色呆リベロと毒舌レフティ

       18

 前半五分。流れは完全に、女子Aに持っていかれていた。
 女子Aのパス・ワークは華麗で、ひっきりなしに飛び交う鼓舞の声は元気一杯だった。押されっぱなしの俺たちは、ひたすら圧倒され萎縮していた。
 右サイド、ボールを持った沖原が、未奈ちゃんに寄せられていた。斜め後ろに位置する俺は、「沖原、後ろもあるぞ!」と喚いた。
 沖原がボールを落とすが球足が遅い。
「星芝ー、大事に行けよー」後ろから五十嵐さんの大音量だが冷静な指示が聞こえる。
 右足でボールを止めた俺に、未奈ちゃんが素早くチェックをしてくる。俺よりずっと小さいにも拘わらず、半身になった未奈ちゃんの姿には迫力があった。
 一流選手の風格と気迫に、俺は恐怖を覚える。
 左足に持ち替えて、ろくに前も見ずに大きく蹴り出す。何の発展性もないバカ蹴りだ。
 俺の蹴ったボールを、相手のボランチが胸で止めた。地面に落とさずに、少し引いた未奈ちゃんにパスが出る。
 上がってきた5番を沖原に見させて、俺は慌てて寄せる。
 左足でトラップした未奈ちゃんは、左足のアウトで外に持ち込む。ツー・タッチ目が早い。前線にパスが出ると判断した俺は、足を出す。
 未奈ちゃんは蹴り出す振りをして、インで俺の股を抜きドリブルを開始。二人目のセンター・バックが引き摺り出される。
 すかさず未奈ちゃんは、内巻きのボールを出す。フリーの9番が走り込み、ダイレクトでシュート。しかしボールは、バーの少し上に外れた。
「ナイス・シュートー! いい感じいい感じ!」
 未奈ちゃんが明るさマックスで労うと、背後から、「サンキュー!」「次は枠に飛ばそー!」など、黄色い声の津波が押し寄せてきた。
 さっきの一連の動きも正確で速かった。いよいよ未奈ちゃんが怪物に見えてくる。
 ゴール・キックを蹴るべく、五十嵐さんがボールを置いた。すると、
「星芝ー! 沖原ー! お前ら、なにを縮こまってんだー! 点ぐらい、いっくらでも取り返してやるから、いつも通り堂々とクソ生意気にやれやー!」
 突然、釜本さんから、煩いぐらい大きな叱咤激励の声が飛んだ。コート中の注目が釜本さんに集まる。
 ボール磨きの件で嫌われていると思っていただけに、はっとした。なんだかんだあったけど、釜本さんはちゃんと俺を見てくれていた。
 胸に広がる感動を収めた俺は、ゆっくりと深呼吸をする。
 今できるプレーを、全力でしていくかね。だいたい、相手選手の好プレーを目にして燃えないなんて俺らしくない。もっと楽しんでいかなくっちゃ。
 ゴール・キックのボールは、競り合いの結果相手に奪われた。ラインぎりぎりにいる未奈ちゃんにボールが回った。
 沖原がさっと当たる。フォローが可能な位置に着いた俺は、二人の動きを注視する。
 一瞬、溜めた未奈ちゃんは、タッチ、内、タッチ、外と、目にも止まらぬ高速シザースを披露。だが沖原は動じない。
「ミナ!」ダッシュで接近してきた7番が、短く叫んだ。ちらりと右に視線を向けた未奈ちゃんは、ボールを7番にやった。
 7番はダイレクトで前に出す。沖原が抜かれて、俺と未奈ちゃんの一対一。
 五十mが五秒台の女子は存在しない。また俺は、佐々との秘密特訓で七秒の壁を破っていた。だから俺と未奈ちゃんにはそこまでのスピード差はない。むしろ警戒すべきはテクニック。
 未奈ちゃんは唐突にボールを前に出し、縦にドリブルを始めた。相手の呼吸などを読んで意表を突く技術だ。想定していた俺は、遅れずに並走する。
 ゴール・ラインぎりぎりまで持ち込んだ未奈ちゃんは、ゴール前に向けてボールを蹴ろうとする。だが、俺はスライディングで阻止。コーナー・キックに逃れる。
