――私は3年前、幼馴染の彼からお別れの印としてくまのぬいぐるみをもらった。



 街を彩る桜が満開の中、私はこの春、高校に入学した。春にしか吹かないような温かく、そして心地よい風を味方にして私は高校という地に足を踏み入れた。最近中学校の卒業式を迎えたばかりのはずなのに、今度は高校の入学式を迎えるのか。昇降口の前にある『入学式』と文字が書かれた看板が私の心をより高める。

 私は自分の教室がどこにあるのかを確認してからその教室へと向かう。私のクラスは1年1組だった。この高校には入試のときとかに何度か来たことがあるはずなのに、その時とは全然違う所に来ているような錯覚を感じてしまう。

 教室に入ると私は出席番号と同じ席に座る。周りを見渡すともちろん知っている人なんて一人もいなかった。みんな、初めて見る姿。でも、私はこの1年を通してこの人たちとともに成長していくのか。一年後にはみんなの名前を言えるようになっているのか。ちょっと不思議だ。中学校の頃はみんながワイワイとはしゃいでいたのに今はみんな、そんなことをする雰囲気はなくただ静かに座っている。この新鮮な空気、得意ではないけど決して嫌いではない。

 ――キンコンカンコン、キンコンカンコン。

 入学してから初めてのチャイムが鳴って、担任の先生らしき人がこの教室に入ってきた。第一印象としては私の幼馴染が大人になったらこんな風になっているんじゃないか……そんなように整った男の人だった。
 
 それから先生は説明などをしてから私たちを入学式の会場である体育館に誘導した。

 ――私の幼馴染。その幼馴染は私と同い年の男の子だ。彼とは家が近く、親がお互い同じ職場で働いていたこともあって自然と私たちも仲良くなっていった。幼稚園生の頃は砂場遊び、小学生の頃は低学年のときにはおままごとなど、高学年になっても縄跳びや鉄棒などで仲良く遊んでいた。彼はいつでも優しく私に対しても他の人に対しても気遣ってくれるし、私の誕生日やクリスマスには決まってプレゼントを贈ってくれた。同い年だけれど、今思えばまるでお兄ちゃんみたいな存在だった。でも、これにはいつか終わりが来るもので、彼が急遽引っ越すことになったのだ。それは私たちが中学生になる前のことだった。お別れの印として彼は私にあるものを渡してきた。それが今でも私のベッドの横に大切に置かれているくまのぬいぐるみだ。

『これが僕の代わりだ。いつまでもこいつが見守ってるから。でも、僕が見守る必要がなくなったら捨ててくれ』

 そう言って彼は去ってしまったのだ。その後ろ姿を最後まで私は目に焼き付けた。だから、今でもその場面は彼と過ごした中で一番記憶に残っている。

 それからもう3年が経ったのか。彼と別れてから一度も会えていないから彼が今、どこで何をしているのかなんて分からない。でも、彼のことだ、きっと私にとって見本になる人生を送っているはずだ。だけど、あの時から3年分大きくなった高校生の私の姿をこんなになったんだよと見せたい気持ちもどこかにある。

 体育館の前に新入生全員が着き、時間になると私たちの入場が始まる。多くの人の拍手でこの会場が包まれる中、私は胸を張って前の人に続いて歩く。

 入学式のプログラムは順調に進んでいき、次は生徒の名前が一人ひとり呼ばれる。私は1組なのですぐだ。名前を呼ばれた生徒が順番に起立をし返事をしていく。

小波友梨(こなみゆり)

 担任の先生が私の名前をサラリと読み上げた。私はその名前をしっかりと聞いてから起立して返事をする。その瞬間、私はこの高校の生徒の一員になったんだという自覚が強く湧き上がってきた。

田野哲弘(たのてつひろ)

「はい」

 私の後に何人かの名前が呼ばれ、次にその名前が読み上げられた。その名前が呼ばれた瞬間、私は視線をその人に向けた。

 田野哲弘。その名前が私の頭の中を駆け巡る。ただ、その名前と顔と過去が一致してしまった。田野哲弘という名前――私の別れたはずの幼馴染。ここからだと絶対あの人が私の知っている田野哲弘だと断言できるわけではないけど、あの姿に私は見覚えがあるのだ。もちろん、仮に彼が私の知っている田野哲弘だとしても最後に会ったのは3年前。この3年で見た目というのは少なからず変わってしまう。私の今見ている彼も3年前の田野哲弘とは少し違う。でも、何か面影のようなものがあるのだ。

 確かに、彼がここにいることがありえないわけではない。学力は私とそこまで大差ないし、数年経ったらもしかしたらまたこの地に戻ってくるかもとも言っていた気がするし。だから、本当にあれは彼なのかもしれない。

 ほんの少し前までは新しい気持ちで心の中は溢れていたはずなのに、違う気持ちが混じってくる。これは過去の気持ちだ。

 入学式の間、私は何回彼を凝視しただろうか。数えられないほどかもしれない。普通に考えれば私のやっていることは少し気持ち悪い。でも、本当に私の知っている彼なのか知りたいのだ。だけど、相手は残念ながら私の存在に気づいていないのか、もしくは気づいているけどあえて私の方を見ないようにしているのか、彼と目が合うことはなかった。

 入学式がいつの間にか終わっていた。本当にあっという間だった。彼のことだけを考えていた。だから、先生方がなんと言っていたのか一語も覚えていない。

 再びホームルーム教室に戻り、休憩時間になると私はすぐ田野哲弘という人の席に近づいた。ただ、この人が本当に私の知っている田野哲弘なのかは分からないから、そのことも考えて声をかけなければいけない。

 でも、少し緊張する。仮に私の知っている彼だとしても話すのは実に3年ぶり。大人の人にとっては3年は小さいものに感じるかもしれないけれど、私たちにとって3年という日々はとても大きなもの。でも、このままじゃ何も始まらない。私は思い切って声をかける。

「あの、田野哲弘くんだよね……? 私、小波友梨。あの、お、覚えてたりしないかな……?」

 もし、ここで知らないなと言われたら何って返せばいいんだろう。人違いでしたとでも言えばいいんだろうか。本当の彼だけど私のことは忘れてしまった――いや、本当の彼ならそんなことはない。私のこと、本当の彼なら覚えてくれているはずだ。

「えっ、ゆり……?」

 彼は私の方に視線を向けた。そして、なにか大切なことを思い出したかのような顔をした後に、私の名前を――『ゆり』と呼んだ。その声が私の心の中にあるどこかの引き出しを開けた。

 ――この声、彼で間違いない。

「うん、てっくん。私だよ。ほら、3年前に別れっちゃった幼馴染」

 私はこの瞬間から田野哲弘くんではなく、彼のことを当時呼んでいたあだ名で読んだ。てっくん、と。

「おー、まさか、こんなところで会えるなんて!」

 椅子に座っていた彼が、その椅子を放り出すかのような勢いで後ろに避けた後、立ち上がった。彼は、一瞬私に手を伸ばしてきてハグしてきそうになったけれど、あ、ごめんと言ってその手を元の位置に戻した。たぶん、再会できたとはいえここは高校だし、あくまで私たちは幼馴染。そのことを彼はちゃんと理解してその手を元の位置に戻したんだろう。

「ふふっ。まさか、会えるなんて思いもしなかった。引越したの?」

「うん、友梨の家からもそんな遠くないところにほんの数日前。まさか、友梨と同じ学校でそれも同じクラスだなんて少しびっくり」

「私も」

「じゃあ、もうそろそろ着席ー!」

 少し運の悪いタイミングで先生から着席の合図がかかってしまった。流石にこの合図を無視して彼と喋り私たちによくないイメージを持たれても困るので、私はしょうがなく席に戻る。

 でも、彼で間違いなかった。これは私にとってすごく大きなことだ。あの彼がこんなにも近くにいるんだもん。

「じゃあ、まず自己紹介でもしましょうか」

 入学したり進級したときに行う自己紹介タイム。まずは、先生が軽く自分の自己紹介をしてから、次はお隣の人と自己紹介だ。私のお隣の人はあまり見た目と第一印象だけで決めるのはよくないけれど、誰にも同じように優しく接してくれそうなそんなような女の子だった。

「初めまして、✕✕中学校から来た小波友梨です」

「こちらこそ初めまして、○○中学校から来た板持望心(いたもちみこ)です」

 この子の名前は、板持望心ちゃんか、よし覚えた。

「私の中学でここの高校に来たの自分ぐらいしかいないから知り合いが全くいないんだよね。友梨ちゃんは同じ学校の人とかいる……?」

 お互いの名前を述べ終え、私が次はどんなことを話そうか悩む前に望心ちゃん(相手が私のことを下の名前プラスちゃん付けで呼んできたから、私もそうした)が中学の話を振ってきてくれた。
 
