馬車を降りると、目の前には淡い朱色に染まった街並みが広がっていた。

 
 道の両端に立ち並ぶ木造の建築物。
 店頭には所狭しと売り物がひしめいていて、凄い人込みだ。
 時間的に、灯りを付ける店もあれば店じまいの準備を始めるところもある。
 それらも含めて、俺は「活気に満ちてる街だなぁ」という感想を抱いた。

 首都なので、この国の城のお膝元だ。
 俺も一度は来たことがある筈なのだが、今になって初めてそんな感想を抱くあたり他国の城下の雰囲気まで気にする余裕が無かったらしい。


 が、不思議なものだ。

(種族の違いこそあれど、人の多さも店数もルドヴィカ王国と大して変わらない。なのに「活気に満ちてる」と思う理由は、多分街の人たちの顔つき……かな?)

 そう思いながら街の人々の顔を見る。


 仕事で浮かべる笑顔もあれば屈託のない笑顔もある。
 悔しそうな人も居れば、少し苦しそうに重い荷物を持ちあげる人だっている。
 しかしそれさえも、この街では彩の様に見えるのだから本当に不思議でならない。

 こんな風に新たな世界に出会えた事だけでも、既に「この国に来てよかった」と思える。
 が、出会いもあれば別れもあるもので。


 クイナも馬車を降りた所で、ダンノとメルティーとは別れる事になった。
 ダンノと手を繋いで歩いていくメルティー。
 その背中を眺めながら、クイナは寂しそうに「メルティ―……」と呟く。

 しっぽも耳も、あからさまにショボン状態。
 そんな彼女の肩にポンと手を置き「大丈夫」と言ってやれば、縋る様に彼女が俺を見上げてきた。

 まるで今生の別れかの様な素振りだ。
 そう思ったら不謹慎だと分かっていても思わず笑ってしまいそうになる。

「そんな顔してんなよ」

 涙目のクイナにそう言えば消え入るような「だって~……」の声が返ってきた。

 だから言ってやったのだ。
 また会いに行けばいいだろ、って。

「また……会えるの?」
「もちろんだ。ダンノさんがやってるっていう商会の名前は聞いてるし、俺達だってこれからはこの街に住むんだぞ? いつでも会える。身の回りの事が落ち着いたら二人で行ってみればいいだろ?」

 な? だから大丈夫。
 もう一度そう念を押せば、やっとクイナの表情が綻んだ。

「ぜっ、絶対! 絶対なのー!」
「はいはい、絶対な」

 俺の腰に飛ぶように抱き着きブラーンと足を浮かせたクイナは、メルティ―とはよっぽど気が合うんだろう。
 でなければ、こんなアグレッシブな方法で再会をせがんできたりしない。

 そこまで再会を喜ぶくらいの友達だ、その縁を断ち切らずにいてやりたいなと保護者ながらに考える。
 が。

「おーい、クイナいい加減に離れろー? 行きたい所があるってのに歩きにくくて敵《かな》わんわ」
「行きたい所?」
「そ。良い所だぞ」
「っ!」

 俺の『良い所』発言に、彼女はすぐに地に足を付けた。
 そんな実に分かり易いクイナに、俺は「さて」と声を上げて手を差し出す。
 
「人が多いから、ここからは手を繋ぐぞー。で、この後はちょっと俺の『やりたい事』に付き合ってほしいんだよ」
「『やりたい事』?」
「そう。前に言っただろ? 俺の目的は『ずっとやりたかった事をやっていく事だ』って。クイナにも一緒にやってほしくて。どうだ?」

 そう尋ねると元気のいい「うんなの!」が返ってきた。
 だから俺は「よし、じゃぁ行こう!」と、意気揚々と歩き出す。



 街を歩けば、この国の人種の豊富さを改めて実感した。
 
「ねぇアルド、あの人は?」
「エルフだな」
「あっちは?」
「ドワーフ」
「じゃぁあの人」
「あの人はお前と同じ獣人――ってそれは流石に分かるだろ」
「えへへー」

 「バレたの」みたいな顔をしながら俺を見上げてくるクイナに、こっちまで楽しくなって笑う。

 俺と同じ人族もいはするが、数はそう多くない。
 しかし少数派の彼らを含めて、特定の種族がただそれだけで虐げられているといった様子は見られなかった。
 どうやらこの国は、謳い文句そのままに種族間の共存が上手く成り立ってるようだ。



 と、しばらくの街を歩いていた所で、どこからともなく良い香りが鼻を掠めた。
 これはアレだ、焼ける肉とタレの良い香り。

「あぁ、あれだな」

 少し見回してその正体を突き止めれば、やはりそこには思った通り出店屋台が立っていた。
 掲げられたのぼりには、ここら一帯の共通語で『オーク肉の串焼き』と大きく宣伝されている。

「よしっ、行くぞクイナ!」
 
 隣を見下ろして弾む声でそう言えば、少し驚いたような顔のクイナが「えっ、うん?」と答えた。
 ちょっとテンションが上がってしまって、それまではちゃんとクイナに合わせてた歩幅が思わず大きくなっちゃったが、クイナもそんな俺に合わせて小走りで付いてきてくれる。

 そうして俺達は人の往来の流れを斜めに横切り、その屋台の前まで抜けた。

「おう、らっしゃい!」

 俺達が客だと気が付いた店番の男が、俺達に良い笑顔を向けてくる。


 その男の頬には薄っすら、うろこの様な模様がある。
 おそらく彼は、竜族か竜人族の血を引いてるんだろう。
 日に焼けた黒い肌にスキンヘッド、体も結構なゴリマッチョの男で、それでもどことなく爽やか印象なのは、多分飾りっ気の無い笑顔のお陰なんだと思う。

 そんな彼に、はやる気持ちを押さえつつ俺はまずこう尋ねた。

「あの、共通通貨は使えるか?」
「あぁ勿論だ!」
「良かった、じゃぁ俺とこの子のとで2串ください」
「あいよ!」

 と、俺の手をクイッと引っ張られた。

「どうした? クイナ」
「ねぇアルド、これを食べるの?」
「あぁそうだそ! ……って、あ。そういえば聞くの忘れてたけど、お前オーク肉は食べれ……そうだな」
「うん、好きなの!」

