タケルの困る顔を見てクスッと笑うクレア。
「まぁ、そんなのは後でいいですよ。で、どうやって操縦するんですか?」
タケルは苦笑いを浮かべると、操縦用に設定されたゲーミングチェアのところまでクレアを案内する。ゲーミングチェアには近未来的な湾曲大画面がセットされ、まるでSFの世界のようだった。
「操縦席はこちら。前方の視界はここに出る。コントローラーはこれね。これで上下左右、これで加速減速。そしてこのボタンでファイヤー!」
クレアは矢継ぎ早に説明され、困惑してしまう。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! 『ファイヤー』って何なんですか!?」
「ファイヤーボールを撃つのさ。魔物たちの森を飛ぶんだから攻撃手段も無いとね。照準はこの画面だよ」
タケルは当たり前のように説明するが、クレアはドン引きである。
「操縦しながら魔物なんて狙えないですよ!」
「あー、ごめん、ごめん。今回は調査だからそんな撃つ機会なんてないから大丈夫だよ。やられたって段ボールだから痛くも痒くもないしね」
クレアは無言で口をとがらせ、軽く言うタケルをにらんだ。
◇
操縦席に座らされたクレアはコントローラーをカチャカチャと動かしてみる。なぜ、商会の令嬢たる自分が飛行機の操縦をしなくてはならないのか腑に落ちなかったが、魔石不足を解消しなければ事業継続も危うい状況では仕方ないのだ。クレアは大きく息をつき、自分に言い聞かせる。
「それでは飛ばすよ! 発進用意!」
タケルはオペレーター席に座ると、卓上の赤いボタンをガチリと押し込んだ。
ウィィィィン……。
かすかな機械音が鳴り響き、屋根のスリットが開いてまぶしい青空が広がる。
は?
クレアは屋根が開く社長室のクレイジーな仕様に思わず目が点になった。
続いて射出用レールがウィィィィンと空へと伸びていく。
「ちょっと、タケルさん! 何なんですかこれは? こんなの必要なんですか?」
「え? だってカッコいいじゃん。金ならあるし。くふふふ」
クレアはドン引きである。一体どこの世界にこんな飛行機射出装置つき社長室があるのだろうか?
「魔力充填ヨシ! 飛行魔法起動ヨシ! 向かい風、風力3、視界良好! 射出まで十、九、八……」
タケルはノリノリでカウントダウンを始める。
「えっ!? もう出発!?」
「大丈夫、大丈夫、段ボールなんだから気軽に……、三、二、一、GO!」
バシュッ!
激しい衝撃音と共にドローンはあっという間に大空へとすっ飛んでいった。
「うわぁぁぁ! これ、どうするの!? あぁぁぁ!」
いきなり大きく揺れ動く画面にクレアはパニックになる。
「大丈夫! はい、加速しながら上! 上!」
「う、上!? こ、こっちよね?」
「違う! 逆! 逆!」
真っ逆さまに堕ちていくドローン。画面の街路樹がドンドン大きくなっていく。
ひぃぃぃぃぃ!
「もっと上! もっと上!」
処女飛行がいきなり墜落では士気にかかわる。タケルは青くなって叫んだ。
「これが上限よ!」
クレアも泣きそうな顔で画面を食い入るように見つめる。
くぅぅぅ……。
徐々に機首が上がっていき、バシュッ! と街路樹の葉を飛び散らせながらギリギリのところで何とか危機を回避した。
ふぅ……。 はぁぁぁ……。
安堵の声が部屋に響き、クレアは額の汗をぬぐう。
ドローンは順調に高度を回復していった。
「オッケー、オッケー! それじゃ進路を北北西に取って」
「北北西? どっち?」
クレアは目を見開いて、画面に出ているいろいろな計器類をキョロキョロと追っていった。
「右だよ、コンパスが右上にあるだろ?」
「これね……、はいはい……」
クレアは渋い顔をしながら旋回し、コンパスを北北西へと合わせていく。
「これ、タケルさんがやった方がいいんじゃないの?」
クレアがジト目でタケルをにらむ。
「何言ってるんだよ、キミはテトリス世界王者じゃないか。反射神経は絶対クレアの方が上だからね?」
眼下に広がる王都の街並み。向こうの方には壮麗な王宮が見えてきた。
「ふふっ、おだてたって駄目ですからね」
そう言うクレアだったがまんざらじゃない様子で、上空から見る王都の景色をキラキラした瞳で眺める。初めて目にする空の旅は、予期せぬ冒険への扉を開いたかのように、彼女の中に新たな感動と期待を芽生えさせていた。
城壁を超えると、太陽の光を浴びて黄金色に輝く広大な麦畑が広がっていた。風がそよぐたびに麦の穂は波のように揺れ、生き生きとしたウェーブを描き出している。その麦畑の上を気持ちよく飛ばしていけば、遠くに緑濃い森が現れ、その神秘的な姿が徐々にはっきりとしてきた。
「ふぁーあ、ようやく森ですよ。なんだかやることないですねぇ……」
クレアはすっかり慣れ、コーヒー片手に眠そうに言った。
「何言ってるの、これからが本番だよ。右手の高台に建物があるだろ? あれが辺境伯の拠点、ネビュラスピア城塞だと思うよ。つまりここから先は魔物の世界ってことさ」
「ふぅん、で、魔石はありそうなの?」
