――2010年9月9日木曜日。

 猿渡の屋敷は朝から賑やかだった。僕は皆の隙間をかいくぐり、学校へと向かう。

「いってきまぁ――」
「お嬢様!わしらは病院の警護で――!」
「お嬢様!では千家様の用心は私めが――!」
「お嬢様!白子の捜索隊の準備が――!」
「えぇぇい!!やかましい!!猿渡よ!何とかせい!」
「はっ!有珠様!申し訳ありません!じぃ!少し静かにせぬかっ!!」

 猿渡夢夢の里に応援を求めた所……「有珠様の命令とあらば行かぬ訳には!」という村人が押し寄せた。総勢50名はいるだろうか。10名程が病院の警護、10名程が僕達の用心棒、そして残りの30名が柏木白子の捜索隊として出発した。

………
……


「ふぅ……疲れたでござる」
「夢夢、お疲れ様。はい、バナナジュース」
「千家様、恩に着るでござる」

 学校の屋上でお昼ご飯を食べながら、猿渡夢夢と話をしていた。僕には猿渡夢夢と部下2名が付いている。有珠達も同じく猿渡家の者が用心棒として付き添う。

「今日は学校帰りに病院に行くのと、ちょっと調べて欲しい事があるんだ」
「はい、何なりと」
「うん、2年生に転入生がいるんだけど……名字が『山羊(やぎ)』なんだ。珍しい名字だからたぶん看護師のメリーの子供なんじゃないかと思ってる。それと職員室にある鈴のキーホルダー。これもメリーが持っていた。今回の事件に関係しているのかはわからないが、何かひっかかると言うか……」
「わかりました。有珠様には報告せず、千家様に報告したのでよろしいのですね?」
「話が早くて助かる。頼むよ」
「はっ!午後から調査しておきます。もう少ししたら部下の凛子(りんご)美甘(みかん)も来ますので――」
「ありがとう」
「ところで千家様。昨日、こんな写真が出回ってるとお聞きしましてどうしようかと悩みましたが一応ご報告をしておきます」
「写真?」
「はい。写メールとやらで生徒の間で回ってまして、千家様が写っておったので入手致しました」
「入手って……どうやっ――え?」

 夢夢の持つ携帯の画面には、僕と抱き合う女の子が写っている。一瞬頭がパニックになる。相手は北谷美緒だ。

「いや、これは合成写真だ。病院で美緒と抱き合った記憶はある。確か真弓の手術の時に待合室で……」
「しかし背景がホ、ホ、ホ、ホテルの前かと!!」
「だから背景が合成写真なんだ。参ったな、いったい誰がこんな嫌がらせを……」

 しかしこれで終わらなかった。昼食を終え教室に戻ると美緒が泣いている。

「春彦……!良雄が……!良雄が!」
「良雄がどうしっ――!?」
「春彦っ!!お前っ!!」
「えっ!?」

ガッシャーン!!

 それは急な展開すぎて僕自身にも何が起きているのかわからなかった。
 良雄が僕を殴り飛ばしたのだ。机や椅子をなぎ倒し僕は床に倒れ込む。

「千家様っ!」

 夢夢がどこからともなく現れてすかさず良雄の首を掴み、あろうことか良雄を体ごと持ち上げる。

「がはっ!!」
「きゃぁぁぁぁ!!」

教室に女生徒の悲鳴が響く。

「貴様……下郎の分際で千家様に手を上げるとは……殺すっ!!」

夢夢が腰に帯刀していた剣を引き抜こうとする。

「夢夢!やめろ!もういい!」
「千家様!しかし……!」
「命令だ!下がれ!」
「は……はい……」

生徒の悲鳴はいつしか不審者を見つけた声へと変わる。

「誰かっ!!先生を!!」
「不審者だ!」
「夢夢、逃げろ!」
「しかし!」
「僕は大丈夫だ!」
「わ、わかりました……御免!」

 夢夢は窓を開け、そのまま飛び降りる。校舎の三階から――

「きゃぁぁぁ!飛び降りた!」
「救急車を!」

 夢夢はこれで大丈夫だろう。怪我などしないはずだ。しかし驚いた。あの細い腕で100キロ近くある良雄の体を片手で持ち上げるなんて……猿渡一族の力に正直、恐怖すら感じる。

「春彦、大丈夫?」
「あぁ……」

美緒が駆けつけ起こしてくれる。

「良雄の馬鹿!!あんた何て事をするの!!あの写真は作り物だって言ってるじゃない!!」
「ぐっ……ごほごほ……」

首にアザが出来た良雄は座ったまま答える。

「浮気だ……あれは浮気現場の……ごほ」
「もういい!マジ良雄最低!――春彦、保健室行こ!」
「あぁ……」

 座ったまま床を向き、何か言いたそうな良雄を残し保健室へと向かう。

「どうしてこんな事になったんだ?」
「あの写真よ……クラスの女子グループに『no name』で投稿されて……最低。春彦も真弓に早く言った方がいいよ、たぶん見てるはず」
「あちゃ……それは最悪だ。せっかく仲直り出来たのに……」
「それより、良雄よ!あいつ!私が浮気なんてするはずないのに……馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿……!」
「ちゃんと話そう。あの時は僕だって誰かに寄り添いたかったのは本当だ……」
「そだね。馬鹿良雄にも言って聞かせないと」

 保健室で殴られた痕に薬を塗ってもらう間、窓の外から夢夢が様子を伺っていた。あの強さだ、心配はしてないが大丈夫そうで安心はした。
 放課後、不審者騒動で職員室に呼ばれたが知らぬ存ぜぬで押し通す。そこのとこは有珠達に任せよう。しかし有珠達は2学期になってからほとんど学校には来ていない。いつもどうやって休んでいるんだろう……そんなどうでも良い事を考えながら病院へと向かう。

――県立中央病院510号室。

コンコン!

「真弓、調子はどうだ――」
「春彦君……?帰って……」
「はぁ、やっぱり。写真を見たんだろ?あれは合成写真――」
「帰って!!不潔!」
「あ、いや……はぁ……わかったよ。またな」
「あっ……ばか……」

 予想通り、真弓にも写真を見られしばらく時間を置くことにした。病院の警戒も猿渡一族が面倒を見てくれている。しばらくは大丈夫だろう。
 僕はロビーでジュースを買い、いつもの中庭のベンチで一息付く。夕方になるとまた病院のロビーは混み始めていた。
 ジュースを飲み終わったら帰ろうと思っていた矢先、いつもの刑事がタイミング良く現れる。

「やぁ、千家君。ご機嫌よう」
「片桐刑事……こんにちは。僕が来るのを見張っています?」
「はははっ!そんな事はないよ。隣、いいかな?」
「はい」

 片桐刑事は煙草に火を点ける。それを見て思い出す。まだこの頃は屋内でも煙草が吸えたんだな……と。少しだけ干渉に浸る。

「千家君。君に聞きたい事があってね」
「はい。わかる範囲でしたら――」
「……南小夜子君の事故、西奈真弓君の事故、歩道橋での飛び降り自殺未遂、それから柏木白子君の……」
「柏木白子君の?」
「あぁ、先日ここで私に会ったのを覚えているかね?」
「はい、院長先生に呼ばれたとか――」
「そうその日。厳密にはその前日なのだが、柏木白子君の頭部が無くなっていたのだよ」
「えぇぇ!」
「しっ!千家君、声が大きい!」
「すいません……」

 それは柳川緑子で、本当の柏木白子が逃げてるのですよ。と言いたいが知らないフリをする。

「そこで君に聞きたいのだよ。どういうわけか夢希望高校の生徒を中心にこの1ヶ月、事故が起きている。解決出来ていれば特に気にならないのだが、妙な事に全て未解決。君が教えてくれた柏木望の逮捕以外、何の進展もないのだよ」
「そうなんですね、それは偶然が重なってますね」

言葉少なく片桐刑事に返答をする。

「なぁ、千家君。教えてくれないか。君が犯人だとは思っていない。しかし、全く無関係だとも思えない」
「え?」
「千家君……君は何者なんだ?」

 ドキッ!と心臓が動いた気がした。まるで本当の僕を探すように、目を直視してくる片桐刑事。言えるわけがない。未来から来たトラベラーだなんて。頭がおかしいと思われる。

「僕は……その……」
「はっはっはっ!冗談だよ。半分ね……さて、千家君。何か思い出したらまた連絡でもしてくれ。悪いようにはしないから、それでは失礼するよ」
「はい、お疲れ様でした」

軽く会釈をし、片桐刑事が中庭を出ていく。

「千家様、あやつは危ないですね。気を付けないと」
「うわっ!びっくりした!」

 夢夢が、僕の座ってるベンチの隙間からこっちを見ている。

「どこから見てるんだよ……びっくりした……」
「すみません……」

 この日は病院を後にすると、夢夢と買い出しをし屋敷へと無事に帰れたのだった。

――2020年10月9日土曜日

 柏木白子が行方不明になり1ヶ月が経ち、ようやく動きがあった。猿渡一族の里がある【富士の樹海】の近郊で白子の目撃情報があった。
 金髪、青い瞳、ガングロ……東方理子の真似はまだ続けているらしい。逆に目立つと思うが、気に入っているのだろう。
 週末からの3連休を利用して有珠達と富士の樹海へと向かう。

「夢夢の里は近くなのか?」
「はい、千家様。桜の里と言いまして1年中桜が咲き誇り、それはそれは美しい里で御座います」
「へぇ、1度行ってみたいな」
「まぁ!それは是非寄って頂きたいです!有珠様!いかがですか!」
「うむ。数百年ぶりに寄ってみるかのぉ」
「はぁ、またこの子は冗談ばかり言って。有珠、数百年ぶりっていったい何歳なんだよ」
「千家!貴様!ねぇさまが数百年ぶりと言ったら数百年ぶりなんだ!」
「おかしいだろ!数百年とか!黒子もそもそも何歳なんだよ!」
「黒子様!千家様!お二人共落ち着いて下さい!有珠様も何とか言って下さい!」
「何とか」
「……はぁ」

………
……


 バスに揺られ向かう富士の樹海。その日は樹海近くの町で宿を取り聞き込みをする。
 数日前に金平糖山の参道で、周囲とは明らかに違う格好で目立った女の子が歩いていたそうだ。金髪に青い瞳、ガングロだったらしい。その女の子が柏木白子で間違いないだろう。
 僕はバスの中で地図を開く。

