君の余命はあと半年

「私、やっぱりこの夢は諦める」
お母さんと喧嘩をして、病院で入院している幼なじみに電話をかけた。
「じゃあ、僕のために目指してよ」
大事な幼なじみの唯空は、消灯時間はとうに過ぎているはずなのに、やけにはっきりした声で話した。
「でも、お母さんは否定的だし……」
難病を患っている唯空にこんな話をするべきではないと内心わかっていたけど、こんな話をできるのは唯空だけ。
「募集のテーマ、『思い出の恋』だっけ?」
今までの話は聞かなかったことになっているのか、スマホに軽く爪が当たる音がたまに聞こえた。きっと、募集要項を読んでいる。
「うん」
「僕と思い出作ろうよ。二ヶ月だけ自宅療養になったから」
「え、ほんと?」
それは嬉しい知らせだった。
少しは回復に近づいている。そういう証拠だと思って、朝を知らせる方向へ傾いている月を眺めて、思わず笑みがこぼれる。
「でもごめん」
私が笑うと、唯空は突然申し訳なさそうに声色を暗くした。
「なにが?」
途端になんだか嫌な予感がした。
さっきまで嬉しかったのに、気分は一気に百八十度回転して、次の言葉を聞くのが怖くなった。
「僕、余命あと半年なんだ」
なにかの覚悟を決めたように、辛い、というよりすっかり死を受け入れたような口ぶりは、悲壮感を漂わせて告白されるよりもよっぽど現実味があるように聞こえる。
「だから、僕のために目指してほしい。歌声なら、きっと空の上でも聴こえるから」
一瞬の涙声もない、いつも通りの唯空。
いつも通りなのに、いつもの何十倍も胸が痛くて、悲しくて、何も言えなかった。
「じゃあ、また明日」
久しぶりに聞く「また明日」は、嬉しくて、嬉しくなかった。
夏休みが始まる日の、深夜一時の出来事だった。
浅い眠りから目を覚ますと、時刻は朝の七時だった。寝たはずなのに寝た気がしないのは、夜にあんなことを聞いたからだろう。
朝なのに、下で誰かと話している声が微かに聞こえてきた。
「あ、きたきた。汐音」
階段を降りた先の玄関には、お母さんと唯空が立ち話をしていた。
見間違いだと思った。確かに昨日、また明日と話していたけど、夢だと思っていた。いや、夢であってほしかったのかもしれない。
「汐音、早く準備して。出かけよう」
本当に余命半年なのか疑いたくなるほど、私の目に映る限り、唯空はそこら辺の男子高校生と変わらないように見えた。よく見ると少し痩せていたけど、痩せこけているわけでもなく、普通だった。
「あ、うん……」
「はやくね」
おはようを言う暇も与えないまま、降りてきた階段をまた登り、自分の部屋に戻る。
眠りが浅かったせいか、やけに足元がふわふわしていて、まだ夢の中にいるみたいだ。
どこまでが夢で、どこまでが現実か、実際に唯空のことをこの目で見ると全てがごちゃごちゃになってしまう。
「ごめん、おまたせ」
クローゼットの中の一番かわいい服を着て、いつかいつかと知らない人の投稿を保存していた中から、かわいいひつじヘアに髪を選び、説明通りセットした。慣れないメイクも派手すぎないように気をつけて色を乗せ、唯空の前に立つ。
「いいね、似合ってる」
昔から変わらない笑顔を向けて、私の手を取った。
「じゃあ、いってきまーす」
まるで自分の家のように、私の家を出た。
歩き方も不自由そうな感じはしなくて、軽快な足取りで歩いている。どこに行くのかも教えてもらえないまま。
少し歩いて、最寄り駅の改札をICカードでくぐり抜けた先のベンチに肩で息をしながら腰掛けた。やっぱり、これが現実なんだ。唯空がいない未来が、もうすぐそこまで迫っているんだ。
「どこ行くの?」
「夏っぽいところ」
答えになっていなかった。でも、息苦しそうなのになんだか楽しそうで、まあいいかと、隣に腰掛けて唯空の息が整うのを待った。
「学校、慣れた?」
