神Sランクの無能召喚士~最弱無能だと追放されたが、どうやら僕は『アーティファクト』を召喚出来るという唯一無二のレアスキル持ちだった。さぁ反撃といこうか~

 一瞬の出来事。目の前で起こった事と、それをやったであろう人物が繋がらない。

 常人離れした攻撃によって破壊された扉。鬼の形相で殺意を剥き出しにする最弱無能な召喚士。周りには誰も仲間はいない。そこにいるのはアーサー・リルガーデンという人間が1人だけ。つまり、今この扉を破壊したのはアーサーだ。

「ん゛ん゛ーッ!」
「もう大丈夫だぞエレイン。兄ちゃんが来た」

 絶対にあり得ない現実を見せつけられ、バット達は直ぐには状況を呑み込めずにいる。

「い、今のもしかしてアイツがやったのか?」
「それはないだろ……。だってあのアーサーだぜ」

 戸惑う連れ達を他所に、アーサーが来た事が余程愉快なのかバットはニヤニヤと笑みを浮かべていた。

「ハッハッハッ! 逃げずに来たみたいだなクソアーサー! 雑魚だからってこんな手の込んだ“演出”してんじゃねぇよ。何の意味もないぞコラ」
「演出? な、なんだ、そう言う事かよ。ハハハ。そりゃそうだよな」
「当たり前だろ! お前達もなんで信じ切ってるんだよ。相手はあのアーサーだぞ。スライム装備で武器も持ってない野郎が一体どういう理屈で出来ッ……『――ズガァン!』

 刹那、連れと話していたバットが一瞬でぶっ飛んだ。

「バ、バット……!?」

 またも一瞬の出来事で男達は目を見開き言葉を失った。彼らの視線の先には、凄まじい勢いで壁に叩きつけられ床に倒れたバットの姿。更に今しがた隣で会話していた筈の立ち位置には何故かアーサーの姿がある。

 扉からバット達までの距離はおよそ十数メートル程だったろうか。仮に勢いをつけて走って来たとしても反応出来る距離。それも相手があのアーサーともなれば尚更、奴の動きに反応出来ない訳がない。

「何時からだ? お前達は何時から僕になんて負けないと“思い込んでいた”?」
「「――!?」」

 静かに響き渡ったアーサーの声。
 直後アーサーの底知れない不気味な怒りを感じ取った男達の背筋には冷たいものが走った。

 殺される――。

 そう本能が訴えかける程に、男達は全員目の前のアーサー・リルガーデンに恐怖を感じさせられているのだった。

「大丈夫だったかエレイン」

 静まり返る男達に一切見向きもせず、アーサーはエレインとサラの拘束を解いた。

「お兄ちゃん!」
「こ、怖かったですッ! ありがとうございますエレインのお兄さん!」
「本当に無事で良かった。2人共何もされていないか?」

 恐怖から解放され、自分に抱き着いてきた2人の頭をそっと撫でるアーサー。改めてエレイン達が無事だったと確認出来たアーサーは一気に緊張が解けて全身が重くなった。だが同時にその重さの分だけ安心感も得たのだ。

「ぐッ! な、何が……起こった……」

 ここでようやくバットが動き出す。
 震える腕で懸命に体を起こしたバットの左顔面は青紫色に腫れあがり、曲がった鼻と口からは血が滴り落ちている。

「2人共離れていろ。後は兄ちゃんに任せておけ」

 アーサーはエレインとサラを後方へと離し、ゆっくり立ち上がろうとしてるバットと対峙した。

「ちっ。どうなってやがる……! まさかお前がやったんじゃねぇだろうなアーサァァッ!」
「逆に僕以外に誰がいると思ってるんだよ。“無能”が」
「な、なんだとコラッ! 誰が無能だッ……ぐばぁッ!?」

 次の瞬間、またも数メートルの距離を一瞬で詰めたアーサーはその勢いのまま握った拳をバットの腹にめり込んだ。余りの威力で息が止まったバットは悶絶の表情と共に膝から崩れ落ちる。

「がッ! あ、ごあッ……!」
「無能はお前だと言っているんだよバット。1度で分かる事を2度言わせるな。そういう所が無能なんだ」
「ばッ、ばでッ……!?」
「待たねぇよ」

 腹に手を当て膝を着いていたバットを強引に立ち上がらせると、アーサーは握った拳でバットをぶん殴る。直前でバットが慌てて「待て」と訴えるも、無論今のアーサーがバットの言う事を聞くつもりなど微塵もなかった。

 立て続けに殴られたバットは既に満身創痍。
 顔半分は誰かも分からないぐらい腫れあがって流血し、足元は飛び散ったバットの血と嘔吐で汚れている。バット本人も目の前のアーサーに恐怖を感じ、完全に委縮してしまっていた。

「ば、ばで……。まずば話じをッ「聞かない」

 ズガン。

「がはッ! や、止めでぐれッ……もう、何もじねぇッ「止めない」

 ズガン。

「痛でぇッ! だ……頼むッ! 俺が悪がっだがらゆッ、許じでぐれッ……!」
「頼む? 俺が悪かった? 許してくれ? 上からで偉そうだな」

 ズガン。

「う゛がァァァァッ!」

 痛みに耐えきれなくなったバットが苦し紛れに断末魔の叫びを上げた。

 何が起こっているのかまるで意味が分からない。自分が何故こんな目に遭っているのだと考えるバット。だが答えは出てこない。そんな事よりも今はただただこの痛みから解放されたいと願う。もう自分の顔面がどうなっているかも分からないバットはプライドも捨て、縋る思いでアーサーに許しを請いたのだった。

「ず、ずみませんでじたッ……! 許してくだざい! お、俺がぢょうしに乗っで、本当に……申しわげないごどをしてじまいましだッ、ごめんなざいッ!」

 土下座でアーサーに謝るバット。
 今の彼の言葉と態度には一切の偽りがない。全て本心であった。

「い、妹ざんもおども達もッ! 大変じつれいなごどをして申し訳ありばぜんでした……! 謝っで許ざれる事でばありませんが……ほ、ほんどうに反省していまず……! もう……もう2度と視界に映りまぜんので許じでいただけませんでじょうかッ!」

 見苦しい事この上ない。
 謝ってる最中にも鼻からは血が流れ、口からも血と唾液、それに折れた歯が床に転がっていた。バットからはもう微塵の反抗も感じない。アーサーもこんな姿の彼を見たのは初めてだった。

「どうする? エレイン」

 アーサーは振り返ってエレインに問う。

「え? 私に聞かれても……って言うか、お兄ちゃんそんなに強かったの!? いつから!?」
「ちょっと前かな。地道に頑張ってオーガアーティファクトも手に入れたんだ」

 唐突に出たオーガアーティファクトという単語に、この場にいた者達が一斉にどよめいた。

「え! それって滅茶苦茶高いあのアーティファクト!? 嘘でしょお兄ちゃん!?」
「オーガアーティファクトだって? あのアーサーが……!?」
「ば、馬鹿な……あり得ないだろそんな事……」
「でも、バットをあんな一方的に倒したぞ!」

 次々に驚きの声が上がる。明かされた事実に皆が動揺を隠せない。

 次の瞬間、アーサーはそんな男達を黙らせるかの如く自分のウォッチを彼らに見せつけた。そしてそこに映ったアーサーの装備アーティファクトを見た全員が驚愕し、開いた口が塞がらなくなった。

「うっそ、ヤバッ! お兄ちゃん凄いじゃん!」
「そうだ。兄ちゃんは凄いんだ」

 数秒前までの怒りが消え去り、妹の前ではいつもの兄に戻るアーサー。しかし、再び燃え盛る怒りを露にしたアーサーは鋭い眼光で男達を睨んだ。

「まさかとは思うが、この中に妹達に手を出した奴はいないよな?」
「「だ、出していませんッ!!」」

 男達は声を揃えてそう言い切り、全員が同時に首を横に振った。

「本当か? エレイン」
「う、うん。まぁ一応。でも逃げようとしたら無理矢理腕を掴まれた。それに椅子に縛り付けられたし」
「なんだと――」
「「……!?」」

 エレインの言葉を聞き、アーサーは凄まじい怒りに更に殺意を追加して男達を睨んだ。エレインはしてやったりと言わんばかりに怒り狂うアーサーの後ろから男達に「べッー」と舌を出している。

 嘘ではないとは言え、まさかのエレインの行動に一杯食わされた男達はこの瞬間“死”を覚悟した――。

 そして。

 幸いな事に死は避けたものの、エレインとサラに手荒な事をしたと本人達から指名された男数名は、アーサーの怒れる鉄拳をそれぞれ1発ずつ食らって気を失った。
 そして再び話はバットに戻る。

「それで、どうするエレイン。まだ足りないなら僕がぶん殴るけど」

 そう言いながらアーサーは正座しているバットの前に立った。
 言わずもがなバットはもう既にボロボロで戦意の欠片も感じない。アーサーが目の前に立ってもただひたすら謝る事しか出来ずにいる。

 勿論これで全てがチャラになる訳ではない。
 それでも幾らか怒りが収まったアーサーは、後の処理をエレイン達に委ねた。最初はただ自分だけの為にバットをぶっ飛ばしてやろうと思っていたが、それも随分と状況が変わっていた。