「私も、同じ中学でこの学校に来たのは自分ぐらいしかいないかも……。でも、3年前に引っ越しちゃった幼馴染がいたんだ! 別れたときはお互いスマホ持ってなくて連絡が途絶えていたからある意味、再会かな……」

 彼のことを言うか少し悩んだけど、なんだか彼のことを紹介したかったので、名前は言わなかったけれど、幼馴染とある意味再会したことを話した。

「えー、なにそれ、すごいじゃん! そんなドラマみたいなことあるんだー」

 望心ちゃんは思った以上の反応をしてくれた。この子、関わりやすいかも。私の出来事に対してもこういう風に反応してくれるんだし。まだ、少ししか話してないのにどこか愛着心が湧いてしまった。

「私も本当にびっくりしてる。だから今、心臓がバクバクなんだよね」

 私は自分の心臓に手を当てた。いつもよりも心臓の音が早い。その原因は、彼に――ずっとずっと待っていた人に再会したことだろう。

「へー、1年間よろしくね!」

「うん」

 隣の人との自己紹介が終わると、今度はグループになって自己紹介をやることになった。机を4人班の形にするためにくっつける。今度は自分の名前と出身中学校をそれぞれ言い終わった後に先生が用意してきたというカードを引いて順番に自己紹介していく形式らしい。その前にまずは順番に名前と出身中学校を話していった。

「じゃあ、名前と出身中学を話し終わったので、次はカードで。僕から引きます」

 そう言うと、一番最後に自分の名前と出身中学校を述べた男の子がカードを一枚選んで、それを表にする。

「この高校に入った理由かー。待って、今、先生聞いてる?」

 その男の子は先生に聞かれては少しまずいことを今から言うのか、先生が近くにいないことをキョロキョロした感じで確認してからこの高校に入った理由を話し始めた。

「まあ、自分の学力と合ってたっていうのもあるけど、一番は購買のパンが美味しいうえに、購買のおねえさんが美人だって評判だから!」

 その男の子は私たちの方に身をもってきてヒソヒソ話でこの高校にした志望理由を発表した。確かに、先生に聞かれては少し困るかもしれない志望理由だ。そんな話に私たち班のメンバーは苦笑いしてしまった。苦笑いをしているけど、私もここまでではないがただ単に家から近くて自分の学力でも入れそうだったとかいう理由なので特には突っ込まなかった。

「じゃあ、次は私か」

 次の子が今度はカードを引く。そしてさっきと同じように表に返した。

「自分を動物に例えるとか……。これ、よくあるけど難しいんだよね」
 
 確かによくある定番の質問だけど、いざなんですかと言われると確かに難しいかもしれない。私の場合は一体何なんだろうかと自分に置き換えて考えてみる。

「んーでもやっぱ、カンガルーかな。バスケとかバレーとかやってたんだけど、それでよく飛んでたし」

「へー、そうなんだ。すごい!」

「私はあまりスポーツ得意じゃないから羨ましいなー」

「確かに、スポーツとか得意そう」

 その子の自己紹介にそれぞれが相槌を打ちながらこの場の雰囲気を温かいものにしていく。今度は私の隣の席の望心ちゃんの番だ。望心ちゃんはどれを引こうか迷いながらもカードを決めて、それを表に返した。

『趣味は?』

「おっ、ど直球な質問が来ましたよ! これは順番に話していかない!?」

 望心ちゃんの言う通りさっきよりもど直球な質問が来た。でも、望心ちゃん、やっぱり場の雰囲気を作るのが上手だな。まるで今日初めて知った人だとは到底思えない。私は自ら場の雰囲気を作るのが得意ではないから望心ちゃんの豊かな表情だったり口調にこの短時間で少し憧れを抱いてしまってるかもしれない。

 望心ちゃんの呼びかけに対してみんながうなずくと、望心ちゃんから順番に自分の趣味についての発表を始めた。

「私はんー、やっぱスマホでの動画視聴かな。音楽を聴くのも好きだよ」

「私は、さっきも少し話したけど、スポーツかな。高校でもスポーツ系の部活に入ろうと思ってる」

「僕はこう見えても料理とか作るのが好きなんだよねー」

「んー、私はやっぱ楽器を弾くのが好きかなー」

 各々が自分の趣味について語り合っていく。こう見ると十人十色という言葉があるように様々な趣味がこの4人だけでも出てきた。私の趣味は楽器を弾くことだ。

 趣味の話が終わると今度は最後に私がカードを引く番だ。私はまだ何枚か残っているカードの中から真ん中のカードを引いた。そしてみんなと同じようにそれを表に返す。

『○○から卒業したい! ○○に入るものは!?』

「えー、これ今までの中で一番難題だね」

 そのお題が出された瞬間に望心ちゃんはそういう反応をした。確かに傍から見ればこのお題はかなり難しいお題になるのかもしれない。でも、これはまるで今の自分のためにあるようなお題のように私は感じてしまった。そうだ、今の私には卒業したいものがあるのだ。

「少し語っちゃうかもしれないけど、私には卒業したいものがあるんだよね」

 私がさっきとは口調を変えたためか、この空間の少し空気が変わってしまった。だから、私はできるだけさっきの口調に戻しながら話しを進める。

「私、望心ちゃんにはさっき少しだけ話したんだけど、引っ越して別れちゃった幼馴染がいるの。その幼馴染から別れる時にくまのぬいぐるみをもらったんだ。私、今もなんだけど昔は特に気が弱くてよく男の子からいじめられてたんだよね。だから、そのぬいぐるみはある意味私を見守ってくれているものなんだ。でも、もうそろそろそのぬいぐるみに見守られなくたって成長できるようになりたい。そのぬいぐるみ――いや、その幼馴染から見守られることを卒業したいんだ」

 口調をさっきのようにしようと心がけてはいるけれど、どうしても何か物語を子どもたちに聞かせるときのような口調になってしまう。幼馴染であるてっくんがくれたくまのぬいぐるみ。そのくまのぬいぐるみはてっくんが一番大切にしていたある意味宝物だったようだ。でも、私を見守るために彼は『これが代わりの僕だ。いつまでもこいつが見守ってるから。でも、僕が見守る必要がなくなったら捨ててくれ』と言いながら私にそれを渡してくれたのだ。それが、私の一番の宝物になった。

 でも、それをもらってから3年。もうそろそろ彼に見守られなくたって堂々と生きていきたい。彼から見守られることを卒業したい。高校という新しいステージにも自分の力で立つことができたんだから。くまのぬいぐるみを捨てたい。だけど、捨てたくない。

「すごいな。そういう卒業もあるんだね。入学したばかりだけど友梨ちゃんなら卒業できそう」

「そうだね、頑張って!」

「僕も応援してる」

 私の言ったことにどんな反応を返してくれるんだろうかと少し不安だったけれど、私の不安をどこかに隠してしまうかのようにみんなは私のことを応援してくれるような言葉をかけてくれた。私は3人の顔を交互に見てからうんとうなずいた。

 帰りのホームルームが終わり、てっくんに話しかけようとしたけれど、いつの間にか教室にはてっくんの姿はなかった。カバンはもうないから帰ったのだろうか。少し話したかっただけに寂しさを感じる気もする。でも、私たちは幼馴染であるとはいえ実質3年間会うことも、連絡を取ることすらしていなかったのだ。だから、もう彼の中で私は幼馴染ではなくただの知り合いという認識に変わってしまってるのかもしれない。

 私は分かりやすくしょんぼりとしながら昇降口の方へ行く。私は下を向きながら昇降口で上履きを脱ぎ、靴を履く。

「友梨」

 その言葉が、待ち遠しかった。ずっと探していたものを見つけたときのように嬉しさが急に私の体の中に入ってきた。私がその声がした方向に視線を移すと、優しく微笑むてっくんがいたのだ。

「てっくん……。教室で喋ろうとしたけどいなかったから、もう私のことをただの知り合いとしか思っていないのかと……」

「いや、教室は人が多かったから。っていうか、友梨のことをただの知り合いとしか思っていない……そんなことは絶対ないよ。確かに3年間何もしてないけど、僕らが仲のいい幼馴染だったっていう事実は永遠に書き換わることはないんだからさ」

 てっくんは普通のことを言っているつもりだろう。でも、その言葉は私を少し恥ずかしくさせた。そんなにも素直に言わないでほしい。

「ねえ、場所を変えて少し話さない?」

「うん。僕もそう思ってた。でも、今、僕あんまりお金がないんだよね……。引越したりとか高校生になるために必要になるものを準備したり諸々で」

 確かに、てっくんは引越したばかりみたいでお金を色々使っただろうし、高校生になるために必要なものを買うためにもお金がかなりかかってお金がそこまでないかもしれない。私も確かに最近は色々とお金を使いすぎているのかもしれない。じゃあ、お金をかけないで話せる場所……?
 
