シアンさんにとって、冒険者としての一番最初の難敵。それがリンダ先輩だったことは果たして喜ぶべきことなのか哀しむべきことなのかは僕にはもう、判断できない。
ただ現実の話として今、まさしくリンダ先輩の大斬撃を最後の力を振り絞って打ち破ろうとする、彼女を応援しなくてはならない局面であることは間違いなかった。
「キェェェアァァァァァァッ!!」
「…………ッ!!」
猿叫──ヒノモトの剣術の一派で用いられるという、まさしく猿にも似た雄叫びをあげてリンダ先輩が突進する。その勢い、速度はこれまでよりもなお一段と早い。
ここに来てトップスピードで来たかー!
「シアンッ!!」
「思い出すでござる、シアン! 冒険者に一番必要なものを!!」
「…………」
レリエさんとサクラさんの声を受け、シアンさんがまっすぐに構える。その瞳はなおも内なる焔に煌めき、最後までチャンスは逃すまいという闘志で溢れている。
冒険者に一番必要なもの……そうだ、それだよー。今のシアンさんがリンダ先輩に勝てるとしたら、その差でしかない。逆に言えば、そこで上回れば、あるいは!
「……団長、行け! 今があなたの最初の冒険だ!!」
「っ──ぁ、ああああああっ!!」
「!?」
僕からの声をも受けて、シアンさんはついに行動に出た──勢いよく、前のめりに突撃する。
リンダ先輩の上段に対して、極めて低空姿勢で駆け出したのだ! 大斬撃を前になお恐れない、勇気ある突進!
これだ! この勇気こそ、彼女がたった一つ撃てる最後の一撃!!
「何ッ!? くうっ!?」
振り下ろす前に接近されて、リンダ先輩の目論見が完全に外れた! 咄嗟にブレーキをかけて横に飛び退こうとするももう遅い、そこはシアンさんの反撃圏内だ!
「おおおおおおっ!!」
「っ、貴様、エーデルライトッ!?」
左手で、飛び跳ねようとする先輩の服を掴み引き寄せる。バランスを崩して今度こそ倒れ込む彼女の、顔めがけてブロードソードが突きつけられる!
しかしリンダ先輩も黙ってやられはしない、咄嗟に体を回転させて左手を弾き、土壇場で剣を回避。カウンターで刀を、横薙ぎに放とうとして────
「甘いっ!!」
「ウグッ!? ────か、ハァッ!?」
それさえ読んでいたシアンさんが、足を引っ掛けてリンダ先輩を足元から崩した。回転の軸となった右足を刈り取られれば、あっけないほどにこけて地面に倒れ込む。衝撃に刀さえ手からこぼれ落ちて、完全に無防備な状態だ。
あとはもう終わりだね。ブロードソードの切っ先を今度こそ先輩の眼前に突きつけて…………勝者は、高らかに叫んだ。
「私の勝ちだ……リンダ・ガル!!」
「な、ぁ…………」
呆然とした決着。敗者たるリンダ先輩は、今何が起きたのかまるで理解できない様子だ。
それでも目の前の剣が、少しでも動けば次の瞬間自分は死ぬということは理解していて動けない。身動きを封じられた以上、これは紛れもなく勝敗が決まったと言えた。
「せ、先輩……!?」
「会長、そんな……そんな……!!」
後ろで生徒会の二人が唖然とつぶやくのも遠く聞こえる。僕も今、感動にも近い安堵が胸いっぱいに広がっていた。
勝ち負けがどうのより、まずはシアンさんが無事だったことが何より喜ばしいよー。そして、彼女が一つの壁を乗り越えたこともね。
サクラさんがホッと息を吐きつつ、満面の笑みで言う。
「やり遂げたでござるな……今まさに、シアンは冒険者に最も必要なもの、勇気を手にしたでござる」
「勇気……?」
高らかにシアンさんが得たもの、見出した新たな境地を語る。僕も頷いて同意すると、レリエさんが首を傾げて疑問符を頭に浮かべていた。
勇気。言葉にすれば簡単なそれは、けれど真の意味で体得するのはひどく難しい。何をもって勇気とするのか、その判断基準が曖昧だってこともあるしね。
ただ、今回の場合で言う勇気とは至って単純な定義ではある。冒険者にとっての勇気、という意味ならとてもシンプルなものだからねー。
「たとえ死地にあっても前に踏み込み、僅かな希望にすべてをかける心持ち。言うは易く行うは難しの典型でござってなこれ、実際にできるかどうかって話だと案外、難しいことなんでござるよね」
「……そうだね。今の踏み込みだって、同じことができる冒険者がどれだけいることか」
視線を前に、怯むことなく前に進める精神性。眼の前に広がる未知に怖がることなく、道なき道を歩いていける信念。それこそが僕達冒険者にとっての"勇気"なんだ。
そしてそれを今、シアンさんは見事なまでに示して見せてくれた。リンダ先輩の一撃必殺の大斬撃に、あえて突進することでね。
振り下ろされる前に極端に密接して攻撃を封じつつ牽制と攻撃に転ずる──理屈通りで言えばこれ以上ない大斬撃対策だ。すさまじいスピードで馬鹿げた威力の斬撃を繰り出してくる敵に、正面から挑める度胸があればね。
普通の冒険者はなかなか、そこまでの度胸は持てないだろう。無謀と紙一重だもの、気持ちはわかる。
けどそれを思いつき、実際に行動に移せる者にこそ未知なる景色が広がっているんじゃないかと思うんだよねー。勇気こそが冒険者の道行きを照らす、一筋の光なのだから。
そういう意味で今回、シアンさんはそれこそ真の冒険者としての第一歩を踏み出せたんだと思うよー。
「ぐ、ぅ……! おのれ、エーデルライト……!!」
「勝負……あり、です。武器を、捨て……投降、なさい……リンダ・ガル!」
悔しげに、憎悪さえ込めた視線を投げかけるリンダ先輩へと、なお油断することなく剣を突きつけて投降を呼びかけるシアンさん。
息こそ切らしてないものの体が微かにふらついている。今度こそもう限界だな、これは。僕とサクラさん、レリエさんは彼女に近づく。
サクラさんが戦い終えた勇気ある冒険者の肩を抱き、優しく引き寄せた。
心からの嬉しさと敬意を込めた声で、話しかける。
「よくやったでござる、シアン。あとは拙者らでテキトーに手打ちしておくでござるよ」
「サクラ……か、勝てたわ、なんとか……」
「見てたでござるよ、大したもんでござるー。シアンこそ拙者と杭打ち殿を率いる、新世界旅団の団長に相応しいと確信したでござる。ござござー!」
「あ、りがとう……ふ、ぅ」
「シアン!」
大変な試練を乗り越えた、実感をようやく持てたんだろうねー。糸の切れた人形のように全身の力が抜けたシアンさん。その身体を、レリエさんがすかさず抱きとめる。ナイスー。
そのままお二人さんには後方に下がっていただいて、じゃあここからは僕とサクラさんの出番だねー。
サクラさんによる指導の一環として利用したところはあるけど、それはそれとしてこの狼藉は高くつくよ、先輩方ー?