中学三年生の秋、一生を病院で過ごすと決まってから、高校進学を諦めてしまった。お見舞いに行くと、よくぼーっと窓の外を眺めていて、あの頃の方がよっぽど辛くて、見ている方も心が痛かった。
「うん。だってもう二年生の夏休みだよ?」
「あは、そっか」
同い歳で、同じ学年。私よりも頭がいい唯空と同じ高校に行きたくて、死ぬ気で勉強した。努力はちゃんと実になって、唯空が目指していた高校に合格したけど、そのとき隣に唯空はいなかった。もう、入院していた。
「楽しい?」
そう、私から線路へと目線を移した。あんまりしっかり聞きたいことじゃない。目線で感情が現れていることは、多分本人は気付いていない。
「うん。でも唯空といるときのほうが楽しい」
これが果たして正解なのか、表情を変えることなく「そっか」と口にするその声色からはわからなかった。
「好きな人とか、いる?」
唯空の口からそんな言葉が出てくるなんて思っていなかった。いくら幼なじみとはいえ、こういう話をしたことはなかった。
「いないよ。恋とか愛とか、よくわからないし」
これが私の本音だった。思い切り胸がキューッとして、誰か一人に息苦しくなるほどときめく経験なんて一度もしたことがない。
それを恋と呼ぶのであれば、私の人生、恋とはきっと縁がない。
「僕は初恋こじらせてる」
「私はまだ、初恋すらできてない」
私が言うと、唯空は嬉しそうに口角を上げた。
どんなことで勝ち負けを競っているんだと、私までつられて笑ってしまった。
不思議と、時間が病気発覚の前に戻ったように、何も考えずに唯空と話をできていた。このまま時が止まればいいと、無意識のうちに願っていた。
目の前は真っ青で、耳から聞こえる音は涼しさを感じさせる。
「私、海って初めて来たかも」
潮の香りが漂うこの場に立つと、はじめてのはずなのに、あぁ、海に来たんだな、と何度も来たことのある人みたいな感想が頭に浮かんだ。
「青春っぽいだろ?」
満足そうに、ズボンの裾を折り曲げて浅瀬へ入っていく姿は、無邪気で可愛らしい。
「ほら、汐音!」
手招きをする唯空のもとへ走っていくと、パシャっと海水をかけられる。
「わっ!ちょっとー!」
負けじとかけ返すと、唯空は楽しそうに笑っていた。
「冷たっ」
「ねぇ服濡れたー」
「こっちだって濡れてるから!」
夏休みにしてはあまり人のいない砂浜で、足にかかる水をかけ合う。
マンガでこんなシチュエーションを読んだときは、これのどこに青春を感じるのだろうと疑問に思っていた。でも実際やってみると、唯空にかける海水が太陽の光を浴びてキラキラ輝いて、まるで唯空にフィルターがかかったみたいに、スローモーションで私の目に映った。
きっと私、一生忘れない。忘れられない。
まるでドラマのセリフみたいな言葉が、自然と頭に浮かんだ。
「はぁー、遊んだね」
水浸しになった服に跳ねた濡れた砂を払いながら、満足気な顔をした。
「大丈夫?寒くない?」
先に目的地さえわかっていれば、タオルくらいなら持ってきたのに。自宅療養期間中に風邪なんて引かせられないと、遊び尽くしてお互い救いようがないくらいベチャベチャに濡れたあとに気が付いた。
「大丈夫だよ。ほら、足拭きな?」
唯空が背負っていたリュックから、ふわふわなタオルが二つ出てきて、一つが私の頭に乗せられた。
「服、これに着替えて。あそこに更衣室あるから。この夏、風邪ひいてる暇なんてないから」
やけに気合いが入っているのは、きっと唯空にとっての最後の思い出作りの期間だからだろうか。ずっと自分と私のための着替えとタオルを背負って、歩いていたと考えると申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「ありがとう」
赤と青の表示で分かれて更衣室に入って、唯空の服に着替える。なんか、ダメだった。服から伝わる香りが、唯空に包まれているみたいで。優しく抱きしめられているみたいで。