 肉類は好きだと言ってたが、「もしかして肉の種類によっては苦手があるかもしれなかった!」と少し焦りながら聞いた。
 しかし杞憂だったようだ。

 だって耳も尻尾もめっちゃ「嬉しい」を体現してるし、何より目がキラッキラと喜びに煌めてるんだから。
 もしこれで「苦手」と言われたら、思いきり「嘘つけ!」と叫ぶところだ。



 まぁとりあえず、おいしく食べれそうで良かった。
 そう思っていた所に、クイナが男を見上げて言う。

「この街に来て初めてのご飯なの! 一番おいしいの頂戴なの!!」
「おっそうなのかい? じゃぁ一番良いのをあげなきゃなぁ!」

 子供であるクイナの我儘に笑顔で付き合ってくれる辺り、風貌はちょっと怖い系だが思いの外良い人のようだ。
 一応「この子がすみません」と謝れば、彼は豪快に笑いながら「あー、良いの良いの」と言ってくれる。

「可愛いなぁ。お嬢ちゃん、幾つだい?」
「8歳、なの!」
「そうかぁ、今が可愛いお年頃ってやつだなぁー」

 そんなやり取りをしながら、香ばしく焼けた串が2本取り上げられて。

「ほら嬢ちゃん、熱いから火傷するなよ!」
「ありがとなの!」

 ホクホク顔でその串を受け取ったクイナを見つつ、俺は密かに「クイナって8歳だったのか……」なんて事を思う。
 見た目年齢で6、7歳かなとは思ってたけど、そういえばちゃんと聞いた事が無かったと今更ながらに気付いてしまった。

 と、そんな俺にも串が差し出される。

「はい、兄ちゃんも!」
「ありがとうございます」

 お礼を言いつつ串と入れ違いにお金を渡し、クイナ「じゃ、行くか」と告げる。
 すると彼女は薄紫色の瞳をキョトンとさせてつつ首を傾げた。

「食べないの?」
「勿論食べるよ。でも言っただろ? 『俺のやりたい事に付き合ってくれ』って」

 言いながら、歩き出す。
 するとまだ良く分かっていないながらも、付き合ってくれる気はあるらしい。
 彼女の為に開けておいた右手を、小さな左手がギュッと握ってきた。


 
 道行く人々の顔は、もう既に良くは見えない。
 落ちかけた夕日に照らされる視界は少し薄暗く、こちらに向かって歩いてくる人の顔は逆光もあって黒い影になって見える。

 それでもまだ沢山の人がメインストリートを往来していて、その人込みに俺達も紛れる。

 嬉しかった。
 この景色の一部になれている事が。
 誰も俺達を振り向いたりしないこの状況が。
 だってそれは今までずっと、俺が決して味わう事の出来なかった事だから。

 そして俺が『ずっとやりたかった事』は、その延長線上に存在する。

「……俺、ずっと『街での歩き食い』っていうのをしてみたいと思ってたんだ」

 呟くように、3つ目をカミングアウトした。
 するとクイナが俺を見上げてこう聞いてくる。

「歩き食いって、歩きながら食べる事……なの?」
「うん、その通り」
「やりたいんならすれば良かったのに」
「それが簡単に出来れば良かったんだけどな……」

 心底不思議そうなクイナに、俺は少し苦笑する。


 以前の、王太子だった頃の俺にはそもそも、城下へ降りる事さえ許されてはいなかった。
 視察として道を通る事はあっても、安全性を考慮すれば今の様に人に混じって歩くなんて許される筈が無かったし、市井の物を口にするなんて事も言語道断の類だった。
 そんなダメとダメが組み合わさったかのような『歩き食い』なんて経験、まさかさせてもらえる筈が無い。


 しかしこれは、クイナが知らない世界の常識だ。
 そして別に知らなくていい。

「俺が前居た所は、クイナが思う『当たり前』が叶わない場所だった。そういうルールだったんだよ」

 必要な所だけを掻い摘んで教えてやると、キョトンとした顔で「そうなの?」と言ってくる。
 それに頷けば今度は「むぅ」と唸りながら何やら考え、憂鬱そうに言葉を吐いた。

「それって何だか、とってもとっても窮屈そうなの」
「そうだな、俺もそう思う。でも今は、俺ももうそのルールから解放された。だから良いんだ」

 そう言って、俺はまだ湯気が立ち上る串焼きにかぶりつく。
 するとタレの香ばしさと共に、肉の中に閉じ込められた肉汁がジュワッと溢れてきて。

「あっふ(熱っ)!!」

 突然の事にビックリして、軽くパニックを起こしてしまう。

 
 噛み切った肉が口の中で、舌を攻撃して痛い。
 超痛い。
 さっきは「熱い」って言ったけど、もう痛いとしか思えやしない。

 「なら出したらいいじゃんか」ともしかしたら思うかもしれないが、せっかく初めての『歩き食い』なんだし、痛みで味とかイマイチ分からないんだけど、多分肉自体は美味しい。
 そういう理由で半ば無意識に、「口から出す」という選択肢は全く思いつかなかった。

 だからどうにか熱さから逃げようと、口の中で肉ハフハフと転がした。
 正直言って、涙目だ。


 そうやってどうにか食べられる熱さまで温度を下げる事に成功し、改めてモグモグと咀嚼する。

「ふん、ほいひい。はめははふほほはひはへる(うん、美味しい。噛めば噛むほど味が出る)」

 肉だけじゃない。
 味付けに使っているタレも良い。

 城で出る料理には大抵香辛料がたくさん使われていたんだけど、それとはまた「コンセプトが違う味付け」という感じだ。
 なんかこう、ちょっと脂身が多くてコッテリ気味の肉の味を邪魔しない、最低限の絶妙な味付けという感じだ。
 何だかのど越しの良いアルコールが飲みたくなる。
 ……まぁ今はクイナも居るし、実際には飲まないけど。
 

