わたしは生まれつき難病を抱え、六歳から十五歳まで病室で過ごしていた。
そこに幸せはなく、ただ、生かされているだけの毎日。それでも両親はわたしを愛してくれ、いろんなものを与えてくれた。
小説や漫画が死の恐怖を紛らわしてくれたけど、十五歳を迎えた頃から読む気力もなくなり、どきどき意識が飛び始めた。
……あぁ、わたしは死ぬんだな……。
もう恐怖はなかった。ただ、自分の人生って何なんだっただろうと考えるばかりだった。
お父さん。お母さん。こんなわたしでごめんなさいね。もっと早く死んでいたら妹か弟が産めただろうに。無駄に生きてしまってごめんなさい。わたしが死んだら新しい命を産んでください。どうか幸せになってください。
なんて、力がある前に言いたかった。
もう眠っているのか夢を見ているのかもわからない。ただ、自分が薄くなっていくのだけはわかった。
………………。
…………。
……。
「──キャロ! もう朝よ。さっさと起きなさい!」
布団を捲られ、お母ちゃんに無理矢理起こされてしまった。
え? キャロ? お母ちゃん? わたしは……あれ? キャロルだ。でも、わたしの名前は……あれ? キャロルだわ。ど、どういうことよっ!?
「なに寝ぼけてるの。さっさ顔を洗う。もう十歳なんだから一人で出来るようになりなさい」
お母ちゃんに部屋を追いやられ、外に向かった。
ここらわたしの家。お母ちゃんはローザ。お父ちゃんはガロス。あんちゃんはマグス。そして、わたしはキャロル。十歳の女の子だ。
これまでの記憶があるのに、何かもう一人の記憶があった。
その女の子は病気で、いつもベッドに寝ていた。両親が持ってきてくれる小説や漫画を読んでいた。
他にも記憶はあるけど、とても薄い。集中しないと思い出せないほどだった。
「キャロ、おはよう」
外に出ると、あんちゃんが馬にブラシをかけていた。
あんちゃんはマグス。十五歳で荷馬業を営んでいる。
江戸時代? と頭の中に浮かんだが、あんちゃんが着ているものは革のスボンに布のシャツ。そして革のベスト。中世的な感じだった。
「何だ、まだ寝ぼけてんのか? だから早く寝ろって言ったのに、いつまでも縫い物しているからだぞ。ほら、顔を洗ってこい」
ブラシで頭をゴシゴシされてしまった。
「ん? 今日は怒らないんだな」
そうだ。わたしはいつも怒っていたっけ。あんちゃんのバカって。まるで他人事。わたしのことなのに……。
「大丈夫か? 風邪でも引いたか?」
「う、ううん。大丈夫。顔洗ってくる!」
急いで井戸に向かい、水を汲んで顔を洗った。
「……夢でもなければ寝ぼけているわけでもなさそうね……」
毎日見ている小さな手。キャロルの手だ。
「……やっぱり、転生なの……?」
わたしの中にもう一人の記憶がある。名前は……わからないけど、病気で死んだ女の子の記憶があるのだ。
頭がごちゃごちゃして上手く考えが纏まらない。病気で死んだ女の子の記憶に引っ張られていくよ……。
まう一度顔を洗い、記憶を落ち着かせた。
「タオルは……これか」
井戸の横に掛けられた汚れた布。これで顔を拭いていたっけ。はぁー。
病気で死んだ──前世の記憶が抵抗を示すが、キャロルはまったく気にしない。汚れた布で顔を拭いた。
「……よくこれで病気にならないわよね……」
キャロルが丈夫なのか、このくらいで病気にならない時代なのか、どっちにしても嫌な答えよね。前世の記憶が勝ったら嫌な生活になりそうだわ……。
歯は木の枝を石で潰して柔らかくしたもので磨くようで、前世のわたしなら口の中が真っ赤になっていたでしょうよ。
「お風呂もなしか」
まあ、前世でもお風呂なんて入れることなんてなかった。看護助手さんかお母さんに拭いてもらってたしね。なくても……よくはないわね。何だか垢が溜まってそうな肌の色だわ。
「キャロ! いつまで顔を洗ってんだい! 朝食にするよ!」
「はぁーい! 今行くー!」
転生したうんぬんを考えるのは後だ。まずは朝食だ──と、キャロルが急かしていた。
家に戻ると、皆が揃っており、テーブルには煮た芋とちょっとしか野菜が入ってない塩のスープ。いつもの朝食だった。
……久しぶりの固形食だわ……。
前世のわたしは点滴で栄養を摂っていた。固形食を食べたのなんて記憶にもないわ。
芋は煮ただけのもので、スープは薄い塩味。キャロルは物足りない感情が支配しているけど、前世のわたしは感動していた。食べるってこういうことなのね。とっても美味しいわ!
「キャロ。泣いたってそれ以上はないからな」
どうやら食いしん坊なキャロルが少なくて泣いていると思われているようだけど、これは感動の涙だ。固形食がこんなに美味しいものだとは思わなかったわ。
あっと言う間に食べてしまった。けど、わたしは大満足。お腹が膨れるってこんな感じだったのね。
「ご馳走さまでした!」
なんて言ったこともないのに、自然と口から出てしまった。
「何だ、ごちそうさまって?」
「何かの呪文か?」
え? ご馳走さまを知らないの? あ、食べるときも「いただきます」を言わなかったわね。
「お腹いっぱいになる呪文だよ! わたしが考えたの!」
いけないいけない。変な子だと思われちゃう。キャロルと前世の記憶が落ち着くまではキャロルとして過ごさないとね。
キャロルの記憶からここはパルセカ村と言うらしい。
らしいと言うのはキャロルがうっすらにしか覚えてないから。村で通じるからパルセカって名前がなかなか出てこなかったのよ。
わたしも前世の住所なんて知らないも同然。何県だったかも怪しいものよ。
まあ、それはいいとして、キャロルは十歳。ここでは立派な働き手みたい。朝食が終われば水汲みがわたしの仕事となる。
水道なんてものはなく、家に水瓶があって、そこに水を溜めるようだ。
漫画で見たことあるけど、まさか仕事としてやらされるとはね。楽しいじゃない!