 流石に無能のバットでもここまで痛い目に遭えば理解出来るだろう。

 なんの苦労もせずに親の金の力だけでCランクアーティファクトを手にしたバットと、自分の人生を懸けて死に物狂いでオーガアーティファクトを手に入れたアーサーでは最早比べものにならない程の差が生じていた。

 アーサーからの問いに悩むエレインであったが、彼女は突如何かを閃いたのか勢いよくアーサーの方へ振り向いた。

「ねぇ、お兄ちゃん。そのアーティファクトって“私”でも使えるの?」

 急に我が妹から意味深な事を聞かれたアーサー。彼は一瞬戸惑いを見せるも直ぐに答える。

「え、ああ……それはまぁ一応誰でも使えるけど。なんで?」

 嫌な予感を感じるアーサーとは対照的に、子供の様な笑みを浮かべたエレイン。

 そして。

 アーサーは2度とこんな事が起こらない様にと猛省した。

 ――ドガァァン!
「ぐびゃはッ……!?」
「わお! 凄いパワー!」

 “エレインにぶん殴られたバット”は凄い勢いで壁に叩きつけられ遂に気を失ってしまった。

「あ~スッキリした! 私とサラに手を出した罰だからねこれは!」

 気絶しているバットに留めの勝ち台詞を放ったエレイン。どうやら気が済んだらしい。アーサーは気絶するバットを見ながら最後にそっと手を合わせていたのはここだけの話。

(まさかの行動に出たな妹よ。
まぁ今回の1番の被害者はエレイン達だから気持ちは分かる。僕も怒りのままに行動したからね。確かに気持ちは分かる。
でもまさか「私とサラに手を出した分は私がやり返す!」って僕からアーティファクトを借りて直接バットをぶん殴るという結論に至るとは正直予想していなかったぞ兄ちゃんも……)

 アーサーはエレインの後ろ姿を見て思った。

(拝啓母さん――。
妹のエレインは日々の貧しい生活にも耐え、優しく逞しく強く立派に育っています。ひょっとしたら僕よりもハンターに向いているのかもしれません。なので母さんは自分の体の事だけを考えて穏やかな日々をお過ごし下さい。
最後にもう1度……。妹は強いです――)

**

 見事バットへの反撃を成功させたアーサー。……それからエレインは、黒の終焉ギルドを後にする前にまだ気を失っていない残りの男達にダメ押しで釘を刺しておいた。

 もう2度と僕達に関わるなと――。

 それでも既に状況を理解していた男達には毛頭そのつもりはなかったのだが、ここでまさかのダメ押しのダメ押し。なんとサラが拘束中に密かに一部始終の音声をウォッチで録音していたのだ。

 しかもアーサー達にとても都合が良い事に、録音されていたのはバット達の下衆な会話だけ。その後アーサーがボコボコにした事や、予想外のエレインがバットをぶん殴った事などは全く記録も証拠も残っていない。この場にいる者達の思い出のみだ。

 仮に今回の事を口外したとしても、悪いのは間違いなくバット達。だから問題ないだろう。確かに多少やり過ぎた部分はアーサーにもあったのかもしれないが、それでもこの件が公になれば圧倒的に大きな被害を被るのはバット達や関係のない黒の終焉メンバーとなる。

 ましてやバットに至ってはこのドラシエル王国1番の大商会であるエディング装備商会の息子。今回は完全にその立場が裏目に出たと言えよう。下手な事実は黒の終焉、エディング装備商会、そしてバット本人にもマイナスでしかないのだ。

「よし。帰るぞ」

 こうして、アーサー達の今日という濃い1日は無事に幕を下ろした。






 ……かに思えたが、アーサー達が黒の終焉を去った後に“それ”は起こっていた――。

♢♦♢

~ギルド・黒の終焉~

 アーサーが黒の終焉に乗り込んできた瞬間、その時“彼女”はギルドの2階にいた。

 ――ドガァァァァァンッ。
「「……!?」」

 ギルドの扉が豪快に破壊されたと同時、1人の男が物凄い形相でギルドへと入ってきた。彼の鋭い視線はギルドマスターであるバットに真っ直ぐ向けられている。

「……」

 2階から視線を落とし、その様子を何気なく見ていたのは他でもない、美しき白銀の勇者“シェリル・ローライン”であった。

 あまり感情を表に出さない彼女はアーサーとバットの様子を無表情で眺めている。バットと一部の男達以外は、彼らが何をして今の状況になっているのか知る由もない。彼女もその1人だ。

 シェリルはこれから起こるいざこざの経緯を全く知らない。なのにもかかわらず、何故かシェリルは徐にウォッチの“録画機能”を起動させアーサー達に向けていた。

 そして。

 シェリルはアーサーとバット達の一連のやり取りを全て録画し、アーサー達がギルドを後にした所で彼女も静かにウォッチを停止させたのだった。

(……とりあえずこれで“また1つ”。この半年で“言われた通り”に何度か送ったけれど、こんな感じでいいのかしら――?)

 些かの疑問を抱きつつ、シェリルは今録画した一部始終のデータをを誰かの元へと送る。 

『送信完了』

 ウォッチに表示された文字を見たシェリルは最後に気絶するバットを無表情で見つめると、そのまま何事もなかったかのように場を去るのであった。
♢♦♢

~イーストリバーアカデミー~

「じゃあねお兄ちゃん!」
「ああ。一応気を付けるんだぞ」

 昨日のバット撃退から一夜明け、アーサーとエレインは普段通りにアカデミーへと登校している。

 昨日の今日だからとエレインに休みを提案したアーサーであったが、良くも悪くもそんな兄の心配を振り払うかの如く、エレインは「ここで休んだら逃げたみたいに思われるじゃん!」と寧ろ好戦的にアカデミーに行くと言い切ったのだった。

 本当に逞しく成長している。
 アーサーは再びそう思いながらエレインに手を振り、互いにそれぞれのクラスへと向かって行った。

**

「時間だぞー! 席に着きなさーい!」

 アカデミーの教官の声が慌ただしい朝のクラスに響いた。

(何だ。逆にアイツらが休みかよ)

 アーサーは空席のバットの机を見る。更に視線を動かすと他にも空席が3つ程。全てバットの金魚のフン共の席だ。アーサーがそんな事を思いながら彼らの空席を眺めていると、教官が「今日は彼らは欠席だ」と皆に告げた。

 流石のバットも顔を出せないのだろう。
 そう思ったアーサーは少しだけ口角を上げると、誰にも分からない様な小さなガッツポーズをしていた。

(あ。そういえば今日は炎Cランクの昇格テストだったな……。バタバタしていたから、リリアさんに言って日にちをズラしてもらおう)

**

「「本当にすみませんでしたッ!!」」
「お、おいッ! 止めろよこんな所で……!」

 昨日の事もあり、アーサーは予め今日は一緒に帰ろうとエレインに伝えてあった。休む事は反対されたが一緒に帰る事は承諾してくれたエレイン。アカデミーが終わったら入口で待ち合わせようと約束し、今まさにアーサーとエレインが合流した為いざ帰ろうと2人が1歩足を踏み出した瞬間、それは起こったのだった。

「「もう2度とこんな事はしません! だから許して下さい! お願いしますッ!」」
「いや、だからそっちがマジで止めてくれ……!」

 一体どこから湧いて出てきたのか。
 まるで待ってましたい言わんばかりのタイミングでアーサーとエレインの前に数人の男達が現れ、その男達は全員横一列に並んで2人の足元でいきなり土下座。

 しかも一語一句ズレる事のない完璧なまでの謝罪を披露してきたのだった。

 あまりに突発的な事に戸惑うアーサーとエレイン。謝罪をしてきた男達はバットのお仲間連中だ。どうやら昨日ぶっ飛ばされなかった連中がアーサー達に詫びを入れに来た様子。

 昨日の今日でしかと状況を理解をし、過ちを認めて謝罪をしに来たのは最低限評価しよう。まだ辛うじて救いようがある。しかし彼らの謝罪の仕方と場所が余りにも場違いだった。

 言わずもがなここはアカデミーの出入口ど真ん中。当然周りには多くのアカデミー生達がいる。そして当然の如く今皆の視線はアーサー達――人が最も行き交う出入口で土下座をしている男達に注がれていたのだった。

「「申し訳ございませんでした!」」
「わ、分かったよ。分かったからまずその土下座を止めッ……「ほんと~に反省してるのアンタ達!」
(エレイン……?)