「もし、白子が行くとしたら……」
「ここじゃろうな」
「かみのこはる神社?」
「あぁ、神聖な神社じゃ。今はもう管理する者もいないと聞くがな」
「有珠様、私も以前行った事があります。誰もいませんでしたがなぜか境内は綺麗な状態でしたね……」
「うむ。猿渡も知らぬであろうな。あそこはモノノ怪と呼ばれるあの世とこの世を繋ぐ者達が住むと言われておる。もし、人柱の儀式を続けるとしたら……」
「ん?人柱の儀式は病院でもう終わったのではないのか?」
「千家、あれは人柱の最初の1手よ。大掛かりな陣となれば各地であと5回は術式を組まないといけないわ。その都度、大勢の命が普通は必要なのよ」
「そういう事じゃ。ただし修復者(リストーラル)の頭部が1つあれば命の代用が出来る。頭1つ持って歩いて術式を完成させるのが最も効率が良いのじゃ」
「うぅ……その度に、緑子の頭を捧げるのか……うっ……」
「吐くなよ。吐くならバス亭に着いてからにしてくれ」
「ねぇさまの前で吐いたら、承知しませんわ」

 金平糖山のふもとまではバスで行き、バスの終着点のある町からさらにタクシーで神社まで向かう。
 猿渡の屋敷を出発してから4時間。ようやく目的地の神社に着いた。

「ここから先は車では入れねぇべ、神社まではあと徒歩で5分程だべ」
「ありがとうございます。1時間程したらまた来て頂きたいのですが?」
「ええだべよ、近くの駐車場でまっとるだで。気をつけての……」
「はい、ありがとうございます」

 タクシーを降り山道を歩く。人が歩いた形跡もある。時々誰か来ているのだろうか。5分程行くと鳥居が見えてきた。

「着いた……遠かったな」
「うむ」

神社脇の空き地にはお墓が並んでいた。

「【星野瀬家之墓】【神野家之墓】……か。綺麗にしてあるな。花もまだ新しい。誰かお参りには来てるんだな……」

 僕はお墓に手を合わせる。隣で有珠が懐かしそうに墓をなでる。

「……久しいのぉ。また……会えたの」

――そう呟いていた。

 神社の本殿に入ると、血の匂いと何かを書いた跡がある。

「黒子、この術式はわかるか」
「はい、ねぇさま!これは……『神降ろしの儀』ですわね」
「やはりそうか。初手が『時限の儀』ときて、2手目が『神降ろしの儀』とすれば……」
「なぁ、有珠。本当にその災害は起きるのか?」
「千家よ、何を言う。貴様も災害を見……まさかもう記憶が薄れて来たのか……?」
「……すまない。その日に何が起きたかは……ここ数日で記憶が……」
「ねぇさま、これは千家にも時限の儀が働いている証拠。術式は成功しているものだと思われます」
「どういう事じゃ?千家は時追者(トラベラー)では無いのか……?もしや鍵持者(キーホルダー)なのか?」
「どういう事だよ、僕は2000……え?いつだった……?」
「うむ……いかんな、記憶が曖昧になってきておる。千家が鍵持者(キーホルダー)だった場合、最後に狙われるのはおそらく……」
「ですわね、ねぇさま。千家を連れて歩くのは得策ではありませんわ」
「そうじゃの。黒子よ、術式の解析を致せ。千家を一旦連れ帰るぞ」
「はい、ねぇさま」
「猿渡よ、わしがこれから起こる事をお主に伝えおく。命に替えても千家を守るのじゃ」
「はっ!有珠様!」

 有珠と黒子は何やら聞いたことのない言葉を発しながら、本殿にある術式とやらを綺麗に拭き取っていく。
 やることの無い僕と夢夢は縁側でひなたぼっこをして待つ。10月だと言うのにまだ日差しが暑い。
 夢夢が足をトントンし、ここに横になれと言う。僕は夢夢の膝枕に甘え横になる。

「夢夢、山向こうに屋敷が見える。なぜあんな山奥に建てたのかな」
「なんでも温泉が出る宿あると聞いた記憶があります。しかしもう誰も住んでおらず廃墟となっているとか」
「へぇ……そうなんだ……」

 夢夢の膝枕でウトウトとする。そろそろタクシーを呼ばないとと思いながらそのまま寝入ってしまう。

………
……


「――この地にいつか千家の血を引くもの……あるいは神宮寺の血を引くものが現れたらこれを渡して欲しい」
「ご主人タマ、この刀ハ!」
「レイよ。我が家宝、お前に託すぞ」
「レイちゃん、私たちはあなたより少し先に逝くだけです。いつかまた会えるわ。小春をよろしくね」
「ご主人タマ……のこサン……逝かないで……うぅ……」
「泣かないで、レイちゃん……ほら顔をあげて――」


……
………

「はっ!?」
「お目覚めですか?千家様」
「……夢?か。いつの間にか眠ってた」
「10分程です。有珠様達もそろそろ終わる様ですわ。タクシーを呼びましょうか」
「あぁ……。と、その前に夢夢……」

先程、夢で見た内容をかいつまんで話をする。

「と、いう夢だった。それは神野のお墓の裏に」
「……なるほど。千家様、ちょっと掘ってみましょうか」
「あぁ、気になるな」

 僕と夢夢は納屋からスコップを取り出し、墓の裏を掘ってみる。土は柔らかく1メートル程掘ると先端に何かが当たる。

カツンッ!

「鉄箱……?」
「千家様、私が掘り出します。あっ!有珠様、少々お待ち下さい」
「ん?お主ら、何をしておるのじゃ?こっちは終わったぞ」
「ねぇさま、千家が墓荒らしをしておりますわ。くわばらくわばら……」
「おいおい、言い方……」
「せぇの……!!」

 そう言うと夢夢が鉄箱を地面の上へと掘り起こす。表面の土を落とすと、細長い鉄箱には『かみのこはる神社―封―』という文字が書いてある。

「開けるぞ?」

 鉄箱は錆びていたが箱の中にはさらに木箱があり、木箱は綺麗な状態だった。僕は木箱を慎重にそっと開ける。

「わっ!!」
「ひょぇっ!」

 有珠が急に大声を出す。びっくりして木箱をひっくり返す僕。

「有珠っ!!」
「すまん、すまん。あまりに真剣な顔をしていたのでつい……」
「ねぇさまさすがですわ!あの千家の驚いた声!『ひょぇっ!』とか言ってましたわ!ぷふっ!」
「黒子、やめぬか。ちょっとしたたわむれじゃ……ぷふぅ!」
「お、お前ら叩き斬ってやる!!」

木箱から転がり出た刀を、半分冗談で引き抜くっ――!

「ちょ!!ちょ!この刀!うわっ!」

 引き抜いた刀が青白く光り出し、全身の力が抜けていく。まるで生気を吸い取られる様な感じがして、意識が遠のいていくのがわかる。

「千家様!刀をこちらへ!!」

 夢夢が僕の体を支え、刀を奪い取る。同時に周りの風景がしっかり見え始める。

「び、びっくりした……死ぬかと思った……」
「死にはせぬわ。それは妖刀ではないか、猿渡は何ともなさそうじゃの」
「はい、有珠様……何ともないどころか力が湧いてくるような感じすら致します……温かい……」
「ふむ。それはお主が預かっておくが良い」
「はい……有珠様……。千家様、いかがでしょうか」
「僕が帯刀してたら、銃刀法違反で捕まるし。夢夢に持ってて欲しいかな」
「はい!ありがとうございます!」
「ねぇさま、あの刀は?」
「ふむ。話せば長くなるがな……あれは獅子王丸と言って、かつて――」

 有珠の話を聞きながら、呼んでいたタクシーに乗り込む。すでに陽は傾き、山が夕日で赤く染まっていた。

『いってらっしゃいマセ、ご主人タマ――』

――2010年10月12日火曜日。

 朝からあいにくの雨だった。猿渡の屋敷には有珠と黒子の姿は無い。僕は夢夢と朝食を食べる。
 有珠達と『かみのこはる神社』に行った後、有珠と黒子は僕達を宿まで送り届けると、行ってしまった。翌日には夢夢の部下、凛子(りんご)美甘(みかん)が合流し樹海の里を案内してくれた。そして僕達は一足先に屋敷へと帰ってきた。
 3日ぶりの学校は少し億劫ではあった。雨も降り、朝から憂鬱な気分だ。学校ではあれから、良雄と美緒は別れてしまい気まずい関係になっている。
 窓に当たる雨粒を数えながら、思い出した様にノートに整理して書き込んでいく。
 未だに白子は見つかっていない。有珠達は今頃、出雲大社にいる事だろう。出雲大社、伊勢神宮、石上神宮……かみのこはる神社から数えて目星を付けたのはこの3箇所だ。
 そして僕は猿渡一族の目の届く範囲、つまり屋敷周辺での生活をよぎなくされた。白子が僕の命を狙う可能性が少なからずあるそうだ。
 白子が病院で1回目の術式を終えてから、僕の記憶が急に薄れてきた。10年後の未来からやって来た記憶が、日に日に無くなっていき、翌年の記憶ですら断片的にしか思い出せない。

「はぁ……」

 ため息が出る。有珠達の役に立てないどころか、猿渡一族に身を守ってもらう方法しか無いとは情けなくなる。
 休憩時間に美緒が話しかけてきた。放課後に真弓のお見舞いに行くと言う。合成写真の件は美緒から話してくれたそうだ。あれも結局犯人がわからず、か……。

「美緒わかった、一緒に行こう。16時に昇降口で」
「オッケー、春彦」

 そうだ、東方理子はどうなったのだろうか。真弓のお見舞いが済んだら見に行こう。
 授業終了のチャイムが鳴り、生徒たちは各々教室を出ていく。
 僕が昇降口で美緒を待っていると、夢夢がどこからともなく現れる。あの不審者騒ぎから夢夢も学校の制服を着るようにして、バレないように協力はしてくれている。ただ……背中には『かみのこはる神社』で見つけた刀を背負っていること以外は、普通の女子高生に見える。

「……夢夢。何ていうか制服は似合っているな。ただ背中の刀――」
「千家様!もう人前で恥ずかしい!制服姿の私がかわいいだなんて!駄目ですよ!私は千家様を守護するという立場がありまして――」
「言ってもないし、聞いちゃいない……」

