「よろしくお願いします……」
「よろしくお願いします」
お互い挨拶をすると手元に移動させた碁笥の中から、それぞれ石を握る。
そして相手に見えないようにしたまま握った手を盤の上に置く。
白石を握るほうはたくさん握り、黒石を握るほうは1個か2個握って、白石の数が奇数か偶数かを当てる。
たとえばもし白石が11個で黒石が1個なら、奇数であることを当てたことになり、そのまま黒番として打ち始めることになる。
逆に奇数か偶数かを外した場合は碁笥を交換して白番として打つことになる。それがニギリと呼ばれるルールだ。
俺は黒番のほうが勝率がいい。できれば黒を持ちたい。
女がたどたどしい手つきで白石を2個ずつ動かして数えていく。目線の動きもおどおどしてるように見える。
……なんだ? 置き碁ばかり打ってて互先に慣れてないのか? それとも久しぶりなのか?
なんにしても女の様子はどうにも自信なさげだった。
大した実力もないのに友達に誘われて仕方なく参加することになった、……そんなところだろうか。
「……8、……10、……12。……これで13個。奇数です」
わざわざ口に出す必要はないのに、女はそう宣言した。こっちも奇数、つまり俺のほうが黒番になることが決まった。
よし、運がいい。黒番ならいい感じで打てそうだ。
それにこんな不安そうにしてる女なら簡単に勝てるかもしれない。初戦で圧勝して一気に弾みをつけてやる!
「――どうだった、かさちゃん?」
対局のあと碁石と碁笥を片付け終わると、いつの間にかさきちゃんがうしろから覗き込んでいた。
男の子は片付け終わったあと、下唇を噛んだまますぐにどこかへ行ってしまった。だから私は遠慮なく結果と感想を伝えた。
「勝ったよ。でも正直相手がそんなに強くなかったかな。
もしかしたら囲碁を始めてそんなに日が経ってないのかも」
「ふーん、それならラッキーだね。相手が大したことなくて」
そう言いながら笑う彼女の結果は、聞くまでもないだろう。彼女ならどんな相手でもきっと負けない。
さきちゃんの棋力ならきっとあっさりと本戦出場を決めてしまうのだろう。
それを間近に見られるだけでも私がこの大会に参加した意味はあったのかもしれない……。
「――それで結局、ふたりとも都代表になって、本戦トーナメントの準決勝で争うことになるとはな。
それにこの大会でまた成長したんじゃねえか? 予選のときのままなら本戦ではいい成績は残せなかっただろう。
いやはや、すべて俺の見込んだ通りだが、ふたりともたいしたもんだ」
予選から約2ヶ月半後の本戦を終えた翌日、ふたりで碁会所に行って哲さんにその結果を報告した。
本戦は2日がかりで行われ、そこでもまたリーグ戦があり、その突破者がトーナメントに進出するという形式だった。
私は本戦トーナメントの準決勝でさきちゃんと当たって負けちゃったけど、その後の3位決定戦ではどうにか勝つことができた。
でも、さきちゃんも決勝の相手には敗れた。その相手は以前『院生』と呼ばれるプロ棋士の養成所に通っていたらしい。
負けたとは言え、そんな相手とほとんど互角の勝負をしていたのだから、やっぱりさきちゃんはすごかった。
そういう私も思ってた以上にいい成績を残すことができたけど、あまりにとんとん拍子過ぎて結局自分の力のほどはよく分からなかった。
「でも、できれば優勝したかったなー。惜しかったんだけどな。
あそこでキリじゃなくてノビを選択してれば……」
「さきちゃんはすぐ乱戦にしようとするから。
もう少しじっくりと打てば勝てたと思うな」
「そいつはどうかね。それぞれ棋風にあった打ち方をするのが一番よ。
無理に自分に合わない打ち方をしても勝てるようになるとは限らねえな」
囲碁の打ち方は人それぞれってことか。確かにそれは一理あるかもしれない。
それに普段と違う相手と戦うのも本当に勉強になった。
こちらの星打ちにカカリじゃなくて、いきなり三々に入ってくる子がいたのも驚いた。
あとでスマホで調べてみたら、最近流行しているAI流の打ち方で、中国のトップ棋士も採用して話題になったんだとか。
「写真を飾るのはこのあたりでいいかしら」
その声がするほうに目を向けると、千鶴子さんが何かの写真をフォトフレームに入れて奥の壁側の棚に飾ろうとしているところだった。
……って、あれは私とさきちゃんが表彰されたときの写真!?