ただ、井戸から水を汲んで水瓶に溜めるだけの行動なのに、不思議と楽しかった。
と言うか、キャロルって凄くない? 五往復しても疲れてないわ。前世のわたしなら一回で死んでいるわ。
「健康って何て素晴らしいんだろう!」
キャロルは嫌だったみたいだけど、前世のわたしは体が動くことに楽しくて仕方がなかった。
「今日はやけに張り切っているわね? いつもは嫌がってんのに」
お母ちゃんもいつもと違うキャロルに訝しげになっていた。
まあ、仕方がないわよね。十歳の女の子が生きるための仕事を楽しいと思うわけないしね。
「他にやることある?」
「本当に今日はどうしたんだい? 熱でもあるのかい?」
おでこに手を当てられてしまった。
「熱はないわ。超元気よ」
「ちょ、ちょう? なんだい?」
おっと。前世のわたしが出てしまった。しばらくはキャロルとして生きないとね。
キャロルの記憶に前世のわたしがプラスされた感じだから、キャロルの魂を奪ったわけじゃないはず。二つの記憶が落ち着くまでは、いつものキャロルを家族に見せておくとしましょう。
「まあ、いいわ。なら、裏の畑の草むしりでもしておくれ」
「わかった」
お母ちゃんから平籠を受け取り、家を出て裏の畑に向かった。
この畑は自分たちで食べるようの畑で、芋や豆、葉物類が植えてある。
今の季節は春かしら? 今の畑には芋が半分。残りは春豆とミニトマトみたいなものが収穫を待っていた。
草むしりは記憶にあるので、雑草をむしり、平籠に入れた。雑草は潰して肥料にするみたいよ。
やはりキャロルは体力があるのか、お昼まで続けても疲れることはなく、粗方草をむしってしまったわ。
──ぐぅ~。
こ、これは、お腹の虫が鳴いたってヤツ? これが空腹なのね!
キャロルは空腹になることが嫌みたいだけど、わたしは初の空腹に感動してしまった。
「キャロ! お昼だよ!」
昔は二食が当たり前だと聞いたことあるけど、ここでは朝昼晩と食べるみたい。家はボロいけど、うちって裕福なのかしら?
井戸で手と顔を洗い、家に入るとお父ちゃんがいた。
お父ちゃんは離れた畑で麦を育てている、らしい。わたしはまだ家の回りしか動けないので、そこに行ったことはないのよね。
「キャロ。今日はやけにがんばっているみたいだな」
近所に同年代の子がいないからキャロルが怠け者かはわからないけど、記憶からは結構働いているように思えるんだけどな~?
「まーね!」
下手な言い訳はせず、テーブルについた。
昼は朝と同じ茹でた芋と黒いパン。そして、朝に作った塩スープだ。
代わり映えのしない食事だけど、わたしには味があって歯応えがあるものはご馳走だ。残さずいただいた。
「ご馳走さまでした!」
って、また言っちゃったよ。日本人の心は魂にまで刻まれているの?
「お母ちゃん、次は何する?」
「本当に今日はどうしたんだい? いつも仕事を渋ってんのに」
キャロル、あなたって子は。まあ、わたしの前世がアレだしね。普通に生きてたらこんな生活嫌かもしれないわね……。
でも、前世のわたしはこの生活を楽しいと思っている。この自由に動ける体を堪能したいのよ!
「草むしりは終わったのかい?」
「うん。畑の中は粗方終わったよ。外のほうもやる?」
「いや、外のほうはいいよ。虫が畑に来ちゃうからね」
へー。周りの草を生やしてるのってそう意味があったんだ。農業、奥が深いわ~。
「それなら縄の編み方でも教えたらどうだ? キャロも十歳だし、手仕事を覚えるのもいいだろう」
縄? って縄のことよね?
「そうだね。キャロでも縄くらいなら編めるだろうね」
キャロル、不器用なの? 記憶にはそんなことないみたいだけど……。
洗い物も木皿とお椀が三つだけなので手伝うこともなく、藁を置いてある納屋に向かった。
あ、ここ、ネズミがよく巣くっていた記憶があるわ。
「ねぇ、お母ちゃん。ネズミって食べられるの?」
「ネズミ? まあ、食べられないことはないけど、病気とか持っているかもしれないから死んでいても食べるんじゃないよ。あんたはよく落ちてるもの食べちゃうんだから」
確かに木の実とか食べてた記憶がある。そのあとお腹壊していたわ。
……キャロルぅ……。
「ネズミは食べないよ。でも、お肉は食べてみたいかな」
滅多なことでは食卓に上がらない。キャロルの記憶にも肉を食べた記憶がないわ。
「今度、市場に行ったときにあったらね」
市場? この村にも市場があるんだ。行ってみたいわ。
納屋に置かれた藁の束を抱え、家に戻った。
家には作業用の部屋があり、お母ちゃんがここで藁を編んだりしている姿が思い出された。
今さらながらうちは農家と川で漁をして生きているみたいだ。
どちらもお父ちゃんがやっており、継ぐほどでもないからあんちゃんは荷馬業をやっているみたいだ。
お母ちゃんも畑は収穫のときに手伝いに行くくらいで、普段は内職をやっている。
その一つが藁編みだ。
縄や蓙、袋など、藁でこんなに作れるんだと感心してしまうわ。藁、万能すぎ!
「じゃあ、教えるよ」
藁の束を木槌で叩いて柔らかくし、水で浸した。
「まずは母ちゃんがやってみせるからよく見てな」
って言うけど、上手すぎて何をどうやっているかさっぱり。速すぎるって!
「まずは一本ずつ編んでみな。失敗しても釜戸で燃やすから気にしなくていいよ」
それならと藁を一本ずつつかんで編んでいった。
「……上手く編めない……」
これでも自分の髪を三つ編みに出来たのに、藁二本編むことも出来なかったわ。
「やっていれば嫌でも出来るようになるよ。母ちゃんもそうだったしね」
やって覚えろか。厳しいものだ。けど、学校に行くわけでもなければ仕事が多いってこともない。近所に同年代の子供がいないので遊ぶこともない。時間はたっぷりあるのだから練習あるのみだ。
不安だったものの、やれば不思議と出来るもの。一時間もやれば二本編みをマスターしてしまった。キャロル、あなたやれば出来るじゃないのよ!