「うーん、まだほとんど魔力反応は無いんだよね……」
タケルは魔力反応画面を見ながら首をかしげる。
「じゃあしばらくこのまま真っすぐ?」
「そうだね、ただ、速度を二百ノットに上げて。魔物の世界でゆっくり飛んでたら怖いからね」
「二百ノット了解!」
クレアはスロットルのノッチをカチカチカチっとあげた。
ゴォォォという風きり音が激しさを増し、森の木々がどんどんと飛ぶように後ろへと消えていく。
川を渡り、湖を越え、そして丘をも軽々と越えて行く。その旅は、まるで空を翔る鳥のように、自由で、壮大で、息をのむほど美しいものだった。
「あぁ、綺麗な世界ねぇ……」
クレアはうっとりとその大自然のアートを眺める。
「人間が手を付けてない世界だからね……。お、何か反応があったぞ……」
タケルはモニター画面をにらみながら地図にペンを走らせた。
「鉱山? 引き返す?」
「いや、まだ何とも言えないんでこのまま直進」
「アイアイサー!」
その後、いくつかの反応をメモしながら直進し続けた。まるで魔王の支配地域とは思えない順調さに、二人は雑談をして時折笑い声を上げながら、淡々と進んでいく。
やがてあくびが出るころ航続距離の限界が近づいてきた。
「今日はこのくらいにして戻ろう。西南西へターン」
「西南西、了解! ふんふんふ~ん♪」
クレアはクッキーを頬張りながら鼻歌交じりに操縦桿を傾ける。
その時だった。何か遠くの方で影が動いた。
「ん? 何か飛んでる……?」
クレアは首をかしげる。
「えっ!? あっ! ワイバーンだ! 進路、南南東、全速! 急速離脱!」
「ワ、ワイバーン!? ひぃぃぃぃぃ!」
クレアはパニックに陥りながらも、彼女の手は必死にコントローラーを操り、危機からの脱出路を探し求めた。ワイバーンは、爬虫類を思わせる厚く堅い鱗で全身が覆われており、力強く巨大な翼からは圧倒的な存在感が放たれている。この恐怖の化身が冒険者たちからA級モンスターと、恐れられているのは、その強大な力もさることながら、恐ろしい口から放たれるファイヤーブレスだった。その一億度とも言われる灼熱のブレスを浴びれば灰も残らず焼き尽くされてしまうのだ。
「ダメだ! 見つかった!」
タケルはモニターの中で徐々に大きく見えてくるワイバーンを見て、冷汗を浮かべる。
「どどど、どうしよう!?」
真っ青になるクレア。
「くぅぅぅ……。高度を下げて速度を稼げ!」
「了解!」
クレアは一気に森の木々スレスレまで急降下し、速度を上げていった。
しかし、ワイバーンは巨大な翼をバサッバサッとはばたかせながら信じられない速度で猛追してくる。さすがA級モンスター。まるで恐竜のような鋭い牙に真っ赤に光る瞳。それはこの世のものとは思えない禍々しいオーラを放ちながら迫ってきた。
「マズいマズい! もっと速度上げて!」
タケルはゾッとして思わず叫ぶ。
「ダメよ! これで全開なの!」
どんどん迫ってくるワイバーン。追いつかれるのはもはや時間の問題だった。
くぅぅぅ……。
その時、ワイバーンがパカッと大きく口を開けた。
「ブレスが来る! 急速旋回!!」
ひぃぃぃぃぃ!
クレアは巧みに機体をよじらせ、バレルロールしながら斜め上に回避する。
刹那、激しい閃光が機体をかすめた。
うっひゃぁぁぁ! うひぃ!
一瞬画面が真っ白になり、二人は悲痛な叫びをあげる。
やがて回復する視界、しかし、そこには今まさに獲物を破壊せんと振り上げられた、巨大な脚の爪が光っていた。
「かーいひ!!」
タケルが叫ぶ。その瞬間、クレアには全てがスローモーションに見えるようになる。ゾーンに突入したのだ。
クレアは機首を上げ、間一髪かわすとグルリと機体をよじらせてワイバーンの翼のそばをすり抜けた。
その信じられない見事な技にタケルが見惚れた時だった。
ファイヤー!!
クレアが予想外の言葉を叫ぶ。
へっ……?
なんと、クレアは勇敢にも、巨大なワイバーンを目掛けてファイヤーボールを発射したのだった。翼の下部から射出された灼熱の火魔法は、激しい閃光を放ちながら一直線にワイバーンへとカッ飛んでいった。
至近距離から放たれたファイヤーボールはワイバーンの背中に命中し、大爆発を起こした。
激しい衝撃で画面がビリビリと乱れ、ドローンはクルクルと宙を舞い、ワイバーンの悲痛な叫びが森にこだまする。
しかし、ファイヤーボール一発で倒せるような敵ではない。
手負いになり、怒りに燃えるワイバーンは巨大な翼を激しくはばたかせ、クレアを追った。
体勢を立て直し、全力で青空を目指すクレアだったが、パワーではワイバーンには敵わない。ワイバーンが追い付き、巨大な翼でドローンを打ち落とそうとドローン目がけて翼を振り下ろそうとした時だった。
クレアは機体を無理によじらせて失速状態へと落とし込む。こうなるともう正常な飛行はできない。ゆらゆらと落ちてくる木の葉のように機体は不規則に揺らめいた。
ググッ!?
ワイバーンはその不規則な動きに翻弄され、狙いを絞りきれずに一瞬動きが止まってしまう。
その隙をクレアは見逃さなかった。
ファイヤー!!
