまるでこの世の終わりのようで、周囲には黄金色に輝く微粒子が幻想的に舞っていた。

「やったか!?」

 焼け焦げた花畑からブスブスと煙が立ち上る中、ブレイブハートはクレーターに駆け寄り、辺りを見回す。そこには大爆発で開いた赤茶けた土の穴が広がっているばかりだった。

「先生! やりましたよ! 小娘は跡かたなく吹っ飛びました!!」

 ブレイブハートは振り向くと、セリオンの陰から姿を見せた大魔導士に嬉しそうに叫んだ。

「はしゃぐな、小僧!」

 豪華なダマスク柄のローブをまとった大魔導士は一喝する。知識と力の象徴である古代の杖を携えた彼の白髪と豊かな髭は、研鑽(けんさん)の歳月による深い知恵を感じさせ、その眼差しはどこか遠くを見つめていた。

 ブレイブハートはソリスの死角に大魔導士を呼び、他の魔導士と共同で究極の炎魔法【煉獄(インフェルノ)審判(ジャッジメント)】の詠唱を続けてもらっていたのだ。

「はっはっは! 馬鹿な小娘め! 蒸発させてしまえばもう生き返れまい。王国の精鋭たちをなめんなよ!」

 ブレイブハートは愉快そうに笑う。

「ヤッター!」「大魔導士様、バンザーイ!」

 討伐隊の歓喜の声が焼け野原に響き渡る。恐怖の象徴であった少女の影が消え去り、皆がその解放感に喜びを爆発させた――――。

『レベルアップしました!』

 クレーターの底に何かが黄金色に鮮烈に輝く。

 へ……?

「殺す!」

 七歳の少女が黄金の輝きの中から飛び出してくる。七歳になってかなり減衰したもののレベル127の前代未聞の戦闘力はまだ人類最強クラスだった。

 慌てて剣を構えるブレイドハートだったが、ソリスの憤怒の拳が唸りを上げ剣を粉々に粉砕する。

「騙しやがったなぁぁぁ!!」

 ソリスは顔面めがけてこぶしに力を込めた。

 その時だった――――。

 ザスッ!

 ぐふっ……。

 いきなり胸に激痛が走り、凍り付くソリス。

 見ればブレイドハートの腹部から氷の槍が伸び、自分の胸を貫通しているではないか。

 ぐほぉ……。くぅぅぅぅ……。

 ブレイブハートは泡を吹きながら倒れ、その後ろには大魔導士が冷徹な目をソリスに向けていた。

「お、お前……、味方ごと撃つなんて……」

 ソリスはガックリとひざをつき、胸から伸びる氷の槍をつかんだ。

「彼もお国のために死ねて本望じゃろう。で、貴様は何者じゃ? なぜ生き返れる?」

「め、女神に連なる者……よ……」

 息も絶え絶えになりながらソリスは大魔導士を見上げ、にらんだ。

「ほう? 女神……、道理で聖なる光を纏っておったか。じゃが、この国ではもはや聖なる力は毒じゃ。安らかに眠れ……」

 大魔導士はつまらなそうにそう言うと、杖を振り、目の前に青い魔法陣を次々と浮かべ輝かせた――――。

「や、止めろ……」

 ソリスは何とか逃げようと思うものの、血を失いすぎておりもはや力も入らなかった。

 無慈悲に次々と放たれる氷の槍が、ソリスの体を貫いていく――――。

 ふぐぅ……。

 その無数の刺し傷からは命が流れ出し、ソリスは痛みと無力感に襲われながら、まだ熱気を放つクレーターの中へと転げ落ちていった。

 痙攣(けいれん)していたソリスはガクッと身体を力なく大地に預け、その瞳は徐々に光を失っていく。

『レベルアップしました!』

 黄金の輝きに包まれるソリスの遺体。

「死ねぃ!」

 蘇生直後を狙って冷徹に撃ち込まれる氷の槍。

 ぐはぁ……。

 六歳のソリスは全身を貫く激痛の中、この世から消されるという予感に恐怖した。大魔導士の攻撃を避ける方法を考え出さねば、全てが終わってしまう。このままではセリオン、フィリア、イヴィット、誰も救うことができないまま消え去る運命なのだ。それだけは、何としても避けなければならなかった。

『レベルアップしました!』

 黄金の輝きがまだ残る中、五歳のソリスは思いっきり身をひるがえし、攻撃を避けながらクレーターを逃げ出そうと跳びあがった――――。

 ガン!