「不器用かと思ったらそうでもなかったんだね」
たぶん、キャロルは根気がなかったんだと思う。わたしの中で面倒臭いって気持ちがあるからね。
前世のわたしにも根気があったかはわからないけど、器用に動いてくれるこの手がおもしろい。不器用どころか器用だわ、キャロルって。
二本編みの次は二本に増やして編んでいき、これは十分もしないでマスター出来た。
「キャロ、あんた凄いわね。これなら縄を売りに行けるのも早いかもしれないね」
「売る? わたしが売りに行くの?」
「ああ。十歳なら市場に場所を構えられるからね。まあ、縄はそれほど高くは売れないけど、よく使うものではあるからすぐ売れると思うよ」
それはいいわね。たくさん作ってたくさん売っちゃおうじゃないのよ!
「わたし、いっぱい作るよ!」
「アハハ。たくさん売れたら肉を買っていいよ」
おー! お肉買っていいんだ。断然、やる気が漲ってきたわ! わたし、やるよ!
それからわたしは藁を編みまくった。
本当にキャロルは器用であり、編めば編むほど技術が向上していき、四日もすれば目を閉じてても編めるようになっていたわ。
「いや、あんた編みすぎだよ! 納屋の藁なくなっちゃうよ!」
編みに編んでいたらお母ちゃんに止められてしまった。え?
「なに? せっかく乗ってたのに」
「なにじゃないよ! 編みすぎだよ! 藁は他にも使うんだからそのくらいで止めておきな!」
「え? わたし、そんなに使った?」
「使っているよ。まったく、あんたの集中力、どうなってんのよ? 変なものに取り憑かれたんじゃないだろうね?」
ギクッとしたけど、わたしはキャロル。ただ、前世の記憶を思い出しただけだ。
「変なの? 変なのがいるの?」
そう言えば、ここがどんな世界かわかってない。幽霊とかオバケとかいる世界なの? 魔法なら大歓迎だけどさ。
「いや、たとえだよ」
なんだ、いないのか。それは残念。ちょっと見てみたかったわ。前世じゃ幽霊もオバケにも出会えなかったしね。
「ハァー。こんだけになるとあたしの作業も出来ないよ。明日、市場に売りに行くよ」
お、さっそく行けるのね。
「これ売ったら肉買える?」
「肉は猟師が狩ってくるから運だね」
畜産はやってないってこと? いや、出来ないってことなの、か?
お母ちゃんに尋ねたら家畜を営む家はあるみたいだけど、食用ではなく毛を取るための羊とチーズを作るための乳牛だそうだ。
……よかった。ここ、平和な村っぽいわ……。
漫画や小説のように魔物犇めく異世界とか、今のわたしには難易度高いわ。前世じゃほぼ寝たきりだったんだからね。
ただ、旅はしてみたいかな? せっかく健康な体で産まれたんだからね。
「縄は適当な長さにして丸めておきな」
丸太に縄を巻いて束ねる。二十メートルくらいでいいかしら?
「お母ちゃん、ハサミってないの? 毛を切ったほうがすっきりすると思うんだけど」
「ハサミは高価で一つしかないからね、キャロはこれを使いな」
と、古びた鉈を渡された。
「マグスのお下がりだよ。砥石もあるから手入れして使えるようにしな」
鞘から抜いたらサビサビだった。
小枝切りに鉈を持ったことも砥石で研いだ記憶もある。このくらいのサビサビならわたしでも取れそうだわ。
縄を束ねたら鉈を持って井戸に向かい、砥石を使ってサビサビを落としていった。
「やっぱりキャロルって器用だわ」
完全にサビサビは取れなかったけど、なかなかいい感じに研げたと思う。これなら薪でも一刀両断出来そうな気するわ。
「刃物を持つと何か強くなった気がするから不思議よね」
これはキャロルの感覚かしら? 怠け者だけど、変に活発なところがあったみたいね。
「お母ちゃん。試し切りしたいんだけど、何かないかな?」
「それなら納屋の後ろの雑木を切っておくれ」
「わかった!」
ふふ。今宵の斬鉄剣は一味違うぜよ。
「……あんたは手加減を知らないのかい……」
納屋の後ろの雑木を根絶やしにしたわたしを呆れた顔で見るお母ちゃん。ナハハ……。
ま、まあ、釜戸用の小枝が出来たし、物が置けるようになったのでお咎めはなし。鉈を取り上げられることもなかった。
「しかし、鉈って切れ味いいものなのね。わたしの太ももくらいある木を簡単に一刀両断しちゃったわ」
切れ味よすぎて下手に扱えないわね。周りをよく見て振らないと。
ボロ布をお母ちゃんからもらい、よく拭いてから鞘に戻した。
「キャロ。小枝を手頃な束にして薪小屋に運んでおきな」
「はーい」
縄はたくさんあるので切り落とした小枝をすべて纏め、薪小屋に運んだ。
「冬は寒いんだね」
半分くらいなくなった薪を見てたら冬の記憶が蘇った。
ずっと病院生活だったからわたしは冬の寒さを知らない。けど、凍えるほど寒いってのはキャロルの記憶でわかった。
「そりゃ、強くなるわね」
あの冬を乗り越えているんだから体も強くなるってものだ。前世のわたしなら一日も堪えられなかったでしょうよ。
「お母ちゃん、片付けたよ。他にやることある?」
「怠けるのも面倒だけど、働き者ってのも面倒だね。なら、竹を切っておくれ」
竹、この世界にもあったのね。あ、作業部屋に竹が積み重ねてあったわ。たまに切るのを手伝わされていたっけ。
「お母ちゃん。わたしも使っていい? 籠編んでみたい」
「またバカみたいに作るんじゃないよ」
「わかった」
まずは竹を切ることをマスターしましょうかね。
お父ちゃんやあんちゃんが帰ってくるまで竹を切り、またお母ちゃんに切りすぎと怒られたけど、使った分はわたしが切ってくることで許してもらったわ。
夕食を食べたロウソクがもったいないのですぐに就寝だ。
キャロルは寝つくのが早いので、夜中に廁に行くこともない。目覚めたときは朝だった。
わたしに任された仕事は水汲み。井戸から木のバケツで台所の樽に水をいっぱいにする。五往復もすれば終わる仕事だ。
「こんなんでいいの?」
なんかこう、漫画や小説では寝る間もないくらい忙しいイメージがあったんだけど、ここでの暮らしは拍子抜けするくらいのんびりしている。
食べ物はそうバラエティーはないものの三食は食べられ、朝も意外とのんびりだ。時計がないからわからないけど、お父ちゃんもお母ちゃんも大分太陽が昇ってからだし、あんちゃんも八時くらいに家を出ていた。
ハードモードな異世界ライフは嫌だけど、さすがにこれはスローライフすぎる。もうちょっと刺激が欲しいものだわ。
「どこかに鶏とかいないかしら?」
異世界転生の定番、マヨネーズを作ってみたいわ。あ、酢とかあるのかしら?
