玲と二人で居残りで生徒会活動をした日から、一週間が経った。
 生徒会の皆は相変わらずで、秀也と玲の二人で仕事をすることも多々あった。

 しかし書記長の青山だけは、生徒会を休むことも少なく出席し、稀に居残りも付き合ってくれていた。
 この際、玲との二人だけでも別に良かった。彼女と話す機会は生徒会に入るまでは一つもなく、最近になって時間ができたに過ぎない。だからその時間が増えたのは嬉しいことであるし、単純にその空間が心地よかった。もちろん、作業を手伝ってくれるのはありがたいのだけど。

 けれど逆に、青山以外の生徒会メンバーの素行が目立った。生徒会の出席率も低く、居残りに付き合ってくれたこともない。二人で居残りで作業したあの日以降の生徒会は、二回開かれる予定だった。けれど作業の進捗状況により、三回に増えたのだ。
 その原因は間違いなく作業効率の悪さ。二人、三人では絶対的に遅れてしまう。
 生徒会の日数が増える以上に、秀也たちの解散の時間が全て居残り前提のものとなってしまう。それは流石に問題なのではないだろうか。

 いい解決方法は何かないかと考えているが、怒りをあらわにする以外思いつかなくて、試行錯誤している最中である。

「シュウ、次俺らだぞ」
「ああ、うん」

 今は体育の授業中。男子はバスケットボールで、女子はバレーボール。体育館をネットで二つに区切り、男女を区別して行われている。
 男子バスケットボールの方は、男子の人数を三分割して試合を交代で行っている。秀也のチームが休憩の時に、ネット越しで女子側のコートを見ているところを、和哉に話しかけられたのだ。
 ちなみにバスケ部の和哉と同じチームになったため、非常に楽をしている。

「なんだ、高峰さんをずっと見てたけど、夢中になってる最中だったか?」

 と、口元をにやりと歪ませて言ってくる。内容を聞かなくても、その心中を察することが容易だった。

「そういうのじゃない。言ってなかったけど、俺と玲って幼馴染なんだよ」
「え、本当に聞いたことないやつじゃん。なんで今まで黙ってたんだよ」
「黙ってたっていうか、わざわざ言うことでもないし」

 話す機会があればついでで言うことはあるだろうが、自分からひけらかすように言うことはないだろう。

「それもそうだけど、じゃあなんで今日は言ったんだ?」
「カズが勘違いしてそうだったから」
「本当に勘違いかなー」

 再び口元をにやりと歪ませる和哉。その表情に若干の面倒くささを感じたため、適当にあしらうことに決めた。とは言っても、玲をずっと見ていたのは事実だったけれど。
 六人のチームでバレーコートに入り、器用にボールを捌く彼女。運動神経も抜群な玲だが、周りとの連携は上手にできていないようだった。普段からクラスメイトと話していないため、こういった時にもコミュニケーションがうまく取れないのだ。だから、あまり楽しめているようには見えなかった。

 そんな状況を見て、生徒会長となった今でもこのままでいいのかと思ってしまう。ほぼ全員と壁を作り続け、自分の肩身を狭くするのみ。それでは楽しいはずのものも楽しくなくなってしまう。
 そんなことを考えて、和哉の背中を追いかけながら次の自分たちの番のために準備するのであった。


 放課後。
 今日は目安箱とその記入用紙の作成をすることになっている。目安箱とは生徒の要望や状況をいち早く知るための、任意のアンケートのようなものだ。これは前期からあったもので、引継ぎという形で秀也たちの代にも適用されることとなった。
 少し遅めに生徒会室へ入ると、中にいたのはたったの二人だけ。玲と書記長の青山だった。

「あれ、他の皆はまだ来てないの?」
「いや、今日は三人だけなの。普通に休む人もいれば、部活の強化期間だったりするらしいよ」
「……へー」

 またしても失望を抱く。生徒会のメンバーは全員で八人で、今日いるのは三人。半分も参加していないこの状況は、果たして見逃すことができるものなのだろうか。
 一日だけであれば、秀也もここまで呆れていないだろう。けれど、実際生徒会初日以来、全員が揃ったことはない。そんな状況だからこそ、垣間見えている皆のサボり癖が光って見える。もちろん悪い意味で。

「それさ、休んでる人って、何で休むのか聞いてたりする?」
「皆用事があるって言ってたよ」
「そうなんだ」

  これではっきりとわかる。それらしい理由をつけて、彼らはただ休みたいだけ。少なくとも本当に用事がある人はいるかもしれないが、全員そしてそれが何日もというのは普通はあり得ない。
 もちろん、ここまで生徒会が忙しいのは最初のうちだけである。前期から引き継いですぐは、様々な書類があるためその作業を行うのだが、それが一通り終わってしまえば後は楽である。だから一定期間が過ぎてしまえば、仕事量も減るため、出席状況は問題とならなくなる。
 けれど、それでもここまで揃わないのはいかがなものかと思う。今だけの辛抱だと耐えるのは、本当はあってはならないことだろう。生徒会に立候補したのであれば、最後まで責任を持って取り組むべきだと秀也は思うのだが。

「なあ、これ……このままでいいのか?」
「ん? なにが?」
「こうやって全員揃うことがない状況。だって仕事全然進まないじゃん。そのせいで先週生徒会が一日増えたんだし」
「まぁ……確かに」

