お昼の休憩と軽食を終えた俺たちは、予定どおり、村の中心部から外れた畑の方へやってきた。このあたりになると魔獣除けの柵にも隙間が多くなるけど、昨日のシャイニングドラゴンの百年結界のおかげで、もはや柵はいらなくなっていた。
 俺たちを見つけて侵入を試みた毒猪が、見えない壁にはじかれてくったりと気絶するところを、この目でしっかり見たからね。どうやらこの結界、魔獣や魔物だと識別した相手からのなにかしらを、同じ力で跳ね返す効果があるらしい。
 俺やリタ、ピイちゃんが通り抜けても、当然ながら何の反応もなかったし、小石や小枝を投げてみても、跳ね返されたりはしなかった。
「どうやって判別してるんだろう」
「村の皆とかピイちゃんに、悪意があるかどうか、とか?」
「ううん。それじゃあ例えば、午前中みたいにピイちゃんが自由奔放に動き回って、村人さんの誰かがちょっと怒ったりしたら、その人はどうなるのかな?」
「え! それはさすがに大丈夫なんじゃない? 大丈夫だって、信じたい……」
 少し怖い想像をしつつ、結界があまりに強力だったことで、俺たちは油断してしまったのだ。
 ふらりと村の外に出たピイちゃんめがけて、待ち構えていた毒猪が突進してきた。
 俺とリタの二人で連携して、なんとかピイちゃんから引き離して、これを撃退したところまではよかった。
 よかったのだけど、例によってその場からは、ピイちゃんの姿が消えていた。
 もう少し気を配っていればよかった。結界との境目になるような、村はずれはやめておけばよかった。そもそも、生まれたてのドラゴンを預かったことが間違いだったのでは。
 ぐるぐると回る思考をどうにか落ち着かせて、とりあえず無事を確認しなければ、と二人で村の外を駆け回って、名前を呼んで探し回った。
 もしかして、生まれた森に戻っていたりするのでは、と明後日の方角に顔を向けたそのとき、結界の中、村はずれの畑の脇にある小屋の扉が、少しだけ開いているのが目に入った。
「リタ、あそこって開いてたっけ? 何が入ってるの?」
「あそこは農具とか、収穫した野菜を一時的に保管して……まさか!」
 リタのまさかは、豪快に的中した。
 絶句する俺たちの目の前に現れたのは、小屋の中に保管されていたであろう野菜を残らず食べつくし、お腹いっぱいでうとうとし始めているピイちゃんの姿だった。
「ここって、どれくらいの量が保管されてたのかな?」
「残念ながら、小屋いっぱいに入ってたんじゃないかな」
「まずいよね?」
「そう……ね」
 あはははは、はあ。
 二人分の乾いた笑い声に反応して、ピイちゃんが目を覚ます。
 大喜びでこちらにくるかと思いきや、何やら様子がおかしい。しきりにあたりを見回しては、目をぱちぱちさせている。
 声をかけて近寄ろうとしたら、大きく一声鳴いたかと思うと、俺とリタの間をすり抜けて、猛スピードで外に飛び出していってしまった。
「なになに、どうしたの?」
「また村の外に出ちゃったら大変だ、追いかけよう!」
 急いで外に出た俺たちは、改めてぼうぜんとすることになった。
 一応、言葉を選ぶのであれば、畑がピイちゃんの落とし物で溢れていたのだ。
 上下からのそそうを振り撒きながら飛び回るという、トリッキーかつ大変な曲芸をやってのけたピイちゃんは、なにやらすっきりした顔でこちらに戻ってくると、俺の脇に頭をすりつけて甘えてきた。
 お腹いっぱいになったし、気持ち悪いのも治ったよと報告してくれているらしい。
「ここの畑ってどちら様のなんだっけ? 謝って許してもらえるといいんだけど……っていうか、ピイちゃん? なんか大きくなってない?」
「え、本当だ! ふたまわりくらい大きくなってる!」
 今朝まで長めのマフラーサイズだったのに、今は、尻尾まで含めると俺と同じくらいのサイズになっている。
 ドラゴンって、一日でこんなに成長するの!?
 この調子だと、数日でとんでもないことになっちゃうんじゃない?
