魔物の中には、魔術師と同じように魔術的な力を行使する者たちがいる。

遭遇する数こそ少ないものの、危険極まりない敵である事が多いので対峙するときは細心の注意が求められる。

どうやらキルシュはこの存在を脅威とみなし、報酬額の引き上げを求めたようだ。

「お待たせしましたキルシュ師、ザイフェルト殿。こちらが依頼の契約書となります。御確認ください」

応接室に戻ってきたディーゼルが、契約が記載された羊皮紙とインク壺、羽ペンをテーブルの上に置いた。

キルシュがそれに目を通し己の名前を記載すると、俺の方に契約書を渡してきた。

「じゃ、ザイとディートリヒ君も目を通して記載内容に問題がないならサインよろしくね」

契約内容

眠れる竜の遺跡で行方不明となった冒険者たちの捜索。
対象の生存が確認できた場合は救出、対象が死亡していた場合は証拠となる品としてネームプレートを回収することを成功条件とする。

報酬

一人につき金貨四百枚

他にも冒険者に関わる細かな事項が記載されていたが、それは魔術師と護衛士である俺たちにとって省いて良いものだったので省略する。

冒険者ギルドに登録を終えた冒険者は、身分証明用の証として自分の名前が刻まれたネームプレートが支給される。

これは身分証として機能する以外に、常に危険と隣合わせの仕事に従事する冒険者の身に何かがあった場合、本人かどうか確認するための識別符としても使われる。

つまり冒険者のネームプレートは所有者にとって有事の際に自分の墓標にもなり得るものなのだ。

書面に目を通した俺とディートリヒも署名し、この依頼は正式に受理された。

契約書を受け取り、ディーゼルは俺たちに深々と頭を下げる。

「急な要請にも関わらずご足労いただいた上、依頼をお引き受けていただき誠に有難うございます。何卒、我がギルド所属の冒険者たちをよろしくお願いします」

「出来得る限りのことはさせてもらうよ。さて、それでは行くとしようかザイ」

「はい、行きましょうキルシュ」

キルシュと俺はソファから立ち上がり、応接室を後にする。

そして遅れて部屋を出てきたディートリヒにキルシュが声をかけた。

「ボクたちは少ししたらすぐ出立したいんだけど、ディートリヒくんもすぐ出られるかな?」

「あんたらもう出られるのかよ?」

「もう準備は庵で大体済ませてあるからね。そうだね、では今から三十分後に城門前に集合としようか。キミの方の準備もそれぐらい時間があれば十分かな?」

「まぁ、それぐらいあれば十分だが…」

「よし、それではボクたちも残りの用事を済ませてしまおうか」

「分かりました。まずは素材の売却ですね。食事に関しては……」

「本当はちゃんとした食事をとりたいけど、あまり時間の余裕がないから軽食で済ませようか。あちらの酒場でボクが適当に見繕ってくるね。それじゃザイ、清算よろしくー」

パタパタと手を振ってキルシュがこの場から立ち去る。

彼がギルドの中に併設された酒場の方に歩いていく姿を見送り、俺は背負い袋から魔物の素材を取り出すとギルドのカウンターに向かった。

先ほどと同じ受付嬢が、カウンターで俺を迎えてくれる。

「これはザイフェルトさま、ご用件はなんでしょうか?」

「いえ、俺はさまをつけていただくような立場にありませんので呼び捨てにしてもらって結構です。こちらの素材の買い取りをお願いします」

ヴァンキッシュの外皮と毒袋、それに先ほど討伐したギガントスパイダーから摘出した牙をカウンターの上に置く。

ギガントスパイダーは素材として使える部分が少なく、口にある大きな牙が二本採取できるだけである

キルシュが容赦なく“炎槍”でその体を焼き払ったのには、そういう理由があったのだ。

「これは良い品質の素材ばかりですね。只今査定しますので少々お待ちください」

「お願いします」

俺が腕組みをして査定が下るのを待つことにする。

するとしばらく素材の品定めをしていた受付嬢が徐に俺に声かけてきた。

「あの……」

「なんでしょうか?」

「立ち聞きするつもりはなかったのですが、先ほどギルドマスターと話されていたことが耳に入りまして。ザイフェルトさんたちはこれから眠れる竜の遺跡に行かれるとか」

「……ええ」

ディーゼルからこの案件について特に他言無用などと指示された訳ではないので、話しても問題ないだろう。

俺が頷くと彼女は俺に告げてきた。

「弟を……探していただきたいのです」

「弟さんが眠れる竜の遺跡に?」

「はい、弟もまた遺跡で行方不明になっている冒険者なのです……」

そこまで話をしてから、彼女は何かに気づいたらしくはっとして俺に頭を下げた。

「申し遅れました、私はアルベルタと申します。見ての通りこの町の冒険者ギルドで受付業務に携わっています。そして弟の名前はヴェッツ、冒険者をしていまして先週Cランクに昇格したばかりでした……」

「……」

「そして昇格して受けた初めての依頼が遺跡への救出依頼だったのです。しかし一週間経っても弟たちのパーティーだれ一人として帰ってこないのです。……すいません、査定が終了しました」

アルベルタは涙を拭って話を続ける。

「こちらの皮革が一枚につき銀貨五十枚となります。それが十五枚ですので合計で金貨七枚と銀貨五十枚になりますね。牙は一本銀貨八十枚となりますので二本で合計金貨1枚に銀貨60枚、総計は金貨九枚に銀貨十枚となりますがよろしいですか?」

「ええ、それで結構です。買い取りをお願いします」

「分かりました。……それで先ほどの話なのですが、弟を探してきてはいただけないでしょうか? もし最悪の結果でしたら、せめてプレートを持ち帰ってきていただきたいのです」

アルベルタの切なる願いに対して俺が返せる言葉はこれだけだ。

「……わかりました。最善を尽くします」

冒険者である以上、いつどこで行方不明になったとしてもおかしくはない。

しかしいつまでも生死が判明しないのはつらいことだし、行方不明というだけで全てを受け入れろというのは酷な話だろう。

せめて彼の存在を裏付けるものがあれば、少しは彼女の慰めになるかもしれない。
「ありがとうございます。あまり多くの報酬をお出しすることはできませんができるだけの事はさせていただきます。何卒宜しくお願い致します」

「……それでは」

置かれた素材の代金を受け取り、俺はカウンターを後にする。

アルベルタは俺が離れた後もカウンター越しに頭を下げ続けていた。

「Cランクのヴェッツ、か……」

遺跡で行方不明になって一週間経過しているとなると、生存の可能性は低いだろう。

せめて形見になるプレートだけでも見つけ出せればよいのだが。

素材の清算をし終えた俺がギルドに併設された酒場の方に向かってみると、紙袋を抱えたキルシュが待っていた。

彼は大袈裟にため息をつくと、肩をすくめてみせた。

「なんだいザイ。切なるお願いをしてくるご婦人を前にして俺に任せろの一言も言えないわけ?」

「俺の性格はご存じでしょうに……」

「その真面目さはいいところなんだけど、融通が利かないカタブツさは欠点でもあるんだよねぇ。別に嘘をつけとまでは言わないけど、安心させるために優しい言葉ぐらいは言えるようになってもいいと思うよ?」