 傘を差しているせいか、背負った刀はバレにくくはあるが……いや、そこは大した問題ではない。完全に銃刀法違反なのだ。

「千家様、メリーさんの情報がまとまりましたのでお話しておきます」
「あぁ、そう言えば頼んでたな。何かわかったのか?」
「はい、実は――」

 ――雨が少し止んできた。夢夢の報告を聞いてため息が出る。

「千家様、あれが例の――」

 振り返ると、ちょうど金髪の女の子が僕の後ろを通って行く。

山羊零奈(やぎれいな)……」
「はい?」

声が聞こえてしまった。

「……あのぉ、呼ばれました?」
「あっ!ごめん!何でもな――」
「春彦!お待たせ!病院行こか‥…あれ?そう言えば雨だ。バスで行こ……ん?こちらは?」
「あぁ、美緒。こちら山羊さん……」
「やぎさん?珍しい名字ね!私は北谷美緒。よろしくね」
「はい……えっと。病院に行かれるのですか」
「えぇ、同級生が中央病院に入院しててね。お見舞いに」
「私もこれから中央病院に行くんです」
「へぇ!そうなんだ!どこか悪いの?せっかくだから一緒に行きましょ!何年生?」
「ハイッ!2年です!」
「そうなんだ!1個下か……ほら!春彦行くよ!」
「あ……うん」

 とんとんと話は進み、なぜか3人仲良くバスに乗っている。
 前の席には何食わぬ顔で夢夢が座り、バスの上にはたぶん凛子(りんご)美甘(みかん)が乗っている。

「――へぇ、お母さんが中央病院で働いてるんだ!」
「そうなんです。学校終わったら病院でいつも待ってて……」
「そっか。それなら明日からは一緒に帰ろう!」
「エッ?3年生は受験シーズンで忙しいんじゃ……」
「私は百貨店に就職決まったんだ。と言っても内定もらっただけでまだ本採用ではないけど。だから卒業までは特に予定無いんだよね。零奈ちゃんはどこ住みなの?」
「零奈でいいです。私は――」

 ――山羊零奈。少なくとも2020年までにその名前は聞いた記憶がない。記憶は薄れていってはいるが……。
 少しづつ……小夜子を助けた日から未来は変わり始めてる。真弓の事故、理子の病気……それらが無い未来を生きていた。
 しかし、悪い事ばかりではないはずだ。有珠達に出会った事でまた新しい出会いがある。
 山羊零奈との出会いもきっと……。

「春彦、ちょっとお手洗いに行ってくるからここで待ってて。零奈ちゃんも行く?」
「私は大丈夫です!」

 病院に着き、ロビーで美緒が戻るまで待つ。零奈と2人だと会話に困る。

「千家パイセン……」
「ん?どした、零奈ちゃん」
「この前から私の周りの事を調べているのはパイセンですか?」
「な、なななななんの事かな!ははは……!」
「いえ……頭にりんごを乗せた子と、みかんを乗せた子がずっと私を見張ってまして……」

 露骨にりんごとみかんを乗せた女の子2人が、柱の影からこちらをじっと見ている。そしてあっという間に夢夢に連れ去られた。説教だな、あれは……。

「零奈ちゃんは今年転入して来たんだってな……母親はこの病院に務めている山羊看護師……皆にはメリーさんて呼ばれてる。と僕もここに9月まで入院しててメリーさんのお世話になってたんだ」
「そう……だったんですか。母と最近までアメリカにいまして今年日本に帰って来たんです」
「帰国子女か。そう言えばメリーさんも片言の日本語だったな」
「母は若い頃に日本に来て教師になったと聞いてます。だけど……」

少しうつむく彼女。何だか深い事情がありそうだ。

「さっき学校で私の名前を呼ばれましたよね?」
「あぁ……」
「ご存知なんでしょ?私の父親の事……」
「……本当にさっき、名前を呼ぶ前に聞いたんだ。勝手に近辺を調べた事はすまなかった。だけど僕も命を狙われてるかもしれないんだ」
「……柏木白子ですよね?私の義理の姉になります」
「そうなるな。君の父親は……柏木先生」
「はい……」

 夢夢の話では柏木望が柏木雪菜と結婚する前、付き合っていた女性が同じ学校の教師……メリーさんこと、山羊零子(やぎれいこ)だった。そして産まれたのが零奈。学校の机にあったキーホルダーは元々恋人だったという証なのだろうか。
 メリーさんは今でもキーホルダーを持っていた。それはまだ彼……柏木望に未練があるのかもしれないし、単なる偶然なのかもしれない。ただこれで少しだけ納得が出来た。

「春彦パイセンを信じます。誰にも言わないで下さい」
「あぁ、もちろんだ。誰にも言わない」
「ありがとうございます――」
「春彦!零奈!お待たせ!何話してたの?」
「あぁ……美緒。受験勉強の話とか。な?」
「はい!春彦パイセンに勉強の仕方を聞いてました!」
「ふぅん、春彦は勉強あんまり得意じゃないけどね」
「ほっとけ」
「ふふ、さ。真弓のお見舞い行きましょ。零奈ちゃんまた後でね!」
「はい!私も母に声かけてきます」

 ロビーで零奈と別れ、僕と美緒は真弓の病室へと向かう。写真の件以来、お見舞いには来ていない。美緒が事情を説明して機嫌を取ってくれたらしいのだが……。

コンコンッ!

「真弓!調子はどお?」
「あっ!美緒!また来てくれたの?ありがとう!」

 病室の中で嬉しそうな真弓の声が聞こえる。僕は美緒と一緒に病室に入る勇気が出ず、廊下で待っている。

「えへへ、今日は春彦……て、おい!春彦!何で外にいるんだ!早く入ってこい!」
「え?……春彦くんもいるの?」

 美緒が病室内から僕を呼ぶ。まるで先生に呼ばれている様だ。

「……こ、こんにちは」
「春彦くん……こんにちは」

 未来の嫁に照れてどうする。いや、この歳ならこのリアクションで正解か。

「春彦くん……事情は美緒に聞いたわ。その……早とちりしてごめんなさい」
「あぁ、いや良いんだ!僕もあの時は気が動転して」
「春彦くん、美緒。2人共、私の為に頑張ってくれたのに本当にごめん。これからもよろしくお願いします」
「ほら、春彦!真弓がこう言ってるんだから!」
「あ……あぁ、こちらこそよろしくお願いします」
「ふふ、よろしい。私ちょっとジュース買ってくる。春彦、ちょっと待ってて」
「あぁ、すまない」

 そう言うと、気を利かせてか美緒はジュースを買いに行った。真弓と2人になると何だか照れくさく気まずい。一緒に暮してた頃は……あれ?どうだった?また記憶がおぼろげだ……‥。

「春彦くん……この前は……ごめんね。話も聞かず……」
「あぁ……いや、大丈夫……」

 何が大丈夫かはわからないが、言葉が続かない。そうか、もしかして体の成長に合わせて心も18歳当時になろうとしているのか?だから記憶が――

「あのね?この1か月考えてたんだ……」
「何を?」
「……入院してわかったの。看護師さんになりたいなって」
「え?そっか……」
「うん。こんなに人の為に頑張れる仕事があるんだって。岬海岸の所に去年、看護師の専門学校が出来たらしくてそこを受験してみようと思ってる――」

 真弓が言った一言になぜか胸が締め付けられる思いがした。

 真弓が言った一言に胸が締め付けられる思いがした。

「――岬海岸の所に去年、看護師の専門学校が出来たらしくてそこを受験してみようと思ってるの。受験の応募が今月いっぱいなんだけど……」
 
 未来の真弓はどうだったか。確かに専門学校には行ったはずだ。しかし場所が違う気がする。もっと内地の専門学校だったような……?

「そうなんだ。どうしてその専門学校を?」
「私……1人で歩ける様になる為にリハビリはしてる。だけどもう運動とか、走ったりは出来ないと思うんだ。でね……そこの専門学校がね、整形外科の看護師を――」

 やっぱりそうか。看護師でも2020年の真弓は内科の看護師になっていたはずだ。事故がきっかけで整形外科を目指す様に変わったのか。
 この違和感は何だ?何かひっかかる……思い出せ……来年、大きな……何か大きな出来事があって……!

「くそっ!思い出せない!」
「えっ!?春彦く――」

ガラガラ!

「お待たせ!ジュース買って来たよ。お二人さん仲良く出来たかなぁ?」
「あ、あぁ……美緒。さんきゅ」
「どしたの?2人で見つめ合っちゃって」

 タイミング良く美緒が帰って来て誤魔化せた。気持ちが先走り口に出してしまった。気を付けないと……。
 その後、3人で色々話をしたが僕の頭の中ではさっきの専門学校の話が気になってしょうがなかった。
 
 ――真弓のお見舞いが終わるとロビーで待っていた零奈と美緒は先に帰る事になった。僕は先生に怪我の事後報告があるからと嘘を付き、病院に残った。

「夢夢、いるか?」
「はい、千家様」
「東方理子の様子を見に行こうと思う。付き合ってくれるか?」
「はい、ご同行致します」
「それとりんご娘とみかん娘の頭の果物は外しておいてくれ……」
「はい……すいません……」

 夢夢がナースステーションで東方理子の親戚を名乗り、病室に向かう。
 約1か月ぶりだ。黒子の『時の砂』の効果はどのくらい出ているのか……。

コンコンッ!

「はい、どうぞ――」

病室から元気そうな声が聞こえる。

「失礼します」
「はい……えっと……?どちら様?」

 ベッドに横になっていた彼女が体を起こし、こっちを向いた。数年前から不治の病として扱われ、もう目覚める事は無いと医者にも言われた彼女。
 柏木白子、柳川緑子の手によって細菌毒を受けた彼女はようやく回復したのだ。

「良かったですね、千家様」
「あぁ、夢夢。黒子のお陰だ」
「あのぉ……?」
「あぁ、すまない。僕は千家春彦。こっちが猿渡夢夢。君と同じ高校の……と言っても高校に通ってないから知らないか」
「は、はぁ……」
「理子、聞いてくれ。君は長い間眠っていたんだ――」

 かいつまんで緑子と白子の話をする。理子の話では、なぜか夢の中でいつも緑子が出てきていたそうだ。
 しかし理子は、緑子との接点はあったが白子に関してはほとんど知らなかった。

「――春彦君、色々とご迷惑をかけたみたいですいませんでした。そして助けて下さってありがとうございます」
「いや、僕はよく効く薬を先生に提案させてもらっただけでお礼を言われる様な事はしてないよ」

 と言う事にした。さすがに黒子の『時の砂』を飲ませたとか、点滴に解毒剤を入れたとか、恐怖を煽る必要もないだろう。しかし緑子の話はもう少し詰めておきたい。

「緑子さんは……私にいつも良くして下さいました。まさか眠っている間にそんな事件に巻き込まれているなんて……うぅ……」
「理子……大丈夫だ。君が元気なら……」

元気付けようと、理子の手を握る。

「きゅん」
「え?」

 なぜか夢夢の手を握る僕。夢夢はいつの間に手を伸ばしたんだろう。
 高校に入学してすぐの頃。理子は中央病院の産婦人科を受診していた様だ。当時の日記を見せてくれた。プリクラが貼ってあり、金髪、ガングロ、目はブルーのカラーコンタクトを入れている。
 産婦人科に来たのは妊娠中絶――つまり子供を堕ろすために来たそうだ。妊娠が発覚したのは当時付き合っていた彼氏が他に好きな人ができ、別れた後だったらしい。何度か連絡はしたが最後には連絡もつかなくなった。
 妊娠中絶の費用は高校生には巨額であった。人には言えないような事をして稼いでもみたがそれでも足りない。中絶するまでの時間もお金もない。
 そこへ大金を持った柳川緑子が現れる。『新薬の実験』をしてくれたらすべての費用を見てくれると言ったそうだ。

