俺が城から出て8日。
やっと国境が近づいてきた。
商売人達なのだろうか。
窓の外にはどうやら荷馬車が増えてるようで、対照的に通行人の姿は減った。
この先にはもう、国境の検問くらいしかない。
国を跨ぐ人間は、徒歩なんかじゃぁ滅多に来ないという事か。
そういう訳で、今の馬車内はまた絶賛すし詰めだ。
老若男女、寄合馬車だから流石に身なりが良いのは居ないが、老人も居れば子供だって居る。
そんな彼らは、一体何しに隣国へと行くのだろうか。
そんな風に思ったが、詮索なんてされようものなら俺こそ具合が悪いから、興味本位で誰かに聞く事もできない――なんて事を考えていた時である。
すぐ隣に座ってるクイナが、何かを熱心に凝視している。
あぁ向かいに座っている子供か。
ちょうどクイナと同年代だし、だから気になってるのかも。
最初はそう思ったが、絶対違う。
よく見たら、彼女が見てるのは彼女の手元だ。
両手で包むようにして、大事そうに持っている飴が入った瓶である。
(あぁー、甘い物かぁー……)
ついさっき俺が渡した甘いものをペロリと食べたばかりなのに、さっきの今でもう甘い物に釘付けなんて、食いしん坊感が半端ない。
それでもまぁ遠くから見ている分には良いかと思ってたんだが、意識してなのか、無意識なのか。
ジリジリ、ジリジリとクイナは彼女と距離を詰めて、遂にはその子の持っている瓶に鼻が付きそうなくらいまで近付いて――。
「こーら、クイナ」
目深に被ったフードの上から、クイナの頭を鷲掴む。
グリグリとしてやれば、多分嫌なのだろう。
釘付けのまま「ウーッ」と唸る。
お前はキツネなんだろうに、犬かと思う反応だ。
しかし幾ら恨みがましそうな目で見られても、俺だって一応は暫定保護者の立場である。
きちんと叱ってやらねばなるまい。
「この子がビックリしてるだろ。それにめっちゃ迷惑だ」
「でもとっても気になるの! キラッキラで綺麗なのに、何か甘い匂いがするの!」
「そりゃぁ飴だから甘い匂いは当たり前だろ」
「『あめ』……?」
コテンと首を傾げたクイナは暗に「飴ってなぁに?」と聞いてきている。
あぁ知らないのか。
それで匂いに反応して、こんなにも興味津々という訳か。
(仕方がないなぁ、向こうについたら一つくらい買ってやるか……って、ん?)
クイナが凝視している瓶が全くそこから動いていない。
女の子が両手に持っているんだから、普通ならば寄ってきた彼女に驚いて引っ込めるなりしそうなものなのに。
そう思ってやっと彼女を視界に入れて、悪い事をしてしまったと後悔した。
飴の瓶を持っていた彼女は、カチンと固まっていた。
そんな彼女の視線の先には瓶に被り付かんと見ているクイナに向けられている。
間違いない。
この子はクイナが原因で固まってるのだろう。
「あっ、ごっ、ゴメンな? ちょっと驚いちゃったよな?」
そう言って彼女の顔を覗き込めば、それでやっと彼女は我に返ったようだ。
「はっ! だ、大丈夫です。ちょっとビックリしちゃっただけ、なので……」
そう言って慌てて笑った彼女は少し気弱な印象の子だったが、受け答えは歳のわりにきちんとしている印象だ。
「そう? なら良いんだけど……。あ、そうだコレ」
お詫びを何かと考えて、思い出して出したのは一つの茶色い包みだった。
中には砂糖がまぶされたドーナツ。
前の停留所に着いた時に買ったもので、先ほどクイナがペロリと完食したものとまったく同じやつである。
「お詫びに、良かったら」
ドーナッツ、嫌いだったりしないかな?
そう尋ねれば、彼女はおずおずと「……良いの?」と俺に聞いてくる。
「あぁもちろん!」
「じゃぁ、あの、ありがとう……!」
そう言ってはにかんでくれた彼女に俺は、ホッとする。
後で食べようと思って取っておいたヤツだけど、彼女が喜んでくれてるみたいでちょっと嬉しい。
そんな風に思っていると、左腕にズンッと軽い鈍痛がやってきた。
見ればクイナが俺の腕に、頭をグリグリと押し付けている。
「何だどうした」
「クイナも!」
「さっき自分の食べただろ?」
「むぅぅぅぅーっ!」
グリグリとめり込む頭突きが、何だか地味に痛いんだけど。
そう思って片やフードを被ったクイナの頭を両手でグイッと遠ざける俺と、まだ俺の腕を自分の頭で掘削するのを諦めていない様子のクイナ。
俺達の地味な攻防戦が、馬車の中の酷く狭い一角で割と真剣に繰り広げられる。
とはいえ俺は大人でクイナは子供、勝利の女神が俺に微笑むのは当たり前だ。
結局クイナが先に疲れて、俺の掻いてた胡坐の左側に頭がポテリと落ちてきた。
お陰で見た目は膝枕を貸している仲良しの図だ、が。
「……おいクイナ。男の膝なんて残念ながら、固くて寝てられないだろー?」
「んぅーっ!」
俺の指摘はどうやら的を射ていたようで、どうやら彼女はその事実がとても不服なようである。
まぁそうだろう。
が、コレばっかりはどうにもならない。
そんなやり取りがひと段落着いたところで、「あれ? どうやら自分が誰かからの視線を浴びているらしいな」と気がついた。
見れば先程、俺がお詫びにドーナツをあげたあの子と目が合う。
もしかしたらおかわりが欲しいのかもしれない。
だけどスマン、もう残ってないんだよ。
そもそも残ってたんだとしたら、俺の膝の上で未練がましく唸っているこのクイナは居なかった筈だ。
……っていうか、いつまでいじけてるんだよお前は。
そう思って顔をちょっとのぞき込めば、被っているフードの中に口をツンっと尖らせたままのクイナが居た。
えー、どうすんの。
だってしょうがないじゃんか。
そんな風に思っていると、俺達の間に割り込む様にニュッと何かが現れた。
「良かったら、一個いる……?」
「えっ?!」
飛び出してきたのは先程クイナがガン見していたあの飴の瓶で、言ったのはさっきの子だ。
クイナはひどく喜んだ。
それはもう喜んだ。
その結果、彼女はガバッと勢いよく頭を上げて――。
ゴンッ
「「〜っ!!」」
凄い音と共に額に、思わず「割れたか」と思った。
クイナの頭と彼女をちょうど覗き込んでたせいで出てた俺の顎がクリーンヒット。
言うまでも無いだろうが、めっちゃ痛い。
俺は顎をクイナは頭を抑えながら、それぞれが無音のままで悶絶する。
と、突然で一瞬だった《《事故》》現場のすぐ近くに居合わせてしまったあの少女が「あの……大丈夫ですか?」とオロオロしながらも聞いてきてくれる。
俺だって、だてに18年も王族なんて地位に居たわけじゃない。
相手が本当に心配しているのか、それとも上辺だけなのか。
それくらいはすぐに分かる。
この子が見ず知らずの俺たちの顎と頭を本気で心配してくれている事くらい、簡単に分かるのだ。
「なんて良い子なんだ……」
気が付けば、そんな言葉がポロッと漏れた。
まだ痛む額のせいで、生理的な涙が目に溜まって前がよく見えない。
が、それでも小さな彼女の無垢な心配に俺の心は洗われた。
と、誰かの吹き出す様な声が聞こえた様な気がした。
そちらを見れば、30代くらいのダンディーなオジサマが居る。
「いやぁ、すみません。あまりにも感情の籠った声だったので……」
「……はっ!」
そう指摘されて初めて自分の独り言を自覚した。
羞恥心が顔を駆け登り、体温が体感0.5度ほど上がったような気分にさせられた。
誤魔化す為に「ははは」と空笑いをすると、彼が俺に手を出してくる。
「私はこの子・メルティーの父親で、ダンノと言います」
「あぁ、ご丁寧にどうも。俺はこのクイナの旅の同行者で、アルドと言います」
「おや、この国の王太子殿下と同じ名ですね」
面白い偶然だ。
そう言った彼は、おそらく何か含むところがあった訳じゃない筈だ。
それでもドキッとしてしまったのは、どうしようもない事だろう。
それを掻き消すようにして誤魔化すための笑顔はしたが、もしかしたら差し出された手とした握手に少し力が籠り過ぎてしまったかもしれない。
しかしそんな俺にダンノは、深入りする事は決して無かった。
「す、すみません。クイナがそちらのお嬢様にご迷惑を」
もしかしたら引きつっているかもしれない笑顔で言えば、彼はフッと人の良さそうな笑みを浮かべてくれる。
「いいえ、気にしないでください。こちらもドーナツ、ありがとうございます」
「あぁいえいえ」
互いにそんな大人のやり取りをしている横で、クイナはダンノの娘・メルティーから飴を一粒受け取っていた。
貰ったそれを口の中にポイッと入れてコロコロモグモグしてすぐに、彼女は両手の頬に添えて笑う。
「甘ぁー!」
とても嬉しそうだなぁー。
「クイナ、お礼はちゃんと言ったのか?」
「あっ、ありあほ、あの!」
「どういたしまして」
口の中がもごもごしているお陰でお礼なのかどうか分からない言葉が出てしまってたが、お礼の気持ちそれ自体はどうやらちゃんと届いたらしい。
メルティーはやはりちょっと控えめな感じで、それでもにっこり笑って応じてくれた。
とりあえず二人は仲良くできそうだ。
(正直言って、一つしか残っていなかったドーナッツを譲ってしまって「どうなることか」とちょっと心配したんだが、まぁ大丈夫そうだな……)
そう思い、ホッと胸を撫で下ろす。
流石は飴、凄まじいパワーだ。
今後何かを言い含める時用のアイテムとして、見つけたらすぐに買っておこう、うん。
真剣にそう頷いたところで、ちょうどダンノが聞いてくる。
「アルドさんは、ノーラリアにはご旅行に?」
「ご旅行というか、ちょっと見てみて良さげだったら王都に移り住みたいなぁと思っていまして」
「そうなのですね、入国は初めてで?」
「はいそうです」
実際には公務で国には来たことがあるが、城下にすら降りる事は叶わなかったし、国境だってVIP待遇で超えたから自分の足で検問を通るのも初めてだ。
入国自体初めてだと言ってもそう大差はないだろう。
「ノーラリアは多国籍で多種多様。その影響で、色々な国の品が集まる場所なので、市場はとても賑やかですよ。喧しいのがお嫌いでなければ、活気のある住みやすい場所だと思いますよ。王都は治安も良いですしね」
「へぇー、それは楽しみだ」
俄然高まってきた期待に、ちょっと嬉しくなってくる。
色々な国の品というのも興味があるし、賑やかなのも嫌いじゃない。
むしろ以前は手放しで誰かと一緒に空気を楽しむという事が出来ない身分だったから、それについても好奇心の方が先立つ。
彼の言った事全てが俺にとってはプラスだ。
「ダンノさんは、ノーラリアの方なんですか?」
ならばもっと詳しく話を聞きたい。
そう思って質問すれば、彼は快く答えてくれる。
「えぇ、私はノーラリアの首都・イリストリーデンで商会を開いているんですよ」
「えっ商会を?!」
俺は思わず「凄いですね」と声を上げる。
俺にとって商会というのは、俺の知らない領分で金と人を動かすエキスパートのようなイメージだ。
首都の商会ともなればそれなりの手腕が必要なんじゃないだろうか。
それ以上に、「商会を《《開いている》》」というんだから、きっと彼は商会長なのだろう。
そう思えば、なおさら興味が沸き上がる。
「ではもしかして、今回はその関係でこの国に?」
「えぇそうなんです、他国進出の下見の一つで。しかしちょっと折り合いがつかず、結局今回は手ぶらで帰る途中です」
「それはそれは……残念でしたね」
苦笑交じりにそう話したダンノに、「せっかくはるばるやってきたのに何も収穫が無いなんて」と俺もちょっと残念になる。
もし俺に地位が残っていたならば、もしかするとどうにかしてあげられたのかもしれない。
が、無いものは無いんだから仕方がないだろう。
しかし彼の気持ちを思うと、ちょっと俺まで落ち込んでしまう。
が、そんな気持ちで見た彼の顔は、思いの外明るいもので。
「まぁこういうのはご縁ですし、商売にはそういう事も往々にしてあるものなのです。それに何より今回は、メルティーに初めて他国というものを見せてやれましたからね」
そう言いながら娘を見遣る彼の目は優しく、「とても楽しそうでしたから」と言った声は柔らかい。
それは疑いようもない子供想いの父の姿で、仕事を置いても「良かった」と思えている彼が一体どんな人間なのかは、少なからずそれで分かる。
「なるほど」
相槌を打ちながら感心する俺は、今度は「笑顔が引きつっているかもしれない」なんて心配はする必要が無かった。
そんな俺に何故か彼まで安堵したような顔になったのは少しばかり不思議だったが、その理由を深く考える前に彼はこんな提案をしてくれる。
「あぁそうだ。もし何かご入用な物がありましたら、是非『ダンリルディー商会』を頼ってください。私自らご案内いたしますよ」
私の商会なんです。
街で聞けば、場所はすぐに分かるでしょうから。
そう言った彼は、少なくとも俺に対して商会長自ら案内するくらいの価値を認めてくれたらしい。
「ありがとうございます。土地勘も頼れる相手も皆無なので、とてもありがたい申し出です」
是非とも頼らせてもらおう。
そう思って、俺は『ダンリルディー商会』『ダンリルディー商会』と頭の中でその名前を何度も唱えた。
忘れてしまったら勿体ない。
と、その時だ。
馬車がゆっくりと停車した。
少し身を乗り出して外を見れば、前に少し行列が出来ている。
「あぁ、国境に着きましたね」
呟くようにそう言ったダンノは、既に何度も国境を通る経験をしているのだろう。
特に緊張も気負いもする様子はなく、口に出たのもただの反射のようなものだったに違いない。
が、俺にとってはそうじゃない。
一人で国境を超える事に慣れている筈もなく、あまつさえ今はクイナだって居る。
居る筈の無い獣人少女が出国するのだ。
緊張しない筈が無い。
(もしここでバレてしまえば……)
どうなるんだろう。
そう思えば不安で仕方がない。
思えばそもそも、出国審査というものに対する知識がないのがいけなかった。
そのせいでどんな出国審査にどのような工程があるのかが分からない。
身体検査なんてものがあったら、コートで獣人のトレードマークを隠しているだけのクイナはもう終わりである。
が、顔を青ざめた俺に、ダンノが微笑み交じりに教えてくれた。
「そんなに緊張せずとも大丈夫ですよ。この国は、入国審査こそ厳密ですが出国審査は条件がかなり緩いですから。それこそ国の要人が国外に誘拐されない様にする措置や何らかの原因で出国禁止令が出ている人間の出国を止める事くらいしかしません」
「因みにそれは、どのようにして判断を……?」
「あぁそれは、魔法具を使うんです。こう……大体頭くらいの大きさの水晶玉を一人ずつ触って確認するだけですよ」
そう言われて、思い出す。
確か俺も、出国時には毎回誰かがやってきて水晶玉を触らせられた。
そうするといつも水晶が黄色く光って、「問題ありません」と言われて通される。
確かそんな感じだった。
(そうかあれって、出国審査の手続きだったのか)
今更になってそんな事に気付かされ、俺は思わず苦笑する。
しかし誰もがあれだけで通れるのなら、よほどの事が無い限りクイナの種族がバレる事は無いだろう。
だから俺は、ここでひどく安堵した。
が、まさか思わなかったのである。
あんな事になるなんて。
国境の目の前で一斉に馬車から降ろされて、俺たちは皆とある部屋に通された。
そこには水晶が用意されていて、「順番に手で触ってから通れ」と指示されてそれに従う。
もちろん俺も言われた通りにやっておいた。
水晶だっていつもように黄色に光った。
だから俺は、少しホッとしさえしてその場を通り抜けようとした。
――その時だった。
「あの、すみませ……恐れ入ります」
突然ぎこちない丁寧語が掛けられて、そちらの方に顔を向ける。
と、そこにはベテラン兵士が眉尻を下げて立っていた。
どうしたんだろう、その後ろでは他の警備兵達も少しざわめいている様に思う。
(――あぁ俺は、コレを知ってる)
瞬時にそう、分かってしまった。
例えば俺が想定外の事や、突然予定の変更が必要になってしまった時。
現場の人間は、決まってこうして慌て狼狽えていた。
つまり、だ。
これはたぶん十中八九――。
「あの……何故こんな寄り合い馬車で出国されようとしているのですか? アルド殿――」
殿下と言い切る前に俺は、慌ててその兵士の口をシュバッと塞いだ。
彼の驚いた目と視線が交わる。
それはそうだろう、彼はあくまでも自らの職務を全うするために質問したに過ぎないのだ。
まさかそれを、高貴な筈の人間に、しかもこんな物理的な方法で静止されるとは思うまい。
しかしそうしてまでも、この敬称が周りに広く聞こえるのは困るのだ。
俺が王太子だったのは事実だが、そもそもそれも最早過去の話なんだし、もし身バレして、面倒事に巻き込まれたらと思うともちろん身バレしないに越した事は無い。
「せめて端っこに……」
そう言えば、彼はまるで壊れた操り人形のようにコクコクコクと頷いた。
そうして二人で部屋の隅っこまで移動してから、やっと会話を再開する。
「す、すみません。王族の方がこういう形で国境を通るのは、誘拐された時くらいしか無く、些か周りへの配慮に欠けました。今日はお忍びか何かなのですか?」
俺の言動から「周りにバレてはいけない案件なのだろう」とどうやら察してくれたようだ。
謝ってくる彼は今度はちゃんと小声で周りに配慮してくれている。
(誠実そうな兵士だな。周りの様子を見た感じ、おそらく彼がここの責任者なんだろう。こういう真面目さが現場には必要なんだ)
そんな風に思いながら、だからこそ彼の仕事に泥を付けない様にしようと心に決めて告げる。
「お忍びじゃないよ。だって俺はもう、王族じゃないからな」
「……え?」
俺の答えに、彼は間の抜けた声で聞き返してくる。
「えっと……俺、つい8日ほど前に王太子から平民に下ったんだけど……通達は来てないか?」
「え、知らないです」
「……え?」
「え?」
俺としては「来てないか?」という彼への問いは、「来ているだろう?」という確認だった。
自分で言うのも少々むず痒いけど、王太子の廃嫡というのは国の大事だ。
普通は各所にすぐ、そういう通達が回る。
それこそ俺は罪を犯した身なんだから普通は動向を知っておきたいと思うのが普通だろう。
それなのに馬車を出す事を拒んだのだから、行先は誰にも分からない。
せめて出国したかどうかくらいの事は把握したいと思う筈で、そうなれば国境には即座にそういう連絡が届く筈なのに、彼を見る限りではどうやらそれも無いらしい。
思い返せばここ8日間の道中で、「王太子が廃嫡されたらしい」という話はただの一つも聞かなかった。
(もしかして、俺の動向に興味が無いのか……?)
