1 Sランクパーティ



「おい、アルス! 俺たちの装備と荷物のチェックをやっとけって言っただろうが! いつになったらやるんだよ!」
「ご、ごめん。今やるよ」

 ブレッドに怒鳴られ、俺は慌てて立ち上がった。

 さっきは『チェックは後でいい』って言ってたじゃないか……。

 不満に思いつつも、口には出せなかった。
 理不尽に怒られるのは、いつものことだ。

 明日はクエスト決行の予定である。
 その緊張感が宿の部屋中に漂っていた。

 次期勇者候補とまで言われる、聖騎士ラスター。
 その恋人で一流の女盗賊であるメアリ。
 オーガをも凌ぐ腕力を持つと言われる、重戦士ブレッド。
 天才魔法使い少女のシンシア。

 そして俺──補助魔法を得意とする魔法使いのアルス。

 以上が、ラスターの率いるSランクパーティ『祝福の翼』である。

 ただし、Sランクといっても今は降格の危機にあった。

 ここらで大きな実績を上げないと、次回のギルド査定でAランクへの降格の可能性があった。
 というか、おそらく降格する。

 つまり今回のクエストの成否が、Sランクに残留できるかどうかを決めるのだ。

「ぼーっとしてんじゃねーよ!」

 そんなことを考えて、つい立ち止まってしまった俺を、ブレッドが殴った。

「ぐっ……」

 頬に熱い衝撃が走り、俺は部屋の端まで吹っ飛ばされる。
 魔法使いの俺と戦士のブレッドじゃ、体力や筋力が違いすぎる。

「悪かった……今からやるから……」

 消え入りそうな声で謝罪することしかできなかった。

 悔しい。
 だけど、仕方がない。

 何せ他のメンバーは冒険者としての個人ランクがSやA。
 俺だけがBである。

 俺だけが、二流なんだ。

 なぜ、俺が彼らのパーティに入れてもらえるのかといえば、リーダーのラスターが駆け出しだったころ、俺と一緒のパーティにいたからだ。
 当時は俺の方がランクが上だったけど,半年もしないうちに追い抜かれてしまった。

 そして今では、ラスターはSランク。
 俺の方は当時と同じBランクのまま。

 ただ、そのときの縁で彼は俺をこのパーティに置いてくれていた。
 だから、ラスターにはすごく感謝している。
 俺より五つも年下だけど尊敬しているし、憧れている。

 そんなラスターのパーティで、俺も貢献したい。

 といっても、戦闘能力ではあまり役に立てない。
 ただし、探知や索敵など、補助的な魔法はそれなりに得意だ。
 そっち方面でパーティに貢献してきたつもりだった。

 さらに、裏方としての仕事も率先してやった。
 雑用やギルドとの折衝や事務仕事全般などを──。

 だけど、やっぱり他のメンバーからは不満が大きいようだ。

「痛そう……大丈夫だった?」

 と、一人の女の子が俺に歩み寄る。

 金色の髪を長く伸ばした、可憐な美少女だ。
 頭頂部近くでぴょこんと動く猫耳がまた可愛らしい。

 名前はティア。
 シンシアの使い魔である。

「ありがとう。ティアはいつも優しいな」

 実際、パーティの誰よりもティアが一番俺に対して優しい。
 彼女と話していると心が癒される。

「ブレッドがひどすぎるのよ。アルスがかわいそう……」
「しょうがないよ。俺はあいつらの不満のはけ口だ……みんな、Sランク降格の瀬戸際でストレスがたまってるからな……」
「だからって、アルスに八つ当たりしていいってことにはならないわよ」
「しょうがないんだ……俺はこういう役回りだから……」

 二十六年間の人生で、いつも。

 俺は自嘲気味に笑った。



 そして、翌日。
 俺たちはクエストを決行することになった。

「今回は強敵だ。しかも失敗すれば降格ラインに引っかかってくる。絶対に成功させるぞ」

 ラスターがみんなに向かって言った。

「そうね」
「ああ、どんな手を使ってもな」

 うなずくメアリとブレッド。

「たとえば……役に立たない者を囮にするとか」

 シンシアが冗談めかして笑いつつ、俺をチラッと見た。

 ……いや、その冗談はあんまり笑えないんだけど。
 さすがに憮然とする。

 シンシアの目は笑っていなかった。

 異様に冷たい目で、俺を見つめていた──。
.2 最下層の戦い


 俺たちはダンジョンを進んでいた。

 このダンジョンは全部で七階層。
 最下層にいるという『ゴールデンリビングメイル』を討伐することがクエスト内容だ。

『ゴールデンリビングメイル』はBランクのモンスター。
 ただ、ダンジョン内では、アンデッド系のモンスターが強化される魔力補正を受けるらしく、実質B+ランクに近い強さのようだ。

 Sランクパーティといえども、ここは敵のホームグラウンド。
 どれくらいの数がいるのかも分からない。
 決して油断できる状況じゃなかった。

「遅れているわよ、アルス! さっさと来てよ!」
「ったく、ノロマが!」
「言っては悪いのですが、足手まといです……」

 メンバーの罵声が容赦なく浴びせられる。
 普段はここまで言われないんだが、やはりみんなピリピリしているんだな。

 ちなみに俺が遅れているのは、索敵や罠の探知、マッピングなど細かな仕事をすべて押し付けられているからだ。

 並のダンジョンならともかく、このクラスの難関ダンジョンともなれば、あらゆる場所に注意を向けなければならない。
 当然、神経のすり減り具合も半端じゃない。

 今のところ、ほとんど戦闘らしい戦闘もなく、ただ歩いているだけのラスターたちについていくのはなかなか大変だった。

「遅いって言ってんだろうが!」
「ぐっ……」

 ブレッドに殴られた。
 吹っ飛ばされる俺だが、他のメンバーは冷ややかだ。

「何も殴ることはないじゃない!」

 ティアがたまりかねたように叫んだ。

 使い魔は、魔法使いの召喚によってこの世界に出現する。
 いつもなら強敵との戦闘など限られた局面でのみ、異界から召喚されるティアだが、今回はシンシアが最初から召喚し、俺たちについてきていた。

 身に着けているペンダントとイヤリングが明りに反射して淡くきらめいていた。
 綺麗だ、と場違いな感嘆を覚えてしまう。

「ティア、そんな奴は放っておけばいいでしょう」

 シンシアが冷たく言い放った。

「今のは、足手まといに鉄拳制裁を食らわせただけです。ブレッドは悪くありません」
「そういうことだ。気合いが足りねーんだよ、アルスは」
「今回は特に厳しいクエストだ。しっかりしてもらわないと困るよ、アルス」

 リーダーのラスターまでが苦言を呈した。

「……悪い」

 俺は謝るしかない。

 理不尽でも、なんでも……俺の立場では反論なんてできなかった。



 下の階層に行くにつれ、モンスターの数は増えていく。

 ただ、ラスターたちは、それらをことごとく撃退。
 今のところは順調な進行だ。

 さすがはSランクパーティだった。

 俺も補助魔法や回復魔法などで、多少は貢献できただろうか……。

 やがて、最下層にたどり着いた。

「情報通り『ゴールデンリビングメイル』がいるな……」

 俺は前方にいるモンスター群を見据えた。

 金色に輝く騎士のような姿のモンスター。
 アンデッド系で防御力や再生力が非常に高い強敵である。

 しかも、それが五体。

「やるしかない……全員、散開!」

 ラスターが叫んだ。

 ──激しい戦いになった。

 前衛のラスターとブレッドが敵を引き付け、盾になる。
 後衛のシンシアが攻撃魔法を放つ。
 同じく後衛のメアリは気配を消して、敵の死角から攻撃。
 俺は、みんなの攻撃や防御の補助魔法をひたすら唱え続けた。

 最初は互角の戦いだったが、徐々に俺たちが押していく。

「あと一息!」

 ラスターが叫ぶ。

 そして、長い戦いの末にどうにか五体の『ゴールデンリビングメイル』を倒すことができた。

 こっちも少なからずダメージを受けている。
 特にラスターは立ち上がれないほどだ。

「今、回復する」

 俺は治癒呪文を唱えた。

「言われなくても、すぐにやれ!」

 ラスターに怒鳴られた。

 さすがにムッとしつつも、俺は言われたとおりに呪文を唱える。
 ラスターは全快とはいかないまでも、七割がた回復したようだ。

 対して、俺は魔力がほとんど底をついてしまった。
 まあ、敵は片づけたし、出口までの安全なルートも確保してあるから、なんとかなるだろう。



 ぐおおおおおおおおんっ。



 咆哮が、聞こえた。

「えっ……!?」

 前方から何かが近づいてくる。

「おいおい、まだ敵がいるのか……?」
「まさか──」

 嫌な予感がした。

 さっきまで戦っていた『ゴールデンリビングメイル』が最下層の番人なのかと思っていた。
 だが、本当の番人は──。

 やがて現れたのは、輝く装甲に覆われた巨人。

「『オリハルコンゴーレム』……!」

『ゴールデンリビングメイル』がBランクなら、こいつはAランク──。

 はるかに格上の、魔物だ。
.3 パーティ追放


「『オリハルコンゴーレム』がまだ控えていたのか……」

 俺は呆然となった。

 だけど、相手は一体。
 こっちも疲弊しているとはいえ、まだ多少の力は残っている。

 全員で連携すればきっと勝てるはずだ──。

「いくぞ! みんな、最後の力を振り絞れ!」

 ラスターが叫ぶ。

 メンバー全員が配置につき、『オリハルコンゴーレム』を迎撃した。
 ラスターの剣が、ブレッドの斧が、メアリのナイフが、シンシアの攻撃魔法が──。
 次々と『オリハルコンゴーレム』に叩きこまれる。

 だが、物理攻撃でも魔法攻撃でも傷一つ付けられない。

「さすがに防御が硬いか……!」

 俺はうめいた。

『オリハルコンゴーレム』は今から数万年前──古代魔法文明時代に生み出された最上級ゴーレムである。
 その構成物質は現在では製造不可能となった魔導金属『オリハルコン』。
 ほとんどの物理、魔法攻撃を寄せつけない無敵の金属だ。

 みんなが攻めあぐねていると、



 ぐおおおおおおおんっ!
 ぐおおおおおおおおっ!



 複数の咆哮が響いた。
 まさか──。

「『オリハルコンゴーレム』が……まだいる……!?」

 部屋の奥……暗がりになった部分から、さらに複数のシルエットが現れる。
 いずれも『オリハルコンゴーレム』だった。
 そして、その数は──。

「ぜ、全部で九体……!?」

 最初の奴と合わせ、合計で十体の『オリハルコンゴーレム』が俺たちの前に立つ。
 いくらSランクパーティの俺たちでも、Aランクモンスターを十体同時に相手にするのは──不可能だ。

「正面から戦えば、確実に全滅する……」

 俺は乾いた声でつぶやいた。

「む、無理だ……」

 ラスターが震える声でつぶやいた。

「た、助けてぇ……」

 こいつのこんな悲鳴を初めて聞いた。

「な、なんだよ、聞いてねーぞ、こんなの……」
「ふ、ふざけないでよ! 情報と全然違うじゃない──うううう」
「ひいいい……嫌です、こんな……こ、殺される殺される殺されるぅぅぅ……」

 見れば、ブレッドは真っ青な顔だし、メアリは震えて立ちすくみ、シンシアは泣きながら失禁していた。
 全員、完全に戦意喪失している。

「みんな、気をしっかり! 諦めずに全員で生き残れる方法を探そうよ!」

 そんな中、ティアだけが気丈だった。

「まともに戦っても、さすがに勝てないな……」

 俺は恐怖を押し殺し、状況を分析する。
 生き残る手立てを考える。

「ここは逃げの一手か……」

 すぐに結論は出た。

 奴らに囲まれる前に、ここから全速力で逃げる──。

「ぐっ!?」

 そう考えた瞬間、いきなり背中に衝撃を受けて、俺は吹っ飛ばされていた。
『オリハルコンゴーレム』たちの前に放り出される。

「えっ……?」

 俺は呆然と振り返った。

 ラスターが冷ややかな表情で俺を見ていた。

「悪いな。俺たちが逃げる間、時間稼ぎをしていてくれ」
「後ろから攻撃されちゃたまらないからな。せいぜいそいつらを引きつけろよ」
「ごめんね。あんたの犠牲は無駄にしないから」
「さようなら、アルス。さあ、行きましょう、ティア」

 言うなり、ラスターたちは逃げ出した。

「あいつら、俺を犠牲にして……っ!?」

 怒りで頭が沸騰しそうだ。
 一番近くにいた『オリハルコンゴーレム』が俺に蹴りを放つ。

「くっ、『護りの盾』!」

 俺は慌てて防御呪文を唱えた。

 パリィィンッ!

 魔力でできたシールドは、敵モンスターの一蹴りであっさり砕け散った。

「ぐあっ……」

 俺は衝撃で吹き飛ばされ、地面に叩きつけられる。
 どこかの骨が折れたのか、たった一撃で立ち上がれなくなっていた。

 蹴りを放った『オリハルコンゴーレム』は俺との距離を詰めると、拳を振り上げた。

「駄目だ、避けられない……!」

 頭の中が真っ白になる。

 あと一秒か二秒後には、俺は『オリハルコンゴーレム』の巨大な拳によってグチャグチャに潰されているだろう。
 こんなのが、俺の最期なのか──。

「『雷撃弾(らいげきだん)』!」

 突然、大爆発が起きて『オリハルコンゴーレム』がよろめいた。

 今の攻撃は──?

「ティア!?」

 振り返ると、そこには使い魔の猫耳少女が立っていた。

 他のメンバーの姿はない。
 まさか、ティア一人でここまで戻ってきたのか!?

「遅くなってごめんね。シンシアに無理やり連れて行かれそうになったけど、どうにか振り払ったの」

 微笑むティア。

「今助けるからね、アルス」
.4 力を得る


「ティア、どうして──」
「どうしても何も、仲間を見捨てられるわけないじゃない」

 にっこり微笑むティア。

「大丈夫だよ。私が、必ずあなたを守るから」
「ティア……」

 無理だ。

 ティアはAランクの強力な使い魔である。
 だけど、相手が悪すぎる。

 相手はダンジョンの魔力補正でSランク相当になっているはずの『オリハルコンゴーレム』。
 しかもそれが、全部で十体──。

 勇者や英雄クラスじゃなきゃ、とても対抗できないだろう。

「だって仲間でしょ?」

 ティアが微笑んだ。

「仲間……」
「さあ、いくよ──『炎の連弾』!」

 ティアが無数の火球を放った。
『オリハルコンゴーレム』たちの体に何発も直撃する。

「『水の連弾』!」

 今度は無数の水球だ。

 さっきの攻撃で熱された『オリハルコンゴーレム』が急速冷凍にさらされた。
 いくら『オリハルコン』とはいえ、金属には違いない。
 熱した後に、急激に冷やされればダメージを負うはず──。

 ぐおおおおおおんっ。

 が、奴らはまるで意に介さず、俺たちに向かってくる。

「やっぱ、これくらいじゃ駄目か……」

 ティアがため息をついた。

「だけど、私に注意を引きつけるくらいはできそうね。アルス、あなたは自分に治癒呪文をかけて。動けるようになったら、すぐ逃げて」
「逃げるって俺一人でか? そんなこと──」
「私ができるだけ『オリハルコンゴーレム』を引きつけて、注意を向けておくから」
「ティアを置いて逃げられるわけないだろ!」

 だが、ティアはそれ以上答えず、敵の下に走っていく。

「駄目だ、ティア! 戻れ! 戻ってくれ!」

 俺は必死で叫んだ。
 あいかわらず体に力が入らない。

「くそっ……動け、俺の体っ……!」

 俺は大急ぎで自分に治癒呪文をかける。

「『ヒール』!」

 動けるようになったら、すぐにティアを助けに行く。
 一人で逃げるつもりなんてない!

「だから、それまで死ぬな、ティア──」

 必死で、祈る。

 と、その眼前で──。

「あ……ぐ……ぅっ……」

『オリハルコンゴーレム』の拳がティアを吹き飛ばした。

「あっ……」

 俺は呆然とその光景を見つめる。

「ああ……あ……」

 どさりっ……!