「……善処します。エーリカとシュールの二人は?」

「あの後食事をとって、今は落ち着いているみたいだね。しばらくはここに待機してもらって問題なさそうだよ」

エーリカとシュール、二人の獣人は客人扱いとして冒険者ギルドの一室をあてがわれた。

ここが今二人に用意できる場所の中で、最も安全が保障されている場所だろう。

しかし、それだけでは外敵に対する備えとしては十分ではない。

二人に害を及ぼす者が現れない様、キルシュは監視用の使い鴉を配置したと俺に伝えた。

「件の奴隷商の関係者がここまで追撃をかけてくるとは思わないけど、一応の備えしておかないとね。あ、これ、ケバブサンドだって」

そう言ってキルシュが差し出した紙袋の中には、平たく焼いたパンの間に羊肉とタマネギ、トマトが
挟まれたサンドイッチが入っていた。

南方より伝わった串に味付けした肉(主に羊、鶏、牛の肉が使われるらしい)を刺していって塊にし、グリルで回転させながら焼くケバブという料理をサンドイッチにするとは面白い料理だ。

一口齧り付いてみると様々なスパイスを用いた肉の味が刺激的で、たっぷりかけられた甘辛いソースと相まって独特の味わいが口の中に広がった。

「時間がないからね、食べながら城門に向かうとしよう。あ、それとこれケバブサンドに添えられるフライドポテトだって。ザイは確か皮つきのが好きだったと思うけど、この形のしかなかったよ」

「シューストリングポテトですね。確かに俺が好きなのはウェッジカットポテトですが、これも嫌いじゃないですよ。平時の食事としては栄養過多ですが、こういう時にはすぐに栄養を補給できていいですね」

まるで靴の紐のようにという意味がある、細い棒状にカットされたポテトをつまんで口の中に入れると、サクサクとした食感が心地良い揚げたての味を楽しめた。

ちなみに俺が好きといったウェッジカットポテトとは、皮つきのままくし形に切って揚げたポテトのことを指す。

ポテト本来の味が楽しめるので、俺が自分でフライドポテトを作る時はこのウェッジカットで揚げている。

しかし俺としては、自分の好きなポテトを覚えていてくれたキルシュの心が嬉しかった。

「栄養過多とかまた堅苦しい事を言うなぁ、ザイは。まぁ、こんな時でもないと軽食の類は中々食べさせてもらえないからね」

「主の健康に気を配るのも護衛士の務めですから」

キルシュは魔術と薬草については真剣なのだが、それ以外の事に関しては基本かなりのズボラだ。

いくら食べても太らない体だからといって、不健康な食事を続けていいという理由にはならない。

日々の食事が体を作り、偏った食生活が不健康な体を招く。

それが病気の源となることは薬草師でもあるキルシュも当然熟知している。

だというのに

「ボクは大病しないから」

とまったく根拠のない事を言い張ってジャンクフードをすぐに食べようとするのだ。

困った主である。

食事を全て腹に収めた俺たちが城門に着くと、そこには既に完全武装したディートリヒが城壁に寄りかかって待っていた。

「よぉ、来たか」

彼はスケイルアーマーと呼ばれる金属の小片を皮の下地に鱗状に貼り付けた鎧を身に着け、メインの武器であろうハルバートを背負い、近接用にはショートソードを腰に下げるというかなり実戦を意識した装備をしている。

ハルバードは斧槍と呼ばれる槍の穂先に斧頭を取り付けた、多様な取り回しのできる実用的な長柄武器である。

斬る、突く、払う、叩くなど様々な使い方ができるこの武器は、斧で甲冑を破壊したり高所の敵を槍でついて引きずり下ろすなど隙が無い優秀な武器だ。

懐に入られると不利になるのは長柄武器の共通の弱点ではあるが、いざとなればショードソードに持ち変えることで対処ができるようにしているので弱点も克服されている。

「どうやら待たせてしまったようだな、すまん」

「いや、俺もさっききたばかりだから気にしなくていいぜ」

この台詞は実際待たされた者が口にすることの多いものだ。

やはり待たせてしまったらしい。

「あんたたちの急いだほうがいいという判断には俺も同意するが、今から出発しても遺跡までは最低二日はかかるな」

ディリンゲンの町から南に伸びている交易街道を南に二日進んだ距離には白銀山が聳えている。

白銀山とはその山頂に常に白銀のように美しい雪が覆っていることから名づけられた、美しいことで知られる山である。

その麓にある眠れる竜の遺跡は魔物が少なく比較的安全な街道沿いにあるということで、駆け出し冒険者の腕試しに使われる場所にされているのも頷ける。

ディートリヒの言う通り、通常の手段でそこまで移動すれば二日以上の日数を消費してしまうだろう。

しかし遺跡までの道のりをギルドマスターから提供された地図で把握した俺たちは、その問題を解決する手段を持っていた。

「それに関してはいい策があるから任せてもらっていいよ。さて、早速始めるけどキミの準備はいいかな、ザイ?」

「ええ、既に感覚強化は発動してあります。いつでもどうぞ」

普通に感覚強化するだけでも、俺は半径100mの周囲の情報を視覚、嗅覚、聴覚から認識することができる。

この状態でキルシュから“超感”という対象の五感の機能を増幅する魔術をかけてもらうと、俺はさらに半径500mまでの情報を認識できるようになるのだ。

「……大丈夫です。半径500m以内に俺たちの脅威に成り得る魔物の姿は見受けられません」

「想定通りだね。よし、それでは一気にいくとしよう。ディートリヒくん、ちょっと飛ばすけど力まないようにね」
「何を言って……うぉ!? 体が……浮いてる!?」

キルシュの魔術により、俺たち三人の体は地上から10mほどの高さに浮かび上がった。

空に浮かび上がり高速移動を可能とする移動の魔術“飛翔”である。

恐らく生まれて初めてこの魔術をかけられたであろうディートリヒは言うに及ばず、城門の警備兵から門を行き来している商人たちまでが、空を飛ぶ俺たちの姿を目にしてあんぐりと口を開いている。

