この世界におけるドラゴンの生態は、謎に包まれている。
暮らしぶりを隅から隅まで観察、確認しようという命知らずの物好きがいないことはもちろん、大人になれば人間以上の知性を持ち、大抵が人の言葉を解するようになるドラゴンが、そういうところを見せようとしないこともある。
ドラゴンの孵化に立ち会えたこと自体が、言ってみれば超スーパーシークレットレアな出来事だ。
中には、勇者パーティーで討伐したダークドラゴンのように、闇落ちしてしまう個体もいるにはいるけど、基本的にドラゴンは神獣や聖獣に近い存在だ。ドラゴンの子供の信頼を勝ち取ることはすなわち、ドラゴンの加護を得たも同じ、奇跡の中の奇跡と言っても過言ではない。
「というわけで、放っておくわけにもいかなくて、ひとまず連れて帰ってくることになったんだよね」
「く、首にドラゴンが……!」
村に戻った俺たちは、村人の皆さんの目を揃って見開かせ、口をあんぐり開けさせることに成功していた。
「それって重たくないんですか? 苦しくもないんですよね? あったかいんです?」
腰に手を当て、パープルの瞳をぱちくりさせて、ピイちゃんをしげしげと眺めてあれこれと質問してきているのは、村の農業をとりまとめているカティという女の子だ。
アッシュグレーのゆるやかなウェーブがかかった髪をポニーテールにまとめ、動きやすそうなシャツとパンツに身を包んでいる。アクティブな服装は、色々と作業をしやすくするためなのだろうけど、口調がたいへんおっとりしているので、素敵なギャップがある。ちなみに年齢的には俺やリタのふたつ上、二十歳だ。
「なんとこのまま寝てるんだよ、かわいくない? 名前はピイちゃんです」
「わあ、本当にぐっすり寝てるんですね。寝息までかわいいです」
「わかってくれますか! この、ときおり鼻息がふんすってなるところとかもう、たまらんですよね!」
「たまらんですね!」
揃ってにっこりとした笑みを浮かべ、首をかしげる俺とカティに、リタもつられて笑っている。
「いや、かわいいのはわからなくもないんだがね。これは一大事なんじゃないか? とりあえず、ランドを呼んでくるよ」
冷静な村人さんが駆け出し、残った皆でドラゴンをどうするかの相談と、荷車の整理を手分けすることにした。
「こいつは本当にすごいな。ノヴァ、あんた何者なんだい? これだけのものを半日程度で集めて、ドラゴンまで連れて帰ってくるなんて」
これでもかと登場するレア食材、レア素材に、村の皆さんから口々にお褒めの言葉がとんでくる。レア度が低いものにしても、質がいいとか通常のものより大きいとか、何かしらいいものばかりが入っていたようだ。桶屋クエスト、様々だね。
「それでこの子、放っておけなかったっていっても、いったい何がどうしてこうなったんです?」
俺とリタは、森の中での一連の出来事と、その最後に卵を見つけたこと、色々あって卵が孵化したことを簡単に説明した。
さすがに、煮込んで食べようとしたことは黙っておいたし、リタも見事なコンビネーションで辻褄を合わせてくれた。ゴールデンルビーフィッシュも結果的に手元からなくなってしまったので、そのことも黙っておいた。
カティは目をきらきらさせて話を聞いてくれたけど、まわりを囲む村人さんの顔は険しい。
「この子、お話からするとなんでも食べそうですけど、一日に何回くらいお食事するんでしょうね?」
「わかんないけど、食べ続けてなきゃ大変……って感じではなさそうだよ」
「そうなんですね。眠るときは基本的にノヴァに巻き付いてるんですか?」
「え、どうなんだろ。もしそうだったら、うれしい悲鳴というか、どうしよう」
「待て待て、いっしょに暮らす気満々のところ悪いが、親のドラゴンがきたらどうするつもりなんだ?」
食べ物や寝床の話を始めた俺とカティに、村人さんに呼ばれてやってきたランドが割って入った。
今のピイちゃん自身に、危険はほぼないはずだ。ただし、ランドが言うように、親ドラゴンがどうかといえば、それは個体によるとしか言えない。
理性的な個体が多いのは確かなはずだけど、知性も魔力も高いだけに、人を下に見ている個体もいれば、闇ギルドや悪意を持った相手に狙われて、人を嫌ったり憎んでいるものもいる。
迎えにきた親ドラゴンがそういうタイプだった場合、誠心誠意説明するしかないけど、それでも怒りを買ってしまった場合は、村自体が危ういなんてこともあるかもしれない。
何か言いたそうにしたリタに、「いいんだ」とそっと告げて、俺は頭を下げた。
「ランドや皆の心配してることはわかるよ。いきなり連れてきて、無理を言ってごめん。カティも聞いてくれてありがとう。少し休ませてもらったら、行くよ」
この村の迷惑になってはいけないのに、村の中まで連れてきてしまったのは俺のミスだ。
かといって、ピイちゃんをこのまま投げ出せるかといえば、すでに情が湧いてしまっている今、それもノーだ。となれば、俺がピイちゃんを連れて村を離れるしかない。
卵を見つけた場所から離れすぎてもいけないだろうし、しばらくは山暮らしかな。村の皆とも物々交換しながら暮らしていけると助かるけど、完全に野宿でもまあ、なんとかはなるかな。
目安は、ピイちゃんの親が迎えにくるか、この子が独り立ちできるくらい大きくなるまでだけど、もしかしたら、ある程度の年月を考えておいた方がいいかもしれない。
この子が生まれたときの魔力を感じ取れる範囲に親がいたのなら、もう迎えにきていてもおかしくないはずだ。半日近くが経っても来ていないうえに、卵が冷えかけていたことを考えると、親ドラゴンに何かあった線も考えなくちゃいけない。
「うん? 今日はまだどこかに行くのか? 祭りの準備があるにしても、想定外の事態なんだ。とりあえず今日はもういいんじゃないか?」
「いや、だから皆に迷惑をかけないように」
「え?」
「は?」
ランドと俺の頭の上に、それぞれ疑問符が浮かぶ。どうにも会話がかみあっていない。
俺は、ずり落ちかけたピイちゃんをそっと首に巻きなおして、話を整理しにかかった。
「だって、親ドラゴンが迎えにきたときに、どうするのかって」
村に何かあったらどうするのか、という意味でなければ、どういうことなのか。
「こんなにかわいくて、こんなに懐いてるのに、手放せるのか? 離れていても友達だって、割り切れればいいけどな」
「あれ?」
「あれ、じゃないだろ。この子……ピイちゃんだったか? こんなにノヴァにくっついて、そもそもちゃんと野生に戻れるのか? この村でいっしょに暮らす方法もあるんじゃないか。いや、それより、ちょっと触ってみても? ん、どうした? ノヴァ、ちゃんと聞いてるか?」
「いやあ、思ってたのとだいぶ違うなって」
「ランドって、こう見えてかわいい動物とか大好きだもんね」
リタが隣でくすくすと笑う。
俺が一人でぐるぐると考えた、シリアスな葛藤を返してほしい。
険しい顔に見えたランドは、親ドラゴンが迎えにきたときの、俺とピイちゃんとの別れとか、本当に野生に帰れるかどうかを気にしてくれていたらしい。
俺たちを囲むほかの村人さんも、「なんでも食べるって言っても、本当はあげちゃいけないものとか、あったりしないのかな」「うちの納屋なら貸せるぞ!」などと、どうすればより快適に、いっしょに暮らせるかを口々に提案してくれる。
のんびりしているというか、平和というか、ちょっと心配にはなるけど、俺はまた少しこの村が好きになった。
「うおお、なんてやわらかさだ! ふっかふかじゃないか!」
ひとまず村全体で面倒を見ることに決まると、ランドはさっそくピイちゃんを撫でて、感激の雄たけびを上げた。
「静かにしてよ、ランド! ピイちゃんが起きちゃったじゃない!」
「悪かったよ。そうだ、ノヴァの部屋、まだ余裕あるよな? ひとまずこの子の寝床はお前さんの部屋に作っていいか? つっても、藁がいいのか毛布がいいのかわからんが……それらしいやつをいくつか運ばせるからよ」
「うん、ありがとう」
ランドは、リタだけでなくその場の全員からブーイングを受けつつ、そこは村長らしく、ピイちゃんを俺の部屋で寝られるように整えることを約束してくれて、場を収めにかかる。
ピイちゃんの食べ物についても、村の蓄えからなんとかしつつ、足りない分や特殊な何かが必要なら、俺を中心にがんばってみるということで落ち着いた。
そのあとは荷車の整理を一段落させて、目を覚ましたピイちゃんに皆で四苦八苦しながらごはんを食べさせたり、水を飲んでもらったり、寝床の具合を確かめてもらったりと、一喜一憂の大騒ぎだった。
あっという間に日が暮れてしまったけど、新鮮で驚きの連続の一日だった。
これから始まるピイちゃんとの暮らしに、俺も村の皆もわくわくしていたのだけど、その日の夜に、さっそく事件は起こってしまう。
ごうごうと吹きつける風が、普通ではないと最初に気づいたのは誰だっただろうか。
ずんと大きな何かが着地する音に飛び起きた俺たちは、昼間以上に目を見開き、口をあんぐりと開けて立ち尽くすことになった。
村の入口には、鋭い目つきでこちらをにらみつける、二頭のドラゴンの姿があったのだ。
月明かりを受けて真っ白に輝くなめらかな毛と、きらきらと輝く宝石のようなブルーの鱗。色合いといい二本の立派な角といい、ピイちゃんにそっくりだ。
抑えているはずなのに、二頭から感じる魔力はとんでもないもので、間違っても戦ってはいけない部類のお相手のようだ。
「いやあ、もふもふドラゴンとのんびりライフ……短い夢だったなあ。元気でね、ピイちゃん」
俺は半笑いかつ半泣きで、非常識な時間に飛来した親ドラゴン二頭を、ぼんやりと眺めるしかなかった。
「我らの子を、無礼にもさらったのは貴様たちか」
「私たちがシャイニングドラゴン、ツァイスとソフィのつがいだと知ってのことですか。魂すら凍てつかせるブレス、よほど味わいたいようですね」
親ドラゴンさんは、自分たちをシャイニングドラゴンだと名乗った。
完全に誤解されすぎていて、ブレスなんていただくまでもなく、魂が口から出ていきそうだ。
シャイニングドラゴン。それはこの世界で、数々の書物や伝承に語られる、伝説のドラゴンだ。
高い魔力と戦闘力の高さは数あるドラゴンの中でもトップクラス。吐き出すブレスは、どの伝承を見ても、魂すら凍てつかせるとの触れ込みで有名だ。
どうして俺がこの世界のドラゴンに詳しいのかといえば、勇者パーティーでダークドラゴンを討伐したおかげだ。討伐の前に、何かできることはないものかと、ドラゴン全般に関する文献や伝承を読み漁っていた時期があるのだ。
魂を凍てつかせるなんて、誰が大げさに言い出したのかと思って読んでいたものだけど、まさかご本人さんの口上として登場する感じだったとは。