鮮やかな閃光がワイバーンの翼を包み、ズン! という衝撃波が視界を揺らす。
うわぁ!
自らも爆風を受け、キリモミ落下していくドローン。
しかし、クレアはグルグル回る景色の中、冷静に体勢を立て直した。
ググっと機首を上げると、そこには片翼を失ったワイバーンが悲痛な叫びを上げながら墜落していくではないか。
ギュァァァァ!
徐々に小さくなっていく悲鳴。最後にはズーン! という腹の底に響くような重低音が森に響き渡った。
「うぉぉぉぉぉ! 撃墜!! 撃墜王クレア爆誕!!」
タケルは跳び上がると、クレアのところにまで走り、興奮気味にパンパンと背中を叩いた。
クレアはドヤ顔でタケルを見る。そこには令嬢ではなく、テトリス大会で優勝した時の王者のオーラが輝いていた。
クレアの【ゾーン】というスキルは戦闘職向けで、令嬢にはそれを生かすチャンスなどない。しかし、遠隔操縦であれば安全にその力を存分に発揮することができる。クレアは期せずして天職を手に入れた実感に、湧き上がる喜びを押さえきれない様子だった。
タケルもまた、クレアという頼もしいアタッカーを得たことに喜びが隠せない。タケルはクレアの手を握り、何度も頷く。その瞬間から二人は運命が共に繋がり、歴史に名を残すであろう『魔王打倒』に向け、固い絆で結ばれたことを感じていた。
◇
無事、ワイバーンを撃墜はしたものの、魔力を散々使ってしまったため魔力は残り少なく、もはや帰還は不可能だった。
「くぅぅぅ……。無念だわ……。ダンボルちゃん一号はこのまま森の藻屑となってしまうんだわ……」
クレアは訳の分からないことを言いながら肩を落とす。
「帰還が無理ならこの際、探索に残りの魔力を使おう。南南東へ飛んで」
「あいあいさー」
クレアはやる気のない返事をして、ため息をついた。
「どうも魔力反応は直線状に分布しているんだよね。この先に二つの線が交わるところがあって、仮説が正しければ大きな魔力反応があると思うんだよ」
「へぇ、鉱山が見つかるといいですね」
「ただ、もう魔力の残りが少ないから経済速度でゆっくりお願い」
「ラジャー」
クレアはノッチを戻すと徐々に高度を下げていった。
森の木々のすぐ上空を飛んでいると鳥たちのさえずりが聞こえてくる。
「これを聞いているとのどかな森なんですけどねぇ……」
「ワイバーンが住んでるってだけで近寄りたくないんだよな」
タケルは肩をすくめた。
さらにしばらく飛んでいるといよいよ魔力切れになってくる。メーターはとっくにEMPTYを指しているのでいつ墜落してもおかしくない。
「タケルさん、まだですかぁ? もうダンボルちゃん一号はお眠の時間ですよ」
クレアが渋い顔をしてタケルの様子をうかがう。
「うーん、おかしいなぁ……そろそろ反応があってもおかしくないんだけど……」
その時だった、いきなり画面が激しく揺れ動いた。
「えっ……なにこれ!? 壊れた?」
クレアは慌てて操縦しようとするが全くコントロールが効かない。
照準用カメラで後ろを見ると、何かがいる。ピントの合わない中、何かの鋭いくちばしが段ボールをほじくっている。
「ワシだ! ワシに捕まってる! ヴァイパーウイング……かな?」
「えっ!? どう……するの……?」
もはやファイヤーボールを撃つ魔力も残っていない今となっては打つ手はない。タケルは無力感に肩を落とし、悲しげに首を振る。
ワイバーンさえ撃墜したドローン初号機が、今や魔物の餌食となり、無念の最期を迎えようとしている。クレアは深い悲しみに沈み、無念さにうなだれた。
ヴァイパーウイングはドローンの機体をガッシリとつかむと飛び始めた。どうやら獲物を捕まえた気でいるらしい。
二人はどこに連れていかれるのかと、渋い顔をしながら揺れる画面映像を見て、コーヒーをすすった。
やがて見えてきたのは小高い岩山だった。森を突き抜けてそびえる岩肌には縦にいくつも亀裂が入り、荒々しい景観を誇っている。どうやらここに巣があるらしい。
と、その時だった。
ピーーーーッ!
タケルのモニターが真っ赤に輝き、耳をつんざく警告音を発した。
へ……?