いや俺だって、何もこの期に及んで「俺の事、気にしてくれよ!」なんて言ったりしない。
そもそも自分から縁を切って国を出ようとしている身だし。
だけど俺がその後国内で何か悪い事をする可能性とか、廃嫡された後でクーデターの旗頭になるかもしれないとか。
裏工作が嫌いな俺でもそういう可能性がある事くらいは分かるのである。
裏工作に精通している元婚約者のバレリーノや何かと小賢しかった弟・グリント、あまつさえあの王が思いつかない筈なんてない。
なのにここまで何も対策をしていないとなると、俺が何もできないと踏んでいるか、事後対処で事足りると思っているのか。
どちらにしろ俺の動向それ自体には興味がないと、若干こっちを舐めた形で思っているには違いなくて。
(なぁんだ、心配して損したわ)
思わずそう思ったのは、実はここ数日「もしかしたら暗殺者とか来るかもしれない」とちょっぴり警戒していたからである。
しかしそれも、国境にさえ全く話が及んでないのならばもう杞憂だろう。
そうと分かればちょっとばかし自意識過剰な感じがして恥ずかしいやら、拍子抜けやら。
いやしかし、まずはそれよりも。
「仕事なんだから、誰かちゃんと伝令くらいは送っとけよ……」
日々真面目に仕事に従事している様子のこの兵達に抱いた同情の念が、俺にそう呟かせた。
そういう事なら俺みたいなのが普通に検問を通ってきて、さぞかし驚いた事だろう。
「えーっと……さっき言った通りだな、俺は陛下から8日前に平民に下る様に言われた。もうこの国の王太子でもなければ権力持ちでさえ無いんだ」
「は、はぁ……」
さっぱりと端的な俺の言葉に、兵の彼は頷いた。
しかしそれは「何とかして理解しようと努力している最中」という感じで、どう見ても納得している訳じゃない。
「まだ連絡が届いていないかもしれないが、それは事実だ。じきに国からもお達しがあるだろう。で、何で俺は止められたんだ?」
「あ、あぁはい。あの、先ほど水晶が黄色く光ったと思うのですが」
「あぁでもそれは前からだろう?」
「はい。あの水晶は出国禁止令が出ている人間が触ると赤く光を放ち、上流貴族や王族の方々が触ると黄色く光ります。光った場合は一緒に名前も浮かびますので、それと同時にどなたなのかも分かるという仕組みです」
なるほど。
それで町民風の身なりをしていた俺を見ても、すぐに王太子だと判断できたという訳か。
「赤の場合は即刻この場で取り押さえ、黄色い場合は他国への拉致の可能性がありますので少し慎重にならざるを得ません。そういう方々が来られる場合は大抵前もってご連絡がありますので、その場合は特にお待たせするような事も無いのですが……」
ふむ。
つまり今回は、この国の王太子――だと彼らが信じていた者が、何の前触れもなく、しかも彼らが乗っている馬車の中に水晶を持って来させて審査させるなどというVIP対応を要求せずに出国しようとしたから驚いて止めた、という訳らしい。
「もしかして、この水晶は魔力に反応して?」
「はい。魔力は指紋と同じように他に二つとないものですから」
ぶっちゃけ俺は、魔法はちょっと使えても魔道具に関してはからっきしだ。
だからわりと当てずっぽうだったんだけど、どうやら当たっていたらしい。
しかし、用途が『拉致防止』だと分かったのは僥倖だ。
「さっきこの水晶は黄色く光った。つまり出国禁止令は出てない。そうだよな?」
「はい、それはその通りですが……」
「で、その連絡は来てない訳だな?」
「『殿下を捕らえよ』という命令ですかっ? そんな滅相もありません!」
すぐさま否定してくれて助かった。
これで俺はここを通れる。
「なら俺は、ここを通って構わないよな? 俺は分別のある大人だし、正気にも見えるだろう? それに今、ここで助けを求めればお前たちに保護してもらえると分かった上で出国を希望してもいる。それらを鑑みればおのずと、誘拐の可能性はなくなるだろう。また、出国禁止もされていない」
「そう……ですね。分かりました。しかし最後に一つだけお答えください。私から見て、殿下は何やら出国を急いでいるように見えます。その理由は何ですか……?」
そう尋ねてきた彼は俺に、誘拐されていく人間に最後の命綱を垂らしているようにも、相手が犯罪に関わる者か否かを判断するためのものの様にも考えられた。
が、やましい事は無い。
だから俺は正直に言う。
「実はちょっと国王陛下の意に沿わない事をしてな。だから平民になって自由になったんだし、陛下の気が変わる前に早く国外へと出ておきたくて」
そう思っているのは本当だった。
ただそこにはもう一つクイナの素性がバレる前にというものあって、だけどそれは流石に彼には言えないから省いておいた。
俺の答えに、少しの沈黙の後で彼は、ゆっくりと頷いた。
実際に、彼はこれ以上俺をここに留めておける材料が無い。
理由もないのに引き止める事は、職務的にも礼儀的にもよろしく無い。
実に仕事や人に、誠実で忠実な人間と言えるだろう。
「じゃぁ俺はそろそろ行くよ」
「はい、どうぞお通りください。お手数をおかけいたしました」
そう言って一礼した彼に、俺はフッと笑みを零す。
「俺は君の仕事ぶりをとても気に入ったよ。こういう人たちがこの国の平和を支えてくれていたのだと、今改めて感じたさ。とはいえ今更実感しても、もう王太子ではない俺には君たちに報いる事は出来ないけどな」
そう言って後ろ手に手を振りながら、俺は一歩を踏み出した。
そんな俺の後ろから「あのっ」と最後に声が掛けられる。
「俺の実家は殿下が制定してくださった『国内の穀物価格の下限を定める法律』によって過去に窮地を救われたのです! 末端の国民の事を考えてくださる殿下には、ずっと感謝していました!」
ありがとうございます。
そう言って頭を下げてくれた彼に俺は、ただそれだけで今までの全てが報われたような気分になった。
この国での最後の記憶も、中々捨てたもんじゃない。
水晶の部屋から外に出てすぐに、クイナの姿を発見した。
少し遠くで何だか非常にソワソワしている様子だったが、俺を見つけるなりすぐに小さく跳ねて駆けだしてくる。
「アルドっ!!」
「ぉわっ?!」
盛大に飛びついてきたクイナから強めのタックルを受けて、俺は思わず尻もちをついた。
胸の中に滑り込んでくるフワリと温かい体温と、俺の胴体にギュッとしてくる小さな手。
今の勢いでフードが外れ、ピンと立ったケモ耳が目下に姿を現す。
何かがワッサワッサとしてるなと思えば、コートの裾を押し上げて黄金色の尻尾が揺れていた。
少なくとも歓迎モードだ。
そう思えば、とても微笑ましくて、嬉しくって、くすぐったい光景だなって……って、ん?
《《見えて》》?
「バッ! お前っ、耳としっぽ!!」
「ハッ!!」
俺の叫びにクイナが「マズい!」と頭を隠した。
でもね、クイナさん。
お陰でケモ耳は隠れたけれど、尻尾はまだ丸見えだよ。
これぞまさしく『頭隠して尻隠さず』の典型――なんて言ってるような場合じゃない。
俺は慌てて押し上げられてたコートの裾を引っ張って尻尾を隠す。
が、覆水は盆に返らない。
額を汗がタラリと伝う。
今まで様々な社交場に立ちそれなりの経験を積んできた筈の俺だけど、今ほど手の施しようがない事態に出会ってしまった事はない。
どうしよう。
せっかくここまで来たっていうのに、結局俺はこの子を無事に安全地帯へと連れてく事さえ出来ないのか。
そう思った時だった。
「ここはもう、ギリギリですが確実にノーラリア共和国の中ですよ」
そんな風に声を掛けられて、俺は「へ……?」と少し間の抜けた声を上げた。
ゆっくり顔を上げると、そこにはあのダンディーな微笑みがあって。
「運がよかったですね。この国では、彼女がたとえ人族でなくとも誰も何も言いはしません」
「あ……」
そうだった。
ノーラリアに入ってしまえばもう大丈夫。
そしてここはノーラリア。
俺は今正に、国境を越えてきたのだ。
安堵に思わず頬の筋肉が力無く緩み、深い息が漏れて出た。
するとそれを真似したように、クイナも同じく息を吐く。
体の力が抜けたんだろう。
胸の上でグッタリだけどホッとしたクイナのせいで、体に伝わる重みが増した。
そんな俺達の脱力具合に、ダンディー・ダンノは可笑しそうにクスクスと笑い、地べたに押し倒されたままの俺にスッと手を差し出してきた。
それをありがたく受けながら、俺はゆっくりと立ち上がる。
その時に空いた方の手でクイナの頭を「どいてくれ」とポフポフ撫でてみたんだが、まったく退く気配が無かった。
そのお陰で俺の腰に、クイナがデローンと付いてくる。
ぶら下がる結果になったとしても今の俺に寄っかかるスタンスを崩すつもりは無いらしいクイナは、きっとさっき「鍋にされる!」と心臓が縮み上がるような思いだったんだろう。
気が抜けてしまったのは、仕方が無いのかもしれない。
仕方がない。
そう思いつつ、俺はその頭をワシワシしながら再びダンノに目を向けた。
今もすかさず手を貸してくれたダンノは、そういえばさっきクイナを見つけた時もすぐ近くでメルティーと一緒に俺を待っててくれてた気がする。
もしかしたら兵とちょっと話し込んでいる様子だった俺に配慮して、クイナを宥めてくれていたのかもしれない。
「ありがとうございます」
「いえいえ別に、そんなお礼を言われるような事は一つもありませんでしたよ?」
「でも、クイナの事は見てくださっていたでしょう?」
だからと言えば、彼は「律儀な人ですね」と言って笑った。
そんな彼に「出来る事なら嫌われたくはないよなぁー……」と思いつつ、今までの無礼を謝罪する。
「それからクイナの事、ずっと黙っていてすみません」
「ソレについても気にしていません。状況が状況でしたし、少しビックリしたくらいですよ」
そもそもここでは獣人なんて、珍しくもなんとも無いですしね。
彼はそう言い、隣にいる娘のメルティーの頭にポンっと手を置く。
そこで初めてメルティーの様子に目が行った。
そして俺はその顔を見て、ちょっとギクリとしてしまう。
そこには、驚きの表情を浮かべた彼女が立っていたからだ。
ダンノからは、偽りの気配を感じない。
多分本当に驚いただけで、隠し事をしてた俺もクイナも、悪くは思っていないだろう。
しかし彼がどう思っても、メルティーはメルティーだ。
彼女がどう思うかは、また別の問題である。
せっかくクイナと仲良くしてくれていたし、出来れば二人の仲もこのまま……と願いたくなってしまう。
もしここで拒絶されたら、クイナだってきっととっても落ち込むに違いない。
と、クイナを見れば、彼女も隠していた事を後ろめたく思っているのか。
耳も尻尾もしょんぼりとさせていた。
その様子を少し心配しながら見てると、やがて驚き顔のメルティーが「……クイナ、ちゃん」と口を開いた。
彼女の声に、クイナの耳と肩がビクリと跳ねる。
「あの、その……」
クイナが俺の服の裾を握った。
その手の上から包むようにして握ってやれば、裾から俺へと彼女の熱が乗り替わる。
ギュッと握られた手は、心細そうで縋るようで。
心細いのだろうという事は、手に取る様に理解できた。
だから「大丈夫」と、その手をちゃんと握り返す。
するとメルティーは、意を決したようにぐっと少し顎を引いた。
「あの! クイナちゃんはワンちゃんなの……?!」
「え、そこ?」
彼女の言葉に、思わずそう呟いたのは俺だ。
え、気になるのは種類の方なの?
何とも抜けた問いである。
が、その瞳がクイナに対して肯定的どころか爛々と興味に輝いているものだから、こちらもホッと胸を撫で下ろす。
クイナも緊張から脱したのだろう。
相変わらず手は繋いだままだったけど、それでもチョイっと身を乗り出して。
「クイナはワンちゃんじゃなくて、キツネなの!」
「キツネさんっ?! 金色の子は初めて会った!」
「確かに珍しいですね」
「え、そうなんですか?」
獣人が多く集まるこの国でも?
言外にそう尋ねれば、ダンノさんはすぐに頷く。
「黄色ならばともかくとして、この輝く様な金色の毛並み、しかもキツネ族とならば、おそらく神の眷属と謳われる『輝弧《きこ》』の一族だと思います」
「そうなんですか」
「まぁもちろん隔世遺伝の可能性もありますけどね。どちらにしろ輝弧は獣人の中でも絶滅危惧指定Bですから珍しい事には変わりないですよ」
「『絶滅危惧指定B』……確かノーラリアでの種族人口に応じたグループ分け、でしたよね?」
そんな俺の言葉に彼は「あくまでも学術分類ですから、別に指定されたからどうという訳ではないのですが」と教えてくれた。
軽く微笑んでくれているのは「それほど気にすることでもない」と暗に言ってくれているんだろう。
そう。
この指定がされているからといって、国から何か補助が出るわけではない。
ただどうしても珍しい種族というのは、裏の人間に目を付けられやすい。
それなりに自衛ができるようにするべき、という一つの指標には、多分なる。
「じゃぁやっぱり、もし種族を聞かれたら『犬だ』と答えた方が良いんですかね……?」
「身の安全を守る手段としては一案ですね。でも……」
と、ダンノの視線が俺の手先へと滑ったところで、その手をグイっと引っ張られた。
「クイナはキツネなのっ!! ワンちゃんじゃないの!」
ムンッと怒り顔の彼女に、俺は「あぁ」と思い出す。
そういえば、出会った時からずっと彼女は自分の種族に固執していた。
という事はもしかして、犬族と間違われる事はクイナにとってキツネ族としてのプライドに障る事なのかもしれない。
彼女の年齢を考えれば、ほんの少し「いっちょ前にまぁ……」と思わないでもないけれど、自らに誇りを持てる事自体はとても大切な事だとも思う。
第一ここまでのプライドならば、俺が幾ら隠したところで彼女が端からすべて訂正してしまうだろう。
(これは多分無理だろうなぁー……)
ちょっと想像したただけで、思わず遠い目になってしまう。
だから嘘をつくのは諦めて、代わりにこんな約束をする事にする。
「じゃぁとりあえず、『《《聞かれたら》》答えていい』っていう事にしよう。その代わり自分から『キツネの獣人だ』って言いふらす事は無し。じゃないと、もしかしたら《《鍋にされて食べられちゃう》》かもしれないからな」
「えっ」
俺の忠告に、クイナは途端に不安顔だ。
それを「約束を守れば大丈夫だよ」と言い含めて約束させる。
一緒にいればもちろん俺が守るけど、クイナが珍しい種族だと知られたら、1人を狙われる確率も高くなる。
やっぱりそれなりの警戒は必要だろう。
少なくとも、彼女自身がある程度の自衛が出来るようになるまでは。
そんな風にあれこれと話しながら、俺達は首都行きの馬車を探しつつ歩く。
並んで歩く俺とダンノさんのすぐ前では、メルティーと耳も尻尾も全開のクイナが2人でキャッキャと笑い合っていた。
何となくだけど、俺は何だか「この光景は今後も長いこと見る事が出来るものなんじゃないかなぁ」と密かに思ったのだった。
ノーラリアに入ったとはいえ、ここはまだ国の端。
目的地である首都までは、まだ少し馬車で走らなければならない。
「遅かったな、なんかあったか?」
乗り込む際に御者にそう尋ねられ「偶々兵士に顔見知りが居た」と答えると、彼は特に怪しむ様子も無く乗車を急かした。
俺たちが馬車に乗り込めば、最後の乗客だったのだろう。
馬車はゆっくりと再出発する。
この馬車の終点は、この国の首都・イリストリーデン。
あと2日も掛からない距離にある都市だ。
国に入ってから一日と15時間もすれば、遠くの方に豆粒のような建物群が見えてきた。
周りが平地で邪魔するものがちょうど進行方向に無いのに加えて天気の良さも手伝った結果の景色だ。
俺達は実に幸運である。
「見ろクイナ! 見えてきたぞー」
俺がそう教えてやれば、クイナの耳がピヨッと立った。
狭い馬車の右側席から俺が居る左側席にピョンッと飛び移り、俺が覗いていた窓に鼻がペシャンコになりそうなくらいひっつけて外を見る。
「おぉー! ……?」
「ん? どうした?」
一度は喜んだ筈なのに何故か耳がへチョンと下がったクイナにそう尋ねれば、彼女はその両眼に至極残念そうな色を灯して言った。
「何かとってもちっちゃいの……」
その言葉に一体何の事を言っているのか分からなくて、俺は一瞬キョトンとした。
が、数秒遅れで理解する。
なるほど、つまり今見えてる大きさの街だと思った訳だ。
「大丈夫だぞ、クイナ……っ、それはただまだ距離があるからでだな……っ」
頑張れ、頑張るんだ俺。
耐えろ、笑うな!
確かにずっと目指してきた街が、例えば本当にあんな「もしかしたら踏み潰しても気づけないんじゃないだろうか」と思わず不安になるような大きさだったとしたら、俺だって落ち込むだろうけど!
耳も尻尾も肩も顔も、全部ショボーンてなっちゃうだろうけど……!
でもクイナはあくまでも真剣にまるで「もう世界は終わりなの……」みたいな感じで絶望してるんだ。
だから絶対に。
「近くに着けば、フッ」
笑っちゃぁ。
「ちゃんと大きく……フフッ」
「んむーっ! アルド、何笑ってるの?!」
「わ、笑ってない、笑って……ブッフハハッ」
「笑ってるのーっ!!」
「グフッ!」
怒ったクイナが俺の横腹に頭から突っ込んできた。
そのままドリルの刑に処してくるから、結構これが地味に痛い。
「痛い痛いゴメンって。ほら干し肉あげるから!」
「んんんーっ!」
「何っ?! 干し肉でも釣れないくらいのご機嫌斜めだと?!」
まさかのクイナが好物に誘われないとは。
どうやらかなりのオコらしい。
だけど早く何か対策を打たないと俺のわき腹、もしかしたら本当に抉れちゃう可能性がある。
痛い。
「な、なぁクイナ? 俺は別にお前をバカにした訳じゃなくてだな。その、お前があんまり可愛い反応してくるからつい――」
「……可愛い?」
俺がとりあえず言い訳を並べてみると、クイナが一つのワードに反応した。
そうか、『可愛い』か。
まぁ確かにクイナだって女の子なんだし、そういう褒め言葉は嬉しいのは当たり前か。
しかしこの子、食い物以外にも反応する事あるんだなぁー。
新たな発見が嬉しいような、新たな弱点を見つけてしまって心配度が増したような。
(コイツ、街に着いた後で誰かに「キミ可愛いね、甘いお菓子を上げるから一緒に来ない?」とか言われたらホイホイついて行っちゃいそうなんだよなぁー……)
今は俺も、旅のお供兼一応クイナの保護者のつもりだ。
その辺を心配しない訳にはいかない。
俺と出会ってまだほんの数日だというのにこの懐きようなんだから、猶更。
が、まぁそっちの話は今はとりあえず置いておく。
今この瞬間の俺は、未来の脅威よりもわき腹の鈍痛の方がよほど気になる。
「あぁ可愛い、クイナは可愛い!もう世界一!」
「世界一?」
「あぁ、むしろ宇宙一!」
食い付いてきた彼女を懸命に、努めて真面目な顔で褒めてやれば、彼女は「ふぅん」と言って視線を下げる。
お陰で表情は見えなくなったが、それもほんの数秒の事だった。
些かの沈黙の後、クイナの頭が俺の膝にちょっとした重みと一緒に転がってきた。
あっちを向いているせいで表情はまだ見えにくいけど。
(あ、こりゃぁ機嫌直ったな)
その結果は、頭の上でピルピル動いている耳と、ファッサファッサと動く尻尾。
これらを見れば、まさに一目瞭然だ。
とりあえず何とかなった……。
そんな安堵と共にちょっとした疲労を感じながら、俺は目の前の頭を撫でつつ窓の外へと目をやった。
馬車は少しずつ、しかし確実に首都に近付いていっている。
俺はこの街の城下に降りたことは無いし、もちろん交流を持ったことだって無い。
だからこそ不安で、しかし少し楽しみだ。
一体どんな物があって、どんな人達が居るんだろう。
そしてそこで俺は、どんな事をするんだろう。
今までは道中急いでいた事もあって街歩きも何かと控え目だったけど、首都ではやっと堂々と平民街を歩く事が出来るだろう。
平民として、ただ純粋に。
やりたい事も沢山ある。
なんてったって、まだあと8つもやりたい事が渋滞中だし、クイナについても今後の事を色々と考えなければならない。
なんていう事を色々考えていると、ダンノが声を掛けてきた。
「そういえば首都に着いた後、アルドさん達はどこに宿泊するのか決めておいでで?」
その問いに振り向いて「あぁいえ、着いてから探そうかと」と言えば、少し曇った顔が返ってくる。
「しかし着いた時にはもう夕方でしょう?」
「それは確かにそうなんですけどねー……」
それでも伝手が無いんだから仕方がない。
「もし宿が埋まっていたら、最悪野宿も在り得るかなぁ」なんて思っていると、ダンノが「うーん」と小さく唸った。
「アルドさんは宿にお金は掛ける派ですか?」
「え? あ、いいえ。寝れれば特に」
王太子だった頃は勿論ふかふかのベットで寝ていたけれど、それはそういうベッドしか用意されていなかったからだ。
別にそこに拘りは無いし「ベッドの固さが変わったら眠れない」とか、そんな繊細な体でもない。
見た所クイナも特に現状で不自由はしてないようだから、猶更俺はそこに必要以上の金を掛ける気は無かった。
そんな気持ちを一部隠して要所だけ伝えると、彼は「ふむふむ」と頷いた。
「ならば、街の西にある『天使のゆりかご』という所に行ってみると良いでしょう。とてもいい宿なんですけど、多分今日も空いてます」
「えっ、そうなんですね。助かります! じゃぁちょっと行ってみよう」
良い情報を手に入れた。
――一方その頃母国では。
僕、グリント・ルドヴィカの生活は順風満帆と言っていい。
だって前王太子・アルドが平民に落ちこの城を追放されてから、僅か9日。
既に昨日の内に立太子の儀が盛大に行われ、国民たちに祝福されながら無事王太子の地位に納まった僕なんだから。
「フフフッ、やっぱり僕の方がアイツより優れてるんだ!」
ソファーに腰を掛け窓の外に出ている丸い月を眺めつつ、赤ワインをスッと煽る。
実に美味しい。
こんなに美味しい酒なんて初めて飲むかもしれなかった。
その理由は分かっている。
「アイツの全てが今や僕のものになった。アイツの持っていた立場も権力も、父上からの期待さえも」
実はその立場の内の一つにアイツの婚約者だった女も入っている、というのは昨日の立太子の儀でお披露目になった新事実だ。
バレリーノはとても美しくていい女だ。
夫になる僕を立てて一歩後ろに下がれる従順な女でもある。
が、何よりもついこの間までアルドのモノだったという所が良い。
最近少し増長し始めた母上が僕にも口を挟んでくる辺りは少し面倒だけど、そんなものは僕がいずれ王になればどうにでもできる。
そもそも父上には、アルドが王太子の座についていた時から「そろそろ隠居しよう」という動きがあった。
僕に変わる日も近いだろう。
「まぁその分書類仕事の負担はかなり増えてしまったが、そんなものは全て臣下どもに丸投げしておけばいい」
僕はそうほくそ笑んで、再びワインをグイっと呷った。
臣下は僕の手足である。
僕からの命令を喜んで受ける傀儡、僕の役に立つ事こそがヤツ等の存在意義なんだから使ってやるのは当たり前だ。
そう言えば当初、「アルド殿下に追手を放っておいた方が良いのでは……?」などという無駄な進言をしてきたヤツが居たが、そんな生意気なのはその日付けで閑職へと飛ばしておいた。
この僕に、自ら平民へと下ったあのバカを警戒しろと?