 うん、大丈夫。やれる。未奈ちゃんの動きをじっくりねっとり観察して、ポジショニングを上手くやれば、速さで負けててもなんとかなる。テクニック対策は楓ちゃんとの練習でばっちりだしね。結局、ほとんど勝てなかったけどさ。
 女子Aのコーナー・キック。俺は、未奈ちゃんのマークに付く。未奈ちゃんは俺を見もせずに、両手を背後に回して俺に触れて位置を確認する。
 本当に勝つためなら何でもやるよね。まあそういうパワフルさにベタ惚れなんだけど。
 速いボールがゴール前に上がるが、飛び出した五十嵐さんががっちりキャッチ。反撃開始、である。
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 手に持ったボールを落とした五十嵐さんが、前線に目掛けてドカンと蹴った。釜本さんと4番がポジション取りの争いを繰り広げる。
 ボールが落ちてきて二人は同時にジャンプ。競り勝った釜本さんが、ヘディングで味方35番に落とした。
 35番は、ディフェンスの裏に浮き球を供給。バック・スピンの掛かったボールを追って、あおいちゃんと佐々が並走する。
 あおいちゃんを振り切った佐々は、右足でシュート。コースが甘く、キーパーに足で弾かれた。
 だが、釜本さんが詰めている。スライディングでボールを捉えた。バウンドしたボールは転々とゴールへと吸い込まれていった。
 吠えながらゆっくりと自陣に戻る釜本さんに、近くいた数人の選手が駆け寄る。一対一の同点。
「ナイス・シュートっす! 今日もキレまくりっすねー! このままハット・トリック決めちゃいましょーぜ!」
 俺の手をメガホンにした大声に、釜本さんは俺を一瞥して薄く笑みを浮かべた。うん、やっぱ、サッカーはいい。
「気にすんな、あおいー! 次、次ー。切り替え切替えー。佐々隼人、スピードだ・け・は、あるからさー。ポジショニング、しっかり考えてこー!」
 未奈ちゃんは、男子Cの勢いに立ち向かうような、芯の通った大音声を出した。
 俺たちに背を向け左手を腰に遣っていたあおいちゃんだったが、くるりと振り返った。未奈ちゃんに向ける薄い笑みは、未奈ちゃんへの信頼や愛情を湛えている。
「ありがとー、未奈ちゃん! わたし佐々くんには、もうなーんにもやらせないよー! だから未奈ちゃんは、安心して攻撃してねー!」
 あおいちゃんのおっとりトーンの封殺宣言の後、女子Aのボールで試合が再開された。ボールがボランチまで戻され、佐々が凄いスピードで追う。
 佐々のチェイシングは上手に躱され、タッチ・ライン際の未奈ちゃんにボールが渡った。
 沖原が詰めて、俺は斜め後ろで二人の挙動を注視する。ゴールまでまだ距離はあるけど、抜かれるとピンチになり兼ねない。
 ボールを足元に置いた未奈ちゃんは、直立して動きを止めた。沖原も半身の姿勢を崩さない。
 未奈ちゃんは唐突にアクション開始。左足でライン際のギリギリに持ち出し、ツー・タッチ目でライン上を転がす。だが沖原の動き出しも早い。
 沖原は肩で未奈ちゃんにぶつかった。弾かれた未奈ちゃんは、コート外に倒れ込んだ。ボールを確保した沖原は大きく蹴り出す。
「ナーイス・ディフェンス。素晴らしいよ、沖原」
 興奮気味のコーチの、抑揚を付けた大声が耳に飛び込んできた。
 今のショルダー・チャージは上手いね。気合い全開は、沖原も同じってわけだ。
 男子Cの右サイド・ハーフがトラップした瞬間、ホイッスルが鳴った。二十分のゲーム、六本の内、一本目が終了。