そしてキルシュはといえば空の風を感じて子供のようにはしゃいでいた。

「空は見晴らしが良くていいねぇ。やっぱり空を飛ぶのが一番気持ちがいい!」

キルシュが飛行好きなのはマニアいや中毒者といっていいレベルで、魔術で空を飛ぶことが大好きな魔術師なのだ。

久しぶりの“飛翔”は彼の心をいたく高揚させているようで、しばらくその気持ちに浸らせておきたかったが、生憎俺たちにはあまり時間がない。

俺はキルシュに制止の声をかけた。

「キルシュ、今は急いだほうがよいのでは?」

おっと、そうだね。楽しんでいる場合じゃなかった。ナビは任せるよ、ザイ!」

「了解です、キルシュ」

キルシュが“飛翔”の状態を浮遊から高速移動に切り替えると、風に乗った俺たちの体は一気に南方に向けて飛び出した。

「え、ちょ、何……ぎゃあああああああああ!!」

「移動中に口を開けていると舌を噛むぞ」

「そ、そういうことは先に言って……いて、舌噛んだ!」

大口を開けて絶叫しているディートリヒに忠告をしたが、間に合わなかったようだ。

「キルシュ、そこを少しだけ右に移動してください。変わらず周囲に魔物の影はありません」

「少し右だね、了解!」

先ほどギルドマスターから受け取っておいた地図を手に、俺は方向指示と周囲の索敵に徹する。

「いいねいいね。お互い疲れるけど、緊急時は飛翔に限るよねぇ! あ、ディートリヒ君、眠れる竜の遺跡はあっちの山でいいの?」

はしゃぎながらキルシュが指し示す山を見て、ディートリヒを顔をガクガクさせながら頷いた。

「あ、ああ……あそこのはずだ」

「あの山が白銀山だね。噂に違わず綺麗な山じゃないか。よし、着陸するよ。ザイ、周辺の様子は?」

「はい。地上も含めて周辺に魔物は見当たりません。どうぞ」

キルシュは高速移動を終了させ、空中に浮遊している状態の切り替えると、ゆっくりと地面に俺たちの体を地面に降ろす。

俺たちの地面に足が着くと、ディートリヒはその場でうずくまり嘔吐した。

「えぇぇぇ……。あんたら、いつもこんな無茶な移動してるのかよ」

「いや、これが無茶な移動であることは同意するが、いつもはこんな移動はできない。緊急事態ゆえの行為だ」

ディートリヒの顔色が真っ青になっていたため、俺は彼の背中をさすりながら背負い袋から粉薬を包んだ薬包紙と水袋を取り出し服用を勧めた。

「これを飲むといい。吐き気に効く薬だ」

「これは……うっ、なかなかにきつい匂いだな」

「あぁ、これは牛胆汁と黄柏、甘草、桂皮、生姜、それから牡蛎の貝殻を粉末にした胃薬だ」

「なんだその牛胆汁とか、黄柏っていうのは……」

聞きなれない薬草の名前に首を傾げたディーリヒに、キルシュがこの薬の効能を説明する。

「胆汁の分泌を促進させて消化吸収を盛んにする牛胆汁と、出すぎた胃酸を中和して胃の調子を整える牡蛎の貝殻エキス、それから胃腸の機能を整える甘草、桂皮、生姜を混ぜている。胃酸の逆流、胸やけ、胸つかえ、胃もたれなどの症状に効果があるから、今のキミの症状にぴったりの薬だよ」

旅先などで急に発生する嘔吐の症状を緩和するために俺がいつも持ち歩いている薬の一つだ。

ディートリヒは胃薬を一息に飲むとその苦みに顔を顰めながら深く息を吐いた。

「かなりひでぇ味だが、少し楽になった気がする……。マジで腹の中が逆さまになったような気分だったぜ」

「これは想定外でしたねキルシュ。“飛翔”の魔術を一般人にかけると、こんなに辛い事になるとは思いませんでした」

「ザイとか他の護衛士にかけた時は全然平気だったんだけどね。なるほど一般人にそのまま“飛翔”をかけるとこうなるわけか。何か対策を考えておいたほうが良さそうだね」

治癒系以外の魔術を魔術師と護衛士以外にかけることはほとんどないため、今回のケースは俺たちにとって想定外だった。

魔術師や護衛士は魔素を魔力に転換するときに、それが体の毒とならないように耐性がついているのだが、一般人には耐性がないため魔力中毒にならないよう調整された魔術のみが使用される。

俺たちは、体に直接魔力をかけるわけではなく魔力によった風を操ることで空中の高速移動を可能とする“飛翔”であれば普通の人にかけても問題ないと考えていたのだが、移動時のかかる風圧が負担になることを失念していたようだ。

ディートリヒが恨みがましい目で、今後の対策について話し込んでいる俺たちを睨みつけた。

「……俺で魔術とやらの実験をするんじゃねぇよ」

「いや、ごめんごめん。これはボクたちの考えが浅かったね。とはいえ、だよ。その実験のお陰で君がいっていた徒歩で二日の旅程は踏破できたから結果オーライじゃない?」

「まぁ……それはそうなんだけどな」

不承不承頷くディートリヒと俺たちの目の前にあるのは、山頂に輝く白雪をまとった美しく雄大な山“白銀山”である。

町からここまで徒歩で二日かかる道を、俺たちは“飛翔”によって凡そ三十分ほど踏破できたのだ。

魔術による高速移動がもたらすアドバンテージは緊急時において圧倒的と言える。

しかしこの移動について、他に代償がないわけではない。

俺は頭痛を感じて、額に指を当てた。

「どうしたんだ、あんた?」

「この索敵は多少無理をするんでな……頭に疲労が蓄積するんだ」

感覚強化した体に魔術でさらに感覚を増幅しているため、五感から得られた情報を処理する脳が限界に達するのだ。

今の俺の脳は茹っているかのように熱を帯びている。

「負担をかけてすまないね、ザイ」

「いえ、飛翔するのであれば索敵強化は欠かせませんので。少し休めば回復できます」

「索敵にそんなに力を入れないといけないのか?」

俺たちの話を聞いていたディートリヒが不思議そうな顔をして尋ねてきた。

確かに地上を移動する時にはこれほど厳重に索敵を行う必要はまったくないので、彼の疑問は最もなものだ。

「空中を高速移動するということは有翼系の魔物にとって非常に目立ってな。連中からすると人間の俺たちは恰好の餌が飛んでいるように見えるわけだ」
「空って随分危ない世界なんだな……」

ディートリヒの素直な感想に俺も頷いた。

この広い世界では、俺たち人間がいかに矮小で脆弱な存在であるかということを痛感させられる。

「そういうことだ。可能な限り強力な索敵を行い周囲の安全を確保した状況でなくては、飛翔による高速移動は絶対に行わない。さて、待たせてすまなかった。そろそろ俺の頭も落ち着いてきたようだ。遺跡に向かうとしよう」

道に目をやると、街道から石で舗装された道が山中に入りその先へと続いている。

この道をそのまままっすぐ進むと急勾配な山道に至り、しばらくするところで自然を利用した造形物が待ち受ける場所に突き当たる。

山肌をそのまま削りだして形作ったのであろうアーチをくぐると、門の左右に目を閉じて石の宝珠を抱えた竜の巨像が対になって立ち、ここを訪れる旅人を出迎える。

「なるほど、これがこの遺跡の名前の由来になった像だね」

竜の像を見上げてキルシュの言葉にディートリヒが頷く。

「ああ、こいつが眠れる竜と言われてるな」

「邪竜ファーブニルだよ。こいつを祀る寺院がまだあるとは驚きだね」

「邪竜ファーブニル?なんだそりゃ」

「この世界に現れた最強の種族ドラゴン。その片翼を司るのが邪竜ファーブニルだ。傲岸不遜にして邪悪、強欲にして尊大、およそドラゴンと呼ばれる種族の邪悪な部分を全て一まとめにした神と思えばいい。あの抱えている珠は、この世界全ての黄金、つまり財を表しているという」

“叡智の塔”で学んだ宗教学のこの世界における神々についての知識を俺は披露した。

ドラゴンを生み出したとされる神は二柱おり、邪竜ファーブニルとその眷属のドラゴンたちはこの世界に存在するすべての財は自分たちが独占するものと考えている。

信者には欲望に忠実であることが求められ、財を得るためであれば殺人であっても奨励されるのだ。

「完全なカルトじゃねぇか」

俺の説明を聞いて感想を吐き捨てるディートリヒをキルシュが肯定した。

「その通りだよ。だからファーブニルの教団は徹底的に弾圧されているし、現在どの国家でも信仰は許されていないはずだ。ファーブニル教団の主な信者はその眷属であるドラゴンとその亜種であるリザードマンたちだね。ただ、人間の中にもファーブニルの教えに感化される者が時折現れてね」