 玲はバツが悪そうにしていた。改善した方がいいことはわかっているが、その方法に見当がついていないようであるし、それが自分にできるかもわからないといった様子。
 この場にいる青山も、眉をぐっと寄せていた。

 二人が懸念しているのは、他の生徒会メンバーの態度だ。もちろん褒められたものではないから、良くない行いには注意をするべき。今回で言うならば、きちんと生徒会に参加するように促す。
 しかし注意をするというのは、相手にとって最も良い選択とはならない。生徒会への参加状況が改善されたとしても、皆の関係や雰囲気を悪くしてしまう恐れがある。だからこそ、簡単に行動できるものではないといった問題なのだ。

「まあ追々考えていこうか。それよりも記入用紙の制作ってどこまで進んでる?」
「えーっとね、もうレイアウトはできたから、これをコピーするだけ。どっちかというと、これから校内に目安箱を置きに行く方が時間かかるかも」

 これからの作業内容を把握し、早速取り組もうとする。今日は終了時間を過ぎた後の居残り作業もなさそうだ。そのことに少し安心できた。
 終了時間に終わるかどうかなど、普通はする心配ではない。この考えがずっと続いてしまうのかと、やはり気が重たくなるばかりであった。


 翌日。
 朝のホームルームの時間で、先日行われた模擬試験の結果が返される。
 成績表をじっくり見て、現状をしっかりと把握する。正答率は八十パーセントを超え、全国偏差値は六十四。もちろん学年順位は二位。秀也にとっては及第点といった結果であった。
 ホームルームが終わった後、クラスメイト達各々が自分の結果に対しての反応を話し出す。中には「終わったー」とクラス中に響く大声を出す人まで。

 そうしてすぐ和哉がやってきた。

「シュウ、今回もダメだった……」

 と哀愁が漂う様子で話し始めていた。
 ちなみに今回もというのは、前回の模擬試験で和哉は見事に落第した。落第といっても学年の中間層より少し下に行っただけであるが、個人的には相当なダメージを負っていたようだった。

「成績落ちたまま上がらなかったのか?」
「そう。これ以上落ちなかっただけいいんだけど、上がらなかったのが一番ダメなんだよ」
「まあまだ二年だし、これが最後なわけじゃない」
「それもそうなんだけどさ、実は親との約束があるんだよ」

 思わぬ事情がありそうな予感がした。

「どういう約束?」
「俺部活やってるじゃん? でも本当は中学までの約束で、高校からはバイトすることになってたんだよ。俺の家あんまり裕福じゃないから」
「……うん」

 話の方向がかなり重たいというか、暗い方へと変わっていく。以前の模擬試験の際も和哉はかなり落ち込んでいたが、その理由はただ成績が下がっただけでなく、家庭の事情にまで繋がっていたのかもしれない。

「でも俺中三の頃、バスケのインターハイで決勝まで行ったんだよ。結果は負けたけどさ、それがどうしても諦められなくて親に高校でも部活やらせてくれって頼んだ。けど条件つけられて、いい大学入るために、いい成績を維持することっていう約束になった」
「なるほどな」
「そのいい成績を取れてないから、部活やめさせられるかもしれない」

 はあっとため息をつきながら話す和哉。彼がここまで弱気なのは見たことがなかった。和哉にとってバスケットボールは、自分の心を大きく動かせてくれるもので、やる気はそこへすべて注がれているのだろう。部活の時間になるたびに和哉の調子は良くなり、稀に体育館を覗いてみると、いつだって楽しそうにしていた。その瞬間が失われようとしている。
 だから前回の模擬試験の時も、かなり落ち込んでいたのだ。

 そして和哉はまだ問題があると言って、話を続ける。

「聞いてくれよ。先週の練習試合の結果でさ、俺スタメン外されたんだよ。最近うまくいってないとは思ってたけどよ、まさかスタメンまで外されるとは思わなかったわ」
「………」

 かける言葉が見つからなかった。和哉に良くないことが立て続けに起こり、落ち込むことしかできないでいる。アドバイスの一つや二つでもできればいいのだが、生憎スポーツのことはからきしで、同情することしかできない。
 逆に精神状態が不安定の時に、こうした方がいいと言うこと自体間違っているのかもしれない。相手からすれば、気持ちもわからない人に口を出されるのは、助けを与えるのではなく苛立ちを与える場合がある。
 それでも何も言わないのも違うと思った。最大限配慮して、手探りで言葉を見つける。

「うまくいってないってのは、ただ不調って感じか? それとも周りが上手くなったとか」
「んー……両方かな。最近一年の成長すごいから、あいつらもスタメンまで上がってくる可能性はある。……最後のインターハイまでにスタメン戻れっかなー」
「カズのことだし、何とかなるんじゃねって思ってるけど。それでもキツいんなら、彼女にでも慰めてもらえ」
「そうするわー」

 そうして話が収束する。先ほどより和哉の表情はやわらかいものになり、苦しさも少し紛れたよう。特に恋人の存在を思い出せたことが大きかっただろうか。
 けれど安心はできなかった。こういった苦しい状況下に置かれている人は、あと一つピースが揃っただけで人生に絶望してしまう。つまり、追想転移を考え始めてしまう。
 それだけは嫌なのだ。追想転移すること自体止めるべきことだが、それが一番仲の良い和哉となればより阻止しなければならなくなる。これからは和哉の様子に気を付けながら過ごしていこうと、決めた瞬間であった。