あんまり目立つところに置かれるのは恥ずかしいな……。せめてカウンターの裏側の棚にしてくれないだろうか。
緊張してるせいもあって写真写りもあまりよくないし。でも哲さんも千鶴子さんも嬉しそうだし、我慢するしかないか。ぐぬぬ……。
それからまた数ヶ月のときが過ぎて新年を迎えることになった。
年末年始の間は哲さんの碁会所もお休みだったから、さきちゃんとはお互いの家に行って碁を打った。
ちなみに大会の会場だった日本棋院という囲碁の施設でもお客さん同士での対局ができるらしいけど、やっぱり年末年始はお休みだったので行くことはなかった。
いや、もし営業してたとしても、さきちゃんとふたりで打つだけならお互いの家でいいだろう。
どちらの家にも折り畳みの安い碁盤しかないけど、それで十分だった。
そして今日から正月明けで哲さんの碁会所もまた営業を始めているはずだ。
学校帰り、久しぶりの碁会所でウキウキなのか、さきちゃんはスキップしながらいつもの雑居ビルへと向かっていた。
「さきちゃん、危ないよ。
昨日雪が降ったばかりだし気を付けないと転んじゃうよ」
「平気だよ。私、運動神経いいもん。
かさちゃんと違ってね」
「む。なんでそんな意地悪言うの! 心配してあげてるのに」
「あはは、本当のことだもーん」
そんなじゃれ合いもいつものことだ。
来年度からは中学生になるけど、多分同じ中学に通うことになるし、このままずっとこんな関係が続けばいいな。
私はさきちゃんの悪ふざけに付き合って、やや早歩きで追いかけて捕まえようとする。
もちろん彼女はそう簡単には捕まらない。私だって本気で捕まえようとしているわけではないけれど。
そんな追いかけっこをしているうちに雑居ビルの前までたどり着いた。
しかし、コンクリートの階段を上って、ガラス張りの扉の前に立ったとき、私たちは異変に気が付いた。
「長期休暇……?」
先にそう呟いたのはさきちゃんのほうだった。
ガラス張りの扉に手書きの張り紙がしてあって、そこにはしばらく碁会所をお休みするというお知らせが書いてあったのだ。
しかも、どれくらいのお休みになるのかは分からないらしい。
理由も諸事情のためとあるだけで具体的なことは何も分からなかった。
「年末にも、そんなこと言ってなかったのに」
さきちゃんは私への問いかけなのか独り言なのか分からない声色でそう言った。
それは残念そうというよりも、突然のことで不思議に思っているような感じだった。
私たちは去年の最後の営業日まで哲さんの碁会所に通っていたけど、そのときは正月明けには営業を再開するような口振りだった。
「よろしくお願いします」
お互い挨拶をすると手元に移動させた碁笥の中から、それぞれ石を握る。
そして相手に見えないようにしたまま握った手を盤の上に置く。
白石を握るほうはたくさん握り、黒石を握るほうは1個か2個握って、白石の数が奇数か偶数かを当てる。
たとえばもし白石が11個で黒石が1個なら、奇数であることを当てたことになり、そのまま黒番として打ち始めることになる。
逆に奇数か偶数かを外した場合は碁笥を交換して白番として打つことになる。それがニギリと呼ばれるルールだ。
俺は黒番のほうが勝率がいい。できれば黒を持ちたい。
女がたどたどしい手つきで白石を2個ずつ動かして数えていく。目線の動きもおどおどしてるように見える。
……なんだ? 置き碁ばかり打ってて互先に慣れてないのか? それとも久しぶりなのか?
なんにしても女の様子はどうにも自信なさげだった。
大した実力もないのに友達に誘われて仕方なく参加することになった、……そんなところだろうか。
「……8、……10、……12。……これで13個。奇数です」
わざわざ口に出す必要はないのに、女はそう宣言した。こっちも奇数、つまり俺のほうが黒番になることが決まった。
よし、運がいい。黒番ならいい感じで打てそうだ。
それにこんな不安そうにしてる女なら簡単に勝てるかもしれない。初戦で圧勝して一気に弾みをつけてやる!