 天井近くまで吹き飛ばされた彼女は、そのまま地面に叩きつけられた。

「う……う……」

 と、ティアがうめいた。
 なんとか生きているみたいだ。
 だけど、腕や足は明らかに折れているし、血まみれだ。

「今、そこに行くっ……!」

 俺は治癒呪文を中断した。
 全身に痛みはあるが、なんとか動けそうだ。

「私は……もう、助から……な……い……」

 彼女の声は弱々しい。

「駄目だ、死ぬな……っ」
「逃げ……て……」
「ティアも一緒だ! なんとか二人で──」
「あなただけ……だった……パーティで、私を仲間として……見てくれた……」

 彼女の声は、どんどんか細くなる。

「戦うための道具としてしか……扱われなかった……今も、昔も……でも、あなた……だけが……」

 ことり。

 彼女の手が力なく落ちる。

「ティア……?」

 俺は呆然と彼女を見つめた。

 もはやピクリとも動かない。
 死んでいるのは、明らかだった。

「なんで……俺を、かばって……」

 視界がにじむ。

 彼女が死んでしまったことが、悲しかった。
 自分の無力さが、悔しかった。
 何もできなかったことが、情けなかった。

「ううう……うっ……」



第一の魔導書(ティアマト)の封印解除処理を開始します』



 どこからともなく声が聞こえ、彼女の全身から輝きがあふれた。

 淡い金色の光。
 まるで太陽のような暖かい光。

 ティアの体が、無数の光の粒子に代わっていく。

 それらが、俺の下に降り注いだ。

「これ……は……」

 体中の血が、沸騰しそうなほど熱い。
 降り注ぐ光は、やがて俺の前方に収束していった。

 集まった光が、一つの形を作り出す。

『ティアマトを魔導書モードに復元しました』

 ふたたび響く声。

 輝く本が、俺の目の前に浮かんでいた。
.5 チート魔導書


『個体識別……名称「アルス・ヴァイセ」。魔導書の想念連結者(リンカー)と確認』
『あなたは魔導書の所有資格を満たしました』
『魔導書の所有権移行処理を開始します──終了』
『「アルス・ヴァイセ」を魔導書の新たな所有者として認定しました』
『第一の魔導書【魔力無限成長】──その力を行使することが可能です』
『力を行使しますか?』

 声が響く。

 な、なんなんだ、一体……?

「いや、待てよ」

 今の言葉を頭の中で繰り返す。

 目の前に浮いているのは『魔導書』らしい。
 そして俺はその所有者に認定された……のか?

 つまり、それは──。

 ぐおおおおおおおおんっ。

 突然の発光現象に戸惑っていたらしい『オリハルコンゴーレム』たちがいっせいに雄たけびを上げた。
 ふたたび俺に向かってくる。



「大丈夫だよ、アルス」



 魔導書から声が響いた。

「この声──ティア!?」
「うん、私。今から魔導書として、あなたに力を貸すね」
「えっ? 魔導書として……って」
「それがあなたの真の力。魔導書と心を通わせられる素質者。さあ、私を手に取って」

 ティアが語りかける。

「そうすれば──『オリハルコンゴーレム』なんてアルスの敵じゃない!」

 まだ、何が何だか分からないけど、やるしかない。

「分かったよ、ティア」

 俺は表紙に『1』と書かれたその魔導書を手に取った。

 ティア、俺に力を貸してくれ。
 念じると、

『「第一の魔導書(ティアマト)」を起動します。マスターに【魔力無限成長】が付与されました』

 ふたたび声が響いた。

『初回起動時、および戦闘終了時に、それぞれマスターの魔力が成長します』
「ううっ……!」

 同時に、体に電撃のようなショックが走り抜ける。

「魔力が……あふれる……!?」

 体の底から湧いてくる、膨大な『力』。

 俺は反射的に右手を突き出した。
 あふれる魔力は巨大な光球となり、手のひらから放たれる。

 ごうんっ!

 たったの、一撃。

 最前列にいた『オリハルコンゴーレム』が爆裂して吹っ飛ぶ。

「な、なんだ、この威力……!?」

 攻撃呪文ですらない。
 ただ、魔力を飛ばしただけ。

 今までの俺なら、木の板を割る程度の威力しか出せなかっただろう。

 それが──Sランク相当に強化されている『オリハルコンゴーレム』を一撃で破壊するほどとは。

「これなら、いけるか……!?」

 俺は同じ要領で次々に魔力弾を放つ。

 大爆発が次々に起きた。

 わずか数秒で、わずか数発で──。

 十体いた『オリハルコンゴーレム』はすべて爆破されていた。

『戦闘終了により【魔力無限成長】の効果が発動されます』

 戸惑う中、なおも声が響く。

「ううっ……!」

 同時に、体の中に熱い何かが流れこんできた。

 この感覚は、魔力だ。
 爆発的な魔力が俺の体内で荒れ狂っている──?

『「オリハルコンゴーレム」×10の残存魔力を吸収しました』
『マスターの魔力総量が上昇しました』
『マスターの魔法耐性が上昇しました』
『マスターの魔力収束速度が上昇しました』
『続いて──第三の魔導書(エア)の力を行使することが可能です』

 ん、第三の魔導書?
.6 全属性魔法習得


 いつの間にか、俺の前方に新たな魔導書が浮いていた。
 表紙に『3』と書かれた魔導書だ。

 ティアが金色の光を放っているのに対し、この魔導書は青い輝きを放っていた。

 俺はその魔導書を手に取った。

『「第三の魔導書(エア)」を起動します。マスターに【全属性魔法習得】が付与されました』
「【全属性魔法習得】……?」

 いったい、どういうことだ?

『続いて──戦闘終了により【全属性魔法習得】の効果が発動されます』
『「オリハルコンゴーレム」の所持魔法「身体強化レベル5」を習得しました』
『「オリハルコンゴーレム」の所持魔法「自己修復レベル3」を習得しました』

 声が続けざまに響く。

「つまり『オリハルコンゴーレム』が使う魔法を俺が習得した、ってことか」

 もともと俺は補助魔法を主体にした魔法使いだけど、『身体強化』はレベル2までしか使えない。
 さらに『自己修復』については習得自体していなかった。

「それを、たった一度の戦いで身に着けた、っていうのか……!?」

 だんだん、これらの魔導書のすごさが分かってきた。

 魔力を無限に成長させつつ、敵を倒すたびにそいつの魔法を習得できる。
 戦えば戦うほどに、俺はどんどん強くなれるってことだ。

『第一、第三の魔導書の起動をすべて終了』
『第一の魔導書を使い魔形態に移行します』
『第三の魔導書は第六の魔導書とともに休眠形態にて待機します』

 声とともに、二冊の魔導書がいずれも光の粒子となって弾け散った。

 ん、さっき『第六の魔導書』って言ってたな。
 俺の前に出てきたのは二冊だけだったんだけど……?

 不思議に思っていると、次の瞬間、俺の前に一人の少女が現れた。

「ティア……!」

 長い金色の髪に可憐な美貌、そして猫耳。

 間違いなく、ティアだ。

「えへへ」

 彼女はにっこりと笑っている。

 無傷のようだった。
 さっき『オリハルコンゴーレム』にやられたダメージはなんともないみたいだ。

「よかった……」
「アルスのおかげだよ。あなたが私の新しいマスターになってくれたから」

 ティアが微笑む。

「肉体を破壊された状態から、またこうして修復できたの」
「新しいマスター……か」

 本来の彼女のマスターはシンシアである。
 魔法使いと使い魔の主従契約は強力で、基本的に使い魔側からは破棄できないはずだ。

「シンシアとの主従契約は私が『オリハルコンゴーレム』に殺された時点で終わっているの。契約条件は、基本的に主従どちらかの死をもって終了するから」

 ティアが説明する。

「で、殺されたことで、私は本来の私に戻ることができたの」
「本来の?」
「古の大賢者『魔導公女(まどうこうじょ)』様が生み出した究極の魔導書にして使い魔──『ティアマト』。それが私の本当の名前」
「ティアマト……」
「あ、呼ぶときは今まで通り『ティア』でいいよ。私もそっちの方が呼ばれ慣れてるし」

 にっこりと笑うティア。

 まだ頭が混乱している部分もあるし、俺が彼女の新しいマスターだっていうのも戸惑うばかりだけれど──。
 とりあえず、ティアがこうして生きているのが嬉しい。

「じゃあ、あらためてよろしくな。ティア」
「えへへ、こちらこそ~!」

 俺たちは握手を交わした。



「ところで……これからどうするの、アルス?」

 ティアがたずねた。

「これからかー……そうだな」

 俺はため息をついた。

 戦闘の高揚感やティアが生き返った喜びで一時的に頭から追いやっていた事実を思い起こす。
 俺が仲間たちから見捨てられた、って事実を。

「もうパーティには戻れないよな。あいつらの力になりたくて頑張っていたのに……結局、それは俺の一方通行な友情だったわけだ」

 泣きそうになる。

 ひどい扱いを受けることもあったけど、でもそれだけじゃない。
 三年の間、苦難を共にしてきた仲間たちだ。

 俺は、根本的なところでは……やっぱりあいつらが好きだったんだ。
 仲間でいたいし、あいつらの仲間にふさわしい冒険者になりたい、って思っていた。

 だから、胸が痛む。

 パーティから追放された事実が。
 仲間という居場所を失った事実が──。
.7 これからのこと


「アルス……つらいよね。仲間たちに裏切られて……かわいそう」

 ティアが俺を抱きしめてくれた。
 ああ、温かい──。

「私がいるよ」

 ティアの、ぬくもりを感じる。

「三年間、一緒にパーティを組んできたじゃない。私は、あなたの仲間だよ」
「……優しいな、ティアは」

 スッと胸が軽くなっていく。
 彼女の言葉に、心が癒されていく。

「落ちこんでばかりはいられないよな」

 俺は彼女から体を離した。

「悪かった」
「落ちこんだっていいんだよ? 悲しいときは悲しいって言ってね。私が側にいるから」

 ティアが微笑む。

「これからは、私が仕える相手はあなただから」
「……ありがとう」

 仕える相手、か。

 ティアはもうシンシアの使い魔じゃない。
 ほとんど成り行きだったけど、俺が彼女の新しいマスターになったんだ。

「ティアは欲しいものとか、やりたいことってないのか?」

 と、聞いてみる。

「欲しいもの? やりたいこと?」
「俺はティアに助けられた。今度は俺がティアの力になりたい」
「ふふ、義理堅いマスターね」

 くすりと笑うティア。

 清楚な美貌。
 ぴょこんと動く猫耳。

 今まであまり意識してなかったんだけど、こうして見ると……ティアってめちゃくちゃ可愛いんだな。

 対面で話しているだけで、だんだん照れがこみ上げてきた。

「私は使い魔なんだから、なんでも命令していいんだよ?」
「命令なんてしないよ。ティアは俺の仲間だ」

 俺はようやく、少しだけ笑うことができた。

 ティアのおかげで、少しだけ笑うことができた。

「だから教えてくれ。ティアのやりたいことを」
「そうだね……」

 ティアはしばらく思案して、

「じゃあ、あなたと一緒に過ごしてみたい」
「えっ?」
「それが私の望み。かなえてくれる?」

 そっか、二人で──。
 仲間として、一緒に過ごしていくんだ。

「いいかもしれないな、それ」

 俺は彼女に向かって大きくうなずいた。

「パーティとは縁が切れたし、これからは自由だ。二人で気ままに生きてみるか」
「賛成」

 俺たちはにっこりと微笑み合った。



「まずはこのダンジョンを抜けないとな……と、その前にさっきのゴーレムたちの素材をゲットしておくか」

 新生活をするにも元手が必要だからな。。

『オリハルコンゴーレム』の表面装甲は伝説の魔導金属『オリハルコン』だ。
 ギルドに持っていけば、とんでもない高値で買い取ってくれるだろう。

 手持ちの魔法で、オリハルコンの装甲を解体するのはさすがに無理だった。

 もちろん、攻撃魔法を使えば破壊することはできる。
 けど、なるべく綺麗な状態で解体した方が、より価値が高いからな。

 とりあえず、さっき爆破して砕け散った装甲の一部を持って帰ることにした。
 残りについては、ギルドに依頼して専門の職人を派遣してもらおう。

「じゃあ、帰るか、ティア」
「うん」

 俺たちは両脇に『オリハルコンゴーレム』の装甲の欠片を抱え、歩き出した。
 運搬に使える魔法があればいいんだが、俺はあいにく習得していなかった。

【全属性魔法習得】の魔導書があるから、機会があれば覚えられるかもしれないが……。
 少なくとも、今はその魔法は使えない。

 俺は【身体強化】の魔法を使って、体力を大幅にアップさせた。
 二百キロほどの量を一人で運んでいく。

「ごめんね。私はあんまり運べなくて……」
「気にするなよ。俺がその分運ぶから」

 申し訳なさそうなティアに微笑む俺。

 二人並んで歩き、ダンジョンの出口を目指した。

 このダンジョンを出たら、いよいよ彼女との新生活が始まる──。
.8 パーティ崩壊の序曲

 SIDE ラスター


 Sランクパーティ『祝福の翼』。

 聖騎士ラスターを中心に、上級盗賊のメアリ、重戦士ブレッド、魔法使いシンシア、同じく魔法使いのアルス──この五人で構成されたパーティである。

 高位の竜や魔族、堕天使など強力なモンスターを狩った経験もあり、Sランクの中でも上位のパーティだ。

 ──いや、上位のパーティだった(・・・)

 ここ半年ほど『祝福の翼』の戦績は落ちこんでおり、Aランクへの降格危機にあった。

 焦ったラスターは、難関ダンジョンのクエストを実行。
 そのクエストを達成すれば、今期の降格は免れる──。

「なのに、大失敗だ……くそっ!」

 ラスターは荒れていた。

 あの後、アルスをオトリにしてなんとかダンジョンを脱出した彼らは、近くの町の酒場で飲んでいた。
 クエストは完全に失敗したため、ほとんどやけ酒である。

「くそっ! このままじゃ降格しちまう! くそぉぉぉぉぉっ!」

 ラスターが手近の酒瓶を床に叩きつけた。

「お、お客さん……勘弁してください」

 店の主人がおびえたように声をかけてきた。

「ちっ」
「荒れすぎだよ、ラスター」

 メアリにたしなめられた。

「仮にもあたしの恋人なんだから、もうちょっとドンと構えてよ」
「そうは言っても、このままじゃ降格するかもしれないんだぞ」
「せっかくSランクパーティになったのに……冗談じゃねぇ」

 舌打ちしたのはブレッドだ。

 パーティランクSとAでは受けられる依頼の範囲も違うし、何よりも依頼主の『格』に明確な差がでる。

 Sランクパーティともなれば、王族や大貴族から依頼が来ることもある。
 莫大な報酬や名声などが思いのままだ。

 それに引き換え、Aランクはかなり格が落ちる。
 もちろん、一般の冒険者の基準で行けば十分に高額報酬者である。

 だが、一度Sランクの栄耀栄華を知ってしまうと、そこから落ちるというのは恐怖に似た不安感や挫折感を伴うのだった。

「絶対に落ちたくない……今まで築き上げがものを失ってたまるか……!」

 ラスターは歯ぎしりした。

「くそ、アルスなんかじゃなく、もっと有能な奴を仲間にしていれば……」
「あたしは、あんな奴はさっさと切って、別のやつを入れようって何度も言ったじゃないか」
「今さら言うなよ!」
「前から言ってたってば!」
「まあまあ、ケンカはおやめください」

 ラスターとメアリが険悪になったのを見て、シンシアがなだめる。

「ちっ、面白くねぇ」
 ブレッドが苛立たしげにテーブルを叩く。
 ばきっ、と音がして、テーブルの表面に大きな亀裂が走った。

「ち、ちょっと、店を壊さないでください」

 シンシアが慌ててたしなめた。

「弁償金、あなたの報酬から引いておきますからね」
「いちいち弁償なんてする必要ねーよ。俺たちは天下のSランクパーティだぞ」
「ギルドに知られたら、私たちの査定に影響するでしょう。普段ならともかく、今は降格ラインぎりぎりなんですから」
「そうだ、余計なトラブルは起こすな」