当時、半分本気、半分冗談で「シャイニングドラゴンをどこかから見つけてきて、ダークドラゴンとぶつけたら話が早いんじゃない?」と提案したら、サイラスに本気で怒られたっけ。
「伝説のドラゴン様を最後に拝んで逝けるってのも、まあ悪くないか」
「あらあら、これはどうしようもなさそうですね」
「何言ってんの! こっちは悪いことしてないんだから、ピイちゃんを連れてきてちゃんと話をすればきっと大丈夫だよ! ノヴァ、ピイちゃんは!?」
完全にあきらめモードのランドとカティをひっぱたいて、リタが俺に詰め寄る。
「まだ寝てると思う。すごいよね。ご両親、ど派手なご登場だったのに」
「感心してる場合じゃないでしょ、連れてきて!」
「待て。誰一人として、そこから動くことを許さぬ」
ぴり、と空気の温度が下がる。下手に動けば、弁明の機会も与えられず、終わってしまう。そう認識させられるのに有り余る圧力だ。
親ドラゴン……ツァイスとソフィからすればこの村が、大事な子供をさらった極悪で矮小な人間どもの巣、という認識になっているのは間違いなさそうだ。
矮小な人間どもサイドとしては、まあまあ頑張ってお子様のお世話をしたので、ぜひお話を聞いていただきたいところなんだけど。
というか、俺はだんだん腹が立ってきていた。
運よく、本当に運よく孵化できたからよかったものの、こんなに怒るくらいなら、冷えかけた卵を放置してどこをほっつき歩いていたんだよ。
それで、子供をさらったのはお前たちかと夜中に踏み入ってきて、力に訴えるような言い方をしてくるなんて。
「ピイちゃん……ええと、あなた方のお子さんは確かにこの村にいます。いますけど」
「やはりそうか。貴様ら、許さんぞ」
「けど! っつってんでしょうが!」
びりびりと村中に響く大声……というか怒声で、俺はツァイスの言葉を遮った。
「気持ちはわからないでもないけど、話聞いてよ。俺が見つけたのは大きな卵で、ほとんど冷えかけてたんだよ。それをあの手この手で温めて、どうにか孵化してくれたんだ。あの子、今は寝てるけど、ひどいことをしたりしてないのは、起きてくれば証明できる」
「……嘘ではなかろうな」
「嘘ついてどうすんのさ。むしろ大丈夫? この村は、大事なお子さんの命の恩人ですよってことなんだけど? その相手に、動くなとか許さんとか初手からイキりちらかして、どう謝ってくれるか楽しみだね」
「無礼な」
「だから、今、無礼なのはあんただってば。言葉を返すようだけど、そこ、一歩も動かないでよ。あの子、連れてくるからね」
ツァイスの言葉をそのままお返しして、俺はふんと鼻息を荒くする。
真っ青になっているランドやカティの横をすり抜けて、ピイちゃんといっしょに寝ていた部屋へずんずんと歩いていく。
部屋に戻ると、これだけの振動やら怒声やらが飛びかった後というのに、ピイちゃんはまだぐっすり眠っていた。
「はあ……完全に言い過ぎた。この子を見てたら反省してきた。事情も知らずにイキりちらかしたのは、俺も同じだよ。っていうか、なんなら食べようとしてたんだよね。本当にごめん」
そっとピイちゃんの頭を指でくすぐる。角の間をこしょこしょすると、気持ちよさそうに身体をくねらせて、小さく鳴いて目を覚ましてくれた。
「起こしちゃってごめんね。きみのお父さんとお母さんが来てるんだよ。ちょっと誤解されちゃってるみたいでさ、事情を説明してくれないかな?」
俺の言葉を聞いたピイちゃんは、ふわりと浮き上がって俺に身体をこすりつけると、窓からそっと外を眺めて、大きな声で「ピイ!」と鳴いた。
「わ、ちょっと、引っ張らなくてもいっしょに行くよ」
寝ぼけてゆっくりした様子だったピイちゃんは、外の様子を確認して事態を把握したらしく、俺の服のすそをぐいぐいと引っ張って、早く行くよう催促してきた。どうやら窓の外にいるのは、本当に親ドラゴンのようだ。
ピイちゃんに引っ張られて外に戻ると、「おお!」とツァイスとソフィがそろって感嘆の声をあげる。
「無事であったか……すまないことをした」
「見守ってあげられなくてごめんなさいね。無事に生まれてくれて本当に嬉しいわ」
二頭の間を、ピイちゃんが大喜びで飛び回る。
「ピイちゃん、説明してさしあげて」
「ピイ! ピイイ!」
「むう……まさかそのような」
「なんてことなの……本当に」
ピイちゃんの言葉は俺にはわからないけど、二頭のリアクションからすると、どうなんだろう。
このニンゲン、最初は食べようとしてたけど、食べ物とか色々くれたんだよとか、説明してさしあげちゃっているんだろうか。
怒られたら、ジャパニーズ土下座一択だね。駄目でも、村の皆だけは許してもらえるようにお願いしてみよう。
「皆さん、申し訳ない。大変に失礼なことをした」
「ごめんなさい。この子をさらわれて、気が立ってしまって……卵を温めてくれたばかりか、食べ物や寝る場所まで与えてくれた、本当に命の恩人だったのですね」
へなへなと、肩の力が抜ける。どうやら、ピイちゃんは素敵な説明だけしてくれたみたいだ。
「俺も言い過ぎました、ごめんなさい。でも、どうしてあんなところに卵があったの?」
非礼を詫びてから、気になったことを聞いてみる。
動くな、との呪縛から解放されたリタやランド、カティも前に出てきて、俺と並んで二頭を見上げた。他の皆さんは、さすがに前に出てくる勇気が出ないのか、遠巻きに眺めている。
「実は、卵を盗まれてしまってな……一生の不覚よ」
「でもこの子に会えて、本当の無礼者が何者なのかわかったわ」
「え、どうやって?」
「この子に、邪な魔力がうっすらとこびりついているの。かわいそうに……本当にごめんなさいね」
小さく息を吸ったソフィが、純白のブレスをそっとピイちゃんに吹きかける。邪な魔力とやらは俺には感知できないけど、ピイちゃんが喜んでいるところを見ると、吹きはらってくれたのだろう。
「よかったね、ピイちゃん。想像してたより短い間だったけど……すごく楽しかったし、いっしょにいられて嬉しかったよ」
「元気でね」
なんとか笑顔を作った俺に続いて、リタも短く言葉を投げた。
ちらりと見ると、リタの目には涙がたまっている。かくいう俺も、ほとんど泣き顔に近い。おかしいな、泣くつもりなんてなかったのに。
「ピイ!」
ピイちゃんはちらりとツァイスとソフィを振り返ってから、まっすぐ俺とリタのところに下りてきてくれた。するすると飛び回って身体をこすりつけると、くるりと俺の首に巻きついて、満足げな顔を浮かべる。
「まあ、この子がここまでなついているなんて……あなた、どうかしら? もう少しの間、この方たちに預けてみては」
「むう、しかし」
「これから、無礼者のところにお仕置きにいかないといけないでしょう? 危ない場所にこの子を連れていくわけにもいかないし、一人で待たせるのも、ね? それに、あの子が一番なついているあの方からは、不思議な力も感じるわ」
「そうだな。わが子を救ってくれた人間よ……もう少しの間だけ、その子を頼めないだろうか?」
「いや、むしろいいの? 何かあったらそりゃあ全力で守るつもりだけど、俺はその、不思議な力はあるかもしれないけど、そんなに強くはないっていうか」
頼ってもらえた嬉しさはともかく、事実は伝えておくことにする。
まだもう少しの間、この子といっしょに過ごせるならそれは嬉しい。嬉しいけど、何かあったときに、必ず守れるとは胸を張って言い切れないのも、残念ながら事実だ。
「例えばどっちかだけでも残るとか……二人そろって行かないと、危ないような相手なの?」
「……聞かぬ方がよいこともある」
ツァイスが、たっぷりと間をおいて答えてくれる。よし、これ以上の深掘りはやめておこう。本当にいいことなさそう。
「それじゃあ、食べ物とか寝る場所の準備と、遊び相手くらいしかできないかもしれないけど、ぜひ引き受けさせてください」
「ありがとう、助かります」
ソフィが深々と頭を下げるので、俺たちもつられて頭を下げる。
ピイちゃんは大喜びで、両親と俺たちの間を飛び回っては、嬉しそうに鳴いてくれる。
「あなた、念のためあれを」
「そうだな。わが子を守るため、そしてわが子を預けるそなたらを守るため、簡単な結界を張っておきたいのだが、よいか?」
「ランド、どうする?」
「お、おう……いいぞ」
こくりとうなずくと、ツァイスとソフィが夜空へと飛び立つ。
村の上空で、踊るように優雅に旋回する姿は、この世のものとは思えない美しさだ。
二頭の描く軌跡が、見たことのない魔法陣を形成していく。俺たちが使う魔法とは、別の体系にのっとっているのだろう。
柔らかな青い光で形作られた立体的な魔法陣は、村の端にある畑まですっぽりと覆う大きさの球体に成長し、何度か明滅すると、すうと見えなくなった。
「すまぬな、竜種のブレスを受け続ければ百年ほどしか持たぬ簡単な結界だが、これでひとまずの守りとさせてくれぬか」
「いやいや、竜種のブレスに百年ほどて。どんな世界の終わりを想定してんですか、十分すぎるでしょ! 今夜からここが、世界一のセーフティゾーンだわ! っていうか、百年戻ってこないつもり!? ピイちゃんはとっくに大人だろうし、ここに揃ってる顔はほぼ全員いなくなってますけど!?」
「むう、無礼者の居場所はわかっているゆえ、いく月もかからず戻れると思うが」
きょとんとする二頭に、俺はリタと顔を見合わせて大きなため息をついた。過保護ドラゴン、ここに極まれりだ。
ともかく、村の中にいる限り、どう考えてもピイちゃんは安心安全になった。
村の外に出るときだけ、気をつけておけばなんとかなるだろう。
「はあ……とりあえず、お気遣いありがとう。なるべく早く帰ってきて、この子を安心させてあげてね」
うむ、と力強くうなずくと、ツァイスとソフィが再び翼を広げた。
「ではゆくか、卵を奪われた怒りと恥辱、魂の奥底まで後悔させてくれる! ガアアアアアア!」
「ええ、あなた。とどめは私に譲ってくださいな! ギャオオオオオオ!」
最後の最後で本能をむき出しにして、二頭のドラゴンが空の向こうに飛び去っていく。
あの二頭の恨みを買ったのがどこのどちら様かは知らないけど、宣言どおり、魂の奥底まで後悔することになるのは間違いなさそうだ。
「はは、すごかった。びっくりしたけど、なんとか誤解がとけてよかったね。ものすごい結界も張ってもらっちゃったし」
「結果的になんとかなってよかったが、お前さん、意外と沸点低いんじゃないのか? 荒ぶる伝説のドラゴンに、イキりちらかしてだのと言い返したときは、さすがに肝が冷えたぞ」
ランドが完全に引いた顔で俺を見てくれば、「人は見かけによらないですね」とカティもじわりと半歩下がってみせた。
「わたしはちょっと爽快だったかな。だって、ひどい言われようだったし」
「おお、リタさんや。わかってくれるかい」
