昼食を摂る為に食堂へ行ったら、隣の席の男が奏瀬の家業の話をし始めたのだ。
あれには面を食らった。
僕が奏瀬だと分かって話しているのかとも思ったが、どうやら“引き受け屋”を都市伝説扱いしていたようだ。
奏瀬の力を作り話と同列にしないでもらいたいが、そういった世界に縁の無い人間が容易に信じられないのも無理はない。
『本当に“引き受け屋”があるなら、真奈美を助けてやれるのに』
「……あいつ。ただの浮ついた男かと思ったが、あの”想い”は本物だったな」
奏瀬の人間は、普通の人間よりも感受性が強いのだと言われている。
僕は特に、その面が突出しているらしい。
強い想いがこもったものであれば、相手に触れなくてもその想いを感じ取れてしまう。
食堂で隣の席にいた男は、小さな声に豊かな想いを乗せていた。
真奈美という人物への愛情、心配、そして悔しさと、ほのかな期待。
わざわざ奏瀬に縁がある者だと知られる危険を冒してまで、“引き受け屋”に辿り着く方法を教えてやったのは、あの男の想いの強さに負けたからだ。
僕自身は奏瀬の力を疎んでいるが、本気で奏瀬の力を必要としている人間が一定数いることは知っている。
そういった人間に“引き受け屋”のことを教えるのは、奏瀬としての義務だ。
「今頃、“引き受け屋”のホームページにアクセスしているだろう。父上や兄上に任せておけば、何も問題はない。僕が気にするまでもないな」
声に出すことで気持ちを切り替える。
これ以上僕にできることはないし、見知らぬ男の為に何かをしてやる義理もない。
それよりも問題なのは、いい加減炊飯器を買うかどうかということだ。
今まではパックのご飯やら、麺類やらで済ませてきたが、僕も一人暮らしを始めてもう1年が経つ。
そろそろ、家で米を炊くようにした方が良いのではないか……?
確かに一度で多くの出費をすることになってしまうが、長い目で見ればパックのご飯を買うよりも経済的であるはずだ。
幸い、今は資金に余裕があるし……。
「うむむ……。……ん? 電話か」
腕を組んで思案していると、スマートフォンが鳴った。
明かりのついた画面には母上の名前が表示されている。
思わず苦い顔をしながら電話を取ると、柔らかな声が聞こえてきた。
「はい。都です」
〈もしもし、母です。お元気かしら、都さん? 最近は暑い日が続いているけれど、ちゃんとお水は飲んでいて?〉
「えぇ……ご心配なく。息災にしております。母上はお変わりありませんか?」
〈えぇ、母もお父様も透さんも、みんな元気ですよ。先日はお庭で打ち水をしました。すっかり夏ですね〉
「あぁ、目に浮かびます。今年は父上に水を掛けてしまわないよう、お気をつけて」
〈まぁ、嫌だわ。都さんったら、その話ばっかり。私がお父様に水を掛けてしまったのは1回だけよ?〉
「すみません。あまりにも印象的だったもので」
このまま話が終われば平和なのだが、と思うのと同時に、そうはならないことも理解している。
世間話は礼儀的なものであり、本題に入るまでの手順のひとつだ。
母上は〈もう〉と少し拗ねたような声を出しながら、僕の予想通り〈ところで〉と話を変えた。
〈大学の方はどうかしら? そろそろお友達はできました?〉
「母上……もう子供ではないのですから、そのような質問はよしてください」
〈あら、私にとってはいつまでも子供よ。都さんってば、よそのお子さんに冷たい態度ばかり取るでしょう。本当は誰よりも優しいのに、つんけんしてしまって……。まぁ、そんなところも可愛いのですけれどね。うふふ〉
「母上。失礼ですが、お話はそれだけですか?」
のらりくらりとしながら、結局最後は子供扱いをしてくる母上に耐えかねて、先を促してしまう。
この人は昔から変わらない。
だから電話に出るのが嫌だったのだと、溜息を飲み込んだ。
〈嫌だわ、都さん。お家を出てからすっかりせっかちになってしまって。母は寂しゅうございます〉
「もういいでしょう……僕も暇ではないのです。お話が以上なら、失礼させて――」
〈お父様が、床に伏せってしまわれました〉
「!」
〈お医者様の話では、もう長くないと……今、我が家はバタバタとしております。透さんが、お父様の代わりに全権を握って対応していますが、混乱が大きくて……。都さん。お家に戻ってきてくれませんか?〉
「そん、な……」
父上が、倒れられた?