 ソリスは見えない壁にぶつかって、そのままクレーターの底に転がり落ちた。そこに打ちこまれる氷の槍。ソリスは無念の中、またも殺されてしまう。大魔導士は逃げられないように、あらかじめクレーターに魔法で透明のフタを施していたのだった。確実に息の根を止めてやろうという老練の大魔導士の徹底したやり口にソリスは戦慄し、無力感に(さいな)まれる。

『レベルアップしました!』

 四歳のソリスは必死に活路を見出すべく奮闘するが、レベル130に達したとはいえ、もはや四歳では力も弱く、逃げ出すことは叶わなかった。

『レベルアップしました!』『レベルアップしました!』『レベルアップしました!』『レベルアップしました!』

 ついにその時がやってきた――――。

 ワンピースにくるまれた生後六ヶ月の赤ちゃんとなって転がるソリスは、もはや立ち上がることもできない。無念をかみしめながらギロリと大魔導士を見上げるばかりだった。

 大魔導士は何も言わず、じっと可愛い赤ちゃんを見下ろす。

『なによ? 殺しゃ()ないの?』

 うまく動かない口でゆっくりと言葉を紡ぐソリス。

 多分、次の一撃で自分はこの世を去るだろう。大切な人達を結局一人も救うこともできず、女神との聖約も守れず、無様に殺されていくのだ。あまりの無念に胸がつぶれそうだった。

「女神の使い……。遅すぎだ。なぜ今頃現れる?」

 大魔導士は悲しそうに首を振る。

「何がおしょ()いって言うのよ?」

「大義のない龍狩り。こんなのクズだってことはワシもよく分かっとる」

「なら……」

 ソリスは色めき立った。最強の大魔導士が理解しているなら、そこに一縷(いちる)の望みがあるように見えたのだ。

「若い時、魔道アカデミーの連中とクーデターを起こした。こんなくだらない制度ぶっ壊すべきだとね?」

 え……?

 ソリスは王国を代表する大魔導士の口から出た王政批判に驚かされた。こんな言葉が誰かに知られたら大魔導士も処刑されてしまうだろう。

「だが、市民の通報により計画は瓦解。自分は卑怯にも司法取引で首謀者の情報を提供する代わりに無罪放免……最悪だった……」

 大魔導士は苦しそうにうつむく。

「市民……が?」

 絶対王政で(しいた)げられているはずの市民が、なぜクーデターを崩壊させたのかソリスにはピンとこなかった。

「得をするはずの市民が味方を背中から刺したんじゃよ。信じられるか? まさに『肉屋を応援する豚』。度し難い愚民どもの馬鹿さ加減にホトホト嫌になってな……。ワシはもう二度と市民の味方などしないと誓ったんじゃ」

しょ()れは……」

「お前はなぜあの時現れなかったんだ? お前がいたら国王軍など一掃できたろうに」

 大魔導士は恨みがましい目でソリスを射抜く。

「い、今からだっておしょ()くないわ!」

 赤ちゃんは必死に口説く。しかし、大魔導士の心には響かない。

「もう全てが手遅れじゃ。もうこの歳じゃ、そろそろお迎えも来るじゃろう。わしは例え女神の敵となろうともこのクソッたれな絶対王政を守り、死んでいくんじゃ」

 肩をすくめ、首を振る大魔導士。

「イヤよ! お願い、手を貸して!」

 ソリスは手をバタバタと動かし、何とか説得しようと必死になった。

「さらば、お嬢ちゃん。女神にはよろしく伝えてくれ……」

 大魔導士はそう言うと杖をゆっくりとソリスに向けた。今までより大きな魔法陣が浮かび、どんどん鮮やかに眩しく青く輝いた。

「イヤ! ダメ! やめてぇぇぇ!」

 必死に叫ぶ赤ちゃん。しかし、その魂の叫びは大魔導士には届かなかった。

 ザシュッ!

 ひときわ大きな氷の槍が放たれ、無慈悲にも赤ちゃんを貫いた――――。

 ぐふぅ……。

 孤軍奮闘を続けてきたソリスに、ついに最期の時が訪れる。

『レベルアッ繝励@縺セ縺励◆?』

 一瞬黄金の輝きを放った赤ちゃんの遺体は、直後、不気味な漆黒の球へと変貌する。それはまるでブラックホールのようにあたりの空間をゆがめた。

「こ……、これは……?!」

 とてもこの世のものとは思えない、恐るべき異様さを放つ球への予想外の変貌だった。大魔導士は魂の奥底から湧き上がる恐怖に耐えきれずに後ずさる。

 ピシッ!

 刹那、空間が鋭く割れ、漆黒の球から伸びる亀裂が大空を貫いた。その亀裂は氷の中を走るひび割れのように、白く薄い反射面を持ち、数千キロメートル先まで一気に空間を裂きながら走っていく。それは結局誰も助けられなかったソリスの張り裂けんばかりの魂の嘆きのようにも見えた。