「人間の中にもってマジかよ……」

「マジだよ。例え他人を殺してでも自分さえ富めればよいという強欲に取り憑かれた連中がなるんだ。恐らくこの遺跡もそういう信徒たちがつくったものだろうね」

歴史上ファーブニルのカルト教団が勃興し、人間の国家や生存圏を脅かしたことは幾度もある。

ファーブニル教団は世界そのものの脅威であるため、このカルト教団が現れた時は“叡智の塔”も排除に向けて積極的に協力してきた。

果たして邪神の遺跡で今起きていることは、“この世界すべての黄金を抱えるもの”の異名をもつドラゴンの神と係わりがあるのだろうか。

俺たちはその答えを求めて、眠れる竜の遺跡に足を踏み入れた。

巨大な竜の像に睥睨されるかのような錯覚を起こすアーチを通り抜けると、訪れたものを次に待ち受けるのは下り勾配の道である。

どんどんと道は下っていき暗くなっていく。

両側の煉瓦壁にかけられたランタンがぼんやりと照らしているため視界は確保されているが、薄暗いことには変わりない。

「このランタンは冒険者ギルドが設置したものなのか?」

「いや、遺跡に最初から設置されていたみたいだぜ。魔道具らしくて燃料とか補給しなくても勝手に明かりがついてるから、便利なんでそのまま利用してるって話だ」

魔物であるドラゴンやリザードマンたちは暗視をもっているので、このような明かりは必要ない。

この遺跡を造り邪竜ファーブニルを祀っていた者たちの中に人間がいたと見て間違いないだろう。

やがて道はトンネル状になり、山の奥深く、中心部に向かって伸びているようだ。

さらに先に進むと、石でできた巨大な扉とその前に冒険者らしき男が一人立っていた。

ガシ。

彼は俺たちの姿を認めると、一歩前に進み出て手にしていた槍の石突で地面を一度叩いた。

「この遺跡は通行禁止だ。ディリンゲンの町の冒険者ギルド管理下に置かれている」

俺はギルドマスターから預かっていた臨時の通行許可証の羊皮紙を背負い袋から取り出し、彼に示す。

「ご苦労様です。ギルドマスターのディーゼル殿より緊急の救助依頼を受けた者です。こちらが通行許可証となります。確認してください」

羊皮紙に書かれた内容に目を通した男は、居住まいを正して俺たちに敬礼してきた。

「これは失礼した。ギルドマスターが依頼した人たちか。中に入った冒険者たちの救援に来てくれたんだな。よろしく頼むよ」

「こちらこそよろしくお願いします。この遺跡で今何が起きているか、知っている事はありますか?」

「残念ながら俺はここの見張りを請け負っているだけで、中の事は知らされていないし、見てもいないんだ。力になれず申し訳ない」

「いえ、十分です。それでは我々は奥に進みます」

トンネルの奥にある石の扉は、これまた壁面に眠れる竜が珠を抱く意匠が施されている。

俺は両開きの石の扉を手をかけ、両手に力を込めた。

重く軋んだ音を上げて両開き扉が開き、遺跡へと続く道が開ける。

中は同じように魔道具らしきカンテラの明かりに照らされ、視界による不便さは感じられない。

俺が一行の先頭に立って遺跡に足を踏み入れようとすると、ディートリヒが俺に話かけてきた。

「そういえばザイフェルトの旦那、あんた随分と丁寧な言葉で話すよな」

「ああ……。俺の師匠から、礼節を弁えて話すことは社会で生きていく上で必須になるからと叩きこまれたからな」

護衛士は魔術師に代わって交渉の席に着くことがある。

主である魔術師の品格を疑われるような事が無いよう、護衛士はコミュニケーションスキルも求められる。

俺の護衛士としての師であるゴルトベルクは特にコミュニケーションを重視しており、良好な関係を築くことで得られる信頼と情報は、依頼を受ける上で何物にも代えがたいものだと常々語っていた。

「逆にあんたのような冒険者に対して敬語は不要。冒険者は互いの間に上下関係を持ち込まないのが常識だよな」

「俺たち冒険者は依頼主相手でも礼儀とかは気する必要もねぇ。丁寧にしたところで冒険者って扱い以上を受けることもないからな。それに比べて護衛士ってのはいろいろ大変なんだな」

「魔術師を主に持つということはそういうことなんだろう。……ちなみにいっておくが、俺はあんたより恐らく歳下だぞ。今年で十八になる」

「まじかよ!? 妙に落ち着いているから年上かと思ってたぜ。俺は二十二だがとても年下に見えねぇな……」

「ザイは大人びているからちょっと年上に見えるのかもね。エルフのボクからしたら、人間の年齢なんて皆同じようなものだけど。さて交流も図れたことだし、そろそろ先に進まない? 冒険者たちの事が気になるしね」

俺はキルシュの言葉に頷き、石の扉を開ける。
遺跡の中に歩みを進めると今度は短い階段が続いていた。

敷石に覆われた床は平らだが、ところどころ亀裂が走っており造られてから長い年月が経過したことを物語っている。

ジメジメとした湿気が不快感をもよおし、天井からは水が滴っていた。

「ここを昇ると少し開けた広間にでるぜ。石でできたバルコニーがあるんだが何のためにあるのかは分からねぇな」

「そこに魔物が待ち構えている時もあるのか?」

「そうだな……待ち構えている時もあるが、たまにいない時もある」

このような遺跡には魔物が住み着いていることが多いが、何度討伐してもいつの間にか他の魔物がまたそこに住み着いてしまうことがある。

魔物がなぜ遺跡に生息しているのか、そしてそれらはどこから湧き出してくるのか。

その疑問の答えとなるものは誰も知らない。

一つだけ確実に言えることは、遺跡に入るということは魔物の巣に立ち入ることと同意儀だということだけだ。

階段を昇るとディートリヒが言った通り、広々とした広間に出た。

ここがかつて邪竜ファーブニルの神殿であったとするなら、ロビーか控えの間とでもいったところだろうか。

いかにも猛々しいドラゴンの石像が一対、口を開けてこちらを威嚇しているような姿で立っている。

像の間には階段が伸びていて、二枚扉に通じている。

床には瓦礫が散らかり、北の壁に設けられたバルコニーが部屋全体を見下ろしていた。

「ファーブニルに仕える双翼の魔竜ズメルだね。邪竜の側近と呼ばれる強力なドラゴンの一角だよ。彼らは番であり、常に二体一組で行動すると言われている」

ドラゴンの像を見たキルシュがそのモチーフになっているものの知識を披露すると、ディートリヒが興味深そうに石像に見入った。

「へぇ、その像に名前があるなんて知らなかったぜ。俺たちはドラゴン像のある広間、ぐらいにしか認識してないからな」

「邪竜ファーブニルも今やマイナーな神になりつつあるけど、その従属竜ともなれば猶更知られてなくてもおかしくないね。さて、とりあえずここまでの痕跡はどんな感じかな、ザイ?」

「……そうですね、ここは多くの者が出入りしている形跡があります。さらに気になるのが、あちらから漂ってくるひどい臭いですね」

ここは遺跡の出入り口だけあって、沢山の足跡が地面についている。

大半の足跡は入り口からドラゴンの石像に挟まれた扉に向かっているが、その扉から腐敗した肉の塊のような臭いも流れてきている。

臭いはどんどんと強まっている……。

「……くる!」

バァァァァァァン!