思わず口を押さえて動揺する己を律する。
大丈夫だ。兄上がいれば――……。
初夏も過ぎ、大学の夏休みが迫る7月の下旬。
母からの電話で伝えられたのは、奏瀬家の当主、父・茂が病に倒れたという報せだった。
7月も下旬のとある日の夕方。
大学から帰った僕に電話をかけてきた母は、父が病に倒れたと知らせた。
〈ですから、都さん。お家に戻ってきてくれませんか?〉
「……」
僕は口を押さえて動揺した自分を律する。
大丈夫。兄上がいれば奏瀬は何とかなる、と自分に言い聞かせて、ふと気付いた。
――あぁ、頭が痛い。こんな手に引っかかるなんて。
一度は堪えた溜息を、今度は電話口に乗らないようにひっそりと吐く。
「冗談にしてはタチが悪いですよ、母上。先ほど父上もお元気だと仰っていたではないですか。それに、父上は病を患ったことがない健康な体がご自慢でしょう」
〈うふふ、だって都さんったらせっかくお電話したのにすぐ切ってしまおうとするでしょう? でも安心しました。お家を出ても都さんは優しいままですね〉
「……とにかく、お話は伺いますから、こんな悪ふざけはもうよしてください」
〈はぁい〉
上品に笑う母上の声を聞きながら、もう一度つきたくなった溜息を飲み込む。
この人は本当に。
「それで? 父上が伏せったと嘘をついてまでお話したかったこととは何ですか?」
〈うふふ。言った通りです。……そろそろ、お家に戻ってきませんか?〉
柔らかな声を耳にして、口を噤む。
思えばこの1年、母上は僕の選択を尊重してくれていた。
おかしな話だ。
こうして聞くまで、「帰ってこい」と言われなかったことに気付かないなんて。
どうやら僕は、自分がどれだけ甘えていたか、まだ理解しきれていないらしい。
「申し訳ありません。僕はもう、本家に戻る気はありません。ようやく、一人暮らしにも慣れてきたところなのです」
〈そうですか……仕方ありませんね。帰りたくなったら、いつでも帰ってきてくださいね。母はずっと待っていますから〉
「はい、母上」
“引き受け屋”の話を耳にして、母上から電話もかかってきて、今日は色々と濃い1日だ。
しかし、母上の用件もこれで終わりだろう。
通話が切れたら、僕も気持ちを切り替えなければ。
やるべきことはまだ残っているのだから。
〈ところで、都さん。そろそろ大学では試験がある頃だと聞きましたが、調子はいかがですか?〉
「あぁ……問題はありません。試験の範囲はきちんと頭に入っていますから」
〈それはよかった。アルバイトばかりで勉強がおろそかになっているのではと心配していたんです。けれど不要な心配でしたね。透さんも都さんも、中学からずっと首席なのですから〉
「学生の本分は学業ですから、その他のことにうつつを抜かしたりはしません。アルバイトも勉学も、きちんと両立しています」
〈うふふ、頑張り屋な息子を持って、母は誇らしいです。もう夏休みの予定は決まっているのですか?〉
「いえ……アルバイトに専念するつもりではいますが、詳細はまだ」
当たり障りのない世間話をして終わりかと思ったが、この様子ではまだ何かありそうだ。
母上の用件とは一体何だろうか?