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 俺たちが身体のケアを終えると、コートの近くに並ぶベンチの一つに座ったコーチが、静かな声で集合を懸けた。男子Cのメンバーの全員が、動き始める。
 俺たちに囲まれたコーチは、冷静な顔付きで周囲を見回した。
「よく同点で折り返した。敵の一点目は仕方がないよ。サンデー・ゴールってやつだ。今のところ、エースの水池にはそこそこ対応できてる。ただ、一番、ノってる時の水池は、あんなもんじゃないぞ。沖原に星芝。後半は、覚悟しとけよ」
 鋭い目のコーチに俺たち二人は、「「はい」」ときっぱりと答えた。
 その後もコーチは、敵の選手や味方のプレーを挙げて後半の指示を出し続けた。
「交代はなし。絶対に勝てるから、集中を切らすな。以上」
「「ありがとうございました」」
 柳沼コーチの話が終わって、校舎の時計に視線を移す。ハーフ・タイムの終了時間が近くなっていた。身体の向きを変えた俺は、コートに戻り始めた。
「ほっししばさん♪」と、後ろから可愛らしい声がした。
 振り返ると、楓ちゃんが立っていた。にーっと目を細めて、楽しそうに笑っている。
「楓ちゃん。久しぶりだね。いやー、なんというか、今日もロリ可愛いね。そんでもってどうしてここに?」
 俺は思ったことを全て口にした。
 すると楓ちゃんは、むぅっと、不満げな表情になった。
「失礼しちゃうな。あたしはもう十二才。立派なレディーよ。口の利き方にはじゅーぶん気をつけるよーに」
 ぴんと人差し指を立てて、楓ちゃんは言った。
「そうだね、ごめん」俺は小さく謝罪した。
「わかればよろしい」と、楓ちゃんは満足げに返事をする。
「それで、来た理由だったね。そんなの決まってるじゃん。星芝さんとお姉ちゃんのユーシ(勇姿)をじっくり見るためだよ。アドバイスもできるかもだしね」
 思いやりの籠もった楓ちゃんの言葉に、「ほんと、ありがとう」と俺は即答した。
「まあでも二人とも良い感じじゃん。あたしからは特に言うことはないよ。行け、星芝さん! お姉ちゃんをモノにしたいんなら、精一杯頑張るんだね!」
 明るく告げた楓ちゃんは、可憐なウインクを決めた。
「当然だよ! まあ見てなって。後半は、いや後半も。楓ちゃんが唸るようなスーパープレーを披露してあげるからさ」
 豪語した俺は、前方に向き直った。
 俺の三歩ほど前では、佐々が身体の後ろで肘を伸ばしながら歩いていた。俺は「佐々」と小さく呼び止めた。
 佐々は、「おう、何?」と、余裕ぶった声色で答えて上半身だけを俺に向けた。
「敵のディフェンス、そろそろお前のスピードに対応してくるよ。あおいちゃん、あーんな可愛らしいお顔をしてるけどさ。クレバーで狡猾な頭脳プレーがウリなんだよ。後半、気を引き締めていかなきゃならねえよ」
 超真剣に忠告した俺だったが、佐々は、「ああん?」って感じの物腰である。
「いやいやいやいや、あり得ないっしょ。だって、川崎あおい。おめー以上の鈍足なんだぜ。高一にして五〇m五秒台のスピード凶の俺に、どうやって対応できるつうんだよ。ブツリテキに不可能だって」
 佐々の語調はアップ・ダウンが激しい。佐々に届く言葉を頭の中で巡らせるが、佐々はさらに続ける。
「なんつったって、俺は天才だからよぉ。三軍なんかにゃ埋もれてらんねえの。二点目はテメエで取って、パリッとスタメン定着。どうよ、カンペキじゃね?」
 自信満々に断言した佐々は立ち止まり、両足を開いて、肩入れストレッチを始めた。
 諦めた俺は佐々を追い越しコートに入っていく。すると佐々の、心配するようにも挑発するようにも取れる声が追い掛けてきた。