タケルは何が起こったのか分からなかった。画面内でメーターが振り切れているのだ。
「何の……音?」
クレアがけげんそうにタケルの画面をのぞきこむ。
「魔力探知機が振り切れているんだよね。壊れちゃったのかな?」
タケルは首をかしげ、キーボードをカタカタ叩きながらその原因を探す。
クレアはドローンの映像を食い入るように見つめ、その岩肌の様子を探った。
「あっ! 違うわよ! これが魔石鉱山なのよ!」
その岩肌にキラキラ光る魔石特有の輝きを見つけたクレアは、思わず両手を突き上げ、叫んだ。
「え? 魔石……? でもこの数値はこの岩山全部が魔石でもないと出ない数値なんだよ?」
「だったら、これ全部魔石なのよ!」
クレアは両手のこぶしをグッと握り、パァッと明るい顔で笑った。
「え? これ……全部……?」
タケルは信じられずに静かに首を振る。一般に鉱山というのは地層の割れ目に沿って魔石の薄い層があるくらいなのだ。山全部が魔石なんてことがあったら、とんでもない発見である。
「そう! 全部!」
クレアは呆然としているタケルの手をギュッとつかみ、嬉しそうにタケルの顔をのぞきこむ。
「や、やった……」
大発見の実感がようやくタケルに湧き上がる。
「そう! やったのよ! きゃははは!」
クレアはタケルの胸に飛び込み、ギュッと抱き着いた。
お、おい……。
タケルは混乱の中、空虚な眼差しで宙を仰ぎ見ながら、クレアの美しく輝く金髪を無意識のうちに優しく撫でる。彼女から漂う芳香が、タケルを少しだけ穏やかにした。
◇
タケルは『ダンボルちゃん一号』の遺してくれた映像を解析し、埋蔵量を推定する。その量は全人類が派手に使っても当面魔石不足にはならないという途方もない量だった。これはいわゆる『龍脈』と呼ばれているもので、何万年もかけて地中を流れてきた魔力が川のように集まってきて、ここで地上に現れて結晶化したものらしい。暗黒の森は魔物だらけで調査がされてこなかったため、今まで誰も気がつかなかったのだろう。
しかし、どうやって採掘したらいいのだろうか? あるのは分かっていてもどうやって掘り、どうやって回収するか……? とても人間が行けない所だけに難問だった。タケルは月の石を持って帰るかのような困難さに頭を抱える。
「もう、魔物に掘って持ってきてもらうしかないわね!」
クレアはクッキーを頬張りながら楽しそうに笑った。
「もう! 他人事みたいに……。魔物なんてどうやって操る……あれ……?」
この時、タケルの脳裏に召喚系の魔法が思い浮かんだ。
「呼び出して掘ってもらう……? 何にどうやって……?」
タケルは腕を組んで必死に考える。人間が行けないのならクレアの言うように魔物に頼るしかないのだ。しかし、魔物に採掘を頼んだとしてやってくれるものなのだろうか?
「絵本にゴーレムに荷物を運ばせるお話があったわよ」
クレアはクッキーを食べ終わると幸せそうに紅茶をすすった。ゴーレムというのは岩でできた魔物で、その巨体から繰り出されるパワーは超ド級、A級モンスターに分類されている。
「ゴーレムかぁ……。いいかも知れないけどどうやって言うことを聞かすんだろう? そもそも呼び出し方も分からんなぁ……」
「あら、ネヴィアちゃんに聞いたら? 彼女ならゴーレムくらい持ってそうよ?」
クレアは少しつまらなそうに言ってまた紅茶を一口すする。
「あはっ! 違いない」
タケルは早速フォンゲートを取り出すと電話した。
『んん……? うぃーす。タケちゃん、なんかあったか? ふぁ~あ』
寝起きの声がする。
「もう夕方なんだけど、寝てたの……?」
『朝までアニメ見ちまってのぉ! 今期は凄いぞ! くははは!』
「はいはい、で、相談があるんだけど……」
『あ、そう? 今から行こうか? 社長室?』
「そ、そうだけど、いつ頃つく……予定?」
すると空中にいきなりパリパリと乾いた音をたてながら亀裂が走る。その初めて見る面妖な事態に、タケルもクレアも息をのみ、身震いした。
「へっ!?」「キャァッ!」
驚く二人の前で、その空間の亀裂からニョキニョキっとかわいらしい指が湧きだしてきた。そしてその指が亀裂をガバっと押し広げる。
「今、到着! きゃははは!」
なんと出てきたのはネヴィア。ボタンを掛け違えたままのだらしない、もふもふパジャマ姿で、嬉しそうにシュタッと床に着地した。
「お、お前、そんなこと……できたの?」
「くははは、どう? 凄いじゃろ? でもこれは我のスキルだから解析しても無駄じゃがな!」
ネヴィアはドヤ顔でタケルを見つめた。ただ、緩いパジャマの隙間から胸が見えそうで、タケルはほほを赤らめながら目をそらす。
「ちょ、ちょっとネヴィアちゃん! そんな恰好、ダメよ!」
クレアはネヴィアの腕をガシッとつかむと隣の部屋へと引っ張った。
「えっ? な、何がダメなんじゃ?」
「ダメったらダメなの!」
クレアはピシャリと言い放った。
◇
しばらくしてクレアの服に着替えてきたネヴィアは、タケルの説明を聞いて嬉しそうに笑った。
「ほほう、お主、凄いものを見つけたのう! これは実に愉快じゃ。カッカッカ」
「で、これの回収方法を相談したいんだけど……」
「まぁ、ゴーレムに掘らせればよかろう」
ネヴィアはテーブルのバスケットからクッキーをつまむとポリポリと食べ始める。
「じゃあ、ゴーレムの召喚の方法、教えてくれる?」
「千枚じゃ」
ネヴィアはニヤッと笑って手を出した。
「千枚……って?」
