「一体女神様は何を考えてこんなことを?」
「知らんがな。本人に聞いたらどうじゃ? ただ、やった人の元にワシらが生まれただけとも言えるな。つまり無数の試行の中で、こういうことをやった人だけ認識されるってことじゃろ。それが宇宙の意志……じゃろうな」
「宇宙の意志……。宇宙に意識があるってわけじゃなくて、確率的な話の集大成の結果、それが選ばれたように見えるってこと……なのか」
「観測者からはそう見えるという話かもな。ただ、女神様も自分の手でこんなものは作らんよ。全部やっとるのはAIじゃ。要はAIをうまく飼いならしたか……それとも……」
ネヴィアはそう言いながら肩をすくめた。
「はぁ……。何とも壮大な話だね。女神様以外の人はどうしてるの?」
「みんなもう何十万年も前に寝てしまったそうじゃ」
「えっ!? では、この世界を創った人類はもう一人しか残っていない?」
「そうじゃな。人類はな、AIを開発するとなぜか少子化になり、長寿に飽き、ひっそりと消えていくんじゃ」
ネヴィアは渋い顔で首を振る。
「そ、そんな……」
「だから新たな地球を創り続ける必要があるってことじゃな」
「はぁ……」
タケルはあまりにスケールの大きな話に圧倒され、大きく息をつく。
六十万年の壮大な試行錯誤の結果、自分が生まれ、紆余曲折を経て今、その本質に向けて宇宙を旅している。それはまるで夢のような現実感のない話であったが、それでもなぜかタケルにはこうなるのが必然であったかのように感じられてしまうのだった。
徐々に近づいてきた海王星は、満天の星の中、澄み通る深い碧の壮大な美しい円弧を描き、タケルの胸にグッと迫る。この風景は一生忘れないだろうと、タケルはしばらく瞬きもせずにじっと見つめていた。
◇
その時、タケルはコンテナの影で何かが動いたように見えた。
「あれ? 何かがいる……? 人……?」
「な~に、言っとるんじゃ……。 こんな宇宙空間に、それも航行中のコンテナに人などおる訳なかろう。ふぁ~あ……」
ネヴィアはリクライニングしたシートに寝っ転がりながらあくびをする。
「いや……、でも人間……っぽいですよ? でも宇宙服も何も着てない……」
「はっはっは! 宇宙服着てなきゃ人間は血液が沸騰して即死じゃよ。物理的にありえんって」
ネヴィアは笑い飛ばし、グミをまた一つつまんだ。
「そうなんですけど……、こっちに来ている……? あっ、青い髪の……女の子?」
それを聞いた途端、ネヴィアは真っ青な顔をしてガバっと起き上がる。
「緊急離脱!! エンジン始動!!!」
切迫した叫びをあげながら、ガチリとエンジンのスイッチを押し込んだ。
「え? どうした……の?」
タケルはその鬼気迫るネヴィアの豹変をポカンとした顔で眺める。
「どうもこうもあるかい! 殺されるっ! なぜあのお方がこんなところにおるんじゃぁぁぁ!」
ネヴィアは冷汗をたらたら流しながら、必死にモニターのボタンをタップしていった。
「出航チェック全無視! 緊急出航!」
固定していたロープを強引に切断し、貨物船から離れるとネヴィアはすぐにエンジンを全開で噴かす。
ズン!
衝撃音がして激しいGがタケルを襲った。
うぉぉぉ!
シャトルはビリビリと船体を震わせながらあっという間にマッハを超えていく。
「くぅぅぅ……。追いかけてきませんように……」
ネヴィアはガタガタと震えながらギュッと目をつぶり、祈った。
「こんなに速度出てたらあの娘も追って来れないんじゃない?」
遠目には人懐っこそうな可愛い少女にしか見えない彼女を、なぜここまで恐れるのかタケルには良く分からなかった。
「バッカモーン! あのお方は星間の狂風シアン様じゃ。宇宙最強の大天使なんじゃぞ! 速度とかあの方の前には何の意味もないんじゃ……」
「宇宙……最強……?」
タケルが首を傾げた時だった。
ビターン!
船体に衝撃が走り、フロントガラスに何かが張り付いた。
ひぃぃぃぃ!
ネヴィアが凄い声で叫ぶ。見上げればそこには太ももの美しいラインが宇宙空間の中に浮かび上がっている。
『ガガッガー!!』
いきなり無線からノイズが走った。
『みぃつけた……、くふふふ……』
スピーカーから流れてきた若い女の子の声。そして、コクピットからの光で浮かび上がる、まるで獲物を見つけたかのような笑みを浮かべる美しい顔……。
タケルはその信じがたい大天使の襲来に言葉を失い、ただ静かに首を振った。
「おぉっといけない!」
ネヴィアは操縦桿を一気に倒して一直線に海王星へと落ちていく。
ぐぁぁぁ!
いきなり襲われる強烈な横Gにタケルは必死にひじ掛けにしがみついた。
『そんなことしたって無駄だよー。くふふふ……』
あれほど強烈な横Gを食らってもシアンは平然とフロントガラスにしがみついている。
『何を企んでいるのかなぁ……?』
碧い目をキラリと光らせながらシアンはネヴィアをにらみつけた。
コォォォォォ……。
今まで無音だった宇宙空間だったが、徐々に何かの音が響いてくる。
『およ?』
シアンはキョロキョロと辺りを見回した。そして、海王星がもう目前にまで迫っているのを見るとギリッと奥歯を鳴らし、ネヴィアをにらんだ。
『お前、大気圏突入で僕を焼く気だね? ふーん、どうなるかやってみようか?』
ネヴィアは目をギュッとつぶり、ガタガタと震えるばかりだった。
やがて風きり音が激しく船内にも響き始め、フロントガラスもほのかに赤く輝き始める。
その中でシアンはまるでサウナで暑さに耐えるように、歯を食いしばりながら超高圧と灼熱に耐えていた。
そもそも宇宙空間で生身になっていること自体意味不明なのに、大気圏突入にまでつきあっているこの少女にタケルは絶句してしまう。
くぅぅぅ……、ぐあぁぁぁぁ!