 ラスターが加わる。

 ブレッドはムッとした顔でにらんできた。

「お前だってさっき酒瓶を壊しただろうが」
「なんだ、その口の利き方は」

 ラスターも売り言葉に買い言葉で、ブレッドの胸ぐらをつかむ。
 不快そうな顔をしたブレッドは、

「へっ、いつまでもリーダー面してんじゃねーよ。お前なんがかリーダーやってるから、降格しそうになってるんじゃねーの?」
「てめえ!」
「やるのか!」

 にらみ合う二人。

「あーあ、いっそのこと元カレのところに戻っちゃおうかな。ラスターなんて見限ってさ……」

 メアリがつぶやく。

「はあ、最悪です……ラスターさんについていけば、いろいろと甘い汁が吸えると思ったのに……そろそろ潮時ですかね……」
 隣でシンシアもつぶやく。

 パーティの雰囲気は、もはや最悪といってよかった──。
.9 ギルドに帰還、そして再会


 ダンジョンから出た俺たちは、近くの町で一日休息した後、ギルドに戻ってきた。

 まずは『オリハルコンゴーレム』の素材を換金だ。
 それからラスターのパーティから脱退する手続きをして、しばらくはフリーで過ごすか。

 手元の素材だけでも大金になりそうだし、ダンジョンには残りの素材を放置してある。
 それをギルドに引き取ってもらえれば、さらに大金が得られるだろう。

「お、おい、アルスだぞ……」
「あいつ、『祝福の翼』が今回挑んだクエストで死んだって聞いたけど……」
「一緒にいるのは、シンシアの使い魔じゃないか……?」

 ギルドに行くと、冒険者たちが俺を見てざわめいた。

「ふふ、みんなびっくりしてるね」

 ティアが俺に寄り添って微笑んだ。

「死んだと思われてたみたいだな」

 俺は苦笑を返す。

「とりあえず受付に行こう」

 俺は大量の素材を抱え、ギルド内を進んだ。
 ダンジョンからほとんど休みなしだが、【身体強化】の魔法をかけているため、疲労はあまり感じない。

「お、お前は……!?」

 受付に続く長い廊下の途中で、ラスターたちに出会った。

「生きてたのか……!?」

 ラスターが呆然とした顔でつぶやく。

「ティア、あなた……勝手に私から離れてアルスのところにいたのですか!?」

 シンシアが叫んだ。

「私はもうあなたの使い魔じゃないよ。今はアルスの使い魔だから」

 ティアが言い放つ。

「ど、どういうことですか……? いえ、それより……あなたが持ってるのは『オリハルコンゴーレム』の素材……!?」
「まさか、お前らだけで『オリハルコンゴーレム』を倒したってのか……?」
「嘘でしょ……」

 ブレッドとメアリが驚いた顔をした。

「まあな」

 俺は小さくうなずいた。

 彼らの仕打ちを許すことはできない。
 結果的に無事だったとはいえ、ティアなんて一度殺されているからな。

 俺だって大賢者の魔導書を受け継ぐという幸運がなければ、確実に死んでいた。
 とはいえ、ここでラスターたちと事を構えるつもりはない。

「これからクエストの達成報告と【オリハルコンゴーレム】の素材を引き取ってもらうところだ」

 俺はラスターたちを見回して言った。
 不思議なほど、気持ちが落ち着いていた。

 今までの俺は、彼らに対していつも気後れしていた。

 俺だけが実力で大きく劣っている。
 俺だけがパーティに貢献できていない。
 俺が彼らの足手まといになっている。

 そんな引け目があった。

 彼らから理不尽な扱いを受けても、ときには暴言や暴力を受けることもあったが、ずっと我慢していた。

 でも、それももう終わりだ。
 気持ちが、吹っ切れた。

「報告が終わったら、俺はお前たちのパーティから脱退する手続きをするよ。ティアも一緒に、な」
「脱退? 急に何言ってるんだよ、アルス」

 戸惑った顔をするラスター。

 ……俺をあんなふうに見捨てて、追放したくせに、まだ俺がパーティに居残るとでも思っていたんだろうか。
「ちょっと待て、アルスのくせになんだその態度は!」

 ブレットが激高した。
 予想通りの反応だった。

 パーティの中で一番血の気が多く、俺にきつく当たっていた男だからな。

「ふざけやがって!」

 問答無用で鉄拳を見舞ってくる。
 ぱしん、と小さな音がした。

「お前には、今までさんざん殴られたな」

 俺は奴の拳を平然と受け止めていた。

【身体強化】の魔法は高レベルになると、単純な筋力アップにとどまらず、反射神経や動体視力といった反応速度関係に大幅にアップすることができる。

 今の俺には、一流の戦士であるブレットのパンチですら止まって見えた。
 そのまま相手の拳を握り、軽く力を籠める。

 みし、みし、と骨がきしむ音。

「う……ぐおおおお……!? い、いてええ……離せ……離してくれぇぇぇぇぇ」

 ブレットが苦悶に顔をゆがめた。
.10 宣言


「うううう、いてぇぇぇ……いてぇぇ……」

 苦しげなブレッドを見て、俺は手を離した。

 あくまでも自衛のために防御しただけで、必要以上に痛めつけるつもりはない。

 ……それにしても、ちょっとやりすぎたかな。
 つい、力が入りすぎてしまった。

「大丈夫か、ブレッド?」
「どうなってやがる……!? お前、本当にアルスか……?」

 震えながら後ずさるブレッド。

 今までと態度が一転していた。
 俺のことを勝てる相手だと思っている間は暴力で言うことを聞かせていたけど、勝てない相手になったと悟って逃げの姿勢に入った、というところか。

「……どうやって生き延びたんだ、アルス」

 ラスターがたずねた。

「『どうやって生き延びた』? 他にもっと言うことがあるんじゃないのか?」

 俺は思わず奴をにらんだ。

 見捨てられた記憶が気持ちを重くする。
 俺たちは仲間だったんじゃなかったのか?

 せめて謝ってほしかった。
 せめて悔いてほしかった。
 俺を見捨てたことに、何かしらの感情を抱いてほしかった。

 なのに──お前たちは、なんとも思っていないのか……?

「いやそれより──俺たちがやったことを、誰かに言ったのか?」

 ラスターは声を潜めてたずねる。

「ね、ねえ、あたしたちだって反省してるんだよ? まず話し合いましょ?」
「な、なんだったらお金を払いますから。穏便にお願いしますね……」

 メアリとシンシアが左右から俺に近づく。

 ご機嫌取りだろうか。
 何年も一緒にパーティを組んでいて、彼女たちが俺にこんな態度を取るのは初めてだ。

 二人とも並外れた美人で、色気もある。
 だけど……湧いてくるのは、冷ややかな感情だけだ。

 俺は、しなだれかかる二人から距離を置いた。

「ブレッドの態度は乱暴だったな」

 ラスターが言った。
 猫なで声で。

「謝るよな。な、ブレッド?」
「……ちっ」
「ブレッド」
「わ、分かったよ。そ、その……悪かったな、アルス」

 ブレッドが俺に頭を下げた。

 確かに、俺がラスターたちの仕打ちをギルドに話せば、『祝福の翼』は大きなペナルティを負うだろう。
 仲間を犠牲にしてクエストを達成、あるいは逃げるというのは、重大なギルド規約違反であり、また重罪でもあった。

 実際には、そういう事例があっても裏でもみ消されることが少なくない……なんて噂をきいたこともあるが。
 降格ギリギリのラスターたちにとって、余計な不安は残したくないというのが本音だろう。

 だからこそ、俺を懐柔しようとしているんだ。

 俺は、どうするべきだろうか。

 彼らのしたことは、決して許せない。
 とはいえ、非情に切り捨てられるかといえば、俺の中でためらいもある。

「迷ってるんだね、アルス」

 ティアが俺にささやいた。

「甘いよな……こんなの」
「ううん。それがアルスの優しさだから」

 ティアが俺に身を寄せた。

 シンシアやメアリから近づかれたときは、正直不快感すら覚えたけど、ティアの場合は安らぎや癒しを感じた。

「ありがとう、ティア」

 気持ちが落ち着いてきた。
 ラスターたちに向き直る。

「話し合いはできない。そんな余地はない。俺の気持ちは、もう決まってるんだ」
「アルス──」
「俺はパーティを抜けるよ。受付に行ってパーティ脱退の手続きと、素材の換金をしてくる。今まで世話になった」

 俺はラスターたちに一礼した。

 これでさよならだ。
 三年間、苦楽を共にした仲間たちとの。

 そして、こんな連中を仲間だと信じていた俺自身の気持ちとの──。
.11 一気に大金持ち

 前書き
 金貨1枚=10万円くらいのイメージです。


 冒険者ギルドの受付は『クエスト受注』や『クエスト成否報告』、『パーティ登録関係』、そして『素材・宝物等の換金関係』などに分かれている。

 俺はまず『素材・宝物の換金関係』の受付に行った。

 三十過ぎくらいの、三つ編み黒髪眼鏡の受付嬢だ。
『嬢』といっても、俺より年上だけど……。

「査定をお願いしたいんですが」

 と、『オリハルコンゴーレム』の素材を見せた。

「こ、これはAランクモンスターの『オリハルコンゴーレム』……!? すごい、あなたたちで倒したんですか」

 受付の女性が驚いた顔をする。

 その周囲で、何人かの冒険者たちが、

「Aランクモンスターをたった二人で……?」
「いや、『祝福の翼』が行ったダンジョンは魔力補正がかかるタイプのはずだ。たぶん『オリハルコンゴーレム』はA+かSランクに強化されてるだろ……」
「じゃあ、なおさらとんでもないな……!」
「『祝福の翼』のアルスってそんなに強かったのか……?」
「パーティのお荷物なんて噂を聞いていたけど……」

 ──なんて感じでざわめいていた。

「ええ、俺とティアの二人で倒しました」

 俺は受付嬢に答える。

「それとダンジョン内に『オリハルコンゴーレム』の残骸がまだ残っているんですが、俺たちじゃ解体できなくて。ギルドから解体や買い取りができる業者を派遣してもらいたいんです。できますか?」
「そ、それはもちろん喜んで。『オリハルコンゴーレム』の素材といえば、高級武具から装飾品にまで使える一級品ですから。そちらに関しても、アルスさんと使い魔さんには所定の報酬額をお支払いいたします」

 と、受付嬢が説明してくれた。
 それから、報酬の総額を聞く。

「だいたい金貨150枚くらいですね」

 予想以上の大金だった。
 一般庶民が3年は生活していける額である。

 ほどなくして、俺たちの下にその報酬が運ばれてきた。

「す、すごいな……」

 うず高く積まれた金貨の山に、俺は呆然となっていた。

「先立つものができて心強いよ。ありがとう、ティア」

 俺一人では『オリハルコンゴーレム』を倒すなんて絶対に無理だった。
 ティアが魔導書の力を俺にくれたからこそ、だ。

「半分はティアが持っていてくれ。残りの半分は俺がもらうよ」
「えっ、どうして私に──」
「? 仲間なんだから当たり前だろ」

 それにティアや他の魔導書の力を借りて、成し遂げたことなんだし。

「えっ? えっ? でも、私は魔導書だよ? 人間じゃないし、そもそもアルスの道具みたいなものだし」
「仲間だ。道具じゃない」

 俺はきっぱりと言った。

「大切な仲間だ」
「アルス……」

 ティアが驚いた顔で俺を見ている。
 その頬がパッと赤くなった。

「……ありがと」



 次はいよいよパーティ脱退の手続きだ。
 俺たちは『パーティ登録関係』の受付にやって来た。

「みんな……」

 そこにはラスターたちがいた。
 俺を待ち構えていたらしい。

「な、なあ、あのときは俺たち、どうかしていたんだ」

 ラスターが愛想笑いをしていた。

「お前が必要なんだよ。戻ってきてくれないか」
「ティア、あなたも。どうにかとりなしてください」
「『オリハルコンゴーレム』を倒せるくらい強いんだろ。な?」
「あたしたち、今期で降格するかもしれないじゃない。だから」

 シンシア、ブレッド、メアリも、俺にすがりつかんばかりの態度だ。

 だけど、もう遅いんだ。
 全部、終わったことなんだ。

 お前たちとの関係は。

「今さら、だな」

 もう、気持ちは元には戻らない。

「さよならだ」
.12 決別と旅立ち1


 俺は彼らに別れを告げ、Sランクパーティ『祝福の翼』からの脱退手続きを終えた。

 また、ティアは俺の使い魔として再登録した。
 これで俺はフリーになったわけだ。

「これからどうするかな……」
「あなたにどこまでもついていくからね、マスター」

 ティアがにっこりと笑い、俺にしなだれかかってきた。

 シンシアやメアリに迫られたときは不快感すら覚えたが、ティア相手だと嬉しい。
 ただ、ちょっと照れくさい。

 あんまり密着されると……な。

「ん? どうかしたの、顔赤いよ?」

 ティアがキョトンとした顔で俺を見る。

「いや、その、照れてるんだよ……」
「えっ? えっ? どうして? 私なんてただの魔導書だよ」
「どうしてって──」
「そんなふうに言われると、私まで照れてきちゃうよ」

 ティアが頬を上気させた。
 はふぅ、と息をつく姿が愛らしい。

「えへへへ」

 はにかんだ笑顔で俺にますます密着してくるティア。

 ああ、可愛いな。
 俺は癒されるような心地で彼女を抱きとめた。

「……私たちのパーティから抜けたとたん、イチャイチャしちゃって」
「えっ?」

 振り返ると、シンシアが立っていた。

「ねえ、アルス。ちょっとよろしいかしら」
「……!」

 ティアが表情をこわばらせ、身構える。

「アルスに何か用なの?」
「い、いやですね。警戒しないでください」

 シンシアが慌てたような顔で言った。
 それから周囲を見回す。

「……ラスターたちに黙って、こっそり来たんです。あなたと話したくて」
「俺に、話?」
「もう一度パーティに戻ってほしいんです。もし、それが無理なら、私とあなたで新しいパーティを組みませんか?」

 シンシアが上目遣いに俺を見上げる。
 俺の機嫌をうかがうように。

「悪いけど──」

 俺は首を左右に振った。

 もう、仲間じゃないんだ。
 仲間には、戻れない。

 苦い気持ちを噛み締める。

「ね、ねえ、ティアからもとりなしてくれませんか? 私とあなたの仲でしょ?」
「絶対に嫌。私はもうあなたの使い魔じゃない。仲間にもなりたくない」

 ティアがシンシアをにらむ。

「あのとき──アルスを見捨てよう、って真っ先に言い出したのは、シンシアでしょう。そんな人をマスターとして今まで仕えていたなんて……自分が嫌になるよ」
「あ、あのときは、その、気が動転していて……」
「嘘。あなたは冷静だった。冷静で、冷徹で、冷酷だった」

 ティアがますます表情を険しくする。

「あれは間違いなくあなたの本心だった。人間は、追い詰められたときに本性が出るって聞くけど、本当だったね」
「くっ……」
「シンシア。今、俺にとって仲間といえるのはティアだけなんだ」