「ホッシーこそ、水池未奈は大丈夫なのかよ。他の選手とはケッテーテキに違うけどよ。オーラつうかさぁ。なんか対策は取らねえのか?」
「いんや、今のゾーン・ディフェンスのまま、何とか対処してくよ。他の選手も気は抜けないし、二人使ったりとかはしてらんないっすよ」
 佐々に答えるとともに、自分自身にも言い聞かせた俺は、センター・バックのポジションに向かった。
 未奈ちゃんには、もう何の仕事もさせないよ。十、ゼロの誓いの前半は、おじゃんになっちゃったけどね。
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 二十分の二本目が始まった。キック・オフのボールを少しドリブルした佐々は、相手7番の接近を見て、くるりと反転。後ろで呼んでいた35番に落とし、猛然と上がり始める。
 佐々は、ディフェンス・ラインまで到達した。集中で澄んだ顔付きのあおいちゃんが付いく。佐々の背中に右手を置いて、わずかな距離を取っている。
 チェックを受けた35番は、フォローに来ていたボランチの45番にパス。トラップした45番は、左足を振り被る。と同時に佐々が走り出した。
 しかしあおいちゃんは、素早く首を振って周りを確認した。キックの瞬間、すっと前に出る。
 ピーッ! と高らかに、笛が鳴った。佐々、完全にオフサイド(敵最後尾選手の後ろでパスを受ける反則)である。
「あおいー、見事なオフサイド・トラップ(守備選手が位置を変えることでオフサイドを意図的に起こさせること)だったわよー! 敵チーム、みーんなサッカーIQ、低いんだからさー! バンバン引っ掛けていきなさい!」
 右手を口に当てた未奈ちゃんが、一点の曇りもない声色&表情で叫んだ。
 邪気を感じさせない笑みのあおいちゃんは、開き切らない右手を肩の位置まで上げた。
「未奈ちゃん。リクエストー、どんどん答えていっちゃうよー。佐々くんの動き、もうわかっちゃったしねー」
 不敵な宣言の後のフリー・キックのボールは、未奈ちゃんに渡った。ゴールからはまだ遠い位置である。
 左で止めた未奈ちゃんは、ちらりと前を見た。が、すぐに、中にいる7番に戻した。ターンした7番は逆サイドに展開。
 トラップをした右サイド・ハーフの13番は、スルー・パスを供給。14番が追うが、飛び出した五十嵐さんがボールを確保した。下手投げで俺にボールを出す。
「くれ、ホッシー!」焦ったような声の佐々が、俺に身体を向けたまま引いてきた。すぐさま俺はパスを転がす。
 佐々は右でトラップをして、左で反転。
 ただ一連の動きの全てが素人丸出しだ。案の定、すっと出てきたあおいちゃんが悠々とボールを奪取する。
 あおいちゃんは、「ミナ!」と凛々しく叫んで、やや引き気味の未奈ちゃんにパスを出した。沖原が即座に当たりに行く。
 一度、中に行く振りを入れた未奈ちゃんは、ボールを外へと持ち込んだ。沖原の足を躱して大きく蹴り出す。
 先に追い付いてボールを収めた俺は、大きくクリアをしようとする。しかし寄せて来ていた9番に当たり、敵のスロー・インとなった。
 ふうっと息を吐いた俺は、遠くにいるあおいちゃんに目を遣る。
 にしてもあおいちゃん。この前は自分の力を「そこそこ」って謙遜してたけど相当やるよね。来年以降は間違いなく中心選手だわ。
「佐々ー! お前の足元は、まだ川崎には通用せんぞー! 考えてプレーしろよー!」
 ベンチから柳沼コーチが、怒りは感じさせない大声で釘を刺した。近くでは、ちょっと前までスタメンだったフォワードが準備を始めていた。
 柳沼コーチ、動きを封じられ始めた佐々を、代えるつもりなのかね。佐々、なんとかしないといけねえよ?