 アーサーの言葉を勢いよく遮ったのはエレイン。
 彼女は周りの目を気にするアーサーを全く気にする事なく男達の前に仁王立ちをした。溢れんばかりの“女王感”を醸し出しながら。

「「勿論です! 心の底から馬鹿な事をしたと反省しています! 私共に出来る事でしたらなんでも致しますので何なりとお申し付けを!」」

 男達の土下座と文言が更なる女王と下僕という関係を演出していく。最早周りで見ている者達は全員がそんな事を思っているだろう。

「そう。だったらこのまま順番にアンタ達の頭を踏みつけても問題ないわね?」
「「当然です! 踏むなり叩くなりどうぞお好きなようにして下さい!」」
(もう本当に止めなさい貴方達。凄い変態プレイをしている様に見えているぞこっちは)

 アーサーの切実な願いが届いたのか、エレインは男達に2度とこんな事をしないと改めて約束させ、追加でサラへの謝罪と、もし今後エレインから何かしら指示が入った場合は最優先で彼女に力を貸すという条件の元、この公開謝罪は幕を閉じたのであった。

 何はともあれ、もうバット達に抵抗の意志がない事を再認識する事が出来たアーサーとエレイン。男達が去った後、2人も今度こそ帰路に着いた。

 そして。

 この日は更なる異常事態がアーサーを襲う。

**

~家~

「「ただいま~」」

 家に帰ったアーサーとエレイン。
 誰もいないと当然分かっていながら、帰宅した2人は無意識にそう呟いていた。

「お帰りなさい」
「「……!?」」

 あり得ない一言にアーサーとエレインは一瞬動きが止まる。アーサーは反射的にエレインを見て、エレインもまた反射的にアーサーを見た。

 “今の誰”――?。

 数秒目を合わせてパチパチと瞼を動かした所で、ふと我に返ったアーサーがエレインを庇う様に前に立った。

「だ、誰だ!? そこにいるのは!」

 この小さな部屋に暮らすのは勿論アーサーとエレインのみ。2人が一緒に帰って来たのだから当然家には誰もいない。しかしアーサーとエレインの前には確かに“誰か”が存在している。小さく狭い家だが、間取り上玄関にいるアーサー達からは丁度声の主が死角部分であった。

 アーサーはエレインを庇いつつ、聞こえた声が“女”である事を思い出す。万が一の場合はエレインだけでも直ぐに逃げられるよう、アーサーは「ここで待て」と小声で伝えて一気に部屋に繋がる扉を開いた。

 すると。

「ッ――!」

 部屋にいた者の姿を見た刹那、アーサーは時間が止まった様な感覚に襲われた。

 目を見開いて動かない。
 半開きの口からは言葉も出ない。
 アーサーはただ一点を見つめて固まった。

「お、お兄ちゃん?」

 突如2,3m前でフリーズした兄を見て、懐疑な表情で恐る恐る自らも動き出したエレイン。ゆっくり足を踏み出したエレインとは真逆にアーサーは未だにフリーズ状態。そんな兄を気にしながらエレインが歩みを進める事僅か数歩。覗き込む様に部屋を見た彼女の視界に飛び込んできたのは、想像していた泥棒や怪しい男とは全くの対照的。

 綺麗で美しい。
 そして何処とない儚さも感じるその“白銀”は、アーサーとエレインの心を瞬く間に奪い去ったのだった。

「嘘、もしかしてあのシェリル……? ほ、本物ッ!? また見ちゃった!」

 そう。
 アーサー達の家にいた人物、それは他でもない白銀の勇者、シェリル・ローラインであった。

「お帰りなさい」

 見た目通りの美しい声が再び奏でられる。無論アーサーは驚きの余り未だに動けない。脳は凄まじい速さで処理を行っていたが、まるで言葉を失ったかの様に声が出なかった。

 一方のエレインも“何故シェリルがこんなところに”と疑問を抱くと同時に、世界中の人が知っているであろう超有名人との再会に興奮が抑えられずにいる。

「うわぁぁ。やばい、やばいよ本当に。凄い美女だよお兄ちゃん! そういえば今更だけど、お兄ちゃんってこんな有名な人と同じギルトにいたの!? なんで?」
「……」

 シェリルを目の前に、反応が真逆の2人。そんな2人を他所に次に動き出したのはシェリル。静かに1歩前に出た彼女は、アーサーとエレインの顔を見てゆっくりと口を開いた。

「貴方は何度かお見掛けした事がありますが、こうして会話をするのは初めてですね。改めまして、私はシェリル・ローラインと申します」

 憧れの勇者が自分を見て言葉を発している。
 どこか現実味のないこの状況にアーサーは一瞬呼吸をするのも忘れると、咄嗟におどおどとしながら慌てて言葉を返した。

「あ、え、えーと、初めまして! ……じゃなくて、僕も貴方の事は知っていまして! あのー、それで……な、なんというか……何故こんな所にいるのでしょうか……? あ! 僕の名前はアーサーといいます。アーサー・リルガーデンですッ!」

 緊張で返すのが精一杯。頭が真っ白になっているアーサーは自分で今何を言ったのかさえ定かではない様子だ。だがやはり冷静なシェリルはそんなアーサーを気に留める事なく話を続けた。

「これを貴方に渡す様“言われました”」
「え、何ですかこれ?」

 彼女が徐に取り出した物。それは1つの封筒であった。突如その封筒をシェリルから渡されたアーサーは戸惑いつつ確認する。すると裏には差出人と思われる名前が記されていた。

「ギルド……『一の園(はじめのその)』……?」

 聞いた事もないギルドの名前。
 それに加えて肝心の封筒の中身は空であった。

(一体どういう事だ……?)

 突如目の前に現れた憧れの勇者と、知らないギルドからの空の封筒。

 全く訳が分からないこの状況に、アーサーはただただ首を傾げる事しか出来なかった――。
♢♦♢

~ダンジョン・メインフロア~

「見つけたわよ、アーサー君」

 リリアは受付のモニターを見ながらアーサーにそう言った。

「ありがとうございますリリアさん! それで、『一の園』ってどこのギルドなんですか?」

 アーサーとエレイン、そして突如としてアーサー達の前に姿を現したシェリル・ローライン。

 予想だにしていなかった面子でアーサーが訪れたのはダンジョン。
 理由はシェリルから受け取った封筒にあった唯一の手掛かり、『一の園』というギルドの情報を得る為。リリアに調べてもらえば何か分かるかもしれないと思ったアーサーは、直ぐにこのダンジョンへと足を運んだのだ。

「ちょっと待って……。こんな事って有り得るのかしら」

 何やらモニターを見ながら驚いている様子のリリア。そんな彼女を見てアーサーも一瞬きょとんした。

「リリアさん、どうしたんですか?」
「いや……あのね、このギルド『一の園』なんだけど……ここに記録されているデータが間違っていなければ、ギルド人数は1人だけ」
「え、1人だけのギルド?」

 人数が1人だけのギルドはそれほど珍しい訳ではない。だが基本的には4~5人のパーティが組める人数になってからギルド設立をするのが一般的な流れであるが、スキルが『ヒーラー』や『鍛冶師』の者達が稀にダンジョンには挑まずに専門職としてギルド設立をする場合がある。

 ダンジョンでの病院的役割を果たしていると言えば分かりやすいだろう。需要と供給が成り立っている、お互いに必要不可欠な存在ともなっている。

 しかし、リリアが驚いているのはギルド人数が1人だからではなかった。

「ええ。それも“彼女”のスキルはヒーラーや鍛冶師ではなくて『魔術師』よ……。しかもこのギルドが創設されたのが、今から“99年前”になっているの」
「きゅ、99年前!? 一体その人何歳なんですか!? と言うかまだ生きて……」

 皆まで言い掛け、これは失礼な発言だと悟ったアーサーは反射的に自分の口を押えていた。だがリリアも思っている事は同じだったのだろう。それにアーサーとリリアは『魔術師』という聞き慣れないスキルも気になった。

「生きてはいる筈よ。もし死んだのならハンターとしてのデータは全て消えてしまうから、残っているのなら生きていると思うわ。それにこの人の魔術師って私もアカデミー生の頃に本でしか見た事がないけど、凄い珍しいスキルじゃなかったかしら?」
「そうですね……。確か魔術師のスキルはこれまでに1人しか見つかっていないとか言われてる珍しいやつです。そんな人が何故僕にこんな封筒を……?」

 調べた結果余計に訳が分からなくなったアーサーは、徐に隣にいたシェリルに尋ねた。

 しかし。

「何度も言いましたが私も知りません。お会いした事がありませんので」
「やっぱりそうなのか……。もう意味不明だよホントに!」

 ダンジョンに来る前、アーサーは勿論シェリルに聞いていた。この封筒の差出人はどんな人物で何が目的なんだと。何故シェリルを自分なんかの所に来させたのかと。だがシェリル本人は一切知らないとの事。

 差出人とのやり取りは最低限であり、いつもウォッチでのメッセージか今回の様な封筒が彼女の元に届くらしく、シェリル自身も1度もこの差出人に会った事がないそうだ。彼女曰く、差出人は“何時からか自分がお世話になっている信用出来る人”という絶妙に理解に苦しむ返答であった。

(そんな馬鹿げた話があるか)

 アーサーは率直にそう思ったが、無表情で真っ直ぐ自分を見つめるシェリルを見て、アーサーはこれが本当に真実なんだと理解――いや、恐怖を覚えた瞬間であった。

「それよりアーサー君。何で君があの勇者の子と一緒にいるのかしら?」

 封筒の差出人から突如話が切り替わる。アーサーにそう尋ねるリリアは目を細めて少し機嫌が悪そうだ。

「いや、それが僕にも全く理由が分からなくて……。なので今こうして調べている所なんです」
「ふーん。(ちょっと、何でよりによってあの有名なシェリルちゃんが私のアーサー君といるのよ。まさか彼女もアーサー君を狙ってるのかしら? だとしたら早急に手を打たないといけないわね)」