 しかし、それにしても。

(正直言って、「熱さ」をかなり舐めてたわ~。そもそも熱さに注意するとか、今までは無かったし……)

 そんな風に一人言ちる。

 今まで出てくる料理たちは全て毒見が必要だったから、俺の口に入る頃には既に冷めてしまってた。
 だからそういう危機意識を抱く機会が無かったのだが。

(熱いって、痛いんだなぁ)

 生まれてこの方18年と少し。
 この時俺は、初めてそんな事を知ったのだった。


 因みにクイナはと言うと。

「めっっっっちゃ熱いから気を付けろ?」
「うんなの! ……(モグモグモグモグ)……おいしいの!」
「あ、そう……」

 俺なんかよりもずっと熱いものの食べ方が上手だった。
 そして俺の口の中は、この日一日水を飲む度にピリリと痛むことになる。
 
(こりゃぁちゃんと熱いものを上手く食べる練習、しないとダメかぁー……)
 
 何だかちょっと恥ずかしいので、クイナにも内緒で俺は密かにそんな目標を立てたのだった。



 2人して串を食べつつ、俺達は夕日に向かって歩いていた。

 別にセンチメンタルな気持ちだったからじゃない。
 もっと実用的な事を心配してだ。


 そして見つけた。

 『天使のゆりかご』

 そう書かれた建物を。



 ダンノさんに教えてもらったその宿は、「洗練されている」という言葉がピッタリな外観だった。
 何というかこう、飾りっけが一切無い。
 もしかしたら「人を呼び込む気が無い」と言い変えても良いかもしれない。

 他よりちょっと大きな民家という風貌で、もし看板が無ければ宿屋だとは思わなかっただろうと思うくらいだ。

 そんな感じだから、申し訳ないが今の所は名前負け感が否めない。


 しかしまぁ、せっかくダンノさんが教えてくれた宿である。
 他にツテも無いんだし、俺もそれほど高望みはしていない。

 だからクイナの手を引いて、明かりが漏れるそのドアにゆっくりと手を掛けた。



 押し開くと、外が暗かったからだろうか。
 室内の明かりが少し眩しい。
 瞑るまでは行かなくとも、思わず目を細めながらドアをくぐる。

 と、その瞬間。

「あ、お泊り希望の方ですか?」

 ――天使に出会った。
 そう思った。


 もっと具体的に言えば、まるで天使かと思うような慈愛に満ちた微笑みの持ち主が、背中に白い羽を背負《しょ》ってそこに居た。
 これを「天使」と言わずして、一体何と言えばいいのか。

 ……否、分かってる。
 彼女が天使じゃないって事くらい。

 ここは他種族国家であり、種族の中には翼を持つ種族も居る。
 名を、天族。
 古い伝記では、それこそ神の御使い・天使と表現される事だってある種族だ。


 が、ここで一つ小さな謎が氷解した。
 宿屋の名前の一部の事だ。

 それに一人で納得していると、多分ずっと反応しない俺を不審に思ったんだろう。

「あの……?」
 
 「どうしましたか?」と聞きたげな黒瞳がこちらを見てくる。
 それでやっと、俺の方も我に返った。

「あ、すみません。宿泊希望なんですが空いてます?」
「はい大丈夫ですよ」

 俺の答えに彼女は安堵と喜びの表情を覗かせながら応じてくれた。
 そしてちょうど手に持っていた白いシーツをカウンターの脇に置きつつ、更にこう聞いてくる。

「何泊のご予定ですか?」
「あ、その辺まだちゃんと決まってなくて。定住の為の下見に来たようなものなんですけど……」
「あぁそうなんですね! ここの定住者は比較的穏やかな人が多いので、お子さん連れでも安心ですよ。きっと気に入ってもらえるんじゃないかなぁ」

 嬉しそうな顔でほのほのと笑う彼女に、俺は心臓のど真ん中をズガンッと撃ち抜かれたような気持ちになる。

 可愛い。
 可愛すぎる。
 もし手を繋いてなかったら、クイナの存在を忘れてしまったかもしれない。
 そのくらいの衝撃だ。

 ごめんクイナ、許してくれ。
 確かにお前は愛嬌のある良い子だが、それとこれとは別腹だ。


 いやいや、というかそんな事より。

(何なんだ、この今までに感じた事の無いトキメキは……!)

 立場上、今までどれだけの女性からアプローチを受けてきたか分からない。
 その誰もが懸命に着飾り、丹念に化粧をして磨き上げて。
 中には俗に言う「美女」という人たちも沢山居た。

 しかしそれでも、こんなにもトキメいたのは初めてだ。


 何故だろう。
 目の前のこの人は、全く着飾ってはいないのに。

 接客業だからそれほど汚い恰好をしている訳でもないが、着ているのは平民の普段服だし。
 捲られた袖とか、邪魔にならないようにと結わえ上げられた髪から少し落ちてる後れ毛とか。
 そういう所はむしろ生活感があると言って良い。

 なのに何故かこんなにも、俺の目を引いてやまない――って、もしかして。
 
(……否、むしろそれが良いのか? 俺はそういう、ガッチガチの戦闘服よりも隙がある格好とか笑顔とか、そういうのの方が好みなのか?!)