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 35番からディフェンスの後方にパスが出る。あおいちゃんと佐々が追うが、オフサイド・トラップを警戒していた佐々はボールから遠い。
 佐々、必死に追うも、身体を入れるあおいちゃんに妨げられる。ボールが外に出て、女子Aのゴール・キックである。
「佐々ー! 裏ばっか、狙うなってー! 動きが単調で読まれてんだよ! おめえのスピードは、密集地でも使えんだろー!」
 俺は感情を抑えて大声で叫ぶが、
「うるっせえよ! 外野は黙ってろ! 俺は天才だぁー! 指図するんじゃねえーー!」
 佐々は完全に喧嘩腰だった。普段の冷静さはどこにも感じられなかった。
 ゴール・キックのボールは競り合いを経て、男子45番に渡った。がすぐに相手のプレッシャーが掛かる。
 俺はフォローするべく、「後ろ!」と叫んで前に出た。短いパスを止めて顔を上げる。
 最前線では佐々が待っていた。なんとオフサイド・ポジションで、だ。俺に何かを伝えたいのか、眼差しは強烈である。
 佐々、お前の狙いは理解したよ。やれるんだったら、やってみせろ。
 俺は右足を振り被る。同時に佐々は斜めに走り、あおいちゃんと平行の位置まで引いてくる。
 俺のキックの瞬間、佐々は裏へと走り出した。
 佐々はあおいちゃんを振り切った。ここ一番で素晴らしいトラップ。ドリブルを進めてキーパーと一対一になる。
 佐々は右にボールを出した。キーパー飛び込む。だが、佐々のスピードに従いていけない。
 佐々はシュートを転がした。ゴールの左のぎりぎりに決まる。二対一。
 見届けた佐々は振り返り、雄叫びとともに爆走を始めた。顔の全パーツは可動範囲いっぱいにまで動いており、表情を一言で表すと「狂喜」。喜びという言葉では生ぬるい感情が全身から発せられていた。
 佐々がガッツポーズとともに高く跳び上がった。それを尻目に、「うおっし!」俺も左手をぐっと握る。
 最初はオフサイド・ポジションにいて、一度、引いてきてから裏を狙う。味方が蹴った瞬間に敵の最後尾守備選手の後ろにいなければ良いので、オフサイドはなし。助走を付けられて相手ディフェンスの混乱も狙える、有効な技術である。
 にしても佐々。マジで天才だ! この土壇場であおいちゃんを上回る策を編み出しやがった。
 俺たちが歓喜に沸く一方、女子Aのディフェンス陣は、ゴール前に集まって話し込んでいた。眉を顰めるあおいちゃんの表情からは、すっかり余裕が消えている。
 女子Aのキック・オフ。ボールは相手コートを巡って、7番が受けた。沖原がマークする未奈ちゃんを目掛けて、ロング・ボールが蹴り込まれる。
 コースが甘い。俺はとっさにスライディング。ボールを奪って立ち上がり、近くにいた35番に渡す。
 相手チーム、焦りでプレーが雑になってるね。流れはばっちり俺たちに来てる。
 ターンした35番は、釜本さんにパス。釜本さんはダイレクトで佐々へ。佐々はあおいちゃんに詰められる前に、近くにいた35番に出す。女子Aのお株を奪う流麗なパス・ワークだ。
 沖原が前線へと上がっていく。出されたボールを、すぐにクロス。合わせた佐々のダイビング・ヘッドは惜しくも枠に飛ばない。
 佐々の覚醒で、俺たちは押せ押せだった。誰もが自分の百パーセントを出し、面白いようにボールが繋がっていた。
 右サイドにボールが展開される。沖原の許可を得た俺は上がり始める。慌てふためく女子Aは、誰も俺に付けてこない。
「くれ!」俺は思くそ叫んだ。ゴロのパスが来る。絶好球。ダイレクトで撃てる! ゴールを見据えて、足を振り被る。三点目――。
 一人の選手がボールをかっさらった。すぐにドリブルを始める。俺の目は自然とそいつを追う。
 45番が慌てて詰める。軸足での股抜きで去なす。
 続く沖原は飛び込まない。それに対して細かなステップ。からのアウト、インの簡単なボールタッチ。沖原、あっさりと抜かれる。
 センター・バックがフォローに行く。スライディング。それもボールを浮かせて躱す。
 だがすでにゴールライン際。シュートは打てるわけがない。
 誰もが思った瞬間、バスッ。ゴール・ネットが揺らされた。左足の外側で擦り上げて、カーブを掛けるキック。二対二の同点。
 俺は、ゴールに顔を向けたまま固まる。三人抜きからの、角度がほぼゼロのシュート。神業にもほどがある。
「焦るな焦るな。浮き足立つ必要はまったくないわよ。いつも通りやれば勝てるんだからさ」
 抑揚のない、泰然自若とした口振り。だが、いつもの毒舌とは違った迫力に満ちている。
 勝利ムードに沸く俺たちを、一人で切って捨てた選手、水池未奈は、静謐な雰囲気を纏って悠々と自陣に歩いていく。