「――どうだった、かさちゃん?」
対局のあと碁石と碁笥を片付け終わると、いつの間にかさきちゃんがうしろから覗き込んでいた。
男の子は片付け終わったあと、下唇を噛んだまますぐにどこかへ行ってしまった。だから私は遠慮なく結果と感想を伝えた。
「勝ったよ。でも正直相手がそんなに強くなかったかな。
もしかしたら囲碁を始めてそんなに日が経ってないのかも」
「ふーん、それならラッキーだね。相手が大したことなくて」
そう言いながら笑う彼女の結果は、聞くまでもないだろう。彼女ならどんな相手でもきっと負けない。
さきちゃんの棋力ならきっとあっさりと本戦出場を決めてしまうのだろう。
それを間近に見られるだけでも私がこの大会に参加した意味はあったのかもしれない……。
「――それで結局、ふたりとも都代表になって、本戦トーナメントの準決勝で争うことになるとはな。
それにこの大会でまた成長したんじゃねえか? 予選のときのままなら本戦ではいい成績は残せなかっただろう。
いやはや、すべて俺の見込んだ通りだが、ふたりともたいしたもんだ」
予選から約2ヶ月半後の本戦を終えた翌日、ふたりで碁会所に行って哲さんにその結果を報告した。
本戦は2日がかりで行われ、そこでもまたリーグ戦があり、その突破者がトーナメントに進出するという形式だった。
私は本戦トーナメントの準決勝でさきちゃんと当たって負けちゃったけど、その後の3位決定戦ではどうにか勝つことができた。
でも、さきちゃんも決勝の相手には敗れた。その相手は以前『院生』と呼ばれるプロ棋士の養成所に通っていたらしい。
負けたとは言え、そんな相手とほとんど互角の勝負をしていたのだから、やっぱりさきちゃんはすごかった。
そういう私も思ってた以上にいい成績を残すことができたけど、あまりにとんとん拍子過ぎて結局自分の力のほどはよく分からなかった。
「でも、できれば優勝したかったなー。惜しかったんだけどな。
あそこでキリじゃなくてノビを選択してれば……」
「さきちゃんはすぐ乱戦にしようとするから。
もう少しじっくりと打てば勝てたと思うな」
「そいつはどうかね。それぞれ棋風にあった打ち方をするのが一番よ。
無理に自分に合わない打ち方をしても勝てるようになるとは限らねえな」
囲碁の打ち方は人それぞれってことか。確かにそれは一理あるかもしれない。
それに普段と違う相手と戦うのも本当に勉強になった。
こちらの星打ちにカカリじゃなくて、いきなり三々に入ってくる子がいたのも驚いた。
あとでスマホで調べてみたら、最近流行しているAI流の打ち方で、中国のトップ棋士も採用して話題になったんだとか。
「写真を飾るのはこのあたりでいいかしら」
その声がするほうに目を向けると、千鶴子さんが何かの写真をフォトフレームに入れて奥の壁側の棚に飾ろうとしているところだった。
……って、あれは私とさきちゃんが表彰されたときの写真!?
あんまり目立つところに置かれるのは恥ずかしいな……。せめてカウンターの裏側の棚にしてくれないだろうか。
緊張してるせいもあって写真写りもあまりよくないし。でも哲さんも千鶴子さんも嬉しそうだし、我慢するしかないか。ぐぬぬ……。
それからまた数ヶ月のときが過ぎて新年を迎えることになった。
年末年始の間は哲さんの碁会所もお休みだったから、さきちゃんとはお互いの家に行って碁を打った。
ちなみに大会の会場だった日本棋院という囲碁の施設でもお客さん同士での対局ができるらしいけど、やっぱり年末年始はお休みだったので行くことはなかった。
いや、もし営業してたとしても、さきちゃんとふたりで打つだけならお互いの家でいいだろう。
どちらの家にも折り畳みの安い碁盤しかないけど、それで十分だった。
そして今日から正月明けで哲さんの碁会所もまた営業を始めているはずだ。
学校帰り、久しぶりの碁会所でウキウキなのか、さきちゃんはスキップしながらいつもの雑居ビルへと向かっていた。
「さきちゃん、危ないよ。
昨日雪が降ったばかりだし気を付けないと転んじゃうよ」
「平気だよ。私、運動神経いいもん。
かさちゃんと違ってね」
「む。なんでそんな意地悪言うの! 心配してあげてるのに」
「あはは、本当のことだもーん」
そんなじゃれ合いもいつものことだ。
来年度からは中学生になるけど、多分同じ中学に通うことになるし、このままずっとこんな関係が続けばいいな。
私はさきちゃんの悪ふざけに付き合って、やや早歩きで追いかけて捕まえようとする。
もちろん彼女はそう簡単には捕まらない。私だって本気で捕まえようとしているわけではないけれど。
そんな追いかけっこをしているうちに雑居ビルの前までたどり着いた。
しかし、コンクリートの階段を上って、ガラス張りの扉の前に立ったとき、私たちは異変に気が付いた。
「長期休暇……?」
先にそう呟いたのはさきちゃんのほうだった。
ガラス張りの扉に手書きの張り紙がしてあって、そこにはしばらく碁会所をお休みするというお知らせが書いてあったのだ。
しかも、どれくらいのお休みになるのかは分からないらしい。
理由も諸事情のためとあるだけで具体的なことは何も分からなかった。
「年末にも、そんなこと言ってなかったのに」
さきちゃんは私への問いかけなのか独り言なのか分からない声色でそう言った。
それは残念そうというよりも、突然のことで不思議に思っているような感じだった。
私たちは去年の最後の営業日まで哲さんの碁会所に通っていたけど、そのときは正月明けには営業を再開するような口振りだった。