けたたましい音を立てて扉が開かれる。

そして中から飛び出してきたものは、なんとも醜悪な姿をした怪物だった。

ズングリ丸い円筒形の形をした胴体は、毒々しい紫色をしている。

腹部から下には短い歩脚が十対以上あり、鋭い爪が生えている。

この魔物は歩脚と爪を活かして。人間と同じくらいかそれ以上の早さをもって床や壁、天井すら這いまわることができる移動力を誇る。

丸い頭部には長大な触覚が生えておりその上には単眼が四つ、下には巨大な口が開いており、ズラリとならんだ牙が生えており、腐敗臭はここから流れてきている。

動物や人間の肉、特に腐肉を好んで喰らう悪食のイモムシ型の魔物クロウラーである。

それが三体、こちらに向けて敵意をむき出しにして口を開いている。

「くそったれ! こんなところでクロウラーなんてついてねぇ!!」

槍を構えたディートリヒが忌々し気に魔物を罵った。

クロウラーの外皮は硬く、並みの武器では大した傷を負わすこともできない。

本能に従って獲物を襲うだけの知能しか持ち合わせてはいないが、それだけに逃げることを知らず己が死ぬまで獲物に襲い続ける獰猛な魔物だ。

中々の強敵であり、駆け出しの冒険者向けの遺跡で出てくる敵としてはかなり厄介な部類と言える。

これだけでも厄介なのに、敵の数はこれだけではなかった。

別の敵の存在を感知した俺は、キルシュの前に立ちバルコニーに向けて鞘から抜き放ったバスタードソードを構える。

「キルシュ、俺の後ろに!」

俺が叫ぶのとほとんど同じタイミングで、バルコニーの手すりの影から飛び出した小さな魔物が手にしているロングボウからこちらに向けて矢を放ってきた。

放たれた矢は三つ。

俺は二本を剣で払い落し、最後の一本はマントで絡めて地上に落とした。

俺たちに矢を放ってきたのは、人間の子供くらいの背丈に不潔な緑色の肌をした醜い人型生物だった。

「あんなところにゴブリンだと!?」

「いや、あの装備の立派さはゴブリンのものじゃない。恐らくホブゴブリンだな……」

ディートリヒの見立てを俺は否定した。

小さな体で臆病な正確のくせに、群れを成すと途端に強気になり少数の敵を寄ってたかって襲いかかるのが好みという下卑た習性は同じだが、ホブゴブリンはゴブリンに比べて一回り体が大きく、自分たちで整備している装備を身に着けているためゴブリンよりも見た目が立派だ。

連中が手にしているロングボウや腰に下げているショートソード、体を覆うチェインメイルまでもがしっかりと磨きぬかれ、ロングボウに至っては黒色に染色までされている。

魔物たちの一連の動きを見ていたキルシュは感心して声を上げた。

「なるほどなるほど、ホブゴブリンならこの戦術的な行動も頷けるね。予めバルコニーの影に陣取って僕たちの横腹をつくタイミングを待ち、正面から襲い掛かってきたクロウラーに気をとられた隙を狙うなんてやるねぇ」

「やるねぇ、なんて感心してる場合かよ!! ヤバいぜ、こいつらは……。 こんな奴らこの遺跡に出てきたことねぇぞ!」

ズラリと並んだ刃のごとき歯をむき出しにして、猛然と噛みついてくる三匹のクロウラーの攻撃を槍でしのぎながら、ディートリヒが声を荒げて叫んだ。

クロウラーの知能では連携などという高度な戦術的行動がとれるわけはないが、恐らくホブゴブリンに飼われているのだろう、仲間意識でつながっているらしいクロウラーたちは、目の前の獲物であるディートリヒに対して激しい噛みつき攻撃を繰り出し続けている。

それに対しディートリヒの体さばきは見事なもので、三匹の猛攻をいなしながらも的確に反撃を繰り出し、着実にダメージを与え続けていた。

ディートリヒの攻撃が繰り出される度、クロウラーの巨体に傷がつけられ表皮と同じ紫色の体液が飛び散る。

この様子ならば、下の相手は彼らに任せてよさそうだ。

「キルシュはクロウラーの相手をお願いします。俺は上を!」

「うん、任せたよ。クロウラーはディードリヒくんとボクで制圧しておくよ」

キルシュの言葉を背中に受けて、俺はバルコニーに向けて駆け出した。
上にいるホブゴブリンたちは弓に矢をつがえて次の矢を放とうとしている。

バルコニーがある場所は床からおよそ5mほどの高さにあるが、この程度の距離であれば俺にとって何の障害でもない。

床を蹴って跳躍した俺は、ホブゴブリンの真上まで跳躍すると真ん中にいる奴に向けて頭からバスタードソードを振り下ろした。

鉄の鎧を紙のごとく切り裂く魔剣は、ホブゴブリンの体を文字通り両断した。

そいつは両断され滝のように血を噴き出し倒れ伏す。

そんな仲間の姿をみて一瞬呆気に取られた左側のホブゴブリンの首に向けて、俺は剣を水平に払う。

刃がホブゴブリンの首に食い込み、そのまま筋肉と骨を抵抗なく切り裂きながら反対側の皮まで到達、その頭を胴体から切り離した。

生き残ったホブゴブリンが恐らく彼らの言葉であろうゴブリン語で何事かを喚いたようだが、ゴブリン語を知らないため意味は分からない。

恐らくは酷い罵り言葉か何かなのだろう。

俺がバルコニーで二匹目のホブゴブリンを仕留めた時、下から焦げ臭い肉が焼ける臭いが漂ってきた。

キルシュの“電撃”の魔術により放った一条の雷が、クロウラー三体の体を同時に貫いていた。

直線状に位置している対象の体を全て貫く電撃の魔術は、固まっている複数の目標を同時に攻撃するときに便利な魔術だ。

「すげぇな……。これが魔術ってやつなのか」

恐らく初めて見る魔術だったのだろう。

ディートリヒが“電撃”の威力に感嘆の声を上げた。

その初々しい態度に気を良くしたのだろう、キルシュが得意げに語りだす。

「うんうん、初めての魔術を目にした人の反応ってやっぱりいいね。もっと驚きを露わにしてくれていいんだよ。ザイなんてもともとが淡白な性格してるから、どんな魔術を見せてもまったく表情を変えてくれないんだよねぇ。こうなんというか、こうもう少し張り合いのあるアクションが欲しいんだけどねぇ……」