断末魔の叫びがスピーカーから流れた直後、シアンが閃光を放ち、激しい炎を伴いながら燃え上がる。目の前で燃え上がる少女の凄惨なさまにタケルは思わず目を覆った。
さすがの大天使も生身の大気圏突入は厳しかったようである。
しばらく激しい轟音が響いていたが、徐々に落下速度が落ちてきて風きり音も落ち着いてくる。
タケルが目を開けると、目の前には黒焦げになった『人であったモノ』がべったりとフロントガラスに張り付いており、そのホラーな情景に叫び声をあげた。
ひぃぃぃ!
「くぅぅぅ……。やってまった……」
ネヴィアは頭を抱えて突っ伏している。大天使を殺してしまった場合、一体どんな罪になるのか分からないが、ネヴィアの様子を見るに相当にまずい様子だった。
「ど、どうするのこれ……?」
恐る恐るタケルは聞いた。
「どうもこうも……」
「バレ……ないの?」
「バレる……じゃろうな……」
「もうバレてたりして。くふふふ……」
いきなり後部座席から声がして、二人はあわてて振り向いた。そこには青いショートカットの可憐な少女が、シルバーの近未来的なボディスーツを身にまとって笑っている。それは焼かれたはずのシアンだった。
「い、いつの間に!?」
目を白黒させているネヴィアの首を後ろから両腕でキュッと締め上げ、チョークスリーパーに持っていくシアン。
「熱いじゃない! 何してくれんのよ!!」
「ぐほぉ! ギブ! ギブ!!」
ネヴィアは白目をむいてシアンの腕をタップした。
「航空法違反、公安法違反、殺天使犯で三倍満だ! お縄につけぃ!」
シアンはプリプリしながらネヴィアの首を絞めあげる。
キュゥゥゥ……。
ネヴィアはたまらず気絶してしまった。
「あぁっ! ネヴィアぁぁ! 死んじゃいます、緩めてください!」
タケルは慌ててシアンの手を引っ張り、懇願する。クレアを生き返らせに行くのに、ネヴィアが死んでしまってはやりきれない。複雑な事情は分からないが、この場で死刑はさすがに理不尽すぎる。
「およ? 死んじゃった……?」
シアンは慌てて技を外すと、白目をむいてるネヴィアの頬をペチペチと叩いて首を傾げた。
◇
シャトルをホバリング状態にさせ、二人を座席に正座させたシアンは、どこから出したのか赤と黄色のピコピコハンマーを片手にニヤッと笑った。
「お待ちかね! 尋問ターイム!!」
何がそんなに楽しいのか、上機嫌なシアンはハンマーで座席をピコピコ叩きながら叫ぶ。
タケルとネヴィアは渋い顔をしてお互いを見合う。
星間の狂風という二つ名を持つ、宇宙最強の大天使がなぜここまで子供っぽいのか理解できずにタケルは首をかしげた。
「さて、容疑者ネヴィアよ。お前はこのシャトルで何を企てていたんだ? 洗いざらい吐け!」
シアンはピコッとハンマーでネヴィアの銀髪頭を叩く。
「あ、いや、こ奴にジグラートを見学させようと……」
「ダウト!」
シアンは目にも止まらぬ速さで、ピコピコハンマーをネヴィアの脳天に叩きつけた。
ピコッ!
「重罪を犯して見学なんてする訳ないでしょ? 馬鹿にしてんの?」
シアンは目を三角にしてプリプリと怒る。
「あっ、こ、こ奴がどうしても見たいと……」
ネヴィアが何とかごまかそうと必死になった時だった。
「あぁ?」
シアンはドスの効いた声を上げると、ピコピコハンマーの柄をパキッと割り、中から青く輝くナイフを取り出した。
「言わないなら、この頭カチ割って脳髄から直接データ……取るわよ?」
シアンは嗜虐的な笑みを浮かべながらガシッとネヴィアの首根っこをつかむと、青く鋭く光る刀身をペロリと舐める。
ひ、ひぃぃぃ!
その不気味に光るナイフにネヴィアはすくみあがる。この人はやると言ったら、本当にやってしまう厄介な人だったのだ。
「ま、待ってください! これは僕のためにやってくれたことなんです。彼女は悪くありません!」
タケルは耐えられずに声をあげた。
「ほう?」
シアンは嬉しそうにタケルの方を見てニヤリと笑う。
「我々はただ、理不尽に殺された少女を生き返らせたい、ただそれだけなんです!」
タケルは今までのこと、どうしてもクレアを生き返らせたいということを切々と語った。
「まぁ、そんなことだろうと思ってたんだよネ」
シアンは肩をすくめ、つまらなそうに首を振る。
「見逃してください! お願いします!」
タケルは必死に頭を下げる。ここで否定されたらもはやクレアは生き返らないし、自分たちは重罪人で処罰されてしまう。どうしても見逃してもらうしか手がなかった。
しかし、シアンは碧い目をギラリと光らせ、腕で×印を作る。
「ダーメッ! 人を生き返らせたい、それはみんな思うの。でも、そのたびに生き返らせていたら世界は大混乱だよ? 世界を健全に保つには新陳代謝が必要。これは鉄則だゾ!」
「そこを何とか!!」
「ダメったらダメ! これは厳格な規則なの!」
完全に拒絶されてしまって、タケルには道がなくなった。もちろん、彼女の言うことは正しい。死んだ者を生き返らせるのは世界にとって禁忌だろう。だが、だからといってクレアの死を受け入れるわけにはいかない。シアンの納得できる条件とは何だろうか? タケルは必死に考え、究極の条件を思いつく。それはタケルの出せる最後の条件だった――――。
「だったら……。等価交換……させてください」
「等価……交換……?」
「そうです。僕の命を……彼女の命に代えてください」
タケルはシアンの目を真っ直ぐに見つめ、全ての想いを乗せて言い放った。
「お、お主! 何を!」
ネヴィアが慌てて止めに入る。
「クレアは僕のために死んだんだよ! 生き返るならこの命は惜しくない!」
タケルは自然と湧いてくる涙を押さえられず、ポロリとこぼした。
「本気……? あなた死ぬのよ?」
シアンは首を傾げ、タケルの顔をのぞきこむ。
「本気です! 嘘は言いません!!」
タケルはまっすぐにシアンの青い瞳を見つめた。
「ふぅん……、なるほど……ね。凄まじいまでの想いだ……」