〈それなら、数日予定を空けておいてくださいな。私、息子の家にお泊まりするのが夢だったの〉
「はぁ!? 家にいらっしゃると言うのですか!?」
〈えぇ、よろしいでしょう? 都さんのことだから、散らかしたりはしていないでしょうけど……お片づけができなくても、手料理を振る舞うことはできますからね〉
「手料理って、母上は料理をされたご経験があるのですか?」
〈ありません。だから、とっても楽しみなの。大丈夫ですよ、今、家の料理人に習っていますから〉
「なっ、父上は許されたのですか!?」
〈うふふ、"茂さんに手料理を振る舞いたい"と言ったら、喜んで許可してくださいましたわ〉
「なんてことを……」
あぁ、役者も顔負けの演技で父上にねだっている様が容易に目に浮かぶ……。
この世に母上に勝る人間がいるなら見てみたい。
まさかこんなとんでもないことを言い出すとは。
僕が言えたことではないが、母上は古い名家の箱入り娘と聞く。
ワンルームの狭い家に泊まるなど、絶対に耐えられないだろう。
いや、母上ならそれすら楽しみそうではあるが……そもそも我が家に客人が泊まるスペースなど無い。
やはり諦めてもらうのが吉だ。
「母上、申し訳ありませんが、家には客人を迎える余裕がないのです。この穴埋めは致しますから、どうかご遠慮ください」
〈あら……そうですか。独り立ちした男の子は家に母を招いてくれないというのは、本当だったのですね〉
「またどこからそんな話を……いえ、そういうわけではないのです。家は狭くて客人を招くことができないのですよ」
〈まぁ、そんなこと気にしませんわ。息子が住んでいる家ですもの。そうだ、小さい頃みたいに一緒に寝るのはどうかしら?〉
「母上……僕が幾つだとお思いですか。とにかく、家にいらっしゃるのはダメです。他のことにしてください」
きっぱりと断ると、母上はわざとらしく溜息をついて、〈仕方ありませんね〉と温めていた代替案を提示した。
〈それなら、都さんが家に泊まりにきてください〉
「は……? すみません、聞き違えてしまったようです。もう一度お願いします」
〈都さんが、家にいらしてください。それなら私も文句はありません〉
「……一体何を仰っているのですか。僕は先ほど家に戻る気はないと――」
〈あら、泊まるだけですよ。もちろん、都さんが望むならお帰りいただいても結構ですけれど〉
「全く、屁理屈を……」
〈都さんが言ったのですよ、穴埋めはすると。私は都さんのお家にお泊まりしてもよろしくてよ?〉
「くっ……!」
絶対これが目的だっただろう。
家に母上を招くか、本家に戻るかなんて、究極の二択じゃないか。
全く、僕にどうしろと言うんだ……。
思わず溜息を漏らして額を押さえる。
この場はどうにか凌いで、母上が満足する別の代替案を提示するしかない。
とにかく、母上相手にこの場で勝負してはいけない。
「分かりました。考えさせてください。今は試験も控えていますから」
〈えぇ、良いお返事を期待しています。男子に二言はありませんものね?〉
「……申し訳ありませんが、大学の課題を終わらせなければならないので、これで失礼させていただきます」
〈分かりました。頑張ってくださいね、都さん〉
「はい。それでは、失礼いたします」
強引に通話を切り、壁に背中をもたれる。
どっと疲れた。
「はぁ……さっさと課題を終わらせて、今日はもう寝よう」
いくつか予定していた作業は別の日に回して、今日やらなければいけないことだけを頭の中で整理する。
試験前の時期だ、僕には慌てて勉強する必要はないが、母上のことだからしばらくは電話をかけてこないだろう。
話をするなら、試験が終わる頃。
それまでに他の案を考えておくとしよう。
父上が病に倒れたという報せは、母上のタチの悪い冗談であったが、本題は“僕を奏瀬の本家に帰らせること”であった。
どこまでが本気かも分からない話に振り回されて、「穴埋めをする」と言質を取られてしまった僕は、ひとまず時間を稼ぐことに成功する。
しかしながら、“母上が家に泊まりに来る”ことも“僕が本家に泊まりに行く”ことも阻止する方法を考えることとなった。
人の“想い”を引き受け、当人に代わって昇華する一族、“引き受け屋”。
その実態は、他者に触れることで“想い”を奪い、涙に変えることで“想い”を昇華――……つまり、消し去るという奏瀬の異能を使った商売である。
”引き受け屋”に仕事を依頼するには、主に2つの方法がある。