 俺はシンシアに告げた。

「だから、そのティアが嫌だというなら、俺も君を仲間にすることはできない」
「そ、そんな……」
「悪いな。お別れだ」

 言って、俺はティアとともに背を向ける。

「ま、待って……」

 背後から声が聞こえたが、追いかけてくる気力はないようだ。
 そのまま俺たちは歩いていく。

「アルス、話があるんだ」

 前方に、今度はラスターが現れた。

「ラスター……」

 俺は奴と向かい合った。

「まず謝らせてくれ。俺の判断ミスでお前に迷惑をかけた」

 と、頭を下げるラスター。

「……!」

 こいつのせいで、俺は死にかけた。
 こいつのせいで、ティアは死んだ。

 結果的には俺は強大な力を得たし、ティアも本来の姿を取り戻した。
 だから、いい方向に向かったわけだけど……。

「それで、お前がやったことが許されるわけじゃない」

 俺は拳を握り締めた。

「なあ、話だけでも聞いてくれないか」
「今さら何を──」
「俺たち三年間も一緒にいた仲間じゃないか」
「くっ……!」

 ラスターの懇願に俺は唇をかみしめた。

 仲間、か。

「……場所を変えて話そうか」

 俺はため息をついた。

 相手が他のメンバーなら振り切って進むところだが、ラスターだけはやっぱり特別だ。

 俺は、こいつみたいになりたいって思って、冒険者を続けてきたんだ。
 こいつがいたから、俺はがんばってきた。

 ──その憧れに、今から決着をつけよう。
.13 決別と旅立ち2


 俺たちはギルドの建物の裏手に移動した。

「パーティに戻ってくれ」

 やはり、話はそれか。

「悪いけど、何度言われても俺は──」
「そ、そうだ、なんならお前を副リーダーに取り立てる。待遇も改善するよ」

 ラスターが早口でまくし立てる。

「だから、俺たちの下に戻ってくれないか? お前は『オリハルコンゴーレム』を打ち倒すくらい強くなったんだろ? ぜひ俺たちに力を貸してくれ。このまま降格したくないんだ、頼む──」
「結局、俺を利用したいだけなんだろ」

 俺は冷ややかにラスターを見た。

「ぐっ……」

 図星を突かれたからか、ラスターの表情がこわばる。

 Sランクからの降格危機というのは、思った以上にこいつを追いつめていたんだろう。

 いつもの悠然とした聖騎士の姿は、そこにはなかった。
 今までの地位を失いそうになって焦る、情けない男の姿。

 俺が憧れた聖騎士ラスターは、どこにもいない。

「俺の返事は変わらない。パーティには戻らない」

 はっきりそう言った。
 奴の目を見て、決別を告げた。

「……ちょっと待て。俺が下手に出てりゃ、いい気になりやがって」

 ラスターが俺をにらむ。

「痛い目をみれば、気が変わるか? お前ごとき、俺には絶対にかなわないってことを思い知らせてやろうか? ええ? 俺は冒険者になって半年でお前のランクをあっさり追い越した。わかってるよな、アルス?」

 歪んだ笑みだった。

「お前は、俺の言うことを聞いてりゃいいんだ」

 腰の剣を抜き放つラスター。

「そこまでする気か……」

 俺は暗い気持ちになった。

 せめて──せめて、最後は潔く別れてくれたらよかったのに。

「ティア」

 俺は使い魔の少女に呼びかけた。

「いつでも。マスター」

 うなずいたティアの全身が光を発した。

「『第一の魔導書(ティアマト)』起動。【魔力無限成長】発動」

 黄金の魔導書へと変化した彼女を手に取り、告げる。
 体中から、魔力があふれだす感覚があった。

「どんな力を身に着けたのか知らないが……俺には効かねぇ! お前の立場を分からせてやるよ、アルスぅぅぅっ!」

 怒りの雄たけびとともに、ラスターが斬りかかってくる。

「【雷光斬(らいこうざん)】!」

 その全身が稲妻のようなスパークをまとった。

 聖騎士の超級剣術スキル【雷光斬】。

 音速の突進から繰り出される一撃は、竜すらも両断する威力だ。
 普通の人間なら、防御や回避どころか、その動きを視認することさえできないだろう。
 だが、俺は──、

「【身体強化】」

 運動能力を爆発的に高め、ラスターの突進を避けた。

 ──とはいえ、わずかに避けきれず左腕を浅く斬られる。

 さすがに鋭い。
 だけど、俺には通用しない。

「【マジックバインド】」

 魔力の網を生み出し、奴を拘束した。

「う、動けない……!」

 もがくラスターの前に、俺は右手を突き出した。

 そこに魔力が収束していく。
 この体勢で攻撃魔法を撃てば、ラスターは避けられない。

「くっ……や、やめろ、やめてくれぇぇぇぇぇっ……!」

 ラスターは悲鳴を上げた。

「……ふう」

 俺は小さくため息をつき、魔力を消す。

「アルス……?」
「その拘束はしばらくしたら消える。じゃあ、俺たちはこれで」

 背を向ける。
 左手の魔導書が光を発し、ティアの姿へと戻った。

「行こう、ティア」
「うん、あなたと一緒ならどこへでも」

 彼女がにっこりとうなずく。

 俺たちは手を重ねた。
 もうラスターなんて目に入らない。

「さよなら、ラスター」

 俺は振り返らず、ティアとともに歩き始めた。

 パーティから離れ、新しい明日を目指して。

 そこが希望に満ちていたらいいな、と願いながら──。
.1 新生活スタート


 俺はティアとともに冒険者ギルドを出た。

「いよいよ、新生活だな」
「だね」

 俺たちは笑顔でうなずき合う。

「まずは拠点を決めよう」

 町の中心部にある宿屋が『祝福の翼』の定宿である。
 だけどパーティを抜けた以上、その宿を使うわけにはいかない。

「また別の定宿を探さないと……ティアはどんな宿がいい?」
「なるべくギルドに近い場所がいいんじゃない?」
「確かに」
「あと、料理が美味しいと嬉しい」
「重要だよな」

 うなずき合う俺たち。

「じゃあ、さっそく探しに行こう」
「うん」

 俺たちは歩き出した。



 ──その後、ギルドの近くの宿屋をいくつか回った。
 よさそうな宿は五件目くらいで見つかった。

「うん、ここはよさそうだな」

 建物内は綺麗に掃除されているし、主人やおかみさんも人のよさそうな感じだ。
 食堂の方から、いい匂いが漂ってくるのもプラスポイント。
 きっと味もいいんじゃないかな。

「ちょっと注文してみるか」

 俺はティアに言った。

「美味しかったら、ここでもいいかも」

 にっこりうなずくティア。

 ──頼んでみたら、料理はかなり美味しかった。

「ティアはどう思う?」

 俺はすっかり満足してたずねた。

「俺はここ、いいと思う」
「私も気に入ったよ。いいんじゃないかな」

 ティアが微笑む。

「よし、決まりだな」

 ……というわけで、この宿屋──『希望の旅路』亭を俺たちの定宿にすることにした。

 名前からして、これから行く先にいいことがありそうな──今の俺たちにぴったりの宿名かもしれない。



 俺たちはさっそく宿泊することになった。

 この町のギルドを拠点に活動するため、ある程度長期の宿泊になる、と伝えると、宿屋の主人もおかみさんも喜んでくれた。

 で、部屋に案内されたんだけど──。

「ベッドが一つしかないな……」
「や、やだ……どうしよ」

 立ち尽くす俺と、恥ずかしそうに身をくねらせるティア。

 空気が、ちょっと微妙な感じになっている。
 

「悪い。俺が宿の人にきちんと伝えられなかったんだ。受付に行って、部屋を代えてもらえるよう頼んでくるよ」
「えっ、あ、そうだよね……あはは」

 ティアは顔を真っ赤にしている。
 何か変な想像でもしたんだろうか。

 ……俺も、ちょっと想像しちゃったけど。



 宿屋に交渉し、今度はツインの部屋にしてもらった。

「今さらだけど……一部屋でよかったのか、ティア。金には余裕があるんだし、別々の部屋を取ってもいいんじゃないかな」
「遠慮してくれてるんだね」

 ティアが微笑む。

「でも、何かあったときのために一緒にいた方がいいと思うの。寝るときは特に無防備だし、アルスは一気に有名になっちゃったからね」
「まあ、そうだな……」
「それに……元パーティの人たちが何かしてこないともかぎらない」
「恨みを買ったかもしれないよな」

 考えると、ちょっと暗い気分になってしまう。

「私がいつも一緒にいるよ、アルス」

 ティアが俺の手を握った。

 温かい手だった。

 無機質な魔導書なんかじゃない。
 人間の女の子と何も変わらない、柔らかな手だった。

「ありがとう、ティア」

 心から、思う。
 彼女が傍にいてくれることが嬉しい──と。

「じゃあ、これからもよろしく頼むよ」
「えへへ、こちらこそよろしくねっ」

 俺たちは互いに微笑み合った。

 ぺこり、と一礼してみる。
 彼女も一礼していた。

 お互いに、妙にかしこまってしまった。

 空気が、少し硬い。
 二人っきりであることを意識してしまう。

 前のパーティにいたときは、ティアのことを可愛いなとは思っても、こんなふうに意識することはあまりなかった。
 やっぱり二人っきりという状況だと、全然違うな。

 しかも、今は俺とティアはマスターと使い魔の関係だ。
 以前よりも、関係性自体が深まっているといえるわけで……。

 うう、緊張してるな、俺……。
.3 ゴブリン退治


 グリーンゴブリン。

 その名の通り深緑色の肌をした小鬼(ゴブリン)族である。

 それほど力が強くなく、だいたい2~3体と成人男性1人が同じくらいの強さと言われている。
 グリーンゴブリンの被害を受けているという村に到着した。

 畑があちこち荒らされている。

「飼育している牛も何頭か食われましたし、村の女性がさらわれそうになったこともあります。しかも奴らは襲撃のたびに勢いづいている……この先、村にどんな被害が出るか……ああ」

 村長は困り切った顔だ。
 村人たちの表情も暗い。

「一度、冒険者の方が来たのですが……ゴブリンとはいえ、相手は多数。退治するどころか返り討ちに遭い、逃げ帰っていきました」
「──大丈夫です。俺たちがゴブリンを片づけますから」

 村長や村人たちを安心させるため、俺は自信たっぷりに言い放った。



「アルスは強いよ。Aランクの『オリハルコンゴーレム』すら一撃で倒せるくらいに。だけど、今回のゴブリンの厄介度は、それとは種類が違うの。気を付けてね」
「ああ、いくら個体としては弱くても、数が集まれば脅威度は一気に上がる」

 俺は前方を見据えた。

 最近は夕方から夜にかけて、ゴブリンが襲ってくることが多いんだとか。
 俺は村の東の端に陣取り、奴らを待ち構えていた。
 しばらくすると、

 おおおお……!

 雄たけびのような声が聞こえてきた。

「グリーンゴブリンか。いくぞ、ティア」
「りょーかいっ」

 ティアが魔導書に変化する。
 俺はその魔導書を左手に持ち、魔法を撃つ準備に入った。

「『ファイアアロー』!」

 まずは初撃。
 放った炎の矢が、ゴブリンたちの前に炸裂する。

 十数体のゴブリンを焼き払った。

 おおおお……!?

 今のを逃れた奴らが驚いた顔で俺を見ていた。
 残りの数は──全部で三十体ほどか。

「報告よりだいぶ少ないな。群れの一部だけがやって来たのか、あるいは──」

 別動隊が、いるのか。
 ゴブリンたちはパッと散開し、周囲の茂みに隠れた。

 俺は第二撃を放とうとして、手を止める。

「狙いがつけづらいな……」

 奴らの緑色の肌が茂みに溶けこみ、迷彩色のようになっている。

「じゃあ、狙わなければいいんだよ」

 と、魔導書からティアの声が響いた。

「えっ?」
「さっき一体倒したから、新しく魔法を習得したよ。自動追尾型の魔法を、ね」
「自動追尾型……?」

 俺は魔導書を見た。

 光っているページがある。
 そこに新たな呪文の説明が載っていた。

『ホーミングボム』。

 対象を自動的に追いかける魔力弾を複数放つ魔法。
 術者のレベルに応じ、その数や射程距離、精度などがアップする。

「なるほど、使えそうだな」

 俺は周囲を見回し、

「『ホーミングボム』!」

 呪文を唱えた。

 数十発の光球が前後左右に放たれる。
 それらは独自の意思を持つかのように空中を飛び回り──、

「ぐっ!?」
「ぎ、おおおおっ!?」

 茂みに隠れていたゴブリンたちを次々に撃ち倒していった。
.2 パーティ始動


 朝になった。

「……ね、ねむ……い……ふわ……ぁ」

 俺は目を覚ますなり、大あくびをした。
 緊張して、あんまり眠れなかったのだ。

 ティアはどうだったんだろう。

「ふあ……おはよう、アルス……むにゃむにゃ……」

 隣のベッドでティアが目を覚ましていた。
 かなり眠そうだ。

「ティアも眠れなかったんだな……」
「すぴー……」

 と、すぐにまた寝てしまう。

「もう少し寝ててもいいぞ」
「……はっ! ご、ごめんね。もう大丈夫っ」

 言いつつ、ティアは寝ぼけまなこだ。
 そういう顔も、ちょっとかわいかった。

「いいって。休んでろよ」
「……ありがと」

 礼を言うティア。

「なんだか寝れなくて……」
「そっか」
「やっぱり、意識しちゃうし……」
「俺も、まあ……」

 言うなり、会話が途切れてしまった。

 狭い部屋で、二人っきりで話していると、どうにも落ち着かない。

 パーティで一緒だったときは、こんなふうに緊張することはなかったんだけどな。

 二人っきりって状況に加え、今のティアは俺の使い魔だ。
 しかも元パーティは離脱してしまったから、以前とは環境がガラリと変わってしまった──。



 しばらく休んでから、俺たちは出かける支度を整えて一階に降りた。

「昨夜は、お楽しみでしたね」

 宿屋の主人がにっこり笑う。

「っ……!」

 い、い、いきなり、なんてこと言うんだ!?
 まずい、恥ずかしさで爆発しそうだ。

「あ、あわわわわわわわ……」

 ティアも真っ赤になって、うろたえまくっていた。

「ち、違うんです。私とアルスはそんな……」
「お、おい、ティア」
「き、清い関係だもん……」

 言えば言うほどに、ティアの顔は赤くなるのだった。



 俺たちはギルドにやって来た。
 昨日と違って、ラスターたちとは出くわさなかった。

 さっそく『クエスト受注』の受付に向かう。

「あら、アルスさん。それにティアちゃんも」

 カウンターには眼鏡をかけた受付嬢の姿があった。

 年齢は三十前くらい。
 俺よりちょっとだけ年上の知的美人さんだ。

「どうも、ポーラさん」

 前のパーティにいたころ、よく対応してくれた受付嬢だった。

「……聞きましたよ。パーティから抜けたって」
「ちょっと色々ありまして」
 声をひそめる彼女に、俺は苦笑交じりに説明した。

「今はティアと二人でパーティを組んでいます」
「そういうこと」

 ティアがポーラさんに微笑む。

「前のパーティとは一緒にやっていくことができなくなっちゃったの。私もちょっとした事情でシンシアとの使い魔契約はなくなっちゃって。今はアルスの使い魔だよ」
「そうですか……でも、お二人とも前向きみたいでよかったです」

 ポーラさんがにっこりと言った。

「そういえば、パーティ名を決めてなかったな」

 ふと気づいた。

 現在の登録は『アルス他1名』という味もそっけもないパーティ名になっている。
 パーティの名前がないときは、これがデフォなんだとか。

「アルスがリーダーなんだし、決めちゃったら?」

 と、ティア。

「うーん……今一つ『これ』っていうのが思い浮かばないな」

 悩む俺。

「ティアはどう思う?」
「私も……考えてみると、難しいね」
「まあ、とりあえずは保留でいいか。焦って考えてもしょうがないし」
「だね」
「まずは、初クエストをきっちりやり遂げよう」
「うん!」
「じゃあ、こういうのはどうです?」

 と、ポーラさんが冒険者への依頼書をいくつか出してくれた。

 依頼に関しては、ギルドの掲示板にも張ってあって、冒険者の方でそれを選んで受注申請をすることもできる。

 ただ、何しろ数が多い。
 受付嬢におすすめのクエストを聞いた方が早い、というのが実際のところだ。

 特にこのポーラさんは、ギルドに寄せられる大量の依頼書の中身をほとんどすべて把握している。
 記憶力が抜群にいいのだった。

「モンスター討伐クエストか……」

 対象は『グリーンゴブリン』。
 近隣の村に出没しては被害を与えてるんだとか。

 一体一体は大した強さじゃないが、報告されている数が百体以上。
 ゴブリンとはいえ、油断できる数じゃない。

 数が多いだけあって、報酬はそれなりに高額だった。

「独立したばかりなら、ある程度たくさんお金が入るクエストを最初にやっておいた方がいいんじゃないか、って」

 説明するポーラさん。

「『オリハルコンゴーレム』を仕留めたアルスさんなら、このクラスのモンスターは問題ないでしょう。数がそれなりにいるので、そこだけ注意してもらえれば」
「なるほど……ですね」
「うん、私もいいと思う」

 俺とティアはうなずき合った。

 ──三十分後、俺たちは、さっそく目的地へと足を運んだ。
.4 クエスト達成


『ホーミングボム』によって、襲来したグリーンゴブリンたちを簡単に全滅させることができた。

「他の場所にもゴブリンが来てるかもしれないな。『ホーミングボム』の射程範囲はどれくらいなんだ?」
「だいたい半径200メートルくらいね」
「たぶん、今倒したのは群れの一部だよな。他の連中が襲ってきてないか、見回りに行こう」
「だね」

 俺たちは村の外縁部に沿って進んだ。

 思った通り、別の場所──村の北側に六十体くらいの群れがいた。
 さっきのと合わせて、だいたい百体前後。

 おそらく、群れの全部が二手に分かれて押し寄せてきたんだろう。

「ここで全部倒しておけば、村も安心だな」

 俺は連中に向かって歩みを進めた。
 すべてのゴブリンが確実に魔法の射程内に入るまで距離を詰める。

「『ホーミングボム』!」

 十分に近づいたところで呪文発射。

 ごおおおおおおおおおおおおおおおおっ……!