心臓がおかしかった。ドキドキと、耳まで届くほど早く動いていた。それがなぜか。思いあたるのは、確実に失う寂しさか、気から来た病の前兆か、それくらい。
貸してもらった半袖パーカーの、フードの付け根に顔を埋めると、少し、鼻がツン痛くなった。
「お待たせ」
「うん。服、いい感じだね」
「ありがとう」
濡れた服は、カバンに常備しているビニール袋に入れて、自分で持った。なんなら、唯空の服も持ちたいくらいだ。頼んでも絶対持たせてくれないから、言わないけど。
「その手に持ってるの、なに?」
重心が若干右側に傾いているのを見ると、重たいものだろう。緑色の透けない袋に入った、丸い物体。
「なんだと思う?」
「……まさかとは思うけど、スイカ?」
いやいや、まさかね。
自分で言いながらもありえないと思っているのに、唯空はそれを砂浜に置いて手を叩いた。
「正解。スイカ割りして帰ろう!」
スイカが入っている袋をシート代わりにして、その上に小ぶりなスイカを置いた。
「その棒、どこから持ってきたの?」
「そこの八百屋のおじちゃんが貸してくれた」
手渡された手触りのいい木の棒は私の手にわたり、なぜかカバンから出てきた唯空の温まるタイプのアイマスクをつけられる。
「なんでこんなの持ってるの?」
「出すの忘れてた」
いたずらに笑うと、数を数えることで私の目を回し、「右右!」「まっすぐ!ねぇ曲がってる!」と指示される。
言われた通りに歩き、「そこ!」とやけに楽しそうな声が響いたとき、木の棒を振り下ろした。
先端が何かに当たったような気がするけど、割れた!という達成感はない。
アイマスクを外してみると、てっぺんの右側が申し訳程度に欠けているだけだった。
欠けた部分だけ食べた。甘くて美味しかった。冷たくはなかったけど。
棒を返すときに貰えたラップを赤いところにかけて、来た道を戻る。
「アイス食べない?」
唯空の一言で駅前のコンビニに入ると、そこは天国だった。扉が開くとひんやりした風が頬を撫でて、灼熱の道を歩いて来た私たちにとって、まさに極楽。
真っ先に向かったオープンになっている冷凍庫のアイスは、海が近いのもあってかもう底の網が見えていた。
「なににする?」
「夏といえば、これかなぁ」
そう、当たり付きのソーダアイスを手に取った。
「じゃあ私もこれにする」
同じアイスを取り、唯空の手のアイスも奪い取ってレジに置いた。
「僕が払うよ」
「いいの。楽しかったから、お礼」
先に百円玉を二枚、水色のトレーに出して、テープを貼られたアイスとレシートを受け取った。
「……また会えるよね?」
まだバイバイするには早いのに、つい口にしてしまう。こんなこと言うつもりはなかったのに。きっと今日の私はどうかしている。久しぶりに外で会ったから、頭が喜びでおかしくなってしまった。
「会えるよ。また明日も、僕に時間くれる?」
アイスの袋を開けて、一口かじった。シャクっと小さく聞こえる音が、若干の涼しさを感じさせた。
「うん。もちろん」
袋を破って、景色が熱で歪む中でアイスを食べた。冷たくて美味しかった。いつもの何倍も、何十倍も美味しく感じた。
「知ってる?氷菓ってアイスの中で一番太りにくいらしいよ」
「余計なお世話!」
ハズレの棒を駅のゴミ箱に捨てて、ICカードをかざした。
昼に連絡が来て、今日は大型ショッピングモールに併設されている映画館で、泣けると話題の恋愛映画を観るらしい。
近くのバス停から、ショッピングモール行きの市バスに乗って、出入口の前で降りる。夏休み真っ只中だからか、やけにガヤガヤしていて、この地にはこんなにも人がいたのかと驚いてしまう。
人混みをかき分けて、はぐれないように唯空のショルダーバッグの紐を掴んでエスカレーターを使って三階まで上がる。そこから少し歩いたところに薄暗くて予告が永遠と流れている空間があった。