 王子である時は、結婚は政略の為の手段だった。
 だからそんなものを大して意識もしてこなかった。
 だけどまさか、こんな所で自分の好みと初対面とは。

 これだから人生分からない。


 廃嫡されて以降俺は、何度か新しい自分に出会った。
 しかしその中でも、これは一二を争う革新的な発見だ。

 ……と、何だか良く分からないテンションのまま俺が胸を躍らせていた、その時だ。

「あれ? お客さんかな?」

 カウンターの奥の方から、少し気の弱そうなコック服のメガネの男がひょっこりと顔を出してくる。

「えぇそうなの! この街に定住するための下見なんですって!」
「へぇ、それは嬉しいな」

 彼女の言葉にすぐさま相槌を打った彼は、彼女ととても気心が知れているという感じだ。
 俺を見ると、目じりにシワのある顔で「お客さん、是非ゆっくり見ていってくださいね」と言ってくれる。

「あ、はい。ありがとうございます」

 そう言葉を返すと、それで満足したのだろうか。
 彼はまた奥へと引っ込んでいった。


 この宿のコック……だよな?
 そんな風に思っていると、その機微を察したのか彼女がすぐに教えてくれる。

「彼はこの宿の店主で、ズイードと言います。そして私はその妻のマリアです」

 そうか、この人はマリアさんというのか。
 天使かと思ったら、まさか聖母だったとは――って。

「えっ」

 そこまで考えて、俺は思わず声を上げる。


 今何って言った?
 『妻』?

「妻、というと……」
「はい、この宿は夫婦で切り盛りしているですよ!」

 そうじゃない。



 引っかかったのはそこじゃない。
 が、意図せず答えは得られてしまった。
 俺にとってはちょっと残酷な答えがまさかの。

(くそっ、折角ちょっとマリアさんを好きになりかけてたのに。……否、なりかけ時点で分かってむしろラッキーだったのか?)

 どっちだろう。
 否、どっちでもいい。
 何も始まらない内に失恋とか、世の中世知辛すぎるだろ。

 そう思えば、内心ガックリ来てしまう。
 が、当の本人はそんな事なんかには全く気付かず、仕事を続行しにかかる。

「じゃぁとりあえず連泊予定という事で良いですか?」
「あ、はい……」
「もし宿泊の必要が無くなったら言ってください。前日までに言っていただければ問題ありませんので」
「分かりました……」
「お値段は、一人一泊で銅貨2枚になりますが……」

 何泊分払っておきます?
 まだ失恋ダメージから回復していない俺に、彼女の目がそう聞いてきている。

 俺は少し考えた後、とりあえずキリの良いところで数泊分と考えて銀貨2枚を懐から出した。

「じゃぁこれで」
「えーっと……はい。ではお二人で5日分、頂戴しますね」
「お願いします。それ以上になりそうな時は、またお支払いしますので」
「はい。では早速お部屋へとご案内しますね」

 そんなやり取りをして、彼女がカウンターから出てきて部屋まで先導してくれる。 


 その後ろをついて歩きつつ受付のすぐ隣にある階段を登りながらも、話はまだ少し続いた。
 
「お食事は?」
「あ、実はちゃんとした晩御飯はまだなんですけど」
「ならうちの食堂でもお出しできますので、お気軽にご用命ください。予約とかは要りません」
「ありがとうございます。じゃぁ早速今日の夕食、良いですか?」
「はい勿論! ……と、ここですね」

 そう言って辿り着いた先にあったのは廊下の突き当り、一番奥の部屋だった。

 
 扉を開けてくれたのでとりあえず中を覗いてみると、部屋にはベッドが2つ設置してある。
 その他には、2脚の椅子とテーブルと、後は特に何もない簡素な感じの部屋だった。

 しかし俺は思いの外満足していた。
 その理由はたった一つ。

(ザッと見ただけでも、部屋の隅々まで掃除が行き届いてるのがよく分かる。これまで幾つかの宿屋に泊まってきたけど、ここまでのクオリティーの所は無かった。こりゃぁ紹介してくれたダンノさんに感謝だな)

 丁寧な仕事を見るのは好きだ。
 俺にとっては、高い物で飾り立てられた部屋よりもこの方がよっぽど好感度が高い。


 そんな感想を抱いていると、俺の後ろからクイナがヒョコッと中を覗いた。
 そしてすぐに、顔をパァッと明るくする。

 そして獣人の脚力に任せてタッと床板を蹴ると同時に、ベッドに向かってダイブした。
 正直言って、止める間も無い。
 というかクイナ、今まで一度もそんなのした事なかったくせに。
 ……まぁしたくなる気持ちは良く分かるけど。

 だって室内が綺麗に掃除されているのと同様に、シーツだって真っ白だ。
 そんなものを前にしたら、とりあえず飛び込みたくなるのも仕方がない。
 特にクイナみたいに、好奇心旺盛な子供なら。

 
 人様の前でお転婆さを晒したクイナに俺は小さく「お行儀悪いぞ」と言っておいたが、まぁこのくらいは年相応でもあるとも思う。
 という事で、それ以上は特に咎める事もしない。

 カギを受け取り、後で食事に下りる約束をしてマリアと別れてドアを閉めた。

 
 そしてクイナがダイブしなかった方のベッドに腰を掛け、荷物を横に置いてから仰向けにゆっくりと倒れ込む。

(……来たんだなぁー、ここまで)

 天井の木目を眺めながら、俺はぼんやりそう思った。
 
 城を出て、そのままこの国に直行して。
 それがわずか10日前の事だなんて、密度が濃すぎて実感が薄い。
 
「3日目からは、特にクイナが居たから特になぁー」

 そう呟きつつ、目がクイナの姿を探す。
 が、ベッドに居ない。

 「アレどこ行った?」と探そうとしたが、その必要はすぐに無くなった。

 
 だってクイナは、俺のベッド上空を――飛んでいたから。

「どわっ?!」

 おそらく隣から飛び込んできたのだろう彼女との正面衝突を、反射的に回避する。
 すると一体何が楽しかったのか、クイナはキャッキャと笑い出した。

「ど、どうした? クイナ」
「呼ばれたから来たの!」

 呼んでない。

「アルド、『クイナ』って言った!」

 あぁー……、それはまぁ確かに言った。


 どんな理由があったって、人様のベッドにいきなりダイブしてくるのはどうかと思う。
 が、「呼ばれたから」という理由で言葉の通り《《飛んで》》きた彼女の健気さは、まぁそれなりに可愛らしくもあるもので。