僕がわざわざ手を回さねばならないようなヤツじゃないだろ。
それなのに「いずれ殿下の脅威になるかもしれませんから」なんて言うんだから、俺をバカにしてるよな。
まぁどちらにしても、王城に出入りする上流貴族達への根回しは完璧に近い。
あのバレリーノにも裏工作を少し手伝わせているんだが、流石というべきか手際はかなり良い。
「――前殿下とは大違いで、グリント殿下は話が分かるお方なのですね。今後も誠心誠意支えさせていただきますわ」
あの女はそう言って微笑んできた。
もうアイツも僕の手足だ。
アルドが掌握できなかった女を、だ。
やはり僕の方がアイツより、よっぽど優れてる証拠だろ?
実はその際「根回しの為の金を幾らか国庫からお借りしました」と報告を受けたが、どちらにしても回り回って国の為になる事だ。
まぁ問題ないだろう。
僕の治世が安定した時、この出費をみんな泣いて喜ぶさ。
とりあえず明日は寝坊したいから、机の上に積みあがってるこの書類にはとっとと承認印をついておこう。
……内容?
そんなもの、見る筈が無い。
どうせ僕の手元に来るまでに何人もの人間が確認してる。
僕は現場の事は現場に任せる主義だからな。
奴らの自主性というやつに任せるさ。
あー、それにしてもワインが美味しい。
えーっと……承認印、どこだっけ?
***
グリントが酔いつぶれかけているのと、ほぼ同時刻。
ツィバルグ公爵家の執務室にて、初老の男が見目麗しい娘と机越しに向かい合っていた。
「どうだバレリーノ、首尾の方は」
「もちろん順調ですわ、お父様」
シャンと胸を張り美しく微笑むその令嬢は、揺れる事など微塵も無くそう告げる。
よほど自信があるらしい。
が、それも当たり前かと父の方はニタリと笑う。
「アルドの時は随分と懐柔に手こずったようだがな」
「手こずったどころか見事に失敗しましたわ。だってあの人、私の外面や影響力だけじゃなく、金にも権力にも惹かれてはくれないんだもの」
あれほど扱いにくい男も居ない。
彼女はそう言い切った。
これは紛れもないバレリーノの失策報告だ。
靡かなかっただけじゃなく、アルドはその後ツィバルグ公爵家に弓まで引いた訳だから、父としては到底許せる失策じゃない筈だ。
にも関わらず、結局事なきを得たからか。
娘のその言い切りに男は可笑しそうに笑う。
「バレリーノよ、それでは《《今の》》が小物のように聞こえてしまうではないか」
「あらお父様、いけませんわ。私はたったの一言だって、そんな事など言ってませんのに」
父の軽口にバレリーノもまた、クスリと口元に笑みを浮かべた。
しかし先程までとは違い、そこには何かを卑下したような色がチラつきくすぶっている。
「大丈夫ですわよ、お父様。今代の王もそうですが、それ以上に《《今の》》は稀に見る逸材です」
「ククッそうか、逸材か。それはさぞ――操りやすい事だろう」
馬車を降りると、目の前には淡い朱色に染まった街並みが広がっていた。
道の両端に立ち並ぶ木造の建築物。
店頭には所狭しと売り物がひしめいていて、凄い人込みだ。
時間的に、灯りを付ける店もあれば店じまいの準備を始めるところもある。
それらも含めて、俺は「活気に満ちてる街だなぁ」という感想を抱いた。
首都なので、この国の城のお膝元だ。
俺も一度は来たことがある筈なのだが、今になって初めてそんな感想を抱くあたり他国の城下の雰囲気まで気にする余裕が無かったらしい。
が、不思議なものだ。
(種族の違いこそあれど、人の多さも店数もルドヴィカ王国と大して変わらない。なのに「活気に満ちてる」と思う理由は、多分街の人たちの顔つき……かな?)
そう思いながら街の人々の顔を見る。
仕事で浮かべる笑顔もあれば屈託のない笑顔もある。
悔しそうな人も居れば、少し苦しそうに重い荷物を持ちあげる人だっている。
しかしそれさえも、この街では彩の様に見えるのだから本当に不思議でならない。
こんな風に新たな世界に出会えた事だけでも、既に「この国に来てよかった」と思える。
が、出会いもあれば別れもあるもので。
クイナも馬車を降りた所で、ダンノとメルティーとは別れる事になった。
ダンノと手を繋いで歩いていくメルティー。
その背中を眺めながら、クイナは寂しそうに「メルティ―……」と呟く。
しっぽも耳も、あからさまにショボン状態。
そんな彼女の肩にポンと手を置き「大丈夫」と言ってやれば、縋る様に彼女が俺を見上げてきた。
まるで今生の別れかの様な素振りだ。
そう思ったら不謹慎だと分かっていても思わず笑ってしまいそうになる。
「そんな顔してんなよ」
涙目のクイナにそう言えば消え入るような「だって~……」の声が返ってきた。
だから言ってやったのだ。
また会いに行けばいいだろ、って。
「また……会えるの?」
「もちろんだ。ダンノさんがやってるっていう商会の名前は聞いてるし、俺達だってこれからはこの街に住むんだぞ? いつでも会える。身の回りの事が落ち着いたら二人で行ってみればいいだろ?」
な? だから大丈夫。
もう一度そう念を押せば、やっとクイナの表情が綻んだ。
「ぜっ、絶対! 絶対なのー!」
「はいはい、絶対な」
俺の腰に飛ぶように抱き着きブラーンと足を浮かせたクイナは、メルティ―とはよっぽど気が合うんだろう。
でなければ、こんなアグレッシブな方法で再会をせがんできたりしない。
そこまで再会を喜ぶくらいの友達だ、その縁を断ち切らずにいてやりたいなと保護者ながらに考える。
が。
「おーい、クイナいい加減に離れろー? 行きたい所があるってのに歩きにくくて敵《かな》わんわ」
「行きたい所?」
「そ。良い所だぞ」
「っ!」
俺の『良い所』発言に、彼女はすぐに地に足を付けた。
そんな実に分かり易いクイナに、俺は「さて」と声を上げて手を差し出す。
「人が多いから、ここからは手を繋ぐぞー。で、この後はちょっと俺の『やりたい事』に付き合ってほしいんだよ」
「『やりたい事』?」
「そう。前に言っただろ? 俺の目的は『ずっとやりたかった事をやっていく事だ』って。クイナにも一緒にやってほしくて。どうだ?」
そう尋ねると元気のいい「うんなの!」が返ってきた。
だから俺は「よし、じゃぁ行こう!」と、意気揚々と歩き出す。
街を歩けば、この国の人種の豊富さを改めて実感した。
「ねぇアルド、あの人は?」
「エルフだな」
「あっちは?」
「ドワーフ」
「じゃぁあの人」
「あの人はお前と同じ獣人――ってそれは流石に分かるだろ」
「えへへー」
「バレたの」みたいな顔をしながら俺を見上げてくるクイナに、こっちまで楽しくなって笑う。
俺と同じ人族もいはするが、数はそう多くない。
しかし少数派の彼らを含めて、特定の種族がただそれだけで虐げられているといった様子は見られなかった。
どうやらこの国は、謳い文句そのままに種族間の共存が上手く成り立ってるようだ。
と、しばらくの街を歩いていた所で、どこからともなく良い香りが鼻を掠めた。
これはアレだ、焼ける肉とタレの良い香り。
「あぁ、あれだな」
少し見回してその正体を突き止めれば、やはりそこには思った通り出店屋台が立っていた。
掲げられたのぼりには、ここら一帯の共通語で『オーク肉の串焼き』と大きく宣伝されている。
「よしっ、行くぞクイナ!」
隣を見下ろして弾む声でそう言えば、少し驚いたような顔のクイナが「えっ、うん?」と答えた。
ちょっとテンションが上がってしまって、それまではちゃんとクイナに合わせてた歩幅が思わず大きくなっちゃったが、クイナもそんな俺に合わせて小走りで付いてきてくれる。
そうして俺達は人の往来の流れを斜めに横切り、その屋台の前まで抜けた。
「おう、らっしゃい!」
俺達が客だと気が付いた店番の男が、俺達に良い笑顔を向けてくる。
その男の頬には薄っすら、うろこの様な模様がある。
おそらく彼は、竜族か竜人族の血を引いてるんだろう。
日に焼けた黒い肌にスキンヘッド、体も結構なゴリマッチョの男で、それでもどことなく爽やか印象なのは、多分飾りっ気の無い笑顔のお陰なんだと思う。
そんな彼に、はやる気持ちを押さえつつ俺はまずこう尋ねた。
「あの、共通通貨は使えるか?」
「あぁ勿論だ!」
「良かった、じゃぁ俺とこの子のとで2串ください」
「あいよ!」
と、俺の手をクイッと引っ張られた。
「どうした? クイナ」
「ねぇアルド、これを食べるの?」
「あぁそうだそ! ……って、あ。そういえば聞くの忘れてたけど、お前オーク肉は食べれ……そうだな」
「うん、好きなの!」
肉類は好きだと言ってたが、「もしかして肉の種類によっては苦手があるかもしれなかった!」と少し焦りながら聞いた。
しかし杞憂だったようだ。
だって耳も尻尾もめっちゃ「嬉しい」を体現してるし、何より目がキラッキラと喜びに煌めてるんだから。
もしこれで「苦手」と言われたら、思いきり「嘘つけ!」と叫ぶところだ。
まぁとりあえず、おいしく食べれそうで良かった。
そう思っていた所に、クイナが男を見上げて言う。
「この街に来て初めてのご飯なの! 一番おいしいの頂戴なの!!」
「おっそうなのかい? じゃぁ一番良いのをあげなきゃなぁ!」
子供であるクイナの我儘に笑顔で付き合ってくれる辺り、風貌はちょっと怖い系だが思いの外良い人のようだ。
一応「この子がすみません」と謝れば、彼は豪快に笑いながら「あー、良いの良いの」と言ってくれる。
「可愛いなぁ。お嬢ちゃん、幾つだい?」
「8歳、なの!」
「そうかぁ、今が可愛いお年頃ってやつだなぁー」
そんなやり取りをしながら、香ばしく焼けた串が2本取り上げられて。
「ほら嬢ちゃん、熱いから火傷するなよ!」
「ありがとなの!」
ホクホク顔でその串を受け取ったクイナを見つつ、俺は密かに「クイナって8歳だったのか……」なんて事を思う。
見た目年齢で6、7歳かなとは思ってたけど、そういえばちゃんと聞いた事が無かったと今更ながらに気付いてしまった。
と、そんな俺にも串が差し出される。
「はい、兄ちゃんも!」
「ありがとうございます」
お礼を言いつつ串と入れ違いにお金を渡し、クイナ「じゃ、行くか」と告げる。
すると彼女は薄紫色の瞳をキョトンとさせてつつ首を傾げた。
「食べないの?」
「勿論食べるよ。でも言っただろ? 『俺のやりたい事に付き合ってくれ』って」
言いながら、歩き出す。
するとまだ良く分かっていないながらも、付き合ってくれる気はあるらしい。
彼女の為に開けておいた右手を、小さな左手がギュッと握ってきた。
道行く人々の顔は、もう既に良くは見えない。
落ちかけた夕日に照らされる視界は少し薄暗く、こちらに向かって歩いてくる人の顔は逆光もあって黒い影になって見える。
それでもまだ沢山の人がメインストリートを往来していて、その人込みに俺達も紛れる。
嬉しかった。
この景色の一部になれている事が。
誰も俺達を振り向いたりしないこの状況が。
だってそれは今までずっと、俺が決して味わう事の出来なかった事だから。
そして俺が『ずっとやりたかった事』は、その延長線上に存在する。
「……俺、ずっと『街での歩き食い』っていうのをしてみたいと思ってたんだ」
呟くように、3つ目をカミングアウトした。
するとクイナが俺を見上げてこう聞いてくる。
「歩き食いって、歩きながら食べる事……なの?」
「うん、その通り」
「やりたいんならすれば良かったのに」
「それが簡単に出来れば良かったんだけどな……」
心底不思議そうなクイナに、俺は少し苦笑する。
以前の、王太子だった頃の俺にはそもそも、城下へ降りる事さえ許されてはいなかった。
視察として道を通る事はあっても、安全性を考慮すれば今の様に人に混じって歩くなんて許される筈が無かったし、市井の物を口にするなんて事も言語道断の類だった。
そんなダメとダメが組み合わさったかのような『歩き食い』なんて経験、まさかさせてもらえる筈が無い。
しかしこれは、クイナが知らない世界の常識だ。
そして別に知らなくていい。
「俺が前居た所は、クイナが思う『当たり前』が叶わない場所だった。そういうルールだったんだよ」
必要な所だけを掻い摘んで教えてやると、キョトンとした顔で「そうなの?」と言ってくる。
それに頷けば今度は「むぅ」と唸りながら何やら考え、憂鬱そうに言葉を吐いた。
「それって何だか、とってもとっても窮屈そうなの」
「そうだな、俺もそう思う。でも今は、俺ももうそのルールから解放された。だから良いんだ」
そう言って、俺はまだ湯気が立ち上る串焼きにかぶりつく。
するとタレの香ばしさと共に、肉の中に閉じ込められた肉汁がジュワッと溢れてきて。
「あっふ(熱っ)!!」
突然の事にビックリして、軽くパニックを起こしてしまう。
噛み切った肉が口の中で、舌を攻撃して痛い。
超痛い。
さっきは「熱い」って言ったけど、もう痛いとしか思えやしない。
「なら出したらいいじゃんか」ともしかしたら思うかもしれないが、せっかく初めての『歩き食い』なんだし、痛みで味とかイマイチ分からないんだけど、多分肉自体は美味しい。
そういう理由で半ば無意識に、「口から出す」という選択肢は全く思いつかなかった。
だからどうにか熱さから逃げようと、口の中で肉ハフハフと転がした。
正直言って、涙目だ。
そうやってどうにか食べられる熱さまで温度を下げる事に成功し、改めてモグモグと咀嚼する。
「ふん、ほいひい。はめははふほほはひはへる(うん、美味しい。噛めば噛むほど味が出る)」
肉だけじゃない。
味付けに使っているタレも良い。
城で出る料理には大抵香辛料がたくさん使われていたんだけど、それとはまた「コンセプトが違う味付け」という感じだ。
なんかこう、ちょっと脂身が多くてコッテリ気味の肉の味を邪魔しない、最低限の絶妙な味付けという感じだ。
何だかのど越しの良いアルコールが飲みたくなる。
……まぁ今はクイナも居るし、実際には飲まないけど。
しかし、それにしても。
(正直言って、「熱さ」をかなり舐めてたわ~。そもそも熱さに注意するとか、今までは無かったし……)
そんな風に一人言ちる。
今まで出てくる料理たちは全て毒見が必要だったから、俺の口に入る頃には既に冷めてしまってた。
だからそういう危機意識を抱く機会が無かったのだが。
(熱いって、痛いんだなぁ)
生まれてこの方18年と少し。
この時俺は、初めてそんな事を知ったのだった。
因みにクイナはと言うと。
「めっっっっちゃ熱いから気を付けろ?」
「うんなの! ……(モグモグモグモグ)……おいしいの!」
「あ、そう……」
俺なんかよりもずっと熱いものの食べ方が上手だった。
そして俺の口の中は、この日一日水を飲む度にピリリと痛むことになる。
(こりゃぁちゃんと熱いものを上手く食べる練習、しないとダメかぁー……)
何だかちょっと恥ずかしいので、クイナにも内緒で俺は密かにそんな目標を立てたのだった。
2人して串を食べつつ、俺達は夕日に向かって歩いていた。
別にセンチメンタルな気持ちだったからじゃない。
もっと実用的な事を心配してだ。
そして見つけた。
『天使のゆりかご』
そう書かれた建物を。
ダンノさんに教えてもらったその宿は、「洗練されている」という言葉がピッタリな外観だった。
何というかこう、飾りっけが一切無い。
もしかしたら「人を呼び込む気が無い」と言い変えても良いかもしれない。
他よりちょっと大きな民家という風貌で、もし看板が無ければ宿屋だとは思わなかっただろうと思うくらいだ。
そんな感じだから、申し訳ないが今の所は名前負け感が否めない。
しかしまぁ、せっかくダンノさんが教えてくれた宿である。
他にツテも無いんだし、俺もそれほど高望みはしていない。
だからクイナの手を引いて、明かりが漏れるそのドアにゆっくりと手を掛けた。
押し開くと、外が暗かったからだろうか。
室内の明かりが少し眩しい。
瞑るまでは行かなくとも、思わず目を細めながらドアをくぐる。
と、その瞬間。
「あ、お泊り希望の方ですか?」
――天使に出会った。
そう思った。
もっと具体的に言えば、まるで天使かと思うような慈愛に満ちた微笑みの持ち主が、背中に白い羽を背負《しょ》ってそこに居た。
これを「天使」と言わずして、一体何と言えばいいのか。
……否、分かってる。
彼女が天使じゃないって事くらい。
ここは他種族国家であり、種族の中には翼を持つ種族も居る。
名を、天族。
古い伝記では、それこそ神の御使い・天使と表現される事だってある種族だ。
が、ここで一つ小さな謎が氷解した。
宿屋の名前の一部の事だ。
それに一人で納得していると、多分ずっと反応しない俺を不審に思ったんだろう。
「あの……?」
「どうしましたか?」と聞きたげな黒瞳がこちらを見てくる。
それでやっと、俺の方も我に返った。
「あ、すみません。宿泊希望なんですが空いてます?」
「はい大丈夫ですよ」
俺の答えに彼女は安堵と喜びの表情を覗かせながら応じてくれた。
そしてちょうど手に持っていた白いシーツをカウンターの脇に置きつつ、更にこう聞いてくる。
「何泊のご予定ですか?」
「あ、その辺まだちゃんと決まってなくて。定住の為の下見に来たようなものなんですけど……」
「あぁそうなんですね! ここの定住者は比較的穏やかな人が多いので、お子さん連れでも安心ですよ。きっと気に入ってもらえるんじゃないかなぁ」
嬉しそうな顔でほのほのと笑う彼女に、俺は心臓のど真ん中をズガンッと撃ち抜かれたような気持ちになる。
可愛い。
可愛すぎる。
もし手を繋いてなかったら、クイナの存在を忘れてしまったかもしれない。
そのくらいの衝撃だ。
ごめんクイナ、許してくれ。
確かにお前は愛嬌のある良い子だが、それとこれとは別腹だ。
いやいや、というかそんな事より。
(何なんだ、この今までに感じた事の無いトキメキは……!)