「もちろん、例によってスキルのクエストが出てたんでしょ? 親ドラゴンにキレちらかすと、村が守られてピイちゃんともいっしょにいられる、みたいな」
目をきらきらさせるリタには申し訳ないけど、今回は完全に俺の独断で、スキルは発動していない。
「ごめんね、スキルは発動してなかったよ。喧嘩になってたらどうしてたんだろう、考えてなかった」
「え……こわ」
味方かと思われたリタが、あっという間に手のひらを返して、ものすごい勢いで後ずさりした。
「だから、そんなに万能じゃないんだってば。っていうか引くの早すぎるでしょ! どっちかっていうとリタはこっち側じゃない?」
「それ、どういう意味?」
興奮で目が冴えてしまった俺たちは、しばらくの間ぎゃあぎゃあとやりあってから、誰ともなしにそれぞれの部屋に戻って、眠りについた。
夜中に二頭のドラゴンが飛来して、大騒ぎになった翌日。
完全に寝不足だったので、少しゆっくり眠ろうと思っていたのに……俺の安眠はいとも簡単に、もっとも身近なところから崩された。
「ピイイイイ!」
「ぎゃあああ! おはよう! 耳のすぐそばで! 元気なおはようありがとうね!」
昨日あれだけはしゃいでいたのに、その前にぐっすり眠っていたおかげなのか、そうそうに起きだしたピイちゃんが、俺をあの手この手で起こしてくれたのだ。
毛布ごしに身体をこすりつけ、お腹にダイブし、顔をなめ、鼻を甘噛みし、最終手段は至近距離でのおはようのあいさつだった。
飛び起きた俺を見て、得意げに満足げに、くるくると飛び回るピイちゃんはすごくかわいい。でもこれは大変だ。毎朝のように今のおはようをもらっていたら、あっという間に難聴になってしまいそうだ。
「完全に目が覚めちゃった……着替えて顔洗おうかな」
今日はいったん村の外には出ずに、ピイちゃんが一日にどれくらい食べて、飲んで、どう過ごすのかを把握するための日にすると決めていた。
昨日の食べっぷりを見るに、かなりの食料が必要になりそうな予感がする。食べるものが豊富なラルオ村ではあるけど、場合によっては、明日からの食料調達のペースを上げないといけないかもしれない。いっしょに森で過ごすのも楽しそうだけどね。
それから、食べられないものがないかどうかも、これはピイちゃん自身の感覚に頼るしかないのがちょっと怖いけど、見極めておく必要がある。村の外に出なくても、意外とやることは多そうだ。
いつものように一階に降りていくと、テーブルに肘をついて、リタがうとうとしていた。厨房の中では、何人かの村人さんが朝食の用意をしているところだった。
「おはよう、大丈夫?」
「ああノヴァ、おはよ。ありがとう、大丈夫。起きてはみたもののどうしても眠くて、朝の準備はかわってもらっちゃった」
「昨日はすごかったし、大変だったもんね」
ぐだぐだと挨拶をかわして、準備してもらった朝ごはんを、二人でのそのそと盛り付けて席に戻る。もしゃもしゃとサラダを口に運びつつ、ピイちゃんに村を案内するルートを考えてみた。
「とりあえず一周して、近くの畑もまわって、ここからここまでが村なんだよって、教えてあげようと思うんだよね」
「うん、ちゃんと紹介できてない人もいるし、顔見せも兼ねてそれでいいんじゃないかな。ところで、ピイちゃんは? まだ寝てるの?」
え、と思わず口から漏れて、あたりを見回す。
いない。いっしょに降りてきたはずなのに。
「おっと、お前さんは昨日の子じゃないか。ノヴァかリタはいっしょじゃないのか?」
外から聞こえた声に、俺とリタは二人で勢いよく立ち上がる。
農作業の準備をしていた村人さんの納屋に、ピイちゃんが入ってしまったらしい。中を覗けば、なんともわくわくした表情でぱたぱたと羽を動かしている。
「こっちおいで。俺から離れないようにしようね」
伝わったのか伝わっていないのか、ピイちゃんは首をかしげてきょとんとすると、ふわふわの白い毛を俺にすりつけて、小さく鳴いた。
「この子、まだ知らないことの方が多くて。ごめん、少しずつ教えていくから」
「いやいや、こっちもびっくりして大声出しちまって、悪かったよ」
村人さんに謝ってその場は事なきをえたものの、この後もピイちゃんは、村のあちらこちらで旺盛な好奇心をこれでもかと発揮した。
そばにいてねと伝えても、気がつけばふらりといなくなっているし、何も怖がることなく色々な場所に飛び込んでいくし、作業中の村人さんにちょっかいを出してみたり、食べられるものがあれば食べてしまったりした。
そのたびに俺とリタは追いかけて、あちらで謝り、こちらで謝り、これは勝手に食べちゃいけないんだよなどと諭していく。
「なんだかすごい結界まで、村中に張ってもらったんだろ? そんならこの子は、村の守り神みたいなもんだ。元気で自由にしてくれていいさ」
昨日の夜のことがあるので、ほとんどの村人さんは、ピイちゃんが伝説のシャイニングドラゴンの子供であることを認識している。当然ながら、ツァイスとソフィが、結界を張っていったこともだ。
でも、それに甘えるわけにはいかない。仮とはいえ、いったんその身を預かっている立場の俺が、きちんとしなくては。
「……つ、疲れた」
「まだお昼前とか、うそでしょ? 体力ありあまりすぎじゃない?」
結局、朝ごはんのあとから午前中いっぱいを、追いかけっことごめんなさい行脚に費やした俺たちは、木陰にごろりと転がっていた。
ピイちゃんは今も畑の上を飛び回っては、くるくると旋回してみたり、色々なところの匂いを嗅いでみたりと忙しそうだ。
「午後はもう少し、村はずれの方に行ってみようか。そっちの方なら、そんなに入っちゃいけない場所とかはないと思うし、作業してる人も少ないから」
「賛成……このペースのまま、丸一日はちょっときついかも。今はまだ、目新しいものが多いからこれだけはしゃいでるんだって信じたい」
異世界特有のもふもふと、のんびり過ごして、たまに冒険したりしてきゃっきゃするスローライフは、俺の理想のひとつだ。でも、その裏にこんな体力勝負が待っているとは思わなかった。
そうだよね、実際に生き物と暮らそうと思ったら、言葉が通じないことの方が多いし、大変なことの方が多いよね。
知性のあるドラゴンって言ったって、最初は何もわからないところからのスタートなんだから。むしろ、生まれたそばから父親のツァイスみたいに「我は腹が減ったぞ」とか艶のある声色でしゃべりだしたら、その方が複雑な気持ちになりそうだしね。
「これも醍醐味ってことか……!」
「うん? ノヴァ、いきなり叫んでどうしたの?」
「いやいや、今日も少しずつ、理想に近づいてるんだなって思ってさ」
そうなの? と聞き返してくるリタの視線は生ぬるかったけど、俺はすでに切り替えている。
「よーし、休憩終わり! 次いってみますか!」
ぐいと身体を起こして立ち上がると、まだくるくると飛び回っているピイちゃんに手を振った。
お昼の休憩と軽食を終えた俺たちは、予定どおり、村の中心部から外れた畑の方へやってきた。このあたりになると魔獣除けの柵にも隙間が多くなるけど、昨日のシャイニングドラゴンの百年結界のおかげで、もはや柵はいらなくなっていた。
俺たちを見つけて侵入を試みた毒猪が、見えない壁にはじかれてくったりと気絶するところを、この目でしっかり見たからね。どうやらこの結界、魔獣や魔物だと識別した相手からのなにかしらを、同じ力で跳ね返す効果があるらしい。
俺やリタ、ピイちゃんが通り抜けても、当然ながら何の反応もなかったし、小石や小枝を投げてみても、跳ね返されたりはしなかった。
「どうやって判別してるんだろう」
「村の皆とかピイちゃんに、悪意があるかどうか、とか?」
「ううん。それじゃあ例えば、午前中みたいにピイちゃんが自由奔放に動き回って、村人さんの誰かがちょっと怒ったりしたら、その人はどうなるのかな?」
「え! それはさすがに大丈夫なんじゃない? 大丈夫だって、信じたい……」
少し怖い想像をしつつ、結界があまりに強力だったことで、俺たちは油断してしまったのだ。
ふらりと村の外に出たピイちゃんめがけて、待ち構えていた毒猪が突進してきた。
俺とリタの二人で連携して、なんとかピイちゃんから引き離して、これを撃退したところまではよかった。
よかったのだけど、例によってその場からは、ピイちゃんの姿が消えていた。
もう少し気を配っていればよかった。結界との境目になるような、村はずれはやめておけばよかった。そもそも、生まれたてのドラゴンを預かったことが間違いだったのでは。
ぐるぐると回る思考をどうにか落ち着かせて、とりあえず無事を確認しなければ、と二人で村の外を駆け回って、名前を呼んで探し回った。
もしかして、生まれた森に戻っていたりするのでは、と明後日の方角に顔を向けたそのとき、結界の中、村はずれの畑の脇にある小屋の扉が、少しだけ開いているのが目に入った。
「リタ、あそこって開いてたっけ? 何が入ってるの?」
「あそこは農具とか、収穫した野菜を一時的に保管して……まさか!」
リタのまさかは、豪快に的中した。
絶句する俺たちの目の前に現れたのは、小屋の中に保管されていたであろう野菜を残らず食べつくし、お腹いっぱいでうとうとし始めているピイちゃんの姿だった。
「ここって、どれくらいの量が保管されてたのかな?」
「残念ながら、小屋いっぱいに入ってたんじゃないかな」
「まずいよね?」
「そう……ね」
あはははは、はあ。
二人分の乾いた笑い声に反応して、ピイちゃんが目を覚ます。
大喜びでこちらにくるかと思いきや、何やら様子がおかしい。しきりにあたりを見回しては、目をぱちぱちさせている。
声をかけて近寄ろうとしたら、大きく一声鳴いたかと思うと、俺とリタの間をすり抜けて、猛スピードで外に飛び出していってしまった。
「なになに、どうしたの?」
「また村の外に出ちゃったら大変だ、追いかけよう!」
急いで外に出た俺たちは、改めてぼうぜんとすることになった。
一応、言葉を選ぶのであれば、畑がピイちゃんの落とし物で溢れていたのだ。
上下からのそそうを振り撒きながら飛び回るという、トリッキーかつ大変な曲芸をやってのけたピイちゃんは、なにやらすっきりした顔でこちらに戻ってくると、俺の脇に頭をすりつけて甘えてきた。
お腹いっぱいになったし、気持ち悪いのも治ったよと報告してくれているらしい。
「ここの畑ってどちら様のなんだっけ? 謝って許してもらえるといいんだけど……っていうか、ピイちゃん? なんか大きくなってない?」
「え、本当だ! ふたまわりくらい大きくなってる!」
今朝まで長めのマフラーサイズだったのに、今は、尻尾まで含めると俺と同じくらいのサイズになっている。
ドラゴンって、一日でこんなに成長するの!?
この調子だと、数日でとんでもないことになっちゃうんじゃない?
