神殿の丘の上からは港町の今のようすが見て取れます。軍用倉庫の前方の波止場には、大きな大きな軍船が浮いているのがこの距離からでもわかります。
 エレナに買い物を頼まれ広場まで来たついでに丘に足を延ばされた女神さまは、緑色の目に陽光を映しながら物憂げに風に吹かれておいででした。

「戻るぞ、ティア」
「はい」
 広場へと坂道を下っていくと、二股に分かれた道を劇場の方へと向かおうとしているデニスと会いました。デニスは両手に玉ねぎをぶら下げています。
「なんじゃ、それは。今から戦にでも行くのか?」
 玉ねぎは兵士たちが戦に持っていく携行食でもあります。
「今夜の劇に使うんだって」
 臭いに鼻をむずむずさせた表情でデニスが言います。玉ねぎを小道具に使った劇、どんなものやら。

 やはり興を引かれた女神さまにお供してリハーサルを観に行くと、やはり思った通り出兵反対の内容でした。「玉ねぎのにおいはもうたくさんだ!」仮面をつけた俳優が叫びます。

「戦へと士気が高まってる今、これを上演するのか」
 女神さまはあきれた口調でおっしゃいます。
「ったりまえですよ。俺はいつでも反戦の精神を捨てるつもりはありませんからね」
 禿ちょろびんの男性は、沈着な彼らしくもなく興奮した面持ちで言いました。
「あんなもんまで持ち出して。いや、あれを使いたいからの出征でしょう。それ以外に今、隣国を攻めることになんの意義が? 戦争はごっこ遊びじゃないんですぜ。東の大国の脅威があるってなら、今は国力を蓄えるべきでしょう」

 日々こんなふうにあちこちで戦争に関する議論を耳にするようになりました。禿ちょろびんの男性のように出征反対派は少数であります。それというのも……。

「三段櫂船の漕ぎ手は日給が良いそうですね」
 アルテミシアに字を教えてもらいながら、エレナがそう質問していました。
「ピリンナに聞いたの?」
「はい」
「そのようね。といっても、今回は船で戦闘するわけじゃないから試運転を兼ての兵馬の運搬らしいけど」
「だから男の人たちは戦争に行きたくなったのですね」
「そうね」

 英雄たちが華々しく名乗りをあげ一騎打ちで戦った時代はもう昔です。今は鉄の時代、重装備の歩兵が戦場で活躍するようになっていました。
 武具は自前ですから、革製の粗末な盾しか持てない貧しい市民は戦に志願することさえできませんでした。それが今回の戦では、あの大きな軍船の漕ぎ手として、武具を持たない市民たちにも役割が広がったのです。