立場上、今までどれだけの女性からアプローチを受けてきたか分からない。
その誰もが懸命に着飾り、丹念に化粧をして磨き上げて。
中には俗に言う「美女」という人たちも沢山居た。
しかしそれでも、こんなにもトキメいたのは初めてだ。
何故だろう。
目の前のこの人は、全く着飾ってはいないのに。
接客業だからそれほど汚い恰好をしている訳でもないが、着ているのは平民の普段服だし。
捲られた袖とか、邪魔にならないようにと結わえ上げられた髪から少し落ちてる後れ毛とか。
そういう所はむしろ生活感があると言って良い。
なのに何故かこんなにも、俺の目を引いてやまない――って、もしかして。
(……否、むしろそれが良いのか? 俺はそういう、ガッチガチの戦闘服よりも隙がある格好とか笑顔とか、そういうのの方が好みなのか?!)
王子である時は、結婚は政略の為の手段だった。
だからそんなものを大して意識もしてこなかった。
だけどまさか、こんな所で自分の好みと初対面とは。
これだから人生分からない。
廃嫡されて以降俺は、何度か新しい自分に出会った。
しかしその中でも、これは一二を争う革新的な発見だ。
……と、何だか良く分からないテンションのまま俺が胸を躍らせていた、その時だ。
「あれ? お客さんかな?」
カウンターの奥の方から、少し気の弱そうなコック服のメガネの男がひょっこりと顔を出してくる。
「えぇそうなの! この街に定住するための下見なんですって!」
「へぇ、それは嬉しいな」
彼女の言葉にすぐさま相槌を打った彼は、彼女ととても気心が知れているという感じだ。
俺を見ると、目じりにシワのある顔で「お客さん、是非ゆっくり見ていってくださいね」と言ってくれる。
「あ、はい。ありがとうございます」
そう言葉を返すと、それで満足したのだろうか。
彼はまた奥へと引っ込んでいった。
この宿のコック……だよな?
そんな風に思っていると、その機微を察したのか彼女がすぐに教えてくれる。
「彼はこの宿の店主で、ズイードと言います。そして私はその妻のマリアです」
そうか、この人はマリアさんというのか。
天使かと思ったら、まさか聖母だったとは――って。
「えっ」
そこまで考えて、俺は思わず声を上げる。
今何って言った?
『妻』?
「妻、というと……」
「はい、この宿は夫婦で切り盛りしているですよ!」
そうじゃない。
引っかかったのはそこじゃない。
が、意図せず答えは得られてしまった。
俺にとってはちょっと残酷な答えがまさかの。
(くそっ、折角ちょっとマリアさんを好きになりかけてたのに。……否、なりかけ時点で分かってむしろラッキーだったのか?)
どっちだろう。
否、どっちでもいい。
何も始まらない内に失恋とか、世の中世知辛すぎるだろ。
そう思えば、内心ガックリ来てしまう。
が、当の本人はそんな事なんかには全く気付かず、仕事を続行しにかかる。
「じゃぁとりあえず連泊予定という事で良いですか?」
「あ、はい……」
「もし宿泊の必要が無くなったら言ってください。前日までに言っていただければ問題ありませんので」
「分かりました……」
「お値段は、一人一泊で銅貨2枚になりますが……」
何泊分払っておきます?
まだ失恋ダメージから回復していない俺に、彼女の目がそう聞いてきている。
俺は少し考えた後、とりあえずキリの良いところで数泊分と考えて銀貨2枚を懐から出した。
「じゃぁこれで」
「えーっと……はい。ではお二人で5日分、頂戴しますね」
「お願いします。それ以上になりそうな時は、またお支払いしますので」
「はい。では早速お部屋へとご案内しますね」
そんなやり取りをして、彼女がカウンターから出てきて部屋まで先導してくれる。
その後ろをついて歩きつつ受付のすぐ隣にある階段を登りながらも、話はまだ少し続いた。
「お食事は?」
「あ、実はちゃんとした晩御飯はまだなんですけど」
「ならうちの食堂でもお出しできますので、お気軽にご用命ください。予約とかは要りません」
「ありがとうございます。じゃぁ早速今日の夕食、良いですか?」
「はい勿論! ……と、ここですね」
そう言って辿り着いた先にあったのは廊下の突き当り、一番奥の部屋だった。
扉を開けてくれたのでとりあえず中を覗いてみると、部屋にはベッドが2つ設置してある。
その他には、2脚の椅子とテーブルと、後は特に何もない簡素な感じの部屋だった。
しかし俺は思いの外満足していた。
その理由はたった一つ。
(ザッと見ただけでも、部屋の隅々まで掃除が行き届いてるのがよく分かる。これまで幾つかの宿屋に泊まってきたけど、ここまでのクオリティーの所は無かった。こりゃぁ紹介してくれたダンノさんに感謝だな)
丁寧な仕事を見るのは好きだ。
俺にとっては、高い物で飾り立てられた部屋よりもこの方がよっぽど好感度が高い。
そんな感想を抱いていると、俺の後ろからクイナがヒョコッと中を覗いた。
そしてすぐに、顔をパァッと明るくする。
そして獣人の脚力に任せてタッと床板を蹴ると同時に、ベッドに向かってダイブした。
正直言って、止める間も無い。
というかクイナ、今まで一度もそんなのした事なかったくせに。
……まぁしたくなる気持ちは良く分かるけど。
だって室内が綺麗に掃除されているのと同様に、シーツだって真っ白だ。
そんなものを前にしたら、とりあえず飛び込みたくなるのも仕方がない。
特にクイナみたいに、好奇心旺盛な子供なら。
人様の前でお転婆さを晒したクイナに俺は小さく「お行儀悪いぞ」と言っておいたが、まぁこのくらいは年相応でもあるとも思う。
という事で、それ以上は特に咎める事もしない。
カギを受け取り、後で食事に下りる約束をしてマリアと別れてドアを閉めた。
そしてクイナがダイブしなかった方のベッドに腰を掛け、荷物を横に置いてから仰向けにゆっくりと倒れ込む。
(……来たんだなぁー、ここまで)
天井の木目を眺めながら、俺はぼんやりそう思った。
城を出て、そのままこの国に直行して。
それがわずか10日前の事だなんて、密度が濃すぎて実感が薄い。
「3日目からは、特にクイナが居たから特になぁー」
そう呟きつつ、目がクイナの姿を探す。
が、ベッドに居ない。
「アレどこ行った?」と探そうとしたが、その必要はすぐに無くなった。
だってクイナは、俺のベッド上空を――飛んでいたから。
「どわっ?!」
おそらく隣から飛び込んできたのだろう彼女との正面衝突を、反射的に回避する。
すると一体何が楽しかったのか、クイナはキャッキャと笑い出した。
「ど、どうした? クイナ」
「呼ばれたから来たの!」
呼んでない。
「アルド、『クイナ』って言った!」
あぁー……、それはまぁ確かに言った。
どんな理由があったって、人様のベッドにいきなりダイブしてくるのはどうかと思う。
が、「呼ばれたから」という理由で言葉の通り《《飛んで》》きた彼女の健気さは、まぁそれなりに可愛らしくもあるもので。
「……はぁ、全くしょうがないヤツ」
でもだからってクイナの頭をナデナデしながら息を吐くだけでクイナを許す俺はちょっと、もしかしたら甘いのかもしれない。
まぁとりあえず無事に到着し、当面の寝泊まりする場所も確保できた。
金もまだある。
今後は今までの様に急ぐ必要もない。
マイペースにやっていこう。
「やりたい事も、一緒にやっていきたいしなぁ」
ナデナデが止まらないままの俺のそんな呟きに、クイナがガバッと顔を上げた。
見れば何かを思い出したような顔で、「ねぇねぇねぇねぇ!」とテンション高く言ってくる。
「ねぇアルド! クイナ、『やりたい事』がまた出来たの!」
「おー、何だ?」
「メルティ―と会う!」
「あぁそっか、そうだった」
それについては、わりとすぐ叶えてやれる。
「明日にでも会いに行ってみるか」
「っ! うんなの!」
元気よくそう返事した彼女の尻尾が、俺の隣で右に左にゆっくりと揺れている。
ただそれだけで、クイナのご機嫌さは太鼓判だ。
こうして俺達はしばらくの間まったりと休憩した後、2人揃って夕飯を食べに下へと降りたのだった。
階段を降りた所で早々にマリアと会った。
ちょうど気付いた彼女のからの誘導を得て、俺は受付カウンターがある広間を抜けてその奥の部屋へと入る。
すると途端に辺りが騒がしくなった。
「ワイワイなのーっ!」
クイナのテンションが一気に急上昇だ。
先程までの静かだった広間とは打って変わって、この部屋は最早酔っ払いたちのどんちゃん騒ぎに近いものがある。
だからまぁ、そうなる気持ちも分からなくはないんだが。
「もしかしてこれ、遮音結界を張ってるのか……?」
「そうなんですよー」
言われて振り向けば、マリアがカウンターの中から「こちらにどうぞ」とカウンター席を進めてくる。
そこに腰を下ろしたら、彼女は笑いながら「遅くまでこんな感じの事もあるから、結界張っておかないと宿泊客に迷惑で」と教えてくれた。
確かにそれは、必要な気遣いなのかもしれない。
喧騒を前に、そう思う。
遅くまで騒いでないにしても人によっては早く寝る者だって居るし、子供なんて猶更だ。
クイナを抱える身としては、そういう配慮は確かに嬉しい。
が。
「それにしても凄いなぁー。ここまで見事な結界なんて、早々お目に掛かれない……」
そう言いながら、俺はしげしげと部屋に張られた結界を見る。
城にもこの手の結界はあった。
が、それは例えば重要な会議をする部屋や、国王陛下の執務室くらいのものである。
結界魔法の類は基本的に、使える術者が限られている分施すための金銭的負担も多く、本来ならばいくら王都だとは言ってもこのグレードの宿屋に施せるものじゃない……という認識だったんだけど。
「もしかしてお客さん、ルドヴィカから来られたんですか?」
「え、えぇ。でも何で分かって――」
俺は一度も、そんな事は言っていないのに。
そう思えば、元の素性が素性なだけに流石に警戒せざるを得ない。
今の俺は完全に平民だ。
けどもし素性がバレれてしまえば面倒事に巻き込まれる可能性が高い事くらいは、俺にだって簡単に想像がつく。
しかしそうやって瞬時に身構えた俺を、彼女は可笑しそうに笑った。
「簡単ですよ。ルドヴィカでは希少な魔法なんでしょうが、ここではそれほどでもないんですよ」
「え?」
「知りません? 結界魔法は聖魔法の一種。そして私達『天族』は聖魔法に先天性の適性があるんですよ」
「あっ!」
そういえばそうだった。
いかんな、どうもあちらの国の常識に引っ張られる。
「じゃぁもしかしてこの結界も……?」
「はい、私が張ってます」
なるほど。
それなら確かに安価とか高価とかは関係ない。
それにしてもマリアさん、こんな涼しい顔をして結界張りっぱなしって、実は凄い人なんじゃぁ……。
そう思いながら思わずしげしげと見つめてしまうと、マリアさんは「私は普通の天族ですよ」と言いながら、背中の羽をバサリと鳴らす。
笑顔だけど圧が凄い。
まるで「これ以上は深堀しない方が身のためですよ」と言われているような気分になって、俺はこれ以上の詮索を止める。
俺だって自分の素性を探られると困るんだ、人にもしない方が吉である。
が、そんな俺の冷や汗とは裏腹に、クイナは目を輝かせてマリアの翼を見上げて言った。
「わぁーっ! お姉さんの羽、とっても綺麗なのーっ!」
「フフフッ、ありがとう。えーっと……?」
「あっ、すみません。申し遅れました、俺はアルド。こっちがクイナです」
「クイナなの! よろしくお願いします、なの!」
自己紹介をしながら俺がポンッと軽くクイナの背中を押してやると、クイナはちゃんと自分でマリアに自己紹介をし直した。
うん偉い。
一方クイナの名乗りに対しマリアもほのほのと笑いながら中腰になり、クイナと視線の高さを合わせてくれる。
「こちらこそよろしくお願いします。クイナちゃんのお耳と尻尾も可愛いわ」
「えへへーっ!」
なん……だと?
この一瞬でクイナの心を鷲掴みにしてみせたマリアに、俺は思わず驚愕する。
が、ちょっと待て?
これはクイナはチョロ過ぎる気のが問題なのでは?
うーん、心配。
「……ん? アルドさん?」
そんな考え事をしていたから、反応するのにちょっと遅れた。
思わず「え? あぁ」と言いながら内心段々と恥ずかしくなっていく。
だってこれってアレじゃないか。
――まるで親バカみたいっていうか。
「そっ、それにしても人、とっても多いんですね」
はぐらかすようにそう言うと、マリアは困ったように笑う。
「宿屋なのに泊りの人よりこっちの方が多いなんて笑っちゃうでしょ?」
「あ、いや、別にそういう訳じゃ……」
確かにさっき案内された時の部屋数とここに居る人たちの人数は、逆立ちしたって合ってくれない。
そのくらいの大盛況さだが、別に悪い印象を受けた訳でも無い。
「ちょっと気になっただけだったのに、もしかして厭味ったらしく聞こえたか」とちょっと慌ててしまっていると、彼女は「分かってますよ」と言いながらこれまたコロコロと笑ってくる。
ヤバい、完全に手のひらの上で転がされてる感。
「食堂だけの利用もできるので、夕飯時間帯は特に近所の方や帰ってきた冒険者が晩御飯だけ食べて帰宅されるんですよ」
「あぁなるほど」
だから客層も屈強な男性客が多いのか。
そんな風に納得しながら、俺はやっと勧められたカウンター席にクイナと並んで腰を下ろす。
「そういえばクイナ、さっき串食べたけど夕飯食べれるか?」
「大丈夫なの! むしろさっきの食べてもっとお腹減ったの!」
大人用の椅子に半ば飛び乗りながら座ったクイナは、足をプラプラさせながら上機嫌。
理由は簡単、多分あちらこちらから料理の良い匂いがしているからだろう多分。
るんるんクイナに「そうか、なら良かったけど」と答えていると、マリアがメニューを持ってくる。
「お客さんは、共通語は読めますか?」
「あぁはい、大丈夫です」
そう言いながらメニューを受け取り、ふと疑問に思って隣に聞いてみる。
「クイナ、お前って文字は読めるのか?」
「読めないのー」
「そっか。じゃぁ一緒に読んでやろう」
そう言って「どんなものが食べたいんだ?」と聞いてみれば、元気よく「お肉!」と答えられた。
ブレない奴め。
まぁとりあえず肉の種類はクイナに選ばせて、別でサラダを頼んで食べさせよう。
じゃないと、間違いなく栄養源が偏っちゃうから。
「うーん、オーク肉はさっき食べたからな。あとはトカゲ肉とミノ肉……」
「ミノ肉なの!」
「了解。じゃぁマリアさん、ミノ肉のステーキとトカゲ肉のから揚げと、それからパンとサラダとスープをそれぞれ二つずつ」
「かしこまりました!」
彼女はそう言うと、一度注文を奥に伝えてすぐに戻ってきた。
ちょっと覗けば隙間からズイードがちょっとだけ見える。
多分今、彼に言ってきたんだろう。
「あ、ところでマリアさん。ここでは共通通貨や共通語が主流なんですか?」
「え、あーそうですね。この国は他種族国家だし、共通語を使うのが誰にとっても一番平等で分かり易いですから」
その答えに、俺は「やっぱりそうなのか」と独り言ちた。
先ほどの屋台でも、店の男は俺の「共通通貨は使えるか」という問いに「勿論!」と即答してきた。
この宿屋の料金も、何も聞かずに共通通貨を出したら当たり前のように受け取ってくれたし、今だって共通語のメニューが出てきたのだ。
その辺の事情を想像するには十分である。
が、おかしい。
(俺の記憶が確かなら、ノーラリア国にはこの国独自の言葉や通貨が存在した筈なのに)
忘れもしない。
この国との社交がかなり面倒だった事は。
普通他国との社交では、どの国の王族・貴族も共通語を話す。
しかしこの国の王族は頑なにそれを拒んで独自言語を使ってたし、金銭のやり取りも独自通貨での取引しか許してはくれなかった。
が、蓋を開ければこの通り。
そんな俺の中の常識と目の前の現実に、俺の頭は混乱する。
と、俺の言葉にマリアさんが少し驚いたような顔をした。
何だろうと思っていると、彼女が口元に手を当てて小声で俺に聞いてくる。
「アルドさんってもしかして、我が国の上層部に関わりがある方なのですか?」
「えっ?!」
まさかそんな事を言われると思っておらず、俺は思わず声を上げた。
ある意味図星だったから。
俺が驚き顔を披露すると、どうやら彼女は「詮索されたくないが故」だと思ったらしい。
まずは「すみません、探るような事を聞いてしまって」と謝罪した後で更に声を潜めて言った。
「しかしもしそのあたりの過去を隠したいのでしたら、そういうお話はあまりしない方が良いかもしれませんよ?」
と。
一体どういう意味なのか。
そう思って首を傾げた俺だったが、理由はすぐに氷解した。
「実はこの国で独自語や独自通貨を使うのって『外交でだけ』なんですよ」
そう言ってくれた彼女によって。
「え、そうなんですか?」
「えぇ。だって非効率でしょう? さっき言った通りここは多種族国家、それぞれに異なる言葉と文化を持つ人たちの集まる場所なんですよ? なのにそんな協調性の無い事をしちゃってたら、今頃はあちこちで喧嘩が勃発しまくりですよ。意思疎通不足が原因で」
言われてみればその通りだ。
が。
「じゃぁ何でこの国はそんな面倒な事を外交で……?」
思わずそう呟けば、彼女は少し周りを気にしてからその答えを口にする。
「それは勿論、『相手の優位に立ちたいから』です」
「……は?」
「この国とやり取りをする時は、先方はいつもこちらに合わせないといけなくなる。その『させている』に優越感を抱く事が出来る……という役人の自尊心。そう、政府関連の常連さんが言ってました」
「えー、アホらしい」
思わず口からついて出た言葉に、マリアはまたフフッと笑う。
「その通りだと私も思います」
「――出来たよ」
そんな風に声を掛けられて視線を向けると、先ほど会った男の人・店主のズイードが奥から歩いてくる。
そして手に持っていたお盆を、俺とクイナの前へとそれぞれ置いてくれた。
ふんわりと、良い匂いが立ち込める。
見た感じやはり調味料の多用は無いように見えるが、それでもこんなに食欲をそそる香りを発しているんだから今にもお腹が鳴りそうで――。
グゥー。
「……」
「……クイナじゃないよ?」
「何でそこで隠すんだよ」
お腹鳴っても別に良いじゃん。
そう言うと、彼女はムゥーッと頬を膨らませて俺の腕をペシペシ叩く。
「痛い痛い、もういいから早く食え」
未だにジューッという音を立てている小さな鉄板の上の肉を指さして「冷めるぞ」と言ってやると、不服顔ではあったものの流石にソレは嫌だったんだろう。
俺への攻撃が止み、隣ではクイナがいそいそと姿勢を正す。
そして。
「いっただっきまーす!」
高らかにそう言って、ステーキ肉をフォークに刺した。
どうやらクイナのプレートは、お肉を子供の一口サイズに切ってくれている様だ。
お陰で彼女の小さな口に、肉は一口で収まる。
「ん~! 美味しいのー」
ほっぺたを両手で支えてモグモグしている彼女の顔は、今まで見た事も無いようなうっとり顔だ。
これはよっぽど美味しいらしい。
考えてみれば、周りの客たちだってわざわざこの宿屋に来てご飯を食べているのだ。
それだけ味には定評があるという事なんだろう。
(……まぁそれにしても、ちょっと大げさだとは思うけど)
クイナのオーバーリアクションに小さくそう苦笑しながら、俺もから揚げを口に含んだ。
そして大きく目を見開く。
パリっと上がった衣、噛んだ途端に染み出る肉汁。
臭みが無く柔らかい肉は、咀嚼する度に旨味を口内に染み出させて――。
「~っ!!」
ちょっと誰か、俺の語彙力もってこい。
うーん、どうしよう美味しい。
「美味しい」以外に形容できないこの美味さ。
自分の言葉知らずが心底悔しいなんて、生まれて初めて思ってしまった。
しかし嬉しいのは、何も味だけじゃない。
(温かい。なのに火傷するほど熱くも無い。何という絶妙な温かさ……!)