 リリアがそんな事を思っているなど、アーサーはおろかエレインもシェリルも微塵も気付く訳がなかった。

「リリアさん、因みにその人の名前と一の園ギルドの場所って分かります?」
「ちょっと待ってね。え~と、名前は“イヴ・アプルナナバ”。ギルドの場所は……登録されていないわね」
(イヴ・アプルナナバか……聞いた事がないな)

 手に入った情報は名前のみ。
 これ以上の手掛かりがないアーサーは再び頭を悩ませたが、もう遅い時間になっていた事もあってとりあえず今日の所は帰ろうという結論に至る。

 リリアにお礼を言ったアーサー達はダンジョンを後にしたのだった。

**

~家~

 そして。

 家に帰ったアーサーは人生で1番の大問題にぶつかった。

「あのー、シェ、シェリルさん……! 貴方、本当にここで“寝る”気ですか!?」
「はい。私はそう伝えられてここに来ましたので。それに他に行く当てもありません」
「え! じゃあ私あのシェリルの隣で寝られるって事? やば。明日絶対皆に自慢しちゃう!」
「いや、待て待て待て。絶対可笑しいぞこんなの。(根本的に僕とエレインが寝るだけでも狭い部屋なのに、もう1人加わるなんて明らかに狭過ぎる。しかも相手があのシェリルさんとなったら問題はもっと別だ)」

 慌てふためくアーサー。
 受け入れ寸前のエレイン。
 冷静かつ微動だにせぬシェリル。

 三者三様の思いが渦を巻き、この小さな空間は既にカオスに浸食された。
 慌てふためくアーサーを他所に、エレインは着々とシェリル受け入れの準備を進め始める。

「シェリルさんは私の隣で一緒に寝ましょう! あ、もしお風呂入りたければ何時でもどうぞ! それとも先にご飯にします?」
「ありがとうございます。貴方がエレインですね。私の事も呼び捨てで構いません。お腹が空ていますので先に食事を取りましょう、エレイン」
「了解!」

 妹もシェリルさんも初めましての距離感が馬鹿なのだろうか――。

 アーサーが思わずそんな事を考えてしまう程、エレインとシェリルは秒で仲良くなってしまったのだった。

「お兄ちゃん、そうと決まれば食材買いに行こう! 今日はシェリルがいるからちょっと奮発お願いね!」
「今はアーサーが私のご主人様となります。必要とあれば何でも指示を出していただいて構いません。因みに食べ物の好き嫌いもありませんので、何でもいいので食べさせて下さいアーサー」

 ツッコミどころ満載。
 だがアーサーはエレインの勢いと、未だに実感の湧かないシェリルの存在に気持ちの整理が全くついていない。とにかく落ち着いてきたら一旦冷静に考えようと、一先ずアーサー達は皆で買い物をし、小さな部屋の小さな食卓で温かいご飯を食した。

 そして。

「待て待て待てぇぇぇぇ! やっぱり普通に考えて可笑しいだろこの状況!」

 ご飯もお風呂も済ませ、すっかりもう寝る体勢に入っていたアーサー達。だがここで、今一度冷静さを取り戻したアーサーが大声を上げた。

 彼はもう限界なのだ。

 健全な男の子である彼が、妹以外の女の子と初めて様々な経験をしている。それも普通の女の子ではなく、自分にとって憧れのハンターであり世界中が釘付けになる程の美女。そんな憧れの人とこの様なシチュエーションになるなど、最早普通の神経では耐えられない。

 アーサーともなればそんな普通よりも更に刺激が強いのは確実だ。

 食事をしている時の美しい横顔、何気ない仕草、風呂上がりの匂い、そして無防備なパジャマ姿。しかも少し体を動かせば触れてしまう程の距離で横たわる憧れのシェリルの存在が、アーサーの理性を完全にぶっ飛ばそうとしていた。

「今更何言ってるのお兄ちゃん。うるさいよ。これからもうガールズトークして寝るんだから静かにしてよね」
「エレインの意見に同意です。私も寝ますのでアーサーも早く寝て下さい」

 これは自分が可笑しいのだろうか。
 1人でそんな事を思いながら、アーサーはエレインとシェリルの雰囲気に押されてそのまま静かになった。

 どんな状況でも時間が止まる事はない。

 何時しか楽しそうに話していたエレインとシェリルの声が聞こえなくなり、代わりに静かな寝息がアーサーの耳に届いていた。

(2人共寝たみたいだな……)

 徐に体を起こしたアーサーは、月明かりに照らされた2人の顔を見た。結局なんでこんな状況になったのかいまいち理解出来ない。差出人も名前が分かっただけ。居場所もわからなければシェリルとどういう関係なのかも分からない。当然自分のところに来た理由も。

 アーサーはごちゃごちゃと考えていると、遂に眠気が襲ってきた。

(ふあぁ~。まぁ明日からまた手掛かりを探すしかないな。流石に僕も眠くなってきたから寝よう)

 こうして、アーサーも何とか眠りについたのだった――。


「……ロイ……」
 翌日。

「じゃああの……行ってきます。狭くて申し訳ないですが自由に過ごしていて下さいねシェリルさん」
「帰ったらまたいっぱい話そうねシェリル!」
「分かりました。行ってらっしゃいませ」

 どんな1日で何が起ころうと、時間は平等に流れていく。
 昨日から一夜明け、アーサーとエレインは普段通りアカデミーへ登校する。結局一睡も出来なかったアーサーは道中で眠そうに欠伸ばかりしていたのだった。

「お兄ちゃん寝れなかったの? そんな欠伸ばっかりして。あ! まさかシェリルを襲おうとしてたッ……「そんな訳ないだろ!」

 行き過ぎたエレインに発想をすかさずアーサーが遮った。
 実際はただシェリルの存在が気になり緊張して眠れなかっただけであるが、兄であるアーサーは実の妹にそんな格好悪い事は言えない。

――――――――――

「……ロイ……」

――――――――――

 アーサーは眠気に襲われる道中でずっと考えていた。

(夜中にシェリルさんが寝言を呟いたみたいだけど、あれは誰かの名前なのかな……? 僕は彼女の事を本当に何も知らない。それに肝心の『一の園』ギルドも、イヴという人の存在と名前しか分からなかった。
一体何が目的でその人はシェリルと繋がっているんだろう……。

それに昨日は驚き過ぎて忘れていたけど、シェリルさんは元々『黒の終焉』に所属していた。バットが彼女を追放したのか? いや、それはあり得ない。バットは金の力でとにかく優秀なハンターを集めていた。
私利私欲でしか動かないバットが、勇者のシェリルさんを手放すなんて絶対にあり得ない事だ。

でも、だったら尚更何で僕の所なんかに? そもそもシェリルさんはどういう経緯でバットのギルドに入ったんだろうか。ひょっとしてそれもあのイヴとかいう人の指示なのか――?)


「おーい、お兄ちゃん!」
「え」

 眠気に襲われる頭でごちゃごちゃと考えていたアーサー。何時しかボーっと無言で歩いていた彼を、エレインが呼び戻した。

「そんなに眠いの? ずっと沈黙だったよ」
「あ、ああ、ごめんごめん。もう大丈夫だよ、こりゃ今日は休み時間は全部睡眠だな」
「授業中に寝たら怒られるから気を付けなよ。じゃあまた帰りね!」

 アカデミー着いたアーサーとエレインはそれぞれのクラスに向かい、今日も1日平穏な時間をアカデミーで過ごした。

**

~ダンジョン・メインフロア~

「リリアさん。昨日は色々ありがとうございました!」
「あ、アーサー君。丁度いい所に来たわね(相変わらず可愛いわ)」
「どうしたんですか?」

 アカデミーが終わり、アーサーはエレインと家に帰ろうと思ったのだが、連日のバタバタのせいでここ2日間ダンジョンに行っていない事を思い出したアーサー。

 稼ぎが増えたとはいえまだまだ安心出来ない。そう思ったアーサーはエレインに先に帰るよう伝えると、その足でそのままダンジョンに向かったのだった。

 生活費を稼ぐ事は勿論、受ける予定だった昇格テストや、やはり気になるイヴや一の園の情報を僅かでも集めたいとアーサーは思っていた。

「実はね、私もあれから気になって色々調べてみたの。そしたら何だか面白い事が分かったわ」
「面白い事……ですか」
「ええ。そもそもあの『一の園』ってギルドはね――」

 リリアの話はとても興味深いものだった。
 彼女曰く、この世界にダンジョンが出現して以降、1番最初に設立されたのがあの封筒に記されていた『一の園』ギルドの事。

 ギルド一の園はイヴ・アプルナナバを筆頭に、当時のまだ数少ないハンター達も皆彼女のギルドに所属しており、その時からハンター達は今と変わらないダンジョン攻略を行っていたそうだ。

 この時代は当然今よりもハンターの人数が少なく、圧倒的にダンジョンやスキル、アーティファクトなど全てにおいて知識が不足していた。その為今とは違ってハンターの死亡や生存確率が極めて高く、毎日当然の如く誰かが犠牲となった。そんな先人達のかけがえのない努力と結晶が、アーサーのいる現代まで100年近く紡がれ、人類は遂に前人未到のフロア90まで到達したのだ。