 放たれた光球は、すべてのゴブリンを余さず倒したのだった。



「おお、ゴブリンたちをあっという間にすべて倒してくださるとは」

 村長が驚いた顔をしていた。

「ありがとうございます……本当にありがとうございます」

 人から感謝されるのは、やっぱりいいものだ。

「いえ、いちおうゴブリンの巣に行って、残りがいないかどうかを確かめてきます」

 と、俺。

「おお、なんと頼もしい……」
「もしかしたら残党がいて、また村に被害が出るかもしれませんし。禍根は確実に断っておきます」

 俺は巣の場所を教えてもらい、ティアとともに向かった。
 巣ごと破壊魔法で潰しておく。

 ……悪いが、安らかに眠ってくれ。
 潰した巣に向かって合掌。

 こうして新パーティでの初クエストは、あっさりと片付いたのだった。

 以前の俺なら、こんなにスムーズにはいかなかっただろう。

 さすがに大賢者の魔導書はすごい。



「もうグリーンゴブリンを退治したんですか!?」

 受付に行くと、ポーラさんが驚いていた。

「ええ、まあ」

 村長と似たような反応で、デジャヴを感じてクスリとしてしまう俺。

「労力の割に報酬が高いし、いい依頼を紹介してくれてありがとうございます」

 ポーラさんに礼を言っておく。

「い、いえ、普通はここまで手早く依頼をこなせませんよ? アルスさんだからこそでしょう。いえ、それにしても予想以上に早かったですけど……」

 ポーラさんはまだ驚いている様子だ。

「これなら、もっと難易度が高いクエストもあっさりこなしちゃいそうですね」
「まあ、俺も新しいパーティになって間もないので、少しずつ難易度を上げていこうと思います」

 実際、俺が大賢者の魔導書を使うようになってから、まだ数日も経っていない。

 まずは慣れることだ。



 ──その日はティアと一緒にちょっとした祝杯を上げた。
 二人での初クエスト達成祝いである。

 そして、翌日。

 新たなクエストを受注するために、俺はティアとともに窓口を訪れた。
 で、提案されたのが、

「魔族退治?」
「ええ、中級魔族の討伐クエストです」

 と、ポーラさん。

「推奨ランクはA以上。ただしBランクでも状況によっては可、という条件です」
「状況によっては……」
「アルスさんはすでにAランクの『オリハルコンゴーレム』討伐実績があるので、それを加味して今回のクエスト受注が可能です」

 今までの俺なら中級魔族に立ち向かうのはかなり骨が折れた。

 だけど、今の俺なら──。

「やってみます」

 二つ返事で引き受けた。
.5 中級魔族討伐1


 魔族には大きく分けて三つのランクが存在する。

 上級魔族。

 伝説などでその名が確認される程度で、実在すら疑われるレベルの魔族だ。
 ただし、その戦闘能力は魔王に準じ、一つの国すらやすやすと滅ぼす個体もいるんだとか。
 冒険者ギルドで認定しているモンスターの脅威ランクだと、最低でもS以上になる。

 中級魔族。

 人間界に現れる個体としては、実質的に最強と言われる魔族だ。
 その力は絶大で、個体によっては単体で一軍を相手にできるほど。
 ただし個体差が激しく、Bランク冒険者でもやり方次第で対抗できることもある。

 冒険者ランクで認定しているモンスターの脅威ランクは弱い個体ならB+、強い個体でSくらいだろうか。

 下級魔族。

 魔族の中ではもっとも下のランクだ。
 だが、それでも戦闘能力は並のモンスターをはるかにしのぐ。
 Bランク冒険者でも油断すれば殺されるだろう。

 Cランク以下ではパーティをしっかりと編成した上で、細心の注意を払って戦うことが必要とされる。
 脅威ランクとしてはBからCくらいだろう。

 俺たちが今回、討伐するのは中級魔族。

 報告によれば、強さは中級の中ではそれほど強くはないんだとか。
 油断は禁物だが、確実に討伐しておきたいところだ。



 ──というわけで、俺とティアは国境沿いの田舎町にやって来た。
 濃霧に包まれ、昼間だというのに町中は暗い。

 さっそく情報収集だ。

「夕方以降はほとんど誰も出歩きません。魔族とその配下が町中をうろうろしているんです」
「地下にこもり、魔物が去るのを震えながら待っているんです……」

 住民たちの窮状には、聞いているだけで心が痛んだ。

 魔物の討伐には、高位の冒険者や王国軍が派遣されることがある。
 が、それは多額の報酬を払えるだけの大都市に限られていた。
 こういった田舎町は実質的に放置されることも少なくない。

 だからこそ──俺の力でなんとか討伐を達成したい。

 苦しんでいる人たちの、力になりたい。
 それが冒険者の本分の一つだろう。



 夕方になり、俺はティアとともに町中を見回った。

 すでに住民のほとんどが自宅や公的な施設の地下室に避難している。
 無人の町を、周囲を警戒しつつ進む俺とティア。

 三十分ぐらい見回っていたところで、異変が起きた。

 ヴ……ン!

 前方でまばゆいスパークが弾ける。
 スパークが集まる中心部に魔法陣が出現した。

 その中から、五つのシルエットが飛び出してくる。

「レッサーデーモンか……!」

 ヤギの頭に人の体、牛の蹄、コウモリの羽、蛇の尾──。
 魔王軍の雑兵だと言われる、もっともポピュラーな下級魔族だ。

 ただ、下級とはいえ、魔族は魔族。
 並の魔法使いを超える魔力と、強大な生命力を併せ持つ強敵である。

「それが五体か……」

 村人たちはすでに避難済みだ。
 巻きこむのを恐れて、魔法の威力を絞る必要はない。

「いくぞ、ティア」
「りょーかいっ」

 例によって、彼女が黄金の魔導書に変化する。
 それを左手に持って戦闘準備完了。

 爆発的な魔力が、体内から湧き上がる。

「『ファイアアロー』!」

 炎の矢を数十本まとめて放った。

 ぐごごおおおおおおおうううんっ!

 爆音とともに、レッサーデーモンたちは炎の矢に全身を貫かれ、倒れた。

 一瞬で勝負あり。
 今の俺の魔力の前では、レッサーデーモンくらいじゃ敵にもならない。

「ほう、人間にしては大した魔力ですね」

 背後から声が響いた。

 全身にすさまじい悪寒が走る。

「誰だ──?」

 レッサーデーモンなんかとは比較にならない。

 俺はティアとともに振り返った。

 そこに立っているのは、黒いタキシードを着た男だった。
 すらりとした体形の、ダンディな中年紳士。

 だが、こいつが──外見通りの存在のはずがない。

 ただの中年紳士のはずがない。

 全身を押しつぶすような巨大で、濃密な魔力。

 人間が決して持ちえない、禍々しい魔力──。

「こいつが、町を襲う中級魔族か」
.6 中級魔族討伐2


「格好からして魔法使い──それも冒険者でしょうか? 私を討伐しに来たのですね」

 魔族が上品な笑みを浮かべる。

「中級魔族、だな?」

 俺は確認しつつ、少しずつ後退した。

 魔法戦において重要なのは、距離だ。
 呪文を唱えるための詠唱時間や、発動のための集中力加速時間。

 それらを一秒でも稼ぐためには、相手との間合いが重要なのだ。
 相手は逆にその距離を詰めるのが、魔法戦のセオリーだが……。

「いかにも。私はミルヴァムと申します。以後お見知りおきを」

 中級魔族ミルヴァムは俺に近づこうともせず、優雅に一礼した。

「アルス、さっきの戦いでアルスの魔力が上がったよ」

 ティアがそっと耳打ちする。

「なら、攻撃魔法の威力も上がってるんだよな?」
「だね」

 にっこりうなずくティア。

「じゃあ、いくぞ」

 彼女に手を伸ばすと、ティアがその手を握った。

 柔らかな手は、次の瞬間、光の粒子となって舞い散った。
 黄金の魔導書に姿を変えた彼女が、俺の左手に収まる。

「戦闘準備、完了だ」
「ほう、『大賢者の魔導書』ですか」

 ミルヴァムが驚いた顔をした。

「知っているのか?」
「もちろんですよ……かつて魔王や高位魔族とすら渡り合ったという伝説の大賢者『魔導公女(まどうこうじょ)』──その魔法の精髄ともいえる魔導書……ふふ、まさかこんな場所で出会えるとは」
「ティアって有名なんだな……」
「私じゃなくて大賢者様がね」

 魔導書からティアの声が響く。

「では、存分に殺し合うとしましょう。我が魔力のすべてをかけて」

 ミルヴァムが魔力弾を放った。

「『フラッシュボム』!」

 俺は光弾の呪文で迎撃する。

『オリハルコンゴーレム』を一撃で倒した、魔力を破壊エネルギーに変換する攻撃魔法。
 二つのエネルギー弾は空中でぶつかり合い、大爆発を起こした。

「なるほど、なかなかの魔力量だ──ならば、速射性はどうです?」

 ミルヴァムが、動いた。

 速い──!?
 さすがに中級魔族だけあって、魔力だけじゃなく身体能力でも人間をはるかに超えている。

 すさまじい速度で俺の周囲を回りながら、死角から魔力弾を撃ってきた。

 反応できない──。

「『ホーミングボム』!」

 俺は自動追尾魔法を放った。

 これなら俺自身が反応できなくても関係ない。
 魔法の方が勝手に魔族の攻撃を迎え撃ってくれる。

「やりますね! ですが──」

『ホーミングボム』をかいくぐり、一発の光弾が俺の胸元をかすめる。

「ぐっ……!」

 胸にかけていたペンダントが引きちぎれ、地面に落ちた。
 胸元が裂けて血が噴き出す。

「『ヒーリング』──」

 俺はすぐさま治癒魔法を唱え、傷を治した。
 だが、痛みで集中が乱れる。

「遅い遅い」

 ミルヴァムが勝ち誇った。

「魔法の威力は高くても、詠唱スピードや使用タイミングはまだまだですね」

 悔しいが、奴の言う通りかもしれない。

 俺の魔法能力はごく最近に魔導書によって付与されたもの。
 この力を『自分の力』として使い、戦った経験があまりにも少ないのだ。

 呪文一発で楽勝の相手ならともかく、ある程度拮抗した相手だとその経験がものを言う。

「次は防げますかな……『影の炎』!」

 ミルヴァムが火炎魔法を放つ。
 俺はまだ次の呪文を発動できる状態じゃない。

「まずい──」

 そのとき、足下で緑色の輝きが弾けた。

「なんだ……?」

 さっき地面に落ちたペンダントが光っている──?

『「第六の魔導書(キシャル)」を起動します。マスターに【自動魔法結界】が付与されました』

 ペンダントから、声が響いた。
.7 中級魔族討伐3


 俺の前方に緑色に輝く魔導書が浮かび上がる。

「まさか、これは──?」

 そうだ、間違いない。

「二冊目の魔導書……?」
「いや、三冊目だ」

 驚くミルヴァムに俺は言った。

「ふむ。ならば試してみましょうか。その魔導書の力を!」

 魔族がふたたび高速移動を開始する。

 あいかわらず、速い。
 すでに『身体強化』の魔法はかけているが、人間の限界をはるかに超えて強化された反応速度をもってしても、奴の動きにはまるでついていけない。

「『影の剣』!」

 ミルヴァムが攻撃魔法を放った。

 しゅんっ……!

 俺の足下の影がうごめき、そこから黒い剣が飛び出してくる。

「くっ……!?」

 避けられるタイミングじゃない。
 迎撃の魔法も間に合わない。

 剣が俺の胸元に迫り、

 がきいん。

 重い響きとともに、その剣は弾き飛ばされた。

 俺の前方に、緑色に輝く盾が浮かんでいる。
 突然現れたそれが、ミルヴァムが魔法で生み出した剣を防いだのか。

「これが──【自動魔法結界】か」
「うん。アルスになんらかの攻撃や危害が及びそうになると、自動的に守ってくれるよ」

 と、ティア。

「自動的……つまり、俺の意思とは無関係に、か」

 つぶやく俺。

「じゃあ、奴の攻撃に反応できなくても問題ないな」
「今の魔法程度なら、百発受けてもビクともしないよ。さあ、反撃を。マスター」
「ああ」

 これなら──勝てる!

「むうっ……」

 さすがにミルヴァムも表情を引き締めた。

 悟ったんだろう。
 すでに己の優位は崩れ去っている、と──。

「ですが、この私が人間ごときに後れを取ることはあり得ません!」

 高速移動で俺を幻惑するミルヴァム。

 攻撃方法はワンパターンだが、確かに効果的だ。

 俺は奴の動きに反応できない。
 奴は、攻撃し放題だ。

「だけど──問題ないんだ。もう。反応できなくても」

 がががががががいいいいいいいいいいいいいいんっ。

 連続して防御の音が響く。
 緑の盾は一つだけではなく、俺の周囲のあらゆる場所に出現し、ミルヴァムの攻撃を防ぎ続けた。

 自動的に、すべての攻撃を。

 ただの一発たりとも、俺の体には触れさせない。

「もう通用しない」

 俺は右手を掲げた。

「『ホーミングボム』!」

 自動追尾魔法を放つ。
 これなら、俺が奴の動きを捉えられなくても関係ない。

「ぐっ……! お、おのれぇ……」

 光球が次々と着弾する。

「さらに『ホーミングボム』!」

 そして第二波、第三波──。
 ミルヴァムの攻撃は完全に封殺し、俺は一方的に攻撃を放ち続けた。

「ぐうううっ、がぁぁぁっ……!」

 うめく中級魔族。

 やがて、その声が完全に途絶えた。

 俺の波状攻撃が、ミルヴァムを打ち倒した瞬間だった。

「中級魔族討伐クエスト、完了だな」
.8 魔族固有魔法


『戦闘終了により【魔力無限成長】の効果が発動されます』
『「中級魔族」×1の残存魔力を吸収しました』
『マスターの魔力総量が上昇しました』
『マスターの魔法耐性が上昇しました』
『マスターの魔力収束速度が上昇しました』

『戦闘終了により【全属性魔法習得】の効果が発動されます』
『「中級魔族」の所持魔法「魔族固有魔法・影の炎レベル2」を習得しました』
『「中級魔族」の所持魔法「魔族固有魔法・影の剣レベル1」を習得しました』
『「中級魔族」の所持魔法──』



 という感じで、恒例の撃破後パワーアップが終了した。
 ミルヴァムからは八種の魔法を習得することができた。
 その中には、人間が本来使えない『魔族固有魔法』もあった。
 今後の戦いで大いに役立ってくれそうだ。

「やったね、アルス」

 魔導書から使い魔形態に戻ったティアが俺の側に立つ。

「今回は強敵だったけど、収穫も大きかったな」
「一気に強くなれたんじゃない?」
「ああ、ティアのサポートのおかげだ。ありがとう」
「えへへ」

 俺が礼を言うと、ティアははにかんだように微笑んだ。
 うん、可愛い。

「それに収穫はもう一つ──」

 緑色に輝く魔導書に視線を向ける。
 第六の魔導書、キシャル。
【自動魔法結界】によって、俺の防御力は今までとは比較にならないほど上がったはずだ。

 これも、今後の戦いで役立ってくれるだろう。
 強くなっていく実感は、素直に嬉しかった。

「……っと、浸ってる場合じゃないな。町中にはまだ魔族が残っているかもしれない。退治しに行こう」
「だね」

 俺とティアは町中の見回りを再開した。



 しばらく進むと、四体のレッサーデーモンが小さな公園の前にいた。
 たぶん、レッサーデーモンはミルヴァムが召喚しただろうから、奴が死んだことで新たな下位魔族が町に現れることはないはずだ。

 ただ、すでに召喚済みの連中に関しては自動的に魔界に戻る……ということにはならないようだった。

「町の人たちが平和に暮らすために、悪いけど消えてもらう」

 俺は呪文を放つために精神集中を開始する。
 そうだ、新たに覚えたあの呪文を試そう。

「魔族固有魔法──『影の炎』!」

 もしかしたら、人間である俺には魔族の魔法は使えないんじゃないか、とも思ったが、

 ごうっ!

