聖女の力を失った私は用無しですか?~呪われた公爵様に嫁ぎましたが、彼は私を溺愛しているそうです~

 彼らの悪口に対して一向に反論せずに黙って聞いているだけの彼を見て、思わず身体が動いた。

「やめなさい」
「──っ!! 王女殿下……!!」

 ひれ伏して頭を下げる彼らに、彼女は唇を一度噛みしめた後、強い目を向けた。

「私が命令したのです。彼に、名前で呼ぶようにと。ですから、彼を侮辱することは、私を侮辱することと同義。あなたたちは王族を侮辱するのですね?」
「そ、そんなっ!! 滅相もございません!! 大変申し訳ございませんでした」
「わかったら、さがりなさい」
「「「かしこまりましたっ!!」」」

 リュディーを侮辱した彼らは一目散に逃げるようにその場を去った。

「なぜ、あんなことを?」
「……実際、命令したものよ。あんなの」

 彼女は唇を震わせる。
 喉の奥がつんとしてもう話せない。

(早くここから立ち去らないと……)

 クリスティーナはリュディーに背を向けて歩いたところで、持っていた荷物がふわりと浮き上がる。

「──?」
「持ちます」
「でも。あなた今から仕事じゃあ……」
「あなたの傍にいたいんです」
「──っ!!!」

 クリスティーナはその青い瞳を大きく見開いて、今度はそっと顔を逸らした。
 ──頬を伝った涙が、彼に見えないように。


 リュディーが護衛騎士になって一年が経過した頃、ある事件が起こる──
「シュヴェール騎士団が、クラリッサを人質に?!」
「ああ」
「それで、クラリッサは?!」
「レオンハルトの命で立てこもり先に極秘に侵入したリュディーの報告では、亡くなっていたと」
「──っ!!!」

 それはクリスティーナにとってあまりにも衝撃的なことだった。
 過激な反王国派の人間で結成されたシュヴェール騎士団は、多くの犯罪をおこなっていた。
 ついに王国は彼らの居場所を突き止め、王国騎士団長のレオンハルト、そしてその副長でもあったリュディーを中心に大々的な討伐作戦を実行する。
 しかし、結果、人質の犠牲という最悪の結果に終わってしまった。

「レオンハルトは辞任表を持ってきた」
「そんな……」

 人質であったクラリッサはレオンハルトの婚約者だった。
 彼の辛さと苦しさは計り知れないだろう。

「──っ!! リュディーは!?」
「それなんだが、彼は重傷を負って医務室で休んでいる」
「──っ!!」

 国王のその言葉を聞くや否や、彼女は部屋を飛び出していた。


「リュディーっ!!」
「……クリスティーナ様」

 体中に包帯を巻いてベッドに横たわるリュディーを見て、クリスティーナは涙を流す。

「無事でよかった……」
「ですが、俺はクラリッサ様を守れなかった。あなたの親友である彼女を……」

 唇を噛んで血を流す彼を、クリスティーナは傷に触らないように優しく抱きしめた。

「クリスティーナ様!?」
「辛いの。あの子がいないなんて信じられない。でも、あなたが無事でほっとする自分もいるの。こんな私、最低……」
「あなたは悪くはない。俺が全て罪を引き受けます。あなたが背負う必要はない。だから……」

 リュディーはクリスティーナの頬に手を添えると、少しだけ微笑んだ。

「俺しか見てませんから、泣いてください。俺が全部受け止めますから」
「──っ!!」

(なんで、なんで自分が辛い時にあなたはいつも……)

 彼女は彼の胸にすがるようにして、声を枯らすまで泣いた。


 リュディーの傷が治った頃、正式に彼は騎士団を辞めた。
 平民として戻ると言って王宮を出ようとした彼を、国王が「王家の影」として働かないか、と声をかける。

 「王家の影」は、王族の命で街に他国の者がいないか、つまりスパイを見つけたりする役割を持った人物のこと。
 それの長として迎え入れようというのが、国王の提案であった。
 リュディーは最初こそ断ったが、クリスティーナの助言もあってその任を引き受けることにする。

「またあなたと一緒にいられて嬉しいわ」
「普段は町のカフェ経営で情報を集めます。クリスティーナ様をお守りすることは減りますが、俺が留守の間は別の者が対応しますので」
「いいえ、私はあなたがいいの」
「……もったいなきお言葉」
「……」

(私の気持ち、わかってるくせに)