「それで、緑子に協力してそのまま……」
「はい。でもあの時の私には緑子さんにすがるしか方法がありませんでした」
「これからどうするんだ?緑子が理子に成り代わり、少なくとも2学期までは通ってたはずだ」
「学校は退学します。今から行っても勉強もわからないし、働こうと思ってます」
「そうか……わかった。言いにくい事を話してくれてありがとう」
「いえ……助けて頂いたお礼ですから。それに――」
「ん?」
「何度か夢で見た気がするんです。緑子さんの目を通じて春彦君を。はっきりとは思い出せませんが……好きだったんだと思います」
「え……」
「あ!いえ、今のはそういう夢を見たと言うだけで――」
「理子……!」

 自分が入院していた数ヶ月前を思い出す。積極的に迫ってきた理子。あれは緑子だった。しかし、緑子の目を通じてどことなく同調していたのかもしれない。
 思わず理子を抱きしめたい衝動にかられ手を伸ばす。

「理子――!」
「きゅん」
「え?」

ぐっと引き寄せた腕には夢夢が収まっている。

「あのぉ……お二人はお付き合いされているのでしょうか?」
「理子!違うんだ!夢夢は僕の身の回りの世話というか……!」
「理子様、その通りで御座います」
「そうですよね。距離感が近いですものね」
「だから!違うんだって!」
「理子様、その通りで御座います」
「ふふ、面白い人」
「理子、聞いてくれ――」
「理子様、千家様はスケコマシです」
「おいっ!」

 完全に夢夢にからかわれている。理子はひとしきり話をし、疲れたのであろう。ベッドに横になる。
 その後、僕と夢夢も病室を出た。次はいつ会えるかはわからないが立ち直って元気になって欲しいと願う。

 時刻は18時になり、ぎりぎり病院の正面入口から出れた。陽は傾きオレンジ色の空が広がっている。雨も上がり綺麗な夕焼けだ。

「さ、夢夢。帰ろうか」
「はい、千家さ――!?」
「ん?どうした?」

急に夢夢の姿が見えなくなる。

「おや?千家さんじゃないですか。今日はお一人ですか」

 バス亭に片桐刑事がいる。それで夢夢は姿を隠したのか。銃刀法違反で捕まるしな。

「あぁ、片桐刑事。こんにちは」
「こんにちは。西奈真弓くんのお見舞いかい?」
「えぇまぁ……片桐刑事は?」
「これから院長と打ち合わせだよ」
「そうですか、今日は車じゃないんですね」
「あぁ、修理に出しててね」
「そうだ、少しよろしいですか」
「構わないよ、打ち合わせは18時30分からだから」
「ありがとうございます」

 片桐刑事に東方理子の事情を説明した。白子の事や、病気が治った事は伏せ、新薬の実験台にされた事を話した。

「……なるほどな。それが本当ならその新薬の出所を探る必要がありそうだな。ありがとう、千家さん。助かるよ」
「いえ、その代わりのお願いがありまして……」
「ん?お願い?」
「はい――」

 僕は東方理子が退院後、雑務でも何でもいいので理子の就職先、あるいはアルバイト先が無いか片桐刑事にお願いした。すぐには難しいかもしれないが聞いてみてくれるそうだ。理子に頼まれたわけではない、おせっかいな事かもしれない。だけど……ほってはおけなかった。

 ――バスが到着し屋敷へと直接帰る事にした。帰りは凛子も美甘も夢夢の隣に座って眠っている。夢夢に怒られて疲れたのだろうか。

「帰ったら2人には美味しい物をたくさん食べさせてやってくれ。尾行はバレていたが、結果仕事をきちんとしてくれたんだ」
「はい、千家様。それとこれを――」

夢夢はキーホルダーを取り出した。

「学校に残っていたキーホルダーを回収して参りました。別の似たキーホルダーを取り付けていますのでご安心を」
「あぁ、柏木先生の机にあったキーホルダーか。そうだな、零奈に明日にでも渡しておこう」
「はい、それがよろしいかと」
「夢夢は気が利くな。ありがとう」
「きゅん!そ、そそそそれは告白なのでござるか!」
「違うよ、落ち着け。刀に手をかけるな」

 ――刻々と時間は進む。有珠達からの連絡はあれからない。白子はどうなったのだろうか。
 秋が深まり、東方理子は退院したと聞いた。その後、片桐刑事の紹介で就職したと連絡があった。
 西奈真弓……僕の未来のお嫁さんは医療専門学校を受験したそうだ。2月には合否がわかると聞いた。

 少しずつ、着実に未来が近付いてくる。そして年が明け2011年になる。 

――2011年1月1日(土曜日)。

「千家様、新年明けましておめでとうございます」
『おめでとうございます!』

 三つ指立てた猿渡夢夢の号令で、総勢50名の一族が僕に新年の挨拶を行う。

「う、うん。明けましておめでとう。今年もよろしくね……」

 あれよあれよと言ううちに上座に座らせられ、殿様気分を味わい、足がすくむ。

「迫力がすごいな……」
「さっ!千家様!お注ぎいたします!ささっ!」
「いや!さすがにお酒は――!」
「《《おとそ》》です、さぁどうぞどうぞ!」
「……は、はぁ。ぐび――」
『カシャ!』

 ――30分後。案の定、気分が悪くなり部屋で横になる。

「う、気分悪い……」
「情けないのぉ。わしでも2杯はいけるぞ?」
「僕とたいして変わらないじゃないか」
「ねぇさまの方がすごいに決まってるわ!ちょろいも千家!」
「黒子、ちょろいもって何だよ……え?黒子?有珠?いつの間に」
「端っからおったではないか。貴様が上座で鼻の下を伸ばしてる写真を撮っておったのじゃ。ほれ」

 有珠が携帯の画面を僕に向ける。顔が真っ赤で焦点が合っていない僕の写真をなぜか待受画面にしている有珠。

「何で待受なんだよ……」
「魔除けじゃ」
「なんでやねん」
「ねぇさまにツッコミなんて100年ちょっと早いわ!覚悟しなさい!千家!」
「よいよい、黒子。こやつはアレなのじゃ」
「ねぇさま!千家はアレなのですか……かわいそう……」
「アレって何だよ!気になる!――うぅ、大声出したら気分悪い……」

 トイレに行き部屋に帰ってくると、夢夢も来ていた。なぜかドブロクを片手に持っているが触れないでおこう。

「有珠様、黒子様、おかえりなさいませ」
「うむ。こっちは相変わらずの様じゃな」
「はっ!特に問題なく進んでおります」
「はぁ、少し楽になった。それで、白子の居場所はわかったのか?」
「あぁ、黒子よ。説明せい」
「はい!ねぇさま!」

有珠の指示で、黒子が地図を広げる。

「このかみのこはる神社を始点とし、出雲大社、伊勢神宮、石上神宮を周り、すべての術式を解除したのよ。これで全国で災害が同時に降りかかる事は無くなったわ。だけど……」
「だけど?」
「そのひずみは余りに大きいわ。3ヶ月後に迫る災害は以前の比では無いかもしれない」
「ちょっと待ってくれ!3ヶ月後?そんな大きな災害が来るのか……?思い出せない……!」
「そうじゃろうな。貴様の記憶はすでにリセットされておる。もう未来の記憶はほとんど残って無かろうて。ただしここから先は貴様にも何が起こるかだけは説明しておく。信じるかどうかは貴様次第じゃ」
「信じるかどうか……?それはそうか。3ヶ月後に災害が起こると言っても誰も信じてくれない……僕は有珠や黒子の存在を知っているから、信じられるけど普通は世迷い言と言われてもおかしくないのか……」
「そう言う事じゃ。わしらにはそれを止める手立てはない。その災害が起き、未来と違う結果が起きた場合に修正するだけに過ぎぬ」

 しばらく、思考が止まる。結局は聞いても何も出来ないのか?災害は起こるべくして起き、それが自然と言われればそれ以上の言葉はない。それに逆らう事など到底出来やしない。ただ、僕に出来るのは――

「僕に出来ることを教えてくれ」
「うむ、覚悟をしろよ。貴様は歴史を少なからず変えてしまった。その代償が緑子の死じゃ。わしら修復者(リストーラル)に関わるという事は、究極の選択を迫られる事になるじゃろう……」
「究極の選択……」
「黒子、『生還の念珠』を」
「はいっ!ねぇさま!」

黒子が黒い念珠を僕に渡してくれた。

「それを手首に付けておくと良い。災いから身を守ってくれるじゃろう」
「念珠に書いてあるこの文字は?」
「神はかみのこはる神社、出は出雲大社、伊は伊勢神宮、石は石上神宮じゃ」
「なるほど。ご利益がありそうだ」
「それと出雲大社でわかったのじゃが、貴様はやはり鍵持者(キーホルダー)じゃった。そして南小夜子が時追者(トラベラー)なのじゃ」
「え?え?今……小夜子がどうとかって……」
「詳しくは後で猿渡に話しておく。貴様の出来ること、それは南小夜子を死なせぬ事じゃ」
「……小夜子を死なせない?と言うことは死ぬ未来がまだあるのか……」
「鋭いの、その通りじゃ。貴様は命がけで南小夜子を助けねばならぬ。それが後々この世界の人々を助ける事になるであろう」
「何だかわかったようなわからないような……。だけど僕に出来る事ならばそうするよ」
「そうじゃな。わしらはこれから白子を見つけて、正さねばならん。あやつは緑子を手にかけてから自我を忘れておる。猿渡よ、千家を命に代えても守るのじゃ」
「はい、有珠様。この命、千家様の為に使います」
「うむ。良き働きじゃ」
「おいおい、僕の為に死ぬとかはやめてくれ。後味が悪いじゃないか」
「千家よ。いや、春彦よ。この世界を正す為には少なからず犠牲がある。しかし、その小さな波紋が大きな波紋となり、世界はまた正しい時間軸で動き出す。貴様はその役目を全うせねばならぬ」