シアンはそのタケルの覚悟に少し驚いて、大きく息をついた。
「だ、だったら……」
「でもダメよ。例外は認められない」
シアンは申し訳なさそうに首を振る。
「何とか、何とかお願いしますぅ……。クレアがいない人生なんて耐えられないんですぅ……」
タケルは泣き崩れた。失って分かったクレアの大切さ。心の奥にはクレアの笑顔がたくさん詰まっており、今までタケルはクレアの笑顔によって生かされていたのだ。
「なんだ、面倒くさい奴だな……」
シアンは口をキュッと結ぶと大きくため息をつき、空中に画面を浮かべて何かを調べていった。
「ほぉ……。へぇ……。なんと! ははっ、お前面白い奴だな!」
画面を食い入るように見つめながら、シアンは楽しそうに笑う。
何が楽しいのか良く分からないタケルは、泣きはらした目でシアンを見た。
「お前、僕の弟子になれ!」
シアンはタケルの肩をポンポンと叩くと、ニヤッと笑った。
「へ……? で、弟子……ですか?」
「弟子であれば僕の身内だ。身内の大切な人を生き返らせたくらいなら、誰も文句言わないよ?」
「え……? い、いいんですか?」
タケルは目を大きく見開き、思わず立ち上がる。
「女神様がね、君を転生させたの、なんだか分かる気がしたんだ。君には何かがありそうだ。でも、弟子ってことは、僕の言うこと何でも聞くんだゾ?」
シアンはいたずらっ子の笑みを見せながら、タケルの涙でグチャグチャの顔をのぞきこんだ。
「は、はい! 何でも聞きます! よろしくお願いします。」
タケルはまぶしい笑顔を浮かべ、シアンの手をギュッと握った。
「お主! これは凄い事じゃぞ! 星間の狂風シアン様の弟子と言ったらもはや誰も逆らえんぞ!」
「くふふふ……。でも、僕が『死ね』って言ったら死ぬんだぞ?」
シアンは邪悪さの漂う笑みを浮かべる。
「えっ……? くぅぅぅ……、わかり……ました……」
タケルは弟子になることの重大さに唇を噛み、うなだれた。この破天荒な少女の要求は軽く常識を超えてくるだろうことは想像に難くない。しかし、クレアを生き返らせるためにはなんだって受け入れるしかないのだ。
「これで一件落着! 弟子一号君、よろしく! うししし……」
シアンは楽しそうにパンパンとタケルの肩を叩いた。
◇
「ところで、シアン様はなんであんな所にいたんですか?」
ネヴィアが少し不満げに聞く。
「えっ!? あー! 忘れてた!」
シアンはポンと手を叩くと、上空をキョロキョロと見回し始めた。
「なんかねー、テロリストがあの貨物船に何かを仕込んだらしくてね……。お、あいつかな?」
シアンは空の一点を凝視し、うなずくと空中に画面を開いて何やら計算し始めた。
その方向には何やら光る点がゆっくりと動いて見える。
「どうやら貨物船も大気圏突入段階に入ったようじゃな……」
「ふんふん、じゃ、この辺りでいっかな……」
シアンは両手を前に出し、目をつぶると何かをぶつぶつと唱え始めた。すると、向こうの方で何やら竜巻が渦を巻き始める。
「竜巻だ……、竜巻で一体何を……?」
シアンは何やら楽し気にぶつぶつとつぶやき続ける。
タケルはネヴィアと目を合わせ、首をかしげた。
竜巻はどんどんと大きく成長し、やがて上の方に大きな水の球を形成していく。それは海王星のうっすらと青い輝きを反射して碧く美しく輝いた。
タケルはその美しい輝きに魅せられる。
「綺麗……ですね……」
しかし、シアンは余裕のない様子で眉間にしわを寄せ、何やら渾身の力を振り絞り始めた。
徐々に成長していく水の球……。やがて、それは直径数キロの巨大なサイズにまで膨れ上がっていく。
シアンは満足げな表情でふぅと息をつくと、水筒を取り出し、ゴクゴクとアイスコーヒーでのどを潤した。
「水玉で……どうするんですか?」
「まぁ見てなよ。面白いよ! くふふふ……」
見れば貨物船の輝きが一層増して、まぶしいくらいの閃光を放っている。全長三キロにも及ぶ巨大なコンテナの集合体はノズルスカートを前面に出し、大気と激しく反応しながらマッハ二十の超音速で海王星へと降りてきているのだ。
見る見るうちに大きく見えてくる貨物船。それは吸い寄せられるように一直線に水玉を目指した。
「まさか、衝突させるんですか!?」
ネヴィアは叫んだ。マッハ二十とは銃弾の二十倍の速度である。そんな速度で水に突っ込んだら大爆発を起こしてしまう。
「ピンポーン! そんなシーン今まで見たことないでしょ? くふふふ、楽しみっ!」
シアンはいたずらっ子の笑みを浮かべて笑う。
「いやちょっと、マズいですって! こんなところに居たら巻き込まれますよ!!」
「だーいじょうぶだってぇ! ネヴィアは心配性だな。がははは!」
パンパンとネヴィアの背中を叩くシアン。
「乗務員はどうなるんですか?」
タケルは恐る恐る聞いた。
「テロリストの話があった時点で退避済み。あれは自動運転だよ」
「貨物は捨てちゃうってことですか?」
「テロリストに汚染された貨物なんて恐くて使えないからね。焼却処分さ」
シアンは渋い顔で肩をすくめる。
「でも、貨物船は……もったいないのでは?」
「そんなの造り直せばいいだけさ。うちの弟子にやらせれば解決!」
「えっ!? 弟子って……?」
「僕に弟子なんて一人しかいないゾ!」
シアンはニヤッと笑うとタケルを指さした。
「マ、マジですか!? あ、あんなの造れませんよぉ」
タケルは泣きそうになる。
「頑張ればできる! 気合いだ! ほら来たぞぉ! 五、四、三……」
シアンはウキウキしながらカウントダウンを始めた。
激しい閃光を上げながら長大な貨物船は真っ白な光跡を描き、ものすごい超高速で一直線に水玉に突っ込んでいく――――。
刹那、激烈な閃光が海王星を包んだ。
巨大水玉に突っ込んだ貨物船はその膨大な運動エネルギーを瞬時に熱エネルギーに変え、大爆発を起こしたのだ。後方のコンテナ群は次々と折れ曲がりながらその爆心地に突っ込んでいき、さらなる爆発を加速した。
グハァ! ひぃぃぃぃ!