「……はぁ、全くしょうがないヤツ」 

 でもだからってクイナの頭をナデナデしながら息を吐くだけでクイナを許す俺はちょっと、もしかしたら甘いのかもしれない。



 まぁとりあえず無事に到着し、当面の寝泊まりする場所も確保できた。

 金もまだある。
 今後は今までの様に急ぐ必要もない。
 マイペースにやっていこう。

「やりたい事も、一緒にやっていきたいしなぁ」

 ナデナデが止まらないままの俺のそんな呟きに、クイナがガバッと顔を上げた。
 見れば何かを思い出したような顔で、「ねぇねぇねぇねぇ!」とテンション高く言ってくる。

「ねぇアルド! クイナ、『やりたい事』がまた出来たの!」
「おー、何だ?」
「メルティ―と会う!」
「あぁそっか、そうだった」

 それについては、わりとすぐ叶えてやれる。
 
「明日にでも会いに行ってみるか」
「っ! うんなの!」

 元気よくそう返事した彼女の尻尾が、俺の隣で右に左にゆっくりと揺れている。
 ただそれだけで、クイナのご機嫌さは太鼓判だ。

 
 こうして俺達はしばらくの間まったりと休憩した後、2人揃って夕飯を食べに下へと降りたのだった。



 階段を降りた所で早々にマリアと会った。

 ちょうど気付いた彼女のからの誘導を得て、俺は受付カウンターがある広間を抜けてその奥の部屋へと入る。
 すると途端に辺りが騒がしくなった。

「ワイワイなのーっ!」

 クイナのテンションが一気に急上昇だ。
 
 先程までの静かだった広間とは打って変わって、この部屋は最早酔っ払いたちのどんちゃん騒ぎに近いものがある。
 だからまぁ、そうなる気持ちも分からなくはないんだが。

「もしかしてこれ、遮音結界を張ってるのか……?」
「そうなんですよー」

 言われて振り向けば、マリアがカウンターの中から「こちらにどうぞ」とカウンター席を進めてくる。
 そこに腰を下ろしたら、彼女は笑いながら「遅くまでこんな感じの事もあるから、結界張っておかないと宿泊客に迷惑で」と教えてくれた。
 
 確かにそれは、必要な気遣いなのかもしれない。
 喧騒を前に、そう思う。

 遅くまで騒いでないにしても人によっては早く寝る者だって居るし、子供なんて猶更だ。
 クイナを抱える身としては、そういう配慮は確かに嬉しい。

 が。

「それにしても凄いなぁー。ここまで見事な結界なんて、早々お目に掛かれない……」

 そう言いながら、俺はしげしげと部屋に張られた結界を見る。


 城にもこの手の結界はあった。
 が、それは例えば重要な会議をする部屋や、国王陛下の執務室くらいのものである。
 結界魔法の類は基本的に、使える術者が限られている分施すための金銭的負担も多く、本来ならばいくら王都だとは言ってもこのグレードの宿屋に施せるものじゃない……という認識だったんだけど。

「もしかしてお客さん、ルドヴィカから来られたんですか?」
「え、えぇ。でも何で分かって――」

 俺は一度も、そんな事は言っていないのに。
 そう思えば、元の素性が素性なだけに流石に警戒せざるを得ない。


 今の俺は完全に平民だ。
 けどもし素性がバレれてしまえば面倒事に巻き込まれる可能性が高い事くらいは、俺にだって簡単に想像がつく。
 しかしそうやって瞬時に身構えた俺を、彼女は可笑しそうに笑った。

「簡単ですよ。ルドヴィカでは希少な魔法なんでしょうが、ここではそれほどでもないんですよ」
「え?」
「知りません? 結界魔法は聖魔法の一種。そして私達『天族』は聖魔法に先天性の適性があるんですよ」
「あっ!」

 そういえばそうだった。
 いかんな、どうもあちらの国の常識に引っ張られる。

「じゃぁもしかしてこの結界も……?」
「はい、私が張ってます」

 なるほど。
 それなら確かに安価とか高価とかは関係ない。


 それにしてもマリアさん、こんな涼しい顔をして結界張りっぱなしって、実は凄い人なんじゃぁ……。
 そう思いながら思わずしげしげと見つめてしまうと、マリアさんは「私は普通の天族ですよ」と言いながら、背中の羽をバサリと鳴らす。

 笑顔だけど圧が凄い。
 まるで「これ以上は深堀しない方が身のためですよ」と言われているような気分になって、俺はこれ以上の詮索を止める。

 俺だって自分の素性を探られると困るんだ、人にもしない方が吉である。


 が、そんな俺の冷や汗とは裏腹に、クイナは目を輝かせてマリアの翼を見上げて言った。

「わぁーっ! お姉さんの羽、とっても綺麗なのーっ!」
「フフフッ、ありがとう。えーっと……?」
「あっ、すみません。申し遅れました、俺はアルド。こっちがクイナです」
「クイナなの! よろしくお願いします、なの!」

 自己紹介をしながら俺がポンッと軽くクイナの背中を押してやると、クイナはちゃんと自分でマリアに自己紹介をし直した。
 うん偉い。


 一方クイナの名乗りに対しマリアもほのほのと笑いながら中腰になり、クイナと視線の高さを合わせてくれる。

「こちらこそよろしくお願いします。クイナちゃんのお耳と尻尾も可愛いわ」
「えへへーっ!」

 なん……だと?