「って、酢、あるんだ。キャベツに使うのかな?」
キャベツを酢で漬けたものは漫画で読んだ気がするな。
「砂糖や味噌はなしか」
主な調味料は塩で、香辛料みたいなもので味をつける感じかな?
「もう起きてたのかい。早起きになったもんだね」
台所で佇んでいたらお母ちゃんが起きてきた。
「おはよう。何にか手伝うことある? 水汲みは終わったよ」
「忙しくないんだから大人しくしてな」
と、台所から追い出されてしまった。
「仕方がない。今の周りを探索するか」
今日の朝食も買い置きしている堅いパンに茹で芋。塩野菜スープだ。十分もしないで完成されるわ。
「さすがに飽きてきたな~」
一日二日は味や食感に感動したけど、人間は慣れる生き物。もっと違うものを食べたくて仕方がないわ。
「人間って贅沢よね」
まあ、贅沢が人を成長させるもの。こうして健康な体に生まれ変わったのなら美味しいものを求めるのもいいかもね。ちょっとずつ美味しいものを探していくとしましょうか。
家の周りを歩き回り、キャロルの記憶を探りながら食べられるものがないかを探した。
「……何もないわね……」
季節的に野に生るものはない。あるのらミロの実か……。
「油は取れるみたいだけど、質が悪くて売り物にならないか」
昔、油を取るために植えられたみたいだけど、花の種から良質の油が取れるようになって捨て置かれてしまったものだ。
「たくさんあるのに」
実は今の時期と冬の前に二度生る優れものなのに残念よね……。
「いや、待てよ。油が取れるなら石鹸が作れるんじゃない?」
灰汁と油を混ぜて固めればいいんだよね? 布と灰汁を煮る鍋があれば行けるんじゃね?
「お母ちゃん。ミロの実から油を取る方法って知っている?」
前にお母ちゃんが子供の頃に手伝わされたって言ってた記憶がある。キャロルは油取りしなくなってよかったって喜んでいたわ。
「また変なこと訊いてくるね。ミロの実の油なんてどうすんだい? 油なんて今は安く買えるんだよ」
油って高価なイメージがあったけど、ここではそうじゃないんだ。
「ちょっといい考えが思いついたの。教えて!」
「まあ、騒がれるのも面倒だしね。納屋に昔使っていた道具があるよ」
って言うので納屋に行ってみると、それっぽいものが埃を被っていた。
棚から下ろし、具合を見たら壊れているところはなかった。
よし! 石鹸が作れるわ!
さあ、採るわよ!
とはならなかった。朝食が終われば市場に連れてってもらうんだったわ。
背負子に藁縄を積み込み、お母ちゃんと市場に出発した。
「お母ちゃん。市場って大きいの?」
「まあ、そうだね。周辺の村から集まって来るから大きいと思うよ」
周辺の村? どう言うこと?
「ここは、七つの村が集まるところでね、コンミンド伯爵様が治める地なんだよ」
コンミンド伯爵領? 王制なところってこと?
「本当は町として治めるべきなんだろうけど、村単位で治めるほうが楽ってんで、七つに分けているみたいだよ」
なかなか変わった治め方をしていること。漫画や小説でも出てこなかったわ。
市場は伯爵様が直接治めるロンドカ村にあり、うちからは歩いて一時間ほどかかった。
……ざっと十キロってところかしら。十歳の体でも歩けるものなのね……。
ロンドカ村に入る前に革袋に入れた水を飲んで一休みする。てか、村の外に出た意識もなく着いちゃったわね。
家と家の間が空いており、畑の中を歩いていたから村の境がまったくわからなかった。この領地すべてが村みたいなものじゃないのよ。
「家が多いんだね」
まあ、家と家の間は開いており、都会感はまったくないけど、わたしたちが住んでいるところよりは家が建っていたわ。
「領地でも賑やかなところさ」
現代知識がある者としては過疎地にしか見えないけど、まあ、ここではこれが賑やかなんでしょうよ。
大通り的な道を進むと、お城が見えてきた。
「あそこが領主様が住んでいる城だよ」
お城ってより要塞みたいな感じね。尖塔みたいなものはないし、屋根もない。夢も魔法もないお城だわ。
「市場は城の横にあるマーチック広場で開かれているんだよ」
野球でもやれそうな広場には、大小いろいろな露店が建てられ、蓙を敷いただけの店(?)もあった。
「お金、取られるの?」
広場の入口に兵士っぽい男の人が二人立っており、入る人がお金を払っていた。
「ああ。でも、金のない者は売るものを渡せば利用できるんだよ」
兵士に売るものを告げ、縄を一束渡した。そんなんでいいんだ。
買い物客は払うことなく出入りできるみたいで、結構な人が集まっていた。
「いつもこんな感じなの?」
「今は畑も落ち着いた頃だからね、暇潰しに来てる者が多いかもね」
娯楽が少ないってことなのか。
ボードゲームもリバーシもやったことがないわたしには作り出すこともできない。わたしには前世のゲームで大儲け、はできないわね。
わたしたちは飛び入りなので、蓙を敷いている一角に向かった。
ここは野菜や桶、ザル、小物類と、時間の間に作ったものを売っている感じだった。
お母ちゃんが周りに挨拶し、空いているところに蓙を敷いた。
縄を並べ、品出し完了。あとはお客さんを待つだけだった。
呼び込みとかはしないみたいで、興味がある人が前に来たら接客するルールみたいだ。
「縄っていくらで売るの?」
「一束銅貨二枚かね? 他も売ってたら一枚になるときもあるよ」
銅貨の価値がどれほどのものかわからないけど、そう価値があるものとは思えない。銅貨一枚百円ってところでしょうね。
お客さんはそれなりにいるけど、蓙区(わたし命名)に人が流れて来るのは希で、買っていくのは野菜ばかりだった。
「売れないね」
「まあ、どれも自分のところで作れるものだからね。一つも売れたら上等だよ。あ、マレア! 久しぶりだね!」
「ローザじゃないか! 久しぶりだね!」
同年代の女の人とおしゃべりタイムに入ってしまったお母ちゃん。よくよく見たらおばちゃん同士でしゃべっている光景がそこらかしこにあった。
……ここは、井戸端会議みたいなところだったのね……。
完全に放っておかれたわたしはお客さんが来るまで蓙に体育座りで待った。
しばらくして武装した男女が蓙区に現れた。
皆バラバラの武装で、剣を持った人、弓を持った人、ローブに杖を持った人がいた。
その集団は辺りを見回すと、こちらを指差し、全員でやって来た。な、なに!?