「ポップコーン食べるよね。何味にする?」
映画館ならではなのか、味のバリエーションが豊富なポップコーンの写真が縮小されて横並びになっていた。
王道の塩とキャラメル、バター醤油。他にはチョコやストロベリー、抹茶にカレー。期間限定でトロピカルというものまであった。
「唯空は?何が食べたい?」
「キャラメルかな」
「甘党なの、変わってない」
「味覚はそうそう変わんないよ。で、汐音は?」
当然のように私の選択を聞いてくる。ほらほらと、何度もポップコーンの写真を指さしながら。
「キャラメルでしょ?」
「ハーフにするから。汐音も好きなの選んで」
なるほど、その手があったか。
映画館でポップコーンを食べる習慣はないし、それ以前にまずあまり映画を見に来ないから、長い間外に出ていない唯空のほうが詳しいことになんだか笑えてしまう。
「笑ってないで、早く。時間になっちゃうよ」
壁にかけられた時計をチラチラ見ながら、身体を上下に小さく動かしながら、使えるものを全て使って私を急かす。
「じゃあ、バター醤油にする」
結局二人で王道を選んで、大きいポップコーンバケットに半分づつ、若干黄色っぽいのと確実にキャラメルが絡んだ透き通った茶色いものが左右に入れられた。
一緒に頼んだ私のアイスココアと、風情を感じさせないコップに入れられた唯空のラムネを同じトレーにセットしてもらって、それをゆらゆら揺らしながらスクリーンのある部屋へ入った。
「映画とか何年ぶりだろ」
私がこぼすと、控えめに笑う声が聞こえる。
「それ、僕のセリフだから」
「確かに」
しばらくすると会場は暗くなり、映画は録音してはいけませんよ、と定番の映像が流れて本編が始まった。
映画を見ながらポップコーンに手を伸ばし、お互いの手が触れ合って……。なんてことはなく。
お互いしっかり見入っていたから、結局ほとんど余ってしまった。ドリンクだけは空っぽになったけど。
片付けの人が親切に、持ち帰りますか?と聞いてくれて、専用の紙袋に移してくれた。なんだか小さいときにやってみたかった、お店で大音量で音楽と話し声が流れるキャラクターのポップコーンマシンをやり終えたあとみたいな手元になった。
ポップコーンを持って、フードコートでクレープを食べた。
「懐かしいな」
賑わっている周りを見渡して、しみじみと吐き出した。
「上手に食べられるようになったもんね」
未だに私の中の唯空は、口の周りを白く染めながらクレープを食べる、幼稚園のころのまま。
「バカにすんな。もう十七だぞ」
そう、顔が前のめりになったとき、頬に白く跡がついた。生クリームのひんやりした温度で気付いてしまったらしく、恥ずかしそうに指で拭った。
「可愛いね」
「汐音がね」
「なんで?」
「鼻、ついてる」
いつの間に撮られていた写真には、鼻の先を白くした私が映っていた。
「え、いつから?」
「一口目から」
嬉しそうに言う彼は、いたずらっ子の気が残っていた。
「ねぇ、言ってよ」
怒ったふりをしてみるけど、唯空には通用しなかった。
「言ったよ、今」
真面目な顔をして食べ進めるから、ぷっと吹き出してしまった。
「早く元気になってね」
余命半年の唯空には、辛い言葉だったかもしれない。
でも、これが私の本音で、この先の未来も唯空が隣にいるのが見えた気がした。
「うん」
それは前向きなものではなく、ごめんねの言い換えのように、私の耳に届いた。
だから私も心の中で、ごめんねと謝った。
『だから、僕のために目指してほしい。歌声なら、きっと空の上でも聴こえるから』
久しぶりに唯空に会わない日、課題に手をつけ始めたら唯空のあのときの言葉が脳内で再生された。
こんなに連れ回してくれるのは、私のため?
もっと家族との時間を、旧友との時間を大切にしたいはずなのに、しょっちゅう私と自由に外に出られる残りの時間を過ごしてくれるのは、私が弱音を吐いたから?