さしあたって僕はすかさず、地面に落ちた刀に手を伸ばそうとした先輩の足を踏みつけた!
「があっ!? き、貴様……!! よくも私を足蹴に!!」
「先輩! 杭打ち、あなたなんてことを!!」
「最低! やっぱりあなたは冒険者じゃ──」
「うるさいよ」
決着がついてなおキャンキャン吠えるなと、弱めにだけど威圧をかける。それだけで息が止まったみたいに全身を硬直させてしまう程度で、戦いもしなかった人達が粋がってるんじゃあないよー。
取り巻きの二人に比べればまだ、真っ向勝負を挑んだだけリンダ先輩はマシっちゃマシかもね。容赦なく踏みつけてるけどー。
もちろん、仮にも三度目の初恋だった人を踏みつけるのに抵抗がなかったわけじゃない。ただ、今の僕にはもう、この人はシアンさんを傷つけようとした差別主義者でしかないから。
足蹴にして負け犬呼ばわりすることに、大した躊躇もありはしないよ。
「……君の負けだ」
「くっ……!! おのれ、おのれおのれっ!! 貴族に野良犬が、冒険者を騙るクソどもが、よくもこの私をっ!!」
「よくそこまで自分を大層に扱えるもんでござるなー。親の教育ってやつでござるか? いっぺん面ァ見てみたいもんでござるよ、どうやったらここまで見苦しい輩に育てられるのでござるー? って質問したいでござる」
「ヒノモト女ァッ!! 我が両親への侮辱は許さんぞォーッ!!」
じゃあ侮辱されるようなことしないでよ、娘さんのあなたがさー。
ひたすら自分の都合のいいことしか言わないんだから、いい加減嫌になってくるよー。
まあ、サクラさんの物言いもさすがにキツすぎというか。リンダ先輩のことはリンダ先輩の話であって、会ったことも見たこともない親兄弟をあげつらうのも違う気はするよー。
ヒノモト流の煽り文句なんだろうか? ワカバ姉も大概、度を超えた弄りをしがちだったなあって思い返すなあ。それでやりすぎて、レジェンダリーセブンの中でも随一に地雷の多いミストルティンに殴り飛ばされてたんだった。懐かしー。
「……失せろ」
「く、くそっ……」
威圧で抵抗の意志を殺いだことを確認して、先輩の手から足をどける。ついでに転がってる刀は遠くに蹴っ飛ばしておこー。
さすがにここまでされてはすっかり意気も挫けたようで、力なく呻き、彼女はのそのそと這いずって取り巻き二人に介抱された。
率直に言えば惨めったらしい敗者の姿だ。せめてもう少しまともな理由で喧嘩を仕掛けてきていれば、僕だってここまで辛辣にならずに済んだかも知れないのにねー。
本当に残念だよー。
「リンダ・ガル……杭打ちさんは、そして我々新世界旅団はオーランド・グレイタスを拉致などしていない。彼は彼の信念のもと、冒険者としてマーテルさんとともにはるかな旅に出た」
「嘘をつくなっ……杭打ちめが卑劣にも拉致をしたのだ! そう仰っていたのだ、あの方がっ!!」
「あの方……?」
気になることを言うね、あの方ってどちらの方かな?
さっきも思ったことだけど、先輩方にとんでもないデマを吹き込んだ輩が確実にいるようだ。結果として僕らが多大な迷惑を被ってるわけだし、ここはぜひとも聞き出してその方の拠点を杭打ちくんでぶち抜いてやりたいところだよー。
シアンさんやサクラさんもちょっと目を細めて耳を澄ましているね。思うところは僕と似たようなものだろう。特にシアンさんなんて危うく大怪我だ、僕より怒り心頭かもしれない。
唯一、古代人のレリエさんだけはひたすらシアンさんの心配をしている。ああ、優しいよー尊いよー。やっぱり素敵な人だよー惚れそうー惚れてるー。
思わず素敵な彼女に見とれていると、そのうちにリンダ先輩が悔しさと憎しみをまぜこぜにした叫びをあげた。
デマの出処……あの方とやらの名前をついに出したのだ。
「あの方……! プロフェッサー・メルルークが! たしかに仰っていたのだ! 第一総合学園一の天才にしてエウリデ一の賢者の言うことだ、間違いないに決まっている!!」
「…………教授が?」
プロフェッサー・メルルーク──モニカ・メルルーク教授。
僕にとっても馴染み深い名前のその人が、まさかのデマを吹き込んだ犯人だとリンダ先輩は言った。
僕がオーランドくんを拉致してマーテルさんを国に引き渡した──なんて、意味の分からないデマをリンダ先輩に吹き込んだ張本人、モニカ・メルルーク教授。
プロフェッサーとも呼ばれて第一総合学園の学生のみならず、エウリデや諸外国の人達からも尊敬されている才女たる彼女は、僕にとっても縁深い人である。
「何しろ彼女も元調査戦隊メンバーで、何を隠そう僕の相棒こと杭打ちくんを製作してくれた人だからねー。今でも週一くらいのペースで杭打ちくんのメンテナンスや改良をしてもらってるし、仲が悪いって感じでもないよー」
敗北したリンダ先輩を、生徒会の二人がえっちらおっちら担いで遁走して後、僕達もシアンさんを担いで迷宮から出て拠点に戻っていた。
サクラさんが借りている一軒家──なんと僕の家のある通りの一つ隣の通りにあるという、まさかのご近所さんだー! ──にお邪魔して、シアンさんの回復を待ちながらもモニカさんについての話をしているのだ。
彼女の来歴と僕とのつながり、特に杭打ちくん絡みで今も親交があることを打ち明けて僕は、だからこそと告げる。
「あの人が僕に対して悪意をもってデマを撒いた、その可能性は限りなく低い……けど」
「けど? 何か懸念があるでござるか?」
「彼女の助手をしている彼がね……モニカ教授のお兄さんで同じく元調査戦隊メンバーの、ガルシア・メルルークっていうんだけど。ぶっちゃけ僕のこと憎んでるんだよねー」
肩をすくめる。そう、あるとすれば教授でなくその兄ガルシアさんだ。彼なら僕に対して悪意ある噂を、僕に対して憎悪を抱く者に吹き込むことだって平然とやるだろう。
彼とのつきあいはそれこそ調査戦隊入ってすぐからのことなんだけど、その時点ですでに僕らの仲は最悪だった。
僕はその頃まともな人間では断じてなかったし、彼は彼で、レイアに淡い想いを抱いているから構われっぱなしの僕は気に入らなかったしで、ひたすら喧嘩を売ってきてたりしていたのだ。