「察し悪いのう、金貨千枚で教えてやろうって言っておるんじゃ」
タケルにとっては、この日本円にして一億円相当の金などもはやはした金ではあったが、このまま払うのも癪に障る。
「あぁそう! 金取るならいいよ、もう頼まない!」
タケルは腕を組み、プイっとそっぽを向いた。
「えっ……、いいのか? 困るぞ?」
「友達から大金を取ろうという人はもう知りません!」
「あー、悪かった……。しかし、そのぉ……」
ネヴィアは口をとがらせ、言いよどむ。
「百枚出す。それでいいだろ?」
タケルはニヤッと笑ってネヴィアの瞳を見つめた。
「まぁ、ええじゃろ……」
ネヴィアは渋い顔でタケルをジト目で見あげる。
「何言ってるんだ、金貨百枚もあったらしばらく遊んで暮らせるだろ?」
「千枚ならその十倍遊べるんじゃぁ!」
ネヴィアは両手を突き上げて喚く。
「贅沢言わない! じゃあ、教えて」
「はいはい、後でちゃんと払うんじゃぞ!」
ネヴィアは空間に指先でツーっと亀裂を作ると、中から大きなトパーズでできた黄色に輝くアミュレットを取り出した。その円形のトパーズの表面には精緻な魔法陣が描かれている。
「おぉぉぉ……、こ、これが……」
「ほれ、これを貸してやるから研究せい」
「おぉ! サンキュー! やったぁ!」
タケルはアミュレットを受け取ると、目を輝かせながら魔法陣を見つめ、ITスキルで青いウインドウを開いた。
「感謝せえよ! くふふふ」
「感謝、感謝! 大感謝だよ! で、ついでにさ、ゴーレムを送り込むのと、採った魔石の輸送についても知恵貸してよ」
「え……、また面倒くさいことを……」
「いいじゃん! 乗り掛かった舟だしさ! 美味しいもの奢ってあげるからさ」
腕を組んで渋るネヴィアの肩をタケルはポンポンと叩く。
「……。じゃあ翼牛亭で食い放題させてもらうぞ?」
ネヴィアは街一番の高級焼き肉屋を指定した。
「良く知ってるなぁ、あそこが一番うまいんだよ。いいよ、行こうよ」
「うむ。それじゃ、まず、ゴーレム送るのは空間つなげて我が送ってやろう」
「お、やったぁ!」
「で、採掘した魔石じゃが……うむ、どうしたものか……。翼牛亭行って一緒に頭をひねろう! カッカッカ!」
ネヴィアはもう我慢ができない様子でタケルの背中をバンバンと叩いた。
「え? もう行くの?」
「飲まねば案など出んよ。くははは!」
タケルは肩をすくめてジト目でネヴィアをにらみ、渋々翼牛亭に電話をかけた。
結局、採掘した魔石はネヴィアに借りたマジックバッグに詰めておき、ネヴィアが暇な時に金貨一枚の手間賃で空間をつなげて回収することにした。マジックバッグは小さなカバンだが中身は小屋くらいの容量のある異次元空間になっており、そこに詰めておけば、時間かからずに回収が可能なのだ。
タケルは洞窟のデータセンターと、魔石の貯蔵倉庫に採掘した魔石を供給し、違和感なく魔石の供給問題を解決していく。フォンゲート用に売れていく魔石の大半がゴーレムの採掘したものへと変わっていったが、誰も気づくものはいない程だった。魔石を買い占めて高値を要求していたアントニオ陣営側の業者たちは、いつまでたっても価格交渉で折れてこないアバロン商会に根負けし、だぶついた在庫を安値で吐き出し始めるまでになる。これで、懸案の一つは完全に解決されたのだった。
アントニオ陣営側最大の切り札が無くなってしまったことは、陣営内に深刻な動揺をもたらす。最後は魔石価格を釣り上げてジェラルド陣営側の利益を吸い上げようという計画だったのだが、それが失敗となるともはや経済的には対抗手段がないのだ。
アントニオ陣営側の魔導士たちはフォンゲートの魔法陣を解析して弱点を探そうとしたものの、魔法陣には一ミリに満たない幾何学模様がそれこそ万単位でぐるぐると回っている。このあまりに複雑な魔法陣はとても人間の読めるものではない。タケルの書いたソースコードは数十万行に及んでおり、コードを読むのすら難しいのに、魔法陣になった後ではとてもリバースエンジニアリングは不可能だった。
弱点が見つからず、経済的にも劣勢となったアントニオ陣営。最初に音を上げたのは商会たちだった。利権で押さえている商流があるからすぐには倒産とはならないものの、遅い、高い、不明瞭な取引に取引先たちが難色を示しだしてしまっている。事業はじり貧だし、何しろ働く社員たちが仕事に疑問を感じだして、次々と辞めていくのを止められない。
やがて一社、また一社と、巧妙な理由をつけながらアントニオ陣営から逃げ出し始めた。
こうなると瓦解は時間の問題だった。アントニオ陣営は急遽公爵の屋敷に集合し、緊急会議が開かれることとなる。
会議室には公爵だけでなく侯爵を始め、そうそうたるメンバーが十数人集まったものの、いつもより少ない人数に皆一様に硬い表情をしていた。
「状況の報告をしろ!」
アントニオ王子は不機嫌を隠すことなく、事務方の担当者を怒鳴った。
「は、はい! 陣営所属の貴族ですが、ヴィンダム伯爵、アッシュウッド子爵、アルテンブルク男爵、グレーヴェン男爵より脱退依頼が来ています。それぞれ健康がすぐれないためしばらく王都を離れるそうです」
アントニオのこぶしが力任せにテーブルを激しく打ち鳴らし、部屋に緊張が走る。
「何が健康だ!! 嘘つきやがって、一体どうなっているんだ!」
ふぅふぅという荒い息遣いが静まり返った室内に響いた。
「よ、よろしいでしょうか……?」