湯気はほんのりと上がっているのに火傷する程じゃない。
お陰でガツガツと食べられるのがまた嬉しい。
クイナがバクバクとステーキを食べている隣で俺も、ガツガツと唐揚げを食べる。
と、不意に視線を感じた気がして、手を止めて顔を上げる。
とそこにはズイードが立っていた。
これはズイードが作ったものだ。
コック姿にそう思い出し、俺は心からの感想を口にする。
「ほいひいです、ふいーほはん。ひはふふひへほ、ほへはほほひょうひひへあふぁへへふえははひひはんひゃひへひたい!(美味しいです、グイードさん。今すぐにでも、俺はこの料理に出会わせてくれた神に感謝してきたい!)」
「ごめん、流石に何言ってるか分からないかな……?」
苦笑しながらそう言われ、恥ずかしさ半分に慌てて口内を咀嚼し切る。
そしてもう一度、彼に同じ言葉を伝えた。
すると「大げさだなぁ」と言いながら、どこか擽ったそうな笑顔を浮かべる。
「まぁでも喜んでくれて嬉しいよ」
「本当に、ここに泊まれる事になって良かった。ダンノさんには、また改めてお礼を言っておかないとなぁ」
そう言いながら付け合わせに頼んだサラダの皿へと手を伸ばしたところで「ダンノさん?」と聞き返される。
「もしかして、ダンノさんの紹介でここに?」
「えぇ、たまたま馬車でご一緒して。俺が『土地勘も頼れる相手も無いんです』って言ったらこの宿を紹介してくれたんですよ」
優しい方ですよね、ダンノさん。
そう続けると、彼は「ほう」とツルンとした顎を撫でた。
「へぇ珍しい。普段は彼、ただの行きづりにそんなおせっかいなんて絶対に焼いたりしないのに」
「え、そう……なんですか?」
そんなイメージは全く無い。
俺にとっての彼のイメージは、『親切で紳士な人』である。
だからてっきり出会う人々全員に、色々と紹介とかをしてあげているんだと思っていた。
しかし彼の口調を聞く限り、どうやらそうじゃないらしい。
何故だろう。
そう思ってちょっと考え、一つ思い出した。
「あぁでももしかしたら、クイナが居たからかもしれませんね。メルティーと同年代だし、とっても仲良くなってたから」
なんて言ってもダンノさん、「商談よりも娘の初経験の方が大事だ」と言い切ったくらいだし。
そう答えると「へぇ、引っ込み思案なあの子がねぇー……」という、実に感慨深そうな声が返ってくる。
が、それはきっとメルティーが良い子だったからと。
「クイナがこの様子ですからねぇー」
そう言いながら、俺は隣のクイナを見遣る。
すると彼女は、先程来たばかりのこの宿・この食堂で実に楽しそうにステーキをフォークで刺しては食べ、刺しては食べ。
見慣れぬ場所に緊張も不安も、全くと言っていいほど抱いている様子はない。
実に物怖じせず、マイペースな子だ。
そう思いながら感心半分呆れ半分で見ていると、やっと俺達の視線に気付いたらしい。
顔を上げて「……ぅん?」と首を傾げてきくる。
「いや、クイナがメルティーと仲良しなんだよっていう話」
簡単にそう教えてやれば、クイナは「メルティー」とう単語に多分反応したんだろう。
「っ! クイナねっ、クイナねっ! メルティーと仲良しでねっ!」
「あーはいはい、分かったから食べるのに集中しなさい」
鼻息粗くメルティーを語ろうとするクイナを「どうどう」と押さえつつ、食事の続きを促した。
すると彼女は、まだ肉が残っていたからか。
素直にお皿に向き直って、またモリモリと食べ始める。
実に見事な食べっぷりだ。
ふと周りに視線を向ければ、どうやらクイナは良い意味で周りの見知らぬ客たちの目を引ているようだ。
特に悪意や害意や執拗な好意がある訳じゃないから、おそらく可愛い女の子がご機嫌に食事している様を、微笑ましい気持ちと共に酒のつまみにしてるんだろう。
「おい娘っ子。そんなにソレ、美味しいのか?」
徐に、ドワーフのおじさんが聞いてきた。
するとクイナは頬袋をパンパンに膨らませたまま、ちょっとモゴモゴとした声で「うん! すっごくすっごく美味しいの!」声を弾ませた。
すると相手の酔っ払いも、愉快そうにガハガハ笑う。
そしてビールジョッキを大きく呷り「おかわりぃー!」と声を上げた。
こちらもかなりの上機嫌だ。
それを見て、俺は思う。
やっぱりコイツ、ちょっと危機意識が足りない……が、まぁこういう所がクイナの長所でもあるんだろうなぁーって。
なんというかこう『愛される素質』みたいなのが、クイナにはあるような気がする。
まぁそう思うのはもしかしたら、相手に無条件で好意を抱いてもらう事の難しさをつくづく思い知らされてきたからなのかもしれない。
口の横に付いてるステーキソースを、おしぼりでグイッと拭ってやる。
と、そのついでに気が付いて俺は一つ釘を刺した。
「っていうかクイナ。肉が美味いのは分かったけどな、他のもちゃんと全部食べろよ?」
その声に、クイナは何故かキョトンとした。
そして小首を傾げてから言う。
「え? クイナお野菜は要らないよ?」
実に純粋な瞳で彼女は平然と、そんな事を言っている。
が、その言葉は了承できない。
「『要らないよ?』じゃないわちゃんと食べろ。こういうのはバランスっていうのが大事なんだよ!」
「えーっ?!」
「えーじゃない」
凄い抗議を向けてくる彼女に、俺は「ちゃんと食べないと大きくなれないぞ」と諭す。
すると流石にそれは嫌なのか。
ぶーたれた顔でクイナはサラダ皿を手に取った。
皿には幾つかの葉野菜にトマトにキュウリ、千切りにしたニンジンなんかも乗っている。
見た目もとても楽しいサラダだ。
なのに困った目を向けてくるクイナは、やっぱり食べたくないんだろう。
が、ここは心を鬼にして頑張らせねばならない。
クイナの健康に直結するし。
「食べなさい」と目でもう一度促すと、ついにクイナも腹を括ったようだった。
意を決した様子でギュッと目を瞑ったかと思うと、サラダを一気に口内へと掻き込んでモッシャリモッシャリと咀嚼する。
とっても苦そうで嫌そうだ。
せめてものフォローに付け合わせで頼んでたスープを指さしてやれば、両手でバッとそれを取り、一気に奥へと流し込む。
全てを飲み干した後、クイナは「うへぇー」と舌を出した。
ちょっと涙目な彼女の頭に俺は手を伸ばす。
「おー、食えたな。よくやった」
しかしそうやってあやしても、クイナはまだ苦そうな顔でウーッと小さく唸っている。
しかしこれは正直言って、好きな物を先に完食してしまったクイナが悪い。
少なくとも口直し用の肉くらいは、残しておくべきだったんだ。
俺の唐揚げも完食してしまった後なので、残念ながら助けてやれない。
せめて水でもと俺のコップをクイナの前の置いたところで、グイードが「クイナちゃん」と声を掛けてきた。
見てみれば、カウンターのすぐ向こうに優し気に微笑むグイードが居る。
「クイナちゃん、甘いものは好きかな?」
「うんっ、大好きなの!」
「そうか、じゃぁご褒美にプリンを持ってきてあげよう」
頑張ったクイナちゃんにプレゼントだ。
そう言われ、クイナの顔がパァッと輝く。
「良いのっ?」
「いいよ」
「やったのぉー!」
俺の隣で「ぃよっしゃぁぁぁ!」と言わんばかりに両手をグーにして上げた彼女の喜びようったら半端ない。
「すみません、後でお金は払いますから」
俺がそう言えば、グイードは後ろ手に手を振りながら「好意は素直に受けとっとくものだよ」と言われてしまう。
きっと「おごりだ」と言いたいんだろう。
顔色を見ると、本気でそう思ってくれているらしい。
今ここで彼の好意を固辞する事は簡単だけど、この手の顔をしている相手に遠慮するのは却って失礼になってしまうと経験則で知っている。
だから結局「ありがとうございます」と言って、今回は甘えさせてもらう事にした。
クイナの嫌がり様と苦しみ様と喜び様は、きっと目立っていたんだろう。
周りからは「頑張ったもんな!」とか「偉いぞ嬢ちゃん!」なんていう声が、口々にクイナを囃し立てる。
またクイナを生暖かい目で見つめる大人の数が増えた。
そんな中、運ばれたプリンを食べたクイナはというと。
「……アルド、大変なの」
「どうした、いきなりそんな真顔で」
神妙な顔で俺の方を見た彼女に俺は、思わず眉をひそめてしまった。
だってそうだろう。
甘党の筈のクイナがプリンを喜ばない筈は無いのに、食べる手は先ほどの一口目で止まってしまっているのだから。
どうしたんだ。
そう思っている俺に言う。
「頬っぺた……落ちちゃったの」
「落ちてない落ちてない」
思わず手で「いやいや」としながら答えると、彼女は再びプリンに向き直りまた一口二口とプリンを口に運び始める。
「クイナ、このプリンを一日一個食べないと、禁断症状になっちゃうの……!」
「つまりそのくらい気に入ったって事なんだな?」
手の回り具合がすこぶる速い。
プリンが減る量も速ければ、モグモグする速度も速い。
モグモグしているだけなのか頷いているのかさえ分かりにくいが、その食べっぷりから俺の指摘は正しいだろうと辺りを付ける。
結果的に、その予想は正解だった。
これ以降、クイナに毎食後必ずプリンを所望される事になる事は言うまでもない。
――クイナ視点。
ご飯を食べて、お腹が幸せでいっぱいになって。
真っ白なベッドにピョンッと頭から飛び込むと、柔らかな布団に包まれてとっても幸せ気分になったの。
「クイナー? 眠いんならちゃんと布団に包まっとけよー」
「んー……」
アルドがなんか「風邪引くぞ」とか言ってる。
しょうがないから言う通りにしておく事にするの。
うーん、あったかいの。
その上アルドが『ご褒美ナデナデ』なんかするから、もうこの睡眠の誘惑には抗えないのー……。
このナデナデはとってもクイナを安心させるの。
だってアルドの手のひらは、いつも教えてくれるから。
クイナに『大丈夫だよ』って。
――大丈夫。
アルドはいつも、クイナにそう言ってくれるの。
初めて出会った時も、そうだった。
お母さんがお星さまになっちゃってから2回寝た次の日の事だったの。
川の水を飲んで、木の実を食べて。
ちゃんとお母さんが言ってた通り、ニョッキ山を目指して歩いて。
寂しかったの。
怖かったの。
それでもお母さんは空の上から見てるって言ってたし、「集落には特に近づいちゃいけない。鍋にして食べられちゃうから」とも言っていたの。
だからその言いつけを守って、お母さんの言った通り『ニョッキ山』を目指して頑張ったの。
だけど怖い目をした大きなワンちゃんに追いかけられて、逃げて、逃げて、逃げて。
それでもずっと追いかけてきて。
もうダメだって思ったの。
「お母さん、約束を守れない悪い子でごめんなさい」って、そう思ったの。
だけどね?
「――もう、大丈夫」
すぐ近くで大きな音がしたすぐ後に、そんな声が降ってきたの。
その声がとても優しくて、ふわりとしてて温かくて。
ギュッと閉じてた目を開けてみたら、そこには大きな背中があって。
「俺が助ける、だからそこでじっとしてろ」
その声を、クイナは何でか「信用できる」と思ったの。
だから「一緒に行くか?」と言われて伸ばされた手を、ちゃんと握り返したの。
クイナの前にしゃがんで「一緒に行けば、多分今より怖くも心細くも無くなる。なんてったって、俺は君より強いしね」って言ったアルドの『大丈夫』を信じる事にしたの。
アルドは色んな事を知ってて、何でも持ってて、ご飯もくれる。
一緒に居ると、心がホワッなれる人。
人間だけどクイナを食べちゃったりしないし、とってもとっても『いい感じ』なの。
アルドが居たから、人間の子と話すのも安心だったの。
だからメルティーと仲良くなれたの。
メルティーにクイナが獣人だってバレちゃった時も、アルドが「大丈夫」って言ってくれたからこそ大丈夫だったの。
メルティーとお別れした時は、とっても悲しかったの。
でもアルドは「またすぐに会える」って、「大丈夫」だって言ってくれたから、きっと本当にまた会えるの!
お母さんがお星さまになっちゃう前、『お守り言葉』を教えてくれたの。
お守り言葉は、クイナを守ってくれる言葉なんだって。
お母さんはお父さんから「愛してる」を貰ったから、お母さんもクイナに「愛してる」をあげるって、そう言ってたの。
クイナは知ってるの。
「愛してる」は「大好き」っていう意味なんだって。
だからクイナはあの森の中、一人でも頑張れたの。
でもね? お母さん。
クイナが持ってるお守り言葉は、もう一つだけじゃないの。
――大丈夫。
この言葉は、何度もクイナを守ってくれたの。
だからこれはアルドがくれたお守り言葉に違いないの!
アルドはね、多分完璧なんかじゃないの。
今日だって、串焼きでお口火傷してたみたいだし。
だけどそれでも別に良いの。
アルドがダメダメな時には別に、クイナが守ってあげればいいの。
そうやって一緒に居れば、きっといつでも《《ぬくぬく》》なの。
《《ぬくぬく》》は最強なの!