 あれこれと立て続けに驚きすぎて、頭から湯気が出そうな俺たちをよそに、ひとしきり甘えたピイちゃんは、俺の首にくるりと巻きついた。もはや首だけでは収まらないので、上半身まで覆い被さっている感じだ。
「意外と重くないし、めっちゃもふもふ! かわいいね!」
「いいなあ! じゃなくて、気持ちはわかるけど、現実逃避はそれくらいにしよっか。とりあえず事情を説明して謝らないと。村の畑は誰のっていうわけじゃないんだけど、基本的に全部カティが取りまとめてるから」
「そっか。この時間だとどこにいるかな?」
「どうかな。とりあえず戻って、誰かに聞いてみるしかないかも」
 二人で小さくため息をつく。俺に巻きついたピイちゃんは、さっそく寝息を立て始めている。食べ物をどうするか、真剣に考えないとな。
 村の食糧を食べ尽くしちゃいました、なんてことになったら、さすがに皆も怒るだろう。というか、すでに小屋ひとつ分を食べちゃってるし。
「あらあら、これは大変ですね」
 とほとぼと歩き出した俺たちはすぐに、聞き慣れた声に立ち止まった。ちょうど巡回してきたらしいカティと、数人の村人さんが、空っぽになった小屋の中を眺めて目を丸くしていたからだ。
「カティ、ごめん。これ、俺の責任なんだ」
「ノヴァの? ああ、なるほど。なんとなくわかりました」
 俺に巻きつくピイちゃんを見て察したらしいカティが、うんうんとうなずく。
「ということは、向こうとその向こうの小屋も、ノヴァたちが?」
「え!?」
「向こうと、その向こう……も?」
 驚いた様子の俺とリタに、「あら、違いました?」とカティが首をかしげる。
「ここと同じように小屋が空っぽになっていたので、てっきり同じかと」
「ご、ごめんなさい!」
 まさか、そんな短時間に、何箇所も!?
 俺とリタは揃って頭を下げる。いくら食べ物が豊富とはいっても、いくつもの小屋と畑をあっという間に食べ尽くしてしまうのはやりすぎだ。
「足りなくなった分は、必ず補填するようにする」
「ピイちゃんにもちゃんと教えていくから。本当にごめんなさい!」
 いくら伝説のドラゴンの子供とはいえ、追い出されても仕方ないかもしれない。俺にできることは、真剣に謝って挽回のチャンスをもらうことだけだ。
 チャンスをもらったとしても、この量を補填するには一日二日で終わるとは思えない。それに、ピイちゃんが一食につき小屋三軒分の食料を必要とするなら、どちらにしても相談が必要だ。身体が大きくなっているし、さらにここから食べる量が増えるかもしれない。
 頭を下げたまま、しばらくカティたちの返事を待ってみたけど、一言もリアクションがない。あまりの呆れっぷりに、言葉もないということだろうか。
「お願いがあります、顔をあげてください」
 顔をあげて様子をうかがうか、まだもう少し待つか、迷い始めた頃に、カティがぽつりとつぶやいた。
「俺にできることなら、なんでもする」
 わたしも、とリタもぎゅっと手に力を込める。
「その前に念のため確認です。これは本当にノヴァが……というか、ピイさんがやったんですね?」
 ピイさん……ものすごい違和感だけど、今はそこに突っ込みを入れるのは悪手すぎる。俺は、歪みかけた口元を叱りつけて、むっつりとした顔でうなずく。
「ちなみに、ピイさんは眠っているだけですか? 昨日とはちょっと、様子が違っているようですけど」
「ああ、なんだろ。成長期なのかな……でもうん、眠ってるだけだよ。食料の補填だけじゃなくて、もちろん畑も元通りにするよ。だから」
「元通りに? それは困ります!」
 え、と思わず声が漏れた。畑を元通りにされると困るって、どういうことだろう。元通りじゃ、補填にならないほどひどいってこと?
「わかった。それじゃあ、どうすればいい?」
 おそるおそる聞いてみる。お願いがあると言ってくれたからには、挽回のチャンスはゼロではないと思いたい。
「他の場所も、いくつかここと同じようにできませんか?」
「うん? どういう意味で、ここと同じに?」
 言葉の意味が理解できず、聞き返してしまう。リタも首を傾げて、やりとりを見守っている。
「ああ、そうですよね。ちゃんとご説明しないと、いきなりすぎましたよね」
 カティは他の村人さんと顔を見合わせ、何かを示し合わせてから、俺とリタに向き直った。
「畑の土を確認してみても?」
「もちろん」
 カティがうなずくと、村人さんたちが畑にずんずんと進んでいき、土を手ですくって質感を確かめたり、匂いを嗅いでみたり、日に透かして眺めたり、何やら魔法を唱えたりしてみている。
 ドラゴンの生態はあまり知られていない。
 つまりは、ドラゴンのそそうが土にどのような影響を及ぼすものなのか、知っている者もいないということだ。
 たかがそそう、されどそそう。ソソウ・オブ・ザ・伝説のドラゴンともなれば、伝説級の警戒が必要ってことなのかな。そこまで頭が回らず、思考停止していた自分が恥ずかしくなる。