 きっちり発動した。

 レッサーデーモンの足下の影から、渦巻く炎が出現する。
 影という死角から放つ火炎魔法。

 回避も防御も困難なこの魔法を、レッサーデーモンたちはまともに浴びた。

 大爆発。
 後には、消し炭と化した四体のレッサーデーモンが残るだけだった。

「この魔法はなかなか使えそうだ」
「強敵相手にも効果がありそうだね」
「この調子で町に残ってる魔族を片づけていこう」

 俺とティアはふたたび歩き出した。

 ──その後、レッサーデーモンをすべて打ち倒すのに、そう時間はかからなかった。
 町中の魔族は完全に掃討することができた。

 ミッション達成だ。
.9 キシャル



「無事にクエストを達成されたんですね。さすがはアルスさんです」

 ギルドの受付に行くと、ポーラさんが満面の笑みで出迎えてくれた。

「それだけの腕があるなら、新しいメンバーを募ってパーティを組んでみては? きっとSランクパーティになれますよ」
「うーん……新しいメンバーは、ちょっと」

 口ごもる俺。

「前のパーティのことで色々あったので、まだ気持ちの整理がつかなくて」
「あ……そうですよね。ごめんなさい」

 ポーラさんが謝った。

 俺とラスターたちのいざこざは、周囲に詳細が伝わっているわけじゃない。
 だけど、なんとなくギルドの人たちは何が起きたのかを察しているんだろう。

 もちろん、ポーラさんも。

「いえ、いいんです。なので当面はティアと二人でがんばりたいな、って」
「うん。私がいるから大丈夫っ」

 ティアが俺の腕にしがみついてきた。

「……そう、ですか?」

 ポーラさんの目が一瞬怖くなる。
 俺じゃなくて、ティアを見て。

「ん? どうしたんですか、ポーラさん?」
「──はっ!? い、いえ、なんでも……おほほほ」

 慌てたように素に戻るポーラさん。

 なんか様子が変だったな。
 まあ、いいか。



 俺はティアとともに宿に戻った。

「かなりの大金が手に入ったな」
「このままいけば、ランクも一気に上がるんじゃない?」

 冒険者ランクにはいくつかの査定基準があり、その中には『獲得報酬額』も含まれる。
 この前のダンジョン探索や今回の中級魔族討伐でかなりの報酬を得たし、俺の冒険者ランクは次の査定でBから上がるかもしれない。

「Aランクは間違いないと思う。いずれはSランクも夢じゃないね」
「Sランク……ラスターと同じランクか」

 遠い存在だと思っていた、あのラスターと同じ場所に行けるかもしれない。
 不思議な感じだった。

 パーティランクの方は結成したばかりだから最底辺のFだけど、これもどんどん上がっていくといいな。

「全部、ティアや他の魔導書のおかげだよ。ありがとう」

 俺はティアに頭を下げた。

「偶然の成り行きから魔導書を使えることになったし、本当に幸運だった」
「ううん。あなたは正当な手続きを経て、私たちのマスターになったんだよ。運やめぐり合わせはあるかもしれないけど、それだけじゃない」

 ティアが俺を見つめる。

「あなたの意思が、今の結果を導いたの。だから胸を張って、マスター」
「……ありがとう」

 俺はティアに二度目の礼を言う。
 と、そのときだった。



 ──突然、部屋全体に緑色の輝きが広がる。



「な、なんだ……?」

 驚く俺。

「まさか、この光──」

 ティアがハッとした顔になる。
 そうだ、この光の色は……。

「第六の魔導書の、光か……?」

 次の瞬間、俺たちの前でその輝きが弾けた。

「ふうっ……やっと使い魔形態に戻れましたの」

 現れたのは、一人の少女だった。

 気品のある美貌。
 黄金の髪を長く伸ばし、縦ロールにしている。
 身に着けているのは緑色の豪奢なドレス。
 まるで貴族令嬢のような装いだ。

「あなたが新しいマスターですの?」

 彼女が俺を見つめた。

「君は……?」

 俺はまだ呆然としていた。

「キシャルと申します。どうぞお見知りおきを」

 彼女──キシャルはスカートの裾をつまみ、優雅に一礼する。

第六の魔導書(キシャル)が使い魔形態として実体化した姿ですの」
.10 大賢者の魔導書たち


「実体化……?」
「あら、ティアマトさんから何も聞いていませんの?」

 キシャルが首をかしげる。

「あ……まだちゃんと説明してなかったかも。えへへ、ごめんね」

 ティアが言った。

「私たちはね、古の大賢者『魔導公女(まどうこうじょ)』様が生み出した魔導書なの。今の姿は、使い魔形態として実体化した姿──ここまでは説明したよね」
「ああ」
「魔導書は全部で九冊。私やキシャル、それにまだ実体化はできてないけどエアもそう。他の六冊は行方が分からなくなってる」
「使い魔の姿になれるのはティアだけかと思っていたよ」
「『魔導大戦』で受けたダメージが、一番少なかったからね。私は」
「『魔導大戦』……か」

 確か、何千年も昔、最強クラスの魔法使いたちが世界中で巻き起こした戦いだ。

『世界を滅ぼそうとする』魔法使いと『世界を守ろうとする』魔法使い……二つの陣営で行われた大戦争である。
 大賢者『魔導公女』は世界を守ろうと戦い、多くの魔法使いを討ったんだとか。

 ただ、九冊の魔導書のこととか、そういう細かい話までは現代に伝わっていない。
 俺もティアと出会って、初めて知ったことだ。

「激しい戦いは十五年も続いたの。その中で魔導書は一冊、また一冊と損傷し、使い魔形態をとれないほどのダメージを受けて、行方が分からなくなっていった」

 謳うように告げるティア。

「『魔導公女』様の手元に最後に残ったのが、私とキシャル、エアの三冊。その中でもキシャルとエアがまず大きな損傷を受けて、使い魔形態から装身具の形態へとランクダウンした」
「装身具……」

 俺はハッと気づいた。

「もしかして、ティアがいつも身に着けていたイヤリングとペンダントか」
「そ。あれはエアとキシャルの休眠形態を兼ねてたんだよ」

 と、ティア。

「話を戻すけど──大戦の中で、私も魔力の大部分を失ったの。とうとう『魔導公女』様と離れ離れになり、とある遺跡で眠ることになった。で、何千年か経って──そこを訪れた冒険者のパーティによって目覚めさせられた」
「そうか、俺たちが──」
「だね。アルスが所属していた『祝福の翼』が私たちを見つけたの。シンシアが私と使い魔契約を結んで……私はシンシアの魔力をもらいながら、さらなる回復を待った。だけど、この間のダンジョンで『オリハルコンゴーレム』によって使い魔の肉体を破壊されて……強制的に休眠解除になっちゃったのよね」
「そうだったのか……」
「だから、今の私は不完全な状態」

 すでに圧倒的な魔力を出せる状態だけど、これでもまだ完全じゃないのか。

「私やキシャル、エアはあなたの魔力をもらいながら、大戦のダメージを癒している最中なの。キシャルは使い魔形態になれるまで回復したし、エアもいずれ回復するはずだよ」

 ティアが言った。
.11 俺たちの目標


「よかった。またこうしてキシャルと話せて」
「ふふ。私もですの、ティアマトさん♪」

 ティアとキシャルは手をつなぎ、ぴょんぴょんと跳びながら喜んでいる。
 心温まる光景、って感じだ。

 よかったな、二人とも──。
 俺もほっこりした。

「エアや、他にも散り散りになっちゃったみんなと会いたいな……」

 ティアがぽつりとつぶやく。

「エアさんはともかく、他の六人は行方すら分からない人が多いですの……」

 寂しげなキシャル。
 他の六人と会う──つまりは、この世界のどこかにあるはずの、大賢者の魔導書を六冊見つけ出せばいいわけだ。

「うーん……よし、決めた」

 俺は顔を上げて告げた。

「残りの魔導書を探そう」
「えっ?」

 ティアとキシャルが驚いたように俺を見た。

「で、でも、魔導書がどこにあるかも分からないし……」
「世界中を巡ることになるかもしれませんの。場合によっては、危険な目に遭うことだって……」
「でも、会いたいんだろ?」

 俺は二人ににっこり笑う。

「せっかく【魔力無限成長】や【自動魔法結界】なんて強力な魔法を手に入れたんだ。なら、それを使ってみんなを探そう」
「アルス……」
「アルス様……」

 二人は目を潤ませていた。

「あ、魔導書って魔法で探せないのか?」

 それができれば、かなり道のりが楽になる。

「うーん……『魔導公女』様なら探せると思うけど、今のアルスの魔法は不完全だし難しいと思う」

 と、ティア。

「なら、完全に近づければいい。俺の魔力や魔法はどんどん成長していくんだから」
「……ですが、アルス様には苦労に見合うメリットがありませんの」

 と、キシャル。

「数千年前ならともかく、現代の魔法レベルなら今のままでもアルス様は最強レベルですの。それ以上の力を求めなくても、安泰に暮らせますの」
「けど、寂しいんだろ? 仲間に会いたい、って言ってたじゃないか」

 俺は二人を見た。

「あのダンジョンで殺されかけたのを、俺はティアに救われた。エアやキシャルの力にも助けられた。だから、今度は俺が返す番だ」
「……本当に、いいの?」

 ティアが俺を見つめる。

「……大賢者の魔導書は絶大な力を秘めていますの。それを手にした者がいれば、あるいは奪い合いに──」

 キシャルが告げる。
「別に戦おうっていうわけじゃない。見つけて、もう一度出会いたいんだろ。俺はその手伝いをする」

 俺はきっぱりと言った。

「大丈夫。ティアやキシャル、エアがついてるんだ。やれるだけやってみよう」

 それが──これからの俺たちの目標だ。
.1 大賢者の洞窟


 俺たちは今後の方針について、具体的に詰めていた。

「大賢者の魔導書で、行方が分かっているものはあるのか?」
「かつての大戦で、まず九冊中の三冊──『第二』『第五』『第九』が失われましたの。見知らぬ土地へと吹き飛ばされたのか、あるいは異空間に放逐されたのか──まったく分かりませんの」

 と、キシャル。

「あとの三冊は?」
「そちらは居場所が分かっていますの」

 キシャルが言った。

「じゃあ、取りに行こう。場所はどこだ?」

 意外と簡単に三冊分が見つかるんじゃないか?

 俺は期待を込めてたずねる。
「場所はここから遠く離れた異国のダンジョン。大賢者『魔導公女』様が建造した、最強の魔導防衛施設──」

 キシャルが厳かに告げた。

「その名も『大賢者の洞窟』ですの」
「そのまんまだな」
「マスター……いえ、前マスターの『魔導公女』様は面倒くさがりなので、ネーミングはだいたい適当ですの」

 と、キシャル。

「ダンジョンを踏破すれば、三人と再会できる可能性が高いんだな?」
「ですが、Sランクパーティしか挑めないですの」

 俺の問いにキシャルが答えた。

 冒険者ギルドの基本規定で、モンスター討伐系のクエストは個人ランク次第で、格上のクエストに挑むことができるんだけど、ダンジョンや遺跡などの探索系のクエストはパーティランクが高くないと挑むことができない。

 俺たちはパーティを結成したばかりで、ランクは最低のFだ。
 まずパーティランクを上げていかないと、そのダンジョンに挑むのは難しいかもしれない。

 このあと、ギルドに行って調べてみよう。

「あるいは……ラスターたちのところに戻る、とか」

 彼らはSランクパーティだから、『大賢者の洞窟』に挑むこともできるかもしれない。

 ……まあ、ちょっと色々あったから、戻りづらいけど。

「駄目だよ。アルスはあんな仕打ちをされたんだし」

 と、ティア。

「けど、元のパーティに戻れば、その方が近道かもしれない。俺は我慢すればいいんだし。彼らに頭を下げて──」
「駄目!」

 ティアが重ねて言った。

「私たちのためにアルスが苦しい思いをするのは、嫌」
「ティア……」
「絶対に、嫌」

 ティアが涙ぐんでいた。

「第一、彼らの実力では踏破は難しいと思いますの」

 キシャルが言った。

「どういうことだ?」
「『大賢者の洞窟』は現代まで踏破者ゼロの最難関ダンジョンですの。Aランクへの降格ライン上にいるようなパーティでは、到底通用しませんの」
「最難関ダンジョン……」

 うなる俺。

「じゃあ、俺たちだって踏破するのは厳しいんじゃないのか?」
「アルス様には大いなる成長の余地がありますの。【魔力無限成長】と【全属性魔法習得】この二種の魔導書を駆使し、大賢者としての力を完成させれば──踏破は決して不可能ではありませんの」

 キシャルが言った。

「分かった。じゃあ、方針決定だ」

 俺は二人に宣言する。

「俺はもっと強くなる」

 もっと、もっと強くなる──。

「そして『大賢者の洞窟』を必ず踏破してみせる──だから、二人とも。それにエアも。俺に力を貸してほしい」
「もちろんだよ」
「承知しましたの」

 ティアとキシャルがうなずく。

 エアにも──聞こえているだろうか、俺たちの言葉が。

「みんなで、がんばろう」
.2 パーティの名は



「まずはキシャルの使い魔登録だ」

 宿から冒険者ギルド支部に向かう途中、俺はティアとキシャルに言った。

「それから、パーティの正式名称を決めないか?」
「そういえば、まだ決めてなかったよねー」
「何か案はありますの、アルス様?」

 ティアとキシャルが言った。

「そうだな……」

 実はちょっと前から、考えていたパーティ名候補がある。

「『天翼(てんよく)の杖』で、どうかな?」
「それって──」

 ティアとキシャルが同時に息を呑んだ。

『天翼の杖』。
 かつて大賢者『魔導公女』が使ったという特S級の魔法の杖だ。
 少し前に、俺はティアからその名を聞いていた。

 それを俺たちのパーティ名にしたのは、他の魔導書たちへのちょっとしたアピールである。

 今はまだ結成したてで無名だけれど──。
 いずれ、俺たちのパーティ名が有名になってくれば、魔導書たちにまで伝わるかもしれない。

 まあ、魔導書は休眠状態の可能性もあるし、パーティ名を『魔導公女』にちなんだものにしたところで、他の魔導書たちを呼び寄せる決定打にはならないだろうけど……。

「嬉しいよ。『魔導公女』様にゆかりのあるものをパーティ名にしてもらって」
「ですの。別れ別れになったみなさんとのつながりが感じられますの」

 ティアとキシャルは笑顔だった。

 うん、彼女たちが喜んでくれているだけで、このパーティ名にした甲斐はあったかもしれない。



 俺たちはギルドでキシャルの使い魔登録と、パーティの正式名称の申請をした。

「じゃあ、新しいクエストを探しに行こう」

 と、クエスト受注用の窓口に行く。
 応対をしてくれるのは、例によって知的美人のポーラさんである。

「あら? メンバーが増えたんですか?」

 ポーラさんが軽く眉根を寄せた。

 あれ?
 なんか機嫌が悪くなったような……?