そうなるとその辺の機微を察して適当にあしらう、なんて当時の僕にはできなかったわけなのでまあ……毎回喧嘩を買っちゃうわけでしてー。
そもそもレジェンダリーセブンはおろか調査戦隊メンバーの中でも最下位に近い、ぶっちゃけ教授の助手扱いで入団した彼だ。毎回毎回何をして来ても何一つ問題なく半殺しにできたし実際に半殺しにしちゃっていたんだよね、僕。
今考えるとあの頃の僕はいったい何を考えてたの? と言いたくなるような蛮行で、やる度にレイアはじめ幹部陣から"人間になりたいなら少しは加減しろ! "と叱られてたのも今なら理解できる。我ながら恥ずかしい過去だよー。
しかもそうやって幹部達、とりわけレイアに庇われることさえもガルシアさんには屈辱だったみたいで。さらに憎悪は加速して、結局致命的な仲違いをしたままここまで至ってしまっているってわけだった。
「何回か菓子折持って謝罪に行ったんだけどねー……馬鹿にしてるのかーってそのまま戦闘に持ち込まれて、やむなく防戦しちゃったりしてさ。彼の実力そのものは今でも調査戦隊メンバー最下位クラスだし、どんなに手加減したって負けるつもりでもない限りは勝っちゃうわけでー」
「下らぬ嫉妬ではござらぬか。それで今度はそのことを逆恨みして、ソウマ殿の悪評を撒いていると。カーッ、しょーもねーみみっちーやつでござるなあ!」
「典型的な男女関係のトラブル……ソウマくんにその気はなくても相手方の受け取り方が悪く、拗らせてしまったパターンなのね……そのうち新世界旅団にも同じこと、起こるのかしら」
「うーん、そこはシアンの舵の取り方次第じゃない? あっ、スープできたわよ、飲める?」
「ありがとう、レリエ」
みっともない嫉妬とバッサリ切り捨てるサクラさんと対照的に、いずれ新世界旅団でも似たようなケースが起きるのではないかと危惧するシアンさん。
どこのパーティーにも男女関係の縺れってつきものだからねー。レリエさんが手渡してきたスープを飲みながらも、そうなった時のことを考える彼女の姿はすでに立派な団長だよー。
ともあれ、モニカさんはともかくガルシアさんとはそんな感じで険悪な仲だから、彼がデマの発信源で、それをリンダ先輩はモニカさんの意見だと勘違いした可能性も大いに考えられるわけだねー。
うーん、迷惑ー。そのデマがなければいくら先輩でもピンポイントに僕が犯人だ! なーんて思うことはなかっただろうし、言っちゃうと今回の騒動の元凶がガルシアさんって線もあり得るよー。
「とりあえず今度の日曜、教授のラボに行く予定だからその時に確認してみるよー。場合によっては戦闘になるかもねー」
「それならソウマくん、私ももちろん同行します。リンダ・ガル達を扇動したことについて新世界旅団としても、断固たる態度で抗議する必要がありますので」
「団長が行くってんなら副団長も行かなきゃでござるなー」
「それなら団員も行かなきゃね! 教授かあ、どんな人だろ?」
なんかみんなして一緒にカチコミにいく流れになっちゃった。まあいいけどモニカさん達びっくりするかもねー、Sランク冒険者にエーデルライトのお嬢さんに古代人までやってくるわけだしー。
案外リアクションのいい教授の驚き具合を想像してちょっと楽しみになりながらも、僕らはそうやって3日後、教授のラボを訪ねることとなったのだ。
翌日、僕は新世界旅団とは関係なしに冒険者活動を行っていた。レリエさんをも引き連れて二人で、爽やかにも朝の町にて清掃活動を行うのだ。
迷宮に潜るだけが冒険者の仕事じゃない。たとえば町の中だけでも美化活動や治安維持活動、あとお使いとか迷子の犬猫探し、果ては欠員が出た現場仕事の助っ人なんかも折に触れて行うことがあるんだよねー。
特にこの町はエウリデでも一番、冒険者が多いもんだから町のどこをどう切り取っても冒険者がいて、何かしら社会貢献系の依頼をこなしている。
今だって僕らの他にも見える範囲に数人、同じ様に清掃活動に従事してる冒険者を見かけるしね。
住民との関係を良好に保つのも冒険者活動には重要だから、顔と名前を売るって意味でもこの手の仕事は地味に大切なんだよーってレリエさんに説明すると、彼女はいたく感心した様子で頷いていた。
「冒険者が日常の、生活基盤の深くまで組み込まれてる社会構造ってわけね……ホント、ファンタジー的な異世界に迷い込んだみたいだわ」
「僕らからしたらレリエさんこそ、ファンタジー的な異世界からやって来た人なんだけどねー。はい、箒と塵取り。ゴミ袋は隅っこに置いてるから、こまめに捨てちゃってねー」
「はーい! いやー、こういう依頼のほうが性に合うかも!」
この手の活動を嫌がったらどうしようかなー、仕方ないし見学でもしといてもらおうかなーって若干不安視してたんだけど、彼女的にはどちらかというとこの手の依頼のほうに適正があるみたいだった。
今後新世界旅団が大規模パーティー化していく上で、こういう町内活動にこそ精を出したいって人の存在はとても重要だから助かるよー。
みんながみんな迷宮! 冒険! 未知! バトル! なーんて脳筋ばかりだとそっち一辺倒になっちゃって、どこの町に移っても近隣住民からの支持を得られにくいかもしれないからね。
冒険者も冒険活動も結局は既存の社会の中に組み込まれたものだから、社会貢献を疎かにして自分達のやりたいことだけをやってるってわけにもいかないんだよねー。
そこを考えると、こっちの仕事を率先して受けてくれるレリエさんのような人は大変に有用だよー。僕もこの手の仕事はしなくもないけど、戦力的価値を考えるとどうしたって冒険メインになるからねー。
これはシアンさんやサクラさんも喜ぶぞー、と思いながらも僕も箒を手に取り、さっささっさと地面に落ちているゴミを纏めていく。いつものマントと帽子、杭打ちくんを背に担いだスタイルで箒を動かしてるのは我ながらコミカルだね。
二人でパパパっと片付けていくと、不意にレリエさんが声を潜めて僕に、話しかけてきた。
「それにしても、ここっていわゆるスラム……なのよね? 行く宛のない人達が辿り着くっていう、難民地区的な」
「そうだねー。事情は人それぞれだけど平民として表をうろつけなかったり、国の政策で追放されたり、そもそも他所の国や地域からやって来て居場所がなかったりする人達が屯して作り上げられた区域だねー」