その激烈な閃光はシャトルを焦がし、タケルたちは顔を覆った。
爆心地からは白く繭状の衝撃波が一気に広がっていく。
「退避! たーいひ!!」
ネヴィアは目をつぶったままシャトルのエンジンをふかして逃げ始める。
ズン!!
直後、衝撃波がシャトルを襲い、まるで木の葉のように吹き飛ばされながらグルグルと回転していった。
うわぁぁぁぁ! ひぃぃぃぃ! きゃはははは!
三人は必死に振り落とされまいと座席にしがみつく。
次に襲ってきたのはコンテナの残骸だった。ひしゃげた部品などが次々とシャトルに突っ込んできて当たり、ヤバそうな衝撃音を立てている。
「だからマズいって言ったんじゃーー!」
涙目のネヴィアは必死に操船しながら叫ぶ。しかし、シアンはジェットコースターに乗った子供のように笑った。
「きゃははは! たーのしーっ!」
タケルはとんでもない人の弟子になってしまったことを後悔しながら、虚ろな目で激しく揺れるシャトルのシートにしがみついていた。
◇
「あー、楽しかった!」
シアンはご満悦で座席にドスッと座りなおすと、水筒を取り出しておいしそうにアイスコーヒーを飲んだ。
「『楽しかった』じゃないですよ! 一歩間違えば死んでたんですから!」
ネヴィアはプリプリしながら言った。
「でも、なかなかできない体験だったでしょ?」
「普通やりませんからな」
ネヴィアは口を尖らせた。
「まぁ、これで懸案は解決! それじゃ、どうやってクレアちゃんを復活させるつもりだったか見せてもらうゾ! 出発進行!!」
シアンはピコピコハンマーで楽しそうに座席を叩いた。
シャトルは海王星の中へと降りていく。雲を抜け、深い碧へとどんどん降りていくと白い霧の層に入ってきた。それをさらに碧暗い奥へと降りていくとやがて闇に包まれていく。
ヘッドライトをつけ、まるで深海のような暗闇をさらに下へ下へと潜っていく。
「こんなところに……本当にあるの?」
タケルは不安になってネヴィアに聞いた。
「普通そう思うわな。何もこんなところに作らんでも……」
ネヴィアはグングンと数値が上がっていくモニターの深度計を見ながら、肩をすくめる。
さらにしばらく降りていくとモニターに赤い点が表示されはじめた。一列に並んでいる点にはそれぞれ四桁の番号が振られている。
「あー、うちの星は3854番じゃったな……。お、あれじゃ!」
ネヴィアはそう言いながら点の一つへと近づいて行く。ヘッドライトにはチラチラと雪のような白い粒が舞って見える。
「これが……、ダイヤモンド?」
「そうじゃが、このサイズじゃ宝石にはならんな。カッカッカ」
「これ、もっと深くまで行くと大きいのがあるんだよ? くふふふ……」
シアンは楽しそうに笑う。
「ちょ、ちょっと待ってください。そんな深くまで潜れる船なんてないですよね?」
ネヴィアは怪訝そうな顔で聞いた。
「僕の戦艦大和ならいくらでも大丈夫! エヘン!」
シアンは意味不明なことを言って自慢げに胸を張る。
「ほら、もうすぐ見えてくるぞー」
ネヴィアは面倒くさい話になりそうだったので、聞かなかったふりをして前を指さした。
やがて、暗闇の中に青白い光が浮かび上がってくる。それはまるで深海に作られた基地のようにダイヤモンドの吹雪の中、幻想的に文明の明かりを灯していた。
近づいて行くと全容が明らかになってくる。漆黒の直方体でできた武骨な構造体は全長一キロメートルほどあり、継ぎ目から漏れる青白い光が表面に幾何学模様を描く。それはまるで暗闇に浮かぶ現代アートのような風情だった。
タケルはその異様な巨大構造体を前にして不思議な感傷に包まれていた。生まれてからずっと自分はこの中で生きてきたのだ。街も友達もそしてクレアとの交流もずっとこの中で営まれていたのだ。この太陽系最果ての碧い星の奥底、ダイヤモンドの吹雪の中で、淡々と地球は創出され、回り続けていた。
これはとんでもない奇跡なのではないだろうか?
