コルネリアはどうしていいか迷い、グラスの縁を指でなぞっては目を泳がせる。
そう、今日は彼の誕生日。
好きな人の誕生日という絶好の機会を逃すわけにはいかない、そう思ってコルネリアは自分の中に眠っていた気持ちを打ち明けた。
「恋をしました」
「……え?」
あまりに予想外の言葉がコルネリアから出てきたため、目を丸くして食事をする手が止まった。
レオンハルトがコルネリアに目を向けると、もう彼女は顔が真っ赤どころの騒ぎではない、耳も真っ赤になり、瞬きは速く、そして膝にちょこんと置かれた両手も小刻みに震えていた。
そのあとすぐに間に耐えられないといった様子で目をぎゅっと閉じる彼女を見て、レオンハルトはカトラリーを置いて彼女の元へと向かう。
「──っ!!」
コルネリアは気づくとレオンハルトに後ろから抱きしめられていた。
首元に回された逞しい腕、そして伝わってくるあたたかさの中に少し彼の緊張が混じっているような気がした。
「ようやく気づいてくれた」
「え?」
「僕はずっと前から恋をしていたのに」
レオンハルトはコルネリアの首元に顔をうずめて耳元で囁く。
「僕の可愛い奥さん、ようやく僕を見てくれた」
「──っ!!」
「最高の誕生日、君から一番嬉しいプレゼントをもらえた」
そう言って、彼はゆっくりと唇をコルネリアの首に触れさせる。
『恋』をした二人は、想いを少しずつ伝え合って微笑んだ──
コルネリアが恋に自覚をして想いを伝えた少し前、ルセック家では大変な騒動が起こっていた。
ルセック伯爵の不貞によって、伯爵夫人は怒り狂って実家に帰ったあと、自分の夫の不倫を父親に訴えた。
娘の訴えを聞き、義理の息子に対して大きな怒りを覚えた彼は、ルセック邸に乗り込んだのだ。
「どういうことだね、ビストくんっ!!」
「お、お義父さんっ!!」
「娘から聞いたよ、不倫して娘を悲しませるとはどういう領分なんだっ!!!!」
「いや、その、えっと……」
あまりの形相と彼の立場からして、恐ろしすぎてルセック伯爵はその場にへたり込む。
それも無理ない。
ルセック伯爵夫人の父親は、鬼のように恐ろしく筋肉隆々の体つきをしており、さらに気性も荒くて有名だった。
巷では彼の赤い目の色と性格から、『鉄血伯爵』と呼ばれているほどで、彼の怒りを買ったものは等しく生気を失うほどになる。
そんな彼の娘と結婚したわけだが、同じ伯爵家格であっても彼女の家のほうが上であった。
特に夫人と結婚してからは、ルセック伯爵は多額の支援金を彼女の実家、つまりこの『鉄血伯爵』と呼ばれるチャール伯爵から受け取っており、頭が上がらなかった。
そんな状況下での不倫発覚。
もうルセック伯爵にとって最大のピンチと言っても過言ではない。
その場にへたり込んだ彼は、チャール伯爵の形相に恐れをなしてがくがくと震えながら何も言い返せずにいた。
チャール伯爵のすぐ後ろには、ルセック伯爵夫人がふん、といった様子で腕組みしながら夫を見ている。
「君を信用して多額の支援をしたんだよっ!! まさか恩を仇で返すとはなっ!!」
「違うんですっ!! これにはわけが……!!!」
「不倫にわけも何もあるかっ!! うちの娘を悲しませた罪は重いぞ?!」
「ひいいっ!!!!!!!!」
鬼のように憤慨して真っ赤にした顔がルセック伯爵の顔に近づけられ、彼はもう虫の息。
その様子を見てルセック伯爵夫人は、いい気味ね、といった感じでにやりとその赤い紅で彩られた形のいい唇を動かして笑う。
そして、少し収まったかに思えたチャール伯爵が、ルセック伯爵に目をやったまま笑って、そして一気に怖い顔に変化して低い声で言う。
「さて、次はお前の番だな。ミレット」
「……え?」
チャール伯爵はルセック伯爵へ向けた目をそのまま少し後ろにいた娘であり、ルセック伯爵夫人である彼女へと向けた。
なぜ自分がそのような目を向けられるのかわからず、戸惑いを隠せない。
すると、チャール伯爵は冷たい表情を娘のミレット、そしてもう生気を失っているルセック伯爵に告げた。
「お前たちは子供ができないからと聖女の子供を引き取ったといっていたな」
「──っ!!」
「その子にどんな仕打ちをした? お前たちは愛情を向けず、道具のように扱い、そして力が尽きた彼女を地下牢で何年も閉じ込めたそうだな」
「なぜ、それを、お父様が……」
その答えにすぐさま答えることはせずに、代わりにミレットに言う。