別段隠す話でもないので頷く。いかにもここは町の中でも特に雰囲気の違う、通称スラム区域だね。
ゆえあって他に行くところのない人間が集まって次第に生活区を形成した、貧民のたまり場みたいな場所だ。貴族でもなければ市民登録をした平民階級でもない、法の外の身分に属する人達が概ね貧民としてこの辺の区域にて過ごしていると思ってもらっていい。
こう言うといかにも治安の悪そうな印象を受けるスラム区域だけれど、実のところそこまで治安が悪いわけでもない。
いや、貴族街や平民区域に比べると明らかに良くないんだけど、道を歩いてたらいきなり襲われてしまう! みたいなこの世の終わり的な光景が広がっているってわけでもないんだねー。
レリエさんが興味深げに、けれど警戒心は保ちつつあたりを見回して言う。
「やっぱり……でも、私の思うスラムとはちょっと違うわね。なんていうか、思ったより綺麗っていうか」
「古代文明にもあったのー? こういうスラムって感じのところー」
「あったし、ものすごかったみたいよ実際。道を歩くだけで身ぐるみ剥がれて乱暴されて殺されて、場合によっては遊び半分で拷問にかけられたりしたとかしないとか。私の知識の中にそういう物騒なの、あるわね」
「ひぇっ……」
怖いよー! 古代文明超怖いよー!?
夢が崩れてくよ、僕の思う古代人ってのは理性的で教養豊かで優しく強い文明人なのにー!
思いもよらない恐ろしい話に、思わずゾッとしてしまうよー。
ああ、よかったー今あるこの世界がそこまで物騒じゃなくてー。古代文明の話を聞くについ、そう思っちゃうねー。
スラムなんてどこの国のどんな町にも大なり小なりあるものだけど、さすがに今聞いたような地獄が広がってる場所はないはずだよー。いや、でもあったらどうしよう、震えるー。
「す……少なくともここのスラムは安全だよー。冒険者達がほぼ毎日治安維持のために巡回してるし、そうでなくともスラムはスラムで経済圏を構築してるしー。平民区域ともコラボしたりすることもあるんだよー?」
「そうなんだ……単に貧民というよりは、比較的貧困層とされる人達の生活圏ってわけね。道理ですれ違う人達がどうも呑気というか、平和な匂いがするなーって思ったのよ」
「そ、そう……なんだ……」
それってつまり、古代文明のスラムは平和じゃない匂いがしてたってことですよねー?
古代文明っていろいろすごい。そんなことを考えながら僕は、箒で掃除を続けるのだった。
一口にスラムって言っても結構エリアは広いから、僕らをはじめ何人かの冒険者達で分担しての清掃活動を行う。
ちなみにこの活動にはスラム界隈の自治会も参加していて、ある種の交流会も兼ねたりしているよ。
まったくいないとは言い切れないけど、それでも身分を気にしない人が大半な冒険者はそれゆえ、スラム界隈とも割と距離が近いんだねー。
「ふう。この辺もすっかり綺麗だなー」
「ありがとよ冒険者さん、お陰で気持ちよく路上で寝れるぜ」
「いや路上で寝るなよおっさん!」
「ちげぇねえ! ガハハハ!!」
ほら、あんな風に和気藹々と冒険者がスラムのおじさんと談笑している。こうした美化活動を行う上での一番のメリットと言えるのかもしれないねー、この交流ってやつは。
冒険者側としてもスラム側としても、この機会に人脈を広げることは大切だ。どっちも持ちつ持たれつな関係だからね。
とりわけスラムで未だ燻っている有望な人を冒険者にして、仮に大成でもさせられたらどっちも嬉しい話だったりするよー。引き入れた冒険者は自慢の弟子ができて名声も得られるし、スラム側も社会貢献に寄与しつつ大成した冒険者から寄付してもらえたりするからねー。
「実際、スラム出身の冒険者で有名な人も数多いし。玉石混交の可能性を秘めた土地として、このスラムを見込んでいる冒険者もいるよー」
「なるほどねー……それこそ杭打ちくんみたいなパターンもあるわけなんだぁ」
「あー……いや僕はちょっと扱いが違うんだよね、実のところ」
サッサッと箒でゴミを纏めて塵取りで回収し、ゴミ袋に詰めながら僕とレリエさんは話し込む。
この仕事とにかく楽ちんなんだよねー。この手の美化活動は頻繁に行われているから目を疑うほど散らかってるわけじゃないし、さっきも言ったけど治安だってそこまで終わってないから暴漢やら変質者も日中なら出やしない。
ましてや町中なのでモンスターなんてどこにもいないし、まったくもって平和そのものなお仕事なんだ。何も考えず手を動かすだけだし、こうして雑談しながらでもできちゃうほどだ。
そんなわけで話す最中、来歴に軽く触れる感じになったから僕は少しだけ言葉を濁した。
スラム出身の冒険者。たしかに僕はその括りに入るパターンなんだけど、実際のところは違うんだよね。だからスラム内でも僕の扱いは、若干腫れ物って感じだったりもするんだよー。
新世界旅団の団員として、仲間であるレリエさんには少しだけ話しておこうかな。
僕自身にも分からない、僕の生まれ育ちってやつを。
「僕、物心ついて孤児院に流れ着くまでずーっと迷宮内で過ごしてたから、厳密にはスラム出身ですらないんだよねー」
「え……め、迷宮内で過ごしてた? え、どういうこと?」
「そのままの意味。気づいた時には地下40階層半ばにいて、モンスターと戦い勝っては血肉を啜って生きてたの。一人きりでねー」
「な…………!?」
絶句するレリエさん。大体の人がこの話を聞くとこういう風になるから、あんまり話したいことでもないんだよねー。
ぶっちゃけ今でもあの頃はあの頃で普通だったし、別に不憫がられる感じでもなかったと思ってるし。過度に憐憫されがちでちょっと犯行に困るのだ。
そう、僕はどうしたことか物心ついた頃には迷宮内にいた。それも当時は人類未踏階層もいいところだった、地下44階という幼子からすれば地獄のような空間に住んでいたんだ。
さらにはそこで数年、モンスターと殺し合いして勝ち続け、彼らの血で喉を潤し肉で飢えを凌いできたわけだね。
マジで僕以外の誰も人間がいた痕跡がなかったあたり、物心つく前からもすでにそういう暮らしをしてたんじゃないかなー?