生まれ育ってきた故郷の真の姿を目にして、タケルは自然と湧いてくる涙を指で拭いながら、近づいてくる偉大な巨大構造体をじっと見つめていた。
◇
無事接舷したシャトルから降りると、肌を刺すような冷気に襲われる。
「ひぃ~っ! 寒いっ! 寒いっ!」
シアンは叫びながら通路をダッシュして、ジグラートの内部へと跳び込んでいった。
タケルもガタガタ震えながらシアンを追う。何しろ外は空気も液化してしまう極低温なのだ。通路もかなりの低温になってしまう。
ジグラートの内部へ足を踏み入れた瞬間、視界はたちまち虹色の光の洪水に飲み込まれ、タケルは息をのむような美しさに目を奪われた。それは微細でありながら、無数の輝きが絡み合い、まるで生きているかのように躍動し、幻想的な景色を作り出していた。
ほわぁぁぁ……。
「どうじゃ? これが地球じゃよ。驚いたか?」
ネヴィアは圧倒されているタケルにドヤ顔で笑う。
Orangeのデータセンターも相当に高集積されたサーバー群だったが、さすがにジグラートは次元が違った。スパコンの一兆倍はあろうという超ド級のデータセンターは、もはや神々しささえ感じさせる圧倒的なスケールだった。
小屋サイズの円筒形のサーバーラックが無数の虹色の光を明滅させながらずっと奥まで並び、それが上にも下にも金属のグレーチングの通路を通してどこまでも続いて見えるのだ。
見れば一個一個のサーバーは一枚の畳のようなクリスタルの結晶である。きっと光コンピューターだろう。それが軸に向かってたくさん挿さって円柱状になり、それが何層にも積み重なって一つのサーバーラックを構成しているようだ。そして、そのクリスタルの結晶からは微細な無数の輝きが漏れ出し、全体ではまるで豪華なイルミネーションのように虹色のまばゆい光を放っていた。
地球をコンピューター上で再現するなど夢物語だと思っていたが、こうして目の前で明滅する膨大な数のサーバー群を見せつけられると、現実解だと思わされる。そう、ここまでしないと地球なんて作れないし、逆にここまでやれば地球は創り出せてしまうのだ。
「何やっとる。ほら、行くぞ」
ネヴィアは感動に打ち震えているタケルの肩をポンポンと叩くと、グレーチングの通路をカンカンと音を立てながら奥へと歩き始めた。
「ま、まって!」
いよいよクレアを生き返らせる。しかし、この膨大なデータセンターで一体どうやって一人の少女を生き返らせるのか、タケルには皆目見当もつかなかった。
虹色の光の洪水を浴びながら、しばらく通路を進むとやがて巨大なサーバーが見えてくる。それは十階くらいぶち抜いた、もはや巨大なタワーともいうべきサーバーだった。
ほわぁ……。
タケルはその精緻な虹色の光に覆われたタワーを見上げ、感嘆のため息をつく。光は漫然と光っているのではなく、一定のリズムを刻みながら、塔全体として踊るようにいくつもの光の波を描きながら現代アートのように荘厳な世界を作り上げていた。
「ここがジグラートの中心部、神魂の塔じゃ。お主の星の全ての魂はここに入っておる」
ネヴィアは神魂の塔に近づき、そっとキラキラと輝くクリスタルでできたサーバーをなでた。
「えっ!? 全員ここに? じゃあ、僕もクレアもここに……?」
「そうじゃ、お主は……あれじゃ」
ネヴィアはキョロキョロと見回すと、少し離れたところのサーバーを指さした。
「へっ……? こ、これ……?」
そこには他のサーバーと変わらず、微細にあちこちが明滅するクリスタルがあるばかりである。
「よく見ろ! これじゃ!」
ネヴィアが指す光の点を見ると、黄金色の輝きがゆったりと眩しく輝いたり消えそうになったり脈を打っていた。それにとても親近感を感じたタケルは不思議に思ったが、よく見るとそれは自分の呼吸に連動していたのだ。息を吸うと輝き、吐くと消えるようだった。
えっ!?
驚いた刹那、黄金色の輝きは真紅に色を変え、鮮やかに光を放った。
こ、これは……?
「どうじゃ? これがお主の本体じゃ」
ネヴィアは嬉しそうにニヤッと笑う。
「こ、これが……僕……?」
「信じられんなら引き抜いてやろうか?」
ネヴィアはクリスタルのサーバーをガシッと掴む。
「や、止めて! 死んじゃうだろ!」
タケルは青くなってネヴィアの手をはたいた。自分の魂がシステムから切り離されたらどうなるか分からないが、少なくとも生命活動は停止しそうである。
「冗談じゃって。カッカッカ」
楽しそうに笑うネヴィアを、タケルはジト目でにらんだ。
「で、クレアはどこ?」
「あー、そうじゃな……。えーと……ここじゃ」
ネヴィアはトコトコと歩くと少し離れたところのサーバーを指さした。
「こ、これ……?」
指さしたところには、か細いオレンジ色の光が消えかかったような状態で止まっていた。周りの元気に輝く点の中で、クレアだけが消えかかっている状況に思わずタケルは息をのんだ。
死ぬというのはこういうことなのだ。タケルはゾクッと背筋に冷たいものが流れるのを感じる。
「チップをここに挿してみぃ」
ネヴィアはサーバーの上の端にある小さなくぼみを指さした。
「こ、ここ……かな?」
タケルはポケットから出したチップをそっとサーバーに挿しこんでみる。
差し込んだ瞬間、チップは黄金色に明滅したかと思うと、直後、複雑に虹色に高速に瞬いた。
「こ、これで……クレアは生き返るの?」
「さあ? 我に聞くな」
ネヴィアは少し意地悪に肩をすくめた。
「えっ、そんなぁ……」
「ほうほう! なーるほど、なるほどっ!」
後ろから見ていたシアンは、身を乗り出してチップの明滅を楽しそうに食い入るように見つめる。
「うまく……、行ってますか?」
「うんうん、よし! じゃあ、君は手を前に出してー」
シアンはタケルの手を引っ張った。
「えっ……? 何をするんですか?」
「くふふ、刮目せよ!」
シアンは人差し指を高々と掲げ、空中に不思議な図形を描くと、嬉しそうに笑った。
刹那、タケルの目の前に、黄金色に輝く微粒子がどこからともなく集まってくる。
え……?
どんどん集まってくる光の微粒子は、やがて徐々に形を持ち始めた。
ま、まさか……。
微粒子はやがて少女の形を取り始める。そう、それはクレアそのものだったのだ。
直後、クレアはまぶしく輝き、タケルの両腕にずっしりとその身をあずけた。
おぉ!