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 敵のコーナー・キック。ショート・コーナーのボールは、静かだが凄まじい迫力を纏う水池未奈に渡る。
「沖原ー、とりあえず、遅らせようやー」俺は、半ばパニックになりながら、沖原に指示を出した。我ながら超情けない声だった。
 極限の集中状態の未奈ちゃんが、左足アウトでボールを押し出す。何のフェイントもないドリブルに、沖原は為す術もなく振り切られた。
 突破後の隙を突くべく俺は素早く寄せる。だが未奈ちゃんは、ノー・ルックでインサイドキック。俺のマークだった7番に落とす。
 どフリーの7番は左足を鋭く振り抜いた。低い弾道のシュートがネットを揺らす。二対三。
 ゴール・マウスの中でわずかに跳ねるボールを見ながら、俺は呆然と考える。
 何すか、このワンサイドゲームは? 想定の外にも限度ってもんがあるでしょ。
 俺はこの一ヶ月、生活のぜーんぶをサッカーに捧げてきた。努力度だけなら、竜神の全運動部員でナンバー・ワンの自信がある。
 それに今回は大きいコートでのゲームだ。テクニックの比重が大きいミニゲームでの惨敗とは質が違う。このままやられたら、ヤバ過ぎるんだって。
 ボールがセンターに戻り、試合再開。俺たちはゆっくりとパスを回す。だが最前列の佐々が、痛恨のトラップミス。あおいちゃんが足を伸ばし、ボランチが拾った。
「あおいー、ナイス・ディフェンス。落ち着いてる落ち着いてる」
 未奈ちゃんの、大きくはないがやけによく通る声が、俺の鼓膜を揺らす。
 立ち上がったあおいちゃんは、曖昧な笑顔を未奈ちゃんに向ける。
「ありがとね、未奈ちゃん。ちょっと冷静になれたよ。これ以上はやられないように頑張るわ」
 遠慮がちな声色だった。あおいちゃんも、今の状態の未奈ちゃんは、初体験と見える。
 ペナルティ・エリアの少し外で、沖原を抜いた未奈ちゃんと対峙する。再び、一対一。
 左にフェイント。左イン。左アウト。縦への突破だ。スライディング。
 しかし、未奈ちゃんは左インでボールを浮かし、ショート・バウンドをスルー・パス。追い付いた相手11番のシュートは、ぎりぎり枠を外れた。だが俺の焦燥は加速を続ける。
 ちょっと待ってくれよ。今日勝てないと、俺は一生、追い付けないって。そんなの絶対に──。
「星芝ー! お前らしくないぞー! 気ぃ、詰め過ぎずに、やりたいようにやれよー!」
 ベンチから、柳沼コーチの冷静な怒鳴り声がする。
 やりたいようにやれ? そりゃあ光栄っすわ。でも指示がずいぶん曖昧じゃあいないかい?
 俺はいったい何がしたい? 原点に立ち返ろう。そもそも俺は、未奈ちゃんを追って竜神サッカー部に入って──。
 閃いた俺は、稲妻の如き早さで立ち上がり呆然としている沖原に近づいた。
「沖原。俺、未奈ちゃんの専属マークになるわ。そんでもって今の神憑り未奈ちゃんを、脳内メモリにがっつり焼き付けるよ」
 返事も聞かずに、未奈ちゃんの元へと向かう。なんでか全然わからないけど、気分は最高だった。
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 女子Aはまたショート・コーナーを使い、ボールが未奈ちゃんに渡った。俺は、ターンした未奈ちゃんと向き合った。
 今の未奈ちゃんは、神々しいまでに艶やかだ。こんなに近くで見られる俺は、本当に幸せ者である。
 左アウトでちょんとボールを出し、間髪を入れずにインで切り返す。重心が一瞬右に乗った俺は動けない。
 右足裏から回した左足でクロスが上がる。11番がヘディングで合わせるが五十嵐さんがミラクル・キャッチ。なんとか難を凌いだ。
 エラシコからのラボーナ・キックかよ。魅せてくれるじゃんかよ。こりゃあ俺も、お返ししないと、だね。
 やられたにも拘わらず気分爽快な俺は、仲間とともに上がり始めた。すると、沖原が小走りで近づいてくる。
「わかった、星芝。水池は、お前に任す。悔しいけど俺じゃどうにもならないし、お前なら何かやってくれそうだからな」
 真剣そのものな様子の沖原は、声がとても重かった。
 沖原の信頼を感じた俺は、取り戻したいつもの調子を崩さない。
「おう、任された。ついでにサクッと未奈ちゃんを止めてやっから、乞うご期待」
 沖原の目を強く見つめてぐっと親指を立てた。
「ああ、わかってるよ。お前はずーっとそういう奴だよな。それじゃ、よろしく頼むぜ」
 唇を歪めて悟ったような台詞を吐き、沖原は俺から離れていった。
 沖原とも、ここまでわかり合えた。入部したては、まーったく仲良くなれる気がしなかったけど。
 沖原だけじゃあない。サッカーをする中で、たくさんの人と深く関われた。色々あったけど、竜神サッカー部に入ってほんとに良かった。
 俺はね、未奈ちゃんを含めて、莫大な数の人間の期待を背負ってるんだよ。だからさ、こんなところで、終わるわけがねーだろ?