あの辺のモンスターも大概化物ばかりだったけど、特に苦戦した様子もなく片っ端から殴りつけては解体して食べまくってたし。
「で、そこから何年かしてすくすく育った僕はフラフラ~と上の階層に登っていって地表に出てね? そしてたまたまスラムに流れ着いて、孤児院の人達に保護されたんだー」
「…………そんな、ことが。赤子が、たった一人でそんな迷宮で、生きてきたなんて」
「だから僕はスラムの子とは言いにくいわけ。なんなら迷宮で育ってモンスターを食らってきたわけだし、分類的にはモンスターに含まれかねないよねー。迷宮出身なんて、モンスターくらいなものだしー」
若干の自虐をも込めて笑う。昔こそなんの疑問にも思わなかったし今でもたしかにあの頃の生活を普通に思っているものの、世間一般とは致命的なまでにズレた生まれ育ちをしたって自覚も同時にある。
モンスターを食べるってのも、迷宮内に長期間籠もる場合は選択肢として挙げられがちだけど……さすがにそれを日常とする人なんてどこにもいないからね。まして僕の場合、全部生で食べてたし。まんま、野生の獣だよー。
人間の形をしてるだけで、僕もモンスターなのかもねー?
最近になってちょっと危惧してる僕の正体をあえて軽く告げると、レリエさんは痛ましげに近づいてきて、僕の肩をマントの上から抱き寄せ、顔に顔を寄せてくれた。
顔が近い! 吐息が当たるーいい匂い!
「それを言うなら私だって迷宮出身よ。それもわけも分からず数万年前からやってきた、モンスターより意味不明な存在。ね、お揃いね私達!」
「レリエさん……?」
「……モンスターなんかじゃないわよ、君は。私の恩人で、同僚で先輩で、それでとっても可愛くて強い素敵な男の子だもの。自分で自分をモンスターなんて、言っちゃ駄目なんだからね?」
「…………うん。ありがとー」
励ましてくれる彼女に、ニコリと笑って礼をする。
僕は僕だ、生まれ育ちに関わらずソウマ・グンダリだ。それはわかった上で、でも……
今の、彼女の言葉は優しくて温かかったよー。そのことが嬉しくて、僕は静かに微笑んだ。
粗方掃除も終わって、ゴミ袋を回収業者に渡して今回の依頼も終わりだ。スラムの自治会から借り受けていた箒と塵取りを返却して、僕らはんんー! と背筋を伸ばして達成感を味わっていた。
あとはギルドに戻ってリリーさんに報告して、報酬をもらうばかりだね。こうした町内活動は半ば慈善事業のためお金による支払いじゃないんだけれど、代わりに手拭いとかハンカチとか果実水をもらえたりする。
いわゆる現物支給だね。意外と嬉しいものをもらえたりするからこれはこれでありがたいよー。
「さ、それじゃあ帰ろうかしら? 良いことしたあとはきもちいいわねー」
「だねー。でもちょーっと待ってレリエさん、途中で寄りたいところがあるからー」
「へ? 寄るところ?」
目に見える範囲にあるゴミをほとんど回収して、綺麗になった往来に満足げに頷くレリエさんを呼び止める。僕はここからギルドに直帰せず、ある施設を経由して帰りたいと考えていた。
別にこのまま帰ってもいいんだけど、せっかくだし顔を出したいからねー。ついでにレリエさんのことも紹介しておこうかと思うよ、もしもの時の避難先になってくれるかもだし。
訝しむレリエさんに僕は、笑って言った。
「僕が8歳の時からほぼ2年くらい、お世話になってた孤児院が近くにあるんだ。身寄りのないレリエさんのこともある程度紹介したいし、そうすれば帰る場所の一つになってくれるかもしれないしねー」
「孤児院……さっき言ってたわね、迷宮から脱出したあと、その施設の人達に保護されたって。この近くにあるんだ……」
「スラムじゃ唯一の孤児院だよー。身寄りのない子供達を集めて育ててる、地域一帯の中でも不干渉施設に定められてる場所だねー」
軽く説明しながらも案内がてら歩き出す。スラムの中でたった一つ建てられたその孤児院は、3年前から地元一帯の暗黙のルールとして不干渉が定められている。
いくらスラムだからって、身寄りない子供を育ててる施設を巻き込むのは良くないって自治会が保護に動いてるんだねー。
同様の不干渉指定施設は他にもあって、病院など医療施設に教会など宗教施設、学校など教育施設などが当てはまるねー。
その辺への配慮はいろいろあって割と本気で、自治会が予算を割いて冒険者を雇ってたりするほどに真剣に取り組んでたりする。
そうした活動のお陰で何年か前までの孤児院みたく、借金取りがしびれを切らして無法を働く、なんてケースが激減したのは素晴らしい成果と言えるだろう。
社会的に弱い立場の人達が、唯一の居場所でまで脅かされることのないようにしたことで、スラム全体の治安も向上したんだから世の中っていろいろ繋がってるんだなーって感心するよー。
「──着いた。ここだよ、レリエさん」
10分くらい歩くと孤児院に到着した。レリエさんにこちらでございと手で示す。
赤い屋根、白い壁、広いお庭もついた3階建ての大きな施設だ。屋敷と言ってしまってもいいかもしれない。四方を壁に囲まれており、警備の冒険者もいる正門には、ここの孤児院の正式名称が書かれた看板がかけられている。
"オレンジ色孤児院"という名前の書かれた古びた看板だった。
「広い……し、大きいわね。それに綺麗というか、新築? 看板だけがやけに古いけど」
「ご明察ー。実は去年に新築移転してるんだよねー、この孤児院。借金も返済し終えて寄付金を貯めたり使ったりできるようになったからさ、少しでも子供達に住みよい場所にしたいってことで思い切って1から建て替えたんだよー。看板は昔の名残だねー」
やっぱり看板だけは歴史あるものを使いたいからねーと笑う。レリエさんはへぇーって感心しながらも、清潔に保たれた孤児院施設をじっと見ていた。
