(ここでいいのかな……)
 叡正は扇屋と書かれた提灯を確認すると、遊女たちのいる張見世に足を進めた。
 昼見世ということもあり、格子の前にはほとんど客がいなかった。
(まぁ、昼はそうだよな……)

 叡正が格子に近づくと、暇そうにしていた遊女たちが顔を上げた。
「…………!」
 顔を上げた遊女たちの目が一斉に見開かれていく。
(こ、これは……みんな同じくらい驚いているんじゃないのか……?)
 咲耶からは一番驚いた遊女から話しを聞いてほしいと言われていたが、叡正の目にはその違いがわからなかった。
 叡正がしばらく遊女たちを見つめていると、しだいに遊女たちの顔が青ざめていく。
(ど、どうしたらいいんだ……?)

 叡正が立ち尽くしていると、ふいに張見世の奥から声が響いた。
「あんた……あの歌舞伎役者の弟か何かかい?」
 叡正は声の方に視線を移す。
 そこには二十半ばくらいの気の強そうな遊女が座っていた。
「あ、いや……、そういうわけでは……」
 叡正がそう言って目を泳がすと、遊女はため息をついた。
「そう、違うならいい……」
 遊女はそれだけ言うと、興味を失ったように再び下を向いた。

 叡正は遊女を見つめる。
(驚いている感じじゃなかったが……、あの遊女からなら何か聞けそうだな……。ほかの遊女は俺だと違いがわからないし……)
 叡正は少し考えてから小さく頷くと、男衆に声をかけた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 叡正は案内された座敷で、落ち着かない気持ちで遊女を待った。
(そういえば、俺……ちゃんと遊郭の座敷に入るの初めてだな……)
 叡正は居心地の悪さに変な汗をかいた。
(聞くことを聞いて、早く出よう……)
 叡正がそう決意した瞬間、勢いよく襖が開いた。
 叡正が驚いて顔を上げると、先ほどの遊女がドカドカと入ってくる。

 遊女は叡正の前まで来ると、しゃがみ込んで叡正に顔を近づけた。
「あんた、明らかに私に興味なさそうだったのに、なんで呼んだの?」
 眉をひそめて詰め寄る遊女に、叡正はたじろぐ。
「私に何の用?」
 遊女は真っすぐに叡正を見た。

 叡正は勢いに押されながら、なんとか口を開く。
「その……山吹という子について話しが聞きたくて……」
 叡正の言葉に、遊女は目を見開く。
「あんた……やっぱりあの歌舞伎役者の弟なの……?」
 遊女は叡正をまじまじと見た。

(否定……しない方がいいか……)
「あ、ああ、まぁ……」
 叡正は遊女から視線をそらしながら、曖昧に頷く。

「そう……」
 遊女はそう言うと、その場に腰を下ろした。
「それなら、お兄さんに伝えて……。あの子は……山吹は絶対に心中なんかしてないって」
「心中じゃない……?」
「そう。山吹が好きだったのはあんたのお兄さん。ほかの男となんか死ぬわけないのよ。殺されたうえにほかの男を想ってたことにされて、さすがにあの子が浮かばれない……」
 遊女は目を伏せると、苦しげに言った。
「殺された……?」
 目を丸くする叡正を見て、遊女は苦笑する。
「心中じゃなけりゃ、殺されてるでしょ。あの子に死ぬ理由なんてなかったし……」
 叡正は目を伏せる。
「そう……なのか……」

 遊女は叡正を見つめた。
「必ずお兄さんに伝えて。あ、私の名前、浮月っていうの。山吹から名前は聞いてるはずだから。浮月って遊女がそう言ってたって伝えて」
「あ、ああ、わかった……」
 叡正はゆっくりと頷いた。

「あ、そうだ。ちょっと待ってて」
 浮月は何か思い出したように立ち上がると、座敷を出ていった。

 しばらくして戻ってきた浮月の腕には、着物のようなものが抱えられていた。
「それは……?」
 叡正は浮月の持ってきたものを見て聞いた。
「山吹から……あんたのお兄さんへの贈り物。まぁ、結局渡せなかったけどね……」
 浮月は抱えたものを叡正に差し出しながら、悲しげに微笑んだ。

 それは黒い羽織だった。
 羽織の裾には花の刺繍が施されている。
「この花は……桔梗か?」
 叡正は紫の糸で描かれた花をそっとなでた。

「ああ。これは、あの子の願いなんだ……」
「願い?」
 浮月は静かに頷く。
 叡正は続く言葉を待ったが、浮月は目を伏せて、もうそれ以上何も言わなかった。