「じゃあ、私の家とかは!?」

 私はピカン! とひらめき、思いついた場所をてっくんに言う。私の家ならお金はかからない。それに、てっくんが来るというのは私のお母さんもきっと喜んでくれるだろう。私のお母さんはてっくんのことが気に入っているし。

「おー、たしかにそこなら! でも、幼馴染とはいえもうこの歳だし、僕は男だよ。家にあげちゃって大丈夫?」

「全然私は大丈夫だよ。だって、私たち仲のいい幼馴染だってことは一生変わらないんでしょ! さっきてっくんが言ったばかりじゃん!」

 私はさっきのお返しだという感じにそう言う。

「そうだったな。じゃあ、お邪魔する。少し恥ずかしいな……」

 てっくんは少しだけ分かるか分からないかぐらいだけど顔を赤くした。自分の感情が表に出てしまうてっくん。さっきのお返しに反応したのだ。そもそもの話、これはてっくんが言ったことなんだから。

 私たちは私が提案した通り私の家で少しお話することになった。家で話すまで楽しみは取っておくため電車の中ではお互い喋ることはしなかった。でも、お互いに何度か見合ってしまった。だけど、目が合うとやはり目を背けてしまう。つまり、少し恥ずかしいということだ。

 電車を降りて家まで歩いていくと、てっくんは懐かしいという言葉を何度も発していた。3年という日々は今の私たちの人生に置き換えればかなり大きいものだろうけど、街の変化で考えればそこまで変わるものでもない。私の知っている限り小さいものはいくつかあるかもしれないけれど大きいものは3年前と何も変わっていない。

 私は家に着くと、ドアを開けた。少しだけいつもより開く力が強く必要だった気がする。

「ただいまー」

 感情がここでも出ている気がする。いつもよりも私のただいまの声のトーンが高い。私の嬉しさが漏れている。でも、それがてっくんにバレてなさそうなのが救いだった。

「ただいま、入学式はどうだった?」
 
 私の声に気づいたお母さんが玄関の方に向かって足音を立てながら向かってくる。

 お母さんが私たちの前に姿を現すと、一瞬キョトンという顔をしたが、すぐに彼のことを思い出したようであーっという声を出した。

「友梨の幼馴染の哲弘くんだよね! 久しぶり! 急にどうしたの?」

「あっ、僕最近またこの辺りに戻ってきたんです。それで今日高校の入学式だったんですけど、友梨と学校もクラスも同じで……。それで少し話さないかという話になって友梨の家に来ました。お邪魔しても大丈夫でしたか?」

 てっくんは照れくさそうにしながらも、今日あったことを分かりやすくお母さんに伝えた。

「うん、もちろん。友梨がお世話になった人だもん。むしろあがって、あがって!」

「じゃあ、失礼します」

 お母さんもてっくんが来て気分が上がっていることが私にはバレバレだ。お母さんは私のことを支えてくれた優しいてっくんのことが気に入っていたし、そうなるのも無理はないんだろう。てっくんはお母さんからそのような言葉をもらい、靴を脱ぎ、それを揃えて置いた。3年前まではお互いの家に行った時も靴を揃えるなんて気にせずに遊んでいたから3年の時を少しだけ感じてしまった。

 私は早速てっくんを自室へと連れて行った。自室に男の子を連れてきたことなんてほぼないけれど(というかてっくん以外ない)、てっくんの場合は緊張とかしなかった。

 自室に入ると、女子高生らしい部屋に変わったねと小さく呟いていたので、私だって変わるよと返した。確かにあの時に比べて洋服の数は増えたかもしれない。それに観葉植物も友達とお出かけにいった時に気になって買ったのを置いてみた。

 まずはお腹が空いたら何もできぬため、お母さんが作ってくれた即興焼きそばを食べる。普段は自室でご飯を食べると怒られるのだけど、今日は特別に許してもらった。

「おー、焼きそば。それも半熟の目玉焼き付き。なんか昔、友梨の家に行った時によく食べた気がする」

「確かにそうだったかもね。とはいえ、焼きさえすればできちゃう即興料理だけどね」

 これ以上言うとお母さんに聞かれていたら怒られてしまいそうだったので、ここまでで留めてお昼ごはんを食べることにした。私は最後にマヨネーズをかける。てっくんも真似しやがりなのか、私と一緒でマヨネーズをかけた。こうやってお互いの顔を見ながらご飯を食べるのも本当に久しぶりだ。確か一番最後にお互いの顔を見ながら食べた食事は私たちの小学校の卒業祝いに食べたケーキだったっけ。

「おー、やっぱ友梨のお母さんさんが作る料理は美味しいな。こういうのが毎日食べられるなんて幸せだろ」

「へへっ。そうなのかな?」

「そうだよ」

 やっぱてっくんが褒め上手なところも変わらない。私のお母さんのことを言っているはずなのに私も自然と嬉しくなってしまうのは気のせいだろうか。

「でも、学校でも言ったけど本当にびっくりだよ。この再会の仕方、本当にすごくない?」

「うん。私は入学式の時に一人ひとり名前を呼ばれたじゃん? 『田野哲弘』って呼ばれた瞬間、心臓飛び出そうだったもん。同姓同名だけなのかと思って視線を移してみるとそこには私の幼馴染の田野哲弘! っていうね」

 今話していることもなぜかもう数日前とか数ヶ月前とかの出来事のようにも思えてくる。でも、まだその心臓のドキドキは数時間たった今でも少し残っているような気がする。

「僕は人の名前をちゃんと聞いてなくてただ今後高校生生活のことを考えていたから、教室に戻った時に友梨みたいな人が声をかけてきたときは夢の中!? 寝てるの自分!? って思っちゃったよ」

 そうなのか、私が声をかけるまで相手は全く私のことに気づいてなかったのか。きっと、私が声をかけたあの瞬間は私が思っている以上に驚いていたんだろう。

 私たちはお母さんの作ってくれた焼きそばをものの数分でたいらげてしまった。

「おっ、あの時のぬいぐるみ?」

 一瞬、ベッドの方に視線がいったてっくんが置いてあったあのぬいぐるみに気づいたようでそれについて私に聞いてきた。

「そうだよ。てっくんがくれたあのぬいぐるみ」

 私はそのぬいぐるみを手にとってさっきまで即興焼きそばが乗っけられていた机にぽんと置く。

「まだ持っててくれてたんだ」

「うん、見守ってくれる感じがするから」

「確か僕が見守る必要がなくなったら捨ててくれとか言ったような気がするけど、別にそうじゃなくても邪魔になったら全然捨てていいからね」

「あー、うん分かった」

 てっくんはこのぬいぐるみについて軽い感じで考えているのかもしれないけれど、私にとってこれは大きな価値を持つものだから、その言葉になんと返せばいいか分からず、曖昧に答えた。そんなに簡単に捨てられるものではない。
 
 3年間の空白があったとはいえ元々幼馴染ということもあって話の話題に尽きることはなかった。むしろ会えなかった3年の空白を埋めるために、聞きたいことがお互い次々と出てきてしまう。例えば、お互いの中学校生活の様子だったり、この3年で変わったこと、最近はどんなことを過ごしてるのかなどなど。てっくんに趣味を聞かれて、さっき学校でやった自己紹介と同じように楽器を弾くこと答えると、聞いてみたいといわれたのでギターを少し弾いてみることにした。あくまでも趣味に過ぎないためあまり上手くはないのだけど、私は初めててっくんに聞いてもらうため少し力が入ってしまった。演奏をしてる間、演奏に集中しすぎたためてっくんがどんな表情をしていたのかは見ることができなかったけれど、演奏が終わった瞬間にてっくんは大きな拍手をしてくれた。

