乾燥地域と湿潤地域、ひいては遊牧と農耕の境界地帯から文明は始まり、集落が栄え、やがて次々と都市国家が興った。
 豊かに大きくなった都市は外敵の侵入に備えて武器と城壁を整備し國(くに)となり、そうした無数の国々の支配者層は諸侯と呼ばれた。

 彼らはよりいっそうの豊かさと附随してくる権力を求めて覇を競うようになり、並み居る諸侯たちのトップは天子と呼ばれ列国の盟主として権利を掌握した。
 今の天子は煒(い)国王で、在位はおよそ三十年。煒王家は既に三代にわたって天子の地位を守り続けてはいるが。その道のりは平坦ではなくむしろ下り坂であった。

 事実、ほんの十年ほど前には隣国壅(よう)の国主が天子の位を狙って煒国内へ侵攻。天子はその象徴である九鼎(きゅうてい)を持って都を脱出し周辺国に救援を求めたが、呼び声に応じる諸侯はひとりとしていなかった。みな、衰えつつある天子の権威よりも、権勢著しい壅王を恐れたのだ。

 行き場を失った天子はやはり隣国の煌(こう)に名指しで泣きついた。が、そうしたところで煌王も動こうとはしなかった。煒王家と母系を同じくする同姓の煌王家でさえ当てにできない。
 絶望し窮地に陥った天子。が、ここでようやく窮状を救いに駆けつける人物が現れた。煌国の一臣下であった棕(そう)将軍。わたしたちの父上だ。

 棕氏もまた煒王家煌王家と姓を同じくし、もともとは煒王家に仕えてもいた。
 先祖が受けた恩に報いるためにも天子のもとに馳せ参じるべきであろうに、煌王はそれを良しとせず家臣たちに動くことを禁じた。
 主君の思惑は父上にも読み取れた。そうでなくとも我が父上は泰然と達観した思考の人物である。

 権力の趨勢は流れる水のごとし、人の生き様もまた、大河の水が海を目指すように生から死へと向かうだけ。すべては南斗星君がさだめたままに。
 ならばただ、流れに身を任せ少しでも穏やかに過ごせるように。家族や自身の配下たちへの責任などに思いをめぐらせ、そう考える。
 が、やはり。主筋への報恩を捨てるのはいかがなものかとも思う。

 結論が出せず、馬の脚に任せるままに散策していたところ、いつの間にか竹林に迷いこんでいた。父上はそこで見知らぬ老巫と出会い、母神の予言を得た。

 曰く、ひとりの安寧を願うならば動かず、女子の栄達を願うならば今こそ世に出るべし。