 放課後。
 生徒会の前に、今日は特別区域の掃除があった。今日というか今週の話ではあるのだが。
 最近考えることが多い。主に生徒会のことと、和哉のこと。二つの問題を同時進行で行っている訳だが、どちらも解決の糸口は掴めず。特に和哉の件は本人次第の部分が大きいため、悩み損な箇所もあった。
 そんなことを考えているうちに掃除はあっという間に終わっていて、鞄を取りに一度教室に戻る。

 教室の前に着くと、中から誰かの話声が聞こえてきた。扉が開いていたため、会話の内容まで筒抜けだ。
 普段ならそんなことなど気にせず中へ入るのだが、会話の主と内容に引っ掛かりを覚えた。ぴたと足が止まり、その会話を聞いてしまう。完全に盗み聞きとなっているが、頭で理解していても体が動かないのだ。

 会話の主は担任と玲だった。

「そっか。じゃあこれで書類送ることにするぞ」
「ありがとうございます」
「――にしても、これから寂しくなるな」
「そうですか? 嬉しい言葉ですけど、実際大したことないと思いますよ」

 話の芯が見つからない。会話の方向に違和感は感じても、その正体がわからなければ、自分ではどうすることもできない。頭の中の整理だって不可能。
 話はまだ続く。

「高峰は成績も素行もいいから問題ないとは思うけど、不安なことがあったら先に言うんだぞ? かなり大きなことだから、万全にして行った方がいい」
「はい。たぶんたくさん聞くことになると思うので、その時はよろしくお願いします」

 やはり手がかりらしいものは発見できず。少なくとも規模の大きいことだということがわかったのだが、一体それが何なのかは予想すらできなさそうだ。

「先生はちゃんと応援してるから、頑張れよ」
「はい。――では、生徒会があるので失礼します」

 二人の会話が終わりそうになり、慌てて教室に入ろうとする。なるべく盗み聞きしていたと知られないように振舞おうとしたところ、ちょうど入り口でばったり会うという形になってしまった。

「おお、水上か」
「ちょうど掃除が終わって、荷物取りにきたところです」
「そっか。水上も生徒会頑張れよ」
「はーい」

 そうしてようやく教室へ入る。玲はその場に残り、秀也を待ってくれていた。目的地が同じで、一緒に向かわない理由はないということだ。
 二人は歩きながら少し話す。先に話題を出したのは玲だった。

「秀ちゃん、もしかして今の会話、聞いてた?」

 まさかの内容にぎくりと心が反応する。バレてしまっていたのか心配になったが、ここは敢えてそのまま告げようと思った。

「んー最後のほうだけ。でも何の話かはわかんなかったし、マジで聞こえてた程度」
「そっか……」

 彼女は少し遠くを見ていた。少し寂しげな表情をしていて、秀也の方から話しかける雰囲気でなくなる。しばらくの間沈黙が訪れ、気まずさを含んだ空気が晴れるまで数分かかった。
 聞こえるのは外で部活をやっている生徒たちの声だったり、吹奏楽部が練習している音だったり。そんなものしか聞こえていなかったからこそ、時間にすれば数分でも、それ以上の感覚を覚える。
 永遠にも感じたその長い沈黙を終わらせたのは、玲だった。

「さっきの話だけどさ……、聞かないの?」
「どういうこと?」
「何の話かわからなかったんでしょ? 知りたいって思わないの?」

 なんというか、曖昧な言葉だった。何かを濁しながら言っているようで、それはつまり聞いてほしくないと言っているのと同じ。正直に言えば、担任と何を話していたのか知りたいところ。
 しかし、彼女がこんな調子ならその気も薄れる。嫌なことまで無理強いをするつもりもないし、聞いてほしくないのならそれに従うまで。

「思う。でも教えてって言っても、教えてくれるものじゃないんだろ?」
「……うん。ごめん」

 案の定といった反応を見せた。玲が嫌と言うならそれまでの話。彼女が話してくれるのを気長に待ち、その日が来なかったとしても割り切るのが大事だろう。

「それにね、まだ正式には決まっていないことだから、言いたくない気持ちもあるけど、どっちかっていうと話せないの……」
「そうだったのか」
「だから、ちゃんと決まったら一番に教える。それだけは約束するから」
「わかったよ」

 約束してくれるのならば、秀也は信じるのみ。盗み聞きしていた時から感じていた違和感は消えないけれど、その解消よりも玲の方が大事なのだ。

 そうしているうちに生徒会室に着き、本日の生徒会が始まる。いつもより参加人数は多かった。
 今日の内容は、会議で決めた生徒会の活動を、担当の教師に承認してもらうこと。こちらで決めたことを全て行えるわけでなく、学校内で可能な範囲を見定めなければいけないのだ。
 そのため、生徒会担当の先生に決定したことを報告し、その場で不可能と判断したら棄却。案が通る可能性があると判断すれば、職員会議に回してもらえるということになっている。

 早速生徒会の先生に、決定事項を報告する。主に玲がするのだが。

「まず目安箱についてですが、昨年からの引継ぎなので昨日既に設置は終わりました。今年から新たにやるものとしては、来年度の学園祭と体育祭で、生徒会が何か企画をできたらいいなと思っています。あとは離任式の際に、離任される先生方への花束の贈呈を生徒会でやろうかと」
「ふむ、なるほど」