有珠が神妙な面持ちで、頭を深く下げ土下座をする。

「お、おい!有珠!頭を上げてくれ!」
「千家春彦よ。よろしゅうおたのもうします」
「おたのもうしますわ」
「もうしますでござるよ」

黒子も夢夢も、有珠に合わせて頭を下げる。

「皆、やめてくれよ。僕がもう死ぬみたいな……ほら!頭を上げて――」
「……さて。飯を食うか」
「おいっ!切り替え早いな!!」
「何じゃ貴様。女子が頭を下げるのに興奮するタイプかえ?」
「ねぇさま!こいつは変態ですわ!今、やらしい目でねぇさまを見ていました!」
「千家様……私に手を出し、有珠様にまで手を出されるとは……情けないでござる」
「ちょっと待てい!!」

 ――そんな事を言いつつも昼過ぎには酔いも冷め、遅ればせながらも皆で初詣へと向かう。
 屋敷からほど近い白蛇神社にはたくさんの屋台が並び、大勢の人で溢れかえっていた。

「有珠!黒子!迷子になるぞ!僕の側を――!」
「黒子!行くぞ!まずはイカ焼きじゃろ!たこ焼きじゃろ!それからイカ焼きじゃ!」
「はい!ねぇさま!」
「て……もう!有珠!先に行くなっ!」

すぐに有珠と黒子は人混みへと消えていく。

「千家様、追いかけますか?」
「いや……そのうちどこかの屋台にいるだろう。お参りを先に済ませよう」

 のろのろと人並みに流され、ゆっくりと本殿へと向かう。屋台の列と参拝客でごった返し、なかなか進まない。さらに本殿前の石段まで来るとそこからはいよいよ動かない。

「千家様、混んでるでござる。いっそ全員叩き斬って……」
「おいおい、夢夢。それはやめとけ」
「おや?あそこの列……車椅子?千家様、もしや西奈様では?」
「そんな理由はないだろう。この人混みの中、来れるわ……真弓!?」

 右側2列隣に見える車椅子に真弓が座っている。車椅子を支えているのは美緒だった。

「え?春彦君?」
「真弓!美緒!今、そっちに行く!ちょ、ちょっとすいません!通ります!」
「おい!にいちゃん!割り込むなよ!」
「すいません!すいません!」

人混みを押しのけ、並んでた列を右方向に向かう。

「ふぅ!人混みやばいな……」
「春彦君!」

真弓がパッと笑顔になる。

「美緒、車椅子で石段は上がれないだろう?」
「そうなのよ、今、誘導員さんが人連れてくるって」
「真弓、おぶってやるから乗りな。夢夢、車椅子を運んでくれ」
「承知しました」
「え!ちょ!春彦君!恥ずかしいよ!」
「いいから、いいから。この人混みに車椅子でいたら危ないよ」
「う……うん」

そう言うと、真弓は僕の背中に寄りかかる。

「立つよ、せぇの……!」
「ひゃっ!」

 正直、重い。そんな事は口が裂けても言えない。僕の筋力不足なのだ。真弓が重いわけではない。ここは踏ん張ってでも……と、足がぷるぷるするのがわかる。

「千家様……」

 夢夢が片手で車椅子を持ち、空いてる片手で真弓のお尻を持ち上げる。

「ひゃっ!」
「西奈様、すみません。後ろにひっくり返ると危ないので支えさせて頂きます」
「あ、ありがとうございます」

 夢夢が後ろから持ち上げてくれたおかげで幾分、軽く感じる。一歩一歩階段を上る。

「ふぅふぅふぅ……」
「春彦、もうヤバそうじゃん……大丈夫なの?」

美緒が先頭に立ち、道を確保してくれる。

「だ、大丈夫……このくらい……ふぅふぅふぅ……」

情けない、体を鍛えておくべきだった。

「もう少しです、千家様」
「あぁ……ふぅふぅふぅ……」

何とか階段を上りきり、車椅子に真弓を預ける。

「ぷはぁ……はぁはぁはぁ……よ、余裕だっただろ?」
「ぷっ!春彦、それは無理がある!あははは!」
「ちょっと!美緒!春彦君頑張ったんだから、笑わないの!」
「ごめんごめん!つい!」
「もう!」
「千家様、お手を――」
「あぁ、夢夢ありがとう」
「きゅん」
「ん?夢夢、どうかしたか」
「何でも御座いません」

 本殿にたどり着きお参りを済ませ、おみくじを引く。僕は案の定『末吉』。真弓が大吉、美緒と夢夢が吉だった。

「真弓は帰りはどうするんだ?」
「17時に母さんが迎えに来てくれる予定なの」
「17時?まだ2時間近くあるぞ?」
「ふふ、春彦君知らないの?」
「これは知らないな、春彦。ちゃんと調べて来いよぉ」
「え?美緒も知ってるのか?何?」
「春彦君、今日はここの駐車場で16時から『Akane』のソロライブがあるのよ?何でも地元感謝ツアーとかで回ってるらしいの!」
「まじかっ!!」
「ふふ、春彦君もAkaneちゃん好きなんだ!」
「あぁ、大ファンだ」

 ――Akane、2010年の夏にデビューしたシンガソングライター。そう言えば地元が隣町だったか。僕達はライブ会場の駐車場へと向かった。

――2011年1月1日(土曜日)。

 初詣で偶然、真弓と美緒に出会い一緒に参拝をする。参拝後に真弓の帰りが心配になった。

「真弓は帰りはどうするんだ?」
「17時に母さんが迎えに来てくれる予定なの」
「17時?まだ2時間近くあるぞ?」
「ふふ、春彦君知らないの?」
「これは知らないな、春彦。ちゃんと調べて来いよぉ」
「え?美緒も知ってるのか?何?」
「春彦君、今日はここの駐車場で16時から『Akane』のソロライブがあるのよ?何でも地元感謝ツアーとかで回ってるらしいの!」

 2010年の夏に衝撃デビューをしたシンガソングライターの『Akane』。隣町の出身で、デビュー当時から良くCDを聞いていた。

「それは僕も聞きたいな……あっ!それで今日はこんなに人が多いのか!」
「ピンポーン!」

美緒が指を立て、当たりのポーズを取る。

「春彦、ちょっと真弓を見てて。お手洗い行ってくる」
「あぁ、その先の空き地で待ってる」
「オッケー!」

 美緒は手を振り、走っていく。お手洗いも行列が出来てる事だろう。

「真弓はお手洗い大丈夫か?」
「えっ!う……うん。大丈夫……」
「ん?どうした?顔が赤いぞ」
「もう!そんな恥ずかしい事言わせないで!」
「いや……そう言われると……」
「べぇ!」

真弓は車椅子を動かし1人で行こうとする。

「こらこら!危ないから!」
「ははは!春彦君、お父さんみたいね!あっ!」
「ちょっ!待てよぉ~……て急に止まっても危ないから!」
「春彦君!春彦君!このくまさんかわいい!」

くじ引きの屋台の前で止まり、景品を指差す真弓。

「くまさん?もう子供じゃないんだから、真弓ちゃん行きますよ」
「やだ!欲しい!欲しい!欲しい!お父さん買って!」
「お父さんじゃないし!……すいません!えっと、くじ引き2回お願いします」
「はいよ、1回500円ね」
「え!春彦君!冗談よ、冗談!」
「いいから、ほら。2回引いて。くまさんは……10番だね」
「ありがと……」

真弓は少し照れくさそうに2回くじ引きをする。

「はい。51番と342番ね……そしたらこことここから1個ずつ好きなの選んでね!」
「えぇ!くまさん出なかった!」
「お嬢ちゃん、くまさんは10番のくじだね。残念!」
「くっ!真弓のくまさんがっ!!」

 僕は財布の中から、福沢諭吉先生を召喚しようとする。

「こら!春彦君!それは駄目です!ここから選びましょ」

真弓に怒られた。

「この便箋セットと……あ!この指輪かわいい!」
「指輪?玩具の指輪じゃないか」
「これにしよっと。おじさん!この指輪と便箋セットにします!」
「はいはい!毎度あり!――くじ引きだよ!寄ってらっしゃい!まいどっ!1回――」

 せわしなくお客の相手をするくじ引き屋を後に、真弓の車椅子を押す。

「真弓、そんな指輪で良かったのか?他にも色々……」
「いいの。これは春彦君が買ってくれた指輪なんだから!えへへ」

 無邪気に笑う真弓を見て、なぜか懐かしさを感じる。僕の元いた世界は2020年。今から10年後だ。でももうほとんど覚えていない。今いるこの世界に元から産まれ育った感覚さえある。
 車椅子を握る手に力が入る。この世界でも真弓と2人で歩んで行きたい……。

「あっ!いたいた!おぉい!真弓!春彦!」
「美緒!遅い!どこまでトイレ行ってたの!もう!」
「ごめんごめん!あまりに混んでたから道路向かいのコンビニまで行ってた!」
「おかげで私達はめでたく結婚しましたぁ!」
「え!?ちょっと!何その指輪!!春彦!もうプロポーズしたの!早くない?」
「してないしてない。それはくじ引きの景品だ」
「あぁ、そうなんだ。はいはい良かったでちゅねぇ、真弓ちゃん。よちよち」
「春彦君!何でバラすの!もう!」
「えぇぇぇ……」
「ぷっ!あははは!」

 こんなに笑う真弓を見るのはいつぶりだろう。胸の奥で熱くなるものがある。

『――ピィィィ……間もなく16時より第1駐車場において、シンガソングライターAkaneさんのライブを行います――』
「あっ!そろそろ行こ!」

 境内に放送が流れ、駐車場へと向かう。すでに駐車場は人だかりが出来ており、会場から少し離れた場所で落ち着いた。真弓の車椅子を囲うように、僕と美緒と夢夢が立っている。

「ちょっと見えないなぁ……しょうがない。歌だけでも聞こえたらいっか」
「そだね、美緒達は前に行って来ても大丈夫だよ。私はここで聞いてるから」
「何言ってるの。真弓だけ置いてはいけないよ。私もここでいいよ」
「ありがと」
「もう真弓は世話のやける子ねぇ……ぷっ」
「何それぇ!お母さんみたいな事言って!あはは!」

 そんな冗談を言っていると、司会のマイクが入りいよいよAkaneの歌が始まる。会場は司会の言葉に耳を傾け拍手をし、Akaneがステージに上がる。

『――お待たせしました!それではAkaneでAkaneiroです!どうぞ!』


〽見えないことが怖いんじゃない――
 手が届かないから怖いんだ
 真っ赤な夕焼けも――
 君の真っ赤な顔も

 そのぬくもりを失う事が怖かった――

 ただそこにいるだけでいい……
 ただそばにいるだけでいい……!

 それが――言えなかった……!!

〽手が届かない今だから――!
 手が届けば何もいらなぁぁい!!