 俺たちの攻撃。最前線の釜本さんにボールが収まる。
「沖原、俺、上がるよ。後ろ、お願いしちゃっていいかな?」
 ハイ・テンションを抑えもせずに、俺は沖原に尋ねた。
 沖原は、俺の高揚が感染したかのような、心底、楽しげな笑顔だった。
「ああ、とっとと行けっての! 遠慮はいらん! お高くとまった女子どもに、目に物見せてやれ!」
 沖原の上擦った声を聞いた俺は釜本さんに駆け寄った。「先輩!」と、どでかくボールを要求する。
 釜本さんからパスが来た。トラップすると、目の前にすっと未奈ちゃんが出現。ポジションなんかお構いなしだ。
 よく来てくれたね、未奈ちゃん。今から見せるプレーが、俺の全部だよ。
 ますますハイになる俺は、ボールを高速で大きく跨ぎ、左足で小さくエラシコ。未奈ちゃんを抜くべく、縦に持ち込む。
 しかし、未奈ちゃんは素早く反応。左足でボールを引っ掛け、近くにいた7番に繋いだ。
 俺は全力で引きながら、未奈ちゃんの後ろ姿をじっと見つめる。
 今の未奈ちゃん、マジで神。俗人には到達し得ない遙か天上に在しましている。教えてくれ。俺はどうすりゃ、そこに行ける?
 自陣の中ほどで、俺は再びボールを足元に置いた未奈ちゃんと相対する。相変わらずの神聖な佇まい。
 未奈ちゃんが動き始めた。俺の思考は止まる。と同時に、周りから音が消える。
 身体が右に揺れる。まだフェイク。重心が反対に移っていく。左アウト。ここだ。右足を出す。
 未奈ちゃんは左インで出した。俺の踵にボールが掛かる。ボールを奪った! 俺は前を見る。
 佐々が手を挙げている。足を振り被り、ミートの瞬間に止める。
 美しい弧を描いて飛んだボールは、ゆっくりとキーパーの手前に落ちる。狙い通りのバック・スピン。
 あおいちゃんと佐々が並走する。あおいちゃんのスライディングが、ボールを掠めた。
 ボールはキーパーに向かって転がる。だが触れられる前に、佐々ループ・シュート。弾んだボールがネットを揺らす。三対三。
 ベンチにいる人たちが立ち上がる。柳沼コーチの声にならない叫びが轟く。走る佐々が、またしても全力の跳躍で狂喜を思う存分に表す。
 味方の全員が歓喜に湧く中、俺はまだ不思議な感覚に包まれていた。
       25

 以後も、俺と未奈ちゃんの手合わせは続いた。同点のアシストの場面以来、未奈ちゃんの動きが見え始めた俺は、そう簡単には抜かれなくなった。
 未奈ちゃんのプレーは確実に慎重さを増していた。俺の変化を感じているようだった。
 俺と未奈ちゃんは、センター・ライン付近で再び邂逅する。左足にボールを収めた未奈ちゃんが、首を振って周りを見渡す。
 右足に持ち替えた未奈ちゃんは、7番に速いパスを出すと同時に、ダッシュを開始。裏を狙う未奈ちゃんを追いながら、俺の心は静かに沸き立つ。
 置いてかないでよ。俺は貴女に、世界の果てまで従いていくって決めてんだからさあ。
 トラップした7番は、45番のプレッシャーを受けながら、ボールをキープする。
 ふいに未奈ちゃんは急停止。「ユカ!」と甲高く叫んで、7番からのパスを受ける。
 右足にボールを収めた未奈ちゃんは、冷たくも熱い視線を俺に向けた。左足で蹴り真似を入れてから、左、右のダブルタッチ。神速を発揮し、俺を抜きに懸かる。
 だが俺も負けてはいない。しゃにむに出した右足が軌道を変えた。