いきなりの重みによろけたが、その奇跡の御業にタケルは唖然として、ただ美しいクレアの顔に見とれる。
苦難の果てについにクレアに巡り合えた。愛しい、大切なクレアに……。
「クレア……、よ、良かった……」
タケルの目には涙が浮かぶ。
しかし、クレアはピクリとも動かなかった。体温は温かく感じられるが、べっとりと血ノリの付いた、死んだ時のワンピースを身にまとい、まるで死んだ直後みたいなのだ。
「ク、クレア……? おい!」
必死に声をかけるタケルだったが反応がない。
「これはキス待ちじゃな。カッカッカ」
ネヴィアはつまらない冗談を言って笑う。
「な、何をふざけたことを!」
真っ赤になって怒るタケル。
「いやいや、太古の昔からお姫様はキスで目覚めるって決まってるんだゾ!」
シアンもニヤニヤしながら、唇を突き出してキスのしぐさを見せる。
「えっ!? 本当……なんですか? 嘘だったら怒りますよ!」
「あっ! 急がないとクレアちゃん消えちゃうよ! 早く早くぅ!」
いたずらっ子の笑みを浮かべてシアンは煽った。
「えっ!? ちょ、ちょっと!」
「キース! キース!」「キース! キース!」
ネヴィアもシアンもニヤニヤしながら手拍子で煽った。
「ちょっともう! 嘘だったら怒りますからね?!」
タケルは何度か深呼吸し、じっとクレアの整った小さな顔を見つめる。愛おしいクレア……。
目をつぶるとそっと、クレアの唇に近づいて行くタケル……。
そのぷっくりと赤く熟れた唇に触れようとした時だった。
「あれ? タケル……さん?」
いきなりクレアが目を覚ます。
「うぉっとぉぉぉ!」
タケルは焦ってのけぞった。
「ど、どうしたんです……か?」
クレアはタケルに抱かれている事に焦り、真っ赤になって聞いた。
「い、生き返った……。よ、良かった……」
タケルは冷や汗を流しつつも、生き返ったことにホッとしてへなへなと座り込んでしまう。
「なんじゃ、早くやらんから……」「つまんないの!」
ネヴィアとシアンはつまらなそうな顔をしたが、タケルは真っ赤になってそんな二人をジト目でにらんだ。
◇
「えー、では! タケル君が僕の弟子になったお祝い、アーンド! クレアちゃんの復活を祝って、カンパーイ!」
シアンが楽しそうにジョッキを掲げた。
「カンパーイ!」「カンパーイ!」「カンパーイ!」
一同は東京の恵比寿にある焼き肉屋の個室でグラスをぶつけ合う。
「カーーーーッ! 美味い!! ビールってのはなんでこんなに美味いんだろうね?」
シアンは上機嫌にタケルの背中をバンバンと叩いた。
「師匠、痛いっす!」
タケルはウーロン茶をちびりちびり飲みながら、口をとがらせる。
「明日からみっちり修行に入るからね。今のうちにゆっくりしておきなさい、くふふふ……」
シアンは嬉しそうに笑うとグッとジョッキを空けた。
「あ、明日!? でもOrangeのサーバー群の復旧が……」
タケルは焦った。システムが落ちたままでは大混乱になってしまう。
「そんなの瀬崎がやってくれるよ。な、ユータ?」
「えっ!? ぼ、僕ですか!?」
瀬崎はいきなり振られて、思わずブフッとビールを吹きだした。
「チャチャっとやっちゃって。魔王ならすぐでしょ?」
「すぐじゃないですよ! でもまぁ、分かりました……」
瀬崎は渋い顔でジョッキをグッとあおった。シアンに逆らうとロクな目に遭わないことは、今まで嫌というほど思い知らされているのだ。
ガラララ……。ドアが開き、店員の元気のいい声が響く。
「お連れ様お見えでーす!」
「ちょっとあんた達! なんでもう始めてんのよ!」
チェストナットブラウンの髪を揺らしながら登場した美しい小顔の女性が、みんなを睥睨して口を尖らせた。
「美奈ちゃん遅いよー! 七時からって言ってたじゃん。きゃははは!」
すっかり赤くなったシアンが楽しそうに笑う。
「五分くらい待ちなさいよ! なんでこうリスペクトがないのかしら……もうっ!」
美奈ちゃんと呼ばれた女性はプリプリしながら席に着く。ネヴィアは緊張した様子でビシッと立ち上がると、ピッチャーを持って美奈のジョッキにビールを注いだ。
「じゃあ改めて……、カンパーイ!!」
美奈はにこやかにジョッキを高々と掲げる。
「カンパーイ!」「カンパーイ!」「カンパーイ!」
美奈はタケルのグラスにカチッとジョッキを合わせると、にこやかに言った。
「タケルくん、随分いい顔になったじゃない」
「や、やっぱり女神様ですよね? いろいろとありがとうございました。おかげで納得いく人生がつかめそうです」
「ふふっ。私の目に狂いはなかったようね」
女神は琥珀色の瞳をキラリと輝かせながら嬉しそうに笑った。
「ハーイ! トモサンカク二十人前です!」
店員がデカい皿をドンドンと置いていく。
「キターーーーッ!」
シアンは皿をそのままロースターの上でひっくり返し、一気に全量投入した。
「ちょっとアンタ! 全部入れるなっていつも言ってるでしょ!」
女神は青筋たてて怒る。
「そうだったっけ? いただきマース!!」
シアンはまだ冷たいままの生肉を、箸でゴソッと取るとそのままほお張る。
この宇宙で一番偉いはずの女神をナチュラルに怒らせる師匠の豪胆さを、タケルはハラハラしながら見守った。
「んほぉ……。美味い……。肉はやっぱり和牛に限るねぇ……」
シアンは恍惚とした表情でうっとりと目を閉じる。
「焼かないとお腹壊しますよ……」
そんなシアンをジト目でにらみながら、ネヴィアは甲斐甲斐しく肉をロースターに並べていった。
「大丈夫だってぇ!」
シアンは目を輝かせながら次を取ろうと箸を伸ばす。
カッ!
シアンのステンレスの箸を、衝撃音を放ちながら女神が箸でつまんで止める。
「あんた! 一人で全部食べる気なの?」
女神は琥珀色の瞳をギラリと光らせ、シアンをにらんだ。
「肉は早い者勝ち……」
シアンはキラリと碧眼を輝かせると、目にも止まらぬ速さで次々と箸をロースターめがけて繰り出し、女神は負けじと防衛し続けた。
カカカカカッ!
激しい攻防の衝撃音が部屋に響きわたる。
「へっ!?」「ひぃぃぃ」「またか……」
一同は唖然として、この世界の創造者と宇宙最強の二人の、世界を揺るがしかねない攻防を見守った。
「隙ありっ!」
シアンは左手を素早く伸ばし、なんと手で肉をつかむ。
「甘い!」
女神はテーブルをこぶしで叩き、ロースターの周辺から衝撃波を発生させた。
それはシアンの手を吹っ飛ばし、トモサンカクは宙を舞う――――。
へっ!? あっ!? うわっ!