「……ったく、どうしたもんかなぁーコイツ」
どこからかそんな声が聞こえてくるの。
「最初は俺に『調停者の祝福』があるからなんだと思ってたけど、もしかしてコイツには魅了系の恩恵でもあるのか? 誰に対しても発動させるコイツの無警戒さ、どうにも危なっかしいんだよなぁー……」
何言ってるのか、良く分からないの。
でもクイナが皆と仲良くできるのは、アルドが近くに居るからなの。
アルドが居るから笑えるし、アルドが居るからぐっすり眠れるの。
そんな言葉は声にならない。
でも良いの。
そんなのは、クイナだけが知ってればいいと思うから。
――一方その頃母国では。
突然のアルド廃嫡。
その事実を受けて最も揺れたのは、上層部――ではなかった。
アルドの働きは地味だった。
が、現場にとっては必要不可欠だったのだ。
だからこそ、彼の不在に最も危機感を覚えたのは下っ端たちだった。
「殿下もその周りの奴らも、執務が滞っている事に気付いてないのか、それとも見ないふりなのか……」
昼休み。
そのような、いわゆる『ここだけの内緒話』が聞こえ出す。
もしグリントの取り巻きが近くに居ようものなら、いかにも大問題になりそうな発言だ。
しかしそれを止める者が居ない辺り、みんな同感なのだろう。
それどころか、追従して誰かが「あぁ、あれだろう?『国内農場補助金法』。国が今年中に形にすると宣言して、アルド様持ちになってたやつ」と口を開いた。
すると訳知り顔で、それにまた一人答える。
「そう、それ。アルド様が持っていたヤツでは多分それが直近のヤマだった筈なんだけどなぁー……」
遠い目でそう言った彼が何故そんなに詳しいのかというと、何を隠そうその件の当事者の端っこを齧っていた人物だからだ。
この『国内農場補助金法』。
要は国家プロジェクトと言っていいほどの規模と重要度であるため、その計画自体も関係者も数多く居る。
それこそ末端まで数えると何十人も。
だから彼と似たような境遇の人間がこの場に、もう一人居るのも必然と言っていい。
「それならたしかつい先日、アルド様が俺の部署に調整をしに来てたなぁ。確かアレ、廃嫡になる前日だったと思うけど」
思い出したように言った彼は、先の人とは別部署のやつだ。
その声に、「え?」という声が返る。
「『つい最近調整に来てた』って言うんなら、この後もまだやる事が色々あるじゃないのか?」
「まぁそうだなぁ。アルド様はあくまでも上手く行ってなかった各課の橋渡し……というか、監督と調整役だったしな」
まだまだあったさ。
彼は少し投げやり気味にそう答えた。
「で? それを次に王太子になるグリント様は勿論それを引き継いで――」
「る訳ないだろ? あの人は今、自分の見栄張りで精一杯だし」
そう言えば、周りはみんなしきりに「そうだよなぁー……」と呆れの声を上げる。
「普通なら頼まれなくても、アルド様が居なくなったらその穴を自分が埋めようとしてしかるべきだと思うがな」
「噂じゃぁグリント様、その手の話は全くしていないらしい。それどころかご自身の仕事も一部ストップさせてたらしいぞ?つい昨日まで」
「え、もしかして先日あった立太子の儀にかまけて?」
「かまけて」
うんと頷いた一人に、またみんな揃って一斉にため息を吐く。
「どうすんだよ、万が一にでも間に合わなかったら。だってアレ、いろんな課を跨いだ案件だったろ?」
「あぁえーっと、うちの『農業課』の他にも確か、法律制定のアレコレで『法律課』、制定後の周知の件で『広告課』。それから法律に従って提出された申請書の内容を吟味する『審査課』に、実務処理をする『経理課』。あとは……どうだったかな」
そんな風に指折り思い出していく男に、隣のヤツが「うへぇー……想像しただけでもやる気なくなるー」と言いつつ右手をシッシッと振った。
「まぁどちらにしても、アルド様が居た時にはまだうちと法律課の間で草案を作ってた所でさ」
「え、ヤバくね?」
「やばいさ。その上この先まだ沢山の課が連携していかなきゃならないんだから余裕なんて無いさ。この間も『どうにかギリギリ間に合いそうだな』なんて話していたところだったし」
そんな深刻で致命的な話をしつつ、しかし誰もが食べ物を掻き込む手を止める事は無い。
そうでなくとも上層部連中たちは今、グリントにゴマをするのに忙しい。
仕事を全部下っ端に丸投げしている始末なので、お陰で元々のアルドの仕事が進まなくても他の仕事で立て込んでいる。
愚痴りたいからわざわざ定刻に食堂へと顔を出しているだけで、本当ならばご飯を食べる時間さえ惜しい。
「それってさぁ、もし間に合わなかったらどうするん?」
「勿論先に言った期限を引き延ばすんだろ」
「まぁそうなったら国民への信頼はがた落ちだよなぁ。実際にあの法律、一部の国民からは死活問題を解決するためのものだしなぁー……」
「え、もしかしてソレって遅れたら人の生き死にに関係するんじゃぁ……?」
「そうだよ。だからこそ、行き当たりばったりな提案と無理な期限でも! 原案を出したグリント様が『無理だ』って言って投げたののしわ寄せを被った形になっても! アルド様は文句ひとつ言わずに引き取ったんだろうが」
そう言った彼は「やっぱり凄いよなぁ、アルド様は」と、少し誇らしげに頷く。
が、ここで誰かがまたこの件で何かあるどエピソードを思い出したようである。
「そういえば、アルド様が前にちょっと零してたなぁー。『案そのものは至極真っ当で国民に寄り添った良いものだけど、下手をすると一部が私腹を肥やす為のハリボテになり下がる』って」
「なぁそれってもしかして『何か悪さが出来ちゃうかも』って事なのか?」
「え、それじゃぁ本当に困ってる相手には金が届かず、一部の人が私腹を肥やすって事にならないか?」
「だからアルド様が尽力してたって話だろ?」
慌てた声に「お前ちゃんと聞いてたのかよ」と突っ込みを入れる別の声。
それを皮切りにして周りからは小さな笑いが巻き起こり、場が少し和んできた。
そんな空気になってくると、中にはこんな軽口を叩き始める人も出てくる。
「それにしてもアルド様、まるで最初から目指す理想があったみたいにこの計画に邁進してたけど、もしかしてアレ元々はアルド様が考えた案だったりしてな」
「それをグリント様が横取りした?」
「あー、まぁ無きにしも非ずかな」
「グリント様なら確かにやりそー」
「それで結局自分でその尻拭いもできなくて途中で投げ出す、って?」
とここまで誰かが軽く言い、その後数秒間の沈黙。
おそらく全員がその図をきっちり思い浮かべたんだろう。
その結果。
「「「「「何ソレヤベェな」」」」」
と、判を押したかのような綺麗なハモりが作り出された。
因みにこのやり取り、実際には存外的を射ているのだが、もちろんそれを彼らは知らない。
だからその計画をぶんどったグリントを裏で後押した人物がいた事も、それがアルドの元婚約者・バレリーノであった事も、彼女の目的が正にその計画を杜撰なまま形にし自分の金策手段に使おうとしていた事なんて、なおさら知る由も無い。
「現実的じゃない計画に、『ただ悪戯に仕事を増やされただけだ』って非協力的だった文官たち。それもアルド様が引き継いでからは、軟化してきてたのになぁー……」
誰かがまた、しみじみとした声でそう言った。
アルドの廃嫡を惜しむような事を言うのは、今の城内では空気的に許されない。
が、幾ら国王陛下であっても、臣下一人一人――特に末端の人間である彼らの本音までは塗りつぶしきる事など出来ない。
「……俺さぁ前に、ご本人に言った事があるんだよ。『殿下のお陰でどうにかこの件も纏まりそうです、ありがとうございます』って。そしたらあの方、一体なんて言ったと思う? 苦笑してさぁ、『もしかしたら、それは神から得た恩恵のお陰かな』っだってさ」
「『恩恵』って、あれだろ? 教会で神から賜る」
その声に、みんながそれぞれに頷く。
恩恵。
それは教会で行われる『祝福』という儀式で得られる個人特性のようなものである。
本来は個人の資質や性格・経験に起因して与えられる事が多い。
「あぁ確か、殿下が貰った恩恵って『調停者』だったっけ。『周りを従える王族に周りと取り持つ調停者なんて必要ない』とかよく言われて……って、いってぇ!! 蹴るなよ!」
「お前がしょうもない事言うからだろ!」
「いや別の俺はそんな事思ってねぇよ! 単に『周りがそう言ってたよなぁー』っていう話じゃん!」
蹴られた脛を涙目になりながら抑える彼を半ば無視して、話はまだ少し続く。
「まぁアルド様はそれだけ謙虚で周りを立てる事を知ってる人だったっていう事だな」
「根っから善良っていうか、だからこそ周りも付いていくっていうか、それは決して『恩恵』の有無に関わらないっていうか」
「それで言えば、グリント様ってどう思う?」
「えー?」
「えー……」
「「「「「……」」」」」
その沈黙が答えだなと、きっと誰もが思っただろう。
「……なぁ俺さ、この国に一番必要な王族こそアルド様だったような気がしてならないんだけど」
誰からともなくそう言って、それに他の者も続く。
「ソレを言うなよ」
「そうだよ所詮俺たちは下っ端、上の人に何か言える訳じゃないんだから」
「言うだけ虚《むな》しくなっちゃうだけだろー」
そう言って、みんなしてから笑いする。
「なぁそう言えば、グリント様の婚約者って《《あの》》バレリーノ様になったんだって?」
そんな話題が持ち出されて、今まではずっと止まっていたみんなの食事の手が一斉に再開される。
「あー上司が零してたけど、あの人の家は有力過ぎるくらい有力だし、そもそもバレリーノは《《王太子の妻》》になるっていう話だったらしいから、一部貴族は『さもありなん』って感じらしいって」
「えーでもグリント様はそれで良いのか? つまるところ、アルド様の《《おさがり》》みたいなものじゃないの?」
もし『敵』に聞かれたら間違いなく不敬罪に処されるくらいには、無礼な物言いだった筈だ。
が、幸いにも彼の言葉に同調したり苦笑したりする者こそ居はしても、反発する者は居ない。
お陰で誰も彼の疑問を否定せずに、むしろそれを前提として話は続く。
「それがどうやら、『アイツよりも俺の方がバレリーノには相応しい!』って言ってるそうだぞ、グリント様」
「え、それってもしかして、グリント様はずっとバレリーノ様に思いを寄せてたって事?」
「さぁ? それはどうだろう。貴族同士の政略結婚な訳なんだし、そんな単純な話でもない気はするけど」
まるでどうでもいいかのようなその声に、一連の話をずっと黙って話を聞いていた一人が重い口をやっと開く。
「まぁそれは、所詮王族たちの問題だからな。俺達のあずかり知るところじゃない。それよりも今の俺達が見るべきは、積み上げられてる仕事の山だ」
そう言って彼が、一足早く席を立った。
するとちょうど今しがた完食した他の面々も「そうだなぁー」とそれに続き。
残されたのは、まだ三口くらい食事がトレイに残っている一人だけだ。
彼は先ほどからちょっと余計な事を言っては周りに呆れた様な顔をされたり脛を蹴られていた男。
悪いヤツではないのだが、軽口が過ぎるのが玉に瑕だ。
「えっ、ちょっと待って! 俺まだ全部食べてないー!」
「お前は話に夢中になってるからだろう? 早く行くぞ、掻き込んじまえ」
「ちょっ、待って待って!」
そう言ってから慌てて残りを口に掻き込み、彼もみんなのしんがりにつく。
そんな中、彼らの先頭を歩くアルドの友人シン・ヴィッツヴォールは小さな声で呟いた。
「こりゃぁこの国がアルドの追放を後悔する日も近いかもな」
「ん? どうした?」
「――いいや何でも」
誤魔化すようにシンが言うと、聞いてきた彼は「そう?」と言って引き下がる。
特に気にする様子もない彼は、まさか彼のこの呟きが一種の予言になる事などとは、まさか思ってもいないだろう。
日の光の眩しさで、俺はゆっくり目を開けた。
「なんか異様に眩しいと思ったら……カーテンちょっと開いてるじゃん」
呻くようにそう言いながら、ゆっくりと体を起こす。
カーテンはちゃんと引いていたんだが、残念なことにほんのちょっと開いていたカーテンからの光がピンポイントで、寝ている俺の顔に直撃する位置に来ていた。
もしかしたら俺の安眠を妨害したい誰かからの呪いかもしれない。
頭の中でそんな不平を抱きながら、ゆっくりと伸びをする。
と、伸びをした後、脱力した手が不意に触れたモフみに「ん?」とそちらを見ると、何故かそこにはクイナが居る。
この部屋にはベッドが2つ存在している。
そして俺達は昨日の夜、ちゃんとそれぞれのベッドに寝た筈だった。
「なのに何で、お前はこんな所に転がってるのか……」
小さく「はぁ」とため息を吐いたのは、クイナが夜中に俺のベッドへと潜り込んできたとのだろうと思ったからだ。
「うぅーん……ぅん?」
「おはよう、クイナさん」
「おはよう、なの」
「で、キミは何でこっちで寝てるの?」
「……自然の摂理、かもしれないの」
「お前、意外と難しい言葉を知ってるな」
尻尾をモッフモッフと愛でながら、俺は思わず感心してしまう。
が、別々に寝てたのに朝起きたら同じベッドになるような摂理って一体何なのか。
「いやいや絶対、寒かったか寂しかったかの2択だろ」
「……おトイレに行って帰ってきたら、あっちまで行くの面倒で」
「たった2、3歩の距離が?!」
どれだけ億劫だったんだよ?
そう思って朝っぱらから思わず驚いてしまったら、クイナがそれにフフフッと笑う。
笑い事じゃない。
「ちゃんと自分のベッドで寝なさい」
「何で?」
「狭いから」
「狭くないよ?」
「俺が狭いの!」
不思議そうに首をかしげる彼女にそう言ってやると、クイナが「むぅーっ!」と頬を膨らませる。
(……まぁ寝てる間に入られたから、実際に「窮屈だな」と思ったのは起きてからだけど)
それは言わないでおこうと思う。
じゃないと、クイナの事だ。
その内端から俺のベッドで一緒に寝ようとし始めるだろう。
何事も甘やかしすぎてはならない。
……などと理由をつけてはいるものの、結局俺は、この状況に戸惑っているだけである。
今までの俺は、大きなベッドでも一人で寝ていた。
親と川の字になって寝た事なんて全く記憶にない事もあり、人の気配があると上手く寝付けない事にクイナと同じ部屋で寝泊まりするようになって初めて気付いた。
相手が誰とか関係なく、同じベッドで寝る程近くに誰かが眠る隣でまさか眠れる自信なんて無い。
つまりはただの慣れの問題だ。
まだ眠そうなクイナの頭をナデナデしつつ、俺はため息を吐きつつ「そろそろ起きろよ?」と声をかけた。
「今日は俺の『やりたい事』の4つ目に付き合ってほしいんだ」
「『やりたい事』っ!」
俺の言葉にクイナがガバッと起き上がり、頭の上に置いていた俺の手が一緒に跳ね上がる。
一体何が彼女のテンションをそんなに爆上げさせたのかと思っていると。
「今日もお肉を食べに行くのっ?!」
……ははーん。
コイツ、また美味しいものにありつけると思っているな?
きっとあの串焼きの件で味を占めちゃったんだ。
「俺のやりたい事が全部食べ物関係だと思うなよ? 今日は別だよ」
「えーっ?!」
「まぁ帰りにまたあの屋台に寄って行ってもいいけどな」
「行くの!」
「はいはい、でも先に朝食な!」
「朝食!!」
「早く顔を洗って着替えちゃえー」
「はーい、なの!」
ピョンッとベッドから飛び降りて、クイナはいそいそと外着に着替える。
さぁ俺も外出の準備をしよう。
「という訳で、やってきました!」
円柱状の大きな建物を前に、俺はそう胸を張った。
朝食を『天使のゆりかご』で済ませ一直線でやってきたのは、どの国にも必ず同じ形、同じ色、同じ看板で存在するある施設。
「ねぇアルド、ここは何……なの?」
小首をかしげる彼女にはきっと、今まで全く縁のない場所だっただろう。
そんな彼女に、俺はニッと笑ってみせる。
「冒険者ギルド! 時には依頼者の生活を助け、時には冒険者の生活を支える、お仕事の斡旋所がここだ!」
「ほぉーっ!」
若干テンションが高い俺に、クイナは上手い事相槌を打ってくれる。
そう。
ここが俺のやりたい事の4つ目を叶えるための場所。
「俺はここで、『冒険者』になる!」
それが俺の夢だった。
昔、英雄譚を読んだことがある。
冒険者が町を救うというお話で、騎士たちが絶体絶命になった時にどこからともなく現れて人々を魔物の脅威から守り、仕事を終えたら颯爽と居なくなる。
国の危機を救うアウトロー。
その背中がカッコ良くて、幼心に憧れた。
大人になった今になっては、別にそんな町や国や世界を救うなんて大きな事など出来なくていい。
ただちょっと頑張って、それによって誰か一人の明日の役に立てた上で報酬を受け取れたならそれはとっても凄い事だと、自分の仕事でどれだけの人が救われているのか分からないような仕事をしていた俺は思っている。
「どっちにしても、手持ちの金はやがて無くなる。稼ぎ口は必要だし、後ろ盾も基盤も経験だってまだ無い俺が就ける仕事にも限りはある。その点、冒険者なら問題ない!」
それこそ冒険者登録へのハードルは低い。
俺も一応レングラムのお墨付きは貰っているから、それなりの戦闘は出来るだろう。
それに、冒険者ギルドに来る依頼は、何も戦闘系だけじゃない。
町の掃除や護衛、採集作業など、内容は多岐に渡る。
それに、何より。
「今の俺は何者でもない。俺もクイナも、身分証は持ってた方が良いだろ」
という事で、諸々の理由を携え、いざ突撃だ。
ギルドのドアを押し開くと、そこは『新しい世界』だった。
ガヤガヤという人々の声、雑踏に、金属鎧の軋む音。
その雑多な音たちを裏切らない程、建物内には人でごった返している。
その中を、俺はクイナの手を引き歩く。
周りからの「何だ?」という目は、子供を連れているからだろうか。
それとも俺が、弱っちい見た目だからなのか。
幾らレングラムのお墨付きがあるとは言っても、筋骨隆々な体型じゃない自覚はある。
ひょろい男と子供の二人組。
そう思えば、ベテラン達の目から見ればさぞかし場違いに見えるだろう。
朝だからか、依頼を受ける人達が多いらしい。
特に「依頼受注ブース」と書かれているカウンターの前には人が並んでいて大盛況だ。
しかし俺達は、そちらにはまったく目もくれずにその隣の空いているブースに入って告げる。
「すみません、冒険者登録をしたいんですがー……」
ブースにはちゃんと「冒険者登録」と書かれているが、忙しい時間だからか中には誰も居なかった。
しかしすぐに奥から女性が来てくれる。
「おはようございます! ……えっと、もしかして再登録ですか?」
「おはようございます。いえ初めてなんですけど……」
「そうなんですね! 失礼しました」
俺の言葉に彼女はニコリと微笑んで謝ってくれた。
別に謝ってもらう必要は無かったが、何でそんな事を聞いたのだろう。
人族らしい彼女の方には、特に悪意は無さそうだ。
しかしだからこそ気になって聞いてみる。
「もしかしてこの歳で初登録って無理だったり……?」
「あぁいえ、全然そんな事は。ただ、お客様の年齢だと初登録に来られる方は稀ですので、もしかしたら登録証を無くしたり、一回失効した後の再登録なのかなぁと。その場合、手続きがちょっと異なるんです」
どうやら手続き上の事を気にしての事だったらしい。
「あぁなるほど」と頷くと、「まぁ嘘をついても手続きの途中で分かるんですが、最初からお聞きしておいた方がスムーズなので」という言葉が返ってきた。
まぁ確かにそうだろう。
彼女の言葉に納得しつつ、ちょっとホッと胸を撫でおろす。
なるべくなら、妙な偏見やレッテルに晒されるような事態は避けたかった。
だからどうやらそうではないと分かって、ちょっとだけ冷えた肝が落ち着いた。
「では、登録情報をここに記載しないといけないのですが、共通語は書けますか?」
「あ、大丈夫です」
そう言って受け取り、一人分しか無い事に気が付いた。
「すみません、もう一枚くれませんか?」
そう言いながら隣に視線を滑らせれば、誰のための物なのか、おそらく分かってもらえたのだろう。
「あぁ、かしこまりました。ちなみに、お嬢様は共通語は?」
「いえ」
「じゃぁ代わりに私が書きますねー」
「助かります」
お言葉に甘える事にすると彼女は「いえいえ」と優しく笑った後で、クイナに視線を向け「色々教えてくれないかな?」と言った。
「うんなの!」
「ありがとう。じゃぁまずは、お名前を教えてもらっても良いかなぁ?」
「クイナなの!」
クイナは「はいっ!」と手を上げ、とっても元気に質問へと答える。
少し緊張しているだろうか。
少し硬い声を聞きつつ、俺は俺で自分の情報を紙に一つずつ書き込んでいく。
名前に、性別、前職……は書くと大変なことになるのでまぁいいか。
どうせ『任意』って書いてるし。
「性別は女の子……で、種族は獣人族で良いのかな?」
「そうなの! クイナはキツネなの!」
これまた元気のいい声だった。
故に騒がしいギルド内でも丸聞こえで、周りがみんなザワリと揺れる。
俺は思わず「あー……」と左手で頭を支えた。
忘れてた。
金色の毛のキツネ族は希少な事を。
種族欄は『人族』『獣人族』『エルフ族』などのように選択制になっていたので全然気にしてなかったんだけど、確かに会話でやり取りすれば、こういうリスクも存在する。
当初のクイナとの約束は「種族については聞かれなかったら答えない」というものだった。
実際に今回は聞かれて答えた訳だから明確に約束を破った訳じゃないんだけど、まさか「獣人か」と聞かれて「キツネ族だ」と答えるなんて。
この子の種族に関するプライドは、思いの他強かったらしい。
手元から顔を上げると、クイナの相手をしてくれている受付のお姉さんと目が合った。
「な、なんかすみません……」
「いえ、こちらこそ……」
申し訳なさそうに謝る彼女だって、まさかクイナがこんなにも無警戒に大事をしかも元気よくでカミングアウトするなんて、夢にも思わなかったのだろう。
逆に何だか申し訳ない。
「一応『あんまり言いふらすなよ』とは言ってるんですけど、彼女には彼女のプライドがあるらしく……。まぁそういう訳ですので、どうかお気になさらず続けてください」
「分かりました」
困ったように笑いながらそう言えば、俺が気にしていないと分かってホッとしたのだろうか、彼女も笑って聞き取りを再開してくれる。
「えっとじゃぁ……クイナちゃんは魔法は使えるのかな?」
「うーん、良く分からないの」
言いながらフルフルと首を横に振るクイナに、お姉さんは頷いて「なし」と書く。
そうだろうなと、俺は思った。
道中俺が主にお風呂の為に使った魔法たちを、クイナは終始珍しそうに見ていたのだ。
そういうものに触れる機会さえなかったに違いない。
まぁどちらにしても、クイナにあまり戦闘力は期待してない。
この子には危なくない仕事をしてもらい「稼ぐ」という事を覚えてもらうつもりだけど、今回の登録はそれよりも身分証を持たせてやる事の方が重要だ。
そう思ってたから、驚いた。
「じゃぁ剣術や棒術、格闘術は?」
「剣術って何?」
「刃物を使って戦う事……かな?」
「はっ! クイナそれ出来る!!」
えっ出来るのっ?!
思わずバッとクイナの方を見る。
だってそうだろう?
初めて出会ったあの時のクイナは、あれだけ絶体絶命でだったのに。
……否、もしかしたらあの時は武器を持ってなかったから?
持ってたらもっと対抗出来たんだろうか。
でもあの身のこなしは、どう見ても素人のソレだったのに。
そんな風に思っていると、彼女は満面の笑みを浮かべてこう言葉を続けたのだ。
「クイナ、お魚さんと戦うの!」
「お魚さん?」
「うんなの! 木の板の上に乗っけてこう、『テイッやぁ!』ってするの!」
と言いながら何やらジェスチャーしているが、その手つきはどう見ても魚を捌く図でしかない。
普段は魚を捌く機会なんて皆無だったが、前に我が師・レングラム率いる遠征軍に着いていった時に一度、横で川魚を捌くところを見せてもらったから間違いない。
この感じだと『木の板』というのは多分まな板で、魚を捌くのを『戦う』と言っているのだろう。
(母親辺りがそう言ってたのかも)
そんな風に想像しつつ思わずクスリと笑ってしまうと、正面で小さく似たような気配がしたのでそちらを見てみる。
すると受付の彼女も俺と同じく、微笑ましいものを見たような顔になっていた。
少しだけ、「子供に付き合わせてしまって悪いな」と思う。
だけど彼女も不快ではなさそうだから、多分大丈夫なんだろう。
そう思いながら、俺は自分の登録情報を最後まで書き切った。
一つ息を吐いて視線を上げると、お姉さんの方はもう既に書き終えていた。
おそらく魔法の記載もなんかがない分、ちょっと早く終わったんだろう。
「すみません、ありがとうございました」
クイナの相手をしてくれた事にお礼を言いつつ自分のを渡せば、微笑みながら「いいえそんな」と言ってくれる。
「私も楽しく書かせてもらいました。ギルドで和める事なんて、早々無い事ですからね、むしろ役得だったなぁと思ってるんです」
そう言って、彼女は小声で俺に囁く。
「ここに来るのは大体顔が厳ついか、体がゴツいか。自由奔放か、粗雑なのか。大抵そんな方ですからね」
なるほど、確かに。
周りのメンツを見てみればそう言いたくなる気持ちも分かる。
が、お願いだから突然耳元で囁かないでいただきたい。
俺の好みからは外れてるけど、それでもやっぱりこういうのってドキッとしてしまうから。
なんて事を、ちょっと動悸がし始めた胸を押さえて思った時だ。
クイクイッと手を引っ張られる。
「クイナは楽しかったよ!」
「まぁお前はそうだろうなぁ」
鼻をフンスッと鳴らして言ったクイナに俺は、ちょっと苦笑してしまう。
話し声からそんな気持ちは終始駄々洩れ状態だった。
第一、だ。
相手をしてもらったクイナは構ってもらったようなもの。
あんなに色々優しく聞いてもらって、もしその感想が「つまらなかった」とかだったなら、間違いなく平謝り案件だ。
グリグリと上からクイナの頭を撫でてやれば、ちょっと嬉しそうに俺に髪の毛をグシャグシャにされる。
流石に可哀想なので自分で荒らしておいてアレだけど手櫛で直してやっていると、ちょうど先程俺が書いた書類に目を通し終ながら、受付のお姉さんがこう告げる。
「アルドさん……ですね。うん、内容に不備はありません」
そう言って、彼女は次に冒険者についての説明を始める。
「この内容は登録後に変更することも可能ですのでご安心ください。特に使える魔法や武器などは、随時更新しておきますと直接指名の幅が広がるので有利になります」
「直接指名?」
「はい、たまに『一定の能力がある方にこの依頼を斡旋してほしい』とおっしゃる依頼者がいらっしゃいます。その場合は名前などの個人情報は伏せたまま、能力と経験値などを元にギルドから個別にお声掛けさせていただく事があるのです。普通のお仕事よりも報酬額も上がりますので、会員の方には情報の更新をオススメしています」
その声に、俺は「なるほど」と独り言ちる。
「因みに直接依頼を断ることは……?」
「基本的には可能です。しかし国や領主からの依頼となりますと、断った後にちょっと面倒なことになる可能性もありますね。……っと、これはオフレコのお話ですが」
そう言って笑う彼女は、おそらくいい人なのだろう。
クイナへの対応を見ていても思ったが、どうやら彼女は一人一人により添えるタイプの働き手らしい。
「それでは手早く登録をしてしまいましょう。血を一滴、こちらに頂けますでしょうか?」
「あ、はい」
言われて反射的に頷いたが……血?