実のところ、孤児院新築には僕の意向が思いっきり絡んでたりする。何せ借金返済から新築費用まで全部僕が資金源みたいなものだからねー、パトロンって言っちゃってもいいかもしれない。
元々調査戦隊にいた頃から資金援助はしてたんだけど、追放されたと同時に借金を完済でき、以後渡してきたお金はささやかな額ながらすべて院の運営に用いてもらってきた。その一環として僕から、そろそろボロっちいから建て替えなよーって言ったわけなんだねー。
それを受けてここから少し離れた、また別の土地にあった旧孤児院からこちらの新孤児院に移り住んだって流れだ。
土地から建築代、内装工事やお庭の管理維持その他税金関係もろもろの処理まで含めて結構なお値段だったけど、それでも僕が数年間ずーっと渡してきた寄付金でギリギリどうにかなったから良かったよー。
まあ、その辺の詳しい話をレリエさんにしても仕方がないし、内心で自分の成し遂げたことにちょっぴりむふーって悦に浸るに留まる。
新築した孤児院にはこれまでも何度も顔を出してるけど、職員さん達も子供達もみんな明らかに元気そうで楽しそうで、我ながらいいお金の使い方ができたなーって誇らしい。
今日もみんな、笑顔でいてくれるかなーと思いながら、僕はレリエさんを連れて正門へと向かった。
警備のために正門前に駐在している冒険者達も、僕がここの出身だということは知っていて、冒険者証を見せたら快く門を開けてくれた。
こういう警備関係の依頼を専門に受ける冒険者達もまあまあいる。性質上迷宮に潜ることは少ないけれどその分、治安維持に貢献してくれているってことで町民達からの評判も上々なわけだねー。
「迷宮潜るだけが冒険者の仕事じゃないわけねえ」
「そだねー。レリエさんも迷宮に潜るのがつらいってなったら、こういう護衛とか今日の掃除みたいな、町中の依頼を中心に受けることをオススメするよー。もしくはパーティー運営関係業務につくとかねー」
「運営関係……お金とか事務手続きとかよね。シアンにも一応言ってるのよ、私ってばかつての時代では経理関係の仕事してたみたいだから」
「そうなんだ? すごいよー!」
お庭を通って施設の入り口に向かいながら話す。
数万年前の古代文明時代の頃のお話を聞けたよー、そっかそっかレリエさんってば、昔はお金関係のお仕事してたんだねー。
そこから話を聞いていくと、彼女はいわゆる税金とかその辺の書類関係に携わるお仕事をしてたんだとか。だからシアンさんにも、パーティーの金銭面での管理については知識的な面からフォローできるかもーって言ったんだって。
すごいよー! 古代文明の経済知識が新世界旅団には付いてるってことなんだよ、これー。
オカルト雑誌やファンタジー小説なんかでは、古代文明は極めて高度な社会を築いていて、経済的な面でも今とは比べ物にならないほどに発達していたとされている。
実際、迷宮から出てくる古代文明関係の資料や遺跡、出土品は今の僕らの文明じゃとてもじゃないけど解明できないくらい隔絶したオーバーテクノロジーが用いられてるものが多いからねー。少なくとも超高度文明だったってことには疑う余地がないって、それはどこの学者さんでも認めてる事実だよー。
そんな発達した文明の金融関係の知識をお持ちのレリエさんが、新世界旅団の財政面にアドバイスしてくれるってのはいかにも心強いよ!
……って笑って言ったら、彼女も朗らかに笑ってうなずいて答えた。
「それなりに知識があるってのとおぼろげに記憶が残ってるってだけだから、そんなにお役には立てないかもね……まあサクラからもそれなら頼むって言われたし、いざ旅団が発足した際にはひとまず私は財政係ってことになったわ。ちゃんと現代の財務知識も勉強しないとだし、頑張らないと」
「あー……それに加えて冒険者としての訓練もあるし、大変そうだねー」
「むしろそっちよね、私ってば今まで武器なんて握ったこともないし……喧嘩だってしたことないから」
苦笑いしてそんなことを言う彼女は、たしかに戦い慣れは明らかにしてないしなんなら喧嘩なんて見たこともないって感じだ。
超古代文明、平和なところはとことん平和だったんだねー。さっき聞いたスラムって名前のこの世の終わりといい、場所によって極端すぎるよー。
なんだか不思議な世界らしかったはるかな昔に思いを馳せつつ、僕らは孤児院の入口にて職員さん呼び出しのベルを鳴らした。清潔な白を基調とした屋内、入ってすぐにある受付カウンターの上に置かれたベルだねー。
チリンチリーン、と涼し気な音を鳴らせばすぐ、近くの階段から職員さんが下りてきた。僕もよく知る、痩身の中年女性さんだ。
室内に入ればマントはともかく帽子は脱ぐよ、ここのみんなは"杭打ち"がソウマ・グンダリだって当然知ってるからね。画す必要はないんだよー。
「はーい……あっ、ソウマくん! いらっしゃい、また来てくれたのね!」
「はい、また来ちゃいましたー! 院長先生いますかー?」
「ええ、もちろん。今は子供達と。今日はお仕事のお話? それそちらの方は……」
「そんな感じですー。こちらはレリエさん、僕の仲間の方ですねー」
にこやかに話して笑い合い、レリエさんも紹介する。
普段一人で来訪している僕が珍しく人を、それもこんなに美人でかわいいおねーさんを連れてきたことに職員さんは目を丸くしてたけど……レリエさんがニッコリ笑ってお辞儀をすると、慌ててお辞儀で対応してきたよー。
「初めまして、ソウマくんの仲間といいますか……パーティーメンバーのレリエと申します。彼には日頃、お世話になっております」
「ああ、これはご丁寧にどうも。彼が仲間の方をお連れするなんて、この3年間なかったことですから、つい驚いてしまって……」
「…………そう、なんですね」
職員さんの言葉に、どこか面食らうというかショックを受けたように口を閉じるレリエさん。どしたのー?