あれこれと立て続けに驚きすぎて、頭から湯気が出そうな俺たちをよそに、ひとしきり甘えたピイちゃんは、俺の首にくるりと巻きついた。もはや首だけでは収まらないので、上半身まで覆い被さっている感じだ。
「意外と重くないし、めっちゃもふもふ! かわいいね!」
「いいなあ! じゃなくて、気持ちはわかるけど、現実逃避はそれくらいにしよっか。とりあえず事情を説明して謝らないと。村の畑は誰のっていうわけじゃないんだけど、基本的に全部カティが取りまとめてるから」
「そっか。この時間だとどこにいるかな?」
「どうかな。とりあえず戻って、誰かに聞いてみるしかないかも」
二人で小さくため息をつく。俺に巻きついたピイちゃんは、さっそく寝息を立て始めている。食べ物をどうするか、真剣に考えないとな。
村の食糧を食べ尽くしちゃいました、なんてことになったら、さすがに皆も怒るだろう。というか、すでに小屋ひとつ分を食べちゃってるし。
「あらあら、これは大変ですね」
とほとぼと歩き出した俺たちはすぐに、聞き慣れた声に立ち止まった。ちょうど巡回してきたらしいカティと、数人の村人さんが、空っぽになった小屋の中を眺めて目を丸くしていたからだ。
「カティ、ごめん。これ、俺の責任なんだ」
「ノヴァの? ああ、なるほど。なんとなくわかりました」
俺に巻きつくピイちゃんを見て察したらしいカティが、うんうんとうなずく。
「ということは、向こうとその向こうの小屋も、ノヴァたちが?」
「え!?」
「向こうと、その向こう……も?」
驚いた様子の俺とリタに、「あら、違いました?」とカティが首をかしげる。
「ここと同じように小屋が空っぽになっていたので、てっきり同じかと」
「ご、ごめんなさい!」
まさか、そんな短時間に、何箇所も!?
俺とリタは揃って頭を下げる。いくら食べ物が豊富とはいっても、いくつもの小屋と畑をあっという間に食べ尽くしてしまうのはやりすぎだ。
「足りなくなった分は、必ず補填するようにする」
「ピイちゃんにもちゃんと教えていくから。本当にごめんなさい!」
いくら伝説のドラゴンの子供とはいえ、追い出されても仕方ないかもしれない。俺にできることは、真剣に謝って挽回のチャンスをもらうことだけだ。
チャンスをもらったとしても、この量を補填するには一日二日で終わるとは思えない。それに、ピイちゃんが一食につき小屋三軒分の食料を必要とするなら、どちらにしても相談が必要だ。身体が大きくなっているし、さらにここから食べる量が増えるかもしれない。
頭を下げたまま、しばらくカティたちの返事を待ってみたけど、一言もリアクションがない。あまりの呆れっぷりに、言葉もないということだろうか。
「お願いがあります、顔をあげてください」
顔をあげて様子をうかがうか、まだもう少し待つか、迷い始めた頃に、カティがぽつりとつぶやいた。
「俺にできることなら、なんでもする」
わたしも、とリタもぎゅっと手に力を込める。
「その前に念のため確認です。これは本当にノヴァが……というか、ピイさんがやったんですね?」
ピイさん……ものすごい違和感だけど、今はそこに突っ込みを入れるのは悪手すぎる。俺は、歪みかけた口元を叱りつけて、むっつりとした顔でうなずく。
「ちなみに、ピイさんは眠っているだけですか? 昨日とはちょっと、様子が違っているようですけど」
「ああ、なんだろ。成長期なのかな……でもうん、眠ってるだけだよ。食料の補填だけじゃなくて、もちろん畑も元通りにするよ。だから」
「元通りに? それは困ります!」
え、と思わず声が漏れた。畑を元通りにされると困るって、どういうことだろう。元通りじゃ、補填にならないほどひどいってこと?
「わかった。それじゃあ、どうすればいい?」
おそるおそる聞いてみる。お願いがあると言ってくれたからには、挽回のチャンスはゼロではないと思いたい。
「他の場所も、いくつかここと同じようにできませんか?」
「うん? どういう意味で、ここと同じに?」
言葉の意味が理解できず、聞き返してしまう。リタも首を傾げて、やりとりを見守っている。
「ああ、そうですよね。ちゃんとご説明しないと、いきなりすぎましたよね」
カティは他の村人さんと顔を見合わせ、何かを示し合わせてから、俺とリタに向き直った。
「畑の土を確認してみても?」
「もちろん」
カティがうなずくと、村人さんたちが畑にずんずんと進んでいき、土を手ですくって質感を確かめたり、匂いを嗅いでみたり、日に透かして眺めたり、何やら魔法を唱えたりしてみている。
ドラゴンの生態はあまり知られていない。
つまりは、ドラゴンのそそうが土にどのような影響を及ぼすものなのか、知っている者もいないということだ。
たかがそそう、されどそそう。ソソウ・オブ・ザ・伝説のドラゴンともなれば、伝説級の警戒が必要ってことなのかな。そこまで頭が回らず、思考停止していた自分が恥ずかしくなる。
「あの、どうかな? リタが先に見てくれて、畑にも小屋にも、毒とかはないはずなんだけど」
やはりそうか、間違いない。そう言って、ごにょごにょと相談して戻ってきた村人さんたちは、カティに何かを耳打ちして一歩下がった。
そのかわりに、カティが気まずそうに前に出て、こほんと小さく咳払いをした。
「実はですね、ピイさんが空っぽにしてくださった小屋に保管してあった作物は、どれも毒がついてしまって、食べられないものばかりだったのです」
「え!? わたし、そんなの聞いてなかったよ!?」
驚いたのはリタだ。村のはずれとはいえ、村でとれた作物が大量に汚染されていたとなれば、本来であれば、被害状況を把握するためにも、まずは毒見のスキルを持つリタに相談があって然るべきだろう。
「そうですよね、ごめんなさい。私も、報告を受けたのが今朝のことで。リタを探していたんです。あ、厨房だとかに運んだ分は大丈夫ですよ。毒があったのは今のところ、こちら側のいくつかの畑だけですから」
「そうだったんだ……」
「畑がいくつも毒にって、そういうの、結構あるものなの?」
「うん。例の猪のせいでたまにね」
なるほど。毒猪は数が多いうえに、討伐もしにくくて、最低限の駆除で切り抜けてきたという話だった。こういう形で、畑に被害が出ることもあるのか。
猪そのものは人を襲ったりもしているから、雑食なんだろうけど。毒のある牙を掲げて突っ込んでくるから、どうしても色んなところが汚染されてしまうんだね。なんて迷惑な。
「あれ、でも待って。それじゃあ、それを食べちゃったピイちゃんは大丈夫なの!?」
確かにそうだ。俺は今更ながら背筋が冷たくなる気持ちで、ピイちゃんの様子をうかがった。巻きついた身体は暖かく、かといって熱すぎるようなこともなく、寝息も穏やかだ。
そっと頭を撫でてみる。なめらかでふわふわな真っ白の毛に指先が沈み、ピイちゃんが気持ちよさそうに身をよじって、薄目を開けた。
ピイちゃんはきょろきょろとしてからすぐに、おおあくびをひとつして、またすやすやと眠ってしまった。
「なんか、大丈夫そうだね?」
「あれだけの毒を大量に食べてなんともないなんて、すごいな……!」
「シャイニングドラゴンは熱にも冷気にも毒にも強い……まさしく伝説のとおりですが、これほどとは」
無事を確かめたことで、カティも村人さんたちも、感嘆の声をあげている。
「毒がついたまま土に埋めてしまうわけにもいきませんし、燃やして煙に毒が含まれていたらそれも困ります。かといって洗浄しようにも量が量で、とりあえず無事なものと分けて保管しておいたんです。本当に助かりました」
こちらが謝るはずだったのに、いまは反対に頭を下げられてしまっている。食べられもせず、処理にも困っていた毒物を、ピイちゃんがまとめてなんとかしてくれたってことだよね。桶屋クエストにも出ていないし、本当に予想外の展開だった。
「しかも、この土ですよ!」
ピイちゃんの落とし物が混じってしまったであろう、ほくほくの土をぐっと握りしめて、村人さんがさらにヒートアップする。もはや何も言うまい。ここは聞きに徹するのだ。
「リタの毒見でも出てこなかったとおり、ここの土に毒はないんだ! 昨日までは、触るだけで肌が焼けそうだったし、つんとした匂いもして大変だったのに!」
「ただ毒が消えただけじゃないぞ。こんなに上質な土は、そうお目にかかれないさ」
伝説のドラゴン、とんでもなかった。
上からもそそうしていたから、あまり食べすぎるのは心配ではあるけど、毒にかなりの耐性がある上に、落とし物に浄化作用まであるなんて。なんなら、俺より全然役に立っているじゃないか!
「そんなにすごいんだ……?」
誇らしいやらちょっと情けないやらで、へらりと笑うしかない俺の表情をどう読み取ったのか、カティが前のめりになる。
「本当にすごいんですよ! そこでお願いに戻るんですけど、ピイさんに負担がかかることでなければ、他の畑も同じようにお願いできませんか?」
「ああ、なるほど」
ようやく繋がった。同じようにしてほしいとは、小屋の中身と畑の浄化をさしていたわけだ。
元通りにしますから、なんて俺が言っても、響くわけがない。元通りとはつまり、毒のある状態に戻してしまうことになるからだ。
「ううん。この子の様子次第で決める感じでいいかな? 大丈夫だとは思うんだけど、畑の方の半分はこの子が吐いちゃったものだから」
「え、吐いちゃってたんですか。えと、もう半分は?」
「あれ、言ってませんでしたっけ? その、落とし物というか、ね?」
カティをはじめ、土を握りしめていた村人さんたちが、ぴしりと固まる。見た目も土と混ざってふかふかだし、それらしい匂いもしないので、気づかなくても仕方ない。
「これは、この子の……排泄物だと?」
あ、はい。なんかすみません。
なぜだか、やたらとよく響いてしまった俺の声だけが、固まった空間の隙間を縫って、するりと空気に溶けていった。
カティたちが大興奮で握りしめていた魔法の肥料は、ピイちゃんの排泄物だった。
空気がある程度の固まりを見せはしたものの、動物の排泄物を肥料として使う文化はこのあたりにもあったようで、そうなった流れをきちんと説明したら、一定の理解はしてくれた。
ただ、普通は排泄物をそのまま、即座に肥料として使ったりはできない。
加工処理というか、発酵処理というか、そういう工程が必要なはずで、そのあたりはカティも村人さんも首をひねるばかりだった。
ピイちゃんはすやすやと寝息を立てている。大量に食べて、大量に吐いて、大量に排泄して、ついでに一日でふたまわりも大きくなるのがドラゴンの正常な状態なのか、判断できる者がそもそもいないのは問題かもしれない。
無理に食べさせたりはせず、ピイちゃんのペースにある程度任せようということで、その場の議論は落ち着いたのだった。
「おかげで、結構な広さの畑がまた使えるようになりましたし、お礼も兼ねて食事でもいかがですか? 食堂より少しだけ、騒がしくなるかもしれませんけど」
カティたちは、それぞれの畑の状態の共有や作物の品質確認を兼ねて、定期的に集まって食事をしているらしい。
というのは建前で、ほとんど宴に近いものらしいけどね。大変な仕事だからこそ、楽しみを忘れないようにしましょうというのが、カティたちの方針なのだそうだ。
「すごいね! これ、食堂の方でもたまにやってほしいかも。農業班だけでやってるの、ずるい!」
「最初はもう少しこじんまりとやっていたんですけど、いつのまにかこうなってました」
カティたちについていってみると、そこではすでに準備が始まっていて、二十人程度の皆さんがわいわいと笑いながら、料理をしているところだった。
「あっちではお芋とお野菜を中心とした煮込みを、そっちの窯では穀物の粉を使ってパンを焼いています」
「パンに塗ってる黒っぽいの、もうちょっと近くで見てもいい?」
何やら懐かしい匂いに、俺はふらふらと調理場へ近づいていく。
「果実をたっぷり使って煮込んだソースで、味付けをするんですよ」
この匂い、色、そしてとろみ……これは、転移前の世界でお世話になった、あのソースに限りなく近いものなのでは?