クロウラーたちは雷に体を貫かれて黒コゲになっていたが、その内一体がまだ生きていたようだ。

ゆらりと体を床から起こすと、キルシュに向かって猛然と飛び掛かってきた。

「見え見えな攻撃なんだよ、クソが!!」

しかし流石はBランク冒険者、この程度の動きは想定していたようでディートリヒは振り向きざまにハルバードの石突に用いてクロウラーの腹部に強打した。

鎧のように硬い外皮と違って、クロウラーの腹部はもろく柔らかい。

痛烈な一打を喰らったクロウラーは、ビクンと一度体を震わすと力尽き倒れた。

「おぉ、やるねぇ。下はこのままディードリヒくんとボクだけで制圧できそうだ。ザイ、キミはそのまま上から攻め上がってもらえるかな」

「はい。上から片付けていきます。そちらもお気をつけて、キルシュ」

キルシュがバルコニーの上でホブゴブリンと戦っている俺に指示を出してきた。

二匹の仲間が倒されたホブゴブリンは勝てないと見るや、俺に背を向けてバルコニーの東側にある扉に駆け出した。

戦局を見た判断は正しいが、扉の奥に仲間が隠れていた場合、俺たちの存在が知られて面倒な事になる。

コンポジットボウを取り出した俺は、矢をつがえて逃げ出したホブゴブリンの背中に打ち込んだ。

一射目は右肩甲骨の下を打ち抜き、続く第二射が僧帽筋の中央に突き刺さる。

恐らく悲鳴なのだろう奇怪な声をあげたホブゴブリンは、それでも絶命する前に最後の力を振り絞って扉を開けた。

開かれた扉の先には細い通路に続いており、右手には下りの階段があった。

剣を手に通路を進み階段のほうを見ると、そこは粗末な家具が置かれた部屋に通じていた。

中には装備品を手入れしているホブゴブリンが二匹いた。

それ以外にホブゴブリンよりやや体の小さい醜悪な顔をした魔物、恐らく下位種のゴブリンであろう魔物が三匹、こちらは汚い寝具の上でいびきをかいて寝ている。

魔物の群れが自分たちの仲間の変わり果てた姿を見て反応される前に、俺は弓を背中に収納し、剣を構えた。

そして階段を一気に駆け下り、勢いをそのままに部屋の中に突入する。

部屋に駆け込んだ俺は、突進する形で階段のすぐ近くにいたホブゴブリンの体にバスタードソードを突き刺した。

腹を貫かれて悲鳴を上げるホブゴブリンを見て、魔物の群れは慌てて戦闘態勢を整えようとしたが、もはや手遅れである。

ホブゴブリンの腹部からバスタードソードを引き抜き、俺はジョッキが置かれている木製の机を飛び越えると、二匹目のホブゴブリンのいる場所に隣接した。

なんとか鞘からショートソードを抜いて構えようとしたホブゴブリンだったが、狼狽えているようで構えに力が入っていない。

俺はバスタードソードを振るってショートソードの刀身を強打し、ホブゴブリンの手から強引に引きはがす。

そして獲物が無くなり無防備になったその体に、俺はバスタードソードの刃を振り下ろすと袈裟懸けに切り捨てた。

ホブゴブリンが血を噴き出して倒れる。

そいつが絶命していることを確認した俺は、部屋の反対側がいるゴブリン三匹に目を向けた。

すると。頼りにしていたホブゴブリンたちが倒れた事を見てとったゴブリンたちは、粗末な武器を手放して部屋を飛び出し一目散に逃げ出した。

ぎゃあぎゃあ意味不明な言葉で騒ぎたてながら廊下に逃げていくゴブリンたちだったが、その体に長大な氷柱が突き刺さる。

横合いから打ち込まれた氷柱がゴブリンの体を凍結させていき、あっという間に氷の彫像と化した。

「いいタイミングで飛び出してきてくれたね。難なく仕留めることができたよ、ザイ」

ゴブリンたちを“氷槍”の魔術により仕留めたキルシュと、その後ろにはディートリヒがついてきている。

彼らが歩いてきた廊下は、先ほど俺たちが通過した広間からこの小さな部屋を繋いでおり、その突き当りは眠れる竜の意匠が彫り込まれた石造りの二枚扉へと続いていた。

氷結したゴブリンと俺が仕留めたホブゴブリンの死体を目の当たりにして、ディートリヒは呆れ、もしくは諦めともとれるため息をつく。

「あんたらマジで半端ねぇ戦力だな……。あの数十秒の間にホブゴブリンにゴブリンたち、さらにはクロウラーの群れすら殲滅かよ」

「魔物相手に長期戦を行うのは不利だ。正体と数を把握できたならば、一気呵成にしかけて殲滅するのが一番理に適っているだろう」

「そりゃおっしゃるとおりだが、言うは易く行うは難しってやつだな……。毎度こんな手早く魔物を倒せたら苦労しねぇよ」

「……あんたも護衛士を目指してみたらどうだ?」

「はぁ? 護衛士ってそんな簡単になれるもんなのか」

冒険者は基本的に四人から五人のパーティーを組んで遺跡の探索や魔物の討伐にあたることが多い。

これに対し、魔術師と護衛士は大抵の事を二人で行うことになる。
一人で何役もこなせるだけの力量があるからこそできる業なのだが、魔術師と護衛士は慢性的になり手が不足している。

「もちろん簡単になれはしないが、門戸は常に開かれている。魔術師か護衛士の推薦を得られれば、見習いとして“叡智の塔”に所属できるぞ」

「あ、それいい案だね。魔術師もだけど護衛士は常に成り手が不足して“塔”でも困っているんだよ。才能ある人には是非加わってもらいたいね。ディートリヒ君が希望するならボクが推薦するよ」

俺の提案にキルシュも同意した。

「おいおい、ちょっと待てよ。なんで俺が護衛士を目指す話になってるんだよ? 俺は別なりたいなんて言ってねぇぞ」

「だが、あんたは今の冒険者としての自分に限界を感じてる。違うか?」

俺の言葉にディートリヒは押し黙った。

知り合ってから僅かな時間しか経過していないが、戦闘における実力は確かなものの、現状の自分に満足しておらず自分に自信が持てない態度から、俺はディートリヒが冒険者としての自分にこれ以上伸びしろがないと思っているのではないかと感じていた。

人間には誰しも才能の限界というものがあり、どんなに努力をしようとも越えられない壁が存在する。

だが、物事に対する取り組み方や手段を変えることで、あっさりとその壁を乗り越えることもできたりする。

護衛士になることで現在彼が感じている自分の壁を突破するかはどうかは、ディートリヒが自分で決めることだ。

俺はこれ以上勧めることはしなかった。

「さて話を戻すけど、この扉の先はどうなっているのかな?」

「この扉の先はまた入り口みたいな広間な開けた場所なんだが、確か祭壇みたいなもの置いてあって、たくさんのドラゴンの像が飾られていたな」

「なるほど、そこがファーブニルの神殿か礼拝堂みたいな場所かもしれないね。この遺跡に秘密があるとすればそこが怪しいけど、ザイは何か感じ取れた?」

「それが右の通路の先から何やら音が聞こえてきまして……。これは食器と何かがぶつかる音……それに笑い声に怒鳴り声……のよう言葉ですね。意味がわかりませんが、恐らくゴブリン語だと思うのですが」

ガチャガチャと何か物と者がぶつかり合うような音としわがれた声で何事かを呟いているようなのだが、言葉の意味が分からない。

先ほどゴブリンたちが会話してい言葉と同じような言語が聞こえるので、恐らくそこにゴブリンたちがいることは確実だろう。

これらの音は全て俺たちの正面にある両開きの扉から右側通路の先よりずっと聞こえてくる。

「ゴブリン語らしき会話が聞こえてくるのは分かるとして、物がぶつかる音ってなんだろうね? ディートリヒ君、あちらのほうには何があるのか分かる?」

「突き当った先には部屋があるんだが、そこには確か古びた盾やら剣やらもう価値も何もないクズ鉄みたいな物が並んでいただけの倉庫みたいな場所だったな……」

キルシュの問いにディートリヒは首を傾げて答えた。

彼の知っている情報と俺が掴んだ音の情報が一致していない。

どうやらこの先の部屋も以前の状況とは変化しているようだ。

「どうしますか? このまままっすぐ先に進むという選択肢もありますが……」

「正直悩むね。遺跡を調査するだけなら正面の扉の先のほうが怪しい。とはいえボクたちが解決すべき事は行方不明の冒険者たちの行方だよね。……うーん、冒険者たちの行方を把握するためにはこの遺跡の全てを調査する必要があるから、ここは脇道も全て確認しておくとしようか」

「わかりました。それでは先導します」

キルシュの判断に従い、再び俺が先頭に立って右側の通路を進む。

隊列は前から順に、俺、キルシュ、ディートリヒとなる。

俺たちが通路の突き当りに近づいていくと、声と音はどんどん大きくなっていく。

そしてディートリヒが言っていた通路の突き当りまで進み、左側に木製の扉があることを確認できたとき部屋の中から聞こえてくる音がピタりとやんだ。

どうやら俺たちの接近が察知されたらしい。

俺が後ろに視線をやると、キルシュとディートリヒがそれぞれ頷いた。

中にいる敵に俺たちの存在を気づかれた以上、やることは決まっている。

俺が先陣を切って部屋の中に突貫した。

ガァン!!