「よかった。縄を売っていたよ。全部くれ」
「あ、はい。一束銅貨二枚なので二十二枚です」
縄は全部で十一束。かなりの長さになるのに全部とか豪気ね。何に使うのかしら?
「わかった」
「これでいいかな? 細かがないから負けてよ」
と、ローブを着た女の人が革袋を出して銅貨──より大きな銅貨を二枚出した。
二枚ってことは銅貨一枚の五倍になるのか。
「ええ。いいですよ。おねえさんは魔法使いなの?」
これで吟遊詩人ですとか言われたらこの世界の常識をまた最初から学び直さないといけないわ。
「そうよ。って言ってもまだまだ低ランクだけどね」
ランクって言葉があるんだ。ゲームの中に転生したのかな?
「魔法ってどうしたら使えるの? わたしでも出来る?」
あるのなら使いたいじゃない! 夢が広がるじゃない!
「あ、いや、冒険者ギルドで鑑定してもらうといいよ。じゃあね」
と、逃げるように去って行ってしまった。まだ訊きたいことがあるのに!
でも、この世に魔法があることはわかった。それを調べる方法が冒険者ギルドにあることも。なら、地味に訊いて回れば答えに辿り着くわ。
「ふふ。魔法か。どんなことが出来るか楽しみだわ」
「どうだい、売れたかい?」
完全におしゃべりに来たとしか思えないお母ちゃん。三時間も話すとかどんだけ話題を持ってんのよ? 待ちくたびれよ!
「うん。武器を持った人たちが全部買ってくれた。あと、全部買うからって一束オマケにした」
「ああ、それは冒険者たちだね。またウールが大量に出たんだね」
ウールとは飛べない鳥で、たまに大量発生するんだってさ。キャロルの記憶にはないけど。
「市場にも流れてくるかな?」
「んー。どうだろう? ウールは人気だから王都に流れるかもしれないね」
「王都?」
「この国の中心だよ。ここから歩いて五日くらいかかるって話だ」
五日か。一日三十キロ歩けるとして、五日なら百五十キロってところね。それでも王都に流れるってことは高級食材なのね、ウールって。
「あと、冒険者ギルドって何?」
「うーん。何でも屋って感じかね? 魔物と戦ったりする冒険者もいるけど、村でやっている冒険者は狩りをしたり薬草採取したりだね。縄を買いに来たのも駆け出しだろうね」
「魔法使いのおねえさんも低ランクって言ってた」
「最近は魔法使いが人気だね~」
「人気でなれるものなの?」
なりたいと思ったらなれるものなの、魔法使いって?
「少し前に魔力がわかる魔道具が出来たそうで、冒険者になったもんが調べるようになったって聞いたよ」
どうやらいい時代に生まれたようね、わたし。
「ねぇ、お母ちゃん。わたしも冒険者になれる?」
「そうだね。ちょっと前までならそれもよかったけど、今のキャロなら結婚したほうがいいかもね」
結婚? え? わたし十歳だよ? 早くない?
「まあ、結婚って言っても十五になったらだよ。成人前の結婚は法で罰せられるからね」
ホッ。ちゃんと法が守られているところでよかった。異世界、やるじゃん。
「働く場所ってないの?」
「んー。ないこともないだろうけど、うちにそんな伝手はないからね。結婚するのが一番早いと思うよ。あたしも十五で結婚したしね」
え? ってことはお母ちゃん、三十歳? いや、妊娠期間を考えたら三十一、二歳か。申し訳ないけど、四十過ぎているのかと思ってた。外国人顔だから老けて見えるのか……?
「冒険者は何歳からなれるの?」
「……確か、十二歳だったっけ? どうしても知りたいならマグスに訊きな。冒険者から依頼されるときがあるみたいだからね」
あんちゃんか。わたし(キャロル)、あんちゃんが荷馬業をやっているってことしか知らないや。
「それはともかく、大銅貨二枚なら肉は買えそうだね」
「買えるの?」
銅貨一枚百円として大銅貨一枚は……二千円か? わたし、前世で買い物したから肉がいくらか知らないや。二千円だとどのくらい買えるものなの?
「ああ。大銅貨一枚なら結構買えるよ」
店仕舞いして露店区(わたし命名)に向かうと、肉が吊るしてある露店がいくつかあった。衛生的に大丈夫なの?
「豚?」
豚の記憶はわたし(キャロル)の中にあった。近所でも豚を飼っているのを見たこともあるわ。
「四プロムもらえるかい?」
プロム? ここの単位?
「あいよ。大銅貨一枚と銅貨二枚ね」
露店のおじちゃんは、吊るした肉を包丁で切り落とした。大きさはわたしの両手くらい。それが四つで四プロムか。一枚三百グラムって感じかな? 某ハンバーグチェーン店の比較だから合っているかはわからないけど。
「はい、四プロムとお釣りね」
大きな葉に包まれて渡された。紙はないのかな?