……もしそうなら、無駄にできない。無駄にしちゃいけない。
課題のプリントをクリアファイルにしまい、心機一転、まっさらなノートを開き、歌詞に入れたい言葉だったり内容だったりを書き出した。
今回のオーディションは、賞を取れたら恋愛ドラマの主題歌になる。締切は九月の下旬。ちょうど唯空の自宅療養期間が終わるころ。
それまでに歌詞を考えて、それに合わせてメロディーを作り、歌声を録音して応募する必要がある。
もう残り一ヶ月半近く。夏休みを全てつぎ込むくらいの勢いでやらないと、私のペースでは間に合わないのは百も承知だ。
思い出の恋。恋愛経験はゼロだけど、やれるだけやってみよう。
この歌が、生きている間に唯空の耳に届けられるように。
「汐音、ご飯できたよ」
階段下から声をかけられるけど、そんな暇はなかった。
「ごめん、今忙しい」
「またそんな、ひと握りしか掴めない夢追いかけてるの?」
「やる価値はあると思ってるから」
「……あー、もう好きにしなさい!」
声を荒らげて会話をすることに疲れたのか、そう言い捨ててピタッと声は聞こえなくなった。
ごめんね。でも、やらないといけないことだから。
心の中で頭を下げて謝って、私はまたノートに向き合った。
「私、頑張ってみようかな」
向かいの家の、唯空の部屋に向かって口にする。
もちろん答えは帰ってこないけど、壁の向こうで笑って頷いてくれている気がして、気合いが入った。
「あんまり入れ込みすぎないようにね」
浴衣を着つけてもらっているとき、お母さんは暗い顔で言った。
なんのことかは考えなくてももう頭に浮かんでいた。唯空のことだ。
どう返事をしたらいいかわからなくて、聞こえていないふりをした。そしたら、お母さんもそれ以上なにか言ってくることはなかった。
「おまたせ」
家が隣なのに待ち合わせをするのは、唯空の希望だった。
赤い鳥居の前で、紺色の浴衣を着た唯空と約束の十七時の十分前に落ち合う。
「さっき来たところだよ」
そう、横に並んで神社の境内へと足を進める。
毎年八月中旬に行われるこのお祭りに来たら、いつも夏休みはあと半分だと帰り道に心が少し重くなる。きっと今日は、いつもよりもずっしりとその重みを感じることになる。
唯空と来られる夏祭りは、これで最後かもしれないのだから。
「何食べる?」
声を張って会話をする。いつものトーンで話していると、周りの人の声でかき消されてしまう。
「焼きそばかなぁ」
きょろきょろ周りの屋台を見て、考える様子もなく答えた。
並んで手に入れた焼きそばと、同じ屋台で売っていたたこ焼きを一つずつ。ちょうど空いた白い仮設ベンチに腰掛けて、膝の上にほかほかのプラスチックパックを取り出す。
「昔から変わらないね」
「そうか?」
焼きそばをすすりながら、こちらを見る。幸せそうだ。
「うん。昔もお祭り来たらいつも焼きそば食べてた」
小学生の頃も、中学生の頃も。一応出店している屋台は見るけど、王道の焼きそばを選んでいる。
「家で食べるよりも美味いじゃん。屋台の焼きそば」
「確かに」
「にんじん入ってないし」
にんじんが嫌いなのは相変わらずで、給食のカレーに入っていたにんじんを唯空の分まで食べたことを思い出した。
「ちょっと豪華だしね」
「そうそう。僕の家、豚バラじゃなくてベーコンだったし」
「うちはウインナーの輪切り」
「知ってる」
家庭の味ももちろん美味しいけど、雰囲気も服装も、うるさいくらいの話し声も提灯の明かりだけに頼るぼんやりと薄暗いところも。全てが調味料に変わるのがお祭り。
前に来たとき、唯空が言っていた。
「ねぇ唯空」
呼んでみたはいいものの、何を言おうか悩んでしまった。話したいことはほとんど毎日会っているのに、まだまだたくさんあった。
「ん?」
「えと、あのね」
「うん」
微笑みながらも真剣な顔で頷いてくれる。
そうだ。一番話さないといけないことがある。唯空に伝えないといけないこと。
「私、やっぱりシンガーソングライター目指すことにした」
「ほんと?」
「ほんとだよ。だから、ずっと私の声、聴いててくれる?」
病院でも家でもいい。嫌だけど、もちろん世界一嫌だけど、最悪の場合、空の上でも。
「もちろん。約束する。じゃあ僕も、全力で協力するから」