 この一瞬でクイナの心を鷲掴みにしてみせたマリアに、俺は思わず驚愕する。
 が、ちょっと待て?
 これはクイナはチョロ過ぎる気のが問題なのでは?
 うーん、心配。 

「……ん? アルドさん?」

 そんな考え事をしていたから、反応するのにちょっと遅れた。
 思わず「え? あぁ」と言いながら内心段々と恥ずかしくなっていく。

 だってこれってアレじゃないか。
 ――まるで親バカみたいっていうか。

「そっ、それにしても人、とっても多いんですね」

 はぐらかすようにそう言うと、マリアは困ったように笑う。

「宿屋なのに泊りの人よりこっちの方が多いなんて笑っちゃうでしょ?」
「あ、いや、別にそういう訳じゃ……」

 確かにさっき案内された時の部屋数とここに居る人たちの人数は、逆立ちしたって合ってくれない。
 そのくらいの大盛況さだが、別に悪い印象を受けた訳でも無い。
 「ちょっと気になっただけだったのに、もしかして厭味ったらしく聞こえたか」とちょっと慌ててしまっていると、彼女は「分かってますよ」と言いながらこれまたコロコロと笑ってくる。

 ヤバい、完全に手のひらの上で転がされてる感。

「食堂だけの利用もできるので、夕飯時間帯は特に近所の方や帰ってきた冒険者が晩御飯だけ食べて帰宅されるんですよ」
「あぁなるほど」

 だから客層も屈強な男性客が多いのか。
 そんな風に納得しながら、俺はやっと勧められたカウンター席にクイナと並んで腰を下ろす。

「そういえばクイナ、さっき串食べたけど夕飯食べれるか?」
「大丈夫なの! むしろさっきの食べてもっとお腹減ったの!」

 大人用の椅子に半ば飛び乗りながら座ったクイナは、足をプラプラさせながら上機嫌。
 理由は簡単、多分あちらこちらから料理の良い匂いがしているからだろう多分。


るんるんクイナに「そうか、なら良かったけど」と答えていると、マリアがメニューを持ってくる。

「お客さんは、共通語は読めますか?」
「あぁはい、大丈夫です」

 そう言いながらメニューを受け取り、ふと疑問に思って隣に聞いてみる。

「クイナ、お前って文字は読めるのか?」
「読めないのー」
「そっか。じゃぁ一緒に読んでやろう」

 そう言って「どんなものが食べたいんだ?」と聞いてみれば、元気よく「お肉!」と答えられた。
 ブレない奴め。
 


 まぁとりあえず肉の種類はクイナに選ばせて、別でサラダを頼んで食べさせよう。
 じゃないと、間違いなく栄養源が偏っちゃうから。

「うーん、オーク肉はさっき食べたからな。あとはトカゲ肉とミノ肉……」
「ミノ肉なの!」
「了解。じゃぁマリアさん、ミノ肉のステーキとトカゲ肉のから揚げと、それからパンとサラダとスープをそれぞれ二つずつ」
「かしこまりました!」

 彼女はそう言うと、一度注文を奥に伝えてすぐに戻ってきた。
 ちょっと覗けば隙間からズイードがちょっとだけ見える。
 多分今、彼に言ってきたんだろう。
 
「あ、ところでマリアさん。ここでは共通通貨や共通語が主流なんですか?」
「え、あーそうですね。この国は他種族国家だし、共通語を使うのが誰にとっても一番平等で分かり易いですから」

 その答えに、俺は「やっぱりそうなのか」と独り言ちた。


 先ほどの屋台でも、店の男は俺の「共通通貨は使えるか」という問いに「勿論!」と即答してきた。
 この宿屋の料金も、何も聞かずに共通通貨を出したら当たり前のように受け取ってくれたし、今だって共通語のメニューが出てきたのだ。
 その辺の事情を想像するには十分である。

 が、おかしい。

(俺の記憶が確かなら、ノーラリア国にはこの国独自の言葉や通貨が存在した筈なのに)

 忘れもしない。
 この国との社交がかなり面倒だった事は。

 普通他国との社交では、どの国の王族・貴族も共通語を話す。
 しかしこの国の王族は頑なにそれを拒んで独自言語を使ってたし、金銭のやり取りも独自通貨での取引しか許してはくれなかった。
 
 が、蓋を開ければこの通り。
 そんな俺の中の常識と目の前の現実に、俺の頭は混乱する。


 と、俺の言葉にマリアさんが少し驚いたような顔をした。
 何だろうと思っていると、彼女が口元に手を当てて小声で俺に聞いてくる。

「アルドさんってもしかして、我が国の上層部に関わりがある方なのですか?」
「えっ?!」

 まさかそんな事を言われると思っておらず、俺は思わず声を上げた。
 ある意味図星だったから。

 俺が驚き顔を披露すると、どうやら彼女は「詮索されたくないが故」だと思ったらしい。
 まずは「すみません、探るような事を聞いてしまって」と謝罪した後で更に声を潜めて言った。

「しかしもしそのあたりの過去を隠したいのでしたら、そういうお話はあまりしない方が良いかもしれませんよ?」

 と。


 一体どういう意味なのか。
 そう思って首を傾げた俺だったが、理由はすぐに氷解した。

「実はこの国で独自語や独自通貨を使うのって『外交でだけ』なんですよ」

 そう言ってくれた彼女によって。

「え、そうなんですか?」
「えぇ。だって非効率でしょう? さっき言った通りここは多種族国家、それぞれに異なる言葉と文化を持つ人たちの集まる場所なんですよ? なのにそんな協調性の無い事をしちゃってたら、今頃はあちこちで喧嘩が勃発しまくりですよ。意思疎通不足が原因で」

 言われてみればその通りだ。
 が。

「じゃぁ何でこの国はそんな面倒な事を外交で……?」

 思わずそう呟けば、彼女は少し周りを気にしてからその答えを口にする。

「それは勿論、『相手の優位に立ちたいから』です」
「……は?」
「この国とやり取りをする時は、先方はいつもこちらに合わせないといけなくなる。その『させている』に優越感を抱く事が出来る……という役人の自尊心。そう、政府関連の常連さんが言ってました」
「えー、アホらしい」

 思わず口からついて出た言葉に、マリアはまたフフッと笑う。

「その通りだと私も思います」
「――出来たよ」

 そんな風に声を掛けられて視線を向けると、先ほど会った男の人・店主のズイードが奥から歩いてくる。
 そして手に持っていたお盆を、俺とクイナの前へとそれぞれ置いてくれた。