「おー、上手じゃん! すごいなー。3年分の成果だね」

「ありがとう。まだまだ練習中だけどね」

 今度は私にダイレクトに褒めてきたため、さっきよりも嬉しさが倍だった。認めてくれるてっくんの前でならどんな音楽だって聞かせてあげたいと思えるんだろう。

「そういえば、ここ3年で好きになれた人とかいた?」

 なんでこうもてっくんは軽い感じで大きなことも聞いてきちゃうんだろうか。それとも、私が気にし過ぎなんだろうか。恋の質問をてっくんはなんにも恥ずかしがる様子なく私に聞いてきたのだ。好きになれた人……。どうだろうか……。あの人いいなとか、すごいなとか中学生のうちに思えた人は何人かいる。でも、それが好きだという感情と結びつくかといわれれば少し違う気がする。そもそもの話、私、誰かを好きになったことがあるだろうか。そういう経験をしたことがあるんだろうか。

 ――じゃあ、てっくんのことはどうなんだろう。

 てっくんは幼馴染とはいえあくまで男の子。いや、でもそれは違う。一瞬変なことを考えてしまった。てっくんは幼馴染として私の中に存在しているんだからそれ以外のことを考える必要はないのに。

「んー、すぐには出てこないってことはたぶん、いないんだと思う。逆にてっくんはいるの、この3年の間で好きになれた人?」

 私は思わず逆質問をしてしまった。でも、もしここでいたと言われたらなんと言えばいいんだろうか。幼馴染として何が言えるのかも分からない中で聞いてしまったことに質問した後に気づき少し後悔した。

「んー、この3年で好きになれた人? それはいないかな。僕もすぐに思い出せないってことは」

 安心したようなそうじゃないような気持ちに自然となってしまう。私も彼もそういう人はいなかったということだ。だから何だというわけでもないのだけど。恋の話はここで一旦終了し、次は私がさっきやっていた音楽の話で盛り上がった。
 
 私の家にあったオセロなどでも遊んだけれど、てっくんの方が圧倒的に強くほとんどがてっくんの色である白色で埋め尽くされてしまった。私の黒色なんて見ればすぐ数えられるぐらいしかなかった。

「てっくん、強いな」

「たまたまだよ。……ってかもう夕日が綺麗に見える時間じゃん。もうそろそろやることもあるし帰らせてもらうね。今日は楽しかったよ。また明日、学校で」

 窓の外の方を見ると、オレンジ色の夕日がもうすぐ沈み、真っ暗になるところだった。夕日が眩しいっていうことを実感できるようなそんなような美しい空だった。こんなにも美しい空を見るのは久しぶりかもしれない。

「うん、また学校でね」

 てっくんが帰るために立ち上がったので、私も立ち上がる。私は玄関までてっくんを見送ることにした。私はてっくんがトイレに行っている間、少し考えて私の部屋からあるものを持ってそのまま玄関に向かう。そのときにはすでにてっくんは靴を履いているところだった。

「あの、てっくん。私があげるのもなんか違う気がするけど入学祝い」

「おー、入学祝い? お互い入学した身だけどな。ありがたくもらうよ。高校生はシャーペンが必須だもんな。ありがとう!」

 私は、押入れの中に忍び寄せていたシャープペンをてっくんに入学祝いと言って渡した。本当は入学祝いという目的ではないけれど、ただあげるとてっくんの場合もらってくれるかが少し心配だったのでこの手を使った。

「じゃあ」

「おうっ」

 てっくんは私に向かって手を振った後、ドアを開けてそれを静かに閉じた。完全にドアが閉まり、てっくんの姿が見えなくなったところで独り言を言ってしまった。

 ――すごく緊張したな、と。



 中学校の頃は朝起きるのがつらく、目覚まし時計をかけたとしても10分ぐらい経ってから起きることもあったので、わざと早い時間にアラームをセットしていた。けれど、まだ感じたことのない新鮮な空気が残っていたりし、ワクワクしているせいかアラームが鳴った途端に目がちゃんと覚めた。だから、お母さんからも今日は少し早いのねと言われた。もしかしたら、今日もてっくんと会えるのが楽しみだからという理由かもしれない。

 いつもよりも10分ほど早く起きてきたおかげもあっていつもより朝の時間に余裕があった。だからいつもより朝食も味わって食べることができた。

 今日は少し髪に飾り物をつけていこうと思い、化粧台から目立たないぐらいの小さなリボンを出して、それをつけた。中学校の時はこういうのをつけて学校に行こうなんて一度も思わなかったのに少し不思議だ。

 高校に行くまでの電車の中で私は今どきの高校生らしくSNSのチェックをしていた。中学ではスマホは禁止されていたから高校ではそれができるようになるのが大きな違いでもある気がする。少しだけてっくんと偶然会ったりしないかなと期待していたけれどやはり現実というものはあるようでそういうことはなかった。でも、学校に着くとすでにてっくんの姿があった。どうやらてっくんは私よりも早起きみたいだ。そして、私の隣の望心ちゃんもすでに席に座ってスマホをいじっていた。その望心ちゃんに話しかける。

「あっ、おはよう。今日も頑張ろうね! リボンかわいいじゃん!」

「うん、望心ちゃんおはよう。褒めてくれてありがとうね。まだ授業はないけど頑張ろう!」

 私が今言った通り、まだ高校1年生の始めなので教科書も配られてないし、授業はないけれど、新しい空間を一緒に乗り切ろうという意味で私は頑張ろうねと言った。私はそれからカバンを下ろす。

「そう言えば、今日は係決めもするみたいって昨日の放課後、先生が言ってたんだけど友梨ちゃんはどんなのにするー?」

「へー、そうなんだ。私、大きなもを背負うのは少し苦手だけど、やりがいがあったり成果が目で見えるやつがいいなー。例えば美化委員とか」

「あー、なんとなく分かるかも!」

 気があまり強くない私は、体育祭や文化祭、合唱コンクールとかの大きな行事に関わることは得意ではないけれど、中学校の時に入っていた美化委員とかのように綺麗になったという成果が目に見えてくるそんな係に入りたいなって思う。

「あっ、先生、おはようございます。係ってどんなのがあるんですか?」

 教室に入ってきた先生を望心ちゃんが呼び止める。まだ一日しか経っていないのに、こんなにもこの高校に馴染んだように見えるのは私なんかが見ると少し羨ましい気もする。

「お、おはよう。あっ、係はですねー、これがあります」

 先生はバインダーに挟んでいた紙を一つ取り、それを望心ちゃんの机に置いた。そこにはいくつかの係が書かれていた。体育祭や文化祭、合唱コンクールなどの大きな行事に関わる係から、図書委員や風紀委員など普段から必要とされるものまで。私は中学のときもやっていた美化委員のところに目が止まった。

「おっ、さっき友梨ちゃんが言ってた美化委員もあるじゃん!」

 望心ちゃんは私がさっき言っていた美化委員のところを指差しした。人数は3名と書かれている。

「んっ、美化委員に興味があるのか? いいと思うよ。ぜひ入りな!」

 先生はなぜだか分からないけれど、美化委員という言葉に反応し、私たちに入るように促してきた。

「ん? 美化委員になにかあるんですか?」

 その反応を望心ちゃんは少し怪しいと感じたのか、目を細めながら先生にそう聞く。すると先生は分かりやすくどきっ! としていた。

「うちの学校の美化委員はよく校外の清掃もするから、毎年人気があまり人気がなくて決まらないんだよね……。何なら早速今日、校外清掃があるらしいし。だから、よかったらぜひ!」

 そういうことか、校外清掃があり、なんなら今日もあるから先生は異常に美化委員を押してたということか。でも、私は学校だけでなく学校の外までも綺麗になるとうことはかなり興味深い。

「じゃあ、私、いなかったら入ろうかな」

「おお、ありがとう。3人も集まらないから多分じゃなくて頼む。君は?」

 私が入ろうかなと先生に告げると、先生が今度は望心ちゃんに入らないかと言ってきた。

「特に入りたいものがあるってわけじゃないですけど……。んー、じゃあ、先生が私の名前を当てられたら美化委員に入ります!」

 望心ちゃんは一瞬悩んだ顔をした後に、先生に条件を出してきた。私の名前を当てろと。でも、これかなり難題じゃないだろうか。だって昨日会ったばかりじゃないか。まさか、望心ちゃんはわざとそうしたんだろうか。クスクスと笑っている。でも、この笑い、入ってもいいけどその前にただ遊びたいだけにも思う。