 ひとりぼっちの今だから――!
 ひとりぼっちになりたくない……。


 ――Akaneの歌声に皆、時間を忘れる。1番を歌い終わると拍手と嗚咽が聞こえてくる。ハンカチで涙を拭く者、口笛を吹いて歓声を上げる者。そこにいた全員がAkaneの歌に酔いしれた。

「Akane!!」
「何て……綺麗な声……うぅ……」
「あぁ、やっぱりいいな。Akaneは……」

 僕の胸にも歌詞が突き刺さる。目頭が熱くなり、気を抜くと涙が流れそうだ。真弓はハンカチで涙を拭き、美緒は口をポカーンと開けて聞いている。

――パチパチパチパチッ!!

 1曲目が終わり会場は割れんばかりの拍手に包まれる。

『――続きまして……』

 1時間という時間はあっという間に過ぎていく。
 天候は晴天、風もない。ただ気温は低く寒いはずなのに腕まくりをしたり、上着を脱ぐ人の姿も見える。そのくらい皆、興奮していた。
 集まっているのは10代~30代くらいの人だろうか。年配の方にとっては通行の邪魔でしかないのかもしれない。けげんそうな顔をして通って行く人もいる。
 夢夢はジュースを買いに行ったり、たこ焼きを買いに行ったりと、歌には興味が無さそうだがそれなりにお祭りを楽しんでいるようだ。
 そして最後の曲の伴奏が流れる――


〽光が届かない世界で生きてきた私は
 君に出会って初めて光を知った――

 山は輝き 空はまぶしく 海は光る……
 そんな世界を初めて知った――

 ――光が見えるとき 風がそよぐとき……
 君といるから 素晴らしい世界――


 語りかけるような口調のバラードがまた胸に響く。はっきりとは思い出せないが、10年後の……2020年代の僕もこの曲を聞いていた気がする。懐かしくもあり、心の奥に響く。
 真弓も涙を拭きながら聞いている。美緒は相変わらず口を開けている。
 曲が終わるとアンコールの声が上る。しかし、冬の夜は日が落ちるのが早い。司会者がここで終了の合図を出し、鳴り止まない拍手を背にAkaneは壇上から降りた。

「はぁぁぁ、良かったぁ。もうね、感動しっぱなだった」
「真弓はずっと泣いてたわね。と言う私も最後はやばかった」
「美緒はずっと口が開いてたぞ?」
「はぁ?春彦はずっと真弓を見てたじゃんか!」
「えぇ!春彦君、Akane見て無かったの?」
「見てたよ!美緒、なんでそうなるんだ」
「千家様、西奈様の御母上様が第2駐車場でお待ちです」
「あぁ、夢夢ありがとう。真弓、時間だ。戻ろう」
「うん!今日はありがとうね、ほんと楽しかった!」

 真弓は左手を空に向ける。指にはめた指輪が夕日に当たりキラキラと光る。

「Akaneの彼氏はね、体に障害がある人なんだって。私と春彦君とは逆だけど、きっとこれからもうまくやって行ける気がする。だってあんな素敵な歌を書けるんだから!」
「そうだな。僕たちも見習わなきゃな」
「はいはい、ご馳走様。いちゃいちゃするのは私がいない時にどうぞ」
「もう、美緒も良い人見つかるって!」
「どうだかねぇ」

 そんな事を言いながら笑って真弓と美緒は帰路に着いた。僕と夢夢は帰りの途中、道端で動けない有珠と黒子を担いで帰る。

「食いすぎたのじゃ……うっぷ……」
「ねぇさま……もうお財布事情がやばいですわ……うっぷ」

 新年早々、最後はこの2人の介護で時間が過ぎていった。


※劇中歌歌詞『光が見えるとき』
著・桜井明日香

 ――2011年3月4日(金曜日)。

「夢夢、有珠がそう言ったんだな?」
「はい、千家様」
「そうか……あと1週間後か」

 猿渡の屋敷で、夢夢の部下数十人を集めて大広間で会議をしていた。
 3月11日にこの町は災害で壊滅的被害を受ける。しかし未来を知っていてもそれを口にする事は出来ない。口にした所で嘘つき呼ばわりされるだろう。
 僕に許される行動は南小夜子を助ける事。そして未来の妻、西奈真弓をこの町から遠ざける事。

「では皆、災害が発生した後に1人でも多くの住民を救ってくれ。僕たちに出来る事はそれしかない」
「はっ!千家様!」

 各々、各避難所付近に医薬品や食料や毛布、飲料水を買って隠しておくように指示を出す。有珠の指示で直接的に手を出す事は禁じられている。大幅な歴史への干渉は禁止なのだ。ならば間接的に役に立つ方法をと皆で模索していた。
 ――学校の卒業式は3月18日。ほとんどの生徒が就職や進学が決まり登校はしていない。僕はまだ就職先が決まっていないため学校には通ってはいるが、就職先を決めるのも悩んでいた。今、就職が決まっても災害後はどうなるかわからない。

『ピンポーン』
「はぁい!」

 玄関のほど近くにいた猿渡の子が玄関へと向かう。しばらくして戻ってきたその子は僕を呼びに来た。

「千家親分!大変です。警察が――」
「警察?何の用だ?」

 玄関に出てみると、片桐刑事と数人の警官が待っていた。

「片桐刑事、どうしたんですか」
「あぁ、千家さん。ちょっと聞きたい事があって来たんですよ。よろしいかな?」
「えぇ、上がられますか?」
「いや、ここでいい。例の物を……」
「はっ!」

警官がアルミケースから大事そうに袋を取り出す。

「千家さん。これ何かご存知ですか?」
「ん?何でしょう?錠剤のようですが……」

袋には錠剤が包装シートのまま入れてある。

「この薬は『M.M.B剤』と言いましてね。人の脳を操る薬として……いや、新薬と言った方がわかりやすいでしょうか」
「まさか!理子に使われていた薬ですか!」
「ご名答です……これがですね。中央病院の地下から出て来たのですよ。それと……」
「地下……何でそんな所に……」

片桐刑事は1枚の写真を取り出す。

「これはある病室の床頭台なんですがね。この床頭台にも隠されていました」
「片桐刑事。何が言いたいんですか?」
「千家さんは話が早くていい。これは君の入院していた病室の床頭台なんですよ。意味がわかりますよね?」
「……なるほど。誰かが僕をおとしめようと?」
「さぁ……そこはかばってあげたい所ですが、一応、薬物製造の容疑がかかっていましてね」
「……僕がやったと?」
「そうは言っていません。捜査に協力して頂けないかと思いまして――」
「――わかりました。身内に事情を説明して来ますのでお待ち下さい。……大丈夫です、逃げやしないですよ」
「そうですか。ご協力感謝致します。我々は外の車で待っていますので……」
「はい……」

 大広間に戻り、夢夢達に事情を説明する。刀を手にした夢夢を止めたのは言うまでもない。

「千家様、いつでも叩き斬ってやりますのでご命令を」
「大丈夫だから。それより準備を進めておいてくれ。あと凛子と美甘に連絡役を」
「かしこまりました。すぐに準備を――」

 小雨が降り始めた空を見上げる。災害が起こるまで1週間……準備をしなければと思いつつも、目の前のやっかい事の片付けを優先する。

「出してくれ」
「はい、片桐刑事」

………
……


 ――3月5日(土曜日)。
 取調べ室にて入院中の生活の調書を取られる。勾留中は警察署内にある保護室での生活となった。
 ――3月6日(日曜日)。
 警察署も休日だ。特にする事もなく、図書室の本を借りて読む。時々、窓の外に凛子と美甘の姿が見え隠れする。
 ――3月7日(月曜日)。
 気持ちが焦り始める。土曜日に行った調書と同じ内容を1から説明をさせられる。これは嘘をついていないか、記憶が正しいのか確認しているのだろう。
 ――3月8日(火曜日)。
 残り3日。こんなに長く警察署に拘束されるとは思わなかった。説明だけして出れると思っていたが、のらりくらりと同じ内容の調書を取られる。取調べ室から帰ると凛子のメモがあり、僕の両親が面会に来たが取調べ中の為に帰った事が記載されていた。

 ――3月9日(水曜日)。

「片桐刑事!いい加減にしてください!」

 何度も同じ事を説明させられ、思わず声を荒げてしまう。相手の思うつぼだとも知らずに……。

「千家さん、こちらも困っているんですよ。今回の新薬の件は国家レベルの重罪になるんです」
「だから僕は何も――!」
「片桐刑事、裁判所からこれを――」
「あぁ……わかった、ありがとう。千家さん、今日から留置場に移ってもらいます。警察署のすぐ裏の建物になりますのでいつでもお会いできますが……長期になるかもしれませんね」
「くっ……」

 ――3月10日(木曜日)。

 僕は留置場に移され、さらに警備も厳重になっていた。そろそろ限界だ。災害はもう明日だ……夢夢の助けを借りるか。と、思案していた時だった。


グラグラ――


 最初は軽い揺れだった。それから数分事に揺れが起きる。震度は1~2程度。しかし、頻度がおかしい。大地震の前の前兆か?情報が無さすぎて何もわからない。

「クックック……ハジマッタ……」
「え?」

 耳を疑った。隣の部屋から聞いた事のある声が聞こえた。
 柏木望……柏木白子の父親であり、夢希望高校の元教師だ。そうか、裁判の為に留置場に連れて来られていたのか。

「なぁ、あんた柏木先生じゃないのか?」
「……?」

 沈黙する相手。こちらの様子を伺っているのだろうか。

「僕は千家春彦。夢希望高校の3年だ」
「ハァ?センケ……?」

 何度か授業を受けた事はあるが、こんな口調の先生だっただろうか?何だか様子がおかしい。

「……」
「……」

 お互いが壁に耳をつけ、沈黙をしていると今までにない揺れが襲ってくる!

グラ……グラ……グラグラッ!!

 慌てて壁から離れ、ベッドの下へと潜り込む!留置場には火災報知器が鳴り始めた。

ジリリリリリッ!!

「火事……か?しかし今のは大きかったな。震度5くらいはあったか。凛子、美甘、大丈夫か?」
「はひっ!ご主人さま!無事です!騒ぎに乗じて扉を開けに行きます!」
「ですっ!」
「あぁ、わかった。気を付けてくれ」

 ベッドの下から這い出すと、廊下が何だかこげ臭い。やはり火事か。配線でもショートしたのかもしれない。
 と、さっきまで耳をつけていた壁を見ると小さな穴が空いている。壁の一部が剥がれたらしい。
 そこにはやせ細り、目だけギョロリとした柏木望がいた。精悍な顔つきをした先生の姿はもう無い。恨み、怨念、そんな言葉が似合いそうな風貌だった。
 声を聞いてわかったものの、姿だけでは判断がつかなかっただろう。するとまた柏木望が冷ややかに笑う。

「クックックッ……コイ……モットダ……オマエナラデキル……」
「何を言ってるんだ……?」
「ご主人さま、開けます――」
「あぁ。凛子、美甘、頼む」
「はひっ!」

カチャ――

凛子が扉を開けた瞬間だった……!