「ミレット、お前がいくらうちに戻りたいと言ってきても、もううちの敷居を跨がせはしない」
「お父様っ!! それはっ!!」
「そんな非情で人間の温かみの欠片もない仕打ちしかできないお前は、不倫をされても自業自得だ。勝手にしなさい」
「そんな……!」
ミレットはよほど驚いたのか、まさか自分に矛先が向けられると思っていなかったのか、泣いて叫ぶもチャール伯爵は取り合わない。
そして最後に、といった様子でチャール伯爵は懐から封筒を取り出すと、ルセック伯爵の前に置く。
「さあ、私から言いたいことはこれで終わった。あとはその招待状を持って王宮に向かうといい」
呆然とするルセック伯爵の代わりに、その封筒を乱暴に開けると、中に書いてある文章をみてミレットは血の気が引く。
「ヴァイス公爵からの、招集命令……」
彼の呼び出し……つまりは王族からの呼び出しを受けて、二人ともその場に座って動けなくなった。
裁きの時が近づいていた──
チャール伯爵から招待状を受け取ったルセック伯爵と伯爵夫人が、ようやく重い腰を上げて恐る恐る王宮に向かったのがその数日後。
王宮へ向かうとすでに待っていたかのように衛兵がこちらに、という様子で案内をする。
そして二人が連れて来られたのは、なんと並の貴族では到底足を踏み入れることのできない、謁見の間であった。
「「──っ!!」」
そこにはすでにレオンハルトとコルネリアが玉座下の横に控えており、ルセック伯爵夫妻との久々の再会となった。
二人の様子を見てさらに居心地の悪そうな表情を浮かべるルセック伯爵と夫人は、そっと案内された場所に立つ。
すると、そこに堂々とした出で立ちで国王があらわれると、レオンハルトたち、その場にいた皆が一斉に恭しく礼をする。
国王はそれらを一瞥して玉座に着くと、話を始める。
「ルセック伯爵、ならびに伯爵夫人。ここに呼び出された理由はわかるな」
「は、はい……」
ルセック伯爵は事前の招待状という名の勧告書によって、コルネリアへの虐待についてを咎められることを知っていた。
そしてそれを受けて他国へ亡命しようとしたのだが、なんと使用人であったメイドによって隠し金庫に入れていた財産を全て奪われており、どうすることもできなかったのだ。
さらに悪いことに亡命しようとした動きを王国の影であるリュディーに調べられ、それを王国に報告されていた。
「何か申し開きはあるか?」
「いえ……」
だらだらと汗が流れ落ちており、どのような処遇を言い渡されるのか恐怖心で溢れているルセック伯爵、そして納得がいかないというような表情を浮かべる伯爵夫人がいる。
義理とはいえ、自分の父親と母親である彼らを、コルネリアは悲しい目で見つめていた。
そうだ、この人たちは罪を償わなければならない。
「コルネリアを商売道具として扱った上に、用なしと感じるや否や酷い扱い環境下で生活をさせた。まずこれ自体が虐待罪にあたる、わかるな?」
「……」
「さらに、君を調べるうちにどんどん悪いものが出てきたよ」
国王がレオンハルトに目を遣ると、私が代わりに話しますと言った様子で資料を片手に話し始めた。
「ルセック伯爵、お久しぶりですね。コルネリアを虐待していた罪、私は許しませんよ?」
「ひいっ!」
いつもとは明らかに違う低い声と様子、そして表情を横目で見て、コルネリアは驚く。
「それに、実はあなたを調べていたら、多くの罪が出てきましてね、その一つがフィードル伯爵家の没落の原因となった貿易不正。あれは、あなたが裏で糸を引いていましたね?」
「……知りません」
「しらを切っても無駄ですよ。ある人物から不正に関する証拠の資料、帳簿、全ていただきましたから」
「なっ?!」
束になった証拠資料を掲げてルセック伯爵に突きつけながらレオンハルトは言う。
「あなたの家の財産を盗んだメイド、なんのために盗んでいたか知っていますか? ……復讐ですよ、あなたへの」
「復讐?」
「彼女はもともとフィードル伯爵家で最後まで雇われていたメイド。フィードル伯爵夫妻が命を絶った後もその娘であるご令嬢に仕えていたメイドですよ」
「──っ!!」
「主人であるフィードル伯爵夫妻のため、そしてそのご令嬢であるテレーゼ嬢のために、あなたの財産を奪ったんです」
そう、全ては自分の蒔いた種であり、それが返ってきた。
因果応報という、それだけの話であった。