 リュディー自身、クリスティーナが自分自身を想うわけがないと思っていた。
 彼は彼女を想って身を引き、彼女は彼を想って一歩を踏み出せずにいる。

 そんな彼女に婚約の話が訪れたのは、リュディーが王家の影として働き始めてから三年後のことだった。

「ミストラル国の第二王子?」
「ああ、そのリスト・ニューラルに嫁いでほしい」

 一瞬、シルバーの長い髪の彼のことが浮かんだが、彼女は目を閉じてその幻を消す。

(きっとこれは王家にとって大切なこと、私が、私が嫁ぐことで国の為になるなら……)

 昔から責任感の強かった彼女は、自分自身の想いよりも国のことを優先してしまう。
 この恋とついに別れを告げるときが来たのだと、彼女は理解して国王に了承の返事をした。

(終わりにしましょう。この長い恋心を……)

 彼女はリュディーへの恋心を断ち切ることにした──
 婚姻に際して第二王子リストの迎えの船でミストラル国に渡ることになった彼女は、港に来ていた。
 大勢の見送りの国民、貴族たちが詰めかけている。

「クリスティーナ様、幸せになってください!」
「ええ、ありがとう」

 迎えの船の可動橋を渡って、リストがこちらに歩いて来る。
 クリスティーナはカーテシーで挨拶をすると、彼から差し伸べられた手を取って船に向かう。

 ふと振り返ると、今まで育ってきた王宮が見えた。
 そして皆見送りで手を振っている中に、リュディーはいない──

(やっぱり、来てくれないわよね……)

「どうかしましたか、クリスティーナ様」
「いいえ、なんでもありませんわ」

 そう言って手を引く彼についていく。

(さようなら、お父様。お母様。それから、私の初恋の人)

 彼女は新たな旅路に一歩踏み出した。

 その時、彼女の耳に聞き覚えのある声がした。
 
「クリスティーナ様っ!!! 行ってはなりませんっ!!!」
「コルネリア!? それに、レオンハルトまで……」

 見ると、幼馴染のレオンハルトとその妻であるコルネリアが必死に何かを訴えようとしていた。
 引き留められた彼女は、どういうことかわからず足を止めると、急に手を強く惹かれて船に引き込まれる。

「なっ!!!」
「こいっ!! 早くっ!!」

 先程までの温厚な顔つきとは比べ物にならないほどの怒りと焦りの表情を浮かべるリスト。
 彼に引っ張られる形で船に無理矢理引きずり込まれる。

(こわい……!)

 そう思った瞬間、誰かがリストの腕を蹴り飛ばした。
 思わず閉じてしまった目をゆっくり開けると、そこには彼女の愛しい人がいた。

「リュディー……」
「遅くなってしまい、申し訳ございません。クリスティーナ様」

 クリスティーナを守るように背中に庇いながら、敵を次々になぎ倒していく。

「クリスティーナ様、十秒後に陸のほうへ走ってください! 彼らが助けてくれます」
「──っ!」

 彼らというのが、幼馴染とその妻だと理解すると、クリスティーナは心の中で数えた。

(一、二、三……)

 リュディーがその間も襲い掛かる敵を倒し、クリスティーナの退路を確保する。

「今ですっ!」

 クリスティーナは十秒のカウントと同時に彼に背中を押されて走り、レオンハルトとコルネリアのもとに走った。

「コルネリアっ!!」
「クリスティーナ様っ!!」

 抱き留めたコルネリアと、二人を守るようにして戦うレオンハルト。
 リュディーとレオンハルト──
 三年ぶりの共闘は、大事な人を守る戦いとなった。


 クリスティーナはリュディーに付き添われて王宮の自室だった場所に戻っていた。

「まさか、リスト様がミストラル国だけじゃなくうちを侵略しようとしていたやつだったなんて」
「申し訳ございません。クリスティーナ様を危険に晒してしまいまして」
「ううん。大丈夫。助けてくれたもの。レオンハルトも、コルネリアも、それに、あなたも」

 クリスティーナはそっとリュディーに近づき、頬を触った。

「傷……」
「大丈夫です。かすり傷ですから」
「待って。確かこっちに緊急の医療セットがあったはずだか……っ!!!!!」

 クリスティーナの言葉は強く抱きしめられた衝撃で途切れた。

「リュディー!?」
「嫌ですか?」
「え?」

 彼の吐息が耳元に直接あたって刺激する。