ゴゴゴゴゴ…

地鳴りが聞こえる。

ゴゴゴゴゴ……

「まずい!2人共!こっちへ!!」
「ひゃぁ!」
「はひっ!!」

……グラ……グラグラグラ……

………
……


「お、おさまった……のか?」
「ふぇ……」
「がくぶる……」


『ズッドォォォォォォォォォォン!!!!!』


「やばっ!!」
「きゃぁぁっ!!」
「きゃぁぁ!」

 突然激しい縦揺れが起き体が宙に浮く感じがする!凛子と美甘が僕にしがみ付き、震える。

グラグラグラグラッ!!
ガッシャン!ガッシャン!!

 更に横揺れが始まった。どのくらい揺れていただろうか。部屋のベッドが壁にぶつかり、本棚が倒れ、電灯もすべて消えている。室内は火事の明かりだろうか、オレンジ色に包まれ辺りは真っ暗になった。

――14時46分。

 部屋の時計の針がそこで止まっていた。揺れは徐々に収まり、何とか立ち上がれる。

「2人共、大丈夫か?」
「は……はひ」
「ぐす……」
「よしよし、良い子だ。今のうちに逃げよう」

 僕達が独房から廊下に出ると、暗闇に立っている人影が見える。暗くて良く見えないが、それは隣の部屋……柏木望の独房の前だ。

「あなた!危ないですよ!早く逃げないと!」
「……君は?見たことある顔だわね……」
「え?あなたは……」
「センケ……ワタシノ……オシエゴ……クックックッ」
「そう……千家……君。こんな所にいたの。また補習をしたいのかしら……」
「何を……言ってるんだ?こんな状況で……霧川先生……」

柏木望の独房の前には霧川先生が立っていた。

 ――2011年3月10日(木曜日)14時46分。

 突如地面が揺れだし、留置場が激しく揺れる。電灯は消え、火災が発生し、目の前で起きている事が頭の中で現実と結び付かない。

 ――僕達が独房から廊下に出ると、暗闇に立っている人影が見える。暗くて良く見えないが、それは隣の部屋……柏木望の独房の前だ。

「あなた!危ないですよ!早く逃げないと!」
「……君は?見たことある顔だわね……」
「え?あなたは……」
「センケ……ワタシノ……オシエゴ……クックックッ」
「そう……千家君。こんな所にいたの。また補習をしたいのかしら……」
「何を……言ってるんだ?こんな状況で……霧川先生……」

柏木望の独房の前には霧川先生が立っていた。

「霧川先生!説明は後だ!早く逃げな――え?」

 目の前の霧川先生があろう事か、銃を手に持ち銃口を僕に向ける。

「え?何をして……るんですか?」
「何を?千家君はおかしな事を言うわね。悪い子にはお仕置きが必要なんですよ?」
「先生、そんなもん人に向けたら――」


『カチ――バァンッ!!』


一瞬だった。彼女は躊躇なく引き金を引いた。

「千家様!危なっ――!!」

 銃弾は手を伸ばした凛子の腕を貫通し、血が飛び散り、僕の耳をかすめて行く。

「え?」
「ギャァァァァァァッ!!」
「凛子ォォォォォ!!」

凛子が悲鳴を上げ、美甘が凛子の腕を抑える。

「ヘヘヘ……サヨコ……ヤラセロヨ……ハァハァ……」

 柏木望が壊れた独房のドアを外し、霧川先生の足にしがみつく。まるで壊れた玩具の様に……。

「ちっ、気味の悪い……。柏木望。お前は新薬の実験台でもう用済みなんだよ……今日はお別れを言いに来たんだ」
「サヨコ……ヤラセテ……」


『カチ――バァンッ!!』


「アガ……!」
「柏木先生……!?」

 霧川先生が柏木望の脳天を銃で撃ち抜く。そのまま地面に這いつくばり、動かなくなる柏木望。

「おいっ!!霧川先生!あんた何をしてるんだ!気は確かか!」
「おやおや……千家君はもう少し賢い子だと思っていましたが……」

『カチ……』

霧川先生はポケットからタバコを取り出し火を点ける。

「ふぅ……。私は霧川小夜子。数百年前から千家の家系を恨む者。何度も生まれ変わり、その度に千家の命を狙ってきた。今思えば何とも……幸せな人生か」
「何を言ってるんだ……人を殺しておいて何が幸せな人生だ!狂ってやがる!」
「はっはっはっ!何代続いても千家は正義感があってよろしい。それでこそ殺しがいがあると言うもの……」
「お前の目的は僕だろ!他の人を巻き込むな!」
「いやいや。今回のターゲットは千家のみではない。全国の千家の末裔がいる場所で災害を起こし、あたかも千家がいると災いが起こるという歴史を作りたかったのだよ。わかるかね?この壮大な計画が。そして柏木白子を使い、その計画を実行した……」
「柏木白子?白子もお前の命令で動いてたのか!」
「ふふふ。気付くのが遅かったわね。未来を知る者ならば3月11日に災害が起こると予想する。だけど私は腹黒いのよ……3月10日に術式を完成させれば『災害は起こらない』と白子に命じたの。白子はそうとは知らずに一生懸命、災害が起こる術式を全国で作ってくれたわ……ふふふ……あっはっはっは!!愉快だわ!!」
「白子は……元から災害を止める為にやってたのか……!それが災害を起こす引き金になるとも知らずに……!!」
「だからそう言ってるじゃない?そろそろ警官が来る頃ね。お別れよ。この時代では私の勝ちの様ね。千家……さようなら――」
「くそぉぉぉ!!」


『カチ……!!』
「漆黒の太刀――影り月――!!」
『バァン!!』
『シュンッ!』

 銃声が轟くのとほぼ同時に、夢夢が持つ刀が霧川先生の右腕を切り落とす!!

「ギャァァァァァァ!!」
「夢夢かっ!」
「千家様!!」

右腕を切り落とされ、叫ぶ霧川小夜子。

「ご無事ですか!千家様!」
「助かった……」
「おのぉれぇぇぇぇ!!」

 霧川先生が自分の落ちた腕から銃を取ろうとする。夢夢が霧川先生と僕の間に立ち、剣を構えた。

「そこまでだっ!!動くな!!」

通路の補助灯を頼りに数人の警官が駆けつける。

『カチ――バァン!バァン!!』
「撃ってきたぞ!盾を用意しろっ!」

霧川先生が銃を取り発砲する。

「霧川先生!逃げるのかっ!」
「覚えておけよ、千家!貴様は絶対に許さない!」

 そう言い残し、霧川先生は防弾ガラスであろう窓に向かって飛びこんだ。
 先程、窓に向かって撃ち込んだ銃弾でひび割れたガラスは、霧川先生が飛び込む事でいともたやすく割れた。

ガッシャン!!

「おい!ここ5階だぞ!下に周れ!救急車の手配だ!」
「はぁはぁ……霧川先生……」
「凛子!大丈夫か!」

夢夢が凛子の傷口を確かめ止血する。

「あね様……大丈夫です。それより早くあの者を……」
「凛子!病院が先だ!掴まれ!」
「ちょいとお待ちなさい――」
「片桐刑事……!」
「千家さん、無事で良かった。遅くなって申し訳ない」
「片桐刑事!今はあんたの事情聴取を受けている暇はない!」
「わかっています。状況も先程、警官から聞きました。行きなさい。その子は私が責任を持って病院に連れて行きます」
「片桐刑事……。信じてもいいのか?」
「ご主人様……行って下さい……足手まといにはなりたくないです……」
「凛子……わかった。夢夢、行くぞ」
「はい、千家様。美甘、凛子を頼んだ」
「はひ!あね様!」
「そうそう千家さん。下に車を用意させてます。私の部下なのでご自由に――」
「……ありがとう、片桐刑事」

 補助灯を頼りに夢夢と2人で車へと向かう。エレベーターは止まっている。仕方なく、非常階段から1階へ降りて行く。

「夢夢、やることは3つだ。霧川先生の拘束、真弓の保護、小夜子の……」
「千家様?どうされました?」
「いや……小夜子?偶然なのか。霧川先生と同じ名前だ……」
「そう言えばそうですね。あまりに違和感がありますね」
「あぁ……まさか南小夜子と関係があるのか……」

 ――駐車場では片桐刑事の部下が待っていた。辺りではサイレンの音や、慌ただしく走る警官の姿が見える。

「お待ちしてました。片桐刑事から話は聞いています。どちらに向かいましょうか」
「すいません、東海浜医療専門学校へお願いします!」
「わかりました」

 時刻は15時20分になろうとしていた。無線とラジオで地震の状況が流れてくる。

『――14時46分に発生した地震は震度6強、震源地は東海沖でマグニチュード……』
『――ガガ――こちら東浜交差点。信号が消え渋滞を確認。ひき逃げの目撃情報も有り。応援を要請する。繰り返す――こちら――ガガ』

「千家様、西奈真弓さんは東海浜医療学校におられるのですか?」
「あぁ、3月11日であれば自宅にいると言っていた。しかし3月10日は学校説明会があると……。3月10日なら大丈夫だと思い、特に何も忠告しなかったんだ……」
「そうなのですか……。千家様、大変言いにくいのですが海岸からは引き返すのがよろしいかと」
「え?どうしてた?また大きな地震が来るのか」
「いえ……地震も来ますが、この災害は地震よりも――」

夢夢が有珠から聞いた話を説明してくれる。

「そんな……!それがこの災害の……」
「えぇ、大きな被害が出たのは先の地震ではなく……そう有珠様は言っておられました」
「時刻は聞いているのか?」
「はい、ただズレも生じているかもしれません。先程からラジオと無線を聞いていますが、まだ情報がありませんし、千家様の携帯電話にも――」

夢夢がそう言おうとした瞬間だった。

『ピロピロピロン――』

携帯電話が鳴った。

『津波警報発令――』

「夢夢……これが……!」
「おそらく、有珠様の言われてた……」

『緊急地震速報です。数十秒後に大きな揺れが起こる可能性が――』

矢継ぎ早に、地震速報もラジオから聞こえる。

「揺れてますね。千家さん、少し車停めますね」
「はい」

刑事の判断で路肩に停車し揺れが収まるのを待つ。

『この先500メートル渋滞です』
「どうやらこの先の東浜交差点から渋滞ですね。回り道は……」
「東海浜医療専門学校まではどのくらいですか」
「あと1キロ程ですが、渋滞次第では15分……いや20分はかかるかと思います」
「夢夢、行こう。刑事さんありがとうございます。ここから歩きます」
「大丈夫ですか?十分気を付けてください」
「ありがとうございました。片桐刑事にもお礼を言っておいてください」
「わかりました」