そう言ったあと、ボソッと口にした小さなつぶやきは、ちょうど始まった花火の音でかき消されてしまった。
「何か言った?」
「ううん。花火、綺麗だな」
ちょうど後ろを振り向くと、色とりどりの花が夜空に咲き、消えていく。そこにいたという印の煙と火薬の匂いだけ、その場に残して。
なんだか人が生まれ、死んでいくみたいだ。それが余命宣告をされた唯空と重なってしまって、鼻がツンとして、頬を水が流れる感覚がした。
まっすぐ花火を見ているその綺麗な横顔を見られるのは、今日で最後かもしれない。屋台のご飯を一緒に食べるのも、浴衣を着て隣を歩けるのも。
もう、また来年も一緒に来よう、と指切りはできないかもしれない。
そう思うと、早く止めたくても、どれだけ拭っても、洪水のように溢れてくる。
「うぇっ?ちょ、え?どうした?」
戸惑いながら浴衣の袖で私の目元を優しく拭ってくれる。
「どうした?花火嫌いになった?」
その質問に首を振ると、右手で涙を拭って、左手を私の右肩に添えて詰まっている距離を更に縮めた。
「ぎゅってして……?」
心配そうな目で私のことを見つめる唯空に、気づいたころには既にそう口にしていた。
唯空は驚いた顔をして、私も自分の発言に驚いてピタッと涙は止まった。
「ごめん。ごめん、変なこと言った……」
全て言い終わるころには、左肩を寄せられ、唯空の両手は私の背に周り、すぐ右には唯空の頬があった。
心臓が早鐘を打っていた。顔は熱くて、でも心地いい。
「どうしたの?」
ヒュルルルル、ドーン、と花火が上がり、「おぉー」とそれを見ている人の声が聞こえる。
「ごめん。……久しぶりに唯空と花火見たから、綺麗すぎて」
「なにそれ」
笑いの混ざった涙声が耳元で聞こえる。回された腕の力が強くなる。花火と花火の音の間に、ズズっと鼻をすする音も聞こえた。
肩に落ちた唯空の涙の温かさで、私も涙がぶり返して、唯空と見られる最後の花火は、最初の一発目を見ただけで、あとは抱き合って泣いて終わってしまった。
お祭りが終わると、唯空は母方の祖父母の家に顔を出しに行き、翌週は父方の祖父母の家に行くらしい。しばらく会えない間、私は課題と夢の両立に追われる生活が始まった。
全教科のプリントとテキスト。読書感想文。
確実に近づく応募の締切。
スマホを見る時間もご飯を食べる時間もなくて、ひたすら手を動かした。
課題の一日のノルマを死ぬ気で終わらせて、あのノートを開く。
タイトルは『最期の夏』に決まり、また隣に座って、一緒に思い出話をしたい的なニュアンスで締めようと決めていた。
昨日までの過去を思い出す最近の私は、少しおかしかった。
唯空の顔を思い浮かべるだけで、トクトクと胸音が早くなり、声が聞きたくなって、そのときに思い出す、「初恋をこじらせている」という言葉に胸を苦しいくらい締め付けられる。抱きしめられたあの感覚が忘れられない。
自分が自分じゃないみたいだ。気持ち悪い。
よくある、ウェブの質問コーナーにその内容を書いてみると、『それは恋ですね。主様の恋が実ることを応援しています!』『立派な片思いです。初恋ですか?おめでとうございます』と、予想外の返信が並んだ。
この気持ちが恋……。
言われて自覚すると、一気に恥ずかしくなる。顔が赤くなるのが鏡を見なくてもわかる。
恋をしているということは、唯空のことが……好き、ということ。
でも初恋は叶わないというのは、恋に縁があろうがなかろうがよく聞く話で、好きな人がいる宣言をされている私に、その言い伝えはピッタリと当てはまる。
幼なじみに恋をする。しかも、あと少ししか会えない相手に。
まるでマンガの設定のような恋だ。
きっと、心のどこかでこの人に恋をしてはいけないと思っていた。そうじゃないと、好きな人がいる人にひょこひょこ寄っていくことなんてない。きっと、隣の芝は青く見える、というのと同じ感じ。だからきっと、すぐにこの恋心は忘れられる。忘れないといけないんだ。
残り少ないのに、口を滑らせてこの感情を伝えて気まずいままお別れなんて絶対にできない。
呼ばれても、絶対お葬式なんて行けない。今、考えるだけで涙が出そうなのに、もっともっと辛くて痛くて、私も後を追うかもしれない。
そんな未来が想像できてしまうから、唯空が双方の祖父母の家から帰ってくる夏休み明けまでに気持ちを消し去ることにした。