派手な音を立てて扉を蹴破り突入した先には、食堂と厨房、それに食料貯蔵庫が合わさったような部屋であった。

厨房には樽がいくつかと積み重ねられた薪が置かれ、煮炊き用の炉火が燃えている。

食堂らしき部屋の奥には使い古されたテーブルがあり、サイコロとカードが散らばっている様子から見るに賭け事でもしていたのだろう。

そしてホブゴブリンが三体、それにレザーアーマーに身を包んだ人間の男(傭兵か冒険者の類に見える)が二人、部屋の中で散会して待ち構えていた。

「ゴブリンに……人間だと!? こいつら組んでやがるのか?」

俺に続いてハルバードを構えて部屋に突入したディートリヒが、ホブゴブリンと人間が連携している様を見て驚きの声を上げる。

確かに人と魔物が組んでいる光景を見るのは珍しいが、たまに見受けられるシチューエーションでもある。

例えばこの人間たちがカルト教団の一員で邪神の信徒であるならば、同じ信徒である魔物と組んでいてもおかしな話ではないだろう。

「キルシュ、人間はどうしますか?」

「彼らからは何か聞き出せそうだね。生かして捕らえたいから、殺さないように無力化してもらえるかな?」

「余裕かましてるんじゃねぇよ!」

俺とキルシュが平然とやり取りしている事を自分たちへの侮りを見たか、憤りを露わにした男が腰に下げたロングソードを引き抜き俺に斬りかかってきた。

こうも簡単に挑発に引っかかってくれるとやりやすくて助かる。

男の大振りな斬撃を俺は体を右に少し移動させて回避すると、剣を掬い上げるように上に斬り上げた。

狙い違わず男のロングソードを握った腕を手首の先から切断する。

「ぎゃああああああ!!! う、腕、腕がぁぁぁ!?」

「大した傷でもないだろう。大人しくしていてくれ」

自分の腕が切り落とされて悶絶する男の腹部に俺は回し蹴りを打ち込んだ。

体が吹っ飛び壁に叩きつけられると、気を失ったようで静かになった。

これでしばらくは身動きを取ることができないだろう。

首の横から頸椎を狙って強打することにより意識を失わせることも可能なのだが、これは打ち方を間違えると体の全身に痺れが残ったり、何も話すことすらできない状態に陥ることもあるため、生け捕りにして情報を吐かせたい時には使用しない。

もう一体の男はというとこちらは棒立ちになったまま、その場からまったく動いていなかった。

否、動けないのだ。

男の口から涎が垂れ流され体は痙攣している。
これは体に情報を伝達して指令を流す中枢神経と呼ばれる部位が、一時的に魔術によって“麻痺”させられているからだ。

キルシュが使用した“麻痺”の魔術は、視界内にいる対象の動きを一時的に麻痺させる魔術だ。

魔素をコントロールして対象の神経に複雑な制御をかけるため効果対象が一度に一体と限られてしまうが、行動の自由を奪える効果は非常に高い。

残ったホブゴブリンはディートリヒが制圧していた。

ハルバートは多様な攻撃手段をもつ優秀な長柄武器だが、彼はそれを遺憾なくその性能を発揮させている。

長柄武器の利点は、剣などの近接武器に比べて圧倒的といえるその射程の長さだ。

一体目のホブゴブリンを槍の部分で腹を貫き、続く第二撃はハルバードを右に払い隣にいるホブゴブリンの胸元に斧の部分を叩きつける。

これらの攻撃の間、ロングソードやショートソードを装備しているホブゴブリンたちは一切ディートリヒに反撃できないでいた。

剣などの近接武器が自分の間合いに入ってくる前に、ハルバードであれば叩く、薙ぐ、斬る、払うなど相手の動きに対応した攻撃を繰り出すことで、一方的な戦況に持ち込めるのだ。

勿論この戦術に対処法がないわけではないが、槍の扱いに習熟した戦士の隙をつく事は至難の技である。

最後に残ったホブゴブリンは仲間たちが一瞬で制圧されたことを見ると、こちらに背を向けて部屋の奥にある厨房の方向に脱兎のごとく逃げ出した。

自分の不利を悟るや躊躇なく撤退を選ぶ姿勢は戦術的に間違っていない。

しかし目の前の相手が悪かった。

「逃がさねぇよ!」

ディートリヒは投擲用の短槍を取り出すと、逃げるホブゴブリンの背に向けてそれを投げた。

ドスッという鈍い音と共に背中に投げ槍が突き刺さり、口から血を吹きだしながらホブゴブリンは床に倒れ伏す。

「ホブゴブリン三体を一人で片付けるとはやるな」

ここにいた全ての敵が制圧されたことが確認できたので、俺は手首を切り落とした男の体をロープで縛り、切断した腕の断面を包帯で覆いきつく縛る。

このままだと出血多量で意識を失い、尋問に差し障りがでるからだ。

「さっきあれだけの数のゴブリンを一人で斬り殺してきたアンタに言われても、嫌味にしか聞こえねぇよ」

「いや、これは俺が護衛士として感覚と肉体の強化を行っているからの結果であって、強化が一切ない状態でこれだけ動けているあんたは戦士として中々なものだと思うぞ」

「ありがとよ。ただまぁ……そうだよ。あんたのいう通り、俺はすでに冒険者としての自分に限界を感じてる。修練を重ねてここまではこれた。たが、これ以上自分が伸びるイメージも湧かねぇんだよ」

イメージする事は大切だ。

イメージできるということは、ある程度のレベルでそれを実現できる可能性がある。

しかし自分がイメージできないことは、自分の力だけで実現することはまず不可能だと言える。

自分が想像できない事は今の自分の能力をはるかに超えたものであるからだ。

キルシュが“麻痺”によって体の自由を奪った男にもロープを用いて拘束しながら、俺は自分の持つ考えをディートリヒに述べた。

「肉体の限界なのか才能の限界なのかそれは神ならぬ身で分かるはずもないが……。可能性があるならそれに賭けてみるのも一つの手だろう。護衛士になったからといっていきなり強くなるわけはなく、それなりの時間修練する必要があるがな。それでも伸びしろが生まれるのは悪くない選択だと俺は思う」

「あんたも自分の力に限界を感じたから、護衛士を目指したのか?」

「いや、俺は……なんでもない」

「……?」

キルシュの方に一瞬目をやって、俺は言葉を濁した。

俺が護衛士になった理由はただ一つなのだが、その理由を本人の前でいうことはさすがに憚られた。

愛した人の傍らにいるためというこの想いがキルシュに通じているかどうか分からないし、ましてやストイックに自分の戦士としての限界に悩んでいるディートリヒにする話でもないだろう。

麻痺している男の拘束も終えて、俺はキルシュに尋問に準備が完了したことを伝える。

「キルシュ、拘束完了しました。どうぞ」

「ありがとうザイ。じゃ、そろそろ尋問を開始しようか。この部屋でも行方不明になった冒険者たちに繋がるものは見つからないからね。分からない事は分かる者に尋ねるのが手っ取り早いよね」

パチンとキルシュが指を鳴らすと、“麻痺”の魔術が解かれて男は体の自由を取り戻した。

「ぷはぁッ……はぁ……はぁ……。お、俺に何をしたんだ?」

“麻痺”に初めてかかった対象は、神経伝達が阻害され体の大半の個所に電気による信号が十分に送れなくなるため、頭で考えた行動がまったく取れなくなるという恐らく生まれて初めての経験を味わう事になる。

全身の筋肉が緊張したまままったく動かせない状態に陥るため、拷問に近い状況に陥らされるのだ。

キルシュを見る男の瞳に恐怖の色が浮かぶのも無理のないことである。

「“麻痺”の魔術で君の体の自由をほんの少しだけ奪っただけだよ。さて、自分の置かれた状況はよく分かっていると思うから余計な説明は省くね。単刀直入に聞くよ、君の知っていることを全て教えてもらいたい」