穀物の粉、大量の野菜、肉と卵、そしてソースが揃っているとなれば、あれを試すしかないじゃないか!
「ちょっとそこの鉄板、お借りしても?」
「どうぞどうぞ」
「そっか、ノヴァも料理できる人だもんね。何を作るの?」
「お好み焼き!」
「オコノ・ミヤキ……どんな料理?」
これだけのものが揃っているのだし、現に焼き上がったパンにソースを塗ったりもしているので、近しいものはもうあるかもしれない。
それでも俺は、俺の食欲と望郷の念を満たすために、やらねばならない。使命感に駆られて鉄板の前にどんと立った。
ちなみにピイちゃんは、起こさないようにそっとおろして、近くの納屋のわらの上でおやすみいただいている。ドラゴンを身体に巻きつけたままじゃ、さすがに調理はできないからね。
「うーん、山芋にかわる感じのがあるとなおいいんだけど……なんかこう、粘り気のある芋とかあったりしない?」
「粘り気ですか? あるにはありますけど、あちらの煮込みの方で使っています。焼いてだと、あまり好んで食べる人はいないかもしれません」
「おお! あるならぜひ、試しに使わせて!」
カティにはやんわりと難色を示されてしまったけど、上手くいけばふわふわのお好み焼きができるかもしれない。
失敗したらそれはそれ。栄養をまとめてとるために、勇者パーティーの野営ではこういう風にするのが伝統だったとかなんとか、それらしいことを言ってごまかしてしまおう。
水と粉、山芋がわりの芋、卵、キャベツがわりのしゃきしゃき葉物を投入して混ぜ合わせていく。粉をふるえるとなお良かったけど、とりあえずよしとしよう。
すでに準備万端に熱せられている鉄板に、村でよく使っているというあっさりした植物油をのばしてから、生地を流し入れてまあるく形を整える。
「お芋は直接焼くのではなくて、水と粉と卵で生地にしたんですね。ありそうでなかった感じ……面白いです」
カティとリタが興味津々で覗き込み、それにつられて村人さんたちも集まってくる。なんだか、ちょっとした実演販売のようになってきてしまった。
「さて、そろそろだね」
両手に金属製のへらを構えて、集中する。
いい感じのへらが揃っていたのは嬉しいね。というかこのラルオ村、豊富な食材のおかげなのか、やたらと調理器具とか調味料が揃っている気がする。食への探求心が貪欲というか、どことなく懐かしい気持ちになるというか。
薄切りにした肉を生地にのっけてから、片面がいい感じに焼けてきたお好み焼きをくるりとひっくり返した。
おお、と村人の皆さんがうれしいリアクションを投げてくれる。昔から、こういうの得意だったんだよね。
芋や葉物の量はお好みでとか、実演販売っぽくしゃべりつつ、程よく火が通ってきたところで、もう一度ひっくり返す。肉にもしっかり火が通っていい感じだ。
「ここで先ほどのソースを取り出し、たっぷりと塗っていきます!」
完全に調子に乗った俺は、口調もそれらしくなってきて、自分が持ってきたものでもないのに、見せびらかすようにソースを皆さんに見えるように掲げてから、大げさな動きで塗りたくっていく。
これこれ、ソースの香ばしい匂い! 個人的には同じ量のマヨネーズも塗りつけたいところだけど、異世界マヨネーズは今の俺にはハードルが高い。
「これで完成! お試しだからとりあえず一枚だけだけど、食べてみて。熱いから気を付けてね」
「わたし、食べてみたい!」
「それじゃあ私もいただきますね」
へらで切り分けた一切れずつを、カティとリタが口に運ぶ。
俺と他の村人さんが固唾をのんで見守る中、二人の目がみるみるうちにきらきらと輝いていく。
「おいしい!」
「いいですね、これ!」
よかった、お好み焼きの正義が伝わった!
「これが合うなら、上にあれをまぶしてみてもいいかも? ちょっと待ってて!」
「お肉がいけるなら、川でとれる小エビでも美味しいかもしれませんね!」
リタが青のりのようなものを持ってきてふりかけ、カティがあっという間に海鮮焼きを考案し、食卓はお好み焼きの改良で大いに盛り上がることになった。
そもそもが、生地を混ぜて焼いてひっくり返して、のお手軽料理なので、村人の皆さんもすぐに焼き方を覚えて、あれはどうだこれはどうかと次々と創作お好み焼きが爆誕していく。
仕込み中だった煮込みもすごくおいしかったし、地産地消の真髄を見せてもらった。
「いやあ美味しかった、おなかいっぱい」
「ノヴァ、リタも、今日はありがとうございました。また今度、違う料理も教えてくださいね」
食べた分は、自分たちですぐに片づける。
朝でも夜でも食堂でなくても、それは同じだ。腹ごなしに洗い場で手を動かしながら、俺たちは並んでしゃべっていた。他の村人さんたちも、それぞれ片付けに取り掛かっている。
「こちらこそ。同じお好み焼きでも、人それぞれで発想も焼き加減も違って、面白かったよ!」
「今日のお好み焼きは、皆で作ってわいわい食べられますし、お祭りに取り入れてもいいかもしれませんね」
「そうだね! ってそうだった、ピイちゃんのことがあったから、結局お祭り用の食材集め、あんまり進められてないよね」
「ちらっとは聞いたけど、どんなお祭りなの?」
伝統的なお祭りみたいだけど、お好み焼きを取り入れる話をしているくらいだから、きちんとしたところと、緩いところのバランスを上手に分けていそうな気がする。
「山と森の神様に、一年間の恵みを感謝して、来年もよろしくお願いしますって気持ちを伝えるお祭りなんだよ。かがり火を焚いて、古くから伝わる舞をその年ごとに選ばれた踊り子が踊って、お供え物をするんだ」
「そのあとは、普段より少しだけいいものを食べたり、歌ったり踊ったりして一晩過ごすんですよ。というかリタ、今年の踊り子でしたよね。お稽古の時間、取れていますか?」
「うわ……全然できてない。そろそろきちんとやらないとだね」
お祭りのことを話す二人は、すごく楽しそうだ。思わず俺も、暖かい気持ちになってくる。
「いいね、そういうの。食材集めはもちろんだけど、他に手伝えることってあるかな? 正直に言うと、最初は自分のためっていうか……いい感じに自然のあるところで、のんびり暮らせればそれでいいやって感じだったんだけどさ。まだ出会って日は浅いけど、皆と色んな話をしたり、ピイちゃんとのことがあったりして、本当にここが好きになってきてるんだよね」
「ちょっとわかる。最初の頃のノヴァって、どこか他人事にしてる雰囲気あったもんね。あ、それが悪いってわけじゃないよ。いきなり当事者として考えるのはわたしでも無理だと思うし」
へらりとリタに笑みを返す。
その土地に根付いて暮らしていくことを、ふわっとしか想像できていなかった俺に、根気強く色々と教えてくれたのはリタやカティ、村の皆だ。
部外者として旅人気分でお祭りを眺めるより、入れてもらえるのならだけど、しっかり輪の中に入りたい。
「そうだ。それじゃあノヴァにも踊り子やってもらえばいいんじゃない?」
「え。興味はあるけど、大丈夫なの? 伝統的な、神様に感謝を捧げる踊りなんでしょ? 俺がいきなり入っていいのかな」
「大丈夫ですよ。むしろ、新参者は挨拶の意味もかねて、踊り子をやることが多いですし」
もちろん、無理強いするものではないですし、お稽古は厳しいですから、やる気と体力がついていければ、ですけどね。
カティの含み笑いは、俺のやる気を煽るには十分だった。
この世界では、自分から動かなければ何も起きないし、何も変わらない。反対に、動いてみれば動いた分だけ、何かが残るし、ついてくる。それは、勇者パーティーにいた三年間でも、十分すぎるほど体験してきた。
「やってみたい! どうしたらいいのかな、ランドに頼んでみればいい?」
「そうだね。それじゃあ、今日はもう遅いから明日、いっしょに頼んでみる?」
「うん、ぜひ!」
「お好み焼き以外にも、よさそうなお料理とか、皆で楽しめる何かとか、素敵な提案があればどんどんお願いしますね。伝統は大切ですけど、堅苦しいだけじゃ疲れてしまいますから、お祭りの改革は力を入れていきたいんです!」
わかった、考えてみるよ。
軽い気持ちで引き受けたこの話が、とんでもない大事になるなんて、このときの俺は知る由もなかった。
「いいぞ、ノヴァも踊り子で頼むわ。稽古はいつも夜にやってる。強制じゃないが、まあ出ておく方がいいだろうな」
確かにそうだよな、と思い出したように、ランドはあっさりと許可をくれた。だから言ったでしょ、とリタが得意そうにする。
結構な覚悟を決めて直談判しにきたのに、あっさりしすぎていて、拍子抜けだ。
「踊りの経験はあるのか?」
「ないよ」
正確には、転移前の学校の授業として、体育でやったことはある。でもそれを経験としてカウントしていいかは、微妙だ。
こっちに来てからは、身体を動かさざるをえないことばかりで、いつの間にか筋力も体力もついてくれたけど、それまではどちらかといえば、運動は苦手な方だった。
まさか、自分から祭りで踊りたいなんて言い出すことになるなんて、人生ってわからないね。
「そりゃあいいな!」
「え、経験ないのがいいの?」
「おお、やる気のあるやつは大歓迎だからな。経験値だけで気の抜けた踊りをやるやつより、必死に気合いれてやってくれた方が、神様も喜ぶってもんさ」
経験値のある人が、必死に気合を入れてやってくれるのが一番なのでは?