 無論、このダンジョンがどこまで続いているのか誰も分からない。しかし大昔に1度、ダンジョンは“フロア100”が頂きであると噂になった事があった――。

 アーサーがいる現代においては、最早知る人ぞ知るお伽話のような感覚で伝わっている話である。アーサー自身もこれまでの人生で数回耳にした事がある程度だ。誰もこんな話を信じていない。

 だが。

 何でもこの噂の出元が他ならぬ、ギルド『一の園』のイヴ・アプルナナバかもしれないとの事。つまり、これはあくまでリリアの憶測であるが、彼女はこのダンジョンについて何か重要な事を知っている可能性がある。勿論それと同時に全くのデマという可能性も否めない為、どの道真相に辿り着くには彼女を探さねばならないという結論に至った。

「……という感じなのよアーサー君。どう? 少しは役に立てたかしら」
「いやいや、少しどころじゃないですよ。こんな貴重な話をありがとうございます! やっぱりイヴという人を探すのが全ての答えになりそうですね」

 正直、昨日からずっとアーサーは今後について悩んでいたが、どうやら彼の気持ちは固まった様子だ。

「ちょっと! まだ話は終わっていないわよアーサー君。私をそこら辺の受付嬢達と一緒にしないでくれる?」

 突如リリアはそう言うと、ドヤ顔でアーサーを見つめ直した。彼女の鋭い視線と魅惑の谷間が毎度の如くアーサーの理性を襲う。

「……と言いますと?」
「フフフ。はい、これあげるわ」

 リリアは徐に1枚の紙切れを取り出してアーサーに渡した。

「そこに書いておいたわよ。イヴの“居所”」
「えッ!? 本当ですか!?」

 余りに予想外の展開にアーサーは慌てて紙に視線を落とした。するとそこには“ツインマウンテン”という文字が。

「ツインマウンテン……。あんな山にいるんですか!?」
「そうみたいよ。とは言ってもその情報も確実ではないわ。ハンター評議会の上のおじ様達にちょっと聞いただけだから。普通に考えてあんな所に人がいるとも思えないし」
(ハンター評議会の上のおじ様……?)

 一瞬リリアに聞こうか迷ったアーサーであったが、何となく止めておこうと思いそのまま口を閉ざしたのだった。

「あ、ありがとうございますリリアさん! 今度の休みに試しに行ってみます」
「あらそう。まぁアーサー君ならそう言うと思ったわ。でも気を付けてね。ダンジョン程ではないけど、あそこに生息するモンスターも多いから。
それにツインマウンテンは標高6,000mを超える山が2つ。モンスターの被害よりも“遭難”で死ぬ方がずっと多いから絶対に1人で行かないようにね。万が一の為に」

 そう。
 時と場合によってはダンジョンよりも危険であるツインマウンテン。国の最南端に位置する巨大な山であり、標高6,660mの山が2つ並んでいる有名な山だ。

 リリアから情報を貰ったアーサーは一先ず今日分のフロア周回をし終えると、改めて炎Cランクの昇格テストを受けたいとリリアに告げて日程を調整してもらった。

**

 それから2日後。
 
 今度こそ昇格テストを受けたアーサーは見事合格。遂に彼は炎Cランクハンターとなったのだった――。
 時は遡る事、バットがエレイン達を誘拐しアーサーに敗北した日――。

♢♦♢

「ん……ここは……ぐッ!?」

 意識を取り戻したバット・エディングは病院のベッドの上にいた。

「無理に動くな。傷が開くぞ」
「え、親父……!? なんでこんな所に。って、そういやアーサーの野郎は……!」
「バット、お前は何をしているのだ」

 全身に巻かれた包帯と痛みによって、徐々にバットは起こった出来事を思い出していった。病室にはバットと彼の父親である“オーバト・エディング”の姿が。

 オーバトは重傷な息子を心配するどころか、何故かとても冷たい視線を彼に向けていた。

「べ、別に何もしてねぇよ。その……ギルドメンバーの奴が他のギルドとちょっと揉めてたんだ。だからそれを止めようとしただけだよ」

 父親に真実を話さないバット。これが彼と父親との距離感なのだろう。

「いい加減下らない遊びは止めるのだバットよ。お前は我がエディング装備商会の跡継ぎだ。暇を持て余しているのなら早く勉強をしろ。いつでも商会の即戦力となれる様にな」
「わ、分かってるよそんな事……。あ、そうだ親父ッ! それよりも俺に“Bランクアーティファクト”を用意してくれ! そろそろもっと上を目指さないといけないんだ」
「……分かった。用意しておいておこう」

 父親の承諾の返事に、バットは思い切りガッツポーズした。彼が今考えているのは勿論“アーサーへの復讐”。

 最弱のスライム召喚士と馬鹿にされていたアーサーが何故あそこまでの力を手に入れたのかは定かじゃない。いや、最早バットにとってそこはどうでもいい。ただ今以上に強いアーティファクトを手に入れられれば余裕でアーサーなど越せるからだ。

 そして彼はいとも簡単にそれが叶ってしまう。金の力で。バットは包帯まみれの下で確かにその口元を緩ませていたのだった。

(クハハハ。よしよしよし! これでアーサーの野郎をぶっ殺せる! あの野郎、調子こいてこの俺をぶん殴りやがって。ふざけんじゃねぇぞコラ。どんなせこい真似してアーティファクトを手に入れたか知らねぇが、次会った時がお前の最後だアーサー!)

 バットが1人ベッドの上で復讐の炎を滾らせていると、病室を出て行く直前でオーバトが動きを止めてバットの方へ振り返った。

「言っておくが、余計な尻拭いはこれで最後だぞバット。私はお前の下らん遊びに時間を割いている暇はない。次また問題を起こしたのなら、その時は自らの力で解決しろ。甘えるな。もう手助けはしない。分かったな?」

 オーバトは物凄く冷酷な目でバットを見ながら言った。
 バットはこれが冗談ではないと瞬時に理解し、生唾を呑みながらコクリと静かに頷いたのだった。

**

 1週間後――。

「ちっ。何で誰も通話に出ねぇんだよクソが! メッセージの返信もないじゃねぇか!」

 退院したバットは何故か苛立っていた。
 無事体力も回復した様子であるが、まだ体の一部には包帯が巻かれて松葉杖をついて歩いている状態。そんなバットは自らのウォッチを何度も確かめながら相当苛立っている。

 理由は明白。
 それはバットが入院してからのこの1週間というもの、彼がどれだけ連絡をしようと仲間達からの連絡が一切返ってきていないからだ。理由が全く分からないバットはこの1週間ひたすらイライラを募らせており、退院と同時にそれが爆発している状況。

 逆を言えば、知らないのはバットのみ――。

 既に彼の最も近い仲間達は皆アーサーに謝罪をし、金輪際2度と同じ過ちを犯さない様にと誓いまでたてているのだ。これまでは何も考えずにバットの言う通り動いていた彼らが、初めて自分達の意志で動いた瞬間でもあった。それが良いのか悪いのかは人によるだろうが。

「おいおい……一体何が起こってんだよ」

 松葉杖をついたバットが真っ先に向かったのは『黒の終焉』のギルド。

 しかし建物の中は誰もいない。いつもなら少なくても数人は絶対に建物内にいるだが、全ての部屋を見渡してもそこには誰の姿もなかった。

「まさかアーサーの野郎がまた何かしたんじゃねぇだろうな……ッ!」

 ひたすらアーサーへの怒りを溢れ出しているバットは直ぐにアーサーに連絡を取る。だがアーサーからの応答はない。

「クソッ、どいつもこいつも俺を舐めんじゃねぇ!」

 バットはウォッチをむしり取る様に外し、そのまま地面へと思い切り叩きつけた。

(あぁ~クソ、イライラする! 丁度今日も明日もアカデミーは休みか。こうなったら直接家に行って探し出してやる!)

 そう思い立ったバットは、先ずはこの場所から最も近い仲間の家に行く為に再び松葉杖をついて歩き出ず。

 バットはずっと嫌な胸騒ぎに襲われている。

 それは皆が連絡に出ない事は勿論ながら、それ以上に、バットは今まで当たり前の様に使えていた親の金が“使えなくなっている”事に嫌な予感がしていた。そのせいで“魔力自動車《ドライブ》”や“魔機関車《モーティブ》”にも乗れなかったバットはここまで必死に松葉杖でやって来たのだ。

 そしてやっとの思いで辿り着いた自分のギルドがもぬけの殻。バットの中で、嫌な胸騒ぎがどんどんと確信に近付いていた。

「あり得ない。そんな事は絶対にあり得ないぞ……ッ! 待ってろよアイツら。俺が今から行って、何が起こってんのか全部説明してもらうかッ……「もう1度聞こう。お前は“何をしているのだ”。バットよ――」
「親父……!」

 バットがギルドを出た瞬間、彼の目の前には父親であるオーバトがいた。
 だが病室で会った時のオーバトとはまるで違う、全てを断絶したかの如き雰囲気を纏うオーバト・エディングという男がそこにはいた。

「もう終わりだぞバット」
「え……? な、何を言って……」
「お前はもう終わりだ。このお遊びギルドもな。ハンターでもなければ我がエディング家の息子でもない。これからは自らの力で好きに生きよ」