え、どうやって?
一瞬そんな疑問が頭を過ったが、差し出された物を見て納得する。
そこには三角柱の置物がある。
先がかなり尖っているので、指先なんかをプツリとやれば血は採取できるだろう。
まず俺がやって見せて、後にクイナも続かせる。
とってもとっても嫌そうな顔をしたクイナだが、こればっかりは身代わりにはなれないので我慢してもらうしかない。
恐る恐る三角柱の先を触りプクゥッと盛り上がった赤い血をどうにか採取しホッとしたら、かなり涙目でいじけ顔のクイナが残った。
「どうしたその顔」
「怖かったし、痛かった……」
恨めしそうに見上げる彼女に、思わず苦笑するしかない。
が、ずっといじけられていてもちょっと面倒になる気がするから。
「……終わったら、あの串焼き屋さんに寄るか」
その声で、クイナの耳がピクリと上がった。
よしいい感じだ。
じゃぁここでもう一つ、ダメ押しをしておこう。
クイナの機嫌を直す為に、俺は『とっておき』を引き合いに出す。
「その後は買い物だな、装備品とか買わないと冒険には行けないし。行先は――そうだなぁ。ダンノさんの所とか」
そう言った瞬間すごい強さで服が下に引っ張られ、俺の体がガクッと高度を少し落とす。
「メルティーのところ?!」
「そうだな、居るかもしれない」
出かけてなければ。
そう付け足したが、クイナは最早聞いてない。
両手で口元をパシッと抑え、フフフッフフフッと笑いだす。
とりあえず、完全に機嫌が直ったようなので一安心。
もしメルティーが居なかったら一層いじける事にあるかもしれないが、その時はその時、また考えよう。
少しリスクヘッジを投げた所で、どうやら手続きが終わったらしい。
「お待たせしました。これがギルドに所属している証のプレートです。プレートの再発行は可能ですが時間とお金がかかるので、無くさないようにご注意ください」
「分かりました」
「では次に、プレートに向かって『ステータス』と唱えてください」
そう言われ、プレートを手に取って「『ステータス』?」と唱えてみる。
と。
「ぅわっ!」
プレートから何かが飛び出してきた。
まさかそんな事になるとは思わなかったので、ちょっと大げさに仰け反ってしまう。
しかしすぐに我に返って、目の前に居るお姉さんに見られた恥ずかしさを紛らわせるために、コホンと一つ咳払いしてから今度はマジマジと現れたそれを見る。
半透明のソレは、触ってみようとしたところ簡単に手をすり抜けた。
どうやら実体は無いらしい。
不思議だなぁと思っていると、彼女が説明してくれる。
「そこに出ている内容は、貴方のステータス情報です。先程登録した内容の閲覧も可能ですが、その他に現在のHPとMP値、依頼達成した履歴なども見る事が出来るようになっています」
「これってもしかして、第三者に覗かれる事も?」
「はい、あります。ですからステータスを確認する時は周辺に気を付けたり、そもそもギルドへの登録内容については目隠しをしておく方もいらっしゃいますね」
「目隠し?」
「はい。ギルドで手続きすればプレートからの閲覧は出来なくなります」
なるほど。
ならば不用意に開かない方が良いな。
そう思いつつ、「目隠しする内容についてもちょっと考えないといけないか」とも考える。
「ステータス画面は、本人のプレートへの接触と肉声による『ステータス』という合言葉が必要になります」
「何か越しだと接触にならないとか?」
「布一枚くらいでしたら、問題なく確認出来ると思いますよ?」
そうか。
なら手袋とかしてても普通に使えるか。
「登録したばかりなので、今はお二人ともFランクです。依頼を熟す度にランクが上がり受けられる依頼の幅が増えていきます。今日はご依頼、受けていかれますか?」
「そうですね……良さそうなのを見繕ってくれますか?」
「かしこまりました」
そう言うと、彼女は一度席を外し何枚かの依頼書を持って戻ってきた。
「受けられる依頼は一つ上のランクのものまでなので、EかFランク相当の依頼になります。町から出ない依頼ならこちらかこちら、出る依頼ならこちらかこちら……なんていかがでしょう?」
そう言って、計4枚の紙を見せられる。
町を出ない仕事の方は、『とある商会内の掃除』と『病院での衣類の洗濯などの雑用』。
出る方は、『薬草採取』と『スライム退治』。
こっちはすぐ近くの森でのものだ。
「この森は、危険な獣や魔物が出たりしますか?」
「いえ、基本的にはこちらから手を出さないと襲ってこないものばかりです。森の入り口での採集活動という事でしたら、お子さん連れでも大丈夫だと思いますよ」
なるほど、それならクイナも連れていける。
最悪クイナが襲われても、スライムレベルなら攻撃力はそれほどじゃない。
俺の魔法で事前に防御策を取っておけば問題ないだろう。
「しかし、襲ってこないのならば何故……?」
何故スライム討伐が必要なのか。
そう聞くと、彼女は「あぁそれは」と教えてくれる。
「ここは薬草が豊富な場所なのですが、スライムはそれらを根こそぎ食べちゃいますから、こうして『数を減す依頼』が国から定期的に発注されるんです」
「へぇ。因みに期限などは?」
「4枚とも、今回は無期限のものにしておきました。期限付きのものの方が報酬額は割高ですがそれでもF、Eランクのものならそれ程大きくは変わりませんし、期限付きは超過すると罰金などのペナルティーがありますからね。クイナちゃんを同伴させる最初のお仕事という事ならば猶更、仕事の要領を得るまでは期限付きは避けた方が賢明でしょう」
「そうですね、ありがとうございます」
話しながら、「彼女はデキる人だなぁ」と思った。
別の種類の4つの仕事をこの短期間で選んできた。
しかもバランスの良い仕事内容のチョイスに、俺たちに対して優しいチョイス。
なんとも『かゆいところに手が届く』仕事ぶりだ。
俺は多分運がいい。
「じゃぁこの町外の2つ、良いですか?」
「分かりました。じゃぁ受理しちゃいますね。でも行く前に……装備は揃えた方が良いと思いますよ?」
周りを見ながらコッソリと、彼女は俺にそう助言してくれた。
彼女はおそらく、さっきからずっと俺とクイナを見ている一部の冒険者たちの良くない視線を気にしてくれているんだろう。
「分かっていますよ。でもありがとう」
俺はそう答えながら、彼女が出してくれた『薬草採取』と『スライム討伐』のクエストを受け取ったのだった。
因みにその後、ものの見事に先輩冒険者に絡まれた。
しかも、二組も。
一組目の言い分は「その珍しいキツネ、俺達が引き取ってやるよ」で、二組目の言い分は「よくもミランさんと楽しそうに……!」だった。
後者のは、多分あの受付のお姉さんが原因だろう。
確かに綺麗な人ではあったし優しい人でもあったし、誰かを差別するような態度にも見えなかったから、荒くれモノに人気なのも頷ける。
まぁ結果は言うまでもない。
どちらとも、危害を加えてきたところを軽く伸して放置してきた。
もし次もやってきたら、その時は流石に容赦できない。
冒険者ギルドを出てあの串焼き屋で串を買い、食べながら街を歩く。
機嫌よさげに歩くクイナの首には先ほど作ったカッパー色の金属タグが下げられていて、それがまるで踊るように跳ねるので楽しげ加減も倍増だ。
時刻はまだ午前10時を過ぎた所。
そして次の目的地はダンリルディー商会。
そう、ダンノさんの商会だ。
「場所は、聞けばわかると思いますから」とあの時ダンノさんが言っていたのでそれを信じて聞いてみたら、確かにその通りだった。
あの串焼き屋で買い物ついでに聞いてみたら、すぐに道順が分かってしまった。
「大きな店だから、近くに行けば多分分かるぞ!」とサムズアップしてくれたんだけど――。
「あれか?」
確かに近くに行けば分かった。
それほどまでに、とってもとっても……。
「おっきいのーっ!」
「あっ、こらクイナ声大きい!」
掛け声でも書けるかのように何故かクイナが口元に手を添えて叫ぶもんだから、俺は思わずそう言いながら頭にチョップをかましてやった。
すると「ぁいてーっ!」と言いながら頭を抱え、しかしそれでも機嫌を損ねるような事は無く「メルティー、居る?」と聞いてくる。
余程会えるのが嬉しいらしい。
昨日の今日だっていうのに、せっかちなヤツである。
「出かけてなけりゃぁ居る筈だ」
「じゃぁ早く行こうなのっ!」
「あっちょっとおい、引っ張るな!」
繋いだ手をグイグイと引っ張り突入しようとする彼女に、俺はそう苦言を呈する。
まさか食べかけの手に持ったまま、売り物がある店内を練り歩く訳にもいかないだろう。
そう思ってクイナを見れば、不思議そうな顔で見上げてくる。
「……って、あれ? お前串焼きは?」
「もうとっくに食べちゃったのー」
「何……だと?」
俺は思わず驚愕の顔になる。
俺なんてまだ3分の1しか食べられてない。
お腹の減り具合とかじゃなく、熱さに負けてだ。
それでも口の中を火傷してないだけ昨日よりは成長してる筈なんだけど、たった一日じゃぁどんな努力や工夫をしたってどうにもならない。
(くっ、地味に悔しい……!)
割と本気で悔しがってると、変な顔をしたクイナに再度「早く行こうよ!」と手を引っ張られた。
「俺はまだ食べれてないから! 食べかけ持って入れないから!」
「じゃぁ早く食べてなの!」
「急かさないで、火傷するから!」
「はーやーくぅーっ!」
急かされハフハフと言いながら食べ終わり、俺とクイナは店に入る。
因みにだけど、また火傷した。
店内に入り、俺は思わず「おぉー」と声を上げてしまった。
もちろん俺は元王族だ、過去に招かれた侯爵家や公爵家の家は比べ物にならないくらい大きいし、城なんて言うまでもない。
が、それでも街中の建物としてはかなり大規模、敷地面積的には冒険者ギルドともそう変わらない。
「ダンノさんって、すごい商人なんだなぁー」
そう俺が呟いたところで、クイナが俺と繋いでいた手を放して駆けだす。
「メルティーっ!!」
止める暇も無く走り出した彼女は俺の静止を全く聞かない。
きっとクイナは止まってはくれない。
彼女の視線の先に居る少女の所にたどり着くまでは。
その少女が、クイナの声に振り返る。
そしてパァッと顔を華やがせて「クイナちゃんっ!」と叫び、突進してきたクイナを受け止めた。
「会えたのーっ!」
「ビックリした……! 今日はどうしたの?」
「お買い物に来たの!」
何人もお客さんがいる中で、二人はキャッキャと再会を喜ぶ。
その光景はとても微笑ましいものだったが。
「メルティー、お客様の前ではしゃいだ声を上げてはいけないと――おや」
店の奥から騒ぎを聞きつけたダンディーな人影がメルティーを制し、そして俺たちに気が付いた。
「お仕事の邪魔をしたのはクイナなので、彼女を怒らないでやってください。ダンノさん」
「アルドさん?」
俺を見て、ダンノは少し驚いたような顔をした。
しかしすぐに状況を察したのだろう、「そう言われてしまっては仕方がありませんね」と苦笑した後、メルティーの前へと向かいしゃがんで彼女と目の高さを合わせてから言う。
「今回は大目に見るけど、売り場ではちゃんと節度を持たないと」
「ごめんなさい、お父さん」
素直に謝ったメルティーに、ダンノは「よろしい」と微笑んだ。
「せっかくの再会だ。カフェスペースに二人で行って、クイナちゃんとケーキでも食べてきなさい」
「いいの?!」
「あぁ、一つずつね」
「分かった! 行こうクイナちゃん!」
「うんなの!」
そう言って、クイナとメルティーは手に手を取って店の奥へと歩いて行く。
その背中を二人で見送りながら、ダンノさんが教えてくれる。
「この店舗には、商品販売の傍ら飲食スペースもあるんです。そこで甘いお菓子を食べてる間はこちらもゆっくりと買い物する事ができるでしょう」
なるほど。
どうやらダンノは俺の買い物に配慮をしてくれたらしい。
「それにしても、こんなに早くまたお会いする事が出来るとは。嬉しい限りです」
「こちらこそ、別れて早々またお世話になって申し訳ない」
「いえいえ、アルドさんなら大歓迎です。それで? 今日はお買い物にいらしたんですか?」
「はい、先ほど冒険者登録をしてきまして」
「おや」
「それで装備を買いたいのですが、武器や防具のお店や他に揃えた方が良いものなんかを教えてもらえると嬉しいなぁと……」
と言いながら、俺はすべてをダンノに丸投げしようとしている自分に気が付いた。
だから最後に思わず「すみません」と謝れば、ダンノさんは笑いながら「頼ってくれて嬉しいですよ」と言ってくれる。
ホントこの人、紳士過ぎる。
「それに、知識を持っている人に頼るというアルドさんの判断は正解だと思いますよ? 我が商会にはバッグやポーションだけじゃなく、低級レベルの者であれば武器や防具も揃っていますし、私もそれなりに目利きが出来るつもりでいます。アルドさん、先ほど登録してきたばかりという事でしたら今はFランクですよね?」
「はい。受けてきたのはとりあえず『薬草採取』と『スライム退治』なんですが」
「なら十分事足りるでしょう」
そう言って、彼は人の好い笑みを浮かべる。
「私が見繕いましょう」
「えっ、良いんですか?」
「えぇ。商会長と言ったって、ずっと忙しい訳じゃないですし」
ありがたい申し出だ。
実際に「ずっと忙しい訳じゃない」という言葉が本当なのかは知らないし、ここで頼ればまた借金並みに借りが倍増していく気がしてならない。
が。
「じゃぁ、お言葉に甘えさせていただきます」
「分かりました。じゃぁまずは小物を選びましょう。マジックバックやポーションは誰にとっても必須アイテムですからね」
そう言って、俺は彼にまずはポーション売り場へと案内してもらう。
「まずは状態異常を回復する為のポーションは人数分買っておいた方が良いでしょう」
そう言って、彼は毒と麻痺、それから睡眠異常に関するポーションを俺の買い物カゴに入れてくれる。
「あとはHPポーションとMPポーションですが、これらは本人の戦い方やHP、MPの総量によって本数やグレードを決めるんです」
「グレード?」
「えぇ、下級・中級・上級・特級。金が有り余ってるからと上級の物を選んでも回復上限は変わりませんからただの損にしかなりませんし、その逆で総量が多いのに幾ら低級ポーションを飲んだところでただの焼け石に水にしかなりません」
「なるほど。でも俺、自分の総量とか良く分からなくて」
「あぁそれなら大丈夫ですよ。先ほど登録した時にもらったプレートはお持ちですよね?」
そう言いながら、彼はトンッと胸を指す。
「あぁそうだった」と思い出し、首に下げてたプレートに触って「ステータス」と言ってみる。
と、ステータス情報がミョンッと現れたので、早速今必要な情報を見てみた。
「えーっと、HPが『3,246』、MPが『3,599』? ですね」
「え」
「え?」
驚いた彼に思わず俺が聞き返すと、すぐに「あぁいえ」と両手を振って苦笑する。
「凄いですね、3,000台の数値なんてよっぽど厳しい訓練をしていないと到達できないのですが……もしかして軍かどこかに所属でもしてたんですか?」
「いえそんな。……あぁでも確かに私の師匠は軍関係の人だったから」
「なるほど、それで」
俺の言葉に納得した彼は、今度はちょっと可哀想な顔になる。
「……しかしここまでステータスを伸ばすとなると、相当な訓練だったのですね」
「えぇそりゃぁもう」
正直言って、訓練中に何度「死ぬかも」と思ったかしれない。
まぁ俺は身分が身分だったから、実際にはちゃんと限界を見極めながら鍛えてくれていたんだと思うけど。
それでも思い出せばため息が出るくらいには、しんどかった記憶がひどく鮮明に残っている。
ちょっと遠い目になってしまった俺に、彼はきっと何かを察したんだろう。
「それならば」言いながら、俺に必要なポーションを選んでくれる。
「上級の物を選んでおいた方が良いね、その数値なら。他のに比べると少し値は張りますが、Fランクの依頼程度なら使う事にもならないでしょうし、上級ポーションの消費期限は10年ですからすぐに使い物のならなくなるという事もありません」
「へぇー」
そんなに持つのか。
そう思いながらそれらをカゴに入れた時だった。
足に何かがしがみつく。
「ん?」
「アルドー、お菓子美味しかったー!!」
見てみるとキツネ耳の少女がヒシッと引っ付いてて、満足そうな顔で俺を見上げて笑っていた。
「おーそうか、そりゃぁ良かった」と言って頭を撫でつつ、俺はダンノに言っておく。
「クイナの飲み食い代、買い物の会計と一緒で良いですか?」
「構いませんよ。というか、再会のお祝いにサービスにするつもりだったんですが……」
「流石にそれは。お世話になりすぎてあまりに居た堪れないので、今回は支払わせてください」
あまり良くしてもらい過ぎると今後頼れなくなっちゃいます。
そう言うと、彼は「それじゃぁ仕方がありませんね」と答えてくれる。
ちょうどクイナがやってきたのでHPとMPをチェックして下級ポーションを買っておく。
そして。
「じゃぁクイナちゃんも来ましたし、次は装備類を見ましょうか」
「はい、お願いします」
と、こんな風にこの後俺は、防具や武器などを調達していき――。
「よし、準備万端!」
俺は店の外で仁王立ちになる。
太ももに巻いている皮素材のマジックバックの中には買った剣と、討伐部位を切り取る為の小刀。
見た目も冒険者ルックに変わったが、黒の無地服にこげ茶色の皮防具という身軽さ重視の最低限で地味なもの。
金に限りがある中でクイナの身の安全を第一にしたんだから、こればっかりは仕方がない。
「あの金メイルもアルドさんに似合うと思うんですけどねぇー……」
残念そうに眉尻を下げてそう言ったダンノに、俺は思わず苦笑する。
彼が言っているソレというのは、全てが金色素材で作られた金属鎧の事である。
試しに試着してみたら思ったよりも重くなくて動きやすかったし、お値段もリーズナブル。
どうやら修行中の人の作品のせいらしいんだけど、誰が作ったとかあまり気にしない俺からすれば、普通にそちらを選ぶ選択肢というのもあった。
――金ピカに輝く、実に目立つ代物でなければ。
流石の目立ち具合に「これはちょっと……」と断った。
が、顔が苦笑になっているのは目立つ事だけが理由じゃない。
(あの国で金って言えば、王族の色だったんだよなぁー……)
そんな風に独り言ちる。
俺にとっての金はある意味『慣れ親しんだ色』であり、それと同時に俺を嫌っていたあの弟や裏切ったあの父の色でもある。
もう彼らに何ら未練も含むところも無いのだが、せっかく解放されたのだ。
それらの色を身に纏うのは、出来れば避けておきたい事だ。
――という影の理由を、まさか正体を明かしていないダンノ相手に話す訳にもいかなかったんだけど良かった。
ダンノはこれ以上、食い下がるような事はしなかった。
「ふぅ」と安堵の息吐いてると、クイナが「アルド!」を声を上げる。
「新しいお洋服なのっ!」
そう言ってクルリとターンした彼女は、先日買ってやった平民ルックとはまた違う装いになってる。
白のシンプルなインナーに、動きやすい茶色のズボン。
何を踏んでも大丈夫なように安全で頑丈な皮ブーツの中に裾をインして、胸を張ってる。
上に羽織るのは、深紅の生地に白い糸でどこかの民族風な刺繍が為されたコートだ。
前のソレよりかなり丈夫な生地だし、服にはすべて防御の魔法陣が織り込まれている。
肌を極力晒さない装いだから、森に入っても安心だ。
(主にクイナの装備を揃えたので金はほぼすっからかんだけど、宿屋には先に5日間分渡してるし、これから稼ぎに行くんだから当面は大丈夫。むしろクイナに超似合ってるからそれで良い!)