喉まで出かかった一言を飲み込む。自分のハードルを上げたうえ、場の空気を下げる一言になってしまうところだった。
「そういや、祭り全体の流れや準備も、お前さんに説明できてなかったよな」
ラルオの火祭りは、村の中心にどっしりと構える美少女の像、初代村長の時代から今に至るまで続く、伝統的なお祭りなのだという。
最初は火を焚いて儀式的なことをやるだけだったとか、踊りの振り付けは初代村長が考えたものがベースになっているとか、諸説はあるらしいけど、かなり昔から、炎と舞がセットになっているようだ。
「まあ、祭りのルーツが気になるなら、調べてるやつも何人かいるから、話を聞いてみるといい。とりあえず大事なのは、全く新しい、村全体がひとつになって盛り上がれるような、新しい風なんだ」
「え。あれ? そんな話だったっけ……?」
カティもそんなことを言ってはいたけど、ランドまで真剣な顔で人差し指を立てるものだから、混乱してきた。
「かがり火を焚いて、舞を踊る。それはいい。いいんだが、問題はそのあとだ」
「いつもより少しいいものを食べて、歌って踊ってみんなでお祝いするんでしょ? すごく楽しそうじゃない?」
「そうなんだが、このあたりで新しい何かがほしいんだよな。ノヴァ、世界中を勇者様といっしょに見て回ってきたお前さんなら、何かないか?」
「ううん、どうだろう」
勇者パーティーにいたことと、王都を追放になったことは、一応は話してある。追放と聞いて拒否反応のある人もいるかもしれないし、黙っているのはなんだかうしろめたかったからだ。結果はご覧のとおりで、むしろ色々と頼られるようになってしまった。
レア食材や素材はどんどん持ってくる、シャイニングドラゴンの孵化に立ち会って懐かれる、親ドラゴンに真正面から物申す、知らない料理を教えてくれる……なるほど、勇者パーティーにいたのも本当かもしれないな、という認識らしい。
「まあ今すぐでなくていいし、無理に捻り出すもんでもないからな。頭の片隅にでも、置いといてくれ。まずは舞をそれらしくやれるようになるとこからだな」
「ノヴァ、いっしょに頑張ろうね!」
それからは、輪をかけて忙しい日が続くことになった。
かがり火に仕込むお香がわりのような木の実や、踊りの衣装に使う装飾品や化粧用の素材、お祭り全体を飾り付けるための素材などなど、普段のことをやりながら、プラスアルファで集めてくるものが盛りだくさんだし、夜には舞の稽古も始まった。
村の中が結界で安全になったことで、畑で育てる作物についても、カティから相談されているし、初日ほどではないにしろ、自由気ままに振る舞うピイちゃんからも、目は離せない。
特に、舞の稽古は想像以上に大変だった。
今回の代表は十人で、基本的には動きをあわせて、伝統的なリズムに合わせて舞うことになっている。
その、基本的な動きをいちから覚えるのがまず大変だし、ついでにソロパートまであったのだ。
「ど、どうしよう。何も思いつかない……」
ピイちゃんが、きょとんとして首をかしげる。
みんなでお祭りをやって、伝統的な舞に参加させてもらえたら、楽しそう!
そこまでしか考えていなかった俺は、素材集めの途中で見つけた洞窟で、がっくりと肩を落としていた。
稽古が始まってからというもの、俺は普段の作業の途中でも、たまたま見つけた、このひっそりとした洞窟で個人練習をやっていた。人工的なものなのか、天然のものなのかはわからないけど、ホールみたいなちょっとした空間があって、空気も澄んでいて集中できるんだよね。
夜の稽古とあわせてみっちり練習してきたおかげで、ぎこちないながらも、基本的な動きはだいぶ覚えてきたと思う。でも、創作ダンスが入るなんて。
芸術的なセンスは、自慢じゃないけどまったく自信がないし、触れてこなかった分野だ。かといって、基本の動きのままで場を繋ぐのは残念すぎる。
「めちゃくちゃ楽しみだし、頑張りたいけど、どうすれば……!」
――チリン!
夢に見るほど悩んでいた俺を見かねたのか、桶屋クエストの鈴が鳴った。
お題目は、『異世界の風をさわやかな汗に乗せて吹かせれば、村の文明レベルが段違いに上がる』だ。俺はううんと首を捻る。結局どういうこと?
お祭りを成功させると、村にとってかなりいいことがありそうなのは確かなのだけど、抽象的すぎる。
「おお!?」
腕組みをしてスキルウインドウを凝視していると、立て続けに、桶屋クエストがメインのツリーにぶら下がる。
振り付けを完璧に覚えよう。ソロの振り付けを完璧に覚えよう。舞全体で七十七コンボを成功させよう。ソロで、伝説のドラゴンとコラボしよう。
といった感じで、舞関連のクエストが並び、別の括りで、異世界の知識を元に、新しいイベントを祭りに取り入れよう、とある。
最後のは、カティとランドが言っていた何か新しい風を……みたいなやつかな。真剣に考えてみた方がいいのかも。
それより問題は、振り付けだのコンボだのと並んでいる、舞関連の方だ。ソロの振り付けを覚えようって言われても、それが思いつかないから苦労してるのに。
そう考えた途端、スキルウインドウが手元から勝手に動き、俺の全身より大きなサイズにぐんと広がった。
「は? え? なにこれ?」
予想外かつ初めての動きに思考停止している間に、スキルウインドウには、人のような影が浮かび上がる。怪しい人影が現れても、咄嗟に飛び退いたりしなかったのは、耳慣れたリズムが聴こえてきたからだ。
「え、舞の……お手本ってこと?」
立ち尽くして眺めてしまった俺の前で、スキルウインドウの中の怪しい人影が、完璧な舞を披露してみせる。
ひとつの振りごとに、ミスの表示が浮かぶそれは、まさしくリズムゲームそのものだった。全てミスなのはもちろん、俺が立ち尽くして眺めているからだ。
「これをお手本に、舞えってこと?」
よく見れば、怪しい人影は俺にそっくりだ。つまりこの人影は、俺が完璧に振り付けを覚えた状態の、お手本ということらしい。
流麗な舞が、いよいよソロに差し掛かる。
ダイナミックなリズムで、手足をさらりと伸ばしては曲げるその姿は、とても俺のものとは思えない。これができたら、きっとものすごく楽しいだろうし、祭りも盛り上がる。
なんとかモノにしたい。食い入るように見つめる中、ソロパートはいよいよ最後の見せ場に入った。
シルエットの俺は、飛び跳ねてはくるくると身体を回転させ、立て続けにバク転やら側転やらをキメた上に、文字通り空へと舞い上がってみせた。
空中で何度か旋回してから戻ってきた俺は、残りの舞を完璧に踊りきり、最後のポージングをしっかりとやってのけた。
すごい。すごすぎる。俺は、シルエットの俺に惜しみない拍手を送った。それから、すんと冷静になった。
「いや、普通に無理では?」
等身大に拡張されたスキルウインドウが、きらりと光る。
スキルウインドウの中にいる、俺のシルエットにあわせて、大きく両手を広げる。滴り落ちる汗を気にもせず、俺は一心不乱にリズムを刻み続けた。
「わ、ちゃ、いや、無理だってば! なんでそこで飛ん……人間の動きじゃないって! あああ……七十五コンボまできてたのに」
新しい桶屋クエストが、これでもかと出てきてからというもの、俺は前にもまして個人練習に励むようになった。雨の日も風の日も、洞窟の中なら関係ないし、練習を見られて恥ずかしいこともない。
「ぜえ、はあ。あと二週間しかないのに、どうやってもソロができない……なにこれ、無理すぎない?」
通常モードの舞であれば、コンボを繋げられるようになってきた。コンボを繋ぐには、完璧に近い振りとタイミングで舞う必要がある。
ゲーム感覚で練習できたおかげで、目に見えて上達した自覚はある。いっしょに踊るリタや、稽古をやっているみんなにも驚いてもらえているし、自己満足ではないと信じたい。
それでも、ソロだけはどうしても駄目だ。今の身体能力なら、バク転も側転も、調子がいいときはなんとかなる。ただし、そこからのテンポが上がりすぎてリズムがずれてしまうのだ。
極めつけは、そのあとにやってくる、まるで浮いているかのような跳躍と空中移動だ。
木のつるか何かを仕込んでおいて、ワイヤーアクションでもキメるしかなさそうな、人間離れした動きなのだ。
とりあえずは、シルエットに似たポージングで、地上を駆け回る感じで寄せているけど、判定はミスの連発だ。一回だけ、シルエットに合わせてジャンプしてみたら、そのときだけ当たりの判定が出たから、高さも重要らしい。実に困った。
「こっちもわからないし、このままじゃクエスト失敗になっちゃうよ……」
伝説のドラゴン……ピイちゃんとのコラボを促すクエストと、新しいイベントを祭りに取り入れるクエストに至っては、手付かずになっている。
「ピイちゃんもいっしょに踊ってくれてるんだけど、クリア判定になってくれないんだよね」
俺の舞が上達していくと、見守ってくれているピイちゃんのテンションも上がってきて、俺の動きを真似するように空中でくるくると飛び回ってくれる。とってもかわいいし、俺としては完全にコラボ成功なのだけど、桶屋クエストはお気に召さないらしい。
「本番でいっしょに踊ってくれたら、クリアになるのかな。なにか違う気がするんだよな、うーん」
腕組みをして、こつんと洞窟の壁に頭を預けた。
まだ飛び回っているピイちゃんは、まるで俺のかわりに練習してくれているみたいだ。うんうん唸って、考えてみても答えは出ない。やれることを、できるだけやっておくしかないよね。
少し前向きになれた気がして、壁から頭を離す。
「よし、戻って荷物を整理したら、夜の稽古だね……って、ピイちゃん、それ大丈夫?」
よく見ると、ピイちゃんは旋回しすぎて目を回したのか、スピードに乗ったまま、ふらふらと飛び回っている。
あぶない、と思う間もなく、洞窟の壁に激突しそうになったピイちゃんは、どうにか後ろ足で壁を蹴って、難を逃れた。
壁の一部が、ガラガラと音を立てて崩れてしまい、慌てて頭を守る。
「大丈夫!? って、なんだろこれ……ボール?」
崩れた壁の破片に混じって、サッカーボールくらいの大きさのボールが落ちてきた。両手で持ってみると、適度な柔らかさ、適度な軽さで、引っ張ると適度に伸びる。ついでに、紫色に淡く光っていた。
ゴムとも違うし、もちろん金属でもない。スライムというほどには柔らかくないし、壁から出てきたといっても、岩や土とも違う。念のため、入念に触ったり顔を近づけて鼓動が聞こえてきたりしないか確認してみたけど、多分、卵の類でもない。
「癖になる質感だけど、謎素材だね……いや、本当になんだこれ」
崩れた壁のところに目を凝らしても、ボールが落ちてきたところ以外は、岩肌が広がっているだけだ。
気になったのか、ピイちゃんがやってきて、鼻先でツンツンとボールをつつく。つつかれたボールは、淡い光に少しだけ青を混ぜて明滅している。わあ、とってもきれいだね。
「じゃなくて、大丈夫かなこれ。この感じ、魔力に反応してそうだよね」
でもこれ、ちょっといいかも。
片手でつかんで、何度か弾ませてみる。柔らかいから片手で掴めるし、弾力があるからよく弾む。原理はわからないけど、淡く光っているから夜でもよく見えそうだ。
異世界の風を取り入れたイベントを、お祭りに取り入れる。
この謎ボールを使って、球技大会ができないかな?
得体の知れない謎の球を、いきなり採用しようなんてどうかしているかもしれないけど、悪い魔力は感じないし、ピイちゃんも警戒していないから、大丈夫な気がする。それに、桶屋クエストが大量に出てきて、舞の個人練習もやっているこの場所で、急に出てきたアイテムだ。きっと、何か意味があるんじゃないかな。
「大きさ的にはサッカーだけど、ルールがうろ覚えだし、みんなで練習するには時間がないよね。キックベース? ううん、野球とかもあんまり詳しくないんだよね。バスケとかバレーも……厳しいか」
ボールがあるなら球技大会かな、と思いつきはしたものの、スポーツは学校の体育でかじった程度で、運動部に入っていたわけじゃないんだよね。
このボールは置いておいて、リレーとかにしちゃう?