 一つ一つじっくりと吟味している。詳しい内容を聞き、どこかに実施が困難な点がないかを確認する。

「うん。それなら恐らく、職員会議でも通ると思う。逆にもっとあってもいいくらいだ。今後何か決まったら、その都度報告してほしい」

 玲は基本抜かりがないため、案に対する穴はなるべく作らないようにしている。そのため、案が認められるのは想定していたよりも早かった。
 しかし実は、ここからが本番であった。

「そのことなんですけど、あと一つだけありまして……」
「? 是非とも教えてくれ」
「えーっとですね、学校の前に桜並木があると思うんですけど、それの保護をしたいと思っています」
「ほう。それが何か問題あるのか?」

 先ほどとは話し方に違いがある玲の様子から、何かがあると悟ったのだろう。その大事な本題を早く話せと言いたげな雰囲気で、教師が言う。

「それが……実は、学校の敷地外まで続く全部を保護したくて……。今度その桜並木が伐採される計画が立てられているみたいなんです。春になるとすごく綺麗に咲きますから、それを伐採するのはどうかと思いまして……」
「なかなか難しいことだね。敷地内ならまだしも、敷地外となると生徒会ではどうにもならないかもしれない」
「でも、私個人の話になりますが、どちらかというと桜並木の保護を一番大事にしたいと言いますか、これを一番職員会議で話していただきたいと言いますか……」

 どんどん弱気になっていく玲。元々私情を含めた提案だったため、その点で強気に出ることができないのだ。どう話が転がっても、彼女がやりたいと言ったからという結論になってしまう。

「はあ、なるほど。正直に言えば、職員会議に出したとしても却下の可能性が高い。というか、ほぼ却下だ」
「はい。それでもいいです。私が何としてでもやると伝えてください」
「……そこまで言うのならば、ダメ元で言ってみよう」
「!! ありがとうございます!」

 こうして報告会は終わりとなった。半ば無理やりに桜並木の件を押し通すことになったが、一先ず一件落着といった感じだろうか。玲が悲しむ結果にならなくてよかったと、心から思う。


 残りの時間は、先日終わらなかった書類の作業となる。他の生徒会メンバーは、通常の終了時刻までは全員出席していた。いつもならこの後秀也と玲が居残りで作業を続けるのだが、今日は違う。

「青山、今日は俺らも帰るから、居残りしなくていいよ」
「あーそうなの? じゃあお言葉に甘えて――」

 普段から出席し、稀に居残りにも付き合ってくれている青山に、今日は帰るように促す。
 なぜ今日は終了時刻で帰るのかというと、この後玲とご飯を食べに行く約束をしていた。
 今日の昼休みに、秀也が誘ってみたのだ。少し相談したい内容があったため、じっくり話す場を設けたのだ。ただし、彼女の家は相当厳しく、夜ご飯を一緒にとることすら断られてしまうかもという懸念があった。けれど今日は玲の母親の帰宅時間が遅いと言っていたため、実行することができる。

「どこに行くつもりとか、決めてる?」
「ゆっくり話せる場所がいいから、無難にファミレスがいいかなって。どう?」
「いいと思う」

 そうしてこれから向かう場所を決め、歩き始める。相談したい内容はファミレスに着いてから話したいため、今は他愛もないことをひたすら話す。今日結果を配られた模擬試験の話だったり、生徒会の話だったり。
 びっくりするほど話題には尽きず、歩いている間無言になることはなかった。今日の放課後に、気まずい瞬間は訪れたけれど、それは二人の関係が崩れたわけではなく、話題の問題。こういう楽しい会話を続けると、やはり彼女といるのは楽しいと実感することができる。

 ファミレスに着き、二人はそれぞれの食べたいものを注文する。秀也はハンバーグで玲はドリア。しかもここは全て機械で完結していて、注文も食べ物の運搬も全て機械が行っているのだ。だから席についている間は、店員に話を聞かれることもない。そういった面では、真剣な話をしやすい場所となっている。

 タッチパネルで注文をし終えて数秒後、早速といった感じで、秀也は話し始めた。

「――で、昼休みに言った相談なんだけどさ」
「うん」
「俺の友達の和哉のことで」

 相談したかったのは、今朝の和哉の件。良くないことが連鎖している彼を、このまま放っておくのはダメだと感じたのだ。もしあと一つでも心に傷を負ってしまえば、本当に追想転移し兼ねない。そう考えてしまった秀也は、何かできることはないかと思考を巡らせ、一先ず誰かに悩みを打ち明けることにした。

 和哉と話したことを一通り玲に話し、状況を伝えた。追想転移させたくないという部分だけは隠したけれど。

「それでさ、何かできることないかなって思って。でも正直さ、勉強の方は本人の努力次第だったり、家庭の問題の部分あるから、あんまり言ってあげられることもないし。かと言ってバスケ部のスタメンの話はさ、俺スポーツとか全然わからんからって感じで、できること思いつかないんだよ」
「……なるほど」
「それで聞きたかったのが、解決法ってより、玲は上手くいかなかった時にどうしてるのかを聞きたいんだよ」