「あの、どうかな? リタが先に見てくれて、畑にも小屋にも、毒とかはないはずなんだけど」
 やはりそうか、間違いない。そう言って、ごにょごにょと相談して戻ってきた村人さんたちは、カティに何かを耳打ちして一歩下がった。
 そのかわりに、カティが気まずそうに前に出て、こほんと小さく咳払いをした。
「実はですね、ピイさんが空っぽにしてくださった小屋に保管してあった作物は、どれも毒がついてしまって、食べられないものばかりだったのです」
「え!? わたし、そんなの聞いてなかったよ!?」
 驚いたのはリタだ。村のはずれとはいえ、村でとれた作物が大量に汚染されていたとなれば、本来であれば、被害状況を把握するためにも、まずは毒見のスキルを持つリタに相談があって然るべきだろう。
「そうですよね、ごめんなさい。私も、報告を受けたのが今朝のことで。リタを探していたんです。あ、厨房だとかに運んだ分は大丈夫ですよ。毒があったのは今のところ、こちら側のいくつかの畑だけですから」
「そうだったんだ……」
「畑がいくつも毒にって、そういうの、結構あるものなの?」
「うん。例の猪のせいでたまにね」
 なるほど。毒猪は数が多いうえに、討伐もしにくくて、最低限の駆除で切り抜けてきたという話だった。こういう形で、畑に被害が出ることもあるのか。
 猪そのものは人を襲ったりもしているから、雑食なんだろうけど。毒のある牙を掲げて突っ込んでくるから、どうしても色んなところが汚染されてしまうんだね。なんて迷惑な。
「あれ、でも待って。それじゃあ、それを食べちゃったピイちゃんは大丈夫なの!?」
 確かにそうだ。俺は今更ながら背筋が冷たくなる気持ちで、ピイちゃんの様子をうかがった。巻きついた身体は暖かく、かといって熱すぎるようなこともなく、寝息も穏やかだ。
 そっと頭を撫でてみる。なめらかでふわふわな真っ白の毛に指先が沈み、ピイちゃんが気持ちよさそうに身をよじって、薄目を開けた。
 ピイちゃんはきょろきょろとしてからすぐに、おおあくびをひとつして、またすやすやと眠ってしまった。
「なんか、大丈夫そうだね?」
「あれだけの毒を大量に食べてなんともないなんて、すごいな……!」
「シャイニングドラゴンは熱にも冷気にも毒にも強い……まさしく伝説のとおりですが、これほどとは」
 無事を確かめたことで、カティも村人さんたちも、感嘆の声をあげている。
「毒がついたまま土に埋めてしまうわけにもいきませんし、燃やして煙に毒が含まれていたらそれも困ります。かといって洗浄しようにも量が量で、とりあえず無事なものと分けて保管しておいたんです。本当に助かりました」
 こちらが謝るはずだったのに、いまは反対に頭を下げられてしまっている。食べられもせず、処理にも困っていた毒物を、ピイちゃんがまとめてなんとかしてくれたってことだよね。桶屋クエストにも出ていないし、本当に予想外の展開だった。
「しかも、この土ですよ!」
 ピイちゃんの落とし物が混じってしまったであろう、ほくほくの土をぐっと握りしめて、村人さんがさらにヒートアップする。もはや何も言うまい。ここは聞きに徹するのだ。
「リタの毒見でも出てこなかったとおり、ここの土に毒はないんだ! 昨日までは、触るだけで肌が焼けそうだったし、つんとした匂いもして大変だったのに!」
「ただ毒が消えただけじゃないぞ。こんなに上質な土は、そうお目にかかれないさ」
 伝説のドラゴン、とんでもなかった。
 上からもそそうしていたから、あまり食べすぎるのは心配ではあるけど、毒にかなりの耐性がある上に、落とし物に浄化作用まであるなんて。なんなら、俺より全然役に立っているじゃないか!
「そんなにすごいんだ……?」
 誇らしいやらちょっと情けないやらで、へらりと笑うしかない俺の表情をどう読み取ったのか、カティが前のめりになる。
「本当にすごいんですよ! そこでお願いに戻るんですけど、ピイさんに負担がかかることでなければ、他の畑も同じようにお願いできませんか?」
「ああ、なるほど」
 ようやく繋がった。同じようにしてほしいとは、小屋の中身と畑の浄化をさしていたわけだ。
 元通りにしますから、なんて俺が言っても、響くわけがない。元通りとはつまり、毒のある状態に戻してしまうことになるからだ。
「ううん。この子の様子次第で決める感じでいいかな? 大丈夫だとは思うんだけど、畑の方の半分はこの子が吐いちゃったものだから」
「え、吐いちゃってたんですか。えと、もう半分は?」
「あれ、言ってませんでしたっけ? その、落とし物というか、ね?」
 カティをはじめ、土を握りしめていた村人さんたちが、ぴしりと固まる。見た目も土と混ざってふかふかだし、それらしい匂いもしないので、気づかなくても仕方ない。
「これは、この子の……排泄物だと?」
 あ、はい。なんかすみません。
 なぜだか、やたらとよく響いてしまった俺の声だけが、固まった空間の隙間を縫って、するりと空気に溶けていった。