いや、それも違う気がする。
ある程度、誰でもできて、練習があんまり要らなくて、みんなで楽しめる球技か。うんうんと唸った俺は、ふと思いつく。
「そうだ、ドッジボールすればいいんじゃない?」
ドッジボールにしても、専門的なルールを細かく知っているわけじゃないけど、ノーバウンドで当たったらアウトになって、外野に回る感じだよね。他の球技より、全員が初心者でも楽しみやすい気がする。
試しにある程度の距離をとって、ピイちゃんと向かい合う。投げるよと合図をしてから、ほとんど勢いをつけずに、ゆるゆるの球を放る。ピイちゃんはそれを、しっぽで上手にはたいて返してくれた。
戻ってきたボールを両手でキャッチして、今度は壁に向き直って、ちゃんと振りかぶって思い切り投げてみる。
回転のかかったボールは勢いよく飛んでいき、小気味良い音を立てて、洞窟の壁に跳ね返って戻ってきた。それを、あえてキャッチせず身体で受ける。
「うん、ぜんぜん痛くない!」
よし、決めた。ランドとカティに、ドッジボール大会を提案してみよう。そもそもこっちの世界はスポーツ自体があんまりないし、上手くいったら、日常的にもいい娯楽になるかもしれない。
そうと決まったら、さっそく戻って、ボールを見つけたことと合わせて話してみなくちゃ。
そうだ、せっかくのお祭りだし、サイラスたちも遊びにこれたりしないかな。
残り二週間で、手紙を書いて、一番近い町から届けてもらって、サイラスたちが受け取ってから移動して、だと間に合わないかもしれない。でもとりあえず、落ち着いたら手紙くらいは出しなさいよとクレアにも言われているし、約束は守っておきたいよね。
王都を出てから結構日が経っちゃったし、無事なのも伝えておきたいし。やっぱり手紙、書いておこう。
「やば、外が暗くなってきちゃった。戻らなきゃ!」
練習に精を出しすぎたのと、ボールを見つけたのと、考え事までしたせいで、すっかり遅くなってしまった。ちょっと熱中しすぎちゃったけど、これでお祭りが成功に近づくといいな。
俺は、荷物とボールをまとめて、大急ぎで洞窟を飛び出した。
クレアとディディの持ってきた大ニュースに、僕たちはパーティーみんなで王城の一室に集まっていた。
「あれだけ探しても見つからなかったのに、まさかノヴァっちの方から手紙をもらえるなんてね!」
「ね? 約束しておけば、ノヴァくんはちゃんと守るんだから」
クレアが胸を張り、ディディがいそいそと手紙の封を解く。
「それで、ノヴァはなんだって? 元気にはしているのか?」
僕もつい気が急いてしまって、ディディが広げた手紙を覗き込む。
「ジルゴ大森林のラルオ村か。大森林は有名だけど、あんなところに村があったんだね」
「宿屋食堂? の二階に居候してるんだって。よくわかんないけど、ノヴァっちらしいよね。いつのまにか、まわりのみんなと仲良くなって溶け込んでる感じとか!」
「……元気にしているならいい」
ディディとバスクの言葉に、大きく首を縦に振る。
ノヴァはいつだってそうだ。窮地に陥ったと思っても、いつのまにか上手くやっている。
羨ましいと言ったら、ノヴァは怒るだろうか。僕はいつだって、隣でノヴァを見てきた。酒場のカウンターで、隣に座ったあのときからずっと。いつのまにかと言っても、何もしていないわけじゃない。何ができるかを考え、スキルの力も借りながら前を向いてきた。だからこそ、戦う力という意味では突出していないノヴァでも、いっしょに旅を続けてこられたのだ。
「ドラゴンと友達になって、村祭りの代表として踊ることになったって。相変わらずわけわかんないね」
わけわかんないと言いながら、クレアは嬉しそうだ。僕も嬉しい。ノヴァが想像以上に元気にしていて、こうして手紙をよこしてくれているのだから。
「わ、よかったらそのお祭りに遊びにこないかって!」
「いいじゃないか。しばらくは急な仕事もないだろうし、遊びに行ってみるか。日にちはいつなんだ?」
「待ってね、えーと……んんん!? あはは、三日後の夕方からみたい」
「三日後!? ジルゴの大森林の奥地なんだろ!? 今日中に発って、間に合うかどうかじゃないか!」
さすがに急過ぎる。
どうしようかと考えて、三人の顔を見回す。
いうまでもなく、ディディはすでに行く気満々のようだし、クレアも乗り気だ。
「……行こう」
「はは、そうだな。よし、そうと決まればさっそく準備して北門に集合だ! 念のため、城の誰かに声をかけておこうか」
四人でわいわいと部屋を出たところで、大臣にぶつかりそうになる。
「すみません、大丈夫ですか?」
「おお、勇者殿!」
「ちょうどよかった。僕たちこれから、数日ほど留守にしようと思って、ご報告に」
「なんと……ご予定があるところ申し訳ないのですが、どうか謁見の間にお越しください! 緊急事態でして、勇者殿を探していたのです!」
これは、残念ながらノヴァとの再会はお預けかもしれないな。
改めて見れば、大臣の顔は真っ青だ。よほど緊急の用件らしい。
如実に不機嫌そうな顔をするクレアと、しょんぼりしているディディを説得して、謁見の間へと向かった。
「それで、何があったのですか?」
謁見の間は、重苦しい雰囲気に包まれていた。
きらきらと輝くシャンデリアも、ふかふかの絨毯も、心なしか色褪せて見える。
せっかく陛下の暗殺をもくろむ一派の件が片付いて、今度こそ穏やかな時間がやってきたと思ったのに。なかなか、ままならないものだ。
ちらりと陛下のお顔をうかがってみる。
陛下は、どう切り出すべきかを思案されているのか、目を閉じて唇を引き結んでいた。先日の、ノヴァを探し出し、改めて英雄として迎え入れたいと仰っていた晴れやかなお顔は、見る影もない。大臣と同じく、心配になるほどお顔の色がすぐれない。
「陛下、勇者殿が困っておられます。よろしければ、私からお話しましょうか?」
「……うむ」
助け舟を出したのは、召喚士兼予言者の女性、エマさんだ。ノヴァの召喚を行ったのも彼女だという話だし、ダークドラゴンの出現地点を言い当てたのも彼女だ。ユニークスキルなのだろうけど、優秀なのは確かだ。
「過去に失われた、超文明があることは勇者殿もご存じですよね?」
「はい、今よりはるかに高度な魔法をベースにした、古代文明のことですね」
「その頃の遺物、破壊の魔導ゴーレムが、復活するとの神託がくだったのです」
「何故、今になってそんなものが」
「わからん……しかし、封印が解かれれば、迅速に討伐するしかあるまい」
陛下がぎりと歯を食いしばって、低い声で言う。
「対話は、不可能なのでしょうか?」
破壊のと名付けられているからといって、何も考えずにぶつかるのは、得策ではないように思えた。えてして、古代文明にかかわる逸話は、大幅に脚色されていることも多い。
平和的に解決できれば、それに越したことはない。
そう思ったのだけれど、エマさんは暗い顔になった。
「現時点ではわかりません。ゴーレムのマスターに選ばれる者にもよるでしょう。マスターとは、ゴーレムの主人となる者の称号。古代の遺物ですから絶対とは言い切れませんが、選ばれた者はゴーレムを制御することができるはずです」
「破壊を望まない者が、マスターとなればよいのですね?」
うなずきながら、エマさんは「ただし、最悪なのは」とひとつ間を置いた。
「マスターとなる者が選ばれないまま、封印だけが解かれた場合です。そうなれば、ゴーレムは制御不能のまま、暴れ回るでしょう」
「調べさせた文献には、島ひとつ分ほどの巨大なゴーレムが、マスター不在のまま破壊の限りを尽くしたというものもあった。どうやったのかは知らぬが、その時は大変な犠牲のうえに討伐を果たしたようだがな」
しんと場が静まりかえる。
島ひとつ分……いくらか脚色はされているにしても、かなりの大きさだったのだろう。
「封印が解ける前にゴーレムを見つけだし、マスターとなってしまうか、再度の封印を施せるとよいのですが……封印に関しても、術式が確立しているわけではなく、難しいかもしれません。また、マスターが選ばれる方法も、わかっていないのです」
なるほど。陛下が真っ先に討伐を口にされたのは、このあたりが理由に違いない。
封印の方法も、ゴーレムを制御するためのマスターとなる方法もわからないのでは、エマさんの言う最悪の事態を回避するために、先に叩いてしまうべきと考えるのも、わからなくはない。
それにもし、誰かがゴーレムのマスターになれたとしても、そこには大きな責任と危険が伴うことになる。各国から狙われかねないし、そもそもゴーレムをどこまで制御できるのか、そのためにどんな代償があるのかなど、すべてが未知数だ。
「とにかく、まずは復活の前に見つけ出すしかなさそうですね。何か手がかりはあるのでしょうか?」
エマさんが、言いにくそうに目を泳がせる。もしかしたら、復活するとの話だけで、詳細は見えていないのかもしれない。だとすれば、僕たちに命じられるのは、国中を駆け回ってゴーレムを探すことか。
「私の授かった神託では、復活は三日後……ヒントとなりそうな単語は、ラルオという三文字だけでした。それが地名なのか、町や村の名前なのか、他の何かを意味するのか、何もわかっていません」
「三日で、手がかりもほぼないに等しい……無理を言っていることはわかっているが、どうかできる限り、力を貸してくれぬか」
深刻そうな顔の陛下やエマさんとは別の意味で、僕たちはぽかんとしてしまっていた。
「三日後にラルオ、とおっしゃいましたか?」
「うむ……国にある地図を調べさせたが、載っておらぬ。そもそも、地図には記せていない小さな村も多い。地名などではないのかもしれぬ。だとすれば一体……!」
僕はパーティーの三人と顔を見合わせる。どう考えても、間違いない。
「そこ、場所わかるので行ってきます。ジルゴの大森林の奥にある、小さな村らしいです」
「雲をつかむような話で申し訳ないが……んんんんん!?」
「ラルオが何を意味するのか、ご存じなのですか!?」
あ、はい。
あっさりとうなずいた僕たちに、陛下やエマさんが目を見開いた。
「さ、さすがは勇者殿よ! そうとわかればすぐにでも向かってくれ! 三日後なら、今日のうちに発てば間に合うかもしれん! わが騎士団の誇る早馬を四頭、準備させよう」
「実はですね……ノヴァがその、ラルオ村にいるらしいのです」
「なんと!? いったいどうして!?」
「三日後の夜に、村祭りの代表として、踊るみたいなんですよ」
しれっとクレアが口を出す。陛下はなおさら混乱した様子で、頭を抱えてしまった。
「話がまったく見えんぞ……破壊のゴーレムが復活する村で、ノヴァ殿が踊る!?」
「もしやノヴァ殿は、ゴーレムのことをご存じで、いちはやく潜入されているのではありませんか!?」
エマさんがきらきらした視線を向けてくるけれど、おそらくそうではないだろう。僕は小さく首を横に振る。