「板持望心」

 先生は望心ちゃんからその条件が出されると、真面目な顔をしてから即興で望心ちゃんの名前をフルネームで言った。正解だ。間違いない。この子の名前は板持望心。

「……えっ、先生、私の名前もう覚えたんですか?」

 まさか答えられるとは思ってなかったのか、望心ちゃんは一瞬言葉が出てなかった。私もそんなにもスラリと答えられるなんて思ってなかった。

「だって、昨日かなりアピールしてたじゃないか。流石にあんなにアピールされたら流石に頭から抜けないよ」

「あー、確かにそんなことしてましたね。当ててくれたので、空いてそうだったら入ります。というか、友梨ちゃんと同じのに入りたかったから」

 確かにそんなにアピールしていたのなら、今当てたのも不思議ではない。でも、入学初日からそんなことできるんてやはり望心ちゃんは私とは違い世界にいるんだな。というか、元々望心ちゃんは美化委員に入ろうとしていたのか。それもこんな私と一緒に入りたいという理由で。今までそんなことを言われたことはなかったから、普通の人から見たら大したことはないのかもしれないけれど、特別に感じてしまう。

「ちなみに今少し言ったけど、私の隣にいるこの子の名前は、小波友梨ちゃんです。先生、覚えてください!」

 望心ちゃんは手振りを交えながら私のことも紹介してくれた。名前を覚えていただけるだけでも先生に相談とかもしやすくなるし、私には自分からアピールすることはできないから単純にありがたい。

「うん、分かった。小波友梨な。じゃあ、もうそろそろホームルーム始めるぞ」

 先生はそう言ってから丁度のタイミングでチャイムが鳴り、朝のホームルームを始めた。それから、休み時間を挟んで係決めになったが、先生の言った通り、美化委員は私と望心ちゃん以外いなかった。人数は3人なのであと一人だけ残っている。まだ決まってない人もいるので、その誰かが美化委員になるんだろう。

「美化委員に移ってもいいやつ、誰かいないかー?」

 先生の言葉に教室の中がざわめく。誰かが動かないと決まらないようだ。

「先生、田野、美化委員に移ります」

 まだ決まるまで時間がかかりそうだなって思った時、誰かが手を上げた。てっくんだ。てっくんが自らじゃんけんなどで決める前に動いてくれたのだ。先生はありがとうとてっくんにお礼をした後に、美化委員の小波、板持と書かれているところの下に新たに田野という文字を加えた。これでめでたく全部の係が決まったことになる。

「よし、じゃあみんなさんのおかげで無事に決まったのでこれでいきます。早速美化委員は今日の放課後校外清掃があるらしいので高校生活が始まって間のないところ申し訳ないけれどよろしくお願いします」

 高校生生活2日目もあっという間に自己紹介の続きや決め事、校内の説明や高校の授業についてなどの話で終わってしまった。放課後になると早速美化委員の仕事である校外清掃のために集合場所に望心ちゃんとてっくんとともに行った。もちろん他学年もいるのだけど、そこにいた美化委員の2、3年生の姿が私には大人のように見えてしまった。

「へー、田野くんが友梨ちゃんが言ってた幼馴染なんだね」

 せっかくだしと思い、私は望心ちゃんに自己紹介の時に言っていた幼馴染はこの人のことだよと、てっくんを紹介した。

「えー、友梨、自己紹介の時に少し言ったんだ。なんだよ、少し恥ずかしいなー」

「あっ、ごめんごめん」

 このてっくんの言った恥ずかしいなーはあくまでも怒ってるとかではなく、いじってるだけだ。微笑を浮かべながら私に言ってきたので、私も同じように返した。

「なんか見た感じ田野くん、完璧人間に見えるけど実際のところはどうなの?」

「いや、そんなことはないよ。テストは友梨の方が高いし、料理は全然できないし、犬は大の苦手だし……沢山あるよ」

「へー」

「そう言えば、前に鎖は付いてたけど、てっくんが犬に絡まれてた時、助けてあげられなくてごめんね。私、犬は苦手じゃないけど強くはないから。たぶん、遠くに避難させてあげられるぐらいはできたのに」

「あー、そんな事もあったな。別にもう忘れかけてたけど」

 てっくんは自分の弱点をいくつか挙げていく。友梨の方がテスト点は高いといっていたけれど、それも誤差の範囲だ。でも、犬が大の苦手っていうのは今言った通りかなり事実で、まだお互い小さかった頃、私の家の近くにいた犬に吠えられるだけでも怯えていた。3年経った今でも犬は苦手みたいだ。

「そういえば田野くんの名前、名字しか知らないから田野くんって呼んじゃってるけど下の名前、何て言うの?」

「僕? 哲弘だけど、友梨にはあだ名でてっくんって呼ばれてる。そうだよな?」

「うん、てっくん」

 てっくんが振ってきたので私は即答する。

「じゃあ、私もてっくんって呼ぼう」

 話が一段落したところで、美化委員の担当と思われる先生が私たちの近くで止まった。いわゆるおじさん先生で一瞬、厳しい方なのかなと思ったけれど、説明の仕方は丁寧でむしろ優しそうな先生だった。私たちはマップをそのおじさん先生からもらって、3人で任された方にまず向かった。制服姿で登下校以外で歩くのは少し新鮮味がある。

 その場所に着くまでは高校生活始まったけど、この2日間でどんなことを感じたとか、どんな高校生生活送りたいという話題で盛り上がった。てっくんがいるのでくまのぬいぐるみの卒業の話は控えたけれど、私は今までできなかったことができるようになりたいだとか、高校生になって変わりたいという思いを2人に話した。ちなみにだけれども、望心ちゃんは早速哲弘のことをてっくんと呼んでいた。

 私たちの担当場所に到着するとさっそく掃除用のトングなどを使って周りに落ちているゴミなどを拾っていく。見た感じはあまりないようにも思えたけれど、植物が咲いているところの間だったり、側溝の近くには特にゴミが溜まっていた。見た感じはあまりなかったとしても実は意外とゴミというものは落ちているものみたいだ。

 てっくんは少し遠くの方でゴミを取ってくるねと言い残し、向こうの方に行った。確かに担当場所は思ったよりも広かったので3人で同じ場所を掃除するよりも手分けしたほうが効率がいいかもしれない。

 私も望心ちゃんと手分けをして掃除しようかということを言おうとしたところで、私のお母さんより少し若いぐらいの主婦の人が私たちに「あの……」と心細さそうにしながらも声をかけてきた。もしかしたら、今、ゴミではないものを拾ってしまったのだろうか。それとも、もしかしたら入ってはいけない人の家の敷地内とかに入ってしまったのだろうか。

「……どうかなさいました?」

 いつもは強気の望心ちゃんだけれども、何かやらかしてしまった? という感じで今回は少し弱気のように思えた。

「あの、この辺に髪留め落ちてませんでしたか? 家に帰ってから落としたことに気づいて、娘のなんですがお気に入りだったみたいで泣いちゃって……」

 どうやら私たちが何かやらかしたわけではなさそうなのはよかったけれど、物を落としてしまったようだ。

「んー、髪留めは落ちてなかったです」

 その人の助けになりたい気持ちはあるけれど、私がゴミを拾っている中で髪留めらしきものはなかった。あったのはタバコの吸殻とかペットボトルや袋ぐらいだ。

「ごめんなさい、私も見てません。でも、ゴミを拾いながら探してみますね。どんなのですか?」

 どうやら望心ちゃんも見てはないようだが、変わりの提案をその主婦の人にしていた。流石、望心ちゃんだ。

「えっ、そこまでは大丈夫です。申し訳ないので」

 流石にそこまでしてもらうのは申し訳ないという気持ちが勝ってしまったのか、その人は手と首を大きく横に振る。

「いえ、ゴミを探すついでですので気にせずに」  
 
「えっと、じゃあ、黄色いやつです」 

「分かりました。じゃあ、友梨ちゃん、あっちを探してみよう」

 私は望心ちゃんにそう言われて、望心ちゃんについていく。望心ちゃんは公園の中に入る。そうか、子供のやつだと言っていたからもしかしたら公園に落ちているのかもしれないとでも思ったのだろう。やはり流石だ。私よりも必要とされている人材だ。

「んー、ないねー」

 私たちは辺りを見渡しながらゴミとともに髪留めを探しているが、どちらもなさそうだった。
 
 髪留め、一体どこにあるんだろうか。もしかしたら、この公園じゃないかもしれない。私は必死になって探すけれど、一向に見つかりそうにない。見つかるのはさっきから煙草の吸殻ぐらいだ。

「あ、これかも!?」

 10分ぐらい経ったときだろうか、望心ちゃんが子供みたいな声を出したのは。私はその声がした方へ駆け寄った。すると、望心ちゃんは来てきてという手振りをしていたので更にスピードを上げる。