1つは、奏瀬の縁者、または、“引き受け屋”を利用した客から紹介を受け、直接奏瀬の屋敷を尋ねる方法。
もう1つは、インターネット上で合い言葉を検索し、“引き受け屋”のホームページにアクセスして予約する方法だ。
どちらの方法を使うにせよ、“引き受け屋”にコンタクトを取るには縁者からの紹介が必要不可欠となる。
そして、先日。
僕は同じ大学に通う見知らぬ男に、“引き受け屋”のホームページに辿り着くための合い言葉を教えた。
“引き受け屋”を生業とする奏瀬一族、本家本元の次男である僕、都は既に家を出た身。
“想い”の昇華は父上や兄上に任せておけば何も心配はいらない、と男のことは早々に忘れていたのだが……。
どうして面倒ごとというのは、こうも重なるものなのだろう。
「なぁ、お前“奏瀬”って言うんだよな。“引き受け屋”と関係あんのか?」
「馴れ馴れしく話しかけるな。必要なことはもう教えただろう」
「だって信じらんないだろ! お前も“引き受け屋”なら、話を聞きたいんだ」
大学の食堂であの時の男に見つかったのは、運がなかった。
バッサリと切り捨てても鬱陶しく付きまとうこの男のせいで、ゆっくり食事を摂ることもできない。
幸い、食堂内は人が多く、不特定多数の話し声で賑わっているが、このようなところで話していては、誰に聞かれるかも分からない。
僕は溜息をついて、隣の席に陣取る男を睨みつけた。
「いいか、軽率にその名前を口にするな。奏瀬はそう安々と仕事をしない。それと、僕は家業に携わっていない。聞きたいことがあるなら直接仕事を請け負っている者に聞くんだな」
「分かった分かった、もう言わない。けどさ、本当に“想い”を昇華してくれんのか? うちの妹、外出れないんだけど出張とかやってる?」
「……聞いていなかったのか? 僕に聞くなと言っているんだ」「いいじゃんいいじゃん、奏瀬も知ってるんだろ? 人の“想い”をどうやって弄るんだ? 危ねぇことじゃないよな?」
「はぁ……」
この手の人間は嫌いだ。
人の話を聞かずに、自分の都合ばかり押し付けてくる。
浮ついた見た目通りの、迷惑な男じゃないか。
こんなことなら、合い言葉なんぞ教えるんじゃなかった。
「なぁ、頼むよ!」
「! やめっ――」
隣の男が行儀悪く、身を乗り出して僕の肩に手を伸ばす。
体を捻ってその手から逃れようとしたが、気付くのが数瞬遅かったせいで、男の手は僕の肩に触れた。
その瞬間、僕のものではない“想い”が、津波のように僕の中へ入り込んできた。
“信じられない”、“信じたい”、“助けたい”、“本当なのか?”、“奏瀬なら”、……。
「――ッ、くそっ……!」
「奏瀬!」
「うるさい!!」
目を覆って、男の手を払いのける。
感化された心臓がドクドクと脈打ち、あの日の記憶が脳裏に蘇った。
ダメだ、乱されるな、落ち着け、落ち着け――……!
固く瞑った目とは反対に、開いた口から浅い呼吸が漏れる。
耳には、僕の大声で注意を引かれた者達のざわめきが入った。
「お、おい奏瀬……」
「……知りたいのなら、教えてやる。だから、二度と僕に触るんじゃない」
まずは呼吸を、それから心を落ち着かせて、目を覆った手を離す。
こんなことをしなくても、あれくらいの接触で間違いを犯すことはないのに。
どれだけあの日のことを恐れているんだ、僕は。
共同の施設で大声を出したことを詫びようと、周囲に目を向けると皆が目を逸らした。
「……」
謝罪の言葉より、僕がこの場から消える方が良さそうだ。
そう考えてトレーを持つ。
どこか、隅の方に席を移ろう。
「あ、待てよ! どこ行くんだ?」
「周りに迷惑がかからない場所だ。僕と話がしたいのなら、お前も食事を持って付いてこい」
「! 分かった」
広い食堂の中を歩いて、端の方に移動する。
今は昼食時だから空席が目立つエリアというのはないが、2人分の席を確保するくらいはできそうだ。
先程は動揺していたとは言え、一度口にしたことは守らねばなるまい。
それにこの男、僕が喋るまで執拗につけ回す気らしい。
面倒を避けるなら、男を無視するよりさっさと質問に答えて縁を切った方がよさそうだ。
「ここならいいだろう。いいか、お前に付き合うのは僕が食事を終えるまでだ。必要な質問だけをしろ」
新しい席に腰を下ろして、男に忠告する。
隣に座った男は、自分の食事などそっちのけで僕に体を向けた。
「それじゃあ、さっきのはなんだ?」
「それはお前の妹に……」
関係があるのか、と言いかけて、考え直す。
この男の場合、はっきり言ってしまった方がよいのではないか?