「ノヴァから手紙があったのです。今はラルオ村で楽しくやっていると。三日後に祭りがあって、そこで踊るからよかったら遊びに来ないかと」
「では、ノヴァ殿は本当に何も知らずに、勇者殿をゴーレム復活の地に、ちょうど復活に近しいタイミングで呼ぼうとしていたというのか!? そんなことが……!」
ええ、陛下。僕もまったく同じ気持ちです。
僕は、ノヴァを羨ましいと思ったけれど、ここまでくると逆に怖い。
何か大きな流れが、ノヴァの味方をしているとしか思えないじゃないか。
「でもそうなると、ノヴァくんってば、本当に危ないんじゃない? 何も知らないってことは、無警戒で、踊りの練習とかしちゃってるわけでしょう? 破壊のゴーレムが眠る真上とかで」
クレアの言葉に、その場にいる全員の顔がひきつる。
「なんとかして、伝えられないのか!?」
「今から手紙を返すよりは、現地に行っちゃう方が早いんじゃない?」
「どっちにしても行くつもりだったし、行こうよ! ノヴァっちを助けなきゃ」
「……急ごう」
四人で力強くうなずき、陛下に向き直る。
「すぐに準備を整え、ラルオへ向かいます。先ほどの、早馬をお貸しいただける件、お願いしてもよろしいですか?」
「無論だ。わしもすぐに準備しよう」
「あの、陛下も……ですか?」
早馬の手配に大臣が急ぎ足で謁見の間を出ていく中、僕は陛下の一言に面食らってしまった。
「行方がわかり次第、ノヴァ殿に会いに行こうと思っておった」
「陛下、お言葉ですが、危険すぎます」
「頼む勇者殿。国の一大事に、救国の、そして個人的にも命の恩人であるノヴァ殿がその場にいる。もちろん、ラルオの村に暮らす者たちもおるのだろう? 民こそが国の宝……それらを放ってここで座しているなど、何が王か! 騎士団の精鋭を連れていくゆえ、道中の迷惑はかけぬし、ラルオでは決して前には出ず、村の者たちの避難誘導に徹することを約束しよう」
民こそが国の宝……それには僕も同意見だ。
だからこそ、民を導く王には、王都で有事に備えていてほしい。
しかし、陛下の意志は、僕が何を言っても揺らぎそうにないくらい固い。
ここで議論をしていたずらに時間を使うのは、得策ではないか。仕方ない。
「……わかりました」
「おお、それでは!」
「はい。皆でラルオに向かい、破壊のゴーレムを止め、ノヴァを助けだしましょう!」
「きっと私たちの心配なんて届いてないんでしょうけど……しょうがないわね」
「ノヴァっちのことだから、またきっとわけわかんないことになってるよ!」
「……行こう」
その場にいる皆の気持ちをひとつにして、それぞれの準備に駆け出す。
ノヴァ、すぐに行くよ。
だからどうか、僕たちが到着するまで無事でいてくれ。
「ノヴァ、準備はいい?」
リタの声に笑みを返して、その場でとんとんと軽くジャンプしてみた。
衣装についた鈴が、しゃらりと澄んだ心地よい音を響かせる。
顔と腕に施した、紋様のような祭り化粧も、すっかりなじんで気にならなくなった。
少し緊張した雰囲気ではあるけど、代表として舞うことになっている十人の顔は、期待と高揚に満ちている。
「練習の成果を見せて、思いっきり盛り上げよう!」
「ノヴァ、すっごく上手になったもんね! きっとみんなもびっくりするよ!」
本番を迎えたこの日、俺は個人練習と桶屋クエストによる特訓のおかげで、ソロパート以外はほとんど完璧に踊れるようになっていた。
ソロにしたって、バク転と側転はまあまあの確率で上手くいくようになっている。不安があるとすれば、どうしても再現できない空中に浮かんだような動きだけだ。
ここまできたら、考えてみてもしょうがない。
浮かび上がる直前までをパーフェクトにキメれば、コンボは七十五。
どうにかしてジャンプして、最初の振りまで合わせられれば、七十七コンボのクエストを達成できるはずだ。そのあとは、シルエットがやっていた動きに近い形で、舞台の上でなんとかするしかないよね。
簡易的に張られた楽屋がわりのテントから、そっと外の様子をうかがう。
お祭りはものすごい盛り上がりを見せていた。皆が笑顔で、思い思いに踊り子を真似た化粧をしたり、着飾ったりして、舞台のまわりに集まっている。
村中が、森の中で取ってきた様々な素材で装飾され、かがり火に照らされて幻想的な雰囲気を醸し出していた。
このあとの宴のために、おいしそうな匂いも漂ってきて、非日常の高揚感に包み込まれている。
今年は例年と違って、ドラゴンの結界があるおかげで、見張りを立てる必要もない。
警備に人を割く必要がないので、本当に村中の人が集まってきている感じだ。
残念ながら、サイラスたちの姿を見つけることはできなかった。
手紙を出したのもぎりぎりだったし、間に合わなかったかな。まあそれはそれ、落ち着いたらこちらから近くまで行ってみるのもありだし、無事を伝えられれば、とりあえず約束は果たせたよね。
「それじゃあ、いこうか」
打楽器と笛で演奏をしてくれるメンバーに合図を送る。
ゆるやかな笛の音にあわせて、俺たちはするすると舞台へ出ていった。
舞台の上は、当たり前かもしれないけど、練習のときに見える景色とはまるで違っていた。
揺らめく炎と、心地よいリズムに、自然と身体が動く。
すいと伸ばした手のひらの先、リタと視線が合った。自然と笑みがこぼれて、じんわりと身体が熱くなる。
本番仕様なのか、いつもは目の前にどんと表示されているスキルウインドウが、少し離れた空中に浮かんで、コンボ数を計測している。
一人だけ、お祭りの中でリズムゲームをやっている感じがおかしくて、笑いがこみあげてきた。
それを、踊りを楽しんでいるととってくれたらしい観客の皆から、「いいぞ、ノヴァ!」と歓声があがる。
くるりと回転して、舞台の端に散る。ここからは、十人それぞれのソロパートだ。
ソロを前に少し振りが落ち着いたことで、はたはたと汗が滴り落ちる。
感覚が、すごく研ぎ澄まされているのがわかる。
普段なら、気を付けて集中していなければわからないような魔力の流れが、風に乗って光の帯を見せ始めた。
俺の前にソロを踊るリタが、ふわりとした滑らかな動きで、舞台の中央に進み出た。
俺がスキルウインドウに課された激しい舞とは違って、ゆるやかで、なめらかなな動きだ。観客の皆も、俺以外の八人さえも、その美しさに息をのむ。
ソロの最後にお辞儀のような仕草をつけて、にっこりと笑顔を見せたリタが舞台の中央から身を引くと、大きな歓声と拍手が巻き起こった。
今度は俺の番だ。歓声と熱気に押し出されるように、前に出る。
リズムが変わった。先ほどの柔らかな流れとは打って変わって、打楽器を前に出し、音の粒が一気に増える。
スキルウインドウを意識はしても、そちらを凝視して踊るわけにはいかない。
自分を信じて、身体を動かしていく。
練習のときと同じように、ピイちゃんが俺の少し上をくるくると飛び回って、場を盛り上げてくれているのが見えた。
思わず笑みが深くなる。伝説のドラゴンとコラボって、やっぱりこれのことかな?
七十……七十一……順調に『パーフェクト!』の文字列が空に跳ねる。
側転から、立て続けにバク転をキメる。
七十五……俺は全力で腕を振り上げ、跳躍した。
そのときだった。
ひときわ大きな声で鳴いたピイちゃんが、振り上げた俺の腕を両足で掴まえて、舞い上がったのだ。
空いている手で指示すると、ピイちゃんはその方向へ右へ左へ旋回してくれる。
まるで、空中を泳いでいるみたいだ。
橙と紺が混じる空の下、かがり火に照らされた皆の笑顔と歓声を、俺はきっと一生忘れない。
ひとしきり飛び回ってから着地した俺は、舞台の端に戻って、小さくガッツポーズした。
ソロの後もほとんど完璧に踊りきった俺たちは、割れんばかりの拍手に包まれて、楽屋へと戻ってきた。
「すごいよノヴァ! 練習のときは、ピイちゃんといっしょに踊るのは内緒にしてたんだね!」
「悔しいけど、今年の主役はノヴァで決まりだな!」
俺は九人に囲まれてぐしゃぐしゃにされながら、「いや、練習どおりにやるつもりだったから、ぶっつけ本番だったんだよ」と説明する。
「そうなの!? ぶっつけ本番なのに、息ぴったりだったよね! すごい!」
「ピイちゃんも、お祭りの雰囲気を気に入ってくれたってことじゃないかな」
楽屋までついてきたピイちゃんを、そっと撫でる。
「あ、もしかして?」
思い出して、スキルウインドウを開きなおしてみる。
コンボのクエストはパーフェクトで完了しているし、伝説のドラゴンとコラボするクエストも達成されている。
「やった……!」
ここまできたら全部クリアして、この村に恩返しをしたいところだよね。
「次はドッジボール大会……シャイニングドラゴンカップだね!」
「悪いが優勝はうちがもらうぞ、ノヴァ」
「ランド! 村長としての仕事は大丈夫なのって、心配になるくらい練習してたもんね。でも負けないよ!」
例の謎素材のボールといっしょに、ドッジボール大会をプレゼンしたところ、お祭りの運営陣は予想以上の食いつきをみせた。
その結果、シャイニングドラゴンカップなるなんだか本格的な大会が、余興ついでに開催されることになってしまった。
特にランドは、「新しい風を吹かせてほしいとは言ったが、本当に面白いもんを持ってくるとはな」と手をたたいて喜んでくれた。
心配された出場選手の募集も、四チームが集まるほどの盛況ぶりだ。
ボールはひとつしかないので時間を決めて、普段の作業やお祭りの準備の合間で、チームごとに息抜きついでの練習をやってきたわけだけど、ランドが率いる村長チームは気迫が違っていた。
もしかすると一番最初に、ルール説明がてら、ランド率いるチームをこてんぱんに倒してしまったのが、よくなかったのかもしれない。
とにかくランドたちは、ボールがない時間も木の実を使ったボールキャッチの練習だとかをやっていたようで、俺が想像していた以上の本気度で取り組んでくれた。
他のチームはあくまで余興感覚で、隙間時間でボールの感触を確かめる程度だったので、優勝候補は俺のいるチームと村長チームのふたつになっている。
「試合をするコートってやつも、しっかり整えてあるからな」
試合用のコートは、舞のステージの向こう側、初代村長像の真ん前に設置されていた。
空はほとんど紺色に染まっていて、頼りになる明かりはかがり火だけ……かと思いきや、コートはいっそまぶしいくらいの明かりに照らされている。以前リタも使っていた照明の魔法を数人がかりで空に散らして、ナイターにしっかり対応した形に仕上げたみたいだ。
「思ってたより本格的だね」
「おいおい、言い出しっぺのお前さんがそれを言うのかよ? 頼むぜ!? こっちはお前さんを目標に、この日のために練習してきたんだからな!」
「え、うん、ごめんね?」
これは、優勝するのはちょっと大変かもしれないね。
ついさっきまであんなに盛り上がっていた伝統的な舞を前座扱いにするような、こうこうと照らされたコートをぼんやり眺めて、俺はへらりと口角をもちあげた。