「ほら。銅貨二枚は小遣いだよ」
「小遣い?」
「あ、小遣いを知らないか。まあ、がんばったお礼だよ。せっかくだから金の使い方を学びな」
「銅貨二枚で何が買えるの?」
「それを学ぶんだよ。また縄を編んで売りに来たときに学びな」
スパルタなのか優しいのかわからない教育をするな~。まあ、学んでいいのならありがたく学ばせてもらうとしましょう。
肉を買って買えると、珍しいことにあんちゃんが帰っていた。いつもは暗くなってから帰ってくるのに。肉を察知したのかな?
「明日から王都に出ることになったんだよ」
「あーあれかい? ウールを運ぶのかい?」
「ああ、そうだよ。よく知ってるね」
「今日、市場に行ったんだよ。キャロが編んだ縄がすべて売れたからね」
市場でのことをあんちゃんに語ると、ウールが大量に現れた話を聞かせてくれ、お土産に生きたウールを一匹もらってきたとのこと。
「これがウールなんだ」
鶏くらいのサイズで、茶色い毛を生やしたヤンバ……なんだっけ? まあ、そんな感じの鳥だった。
「今日は豚肉を買ったからウールはまた今度にしようか。メスなら卵を産むかもしれないしね」
「卵、産むの?」
「メスならね」
誰もウールの雌雄がわからないので、とりあえず飼うことになり、わたしが面倒見ることになった。
「逃げない?」
「こいつらは単独では大人しいし、臆病だから逃げたりしないよ」
「増えると厄介なの?」
「まあ、厄介だな。こいつらは増えるときはとんでもない勢いで増えて、農作物を食い尽くすんだよ。それを狙って狼やゴブリンが集まってくる。それで村が滅んだって話はよく聞くよ」
ゴ、ゴブリン、いるんだ。襲われちゃう系なの?
「ゴブリン、襲って来る?」
「うーん。ゴブリンは冒険者の練習相手にされるからな、山の奥にでも入らないと見れないって話だ。滅多なことじゃ村には出ないよ」
何かフラグを立てたっぽいけど、わたしにはよく切れる鉈がある。いつ現れてもいいよう練習しておこう。あ、目潰しも作っておこうっと。
「とりあえず、あなたはわたし預かりとなりました」
朝になり、籠に入ったウールとご対面。わたしには預かりになったことを告げた。
「鳴かないわね」
籠から出すと、逃げることなく地面を突っ突き始めた。虫でも探しているのかな?
「ほら。エサだよ」
お母ちゃんからもらった古くなった豆を地面にばら撒いた。
「お、食べてる食べてる」
漫画でしか鶏がエサを食べているところしか知らないので、ウールが食べているところがおもしろかった。
「って、お前の寝床を作ってあげないとね」
村にもグール、小さな肉食獣がいるみたいで、鶏(この世界でもいるみたいで、裕福な家で飼っているらしいわ)を狙って現れることがあるそうだ。
うちも昔は飼っていたみたいだけど、グールに食べられてからは飼うのを止めたんだってさ。
「頑丈なのを作らないとね」
何の技術もないけど、漫画で枝を使った檻があった。あとは鳴子を仕掛けておけばなんとかなるでしょう。
近くの林に向かい、手頃な枝を集めた。
「キャロルって力持ちよね」
一メートルくらいの枝を三十本くらい持っても平気だった。もしかして、わたしってパワー系?
この前、雑木を払った場所を鉈で均していき、枝を円を描くように地面に刺していった。
天辺を曲げて反対側のと藁で結んでいき、上を塞いだ。
頑丈になれと願いながら柔らかい枝を横に編み、縦の枝と藁で結合させた。
朝から初めて昼には完成。あ、出入口を作るの忘れた。
ウールが入れるくらいの枝を切り、余った枝で扉を作った。
「ほんと、キャロルって器用よね」
パワー系でありながら器用でもある。これでやる気や向上心があったらもっと優秀に育っていたでしょうに。心技体が大切ってよくわかるわ。
「さあ、お前──って、名前がないのも不便ね。何かつけてあげましょうか。そーね。茶色いからタワシにしましょう」
いずれ食材となる子。思い入れしない名前にしておきましょう。雌雄もわからないしね。
「今からお前はタワシ。わたしの僕《しもべ》よ。ちゃんと言うこと聞きなさいよね」
うちのものであることを示すために藁で編んだ首輪をつけてあげた。
「元気に育って卵をたくさん産むのよ」
小屋(檻じゃなんだしね)の中に棒で叩いて柔らかくした藁を敷いてやり、木皿に水を入れて小屋に置いてやる。
「グールが来ませんように」
小屋が襲われませんようにと願い、鳴子作りに取り掛かった。
「てか、うち、工作道具が充実してない?」
道具の名前は知らないけど、使いたいな~って思う道具が納屋の箱の中に入っていたのだ。
不思議に思ってお母ちゃんに尋ねたら、じいちゃんが大工をしていたんだってさ。納屋もじいちゃんが作ったそうだ。
ちなみにわたしが五歳まで生きてたそうよ。わたしはまったく記憶にないけど。
「お父ちゃん、何で大工にならなかったの?」
「不器用だったからだよ。だから畑を買って農作業に励んでんのさ。向いていたみたいで食うに困らないくらい稼いでくれるよ」
あんちゃんは荷馬業しているし、うちって職業自由な家系なのね。
「じゃあ、納屋の道具、わたしが使ってもいい?」
「構わないよ。どうせ錆び付かせているだけだからね」
よっし! これでいろんなものが作れるわ。どう作るかわからないけど!
まずは錆びを落とすとしましょう。布で拭けば落ちるかな? あ、油をつければいいのかな? こんなことなら大工道具の手入れを動画で観ておくんだったわ。
箱の中の道具を出し、砥石で研げるものと難しいものと分けていく。
「お、ハサミがあった」
何バサミになるかわからないけど、油を染み込ませた布に包んであったお陰で錆びてなかった。じいちゃんナイス!