羽つき帽子をかぶった白髪の侯爵がおずおずと手を挙げる。
「侯爵殿、何かね?」
不機嫌そうにアントニオは侯爵をにらんだ。
「うちに秘密裏に『陣営を抜けないか』という打診が来ておってですな……」
「な、なんだとぉぉ!」
ガン! と、アントニオはテーブルにこぶしを叩きつける。
「そう興奮召さるな!」
立派なひげを蓄えた公爵がアントニオをたしなめる。金のエレガントな刺繍をあしらった黒いジャケットに身を包み、現国王の叔父でもある公爵にはアントニオも頭が上がらない。
「も、もちろん断ってますよ? 断ってますが、先方の出した条件は『陣営を抜けたら金貨十万枚を出す』というもので……」
気弱な侯爵はしどろもどろに説明をする。
「じゅ、十万枚!?」
アントニオは絶句し、参加者たちは無言で周りの者と顔を見合わせた。
金貨十万枚というのは日本円にして百億円。アントニオ陣営が勝利したとして得られる利権が年間数億円だとすれば数十年分もの利益をポンと出すというのだ。これは利益だけを考えるなら即決すべきレベルの大金と言える。
「これは実にまずいと思い、ご報告した次第で……」
「一体どれだけ儲けとるのか、あのOrangeという会社は!!」
公爵はダン! と、テーブルを叩くとギリッと奥歯をきしませた。
「Orange社はフォンゲートという信じがたい魔道具で儲けておりまして、代表はグレイピース男爵……」
「奴の名前を出すのはやめろ! 気分悪い!」
アントニオは事務方を怒鳴りつける。
事務方の眼鏡の青年はビクッと身体を震わせ、口をつぐんだ。
「知っとるのか?」
公爵はいぶかしげにアントニオの顔をのぞきこむ。
「始末しそこなった……。ジェラルドの奴にもう一歩のところで止められてしまったのだ。あの時構わずに斬り捨てておけばよかった……」
アントニオは忌々しそうにそう言うと、頭を抱えた。
「お、恐れながら何か手はあるのでしょうか? うちも傘下の企業からの突き上げにあっておりましてですね……」
侯爵が恐る恐る質問する。
子爵以下多くの参加者は核心を突いた質問に息をのみ、じっとアントニオを見つめた。この追い詰められた苦しい現状も、希望が持てる策があればまた変わってくるのだ。
「策ぅ? 我が陣営は軍部を傘下に置いている。武力に訴えれば圧勝だ!」
アントニオは握りしめたこぶしをグッとつきだし、吠える。
静まり返る会議室――――。
出席者たちは渋い表情でお互いの顔を見合わせる。それはもはや内戦ということであり、多くの国民が死に、勝っても諸外国や魔王軍に付け入る隙を与えてしまう悪手にしか見えなかった。
「コホン! あー、その、Orangeって会社の営業を停止させてしまえばいいんじゃないのか?」
公爵はマズい雰囲気の流れを変えようと、Orangeのビジネスに矛先を変える。
「それはフォンゲートを使用禁止にするってこと……でしょうか? すでにフォンゲートの普及率は八割、王国民を敵に回すってことになります。敵陣営も死に物狂いで反発してくるので、影響がどこまで出るか予測できないです」
事務方の若い男性が慌てて声を上げた。
「じゃあどうするんだ!? 対案を出せ!」
アントニオが喚いた。しかし、王国民と経済を握られてしまった今、アントニオ陣営には『王位継承権』と軍隊しか残っていない。
出席者たちは顔を見合わせ、重苦しい雰囲気が部屋を包んだ。
「くぅぅぅ……。嘆かわしい……」
アントニオは髪をかきむしる。早く何とかしないとジェラルド支持者が主要貴族を押さえてしまう。そうなってしまうと、王位継承順位も絶対ではなくなってしまうのだ。
「今……父上がお隠れになられたら……」
アントニオはうつむきながら禁断の一言を漏らす。
「お主! 何を言うか!」
公爵が慌てて叫ぶ。
「いや、仮の話ですよ、仮の……」
アントニオはそう答えたが、その瞳の奥には昏い情念の炎が渦巻いていた。
◇
その晩、アントニオは女を侍らせ、豪奢なラウンジのVIPルームで酒を飲んでいた。
赤や青の鮮やかな生地が織りなす華麗なドレスをまとった女性たちは、胸元を強調しながらグラスに高級ワインを注ぎ、腕にしなだれかかり、フルーツを口へと運ぶ。アントニオの気を引くための女の戦いが、大胆に繰り広げられていた。
「わぁ! 殿下の筋肉、すごぉい!」
一人の女性が優しく彼の二の腕をなでる。
「おう! これこそが王国の筋肉だ!」
アントニオは鼻の下を伸ばしながらグッと力こぶを作った。
キャー! 素敵ぃ!
女たちはチャンスとばかりに筋肉に群がる。露骨に肌を触れ合えるボーナスタイムに、みんな必死になってアントニオにしがみついた。
だが、その時だった。一人の女性のポーチからコロリとフォンゲートが転がり落ちる。
コン、カタカタ……。
床で明るく光るフォンゲート。
ひっ! ひぃぃぃ!
部屋に緊張が走った。アントニオの前にフォンゲートは絶対の禁忌なのだ。
「……。おい! どうなってんだゴラァ! 俺を馬鹿にしてんのか!?」
怒髪天を衝く勢いでその女性を蹴り上げるアントニオ。
女性はもんどりうって転がり、ローテーブルをひっくり返した。
「も、申し訳ございません……」
女性はよろよろと起き上がろうとするが、アントニオの殺意のはらんだ恐ろしいにらみに、真っ青になってガタガタと震え、うまく動けない。
アントニオは綺麗に整えられたその女性の髪の毛をむんずとつかむと、引っ張り上げ、そのままテーブルに顔を叩きつける。
ぎゃぁぁぁ!
