聖女の力を失った私は用無しですか?~呪われた公爵様に嫁ぎましたが、彼は私を溺愛しているそうです~


 レオンハルトが彼女に声をかけたのは、彼女が数百年に一度と言われるほどの強い力を持った聖女だからではなかった。
 ただ、2歳ほどの小さな子供が皆と遊ばずに大きな木の下でずっと座って眺めているのが不思議だったからだ。
 そして何より、彼の目には彼女の綺麗な淡いピンク色の髪が美しく映り、心惹かれた。
 当時7歳であり、いつか公爵になる後継ぎの身だったレオンハルトは、教会や孤児院のような自分とはまた違う境遇にいる人々のことを理解しようとしていた。
 それは哀れみや優越感に浸りたいわけではなく、彼の祖父であるヴァイス公爵が心優しく領民に寄り添った統治をしていたことに起因する。
 ただそれ以上にレオンハルトは不思議とこの目の前にいる少女のアメジスト色の瞳に吸い込まれそうなほど心を奪われており、それは恋と呼ぶにはまだ小さすぎてふわっとしたそんな感情だった。

「コルネリアは綺麗な髪をしているね」
「しすたーにもほめられるよ。こるねりあ、うれしいんだ」

 そう言いながら彼女は自分の傍らで枯れてしまっていた花に手をかざし、不思議な力を与える。

「──っ!」

 レオンハルトが驚くのも無理はなかった。
 彼女が手をかざしただけで、なんと枯れていた花がまた太陽の方へと顔を向けて花びらを開いたのだ。
 噂には聞いていたが実際にその癒しの力を目にすると、レオンハルトは息を飲むほど驚き、そのまま横に座ってご機嫌そうに足をバタバタとさせる彼女を見遣る。

 レオンハルトが初めて教会に向かったすぐ後で、ヴァイス公爵は病に倒れそのまま息を引き取った。
 弱冠7歳にしてヴァイス家の当主となったレオンハルトを待っていたのは、凄まじい量の仕事と後継ぎとしての勉強の日々──
 彼が教会を訪れることはその後しばらくなかった。



◇◆◇



「ミハエル、この申請書を王宮税理課に提出してもらえるか」
「かしこまりました、レオンハルト様」

 レオンハルトは徹夜で作業を終えたあと、首を回して目をしぱしぱとさせながら一息つく。
 ようやくたまっていた今年度分の申請書を処理し終えたところで、先程メイドが運んできた紅茶を飲みながら領内の資料に目を通し始める。

「今年は不作の予想か。ミハエルを通じて各領主にいつでも減税の命を出せるように準備をしておくか」

 ヴァイス公爵家の領地は王都に近い代わりにそれほど大きくはなかった。
 それが先代公爵──レオンハルトの祖父が領民たちに密接に関わって政治が出来た要因ではあるのだが。
 領民に寄り添った治世の引き継ぎを目指しているレオンハルトも、貴族としての所作や知識だけではなく農業や繊維業、貿易業などあらゆる知識を得るように努力をした。
 そんな彼は、ふと報告書の中にある一つの資料が気になって目を止めた。

「婚約者か」

 彼の一番の側近であるミハエルはレオンハルトとほぼ年が変わらないにも関わらず、これまた彼の母親のように世話焼きな性格で、レオンハルトの婚約者候補を見つけては資料に忍ばせているのが常だった。
 今日もいつものことかと思いながら目を通していると、その婚約者候補の令嬢の髪がピンク色だったことに目がいった。

「淡い、ピンク……」

 その淡く、花のように華やかな髪は彼を一気に昔に引き戻し、そして幼い頃に祖父に連れられて行った教会の少女のことを思い出させた。

「コルネリア」

 ふと口に出してみた彼女の名は、彼自身の中で強く「会いたい」と思わせるのに十分だった。
 一度しか会ったことのない小さな少女のことが気になり、資料を漁ってその教会と孤児院について調べた。
 するとその教会と孤児院はヴァイス公爵家の管轄ではなく、王族管轄に戻っていたのだ。
 先代ヴァイス公爵が亡くなった際にあまりにも幼い当主であるレオンハルトの負担を軽くするため、王命によって王族管轄にいくつか戻ったものがあり、そのうちの一つの事業が福祉事業であった。

(なるほど、おじい様が亡くなった時に王家に戻されていたのか)


 そして、教会と孤児院が王家の管轄に戻った直後に、コルネリアに悲劇が訪れていた──
 レオンハルトはすぐに当時行った教会を訪ねるために、親戚でもあり友人でもあるクリスティーナ王女に今その教会がどうなっているのか尋ねた。