 それだけ言うと、オーバトはバットに背を向けこの場から去って行った。

「は? ちょ、ちょっと待てッ……! 待ってくれよ親父! 一体どういうつもりだよ!」

 訳が分からないバットは怒号交じりに叫び、それに反応を示したオーバトは歩みを止めて、ゆっくりと振り返った。

「どういうつもりも何も、この間病室でお前に告げただろう。もし“次また問題を起こしたのなら、その時は自らの力で解決しろ”とな」
「……た、確かにそれは聞いた。だがそれはまだ次の話だろ! 俺はあれからずっと入院していたんだから何もしてねぇ!」

 そう言った刹那、オーバトは1つのウォッチを出してバットに向け投げた。

「私の所にその“データ”が送られてきた」
「こ、これは……!?」

 拾い上げてウォッチを確認するバット。するとそこには1週間前のアーサーとバットの一連のやり取りが全て記録された映像が流れていた。

「それは私がお前に最終勧告を告げた“後”に送られてきたものだ。言いたい事は分かるな?」
「そんな……。こ、こんな馬鹿な事が……」
「客観的に見ればお前も確かに重傷を負ったが、貴様のその行動は人の道を踏み外している。その怪我は因果応報。そしてそれが貴様と私の関係に終止符を打ったという事だ。
貴様にはもうギルドメンバーもいなければ金も地位も権力もない。生きたければ精々自分の力で這い上がる事だな。愚かな負け犬よ――」

 吐き捨てる様に言ったオーバトは今度こそ去って行った。
 
 絶望に突き落とされたバットも最早父親を止める気力がない。体の力も入らず言葉も出ず、全身が虚無感に襲われたバットはただただ去って行く父親の背中を眺める事しか出来なかった。
♢♦♢

~家~

「「いただきます!」」

 相も変わらず小さな借間。
 大人2人が生活するには狭いこの部屋で、アーサー達は小さな丸い食卓を皆で囲って温かいご飯を食べるところ。

「はい、これシェリルの分ね」
「ありがとうございます」
「エレイン、僕のも取ってくれ」
「モルナのもよろしくー☆」
「はいはい」

 エレインが慣れた手つきで皆にご飯を配る。手の届くところに物があるのが、小さな部屋の唯一の良い所だろう。

 いや。

 そんな事より気になる事がある。

 そう。

 お気付きだろうか――?


「で? 結局“ギルド名”はどうすんのよアーサー。あ、これモルナ頂き!」
「あ、それ僕の分だぞモルナ。それにギルド名はまだ決まってない」

 現状、小さな食卓を囲んでいるのはアーサーとエレインとシェリル。そして“モルナ”だ。

「だったら『超激かわ軍団』ってどー?」
「自分で言うなよそんな事(確かに否定も出来ないけど……)」

 バットが1週間入院していた一方で、アーサーもまた濃い1週間を過ごしていた。

**

 見事バットへの反撃を成功させたのが初日だとするならば、2日目はバットの連れ達からの謝罪&シェリル来訪。3日目はリリアから新情報ゲット。4日目はいつものダンジョン周回をし、5日目は炎Cランク昇格テストを受けて合格。

 ここまででもかなり充実した日々を送っていたのだが、更にここからの2日間が目まぐるしかった。

 6日目。アーサーはリリアから教えてもらった情報を元に、エレインとシェリルとツインマウンテンを訪れる。標高6,000mを超えるツインマウンテンの迫力に気圧されながらも、アーサー達はイヴを探す為に登山を開始した。

 オーガアーティファクトの恩恵で身体能力が向上しているアーサー。本来は国やハンター評議会でも“非ハンター”に対してのアーティファクトの取り扱いにそれなりの制限を設けているのだが、素人が登るには余りに険し過ぎる山の為、アーサーは登山中だけエレインにもアーティファクトを貸したのだった。

 だがアーサーはそんな険しいツインマウンテンよりも、シェリルのそのステータスの強さに驚愕。


====================

アーサー・リルガーデン

【スキル】召喚士(C): Lv22
・アーティファクト召喚(15/15+5)
・ランクアップ召喚(0/5)
・スキルP:4,649

【サブスキル】
・召喚士の心得(召喚回数+5)

【装備アーティファクト】
・スロット1:『オーガの鋼剣(C):Lv9』
・スロット2:『オーガバイザー(C):Lv9』
・スロット3:『オーガの鎧(C):Lv9』
・スロット4:『オーガの籠手(C):Lv9』
・スロット5:『オーガブーツ(C):Lv9』

【能力値】
・ATK:15『+2000』
・DEF:18『+1000』
・SPD:21『+1000』
・MP:25『+1000』

====================


 初期と比べれば、アーサー自身のステータスも大幅にアップしている。しかし、やはり選ばれし者のスキル恩恵は凄まじいとアーサーは改めて思い知らされた。


====================

シェリル・ローライン

【スキル】勇者(A):Lv2
・勇者の証(Lv1上昇ごとに能力値+2000)
・スキルP:59,630

【装備アーティファクト】
・スロット1:『普通の剣(E):Lv3』
・スロット2:『丈夫なバンダナ(D):Lv3』
・スロット3:『木の盾(E):Lv9』
・スロット4:『スライムの手袋(E):Lv7』
・スロット5:『スライムの靴下(E):Lv5』

【能力値】
・ATK:4000『+14』
・DEF:4000『+13』
・SPD:4000『+6』
・MP:4000『+15』

====================


 まさかの基礎能力値が4桁越え。
 強いスキルの中でもシェリルが与えられたのは真の選ばれし者である証の『勇者』スキル。その能力値はアーサーのものとはまるで比較にならないチート級の差。更にアーサーは彼女のアーティファクトを見て疑問に思う。装備されているのはランクの低いアーティファクトばかり。

 疑問に思ったアーサーがシェリルに聞くと、「このアーティファクトを装備しろ」と以前からバットに指示されていたそうだ。

 話を聞いたアーサーは呆れた様に溜息をつくと、毎日馬鹿の一つ覚えで召喚しまくっていたアーティファクトが役に立った。彼は余っているオーガアーティファクトを一式全てシェリルにあげ、彼女は更に能力値が上昇したのだった。

 そしてアーサー達はイヴを探し始める。本当にいるのかいないのか定かではない。
 仮にいたとしても山のどこにいるのか見当もつかない。

 先行きに不安しかなかったアーサー達であったが、登山を開始して数十分後、アーサー達は突如淡い光に包まれた。訳も分からず戸惑っていると、次の瞬間アーサー達は一瞬にしてどこかへ転移していた。

 アーサー達が次に見た景色は人の気配が全く感じられない、木々が生い茂る深い樹海の様な風景。ここはどこだと周りを見渡していると、木しか見えなかったアーサーの視界にポツンと小さな建物が映り込んだ。

 そう。
 その建物こそがアーサー達の探し求めていたもの――ギルド『一の園』であり、遂にアーサー達は“イヴ・アプルナナバ”と出会った。

「ヒッヒッヒッ。やっとここに辿り着いた様だねぇ。アーサー・リルガーデン。それとシェリル・ローラインよ――」

 予想だにしなかった展開にアーサー達は困惑した。しかし、それと同時に聞きたい事が幾つも溢れ返っていたアーサーは怒涛の質問攻めをした。

 貴方がイヴ・アプルナナバですか?
 これがギルド一の園?
 何故こんな所にいるのですか?
 今の転移魔法は貴方が?
 シェリルさんとはどういうご関係で?
 何故僕の事を知っているのですか?
 貴方は一体何歳なのでしょう……?
 ここはどこですか?

 イヴは明らかに面倒くさそうな表情を浮かべるも、アーサーの質問に順を追って答えたのだった。更にイヴは一通りの話を終えた後で“ある人物”をアーサー達に合わせる。

 彼の名は“ジャックヴァン・ジョー・チックタック”――。

 またの名を“精霊使いのジャック”。

 彼率いるギルド『精霊の宴会』は先日、あの前人未到のフロア90を突破し新たな“神Sランク”という称号を手にしたギルドである。世界中でその名を知らぬ者はいない正真正銘の最強のギルド。彼はそんな『精霊の宴会』のマスターであり、間違いなく全ハンターのトップに立つ最強ハンターだ――。

 アーサーはこの日、謎に包まれた魔術師イヴ・アプルナナバと、最強ハンターであるジャックヴァン・ジョー・チックタックという異色の人物達と出会った。

 イヴは御年118歳。
 彼女はジャックヴァンが幼少の頃にその才能を見出した人物であり、全く公にされていないが、ジャックヴァンとイヴは特別な師弟関係という間柄だそうだ。

 ジャックヴァンを含めたギルド『精霊の宴会』は、アーサーにとっては因縁のあるエディング装備商会とパートナー契約を結んでいる。ハンターはより強いアーティファクト供給と収入、その他ダンジョンや生活の手厚いサポートを条件とし、商会は自分の商会の宣伝モデルとしてハンターと契約する事が多い。

 アーティファクトを取り扱う数ある商会の中で群を抜いた利益を出している大商会がエディング装備商会であり、必然とそんな大商会にはトップのハンター達が集まる。実力者同士、互いにウィンウィンの関係となるのだ。