血と共にワイングラスが飛び散って、「パリン!」というガラスが破裂する澄んだ音が、場の空気を切り裂き、壁に反響した。
キャー! ひぃぃぃ!
女の子たちは震え、凍り付く。
フォンゲートはアントニオを苦しめる憎悪の対象である。そんな物を見せられては黙っていられない。もはや彼の目には『王室侮辱罪』としか映らなかった。
「お前ら。よーく、分かった! 影では俺を嗤ってるんだろ?」
アントニオは女性たちをにらみつけると幽玄の王剣の柄を握り、力任せに引き抜く。剣から放たれるシャリーンという清らかな音が室内に響き渡り、赤く踊る刃紋が幻想的な光を放ちながら不気味に輝いた。
ひぃぃぃぃ! いやぁぁぁぁ! キャァァァァ!
女の子たちは脱兎のごとく一斉に逃げ出した。
「ゴラァ! 待ちやがれぃ……」
アントニオは王剣を振り回し、追いかけようとする。一人くらい血祭りにあげねば気がすまないのだ。しかし、飲みすぎて足にきており、タタッと駆けた後、よろめいて思わずテーブルに手をついてしまう。
くっ……!
VIPルームの周りからは人影がすべて消えてしまい、不気味な静けさだけが残った。
「クソどもが!」
アントニオは柔らかな丸椅子を一刀両断にしてふぅふぅと荒い息を立てる。
畜生……。
陣営は傾き、飲みに来ても楽しくない。追い詰められたアントニオは、なぜこんなになってしまっているのか理解できず、苦しそうに顔を歪めた。
コツコツコツ……。
突然足音が静かな室内に響く――――。
女の子が逃げていったドアから、美しく長い銀髪の若い男がニコニコしながら入ってきたのだ。カチッとしたフォーマルのジャケットに、ワンポイントの銀の鎖が胸のところでキラキラと光っている。
アントニオは気品漂うその見たこともない不審な男を、けげんそうに眺めた。
「おやおや殿下、王国の蒼剣ともあろう方がどうなされたのです」
男は両手を広げ、嬉しそうに笑う。
「なんだ、貴様は!?」
アントニオは男のにやけ顔が気に入らず、剣を振りかぶった。
「おや? 私を斬る? どうぞ? せーっかくいいお話を持ってきたというのに残念ですがね」
男はひるむこともなく、オーバーアクション気味に肩をすくめた。
「……、いい話? どういうことだ?」
アントニオはピクリとほほを引きつらせる。
「王国の蒼剣は次代の王国の太陽です。こんなところで燻っているなどあってはならないことだと考えております」
「……。何が言いたい?」
「私はとある偉大なるお方に使える身。私がそのお方と殿下の間を取り持ち、殿下を王国の太陽へと引き上げて差し上げようと言っておるのですよ」
男は両手を広げ、最高の笑顔を見せた。
「ほう? 俺を国王に……?」
「そりゃもう殿下のような武に長けた御仁が国王になってこそ、国は栄えるというものでしょう」
男は営業スマイルでニッコリと笑う。
「お前は良く分かってるな……。そう! ジェラルドなんかに国は治められん!」
「我々は殿下を支持し、その代わりにささやかな利便を図っていただく……。いいお話だと思いませんか?」
男の真紅の瞳がきらりと光った。
その男の堂々たる立ち振る舞いからは、平凡な人物とは異なる特別なオーラが感じられる。どこかの国の密使であるという話に、アントニオは何の疑問も持たなかった。外国の勢力とつながるのは好ましくはないが、この際なりふり構ってはいられないのだ。
「どうする……、つもりだ?」
男はニコッと笑うと、辺りを見回しながら小声で言う。
「人に聞かれては困ります。お耳を拝借……」
「手短に説明しろよ?」
アントニオがかがんで耳を貸した時だった。
男は胸のポケットから鋭利な棘をすっと取り出すと、目にも止まらぬ速さでアントニオの耳の穴に突きたてる。
ガッ!?
激痛に目を白黒させるアントニオ。
「お馬鹿さん……、くふふ……」
男は嗜虐的な笑みを浮かべながら、アントニオの頭をポンポンと叩いた。
グハァ!
アントニオは紫の光を全身にまといながら床に倒れ伏せる。
「ふふっ、これで王国も終わり……。くっくっく……、はーっ、はっはっはっ!」
男の笑い顔に突如無数の細かい亀裂が走ったかと思うと、男はボロボロと細かい欠片へと分解されていく。やがて微粒子になるとすうっと霧のように消えていった。
◇
グ、グォォォォ……。
床でのたうち回るアントニオだったが、いきなり彼のシャツの胸元が「パン!」と音を立てて弾ける。露わになったのは、不自然に膨張し、生き物のように蠢く巨大な大胸筋だった。まるで彼の体内に何かが宿り、その力で肉体を変貌させているように見える。やがて、その変化は腕や太ももへと波及し、彼の衣服を引き裂きながら、アントニオは人間離れした筋肉の塊へと変貌を遂げていった。
しばらく苦しんでいたアントニオだったが、全身の肉体改造が終わるとハァハァと荒い息をたてながらゆっくりと立ち上がる。そして、生まれ変わった自分の肉体を触って確かめ、ニヤリと笑った。
グガァァァァァ!