「……そうだな。僕は触れた人間の“想い”を感じ取ることができる。信じるかどうかはお前の自由だが、“想い”を奪われたくなかったら僕には触らないことだ」
「マジか! それって“引き受け屋”に関係あるんだよな!?」
「おい、近付くな! 確かにこれは奏瀬の力に由来するものだが……」
「すげーな! じゃあ、俺が考えてることとかも分かるのか? 急に答えてくれる気になったのもそれが理由?」
普通の人間は「あなたの“想い”が感じ取れる」と言ったら警戒して身を引くものだが、この男はそれを知っても僕に近付けるらしい。
僕が知っている中で、こんな楽天的な人間はこの男と母上くらいだ。
向こうから近付いてくると僕が避けなくてはいけないから、鬱陶しいことこの上ない。
「互いに影響し合うことはあるが、思考と“想い”は別物だ。次の質問は?」
「そうだなー、心が読めるのは分かったけど、“想い”を昇華するってどういうことなんだ?」
「奏瀬は人に触れることで“想い”を感じ、修行を積むことで人の”想い”を内に招き入れることができる。“引き受け屋”はそこからさらに、招き入れた他者の“想い”を消化するんだ」
「消化?」
突拍子もない話で理解できていない、という顔だ。
僕は男にも分かりやすいように、いつか聞いた話を口にした。
「人間には涙を流すことで“想い”を消化する機能が存在している。悲しい時や辛い時、悔しい時に涙を流してすっきりした経験があるだろう?」
「あぁ、確かに。言われてみればそうだな」
「奏瀬はその機能を使って、引き受けた“想い”を完全に消化……言い換えて、昇華するんだ」
「はー……なんか分かったような、分かんないような」
「ふん。まぁ、理解できずとも問題はない」
“引き受け屋”も良い側面ばかりではない。
が、それに関しては今この男に言う必要はないだろう。
どうせ、詳しい説明は本家の方でするんだ。
僕には関係ない。
大学の食堂で例の男と出会ってしまった僕は、不意の接触をきっかけに男の“想い”を感じ取った。
切実な“想い”というのは、人の心を打つものだ。
けれど、それが強い“想い”であるほど、僕は恐ろしくなる。
奏瀬の力は、残酷なものだから。
大学の食堂で、僕は“妹を助けたい”と願う男と”引き受け屋”について話していた。
名も知らぬ男がさっさと“引き受け屋”に依頼するよう――、あるいは、諦めるように、「昼食を食べ終わるまで」と宣言し質問に答える。
「“引き受け屋”って、やっぱ店みたいなとこ行かないといけないんだよな?」
「正しくは、奏瀬の屋敷だ。基本は客を招いて仕事をするが、過去には指定の場所に出向いたこともある。やむを得ない事情がある場合に限るが……まぁ、相談する価値はあるだろう」
「そっか……家に来てくれるとありがたいんだけどな。あ、そうだ! あとさ、値段がハッキリ書かれてなかったんだけど、ぼったくられたりしねぇよな?」
「そんなことするわけがないだろう。値段を明記していないのは、実際に会わないとどれくらい根深い“想い”なのか分からないからだ」
「あぁ、そっか。……あのさ、奏瀬。ぶっちゃけどこまで高くなんの? 俺ん家金持ちじゃないんだけど……」
恐る恐る尋ねてくる男を横目に、僕は記憶を掘り返す。
奏瀬の家に生まれた者として異能には理解があるが、家業についてはそれほど深く知る前に反発してしまったから、実際僕が知っていることは少ない。
確か、一度くらいはそんな話をしたことがあったと思うが……。
「……具体的な金額は知らん。だが、上がる時は際限なく上がる。もっとも、“引き受け屋”の客は裕福な者ばかりではないから、時間をかけて払うこともできたはずだ」
「分割払いOKってことね……うー、こわっ。いくらになんだぁ?」
「少なくともお前の小遣いで払える金額ではないだろうな。ちゃんと親に了承をとることだ」
「おう……」
誠実な客であれば払える金がなくとも依頼を引き受けるし、悪質な客であれば大金があっても依頼を引き受けないと昔、兄上が話していた。
この男、ひいてはその妹がどちらに転ぶかは分からないが……そこまで話してやる義理はないな。
なんであれ、父上や兄上は誠実なお方。
仕事を依頼して悪いことにはならないだろう。
「……なぁ、奏瀬。俺ん家来てくれねぇ?」
「は? どうして僕が知り合いでもないお前の家に行かなければならないんだ」
「あ、そういや俺自己紹介してなかったな。柿原恭介だ。奏瀬と同じここの1年。よろしく」
「……お前と今後付き合う気はない。名前を聞いた以上、礼儀として名乗りはするが、それまでだからな。……奏瀬都だ」
「はは、嫌なら名乗んなきゃいいのに。奏瀬って冷たいけど良い奴だよなー」
「うるさい」
ただの礼儀だと言ったのに、この男、さらに馴れ馴れしくなっていないか?
名前を知る気も、覚える気もなかったが、自己紹介をされてはちゃんと名前で呼ばなくてはいけない。
さすがの僕も、そこまで無礼な振る舞いはできん。
「で、話戻るけど。俺ん家来てくれないか? 俺1人じゃ上手く説明できる気がしねぇし」
「柿原にそこまで付き合う義理はない。僕を巻き込むな」