 アーサーもそんな事は勿論知っていた。
 でもだからと言って彼が因縁ある相手は他でもないバット1人のみ。エディング装備商会を嫌っている訳でもなければ当然そこと契約しているハンターを嫌っている訳でもない。寧ろそれよりアーサーはイヴやあの最強ハンターと出会えた事の衝撃が大きかった。

 それにイヴはアーサーの知らない事をまだまだ知っている――。

 一先ずシェリルの事や自分に関わる事を聞けたアーサー。彼は最後に「シェリルを頼むよ」とイヴに言われ、真意の程は分からなかったがとりあえず理解を示して受け入れた。

 そんなこんなで気疲れした1日は終了。そのままイヴ達と別れを告げたアーサー達は家に帰る事に。ただシェリルの事を流れで承諾したものの、アーサーはまたあの小さな部屋で暮らすのかと考えただけで極度の緊張に襲われていた。

 だがしかし。

 これでこの日は終わった訳ではない。

 そう。
 アーサー達は帰りに再びイヴの転移によってツインマウンテンの麓まで来ていたのだが、そこで彼らは1人の“獣人族の少女”と出会った。

 そしてその獣人族の少女モルナは、そのままアーサーの仲間となったのだった――。


 これが濃ゆい濃ゆい1週間の6日目の出来事である。
 濃ゆい1週間のラスト。

 6日目にツインマウンテンを出たアーサー達は、既に時間も遅く疲れも溜まっていた為、そこで出会った謎の獣人少女モルナを放っておく事も出来ずに兎に角連れて帰ったのだ。

 モルナの事情はさっぱり分からない。
 彼女が何故あんな所に1人でいたのかも、涙を流して怖がっていたのかも。この時のアーサー達は知る由もなかった。

 一先ず彼女を落ち着かせ、アーサー達は家に帰ってモルナに温かい食事とお風呂を用意してあげた。すると次第に心を開いてくれたのか、彼女は自分の名前がモルナであると皆に告げ、パーティでツインマウンテンを訪れていた時に突然仲間達に見捨てられてしまったと明かした。

 モルナ曰く、ツインマウンテンの中腹辺りで1人取り残されてしまい、道もよく分からないまま出てくるモンスターを倒しつつ何とか下山したらしい。だが途中で体力も気力も限界に近付き、暗さで辺りもよく見えなくフラフラだった所をアーサー達が助けてくれたとの事。

 話を聞いたアーサー達はとても憤りを感じた。
 モルナの歳はエレインと同じ16歳。自分達と同じ歳の子を――それもあんな場所で女の子を1人置いていくなんて人殺しと変わらない。そう思ったアーサーとエレインは話を聞きながらプンスカ怒っていた。シェリルも怒っている様子であったが、冷静で落ち着いているせいか感情の起伏が全く見られない。

 という訳で、このままモルナを家に帰す事も忍びない上に、彼女は家もなければ行く当てもないと言い出し為、結果この超狭い部屋に4人のほぼ大人が寝る事になった。

 だがしかし、初心なアーサーは勿論寝られる筈がなかった。理由は言わずもがなシェリルの存在。しかし理由はそれだけでなく、モルナもまたシェリルに負けず劣らずの可愛い美女であったからだ――。

 整った顔立ちとスタイル。
 しかも獣人族特有のもふもふの毛並みと獣耳がアーサーの理性を破壊するのは簡単だった。だからアーサーは今日もまた、一睡も出来ずに目がギンギンのまま朝を迎えたのだった。

**

~家~

「「いただきます!」」

 そして話は今に戻り、アーサー達は4人で小さな食卓を囲んでいる。昨日と唯一違うのは、すっかり元気になったモルナがとてもテンションが高いという事。元の彼女はこれがデフォルトなのだろう。

「はい、これシェリルの分ね」
「ありがとうございます」
「エレイン、僕のも取ってくれ」
「モルナのもよろしくー☆」
「はいはい」

 バットの現状を知る由もないアーサーは、ご飯を食べながら眠たそうに目を擦る。そして彼は考える。

(どうなるのこれから――?)

 そんな疑問を抱きつつ、アカデミーがあるアーサーとエレインは家を出て行った。不安で仕方がないシェリルとモルナという2人を残して。

**

~ダンジョン・メインフロア~

「お疲れ様です、リリアさん」
「あら、アーサー君じゃない。そういえばあれから……って、え!? また女の子増えてる! 何があったの?」
「ハハハ……実はですね――」

 そう言ってアーサーは事の経緯をリリアに全て話した。別に言う決まりはないが、イヴの情報をくれたのは他でもないリリア。それに毎日訪れるダンジョンだから何時かはバレるだろうし、何よりアーサーはお世話になっているリリアだけには隠し事などをしたくなかったのだ。

 とは言っても別に隠す様なやましい事をしているわけではない。

「へぇ~。じゃあ本当にいたのね、そのイヴって人が」
「はい。ビックリしましたよ。まさかあんな所に本当に人がいるなんて」
「それにしてもアーサー君、貴方一体何人の女をたぶらかすつもりかしら?」
「え!? た、たぶらかすなんてそんなッ……!」
(何だか雲行きが怪しくなってきてるじゃない。よりによって2人共可愛いし、片方はあの勇者シェリルなんて相手が悪すぎよねこれ。私のアーサー君が取られちゃうわ……)

 突然のリリアの発言にアーサーは慌てて否定する。アーサー本人も改めて今の状況を実感すると共に、リリアもまた予期せずライバルが増える事に内心複雑な思いであった。

 そんなこんなで話しを終えたアーサーは今日もフロア周回をする。シェリルは勿論の事ながら、モルナもハンター登録をしていると聞いたアーサーは一先ず彼女もパーティに入れる事に。

 バタバタが続いていたアーサーであったが彼のやるべきことは変わらない。バットへのケリがついた今、後はひたすら母親の治療費と生活費を稼ぐのみ。

 モルナはまだ人Dランク。
 しかしアーサーとシェリルが炎Cランクの為、パーティを組めばモルナも一緒に炎Cランクのフロアに挑める。当たり前だが無茶は出来ない。それにモルナは身体能力の高い獣人族でアーティファクトも一応Dランクだがスキルが『会計士』だった。

 会計士は読んで字のごとく、戦闘向きのスキルではない。
 寧ろギルドには必要不可欠な“サポート系”のスキル。モルナのどちらかというと派手な見た目の印象とは対照的だなと思っていたアーサーであるが、流石獣人族というべきなのか、モルナは普通に実力も高い上に自らダンジョンに行きたいと言ったのだ。

 そして、今日も無事に周回を終わらせたアーサー一行。今日一緒にダンジョンに挑んだアーサーは改めて2人の強さを実感した。

(シェリルは言うまでもなく圧倒的な強さだったな。全く無駄のない流れる様な動きに思わず見とれてしまった。
それにモルナは『会計士』スキルだから僕よりも基礎能力値が低いのにも、やはり獣人族という生まれながらの素質で普通に戦闘力が高かった。戦う会計士なんて聞いた事ないぞ……)

 アーサーはそんな事を思いながらいつも通りに召喚で得たアーティファクトや魔鉱石をリリアに換金してもらい、この日はダンジョンを後にした。

**

 帰り道。

「さて。エレインも待っているし、早く晩御飯を買って帰ろうか」
「モルナもお腹空いたぁ。早く食べたい!」
「私は先にお風呂に入りたいです」

 当たり前の様にそんな会話をするアーサー達。だがアーサーは思っていた。

 いつまであの狭い家でこんな生活が続くのだろうと。

「さっさと引っ越してギルドを設立しな――」
「「……!?」」

 突如アーサー達に聞こえた声。
 それはこの場にいる3人のものではく、明らかに違う“他の誰か”であり、驚いたアーサー達は反射的に声が聞こえた方へ振り返っていた。

 するとそこにいたのは。

「え! イヴ……さん!?」

 そう。
 そこにいたのは他でもない、つい昨日会ったばかりのイヴ・アプルナナバであった――。

 突如目の前に現れた事に驚くアーサー。
 しかしイヴは驚くアーサー達をまるで無視するかの如く話しを続ける。

「全く。男ってのはどこまで浅はかなんだいアーサー。いいかい? アンタが狙ってる“ワンチャン”は起きないよ。夢の“ラッキーハーレム”展開なんて下らないものを期待しているぐらいなら、男らしく自分の行動でその展開を手繰り寄せな馬鹿者」
「なッ!?」
「ワンチャン……? ラッキーハーレム展開……?」

 イヴの発言にいまいちピンときていないシェリルは1人首を傾げている。

「ヒッヒッヒッ。シェリルがその手の類に無知で良かったねぇアーサー」
「い、いや、イヴさんッ! 僕は鼻からそんなつもりはッ……「へぇ~。アーサー様そんな事考えてたんだぁ。好青年そうな顔してイヤらしい~!」
「こ、こらッ、モルナまで! 違うって言ってるだろ!」

 意味をしっかりと理解しているモルナはイヴに乗ってアーサーをからかった。

「まぁアーサー様は私の命の恩人だし、モルナはいつでも“その”準備は出来てるわ☆なんなら今夜にでも」
「も……もう止めろモルナ! そんな事より何の用ですかイヴさん!」