こっちをチラッと見て、ちょっと目を細めている。なんか悲しそうにも見えるけど。
「レリエさんー?」
「……ううん、ごめん。なんでもないの」
そう言って無理矢理っぽい感じに笑う彼女が、なおのこと変に思える。
なんだろ?と首を傾げながらも、僕は院長先生までの取次を職員さんに頼むのだった。
職員さんの案内を受けて施設内を歩く。僕はたしかにかつてここの孤児院で世話になったし今じゃ立派なパトロンだけど、独り立ちしている以上はすでに部外者だ。
つまり一人で勝手に構内をうろつくなんて許されないわけだねー。まあ、そもそもこの新築の施設はあまり詳しくないから、迷子になったりしたら困るのでそんなことはしないしね。
ちなみに杭打ちくんやマントといった"杭打ち"装備は入口前、専用の置き場を作ってもらってるからそこに置いてある。特に杭打ちくんについてはいくらなんでも重すぎるし、何よりも危険物だからねー。
間違って子供が触ったり近づいたりして、大変なことになってもいけない。だからこの施設に入る時は絶対に、最低限杭打ちくんを置いていくのだ。
他にもここに来る時の僕は極力ソウマ・グンダリとして訪れたいって思うからマントや帽子も預けてるよー。
そんなわけでマントの下、黒い戦闘服だけ着た僕はレリエさんと二人、職員さんの後に続いて歩いているのだった。
「何か変わったこととかありました? 困ったことがあったら言ってくださいよ、できる限りのことはしますから」
「ありがとうね、ソウマくん。でも大丈夫よ、相変わらず平和な毎日だし、日常のトラブルはたまにあってもみんなで乗り越えていける程度のものだもの」
「それならいいんですけどー」
僕にとってこの孤児院は、たった2年程度しかいなかったけどたしかな故郷だ。
名もないケダモノとして生まれ育ったあの迷宮じゃなくて、人間としてのすべてを与えてくれたこの場所こそがソウマ・グンダリの生まれ故郷なんだと認識している。
だからこそ故郷に少しでも恩返しがしたくてあれこれさせてもらってるんだけど、さすがにここに暮らす人達はみんな、自分達でできることは自分達でやろうという自立心が旺盛だ。
聞けば内職や出稼ぎ、果ては冒険に行く職員さんも未だいて、なのに僕からの寄付金は子供達関係のこと以外には手を付けず、もしものためにと貯金しているみたい。
だから建物は新しいのに、経営は相変わらず火の車状態なわけだね。なんともはや、無欲すぎてこっちが困っちゃうレベルだよー。
遠慮せずにパーッと贅沢に使ってもらってもいいんだけどね……でも僕が愛したこの孤児院は、そういうことをしないよねって確信もあったりするし。
結局、僕がやってることは余計なことなのかもって気もしてるけど、金はあるに越したことがないからね。また借金をしないようにってだけでも、せっせと仕送りするだけの価値くらいはあるんだと思いたいなー。
「院長先生はただいまこちらのお部屋で、子供達に絵本を読み聞かせているわ」
「いつものやつですねー。じゃあ廊下でちょっと待ってますよ」
「ソウマくんにそんなことさせられるわけないじゃない。院長先生もあなたに会いたくて仕方ないのよ? いいからいいから、入って入って!」
「え、え、ちょ、ちょー?」
子供達にとって院長先生は親のようなものだ、触れ合いを邪魔しちゃいけない。そう思ってちょっと待とうかなーって思ったんだけど、職員さんに半ば強引に部屋の中に押し込まれていくよー。
レリエさんも続けて入ってくる、その部屋はいわゆるお遊戯室だ。積み木や玩具がたくさん置かれていて、その中にたくさんの子供達がいる。
年少組の部屋だねー。僕には縁のない空間だけど、昔の孤児院にもこういう場所はあったよー。
「……? あっ、くいうちのにーちゃん!」
「おねーちゃんだよ!」
「おれしってる、にーちゃんだよにーちゃん! しらないのー?」
「しってるもん! おねーちゃんだもん!!」
「お兄ちゃんです……」
ああああ子供にさえ男かどうか疑わしく思われてるよおおおお!
ここに来る度こんなこと言われてるけどおかしいよー! こんなダンディーな僕を捕まえて男か女か分からないってそんなのないよー!?
さめざめと泣く内心はともかく、部屋に入った途端小さな子供達が僕に寄ってくる。男の子も女の子もみんな5歳までくらいで、純粋無垢な笑顔をみせてきてくれるねー。
時折こうして訪れるってのと、大人達がパトロン扱いしてくるのを見て子供心に敵じゃないって思ってくれてるみたいだ。それは嬉しいよー。でも毎回性別間違えるのは止めてねー?