 私が望心ちゃんの指差ししているところを見ると確かにそこには黄色い髪留めがあった。たしか、あの人が探していた髪留めは黄色だと言っていたから特徴は一致する。

 私は望心ちゃんと目を合わせて、目でたぶんあの人のだよねという反応をする。まだこれがあの人のものかは分からないけれど、私たちはその髪留めを持って、さっきあの人のいたところに戻ると、探しているその人がいた。

「あの、髪留めってもしかしたらこれですか……?」

 望心ちゃんはその髪留めを見せながらその人に聞く。

「えっ、うん、それ! ちなみにどこに落ちてたの?」

 やはりこの人のだったみたいだ。見つかってよかったと私は胸を撫で下ろす。
 
「公園に落ちてました」

「あー。確かに公園で遊んでたかも。本当にありがとうね」

「いえいえ。大したことじゃないです」

 その人は私たちにもう一度大きく頭を下げてから、失礼しますと言ってその場を後にした。私はその姿をなぜか最後まで見てしまった。

 私が今、何時かと思いスマホを開くとどうやら5分程前にてっくんからラインが来ていたみたいだった。

『できたところから解散していいよだって。終わった?』

 私はその内容を見て、『もう少しかかりそうだから先に帰ってていいよ。2人でできるからこっちは大丈夫! また明日、学校でね』と返信した。彼の場合、すごく優しい人なので『2人でできるからこっちは大丈夫!』とかいわないと手伝うとか言われそうだからその文も付けておいた。

「できたところから解散していいって。私たちももうそろそろあがろうか」

「だね。今日も疲れたもんねー」

 私たちは担当範囲のまだやっていない部分のゴミをささっと回収し、ゴミをまとめるとさっきの公園で少し肩を下ろすことにした。望心ちゃんが公園にある自販機で缶のミルクティーを買っていたので、私も同じように缶のミルクティーを買った。帰りにこういう買い食いというかをできるのも高校生になったからできる特権だ。

 ベンチに座ってそのミルクティーを飲む。いつもなら楽しい話をしたいはずなのに、なぜか今は望心ちゃんの趣味とか好きな食べ物とかではなく望心ちゃんそのものについて聞きたくなった。この空間がそうさせたのだろうか。

「ねえ、望心ちゃん。質問の仕方が悪くて申し訳ないんだけど、どうして望心ちゃんはそんなに誰でも関わりやすいような性格なの? ごめん、質問の内容がやっぱり変かも……」

 自分でも思ったけれど、答えるのが難しい聞き方であり内容だし、言葉も乱れている気がする。

「そうかな、私、誰でも関わりやすいような性格だと思う?」

 望心ちゃんに逆質問された。私は素直にうん、思うと返す。

「――私、卒業したから。それも、最近」

 さっきまで真っ直ぐ前を見ていた望心ちゃんだったけれど、急に斜め上を見始めた。その言葉がふんわりと雲の方に向かっていく。

「……卒業?」

 中学生を……ということだろうか。普通に考えればそうなるのだろうけれど、望心ちゃんの言葉からなにか違う卒業を感じてしまった。

「うん、私、中学校までは本当に物静かな暗い子だったんだよね。たぶん中学の同級生が見たら驚かれると思うよ」

「……そうなんだ」

 まるで望心ちゃんは他人事のようにして自分の過去についてそう言った。物静かな暗い子……確かに悪いけれど今の望心ちゃんからはそんなことは考えられない。私はなんと返すのかが正解か分からず、そんな言葉しか返すことができなかった。

「意外でしょ?」

「うん」

 うん、意外。

 つまり、さっき言っていた望心ちゃんの卒業とは、物静かな暗い自分からの卒業。私にはよく分からないけれど、望心ちゃんにとってそれは大きな卒業なんだろう。

「ほら、高校って知り合いがほとんどいないでしょ? 私の学校からは誰も来なかったから私の場合はなおさら。だから、新しい場所でなら物静かな暗い自分を卒業できるって思ったんだよね。つまり、ここ以外ないと思ったんだよね。入学が私にとって卒業でもあったんだよ」

 ――入学が卒業。

 普通の人なら首をかしげてしまうかもしれない言葉。私には少しだけだけど分かるかもしれない。私もつい2日前に入学した。でも、そこで幼馴染のてっくんと3年ぶり会ったことで、てっくんから見守られることから卒業したいという気持ちがより強まった。あのくまのぬいぐるみを早く捨てたいと。

「友梨ちゃんも、入学式の日に卒業の話してたじゃん? だから私、この人と仲よくなりたいなって。この子となら仲良くなれるかなって思ったから。だから私からのアプローチすごかったでしょ。ごめんね」

 今、望心ちゃんの言った通り私は入学式の日に卒業の話をした。リンクしている部分が、ある。

「うんん、私、あまり人と関わるのが得意じゃないからむしろ嬉しかったよ。だけど、一つだけ聞いてもいいかな? 先に卒業した先輩に。どうして望心ちゃんは卒業しようと思ったの?」

「ん、それ聞いちゃう?」

 望心ちゃんが私との距離を詰めるようにして座り直す。私はうんという。でも、この瞬間、私の隣りにいるのは卒業したばかりの今の望心ちゃんなんだなってはっきりと分かった。

「まあ、理由は多分友梨ちゃんの想像できるものだと思う」

 望心ちゃんはミルクティーを一口飲んだ後、前置きを置く。私もその話を聞く前にミルクティーを一口飲む。

「小学校の頃はまあ、どこにでもいそうな平均的な子だった。中学も1年の最初の方はそんな感じだった。でも、1年の途中で私、長い間入院しちゃったんだよね。退院できたけど、そこから急に自分に自信がなくなったり、誰かと関わることが少し苦手になってきたんだよね。それが進級したときも続いて中学校生活は何も楽しめなかった。途中で前みたいに戻りたいとも思ったけど、私を知っている人たちの前で急にそうなるのも難しかった。だから、高校でなら変われると思ったんだよね。高校生活は変わって、絶対に楽しんでみせるって目標を立てたんだよね。こんな理由から、物静かな暗い私から卒業したいって思ったんだよね。実際、かなり変わっちゃってますが……」

 少し重いかのような話も望心ちゃんの口調はそうさせない。望心ちゃんにはそんな過去があったのか。確かに、理由は私でもなんとなく予想はついたものだったかもしれない。自分を変えたいという強い思いがあって変わった。楽しめなかった分を高校で楽しみたいと。自分が本来いるべき世界に私も立ちたいと。

「卒業、できたんだね……」

 私は望心ちゃんがちゃんと卒業したのかいらないのだけど確認するためにそう聞いた。

「うん。できたよ。だからというわけじゃないけど、友梨ちゃんも卒業、頑張るんだったら私は応援するからね」

「ありがとう」

「うん。じゃあ、このミルクティー飲み終わったら途中まで帰ろうか」

 帰りも途中までは一緒だった。でも、お互い何も話さなかった。お互いが自分のことを考える時間にしたためだった。望心ちゃんは物静かな暗い性格から卒業できたことを、私はてっくんから見守られるということ卒業するかどうかを。


 
 翌日もまだ授業はなかったけれど、今日から一日の日課になる。休み時間、望心ちゃんの姿を見ていると、望心ちゃんはまだ話したことのない人と楽しそうに話していた。でも、その姿を見るとほんの少し前までは物静かな暗い子だったなんてやっぱり少し信じられない部分がある。だけど、それは人って少しの間で変わることができるっていうのも同時に示しているかのようだった。望心ちゃんの笑顔がかわいい。

「あ、そう言えば、昨日は清掃活動ありがとうな。担当の先生も1年1組のは特にゴミを多く集めてくれましたって褒めてくれたぞ」

「そうですか。今度も頑張ります!」

「ああ、よろしく頼む」

 先生との短い会話を終えると、私はてっくんのところに行った。でも、てっくんは疲れていたのか顔を伏せて寝ていた。てっくんは昔から何かの作業に取り掛かると時間を忘れてそれに取り掛かってしまう癖がるので、また夜更かしでもしてしまったのだろう。だから、起こすことなく、一瞬てっくんを眺めてから望心ちゃんたちのところに混ざった。

 昼休みは同じクラスの美化委員メンバー、つまり私とてっくんと望心ちゃんと食べることにした。この高校は屋上が昼休憩時間のみだけれども開放されるので初めて屋上で昼食を取ることにした。3階建ての校舎ということもあり少し高いと感じたが、それよりも風は気持ちよかった。この風が少し前までは桜の花びらを運んでいたんだなと思うと少し懐かしい。

