叡正は、新助の暮らす長屋にたどり着いた。
 新助は戸を叩くと、中に向かって声をかける。
「おい、帰ったぞ」
 新助がそう言って、戸を開けると中から小さな子どもが駆け寄ってきた。

「おかえり、おじさん!」
 子どもは新助に抱きつく。
「おい、だからおじさんじゃねぇって……お兄さんだろ?」
 新助は不満げにそう言うと、子どもを抱きあげた。

 叡正は目を丸くする。
(子どもがいたのか……! しかも、六つか七つくらいの子どもっていくつのときにできた子だ!?)
 新助は叡正の視線に気づいて慌てて口を開く。
「いや、俺の子じゃねぇよ!」
 新助は子どもを抱きかかえたまま訂正する。
「さっき見た火事の現場の生き残りだ。親が死んじまって身寄りがねぇから、引き取って一緒に暮らしてんだ」
「ああ、そうなのか……」

「ああ、お頭! 帰ってたんですか」
 長屋の奥から男が出てくる。
「おお、すまねぇな。留守番頼んじまって」
「いえいえ、それは全然……」
 男は新助に歩み寄ると、ふと隣にいる叡正に気づいた。
 男はしばらく呆然と叡正を見つめた後、新助に向かって驚愕の表情を浮かべる。

「お、お、お頭……! 女っ気がないとは思ってましたけど、そっちでしたか……! いや、確かに綺麗ですけど……ま、まさかそっちとは……!」
 男は目を見開いたまま、口元を手で覆う。
「違ぇよ!! ほら、おまえが変な色気振りまくから、こういう誤解を生むんだよ」
 新助は即座に否定すると、叡正を見てため息をついた。
「す、すまない……」
 叡正は何をどうすればいいかわからなかったが、とりあえず謝った。

「えっとこいつは……、まぁ、いろいろあって恭一郎の件で協力してくれるっていうから連れてきたんだ」
 男は、新助の口から恭一郎の名前を聞くと、悲しげに目を伏せた。
「ああ……そうですか……。恭一郎さんの……」

「まぁ、とりあえず入ってくれ。茶ぐらいは出すから」
 新助はそう言うと、叡正に中に入るように促した。
「あ、ああ。ありがとう」
 叡正は礼を言って、長屋に入る。
 新助も子どもと一緒に長屋に入った。

「適当なとこに座っててくれ」
 新助はそう言うと、子どもとともに長屋の奥に入っていった。

「こちらにどうぞ」
 新助が奥に行くと、長屋にいた男が畳の上に座布団を置いた。
「ああ、ありがとうございます」
 叡正は座布団の上に腰を下ろす。
 男は叡正の隣に腰を下ろすと、叡正を見た。
「あの……恭一郎さんの件で協力してくれるというのは……」
 男がおずおずと口を開く。
「あ、いや、何ができるってわけでもないんですが、俺もあの『双頭の龍』って言われていた人が火付けするとは思えなくて……」
 叡正は慌てて言った。

「ああ……、そうですよね……。俺たちも恭一郎さんが火付けしたとは思ってないです。まぁ……ごく一部、最近組に入った若いやつの中には疑ってるのもいますが、それ以外は……。やっぱりみんなお頭と恭一郎さんに憧れて火消しになったってやつがほとんどなので……」
「そうなんですね……」
「知ってますか? お頭と恭一郎さんがや組の(あたま)をはってから、うちの組はひとりも死人が出てないんです。纏持ちが一番死ぬことが多いんですが、そこはお頭か恭一郎さんのどっちかがやってましたし、恭一郎さんの見極めがすごかったので……」
「見極め……ですか?」
「ええ」
 男は誇らしげな顔で叡正を見つめる。
「纏は組の象徴で、ここまでで火を消してやるって意味も込めて掲げるんですが、組の意地っていうんですかね……そういうのがあるんで、纏持ちのいるところより手前で火が消せなくても、一回掲げたら纏持ちはそこから動かないんですよ。だから、火が消しきれなくて纏持ちの火消しが焼け死ぬっていうのがよくあるんですが、恭一郎はその点で見誤ったことがないんです。長屋の状態とか風向きとかで、わかるみたいで、ここで消すって指示を出したら必ずそこで消せる人だったんです」
 男は目を輝かせて叡正に語る。
「まぁ、お頭が纏持ちするときは、多少むちゃなところに纏を掲げるんで、恭一郎さんが必死になってなんとか消し止める、なんてこともありましたけど」
 男は苦笑する。

「そうなんですね。俺は噂程度でしか聞いたことなかったので」
「ええ。事実です。だから……」
 男はそこで言葉を切ると、視線を落とした。
「だから……恭一郎さんがあんな形で自殺するとは思いませんでした……」
「え……? 自殺……?」
 叡正は目を見開く。

「自殺じゃねぇよ」
 叡正がそう聞き返すのと同時に背後で新助の声が響く。
 新助はお茶の湯飲みを持って二人の後ろに立っていた。
「何度も言っただろ? 自殺じゃねぇよ」
 新助は呆れたように男を見た後、叡正にお茶の入った湯飲みを渡した。
「あ、ありがとう」
 叡正は新助を見上げて礼を言った。
 新助は男の隣に腰を下ろす。
 後から子どもも新助を追いかけるように出てきて、新助にくっついて座った。

「お頭はそう言いますけど……あの状況を考えたら恭一郎さんは自殺ですよ……」
 男が目を伏せたまま言った。
「だから、違うって。あいつは自殺なんてするタマじゃねぇよ」
「でも……あの長屋に突っ込んだんですよ?」
 男は新助を見て言う。
「恭一郎さんならあの長屋がどれくらいで潰れるかなんてひと目でわかったはずです。わかっていて飛び込むなんて……」

 新助は目を伏せる。
「俺もそれはわからねぇが……」
「火付けなんて疑われて、拷問まがいのことされれば誰だって死にたくなりますよ……。ましてや火消しに命をかけてきた恭一郎さんならなおさら……」
 男は言葉を詰まらせた。
 暗くなった雰囲気を感じて不安になったのか、子どもがギュッと新助にしがみつく。
 新助は子どもに目を向けると、頭を優しくなでた。
「まぁ、とにかく、あいつに限って自殺はねぇ! ほら、この話しはここまでだ!」
 それだけ言うと、新助は叡正に視線を移した。
「せっかく来てもらったのにすまねぇな」
「あ、いや、俺は別に……」
 叡正は慌てて言った。

「そうでしたね。すみません」
 男は申し訳なさそうに叡正に頭を下げた。
「あ、ところで」
 男はハッとして顔をあげると新助を見た。
「こちらの方はどなたなんですか? というか何者なんですか……?」

 一瞬、時が止まったように静かになった。

「ああ、それは……、それは……」
 新助は口を開いたが、なんと説明すればいいのかわからず、そのまま固まった。

 叡正は慌てて、また僧侶だと言うところから説明を始める。
 結果、男にも不思議そうな顔をされ、また新助とした会話と同じやりとりを繰り返すことになった。