「その、使い魔なんです。二人とも」

 俺はポーラさんに説明した。

「可愛い子ばかり……ぶつぶつ……」
「えっ?」

 思わず聞き返す俺。

 その背後で、

「ポーラさん、ちょっと怖いよ」
「敵意と嫉妬を感じますの。もしかして、この方はアルス様のことを……」

 ティアとキシャルが少し憮然とした様子だ。

「あ、やだ、なんでもないです……」

 ポーラさんがようやく普通に戻った。

「……私だって負けない」

 よく分からない台詞をつぶやきながら。

 ?????
 俺の頭の中が?マークで埋め尽くされる。

 まあ、いいか。
 俺は気を取り直して、ポーラさんにクエストのことを聞く。

「なるべく魔力の高い敵がいそうなクエストをお願いします」

 そう、俺には敵との戦闘時に己の魔力を成長させる魔導書魔法──【魔力無限成長】がある。

 ティアに聞いたところ、敵の魔力が高ければ高いほど、戦闘後に生じる俺の魔力強化もより効果の高いものになるんだという。

 成長させてやる。
 俺自身の力を。

 そして、いずれ来るであろう『大賢者の洞窟』挑戦のための地力をつけていくんだ──。
.3 特例申請


「魔力の高い敵……ですか?」

 ポーラさんがたずねる。

「その、言うまでもありませんが……魔力が高いということは、それだけ強力な敵だということです。危険ですよ」
「分かってます」

 うなずく俺。

「ちょっと事情があって。なるべく強い敵を相手に、自分の力を磨きたいんです」
「自分の、力を……」
「まあ、あんまり相手が強すぎると殺されるかもしれないので、『手ごわいけど、なんとか勝てる』くらいの相手がベストですね。はは」

 ちょっと都合のいいリクエストだろうか。

「そうですね……ちょっと探してきます」

 ポーラさんは席を立った。

「しばらくお待ちくださいね」

 と、バックヤードに行ってしまった。

「なんだか、気が乗らなさそうだな」
「アルスのことを心配してるんだよ、きっと」

 と、ティア。

「恋する女のオーラを感じた気がしますの」

 と、これはキシャル。

「恋する、って……」

 俺は思わず苦笑した。

 俺とポーラさんは一冒険者と受付嬢という関係にすぎない。
 それ以上でも以下でもない付き合いだったはずだ。

「どうかなー……?」

 ティアはジト目で俺を見ていた。

「な、なんだよ?」
「……別に」
「ふふ、ティアさんはヤキモチを焼いていますの」
「ち、違うよっ!? あ、いえ、ちが……わない……かも……じゃなくって!」
「ふふふふふふふ」

 キシャルは妙に嬉しそうだ。

「も、もう、キシャルったらー!」

 ティアが真っ赤な顔で悲鳴を上げる。

 なんだか微笑ましい二人だった。



「では、このクエストはどうでしょう?」

 しばらくしてポーラさんが戻ってきた。

 提示されたクエストは──とある古城の探索。
 もともとは没落貴族が所有する城だったが、百年ほど前に代が絶え、今は無人の城となっていた。
 その貴族の遠縁が相続者だが、城の内部にモンスターが巣くっていて近づけないそうだ。

 城の内部には、さまざまな財宝が蓄えられているらしく、その回収とモンスター退治が相続者の望み。
 まずは、そのために最上階まで安全ルートを確保することがクエスト内容だ。

「モンスターは異界から突然侵入したといわれています。かなり魔力が高い個体もいるとか」

 と、ポーラさん。

「依頼の難易度はA。本来ならアルスさんのパーティランクでは挑めませんが……前回と同じく特例で挑戦できるかもしれません」
「特例、ですか」
「以前にAランクの『オリハルコンゴーレム』十体を撃破し、難関ダンジョンを踏破したこと。さらに先日は中級魔族を討伐しています。これらの実績による特例ですね」
「じゃあ、その特例申請をお願いできますか」

 俺はポーラさんに頼んだ。

 申請が通ったら──次のクエストは、古城探索だ。
.4 古城探索1


 ラグシェット城──。
 王国辺境にあるこの古城に俺たちはやって来た。

 周囲には森林。
 人けがまったくない場所に、巨大な城がたたずんでいる。

「じゃあ、行くか」
「だね」
「ですの」

 俺たちはうなずき合い、古城に入った。

「あれ? 意外と綺麗だな」

 よく見ると、内装に魔法処理がしてある。
 内部を清浄に保つ効果があるようだ。
 と、そのとき──。

「誰かいるの?」

 と、遠くから声がした。

 数人の集団が歩いてくる。
 どうやら冒険者らしい。

「なるほどね、あんたたちもここの探索クエストに来たわけ?」

 リーダーらしい女魔法使いが鼻を鳴らした。

 年齢は二十歳前後だろうか。
 燃えるような赤い髪をポニーテールにした美人だ。
 いかにも勝気そうなツリ目で俺たちをにらんでいる。

「悪いけど、ここはあたしたち『黒薔薇の剣』が先に探索を始めたの。邪魔したら承知しないわよ」
「マチルダさんの言う通りだ」
「俺たちはAランクパーティだぞ。お前らは遠慮してどっかに行けよ」

 マチルダの仲間たち──いずれも二十代前半くらいの青年騎士──が小馬鹿にしたように言った。

 偉そうな連中だ。
 正直、気分はよくない。

「あんたたちのパーティランクはいくつ?」
「……Fだ」
「は? F? なんでそんな弱っちいのが、この城に来るのよ!?」

 マチルダが目を丸くした。

「危険だから、あんたたちは帰りなさい。ったく、なんでギルドはそんなパーティに探索許可を出したのよ……」
「俺たちは特例申請で許可をもらったんだ」

 答える俺。

「特例……」

 マチルダが俺をじっと見た。

「もしかして、あんたたちの誰かが個人ランクがすごく高いの? 見たところ、魔法使いと使い魔二人という感じだけど、そこまで強い魔力は感じないわね……」

 怪訝そうなマチルダ。

 まあ、俺の場合は、普段は本来の魔力のままで、『第一の魔導書(ティアマト)』を起動した段階で、はじめて魔力が大幅にアップするからな。

「まさか、何か不正な手段でも使ったんじゃないでしょうね……?」

 ジト目になるマチルダ。
 まあ、Fランクパーティがこの城に挑むって聞いたら、普通はそういう反応になるかもしれない……。

「ちゃんと正当な審査を経てるよ」
「むう……まあ、とにかく、あたしたちの邪魔はしないで。この城に巣くうモンスターは魔力補正を受けて、通常より強力になっているの。半端な者では怪我じゃすまないわよ」

 マチルダが俺たちをにらんだ。

「いい? 危険だからね」
「もしかして、俺たちを心配してくれてるのか?」

 性格はちょっと激しそうだけど、意外と優しい子なのかもしれない。

「っ……! べ、別に優しくなんてないしっ! 心配なんてしてないしっ!」

 マチルダは慌てたように言って、仲間たちとともに足早に去っていった。

「もう、なんなんだろ、あいつっ」

 ティアが怒っている。

「アルス様を見下すのは、気分がよくありませんの」

 キシャルも不機嫌そうだ。

「まあまあ、心配して言ってくれたんじゃないかな? そう指摘したら、なんか照れてたみたいだし」

 俺は二人をなだめる。

「そうかもしれないけど……」
「アルスは優しい」

 ティアとキシャルはまだ不満気だ。

「ともかく、俺たちは俺たちで先に進もう」



 城のあちこちにモンスターがいた。

 いずれもBからCランクくらいで、1体ずつならそこまで強くないけど、集団だったり、不意打ちでこられると、それなりの脅威だ。
 俺は得意の補助魔法系でモンスターの位置を確実に把握、見つけ次第、高ランクの攻撃魔法で打ち倒していった。

 先日、中級魔族ミルヴァムを倒して、魔族固有魔法を得たおかげで、ほとんどモンスターを一撃で倒すことができた。

 そして、俺たちは城の第8フロア──最上階まであと2フロアというところまで到着した。
.5 古城探索2


「きゃぁぁぁぁぁぁっ……!」

 ふいに悲鳴が聞こえてきた。

「あの声は──マチルダか!?」

 俺は駆け出した。

「あ、ちょっと、アルス」
「助けに行くぞ!」

 俺たちは声がするほうに駆けていく。
 けど、これじゃ間に合わないかもしれない。

「そうだ──『ホーミングボム』!」

 自動追尾魔法を前方に放った。
 これなら、魔法が勝手に敵を倒してくれるかもしれない。

 爆音が響く。
 続いて、モンスターの苦鳴らしき声が聞こえた。

「仕留めたか?」

 俺たちはさらに走った。



「な、何……これ……!?」

 マチルダが腰を抜かしていた。
 他のメンバーも同じ状態だ。

 周囲には、金色の鎧の残骸が散らばっていた。
 以前にも戦った『ゴールデンリビングメイル』である。

 残骸から推測すると、全部で七体ほど。
 そのすべてが、俺の『ホーミングボム』で粉々になったようだ。

「大丈夫だったか、マチルダ」

 声をかける俺。

「あ、あんた……何者なの……!?」

 マチルダが腰を抜かしたままたずねた。

「俺たちは『天翼の杖』」

 俺は彼女たちに告げた。

「新興のFランクパーティだ」
「Fランクパーティ……?」
「う、嘘だろ、『ゴールデンリビングメイル』7体を一瞬で片づけるなんて……」
「下手すりゃSランクパーティ並みの戦力だぞ……」

 マチルダの仲間たち──いずれも二十代前半くらいの青年騎士だ──が呆然とした顔で俺を見ている。

「信じられない──Aランク魔法使いのあたしだって、『ゴールデンリビングメイル』1体や2体ならともかく、7体同時なんて無理よ……」

 マチルダが目を丸くしている。

「先に行かせてもらってもいいか? この城のモンスターはけっこう手ごわそうだ」

 俺はマチルダたちに言った。

 まだこの先に2つのフロアがある。
 もっと強いモンスターが控えている可能性が高い。

 俺が先行して、そいつらを薙ぎ払った方がいいだろう。
 ……といっても、プライドが高そうなマチルダが許してくれるかどうか。

「分かったわ。悔しいけど、あんたの方がはるかに強い」

 が、マチルダは思いのほかあっさりと認めてくれた。

「……不遜な態度を取ってごめんなさい」
「いいよ、そんな……」
「あたしたちはあんたの後方を守る形で進むわ。あんたなら一人で問題ないかもしれないけど、背後からの不意打ちに備えて、少しはサポートできるかも」
「助かる」

 というわけで、俺たちはマチルダたちのパーティと連携して、その先を進んだ。



 ──その後も俺は出てくるモンスターを次々に撃ち倒していった。
 特に危険そうな場所は念入りにモンスターがいるかどうかを確かめ、退治しておく。

 やがて、最上階に到着した。
 ここに来るまでの安全なルートは確保したし、とりあえずはクエスト達成かな。

「援護ありがとう、マチルダ。それに君たちも」

 俺はマチルダのパーティに礼を言った。

「礼を言うのは、あたしたちの方よ。命を助けてもらった」
「馬鹿にしたようなことを言ってすまなかった」

 青年騎士たちがいっせいに頭を下げた。
 最初に比べて、随分と素直な態度になったな……。

「協力して達成したし、ギルドへの報告も一緒にした方がいいな」
「……あたしたちはほとんど役に立ってないわ。報告はあんたたちだけで」

 と、マチルダ。

「いや、全員で達成したんだから、報酬も実績も全員のものだ」

 俺は彼女に首を振った。

「みんなで行こう」

 にっこりと誘った。



 ──一週間後、冒険者の個人ランクとパーティランクの更新の日。

 俺たち『天翼の杖』は晴れてFからEランクへと昇格した。

 最底辺、脱出だ。
.6 始まる崩壊


 SIDE ラスター


「くそっ、Aランクに降格かよ!」

 ラスターは荒れていた。

 今日は冒険者ギルドにおける個人ランクとパーティランク更新日だった。
 ラスターたちの個人ランクはそのままだが、彼らのパーティ『祝福の翼』は今期の実績により、SランクからAランクへと降格したのだ。

「この間から荒れすぎですよ、ラスター」

 女魔法使いのシンシアがたしなめた。

「落ちてしまったものは仕方ありません。またSランクを目指せばいいじゃないですか」
「簡単に言うなよ! Sランクに上がるために、俺がどれだけ苦労したか分かってるのか!」
「苦労したのは、私だって同じです!」

 穏やかな気性のシンシアが珍しく怒声を上げた。

「くそっ、面白くねえ!」

 隣では重戦士ブレッドが叫んでいる。

「あーあ……ノルバくん、早く連絡くれないかなー」

 女盗賊メアリがぽつりとつぶやいた。

(ノルバだと?)

 ラスターが顔をこわばらせた。

 Sランク冒険者ノルバ。
 それはメアリのかつての恋人である。

 ノルバに捨てられたメアリを慰めるうちに、ラスターは彼女と付き合うようになったのだ。
 だが、ノルバは冒険者としての強さも、家柄も、人望も──すべてにおいてラスターを上回っている。

 彼の存在はラスターにとって、劣等感を呼び覚ますものでしかなかった。

 その名前を、メアリがあからさまに口にしたことで、心が激しくざわつく。

(まさか、あいつと連絡を取っているのか!? 俺を捨てて、ノルバのところに戻るつもりか!)

 苛立ちと嫉妬心を抑えきれない。

「だって、あんた……甲斐性ないし」

 メアリが、ぺっ、と唾を吐き捨てた。
「ノルバの方が数段いい男だよ」
「てめえ!」

 ラスターは怒号を上げてメアリに詰め寄る。

「お、おい、やめろよ」
「二人とも落ち着いてください」

 さすがに慌てたのか、ブレッドとシンシアが割って入る。
 パーティの空気は日に日に荒れる一方だった。

 すべての歯車がかみ合わず、空回りしている……そんな感覚。



 ──かつてのSランクパーティ『祝福の翼』の崩壊は、すでに始まっていた。
.7 昇進のお祝い


「それでは、あらためて」

 俺はこほんと咳ばらいをひとつ。

「Eランク昇格、おめでとう!」
「わーい、おめでとう!」
「よかったですの!」

 俺とティア、キシャルの三人はちょっとした祝宴を開いていた。

 場所は、定宿である『希望の旅路』亭の一階にある酒場である。
 テーブルには豪勢な料理や酒。

『オリハルコンゴーレム』討伐やその後のクエスト達成で、金にはけっこうな余裕があるため、思いきって今日は奮発してみたのだ。

「今日はお金のことは気にせず、美味しいものをいっぱい食べよう」
「わーい」

 無邪気に喜ぶティア。

「今までのクエストで随分と稼いだのでしょう? そこまで倹約しなくても大丈夫な気がしますの」

 と、これはキシャル。

「うーん……冒険者稼業は装備関係なんかでそれなりの金がかかるからな。特に難易度の高いクエストになればなるほど、必要装備は高額になってくるし」

 俺は彼女に説明した。

「いくら大金を稼いだからって、無計画に使っているとすぐなくなってしまう」
「なるほど……分かりましたの」
「ただ、今日は思いっきり楽しもう」
「ですの!」

 キシャルもにっこり笑顔になった。

「かんぱーい」

 酒宴スタートだ。

「あっという間の昇格だったねー」
「前の俺なら、とても無理だったな……」

 俺はしみじみとつぶやく。

 実際、補助魔法だけはそこそこ自信があるけど、攻撃魔法がからっきしの俺では、パーティのメイン戦力にはなれない。
 俺は、あくまでもメインの戦力をサポートする役回りなのだ。

 それが『大賢者の魔導書』を得たことで劇的に変わった。

「ありがとう、ティア、キシャル」

 俺はあらためて二人に礼を言う。

 いや、もう一人──。

「それにエアも。感謝してる」

 俺はティアがつけているペンダントに視線を向けた。

 以前に『オリハルコンゴーレム』との戦いで破損したペンダントだ。
 実は、これがエアの『休眠形態』だという。
 つまり、この中にエアの本体が眠っているわけだ。

 俺が規定量の魔力をエアに注げば、彼女は使い魔形態として起動できるのだという。
 ただ、それにはキシャルのときよりもかなり大量の魔力が必要らしい。
 一から九までの魔導書は、使い魔形態を起動するための必要魔力量にかなりの差があるということだった。

「直接、礼が言えたらいいんだけどな。エアはまだ使い魔モードでは起動できないんだよな……」
「話すだけなら、できる」

 突然、声が響いた。

「あれ、エア?」
「エアさん!」

 ティアが首をかしげ、キシャルが声を上げる。

「ち、ちょっと、声を出せるなら出せるって言ってよ。もう……懐かしい~!」
「声だけでも聞かせていただけるのは、嬉しいですの」

 ティアとキシャルがそろって笑顔になった。

 俺には、初めて聞くエアの声だ。

「ええと、初めまして……になるのかな? 俺はアルス・ヴァイセ」
「知ってる……」

 どことなく気だるげな様子のエア。
 もしかして、調子が悪いんだろうか?