 外に流れていくボールに未奈ちゃんが向かい、少し遅れて俺も追う。
 やっばいやばいよ。楽し過ぎるわ。手に汗握るシーソー・ゲームで、目映く輝く未奈ちゃんと決闘(デート)。これ以上の愉悦は、未来永劫存在しねーって。
 未奈ちゃんがボールを確保した。まだまだ遊び足りねえなあ。心の中で呟いた俺は、未奈ちゃんの前に立ちはだかる。顔の緩みは止められないままだ。
 両足の間にボールを置いた未奈ちゃんは、突如として脱力。直立状態になってゴールを眺め、軽く右手を挙げた。
 何をしてくる? 未奈ちゃんを注視する俺の意識は、さらに研ぎ澄まされていく。
 ふいに右足首だけが動いた。こつんとボールを突く。全くのノー・モーション。
 ボールは、俺の股の間を抜けた。未奈ちゃんは雷鳴の如きスピードで、俺の右を走り抜ける。
 俺を置き去りにした未奈ちゃんは、ルーレットで後続を躱しフワリとクロスを放り込んだ。フリーの7番がその場でヘディング。ゴールの左隅に突き刺さり、三対四。女子Aの勝ち越し。やられた。
 俺たちは、すぐにゲームを再開したが、パスを数回、回したところでホイッスルが鳴る。二十分、二本目が終わった。
       26

 二本目の後のミーティングでは、コーチから、一点のビハインドではあるが、チームは上手く回っているので、メンバー・チェンジはしない旨が告げられた。高ぶる気持ちを、むりやり抑え付けているような話し方だった。
 休憩時間の終了が近くなり、俺がコートに戻ろうとすると、制服姿の皇樹が声を掛けてきた。
 皇樹は二本目の終わり際から観戦していたようで、おまえはすんげえ、とにかくなんか頭抜けてる、と熱い口調で語った。両肩を強く掴みながら俺を見つめる目は、どこまでもまっすぐだった。
 皇樹にここからは無失点で抑えると豪語した俺は、コートに入った。
 高らかに笛が鳴り、女子Aのキック・オフで三本目が開始された。女子Aも、選手交代はなかった。
 未奈ちゃんがすぐさま、左サイドを駆け上がってきた。マークに付いた俺は、未奈ちゃんの瞳を覗き込んだ。同じステージにいる者への共感を籠めて。
 しかし俺は微かな違和感を覚える。ボールを目で追う未奈ちゃんは、集中はしているようだった。だけど面持ちは固く、そこはかとない焦燥を感じさせた。
 女子Aは、遅攻(ゆっくりとボールを回して敵陣の隙を見計らいながらの攻撃)を仕掛けてきた。ゆっくりと回ったパスが、ペナルティ・エリアのちょうど角にいた未奈ちゃんの足元に収まる。
 わずかに溜めを作った未奈ちゃんは、右に身体を揺らしてから左のアウトで外に出す。お得意の縦への突破からのクロスか? 当たりを付けた俺は、右に重心を傾けた。
 だが未奈ちゃんは、左のインで切り替えした。そのまま右足を使って、ゴールに向かってドリブルを始める。
 やや意表を突かれたが、まだまだ従いていける距離だった。力任せに方向転換した俺は、未奈ちゃんに身体を入れる。利き足の左では撃たせたくなかった。
 俺に寄せられた未奈ちゃんは、右足を振り抜いた。ボールがゴールの右隅に飛ぶが勢いはなかった。五十嵐さんが難なく頭上でキャッチする。
「ナイス・チャレンジ! 大丈夫、大丈夫。枠には飛んでるよー。その調子で、どんどん撃っていこー!」
 あおいちゃんの、無邪気で愛に溢れた声援が飛んだ。だが未奈ちゃんは答えもせずに、苛立っているかのようにぎりっと唇を引き結んだ。