 ふんわりと、良い匂いが立ち込める。

 見た感じやはり調味料の多用は無いように見えるが、それでもこんなに食欲をそそる香りを発しているんだから今にもお腹が鳴りそうで――。

 グゥー。

「……」
「……クイナじゃないよ?」
「何でそこで隠すんだよ」

 お腹鳴っても別に良いじゃん。
 そう言うと、彼女はムゥーッと頬を膨らませて俺の腕をペシペシ叩く。

「痛い痛い、もういいから早く食え」

 未だにジューッという音を立てている小さな鉄板の上の肉を指さして「冷めるぞ」と言ってやると、不服顔ではあったものの流石にソレは嫌だったんだろう。
 俺への攻撃が止み、隣ではクイナがいそいそと姿勢を正す。
 そして。

「いっただっきまーす!」

 高らかにそう言って、ステーキ肉をフォークに刺した。

 どうやらクイナのプレートは、お肉を子供の一口サイズに切ってくれている様だ。
 お陰で彼女の小さな口に、肉は一口で収まる。

「ん~! 美味しいのー」

 ほっぺたを両手で支えてモグモグしている彼女の顔は、今まで見た事も無いようなうっとり顔だ。
 これはよっぽど美味しいらしい。

 考えてみれば、周りの客たちだってわざわざこの宿屋に来てご飯を食べているのだ。
 それだけ味には定評があるという事なんだろう。
 
(……まぁそれにしても、ちょっと大げさだとは思うけど)

 クイナのオーバーリアクションに小さくそう苦笑しながら、俺もから揚げを口に含んだ。
 そして大きく目を見開く。


 パリっと上がった衣、噛んだ途端に染み出る肉汁。
 臭みが無く柔らかい肉は、咀嚼する度に旨味を口内に染み出させて――。

「~っ!!」

 ちょっと誰か、俺の語彙力もってこい。



 うーん、どうしよう美味しい。
 「美味しい」以外に形容できないこの美味さ。
 自分の言葉知らずが心底悔しいなんて、生まれて初めて思ってしまった。

 しかし嬉しいのは、何も味だけじゃない。

(温かい。なのに火傷するほど熱くも無い。何という絶妙な温かさ……!)

 湯気はほんのりと上がっているのに火傷する程じゃない。
 お陰でガツガツと食べられるのがまた嬉しい。


 クイナがバクバクとステーキを食べている隣で俺も、ガツガツと唐揚げを食べる。

 と、不意に視線を感じた気がして、手を止めて顔を上げる。
 とそこにはズイードが立っていた。

 これはズイードが作ったものだ。
 コック姿にそう思い出し、俺は心からの感想を口にする。

「ほいひいです、ふいーほはん。ひはふふひへほ、ほへはほほひょうひひへあふぁへへふえははひひはんひゃひへひたい!(美味しいです、グイードさん。今すぐにでも、俺はこの料理に出会わせてくれた神に感謝してきたい!)」
「ごめん、流石に何言ってるか分からないかな……?」

 苦笑しながらそう言われ、恥ずかしさ半分に慌てて口内を咀嚼し切る。
 そしてもう一度、彼に同じ言葉を伝えた。
 すると「大げさだなぁ」と言いながら、どこか擽ったそうな笑顔を浮かべる。

「まぁでも喜んでくれて嬉しいよ」
「本当に、ここに泊まれる事になって良かった。ダンノさんには、また改めてお礼を言っておかないとなぁ」

 そう言いながら付け合わせに頼んだサラダの皿へと手を伸ばしたところで「ダンノさん?」と聞き返される。

「もしかして、ダンノさんの紹介でここに?」
「えぇ、たまたま馬車でご一緒して。俺が『土地勘も頼れる相手も無いんです』って言ったらこの宿を紹介してくれたんですよ」

 優しい方ですよね、ダンノさん。
 そう続けると、彼は「ほう」とツルンとした顎を撫でた。

「へぇ珍しい。普段は彼、ただの行きづりにそんなおせっかいなんて絶対に焼いたりしないのに」
「え、そう……なんですか?」

 そんなイメージは全く無い。

 俺にとっての彼のイメージは、『親切で紳士な人』である。
 だからてっきり出会う人々全員に、色々と紹介とかをしてあげているんだと思っていた。
 しかし彼の口調を聞く限り、どうやらそうじゃないらしい。

 何故だろう。
 そう思ってちょっと考え、一つ思い出した。

「あぁでももしかしたら、クイナが居たからかもしれませんね。メルティーと同年代だし、とっても仲良くなってたから」

 なんて言ってもダンノさん、「商談よりも娘の初経験の方が大事だ」と言い切ったくらいだし。
 そう答えると「へぇ、引っ込み思案なあの子がねぇー……」という、実に感慨深そうな声が返ってくる。

 が、それはきっとメルティーが良い子だったからと。

「クイナがこの様子ですからねぇー」

 そう言いながら、俺は隣のクイナを見遣る。
 すると彼女は、先程来たばかりのこの宿・この食堂で実に楽しそうにステーキをフォークで刺しては食べ、刺しては食べ。
 見慣れぬ場所に緊張も不安も、全くと言っていいほど抱いている様子はない。

 実に物怖じせず、マイペースな子だ。


 そう思いながら感心半分呆れ半分で見ていると、やっと俺達の視線に気付いたらしい。
 顔を上げて「……ぅん?」と首を傾げてきくる。

「いや、クイナがメルティーと仲良しなんだよっていう話」

 簡単にそう教えてやれば、クイナは「メルティー」とう単語に多分反応したんだろう。

「っ! クイナねっ、クイナねっ! メルティーと仲良しでねっ!」
「あーはいはい、分かったから食べるのに集中しなさい」

 鼻息粗くメルティーを語ろうとするクイナを「どうどう」と押さえつつ、食事の続きを促した。
 すると彼女は、まだ肉が残っていたからか。
 素直にお皿に向き直って、またモリモリと食べ始める。

 実に見事な食べっぷりだ。


 ふと周りに視線を向ければ、どうやらクイナは良い意味で周りの見知らぬ客たちの目を引ているようだ。
 特に悪意や害意や執拗な好意がある訳じゃないから、おそらく可愛い女の子がご機嫌に食事している様を、微笑ましい気持ちと共に酒のつまみにしてるんだろう。