まるで魔物のような恐ろしい咆哮を放つアントニオ。口には大きな牙がのぞき、その瞳には禍々しい赤い炎が浮かび上がっていた。
アントニオはフンっとボディービルダーのポーズで、筋肉を美しく盛り上がらせる。そして満足げにニヤッと笑うと窓に突進し、ガラスを飛び散らせながら三階から飛び降りた。ズン! と地響きをたてながら着地したアントニオは、そのまま王宮へと駆けて行く。
グワッハッハッハー……。
深夜の街に、不気味な笑いが響き渡った。
「で、殿下! ここは陛下の寝殿です。困ります!」
未明の王宮で警備兵が異形と化したアントニオに叫ぶ。
アントニオは何も言わず、スラリと幽玄の王剣を引き抜いた。
「で、殿下! 何をなさるのです!」
フンッ!
後ずさりながら叫ぶ警備兵を真っ二つに叩き斬るアントニオ。
ひ、ひぃぃぃ!
逃げだしたもう一人の警備兵だったが、アントニオは瞬時に追いつくと背中から一刀両断に斬り捨てた。
グハァ!
「王族に意見するなど万死に値する!」
アントニオは不機嫌そうに血のしたたる刀身をビュッと振り、血を飛ばすとそのまま国王の寝室を目指した。
豪奢なインテリアの廊下を進み、ガン! と重厚な寝室のドアを蹴破ると、アントニオはのっしのっしと中へと入っていく。それはもはや魔物の襲撃そのものだった。
「な、何者だ!」
いきなりの未明の乱入に国王は飛び起き、短刀を身構える。
「父上、そろそろ隠居されて私に王位を継ぐというのはいかがでしょうか?」
アントニオは薄暗い室内で不気味に瞳を赤く光らせながら言った。
「な、何をいきなり……。おい! 誰かここに!!」
国王は後ずさりながら叫ぶ。
「無駄ですよ。寝殿には私と陛下しかおられませぬ。くっくっく……」
「お、お前……、どうした? 正気を失っとるのか?」
国王はアントニオの異様な雰囲気に気おされる。
「正気を失う? 逆ですよ。ようやく真実に気がついたのですよ、父上……」
幽玄の王剣をギラリと光らせながら、不気味な笑みを浮かべるアントニオ。
「し、真実?」
「最初からこうすればよかったんですよ」
アントニオは王剣を大きく振りかぶった。
「待て! 王位ならくれてやる。お前が国王だ! だから剣をしま……」
国王は必死に叫んだが、アントニオは王剣を全力で国王の肩口に叩き込んだ。
フンッ!
鈍い音と共に国王は一刀両断にされ、シーツを鮮血で染めながらベッドの上に倒れ落ちる。
グフッ……。
国王は痙攣しながら盛大に血を吐き、大きく見開かれた目からは光が失われていった。
「ふっ……、ふははは!」
アントニオは楽しそうに笑いながら、国王の顔に王剣をガスッと突き立てる。その目は真紅に輝き、もはや人間とはかけ離れてしまっている。
「これで俺が国王だ! グアッハッハッハー!」
寝室には魔物のようなアントニオの不気味な笑い声が響いた。
◇
寝殿の外には執事や侍従、護衛隊の兵士などが集まり、みんな不安そうな顔でざわざわとしていた。
ガン!
アントニオは意気揚々とドアを蹴りながら寝殿の外に出てくる。
魔法のランプに照らされた、筋肉むき出しで血だらけのアントニオを見て、集まった人たちはどよめき、後ずさる。
そんな恐怖に震える人たちを睥睨したアントニオはニヤリと笑い、野太い声で叫んだ。
「賊が入った! 首謀者はジェラルド。至急捕縛せよ!」
「へ、陛下は無事なのですか?」
護衛隊長は恐る恐るアントニオに切り出す。
「陛下はお隠れになられた。よって王位継承順位一位の俺が緊急に王権を獲得した。これからは国王と呼べ!」
ひ、ひぃぃ……。あ、あぁぁ……。
侍従たちは悲痛な声を上げ、泣き崩れた。
「お、恐れながら現場検証を進めたいのですが……」
明らかに異常な未明の襲撃に、護衛隊長はアントニオに進言する。
直後、アントニオの王剣がシュン! と風を切り、護衛隊長を一刀両断に切り裂いた。
キャァァァァ! うわぁぁぁ!
パニックになる一同。
「我は国王ぞ! 国王が『ジェラルドが犯人だ』と断定している。これ以上の捜査は不要! 直ちにジェラルドを捕縛せよ!!」
アントニオは王剣を高々と掲げ、叫ぶ。
もはや誰も何も言えない。皆、慌ててその場から逃げ出していった。
◇
日が昇り、緊急招集された五千人を超える王国軍は一斉に出撃を開始する。
「敵はOrangeパークにあり! 者ども、続けぃ!!」
王国一の名馬にまたがったアントニオは王剣を高々と掲げながら叫んだ。
兵士たちは、アントニオの目に光る怪しい赤い輝きに釈然としない思いを抱えながらも、命令に背くわけにもいかず、粛々と進軍をつづける。
石畳に刻まれる軍の足音は、まるで雷鳴のように市民の心を震わせ、街の空気は緊張で凍りついた。国王の突然の死と勃発した内戦のニュースは、SNSを介して瞬く間に拡散していく。市民たちは固く閉ざしたドアの向こうで恐怖に震えながら、SNS上で滝のように流れていく投稿を固唾を飲んで見守った。