 車を降り、交差点に向かって走る。交差点を右折してあとは真っ直ぐ海の方向へ向かうだけだ。
 東浜交差点は信号が消え、大渋滞している。クラクションの音がひっきりなしに聞こえ、罵声も聞こえる。救急車も確認出来たがこの渋滞で動けない様だ。

 なぜだろう。その時、急に有珠の言った言葉を思い出す。虫の知らせと言うやつだろうか。

『――南小夜子を死なせるな』

僕は胸騒ぎがし、事故現場であろう交差点へと向かった。


 ――2011年3月10日(木曜日)15時30分。

『――南小夜子を死なせるな』

 有珠に言われた言葉を思い出した僕は胸騒ぎがし、事故現場であろう交差点へと向かった。
 東浜交差点では停電の影響であろう、信号が消えている。野次馬も出歩き、事故現場は人混みが出来ている。
 その間にも頻繁に地震が起こる。震度は3程度だろうか、揺れる度に身構えてしまう。
 救急車は到着はしているが、渋滞している交差点で身動きが取れないでいた。

「道を開けて下さい!救急車が通ります!」

 救急車からアナウンスが繰り返し流される。しかし前後左右が車で埋まり動かない。

「千家様!左方の路肩に倒れている人を確認!」
「夢夢、わかった。すいません!通ります!すいません!」
「何だ!お前は!邪魔だ!」

左方向へ行こうとするが野次馬でなかなか進めない。

「千家様、お任せ下さい――」

 夢夢が僕の前に立ち道を開けて行く。夢夢の力はおそらく車を持ち上げるくらいの力がある。人をどかすなど造作もない事だった。
 現場に着くと2人の人が倒れている。1人は子供。もう1人は子供の上に覆いかぶさるように倒れる女性。女性は頭から出血している。状況からして子供を守る為に飛び出した様だ。

「小夜子……!!」

 胸騒ぎが的中する。子供に覆いかぶさっているのは……南小夜子だった。

「小夜子!しっかりしろ!」

声をかけるが意識がない。

「千家様、これはかなり危ない状況なのでは……」
「有珠に言われたんだ……『南小夜子を死なせるな』と。ここで小夜子が死んでしまうと未来に何らかの支障が出てしまう!どうしたらいい……夢夢……!」

振り返ると、夢夢ではなく救急隊員の姿があった。

「君、交代しろ!」
「え?はい、お願いします……」

 夢夢は小夜子の足元にいる。救急車は車の渋滞で近付けなかったんじゃ――!?

「お前達……追いかけて来てくれたのか……?」
「ハァハァハァ……はひっ!ご主人様!」
「ハァハァハァ……ですっ!」

 腕が血まみれの女の子が肩で息をし、僕の目の前に立っている。そして、救急車が通れる程の道が出来ていた。
 立ち上がってみると、救急車の前後に停まっていた数十台の車がすべて横向きに起き上がっている。

「ご主人様は私達を地震の時、守ってくれた。だから頑張っ……た……」
「凛子……美甘……!!」
「凛子が行くって聞かなくて……美甘は止めたのですよ!」
「2人共……助かった!!」

 救急車に小夜子とフラフラになっている凛子を乗せる。銃で撃たれた凛子の腕は簡易的に包帯が巻いてあったが、包帯は赤く染まり、血が流れていた。

「凛子、無茶し過ぎです。帰ったら説教です」
「あね様ごめんなさい……」
「でも助かったわ、ありがとう。凛子、美甘」
「はひっ!あね様!」
「えへへ……」

 後方で待機していた救急車には、小夜子がかばっていた男の子を抱きかかえ救急隊員が乗り込む。
 前方の救急車に乗った小夜子の意識は戻らない。頭からの出血も多い。小夜子の手を握るが、徐々に冷たくなっていく感覚がある。
 小夜子をこのままほってはおけない……でも真弓の元へ早く行かなきゃならない!……どうしたらいい!!
 隊員が誘導し、後方の救急車が旋回を始めた。この救急車も早く出さないといけない。凛子と美甘も、小夜子を心配そうに見ている。

「君、救急車を出すけど彼女の知り合いなら乗って行くか?」
「うぅ……」
「千家様!早く決めないとどちらの未来も……!!」

 夢夢が僕の肩を掴む。その手には痛いくらいに力が入っている。夢夢も必死なのが伝わってきた。

「くっ……!……一緒に乗って行きま――」

その時、僕の手首にはめていた念珠が光った!!

「【生還の念珠】か!!そうだ!これを小夜子に!」

 僕は念珠を外し小夜子の手首に付けた。念珠はうっすら光っている様に見える。そして小夜子の指がわずかだが動いた!

「君、時間が――」
「行って下さい!小夜子をお願いします。美甘頼んだぞ!」
「はひっ!」

救急車は僕と夢夢を降ろし走り出す。

「良かったのですか、千家様」
「あぁ、有珠が言っていた究極の選択はこの事かもしれない。あの光った念珠に賭ける。夢夢、行こう。真弓が待ってる」
「はい!千家様――!」

『ゴゴゴゴゴ……』

 遠くからまた地鳴りが聞こえる。地震だ。東海浜医療専門学校を目指し、僕と夢夢は人混みを抜け走り出す。

――15時45分。

そしてついにその時がやって来る。

「おいっ!何か来るぞ!何だあれは!」

 通り過ぎた交差点で誰かが叫んだ。海の方に目をやると何か白い物が見える。

「夢夢、あれは何だ?」
「!!?」

僕が指差した方角を見て夢夢の顔色が変わる。

「千家様……あれが津波です!」
「なっ!!」

 それは徐々に近づいてくる白波だった。防波堤を越え、それは迫ってくる。
 目視では専門学校の建物が遠くには見えている。周囲には目立った高い建物はない。

「このままでは間に合わない……!!」

 一瞬足を止めそうになった時、目の前の普通車が視界に入る。津波警報で乗り捨てられた車だろうか。鍵をつけたまま窓が半分開いている。

「夢夢!!乗れ!」
「え!千家様!?」

 思い出せ!10年後の僕はきっと運転をしていたはずだ!考えるな!体で動かせ!

「ふぅぅ……」

 頭を空っぽにし、ハンドルに手をかけキーを回しエンジンを掛ける。
 クラッチを切り、ローギアに入れた所で……体が反応した!
 ローギアからクラッチを繋ぎ車を動かす。徐々にスピードを上げ、2速3速4速――

「いけるっ……!」

 時速はあっという間に90キロを超える。見る見る専門学校が近付いてきた。専門学校方面からの車と何台かすれ違う。津波が迫ってる事を伝えたいがそんなすべは無く、ただ見守る事しか出来ない。
 沿岸部が湾になっているのだろうか。後方にある先程の東浜交差点の方向から砂煙が見える。あれが津波なのか?
 僕はさらにアクセルを踏み込む。専門学校までは見通しの良い直線道路。

「夢夢、周りを見ていてくれ!!猿渡の目なら僕より見えるはずだ!」
「はいっ!前方交差点、障害物ありません!しかし……千家様、運転が出来たのですね……」

 時速は110キロを超えた。専門学校の手前で大きなカーブに差し掛かる。

「掴まってろ!!」
「は、はい!!」

 ブレーキを踏み込む。荷重が車の前方にかかり、ハンドルを切ると車の後部が横向きに滑り始める!

キュルキュルキュルキュル!!

「千家様!危ない!スピード出し過ぎです!!」
「いや!これでいい!」

 車は後輪を滑らせながらカーブを曲がっていく!ハンドルに伝わるタイヤの感触……ゆっくり流れる景色。まるでゲームの中の様な感覚だ。

「これはドリフト……!!まるでゲームをしてるかの様な……」

 一瞬、未来の記憶が垣間見えた様に思えたがすぐに消えた。

「ひぇぇぇぇぇ!!」
「大丈夫だ!行けるっ!」

キュルキュルキュルキュル!!

 カーブの出口が見え、車の速度を落としていく。目の前には専門学校の駐車場が見えてきた。

「よし!まだ津波は来ていない!」
「はぁはぁ……怖かったぁ……」

 車を正面入口に横付けした。入口はすでに鍵がかかっており中には入れなかった。急いで携帯から真弓に電話をする。ここに着くまでも何度か試したが――!

『おかけになった電話番号は現在電波の届かない――』
「くっ、くそっ!やっぱり電話が繋がらない!夢夢!」
「こっちも電話は誰にも繋がりません!」
「まさかさっきのすれ違った車に――」

その時、一瞬道路向かいのバス停に人影が見えた。

「……真弓?」

 神に祈る気持ちでバス停に向かう。そしてその人影がはっきりと見えた時、確信に変わる。そこには車椅子に乗った女性がいたのだ。

「真弓!!」
「春彦……君?どうしてここに?」
「話は後だ!津波が来てる!逃げるぞ!」
「え?え?津波?」
「夢夢!」
「東と西に砂煙が見えます。北はまだ大丈夫ですが、車では行けません!たぶん……あの建物の屋上に逃げるのが一番早いかと!」
「わかった!ドアを壊せるか!」
「御意!」
「真弓!背中に乗れ!」
「う、うん!」

夢夢は専門学校の入口を何度も蹴りつける!!

ガッシャン!!

 防犯ベルが鳴り響くがおかまい無しに中へと入る。夢夢が非常階段の扉を開け先導し、僕は真弓を背負い夢夢の後を追う。
 専門学校は4階建だった。屋上の扉を開け、夢夢が先に外へと出る。僕もそれに続き、要所要所の踊り場で休憩しながら屋上へと向かう。
 非常ベルの音に混じり『ゴォォォ!』という音が下から聞こえてくる。津波が入って来たのだろうか?
 校内は暗く足元の補助灯しか見えず、下の階がどうなっているのか確認も出来ない。

「はぁはぁはぁ……真弓……降ろすぞ……はぁはぁ……」

 屋上に着くと真弓を壁にもたれさせる。背中が軽くなり、無事に屋上まで来れた事に安堵した――

「千家様!!離れて下さい!!」
「え?」
「キャァァァァ!!」

すぐ後ろで悲鳴が聞こえた。

「え?真弓?」

 振り返ると、そこには真弓を抱えた霧川小夜子がいた……。