 いくら優秀な玲だからといって、何とかしてくださいとお願いするのは無理な話。突然持ち出された話題に、全てを一度に解決できるような策など思いつくはずもない。
 だからこそ、彼女の普段していることを聞きたかったのだ。玲であれば、自分の失態等もコントロールしていると思っている。最悪、有益な情報を得ることができなくても、悩みを吐き出すことはできた。既にそれだけで大分気は楽になっている。

 少し悩んだ素振りを見せ、いかにも真剣に答えてくれた。

「私は、特に意識していることは少ないかも。ミスしちゃったりすることはもちろんあるけど、何が悪かったのかなーって振り返ってみるくらいかな……」
「なるほど……」
「今回の件に関しては、あまり参考にならないかもだね、ごめん」
「いや、そんなことはない」

 でも実際、和哉に話せるようなことではないのは確かかもしれない。一度自分の行いを振り返ってみようと助言したとする、けれどそれは思いつきそうなことでもあり、和哉を不快にさせてしまうものの一つかもしれない。そう思ってしまうと、なかなかこれは伝えにくいと感じてしまう。

 その後玲が、何か思い出したかのように話し出した。

「でもね、意識してるっていうか、考えないようにしてることはあるかも」
「マジ? それ教えてほしい」
「うん。あのね、ちょっと言葉にするのが難しいんだけど……、ミスとか失敗を取り戻そうとは思わないようにしてるの」

 すぐに理解できるものではなかった。言っていることはわかるけれど、それが何に繋がるのかがイマイチというか。

「今回みたいな成績の話を例にすると、模試の点数が思い切り下がったら、それを目標の点数まで上げる努力をするでしょ?」
「うん。でもそれは普通じゃないか?」
「普通のことなんだけど、上を目指しすぎると他が見えなくなっちゃう時があるの。だから、より改善して良い点数を目指すってよりは、いつも通りまで戻すみたいなイメージ」
「なるほど」

 少し納得できた。確かに和哉は、学力を親から部活を続けていいと言われるまで上げ続け、部活もスタメンに戻るまで努力を続けるだろう。落ちたあまりのショックで焦りを感じ、目標点を上げすぎる。そうなってしまえば、がむしゃらに努力し続けるのみになってしまう。玲はそういうことを言っているのだろう。
 だからこそ、目標点を上げすぎずに、いつも通りに戻すと玲は言っているのだ。

「結構参考になったかも」
「ほんと? ならよかった」

 安心したかのような笑みを見せた。そもそも話を聞いてくれている時点で助かっているのだから、不安に思うこともないというのに。
 それにしても、彼女の案は秀也にとっては的確だった。斜め上からの発想のようなもので、思いつきもしなかった。具体的な行動ばかり考えていたから、意識から変えるという案が魅力的だった。これを軸にして和哉を少しでも助けられたらなと思う。

「それにしても、よくそんなこと思いつくもんだな。玲でも苦労することあるんだな」
「そりゃあるよ。秀ちゃんは私を何だと思ってるの?」
「別にそういう意味で言ってるわけじゃないんだけど、一つや二つじゃないんだなって思って。ちなみに、今何かに悩んでたり、苦しんでたりする?」
「んー、今は大丈夫かな。大きな悩み事はないよ」
「そっか。ならよかったよ」

 彼女なら、悩みがあっても大丈夫と言ってしまうのだと、何となく思っている。けれど特に苦しみを抱えているようには見えないため、その大丈夫の言葉は本当なのだと思う。強いて言うのであれば、今日の生徒会が始まる前の件で、何かあるのだろう程度の話。もしそれが玲に悪影響を及ぼすのならば、その時は秀也が取っ払ってやろうと思う。
 玲の協力も得て、和哉の件はなんとかなる気がしてきた。やはり心強い味方がいるというのは安心できるものだ。


 数日後。
 玲とファミレスで食事した翌日に、秀也は和哉に得たことを教え、追い込み過ぎる必要はないと言った。週末には遊びに行き、リフレッシュにも付き合った。他校の彼女とのスケジュールが合わなく、慰めてもらうことができなかったらしく、その代行を秀也が務めることとなったのだ。少し不本意な部分はあったけれど、和哉のためになると考えれば嫌な気はしなかった。

 そんな日々を過ごしながら、今日は何をしているかというと、公安の仕事。昼休みに学校を抜け出し、通常通りの仕事を終えたところだ。
 時刻を確認すると、今から学校へ戻っても生徒会の終了時刻くらいに着いてしまうくらいの時間だった。けれど居残りで作業することが多いため、もしかしたら間に合うかもしれない。そう思って急いで学校へ向かった。

 急いでバイクを走らせ、学校へ着くとちょうど終了時刻の五時となっていた。生徒会室へ向かい、まだ中に誰か残っているかと思っていた時だった。

「それじゃ、失礼しまーす」
「失礼します」

 生徒会メンバーが生徒会室から出てきた。今日は出席者が多く、普段出席している青山以外全員だったらしい。
 珍しいこともあるのだと思っていると、皆の先に玲が一人で生徒会室に残っていたのが見えた。ということは今日も居残りの作業があるのではないだろうか。人数が多いため、今日は居残りなしだと勝手に思っていたがそうではないらしい。
 つまりこの人達は玲一人に任せようとしているということだろうか。

 全然出席すらしないこいつらは終了時間で帰り、毎日出席している玲が居残りで作業をする。逆ではないだろうか。しかも表情から察するに、そのことを何とも思っていないよう。
 もう、耐えられなかった。