みんなが驚く中を、トモサンカクは光の微粒子を纏いながらクルクルと回り、ドアの方へとすっ飛んで行った。
「ハーイ! ピッチャーお持ちしましたぁ!」
間の悪いことにガラララと、ドアが開く。
一同は青くなってそのドアへと飛んでいくトモサンカクを目で追った――――。
くっ!
ソリスは瞬時に席からドア前まで移動すると、パシッとトモサンカクをはたいてロースターへ叩き戻し、さらに瞬時に席に戻る。それは0.5秒にも満たないソリスならではの早業だった。
みんな一斉に胸をなでおろす。店員に生肉を飛ばしてくる客など出入り禁止になってしまうのだ。
「あれ? 何か……ありましたか?」
部屋に入ってきた店員は、静まり返る室内に不審に思って首をかしげる。
「いや、何にもないよ! ピッチャーちょうだい!」
シアンはニコニコ笑いながらピッチャーを受け取った。
「はい、どんどん食べてねー!」
女神は焼けたトモサンカクをみんなのお皿に配っていく。ただ、そのステンレス製の箸は激しい攻防でひしゃげ、熱を帯びて赤く光っていた。
◇
「女神様がこの世界を……創られたんですよね?」
宴もたけなわとなって盛り上がってきた時、タケルは恐る恐る聞いた。
「そうよ? ここまでするのホント大変だったんだから」
女神はウンザリした顔で肩をすくめる。
「大変さは良く分かります。なぜ……、それでもやったんですか?」
女神はジョッキをドン! と置き、琥珀色の瞳でまっすぐにタケルを見つめると、
「何言ってんの? あなたがやらせたんじゃない……」
そう言って忌々しそうににらんだ。
は……?
タケルはどういうことか分からず言葉を失った。六十万年前から進められていたこの地球建設に、なぜ自分の意志が絡むのか全く意味不明だったのだ。
「シュレディンガーの猫って知ってる?」
女神は不機嫌そうにジョッキを呷るとぶっきらぼうに言った。
「えっ!? 箱の中に入れた猫が、生きてるか死んでるか分からないって奴ですか?」
「惜しい! 『分からない』じゃなくて、『観測を待ってる』のよ」
「猫の生死は観測を待つ……ってこと……ですか?」
「そう。観測をすることにより結果が確定し、原因が遡って作られるのよ」
「いやいやいや、『原因があって結果がある』これがこの世界の鉄則ですよ」
女神が言い出した不可思議な話にタケルはドン引きだった。原因があるから結果がある。それは常に『当たり前』のこととして全てが動いているのだ。
「それがさぁ、この宇宙では成り立たないのよねぇ……」
女神はウンザリしたように首を振る。
「成り……立たない……?」
タケルはその常軌を逸した話にゾクッと背筋に冷たいものが流れるのを感じた。
「科学者はみんな知ってるけど、量子レベルの観測をすれば『結果が先で原因が後付け』ってことはいくらでもあるの。要はこの世界は【観測ファースト】、観測することですべてが動き出すのよ」
「そ、そんな……」
タケルはその荒唐無稽な話に絶句する。科学の最先端では因果の糸はほつれているのが当たり前だという。それでは何を頼りに前に進めばいいのか、タケルは深い混乱に陥った。
「これ、どういうことか分かる?」
琥珀色の瞳で女神はタケルの顔をのぞきこむが、タケルは何も答えられず、ただ、青い顔で首を振るばかりだった。
「この宇宙では観測者が一番偉いのよ」
「偉い……?」
「観測しない限り宇宙では何も決まらないんだもの。月だって誰も見ていなければ消えてしまうわ」
「そ、そんな馬鹿な……」
「だって誰も見ていない月なんて存在する意味ないわ。誰かが見つけたらそこから逆算して月は生まれるのよ」
はぁ……。
タケルは畳みかけられる奇妙な話に頭がパンクしそうだった。
「そ、それと『私が女神様に地球を創らせた』という話がどう関係してるのですか?」
「あなた……。日本で死ぬ前何を考えていたのかしら?」
「えっ!? あの頃は……確か……」
タケルはプログラマーとして会社勤めをしていた頃のことを思い出す。
メモリが4GBしかないショボいPC、使えない同僚、ITのことを一切分からない体育会系上司。仕事は全てタケルの元に集まり、毎晩深夜まで尻ぬぐいのコーディングを繰り返させられていた。
そんなタケルの楽しみはラノベだった。異世界ファンタジーで魔法をぶっ放すヒーロー、そして可愛いヒロイン。深夜の電車で妄想を膨らませてくれる甘いストーリーに浸りながら『異世界転生しねぇかなー!』とつい声に出してしまったことを思いだした。
「異世界転生したかったんでしょ?」
「そうかも……しれません……」
タケルは恥ずかしくなり、真っ赤になってうなだれる。
「その妄想の中で異世界転生後の自分を観測しちゃったんでしょうね。それが私を呼び出し、六十万年の過去にさかのぼってこの世界の仕組みが構成されたのよ」
「はぁっ!?」
あまりにもバカバカしい話にタケルは口を開けたまま固まってしまった。
「もちろん、私は作られちゃった側だから本当のことは分からないわ。でも、そのストーリーが一番蓋然性が高いのよ」
女神は肩をすくめるとジョッキをグッと傾けた。
「いやいや、妄想一発で異世界に飛べるならみんな飛んでますよ!」
「あら、きっとみんな飛んでるわよ? ただ、それは枝分かれした別の宇宙になっちゃうので私たちには見えないけどね。ふふっ」
「そ、そんな……」
「宇宙の数は無限。些細な妄想一発で新たな宇宙が作られ、その妄想に合わせて過去に遡って辻褄が合わされてそこに飛ばされるのよ。宇宙は妄想に飢えてるんだわ」
タケルはさすがに冗談かと思ったが、女神の琥珀色の瞳はいたって真剣であり、とてもからかっているような雰囲気でもない。
「この世界が僕の妄想でできた僕の世界……。なら僕が最強……ってことですか?」