そう思いつつクイナの頭をナデナデすると、くすぐったそうに、しかし嬉しそうに彼女は笑う。
元々可愛く新しい服にはしゃいでたのに更に嬉しくなったようで、耳をピコピコ尻尾をフリフリと無意識的な感情表現に余念が無い。
それどころか、一ミリだって死角が無い。
どうしてくれよう、この可愛さを!
(もしかしたら、この子の可愛さは世界一なんじゃないか……?)
柄にもなくそんな混乱に苛まれた俺に、ダンノはフッと微笑んだ。
「娘っていうのは際限の無いもので、いつまで見ててもその可愛さは目減りなんてしないんですよ」
「否、クイナは俺の娘じゃないんですけどね」とか俺が言わなかったのは、彼が何を言いたいのかイマイチ良く分からなかったからである。
そんな俺に、彼は言う。
「つまり何が言いたいのかっていうとですね――『日が暮れちゃいますよ?』って事です」
「……あ」
「いつまでも娘を愛でてると、日なんてあっという間に暮れちゃうんです」
そう言った彼も、もしかしたら同じような経験を何度もして、その内の何度かは既に時間を浪費させてしまっているのかも。
そう思えばもう、苦笑しか出てこない訳で。
「ははっ、すみません行ってきます」
「行ってらっしゃい、気を付けて」
時刻はちょうどお昼時。
クイナとちょっと小腹を満たしてから、遂に街の外に出る。
という訳で、冒険者登録をして装備も整えて。
昼ご飯も食べ終わったので、ついに冒険へと出発だ。
「アルドー、早くいくのーっ!!」
はしゃぎながら先を行くクイナに、「おいあんまり走ると転ぶぞー?」と言いながら後ろに続く。
念の為に感知の魔法を使ってみたが、どうやら近くに危険は無い。
が、一応警戒する癖はクイナにもつけてほしい。
「クイナ、これから幾つか約束しよう」
「約束ー?」
「そう。まず一つ目、一人で勝手にどっかに行かない。はぐれたら最悪、二度と会えなくなる事もある」
今は脅威は無いみたいだけど、冒険者になればそういう事も往々にしてあるだろう。
「もちろん俺はクイナを守るつもりでいるよ。だけどクイナが勝手に居なくなったら、手が届かないかもしれない。どんなに俺が強くたって、手が届かなかったら間に合わない事もある。あの時みたいにまた助けに行ってやれればいいけど、出来るかどうかは分からない」
言い聞かせる様にそう言えば、多分彼女は少し前までの、一人で何とかしなくちゃならない心細くて寂しくて怖かった時の気持ちを思い出したんだろうと思う。
ギュッと俺の服を握り、耳はペタンと伏せられて尻尾も足の間に挟み込んで、プルプルと震え出した。
ちょっと可哀想な気もする。
だけど取り返しがつかなくなる前に、ちゃんと言っておくべきだと思ったんだ。
生きるための選択肢として『冒険者』を教えるんだから。
だから代わりに約束をする。
「でもクイナ、お前が俺の近くに居て俺に頼ってくれる限り、俺はお前を必ず守るよ」
だから安心してほしい。
そう言って、クイナの頭を耳も巻き込んでモッフモッフと撫でてやる。
実際問題、ここに出る魔物くらいなら俺にとっては痛くも痒くも無いのである。
もちろん慢心はいけないが、その言葉を実現する自信だってそれなりにある。
言質を取られる事を嫌う、王族の血と経験が俺に虚言を言わせない。
大丈夫と示すように目を細めれば、彼女も安堵に目を細め小さくコクリと頷いた。
どうやらもう大丈夫そうだ。
そう判断し俺はクイナと手を強く繋ぎ直して、改めて例の森へと足を向けた。
森の入り口まで来た俺たちは、クイナに今日の予定を改めて告げた。
「今日するのは、『薬草採取』と『スライム退治』。中でも最初は薬草採取をしようと思う」
「薬草採取、なの?」
「あぁ。とある草を取って、このバックに入れる。それがクイナのお仕事だ! えーっと……あぁ、この草だな」
そう言って、俺は木の根元に生えている草を一つ摘み取って見せる。
これもレングラムから実地で教えてもらった知識だ。
でなければ、本来王族に必要のないこの手の知識を俺が手に入れられる筈が無い。
……と思えば、やっぱり王族として学んだ事はあの世界だからこそ役に立ったことであって、市井に下りればまるで役立たずのものなんだなぁと自覚する。
だからといって「王族教育の全てが無駄だった」とは言わないけれど、それでもやっぱり生きる術を教えてくれたレングラムには感謝が絶えない。
「これはポーションの素になるんだって。ポーションはさっき買っただろ?」
「前に一回飲んだコトある、瓶の不思議なおクスリのやつ!」
「あぁ、そういうばそうだったな」
彼女に言われて思い出す。
確かにクイナを見つけたあの日に、HPポーションをクイナに一本飲ませた筈だ。
HPポーションだけじゃない。
この薬草はMPポーションにも使われる、かなりメジャーなものなのだ。
それでいて割とどこにでも生えている為、初めての依頼としても今後継続的に受ける安全な依頼としても、ちょうど良い。
「ほら、コレあげるから同じのを取るんだぞ?」
そう言ってクイナに目当ての薬草を手渡すと、彼女は何故かまず最初に臭いを嗅いだ。
そして「普通の草なの」などと言う。
「よぉーく見て、葉っぱの形が同じ草を採取するんだ。出来るだけ根っこが付いてこないように詰むのがミソだぞ?」
俺がそう言うとクイナから「根っこがついてたら邪魔だから……なの?」という質問が来た。
確かにポーションの材料は草部分だけなので、根ごと持って行っても結局切らなければならない。
だから間違ってはいないんだけど。
「いや、どっちかっていうと『次に摂る時の為に』だ。根っこが地中に残っていればそれだけ新しい葉っぱが早く地上に生える」
根だけでも残っていれば養分を土から吸収できる土台が既にあるので、草はそれだけ早く育つ。
どちらにしても根を地中に残す方が都合が良い……というのも、レングラムに教えてもらった事である。
「この辺に生息するのは精々スライムかゴブリンくらいらしいから、もし居ても俺が排除する。だからクイナは薬草取りに集中してくれ」
役割分担だ。
そう言った俺に、クイナは何故かムゥーッと頬を膨らませる。
「クイナはスライムもしたいのーっ!」
「えっ、でも」
「したいのーっ!!」
「そ、そうなのか? うーん、でも一度に両方ともするのは大変だから、まずは薬草取っちゃってからスライムやろう」
そう言って不満顔の彼女を宥めつつ、クイナに作業を促した。
そんな感じだったから、最初の内はちゃんと薬草取りに集中できるか不安だった。
が、クイナはどうやら慣れてきたら熱中する質のようで。
「ぷっちんこ! ぷっちんこ! あっちもこっちもぷっちんこ~♪」
何やら段々リズムに乗って、終いには歌まで作詞作曲しながらプチプチやっている。
「いいぞー、クイナ! ……あ、でもそれは違うやつ」
しゃがんでいるクイナの隣にしゃがみ、二つの葉っぱをそれぞれ指さす。
「ほら、ここ見てみろ。こっちの葉っぱはギザギザしてるけど、そっちのはツルンとしてるだろ?」
「あっ、ホントなのー!」
「分からない内は、こうやって見本と見合わせて確認しながら取ると良く分かるぞ?」
俺の指摘にクイナは素直に納得し、間違っている「ツルン」の方を俺にズイッと出してきた。
「この葉っぱは、何の葉っぱ?」
「あぁそれは、毒草だな」
「どくそう?」
「そう。食べると死ぬほどお腹が痛くなる」
俺はそれをレングラムに身を以って教えてもらった……というのは俺達だけの秘密である。
因みにちょっと齧っただけの俺は普通の腹痛で済んだけど、レングラムは俺の何倍もたくさん食べて、俺の数倍も腹痛を受けて地べたをのたうち回ってた。
その時の事を思い出すと、思わず遠い目になってしまう。
と。
「やーっ!」
悲しい現実を知ったクイナは、次の瞬間例の葉っぱを渾身の力で投げていた。
が、所詮は子供の力だ。
すぐ近くに軽く打ちあがった後、すぐ目の前にポテリと着地する。
直線飛距離にして、30センチくらいだろうか。
見ればクイナは涙目だ、よほど『腹痛』が嫌らしい。
が、草そのものをそこまで怖がる必要も無い。
「別に食べなきゃ下さないし、ちゃんと分量を守れば薬にもなるやつだから大丈夫」
「大丈夫?」
「うん、大丈夫」
まだ不安げに見上げてくるクイナにそう言いながら、俺はクイナがポイした草を拾う。
実際、そんなにヤバい物でもない。
簡単に言えば、この草はお通じを良くするための薬の原料になるものだ。
もし今持っている草一株を全て食べてしまったら、当分はトイレに籠る事になっちゃうだろう。
だけど、言ってしまえばそれだけだ。
一応は劇薬の類じゃない。
「クエストとは関係ないけどもう一度摘んじゃったことだし、持って帰ったらギルドが買い取ってくれるかもしれないから一応持って帰ってみよう」
置いたままにしておいてもどうせ萎れて枯れるだけだ。
ならば持って帰って使ってくれそうな人を探した方が、多分この間違えて摘まれちゃった草の為だ。
そう言うと、クイナがコテンッと首をかしげて聞いてくる。
「それも採る……の?」
「……いや、間違っちゃったやつは持って帰るけど、それ以外は要らないぞ。そんな事してたらキリ無いし」
分かったな?
俺がそう念を押すと、彼女は「うん、分かったのーっ!」と言った後、またいそいそと採取を続けた。
「――で、結局クエスト分を全部採り終わったところで間違って採ったのは5つか」
俺がそう呟くと、クイナはシュンとして「ごめんなさい、なの」と呟いた。
別に怒っても、苦言を呈するつもりもなかったから「気にするな」と言って笑う。
「そんなに落ち込むなよな? 慣れればじきに間違えなくなるって」
そう言いながら、頭を優しくナデナデしてやる。
それにこの僅かな間にクイナはちゃんと成長している。
その証拠に最後の方は、採った後ではあったものの自分でちゃんと間違いにも気が付いていた。
多分あと2回分でも依頼を熟せば、じきに「採る前に気付く」事も出来る様になるだろう。
「よし。じゃぁソレは、ちゃんとカバンの中にしまっとけー。で、次はクイナもお待ちかね『スライム退治』をやってみるぞー!」
「わーい、なの!!」
よし、この勢いでもう一つのクエストもテキパキ片付けてしまおうじゃないか。
という訳で、次はスライム退治な訳だが……。
「それにしてもどこに居るんだろ」
思わずそう、呟いた。
というのも薬草採取中には結局、一度もスライムに遭遇しなかった。
というか、何にも遭遇しなかった。
つまり薬草採集は、ただの平和な薬草広いの散策だったという訳だ。
「アルドー?」
「ん?」
呼ばれて見れば、ちょっと心配そうなクイナが居る。
おそらくちょっと困った俺の呟きに、何か漠然とした不安を抱かせてしまったんだろう。
ぶっちゃけ言って「どうしたもんか」と思ってはいる。
過去に騎士団たちと魔物討伐の遠征部隊に同行した事もあり、大抵の魔物や獣に関する生息地や能力・弱点などの知識はそれなりにあるつもりだ。
だけど流石にスライムともなると、情報収集をする必要性を今までずっと感じていなかった。
(弱すぎて調べるまでも無い相手だと思ってたからなぁー。今回も、なんか漠然と「その辺に居るだろ」って思ってた……)
つまりある意味侮っていたというだけの話なんだけど、クイナがスライム討伐を楽しみにしてる。
流石に「見つからないから」と早々に帰るのも、ちょっと悔しいしカッコ悪い。
と、思った時だ。
「ねぇアルド。お散歩、楽しいのー!」
俺を見上げてニヒッと笑った彼女に俺の張っていた見栄が跡形も無く溶け落ちた。
そもそも無期限の依頼なんだから、今日依頼を終わらせる必要はない。
ギルドで詳しく話を聞いてからまた来た方が、どう考えても効率が良いしクイナも疲れないだろう。
つまり俺のコレは自分本位の独りよがりだった訳だ。
「……なぁクイナ」
心の中で「馬鹿だなぁ俺」と思いながらそう言えば、彼女が「何ー?」と言いながら俺と繋いでる手をブンブンと振り回す。
楽しそうだ。
もうそれだけで良いような気分になった。
「初めての森だ。ちょっと散歩して帰ろう。もしそのついでにスライムを見つけたら、その時はコテンパンだ」
「コテンパンっ!」
俺がそんな宣言をすると、一体何が彼女のテンションをそんなにも上げたのか。
嬉しそうにピョンッと飛び跳ねたクイナは、まるで掛け声の様に言葉を返す。
しかしそうして吹っ切って、2人愉しく散歩に興じようと思ったところで。
プヨヨンッ。
プヨヨンッ。
「あ」
探し物は、いとも簡単に見つかった。
目の前にピョンッと姿を現したのは緑色のプルルン素材だ。
「グリーンスライム、かな」
スライムには色々な種類がある。
図鑑で得た知識によるとそれぞれに食の好みがあるらしく、その好みと種類がどうやら符合しているらしい。
しかしその起源は未だに解明されていない。
元々は同じ生物で、個体の食の好みによって体内に取り入れるものが偏った結果色や性質が変わるらしいという説。
そして、生まれた時から種類は個体毎に決まっていて、それぞれに必要養分が違うから食べるものの種類が異なるという説。
どちらの説も拮抗して支持者がおり、その解明になんと『スライム研究家』と呼ばれる一部の変人――もとい大の大人たちが、日夜議論を戦わせる職業があるらしい……という話を、前に王城で世間話がてらに伝え聞いた事がある。
結局のところ『卵が先か、鶏が先か』という話をしているとの事だ。
俺にはあまりその面白さは分からないが、少なくともそういった方々にとってはかなりの難題であり楽しい議論の対象なんだろう。
ともあれアレは色的に、グリーンスライムに違いない。
この辺は草葉が生い茂ってるから餌にも事欠かないだろうし、そもそも薬草を根こそぎヤラれないようにするためのスライムの間引きらしいから、この種類がここに居るのはむしろ自然な事である。
どちらにしろ、スライムは見つかった。
内心で少し安堵しながら「ほらクイナ」と振り返る。
「ずっとお前が楽しみにしてたスライムが――」
瞬間、俺の隣を風が駆けた。
止める暇も無い。
地を蹴ったクイナは、獣人の身体能力なのか。
瞬間的にトップスピードにまで乗って、5メートルほど先に居たスライムの方へと突進し――。
パンッ。
「あ」
両手でギュッと捕まえたところで、スライムだったモノとクイナに悲劇の音が炸裂した。
否、違う。
悲劇はクイナ、スライムには悲惨な末路が訪れた。
まるで風船が割れるかのように、彼は見事に弾け飛んでしまった。
慌てて追いかけた俺の太ももにさえゼリー状の緑がペチャリと貼り付いたんだから、ゼロ距離だったクイナの被害はそれよりあっただろう。
今日の彼女は午前中に新調したばかりの服を着てた。
新しい服をあんなに喜んでたんだから、こんな汚れ方をしたらショックもさぞかし大きかろう。
「「……」」
2人して無言なった中、ペタンと地面にへたり込んだ彼女の膝の上から時間差で、スライムの核だった筈の小さな魔石が地面にコロンと転がり落ちる。
(えーっと……一体どうフォローしたら……?)
彼女の背中にそう思う。
まぁ一応討伐証明部位である魔石はゲットできた訳だし、やっぱりここは「討伐成功だ、おめでとう」?。
それとも俺以上に全身をベッチャベチャにされたんだから、「大丈夫か? まぁ冒険なんて服が汚れてナンボだからな。大人の階段一つ登ったな!」の方が良いのか?
うーん、分からん。
っていうかそもそもコイツ何であんなにスライム討伐したがってたのか。
そう思ってハッとした。
(もっ、もしかして『魔物をペットにしたかった』とか?!)
そんな想像に青ざめる。
スライムが子供のペットにされる事は、平民周りでは割とある話らしい。
本当は狩猟の相棒にもなれて躾けられる犬なんかがペットとしてはベストだが、スライムならば子供でも簡単に捕まえられるし、種類を選べば脅威度もかなり低い。
その上餌に困る事も少ないから、飼う負担もかなり少ない。
安全で、金もかからずに育てられる。
見た目もまぁ、プルルンふよふよとしてて愛らしい。
だから初めてのペットにスライムを拾い、親に隠れて育てたりしている子供も居る……というのはシン情報だ。
クイナが同じような事をやりたいと思っても、そうおかしな話じゃない。
しかし、もしそうならばこれはまさしく悲劇だろう。
だってそれって、つまりはこれから仲良くしようとしていた相手がその、ちょっと言い難いけど……まさかの目の前で爆散しちゃった訳だしな。
あぁ、一体なんて言って慰めれば良いんだ。
「今回は縁が無かったんだろう」?
「他にもスライムはたくさん居るさ」?
……どうしよう、なんか好いた相手に振られたばかりの友人を慰めているような気分になってきた。
なんて思っていると、クイナがグリスと鼻をすすった。
見れば顔から、ポタポタとしずくが落ちている。
……泣いている。
や、やっぱり『ペット』が正解かーっ!!
えっ、どうする? どうする?! どうすればいい?!
何て言って慰める?
そう思った時だった。
「せっかくの甘くておいしいクイナのが……」
「は?」
あまりにも予想の斜め上を行くその言葉に、俺は思わず声を上げる。
「スライム、楽しみにしてたのに……」
グスリ。
涙声で鼻をすする彼女に俺は、思わず呆然としながら思う。
え、スライムって食べられるの?
と。
いやまぁ確かに、オークだってあんなに美味しい串焼きになった訳なんだから、別に魔物が食用として用いられる事自体に疑問がある訳じゃない。
が、スライムが食べられるっていう話なんて、少なくとも俺は聞いた事が無い。
うーんでもなぁー、クイナは美味しくいただく事を本気で夢見てるみたいだし、口ぶりからすると食べた事があるみたいだし。
そんな風にちょっと考えた結果。
「……いやまぁ、とりあえず体洗うか」
俺の中の冷静な部分がそんな英断を下してくれた。
確かすぐ近くに川が流れていた筈だ。
とりあえずそこでクイナを洗えばいい、と。
へたり込んだクイナに手を差し出せば、彼女は涙声で「ゔんなの」と頷きつつ握り返された。
因みにだけど「スライムが本当に食用に出来るのか」については、安全に配慮して念のため後でちゃんと調べます。