「お前ら、ちょっと待て」

 この手段は最後にしようとしていたのに、もう理性が許してくれなかった。
 生徒会のメンバーはたった一言だけで秀也の怒気に恐れ、全員黙り込んだ。

「このまま帰ろうとしてんのか? いいご身分だな。玲はいつも居残りで作業してくれてるってのに、お前たちは何も思わないわけ?」

 この場に青山がいなくてよかったと思う。正直に言えば、生徒会のこれからを思って言っているというよりも、玲のために怒りを見せている部分はあった。
 だってそうだろう。一度も欠席することがなかった玲が、全て引き受けて仕事をしてくれているのだ。秀也も居残りで作業をしていた方だが、負担ははるかに違う。だから、そんなことも知らずにへらへらしている彼らをどうしても許せなかったのだ。

「生徒会に立候補して、決選投票で勝ち上がったやつらがこんなザマだったとは。あれか、内申だけほしくて生徒会入った感じか」

 傍から見たらただの誹謗中傷になるだろう。怒りというよりただ文句をぶつけているだけ。正義なんて言葉は似合わない。でも、それでもよかった。これで少しでも玲の負担が減ってくれるのなら、悪にでもなってやる。それくらいの覚悟が秀也にはある。

「これからもサボり続けるんなら別にいいけど、そうなったらちゃんと生徒会やめますって言った方がいいぞ。それと玲にちゃんと感謝しておけ。今までお前らが生徒会参加してないこと、担当の先生に一切報告してないんだから」

 玲は生徒会の出席率に問題を感じながらも、一切その情報を漏らさなかった。一番負担を背負っているはずなのに、どこまでも優しいから彼らにまで優しくしてしまう。

「生徒会に入ったんなら、仕事はきちんと最後までやり遂げた方がいい。明日から期待してるよ」

 捨て台詞のようにそれだけ言って、生徒会室に入った。彼らはその場を立ち去ったようだったけれど、正直秀也の言葉がちゃんと届いているのか心配である。あそこまで素行が悪かったのだから、怒りも響いていないかもしれない。もし響いていなければ、そこまでだと割り切ってしまおう。

 今の一連の流れを見ていた玲が話しかけてきた。

「あそこまでしてよかったの? 秀ちゃんが悪く見えちゃうよ」

 と言ってきた。彼女は必ず他人の心配を先にする。自分のための行動は二の次三の次で、今の話の中でも秀也の立場を考えてくれていたようだ。

「いいんだよ。俺の立場なんかより、生徒会をちゃんと動かすことの方が大事だ。これくらい気にすんな」
「……ありがとう」

 最後のお礼は、玲のための行動だったことがバレた上でのありがとうに聞こえた。


 生徒会の居残り作業を終え、二人で家に帰る。なんだかいつもより疲れた一日で、夕飯の前にベッドに横たわる。
 目を瞑り、明日からの生徒会が良くなることを祈りながらウトウトしていた時だった。ズボンのポケットに入れていたスマホが鳴り出す。和哉からの着信だった。

「……もしもし?」
『……シュウ、俺、もうダメかもしんねえわ』

 声が、覇気が弱すぎる。ここまでしなしなという表現が適切な状態は今までいなかった。確実に、和哉の身に何かが起こったのだとわかる。

「カズ、どうした。なにがあった」
『沙織が……浮気してた』
「っ!?」

 沙織(さおり)というのは、和哉の恋人。他校の生徒だと聞いていて、秀也は一度も会ったことがない人であった。
 浮気と言っていた。和哉の彼女が、浮気をした。この弱気はそこから来ているのだと瞬時に理解する。

「ま、待て。なんでそうなった。いきなりなんでそんなことになってるんだよ。今度慰めてもらうとか言ってたじゃないか」
『今さっき帰ってる時に、街でばったり会ったんだよ。……別の男を連れて。どういうことかを聞いたらさ、浮気してるって言われて。しかも本命は俺じゃなかった……』
「……カズ」

 和哉は何も悪くない。悪いのは全て恋人の沙織だ。でもこういった話は、どちらが悪いとかの問題ではない。状況を整理するよりも、ショックが圧倒的に勝る。

『それにさ、やっぱり俺バスケやめないといけないかもしんない。母親に見せたら、やめること考えとけって言われたんだ。一番大好きなものもなくなって、拠り所もなくなった。なあ、シュウ……』

 その次に続く言葉がわかってしまう。誰だって気付く。こんな精神の人が耐えられるわけがない。

『追想転移しちゃ、ダメかな……?』

 予想は外れてくれなかった。

「ダメだ! それだけは絶対にダメだ、カズ!」
『でもさ――』
「うるせえ。でもとか言うんじゃねぇ。追想転移だけはとにかくダメなんだよ。そんなこと俺が絶対に許さない!」

 家中に響くくらい叫んだ。無理やりにでもこの声が届くように、余分なほど声を荒げて話す。いや別に意図してこんな話し方をしているわけじゃない、とにかく止めなければならないのだ。なんとしてでも、和哉を追想転移してはならない。

「おいカズ、今どこにいる」
『家の近くの公園』
「今すぐ行くからそこで待ってろ。わかったか、絶対そこから動くなよ! もし一歩でも出てたら友達やめてやるから覚悟しておけ!」