 思いがけない角度からの攻撃に焦ったアーサーは強引に話を戻したのだった。

「必死だねぇアーサー。ヒッヒッヒッ。まぁそれは一旦置いて、実は昨日話し忘れた事があってねぇ。アンタ、早く“ギルド”を建てな。話はそれからだよ――」

 聞き間違いではない。

 夕日が沈みかけた薄い空の下で、イヴは確かにギルドを建てろとアーサーに告げた。

「え、ギルドを――?」
「「いただきます!」」
「狭くてボロい家だねぇ。家畜小屋かいここは?」

 突如アーサー達の前に姿を現したイヴ・アプルナナバ。
 彼女は急に現れた上にギルドを設立しろなどと言い出した挙句、その後の流れで何故か今アーサーの家に来ていた。

「そこまで言う事ないじゃないですかイヴさん……。狭くてボロいのは重々承知してますって」
「モルナこれもーらい☆」
「ちょっとモルナ! まだシェリルが来てないでしょ」
「私の事は構わないで結構です。先に召し上がって下さい」

 小さな食卓を皆で囲うアーサー達。エレインがご飯を並べているが、待ちきれないモルナは一足先に食べ始める。そして自分の名前を呼ばれた事に気が付いたシェリルがお風呂場のドアを開けてそう告げた。

「あ、お兄ちゃん今見たでしょ!」
「いやッ……み、見てないって!」
「あ~、アーサー様やっぱりそういうの狙ってたんだ」
「そういうのってどういう事?」
「へへへ。実はねエレイン、アーサー様ったらッ……「違う! やめろモルナッ!」

 あらぬ容疑を掛けられそうになったアーサーは間一髪の所でモルナを止めるのに成功。しかし完全に白とは言い切れないアーサーは歯切れの悪い対応で必死にエレインを誤魔化すのだった。

「騒々しいねぇ全く」

 そんな光景を見たイヴが静かに呟く。彼女が“本体”であったらとてもじゃないが狭くていられないだろう。

「それにしても凄いですね。これってイヴさんのスキルですか?」
「いいや。これはアーティファクトの効果だよ。自分の“思念体”を飛ばして操作出来るのさ。じゃなきゃわざわざアンタの前に現れないよ。遠いし疲れるじゃないか」

 それを聞いたアーサー達は皆納得していた。確かにあんな山からいちいち動くのは大変だ。

「だから何度も言っているが、私はそんな事をアンタ達に伝えに来たんじゃないよ。ギルドの話をしに来たのさ」

 そう。イヴがわざわざアーサーの元へ来たのは、後にも先にもこれが理由らしい。

**

 世界は確実に“終末”に近付いている――。
 
 これがイヴの話の始まりであり、彼女曰く、先日ギルド『精霊の宴会』がダンジョンのフロア90に到達した事によりダンジョンの“終わり”が一気に現実味を増した。

 突拍子もない話であったが、この話の概要はツインマウンテンの時にも既にアーサー達は1度聞いていた。もう100年近く前にハンターとしてギルド『一の園』を設立したイヴ。彼女も当然ハンターであった。

 そしてそんな彼女のスキルはアーサーがリリアとも話していた『魔術師』のスキルであり、イヴは50年以上も前にその魔術師の特殊スキルであった“魔眼”を使用した代償で力の全てを失ってしまったそうだ。

 そもそものきっかけは些細な事。
 かれこれ50年以上ハンターとしてダンジョンに挑んでいたイヴは何時からか自分や人類の限界を感じていた。どこまで続いているのかわからない、最後に何が待ち受けているのか分からないダンジョンという凄まじく高い壁に希望を見失いかけていた。

 そんな時、彼女の『魔術師』スキルがレベルMAXに到達。そこで魔術師の特殊スキルである魔眼を習得したイヴは、現状の先が見えない壁の打破と、これからのハンターや人類の未来、ダンジョンの理を知る為に魔眼を使用した。

 魔眼の効果は“未来を視る事が出来る力”。

 この魔眼の使用回数はレベルに関係なく“1度のみ”。
 更に魔眼を使った者はその代償として永久にハンターとしての力を失う――。

 払う代償が大きいと当時周りの仲間達は彼女を止めたが、世界の未来がこれに懸かっていると本能が自らに訴えかけていたイヴは魔眼を使用する事を決意。その刹那、イヴの頭の中にはこれから起こるであろう“未来”の情報が膨大に流れ込んだのだ。

 割れそうな程の頭の痛み。
 
 そして。

 その痛みが治まった頃、世界でただ1人、イヴだけが世界の未来を視た――。

**

「イヴさんの言いたい事は分かりましたけど、何で急にギルドが必要なんですか?」

 アーサーの率直な疑問。だがこれは話を聞いていたエレインも同じ事を思っている。イヴと初対面のモルナはそんな話よりもご飯に夢中だ。

「これも昨日話したと思うが、私が魔眼で視たのは“魔王”の誕生と世界の終末。そしてそれを救えるのは勇者であるシェリルなのさ。だからこそシェリルには仲間とギルドが必要。いくらあの子が強くても、1人では魔王を倒すどころかそこまで辿り着けないからねぇ」

 ツインマウンテンでの出会いからアーサーがイヴに対して分かっている事。それはイヴという人物が100歳を超えているのに滅茶苦茶元気――いや、それどころか全く歳を感じさせない50そこそこに見える外見と、基本的に口が悪くせっかち気味であるという事。

 逆を言えばアーサーはまだイヴの事を全然知らないのだが、今目の前で話す彼女の思念体は間違いなく微塵の冗談も言っていない。アーサーはそう感じていた。

「話は分かりましたよ。でも僕も昨日言ったと思うんですけど、決してイヴさんを疑っているという訳じゃありません。ただ話が余りに突拍子過ぎて、正直実感がまるで湧かないんでよ……。
ダンジョンには魔王が存在するって事ですよね? その魔王が世界を滅ぼすと。そしてそれを救えるのがシェリルだと」
「ああ、そうさ。まだ私を疑っているとは、どこまで馬鹿者なんだいアンタは」
「いえ、だから疑っている訳じゃないですって! そもそも何でイヴさんは僕なんかに世界を救うシェリルを任せているんですか? ギルドだって僕ではなく、ジャックさんに頼んで精霊の宴会に入れてもらった方が絶対にいいと思いますけど……」

 客観的に見てもアーサーの言う事が正しいだろう。
 世界最強のハンターであるジャックが率いる精霊の宴会。このギルドが世界一なのは間違いない。ならばそれ相応の実力があるであろうシェリルもそこに入るのが最も良いと考えるのが普通だ。

 しかし。

(話はそんなに単純じゃないのさ。強いだけでは解決にならない。世界を――そしてシェリルを救えるのは“アンタしかいない”んだよアーサー)

 イヴは1人そう思いながら静かにアーサーを見つめていたのだった。

「それじゃダメだからアンタに言ってるんだよ馬鹿者。シェリルは元々“奴隷”でねぇ。そんな彼女の才能を買ったのが他でもない、エディング装備商会のトップであるオーバト・エディング。更に奴は自分にメリットしかない安い契約をシェリルに結ばせ、都合良く彼女を使っていたのさ。

だから私はシェリルと共にその契約を破棄するべく動いていた。
オーバト本人は確かに隙が無い男だったが、息子のバット・エディングは面白い程単純でアホな男。アンタも知っているだろう?
これまで息子の悪事を揉み消していたオーバトに、私はついこの間“ある証拠”を叩きつけてやったのさ。

この証拠を世に出さない代わりにシェリルを渡しなとね。
そして結果はこれ。
オーバトは私が思っていた以上に息子に手を焼いていた様だねぇ。その証拠と他にも諸々突きつけてやったらシェリルとの契約を破棄したのさ」

 一気に衝撃の事実を聞かされたアーサー。
 彼は戸惑いあたふたしながらも懸命に今の情報を整理した。

「私の他に世界の未来を知るのはジャックのみ。奴は内からオーバトの情報を得る為に水面下で動いていに過ぎない。勿論同時にダンジョン攻略も本気で目指しているから、結果的にエディング装備商会の力はジャック達にもかなり役立った。肝心なのはその力をしかと理解して利用出来ているのかどうかさ。

運良くシェリルを奪い返せた上に、私がジャック達と繋がっている事も悟られずに済んだのは大きいねぇ。だからシェリルを精霊の宴会に入れるのは簡単だが、それでは折角のアドバンテージをみすみす棒に振るようなものだ。馬鹿でもこれぐらい分かるだろう? ヒッヒッヒッ」

 事の経緯を話すイヴは不敵な笑みを浮かべていた。
 これではどっちが悪者か分からないと思ったアーサーであったが、当然そんな事は口にしなかった。

 差し詰まるところ、このままイヴとジャック達の関係がバレないよう、且ついい感じに目くらましをする為にもギルドを建てろと言う事だ。イヴからの目に見えない圧力を感じ取ったアーサーは最早ただ頷く事しか出来なかった。

「ギルドを建てればアンタにだってメリットしかない。実力を認められればもっと稼げるようになるからねぇ。それこそエディング装備商会と契約でもすれば、奴から大金を奪えるだろうねぇ。ヒッヒッヒッ!」

 イヴのこの何気ない一言は、アーサーをその気にさせたのだった――。