 私は高校生らしく(?)今日のお昼ごはんは購買のパンを買った。入学式初日に誰かがこの学校に入った理由がパンが美味しいから来たと言っていたのが印象的だったというのもあるだろう。そういえば、購買のおねえさんが美人とも言っていた気がするけれど、確かに美人だった気もする。その男の子も早速購買でパンを買っていたのを見た。

「高校生活3日目、2人はどうですかー? 私はだいぶ慣れたかな」

 その慣れたはたぶんこの高校の雰囲気と、そして変わった自分に慣れたんだろうなという意味で言った理解してから私もだよと相槌を打つ。それから、

「色々としたいことも出てきた」

 と言った。

「おー、いいじゃん。少し上から目線になるけど、君の先輩として人生は色々経験した方がいいよ」

 望心ちゃんは手を組み、少しいばる感じで私にアドバイスをしてきた。私もその通りだと思い笑顔でうんとうなずく。

「えっ、望心さんって僕らと同い歳じゃないの!?」
 
 私と同じく購買で買ったパンを食べていたてっくんが先輩という単語に反応し、私たちを交互に見てくる。

「うんん、同い年だよ。だけど、私の方が先輩。まあ、これは私と友梨ちゃんのひ、み、つ」

「うん、秘密ー!」

 私がやるのは少し馬鹿らしいかもと思いながらも私も望心ちゃんと同じようなことをした。こういうことができるのも今だけだ。こういうのをできるのだっていつか卒業が来てしまうんだから。

 昼ごはんを食べ終えると、まだ午後の授業までは時間が20分ほど残っていたので、昨日先生から校舎を案内してもらった時に教えてもらったこの学校の資料館的な場所に少し顔を出してみることにした。

 その場所は図書館の隣にある。その場所だけはなぜかドアノブ付きのドアになっている。望心ちゃんがそのドアを開けると、3人でその中に入る。

 昼間なのに少し薄暗い感じがする。たぶん、カーテンが厚手なものなのであまり光が入っていないからだろう。そこは、まるで小さな博物館のようで一番最初にはこの学校の歴史年表が大きく掲載されていた。

「へー、この学校って100年前からあるんだ」

「歴史長いんだなー」

 その年表によると、この学校は今から約100年前にできたようだ。他にも新しい校舎ができたときの年月や高校の名前が変化したときのことについても書かれていた。
 
 もう少し前に進むといつの時代なのかは私には分かりそうはないけれど、満開に咲き誇る桜の下で集合写真を撮っている何百人の生徒の写真があった。桜の花びらが何枚も舞っている。少し前、私が見た景色のようだ。ただ、その写真は白黒。もちろん、私たちの目ではピンク色に見える桜も白黒だ。だから、かなり前のものなんだろう。

「この学校で今までに何人もの人が卒業してきたんだな……。僕らはそれとは対照的にまだ入学してきたばかりだろうけど、気づけば卒業してるんだろうな。色々な意味で」

 私がこの写真を見始めたときにはまだ2人とも年表を見たので、私の隣に誰かがピタリと立ち、そう喋られたときは少しビクリとしたけど、私はその人物がてっくんだと分かった瞬間、急に安心しそうだねと相槌を打った。

 ――色々な意味での卒業。それも、気づけば卒業してる。

 私ももそろそろ卒業するんだろうか。それは気づけばなんだろうか、それとも意図的になんだろうか……私みたいにあまり勉強ができない人が考えるものではないと思い、そこで考えるのをやめた。 

「じゃあ、僕はあっちの方見てこよう。昔の体育祭とかの写真だって」

「うん、私も後で行く」

 てっくんは昔の体育祭などの写真があるところに行ってしまったが、私はなぜだかこの卒業写真の写真から目が離せなかった。少し昔の写真だということ以外この写真は何も珍しくない。でも、私には特別に見えるのだ。その写真で溢れている笑顔が余計に私の足を固定する。

「友梨ちゃん、君は卒業したいんじゃない、かな……」

 望心ちゃんが私の前を通り過ぎた時、私にだけかろうじて聞こえるかぐらいの小さな声でまるで伝言ゲームしてるかのように伝えてきた。私がその声に反応し、後ろを振り返ると望心ちゃんはすでにてっくんとともに体育祭の写真をみて面白そうに話していた。まるでさっきからずっとそこにいたかのように。今、望心ちゃんがそう言ってくれたのは私のただの勘違い――妄想だったのだろうか。



 午後の時間は太陽の温かい光が意地悪をしてきたので少し眠くなってしまった(でも、私は授業中寝ないというプライドを保つため我慢した)。今日は最後、今後どんな私に成長していたいかという目標的なものを書くことになった。話しながらでもいいということなので、私は望心ちゃんとどんなのにしようかと話しながら書く内容を考えている。

「私は、ケーキがいっぱい食べられますようにとかがいいかな?」

 望心ちゃんはシャーペンを手で回しながらケーキのように甘い声でそう言ってくる。いや、それは目標よりどちらかというと――

「ねえ、それ目標というより望心ちゃんの願いじゃない? 七夕の短冊じゃないんだから」

 私は絶対わざと言ったことに対して突っ込む。

「やっぱばれましたか……。友梨ちゃんに見事に突っ込まれてしまったな」

 やっぱりわざと言ったのか。でも、望心ちゃんのこと、私、好きだな。どうしてこんなにも感情豊かなのだろうか。

「でも、無理に大きくする必要、ないのかもね。小さい目標だって十分目標じゃん?」

 今度は少し真面目な顔をして少し訴えかけてくるように私に話してきた。望心ちゃんはコロコロ変わる。

「うん、望心ちゃんの言う通りだね! そろそろ各自で考えようか」

 私は望心ちゃんの今言ったことを簡単に流したけれど、少しどこかで引っかかった部分がある。私が密かにどこか考えていた卒業の形が少し崩れたような気がした。

「うん、私ももうそろそろ真面目に考えよう」

 私は望心ちゃんの言葉から得たものを文字にして書き出していく。私は、てっくんから見守られることだけを卒業したいんじゃない――そうなんじゃないだろうか。
 
 その卒業を早くしたような、まだもう少しとっておきたいような。複雑な気持ちだ。
 


 時の流れは、光の進むスピードよりも早いんじゃないだろうか……最近はそう思う回数が増えてきた。私は入学してから気づけば2週間が経っていた。相変わらずてっくんも望心ちゃんも私に優しくしてくれるし、段々とクラスメートの名前も言えるようになってきた。

 授業も本格的に始まり授業が難しいけど面白いとか感じたり、部活に入ったりと始まったばかりの高校生活を楽しんでいるけれど、タイミングがうまくつかめず前に進めないことが一つある。

 それは、彼との卒業だ。頭の中にはあるのだけど、いざ卒業しようとなるとどうやっていいのか分からず、なかなか切り出せない。このままだと高校の卒業の方が早く来てしまうことは分かってる。だけど、まだ私には時間がかかりそうだ。

「望心は部活あるらしいけど、友梨は今日は部活オフだろ? 一緒に帰る?」

 帰りのホームルームが終わり、カバンに教科書を詰めているところにてっくんが優しく肩をポンポンと叩いて私に一緒に帰らないかと誘ってくる。そう言えば、2週間が経ち、望心ちゃんのことをてっくんは望心と呼ぶようになった。

「あー、先生にプリント出しにいかないといけないから先に行ってて。駅で集合しよう」

「りょうかい」

 先生に少し用があったので、待たせるのも悪いと思い先に駅に行っててもらいてっくんとそこで集合することにした(てっくんは駅前の本屋がお気に入りらしいのでたぶんそこで時間を潰すだろう)。

 私は用事を済ますと、急いで『今から学校出るね』とてっくんにラインしてから学校を出る。今からてっくんの待っている駅に向かうのだ。

 微妙な時間に学校を出たためか、私と同じ学校の人の姿はほとんどなかった。一瞬、春一番みたいな強い風が吹きどこからか紙が飛んできて私の額に直撃する。紙だから直撃したことによる傷みはほとんどなかったけれど、私の視界が消えてしまったのでその紙を手で払う。それが地面に落下する。

 その紙はかなり前に学校で書いた目標を書いた紙だった。もちろん私のではない。私はそれが少し気になって拾う。見てみたがどこにも名前は書いてない感じだった。しかし、目標ははっきりと大きな文字で書かれていた。