「いい感じのナイフもあるじゃない」
じいちゃん、几帳面の人だったみたいね。キャロル、五年前のことなんだから記憶しておきなさいよ。
ナイフは鞘もあり、それを引っ掛けるベルトもあった。
「研いでおくか」
よく切れるようにと研ぎ、錆びないようにとボロ布で拭きあげた。
ベルトをして鞘をつけ、鉈も付けるとなるとなかなか重くなるわね。いや、鉈は林や木を切るときにすればいいのか。普段はナイフとハサミを装備しておこうっと。
他にも何かないかと探ると、ポーチや鞄が出てきた。
「古くさいけど、ないよりはマシね」
洗えば少しは綺麗になるでしょう。異世界転生ゼロからスタート! じゃないんだからありがたいと思わないとね。
「キャロ! ウールが腹を空かしているみたいだよ!」
あ、タワシのことすっかり忘れてた!
「わかったー!」
出した大工道具を箱に戻し、手頃な肩掛け鞄を持って納屋を出た。
わたしの姿を見ると、タワシがやって来てエサ寄越せとわたしの回りを回り始めた。
「お前、僕《しもべ》のクセに生意気ね」
やっぱり鳥の頭では言うこと聞けってのは無理か。まあ、元気に卵を産んでくれたらそれでいいわ。産まないなら食卓に上げてやるんだから。
「って、こういうところはキャロルが出ちゃうわね」
豆を食べさせたら小屋に入れ、蓙を巻いて家に入った。
「……マジか……」
朝、タワシの様子を見に行ったら卵を二つも産んでいた。
「食べられたくないからがんばったのかしらね?」
小屋から出してやり、スカートのポケットに入れた豆を地面に撒いてやると、ガツガツと食べ始めた。
「食べた分だけ産むのかな?」
まあ、いいや。これで卵が食べられるわ。どう調理しようかしら?
卵をつかんでお母ちゃんに見せに行くと、フライパンに油を敷いて目玉焼きを作ってくれた。ジ○リ飯か!?
「美味しい!」
四人いるので半分しか食べられなかったけど、夢に見たパンに目玉焼きを乗せて食べられたよ!
「そうかい。それはよかったね。もっと産むように育てておくれ」
「あんちゃん。ウールって豆以外に何を食べるの?」
「え? あー虫とかじゃないか? 肉食獣に隠れながらとなると虫くらいじゃないと捕まえられないだろうからな」
虫か~。ミミズとかかな?
「湿ったところの石の下によくいるよ。ただ、毒をもっと虫もいるから直接触るなよ。ナクスとかにしろ」
ナクス? あ、あのダンゴムシみたいなヤツか。確かに石の下にいたっけ。
「わかった。探してみるよ」
朝食を終えたら昨日の続きで、大工道具の手入れをする。
「こんなものか」
ボロ布で拭いたり、砥石で研いだりとかしか出来ない。素人のわたしにこれ以上は無理だ。けどまあ、本格的な大工をするわけじゃない。出来そうなことをやるまでよ。
「こんなときアイテムボックスとかあるといいのにな~」
たくさんものが入り、時間停止が出来て、自由自在に出し入れ出来るヤツ。なんならこの鞄でもいいや。アイテムバックになってくれないかしら? 魔法でならないかな~?
「──キャロ! 何こんなところで寝てんだい? 風邪引くよ!」
ふわぁ? え? わたし、寝てた?
お母ちゃんに揺らされて起きたら夕方になっていた。
「まったく。寝るんならうちで寝な。呼んでも答えないからびっくりしただろう」
「ご、ごめんなさい。わたしもわからない間に眠っちゃってた」
疲れて眠っちゃったんだろうか? 全力で大工道具を手入れしてたから? そんなにがんばっていたつもりはないんだけどな~?
──ぐぅ~~!
と、お腹が凄い勢いで鳴き出した。
「まったく。煮た芋があるからお食べ」
「いいの? 明日の分が減ったりしない?」
「芋なんて腐るほどあるんだから遠慮することないよ。また煮たらいいんだから」
そう言えば、朝に大量に茹でていたし、一人何個とも決められていなかったっけ。
「お父ちゃんの畑で作ったヤツ?」
「ああ。あの人、本当に野菜を育てるのが上手いんだよね。不作の年でも豊作だったし」
それは何かの加護とか持ってんじゃないの? うちのお父ちゃん、何者よ?
「あ、お母ちゃん。わたし、芋で料理していい? ちょっと思いついたことがあるんだ。失敗したらタワシ──ウールのエサにするからいいでしょう?」
芋がたくさんあるなら芋餅を作れるんじゃないかな? 小さい頃、おばあちゃんがよく作ってくれたものだ。どんな味かは忘れちゃったけど。
「……あんたって、たまにエグいことさらっと言うよね……」
あん? 何のこと?
「まあ、いいよ。もう十なら料理の一つでも出来てないと困るしね。好きにやってみな」
「ありがとう、お母ちゃん!」
小さな芋をもらい、皮をナイフで向いて適当に切り分け、鍋に水をたっぷり入れて茹でた。
美味しくなれなれ萌え萌えキュン♥️ なんてことを心の中で唱えた。声に出してはさすがに恥ずかしいからね。
茹であがったら木ベラで潰し、片栗粉……はないって言うので小麦粉で代用し、塩を入れて混ぜ混ぜする。
いい感じに混ざったら団子にして小判型に潰した。おばあちゃんはこうしてたのよ。
「それで完成かい?」
「ううん。油で焼くの」
「油はまだ早いからわたしがやるよ」
焼くところまでやりたかったけど、お母ちゃんとしては十歳の子がやるには怖いんでしょうよ。
油を木杓で掬い、フライパンに垂らして芋餅を乗せていった。
さすが主婦。いい感じに焼いてくれ、いい匂いが漂ってきた。
「こんなもんかね」
木皿に移し、一つ味見した。ど、どうなの?
「うん。茹でたのよりいいね。これは、マー油をかけたらイケるんじゃなあか?」
棚の上に置いてある壺を取り、赤黒い液体を芋餅にかけて食べてみた。
「うん。イケるよ!」
「お母ちゃん、わたしも食べたい!」
「あ、ごめんごめん。ちょっと待ってな」
マー油なるものを小皿に移し、そこに芋餅を入れて渡してくれた。
「美味しい! 何これ? 甘辛よ!」
あ、これ、前に食べたことある。肉にも味付けで使っていたんじゃない? 異世界ナメてました! ごめんなさい!