 勢いよく通話を切り、すぐに家を出ていく。
 とにかく走った。和哉が動き出してしまう前に、彼の下に辿り着く必要がある。
 まだ何とかなるかもしれない。ここで和哉を説得して踏みとどまらせれば、救うことができるかもしれない。小さな望みかもしれないが、それだけが頼りだった。

 一体どれだけ走ったかはわからない。もう目の前に、和哉がいるはずの公園がある。もう少しだと走る速度を上げ、全速力で向かった。
 夜のライトが付くその公園では、人の気配が全くしなかった。そんな中、奥の方のベンチにぽつんと一人で座っている人がいた。和哉だ。
 間に合った。和哉が追想転移を決心する前に、辿り着くことができたのだ。

「はぁ……、はぁ……。……カズ、来たぞ」

 あまりの疲労に、膝に手をついた状態でしか立つことができなかった。でもここで倒れるわけにもいかない。なにせ本題はここからなのだ。和哉の前に来ることがゴールではない。

「……シュウ」
「カズ、追想転移したいか? 人生やり直したいって、本当に思うか?」
「……ああ。もう、何も残されてないんなら、やり直した方がいいだろ。こんな人生諦めちまった方が楽になれる」

 秀也が向かっている間に、少し考え直してくれているかと期待したが、まだ頭は冷えていないようだった。

「そうか。カズが追想転移したいって、本気で思ってるなら、俺はそれを全力で止めなくちゃならない」
「……なんでだよ。俺なんか放っておけばいいだろ。ここまで疲れただろ、もう会うことのないやつのためにそこまで頑張んなくていい」

 もう、彼の頭は壊れてしまったのかと思った。秀也が諦めれば、楽になると思っているのだろうか。何もかもが収束すると、本気でそう思っているのだろうか。

「……カズ、お前が追想転移して誰かが楽になると思ってるのか? それは大間違いだ。そんなことは絶対にない」
「なんでそんなことが言え――」
「今までたくさん見てきたからだ。追想転移した人とその家族の姿を、たっくさん見てきた。俺が見てきた中で、楽にも幸せにもなった人は一人もいなかったぞ」
「なんで。シュウはそんなこと知ってるんだよ」
「……俺が、公安で働いてるからだ」

 秘密にしなければならないことを話す。禁止とされている行為だが、こうまでしないと彼は止まらないだろう。

「俺は公安で働いてるから、たくさんの人を見てきた。人生に絶望して、やり直した人たちの末路を見てきたよ。その姿を家族の方が見てさ、全員同じ行動をするんだ。それが何かわかるか、カズ?」
「……わからない」
「泣くんだよ。自分の子どもの記憶がなくなってしまったことに、辛い思いをさせていたことに気付けなくて涙を流すんだよ。だから、カズを大事に思っている人が必ず悲しむ。楽になるのはお前だけだ」

 かなりきつい言葉を言ってしまったかもしれない。それでも、どれだけ追想転移が悲しいものなのかを知ってほしいのだ。

「でも、俺を大事に思ってくれる人なんているかな? 親は俺を家計を支える金づるとしか思ってない。誰が俺をちゃんと見てくれているかな」

 声に覇気はまだ戻っていない。心を閉ざし続けている。一体どうすれば和哉に元気を与えられるかなんてわからないけれど、それでも話し続けようと思った。
 それに、彼は大きな勘違いをしている。

「馬鹿かよ。お前を大事に思ってるやつ、俺は知ってるぞ」
「はっ、いるわけないだろ。どうせ名前なんて出てこないだろ――」
「俺だよ、俺。水上秀也」
「………」

 なぜ気付かないのか不思議なくらいだった。

「あのな、これだけ長いこと一緒にいて、大事じゃなくなるわけないだろ。一番仲いい友達なのに、大事じゃないなんてあり得ん。逆にカズは、俺がもし死んだらどうだ? ショックじゃないのか?」
「……それは、確かに嫌だよ」
「だろ? それと同じなんだよ。カズの中で俺は既に大切な人になってる。それと同じように、俺の中でもカズは大切な人なんだよ」
「………」

 和哉の表情が少しだけ変わる。先程まで影しかなかったその顔が、今では面を食らったかのように目が大きく開いている。

「それにさ、記憶も全部なくなるんだぞ? 嫌な記憶だけじゃなくて、楽しかったものも全部。俺と遊んだ思い出、部活の時の思い出、インターハイの思い出。全部なくなってもいいのか?」
「それは……嫌だな」
「だろ? だったら、追想転移なんてゴミみたいなこと考えるな」

 もう、言いたいことは全て出し尽くした。もしこれでも、和哉が通移送転移したいと思うのならば、もう止める術はない。実際、追想転移しようとする人を物理的に止めるのは権利の侵害になってしまうため、本当にできることは何もない。だからあとは和哉次第。

 少し黙り込んだ後、意を決したかのように和哉は立ち上がり、秀也の目を真っすぐに見て言った。

「わかった。俺やめるよ、追想転移。シュウの言葉を信じて、もう少しだけ頑張ってみる」

 彼の口から出てきた言葉は、秀也がもっとも望んでいたものだった。

「おう。安心したよ」
「……それにしても、シュウが公安で働いてたとはな。なあ、この際だから聞いていいか? なんでシュウが公安に入ったか」
「わかったよ」

 そうして過去の出来事を話し始めた。



 約六年前。
 玲が家に来なくなった。秀也が無理やり遊びになんて連れて行くから、玲の母親に目を付けられ、ウチに預けることがなくなったのだ。
 この前、玲の母親が実際秀也の家に来て、鬼のような険相で文句を言ってきた。確かに怖かったけれど、秀也から見た玲の母親は、ただ間違った人間というだけだった。そんな人になんと言われようと、何も気にならない。