 ――新しい関係をあの人と築けるようになりたい。

 少し幼い字だった。私と同じ学校の誰かが落としたのだろう。名前は書いていないから特定される可能性はあまり高くはないんだろうけれど、この子の名誉のためにも私が預かっておこうと思い、畳もうとしたところでもう一度、私に意地悪するかのように春一番のような強い風が吹いてきた。少し手を離したのがいけなかった。その風に負けて紙がまたどこかに飛んでしまう。まるで風船が空高くに飛んでいくかのように。もう私には届かないところに行ってしまったので、手を伸ばしても何もできない。少しもどかしさはある気がするけれど、これはしょうがないのでてっくんの待っている駅に急いだ。

 てっくんは本屋の中で待っているだろうと思い、本屋の中を一周してみたが、てっくんの姿はなかった。本屋ではなく違うところにいるのだろうか。私は『今どこにいる?』というラインを送信する。さっき送った『今から学校出るね』という文には既読が付いていた。

 1、2分待ったけれど、既読はすぐには付きそうにないと思い、てっくんが行きそうなところを探してみることにした。とはいえ、てっくんが行きそうなところって一体どこだろうか。駅の周りにはお店がいくつかあるけれど、その中でてっくんが行きそうなお店となるとどこなのか。てっくんについて幼馴染として多くのことを知っているつもりだった。でも、てっくんのことをまだまだ私は知らないんだなということを実感させられた。

 私はあるお店で足を止めた。この目の前にある雑貨店の中にいるだろうか。いや、でもあまりてっくんが雑貨店とかに入っているイメージができないと思い、雑貨店を通り過ぎた。私はお店の中ではなく広いところで待っているのかもしれないと思い、そこを探してみることにした。でも栄えている北口にはてっくんの姿はなかった。ということは、比較的閑散とした雰囲気が広がる南口にいるんだろうか。いる確率はあまりないかなと思いつつも私は南口に向かう。

 南口に行くと、予想してた結果とは裏腹にてっくんがいた。

 でも、てっくんとは別に何かがいた。

「えっ、てっくん!?」

 てっくんはなぜか犬と格闘していたのだ。てっくんにとって犬は大の苦手。望心ちゃんに完璧人間みたいと言われたときにも犬が大の苦手と言って完璧人間を否定していた。犬は鎖と繋がっているのでそのまま逃げればいい話じゃないかと思ったけれど、犬が何かが入った袋を加えているのだ。それが、てっくんのものなんだろうか。自分が苦手なものに格闘してまでも取り返したいものなんだろうか。

 てっくんは何度もその袋を奪い返そうとするがなかなか犬は離してくれない。犬もてっくんを鋭い目で見て鳴き声を出しながら威嚇している。いつもは私を見守ってくれるほどの力を持っているてっくんだけれども、この姿だけは子供のように見えてしまった。

 てっくんの足はガタガタと震えている。なかなか犬に触れられない。すぐに手を引っ込めてしまう。私はそんなてっくんの姿を一秒でも見たくなくて私はてっくんの元へ猛スピードで向かう。弱い自分だと分かってるのに、なぜか足が動いてしまった。数年前の自分にはできなかったことなのに。

 そして、私は犬からその袋をあっという間に取り返す。それから、てっくんを安全な場所へと連れて行く。てっくんは友梨と2回ほど言ったが、私はそれを無視して、てっくんの顔を見ながら大丈夫? という言葉をかけた。

「うん、なんとか……」

 顔などの様子を見る限り怯えているものの、怪我をしたとかそういうことはどうやらなさそうだったのでよかった。私も特に怪我をしたりはしていない。ただ、お互いの息が荒い。

「友梨も大丈夫?」

「うん、私は大丈夫だよ。でも、どうしてあんなことに?」

 ずるいな。私が心配してるっていうのに、私が助けてあげたっていうのに私の心配をしてくるなんて。怯えていることによって心は乱れていてもやはり彼の心はそういう心なんだ。

「いや、友梨を待つために人の少ないところにいたら、そこに犬がいることに気づいて……このありさまだよ。友梨、本当にありがとう。本当に助かった。かっこよかったよ」

 てっくんはだいぶ心が落ち着いてきたようで少しずつ普段の口調に戻りつつある。私もさっきまで少し早くなっていた心拍数が平常時のスピードに戻っていく。

「ちなみに、その袋の中は何なの?」

 落ち着いてきたところで聞いちゃ悪いかなと思いつつも幼馴染のてっくんだしと思い、気になっていたその袋の中身を聞いてみる。さっき少し触った感覚では比較的軽かった気がする。てっくんが、大の苦手な犬に取られて威嚇されてまでも取り返したかったもの。妙に気になってしまう。

「それ、聞いちゃう?」

 てっくんはわざとらしくそう言ってくる。何か少しよくないものでも入ってるんだろうか。でも、私にはその中身が全然想像できない。でも、気になる。

「その前に友梨、僕に言いたいことない? ……例えば新しい何かとか?」

 私がてっくんに言いたいこと? 新しいなにかとか……?

 私は思い当たるものが一つあった。彼に見守られることの卒業。

 私は見守られるほどもうそんなに弱くはない。でも、私は見守られたい。だけど――。もう、ここで卒業をしちゃおう。てっくんが卒業のチャンスをくれたんだから。

「てっくんは3年前、私を見守る為にくまのぬいぐるみをくれたよね。今でもてっくんは私を見守ることができるぐらい強いよ。でも、私は見守られることだけを卒業したいんだ。私はまだまだ弱虫かもしれない。でも、私もてっくんを見守りたいんだ。お互い見守って、見守られたいんだ」

 私は自分の気持ちを素直に言った。他の誰かが聞けば小さな事かもしれない。でも、私にとっては小さいものだって十分意味のあるんだから。それを望心ちゃんが教えてくれた。

「――それでさ、私、恋人までとは言わない。でも、恋人に近い関係になりませんか?」

 そして、私はもう一つ自分の気持ちを言った。疑問形にして。最初に言ったことと、最後に言ったことどちらの方が自分にとって大切なことなのかは分からない。でも、こっちの方が言うのは何倍も緊張した。新しい関係になりたいというこっちの方が緊張した。これはある意味告白であってある意味告白ではない。

 私はてっくんの顔を見た。でも、てっくんは数秒間何も言わなかった。でも、驚いてるとか困ってるとかそういう顔をしてるのでなく、いつも通りの優しい顔をしていた。

「うん、そうだな。ごめん、それ実は聞いてた、望心から。望心からそのことを教えてもらったついでにこう言われたんだ、チャンスを作ってあげなと。だって、あの子は自分から言う力がそんなにないから。でも、チャンスを作りすぎるのも厳禁だよって」

 確かに、彼とどんな卒業をしたいのかについても最近少し望心ちゃんに言った気がする。それを、望心ちゃんはてっくんに伝えていたのか。そして作りすぎないチャンスをあげなと。恥ずかしいようで嬉しい。望心ちゃんが私のことを考えてやってくれたことなんだから。

「知ってたけど、でも、僕も言わないとな。僕もそうしたいよ。僕のことも見守ってほしい。もうすでに見守られてる気もするけどな。今だってさ。そして、友梨と新しい関係になりたい。だから、はい。これが新しいくまのぬいぐるみだ」

 てっくんはそう言うとさっきの袋の中からくまのぬいぐるみを出した。その中には雑貨店の名前が書かれた袋も入っていた。3年前のより少し大きい気がするそのくまのぬいぐるみを私はもらう。その袋の中にはくまのぬいぐるみが入っていたのか。だからてっくんは離したくなかったのか。私にどうしても渡したいから。これが証になるんだから。

「でも、あのぬいぐるみは捨てられないな。これと一緒に置いておこうかな」

「そうか、それは友梨が決めな」

「うん」

 私はそのくまのぬいぐるみを見た。私とてっくんを融合させたらこんなようになるのかもしれない。そして、ここには望心ちゃんも含まれてるのかもしれない。その望心ちゃんからは頑張れよと言われている……そんな気がした。

「じゃあ、帰ろうか。幼稚園生ぶりに手でも繋いどくか? これぐらいなら許されるだろう。ある意味恋人で恋人じゃないんだから」

「うん、そうだね」

 私は恥ずかしがることなくてっくんの手を握った。その手はてっくんの心そのものを表しているかのような温かい手だった。私はその手を更にぎゅっと握る。そして、てっくんの横顔をみた。これが私を見守ってくれるてっくんなんだと強く感じながら視線を前に戻した。

 ――これから見守られて、そして見守って成長していきたい。