「はっはっは! そんな訳ないじゃない。最強になりたかったら『僕は最強! 僕は最強!』って妄想しなおしなさい。でも……、そんな世界、楽しいかしら?」
女神はニヤッと笑い、またビールを傾けた。
「いや……。今が最高なんで、妄想はもういらないっす」
タケルはチラッと、楽しそうにネヴィアたちと話しているクレアを見た。
「ならいいじゃない。おめでとう」
女神はジョッキをタケルの前に差し出し、ニコッと優しく笑ってカチンと乾杯をした。
苦しかった社会人生活から紆余曲折を経て今、タケルはついに新たな人生の地平に立っている。深い感慨に浸りながら周りを見回し、目を細めて、タケルは一人一人との絆を胸に刻み、じっくりと噛み締めた。
◇
「今晩はホテルに泊まりな。これ、キーね。明日から地獄の特訓だよっ!」
シアンはカードキーをタケルに渡す。
「あ、ありがとうございます。あの……、クレアの分は?」
タケルは不安げにシアンを見た。
「これは最高級のプレジデンシャルスイート。ベッドもたくさんあるよ? でも……一つでもいいんじゃない? くふふふ……」
シアンは悪い顔をしてタケルの耳元でささやいた。
「な、な、な、何を言うんですか!?」
タケルは真っ赤になって叫ぶ。
「タケルさんどうしたの?」
クレアが碧い瞳をキラキラと輝かせながらタケルを見上げる。
「い、いや、何でも……無いよ!」
挙動不審になってしまうタケル。
「ふぅん。それにしても凄い街ねぇ。あの遠くの方の塔は何なの?」
クレアは煌びやかに輝く、渋谷に林立する超高層ビル群を指さした。
「あ、あれは……」
説明しようとしたタケルだったが、死んだときにはまだ建設中だったからタケルも良く分からない。
「それじゃ見ておいで!」
シアンは指先を黄金色に輝かせると二人に向けてくるっと回す。
へっ……?
いきなりふわっと体が浮き上がったかと思うと、気がつくと全く違う景色になっている。
こ、ここは……。
いきなり開ける景色。それは渋谷の四十六階のビルの屋上、展望台だった。
「うわぁ! すごぉい!」
クレアは駆け出してガラスの柵につかまる。眼下にはまるで宝石箱をひっくり返したかのような、煌めく東京の夜景が息をのむほどの美しさでどこまでも広がっていたのだ。
「これは見事だね……。見渡す限りで四千万人が住んでいるんだ」
タケルはクレアのキラキラと輝く瞳を見つめる。
「よ、四千万人!?」
「とんでもない街だよ」
タケルは不器用にしか生きられず、無様に死んでしまった前世を思い出しながら首を振った。
その時、ビュゥと冷たい風が吹いてクレアの金髪をはためかせる。
「ひゃぁっ!」
「ちょっと……寒いね……」
タケルは後ろから覆いかぶさるようにしてクレアを暖める。
「あ、ありがとう……」
「今回、危険目に遭わせちゃってゴメンね……」
タケルは耳元でささやいた。ふんわりと花々が開いたような柔らかく華やかな香りがふわりと漂ってくる。それはタケルにとっては最も大切で愛おしい香りだった。
しばらく二人は、スクランブル交差点を埋め尽くす多くの人たちの流れを眺めていた。
「命がけで救ってくれたんですって? 聞いたわ……ありがとう」
クレアはタケルの手をそっと取り、心からの温もりを込めて握る。タケルも、その想いに応え、彼女の手を優しく握り返した。二人だけの時間が静かに流れる――――。
「ねぇ……?」
「なに?」
「私が生き返った時……、タケルさんは何しようとしてたの?」
クレアはいたずらっ子の笑みを浮かべ、青い瞳でタケルを見上げた。
「えっ!? あ、あれは……」
「そう言えば、ご褒美まだもらってなかった……かなぁ……」
「ゴ、ゴメン。近いうちに必ず」
「生き返った時の続きでも……い、いいのよ?」
恥ずかしそうに頬を赤く染めたクレアは目をつぶり上を向く。
えっ!?
タケルは予期せぬ展開に心臓が跳ね上がった。長い人生、こんなシチュエーションなど小説や映画の中の話だと断じていたのに、今、目の前に美しい少女が自分を待っている。
タケルはゴクリと唾をのみ、手が震えた。
しかし、女の子にここまでされて逃げるわけにもいかない。
ゆっくりと深呼吸し、気持ちを落ち着け、ニコッと笑ったタケルはそっと可愛いクレアのほほをなで……、そして唇を重ねた。
優しく唇をなめていると、少し開いた唇の間からクレアが舌を絡ませてくる。
タケルは焦ったが、下手なことを考えることをやめ、ただ、心の思うままにクレアの想いに、自分の想いを重ね合わせていく。
思えばクレアがいてくれたから今がある。これからずっと死ぬまでクレアと一緒に人生を紡いでいきたい。タケルは熱い想いを込め、クレアの口を吸った。
こうして美しい東京の夜景の中、二人は初めて想いを伝えあったのだ。
◇
ひとしきり愛を確かめ合うと、二人は見つめ合った。
すると、奥の方で誰かが見ているのに気がついた。何とそこにはシアン達がニヤニヤしながら二人を見ているではないか。
タケルはキッと鋭い視線でにらむ。
「いいのよ、見せつけてあげましょ?」
クレアはタケルの頬を両手で包むと、トロンとした目で今度は自分から唇を重ねていった。
んむっ!
あまりに積極的なクレアに圧倒されつつも、また目をつぶり、クレアの愛を感じていくタケル。
「あーあ……」「ありゃりゃ……」
シアン達はラブラブな二人に当てられ、肩をすくめながら次々と消えていった。
こうしてこの日、二人は結ばれ、一生一緒に歩んでいくことを誓い合う。
納得いく自分らしい人生をつかみ取ったタケルの、新たな快進撃はここから始まった。
宇宙最強の大天使の弟子と、その新妻の驚くべき活躍が全宇宙で話題になるのはこれからしばらくのことだった。
そのお話はまたの機会に……。
了