 そんなことよりも、玲が来なくなったことの方が問題だった。毎日が暇で、退屈すぎる。今まではゲームをしていれば楽しかったのに、今では何も楽しくない。
 学校でもなぜか玲と話すことができなかった。話しかけに行っても、何故か避けられてしまう。だからもう話すことはないのかと寂しい気持ちでいっぱいになる。
 やはり、秀也がいけなかったのだ。あまりに軽率な行動だった。玲のためを思っての行動のつもりだったが、結局彼女のためにも、自分自身も辛くしているだけ。ただ間違えたのだ。

 勉強の邪魔をする人は排除する、そういった考えを玲の母親は持っていそうだった。だからこれが当然の結果なのだろう。

 でも、一つのことが頭によぎる。レベルの低い人と関わってはいけないと玲は言われていた。でも裏を返せば、レベルが高ければ関わってもいいということになる。
 軽率な行動をしてしまった秀也は、レベルが低い。つまり、もっと勉強をしてレベルの高い人になれば、再び玲と話すことができるのではと思う。
 玲の母親に認められる人になれば、また楽しい日常が続くかもしれない。そう思って、その日からずっと勉強を続けた。いつか訪れるだろう日を待ち遠しく思いながら。


 約二年後。
 中学生生活にも少し慣れてきた。初めてのテストは、学年で二位だった。もちろん一位は玲で、このまま玲と近い順位を取り続ければ、目的は達成されると考えた。

 しかし懸念点が一つある。秀也は子どもである。いくら学力を伸ばしても、成長できても子どもとしか見られない。それでは玲の母親に認められないと思ってしまった。
 だから、学力以外のことで、何でもいいから変わりたかった。誰もが認めてくれるような、凄い功績や立場が欲しかった。子どもでは成し遂げるのが難しいこと、それを探し続ける。

 けれどすぐになんて見つかるはずもない。そもそも中学生では選択の幅が狭すぎるし、やれることも少ない。賞を取ると言っても何から手を付ければいいのか理解できない。
 とにかく変わりたかったのだ。なんとしてでも、玲の母親から認められる人間となるために。

 そうして半年が過ぎたころだった。秀也の家で一つの事件が起きる。
 ある日、就職して一人立ちをするために家を出た秀也の兄――海人(かいと)が帰ってきた。隣には知らない女性を連れて。

 秀也の母と、その知らない女性が玄関で何かを話していた。あまりに長い話だったから、玄関の方へ行って盗み聞きをしてしまった。
 そこで聞こえてきた言葉は、追想転移。海人が追想転移をしたようだった。

 テレビで何度か見たことがあった言葉。確か、記憶を消去し、人を入れ替えてしまうシステムではなかったか。つまり、兄の海人の記憶は何もない。秀也のことなんて覚えていないのだ。
 追想転移をする人は、とても辛い思いをした人だと母から聞いたことがあった。つまり海人は余程の辛いことがあったのだ。そうして追想転移に至った……ということなのだろう。

 幼い頃の秀也には、それがどれだけ大きなことなのかはわからなかったが、記憶を失った海人は笑えていなかった。普段はいつも笑顔の海人が、一度も笑顔を見せることはなく、辛そうだった。

 母も毎晩のように涙を流し、後悔している様。秀也は数日間かけて、追想転移が悲しいものなのだと理解した。追想転移した人と周りの人すら苦しめる。そんなものがただ許せなかった。

 しかしそれと同時に頭によぎったのは、玲の存在だった。秀也と一緒にいた時の玲は、ずっと苦しそうだった。母親に怯え続け、勉強し続けるしかない状況だった。
 もし、玲も追想転移してしまいそうなくらい苦しくなってしまうのなら、助けたいと思った。絶対に追想転移させては行けないと思った。

 その瞬間、秀也の中の何かが繋がり、最後には公安で働くことを決めた。玲を追想転移させないために、できることは小さくても何でもやる。秀也は、高峰玲を追想転移させたくなくて、公安に入ったのだ。

 そうして今に至る。



「こんな感じだよ。なんとなくわかったか?」

 和哉に、公安に入った経緯を全て話した。

「……ああ。わかったよ。だから、あんなに高峰を気にかけていたんだな」
「そうだ。俺は、何があっても玲を守りたい」

 もちろん、他の人も追想転移させたくない気持ちも嘘ではない。追想転移というものすら批判しているのだから、なるべく多くの人を助けたいと考えている。
 でも玲だけは別格だ。彼女を救えないのなら、今まで頑張ってきた意味がない。やっと玲と話せるところまでは来たけれど、それが彼女を救うことには繋がらない。この先何かあれば、秀也は真っ先に駆け付け、その絶望を払拭しなければならないのだ。

「なるほどな。でもよ、シュウ。お前がそこまでするってことは、ただの親切じゃないだろ。優しいだけじゃそこまではしない」

 その通りである。公安に勤めることを決めた時は気付いていなかったけれど、今なら断言できる。

「ああ、好きで悪いかよ」

 秀也は玲に恋をしている。それが何よりの理由なのだ。