「エアはこれが素の調子だよ」

 俺の心配を感じ取ったように、ティアが言った。

「今はまだ俺の魔力が足りないけど……いずれ必ず、君も使い魔モードで起動できるようにするよ。待っていてほしい」

 俺はエアに呼びかけた。

「だね。私もがんばる」
「私もですの」

 ティアとキシャルがそろって言った。

「……あたしは、いい。別に」

 が、エアの返事はいかにも面倒くさそうな調子だった。

「休眠形態のほうが楽。ここから出たくない。陽の光を浴びたくない。ぐだぐだしたい」

 怠惰なセリフの連発だった。

 ティアやキシャルとは、ずいぶん性格が違うらしい。
 うーん……どうしたものか。

「でも……」

 エアがぽつりとつぶやく。

「ティアやキシャル、他のみんなにも……会ってみたい」

 そっか、心の芯の部分にはそういう気持ちがあるんだよな。

「じゃあ、もう少しだけ待っていてくれ。俺はもっと強くなるから」

 魔力を上げて、君も使い魔として呼び出してみせる──。
.8 魔力急上昇1



 前回の古城探索クエストで多くのモンスターを討ち、俺は新たな魔法を一気に何十種類も覚えていた。

 攻撃魔法はもちろん、防御や移動、補助に状態異常など──。
 おかげで、魔法戦闘において飛躍的に戦術パターンが増えていた。

「今回の討伐クエストはワイバーンが相手だ。空にそれらしき影が見えたら、教えてくれ」

 荒野を進みながら、俺はティアとキシャルに言った。

 たいていの攻撃はキシャルの【自動魔法結界】で防ぐことができる。
 ただし、この魔法は稼働時間が決まっている。
 現状だと、連続稼働は約十分。

 俺の魔力量や魔法使いとしての根本的なレベルが上がれば、もっと時間が長くなるそうだが……。

 討伐対象であるワイバーンが現れる前にこの魔法を発動した場合、実際にワイバーンと遭遇するころには稼働限界時間を過ぎている……というオチになりかねない。

「【索敵・視力強化】」
「【索敵・反応加速】」

 俺は索敵系の魔法を二種類発動し、ワイバーンの襲撃に備える。
 備えつつ、移動を続ける。

 ワイバーンの巣があるのは、この先の岩山である。
 ただ、そこに向かう途中にワイバーンから襲われる可能性もあるため、警戒は怠らない。

 しばらく進むと、

「──! 羽ばたきの音が聞こえる。かすかだけど──上空、十時の方向!」

 ティアが警告した。

 彼女は聴力に優れている。
 猫耳は伊達ではないのだ。

「──あれか」

 強化された視力で上空を見上げると、豆粒ほどの影を発見した。

 さらに対象映像を拡大。
 目を凝らすと、それがワイバーンだと分かる。

「距離が遠いな。【フラッシュボム】や【ホーミングボム】あたりの爆撃系魔法じゃ届かないか」

 ──遠距離攻撃系魔法を検索。
 と、念じる。

【ゼピュロスアロー】……風属性魔法。風圧の矢を放ち、対象を貫く。射程距離A。
【オーラレイン】……光属性魔法。輝く雨を降らせ、範囲攻撃。射程距離A。
【フレイムランチャー】……炎属性魔法。火球を打ち出して攻撃。射程距離B+。

 射程距離の長い手持ち魔法の情報が、頭の中に浮かび上がってきた。

 この現象は【全属性魔法習得】の副次効果だ。
 習得した魔法が、念じるだけで整理された情報が頭の中に浮かび上がる。
 おそらく魔導書によるサポート機能のようなものだろう。

 これから先、何十何百と魔法を覚えていった場合、それを全部記憶するのはほぼ不可能だ。
 念じるだけで、その場に最適な呪文一覧が頭の中に浮かび上がる、というのは重宝する機能だった。

「【ゼピュロスアロー】!」

 俺は射程範囲の長い風の矢を放った。

 どんっ!

 狙いあやまたず、ワイバーンの翼を撃ち抜く。
 墜落してきたワイバーンに、

「【影の魔弾】!」

 今度は破壊力が高い魔族固有魔法を撃ちこんだ。

 爆光──。
 ワイバーンは黒焦げになった地面に落下し、そのまま動かなくなった。

 Aランクモンスターで飛行能力に優れた難敵ワイバーンも、楽々討伐である。
.9 魔力急上昇2


『戦闘終了により【魔力無限成長】の効果が発動されます』
『マスターの魔力総量が上昇しました』
『マスターの魔法耐性が上昇しました』
『マスターの魔力収束速度が上昇しました』

『続いて──戦闘終了により【全属性魔法習得】の効果が発動されます』
『「ワイバーン」の所持魔法「ウィンドエッジ・レベル4」を習得しました』
『「ワイバーン」の所持魔法「トルネード・レベル2」を習得しました』

 ワイバーンから取得できたのは風系統の魔法のようだ。
 前者は風の刃を生み出し、後者は竜巻で敵を攻撃する魔法である。

 また手持ちの呪文が増えたし、魔力そのものも底上げされた。
 こうやって地道に積み上げていくんだ。

 いずれ『大賢者の洞窟』に挑むために。



 次のクエストも討伐系を選んだ。

 相手はB+ランクモンスターの『ダークメイジ』。
 アンデッド系のモンスターで、魔法攻撃を主体とするタイプだ。

「魔法勝負なら負けない──いくぞ、ティア、キシャル」

 俺は二人を魔導書状態にして、左手に重ねて持った。

「【ブラッドカース】!」

 敵が呪いの呪文を放つ。

「無駄だ!」

 それを第六の魔導書(キシャル)の固有魔法である【自動魔法結界】で防ぎつつ、攻撃呪文を唱える。

「【ホーリィブラスト】!」

 中級の浄化呪文である。
 あいにく俺は上級の浄化呪文を習得していなかった。

 アンデッド系には、通常の魔法が効きにくい。
 浄化系を連打するのが、俺の手持ち呪文から考えると一番手っ取り早そうだ。

「ぐおおっ、お……の……れ……!」

【ホーリィブラスト】でダメージを受けつつも、反撃の魔法を撃ってくる『ダークメイジ』。
 さっきよりも強力な呪文のようだが、それも【自動魔法結界】には通じない。

「今度は俺の番だ──」

 ……そして、互いに魔法の撃ち合いで、俺が何発目かの【ホーリィブラスト】を食らわせると、

「ぐおおおおおおおおおおおおおっ……」

『ダークメイジ』はあえなく消滅した。

『戦闘終了により【魔力無限成長】の効果が発動されます』

 例によってパワーアップ。
 俺はさらに魔力を上げ、新たな魔法を習得する。



 ──こんな感じで、俺は連日のように討伐クエストをこなした。

 一週間で俺の魔力はかなり上がったはずだ。
 以前の魔力を100として、たぶん150か200近くにはなっている。

「そろそろ、一度試してみるか」

 俺はその日のクエストを終え、『希望の旅路』亭に戻ってきた。

「試す?」
「何をですの?」

 たずねるティアとキシャル。

「エアの使い魔モード起動を、な」

 俺はにっこりと答えた。
.10 エア

「じゃあ、さっそく始めよう」

 俺はティア、キシャルとともに自室に戻った。

 もともとは二人用の部屋だし、エアを使い魔モードにできた場合、ちょっと狭くなるな……。
 近いうちに部屋を移った方がいいかもしれない。

 ただ、それはエアの使い魔モード起動がうまくいってからの話だ。

「ティア、頼む」
「りょーかいっ」

 俺の求めに応じて、彼女が魔導書に変化する。

 ボウッ……!

 それを手に取り、俺の魔力が爆発的に増大した。
 周囲に魔力のオーラがほとばしっている。

「あれ? 今まではこんな現象なかったような……」
「それだけアルスの魔力が上がった、っていうことだよ」

 魔導書からティアの声が響く。

「可視化できるほどの魔力オーラ……すごいですの」

 キシャルが微笑んだ。

「短期間でよくぞここまで──」
「ほんと、成長度だけなら『魔導公女』様以上かもしれないね」

 と、ティア。

「さ、さすがにほめすぎだよ」

 ちょっと照れてしまう。
 比較対象が伝説の大賢者だからな。

 俺はもともと二流の魔法使いに過ぎない。
 あくまでもティアたちの力を借りて、今の魔法能力を行使しているにすぎない。

 そこはキチンとわきまえているつもりだ。

「魔力がそれだけ上がったなら、エアの起動もできるかな?」
「うーん……エアはかなり魔力食いだからねー」

 ティアが言った。

「私たち魔導書シリーズ九人の中でも、一、二を争う大食ですの」

 と、キシャル。

「じゃあ、そのエアに満足してもらえるように大量の魔力を食わせてやる──」

 俺は魔力を解放した。

 高まれ、もっと高まれ。

 そして、エアに届け──!



「ふあっ……?」



 気の抜けたような声とともに、俺の前に小柄な人影が現れた。

 ふわふわと緩くウェーブした青い髪に気だるげな表情を浮かべた美少女だ。
 身に着けているのは、魔女を思わせる黒いローブ。
 ただしサイズが合っていないのか、ダボダボである。

「君がエアか?」
「んー……あれ? あたし、実体化してる~」

 寝ぼけ眼をこする彼女。

「エア、久しぶり!」
「エアさん、またお会いできて嬉しいですの!」

 ティアとキシャルが左右から彼女に抱き着いた。

「んん……ティアとキシャル……」

 きょとんとしつつ、エアも目を細めて嬉しそうな顔をしていた。

「よかったな、みんな」

 三人の再会を、俺は少し離れた場所で見守ることにした。



「あらためて、よろしくな。エア」
「んー……どーも」

 エアは面倒くさそうに言った。
 見た目通り、怠惰な女の子らしい。

「これで三人とも使い魔モードにできたわけだ」

 俺は満足して彼女たちを見回した。

「ありがと、アルス」
「感謝しますの」

 ティアとキシャルが微笑んだ。

「……あたしはもっと……寝てたい……」

 エアが床にころんと転がる。

「すぴー……」

 あ、本当に寝た!
.11 序章の終わり1


「すぴぴぴぴぴぴぴ……」

 エアは気持ちよさそうに寝息を立てていた。

「うーん……?」

 ティアが首をかしげる。

「どうした、ティア?」
「もしかして、魔力が足りないのかも」
「えっ」
「魔力をもっと注いだ方がいいかもしれない」
「魔力を……」
「エアはね、使い魔モードを起動するときだけじゃなくて、この姿で活動を続けるときにも魔力をかなり消費するんだよ」

 と、ティア。

「アルスの魔力はかなり上がったけど、それでもまだ足りないのかもしれない」
「そうなのか……」

 俺は意識して魔力を高める。
 それをエアの中に移すイメージ──。

「ん……? んんんっ……?」

 いきなり上体を起こすエア。

「ふおお……ちょっとしゃっきりしてきた……気持ちいい」

 トロンとした笑顔で俺を見つめる。
 魔力を分け与えると、エアにとっては快感が生じるらしい。

「お礼にいいこと教える」
「いいこと?」
「あたしを使い魔形態で具現化しておくと……」
「具現化しておくと?」

 なんだろう。

「んー……やっぱ説明するのめんどくさい」
「いやいやいや」

 そこでやめられると、よけいに気になる!

「ねえ、エア。教えてあげなよ」
「ですの」

 ティアとキシャルがうながす。

「ん……【全属性魔法習得】の効果がアップする……」
「効果アップ?」
「本来より高いレベルで習得したり、本来よりランクが高い魔法を習得したり。いろいろ」

 エアは胸を張った。

「あたし、有能」
「ああ、すごいぞ、エア」

 俺はにっこりと彼女の頭を撫でてやった。
 エアは嬉しそうに目を細め。

「あたし、やればできる子」
「俺たちは他の魔導書を全部そろえるためにがんばってるんだ。エアもよかったら力を貸してくれないか」
「んー……がんばるのは苦手。怠けるのは得意」

 言うなりベッドに寝そべり、毛布にくるまるエア。

「ふわぁ……すぴぴぴ」

 あくびしつつ、幸せそうに眠っている。

「また、寝た!」
「エアらしいね」
「ですの」

 ティアとキシャルが苦笑していた。

 まあ、ともかくこれで三人の使い魔モードを起動することができた。

【魔力無限成長】
【自動魔法結界】
【全属性魔法習得】

 彼女たちの力を借りて、俺はもっと強くなるぞ──。
.12 序章の終わり2


 遠く離れた、某所。

「強大な魔力の反応があった……」

 神殿の中で、男がつぶやいた。
 玉座に深く腰掛け、その威風はまるで王のようだ。

「懐かしいぞ、この気配……『魔導公女』によく似ておる」
「主の仇敵ですね」
「主を『殺した』憎き女」
「許しがたい」

 周囲からいくつもの声がする。
 いずれも、彼の使い魔たちだった。

「かつての因縁など忘れよ。私と『魔導公女』の死闘も、今となってはよき思い出よ」

 男は微笑んだ。

 その身から強大な魔力のオーラが湧き上がる。
 Sランクの魔法使いですら足元にも及ばない、圧倒的な魔力──。

 それも当然だ。

 彼は現代よりもはるかに魔法文明が発達していた、古の賢者の一人なのだから。

「そう、かの者は強くなる。いずれは、今よりもはるかに──魔力の波動を感じれば分かる」

 歓喜が、抑えきれない。

「かつての大戦で古の賢者はほとんどが滅んだ。今の世に残っているのは、レベルの低い新世代の魔法使いのみ──そう諦めていたのだが、な」

 よもや、古の賢者の遺産を引き継ぐ者が現れるとは……。

 血がたぎる。
 彼は、使い魔たちを見回した。

「会いに行かねばなるまい。我が仇敵の力を継ぐ者に」

 男の瞳が爛々と輝く。
 瞳の中に魔法陣が浮かび上がった。

「アルス・ヴァイセに」

    ※

 遠く離れた、別の某所。

「これが──伝説の大賢者『魔導公女』が残した遺跡……」
「やっとたどり着けたね、お姉ちゃん」
「このまま奥まで進むわよ。進むわよ」

 姉妹はまっすぐに歩いていく。
 幾多の罠や魔物との戦いを乗り越え、二人は傷だらけだ。

 それでも進む。

 やがてたどり着いた遺跡の最奥に、紫色の輝きがあふれていた。

「見つけた……!」
「お姉ちゃん、あれが大賢者の魔導書なの……!?」
「間違いないよ、間違いない」

 光は収束し、一人の少女の姿を形作る。

「あら? 君たちがあたしを解放してくれるの?」

 彼女は、クールな口調で告げた。

「この『第八の魔導書(ラハム)』を」



 そして──九つの魔導書と古の賢者たちの物語が、幕を開ける。