僕はしゃがんで子供達の頭を撫でてちょっとスキンシップ。
ニッコリ笑うと少年少女達もニッコリ笑ってくれて、なんだか心が温かいやー。
この子達の他にも年長さん、学生下級組さん、上級組さんと年代ごとに分かれてるわけだけどー、やっぱり年をとるに連れて理性的というか、下手すると反抗期的な感じになってきたりもするしこのくらいの子達が一番無邪気だなーって感じはするよー。
そうしてちょっぴりだけみんなと戯れてから、僕はまた立ち上がって奥に座る女性を見た。
サクラさんよりちょっと上くらいの年齢で、黒髪を肩口で切りそろえてカチューシャをつけている。青い目がとても綺麗な、髪の色と合わさって昼と夜の間を思わせる女の人だ。
「やっほー、こんにちは院長先生。元気してたー?」
「ええ、お陰様で。お帰りなさい、ソウマちゃん」
僕が片手を挙げて挨拶すると、その女の人はにこやかに笑って応えてくれる。
そう、この女の人が今この孤児院で院長先生をしている。Eランク冒険者でもあり、自らも薬草採取や町内清掃みたいな軽作業依頼をこなして院の運営を支えてたりするすごい人なのだ。
ミホコ・ナスターシャさん。
先代院長で僕が主にお世話になったメリーさんの義理の娘で、僕にとっても姉のような感覚の人だねー。
「いつも薬草の納品依頼を受けてくれてありがとう、ソウマちゃん。それに寄付金だって、いつも多すぎるくらいにもらっちゃって……」
「恩返しにしてはささやかなくらいだよ、気にしないでー。それよりミホコさんも元気してる?」
「ええ、とっても! それもこれもみんな、あなたのおかげよ……いつも助かってます。本当に、ありがとうございます……!」
「そんな畏まらないでよー」
そう言って律儀に礼を言ってくるミホコさん。ずいぶん申しわけなさそうにしてるのはたぶん、こないだリリーさんから聞いた話が関係してるんだろうね。
なんでも寄付する額が多すぎて、僕が身を削ってやしないかって泣いたって話だし。少しばかりの恩返しのつもりなんだけど、どうも調子の狂う話ではあるよー。
とりあえず茶目っ気めかして笑うと、さすがに泣き出したりはせずに笑い返してくれる。ただ、どうしても眉は下がってるねー。
先代のメリー院長が借金の満額返済を機に引退して後、義理の娘であるミホコさんが院長職を引き継いだ。
彼女も元々ここの孤児院の出なんだけど、独立してからは職員として働き、合間を縫って経営学や経済学を独学で学んで後を継げるよう頑張ってたんだからすごいよねー。
昔はちょっぴりおっちょこちょいな新米先生だったのが、今じゃ立派な院長先生だもの。
メリー元院長もそりゃ安心して後を託すよねー。あの人はあの人で今、悠々自適にご隠居さんしてるって聞いたしまたその内、お会いできるといいなー。
「それで今日はどうしたの? そちらの方は?」
「あ! そうそうそうだった。いや実はねー、こちらの女性、レリエさんについて相談したいことが一つあってー」
「ソウマくんのパーティーメンバーのレリエです、よろしくお願いします」
思いを馳せているとミホコさんから用件を尋ねられて、慌ててレリエさんを紹介する。彼女についての相談が今回、ここに寄らせてもらったメインの目的なんだ。
丁寧にお辞儀するレリエさんはなんていうか、所作の優雅さがまるで王侯貴族みたいにエレガントだよー。
振る舞いの美しさについてはシアンさんやサクラさんも褒めてて、もしかして古代においては名のある貴族とかだったのかと一瞬思ったんだけど。
なんでも古代文明においては結構な数の国がいわゆる身分制度を廃止してるそうで、彼女の振る舞いは誰しもが身につけるマナー教育の一環だそうな。
なんともいろいろとんでもない話に、僕らは目を丸くしてはるか昔の文明に想いを馳せたのも記憶に新しいよー。
こういうちょっとしたエピソードを聞くだけでも値打ちがあるんだから、そりゃー国や貴族も古代人の身柄を抑えたがるよねーと3人、感心とともに納得せざるを得なかったほどだ。
ともかくそんなレベルでしっかりした所作を見せたレリエさんに、ミホコさんは慌てて立ち上がり居住まいを正して返礼した。
貴族だかと勘違いしてるね、これは……本当はもっとぶっとんだ正体なんだから、世の中って未知ばっかりで面白いよー。
「ああ……これはご丁寧に。ありがとうございますレリエさん、私は当院の院長を務めておりますミホコと申します。いつもソウマちゃんがお世話になっています、よろしくお願いします」
「お世話だなんてそんな。むしろ私のほうが、数日前からずーっとお世話になっていまして」
「と、おっしゃいますと?」
「はい、実は私────」
と、言うわけで事情をある程度説明。
レリエさんが古代文明から蘇った人だということ、数日前に迷宮内で僕が見つけて保護したこと、結成予定のパーティー・新世界旅団に新人団員として入団したこと。
そしてそんな中で、帰る場所のない彼女に旅団だけでなく、オレンジ色孤児院を戸籍上の住所や緊急避難先などの、セーフティネットとして利用したいということを話す。
ミホコさんもさすがに目を剥いてビックリしていたけれど、つまるところ8年前の僕と同じようなものだからね。割とすぐに立ち直って理解を示してくれた。
僕の時はめちゃくちゃ怯えてテンパってたのを思うと、年季や経験って凄いなーって思うよー。
「……事情は分かりました。そういうことでしたら私どもに断る理由はありません。何よりもソウマちゃんからの頼み事なんてめったに無いのですから、全力で応じますとも」
「ありがとうございます、ミホコさん!」
「いえいえ、はるか古代から時を超えて来られて、さぞ不安かとは思いますが……私達はいつだって温かいスープと毛布を用意して、あなたをお待ちしていますよ。もちろん、ソウマちゃんもね」
「ありがとー、ミホコさんー!」
そして快くレリエさんを受け入れてくれたことにも改めて感謝するよー。昔のあんな僕でさえ受け入れてくれただけのことはあって、すごくすごーく優しくて温かい人達だねー。
これで万一、新世界旅団に何か不測の事態があったとしても彼女はここを頼ることができる。寄る辺ない古代文明人の、現代における避難先にすることができるわけだね。
ホッと一息つける。レリエさんが優しい瞳で、そんな僕の頭を撫でてくれた。えへ、えへへー!
と、そんな時だ。さっきの職員さんがまたやってきて、ミホコさんに言うのだった。
「院長先生。15年前にここを巣立ったと仰る冒険者の方が、院長先生との面会を希望されているのですが……」
「15年前? ……誰かしら、私と同じくらいの世代だけれど」
首を傾げるミホコさん。
どうやら今日は千客万来って感じみたいだねー、この孤児院。