「……」

男は無言で顔を横に向け、拒否の意思を見せた。

キルシュの魔術に恐怖を感じているようだが、秘密を漏らすことにはそれ以上の恐怖を感じているようだ。

この男の立ち居振る舞いを見るに忠義心など皆無である匹夫の野盗の類に見えるので、矜持などではなく圧倒的な恐怖のせいで口を閉ざしていると見るべきだろう。

「素直に話すつもりはなさそうだな。こりゃ拷問するしかないんじゃねぇか?」

魔物に協力していたと思われるこの男はすでに論外であるが、野盗や強盗、奴隷商や麻薬商など道を踏み外した人間に対して世界の法は厳しい。

発覚した時点で問答無用で斬首など極刑が下され、基本的には情状が酌量される余地はない。

ディートリヒの発言はごく当たり前の発想なのだが、この男が口を閉ざしている原因が恐怖だとしたら多少の尋問では口を割らないだろう。

しかしキルシュはこのような状況に対しても様々な交渉のカードを用意している。

「いやぁ、それは徒に時間を消費するだけで成果が上がりにくい方法だね。恐怖で口を閉ざしている者の口を開かせるのは中々に苦労するよ。心に壁を作ってしまってるからね」

「だからといってキルシュさんよ、手をこまねいていても事態は変わらないぜ」

「その通りだね、ディードリヒくん。こういう時はね、無理に壁を打ち壊すより横からすり抜けさせてもらったほうが効率がいいんだよ」

キルシュが男の瞳を見つめると、顔の横に指を寄せてもう一回パチンと音を鳴らした。

すると瞳が死んだ魚のように灰色に濁り、表情が弛緩して口が半開きの状態になる。

そして、もう一度キルシュが男に質問した。

「さて、ではもう一度やり直そう。ボクの質問に答えてくれるかな? まずはキミの名前を教えて」

「……オルフ……です」
「オルフ君だね、結構。さて、それでは質問を続けるよ。キミはここであのホブゴブリンたちと何をしていたの?」

「……ここに来る冒険者たちを…捕らえて…主に…捧げていました……」

オルフと名乗った男は、キルシュの質問に対してたどたどしい口調で答えていく。

その光景を目の当たりにして驚きを隠せないディートリヒが俺に問うてきた。

「なんなんだこりゃ……。キルシュの旦那はあいつに一体何の魔術を使ったんだ?」

「“魅了”の魔術だ。これをかけられた対象は、術者が自分に近しい者のように錯覚しその者の言葉に従うようになる」

「言葉に従うようになるって、そいつはなんとも……」

「えげつない効果だよね」

ディートリヒが言い淀んだ言葉を、苦い笑みを浮かべたキルシュが繋いた。

「そこまでは言わねぇが……」

「いやいや、実際にえげつないんだよ。こんな力を他人にふるって良いわけがない。そう考える君の感性は人として正しいんだよ。ボクたち魔術師と護衛士が人間の世界になるべく関わらないようにする理由の一つがここにあるんだ。魔術を使えば大抵のことは何とかなるけど、だからといって何をしても良いわけじゃない。力あるものが好き勝手に振る舞う世界ほど危険で見苦しいものはないからね」

「……」

「魔術師の干渉は世界にとって必要最低限、これは鉄則だね。しかし今回の件はその観点から見ても例外だよ。人間と魔物が協力しあって、何か事を起こそうとしているなんて異常事態はさすがに見逃すわけにはいかない。ではオルフ君、キミたちに冒険者たちを攫わせて捧げさせているものとは一体誰なんだい?」

「……それは…主…」

「主の名前を教えて」

「…それは…それは…それ…ソ…れ…それそれそれそれそソレソレソレソレソレソレソレソレソレソレソレ」

それまで“魅了”の魔術の影響でキルシュの支配下に置かれていた男が、急に意味不明なことを口走り始めた。

そしてその様子を見たもう一人の捕虜にした男が血相を変えて叫び出す。

「やめろ、やめてくれ! そいつに、俺たちに、その答えを言わせないでくれ! さもないと……!!」

「さもないと……?」

「う! うぅぅぐぅぅおえぇぇぇ!!!!」

キルシュの問いは、オルフの変調によって答えられた。

彼は胸が苦しいのか何度も何度もかきむしり、やがて口から泡を吐き出すと白目をむいて倒れ伏し体が痙攣し始める。

「これは一体……む?」

見れば先ほどキルシュに制止することを求めた男の方も同じような症状に陥っていた。

「うぅぅぐぅぅぅぅぅ!!」

「おい、しっかりしろ!」

俺は急いで男たちの元に駆け寄り、それぞれの左手首の動脈に人差し指、中指、薬指をあてて脈をとった。

しかし既に脈はなく、既に二人とも泡を吹いたまま事切れていた。

目の前で起きたあまりにも突然すぎる男たちの死に、ディートリヒは驚きを隠せなかった。

「な、何が起きたんだ……?」

俺は先ほど彼らの体に起きたことを見て、この突然死の理由を推測してみた。

「これは……、冠動脈の血管が詰まり心臓の筋肉に栄養や酸素が届かなくなり、筋肉が壊死してしまう時の症状に似ていますね。ただ……」

「それにしてはあまりに症状の進行が急すぎるね。最低でも数分から十分は苦しみが続くはずだし、こんなすぐに心臓の筋肉が壊死するわけはないよ」

キルシュの言葉どおり、俺が想定した症状が彼らの体で発症したとしても一分もかからずに死に至るようなことはない。

突然の死因がどこにあるのかと俺が男たちの服を割いて胸元を開けさせると、そこにあったものを見てキルシュがため息をつく。

「……やられたね」

彼らの胸元には竜をイメージさせるデザインの刺青らしき刻印が施されていた。

「これは隷属紋……ですか。ただ、あの獣人の二人につけられていたものとは違うようですね……」


「そのようだね。まずは調べてみるとしよう」
その紋に指を這わせて“解析”の魔術をかけたキルシュは、紋の仕組みを即座に理解したようだ。

僅かに表情を曇らせながら、彼は結果を告げた。

「うん、どうやら術者は別のようだ。この紋にはどうやら別の魔術がかけられていたみたいだね。特定の言葉を発すると血管が詰まり、心臓が壊死されるよう細工されていたよ。恐らく“制約”がかけられていたのだろうね」

対象を術者に強制的に従わせる隷属紋は、“隷属”をかける術者によって紋のデザインが変わるという特性がある。

ちなみにエーリカとシュールの胸元に刻まれていたのは、手のひらの中にある瞳だった。

これは術者が自分をイメージするものが投影されるというのが魔術師たちの通説だが、正確な理由はまだ解明されていないらしい。

「よくわからねぇが、要は余計なことを言うと即死するようになってたというわけか……。ひでぇことしやがるぜ」

「まったくだね。“隷属紋”だけでも大問題だというのに、“制約”まで重ねがけするなんてとんでもない術者だよ。放置しておくわけにはいかないね。ついでにいうとこの“制約”、ちょっと弄られた形跡があるよ。たぶん、苦痛を与えるだけでなく対象が死ぬように効果が改悪されてるね」

“制約”とは対象に術者が指定した特定の行為を禁じる魔術である。

禁を破った場合、対象に激しい苦痛を与えるのが本来の魔術なのだが、この二人にかけられた“制約”は相当酷い効果をもたらすよう改悪されていたようだ。

“叡智の塔”に所属する魔術師であれば考えられない所業であるが、魔物やそれに組することを厭わない外道なら話は別だ。

死んでしまった人間とホブゴブリンの死体、それから部屋の中を調べてみたが僅かな銀貨と戦利品となる装備品以外これといった品は見つけられなかった。

「連中、マメな連中だぜ。さっきの部屋とここで寝泊りできる環境を整えてやがったんだな。以前の部屋とは大違いだ」

ディートリヒの話によると本来ここは遺跡の倉庫らしい場所だったらしいが、話にでていた盾や武器などは全て片付けられ食事と休憩が採れる食堂のような場所に切り替えられていた。

魔物にしてはマメすぎる行為なので、恐らく隷属紋を刻まれていたあの人間たちが用意したのだろう。

邪竜ファーブニルのカルト教団には、弱者から略奪することを良しとする邪な教義に惹かれた人間の信者が参加している場合も多いのだ。

「とりあえずこの部屋で集められる情報はこれで終わりかな。となると、先ほどの両開きの扉のところまで戻るべきなんだけど……」