「おい娘っ子。そんなにソレ、美味しいのか?」

 徐に、ドワーフのおじさんが聞いてきた。
 するとクイナは頬袋をパンパンに膨らませたまま、ちょっとモゴモゴとした声で「うん! すっごくすっごく美味しいの!」声を弾ませた。
 
 すると相手の酔っ払いも、愉快そうにガハガハ笑う。
 そしてビールジョッキを大きく呷り「おかわりぃー!」と声を上げた。
 こちらもかなりの上機嫌だ。

 それを見て、俺は思う。

 やっぱりコイツ、ちょっと危機意識が足りない……が、まぁこういう所がクイナの長所でもあるんだろうなぁーって。
 なんというかこう『愛される素質』みたいなのが、クイナにはあるような気がする。

 まぁそう思うのはもしかしたら、相手に無条件で好意を抱いてもらう事の難しさをつくづく思い知らされてきたからなのかもしれない。
 

 口の横に付いてるステーキソースを、おしぼりでグイッと拭ってやる。
 と、そのついでに気が付いて俺は一つ釘を刺した。
 
「っていうかクイナ。肉が美味いのは分かったけどな、他のもちゃんと全部食べろよ?」

 その声に、クイナは何故かキョトンとした。
 そして小首を傾げてから言う。

「え? クイナお野菜は要らないよ?」



 実に純粋な瞳で彼女は平然と、そんな事を言っている。
 が、その言葉は了承できない。

「『要らないよ?』じゃないわちゃんと食べろ。こういうのはバランスっていうのが大事なんだよ!」
「えーっ?!」
「えーじゃない」

 凄い抗議を向けてくる彼女に、俺は「ちゃんと食べないと大きくなれないぞ」と諭す。

 すると流石にそれは嫌なのか。
 ぶーたれた顔でクイナはサラダ皿を手に取った。


 皿には幾つかの葉野菜にトマトにキュウリ、千切りにしたニンジンなんかも乗っている。
 見た目もとても楽しいサラダだ。
 なのに困った目を向けてくるクイナは、やっぱり食べたくないんだろう。

 が、ここは心を鬼にして頑張らせねばならない。
 クイナの健康に直結するし。
 

 「食べなさい」と目でもう一度促すと、ついにクイナも腹を括ったようだった。
 意を決した様子でギュッと目を瞑ったかと思うと、サラダを一気に口内へと掻き込んでモッシャリモッシャリと咀嚼する。

 とっても苦そうで嫌そうだ。
 せめてものフォローに付け合わせで頼んでたスープを指さしてやれば、両手でバッとそれを取り、一気に奥へと流し込む。


 全てを飲み干した後、クイナは「うへぇー」と舌を出した。
 ちょっと涙目な彼女の頭に俺は手を伸ばす。

「おー、食えたな。よくやった」

 しかしそうやってあやしても、クイナはまだ苦そうな顔でウーッと小さく唸っている。
 しかしこれは正直言って、好きな物を先に完食してしまったクイナが悪い。

 少なくとも口直し用の肉くらいは、残しておくべきだったんだ。


 俺の唐揚げも完食してしまった後なので、残念ながら助けてやれない。
 せめて水でもと俺のコップをクイナの前の置いたところで、グイードが「クイナちゃん」と声を掛けてきた。
 見てみれば、カウンターのすぐ向こうに優し気に微笑むグイードが居る。

「クイナちゃん、甘いものは好きかな?」
「うんっ、大好きなの!」
「そうか、じゃぁご褒美にプリンを持ってきてあげよう」

 頑張ったクイナちゃんにプレゼントだ。
 そう言われ、クイナの顔がパァッと輝く。

「良いのっ?」
「いいよ」
「やったのぉー!」

 俺の隣で「ぃよっしゃぁぁぁ!」と言わんばかりに両手をグーにして上げた彼女の喜びようったら半端ない。

「すみません、後でお金は払いますから」

 俺がそう言えば、グイードは後ろ手に手を振りながら「好意は素直に受けとっとくものだよ」と言われてしまう。
 きっと「おごりだ」と言いたいんだろう。

 顔色を見ると、本気でそう思ってくれているらしい。
 今ここで彼の好意を固辞する事は簡単だけど、この手の顔をしている相手に遠慮するのは却って失礼になってしまうと経験則で知っている。

 だから結局「ありがとうございます」と言って、今回は甘えさせてもらう事にした。


 クイナの嫌がり様と苦しみ様と喜び様は、きっと目立っていたんだろう。
 周りからは「頑張ったもんな!」とか「偉いぞ嬢ちゃん!」なんていう声が、口々にクイナを囃し立てる。
 またクイナを生暖かい目で見つめる大人の数が増えた。

 そんな中、運ばれたプリンを食べたクイナはというと。

「……アルド、大変なの」
「どうした、いきなりそんな真顔で」

 神妙な顔で俺の方を見た彼女に俺は、思わず眉をひそめてしまった。
 だってそうだろう。
 甘党の筈のクイナがプリンを喜ばない筈は無いのに、食べる手は先ほどの一口目で止まってしまっているのだから。

 どうしたんだ。
 そう思っている俺に言う。

「頬っぺた……落ちちゃったの」
「落ちてない落ちてない」

 思わず手で「いやいや」としながら答えると、彼女は再びプリンに向き直りまた一口二口とプリンを口に運び始める。

「クイナ、このプリンを一日一個食べないと、禁断症状になっちゃうの……!」
「つまりそのくらい気に入ったって事なんだな?」

 手の回り具合がすこぶる速い。
 プリンが減る量も速ければ、モグモグする速度も速い。

 モグモグしているだけなのか頷いているのかさえ分かりにくいが、その食べっぷりから俺の指摘は正しいだろうと辺りを付ける。
 

 結果的に、その予想は正解だった。
 これ以降、クイナに毎食後必ずプリンを所望される事になる事は言うまでもない。