「この辺でよく作られる調味料だね。ハチミツを使うからそう大量には作れないけどさ」
「お母ちゃんが作ったの?」
「マー油を作れてこそ一人前の女だからね。あんたもこの味を覚えて、未来の旦那に食わせてやりな」
未来の旦那はともかく、このマー油があれば料理のバリエーションは増えるわね。いや、そんなに料理知らないけど!
芋餅マー油かけは、お父ちゃんにも好評だった。
あんちゃんにも食べさせてあげたかったけど、王都に行ってしまった。帰って来たら食べさせてあげましょう。
いつものように水汲みを終えたらタワシのエサ探しに出かけた。
湿った石の下にいるってことなので探していると、すぐにナクスを発見出来た。
ナイフで削った箸てナクスをつかみ、納屋にあった欠けた壺に入れる。
「虫とは無縁だったのに、全然気持ち悪いと思わないな~」
これはキャロルの性格かしら? さすがに素手で触るのは元のわたしが抵抗している。まだキャロルと元のわたしが合わさっていないのね。
「ナクス、多すぎ」
三十分もしないて壺いっぱいになってしまった。
タワシに持っていき地面にばら撒くと、待ってん! とばかりにパクパクと食べ始めた。
「虫が卵になるって考えると気持ちが萎えてくるものね」
前世の記憶があることの弊害ね。まあ、キャロルの食欲が強いので食べるんだけど。
エサやりが終われば油を搾る道具を掃除する。
道具と言っても樽と蓋、油を受ける皿くらい。案外、単純なのね。
灰で樽の中を洗い、カビや雑菌を洗い落とし、終われば太陽の光がよく当たるところに置いて水気を切る。抗菌処理って出来ないものかしらね?
「魔法で出来ないものかしらね? 抗菌の魔法! とかね」
まあ、それは冒険者ギルドに行ってからのお楽しみね。
背負い籠を持ってミロの実を採りに向かった。
「結構落ちているわね」
質のいい油が安く手に入るようになってから誰も採らなくなった。そのせいか、熟したミロの実がたくさん落ちている。
「この世界、どのくらい発展しているのかしらね?」
漫画の中では油は高いものと書かれていたのに、搾るのを止めるくらい安くなるって、機械化でもされているのかしら? それなら砂糖も安く出回っているといいんだけどな~。
まあ、お金のないわたしには自作するしかないし、時間はたくさんあるのだから楽しみながらやるとしましょうか。
学校もなく、家の手伝いもない。近所に友達もいないのだから手間など惜しむ必要もない。逆にやることがあって充実しているわ。
落ちていたミロの実を選別。いいものを水洗いし、日陰で水を切る。お金を稼げたら布を買わないとな。
一晩置いたらヘタを取っていく。量は少ないのですぐに終わり、実を切って樽に入れていった。
「半分も満たないわね」
また集めてくるのも大変だし、これでやるとしましょうか。
蓋を入れ、そこに石を乗せていくと、樽の下に空いた穴から琥珀色の液体がじんわりと出てきた。
「変な臭い」
不快な臭いじゃないけど、いい匂いってわけでもない。体を洗ったり衣服を洗ったりするくらいなら問題ないわね。
慣れたとは言え、水だけでは臭いは落ちず、髪のベタつきは流れてくれない。フケも結構出る。元の世界レベルは求めないけど、そこそこの清潔感は持ちたいものだわ。
一晩放置すると、受け皿ギリギリまで溜まっていた。ざっと二リットルってところかしら?
「布がないから濾せないのが残念だわ」
カスを取り、上澄みだけを掬って別の木皿に移した。
大まかな石鹸の作り方は動画で観たけど、異世界の油で石鹸が作れるかは謎でしかない。小さいものが沈殿するまでしばらく放置することにしましょうか。
「樽、洗わなくちゃね」
キャロルが体力あってくれてよかった。これ、十歳の女の子がやる作業量じゃないわよ。
片付けするだけで夕方までかかってしまい、空腹で目が回りそうだわ。
「あ、芋餅がいっぱいだね」
一回も様子を見にこなかったのはこのせいだったのね。
「わたしも作ってみたんだよ。美味しかったからね」
だからって作りすぎじゃない? 夕食では消費し切れない量だよ。今のわたしなら半分はイケそうな気がするけどね。
「そう言えば、砂糖ってある? 甘いヤツ?」
「よく砂糖なんて知ってたね」
「市場で聞いた」
って言っておく。あそこなら聞いても不思議じゃないでしょうからね。
「まあ、あるにはあるけど、小瓶一つで銀貨五枚もするよ」
さすがに砂糖は高かったか。まあ、あるのならよし。一から作るよりお金を稼いだほうが楽だわ。
「お、今日も芋餅か。こりゃいい!」
お父ちゃんが畑から帰ってきて、食卓に積まれた芋餅に喜んでいた。すっかり芋餅に魅了されたみたいね。
「マー油を作りたいんだけど、構わないかい?」
「おー構わん構わん。こんな美味いものが食えるなら多少の出費くらいなんでもないさ。明日の昼に包んでくれ」
お金の管理はお父ちゃんがやっているんだ。うち、かかあ天下じゃないんだね。
「マー油って作るのにお金がかかるの?」
「まーね。貴重な材料を使うから金がかかるんだよ」
簡単に作れるものじゃないんだ。それなら味噌、作っちゃおうかな? 大まかな作り方はおばあちゃんが教えてくれたし。
「そういえば、キャロは油を作っているのか?」
「うん。石鹸を作ろうと思って」
「石鹸? お前、作り方なんて知ってんのか?」
「簡単にだけどね。昔、誰かから聞いた」
家族以外の人とも会っている。力業で納得させておこう。
「まあ、最近、石鹸も安くなったみたいだしな。作り方が広まってんだろう」
ありゃ、石鹸まであるんかい。知識チート出来ないじゃん。まあ、わたしツエェーをやりたいわけじゃない。わたしは普通の異世界転生をさせてもらうわ。