「ああ、あの丘の上の教会と孤児院よね? 確かお父様が引き継いで、私もたまに伺うわね」
「その教会にコルネリアという少女がいたはずなんだが、知っているか?」
「コルネリア……ああ、確かだいぶ前にルセック伯爵家に引き取られたそうよ」
「ルセック伯爵?」
「そう、なんでも子供がいなくて養子として引き取ったみたいだけど」
「ありがとう、ルセック伯爵だな」

 レオンハルトがあまりに熱心に尋ねるものだからクリスティーナは何か勘ぐったように口角をあげて彼に尋ねる。

「なあに? その女の子のことが気になるの? まさか、初恋?!」
「そうじゃない」

 幼馴染でもあるレオンハルトとクリスティーナは軽口を叩いたり、また彼女が少しからかうように彼の肩を叩いたりする。
 まあ、どちらかと言えば言葉数の少ないレオンハルトが彼女のおしゃべりや活発な行動を受け取る側なのだが。
 そんな光景は見慣れたというような感じでメイドたちも、ふふふと口元に手を当てて笑いながら見ている。
 ただ、彼の中で今回ばかりはすでにコルネリアの行方のほうに考えが向かっていたようで、話を早々に切り上げるとそのまま家に引き返した。



◇◆◇



 家に着いたレオンハルトは早速ペンを執り、ルセック伯爵宛の手紙を書き始めた。
 もちろん彼女がどうしているのか、元気にしているのか、と聞こうとしたが、そう思ったところで、そういえば伯爵家でなんでも治す医者いらずの不思議な事業をしているというきな臭い噂を聞いたことがあることを思い出した。
 確かうちにいたメイドが廊下で噂話のようにしていた、なんてことを思い出す。

(治癒の力?)

 病気を癒す不思議な少女の話や「聖水」と言ってご利益や不思議な力のある水を売っていたとかなんとか。
 そんなふわっとした噂の内容を自分の記憶から必死に手繰り寄せるが、真偽のほどがわからなかったためひとまず「コルネリアに会いたい」ということだけ伝えた。


 数日後に手紙の返信が来たのだが、そこにはレオンハルトが予想もしていなかった言葉が書かれていた。

「コルネリアは死んだ……?」

 手紙にはコルネリアが5歳の時に聖女の力を失くしてそのまま病気になって死んだと書かれていたのだ。
 にわかには信じがたくそして何かの間違いであってほしいと願うレオンハルトであったが、胸をぐさりとナイフで刺されたようなそんな衝撃が訪れて思わず呆然としてしまう。

「ミハエル」
「はい、何でしょうか」
「コルネリアが本当に死んだのかどうか、それとこの家のことを少し調べてくれないか。聖水やら治癒やらがどうなったのか、今もやっているのか気になる」
「かしこまりました」

 近くに控えていた側近であるミハエルにそう調査依頼を出す。
 彼は胸の前に手を当てて挨拶をしたあと、部屋を出て調査に向かった。

 その後の調査で、レオンハルトはコルネリアが商売の道具に使われたこと、聖水などの事業を伯爵家が突然辞めたこと、また彼女が家で目撃されなくなったことを知る。
 さらにミハエルのより詳しい調べによって、コルネリアは地下牢のような場所で幽閉されて死んだことにされているとわかった。





 そこまで話し終えると、レオンハルトはベッドの上で横になるコルネリアの頭を優しくなでる。

「生きていてくれてよかった。まずはそう思ったよ」
「私のことをどうしてそんなに」
「なぜだろうね。その時はわからなかった。婚約者選びに疲れたとか、ふと君のことを知って善意から救いたくなったとか。いろいろ考えた」

 レオンハルトの言葉に対して、そうだ、自分にはそんな程度の価値しかないし当たり前だというような思いでコルネリアは耳を傾けていた。
 だって、こんな公爵で何不自由なく、そして見目麗しい方が自分を選んで妻にするなど、何か気が狂ったのではないだろうかとさえ思う。
 しかしその後に続いた言葉は彼女にとっても意外な言葉だった。

「好きなのかもしれない、君のことが」
「え?」
「君がなんだか気になって、そう、本能的に求めてしまう。そんな存在だから。だから、僕は君を引き取って妻にした」

 なぜそんな真っすぐに私を見つめてくるのだろうか、とコルネリアは心の中でそう思った。
 目の前にいる自分の意識の中では数日前に会ったばかりの彼が、こうしてあたたかく優しい好意を向けてくれることに彼女はどう応えていいか戸惑った。
 その戸惑いをなんとなく感じたレオンハルトは、彼女に「妻を受け入れるのはゆっくりでいいから。いつまでも待つから」と言う。
 ベッドに寝る彼女は自分の手を握る彼を見ながら、もう聖女の力を失ってしまった自分に何の価値があって、彼は自分に何を求めるのだろうか、とふと思いを馳せた。


 コルネリアはこの時、自分が力を失くしてしまった理由をまだ知らない──